最近のエッセイ(78)

2022年1月8日            アンコールワット   

 昨日の夕刊の一面は70年前の太平洋戦争中に撮影された、カンボジアのアンコールワットの白黒写真が多数掲載されていました。京都の花園大学の図書館で見つかったものです。航空写真の全景や細部を含めて、本来のアンコールワットはこんなに華麗で煌びやかなものだったのか、と驚いてしまいました。

 タイ・チェンマイに滞在中、思い立ってバンコックへ出て、プロペラ機でカンボジアのシュムリアップに降り立ち、瀟洒なホテルに滞在し、日本語ガイドをお願いしてアンコールワット、アンコール・トム、更に各地に散らばる廃墟、3000人の湖上生活者がいるトンレサップ湖などへ行ったのは、もう5,6年前になるでしょうか。激しい内戦があったお陰なのでしょう、ほとんどの遺跡には銃弾の弾痕が見られ、突出物はそぎ落とされていました。アンコールトムは大修理中でした。乾季の只中だったせいもあり、何しろ暑くて暑くて、ペットボトル片手に、汗だくで見て回った記憶だけは鮮明です。

 遺跡のほとんどは石組みでした。巨大な石をどうやって運び、どうやって組み立てたのか、皆目、見当がつかなかったものの、その石組がそこに根を張った大木によって砕け散っている様を見るのは壮観でした。樹木が人間が精魂込めて立ち上げた建造物を長い年月をかけて破壊しているのです。そして廃墟にしようとしているのです。そういう廃墟はカンボジアのあちこちに点在していました。沢山の写真を撮りました。これはその一部です。

040.JPG
037.JPG

2022年1月7日                       雪が降る

 昨日、午後二時頃から雪が舞い始めました。予報による関東平野全域に積雪があるとのこと。嬉しくなりました。雪国の人たちの関東平野に対する日頃の鬱憤が少しでも晴れるからです。夜中に目覚めて外を見ると雪はしんしんと降り続いています。しかし、降り積もった5センチほどの雪も、仕事場の窓を開け放って抹茶を飲むころには、朝日を浴びた雪は既に解け始めています。テレビはノーマルタイヤのために動けなくなった車の事故を盛んに伝えていました。しかし、空は抜けるような青空ですから、関東平野の雪も午前中には粗方なくなってしまうでしょう。

 福島県を担当していた頃、会津若松で全従業員を集めた新年会がありました。東京から駆けつけるのですが、その日東北本線が遅延し、郡山に着いた時には接続する磐越西線の列車が出てしまった後でした。タクシーで会津若松を目指しました。峠越えまでは順調でしたが、猪苗代湖畔で雪嵐に見舞われました。前後左右が真っ白でどこが国道なのか分からなくなったのです。タクシーの運転手さんも必死なら、こちとらも時間が迫ってくるし気が気ではありません。天の助けか、そこへ除雪車通りかかりました。その後に付き、無事、苦境を脱しました。一時間ほど遅れての若松の会場到着でしたが、集まっていた皆さんに新年のご挨拶をし、日頃のご苦労への感謝の気持ちを述べることが出来ました。

 思えば、雪国の新聞販売店はどんなに雪が降ろうが、寒かろうが、毎朝雪を掻き分け、その町や村の一軒、一軒に新聞を配達しているのです。全国に張り巡らされた新聞配達網は、新聞が発生した明治時代に生まれ、令和の今日まで連綿と受け継がれてきている隠れた組織なのです。しかも、日本だけの、日本独自の社会的文化遺産ともいえるものなのです。

snow_removal_01.jpg除雪.jpg
IMG_0180sai2.jpg

2022年1月6日            夜の底

 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」川端康成の小説「雪国」はこの書き出しで始まります。長いトンネルとは三国山脈を貫通する上越線の清水トンネル、夜の底が白くなったところは雪に埋もれた湯沢温泉です。作家の島村はしばしば湯沢を訪れます。芸者駒子に逢うためです。駒子には実在のモデルがいました。その名を松榮と言いました。定宿は湯沢温泉の老舗旅館「高半」でした。この小説は度々映画にもなりました。私が覚えているのは岸恵子が芸者駒子を演じた時です。鮮明に覚えている場面は、駒子ならぬ岸恵子が島村の前で三味線を弾く場面です。あの長い長唄「松の緑」を初めから終わりまで全曲を演奏しました。本人曰く「必死に覚えた」そうでした。

 島村ならぬ川端が定宿にしていたのが旅館「高半」。物見高い私は、新潟県担当の時、その高半に泊まって、川端と松榮が使っていた和室を見せてもらったことがありました。私が2年余り新潟県を担当した当時は、湯沢は本当に寂れた温泉町でした。ところが、田中角栄の肝いりで新幹線が開通するやいなや、湯沢は一大変貌を遂げます。林立するリゾートマンション。設備が一新された数々のスキー場。繁盛する商店街。「トンネルを抜けると夜の底が白くなった」どころかトンネルを抜けるとそこはネオンの洪水になったのです。

 今朝、たまたまテレビで栃木県鬼怒川温泉の、現在の廃墟の様子が放映されていました。湯沢も同じで、林立するリゾートマンションは空き家ばかりで廃墟寸前とのこと。でも、冬場は上等のスキー場が林立していますから、それなりに賑わっていることでしょう。

OIP.jpg湯沢.jpg

川端康成ならぬ島村が実際に松榮ならぬ駒子
に逢っていた旅館「高半」の和室

IMG_4270.JPG11gatu9.JPG

2022年1月5日           核

 去る2日前の正月3日、アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアの五カ国が共同声明を出しました。この5カ国はいずれも国連の常任理事国で、かつ、核保有国です。その内容は画期的なものです。曰く、「核戦争に勝者はなく、決してその戦いをしてはならない」、「核兵器は防衛目的、侵略阻止、戦争回避のためだけに限定する」、「我々の核兵器はいかなる国にも向けられていないことを再確認する」、「核なき世界という究極の目的のため、安全保障環境の創出に向けて、すべての国家と協力していく」というものです。

 現在の核保有国と、保有する核弾頭のおおよその数は次の通りです。上記の5カ国については、アメリカ5550、イギリス225、フランス290、中国350、ロシア6260、でロシアとアメリカの数が飛びぬけています。しかし、この5カ国以外にも核保有国は存在します。インド160、パキスタン165、そして北朝鮮40、更にイスラエル90。そして、保有云々でアメリカから経済制裁を受けているイランのX個。加えて最貧国の一つに数えられるミャンマーまでもが北朝鮮からの支援を受けて保有途上にあるとか。一方、我々の日本でさえ、既に、その必要が生じた場合、直ぐ生産できる施設が確保されているとか。同じような国は世界のあちこちにあると云われています。

 「核戦争に勝者はなく、決してその戦争をしてはならない」と共同声明を発したのは、外ならぬ1985年、アメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長でした。爾来37年。核保有国は増え続けてきました。恐らく今回の声明が発せられたとしても保有国は秘かに増え続けるのではないでしょうか? 現に、あからさまにそれを狙っている国があります。南北統一を狙う韓国の文在寅でした。北からの強烈なしっぺ返しを受けて、4か月後には退場となりますが、これはほんの一例でしょう。

 しかし、今回の5カ国の共同声明の意義は大きい。新春らしい明るい、希望の持てる話題です。

核.jpg
IMG_0316sai15.jpg

2022年1月4日           知りたい   

 昨日までの世界の感染者数は2億9016万8801人で、一日前より87万5318人増えました。死者の合計は544万3812人で昨日より3159人増えました。一日に約100万人近くが感染しているのですから3億人を超えるのは時間の問題でしょう。世界人口は約74億人ですから、まだ、71億人が感染から除外されてはいるものの、この勢いを止められないとすれば、5年後には二人に一人が感染者になるでしょう。

 日本はどうかというと、感染者は173万5644人で、一日当たり782人ほど増えています。一時期は100人を切っていましたが、経済活動を再開させたため、これからうなぎ上りに増えるでしょう。死者は延1万8396人。昨日より一人増えました。この数字で見る限り、日本はコロナ蔓延の抑え込みに成功している世界でも数少ない国です。恐らく、島国という立地条件がそうさせているのでしょうが、経済活動を活性化させている以上、第6波の到来は必然視されます。

 ところで、私の大きな疑問は、感染はしたけれど、幸いにして死なずに済んだ約170万人が日本にいるわけですが、この人たちはこの先一生、感染しないで済むのかどうか、二重感染はあるのか、ないのか、人にうつす気遣いは全くないのか、どうなのか、などです。もし、感染が快癒したのち、体内に抗体が出来ていて、コロナが変異しても基本的に再感染がないとすれば、症状が軽いといわれるオミクロン株にわざと感染して快癒しておけば、世界中を歩けるのではないか?という疑問です。

 どうしたことか、コロナから生還した人々のその後の動態がさっぱり分からないでいます。後遺症が残るとは言われますが、死なない限りの後遺症であれば甘んじて享受できるのではないか? この点について、もっと詳しく知りたいと思うのは私だけでしょうか?

AASoOb6.jpg感染.jpg
IMG_5714れいこ8.JPG

2022年1月3日          初 夢

 本物志向に目覚めた日本のウイスキーが世界から引っ張りだこになっているのと同様、日本酒も品質が各段にアップし、世界中で珍重され始めています。アラブ首長国連邦のドバイへ行った時、世界最高層ビルの中のスーパーに日本酒だけの特設コーナーがあったのにはビックリ仰天しました。

 その日本酒を作っている日本中の醸造所の団体が、年一回自社製の日本酒を奉納し一堂に会して祈りを捧げる神社があります。京都のいわゆる西山 、渡月橋を渡って5キロほど山道を登ったところの松尾神社がそれです。お米を蒸して麹を加えて発酵させ、搾って日本酒とする技術は5世紀ごろ、渡来した秦氏が齎した、というのが定説です。既にお亡くなりになりましたが、朝日新聞の編集担当専務に秦正流さんという、その末裔の方が居りました。朝日が主宰する全国オリエンテーリング競技会で何度も同席させてもらいました。

 その松尾神社へ大学同級の学習研究社の編集長竹内二郎君と、京都新聞広告部長の市川長年君の三人で訪れたことがあります。夥しい数の全国の酒造会社から奉納されたこも被りの酒を眺めながら、お神酒をいただいていると、動くのが嫌になりました。日本酒の団体は松尾神社ですが、全国のお茶生産者の団体が帰依している神社が同じく京都にあります。貴船川の上流に位置する貴船神社です。余りに「水の味」が良いので、お茶屋さんのみならず、京都の料理屋さんも「出汁」を取るのにこの水を使うそうです。そのため、年一度、京都の料理屋さん全員が集まって感謝の祈りを捧げている、と聞き及びます。

 京都の北山には大文字と北山杉控えています。名だたる茶室の床柱にはこの北山杉が古来から使われています。その麓には金閣寺。東山には、、、、、、。京都は本当に奥が深い。一時でも京都に住んでみたいなあ、と憧れを抱いていましたが、既にその時を失いました。ところが、私の次男の娘で東京のムサビを出た「萌」が、去年の4月から京都に職を得てデザイナーとして働いています。実に喜ばしい。

 実は、孫娘が京大の大学院生と恋に落ち、結婚して京都に住み、京大の教授となった彼がノーベル賞をとる夢を見ました。初夢が正夢になって欲しいものです。

OIP.jpg松尾神社.jpg
IMG_92879がつ66.JPG
567b93c4dc5f69fbf1f155ecaded374a-thumb-700xauto-197924.jpg貴船.jpg

2022年1月2日           お酒戦争

 昨日と今日の朝、新年を寿ぎ少量のお酒をいただきました。思えば、お酒とは長い付き合いが続いています。仕事が旅がらすであってみれば、日本各地の銘酒と出会うことが出来たのですから、ある意味では幸運な職業に就かしてもらった、といえるでしょう。秋田の「爛漫」、「新政」、新潟の「越乃寒梅」、「久保田」、「八海山」、宮城の「浦霞」、福島の「栄川」、山形の「出羽桜」、加賀白山の「天狗舞」、金沢の「菊姫」、山口の「獺祭」、九州では焼酎の「森伊蔵」などなど。不思議なことに北関東三県、栃木、群馬、茨城 にはこれというお酒はありませんでした。

 でも、私の晩酌は30CC、つまり小指一本分のウイスキーから始まります。それ以上は、小さな湯呑一杯の日本酒と、これも湯呑一杯の鹿児島のイモ焼酎「財宝」で終わりです。ウイスキーはスカッチと言われるイギリス物が幅を利かせていましたが、日本にもなかなかのものが出てきて、いまや、日本のウイスキーは世界中で引っ張りだこです。

 廃糖蜜で作ったアルコールにカルメラでを色付けだけの「ダルマ」は「ザ・サントリー宣伝部」のお陰で爆発的に売れましたが、その化けの皮が剥がれ、サントリーは苦境に陥りました。サントリーは二度の過ちを犯しました。一度目は葡萄の入っていない「赤玉ポートワイン」でした。宣伝力でなく、本物志向に目覚めたサントリーは上等の樽を買い集め、長い熟成期間を経て世界に売り出しました。「響」、「山崎」、「知多」などなど。ところがいまや、世界の富豪が買い占めてしまって、高値であっても日本の店頭に並ぶことがありません。サントリーは今、押しも押されぬ世界一の酒造会社になっているのです。本物に目覚めたサントリー。鳥居さんは、さぞかし、地下で喜んでいるでしょう。困るのは日本の一般庶民であったとしても、です。

 今日は、丁度、ウイスキーが切れたのでこれから買いに行きます。普段は「鷹」という国産物を愛用しているのですが、奮発してアイリッシュのモルトウイスキー「マッカラン」を買おうか、どうしようか、と迷っているところです。迷うのも楽しみの一つです。 

 
th.jpg3.jpg

このうち「山崎」は700ミリリットル
  で何と11,800円

IMG_9961ok14朝顔.jpg

2022年1月1日         今年の抱負

 明けましておめでとうございます。2022年の幕開けです。東京の空は抜けるように青く、空気も冴えわたっています。元日の朝は車を駆して、近所の新聞販売店を回り、読売、毎日、産経、日経、東京の分厚い元旦号を買ってきて、積み上げ、一紙ずつ折込の量や、それぞれの新聞の別刷りを矯めつ眇めつ観察、比較するのを常としてきました。元日号には新聞各社の、それぞれの意気込みが凝縮されています。「今年、わが社はこの問題を掘り下げ特集を組む」などとの見出しが躍る第一面を見ると、わが意を得た思いで拍手を送ったものです。

 いつの頃からか、元旦号は凡庸になりました。各新聞社の意気込みが感じられなくなりました。月並みになりました。惰性が感じられるようになりました。私の朝早くの新聞店詣でもなくなりました。それは、情報の媒体としてIT、つまり電波が紙媒体を凌ぎ始めたおよそ20年前に端を発します。人々は新聞を読まなくなりました。本も雑誌も売れなくなりました。昔は所帯が増えるに比例して部数も増えていたのに、「新聞は読まない、取らない、触らない」となったのですからたまりません。新聞社は存続の危機に見舞われるようになりました。一昔前の大学卒業者の就職希望ランキングで新聞社は常に上位を占めていたのに、今は下位に転落しています。つまり優秀な人材が新聞社に入ってこなくなったのです。つまり、新聞は読まれず売れず、人材はIT産業に群がり、二流、三流の人間が新聞社を構成するようになったのです。この現象は日本だけのものではありません。20年以上前にアメリカから始まったものです。つまり、ニューヨークタイズ、ワシントンタイムズ、ヘラルド・トリヴューンなどの世界に冠たる新聞社が人材の払底に嘆くようになったのです。その証拠が、今回のアメリカのトランプ・バイデンの選挙に現れています。誰が見てもオカシイという不正が横行しているのに、見てか、知らずか、掘り下げる新聞社はありませんでした。つまり、人材が払底していたからでありましょう。

 ことほど左様な現象が、いま、日本のマスコミ界でも起きています。いわゆるマスコミの劣化です。重大な問題です。新年に当り、私の今年の目標は「どうしたら紙の媒体の復権が可能になるか」についての数々の模索を繰り広げたい思いでいます。蟷螂の斧であろうとも、私の一生は新聞の部数と共にありました。ご期待下さい。 

OIP.jpgかdomatu.jpg
1a759047-651e-41b6-addb-35abc18189dc6月17.JPG

2021年12月31日        焼き鳥

 今年も今日一日となりました。徒然なるままに今年食べたもので、一番は何だったろうか? と思いめぐらせてみました。思い当たるものが全くありません。コロナのお陰で外国へも行けず、外食もままならず、ひたすら、ゴーヤーの炒め物と納豆と、ヨーグルトに明け暮れていました。

 では、今まで食べたもので美味しかったものは?となると、第一に正月休みに、5年生の長男、4年生の次男を連れて真冬の北京で食べた北京ダックが筆頭でしょうか。名だたる北京飯店で一羽丸ごと4人で平らげました。やはり正月休み。厳冬期の木曽駒に登るため駒ケ根から入り奥の部落で一泊しました。その夕食、宿では禁鳥のツグミの麹漬けを出してくれました。骨ごと一羽を食べるのですが、その脳みその旨かったこと!禁を侵して霞網で獲ったものだそうでした。現役時代、通産省が主宰するある立食パーティーの折、片隅に控えていると、目の前でフォアグラが焼かれ始めました。フォアグラはガチョウの肝臓です。美味の極致だともて囃されている一件です。5回はお代わりさせてもらった記憶があります。

 振り返ってみるとこれらの美味はすべて鳥です。鳥類です。でも、手に入れようがありません。せめて今夜は、焼き鳥でも買ってきて年を送ろうと思っています。

375px-Peking_duck_by_Mr_Wabu_in_Beijing.jpg北京.jpg
IMG_0971.jpgみのる5.jpg
OIP.jpgfoagura.jpg

2021年12月30日        世界の課題

 歴史を見るまでもなく、世界は戦争や紛争の絶え間がありません。いま、武力衝突の気配が濃厚なのはロシアとウクライナでしょうか。なぜなら、ウクライナという国がヨーロッパ連合、つまりEUとロシアの中間にあり、どちらの陣営に就くかそれが問題になっているのです。ウクライナの半分にはロシア人が一杯、片一方にはヨーロッパ人が一杯住んでいてこれが状況を複雑にしています。もし、NTO側に付けばロシアと敵対することになります。ロシアはそれを恐れているのです。ウクライナのヤヌコーヴィッチ首相時代、一時、戦火を交えましたが、ドイツ、フランスが仲裁に入り今から6年前の2015年に収まりはしたものの、現在のポロシエンコ大統領になって対立は深まり一触即発の状態です。ソ連邦が崩壊したとはいえロシアとしては隣国までもがEUに加盟されては立つ瀬がないでしょう。ロシアの大部隊が国境に押し寄せているのもムべなるかなでしょう。

 遥か昔ですが、東京池袋にウクライナの女性だけのナイトクラブがありました。何故か、ウクライナの女性はスタイルが良く、色白で美人ばかりです。東洋の女姓、いわゆるモンゴリアと全く違います。しかし彼女らは貧しく、日本円のチップをはずむと大喜びし故郷へ送金していました。私も若く、元気な時代でした。

 顧みれば、多くの近隣諸国を従えたソ連邦はゴルバチョフの時代に崩壊しました。一世を風靡したマルクス・レーニン主義は歴史の一隅に置かれたままです。社会主義経済を標榜しながら、自由主義経済のいいとこどりをし、独裁体制を築いたのがロシアであり中国です。プーチン王朝、習近平王朝と言ってもいいくらいの独裁国家が生まれてしまったのです。この二つの王朝が来年以降どういう行動に出るか?それが世界の課題となるでしょう。

OIP.jpgウクライナ.jpg
IMG_0831最近.jpg

2021年12月29日         上野のあめ横

 今年もあと二日余りとなってみれば、何か、美味しいものを食べてこの年を懐かしみ新年を寿ぎたい、という思いになります。海産物を中心に何でもござれの上野のあめや横丁は、押すな押すなの大混雑です。コロナの第6波はここから出るのではないか、と心配にもなるくらいです。昔は出張から解放されて上野駅に舞い戻ると、アメ横によって買い物し、勢いに押されて大荷物を抱えて帰宅するのが12月の恒例でした。何しろ、家には食べ盛りの男の子が三人、口を開けて待っていました。

 俗にいうアメ横とは、上野から御徒町へ向かう高架線下の右側を言うのですが、ガード下にも二本、狭い通りがあります。貴金属や、衣料品、外国製品などを扱う小さな店が並んでいます。ガードに沿って左側には飲食店、立ち飲み酒場などが目白押しです。実はアメ横には地下通路もあるのです。知る人ぞ知る地下街です。ある時、ふとしたきっかけでその通路に舞い込んだことがありました。何と、外国製の食料品が目白押しに並んでいました。世界の三大珍味と言われるフォアグラや、キャビア、北京ダックなどもありました。でも、お隣の韓国でしか通用しないであろう食料品が主でした。知る人ぞ知る穴場だと思いました。今はどうなっているか分かりませんが、そこへ行ってフォアグラを買ってきて年を越そうかなあ、などと思いますが、どうも、そこまでの勇気がもうありません。

ダウンロード.jpgアメ横.jpg
IMG_9818new5.jpg
71_0147_2_670x450.jpgあめ.jpg

2021年12月28日         円高・円安

 海外へ出かける場合、日本のお金は使えません。現地の通貨に両替しなければなりません。従って、両替の度にそのレートが問題になります。円が高い時は得した気分のなりますし、円が廉い時は損した気分になります。タイ・チェンマイへは何度も行きましたが、円高の時は1万円が3,300バーツ、円安の時は2700バーツにしかなりません。その差500バーツ。高級ウイスキーが一本買える値段です。だから日本円をドルに換えて行った時もあります。

 ドルに対しての日本円は平均して106円前後で推移していますが、80円台に上がったこともこともあります。その時オーストラリア旅行をしていました。ドルが下がればオーストラリアドルも下がります。76円にまでになりました。メルボルンでも、シドニーでも多大の恩恵を受けました。ゴールドコーストの瀟洒な別荘が1000万円でした。実際に買おうか、と真剣に考えたくらいです。1995年の4月のことでアメリカドル1ドルが79円でした。

 今はどうでしょう?今日の相場は1ドルが115円です。極端な円安です。26年前と比べると36円の差です。海外の人々は大喜びです。日本製品が廉く買えるからです。輸出産業に係わる人々も喜んでいます。良く売れるからです。反対に海外から物を買って日本で売っている人たちは大弱りです。仕入原価が高くなるため、儲けを少なくして従来と同じ値段で売らなくてはならないからです。

 なぜ、円が、このところ弱くなったのでしょう? 日銀が安倍のミックスという経済政策をとり続けているからでしょうか? 国の借金は国民の借金にあらずという財政理論がまかり通り始めたからでしょうか?

 通貨が廉くなってアップアップし始めた国があります。お隣の韓国です。お隣のウオン安は既に限界閾値を超えました。ドル備蓄が必要なのにアメリカが断り、日本も元より断り、頼みのトルコリラも怪しくなっています。それもこれも、反日不買運動のツケが回ってきているのでしょう。もしかすると世界は、韓国も、日本も極東の小さな国だと共通認識しているせいかもしれません。  

th.jpg画像.jpg
再送22.JPG
th.jpgenn.jpg

2021年12月27日          雪 害 

 昨夕から今朝にかけて、日本海側から内陸の広い範囲に5~60cmの積雪がありました。新潟の津南町では93cmの積雪だそうですから、青森の酸ヶ湯温泉では1メートルを超えたでしょう。現役で新潟を担当している時、上野を出発した新聞列車が、いわゆるドカ雪に見舞われ越後川口で立ち往生したことがあります。当時、新幹線もなく、新聞の現地印刷などできていない時でしたから、さて、どうするか?読者に毎日届けるのが新聞の使命です。たまたま、越後川口に近い長岡にいたものですから、すぐさま、現地に飛び、立ち往生している列車から、新発田、新潟、三条、直江津、高田の新聞梱包を選び出し、手配した車に積み込み送り出しました。一世一代の重労働だった記憶があります。

 現地十日余りの新潟での仕事を終えて、特急トキのグリー車に収まって、ヤレヤレと帰ってくるときは、三国峠のループを超えると関東平野は青空の元です。何たる不公平か!と一人怒りに燃えた記憶が鮮明です。

 12月終わりから2月まで、ことによると3月上旬まで、東北、信越、富山、山陰、ことによると最近は北九州北部まで、雪との戦いが始まります。しかも、今年はその戦いが激しそうな気配です。つくづく思うことは、日本列島の気候は、日本海側と太平洋側の格差が余りにありすぎて、不公平極まりない、ということです。 

OIP.jpg雪.jpg
IMG_1213.jpgふゆ2.jpg

2021年12月26日            流通革命

 家から車で10分のところに光が丘という大団地があり、その中央付近に大きな100円ショップがあります。運営主体はダイソーという会社だそうですが、たまたま行ってみて、商品の大幅な入れ替えと、新商品が入っているのにビックリしました。とにかく、何でもあってほとんどが100円で売られているのです。「へー、こんなものまで100円!」と、驚きの連続です。私の住む豊島園裏向山町には、昔、賑やかな商店街がありました。豆腐屋、肉屋、お茶屋、金物屋、履物屋、電機屋、八百屋、魚屋、などなど、碁会所までありました。 ところが今は一軒もありません。通りはひそり閑としています。この変化には驚きです。最近ではデパートも経営危機に陥っているそうではありませんか。スーパーでさえ立ち行かなくなっているところがあるやに仄聞する有様です。

 一方、最近の凄い流れは大型店はもとより小売店まで、現金の授受がなくなったことです。商品のバーから金額を読みとって合計金額が出ると、お客は表示された金額を自分で機械に差し込みます。お釣りも機械から受け取ります。レジの人はそれを見ているだけで、お金にはタッチしません。コンビニも、回転ずしも、今はそうなっています。凄い変化が現れたものだ、と年寄りは目を白黒させてしまいます。ことほど左様に、流通の世界には物凄い変化の波が押し寄せているようです。

 また、カードを一枚持っていれば、ほとんどの店で現金無しで買い物ができてしまいます。私はマスターカードとダイナースカードを使い分けていますが、時として買いすぎてしまうのが難点です。ところが、今はスマホでの決済も可能とのこと。スマホを翳すだけで支払いが出来てしまうらしいのですが、自分の口座番号を仮想空間に登録することは何故か躊躇われています。月ごとの支払通知書を見て、確認して支払いに応じる、という姿勢だけは維持するつもりでいます。

ダイソー.jpg
IMG_0322sai17.jpg

2021年12月25日           蟹いかに

 この時期、日本海沿岸で獲れる蟹が美味中の美味です。ところが、カニ漁は不漁との合言葉のもと、高値中の高値で喧伝され、売り出されています。一匹一万円を超えるのはザラで、黒い斑点のついた脱皮直前の物など3万円もします。とても、手が出ません。現役時代、旅がらすの身であったので、あちこちで蟹を食する機会に恵まれました。中国では上海ガニ。洞庭湖などから上がる小ぶりの蟹は、それは美味しかったけれど、今では上から得体のしれない配合食料が降って来る運動不足の蟹たち。旨かろうはずはありません。札幌でタラバガニ一匹を前にしましたが、大味で旨くも何ともありませんでした。サンフランシスコの海岸ではザリガニ。かなり高価でしたが日本の蟹の足元にも及びませんでした。美味の極致をゆく蟹は、何といってもある時期の北海道の毛蟹、そして山陰地方でしか揚がらない「ズワイガニ」一名「越前蟹」ではないでしょうか。団体旅行でしたが城崎温泉へ行ったことがあります。至福の食べ放題の夕食でした。親指の爪部分が一番美味しかった記憶があります。食事のとどめは「かにすき」でした。

 もう、4年前になりますか、蟹への想いから、羽田から小松へ飛び金沢の近江町市場の真ん前のホテルに泊まり、市場から蟹を買ってきて部屋で貪り食ったことがあります。その頃でさえ最上のものは1万円を超えていました。3000円クラスの物2匹、堪能させてもらいました。旅がらすとして最も印象に残るのは、そして、最も大好きな市場は金沢の近江町市場です。蟹にありつきたくて「スシ郎」「銚子丸」「浜寿司」を回っても、今のところ空振りです。今では蟹は貴重品になっているのでしょう。 

OIP.jpgzuwai1.jpg
IMG_0607sai47.jpg
OIP.jpgずわい.jpg

2021年12月24日    ボロボロの文語体聖書

 当時、長野県は教育県と言われていました。家を焼け出されて母の実家の長野市に移り住んだ頃です。信濃教育会という組織が新しい教育の担い手でした。中学生の3年間受け持っていただいた白鳥先生は、それらしい素振りはお見せにならなかったものの熱烈なキリスト者でした。英語担当の小原福治先生は教鞭をとる傍ら、日本基督教団長野教会の牧師でした。先生の著者「切なる招き」は、今もって私の座右の書になっています。白鳥先生がお亡くなりになり、出版された遺稿集は膨大な厚さの御本です。小原福治先生亡き後の長野教会の牧師になられた藤沢一二三先生の著書は数冊を数えます。

 長野高校生だった私はふとしたことから長野教会に通い続けました。当時の聖書は文語体で書かれていました。今も座右にありますが、赤線だらけで既にボロボロです。同じ教会員で、当時、柏与印刷の専務さんだった清水榮一さんは「ドンドン講」という山登りグループと、「柏塾」という英語塾を持っていました。今の経済大学の前身を卒業した清水さんは一時期長野高校の英語の先生でした。家業の印刷が忙しくなり、英語教師を辞め、印刷屋の専務になったのですが、家業の傍ら英語塾を開いていました。一緒に学んだ女生徒の中に長野西高の林さんが居ました。私は都立大と東京外語を失敗し浪人となったのに、林さんはお茶の水女子大に一発合格しました。その時の私の情けなさといったら、、、、山登りのグループ「ドンドン講」には直江津駅前の旅館「イカヤ」のご主人、川口の味噌会社の大熊さんがいつも一緒でした。柏与塾を卒業するに当たって、後任に誰かいないか、というので一年後輩の小笠原君と別役実君を紹介しました。私と同じ早稲田に学び、不条理劇作家となった別役君は数年前に亡くなりましたが、柏塾が、どれだけ有難かったか、新聞に書いていました。東京に出て学生の身分で柏与印刷東京出張所の使い走りを、清水さんの従弟・聡さんと同居してやりましたが、最初の同居先は西武線中井の新教出版社の社長・秋山さんのお宅の一室でした。柏与印刷は新教出版発行の本の印刷を一手に引き受けていたのです。 
 これだけキリスト教と縁がありながら、実は私は、まだ、洗礼を受けていません。ではあっても、コリント書の中でパウロが述懐しているように、「我、もはや、生きるにあらず。キリストわが内にありて生きるなり」に限りなく近い生き方をしようと、心掛けてきました。これだけは事実です。従って、今はの際には福島・泉の「翼の教会」佐藤彰先生によって、私の死に水をとってもらう積りでいます。今日はクリスマスイブ。来し方に思いを致し、これまで生かしていただいていることに、心から感謝を致します。  

re_DSC08870.jpg菜が.jpg
IMG_7980山27.JPG

2021年12月23日         年賀状

  年賀状の時期になりました。どんな年賀状にしようか、と考えるのも楽しみの一つですが、その作業は苦しみでもあります。整理して250通までにはなりましたが、今年中に幽冥境を異にした友人・知人も多く、それらの人々との懐かしい日々を思い返しながらの作業は、時に、辛くもあります。

 コロナ禍が始まって満二年。外出もままならず、定例の会合ほか、友人知人とは会いたくても会うこと出来ず、異様にして不可思議極まりない二年間でありました。

 年賀状の主役になる写真を何にするか、しばし悩みましたが、2019年に訪れたイスラエルのガリラヤ湖に昇る朝日の写真にしました。私にとって感動の一瞬でありました。新しく買い入れたプリンターにより、年賀状の表も裏の作業も順調に進みましたが、あとはその人を懐かしみながらの自筆添え書きが残っています。貴重にして楽しい作業が待っています。

年賀状.jpg
IMG_0281sai11.jpg

2021年12月22日         絶対音感 

 神田正輝と松田聖子の娘・神田沙也加が出演中の札幌のホテルから身を投げて自殺しました。36歳にもなっての自死です。同じような事件は台湾人で不出世歌手テレサテンの場合もそうです。タイ・チェンマイの「ホテル・インペリアル・メイピン」の4階から身を投げて死んでいます。自殺か、他殺か今もって真相は謎のままです。それらしい暗躍部分があったようでもあります。神田沙也加の場合も、ことによると闇の部分があったかもしれません。

 ホテル・メイピンはチェンマイに通い始めた頃の私の定宿でもありました。台湾生まれのテレサテンの歌は、最初の頃から妙に私の心の琴線に触れていました。なぜなら、彼女は絶対音感の持ち主だったからです。音は波長をもって伝播します。波長の単位はヘルツです。ピアノ調律の場合、基音の「A・ラ」を440か442にするかで全体が調整されて行きます。絶対音感の持ち主であれば、今出ている音が12音音階のどれに当るか、たちどころに識別し、少し時間が経っても、その音を再現することが出来るのです。稀な才能と言わざるを得ません

 テレサテンはこの絶対音感の持ち主でありました。日本の歌手では美空ひばりがそうでした。彼女の歌のどれをとっても曖昧な音を出していません。二人のこの才能は天からの授かりものありましょう。惜しい歌手を夭折させてしまいました。同じく夭折させられた神田沙也加の場合、絶対音感の持ち主であったか、どうか?この点はよく聴いたことがないので分かりません。

DcF_J62U8AAAihj.jpg名ピアん.jpg

  タイ・チェンマイの
インペリアル・メイピン・ホテル

7月6.JPG

2021年12月21日      相沢冬樹さん

 安倍元総理の奥さんが校長を務めていた、森友学園への国有地売却を巡って、評価額9億円の土地が1億円で売却され、それをめぐって近畿財務局長の佐川某が赤城局員に公文書の改ざんを指示し、義憤を感じた赤城局員が自死に追い込まれた事件は今なお、渦中にあります。赤城未亡人の側に立って、裁判を起こさせ徹底的にNHKと安倍政権に盾突いた男、相沢冬樹さんが居なかったらここまで大きな事件にはならなかったでしょう。

 相沢さんは東大卒の敏腕なNHK政治部記者でした。時の政府に忖度するNHKの上層部に煙たがられ配置換えさせられました。真実が書けないなら辞めてやる、と相沢さんは大阪日日新聞に移りました。この新聞社小さいながら正義を貫く記事ばかりで有名です。相沢さんは自死に追い込まれた赤城さんの奥さんと何度も会い、立件に及びます。公文書書き換えを指示した上司の名前の公表とその理由、併せて、賠償金一億一千万円の要求です。こんなこと赤城さんの奥さんに出来るわけありません。奥さんは相沢さんに言われるままに動いたに過ぎません。

 このほど判決が下りました。賠償金の全額が認められました。ただ、誰が誰のために忖度してこの事件となったのか、その部分は明らかにされない判決でした。「もういい、分かったから、金は全額払うから、もう、お仕舞にしてくれ」と国が言っている判決です。またしても安倍総理・明恵夫人に忖度した判決です。熱血・快男児相沢冬樹氏の戦いはこれで終わるわけはないでしょう。

img_2235d8cc93c53f88d5a8f62ecb1a6eb1900959.jpg相沢冬樹.jpg
IMG_002010がつ6.jpg

2021年12月20日         米軍基地

 沖縄県のコロナ感染は、このところ、ずっとゼロになったことがありません。その上、今度は米軍基地で186人にも及ぶクラスターが発生しました。昔、その米軍基地を見学したことがあります。連れ合いの従兄が上地一文さんという沖縄タイムズ社の社長だったので、この方の計らいによるものでした。厳重な警護を経て基地内に入ってみて驚いたの何の、そこには別世界がありました。物資は豊富で、ないものは無く、その上価格は安く、何でもありでした。賭場や歓楽街迄ありました。それなのに米軍兵士たちはコザや那覇のそれらしいところで遊び惚けていました。

 今では規制が強められ米兵の夜の外出は禁じられているようですが、沖縄の感染が一日たりともゼロにならないのは、それも原因の一つかもしれません。

 かといって、アメリカ軍から放出されたアメリカの物資が沖縄経済に与えた影響は甚大です。連れ合いの母親はコザの十字路市場に店を持っていて、それらを一手に扱っていました。私が朝日新聞に入社した時の初任給は一万八000円でした。恥ずかしながら、母親から毎月二十五沖縄ドルの仕送りをしてもらっていました。目白の賃貸アパートから練馬の建売住宅に移れたのもこの母親のお陰でした。

 ということは、沖縄米軍基地からの物資の放出が無かったら、こうはならなかったわけで、私どもにとって基地様さまであったのです。今更のように、巡り合わせの数奇さに思いを新たにしています。米軍基地のクラスターが早く終息するよう、祈るや切です。

OIP.jpg基地.jpg
IMG_1624.JPGつわぶき.JPG
OIP.jpg基地バー.jpg

2021年12月19日           命 日

 今日は15年前に亡くなった母親の祥月命日です。93歳でしたからかなり長命の方だったでしょう。10日に一度、清瀬の複十字病院へ行って診察してもらい、従妹の久美子と四人で「とんでん」という和食レストランへ行くのを常としていました。ただ、食が次第に細くなり流動食以外受け付けなくなっていきました。主治医の副院長から万策尽きた、持ちこたえる力があるかどうかは未知数だが「胃ろう」に頼る他はない、と言われました。母親は嫌がりましたが、今生の別れのような悲壮な顔つきで手術室へ入っていきました。翌朝早く、電話が鳴り響きました。駆けつけると若い執刀医が病室の前でうなだれていました。歴然たる医療ミスであることは確かでも病院を向こうに回して争ってみても、母親が戻ってくるわけもありません。潔く母の死を受け入れました。

 この母が居なかったら私という存在はありません。23歳の時に私を身ごもり、戦中、戦後、懸命に私を育ててくれました。どれほど感謝してもしきれません。今日は母親が好きだった「トンカツ」を揚げ、母親に食べてもらう積りです。

2005_06270075.JPG
IMG_92509がつ62.jpg

2021年12月18日           理不尽 

 昨日午前中、大阪の北新地の雑居ビル4階のクリニックで放火があり、逃げ場を失った高齢者他24人が焼死する、という、何んとも痛ましい事件がありました。犯人の動機が何であれ、これだけ多くの人を死に至らしめた罪は重大です。そうなるとは露知らず、診察を待っていた時の突然の放火です。一酸化炭素が充満し始め、逃げ場を失い、苦悶の末に死地に赴いた24人もの人々の胸中を思うと、いたたまれなくなります。

 同じような放火事件は京都でもありました。京都アニメ放火事件です。埼玉県から乗り込んで火を放った犯人は「自分のストーリーが勝手に使われた」というそれだけの理由でした。33人の社員が苦悶のうちに焼死しました。犯人はというと、未だに入院・治療を受けているとのこと。

 死にたいのなら、さっさと自分一人だけで死ねばいいのです。赤の他人を巻き込むなど、モッテノホカの行為です。今回の事件は、恐らく、犯人とクリニックとの間に何らかのトラブルがあったのでしょう。だとすれば、病院の担当者だけを狙えばいいのであって、一般の、何の罪もかかわりも持たない人々を巻き込むとは、何事ですか!怒りに震えてなりません。いずれ、犯人の素性などが明らかになるでしょうが、何とも、何とも、理不尽にして痛ましい事件が起きたものです。

th.jpg北新地.jpg
IMG_1225.jpgふゆ8.jpg
th.jpgsinnti.jpg

お気軽に
お問合せください

お電話でのお問合せ・相談予約

03-3998-4086