最近のエッセイ(42)

 2020年2月19日            百花繚乱

  ユーチューブでは今回のコロナウイルスについて、いろいろな事実の報告や憶測が乱れ飛んでいるので、何が真実なのかを確かめるのがいよいよ難しくなりつつあります。大きな話題の一つが中国武漢市の紅十字会(赤十字)の世界から寄せられているマスク、防護服などの不正分配です。武漢市で最初に患者が運び込まれた病院は協和病院という2000人規模の大病院ですが、分配されたマスクが僅か3000であったというので問題になりました。他の病院へは金を取って配布したという噂まで流れ、やはり、中国だなあ、と世界を唖然とさせているようです。最初に運び込まれた患者が「中国毒物研究所」の職員であったのか、生鮮市場でコウモリを食べた一般人であったのかが問題ですが、ここのところは中国当局が極秘扱いにしているようです。でも、最初の患者はこの協和病院で亡くなっています。担当した医師も亡くなっているようです。

 驚くべき風評の一つはユダヤ人陰謀説です。世界人口は70億人もいらない。もっと少なくていい。だから、疫病によるパンデミックは当然のことなのだ、旧約聖書のエゼキエル書にあるような「艱難辛苦」の時が始まったのだ、キリストの再臨の前に世界の人口は半減するのだ、その予言は「タルムード」に明らかだ、だから、仕掛け人はユダヤ人だ、という説です。これが、まことしやかに語られだしたところに、驚きがあります。しかも、そのユダヤ人はアメリカ国籍を持つ敬虔なユダヤ教信者だ、というのです。それにしてもユーチューブは百花繚乱です。 

 

2020年2月18日           花粉症

 空は青く晴れ渡り、気温も20度近く、今日はいい日になるなあ、と喜んだのも束の間、昼頃から風がでて、途端にくしゃみを連発、鼻水も出て、目も痒くなりました。怖れていた花粉症が始まったのです。慌てて毎年お世話になっている眼科と耳鼻咽喉科へ行って、例年と同じ薬を貰いました。これから約二ヶ月の間、私は花粉症で苦しまねばなりません。

 あれは確か5月の始め頃でしたか、埼玉秩父の長瀞でゴルフをやったときです。山全体が杉林であったため、コース全体が杉花粉で白く霞んでいました。その中を一打打つ毎にペットボトルの水で目を洗い、クシャミを連発しながらコースを回りました。辛かったですね。めちゃくちゃなゴルフをしてしまいました。

 同じく埼玉の都幾川渓谷沿いにタラの芽を取りに行ったときです。余りに目が痒く、クシャミを連発するので、思いあまって、赤い実をつけている杉の葉っぱを噛んで飲み込みました。破れかぶれの逆療法を試みたのです。果たしてその晩、苦しみは極度に達したのですが、不思議なことに、その翌年は花粉症にならなかったのです。身体の中に抗体ができたからだと思いました。

 人によっては背高泡立草や、檜の花粉でも苦しむようですが、幸いと申しますか、私の場合は杉花粉だけです。何処の医者の門を叩いても特効薬は未だ無いようなので、対処療法だけで二ヶ月近くを過すより仕方ありません。

いやはやです。

 

 

2020年2月17日                     イスラエル

 昨年の今頃、イスラエルを旅してました。シンガポール教会の松本牧師の一行に加えさせていただいての11日間の旅でした。この旅の思い出は1年経過した今も至極鮮明で、その時の映像と、自分の心の動きまで昨日のことのように思い出すことが出来ます。それだけ、この旅の一瞬一瞬が強烈に心の中に刻まれたからでありましょう。だからといって、「もう一度行くか」と問われたら、果たして即座にOKするかどうかは甚だ疑問です。いつもユーチューブでお世話になっている高原剛一郎牧師は19回行っているそうです。シンガポール教会の松本牧師も、今年も団体募集をしているやに漏れ聞いています。キリスト者の誰もがイスラエルを聖地として憧れているのが現実です。だからといって、私に、もう一度行くか?と問われても、進んでOKとは言わないだろう、ことは明白です。いかに歴史的に曰くがあろうとも、あの荒れ果てた大地に、しかも、虐げられたパレスチナ人が苦悶している中へ、進んで入っていく気にはなれないからです。

 最近、トランプ大統領はユダヤ人が侵略したパレスチナ人の所有地をイスラエルのモノと認めれば、パレスチナ国家の建設を支援する、という声明を発しました。今もって独立国たり得ないでいるパレスチナにとってっては最後のチャンスかも知れないのに、パレスチナのアッバス議長はこの提案にそっぽを向きました。国はなくてもユダヤ人と一緒にイスラエルの国民であることの方を選んだのです。

 1年前の旅では、行ってみたかった西海岸のガザ地区やパレスチナ人の集落はオミットされたのですが、死海の南端のエリコ辺りでパレスチナ人だけの集落を垣間見ることが出来ました。とても、とても国家を形成する力がある民族集団には見えませんでした。パレスチナを率いていたアラファト議長の時のオスロ合意に何故相反する行動をとってしまったのか、今更、悔やんでも仕方がないのでしょう。

 キリストの聖地としてのイスラエルは、パレスチナ人の受難の地でもあります。その複雑さを再び体験する気になれない、というのが、再び行こうと思えない理由の一つです。

 

 2020年2月16日         ゴルゴ13の世界

 中国武漢の生鮮市場から僅か30キロしか離れていないところに、中国科学院ウイルス研究所「微生物菌毒保存保存センター」があります。1979年に開設され、現在は1700株以上のウイルス株を持ち、11万7000件のウイルス資源を保存しているそうです。また、その近くに「中国科学院武漢病毒研究所」が併設されています。そこでは日夜、生物化学兵器としてのウイルスのあらゆる研究や人体実験が行なわれているようです。当然のことながら、検体となっているのは、漢人ではなくウイグル人だと聞き及びます。

 今回の新型コロナウイルスによる感染について、一月末、イギリスのネイチュアー紙と、アメリカのワシントンタイムズ紙が同時に「今回の新型コロナウイルスは同研究所から人為的に漏れたのものである」と断定的に発表しました。

 中国当局の正式発表となっている「野生動物の体液やフンに含まれるコロナウイルスを吸い込んで感染した。なぜなら、585のサンプルの中の33点から新コロナウイルスの核酸を発見している」という説に真っ向から反発したのです。

 今日、ユーチューブの動画で極秘裏に撮られて世界に流されている武漢市内の動画を見ました。それは想像を絶する画像でした。商店は閉鎖され交通機関も停まり、歩いている人もほとんど見受けられません。市内の至る所に検温所が設けられ、37度以上の体温が検知された場合は、強制的に隔離されます。それを拒否しようモノなら暴力的に拉致されます。世界の各地からマスクや防護服、防護メガネなどが武漢に贈られているはずなのに、武漢の市民はその恩恵に浴していないようです。兎に角、武漢全体がゴーストタウンになっているのです。映像は嘘をつきません。一つだけ言えることは、この汚染は実に大規模であること、コウモリその他の野生動物による偶発的なモノとは決して思えない、「遙かに大きな何ものか」が原因であることを知らされたのです。その結果、おめでたかった私も、これはひょっとすると生物化学兵器の人為的漏洩が原因ではなかろうか、中国当局は、重大な結果になっていることを隠し続けているのでは、と思えてならなくなったのです。

 一方、今、アメリカでは強力なインフルエンザが流行しています。なぜ、日本やメキシコでなくてアメリカなのか? もし、これが中国による人為的なアメリカ攻撃の一つであったとしたら? その報復としてアメリカが武漢の生物兵器を漏洩させたとしたら? 想像はあらぬ方向に膨らんでしまうのですが、事実はどうなのでしょうか?時が経てば事実は明るみに出てくるのが歴史の常でありましょうが、時には、伏せられたまま影に埋没してしまう事例も世界史の中には数多くありました。

若しかして、米中間での化学兵器による戦争が既に始まってしまっている? としたら? 想像は膨らみ続けます。             

 

 *ありがとうーー 下記の件にすぐさま反応していただきました。その方のお蔭でユーチューブ広告が排除が出来ました。「アドブロック何とやら」いう裏技だそうでした。

 

2020年2月15日                 広告媒体の激変

 新聞・雑誌など、紙媒体の広告量が右肩下がりになって、およそ10年は経ったでしょうか? 替わってネット広告がうなぎ登りになり、既に紙媒体広告の総量を凌駕しているのは周知の通りです。それをいいことにして、凄まじく替わり始めたのがユーチューブ広告でしょうか。どういう風に替わり始めたのか?

 まず、ユーチューブを開くと昨日今日の問題の動画のタイトルが目白押しに現れます。見たい項目をクリックするとその画面に素早く切り替わりますが、先ず広告が先に流れます「5,4,3,2,1,」と画面に出ますから、しばらく前までは、広告途中で画面を本編に切り替えることが出来ました。ところが今はどうでしょう。画面下に黄色い線が現れ、左から右に移動し始め、それが終わるまで画面の何処をクリックしても、広告が本編に切り替わりません。約1,2、分見たくもない広告を見続けなくてはならなくなっているのです。

 ユーチューブの制作者は広告収入を当てにして画面を制作する、とは分ってはいても、今はアカラサマに、見たくもない広告を強要される仕組みに変わってしまっているのです。

 広告を見ないで済む方法はないものか?いろいろ調べましたら、「一定の金額を毎月払えば広告を見ないで済む」という方法があることが分りました。

 これは一体どういうことでしょうか?新聞広告の場合は目を通すだけで見たくなければ素通りすることが出来ます。テレビの場合は目を逸らす自由があります。パソコンの場合は目を逸らして壁を見つめろ、というのでしょうか? それがイヤだったら毎月一定額を払え、とは何事ですか!

 ユーチューブの広告を見ないで済む良い方法があったら、どなたか教えて下さい!

 

2020年2月14日         100年河清を待つ

 新宿若松町の東京女子医大病院には、その時折に受診した私のカルテのすべてが残っているのですが、恐らく、今は大混雑しているだろうと思い、今日は近くの「光が丘病院」へ行って来ました。肺のX線、異常なし。血液検査、異常なし。喀痰検査これから。CTも撮りましたが、結果は一週間後。まずまずでありました。

 何よりも、肺に異常が無かったので、大いに安堵しました。ところで、新コロナウイルスによる死者が今日初めて日本人にも生じました。中国人を乗せたタクシー運転手の義母に当たる高齢者とのこと。誠にお気の毒です。

 そもそも、中国武漢で発生した今回の騒動は、中国人の食に対する飽くなき追求が原因、とされています。「四つ足のモノであれば机以外は何でも食べる」という中国人の食に対する凄まじい欲望の寄ってきたる所以のせい、と言っていいでしょう。

 上海の生鮮市場に行ったときです。巨大な市場の一角に生きた動物をその場で屠り、市民が争ってそれを買っている場面を見てしまいました。猿がいました、ハクビシンがいました。ヘビ、いたち、犬、猫、コウモリ、鳩、、、、、それぞれが順番待ちをしていました。猿に至っては、4,5人のグループの真ん中に据えられ、生きたまま固定されて頭の鉢が開けられます。その脳みそを、囲んだ人間がスプーンで掬って食べるのです。美味この上ないそうですが、日本人や欧米人に同じことができるでしょうか? ナイトバザールに行くとあちこちにヘビを扱う店があります。店の片隅に蠢いている網の中から二メートル近いヘビを巧みに取り出すと、天井から吊します。店主は素早く皮を剥がします。ヘビはそれでものたうっています。店主は頭を削ぐとその身体をぶつ切りにして、熱湯の中に放り込みます。出来上がった「蛇清淡」を口紅をそうでなくても赤くした 上海の夜のお嬢さん方が美味しそうにすすり込みます。

 確実に言えることは、中国人の食に対する考え方と接し方は、世界の常識人と全く違うという事実です。過去に問題となったマーズ、ザーズなど、いずれも中国を発祥とする呼吸器疾患でしたが、今回の新コロナウイルスでお仕舞いになるかと言えば、決してそうはならない、と私は思います。 上海、武漢、西安、北京、、、、それぞれの都市の生鮮市場へ行って見れば一目瞭然でしょう。中国にそれを求めるのは「100年河清を待つ」に等しい。

 

 

2020年2月13日               山川異域 風月同天

 今朝の朝日新聞によれば、日本からの中国への支援物資は続々と贈られているようです。前に書いたイトーヨーカ堂からのマスク100万枚の他にも、38万着の防護手袋、15万着の防護服、防護メガネ7万五千個、体温計、消毒液などなど。そして見舞金4億五千万円、、、、

 

 このことは中国のSMSで大きく報じられていますが、中でも中国の人々を感動させているのが、支援物資に添付されている漢詩だそうです。「山川異域 風月同天」(住む場所は異なろうとも、風月の営みは同じ空の下でつながっている)

 大昔、奈良の唐招提寺を建立した鑑真和尚は、この漢詩に痛く感動して日本へ渡来した、そうです。なるほど、気宇壮大ないい詩です。

 一方、新コロナウイルスの蔓延は止まるところがありません。3月、4月頃がそのピークと言われていますが、その頃までに終焉しなければ、7月開催のオリンピックにも影響が出るかも知れません。少なくとも3月に予定されている習近平の国賓としての来日は、当分延期となるのではないでしょうか?

 

2020年2月11日           野村克也監督死去

 今からおよそ二時間前、野村監督が死去しました。84歳。死因は虚血性心不全。奥さんだった沙知代さんと同じでした。名捕手で強打者で名監督で、歯に衣を着せない辛辣な弁舌で有名でした。一時代を築いた人でした。

 今から40年ほど前、神宮球場で行なわれた「関東少年野球大会」の開会式で、野村夫妻と同席したことがあります。産経新聞社の主催だったこの大会がこの年から朝日新聞社の主催に替わり、宣伝部長だった私が開会式の主催者挨拶をしました。入場行進は甲子園並みに「雲は湧き、光り溢れて、、、」の伴奏で行なわれ、少年達はいかにも誇らしげでした。私の右隣に野村監督、左隣に歌手の五木ひろしさんが並び、その順番で挨拶が行なわれました。たしか、野村夫人の沙知代さんと五木さんの奥さんの和由布子さんも役員の列に加わっていたと思います。五木夫妻の一粒種のお子さんが、まだ1年生ぐらいだったでしょうか、「あれがうちの子」と五木さんが私に指さして教えてくれたのは、そのグループの一番最後列にいて健気な行進をしている一番小さな少年でした。

 3000人ほどの選手で球場は熱気に包まれています。相手は少年でも下手なことは言えません。なるべく「簡潔に」と心がけて挨拶しましたが、流石の私も膝がガクガク震えました。野村監督は面白い例え話をして3000人を笑わせました。流石だ、と思いました。五木さんも挨拶しましたが、何を言ったのかは思い出せません。五木さんの奥様が控えめであるのに、サングラスをかけて辺りを睥睨する素振りを時折見せる野村夫人にはその時から好感が持てなくなりました。「この女を御せるのは俺だけだ」と野村さんは言っていましたが、いま、沙知代さんからどんな迎え方をされているでしょうか。

 

 

2020年2月10日           セキが抜けない

 「離婚訴訟でトラブっている夫婦とかけて、流行している風邪まがい、と説く」心は?「なかなか籍(咳)が抜けない」

 チェンマイの連日27度の気候の中にいれば、執拗な咳も抜けるだろう、と期待していたのですが、そうは問屋が卸しませんでした。かといって熱も出ないし、身体もだるくありません。至って元気なのに咳だけが出るのです。外から帰れば嗽いをし、手を洗い、アルコール消毒液をかけて手を揉んでいるせいか、今流行の肺炎菌に冒されているという兆候もなさそうです。かくなる上は、昔から喫煙したり禁煙したりを繰り返していた罰としての、COPDという厄介な病と共存して行くのを覚悟しよう、と思っています。思えば喫煙していなかったにも拘わらず、私より先に逝ってしまった親友たち。NHKの佐々木潤、学習研究社の竹内二郎、京都新聞の市川長年、日本経済新聞の山崎憲三、石川島播磨の倉石篤、朝日の同僚宮沢恭人、弟同様だった従弟の桜井靖輝、それぞれ皆喫煙者ではなかったのに私より先に旅立ってしまいました。

 ということは、ほどほどであれば喫煙していても命を永らえることが出来るのではないでしょうか。もっとも、私の喫煙はいわゆる紙巻き煙草ではなく、パイプにパイプ煙草を少量入れて、煙を気管には入れず香りを楽しむだけのモノです。團伊久麿の「パイプのけむり」を真似たことが始まりです。いずれは、止めねばならぬだろう、と十分承知しているのですが、、、、、

 

2020年2月9日           有為転変              

 昨年の秋の始め、谷川岳の麓へ行きました。湯桧曽川に沿って歩きました、土合の駅近くを歩きました。ロープウエイとリフトで天神平へも登りました。そこから西黒尾根を三キロほど登れば谷川岳の頂上です。不思議だったのは絶好のお天気だったにも拘わらず、登山客の誰一人にも逢わなかったことです。半日近く谷川岳の麓にいて、登山姿の人に遭遇しなかったのです。それと同じことは、八ヶ岳の麓でも、信濃大町の針ノ木の登り口でも経験しました。「登山客」がいなくなっているのです。

 そういえば、最近、どなたか乗り物の中で登山姿の人を見かけたことがありますか? 無いでしょう、私もありません。一昔前、新宿発松本行きの夜行列車は登山客で満員でした。床に新聞紙を敷いて寝転がって行く姿さえ見られました。

 何故、登山する姿が見られなくなったのでしょう?

 一昔前、人々は争って海外旅行へ出かけて行きました。「JTB」、「朝日旅行」、「読売旅行」などの小旗を掲げる添乗員の後を追う日本人の小団体の姿は、世界のあちこちに見られました。それは特にカンボジアのアンコールワット、タイのプーケット、ベトナムのホーチミンなどで顕著でした。それがどうでしょう、いまはほとんど見られなくなっているのです。何故、団体旅行が見られなくなったのでしょう?

 6年ほど前、私がタイ・チェンマイに初めて行った時は、街は日本人で溢れていました。空港は大きなゴルフバックを取り出す男どもがぶつかり合っていました。約3500人の日本人がチェンマイ市内に蠢いていました。何処へ行っても日本人に逢いました。それがどうでしょう、いまは何処へ行っても日本人に逢いません。まして団体客に遭遇することもありません。日本人御用達の観光バスなどにお目にかかったこともありません。替わって中国や韓国の団体バスが我が物顔で走り回っています。チェンマイの日本人会によれば、チェンマイの日本人は1000人ほどになったとか?

 これらの現象の寄ってきたる由縁は、日本全体の国力の低下に由来するのではないでしょうか? 若者は登山よりスマホです。スマホにうつつを抜かす余り新聞も雑誌も読まなくなりました。まして、登山する余裕などないのでしょう。海外旅行も旗を連ねて行くのが恥ずかしい時代になったのです。それより何より生活するだけで一杯で旅する余裕など無くなっているのでしょう。明らかに、日本国は下り坂に足を踏み入れているのではないでしょうか。

 

2020年2月8日               加 油  

 チェンマイのファーマシイでのこと。空になったマスクの棚に「中国加油 武関加油」という張り紙があるのを見つけました。加油(チャーユー)とは「頑張れ」という中国語です。「おお、なかなかやるなあー」と感心したのですが、更に上を行く美談がありました。日本が中国に対し100万枚のマスクを贈ったのです。中国でのその反応が凄い。ユーチューブによれば「感謝感激雨あられ」とはこのことだ、と言える反応がありました。「日本は四川大地震の時も真っ先に駆けつけてくれた」「日本は真の友人だ」「反日だった自分は親日に替わった。日本人が大好きになった」エトセトラ、エトセトラ、、、、

 中国全土を大感激させた「100万枚マスクの贈呈」は、一体、何処の誰がやったのか、マサカ日本政府がやるわけもないし、、、、、疑問を持ったまま帰国しましたが、今日、送り主が分りました。イトーヨーカ堂がその主でした。なるほど、と思いました。緊急時にこれだけの判断をしたこの組織の経営者を、日本中を挙げて褒めたいと思うのは私だけではないでしょう。立派なことをやって下さいました。ありがとう。

(これからの買い物は、ヨークマートにさせて貰いましょう)

 

2020年2月7日                             マスクと北京ダック

 昨夜遅く、東京練馬の自宅へ舞い戻ってきました。マスクが東京でも品薄だとテレビにありましたので、前日、チェンマイの主な薬局や病院の売店へ行ってはみたものの、マスクはあらゆるところで売り切れでした。見ていると、中国人を乗せた観光バスがその原因でした。早朝のチェンマイ空港もタイの職員全員は元より、アジア人のほとんどがマスクを着用、バンコックのスワンナブーム空港では尚更でした。

 いま、タイのバンコックやチェンマイに、日本人の姿はほとんどなくなり、替わってファラン(タイ人が欧米人をこう呼ぶ)ばかりになっているのですが、彼ら彼女らのほとんどは肌を露出し夏の格好である上、マスク姿はほとんど見かけません。情報が希薄なせいなのか、それとも、東洋人の雑菌は欧米人には感染しない、と高をくくっているためなのか、ともかく、面白い現象を垣間見ました。

 新型肺炎菌で大揺れの日本のことだから、羽田空港の身体検閲は厳重を極めるに違いない、と踏んでいたのでしたが、予想に反して、いつも以上にすんなりと通り抜けてしまいました。

 一過性現象として面白かったのは帰国2日前の夜でした。チェンマイにご夫婦で長期滞在し、少数民族カレン族の方々に日本語を教えている「じゅん子さん」を囲んでの夕食会の時です。堀田さんは会場を「北京ダックの有名中国レストラン」に予約を通してありました。そこは円形の劇場風の300人は収容できるレストランシアターでした。中国人に人気のあるチェンマイのことですから、このレストランは毎晩、満員盛況とのこと。ところがです。われわれが入店したとき、その広大な空間に1組4人の客しかいませんでした。中国服を着たシャオチエが10人あまり、手持ち無沙汰をかこっていました。舞台ではすこぶる美人がくちぱくでなく歌っていました。何とも悲惨な状況なので、おっちょこちょいの私は、舞台下へ行って、一人、拍手をして上げました。実のところ、歌手は美形の上に何とも言えない美声の持ち主でもありました。

 当店自慢の「北京ダック」を何十年ぶりかでいただきながら、昔、北京で行ったことのある「ベイジンカオヤーズ」を懐かしんだのですが、いつもは満員になる名だたる店が、「新型コロナウイルス」という風評被害のために、人が全く寄りつかない店になっている、という惨劇を、そこにまざまざと見たのでありました。

 それにしても中国・武漢で生まれた「新型肺炎菌」どの。私のそばに来ても、どうか知らぬ顔をして通り過ぎて行ってくれ給え。私には、まだまだやることが一杯あるのだから。 

 

2020年2月1日              魔の三角地帯

 タイ・チェンマイから国道118号線を北上すると、3時間余りでチェンライというかなり大きな町に至ります。更に2時間余り北上すると、そこは行き止まりで、メコン川の合流地点で右側がラオス、左手がミャンマーとなります。俗に「魔の三角地帯」と呼ばれ、英語では「ゴールデン・トライアングル」として知られています。近くには首長族の集落や、少年たち13人が生き埋めとなり、国際的協力を得て全員が生還するという、ごく最近の出来事の現場もありで、休日ともなれば、マイクロ観光ツアーバスでごった返します。一回は自分の車で、2回はそのバスに乗って行っているのですが、また、行きたくなりました。1400バーツ(約4500円)払って、昨日、行って来ました。出発が朝7時、帰着が夜9時。途中いたるところで、二車線の道路を四車線にする道路工事が行われていて、車は大揺れに揺れ、いささか疲れました。一方で、最近できたチェンライ飛行場のお陰でバイパスが整備され、ほとんど車が通らない四車線道路を120キロで飛ばしに飛ばす快感も味あわせてもらいました。丁度、日没時で、大平原の果てを巨大な赤い玉がゆっくりと下降してゆきました。

 魔の三角地帯の奥は、一般人はほとんど立ち入り禁止です。なぜなら、麻薬の栽培地帯としてその名を馳せているからです。そして、6年ほど前に、最初に行ったときは検問所があちこちにあってトランクを開けさせられました。面白いのは、ミヤンマー、ラオス、タイの三国がそれぞれのテリトリーに大きなビルをこれ見よがしに建てて、ラスベガスやマカオまがいの歓楽地としていることでした。今回行ってみて驚いたのはメコン対岸のラオス側でビル建築が盛んに行われていることでした。

 貧しい国が何でこんなことにミエを張らねばならないのか、改めて理解に苦しみました。それにしても雄大なメコン川の、乗合船での遊覧は貴重な体験でした。

 

2020年1月31日       日本語スピーチコンテスト

 学生による「日本語スピーチコンテスト」が行われる、というのでチェンマイ大学へ行きました。このコンテストの審査員を務める堀田さんから詳細な地図をいただいていたのですが、大学の構内はベラボウに広く、おまけにタイ語の案内板は読めず、とうとう、大学事務所まで行きました。親切な事務員さんが車で案内してくれてやっとたどり着きました。200人は収容できる階段教室では、ほぼ150人ほどの学生がいて、エントリーされているのは30人ほど、スピーチはすでに始まっていました。女子学生が多く、なかなか達者な日本語で一つのテーマを自分で決めて、会衆に話しかけるようにスピーチします。プログラムは入り口で貰ったのですが驚いたのはタイの学生たちの名前の複雑さ、です。一例をあげておきましょう。 

 「ジットラボーン ジットボーン」 「ビーラウイッチ ワンタニーヤタウン」

 「バッタラカン ボーサヤーノン」 「タッチャボーン タンテアムバイ」、、、、、、、

 今回の優勝者は「バッタラサン ウエドコーソン」さんという髪の半分を黄色の染めたかなり上背のある女子学生さんでした。

 昼の休憩になりました。用意されていた弁当と水のボトルを貰うと、女子学生さんはコンクリートの床の上にスカートをたくし上げ、 直に車座になって座り込みにぎやかな食事となります。お弁当の中身は焼肉と目玉焼きとご飯、それだけ。

 「若さ」とはいずこの国にあっても素敵なもの、と改めて思いました。

 

2020年1月30日          山また山の十字架

 車は更に山また山へ分け入っていきます。4、50分入ったところにかなりの入会地があり、集落が点在していました。カレン族の村役場もありました。そこの事務をやっている三才の子供を持つ女性が実に日本語が堪能で、われわれををその集落の教会に案内してくれました。山間の見晴らしの良い丘の上に立派な教会がありました。日曜ごとに200人を超える人々が集まるとのこと。この女性によれば、点在するカレン族の 総数のうち70%がキリスト教徒であるとのこと。70%の内の30%がカソリックで残りがプロテスタントとのこと。そして仏教徒が約2割、イスラムが1割。この宗教分布には驚きました。しかも、この教会の窓からから見える遥か彼方に、もう一つ十字架が聳えているではありませんか。

 この教会の要望は、二階の正礼拝所にはキーボードはあるが、一階の集会所にほない、今は重いキーボードを一階に運んでいるが、重くて仕方がない、何とかもう一台欲しい、というものでした。ある意味では贅沢な要望です。考えておきましょう、と返事しました。

 これで都合6台のキーボードをカレン族の学校や教会に寄贈したことになりました。しかし、必要としている学校や教会はまだまだあるようです。あと4台持ってきてお仕舞いにしようか、と帰り道の運転を堀田さんと代わりながら自分自身に向かって呟きました。

 

2020年1月29日           2台のキーボード

 昨日は、ここチェンマイの森の中の一軒屋に置いて、長い間弾いていたキーボード、「ヤマハP-70」を心ゆくまで弾きまくりました。持ってきた楽譜全部を弾きました。明日は、今回持ってきた「ヤマハPS-45」と共に、二台のキーボードは私の手元を離れて、タイの少数民族「カレン族」の小学校と教会に貰われていくのです。

 朝7時、2台を車に積み込み、堀田さんの運転で出発です。途中、屋台の出店で朝かゆの食事を摂り、パイに向かう国道を左折し、いよいよ山道です。空は青く澄み渡り、風はそよともなく、外気温度は27度、絶好の日和です。日本の軽井沢の旧道よりも険しい山道を登ったり降りたり、約100キロ走ったところにその学校と教会はありました。タイの少数民族カレン族の集落です。小さな教会は小学校の隣にありました。日曜ごとに教会員が150名ほど集まるのに座る椅子が足りず、「キーボードと共に椅子も寄付する」と前回の訪問でミエを切ってしまったその教会には、すでに30脚ほどの椅子が届けられていました。堀田さんが手配してくれていたのです。

 ところで、持参した2台のキーボードにはそれぞれ特徴があります。女性の校長先生と音楽担当の先生を前に、片言の英語で扱い方を説明したり、演奏したりもしましたが限度があります。幸いなことに、日本語を話す若い女性の先生がいました。これ幸い、とばかりに複雑にして怪奇とも言える操作方法を説明し、どちらが学校に相応しいか、女校長先生に決めてもらいました。続いて、われわれを歓迎するための、高学年の女生徒8人によるピアニカの演奏が始まりました。そのピアニカは前回の訪問の際、寄贈したものです。指使いはメチャクチャでしたが、努力のあとが見受けられたのは私にとっては大きな喜びでした。演奏が終わってから、生徒さんたちに二台のキーボードに存分に触らせて上げました。何時の日か、この楽器を存分に弾きこなす生徒さんが現れますように、と祈るような気持ちでした。

 続いて、大勢の先生方と一緒に昼食をいただきました。200人余りの生徒さんたちの食事は圧巻です。アルミの大きな皿に、ご飯とおかずを盛ってもらって、食べた後は自分で食器を洗うのです。流しは三段階になっていました。生徒さんたちと目が合うと、ニコッと笑いながら合掌してくれます。純真そのものの笑顔です。「来て良かった」と思う瞬間です。

 学校から私たちはお土産をもらいました。裏の畑で生徒たちが作った大きなサラダ菜の三株、桑の実のジュース一ダース、黄色い鬼灯(ほおずき)の実、二袋。ほおずきが食べられるなんて初めて知りました。食べてみると結構美味しいのです。しかもビタミンが豊富だとか。私たちは校長先生や生徒さんたちの笑顔に送られて次の目的地へ向かいました。

 

2020年1月25日         プラスチックス先進国・タイ

 タイ・チェンマイにもスーパーは沢山あります。それも大型スーパーばかりで日用品、食料など豊富です。一般的なのは「ビックC」、「トップス」、業者向けなのが「マクロ」、ここは現金支払いオンリーです。少し高級品を置いているのが「リンピン」、、、

 買い物に行ってビックリしました。買った品物をフクロに入れてくれないのです。日本のスーパーならレジで袋にいれてくれるのに、ここでは、何の手当てもしてくれないのです。「さあ、持って行け」とばかりレジの人は清ましているのです。ちなみに、タイ全土に日本のセブンイレブンが大幅に進出していますが、ここでも、何を買っても袋に入れてくれなくなりました。

 いつからこうなったのか? 今年の一月一日からとのこと。いささか慌てましたが「タイもなかなかやるなあ」と感心してしまいました。

 プラスチック公害が海洋生物の生存を危うくしているという警鐘は、世界的になっているにもかかわらず、どこの国も腰を上げる気配はがないのに、お世辞にも先進国といえないタイが率先して実行に移したのです。

 いやあ、立派なものです。この英断には頭が下がりました。日本を含めてアメリカ中国、ヨーロッパの国々はプラスチックゴミの排出に関しては群を抜いています。後新国・タイに先を越されたこと、「恥ずかしい」限りではありませんか!

 チェンマイのスーパーのレジ付近にはそれでも空きボール箱が山と詰まれていましたが、それを使う人は稀で、人々は布製の袋を持参するか、カートを荷物を入れたまま車まで持っていくかしています。慣れてしまえばそれはそれなのです。

 私自身、このタイの英断には痛く感心したので、日本に戻っても「買い物袋を引っさげてスーパーに行こう」と決心したのでありました。      

 

2020年1月24日                    ラン ラン ラン 

1541.jpg      1531.jpg      1534.jpg      004.jpg

 チェンマイには大きな植物園があります。王室植物園です。プミポン国王夫妻の肝いりで造られたので、数々の趣向が凝らされています。その一つは世界の主な国の擬似庭園が造られていることでしょうか。それに付随してその国ならではの建物もあるので、全部を観て回るには一日がかりになってしまいます。ですから、庭内にはトロッコ型のトロリーバスが10分おきにノロノロ運転していて、好きなところで乗り降りができるようになっています。

 圧巻はランのエリアです。ありとあらゆる種類のランが咲き乱れています。カトレア、リカステイ、オンシジウム、胡蝶蘭、バンダ、デンドロビウム、シンピジウム、パフィオフェデラムなどの新種や変種などが咲き乱れています。それだけでも絢爛豪華なのに、そのランの森の一角に「ランだけの温室」がありました。中へ入ると一瞬ヒヤっとしたので、温室ではなく冷室と呼ぶべきでしょうが、とにかく、温度、湿度、日射、風向などが管理されている広大な一部屋です。そこには滅多にお目にかかることのないランの貴重な品種が所狭しと植えつけられていました。一人の、カメラを重そうに持った男が、霧吹きを持ち,ランに吹き付けて撮影している以外、誰一人いないその冷室のベンチに、時には寝転びながら時を過ごすことができました。天国にも、これだけのランに囲まれた空間があるだろうか、と心配になった次第。

2020年1月23日          新型肺炎菌の恐怖

 タイ・チェンマイへ来て一週間が経ちました。日本も暖冬のようですが、当地はまるで「夏そのもの」です。朝方は流石にちょっぴり寒いですが、直ぐに陽が照りだし、日中は30度前後になります。短パン、半そででも暑いくらいで、車を運転するときは冷房を効かせます。四季のある日本と違ってご当地は乾季と雨季があるだけです。今は乾季の真っ盛りのようで、雨は一粒も降りません。風も全くありません。

木々のそよぎもなく、かそけき落ち葉のハズレの音もない林の中の一軒家にいると時間が止まった別世界にいるようです。

 11月下旬から始まった咳の発作は、12月、1月になっても治まる気配はなく、こちらへ来れば何とかなるだろうと、希望を胸にしていたのですが、悪化はしないもの全治には程遠い状態です。喘息か、COPDかと心得て、気長に付き合っていくより仕方がないのかもしれません。

 折から、中国武漢で新型のサーズと思しき感染症による肺炎が流行を極めだしました。ご当地タイにも、アメリカにも、日本にも患者が発生し始めたとのこと。幼い頃から「肺門リンパ腺炎」で苦しめられてきた小生にとっては、全く、人事ではありません。タイ・チェンマイに及ばないことを祈るのみです。

二伸  ご当地にはノートパソコンを持参したのですが、どうしたことか、

 

        自分のパソコンへのログインができず、やっと、それができたと

        思ったら日本語入力がままならず、一週間目にしてやっと書き込み

        更新ができるようになりました。

2020年1月13日             アラブ首長国連邦 

 今日は安倍総理がドバイへ行っています。数年前、私も行きました。そこは砂漠の中の奇跡の国でした。まず、アラブ首長国連邦の国有航空・エミレーツ航空には吃驚させられました。エコノミーなのに座席幅は広く、機内食も美味でした。おまけにキャビンアテンダントがスコブルつきの美人ばかり。更に驚かされたのはドバイの空港の大きさと豪華さでした。空港内には専用の地下鉄が走っていて、100人乗りのエレベータもありました。その大きさと機能の良さには驚嘆してしまいました。外に出ればビル群です。世界最高峰のビルの下はバカでかいショッピングモールです。世界のチーズが集まっている大きな部屋もありました。垂涎の的だった山羊のチーズを買うことが出来ました。日本の商品もフンダンにありました。アルコールのコーナーには100種類ではきかない銘柄の日本酒がありました。

 

 ドバイの唯一の公共機関は高架を走る無人運転のモノレールです。日本の日立製でした。ドバイに運び入れる際に制約があったとかで、車両の背丈が今ひとつ低く、大柄のドバイ人が背をかがめて乗り降りしていたのはご愛敬でした。一列車毎に女性専用車が付いていて、目ばかり光らせた黒装束の女性群を見るのは圧巻でした。

 

 一日、ドバイの海岸に出てパラソルと簡易ベッドを借り、青い空と碧い海を見つめました。対岸の島影はイランです。大型タンカーなどがひっきりなしに目の前を横切って行きました。なるほど、ここでもし国際紛争が起こったら日本はどうにもならない、日本は宿命的にイランとサウジアラビアと仲良くしていかねば、と納得出来ました。

 

 ある日、街中の、とあるナッツ類専門店に入りました。イラン人の兄弟の店でした。日本人かねと尋ねられ、そうだ、と言うと「俺たちは日本が大好きだ」と言って大サービスしてくれました。また、その時の旅の目的は聖書に出てくる「乳香」を買い求めることだったので、探し、探して香料専門のマーケットへ行きました。あるゆる種類の乳香があるはあるは、、、、、しこたま仕入れて日本に持ち帰り、福島・泉の佐藤彰牧師の教会へもお裾分けしました。しばらくの間、それは翼の教会の入り口に置かれ、芳香を放っていました。

2020年1月11日             誤  射 

 何とも大変な事件が起きてしまいました。イランのテヘラン空港を飛び立ったウクライナ航空の旅客機が、離陸間もなく爆発炎上し、176人全員が死亡するという、おぞましい事件です。乗客の大部分はカナダ人で、カナダのトルドー首相は、いち早くイランの責任に言及しました。驚いたのはイラン政府関係者です。「機内の事故だ」と言い張っていましたが、先ほど、「ミサイルの誤射であり、お詫びする」との公式声明を出しました。これはもう「うひゃー」です。怒りを通り越して、ただただ呆れるばかりです。ミサイルを誤射して民間機を撃墜させてしまうとは!何とお粗末なイランの防空システムであることよ! 一体、176人の命を何と心得ているのですか!こんなことがあっていいのですか!

 元はといえばトランプの決断から始まっています。彼の考えによってイランのソレイマニ司令官が暗殺されました。その報復としてイランがイラクにある2箇所のアメリカ基地をミサイル攻撃しました。そのまた報復があると勘違いしたイランの過剰反応により176人が不慮の死を遂げたのですが、結果的にはトランプは友人国のカナダの無垢な人々を殺したことになりはしないでしょうか。それにしても何の落ち度もないのに、突然痛い思いをして殺された176人の方々が気の毒でなりません。

2020年1月9日             キーボードと椅子と

 今日は大泉学園のハードオフへ行ってキーボードを物色し、何とか「これは」というモノを買ってきました。タイ・チェンマイの少数民族の小学校・教会へ持って行く為です。前回7月のチェンマイ滞在時に、チェンマイに在住してタイの子どもたちに埼玉県からの義援金を差配している堀田さんに連れて行かれた新しい小学校は、本当に山深いところにあり、小さな教会が隣接していました。5,60人しかは入れない殺風景なその教会には、椅子も満足にありません。もとより讃美歌を歌うキーボードもありません。「今度、来るときはその両方を持ってきます」、と私は大見得を切ってしまいました。約束は果たさねばなりません。手荷物にして持参するキーボードは今回で都合五台目になるでしょう。そのほかにも、ピアニカ25台、小太鼓3台、シンバル一個 などを持ち込み、寄贈しています。

 今回のチェンマイ行きは17日から2月6日までの三週間です。チェンマイ日本語キリスト教会の日本人専用の墓地への高田さんの納骨と、野尻牧師の分骨の式が25日に予定されているので  それに間に合わせるためでもあります。 

 椅子の寄贈も予定していますが20脚ほどを、チェンマイの現金マーケット「マクロ」で仕入れてその教会へ運んで貰う積もりでいます。椅子はすべてプラスチックス製ですが、値段が安いのが嬉しいです。1脚2000円前後で買えてしまうのです。

 私自身、そんなにお金を持っているわけでもないのに、何でこういう行為を続けているのか自分でもオカシイと思っているのですが、 タイの山の中の、文化果つるところで生活している民族の純真な子どもたちを見ていると、「何とかして上げたい 」という気持ちになってしまうのですから仕方ありません。    

2020年1月8日      しばしば、些細な出来事から戦争は始まる

 イランの革命防衛行動隊の一つであるコッズ部隊のソレイマニ司令官がアメリカ軍のてによって暗殺されました。トランプ大統領は声明を発し、アメリカ軍が損害を受ける事前の緊急措置だ、と釈明しています。今、イランは国を挙げてアメリカに対する怒りをぶち上げています。既にイラクのアメリカ陣地にミサイルをぶち込んだ、との情報もあります。大規模戦争への緊迫度が増し始めています。

 この遠因は何処にあるのでしょうか? 1948年5月14日、国連総会において、イスラエルとパレスチナの独立が国際連合で承認されました。その独立の影の立役者はユダヤの財閥ロスチャイルドでした。ロスチャイルドの財はイランの石油会社でありました。当然イラン国有の他の石油利権と対立 します。その時からイスラエルとサウジアラビアとイランは三つ巴の犬猿以上の仲になり、そこへアメリカやヨーロッパが加わり、訳が分らなくなりました。争いの根は実に深いのです。そこに正義はなく、醜い三つ巴、四つどもえの醜悪な利権争いがあるだけ、となったのです。

 戦争は、得てして小さなことから拡大していきます。世界のすべての戦争がそうでした。今回の報復合戦が拡大しないことを、祈るや切です。          

2020年1月7日         GONE WITH THE WIND

 昨年の1月、シンガポール日本語教会の松本牧師一行と共にイスラエルへ行きました。バンコックのゲイトもテレアビブのゲイトも厳重を極め、それぞれ三時間余りかかりました。それはそれとしても、空港ならお決まりの印をパスポートに押してくれません。印が押された紙片が渡されただけでした。出国の時はそれを戻せ、というのです。つまり、イスラエルに入ったことが分ると入国させてくれない国があちこちにあるから、という理由からでした。イスラエルと国境を接する隣の国レバノンが正にそういう国です。「イスラエルに行っただけで犯罪者扱いにされ、牢獄行きになるのだそうです。そういう国「レバノンの首都ベイルート」へ、この年末、日産の元社長カルロス・ゴーンは自家用機を巧妙に使って逃げていきました。

 行ったはいいけど、今、彼は犯罪人扱いを受けているらしいのです。すなわち、日産時代に何度もイスラエルへ足を踏み入れている証拠がパスポートにあるからです。とりもなおさず、それはレバノンでは重犯罪人でありますからして、逮捕されるのは必須だそうです。しかし、イスラエルと違って、レバノンは国家の経済が破綻しかかっている貧乏国であります。降って湧いたようなゴーンの出現を「彼ならこの国を何とかしてくれるに違いない」国民は期待を持って、この犯罪者の動きを固唾をのんで眺めている、という報道も一方にはあるようです。

 それにしても、日本は舐められたモノです。日本の司法の尊厳はどこへ行ってしまったのでしょう。この裁判に関係し、保釈を許可した司法関係者は全員、頭を丸めて土下座して国民に謝るべきでしょう。日本の甘さを世界にひろしめた罪によってです。仮釈放を許可した裁判所は、彼が大金持ちで(日産の金をくすねて)、自家用飛行機まで持っていることに思いをいたさなかったのでしょうか。仮釈放の場合は、今、世界の趨勢は被告人の身体に位置情報を知らせるGPSを埋め込むのです。二四時間の監視体制を近代兵器で作るのです。そんなことも、知らなかったのか、出来なかったのか、お粗末だった日本の司法、、、、、世界の笑いものになっているのが、実に情けない。

 それより何より、こういう男を招聘して会社のすべてを任せざるを得なかったニッサンという自動車会社! 歴史を見れば、この会社は組合運動を許容する余り、経営に口出しをする「塩路天皇」を生み出した会社でもあります。塩路といい、カルロス・ゴーンといい、例え一時にせよ特異な二人の男に経営を牛耳られて来たニッサン!この会社の為に一生を捧げててきた大勢の真面目一途の社員の皆さんの胸中を思うと、穏やかな気持ちではおられません。

お気軽に
お問合せください

お電話でのお問合せ・相談予約

03-3998-4086