最近のエッセイ(85)

2022年6月24日  こわいをしってへいわがわかった

 昨日、沖縄の平和公園で恒例の記念式典が行なわれました。昨年は女子高校生が「詩」を読み上げましたが。今年は7歳の女の子です。なかなかのものでした。 

 びじゅつかんへのお出かけ おじいちゃんやおばあちゃんも いっしょにみんなでお出かけ うれっしいな こわくてかなしい絵だった たくさんの人がしんでいた 小さな赤ちゃんやおかあさん 風車や ちょうちょうの絵もあったけど とてもかなしい絵だった お母さんが77年前のおきなわの絵だと言った ほんとうにあったことなのだ たくさんの人たちがしんでいて ガイコツもあった わたしとおなじ年の子どが かなしそうに見ているこわいよ かなしいよ かわいそうだよ せんそうのはんたいはなに へいわ? へいわってなに? きゅうに怖くなって おかあさんくっついた あたたかくてほっとした これがへいわのかな おねえちゃんとけんかした

おかあさんは二人の話をきいてくれた そして仲なおり これがへいわなのかな せんそうがこわいから へいわをつかみたい ずっとポケットに入れてもっておく ぜったいにおとさないように なくなさないように わすれないように  こわいをしってへいわがわかった   

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2022年6月23日              発酵食品

 もう一つ、命の長らえに関係する食べ物に、発酵食品があるように思います。つらつら見回してみれば、私たちは発酵食品に囲まれて生きているようなものです。例えば、納豆、醤油、味噌、豆板醤、鰹節、塩辛、クサヤ、魚醤、生ハム、サラミ、チーズ、ヨーグルト、糠漬け、キムチ、ピクルス、甘酒、みりん、日本酒、チョコレート、コーヒー、紅茶、そして、これらを支配しているのが乳酸菌、酢酸菌、納豆菌などです。発酵菌で構成されているこれらの食品を、いかに上手に日常の食事に摂りいれられるか、これが生命の維持に深くかかわってくるように思われてなりません。

 これらの発酵食品に関する学問的泰斗に、東京農大名誉教授の小泉武夫さんがいます。すでに150冊ほどの著書をものしていますが、それらが実に面白い。ユーモアーに満ち、目から鱗が落ちる話に満ちているものばかりです。私が発酵食品に関心を持つようになったは、彼の著書のお陰です。

 小泉武夫さんは福島県小野新町の作り酒屋の息子です。日本酒の良し悪しは水と麹菌で決まります。家族といえども醸造室へは入れません。それが、どうやら彼の原点になったようでした。彼は故郷へ帰ると駅前の食堂のカレーライスを食べます。「旨くて、旨くて、、、」と何かの本に書いてあったので、私も福島担当の時、その小さな駅の食堂へ入って彼が推奨するカレーを食べてみました。「旨かった」記憶が鮮明です。ところで彼が推奨する世界で最も美味な発酵食品は何か?それは言わずと知れた、スカンジナビア半島の魚の缶詰「シュールストレミング」です。余りに臭いので家の中では開けられず、野原へ行って食べるそうです。

 その「シュールストレミング」をアマゾンで検索してみました。ありました。ただし小さな缶が一個・5000円也!しかしこれを食べずにあの世へ行くわけにも参りません。

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2022年6月22日                  ゴーヤー 

 10日ほど前、朝日新聞関係者による囲碁の集まりができたので、もう一つの囲碁の集まり、主として長野高校関係者による下北沢碁会所での集まりもできるかな、と思って幹事役の池田君にメールを入れてみました。驚きました。彼自身、コロナ禍が始まって以来、電車に一度も乗っていないのに、熱が出たり、体が動かなくなったり、歩くだけでも大儀だとのこと。仲間の中で一番強い東大出で早稲田大学名誉教授の、桜井君は腎臓を悪くして週三回透析に通っているとのこと、更に、信毎販売局長だった内山君は肺に水が溜まって、遠出は不可能とのこと。ということは、囲碁の会も、同窓会の集まりも、すでに不可能になりつつあったのです。

 思えば、囲碁の仲間も、同窓会の連中もすでに86歳を過ぎました。私だけが幸いにして囲碁も打てるし、遠出もできる。何で私だけが今もって、何処といった身体の問題もなく日々過ごしていられるのだろう、とつらつら考えました。思い当たるのは食事です。ゴーヤー(苦瓜)のせいかもしれません。一本のゴーヤーをスライスし、サクラエビなどカルシウムと共にオリーブ油で炒めます。これを三日で食べきります。ご飯は一膳、目玉焼き2個、それに大粒納豆。みそ汁、漬物は全くなしです。食後はF1ヨーグルトをメイプルシロップでいただきます。昼は殆ど取らず、夜はお気に入りのウイスキーで喉を潤し、ありあわせの肉、魚、をぶち込んだ野菜スープです。ウイスキーのあとは鹿児島から送られてくる芋焼酎の梅酒割です。米の飯は朝だけです。果物はパイナップル、ミカン、キウイフルーツ、バナナを常備しています。忘れてならないのはチーズです。ゴルゴンゾーラ、プルサン、ゴーダなど、これらが切れると慌てて買いに行きます。チーズは、何処でも手に入りますが、ゴーヤ−はどこにでもあるとは限りません。特に真冬は困ります。そんな時は沖縄のスーパーに電話を入れて直送してもらいます。直送といえば長野県北信にしかない「丸茄子」があります。こちらではほとんど見ることがありません。更に、今の時期は北海道の「時鮭」、秋田の「きりたんぽ「」に欠かせない「比内鶏」、、、日本は本当に食材の豊富な国です。

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2022年6月21日             玉 砕

 明後日23日は沖縄が玉砕した日です。この日は沖縄南部の平和記念公園で式典が開かれるでしょう。そこには沖縄戦で、国籍を問わず、すべての亡くなった23万人を超える人々の名前が刻まれた石碑が林立しています。紺碧の海を見下ろす崖の上には、永遠に消えることのない火が亡くなった人々の魂のように燃えています。すぐ近くに戦争記念館があります。おびただしい数の遺品や、写真が陳列されていて、涙なくしては、見ることができません。中でも悲惨極まりないのは集団自決の写真です。万座毛という数十メートルの崖の上から、母親たちが紺碧の海に向かって子どもを抱きかかえながら、次々と飛び降りる空中写真です。恐らく、米軍が撮ったものでしょうが、それを見たとき、体中に震えがきて収まりませんでした。同じ震えは、死者の名前が刻まれた石碑の中でも起きました。日本軍人9万人、アメリカ軍人1万5000人、多国籍軍人9000人、あとの20万人近くは、すべて民間人です。

 なぜ、これほどの民間人の死者がでたのか? それは沖縄軍司令部が降伏を許さなかったからです。「お国のために死ぬ」ことを名誉として美化されていたからです。「国のために死ぬるは男子の本懐なり」という思想が国中に蔓延していたからです。それは、当時、国歌の「君が代」と共に謡われていた「海ゆかば」に詳らかです。「♪海ゆかば、水つく屍、山ゆかば、草むす死屍、大君の辺にこそ死なめ、顧みは、せじ、、、、♪」 軍人が国家を支配した国は必ず、と言っていいほど滅びゆくのが世界史の常識のようです。心すべきことです。

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2022年6月20日          揺れる能登半島

 日本海に突き出た能登半島で、いま、群発地震が起きています。この半年余りで震度5弱を含めて104回も揺れを観測しているらしく、能登半島の輪島や七尾の人たちは生きた心地がしないでしょう。群発地震は長野の松代でもありました。新潟の山奥、山古志村でもありました。なぜ、集中的に地震が発生するのか? 学者は地下水の関係だ、というのですが、本当のところ何も分かっていません。

 4,5年前、蟹を食べに金沢の近江町市場の真ん前のホテルに投宿した折、一日、観光バスで能登半島を一周しました。バスが走っても埋もれない浜辺を走ったり、天然記念物になってる、棚田を見てあっけに取られたりしました。生憎の雨もよいのため、輪島の市も面白さが半減しましたが、能登半島の生活の活発なさまをつぶさに見ることができました。その皆さんが、いま、104回にも達する地面の揺れに慄いているのです。地面が毎日のように揺れるという日常は、どんなに心細く、不安なものでしょうか。深く、ご同情申し上げます。

 地面の揺れは何も能登半島に限りません。近く予想されているのは南海トラフ地震です。それに加えて東京直下型地震。もう一つ、富士山の大噴火があります。これらの災害は学者らによって、『必ず起きる』、と言われているのですから、必ず起きるのでしょう。存在とは、何たる不確かなものなのでしょうか!せめて、一日一日を喜びを持って迎え、、深甚な感謝と共に送り出す以外にありません。

 
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 輪島の朝市の売り子はほとんどおばあさん

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2022年6月19日         破廉恥罪

 岸田文雄首相の子分で、比例区で衆議院議員になった、吉川という40歳の男が、18歳の女子学生に酒を飲ませ、4万円払ってホテルへ連れ込む姿が週刊ポストに掲載され、問題になっています。本人は自民党離党だけで済ませようとしていますが、勘違いも甚だしい。当然、離職ものです。

 ヤクザの世界なら「即、クビ」でありましょう。北九州小倉に単身赴任していた時、贔屓にしていたスタンドバーで、破門になったヤクザさんと同席して、悩みと愚痴を散々聞かされたことがあります。北九州は炭鉱は閉山し、八幡製鉄も千葉に鞍替えし、港の沖仲士もいなくなって、以前の粗っぽさはなくなっていましたが、夜の街は工藤会が相変わらずのさばり、「みかじめ料」を巻き上げていました。私に愚痴った男は、その「ショバダイ」のことから女性関係に及び、それが警察に知れ、破廉恥罪の適用となったようでした。ヤクザさんの世界では破廉恥罪を受けたものは二度とヤクザの世界に戻れない、「厳格な掟」があることを、その時、驚きをもって知りました。

 今回の衆議院議員の場合、警察のご厄介になっていなくても、週刊誌によって全国に知れ渡った以上、自ら議員辞職を申しでるのが、当然といえば当然です。広島を中心とする岸田派の優柔不断を憂います。今のままではヤクザさんに笑われます。

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2022年6月18日          刀顛末

 今日は、拙宅に眠っていた刀を持って 再び東京都庁へ行きました。5月21日、初めて持っていったら、「刃がどうなっているか分からなので、窓を開けてもらって、再び来るように」、と言われていたのです。浅草の晴雅堂・清水という古美術扱い店にもっていって、窓を開けてもらいました。料金2万円。刃はありました。そして今日、東京都教育委員会発行の「銃砲刀剣類登録証ー第324935号」をもらいました。それにはこうあります。種類わきざし 長さ53,3センチメートル 反り1,1センチメートル 釘穴1個 銘文(表)葵紋 康継以南蛮鉄 (裏)於武州江戸作之 令和4年6月18日交付 東京都教育委員会 とあって大きな印鑑が押してありました。

 さて、これから、どうしたものか? 実は、朝日新聞で元同僚であった、船橋に住む矢島さんから貴重なご意見をいただいているのです。矢島さんはかねてより私のホームページを読んでくださっていて、しかも、刀剣鑑賞を趣味とするその道のオーソリテーであったのです。矢島さんのご提案により、今月30日に刀剣関係の組合長をご紹介いただき、この刀の行く末について、ご助言がいただけることになったのです。、聞くところによればこの刀の作者である康継は、江戸時代初期の超有名な刀鍛冶だそうで、それだけに贋作も多いとのこと。今日、登録は出来たけれど、果たして本物か、はたまた、贋作か、その判定はこれからになるのです。

 今回の件で勉強になったことがあります。都庁の登録会場は第二庁舎の一階のホールで行われ、審査員は二人一組で4組ありました。前回の5月21日もそうでしたが、登録を受ける人々は、その4組の前に座って順番待ちです。それぞれが大なり小なりの刀を持参していて、神妙にしています。よくまあ、こんなにも刀が残っているものだ、というのが第一の驚きです。私の登録番号が32万台ですから、すべてが刀でないにしても、驚くべき数の刀が今もって密かに存在していることを意味します。加えて、私の刀がそうであったように、外国に散っているものを加えたらどれほどの数になるか?その刀一本、一本に武士や兵隊たちの魂が宿っているとしたら、、、、 

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2022年6月17日           抜け穴

 北海道から沖縄まで、日本は細長くて小さな島国ですが、一日にどの位の石油を使っているのでしょうか? 東京ドーム五個分だそうです。数字にすれば385万バレル。驚くべき量ですが、それでも世界第四位です。一位は当然ながらアメリカー2045万バレル、二位が中国-1352万バレル、三位がインドー515万バレル。続いてサウジアラビア、ロシア、ブラジル、韓国、カナダ、ドイツ と続きます。

 ならば、一日当たりの生産量はどうでしょうか?アメリカが断然多く、16,476バレル、二位がサウジアラビアで11,039、三位ロシアー10、667、四位カナダー5135、、、、、、ここで問題にになるのはロシアです。毎日10、667、バレル掘れているのに国内では332万バレルしか消費していません。残りは輸出しているのです。ヨーロッパ各国は争ってロシアの石油を買い付けていました。

 そこへウクライナ侵攻です。NATO加盟国はロシアへの経済封鎖の一環としてロシア産の原油の買い付けを停止しました。ロシアは困ったでしょうか? いいえ、抜け穴がありました。イランがかんだのです。イランはかねてより西欧諸国に背を向けている国です。キリスト教など世界のあらゆる宗教を駆逐し、「イスラム教の世界」にしよう、と憲法に明記している国です。その上、核開発でもアメリカなどからの制止を振り切ってロシアに擦り寄っている国です。ロシアの石油はイランに集まり始めました。そうと知りながら、ヨーロッパ各国はイランの石油に群がり始めました。何のことはない、ロシアの石油はイランを経由する面倒は増えたけれど従前同様、NATO、を潤しているのです。かくして、ロシアへの経済封鎖はイランという抜け穴のお陰で失敗しているのです。ロシアはまた、天然ガスの供給国でもあります。ドイツはメルケル首相の時代にロシアまでの長距離パイプラインを設け、日夜恩恵に預かっています。ドイツがロシアのウクライナ侵攻に対して、積極的でないのは、こうした弱みがあるからでしょう。

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2022年6月16日            武士道はどこへ       

 ポーランドの人口は3800万人です。そこへ、ウクライナから400万人の難民が押し寄せ、今月の24日で四か月が経過します。今や、ポーランドでは10人に一人がウクライナからの難民です。住む処はあるのでしょうか? 食料は足りているのでしょうか? 仕事はあるのでしょうか? 子供たちへの教育はどうなっているのでしょうか?病気にかかった人もいるはずです。十分な医療が受けられているのでしょうか? 赤十字をはじめ、世界各国から支援の手は差し伸べられてはいるようですが、満足のいくものなのでしょうか? 

 同じことは4,5年前のシリアでもありました。400万の難民が発生し、ヨーロッパへ逃れました。難民はイギリスを目指しました。なぜなら、イギリスは医療費がタダだったからです。難民受け入れを嫌ったイギリス国民は、二度の国民投票の末、EUを離脱しました。アサド政権に肩入れし、自由主義勢力を壊滅させ、旧勢力を守ったのはロシア・プーチンが乗り出したからです。地中海に面したシリアには永久契約で借りているロシアの軍港があるのです。港のないロシアはその権益を失うわけにはいきません。言ってみれば、ウクライナ400万の難民も、シリアの400万も、その発生にはロシアが絡んでいる、と言えましょう。

 西洋の歴史でも、東洋の歴史でも戦争のなかった時代はありません。日本もそうでした。つい最近まで武士と名乗るものは刀を二本差し、殺し合いをしていました。殺し合いはあっても、そこには「武士道」という厳然たる掟があって、刀を持たない者には手出しをしないという不文律がありました。それが破られ始めたのは太平洋戦争です。一般中国市民まで敵とみなし、「南京虐殺」などの汚名を残しました。アメリカもそれに呼応し始めます。B29の爆撃機編隊は、大量の焼夷弾を積んで投下し始め東京を火の海にしました。沖縄では洞窟に隠れている一般市民を火炎放射器で皆殺ししました。その数20万人。そのうえ、原子爆弾を広島、長崎の上空で炸裂させ一般市民数十万人を一挙に殺害しました。

 生きとし生けるもの、自己の存続のため戦いをします。縄張り争いは生き物にとって不可避でありましょう。 ただ、人間には知性というものが備わっています。ならば、すべての戦争は「武士道の精神」にのっとったものであってもらいたいのです。すなわち、「一般人を巻き込まない」、「武器を持った者同士だけでやってもらう」

 世界の趨勢に逆らい、自国の論理だけに固執して,兄弟喧嘩同様の殺し合いを始め、一般市民を不幸に追いやる論理がまかり通っている現実を深く憂います。  

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2022年6月15日         雨はパソコンにも

 余りにも不順な天候を嘆いていたら、全くの突然、 愛用のパソコンの画面にも雨が降り出したではありませんか! 無数の白い線が画面の上部から、あたかも夕立のごとく降り注ぎ始めたのです。 ビックリ仰天、24時間サポートセンターに遠隔操作で修復を頼みましたが、直りません。やむなく、パソコンを購入したPCデポへ持ち込みましたが、そこでも、お手上げです。メーカーへ運んでの修理となり、代わりにノートパソコンを貸してくれました。思えばパソコントラブルはこれで三度目です。大事に、慈しみながら使ってきているはずなのに、何が気に入らないのでしょうか。理解に苦しみながら代替えのパソコンに向かっているところです。

 振り返れば、文章を為すのに筆記用具を使わず電子機器で入力するようになったのは60歳前後からでしたから、かれこれ25年を経過しています。お陰で自分の本を10冊以上、人様の詩集、句集、論文集など、これも20冊ほど、しかも、ほとんど無料で作り上げてきて喜ばれました。もし、「電子筆記用具」の発達が伴わなかったら、とても、こうはいかなかったでしょう。それもこれも、パソコンという新兵器のお陰でありました。パソコンだって、酷使されれば病気にもなるでしょう。そうでなくても私の使い方には激しいものがありました。今は入院して治療を受けている「わが相棒」の一日も早いご退院を願い、使い勝手の不便なノートパソコンで耐えることにしましょう。

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2022年6月14日                    雹が降る

 昨日は暑くて、冷房が必要でしたが、今日は寒くて暖房が欲しいほどです。地表での激しい温度変化は、当然、大気圏でも異常現象をもたらします。地表の熱い空気が上昇して上空の寒気に触れると、巨大な積乱雲に成長し、その中で水蒸気が凍り氷塊となります。氷塊が大きくなるにつれ、重さに絶えられず地表に落下します。豆粒くらいで落下するとき霰霰(あられ)、ピンポン球以上の大きさになって落ちてくるときは雹(ひょう)と呼ばれます。昨日、埼玉県の深谷地方に落ちてきたのは、極めて大きく成長した雹でした。お陰で、収穫間近のメロンがメチャクチャ。栽培農家の悲鳴が聞こえています。更に留めてあった自家用車車の屋根や、ボンネットにも穴が開いたり凹んだりしました。一般市民の嘆きが聞こえています。

 天候不順は、今や、世界的現象です。滅多に雨の降らないサウジアラビアのメッカにも大雨が降り、真四角で黒いカヴァア神殿が水浸しになりました。大雨のお陰で、黒い大きな建物の天辺から、雨水が滝のように流れ落ちるのを、世界中のイスラム教徒は、畏れおののきながら見た、に相違ありません。

 今や、地球上のすべての地域で頻繁に引き起こされる天候不順は、決して神様のいたずらではありません。産業革命が始まって以来、石炭、石油、天然ガス などを「これ幸い」とばかり無制限に使い、炭酸ガスや窒素酸化物を地表にまき散らしてきたその結果なのです。

 私の80数年の短い年月を振り返ってみても、昔は、春夏秋冬が截然と分かれていましたが、今は、冬と夏が長く、春と秋が短くなっているような気がします。やがて、遠からぬうちに、日本から四季の移ろいが無くなっていくように思われてなりません。

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2022年6月13日        昔の戦争、今の戦争

 ウクライナの10倍の兵力を持ちながら、攻め倦んでいたロシアが、攻勢に転じ、長期戦の様相となってきました。昔の武器は大砲、高射砲、機関銃などでしたが、今の武器はドローン、ミサイルなどの電子兵器です。いつ、どこから飛んでくるか分らないし、防御のすべもありませんから、兵士たちは生きた心地無く、戦車や装甲車の中で怯えているのです。太平洋戦争時の日本のように国民皆兵ではなく、志願兵組織ですから兵士の士気が振るわないのも、宜なるかな、でありましょう。

 ところで私は70年以上前に歌われた、軍歌、国民歌謡のほとんどを、今でも、空で歌うことが出来ています。「 今日、増産の帰り道、みんなで摘んだ花束を、英霊室に供えたら、次は君だぞ、分ったか、しっかりやれよ、と空高く、胸に響いた神の声、、、、、 後に続くぞ、僕たちは、君は海軍予科練兵、僕は陸軍荒鷲に、、、」「敵は幾万ありとても、すべて、烏合の衆なるぞ、烏合の衆にあらずとも、味方に戦の道理在り、、、、」、 「 進めー少国民、溌剌と元気よく、胸を張り、大手を振って前進だ、、、遮るものなーく、唇キリリりと、我慢だ、強いぞ、いざ進め、進め進め、少国民!」、、、、そして<八紘一宇>と<大東亜共栄圏>と<教育勅語>のお題目。「朕、思うに我が皇祖皇祖、国を始めることこと高遠に、、、、」

 思えば日本も近隣諸国に対して悪いことをしてきているのですから、ロシアのことを悪し様に言える資格はないのです。それも、たった70数年前のできごとではありませんか!

 丸山真男の「現代政治の思想と行動」に詳らかなように、東京裁判では30人の被告軍人が、異口同音に「私には、何の罪もありません。ただ、上官の命令に従っただけです」、、、、、日本もロシア以上の悪辣にして、したたかな国であったのです。

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2022年6月12日         錦糸町

 大昔、私が千葉県助務から抜擢されて江東6区の正担当になったころ、江東6区の荒川、江戸川、葛飾、墨田、江東、足立区は読売新聞の牙城で、朝日新聞は超劣勢でした。そのため、錦糸町にあった朝日新聞江東支局は、この6区だけの特別版を作り、読売に対抗していました。その中の一つに「ともしび賞」という特別企画がありました。当時の支局長は「デカさん」と呼ばれる佐藤さんで、6区内の隠れた善行を読者の投票に寄って選考し、毎月一度関係者を支局に呼んで、ささやかな表彰式を行なっていました。かなりの評判となり、部数も次第に上向きになってきていました。その仕事も加わり、錦糸町には足繁く通っていました。当時の錦糸町は全くの歓楽街で、それらしい女性が溢れ、どことなく、隠秘な街でした。

 昨日、元東部朝日会の会長さんから、中断させられていた囲碁の会を錦糸町の囲碁クラブで再開するから、来ないか、と呼ばれ、数十年ぶりに錦糸町へ行きました。懐かしさの余り、駅周辺を歩き回ってみて更に驚きました。超近代都市に変容していたのです。京葉道路も広くなり、道の両側は数十階建ての高層ビルばかりです。線路脇にあった江東楽天地は既になく、瀟洒な商業ビルになっていました。三ツ目通りの両側も高層ビルばかりで太平町に続いていました。ただし、錦糸町駅の階段は昔のままで、すり切れ放題になっていたのはご愛敬でした。

 しかし、私が担当した江東6区の中で、最も変容著しいのは江戸川区の葛西地区ではないでしょうか。運河や遠浅の海が埋め立てられ、デズニーランドが出現し、臨海鉄道が通り、高級大団地が至る所に出来ました。一方、最も地価が高く、憧れの住宅地といわれた、阿佐ヶ谷、荻窪、吉祥寺など、大きな変化があったでしょうか?駅舎を含めてほとんど変化していません。江戸川、江東の変化に比べれば、旧態依然といっていいでしょう。都市というものは「絶えず変容する」ことを、昨日、錦糸町へ行ってみて改めて教えられました。

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2022年6月11日      志の輔の落語

 NHKの長寿番組で「ためしてガッテン」がありました。司会の志の輔とアナウンサーの女性・小野さんとの掛け合いが巧妙で、番組の主題以上に二人のやりとりが面白くて、楽しみな番組でありました。もっと続けばいいのにと思っていたら、今年の3月でお終いになっていました。

 私は数多いる落語家の中で志の輔が大好きです。富山県の生まれで、確か明大在学中に立川談志に弟子入りし、次第に頭角を現します。彼の歯切れの良い語り口が好きで、ずいぶん聴きましたが、なんと言っても筆頭は赤穂浪士の吉良邸討ち入りでしょうか。一時間近い話を少しのよどみもなく語ります。志ん生、米朝、枝雀を超える落語家だと私は想っています。

 この志の輔は、日本以外にも高座を持っているのは 余り知られていませんが、タイ・バンコックでは異常な人気ぶりです。羽田10時30分のタイ国際航空に乗ると5時間後にはバンコックです。時差が2時間ですから、悠々、夕方から独演会に間に合います。3時間の高座を終えて、夜11時発の羽田行きに飛び乗ります。一眠りすれば日本です。彼はこれを定期的にやっているらしいのです。バンコックの独演会場はいつも超満員、チケットがなかなかとれないそうです。 

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2022年6月10日          騙 す

 コロナ禍による不況のため、仕事を解雇させられたり、仕事に就けずに惨めな暮らしを余儀なくさせられている若者が多くなっているように仄聞します。それにつけ込んで、悪徳業者や詐欺師が、これ幸いに、巧妙な仕掛けを作り、善意の人間から金品をむしり取る事件が、横溢しています。これを可能にしているのが、今や誰もが持っているスマホやパソコンです。要求されるビットコインはコンビニに行って現金を払えば直ぐ送金出来てしまいます。あらゆる仮想通貨の出現は、詐欺師たちに取って便利この上もなく、貧者は益々落ち込み、詐欺師たちは高笑いをし続けます。

 私自身、この悪循環に見舞われたことがありました。16年程前、連れ合いに先立たれ落ち込んでいた頃で、去るサイトの巧言令色にはまり、言われるままにビットコインをつぎ込んだことがあります。が結局、すべてが罠仕掛けであったことを悟ったのは、大分、後になってからでした。以来、ネットの中での金銭取引からは、一切、手を引いています。使っているカードはダイナースとファミリーマートのみで、それも口座を別にして、支払い請求書の金額を精査し、その金額だけを請求日に合わせ入金するようにしています。このように用心深くしていても、アマゾンに登録しているカードの番号が盗まれ、莫大な金額が請求されたことがありました。それは、「暗証番号が読み取れません。改めて送って下さい」というメールに疑いを持たず応じてしまったからでした。アマゾンと掛け合い、結局、事なきを得ましたが、ネット全盛のいま、ネットの便利さをよいことに、詐欺行為が横行するのも、若い人々が余りにネットを信じ込みすぎているからではないでしょうか? 「うまい話にのってネット上で金銭のやりとりをするのは危険この上もない」と、 理解すべきです。

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2022年6月9日          円 安

 為替レートは、外国へ出かける者にとって深刻な問題です。コロナ禍が頭を持ち上げ、大問題となっていく年の2月6日、天啓のお陰で、タイ・チェンマイの森の中に借りていた一軒家をたたみ、家財一式を畏友堀田さんに処分をお願いして日本へ引き揚げましたが、その当時の為替レートは、一ドル106円でした。円が高いときは100円を割り込んでいた時もありました。タイの通貨バーツは円よりもドルの方が堅調で、円をわざわざ手数料を払ってドルにしてバーツに交換したこともありました。それが、今日のレートで1ドルがが134円!驚くべき円安です。外国旅行者はこの円安を、きっと、惨めな気持ちで迎えていることでしょう。なぜ、こうなるのか? ロシアのウクライナ侵攻により金融不安が助長され、ドルへの傾斜が世界的に高まった結果でありましょう。

 反対に円が高くてドルが安くなったとき、それは数十年前ですが私たちはオーストラリアにいました。三男がメルボルンでホームステイし、語学学校へ通っていた頃です。ドルは78円をつけていました。そして、オーストラリアドルは76円。高級ホテルに滞在し、極上のワインを飲み、帰りのスーツケースは上等のチーズで一杯にして帰国しました。円高は一般庶民には恩恵があっても輸入業者に大変な痛手でしょう。逆に輸出業者は大喜びしているのではないでしょうか。しかし、円安はとりもなおさず国力の衰退と捉えるべきで、これ以上アメリカを喜ばすことは百害在りです。 

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2022年6月8日          音のカスリ

 人間の持つ五感の中で、最後まで衰えないのは聴覚だと言われています。だから、イマワの際の病床では滅多なことがいえないそうです。幸いにして、私の場合、耳だけは確かで、いい音を聞き分ける力だけは十分に機能しています。ところが一方、鍵盤に触れる指の動きは、日を追うごとに低下しているので、情けないやら、悔しいやらの思いでピアノと格闘しています。右手の第二指と第三指の動きに僅かなズレが絶えず発生するのです。病名は「Gソミア」という楽器奏者にのみ起きる症状で、これになったら最後、演奏家であることを諦める以外にないそうです。でも、なんとかならないか、との思いで、最近は中学時代にやった「チエルニー30番」と取り組んではいます。

 音の擦りとは、演奏の途中で楽譜にない隣の鍵盤を叩いてしまうことを言います。晩年のホロヴィッツの演奏はその連続でした。「壊れた骨董品」とまで揶揄されたのは記憶に新しいところです。ところが、この「擦り」が一度もない無いピアニストがいます。天才中の天才と言っていいでしょう。それは「上原ひろみ」、「角野隼斗」、「カチア・ブニアステビリ」の三人です。長年に亘って、この三人の演奏をユーチューヴなどで聴いていますが、ただの一度たりとも「音の擦り」を聴いたことがありません。中でも上原ひろみは圧巻です。超高速で即興演奏をするのですが、その音の速さといい、曲想といい、何人たりとも真似できない音の極限を醸し出します。アメリカの大群衆が総立ちで拍手喝采するのも当然でありましょう。浜松のヤマハが生んだ超天才でありましょう。角野隼斗は東大工学部出身の異色ピアニストですが、ショパンのピアノ曲全曲を暗譜で弾くことが出来ています。しかも、即興演奏が得意です。ほぼ、すべてのジャンルのピアノ曲を、つまり、協奏曲から流行歌まで、音の擦りなしに弾くことが出来ています。しかも、そこに音楽性まで表現出来ているのですから、これはもう、天才中の天才でありましょう。グルジア生まれのブニアステビリの学生時代は、今のような肉感的ではない楚々とした女学生でした。当時から平手奏法によるきれいな音を紡ぎ出していました。指の重さだけで鍵盤に触れる完璧な奏法を身につけている、今では、世界の第一人者でありましょう。

 私は、私自身の指には不治の病はあっても、耳だけは、聴覚だけは健在なのだから、そのことをもって多とし、今日もピアノに向かいましょう。

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2022年6月7日          名代の蕎麦

 上野駅の浅草口を出て直ぐのところに、「翁家」という名代の蕎麦屋があります。昨日は、浅草の古美術商・晴雅堂へ預けてあった「古刀」を受け取りに行った帰り、その「翁家」へ寄って名代の「ネギ蒸籠」をいただきました。福島で5年、新潟で2年、茨城で2年、北関東3県担当次長で2年、東北6県信越富山担当部長で2年余り、出張の振り出しはいつも上野駅。その都度、この「ネギ蒸籠」のご厄介になってきました。二階へ上がりかまちの帳場には、相変わらずのお婆さんが座っていました。50年前からお婆さんでしたから、これからもお婆さんで在り続けるのでしょう。老舗のスゴミを改めて感じました。

 蕎麦はその独特の香りが命です。長野の戸隠、福島の会津の奥の山都、新潟十日町の松代、松之山、蕎麦は何故か荒れ地を好みます。その時期になると見渡す限りの野原や山の斜面が白い花で一杯になります。実に壮観な眺めです。収穫した蕎麦を石臼で曳きます。その時期は、ほぼ11月頃。蕎麦通の顔がほころび始めます。私もその一人です。いま、日本の蕎麦屋さんはラーメン業界に押され、見る影もありませんが、それでも国内産のそば粉では足りず、外国からの輸入に頼っています。香りと味は極端に違います。

 一方、山梨の八ヶ岳山麓も蕎麦で有名です。「シンジ蕎麦」という、つなぎを使わず10割蕎麦を供するところは余りにも有名です。原村には村営の蕎麦道場がありました。そこで修行した故宮沢恭人君は、ゴルフのあと、自分の山荘で蕎麦を打って我々に供してくれたことがありました。「旨い、旨い」と大げさに褒め称えたのは言うまでもありません。 

 
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2022年6月6日       不思議、不思議なことばかり

 自宅の一階の居間は2階までの吹き抜けになっています。その真ん中の壁に柱時計が掛かっていて、振り子が揺れ、さしていい音ではありませんが、「ボン、ボン』と鳴って時を告げてくれています。35年程前、この家を建てたときに、従弟の靖輝君がお祝いとして贈ってくれました。

 不思議なのは、この時計は乾電池で動いているはずなのに、35年間一度たりとも電池を交換することなしに動いていることなのです。振り子が左右に揺れ、恐らくゼンマイ仕掛けであろう時を告げる音が鳴り、長針、短針が回っているのに、それはすなわちエネルギーを消費しているにちがいないのに、そのエネルギーはどこからきているのでしょうか? 一度入れた電池は永久使用が可能なのでしょうか。不変なのでしょうか? 不思議で不思議でたまりません。

 宇宙航空開発機構が2年前に打ち上げ、地球に戻ってきた「探査機ハヤブサ2号」が地球に持ち帰った、小惑星「りゅうぐう」の微量な砂にアミノ酸が20種以上見つかった、という報道が、今日の新聞第一面を大きく飾っています。アミノ酸はタンパク質の材料で生命を形作る元となるものです。つまり、「生命の元となる物質が宇宙にあった」 「地球上の生命体は、地球誕生以前に宇宙に存在していた」ことになるのです。

 この発見は「生命体は、地球のみならず宇宙のどこかに確実に存在していたし、今も存在している可能性がある」ことの証です。これは凄いことです。大変な発見です。エネルギーの補給なしに動き続けている我が家の振り子時計といい、ハヤブサが持ち帰った生命を司るタンパク質といい、世の中、不思議だらけです。

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2022年6月5日          快  挙

 遙か南方洋上のフィリピンの近く、パラオ諸島の一番大きな島・コロールへ行ったことがあります。「星空を見ながら豪華なお食事」という文句につられて参加したのですが、何のことはない、漁船に箱弁当を積んで食べるだけのものでした。その日天気は快晴で波はなく、地平線の夕焼けが消えるに従って、壮大な星空が現れ始めました。北斗七星やアンドロメダ星雲が指呼の間に現れ始めたのです。 漁船の甲板に寝転んでそれらを見上げていると 、宇宙に吸い込まれていくような、不思議な感覚になりました。

 83歳の堀江謙一さんが、またしても快挙を達成しました。60年前、23歳の時に太平洋をマーメイド号で単独無寄港で横断し、サンフランシスコへ無事に着きました。今度はサンフランシスコから日本までです。しかも、83歳のご高齢です。かなり周囲からは危ぶまれたようですが、昨日、無事に明石港へ到着しました。正に、快挙でありましよう。日本中が驚き、かつ、偉業を讃えています。私もその一人です。

 思えば三浦雄一郎さんは84歳にして、エベレストへの登攀を、成功しなかったとはいえ、行なっています。お二人とも実に素晴らしい。大したものです。ところで私も85歳、お二人と同じ年齢です。私と言えば、既に長距離の歩行は無理になっています。お二人に比べて何たる違いか!反省すること頻りです。  

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2022年6月4日                      いやはや 

 いやはや、いやはや、これははや、であります。今日の朝日社会面は7月1日に就任予定の「日大理事長・林真理子の抱負」記事で埋まっていたではありませんか!本人はやる気十分なのであります。

 「日本大学は本当に大きな決断をして下さいました。私もこれに答えなければいけない。こんなことまでするのか、とびっくりするようなことも色々やりたい。どんなことを考えているのか教職員、学生に聴いて反映させたい。きっと、この大学は再生できる。悪いことはもう何も起こらない」、「一番の課題は体質の古さとマッチョな体質にある。上の人に<それは違う>といえる組織を目指したい。そのためにも、私を支えてくれる女性の登用も考えている。」、「片手間でできることではない。仕事は整理して、すべて、日大に捧げたい!」

 その意気やヨシ、でありましよう。日大は年間2500億円の収入がある巨大組織であります。日芸を卒業して長沢君の「ナックデザイン」を振り出しに直木賞を受賞して売れっ子の作家になったおばさんが、どんなことをやって見せてくれるか、期待はしないが、大いに期待して見守りましょう。

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  前田中理事長
 なんともふてぶてしい
いやな顔だ

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2022年6月3日        高見の見物     

 昨日、このページで「林真理子が日大理事長?!」と仰天記事を書きましたが、今日の朝日の社会面トップに、これが決定、7月1日就任、とありました。日大芸術学部を出て、長沢君の「ナックデザイン」という子会社にデザイナーとして入った小娘(失礼)が、マンモス中のマンモス大学のトップに君臨することになるとは、誰が予想出来たでしょうか?! 思えば彼女の出発点は、その当時トキめいていた、香港歌手アグネスチャンのエッセイにいちゃもんをつけたことに始まります。自分の娘のことばかりを書いているアグネスチャンの話題の貧困さに横やりを入れたのです。世間は面白がって囃し立てました。それがトラウマになってか、林真理子にも娘がいるのに、長期連載中の週刊文春コラム「夜更けの縄跳び」に、一度たりとも登場してきません。それらしい匂いすら漂わせていません。家族のことといえば、千代田製靴に務める旦那の悪口ばかり。一方、週刊朝日ではテレビの「徹子の部屋」よろしく有名人との対談を毎週行なっています。一人の有名人を対談によって、その人物を詳らかにするのは大変骨の折れる仕事でありましょう。週刊朝日が今もって続けているからには、司会の林真理子にその才能が光っているからでありましょう。

 どんなに作家として能力があろうとも、日大のグループの総元締め「理事長」となると、これはまた、別問題でありましょう。経理を伴う数字に明るくなければなりません。人を見る目が確かでなければならないでしょう。68歳のデザイナー兼作家にそれを要求するのは無理というものです。無理を承知で林真理子を理事長に担ぎ上げ、気分の刷新を図ろうとするところに、追い詰められた日大関係者の姿があからさまに見え隠れしています。理事長の任期は4年だそうです。真理子さんも、下手に経理や難しい問題に首を突っ込まないで、「君臨すれども統治せず」をモットーとして、高見の見物で行きましょう。

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林真理子の娘と一緒の写真です
 一度もマスコミ登場したことがありません

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