最近のエッセイ

2019年9月9日             決 意

 昨日曜日の浜野GCは理事長杯が行われるせいで、一般ゴルファーの入りは少なく、伸び伸びとゴルフすることが出来ました。台風が予想されていたせいもあったでしょう。スタートが遅かったので前にも後ろにも人影がありませんでした。

 我々が帰路についた八時間後、台風の中心がゴルフ場の真上を通過しました。コースを囲む鬱蒼とした緑の樹木たちは、激しい風雨に晒されたに違いありません。気の毒なことです。練馬の自宅脇の道路も落下した梨と落ち葉に埋まっていました。9時には回収車が来るので、掃き清め半分ほど終わったところで朝飯にし、これからまた作業に掛かります。

 今回のゴルフで知ったのは「いかに、自分に歩く力を含め身体能力が失われているか」ということでした。①歩く速度が遅くなり、②身体の回転が効かなくなり、③判断力と記憶力がなくなっている、のをイヤというほど思い知らされました。それは、お前にはもうゴルフは無理だ、もう止めなさい、と言われるに等しい、つくづく情けない思いをしました。今回はコースの中にも入れるカートがあったから全ホール回れたのであって、もしなかったら、、、途中棄権を余儀なくされていたでしょう。つくづく情けないゴルフをしてしまいました。四回も練習場に通ったというのに、、、、

 これではならじ、と自分に言い聞かせました。まず、歩くこと。人並みの早さで歩くこと。長らく疎外していたスポーツジムへ行って、泳ぐこと、マシンを使って汗をかくこと。居職をいいことにしてパソコンの前にいる時間を極力減らすこと、などなど。「自分を鞭打つのは自分以外にないのだ」と思いを新たにしている台風明けの月曜日でありました。

 

2019年9月4日              アマゾン

 いま、熱帯雨林の生い茂るアマゾンが燃えています。猛烈な勢いで燃え広がり消火活動は困難を極めているようです。原因はブラジルの新大統領が土地利用の新規開発を奨励したから、というのが専らの噂です。

 森林火災は地球上のあちこちで半ば偶発的に発生します。人工衛星から見るとそれはアマゾンのみならず、シベリアのツンドラ地帯でも頻繁に見られるそうです。最近では北米のロスアンジェルス近郊でも発生し居住民は避難を余儀なくされました。

 紙の需要は20年程前までは、猛烈な勢いで高まっていました。新聞・雑誌の発行部数はうなぎ登りに増え、紙パルプの原料である熱帯雨林の喪失は目に余るようになりました。紙の需要がこのままでは、人類を含めて生物の呼吸が危ぶまれるほどでした。ところが、神様は実に味なことをなさいました。情報の伝達に光や電波を人間にお与えになったのです。IT産業が生まれ、人間はパソコンやスマホを使って情報を享受するようになったのです。新聞や雑誌、書籍の需要は、はた、と止まりました。注文が減少しだしたので全世界の製紙会社は不況に追い込まれました。新聞社も出版社も自社の倒産を心配するようになりました。

 「初めに神ありき、言葉は神と供にあり、言葉は神なりき」 と聖書の冒頭にあります。これを「言葉は紙と供にあり、言葉は紙なりき」と言い換えても不自然でないほど紙は増え続けていました。

 18年程前、私は「新聞販売網を崩壊させるな」という論文をものし、印刷はされるが配られ、読まれることなく、古紙として中国の段ボール需要に運ばれていく、一日につき七百万部の残紙の実態をあばき、本にして新聞関係者のみに送ったことがありました。この傾向は今も変わっていないようですが、世間からの注目度は日増しに減少しているように思えます。一昔前、朝日と読売は海外に拠点を作り、海外の日本人のための新聞発行にしのぎを削りました。今は、一部を除いて全くなくなりました。それはそうでしょう、タブレットを持っていれば指先一つで世界の情報を入手出来るのですから。

 思えば遙か昔、日本経済新聞社でアルバイトしていた私は、就職のため「海外新聞普及株式会社」を希望し、永井大三さんに頼みに行きました。「あれは朝日と日経の子会社だ、朝日を受けてみよ」と言われたが故に、今日の私があるのです。いま、海外新聞は火の消えた会社です。私は運の良い男なのでしょう。

 

2019年9月3日              掟(おきて)

 名門といわれるゴルフ場には数々の掟があります。小金井はもとより、霞ヶ関、戸塚、相模原、保土ケ谷などなど、これらのゴルフクラブには不文律ながら掟は厳然として存在しています。まず、エリのない服を着ての入場は御法度です。エリのある上着を着用しなければなりません。洗面台を使った場合、次の方のために水しぶきなど拭き取っておかねばなりません。小金井CCでのこと、それを知らずに洗面台を後にしたものですから、次の方が追ってきて「何たること!」と叱られました。髪の毛一本残しても駄目なのでした。食堂では大きな声でしゃべっていると、ウエイターから注意されます。ショートホールでは次の組のために木陰へ行って待機します。

 そうそう、こんなことがありました。小金井の三番ホールはショートです。7番アイアンでグリーンにオンする距離ですが、その日私は、手前の深いバンカーへ落としてしまいました。前の組の三人は我々のショットを木陰で見守っています。一発で上げたかったのですが上がりません。三度打ちましたがまだダメです。焦りました。となると余計上がらません。恥ずかしながら七回打ってやっとオンできました。帽子を取って前の組のお三方一人一人に謝りました。一人の方が「いいバンカー練習が出来ましたね」と言って下さいました。皮肉でも何でもなく響きました。その方は三菱重工の社長さんでした。あとのお二人は三菱商事の社長、三菱銀行の社長さんでした。この三人は月に一度はおいでになる、とはキャデイさんの言でした。「本当の紳士とはあの方たちではないかしら」、とも付け加えました。

 私のメンバーコースは越生の「埼玉ロイヤルGC]です。キャデイのほとんどがブラジル人の女性という変わったコースです。エリのないシャツ一枚でも入れてくれます。もう一つ、故宮沢君の入っていた山梨の「北の杜カントリークラブ」にもはいっていましたが、倒産してパーになりました。できれば、名門と言われるゴルフ場の会員になりたかったのですが、今からでは到底無理です。

 

2019年9月2日              ゴルフ

 9月8日は、久々のゴルフです。販売担当の小林君と旧友の藤本君、それに両角和雄さんがメンバーです。両角さんのホームコース千葉の浜野CCで10時のスタートです。七十歳台の時は月に一度ほどの頻度でゴルフができていましたが、仲間のほとんど(宮沢、山崎、倉石、長沢君ら)がお隠れ遊ばされて、今は誘ってくれる者がいなくなりました。従って、一年半ぶりのゴルフになります。

 年をとったとはいえ、無様なゴルフは出来ません。途中でへばって皆に迷惑は掛けられません。で、練習場へ足を運んでいます。今日もこれから行くのですが、4回目になります。

 昔、小金井ゴルフ場に頻繁に誘われていた時期があります。菊池豊さんという業者の方がメンバーで、かの名門クラブへ行けたのでした。小金井は会員権が3億円といわれていた頃でした。世間に名の知れた方々がプレーしていました。ほとんどがお年寄りでした。中には自分専用の三脚を所持して、コースの真ん中で「やっこらさ」と腰を下ろします。だからプレーは遅く、後続の我々はイライラのし通しでした。でも、私もその歳になってみると、それがよく分ります。何とか無事にコースを回れたらいいなあ、とそればかり考えています。これから4回目の練習に行ってきます。

 

2019年9月1日               雲

 9月に入りました。雲のカタチが変わってきました。仕事部屋の横の猫額のベランダへ出て空を見上げるのを、息抜きにしていますが、季節の変わり目を雲のカタチと風の色と匂いで知ることが出来ます。

 タイ・チェンマイへ行くときは窓際の席に陣取ります。雲のカタチが面白くてほとんどの時を外の景色を見て過します。窓際の席が取れなかった時は、損した気分になります。そういう時は、しばしば機内の一番後ろまで行って、飽かず外を眺めます。バンコックまでの航路は奄美群島、沖縄諸島の上空、台湾、そしてベトナムのフエから内陸へ入っていくのですが、バンコックが近づくにつれ、雲は積乱雲の群れに変わります。その形がまた面白くて、、、、バンコックから1時間のチェンマイは高台の広大な平地に位置していますが、その中心部分へ車で行くと、地平線から地平線までが雲に覆われます。雲のないときは紺碧の空が広がります。寝転がって見上げていると、吸い込まれそうな感覚になります。それが良くて、良くて、、、そういう時、進化論を否定する気持ちになり、やがて、私はあの雲の水滴の一つになるのだなあ、それも悪くないなあ、と妙に納得するのです。

 

2019年8月31日              治 安

 世界の大都市の中で、最も安全な都市はどこか? 興味につられて調べて見ました。名誉ある第一位は東京だというのです。しかも、大阪が第三位に入っています。二位はどこか、というとシンガポールです。ハブ空港として超一流のチャンギ空港を抱えたシンガポールは清潔にして安全な都市でしょう。タバコのポイ捨てでも警察に呼ばれます。犬の糞などそのままにしていたら死刑でしょう。

 四位はオランダのアムステルダム、五位シドニー、六位トロント、七位ワシントンDC、八位コペンハーゲン、九位ソウル、十位メルボルンだそうです。

 幸いにも私は、これらの都市の全部に足を踏み入れていますが、住みたいなあ、と心から思ったのはメルボルンでした。三男が語学留学していたことから三回行きましたが、あわや、すんでの事で別荘を買う寸前までいきました。

 一方、世界で一番治安の悪い都市はどこかというと、ベネゼーラのカラカスだそうです。次がホンジュラスのサンペドロスーラ、続いてエルサルバドルのサンサルバドル、メキシコのアカプルコ、ベネゼーラのマトウリン、、、、ほとんどが南米諸国です。幸か不幸か、私は南米とアフリカには足を踏み入れたことがありません。これでは片手落ちも甚だしい。終焉の日は迫っているのですから、何とかチャンスを見つけてものにしたいと思っています。

 

2019年8月30日         文在寅よ去れ(2)   

 いま、ユーチューブは韓国問題で持ちきりで、連日、そればかりが掲載されています。重要課題は他にもあるのに、全く、困ったものです。それにしても文在寅に反対する国民が日に日に増え初め、現政権不支持が50%を上回っているようです。「共産主義になるのはいやだ」、「経済は滅茶滅茶だ、なんとかしろ」、「GSOMIAを破棄してアメリカを怒らせて何になる」、「朴ウネを牢屋から出し、再び大統領になって貰おう」、などというのが反対派の言い分です。なかには「日本を怒らせて何になる、韓国がここまで発展できたのは日本の力があったからではないか、慰安婦や徴用工問題など70年も前のことを持ち出して何になる、自国内で解決できるではないか、既に金も貰ったことだし」、と穿った見方を披露する人々も現れ始めています。

 総じて言えることは、韓国人は血の気の多い民族だ、ということでしょうか。付和雷同型で、猪突猛進する国民性は、やはり、日本人とは少し違うようです。しかし、どうやら態勢が見えてきたように思えます。早晩、朴ウネの時のような蝋燭集会があちこちで開かれ、文在寅政権は瓦解していくはずです。

 彼は朝鮮半島の統一は1945年までに成し遂げると大見得を切りました。その言や良しです。半島の統一は私も賛成です。文在寅の欠点は、それを公言し、拙速にはやったことです。膨大な夢を実現するには、まず、拙速であっていいから経済を含めての足下を着実に固めながら、目的に向かって一歩一歩進むべきであったのです。反日を煽り、不買運動を広め、ウオン安や株価の暴落に歯止めすら出来ず、ただ闇雲に自分の夢に向かって焦りまくる、これでは宰相たる資格に欠けている、と言わざるを得ません。

 私は、8月14日に「文在寅よ去れ」とこの欄に書いています。半月足らずでそれが現実味を帯びてきたことに驚いています。

 

2019年8月28日               調 律

 自分のピアノを自分で調律し始めてから、かれこれ2,30年は経ったでしょうか。音の狂いがそれとなく邪魔してピアノに向かうのが億劫になっていました。それに、右手の中指と人差し指の動きが鈍くなり始め、それもピアノに向かう意欲を阻害させていました。

 「これではならじ!」と自分で自分を叱りつけ、一ヶ月前、プロの調律師に頼んで整音、調律をやって貰いました。「ヤマハのC3グランドであっても、古い型ですから、弦が切れるのではないか、と心配しながらやりました」と調律師は言いました。やはり、プロはプロです。澄んだ、いい音になりました。そうなると、ピアノを鳴らしていたくなります。〈毎日、1時間はやろう、老化防止にも役立つだろう〉と決めて励み出しました。マグダウエルの「野バラに寄せて」を皮切りに、ショパンの前奏曲の4番、6番、23番、24番、雨だれ、ショパンのワルツの3番、ノクターンの9番、ドビッシーのアラベスク1番とパスピエ、シューベルトの冬の旅から数曲を歌いながら伴奏。時にはチエルニー30番のお温習い。暗譜出来ているポピュラーではイブモンタンの「兵士が戦場へ行くとき」、ユダヤ人のテヴィエが哀切この上なく歌った「サンライズ・サンセット」、それにシューマンの「5月」、、、、

 15年ほど前までは、毎週石神井公園のヤマハの音楽教室へ通っていました。米沢雅美という武蔵野音大での先生のご指導よろしきを得て、ショパン、ドビッシー、シューマン、シューベルトのかなり高度のものを弾きこなすことが出来ていました。大好きなベートーベンの「悲愴ソナタ」を完全に弾きました。今の私には当時の5分の1の力量もありません。それが悲しい現実ですが、それに負けてはおられません。 さて、今から地下の音楽室へ行ってピアノに向かいます。

 

2019年8月27日                髭(ひげ)

 三年程前にはアラブ首長国連邦のドバイへ、今年の1月にはイスラエルへ行きましたが、東洋の黄色人種と全く違っていたのは、ほとんどの男性が褐色の肌に髭を蓄えていることでした。顎髭あり、長いもみあげあり、ちよび髭ありで、それはそれで変化があって見飽きなかったのですが、なぜ、髭を生やすのか、何のために必要なのか、考えてしまいました。

 日本の男性にも古くから髭を生やす習性が存在しています。江戸、明治、大正、昭和にかけて、主にその人生において功成り名遂げた男性にその習慣が見られます。社会的にこれはという功績もないのに、髭を生やしていると逆に嘲笑されてきたようです。つまり、「俺は偉くなったんだ、功成り名遂げたんだ」という象徴として髭があるのだ、と思えるのです。ですから、私は昔から髭を生やした男は好きになれません。まして、いわゆる芸人で髭を生やした男を見ると吐き気を覚えます。関西の「ヨシモト」の芸人松本仁志という男がそれです。一昔前、彼は斬新なデビューをしました。朝日新聞出版部は彼の本を二冊も出しました。ところが、いまは白髪の坊主頭の上に白い髭を蓄え、醜い嫌らしい顔つきで大きな顔をしています。彼が出ると反吐がでる思いです。

 中近東ではほとんどがイスラム教徒ですが、キリスト教徒や仏教徒と違って男は四人まで妻を持つことが出来る、とコーランにあります。その上、姦通は死罪ですが、異教徒の男を殺し、その妻を女奴隷として姦通することは許されています。しかも、女奴隷は何人でも持つことができます。最近、「イスラム教の論理」(飯山陽著)を読み終わったのですが、「人間を奴隷とすることを許す宗教とは何たることよ」憤慨させられました。そこで、ハタと思い当たったのが、髭はもしかすると中近東の女性がそれを好むからではなかろうか、と思い至りました。髭による微妙な感触を女性は望んでいるのではないか? その辺のところはもう一度中近東へ行って、黒いベールで身を包み、目ばかり出した女性に密かに聞いて見るつもりです。

 

2019年8月26日            アリの実                

 家の玄関脇の猫額の土地に梨の木が一本植わっています。家を造った時からですから25年以上になるでしょうか。初めは洋梨のようなダルマ型の実をつけていました。しかし、堅くて食べられたものではありませんでした。「用ナシ」として見くびっていました。ところが今年は雨が多かったせいか、枝葉がどんどん伸び、今にも電線に接触しそうになっています。しかも、今年は洋梨ではなく普通の20世紀梨のカタチに変化し200個ではきかない実をつけたのです。

 ムクドリをはじめ、嘴の丸い鳥が数羽、毎日ようにやってきて啄んでいました。その食べかけの実や鳥の糞が玄関の石段付近に散乱して、掃除が大変でした。その鳥たちが運んできた害虫のおかげか、一時、梨の木の葉が丸まり出しました。防毒マスクをつけ、薬品を散布してあげました。それに気をよくしたのか、実は太りだしました。風が吹くと実は道路脇に散乱します。片付けようとすると、実の下部に無数の小さなアリがたかっています。普通のアリの20分ノ1ほどの微少のアリたちです。一体、どこから、どうやって集合してくるのか、彼らはどうやってナシの存在を探知するのか、不思議でなりませんでした。散乱したナシをゴミ取りに収容します。ゴミ回収日が来るとそれらを袋に入れて捨てざるをえません。生きているものを暗い墓場に追いやるのです。「申し訳ないな」という気持ちで一杯になります。

 昨日、黄色く色づいたものを皮をむいて食べてみました。少々堅いけれど甘くて美味しいのです。まだ、50個近くが枝にこびりついています。でも、食べる気にはなれません。なぜでしょう。

 

2019年8月25日     核保有が目的の文在寅政権

 何故、韓国が日本のやることなすことにイチャモンを付け、反日を扇動するのかをつらつら考えてみました。それは「核保有」という観点から展望してみると素直に理解できることが分ってきました。

 一方、アメリカはトランプ政権になって、北朝鮮が核を持っていてもそれを搭載する長距離弾道ミサイルを開発しなければ、アメリカ本土に実害がないからいいよ、と軟化しています。核保有さえ黙認しそうな状況です。

 文在寅の目的は朝鮮半島の統一です。彼は北朝鮮の生まれですから故郷の土を早く踏みたいでしょう。板門店の38度線を跨いで金正雲とも握手し、抱き合いました。もし、二人の間で「俺の核をお前さんところに使わせてあげるよ、ただし、俺のところには核を乗せる潜水艦がないから、あんたのものを貸して欲しい。これは秘密にしておいて我々はアメリカと日本から離れよう。一緒に中国とロシアと仲良くしていくのだ。いざとなったら日本を核で叩き潰せ」こういう密約は二人が韓国人同士であれば成立していても可笑しくないのではないでしょうか。

 トランプは金が掛かることを理由にしてシリアからアメリカ軍を撤退させました。これに反対したマチス国防長官を首にしました。金が掛かることを理由に韓国における米軍駐留費用の負担増を、トランプは韓国に迫っています。

 となると、それを理由にアメリカさんご苦労様でした、私たちは北と仲良くやっていきますから、お引き取り願って結構です、ということでアメリカが「なら、勝手にしたら」と引き上げていくことが十分考えられます。北の核を自由に使えることになった韓国は、「積年の恨みを晴らす」勢いで日本に更なる難題を吹きかけます。何となれば、日本は核保有を永久に放棄している国だからです。

 喧嘩は強い武器を持った方が勝ちます。統一なった韓国から無理難題を吹っかけられても日本は報復出来ません。その頃には日本国憲法も改正されて、自衛隊の存在が条文に載っているでしょうが、核には勝てません。日本は非核三原則を遵守する国です。世界唯一の被爆国として「核は持たない、作らない、持ち込ませない」としていますが、朝鮮半島全域に核が配備されたら、そんなこと言っておられないでしょう。恐らくアメリカの核が日本の各地に配備されるでしょう。核をつくることは今は簡単にできるようですから、技術力の優れた日本のことですから、秘密裏に日本産の核を持っているかもしれませんしれません。あの最貧国のミャンマーでさえ北朝鮮からの技術により核を密かに保有しているのですから。

 かくして、そう遠くない将来、中東と東洋で核が飛び交うことになるでしょう。中東ではイランとイスラエルとロシアとトルコで。東洋では統一なった朝鮮半島と日本の間で、強烈な火の玉が飛び交うのです。聖書はいみじくもそれを予言しています。地球上の80億の人間は火の玉にやられて半減する、と。旧約聖書のエゼキエル書にそれは載っています。今から2600年前に書かれた予言です。イスラエルの場合、首都エルサレムと北極を直線で結ぶその下に位置する国がペルシャその他を引き連れて襲ってくるが、大きな天災が発生してその軍隊は滅び行く、ともエゼキエル書にあります。直線の真下に位置しているのはいみじくもモスクワです。昔からロシアはユダヤ人につらく当たってきました。ただ、東洋での火の玉合戦は聖書にはありません。念のため。

 何故、韓国がアメリカの不興を買ってまでGSOMIAを破棄するか、何故経済面での落ち込みをものともせず反日を煽るのか、文在寅の目的が核保有にある、という視点で現象を俯瞰してみれば、なるほど、と分ってくるのではないでしょうか。

 すべての原因はトランプの自国の利益第一主義のしからしめる所以でしょうか。「国家の興亡は存外早い」という歴史のセオリーの真実性に、改めて思いをいたさねばなりません。

 

2019年8月24日         小沢記念

 松本で毎年行われている「小沢記念フェステバル」は8月20日から9月初旬にかけてが本番です。今日24日が最大の出しもの、オペラのエフゲニー・オネーギンがフェステバルホールで行われます。指揮者は残念ながら小沢征爾ではありません。全体のプロブラムを見ましたが残念ながら彼の名前はありませんでした。しかし、我々は彼の訃報にはまだ接していません。だから、どこかの場面では彼が現れる公算大でありましょう。84歳の彼はまだしぶとく生きていて、鋭く全体を見守っているでしょう。

 私が毎年松本へ通い詰めていたのは「斉藤記念」が発足した頃です。桐朋音楽大学の教授であったチエリスト斉藤秀雄は、類い希な指導者でもありました。多くの音楽家が彼の薫陶を受けて、一流以上の音楽家に育っていきました。彼の偉大な業績を記念して設立されたのが「斉藤記念フェステバル」なのです。その斉藤記念の事務局から一人の朝日新聞宣伝部で働く女性を是非欲しい、というもらいが掛かったことがあります。小山加奈子という松本の販売店の娘でした。当時、宣伝部では「アサヒメイト」という会員権を読者サーヴィスとして、催し物などを独自に仕込み大々的に音楽会などを開催していました。彼女は実によく動き、注目の的になっていたのです。

 長野で高校時代まで過した私にとって松本は第二の故郷でもあります。「斎藤記念」に通い詰めたのは15年間以上になるでしょうか。プラチナチケットは主催者である信濃毎日の販売部長であった内山君が毎年とってくれました。互いの細君を伴って、松本の「土佐や」で会食するのが常でした。私と内山君はサクラ肉の善し悪しにうつつを抜かし、細君たちは鯉の飴煮を賞味していたのも懐かしい思い出です。

 今でも耳にこびりついているのは、チャイコフスキーの「悲愴」とバッハの「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」です。小沢征爾はこれらを暗譜で指揮しました。休憩時間中に指揮台のそばまで行ってみました。確かに総譜は指揮台にのっていました。でも、一ページもめくられなかったのです。一方、「悲愴」では、第二楽章は陰々滅々のスローテンポ、第三楽章は嵐のように速いテンポのパッセージ、独特の解釈が斬新でした。小沢征爾の音に対する並外れた感覚に、ただただ、舌を巻いたことを、昨日のように思い出します。

 小沢はギター一丁を背負って、貨物船に乗りイタリアからブザンソンの指揮者コンクールへ飛び入り参加して優勝します。江戸秀雄と娘の江戸京子がパトロンとなり京子と一時夫婦になりますが離婚し、モデルだった入江美樹と結婚します。美樹はロシア人の不動産屋の娘でした。そしていま、娘の征良はエッセイストになり、息子の征悦は俳優です。最近、小泉進次郎と滝川クリステルの結婚が報じられて話題となっていますが、滝川は一時期、征悦と同棲していました。クリステルさんも41歳だからいろいろあったのは当然でしょうが、進次郎は将来は、もしかすると首相かもしれません。何も41歳のいろいろあったに違いない女性を貰わなくても、と思うのですが、片や小泉純一郎元首相家の女性関係も複雑だったようですから、どっちもどっちなのでしょうか。

閑話休題。最近、面白くて一気に読み通した本に「村上春樹、小沢征爾と音楽を語る」があります。解ったのは村上春樹が音に対する並々ならぬ耳の持ち主であること、でした。天は二物を与えることもあるのだ、と村上春樹への関心を深くしました。

 さて、そろそろ7時です。松本では「エフゲニーオネーギン」の開幕です。

 

2019年8月23日           本性を現した韓国

 韓国が日韓防衛協定(GSOMIA)の破棄を通告してきました。三年前に締結されたこの協定は、北朝鮮が発射するミサイル他の動きをいち早く察知してアメリカ、日本へ通告し、三者が共同歩調を取るために締結されたものでした。

 アメリカにも日本にもそれぞれ独自の察知能力がありますから、韓国が抜けたからと行って別に痛痒は感じないでしょう。問題は、これによって韓国の今の政権のスタンスの根源的な部分が綻び出て、今の政権が希求する目的が顕在化されたところにあります。

 つまり、今の政権は日本を囮にしながら、アメリカをして韓国から出て行って欲しい、韓国は北朝鮮と合体して新たな経済圏をつくっていくからほっといてくれ、と言っているに等しいのではないでしょうか。日本の赤軍派が日航機を乗っ取り、平壌へ行け、とやったように歴史の繰り返しを文在寅は現代においてやろうとしているのではないでしょうか。朝鮮半島を社会主義国として統一し、北朝鮮の核を共有し、アメリカや日本に立ち向かおう、としているのではないでしょうか。もし、そうなったとして、北朝鮮の金一族の世襲制はどうなるのでしょう? 北朝鮮が文在寅が臨むような統一国家に合意してくるでしょうか? アメリカが今は昔の力はないにしても、それを黙って見ているでしょうか? ゴルバチョフの時代にソ連は共産主義、社会主義を放棄し、自由主義経済を取り入れました。ソ連邦は崩壊したのです。ドイツでもベルリンの壁は破壊されました。中国も共産党の一党支配ではあっても、自由主義経済を取り入れ繁栄を謳歌しています。だからといって文在寅の願う北朝鮮との自由主義経済化は可能になるでしょうか? 甚だ疑問です。

 一方、アメリカ国内でも日韓の紛争についての報道は盛んです。ニューヨークタイムズ、ヘラルド・トリビユーン、ワシントン・ポストなど連日大きな紙面を割いて日韓問題を報じています。日本製品ボイコット運動など大きく報道されています。最近になって、なぜ、韓国では国民が反日に熱狂しているのに、日本ではその傾向、つまり、反韓運動が国民的に盛り上がっていないことに奇異を感じる報道が目立ってきました。確かに、日本国民はこの問題に対して平静を貫いており、表だって「韓国反対」の狼煙を上げる日本人は今のところ皆無に等しい。何故だ? これがいま、アメリカの論調に変化をもたらしているようです。文在寅という夢想家に踊らされている韓国の独り相撲ではないか、という論調に変わりつつあるようです。

 条約の一方的破棄は文在寅の野望の顕在化です。遅ればせながらアメリカはそれに気づいたのではないでしょうか。真相があからさまになった以上、ことの重大性ににやっと気づいた以上、アメリカは恐らく黙っていないでしょう。きっとこの政権を潰しにかかるでしょう。かつての朝鮮戦争ではアメリカも多大の犠牲を払いました。朝鮮半島が社会主義政権で統一されては、アメリカの沽券に関わるからです。これからが見ものです。  

 

2019年8月22日          スパコン

 私が住んでいるのは練馬区の豊島園の裏近くですが、8号環状線の向こう側はもう和光市です。その和光市に理化学研究所があって、そこで開発された水冷式スーパーコンピューター「菖蒲」が、ドイツで行われたコンペテションで世界一になった、というニュースを知りました。

 スパコンといえば神戸の理化学研究所の「京」です。数年前、見学に行きました。ICMAの二十数回目の同窓会の時でした。毎日新聞の平野さんが設営してくれました。小運動場ほどの場所にコンピューターが並んでいました。出来た当初はその演算能力において世界一だったそうですが、いまでは中国の「天空」が第一位でアメリカ、ドイツにも遅れをとり第7位になっているそうでした。コンピューターはその演算課程において多量の電力を消費します。「京」を稼働させると一日で3万所帯分の電力を使うそうです。その電力のほとんどは冷却用だそうでした。

 そこで登場したのが液体冷却です。直ぐ蒸発する水ではダメで窒素の冷却が使われているそうです。それと小型化です。大型コンピューターを可能な限り並べれば演算機能は飛躍的に伸びます。中国はそれをやっているのです。でも恐ろしく非効率です。理化学研究所の「菖蒲」をそれを克服しました。

 今後の世界のスパコンは日本が発明した「菖蒲」に追随してくるだろうとのこと。道を隔てただけの和光市にそんな優れた施設があって、世界一になった省力型スパコンが置かれていたとは、正に、オドロキ、モモノキでありました。

 今後の世界は人工頭脳と省力型スパコンとが合体して、想像も出来なかったことが可能になるのではないでしょうか。例えば薬。スパコン処理によってそのクランケだけに合った薬が処方出来るようなるかもしれません。想像もできなかった食料品が市場に出てくるでしょう。人間は死ななくなり平均寿命が120歳を超えるでしょう。近々、見学させて貰って自分の中での人間の未来像を描いてみる積もりです。 

 

2019年8月17日           激 痛

 個人病院のほとんどは木曜日木曜日がお休みです。しかも、お盆の最中であれば連休となるのがほとんど。今週の初め、私の上顎奥歯が痛み始めました。歯茎が膨れ始め、激痛となり、我慢の限界を超え、寒気を覚えるほどになりました。練馬区の休日診療歯科をネットで探し、練馬駅近くの「さくら歯科」へ飛び込みました。三階建ての洒落た病院で、直ぐ、口腔内のレントゲン撮影となりました。撮影室から診療椅子に戻ると、目の前のテレビ画面に自分の口腔内の写真が大写しにされています。たまげました。歯が汚れています。女性医師が歯垢を取るやら磨くやらしてくれます。でも、腫れている歯茎に触れようともしません。問診表で激痛の箇所を書いて渡してあるのにです。「はい、お仕舞いです」「痛みの箇所はどうなるのですか?」「薬を塗りましたから大丈夫です」しかし、痛みはそのまま継続しています。痛み止めの処方もありません。三割負担で料金4200円を支払いました。

 その日一日中痛みに苦しみました。翌日の金曜日、近所で掛かりつけの古田医院へ駆け込みました。古田医師は私の長男と小学校・中学校の同級です。すかさず歯茎に麻酔を打たれ穴も開けられました。洗面台は血膿に染まりました。痛み止めを処方して貰いましたが、激痛は嘘のように去っています。1400円支払いました。月曜日9時が次回の診療です。

 一体、この差は何なのか? 私は練馬区の休日診療医院を探しだし、苦痛の軽減をして貰いたくて行ったのであり、歯の美容院へ行きたかったのではありません。苦痛を抱える患者に対して応急処置でいいから痛みを取り除く治療をしてこその休日診療施設ではないか、と思うのです。練馬区の所管の部署へもの申したい気持ちになっています。一方、口腔内の写真を見ながら自分本来の歯は何本残っているか、数えて貰いました。26本あるとのことです。歯の総数は32本、巷間、80歳にして自分の歯が20本以上あれば上々、と言われています。幼い頃から母親にカルシウム、カルシウムと言われて育ってきたおかげでしょうか。93歳で逝った母親の13回忌は今年の12月です。

 ところで、8月は健康保険証更新の時です。今まで3割負担でしたが9月1日からは1割負担でよろしいという保険証が舞い込みました。これは嬉しいことこの上なしです。お陰さまで身体に悪いところはないのですが、一割負担の恩恵に存分に肖ろうをほくそ笑んでいます。加齢によって覆い被さってきている目の上まぶたの引き上げ手術、東京女子医大にある東洋医学研究センターへ行ってピアノの打弦で渋くなってきた右手中指の針治療、右下腹部に恐らく出来かかっているに違いないヘルニアの診断、頭の働きを含めての全身の健康チエックなどなど。9月は病院歴訪の月にするつもりです。 

 

2019年8月16日             説得力

 昨日は終戦記念日でした。東京新井薬師の家が空襲で焼け、着の身着のままの母親が、会津若松野沢の奥に集団疎開していた小学校二年生の私を迎に来てくれて長野市鶴賀の母の実家に身を寄せ、終戦の詔勅を全員が庭に土下座して聞きました。母親は身をよじり、草を掻きむしつて泣きました。長野市の空は晴れ渡り、入道雲が空の半分を覆っていました。その時の雲の形を私は今でも鮮明に覚えています。

 今日は、一昨日ユーチューブにのったばかりの高原剛一郎のメッセージを聞きました。聞き惚れました。第一次大戦から第二次大戦にかけて世界中から忌み嫌われながら、1948年に国際連合の承認を受け、パレスチナに建国することが許されたイスラエルの受難の歴史が語られました。国家の承認は時の大国がそれを支配します。アメリカはルーズベルトに代わってトルーマンが大統領でした。もし、ルーズベルトが死なず、そのまま大統領であったなら、歴史は変わっていたいたはずだ、と彼は言います。トルーマンは熱烈なクリスチャンであり、しかも聖書研究にかけては第一人者であったことが、歴史の曲がり角となった、と彼は分析します。旧約聖書がある意味で預言の書であることをトルーマンは熟知していた、と彼は言います。アメリカが密かに原子爆弾の製造に成功していたことは重大な秘密でありルーズベルトのみが知り、トルーマンには知らされていなかったと彼は分析しています。2発の原爆は使用は軍部の強圧によって、トルーマンが渋々承認させられたようでした。ポツダム宣言を8月1日以前に日本が受け入れていたら原爆の投下はなかったでしょう。ソ連が日本との不可侵条約を一方的に破棄し、約1000万の軍隊で一方的に進攻することもなかったでしょう。そして北方四島も日本の領土だったでしょう。

 1948年、イギリスが言い出しっぺでアメリカが承認したイスラエルの建国はアラブ諸国の猛反対に遭い、戦争となります。当然イスラエルには航空機はおろか武器もありません。戦争経験のない義勇兵がいるだけです。世界中からプロの兵隊が集まり出しました。その数3000人。ソ連が武器を手配します。その目的はイスラエルの赤化でありました。旧ドイツに納めていた軍用機がチェコスロバキア大量に残っていました。パイロットの応募が900人あったそうです。皮肉にも、ナチスの鍵十字のマークの入った武器でイスラエルはアラブ諸国と戦い勝利を収めました。ユダヤ人はイエスは単なる予言者であって救世主ではないとしています。ユダヤ人を迫害する国は滅び、ユダヤ人を重用する国は栄える、と旧約聖書にありますが、世界の歴史とその推移は聖書に記されているように進行している、だから、聖書は紛れもない人類の預言書なのだ、と高原牧師は説きます。そこには説得力があります。

 

2019年8月14日     文在寅は去れ

 韓国の日本製品不買運動は日を追って激しさを加えています。政府内の高官が煽りに煽っているせいもあるでしょう。それは文在寅に忖度しているからであります。政府内で少しでも反対の素振りを見せれば罰せられるそうです。

 ことの発端は慰安婦問題と徴用工問題です。なるほど、徴用工に関して言えば、個人のとしての請求権は法解釈の上ではあるかもしれません。日本の識者の中にもそれを是とする人々もいます。共同通信時代に韓国へ駐在していた青木理さん、毎朝テレビ朝日でお目にかかる玉川さんなどはそれを認めています。ただ、1965年に日本がお詫びとともに一年分の国家予算に近い3億ドルを払い、加えて5億ドルの借款まで認め、もし問題が起こったら、双方で委員を出し合い第三者を入れて話し合いをするとし、調印した文書を交換し合っています。国家間で交わした約束ごとは、例え政権が変わろうとも遵守されねばなりません。それがなければ国家間外交は成立しません。

 文在寅政権はそれを破ったのです。日本の最高裁に当たる大法院の長官を逮捕し監獄に入れ、自分の同志を後釜に据え、徴用工に対する慰謝料を日本は支払え、さもなくば、韓国に存在する日本企業の財産を差し押さえ、競売に付すぞ、として、それの実行を始めたのです。本来、韓国政府がやるべきであっても、100歩譲ったとしても、双方で委員を出し合い日本もなにがしかの金を出して収束させる、そうあって欲しかったのは心ある日本の識者たちではなかったでしょうか。

 慰安婦の問題もそうでした。財団がつくられ日本は10億円寄付しました。大方の生き残りの慰安婦はお金を受け取っているのに、ゴネル当事者がいるという理由で金は残っているのに文政権はこの財団を解散させてしまいました。しかも、金を受けとる代わりに慰安婦像は撤去する、未来永劫韓国はこの話を持ち出さない、約束し外相同士握手をしました。しかし、文在寅になって、一変しました。像を撤去するどころか、増設を認めているのです。残金も所在不明です。これでは約束事など出来ないではありませんか! すべては文在寅の人柄のせいです。「南北の朝鮮を統一して、すべての面で日本を凌駕する!」 これが彼のお題目です。その言や良しでありましょう。でも彼は理想と現実の区別を付けることが出来ない旧赤軍派のなれの果てに似ています。韓国の不幸がこの先いつまで続くかこれは見ものです。

 

2019年8月13日          スマイリング・シンデレラ

 渋野日向子という若干20歳のプロゴルファーには驚かされました。プロテストに合格して一年目だというのに、ビッグゲームの一つ全英女子オープンに出場して、難なく優勝してしまったのですから。最終日、15番ホールからの実況をユーチューブで見ましたが、なお一層、驚かされました。持参した駄菓子は食べるは、おにぎりを頬張るは、そして、いつも笑っているは、ぎゃらりーーとハイタッチはするは、、、、怖さを知らない無邪気な20歳の女の子がそこにいました。イギリスのギャラリーには一番人気の大受けで、「スマイリング・シンデレラ」と名付けられていました。樋口久子が全米オープンで優勝して以来、42年ぶりの快挙だそうで、日本中が沸き立っています。実に嬉しいことです。私にとって参考になったのは彼女の豪快なスイングです。太めでも細めでのなく、むしろ華奢な体型であるためか、スタンスは広めにとり、ドライバーを360度以上高速でぶん回します。ボールは45度の角度で鉄砲玉のように飛んでいきます。ドライバーの平均飛距離は240ヤードとか。

 小倉の西部本社に赴任していた頃、朝日が主催するゴルフ大会(うみCC)で優勝した尾崎将司に朝日杯を渡したことがあります。西部本社代表の西尾さんが渡すべきところ都合が悪くなり私が代理を務めたのでした。その時、尾崎のスイングを目の当たりにしました。300ヤードの豪打です。45度の角度で天空に吸い込まれていき、見えなくなり、遙か彼方に着地していました。

 ゴルフはスイングの善し悪しがすべてです。打球の角度はクラブがやってくれます。問題は打球の瞬間の速度です。渋野日向子の打球は速い、そして360度以上回転している、それなのに身体がぶれていない、それはスタンスを人より広くとっているからではないか、と思いました。

 今日の午前中、雨模様だったので練習場へ行きました。年をとったら身体が回転しなくなるからスタンスは狭くとれ、と教わっていたのでしたが、思い切って広くとりドライバーを打ってみました。170ヤードのラインに当たりました。なるほど、と納得し「スマイリング・シンデレラ」に感謝しました。 

 

2019年8月12日       久々のゴルフ

 最後にゴルフをしたのは、確か昨年の4月でした。本社副社長の飯田君、取締役販売担当の小林君、それに藤本君を交えての大月カントリーでした。恒例の北七ゴルフ会も自然消滅してしまいました。春は清里、秋は鳩山町高坂CCで熱戦ができていました。時には私のメンバーコースである埼玉ロイヤルで北村、倉石、長沢君らと忘年ゴルフをやるのが常でした。

 なぜゴルフをやらなくなったのか? それは一緒にやってくれるメンバーがいなくなったことに尽きます。ゴルフだけは親しいメンバーと戦うのでないと、面白くも何ともありません。同僚だった宮沢君、信濃毎日の内山君、日経の山崎君、この四人は長野高校同期生で新聞社の販売部門で期せずして邂逅した仲です。春夏、軽井沢のコテッジに泊まり込んで戦いに明け暮れたのはどのくらいの期間だったでしょう。40年は続いたでしょう。しかし、四年前に宮沢君、今年の一月、山崎君を失いました。そして、内山君も身体が効かなくなりゴルフを放棄しています。なんとかクラブを振り回すことができているのは私だけ、という有様。

 その私にゴルフの誘いがありました。九月八日、千葉の浜野ゴルフクラブです。販売担当の小林君、藤本君、それに販売所長として大部数を持ち、多くの販売人を育てあげ、この七月に引退した両角和雄さん。彼を千葉の稲毛に所長として起用したのが私で、結婚式にはピアノを弾きました。ごく最近、彼は夫婦で私を椿山荘の午餐に呼んでくれました。また、盆暮れには何かと気を使ってくれる律儀な長野県人です。私はその席に、タイ・チェンマイのタイシルクの老舗から数着分のシルク生地を求め、お祝いの品としました。タイのシルク製品は世界的にも有名です。購入に当たって、はじめチェンマイ市内の二軒のシルク専門店を冷やかしました。次にタイ事情に詳しい堀田さんの案内で郊外にあるタイシルクの専門店「しなわとら」へ連れて行ってもらいました。広大な敷地の中に、古色蒼然たる建物があり、そこにはありとあらゆるシルク製品が置かれていました。両角さんの奥様やお孫さんたちに気に入ってもらえるであろうシルク生地を三着分購入しました。当日、お渡しすると奥様の目が輝やいたのでやれやれと胸をなで下ろした次第。彼からは、千疋屋の大きな函を貰いました。何と、マスカットが二房入っていました。従来のマスカットの二倍はある大きな粒です。初めて見ました。たまたまデパートで同じものを見たら一房1万円近くしているではありませんか。その彼と九月八日に勝負するのです。今日、約一年ぶりにゴルフバックを車に積み込みました。明日の朝から、涼しいうちに練習場へ行って身体を慣らすのです。82歳とはいえ、無様なプレーなど出来ないではありませんか。

 

  2019年8月8日               祈るや切

 ようやく韓国にも、今の大統領は自分の夢を強引に進めようとしているだけで、外国との駆け引きも、経済政策も陳腐そのもではないか、という論議が韓国内部にも沸き起こっ来たようです。外交とは駆け引きです。一方的な主張を繰り返しても、そこに精密な論理の裏付けと、深遠な読みがない限り失敗するに決まっているのが世間の理りです。私はユーチューブを毎日見ているのですが、そこに劇的な変化が現れ出していることに、我が意を得た思いでいます。

 かの国にも有識者はいるのです。反日教育を受けた若者だけではないのです。不買運動にうつつを抜かす左派的学生ばかりではないのです。文在寅大統領はことによったら国を誤った方向に導いているのでは? 学生の間に起こり始めた政府批判がようやく大きな波になりつつあるのを、私は垣間見ながら「頑張れ!」と声援を送っています。しかし、状況は直ぐには変わらないでしょう。半年か一年はかかるかもしれません。「徴用工問題も、慰安婦問題もすべて国内で処理する」と韓国が宣言する日が一日も早やからんことを祈るや切です。

 

2019年8月5日            時の移ろい

 7月下旬から三日おきぐらいに豊島園の花火が上がっています。私の家は豊島園の直ぐ裏に位置しているので、そのたびに家のベランダへ出て観賞しています。幼い頃の記憶に残っているのは、長野のえびす講の花火です。仕事で地方に出るようになって、秋田の大曲の花火職人による壮大な競演も見ました。新潟長岡では三尺玉の壮大な破裂も見ることができました。それはそれは圧巻でした。タイ国チェンマイでは花火を間近で見ました。宿泊したホリデイイン成田の直ぐ下の河原が花火の打ち上げ場所だったせいで、窓際を花火の玉が飛んでいきました。圧巻でした。

 どうしたことか、豊島園の花火は年々規模が小さくなっています。直ぐ終わってしまいます。10分とかからないのではないでしょうか。昔、豊島園の入場割引券を新聞の拡張材料に使わせてもらっていた関係で、宣伝部長だった私は、豊島園の花火会場の貴賓席に招待されていました。豪華なお弁当とお土産付きで、打ち上げの真下に陣取らせてもらい、花火を鑑賞させてもらいました。招待者には当日の花火打ち上げのプログラムが配られ、解説つきで花火を鑑賞したのでした。

 今日も豊島園の花火は打ち上げられました。貧相な花火の連続です。それも10分足らずで終わってしまいました。申し訳程度の花火を見ながら、時の移ろいのすさまじい現実に思いをはせているところです。

 

2019年8月4日              大混乱の韓国議会

 ユーチューブで韓国の国会の、昨日の模様を現状中継で見ることができました。大荒れに荒れていました。かつて主流派であり、今は野党の女性議員が、文在寅の政策は北寄りで経済政策は間違っている、単に日本を非難するばかりで、何らの政策も打ち出されていない、非国民である、とまで言いました。議場は荒れに荒れ、天皇は謝罪すべきであるとまで宣った議長が顔を真っ赤にして「どんな内容であっても、よく話を聞くべきだ」と小槌を叩きながらヤジを封じようとしましたが、今は政権を担っている民主党の騒ぎは収まりません。女性議員はそれでも、冷静さを失わず文大統領を非難し続けました。

 恐らく、議会始まって以来の大混乱ではなかったでしょうか。私はそれを見ながら韓国も捨てたもんじゃない、この国にも良識は存在しているのだ、と嬉しくなりました。

 一方、韓国をホワイト国から外すという閣議決定を支持する日本国民の割合は95%にも達し、反対は僅か1%でしかないという最近の報道もあります。恐らく日本製品の不買運動は勢いをさらに増し、それぞれの日本企業は損害を被るでしょうが、此の件について異を唱える会社は今のところ一つもありません。日本の矜持を守るためなら自社の損害は甘んじて耐えよう、という姿勢が垣間見えて誠に頼もしい限りです。日本に対する報復として韓国は、軍事同盟を破棄しようという動きさえ出始めました。互いの「軍事情報の交換条約」破棄を報復として行おう、としているのです。やるならやったらいいのです。中国とソ連はそれを笑いながら見ているでしょう。

 

2019年7月31日             追悼文

 元社長で長らく旧友会の会長を務められた中江利忠さんからの手紙が舞込みました。三年前に亡くなられた元社長一柳東一郎さんの追悼集を刊行するので、「追悼文を寄稿して」というものでした。刊行委員には桑田弘一郎さん、浜田隆さん、そして羽原清雅さんのお名前が並んでいます。羽原さんは、私が西部本社の業務局長だった時の編集局長でした。同学のよしみで随分親しくしてもらいました。そのご縁もあって私に白羽の矢が当たったのでしょう。

 

             追悼文(下書き)

 思えば、在任中は各県ごとに年一回行われる、本社編集幹部、支局、通信局の全員が一同に会する通信会議に販売担当として出席し、部数や販売事情などを報告させてもらってきました。1973年、一柳さんが西部本社から東京本社の編集局長になられた時です。千葉県通信会議が成田の日本旅館の大広間で開催されました。成田国際空港の新設は1966年に閣議決定されたものの三里塚闘争が苛烈を極めだし、のるかそるかの時でした。会議は白熱し、お顔を朱に染めた一柳さんの熱弁はいよいよ勢いを増し、食事を終えてまで全員が新編集局長を囲み、車座になって議論しあいました。「アクセス」という言葉がしきりに飛び交ったのを昨日のように覚えています。深夜、微醺を帯びながら任地へ車で帰っていく通信局の方もいらっしゃいました。何とかなる時代でした。

 あの忌まわしいサンゴ事件があって、しばらくしてから東京朝日会が開催されました。東京本社販売所長の精鋭の方々によって組織される年一回の大きな、大事な会合です。その時は、折から浜松町の竹芝桟橋に係留されている豪華客船の見学も組み込まれていました。一柳社長はそこへも参加してくださいました。ただ、いつもの雰囲気とは少し違う社長の姿がそこにありました。お顔は紅潮し、何か思い詰めたような表情がうかがえます。船に乗り込むとき、桟橋で躓かれて船員に助けられた瞬間を私は見てしまいました。しかし、ご挨拶は熱のこもったもので感動の波が広がりました。「部数こそ新聞社の命である。1000万部に向かって突き進もう」と檄を飛ばされました。おかげ様で部数は860万部まで伸びましたが、それがピークで、今は残念ながら下降線をたどりにたどっています。この傾向はライバル紙をはじめ、全国の、否、全世界の新聞社の共通の現象となっています。

 そして、東京朝日会が開催されたその数日後です、一柳社長が辞意を公にされたのは。今にして思えば、早くから決断なさっておいでになったにしても、販売の東京朝日会に社長が不在では朝日全軍の士気に差し障る、ここはなんとしても、、、と、苦渋の決断をなさっておいでになったのではありますまいか。

 販売を代表する一人として、心からご冥福をお祈りさせていただきます。

 

 

2019年7月30日             パスワード

 パソコンを新規導入したのはいいけれど、悪戦苦闘の毎日となりました。使っていたFMV7の横に大画面のFMV10を置いて使い始めているのですが、何もかもが複雑過ぎて、私ごときには手に負えなくなっています。その原因の一つがパスワードです。ほとんどのアプリは、その取得に当たってはメールアドレスとパスワードを要求されます。かつてのメモ帳をひっくり返しながら対応するのですが、何回か変更したりしているので、恐ろしく時間がかかり、正しいパスワードに到着するまでにはかなりの繰り返しの時間を要してしまいます。その上、ウインドウズ10は何もかもが複雑にできあがっていて数々の操作が要求されます。一例がヤマハのプリント楽譜です。かねてからマグダウエル作曲の「野バラに寄せて」という単純なピアノ独奏曲を弾きたいと思っていて、プリント楽譜からで345円でインターネット購入しました。やっとの事でパスワードを変更し、ダウンロードまでこぎ着けたのはいいけれど、アドビのアクロバットリーダーを使わなければ駄目だ、というのです。改めて最新のリーダーをインストールしましたが、今度はどこに入ったのか詳らかでありません。PDFで入ったらしいのですが、どこを探しても見当たらないのです。プリンターとの無線接続はとうにできているのに、今もって楽譜一枚印刷できないでいるのです。いやはや、これははやのウインドウズ10です。

 アマゾンに注文していたパソコン虎の巻の本2冊が、先ほど届きました。明日は朝から本と首ったけで格闘するつもりです。

 

2019年7月29日               それはないだろう

 徴用工問題で韓国の内情が詳らかになるに及んで、驚いたことがあります。それは日本の最高裁判所に当たる韓国の大法院の前長官が逮捕され、拘留されていることです。日本でいえば最高裁判所長官が逮捕された、と同じことです。理由は徴用工裁判の判決を前政権のパク大統領と結託して判決を故意に遅らせていた、その罪によるというのです。

 これだけでも司法の独立性を踏みにじっているのに、あろうことか、次の長官には自分と同じ赤軍派の仲間を長官に任命しました。そして、裁判を結審させ徴用工をして、その精神的苦痛に対し日本企業は個人保障をせよ、と日本企業の財産を差し押さえ、売却を加速させようとしています。日本の外務大臣をして異を唱えようとも、司法の独立性は犯すべからずと嘯いている始末。

 もし、日本の新日鉄、住友金属、三菱重工などが、判決に従って現地財産の処分を肯んじたらどうなるでしょう、今のところは2億円足らずであっても、後から後から、俺も私もと連なり、100万人を超える事態になるやもしれません。収拾がつかなくなるのは必定です。

 翻って、第二次世界大戦ではドイツが各国に多大の迷惑をかけました。特にユダヤ人に対して言葉で尽くせない迷惑をかけました。だからといって、どこの国の誰が精神的慰謝料を寄こせ、とドイツに対して裁判を起こしているでしょうか? 原爆の被害を受けた広島や長崎の生き残りの人々が、アメリカに対して裁判を要求しているでしょうか?

 戦争とはそういうものなのです。そういうものだったのです。

 文在寅のこの度のこのやり口は、彼の一種の理想主義の表れであり間違いです。彼ほどのいやらしいポピュリストはいない、と私は断じて憚りません。 

 

2019年7月26日          韓国大統領の人柄 

 文在寅韓国大統領の学生時代は、日本でいう赤軍派の闘士でした。当時の朴正熙大統領の軍事独裁政権への抵抗が過熱する余り、5000人の学生の前で大統領の人形を燃やすなど、過激な反政府デモを指導したため逮捕され、拘置所に収監されています。せっかく入った慶熙大学を除籍処分されています。その後軍隊に入り大学に復学しますが、再び民主化運動に身を投じますが、またもや、拘束されます。司法試験の合格通知は拘置所で受け取っています。

 その後、彼は釜山で人権派弁護士となり、後に大統領になった盧武鉉氏と合同で弁護士活動を始めます。そして、全斗煥大統領の軍事独裁政権を糾弾する活動を先頭に立って行っています。

 彼らの大きな目標は南北和解と南北統一にありました。何となれば彼は北朝鮮の生まれであり、「北朝鮮の住民を救いたい」という強い使命感を持っているのです。併せて、韓国内における「親日派に抵抗する」という政治目標を内心、強く持っているのです。

 だから、前政権の朴ウネ時代に日本からの10億円支援のもとに設立された「慰安婦のための基金財団」も解散させてしまいました。徴用工問題も蒸し返させ、大法院で「個人の権利」を認める判決を出させてしまいました。

 当時日本は、賠償金として韓国の国家予算の一年半分に当たるの莫大な金を韓国に支払っています。「国家も個人もこれにて勘弁してください。大変悪うございました」と謝りを入れています。1965年のことでありました。

 この動きに対し、しびれを切らした日本は行動を開始しました。韓国の主要産業であるスマホの生産に欠かせない日本からの主要三品の輸出に制限を加える挙に出たのです。禁止したのではなく、ホワイト国という最恵国待遇から韓国を外すことにしたのです。単に、手続きが面倒になるだけなのに、さあ、韓国中が大騒ぎです。日本製品の不買運動が日に日に高まりを見せています。韓国からの日本への旅行者が激減し始めました。日本からも韓国へ行かなくなりました。

 「冬のソナタ」を皮切りに、日本中のおばちゃんたちが争って韓流にうつつを抜かしていたころの両国の蜜月ぶりが夢のようです。

 詰まるところ、政治家に人を得ないと両国における経済的損失はとどまるところを知らなくなる、というのが今回の事件といっていいのでしょうか。今の大統領文在寅は日本でいえばかつての赤軍派の党首です。経済にうとい理想主義者です。私は、この大統領では日韓関係は修復できないと睨んでいます。

 日本人と韓国人は世界的に見れば同族です。違いは、韓国人は唐辛子が好き、日本人は唐辛子よりも山葵が好き、ただそれだけのことです。

 

2019年7月23日           新品パソコン

 今日から、新しいパソコンによるホームページを再開させていただきます。古いのも新しいのも富士通のFMVですが、今度の画面は大画面の新鋭機です。1・5倍の画面で何でもできるようになりました。好きなビデオ「となりのトトロ」を迫力ある画面で観られます。

 この一ヶ月間いろいろありました。6月の27日から7月11日まではチェンマイでした。二つの山の中の少数民族の小学校に、小太鼓三台とシンバル一個、ピアニカ五台を差し上げることができました。一つの学校の隣には教会があって、日曜ごとに60人も集まるのに椅子も足りず、讃美する歌の伴奏楽器もなく過しています。勢いに任せ「今度、持参する」との言葉を発してしまいました。幼稚園から中学生まで純真無垢な少数民族の子供たちの顔を見ると、何かしてあげたくてたまらなくなるのです。

 幸か不幸か、家から10分ほど車を走らせると「ハードオフ」という店があって古い楽器が山積みされています。二~三万でこれは、というキーボードが手に入るのです。いま、探しているのは「HIMプレイヤー」という讃美歌などのカラオケ再生機です。見つけ次第チェンマイ日本語教会へ寄付しようと思っています。

 帰ってきた翌々日、長野へ行きました。長野高校の同窓会「北七会」が犀北館でありました。一年で14人が他界していました。山崎、長沢、倉石他を偲び、私はショパンの葬送を弾きました。墓参りをし、長野の丸なすをしこたま仕入れて帰京しました。なすはまだあります。

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