2024年4月27日    オリーブの実                                                                                                                                                                                                                    今朝のテレビの旅番組で、小豆島特集をやっていました。小豆島と言えばオリーブ。オリーブの実は私の大好物です。数十年前、ICMAの同窓会で、中国新聞の田中君の設営で小豆島へ行ったことがあります。高台から見下ろす一面のオリーブの畑。美事なものでした。

 オリーブの実を囓りながら、モルト・ウヰスキーを口中に躍らせる、、、私にとって無上の楽しみの時です。ところが、オリーブの実は町のスーパーで見かけることはほとんどありません。何故なのでしょう?

 タイ・チェンマイ空港にはダイナーズクラブ会員他の専用待合室があって、飲み物、食べ物がすべて無料になっています。黒とみどりのオリーブの実が置かれていて、フンダンに食べることが出来ました。帰京の時は少し早く出て、その部屋に入ります。ビールを飲みながら、心ゆくまでオリーブの実を囓る、、、、、香港の空港のウエイテイングルームにもオリーブは山のようにありました。日本の羽田空港の国際線は?昔はあった専用待合室は、今は全く姿を消しています。世知辛くなったモノです。

 オリーブの原産地はギリシアだろうと言われていますが、レバノン、シリア辺りが発祥だそうです。と言うことは紀元2000年前、イエス・キリストが好んで使った「香油」にはオリーブ油が使われたのではないでしょうか? 調べて見たら、樹齢400年のオリーブの樹が現存しているようです。それも、戦火の中のパレスチナに、、、。その樹はガザに在るのでしょうか?それともヨルダン川西岸に在るのでしょうか?

2024年4月26日   朝日新聞社人事                                                                                                                                                                                                               6月の株主総会を前にして、朝日新聞社の首脳陣の人事案が新聞発表されました。それによると、社長の中村史郎が代表権のある会長、代表取締役社長には専務だった角田克が就任予定になっています。何のことはない、同じメンバーです。思えば、新聞社経営は昔と違って大きく様変わりしています。「紙」を媒体とする情報伝達手段は、25年程前から衰退の一途をたどり始め、朝日新聞を始めブロック紙、地方紙は、四苦八苦の経営を強いられています。これは、世界共通の現象でも在ります。

 私の孫弟子だった小田桐則雄君は相変わらず役員で在り続けるようです。ただし、役職名が「販売担当」から「顧客開発統括」と替わるようです。どちらにしても、販売局出身の唯一の役員ですから、頑張って貰いたいモノです。私が、千葉、埼玉を所管する第四部長の時、次長は高橋湛君でした。そして、埼玉統括担当が植田義浩君、彼の助手が小田桐君でした。植田君は私の福島時代の最初の助手でしたから、小田桐君は私にとって孫弟子になります。思えば、私の現役時代、8人の助手が付いてくれました。局内最多でした。出世頭は最初の弟子の植田君。東京本社の販売局長、販売担当、西部本社代表を歴任し、続いて熊本テレビ朝日社長になりました。今は、小倉の近くで画廊を経営し、愛犬と戯れる毎日だそうです。彼もまた、小田切君の再任を喜んでいるでしょう。

2024年4月25日   諜報活動                                                                                                                                                                                                               今週の週刊文春は、国家間の諜報活動、いわゆるスパイ行為について、池上彰と諜報戦争の只中にいた外事警察官僚にして国家安全保障局長を務めた北村滋氏との対談を大きく載せています。いかにして、相手国の動きを素早く察知するか、そして、それに対処するか、が勝敗を左右する重要な決め手になることは言うまでもありません。

 ロシアのプーチンは元東ドイツに派遣されていたKJVのスパイでした。多くの政敵を密かに毒殺し、現在の独裁体制を築いています。どれだけ多くの反対者を屠ってきたことか!最近では朋友・ブリゴジンが乗った飛行機ごと爆破され殺されました。極く最近、ナワリヌイが獄中死させられました。中国でも同じです。次の主席といわれていた李克強がプールで不審死を遂げさせられました。いずれも、独裁者としての習近平が自分の地位を守る為でした。

 国家間で、「いざ、戦争!」となった場合、相手国に対しての情報量が多く、また、それが正確であればあるほど、勝率が高くなることは言うまでもないでしょう。

 私自身、その諜報活動に巻き込まれそうになったことがあります。頃は宣伝部長時代。発案した「朝日メイト」が好調で、音楽事務所がこぞって共催を申し出てきていました。ロシアバレー団の東京公演に際し、松尾音楽事務所が朝日メイトとの共催を申し込んできました。

 上野の文化会館は連日大盛況でした。打ち上げとなって、私と松信次長が、六本木のロシア大使館で行われたパーテイに呼ばれました。華やかな夜になりました。終わって、在る一人のロシア人から声がかかり、密かに別室に通されました。流ちょうな日本語と人なつこい笑顔で、彼は切り出しました。「我々は日本の新聞について知りたいことが沢山ある、あなたを見込んで、あなたを通してそれを知りたい。協力してもらえないか?」と言いながら、紙包みの上に手を置きました。咄嗟に、「スパイになれ」と言うことだと理解し、「これは危ない」という思いが去来しました。そこはそれ、百戦錬磨の宣伝部長、「折角ですが、その任は私には重すぎるようです。他の人を当たって下さい」と笑顔で言って、そそくさと退散しました。

2024年4月24日   サザエさん                                                                                                                                                                                                               一昨日、当欄で日本のアニメが世界的な人気となり、現在の外国人の日本訪問を助長しているのではないか?と書きました。つらつら思うに、私の人生も「アニメのおかげ」と言えるのかも知れません。私の中学生時代、家でとっている新聞は毎日新聞でした。社会面には横山隆一の「フクちゃん」が掲載されていて、まず、それから見るのが常でした。上京して早稲田の学生となり、朝日新聞の入社試験に臨みました。編集でなく業務で受験したのですが、試験場は早稲田の教室で450人ほどが受験生でした。時事用語の解説で「アパルトヘイト」が分らず、無理かな、思っていたら第一次が通りました。後で聞くと、私の筆記試験の成績は32番だったそうです。点数を稼いだのは、出題された小論文だったそうでした。何と、朝日新聞に毎日連載されている長谷川町子作「サザエさん」の効用について論じたのです。当時の人気のアニメはこの漫画だったのです。

 ほとんどの読者は新聞が到着すると、先ず一面をサッと見て、続いて社会面に移るのではないか? 社会面のどこを最初に見るだろう?4コマ漫画ではないだろうか? 「サザエさん」ではなかろうか?そして、クスッとしながら、他の面をおもむろに読み出す、、、、その故に、読者維持、新規読者獲得にとって漫画は大事で在る、、、、、

 その年、業務局には8人が入社しました。後で分ったことですが、試験成績のトップは横浜国立大の君島、出版広告部に行きました。副島種臣の孫・大野と、東京タイムズの社長の息子の高尾と高岡の三人が広告局、三人とも早稲田。そして大野は出世して副社長にまでなりました。そして私は販売局。もう一人、一橋の柳田もそうでしたが変人でもあったので、早期退職を余儀なくされました、、、、

 つまり、新聞における「アニメ効用」について論じたお陰での私の一生が決まってしまった、と言えるようなのです。

 その後、4コマアニメは、サザエさんに替り、佐藤サンペイなりました。今は「ののちゃん」というのですが、これは全く時代遅れのモノで面白くも何ともありません。だから、だから、朝日新聞の部数は減っているのでしょう。人気アニメを横目で見てきた朝日新聞の失敗と言えるでしょう。

2024年4月23日    お粗末                                                                                                                                                                                                            一昨昨日の夜、といってもその日の午後10時半頃、訓練飛行を行っていた海上自衛隊のヘリコプター同士が、洋上衝突し、8人の乗組員全員が機体と共に、5500メートルの海底に沈む、というトンデモナイ事故が起きました。余りにも悲惨です。これほどの深度の海底に沈んでしまった機体・遺体を引き上げることは、ほぼ、不可能に近いでしょう。  海上自衛隊のヘリコプター事故は、つい最近、起きたばかりです。

 こちらの方は昼間、沖縄の宮古島で起きました。旧い飛行場跡を視察に来た、司令官を乗せた8人乗りのヘリコプターが、機体の損傷か、操縦ミスかのどちらかで、海の藻屑となったのです。

 戦争によるならまだしも、戦わずして国家の機材が失われたのです。それよりも何よりも、貴重な人的被害の大きさです。

 これによって分ることは、日本の防衛力の未熟さ、でしょうか。誠に誠に、情けない限りです。日本国民のほとんどが唖然としていることでしょう。

2024年4月22日     観光客激増の背景                                                                                                                                                                                                           いま、日本のアニメは世界中で大流行しています。日本を訪れている外国人のほとんどは、子供の頃、日本のアニメを見、アニメソングを口ずさんで育ってきています。ちなみに、訪れている外国人200人に「アニメの主題・ボルテスVの歌」を今も歌えるかと聴いたところ、200人中174人が日本語で歌えたそうです。

 子供時代の彼らを虜にした、日本のアニメ、そして口ずさんだ主題歌、その生産国・発祥地である日本は、彼らにとって聖地で在り、一度は訪れたい国で在り続けている、、、、これが日本への観光客激増の背景の一部をなしているのではないでしょうか。

 そう思いながら、昭和、平成、令和時代にはやった、また、はやっているアニメソングを探ってみました。(一位から5位まで)

 <昭和> 1、タッチ 2,銀河鉄道999 3,宇宙戦艦ヤマト 

      4,ゲットワイルド 5,マジンガーZ

 <平成> 1,残酷な天使のテーゼ 2,チャラヘッドチャラ

      3,おどるポンポコリン 4,世界が終わるまで

      5,ムーンライト伝説

 <令和> 1,アイドル 2,紅蓮華 3,炎 4,ミックスナッツ

      5,残響賛歌

 ところで、上に挙げたアニメソングの数々、耳にしたことはあっても私に歌えるでしょうか、ピアノで弾けるでしょう? 全くのお手上げです。改めて、時代のギャップを感じています。

2024年4月21日     外国人観光客                                                                                                                                                                                                           昨日、駒込へ行って息子達に会うため、久しぶりに池袋構内を歩き、山手線に乗りました。驚きました。行き交う人々の中の外国人観光客の多さです。団体客が多く、階段を駆け上がっていく姿を何度も目撃しました。山手線で、外国人の乗っていない車両はなかった、とさえ言えます。今年3月、日本を訪れた外国人観光客は3、081、600人で、前年同月比69.5%増だそうです。昨年一年間では31,882,049人だったそうです。今年に入ってからは更に増え、1月から3月までで、8,558,100人が訪れているそうです。

 更に驚くのは、観光客の目当ては、神社仏閣のある京都・奈良・日光は言うに及ばず、日本人の我々でさえ知らない、全く辺鄙なところへ津波のように押し寄せているというから、驚きです。先ず、岩手の盛岡。ここは大谷翔平の出身地でもあり、かつて「いま、世界で行くべきところ50選」の中で、ロンドンに次いで盛岡を上げた、ニューヨークタイムスに負うところが大きいのでしょう。

 ところが、何ゆえか、日本人さえ知らない小さ町や村に大観光団が押し寄せている、というからビックリです。曰く、北海道・当別町、山形・高畑町、茨城・北茨城市、秋田・能代町、新潟・見附市、山梨・白波山村小菅村、、、、、、

 一方、良くない噂も飛び交っています。青森の奥入瀬渓谷や十和田湖の周辺の土地、北海道のスキー場の土地が、中国人の大富豪によって買い占められている、という噂です。それもほとんどが水資源の良いところに限られているそうです。つまり、中国は水が悪い。政治も悪い。経済もお先真っ暗だ。だから、余生は日本で暮らそう、という流れだそうです。この先、日本がどうなって行くのか?それを思うと安心して、あの世へ行く気になれません。

2024年4月20日  懐かしい駒込駅                                                                                                                                                                                                        今日は、長男、次男と駒込駅で落ち合って、次男が懇意にしている司法書士の事務所へ行きました。私亡き後の財産処分について遺言書を正式に作って貰うためです。久しぶりに会う二人は、長男が61歳、次男が60歳、二人とも頭に白いものが目立ち始めていました。そういう私は既に真っ白。駒込駅の線路を隔てた土手一面に咲く「つつじ」は、まだ、三分咲きでした。

 東口を出てしばらく行くと文化座座長「佐々木愛さん」のお住まいのマンションです。その辺りが通称「文化村」で、佐々木愛さんが主宰する文化座の稽古場があります。テレビ朝日の丸山さんの紹介で、愛さんとお近づきになれたお陰で、「佐々木愛・舞台生活50年」の記念誌を、我が「N・N工房」作らせて貰うことになり、取材のため、どれだけ、この駒込駅に降り立ったことでしょうか。

 汗水垂らして、パソコンとプリンターだけで400部作り上げ、池袋のホテルで行われた記念式典の引き出物の一部として、参会者全員に差し上げたのでした。(このホームページのトップページに、その本の表紙だけが載っています)文化座を創設した佐々木邦枝さんの娘さんですから写真を多く使いました。奮発してグラビアの高級紙を使いました。

 納品に当たって、愛さんから「お幾らお払いすれば」と問われましたが、「一切、無料です」と言いたかったのですが、それでは恩着せがましいので、紙代として一冊100円だけ頂きます、といって4万円頂きました。幸い、記念誌は大好評でした。

 「夢中になって本作りに熱中する」その苦しさの裏返しが、無上の楽しさであることを教えてくれたのが、何度となく訪れた駒込駅だったのです。その後、トップページにあるような、自分の本や、人様の本を沢山作るようになりましたが、その最初の出逢いがこの駒込だったのです。

2024年4月19日    古酒の値段                                                                                                                                                                                                     古い話ですが、50年前の30歳台の頃、洋酒集めにうつつを抜かしていた時期があります。家を建て替え、洋間にグランドピアノを置き、その脇の飾り棚に、ブランデー、コニャック、ウイスキーなどを集めて悦に入っておりました。50年の間に、ウイスキーの全部は飲んでしまいましたが、何故か、今でもブランデーとコニャックが20本ほど残っています。寄る年波ゆえ、処分しなければ、と古酒買い取り業者に、今日、来て貰いました。

 あらかじめ、ネットで調べたところ、ナポレオンの「ブック」や、「樽」の買い取り値段は、一本20万から30万します。業者は一本、一本念入りに写真を撮っていました。そして、最後にのたまいました。「一本1000円で引き取らせていただきます」、「?!」

 即刻、お帰り頂きました。と同時に、あることを思い出しました。それは大分前のこと、銀製品や、僅かな宝石類を、ある業者に査定して貰ったはいいが、値段が折り合わず、そのままにしていたところ、いつの間にか無くなっていたのです。留守を見計らって、空き巣に入られ、盗まれた、と断定するに足る根拠があがりました。それと同じことが、起ころうとしているのでは、、、、、、

 これらの酒類は地下のピアノ室の蔵書の中に置いてあります。できるだけ早く、置き場所を替えるつもりです。親族にしか分らない、家のどこかに。いやはや、世の中は複雑怪奇です。

2024年4月18日    お 米                                                                                                                                                                                                   唐突ではではありますが、ふと、思うのは、生まれてこの方どれだけの量の、種類の「お米」を食べさせてもらって生き長らえて来たか?ということです。 幸いにも、旅ガラスの職業でもあったので、全国のほとんどの銘柄のお米を食べさせて貰ってきました。その上、お米を主食とする中国、台湾、タイ、ベトナム、カンボジア、ミヤンマーをはじめとする東南アジアのお米にもありついてきました。

 中には、これがお米か、と思われる「砂を噛んでいる」と錯覚するご飯もありました。ミャンマーのホテルのモノでした。ところがそのご飯に7色の香料の入ったカレーをかけ、薬草のシャンツアイと共に掻き込むと、あらあら不思議、美味そのものになるのでした。タイ・チェンマイに逗留中はお米に困りました。高級スーパーへ行って高額な日本のお米を買い求めていました。

 日本はお米に関しては幸せな国です。美味しい銘柄米が目白押しです。例えば、北海道では「ななつぼし」「ゆめぴりか」「ゆきひかり」、秋田は「あきたこまち」、青森は「晴天の霹靂」「まっしぐら」、岩手の「ひと目ぼれ」、宮城は「ささにしき」、長野は「ミルキーウエイ」、新潟は「こしひかり」そして、山形の「つや姫」。不思議なことに、北関東三県、千葉埼玉にはこれは、といえる銘柄米がありません。それは、東海、関西、中国地方でも同じです。僅かに岡山に「朝日米」、熊本に「三度のときめき」がある位です。

 沖縄はどうでしょう?あの狭い島国でも米を作っているのでしょうか?作っているのです。三銘柄あります。「ちゅらひかり」、「ちょにしき」、「ひと目ぼれ」です。一昔前、沖縄の「美ら海水族館」へ行ったとき、泊った「今帰仁」のホテルでそのご飯に出遭いました。日本一美味だ、と唸ってしまいました。

 今日は米びつが底を突いたので、これからお米を買いに行きます。毎日お世話になっているお米は山形の「つや姫」です。5キロ2240円。

 

2024年4月17日    躑 躅(つつじ)                                                                                                                                                                                                   練馬駅に隣接する文化センターの隣は躑躅公園になっています。あらゆる種類のものが植えられていて、連日、大賑わいです。

 太平洋戦争末期の頃、福島・浜通りの富岡駅前・大東館に集団学童疎疎開を強いられた国民学校二年生の私にとって、躑躅は貴重な食べ物でした。30人程の生徒は、朝起きるや、教育勅語の発声を強いられ、「次の世を背負うべき身ぞ、たくましく、正しく伸びよ里に移りて」という皇后陛下の歌を唱わされ、薄い味噌汁と菜っ葉のおしたしと、僅かな麦飯ご飯を、あたふたと掻き込んだ後、弁当箱を持たされて外に放り出されます。中身は、僅かな麦飯と納豆だけです。授業などありませんでした。目の前の富岡駅には毎朝、数台の客車を牽引した上野行きの蒸気機関車が釜焚きを始めています。やがて、ガラガラの客車を引っ張って、ゴトゴトと駅を出て行きます。どんなに、それに乗って母の許へ帰りたかったことか! 

 空腹ですから、弁当は昼にならないうちに食べてしまいます。時は春、至る所に躑躅が咲き乱れています。花をむしって口に入れると、僅かながら甘みが残ります。それが良くて良くて、、、、、ワラビ、ゼンマイ、ふきのとう、ハマボウフウ、、、食べられそうなものは、何でも口に入れました。

 あるとき、母親が富岡まで面会に来てくれました。サッカリンで甘みを付けた、ホットケーキ状のモノを30枚ほどお土産にして。全員が座敷に正座して「中沢さんありがとう」の合唱とともに頂きました。どんなに嬉しく、また、鼻が高かったか!

 その後、5月25日、新井薬師の家が空襲で焼け、母は着の身着のまま私を迎えに来てくれて、長野での生活が始まったのです。

 躑躅を見ると、その当時が思い出されて、胸が熱くなるのです。

2024年4月16日    本命同士の報復戦                                                                                                                                                                                                  一月ほど前、シリアのイラン大使館がイスラエルによって空爆されました。ハマスの拠点になっていたからです。「目には目を」、イランによる報復攻撃が、昨日、ありました。ドローン約170発、弾道ミサイル120発、巡航ミ30発、、、、イスラエルにはそのすべてを迎撃する「鉄のカーテン」という新兵器があります。打ち込まれたすべてが迎撃されたようです。

 問題はこれからです。ユダヤ人を殲滅させ、イスラエルという国をこの世から抹殺することを最大の目的としている、イスラム教の大本山・イラン。今回の報復攻撃で幕が引かれた、、、と見るのは浅薄過ぎるでしょう。単なる序奏、でしかないのではないでしょうか。

 それが分っているイスラエルのネタニヤフ首相。「やられる前にやりかえす」その暴走を止めたいアメリカをはじめとする欧米諸国。

 昨年10月に始まったハマスのテロ攻撃。その最大の後ろ盾のイラン。既に、半年が経過しましたが、収まる気配は未だありません。

 ロシアとウクライナ戦争は既に二年以上経過しているのに、関係は泥沼化しています。NATO諸国全体にも厭戦気分が漂い始めています。戦争というモノの幕引きは、古来から「難しいモノ」とされてきました。イスラエルとハマスの戦い、これ以上拡大しないことを祈るのみです。・ン

2024年4月15日    春の味覚                                                                                                                                                                                               日本の春の楽しみは、梅に続く桜でしたが、その次は何でしょう?それは山菜でしょうか。田んぼの畦に慎ましく顔を出す「ふきのとう」、続いて雑木林の中で芽を吹く「タラの芽」、「行者ニンニク」、「コシアブラ」、続いて「タケノコ」、「ワラビ」、「ゼンマイ」

 毎年、その時期になると車を駆して、埼玉奥の秩父国境まで、あるいは上越国境まで、タラの芽採りに出かけていました。天ぷらにすると香りが逃げるので、「サッと湯がいて醤油を垂らし、熱いご飯とともに掻き込」、美味この上もありません。最近は、栽培モノが出回っていますが、天然物と比べようもありません。続いて「コシアブラ」。同じようにして口に放り込みます。春の芳香が口いっぱいに広がります。

 この時期になると、東北6県の生鮮市場には山菜の山が築かれます。特に秋田の市場が豪勢でした。しこたま仕入れてきて、最後には持て余したこともありました。続いて「タケノコ」。京都の市場には小倉山にだけ採れる「小柄の白タケノコ」が並びます。美味の極地を行くタケノコだと私は思っています。竹林へ行って、まだ、地上に芽を出さぬタケノコを掘り出し、たき火にあぶって、むしゃぶりついたこともありました。

 桜の開花頃は雨続きだったのに、いまは、皮肉にも晴天が続いています。おまけに気温も高く夏のようです。山菜達の大慌ての様子が手に取るように伝わってきます。

2024年4月14日  大河内山荘の八重桜                                                                                                                                                                                                今日は気温も高く快晴ですが、東京練馬のほとんどの桜は散り始め、葉桜になりつつあります。京都とて、一足早くそうなっているでしょうが、八重桜はいまが満開です。この時期、行きたいな、逢いたいな、と思う桜が京都・嵐山の大河内山荘の、巨木の八重桜です。入場料を払ってだらだら坂を登り切ったところで、その巨木は「おいでやす」と迎えてくれるのです。緋毛氈に座ってその桜を見上げていると、お姐さんがお茶とお菓子を運んできてくれます。微風が吹いて桜の花びらが茶碗に入って来たりすると、今日の幸せを改めて感じるのです。

 いままでに、どれだけの回数、この山荘に足を運んだことでしょうか!でも、いまは行く気になれないでいます。何故なら、嵐山全体が外国の観光客で「ごった返し」しているからです。天竜寺の脇の竹林の小道を上りきったところにこの山荘は位置しているのですが、嵐山全体が連日、外国人観光客で大入り満員だそうです。

 何故、いま、日本全体に外人観光客が押し寄せてくるのか、不思議でなりません。恐らく円安の影響もあるのでしょうが、日本の治安の良さ、清潔なこと、日本が人種的差別をしない国であること、食べ物が美味しいこと、などが、人から、人へと知れ渡り、世界中の人々が「日本へ行ってみたい」と人気が高まっているせいもあるようです。

 それにしても異常です。先日、東京駅から練馬までタクシーを使いましたが、大行列している半数以上が外国人でした。

 

2024年4月13日  飯山陽さん、立候補                                                                                                                                                                                                今月、東京15区で、衆議院議員の補欠選挙が行われます。なんと、そこに、かの有名なイスラム学者飯山陽(いいやまあかり)さんが立候補しているではありませんか!学問の世界では飽き足らず、日本の政治を牽引していこうという意志の表れでしょうか。その心意気やヨシです。

 彼女はまた、ユーチューブでも番組を持っています。「いかりちゃんねる」という名前で、あたるを幸い攻撃の矢を放っています。 彼女のチャンネルの登録者数18万人。総再生回数3634万回にも上がっています。

 彼女の舌鋒は鋭く、日本のイスラム学者のほとんどに向けられています。彼女は東大の大学院で博士号を取得していますが、彼女に続く東大のイスラム学者の認識の甘さに愛想を尽かし、攻撃の対象としています。その攻撃の矢面に立たされている東大の中田教授などは、完全に彼女を否定しにかかっています。

 彼女の著書「イスラム教の論理」はベストセラーにもなり、大阪・東住吉教会の高原剛一郎牧師など絶賛しています。また、最近の「イスラム教再考」は私のベットの友になっていますが、問題は、それらが選挙に通用するか?でありましょう。

 東京15区は下町の本所、深川、中央、墨田、港、の辺りを言います。何と8人が立候補する激戦となっています。半数の4人が女性です。男性の中には、両足のない乙武洋匡さんもいます。はてさて、どうなりますことやら、、、、、、

2024年4月12日    バイデン主催・晩餐会                                                                                                                                                                                                   いかに支持率が低迷していようと、政局が不安定であろうと、国と国との約束事は半年以上前から決まっていることなので、ホゴにする訳にはいきません。岸田(冷凍透明人間)総理夫妻はアメリカ・バイデン大統領の招きで、国賓として「大晩餐会」に出席しました。出席者はアメリカの名だたる人達、クリントン元大統領夫妻、歌手のポール・サイモン、俳優のロバートデニーロ、、、、煌びやかな出席者に驚いた岸田総理夫人は旦那に向かって「これでは誰が主賓か分らないわね」と旦那につぶやいたそうです。岸田総理は開口一番、これを取り上げ、「妻が私にそう言いましたが、私もそう感じました。でも、大統領の隣の席に案内された時は、正直、ホットしました」それを英語でやったのです。会場は大爆笑となったそうです。

 「会場の笑いをとる、、、」演説者にとってこれほど難しいことはありません。しかも母国語ならいざ知らず、英語で会場を大爆笑させたのです。日本国の存在を、アメリカのお歴々に向かって印象づけたのです。咄嗟の機転とはいえ、なかなか出来るモノではありません。この点だけは岸田総理を褒めてあげましょう。日本の現実を見れば、この総理は不人気で、恐らく旬日ならずして退任に追い込まれるでしょう。だからといって、アメリカのお歴々を前にして会場を爆笑させる語学力を持った後任者は果たしているでしょうか? お寒い現実を我々は目の当たりにしているのです。申すまでもなく、日米のこれからに付いては問題が山積しています。私が高校生の頃「向米一辺倒を廃せよ」とい傾向が盛んでしたが、現実はそうはなりませんでしたし、これからも覆ることはないでしょう。ともあれ、岸田総理夫妻、ご苦労様でした。

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2024年4月11日    偽情報                                                                                                                                                                                                   一昔前の日毎の外部情報の入手は、テレビと電話と新聞でした。それがいまは複雑多岐に亘っています。テレビと新聞の値打ちは次第に衰え、いまは専ら、パソコンとスマホです。その両方には連日あらゆる情報が入ってきています。アウトルック、フェースブック、ユーチューブなど、これでもか、というぐらいの勧誘情報が飛び込んできています。銀行からのもあります。「あなたの暗証番号の再確認のため、再入力ください」区役所からもあります。「還付金があります。銀行口座番号をお知らせ下さい、、、」フェースブックにはかなりの有名人が「値上がり必須」だといって銘柄を上げています。森永卓郎ははともかく、そんなことやるはずのない池上彰まで登場させています。

 株とは既に縁を切っているので受け流していいのですが、アマゾンとかヤマダ電機などの名を騙って暗証番号を聞いてきます。大昔、それを信じて、アマゾンの言うがまま、カード番号を教えましたら、かなりの金額の詐欺行為にあいました。以来、ネットを通じての金銭のやり取りは十分注意するとともに、ほとんど遠ざかっています。

 ネットを利用し、善良な人々を騙し、ほくそ笑んでいる人間の何と多いことか! 情報化社会とは、一面、人と人との騙しあい社会でもあるのです。

2024年4月10日     豊洲場外市場                                                                                                                                                                                                    今日は朝から美事な快晴。花たちの喜びのざわめきがきこえるようです。「待ってました!」とばかりに、客人をお乗せして豊洲の場外市場へへ向かいました。懐かしい晴海通りを直進し、月島から有明に入り右折しました。驚いたのは、見渡す限り、辺り一面、高層住宅が林立していたことです。私がこの地区を担当していたウン十年前、ここは都民のゴミ捨て場であり、埋め立て地そのものでした。それが、いまは、億ションがひしめいているのです。満天下に名が轟いている大谷翔平もここに億ションを構えていて、時々、母親が来て世話を焼くとか。

 築地から移転を余儀なくされた「場外」は直ぐ見つかりました。ビルの中にせせこましく、一軒一軒が趣向を凝らし、開業していました。丁度、羽田空港の二階、「江戸風情商店街」に似せた佇まいでした。ほとんどの海産物は築地では屋台に無造作に置かれていたのに、ここではガラスケースの中に鎮座していました。衛生的ではあるでしょうが、荒々しさも面白さもなくなったように感じました。それでも、至る所、人、人、人で一杯。手頃な鮨屋に入って、かなり割高な一件を、悠然と流れる隅田川を眺めながら頂きました。

 帰途、右折が出来ないので、左折して隅田川を渡ると、途端にトンネルです。「ままよ」と入ると、出たところは溜池の交差点近くでした。これには驚きました。浦島太郎の心境でした。

 桜田門から半蔵門、靖国神社の桜にも敬意を表して、最後は新青梅街道の桜並木を通って帰って来ました。念願の「青空を仰ぎながら桜を愛でる」ことが、今日、ヤット叶いました。神様、ありがとう。

2024年4月9日     花に嵐                                                                                                                                                                                                    昔から、「花に嵐」という言葉がありますが、今日が、正に、その日でしょうか。風が吹き荒れ、雨が降っています。それに、気温も低い。昨日も曇天でしたが、三カ所の桜を見て回りました。高野台病院近くの石神井川を覆い尽くす桜並木。その近くの公園のシダレザクラの数本も5分咲きでした。続いて千川通りの約50本の桜。最後は練馬区の一等地豊島園そばの高級住宅地一軒一軒に植えられている桜、桜、桜、、、。

 折角、一年ぶりに花を咲かせたのに、紺碧の空の輝きを一度も背景にすることなく、雨に打たれ、風に飛ばされ、寒さに震えながら地面に打ち付けられる桜たちの気持ちはいかばかりでありましょうか。

 予報に寄れば、今週の関東地方は大雨の連続だそうです。「紺碧の空の下で満開の桜を仰ぎみる」ためには桜前線と一緒に列島を北上しなければなりません。あと、五日もすれば福島辺りが見頃でしょう。白河城跡、開成山、本宮の蛇ノ鼻公園、三春の天然記念物のしだれ桜、二本松の霞城、そして福島市郊外の、全山が桜でうまっている「花の山」。続いて、仙台、盛岡、青森、、、27日から29日までが弘前城公園の桜祭り。

 日本列島、最後の桜は会津の奥の平家の落人部落「檜枝岐」の桜です。見慣れた「吉野」ではなく山桜ですが、おもむきがあります。満開は5月5日ごろです。勇をふるって、その桜を観に行こうか、、、、、

2024年4月8日     岩崎ちひろ                                                                                                                                                                                               日本の優れた絵本作家であり、共産党議員松本善明の妻でもあった岩崎ちひろは西武新宿線・上井草駅近くに住んでいました。ご自宅は、いま、記念館になっています。私も学生時代の後半は上井草に住んでいました。歩いて5分とかからない距離でした。学費、生活費を稼ぐため、授業が終わると早稲田から都電に乗って、終点の茅場町まで行き、日本経済新聞社の発送部エフ係として10時半までしごとをし、入浴して、茅場町11時発の都電の最終に乗って、高田馬場ヘ戻り、西武線に乗り換え、自室に戻る毎日でした。司法試験に23歳で合格した共産党員松本善明は知っていましたが、彼が結婚した相手の岩崎ちひろが31歳であったことは全く知りませんでした。

 いま思うと、彼女の絵本は日本のアニメのハシリではなかったでしょうか。いわゆる少女漫画を突き抜けた斬新性が、そこにありました。

 今日、我が家に逗留していただいている鍋谷さんの希望で、「いわさきちひろ記念館」へ行きました。昔、一度行っているし、住み慣れたところだから、と安易に捉えていたことが災いして、探しあぐねてしまいました。漸くたどり着いた、と思ったら月曜日のため休館中。外回りから覗いてみても、繁盛しているとは言いがたい状況でした。時代とのギャップを改めて知らされた思いでした。

2024年4月7日     ドリアン                                                                                                                                                                                               日本のスーパーや、デパートの食品売り場へ行くと、あらゆる果物が売られていますが、無いものが一つあります。それはドリアンです。タイ・チェンマイでは道ばたに屋台が出ていて、歩きながら頬張ることさえできたのに、日本では、そんなこと、全く出来ません。

 あの独特の、強烈な匂いが「しとやかな」日本人には「あわない」とでもいうのでしょうか? 不思議で堪りません。タイ・チェンマイではこれからがドリアンの最盛期で、野菜市場へ行こうものなら、ドリアンが山と積まれています。しかも廉い。ただ、ドリアンを食べる場合、「禁じ」があります。「アルコールを飲みながら食べてはいけない」というのです。あるとき、薄々、それを知りながら、「ま、いいか」とばかりにワインを飲みながらやってしまいました。しばらくして、強烈な違和感が襲ってきました。身体を動かすのが困難になったのです。バンコック病院から救急車が来ました。どんな治療を受けたかは思い出せませんが、とにかく、二泊三日留め置かれ、八万バーツ払わされました。幸い、海外保険に入っていたので、全額が戻ってきた上に、健康保険からも戻りがきたので「これはいい」となりましたが、再び、あの嫌な気分にだけはなりたくありません。爾来、チェンマイに行く度に、ドリアンの恩恵に預かっているのですが、その日は、アルコールを遠ざけるようにしてきました。、、、、、、「ああ、ドリアン、食べたい!」、、、、、

2024年4月6日    桜、桜、桜                                                                                                                                                                                               3月31日の午後、福島・大野教会へ行く途中に立ち寄った世の森町の500本近い桜は、まだ、三分咲きほどでした。帰りの列車から観る桜は、首都圏に近づくに連れ、5分咲きぐらいになっていました。

 帰宅後、2日も3日も4日も、そして昨日も「光が丘の桜並木」、「神田川の両岸の桜」、「千川通りの桜」を観に行きました。昨日が満開を迎えていました。でも、不満です。青空が戻ってきていないのです。紺碧の空を背景に、咲き誇る桜を見上げる至上の時が、まだ、到来していないのです。なぜなら、ここ数日、雨もよいの薄ら寒い日が連続しているからなのです。

 なぜ、お天気は、こうも非情なのでしょうか!福島から帰ってきて以来、東京の空はどんよりとして、少しも青空を覗かせないでいます。しかも、薄ら寒く雨もよいです。この時期の私の希望は、「燦々と照りつける青空の元、満開の桜を仰ぎ見たい」ただ、それだけなのです。

 老い先短い、私です。今日までダメでも、明日こそ、その日をお与えください。

 と、ここまで書いて天気予報を見ると、残念ながら、今週は晴れの日がありません。「それでは」と、少しの食べ物と飲み物をもって、我が愛すべき近くの公園の桜の様子を見にへ行きました。老木の桜は満開でした。曇天の下であっても桜は輝いていました。全力をもって咲き誇っていました。満足しました。

2024年4月5日    大甘な処分                                                                                                                                                                                               自民党の裏金問題について、自民党による処分が発表されました。自分で自分の不始末を処分するのですから、大甘になるだろうとは予想されていましたが、今日の発表を新聞紙上で見る限り、予想以上の甘さが露呈されました。官房長官時代を含めて50億円も私した二階敏博に至っては全くのお咎めなしです。何故なら、本人が「次回の選挙には出馬しない」としたからです。それとこれとは別でしょう。それが世間の常識というものです。萩生田光一に至っては、政調会長の役職一年間停止、だけです。事件発生以来、政倫審への出席も断り続け、だんまりを決め込み、逃げ回っていた卑怯極まりない政治屋です。彼の選挙区である八王子の皆さんは、どんなお気持ちでしょうか? 

 今朝の朝日新聞は、「自民、コップの中の処分劇」、「無責任体質 幹部から若手まで」、「首相は不問、二階敏博氏の不出馬に便乗」、「土壇場の迷走、解明より党内事情優先」、「処分、市民感とズレ」、「実態解明されぬままの甘い処分」、「けじめにはほど遠い」などの大見出しが躍っています。

 これでは失墜した政治への信頼回復どころか、逆に不信に拍車をかけるのではないでしょうか。実態解明を置き去りにし、内輪の基準で結論を出しても、政治的けじめになっていないのではないでしょうか。

 世論はこれでは納得しないでしょう。近々、解散総選挙が噂されています。国民の大部分が自民党に愛想を尽かしているでしょうが、さりとて、自民党に替わって政治を担う政党が、今の日本にあるでしょうか?

2024年4月4日    上 海                                                                                                                                                                                               ユーチューブの「妙法」さんの解説によると、最近の中国の不況は思いのほか深刻で、大都市・上海でさえ、不況に喘ぎ、暗い雰囲気の中にあるそうです。20年ほど前、従弟の靖輝君が上海人の虞さんと取引が在り、中国製品を「日本文化センター」に卸していた関係もあって度々、上海へ行って三人でゴルフをしました。多分、15回ではきかないでしょう。乗っている飛行機が上海に近づくにつれ、立ちこめるスモッグのため下界が霞み始めます。都心までの道路は大渋滞で、いつものホテルに着くまで一時間以上かかるのがザラでした。しかし、どこのマーケットも活況を呈していて、ブランド品を所望すると、近所の隠れ家に案内されました。本物が格安で手に入りました。若い女性がわんさかいる「クラブ」も大盛況でした。5,60人が両側に並んで、出迎えてくれます。続いて、部屋に入ると5人ずつ、次々に現われ、指名されるのを待ちます。ほとんどの女性が片言の日本語を話しました。いま、上海のこういう場所も不況に喘いでいるそうです。

 「共産党員でなければ人にあらず」という傾向は益々強くなり、建設業は不良債権を抱え、習近平が唱えた「一帯一路」構想は世界中から総スカンを浴び始め、若者は就職口がなく、鳴りもの入りで出来上がった、国中を網羅する高速鉄道網も乗る人がなく、あまつさえ、世界は中国をiを異端視し始めています。

2024年4月3日    3メートルの津波                                                                                                                                                                                               今朝、いつものように、ゴーヤー朝食を摂っていると、突然、テレビが「沖縄地方に、3メートルの津波襲来」との報道がありました。「すわ、一大事!」沖縄那覇空港は波打ち際に位置しています。完全に水没し、離発着が出来なくなります。

 困ったことに佐藤彰牧師の孫娘「6年生のまひるちゃん」が、昨日だったか、今日だったか、沖縄へ団体旅行で出かけているのです。空港が使えなくなるとすると、、、、、。

 まもなく、地震の震源は台湾で、マグニチュードは7・2、との正式発表がありました。かなりの大地震です。しばらくして、津波の大きさは3センチ、と、訂正が入りました。ヤレヤレでした。それにしても、気象庁はどうしてこんな大きな間違いを、平気でするのでしょうか!

 今年、1月1日の能登半島大地震、その後の千葉沖地震、、、、、世界的に見ても地震の震度回数は、昔と比べものにならないくらい増えています。やがて予想される日本の大地震は、南海トラフ地震、そして東京大地震です。地震の起きる確率は極めて高いそうです。

 願わくは、東京大地震は、私があちらへ召されてからにして貰いたいものですが、どんなふうに私の家が潰れ、東京が廃墟と化すのか、見極めてから召されたいものだ、との思いも去来しています。

2024年4月1・2日  罹災地・大熊町                                                                                                                                                                                                 31日、イースター礼拝が終わって、全員で昼食をいただいたあと、われわれ、チェンマイ組は佐藤先生の車に乗せていただいて、常磐高速を北上し、放射能罹災地・大熊町に向かいました。福島双葉原発の隣町ですから、ほとんどが立ち入り禁止区域です。磐城・平を過ぎると高速道路の交通量は極端に少なくなります。ほとんど、毎年のようにきているのですが、それでも、少しは多くなっているように思いました。途中、大野と富岡の中間に位置する夜ノ森町に寄りました。佐藤先生がお住まいになっていた家、先生がお建てになった大きな夜ノ森教会、見せて貰いました。夜ノ森は桜の町です。街路樹を含めて500本以上の桜が植えられています。桜はまだ三分咲きぐらいでした。

 驚いたのは、佐藤先生が数年前に再建した大野教会の周辺です。何時の年に来ても、教会の周辺は「草ボウボウ」でした。それが、新築の一軒家の集合住宅に変わっていたのです。住宅の真ん中に教会が位置するようになっていたのです。聞けば、家賃は格安で2~3万円だそうです。

 咄嗟に閃きました。余生はここの住宅を借りて過ごそうか、と。教会の礼拝の賛美歌の伴奏を引き受けて過ごそうか、と。思えば、東京大空襲を避けて、隣町の富岡駅前の大東旅館に集団疎開しました。食べ物がなくて、つつじの花をむしって食べました。朝日新聞に入社し、福島県を5年間担当しました。部長になっても、局次長になっても、福島県は管轄下にありました。福島県で死ねるなら本望というものです。

 なに、放射能など怖くも何ともありません。返って、雑菌を殺し、イノチを長らえさせてくれるかも知れません。

2024年3月30・31日  泣いた中沢                                                                                                                                                                                                 タイ・チェンマイからわざわざお出でいただいている、日本語キリスト教会での友人鍋谷さん、梶原さんらと共に、11時の上野発の特急日立で福島・泉の「翼の教会」へ向かいました。駅にはわざわざ佐藤彰牧師が迎えに出てくださいました。その晩は教会内の宿泊施設に泊らせて貰いました。

 さて、翌日の日曜日。たまたまイースターと重なったので大勢の教会員さんの前で「私・中沢信男の受洗儀式」です。白装束に着替え、祭壇の奥にしつらえられている受洗槽に入り、佐藤牧師の手で頭もろとも水中に、ほんの一瞬、沈み込まされました。幸いにも水はぬるま湯でした。素早く着替えて、今度は私自身のマイクを握っての「あかしのことば」です。何度も書き直しているので、空で言えるのですが、始めて一分と経たないうちに、心の底からこみ上げるものがあって、泣き出してしまいました。言葉になりません。泣きながらの言葉だけが響き渡り、場内は静まり返りました。誠に、誠に、恥ずかしい仕儀となってしまいました。

 人前で泣いたことは、たった、一度だけあります。目黒の洗足幼稚園に通っていた頃、童謡の「キシャポッポ」を独唱したときです。後ろの席で心配そうに観ている母親と目が合ってしまった途端、涙声になってしまったのです。それでも、泣きながら歌い終えて壇上から降りてくると、いつものいじめっ子が「もっと泣け、もっと泣け!」と憎々しい声で言いました。

 学生時代から懸案であった「キリスト者」。このたび、中沢信男という男は、「切なる招き」に呼応し、泣きながら「崖を飛び越え」させていただいたのです。

2024年3月29日   甘すぎる日本外交                                                                                                                                                                                                パレスチナ難民を支援するため生まれた、国連組織「UNRWA」がハマスに転じた国連職員に乗っ取られ、この世界からの義援金がイスラエルへの攻撃資金に転用されていたことが判明して以来、まだ、旬日しか経っていません。その上、この組織が透明性を伴う組織に生まれ変わったかどうか、それすら、未だ、闇の中です。ああ、それなのに、それなのに、アメリカ始め主要国が再開途上にあるかどうかも確認せず、日本国が再開に踏み切ったのです。支援金額は52億円。それを決めたのは誰か?日本国・女性外務大臣上川陽子です。

 アメリカやヨーロッパ諸国に次いで、日本国として資金提供中止に舵を切ったのは、僅か半年前の10月です。最大の目的はパレスチナ人への支援であったにも拘わらず、世界各国からの支援金の大部分がハマスに流れ、イスラエル攻撃のための武器・弾薬になったようでした。この金を流用して、ハマスの幹部には、自家用ジエット機を乗り回す者もいた、言われています。

 一体、組織の改編・改革は、半年やそこらで変わるものでしょうか?アメリカやヨーロッパ諸国は再開に慎重な姿勢とり続けています。

 再開に踏み切ろうとしているのはオーストラリア、カナダ、それに日本の三国だけです。アメリカまでもが慎重な姿勢をとり続けているにも拘わらず、何故、日本だけが飛び抜ける行動に踏み切ったのでしょうか? それは外務大臣が女性だからでしょうか?女性特有の哀れみからでしょうか?

 私は断固反対です。パレスチナ難民の救済は、裕福なアラブ諸国がやるべきです。アラブ諸国の真の目的はイスラエルという国を構成するユダヤ人をこの世から抹殺し、イスラエルという国をなくすことにあるからです。この辺の「くだり」は飯山陽さんの最近の著書に明らかです。

2024年3月28日    愛子様                                                                                                                                                                                          一昨昨日、天皇・皇后の一人娘、愛子さまが、伊勢神宮へおいでになりお一人で参拝されました。今年、学習院大学をご卒業され、日本赤十字社にご就職なさるようです。帽子から靴、お洋服まで、真っ白に統一された装いで、沿道に詰めかけた群衆に笑顔で応じながら、小雨降る中を傘をさしてゆっくり歩まれておりました。神殿に向かって、いざ、拝礼となったその時、当然、雨は止み、日が差こみました。

 群衆は驚きました。その画像を見て私もビックリしました。これはすなわち、祭られている天照大神が、愛子様を祝福するため、天の力をして雨を止め、陽の光を贈ったのではないか、と。例えそうではなく、偶然おきた自然現象としても余りにできすぎています。人々は思いました。次の時代の日本天皇は、秋篠宮の長男ではなく、女性皇族の愛子様ではないか、と。歴代の天皇がそれを望んで居られるのではないか?と。

 私自身も愛子様にそうなって欲しい、と願っている一人です。女性天皇の登場! いいではありませんか! 母親の雅子様同様、愛子様には気品が漂っています。日本国の象徴に相応しい、知性と教養を身につけておいでになります。その上、学習院を優秀な成績で卒業され、日本赤十字社に勤務なさいます。近い将来、男性天皇を固執する反対派がまかり出るでしょうが、国民の大部分は愛子様を支持するのではないでしょうか?

 類い希な気品と美しさを備えた愛子様の天皇即位を見届けてるまではあの世に行きたくありません。

2024年3月27日    斑鳩の里                                                                                                                                                                                          昨日、有楽町の朝日ホールで、「法隆寺・これから10年の展望」というシンポジウムが開かれました。法隆寺管長の古谷正覚さん始め、お歴々がこれからの展望を語りました。

 朝日学生新聞社の大阪支社へ寄った帰り、奈良へ寄って「斑鳩の里」を足に任せて歩き回ったことがあります。東大寺、興福寺、法隆寺、中宮寺、秋篠の寺、、、などなど。中でも法隆寺は一日がかりでした。バスを降り、正面の南大門を見据えながら仲見世通りを直進し、境内に入ります。金堂は焼失を免れましたが、壁画は無残でした。いまは拝観禁止ですが当時は垣間見ることが出来たのでした。伽藍内は廻廊で繋がっていますが、その廻廊の屋根を支える横木に「やっつけ仕事」の一本があることを発見し、有頂天になったことがあります。

 経堂、講堂、夢殿、中宮寺、宝物殿などなど、おまけに、裏へ回って土塀の外まで観て歩きました。半日は費やしたでしょう。流石に疲れて休息所に入りました。夕暮れが迫り、庭師の小父さんが落ち葉をかき集めている以外、私一人でした。休息所ではお茶は飲み放題でした。一口頂いて唸りました。余りに美味しいお茶だったからです。「流石、法隆寺!」と納得してしまいました。

 昨日の朝日ホール、専門家達によるシンポジウム、前もって知っていれば、万難を排して参加していたろうに、惜しいことをしました。

2024年3月26日    7月・ピアノ発表会                                                                                                                                                                                     今日、月3回のピアノ教室へ行ったところ、先生から今年も合同発表会を7月、練馬文化センターで行う、どうする?と聞かれました。

 3年前は先生との連弾でスラブ舞曲をやりました。2年前はプーランクの荘厳な練習曲でした。昨年の7月は鼠径ヘルニアの手術の後遺症で歩くこともままならず、ウンウン唸っていました。先生から「また、連弾をやりましょうか? シューベルトの幻想曲OP103ーD40など如何ですか?」と問われました。

 何たる偶然でしょうか! 私が苦労に苦労を重ね、やっとの思いでヤマハ本社の楽譜売り場から取り寄せた、独奏用の楽譜の原本、連弾用のことをおっしゃるのでした。この曲については今月20日の当欄で触れていますので、詳しいことは割愛しますが、この曲を先生と連弾できる!しかも、文化センターのような大きな会場で!

 即座にOKしました。帰宅するやいなや、ヤマハの楽譜売り場に件のシューベルトの連弾用楽譜の送付をお願いしました。大きな目標が出来ました。嬉しさ、この上もありません。

2024年3月25日    よくぞ、けっぱった                                                                                                                                                                                    昨日の、大相撲千秋楽で青森県出身の「尊富士・たけるふじ」が初入幕ながら、十三勝二敗で優勝を果たしました。初入幕で優勝とは110年ぶりだそうで、青森県中が沸きに沸いています。青森は相撲が盛んな土地として昔から知られています。希代の横綱若乃花を輩出したお国柄でもあります。このところ、大相撲はモンゴル勢にやられっぱなしでしたから、久々に日本力士の優勝、ご同慶です。

 私の応援力士は数人いるのですが、あまり、パッとしません。「遠藤」などどうしてしまったのでしょうか。いまは大横綱「大鵬」の孫「王鵬」を応援しています。

 早稲田に在学中、必須科目に体育がありました。理工学部の裏に土俵を構えた早稲田相撲部がありました。身体は大きい方なので「ま、なんとかなるだろう」と入りました。はじめはパンツの上からの「マワシ」を締めて貰って土俵に入り、仁王立ちになった先輩を押し出します。すると、先輩はくるっと後ろ向きになって「まだ、まだ」といいます。再び繰り返します。仕舞いには、息が上がって土俵に倒れ込みます。それでもなお、先輩は私を踏みつけ「まだ、まだ」といいました。

 身体が大きく運動神経もそこそこであったため、相撲部への入部を、時の指導者「笠置山関」から勧められました。食べ放題の「ちゃんこ鍋」の魅力もあってしばらく在籍しましたが、アルバイトの時間と両立しないため、辞めさせて貰って、今度は憧れていた早稲田男声合唱団「グリークラブ」へ入れて貰いました。入部の際は音叉による試験があリました。しかし、ここもアルバイトの時間と両立せず、半年ぐらいで辞めざるを得ませんでした。何しろ、仕送り一切なしで生きていたのですから。しかし、お陰で密度の濃い学生時代を送らせてもらいました。

2024年3月24日    土地の領有権                                                                                                                                                                                    日本の人口は1億2000万人。アメリカは3億4000万人。それに対して中国は14億4200万人。桁が違います。更にインドは14億4900万人で、中国を追い抜き、世界第一位です。

 この世界第一位のインドと第二位中国は国境を接しているのですが、その距離なんと3440キロ。その周囲にはネパールやチベットの国がありますが、中国とインドが、シッキム州のナラクを中心に激しい国境紛争を展開しています。俗にカシミール紛争とも呼ばれ、双方、一歩も妥協を許していません。最近は、中国側が攻勢に出て、インド側に死者が出たため、インドは怒りを倍加しているようです。日本も中国とは尖閣列島の領有権を巡って、中国との問題を抱えています。東シナ海ではベトナム、フィリピンが中国の横暴な振る舞いに、怒り心頭を発しています。

 戦争とは、詰まるところ、土地の領有権の争いに他なりません。昨年10月7日におきたイスラエル紛争は、イスラム教主義の中東諸国が、パレスチナ人の為の世界からの救援金を国連の職員まで味方に引き入れ、ハマスを使ってユダヤ教のユダヤ人をこの世から抹殺しようと企てた、土地争いでもあるのです。ウクライナ紛争とて同じ図式です。ロシアはウクライナを自分の支配下に置きたいがため、大勢の両国民に犠牲を強いているのです。

 仮に、中国とインドの国境紛争が拡大したらどうなるでしょうか?中国が台湾に手を出した時が、インドのチャンスであろうと。中国に対して大規模な攻勢をかけるだろうと。両国とも核保有国です。

 ヒマラヤ山脈上空を核弾頭が飛び交う様を見てからあの世へ行きたいモノです。

2024年3月23日   幼い鰹のにぎり                                                                                                                                                                                   築地から移転を余儀なくされた有明の魚市場へ行く大きな目的の一つは新鮮で美味しい「お寿司」にありつくことです。近々訪れるタイ・チェンマイのお仲間をお連れするのですが、果たしてどんなお寿司にお目にかかれるのか、興味津津です。タイ・チェンマイにもお寿司屋さんはありました。二軒ありました。スーパーにもありました。ほとんどがサーモンの握りでした。それもノルウエー産の養殖サーモン。最も危険な食べ物です。何故なら、そのほとんどが養殖で、身体に危険な薬品まみれであるからです。その上、サーモン特有の寄生害虫「アニサキス」。あるとき、買ってきた鮨の中に這いずり回っているその虫を発見したことがあります。「ゾット」しました。それ以来、どんなときでもサーモンは敬遠しています。

 実は、マグロも問題ありのようです。近畿大学がマグロの養殖に成功して以来、人体に有害な薬品が大手を振ってまかり出ている、という噂なのです。値段の高い「ウニ」といえども、いまは養殖されているようで、薬害がないとは言えないようなのです。しからば、何を食べたらよいのか? と箸休めの「ガリ」に手を伸ばすと、「ちょっと待った!」ほとんどが韓国産なのです。

 いままで生きてきた「鮨体験」で何が一番であったでしょう。それはいまと同じ時期、沖縄・石垣島の鮨屋でお目にかかった、黒潮に乗って北上する前の「鰹の幼魚」の握りでした。爾来、「鰹の握り」が欠かせなくなりました。これからが鰹の季節。楽しみです。

2024年3月22日   築地場外市場                                                                                                                                                                                   もう、大分昔のことですが、有楽町の日劇と並んで朝日新聞社がありました。いまはその二つの建物はありません。朝日の跡地には西武デパートが、日劇の跡地は関西の阪急デパートとなって繁盛しているようです。築地の魚河岸前に移転した朝日新聞社は、15階建ての巨大な建物になって、我々の販売局はその12階に陣取り、向い隣りの「癌研病院の巨大な建物と共に、辺りを睥睨していました。今度は、魚河岸そのものが、埋め立て地・有明に引っ越しました。それと共に、築地場外市場もそちらに移転です。いま、古巣の朝日12階から見る築地場内・場外市場は廃墟同然です。東京都の所有地だそうですが、未だに、跡地がどうなるのか、決まっていないようです。

 一方、埋め立て地「有明」に遷った築地の場内・場外市場は、いまや大賑わいだそうです。折から、円安の効果のお陰もあってか、外国からのお客様で大賑わいだそうです。殊に場外市場は、昔以上の繁盛振りだそうです。昔の築地と違って、宏大な敷地の駐車場は大混雑のようです。行って、様子を見てきたいではありませんか。

 今月27日に、タイ・チェンマイから客人2名がおいでになってしばらく逗留されます。いい機会が訪れました。我がボロ車にお乗せして、「有明」におもむき、場外の「鮨」を堪能してくるつもりです。

2024年3月21日    女性的ものの見方                                                                                                                                                                                最近、といっても1~2年ぐらい前からですが、朝日新聞の記事の最後に、括弧付きで発信した記者名が記載されるようになっています。それも、このところ女性名が多くなっています。ということは、客観的ニュースの伝達であっても、女子の目から見た伝達記事になることは否定できません。つまり、朝日新聞自体が「女性的になった」と言えるのではないでしょうか?

 私が入社した1961年頃には、社内には女性記者は2名しかいませんでした。家庭部に一人、企画部に一人。専ら、ファッション関係の記事を専門にしていました。その後、外語大出の松井やよりが入社してきました。戦時下の慰安婦問題が俎上に上がり、韓国との仲が険悪になりました。

 いま、社内報に載る新入社員の合同写真を見ると、女性社員が半分以上です。女性の方が男性より優秀、という見方もあるでしょうが、優秀と思われる男子学生は、新興のIT産業の方へ舵を切っています。紙による情報伝達産業は、既に、時代遅れであることを悟っているからです。新聞にとっての悲劇は、一時は人気のあったこの産業が、次第に人気を失い、落ちぶれ、行く末を悟った優秀な記者達が、続々、新聞社に見切りを付け依願退社していることです。この現象も女性記者の異常な台頭と無縁ではないでしょう。

 今朝の天声人語は、ハッキリ、女性が書いたモノと分るものの見方でした。恐らく紅一点の郷富佐子さんが筆者でしよう。

 荒垣秀雄、入江徳郎、疋田桂一郎、深代淳郎、辰野和男などの天声人語筆者の先輩方は、どんな思いでいることでしょうか。

2024年3月20 日   F・モール「幻想曲」                                                                                                                                                                              探しに探しあぐねていた貴重な楽譜が、昨日、銀座のヤマハから届きました。シューベルト作曲・幻想曲0p90・Fモールです。Fモールとはヘ短調のことです。この曲は元々、ピアニスト二人のための連弾用として作曲されたのですが、クズネソフというロシアのピアニストが独奏用に編曲した貴重な楽譜なのです。そのためかどうか、10ページ足らずの楽譜なのに5千円を超える値段でした。

 さて、この曲は三連音符の「呼びかけ」から始まります。閉ざしていた心の底の底に優しく呼びかける天上からの招きです。しかし、はじめの典雅な響きはやがて悪魔による支配に身をゆだねます。かなりの技術がなければ弾きこなすことが出来ない曲想が現われます。そして、最後は、天国とはかくありなむ、となって終曲です。かなり難易度の高い曲です。なぜ、私がこの曲に惹かれるのか?

 私が中学生の頃、長野市柳町中学校の音楽室のピアノを使って作曲し、信州大学のコンクールに応募したところ入賞し、NHK長野放送局から自身がピアノを弾いて放送されたことがあります。暗くて音の反射のない部屋のピアノでしたが、7分もかかる曲でした。その曲名が「幻想曲・Fモール」。シューベルトの曲名と同じなのでした。心に沁みるシューベルトの曲も<ヘ短調>。そして、放送させて貰ったのも<ヘ短調>。この偶然は何としたことでしょう。やっと、入手できた貴重な「ヘ短調」楽譜。シューベルトを偲びながら一ヶ月かけて弾きこなす積もりです。                                                                                                                                                

2024年3月19 日   驚きの選挙結果                                                                                                                                                                               一体、ロシア国民の意識はどうなってしまったのでしょうか?一昨日開票された大統領選挙で、5選目を狙う71歳のプーチンが87%の高得票率で当選を果たしたのです。ロシアの有権者の6割以上がプーチンに票を入れたのです。何とも驚くべき結果です。これにより彼の任期は、20年の憲法改正により、更に2期12年の任期が可能になったのです。       何たる結果でありましょうか!つまるところ、ロシア国民はこの戦争の継続を望んでいるのです。更なる徴兵令が出れば応じよう、と意思表示したのです。

 この結果に失望の色を隠せないでいるのは、恐らくゼレンスキー大統領以下ウクライナの人々でしょう。次いで、ヨーロッパの全部の国が加入しているNATO諸国ではないでしょうか?ロシアとの開戦が現実味を帯びてきたからです。

 私はロシア国民に対して疑問を投げかけます。そこにどんな巧妙な仕掛けが隠されていようと、今後12年間プーチンの時代が続くことになったのです。歴史を振り返っても独裁者は戦争を好みます。自分の権勢を誇示するためです。旧くはアレキサンダー大王がそうでした。ローマ皇帝然り。ドイツのヒットラー然り。日本軍部もそうでした。

 恐らく、これからはウクライナの敗色が濃くなるはずです。NATO諸国としてはそれを無視できるでしょうか?第三次世界大戦の勃発です。その予兆として現われたのが、今回の巧妙に仕掛けられたロシアの大統領選ではなかったでしょうか。

2024年3月18 日   内憂外患                                                                                                                                                                                昨日、4kチューナーを内蔵する4kスマートテレビP615シリーの液晶テレビを取り付けて貰ったのはいいが、その操作が実に、実に複雑怪奇で、辟易しているところです。分厚い取り扱い説明書はあるのですが、読めば読むほど分らなくなります。複雑さの要因は、旧いテレビのリモコンと新しい方のリモコンの両方を、同時に使い分けることにあります。旧い方のだって、未だ、完全操作できていないのに、新たに4kが加わったのです。一番楽しみにしていたユーチューブのアップなど、アッチコッチいじればいじるほど、トンデモナイ方向に導かれてしまっている次第。

 ということは、このスマートテレビは「年寄り向きには出来ていない」ことが分ったのでした。だからといって、今更、返品するわけにはいかないでしょう。年寄りにとって、時間は有り余るほどあります。私とて同様です。完全習熟に向かって努力しよう、と決心しているところです。と、ここまで書いたところで、アラ汁が思い出されての「銚子丸」へ出かけました。ところが外は思いの他の大嵐。風速30メートルはあったでしょうか。いわゆる「春一番」なのでした。従って、マスクをしていても鼻水は出るは、目は痒いは、慌てて、目薬と鼻のスプレーのご厄介になりました。内憂外患とはこのことをいうのでしょうか。

2024年3月17 日   新しいテレビ(その1)                                                                                                                                                                              最近、テレビの音が濁ってきて、聴きづらくなりました。機種の音声の劣化か、それとも私の耳の老化か、判断がつきません。先ず、機種の劣化を疑い、新しいモノと交換することにしました。馴染みの平和台PCデポの店長・沼田さんが本日、新しい機種を持ってきてセッテイングしてくれました。くだんの新品は大型画面で音は明瞭そのもの。私の耳の劣化ではないことが分かり、一安心です。しかもこのテレビ、4Kチューナーを内蔵しています。だから、地上波はもとより、BS、CSなどなど、あらゆる電波が映し出されることです。いままでIPADだけが頼りだったユーチューブまで見られるのです。これには驚いてしまいました。日曜日毎の福島「泉」教会・佐藤牧師のお話、大阪の高原牧師の蘊蓄ある講演、見ようと思えば、明瞭な音声のもとで、接することができるのです。しかも、料金が安い。月額1250円で四年間払い。

 目標が一つ加わりました。この代金を支払い終えるまではあの世へ行くわけにはいかない、と。

2024年3月16 日   春、春、春                                                                                                                                                                              遙かヨーロッパのある国から送られて来ている春の写真です。昨日、練馬の千川通りの桜並木で、一番若い、と思われる一本が満開になっているのを見つけました。青空のもとで見上げる満開の桜、、、、。

2024年3月15 日   一錠5000円の薬                                                                                                                                                                         今日は、昨年10月から通い始めた「練馬・光が丘病院」の診察日でした。相変わらず病院は、私と同世代の老人たちで溢れかえっていました。血圧は128-72。酸素濃度は98。肺の写真に変化は見られませんでした。しかし、処方された薬はまたしても「オエッブ」、一錠5000円もする薬です。これを朝晩服用。1日1万円にもなります。一ヶ月で30万円。しかし、高額医療費免除のため自己負担は17000円で済みます。10月から服用を開始していますが、私の持病である「間質性肺炎」は回復の軌道上にあるのでしょうか? 残念ながらその兆しはありません。担当の船橋雄大医師の説明では、間質性肺炎を治す薬は世界中探してもいまはない。しかし、進行を遅らせることは出来る。それがこの「オエッブ」という薬だ、とおっしゃるのでした。

 私が幼稚園生だった頃、目黒の洗足池の近くに住んでいました。かかりつけの病院は近くの「市橋医院」。肺門リンパ腺炎でそこへ行くのに、医師はその度に「坊ちゃん、おポンポンはいかがですか?」と聞くのでした。しかし、長ずるに及んで、病院のお世話になったことは一度もありません。典型的な健康優良児だった、と自負しています。その勢いのまま定年を迎えましたが、その頃、團伊久磨を真似てパイプ煙草に手を出し始めました。その結果の間質性肺炎の発症です。伊久磨さんは77歳でお亡くなりになりましたが、同じく同病の中江利忠元朝日新聞社長は93歳を超えて益々お元気です。読売の「ナベツネ」もパイプ党でしたが、恐らく95歳になろうというのに、訃報は伝わっていません。「オエッヴ」を超える治療薬が現われるまでこの薬のお世話になるつもりです。

2024年3月14 日   知らなかった、で済むか!                                                                                                                                                                    いま、政治倫理審議会は衆議院から参議院へ移っています。今日の夕刊一面には自民党の参議院幹事長の世耕弘成氏の登場です。そして「裏金知らなかった」、「環流復活経緯、分らない」、そして「裏金作りについて、派閥で裏金化が行われていることを一切知らなかった」、「自分は関与していない」、と堂々と「シラ」を切りました。

 衆議院の政倫審でも出席者の全員が「知らなかった」「自分は関係ない」のオンパレートでした。醜い!余りにも醜い!呆れ果てて、開いた口が塞がりません。

 企業側にも責任はあります。政治資金パーテイのパーテイ券を企業はよろこんで購入しています。日本の企業は、そのほとんどが安定した政治の中にあって活動できているのは、保守政治、自由民主党のお陰である、と自覚しているからであります。経団連がその一翼を担っているのです。

 現役の時、宣伝部長から子会社の社長に出向しましたが、取引先からある政治家のパーテイ券を買ってくれ、と頼まれたことが何度かありました。一枚2万円の券、纏めて購入せざるを得ませんでした。行ってみました。人でごった返していました。形ばかりの飲み物とつまみの他、何も出ませんでした。

 いま、自民党の政治家たちは、明るみに出てしまった脱税行為を隠しに隠そうと躍起になっています。私は思います。日本の経済の高度な成長は自民党によるところが大きかったのです。この際、旧来の陋習をきっぱりと改め、裏金はあってもいいから、きっちっと税務処理をし、国民に恥じない、清潔な政治に立ち返って貰えばいいのです。この際いっておきましょう。権力にしがみついている80歳以上の者は去れ!と。

(世耕弘也は早稲田の後輩です。申し訳ありません。)

2024年3月13     となりのトトロ                                                                                                                                                               本来ならピアノに向かう夕方の時間、パソコンの「ジブリ」を開いて「となりのトトロ」を観てしまいました。この作品、何度観ても飽きないから不思議です。幼い姉妹の「サツキ」ちゃんと「メイ」ちゃん。のどかな田園風景と、そこのぼろ屋に移り住む父と姉妹。それを世話するおばあちゃん。孫の健太君。七コック病院に入院中の二人のお母さん。林の中に迷い込んだメイちゃんが、突然、遭遇する「怪物トトロ」。雨の日に突然現われる「猫バス」。すべてが、のどかな田園の風景の中で、恰も、現実に起こりうる描写力の中で展開されていきます。しかも、ストーリーの展開が「ハラハラ・ドキドキ」の連続。そして、見終わって、自分の気持ちが穏やかで、暖かくなっていることに気づくから、いよいよ持って、不思議な作品、といわざるを得ません。            かくなる上は、受賞作品「きみたちはどういきるか」を早急に観に行く積もりです。

2024年3月12 日   アカデミー賞                                                                                                                                                       「千と千尋の神隠し」「風立ちぬ」「崖の上のポニュ」「ハウルの動く城」「毛虫のポロ」「もののけ姫」「となりのトトロ」「紅の豚」「魔女の宅急便」「風の谷のナウシカ」「天空の城ラプタ」「ルパン三世」、、、そして、今回二回目のアカデミー賞受賞となった「君たちはどう生きるか」、、すべて宮崎駿の作品です。

 これらの作品のほとんどは、私のパソコンに入っていて、時折、カーソルを当てて見入ります。一番好きなのは矢っ張り「となりのトトロ」でしょうか。前回のアカデミー賞受賞は「千と千尋の神隠し」でした。

 宮崎駿は既に83歳。にも拘わらず、創作意欲が全く衰えていないのは驚異以外の何ものでもありません。ということは「モノを作り出す」ことに夢中になる人生であれば、長寿が約束されるのでしょうか?

 でも、ごく最近、「少年ジャンプ」に掲載され全世界で2億6000万部以上発行された「ドラゴンボール」の著者鳥山明さんは、つい最近68歳で亡くなっています。急性硬膜下出血だったそうです。人生は不可解なモノのようです。

2024年3月11 日   杉花粉                                                                                                                                                         昨日と一昨日、特急日立で福島泉まで飽かず外を眺めていて、改めて気づいたことは、「何と、関東平野には杉木立が多いことか」でした。至る所に花粉をつけて色の変わった杉木立がありました。停車して扉を開けている間も、花粉は車内まで飛び込んで来ていました。

 宣伝部長だった当時、筑波山麓に学園都市構想が生まれ、宇宙センターや、研究機関が続々と土浦・奥まで移転していました。教育大学まで移転し、筑波大学となりました。とうとう、筑波万国博覧会まで開催の運びとなりました。朝日新聞の組織の中に森林組合まで生まれ「植樹奨励」が合い言葉となる時代でした。宣伝部長として、朝日新聞として何かやらねばなりません。思いついたのが「記念植樹」です。「筑波山麓に木を植えよう、あなたのお名前を刻んだ石碑を建て、お名前を永久に残そうという」という運動の展開でした。思いの他のご寄付が集まりました。寄付者のお名前を紙上に載せたこともあって、その数、数万人となりました。主催者として筑波山に建てられた石碑を見に行きました。確かに、筑波山の一隅にそれはありました。その後のことは、残金と共に森林組合にお任せし、宣伝部を去りました。

 その後の話しによれば、植樹は「檜」を所望したのに、ほとんどが「杉」であったようです。今となると、植えられた杉は成木となり、大量の杉花粉を関東平野に飛来させているのです。そこまでは、私としても考えが及びませんでした。今の時期、花粉症に悩む人々の数は減ることがありません。そして、私自身も花粉症患者の一人です。今更謝っても仕方ありませんが、世間様に対して申し訳ないことをしてしまいました。誠に、誠に申し訳ありませんでした。

 

2024年3月9・10 日                                                                                                                                                         9日の朝、11時の特急日立に乗り、福島・泉で下車し、「翼の教会」へ行って佐藤牧師にお会いしました。懇切丁寧なお話を伺ったのち、夕食を共にして頂き、教会の付属施設である「ゲスト・ルーム」に泊りました。3月11日はあの忌まわしい東北大震災から13年目の日です。この日は、奇しくも佐藤先生の誕生日でもあったのでした。

 朝5時半、テレビを点けました。福島テレビに佐藤先生が映っていました。30分番組の中で、双葉原発崩壊による放射能汚染で、住めなくなった大野教会の教会員40名を連れて、会津へ逃げ、山形に逃げ、ついには奥多摩町の施設へ移り住んだご苦労が語られました。筆舌に尽くせぬご苦労がそこにあったのでした。

 10日は福島・泉の「翼の教会」の記念礼拝でした。先生と苦楽を共にした教会員ほか、100名程による祈りの会でした。フィリピン教会員のご寄付による軽食を全員で頂き、泉発2時29分の特急日立に乗り帰京いたしました。先生自ら、車で駅まで送って下さいました。

 12月の時は車を運転して泉まで行ったのでしたが、運転に気を取られて、何も考え、感じられませんでした。しかし、列車だと違います。行きも帰りも、始終、外の景色を眺めていました。都内上野から始まって、千葉県、茨城県、福島県の各駅毎に、その町の当時の朝日新聞販売店の所長さんたちの顔が浮かんでは消えました。堪らない貴重で懐かしい時間でした。

2024年3月8日    團伊久磨                                                                                                                                                   一昔前、朝日新聞は「アサヒグラフ」を発行していました。その巻末には、いつも、團伊久磨の名エッセイ「パイプのけむり」が掲載されていました。私はその随筆が好きで好きで、この雑誌が発行されるとそれが掲載されている巻末から読んでいました。アサヒグラフの廃刊と共に「パイプのけむり」もなくなりました。全27巻、地下のピアノ室に整然と並んでいます。ところが今の時代、トンと團伊久磨の名前にお目にかかることがなくなっています。彼は指揮者で作曲家でもありましたから、数々の歌曲やオペラをモノしています。いい曲が沢山あって、私は昔、その伴奏部分を弾いたりしていました。何故、なくなったのでしょう? そういえば、山田耕作という作曲家がいて、数々の日本歌曲を残しています。「荒城の月」の滝廉太郎もいました。髙木東六も数々の童謡を残しています。でも、この30年余り、これらの作曲家の作品がテレビやラジオで流れたでしょうか? 音楽会があったでしょうか? 学校の教材になっていたでしょうか? 

 ないのです。全く言っていいほどないのです。電波に乗って流れるのは「千本桜」などのアニメ主題歌ばかり、、、、、、

 私は国家に責任があると思っています。国家の意思を代弁するのが公共放送であるNHKです。NHKは視聴率には関係ないのですから、日本古来の音楽番組だけを専門に流すチャンネルを作ったら如何でしょう?

 日本書紀、古事記、源氏物語、枕の草紙、土佐日記、平家物語、奥の細道などの原文朗読と解説。雅楽、能、狂言、常磐津、長唄、端唄、小唄、都々逸、民謡。明治以降の日本人作曲家の作品、、、、、

 聴き及べば、芸大邦人楽器部門の応募者は、年々減り続け、後に続く者がある部門では皆無の状態のようです。一方、応募者が満員状態の音楽クラブは吹奏楽部のようです。それも世界的に有名になっている京都橘商業高校の女生徒中心の「踊るバンド」専ら「シング・シング・シング」が十八番です。もし、彼女たちが踊るバンドで長唄「勧進帳」をやってくれたら・・・・・

 

2024年3月7日   長生きしたけりゃ                                                                                                                                                    ユーチューブにほとんど連日掲載されている番組に、「長生きしたければこれを食え」というのがあります。いつも「本要約チャンネルのタケミです」という前置きから始まります。長生きを拒否したくはないので、いつの間にか私の食事にも変化が訪れていました。朝食には納豆、それも国産の大豆製品に限ります。サニーサイドの卵二個。スライスした沖縄産のゴーヤーにツナ缶を入れたオリー油油炒め。一本を3日で食べ終わります。それに、カナダ産メイプルシロップを入れたヨーグルト。本当は豆乳で出来たモノの方がいいようです。お茶は日本茶でなくグアバ茶。果物はミカンかイチゴ。タイ・チェンマイに逗留していたときは、パイナップルでした。あそこは果物が豊富で何でもありました。昼は、努めて鮨です。長生きしたけりゃ青魚を食え、とあります。専ら、近所の「浜ずし」「銚子丸」へ行くか、スーパーものにします。「銚子丸」では二時までに行くと、アラ汁が無料です。イワシ、コハダなどの青魚を握って貰って、千円でおつりが来ます。

 夕方は日課にしているピアノ練習をしたあと、少量のウイスキーで喉を潤し、鹿児島産のイモ焼酎をスイス産のチーズと共にいただきます。それに、冷凍しておいたブルーベリーが加わります。食卓に出てくるのは鍋ものがほとんどで、ご飯はいただきません。寝る前にはクローブの実を三粒噛み砕き、夜中に一回はトイレに起きるのですが、その度に水を飲みます。北アルプス安曇野の天然水です。寝られなかったことなど一度もなく、朝7時半には目を覚まし、しばし、IPADと戯れます。

 逆に、本要約チャンネルで「食べるな」と声を大にしているものがあります。中国産の大豆の納豆、野類類です。それに小麦製品、果物ジュース類、即席ラーメン類、安物のコーヒーなどです。外国産小麦製品には遺伝子組み替え物質が使われているから、だそうです。となるとパンやピザにも問題ありなのでしょうか? 中でも、最も食べてはいけないのは、マクドナルドや、ガストなどで人気のフライドポテト、ポテトチップなどだそうです。使い古した油が寿命を縮めるとか。そこで安価に売られているジュース類、コーヒーなども添加物だらけだそうです。

2024年3月6日     仲邑菫ちゃん                                                                                                                                                15歳の女の子で、プロの囲碁棋士仲邑菫ちゃんが、日本を離れて韓国の棋院へ移籍することになりました。女子の囲碁界は益々盛んで、藤沢里菜女流本因坊(25歳)、上野愛咲美女流名人(22歳)らがその筆頭ですが、いままで、中国や韓国の女流棋士に勝つことが出来ず、いつも第3位に甘んじていました。何故か、両国の女流囲碁棋士は強いのです。

 その理由は、韓国、中国とも国営の囲碁学校を持ち、日本に勝つことをその目的にしているからです。両国とも、才能のある若者を早い内から見つけ出し、国がお金を出して英才教育をしているのです。

 20年程前、日本の朝日新聞に関係する囲碁愛好家8人が、上海へ行って中国の囲碁クラブの面々と対戦したことがありました。私の従弟の靖輝君の商売相手の「虞」さんがそのお膳立てをしてくれました。8人同士の対戦が始まりました。何と、当方の最年長である78歳の武市義弘さんと、上海棋院の8歳の少年との対戦となりました。かろうじて、半目だけ日本側に残りましたが、全体としては負け越しになりました。         その顛末を私が記事にして「週刊囲碁クラブ」に掲載して貰いましたが、見出しが、「中国の囲碁、恐るべし」となっていました。

 日本棋院から韓国棋院に移籍してまで、囲碁に打ち込もうとする15歳の仲邑菫ちゃん。「その意気やよし」です。出来れば、彼女が世界一の女流棋士になるのを見届けて、満足してあちらの世界へ行きたいモノです。

2024年3月5日  4万109円23銭                                                                                                                                                     昨日、東京の株式市場で日経平均株価が、史上初めて4万円の大台を超えました。34年ぶりの更新でした。兜町は沸きに沸いていることでしょう。内容を見ると、人工知能「AI」ブームに関連する半導体関連の銘柄を中心に買われています。一方、円相場は一ドル150円前後の極端な円安であるため、海外投資家達にとって、日本株は「割安」と受け止められていることも影響しているようです。

 私が株のデイトレードに血道を上げていたのは、宣伝部長から販売局の子会社「アコス」の社長になったときです。経済の勉強、と称して会社でも、自宅でもパソコンととり組みました。母校の早稲田が開いていた「セミナー」にも参加して、「もうはまだなり、まだはもうなり」などの取引の定理などを学びました。当時の日経平均の高値は15000円ほどでした。その後、地合が極端に悪くなり、8000円台まで落ち込みました。と同時に、本社に戻され、東北六県信越富山を所管する販売第六部長になるに及んで、パソコンと睨めっこする時間が無くなりました。それでも、400万円ほどの利益を上げていました。

 兜町の証券取引所の回りには、何故か、うなぎ屋がひしめいていました。株価が高値を更新する度に、うなぎ屋の回りは賑わい、蒲焼きの匂いに溢れました。いまはどうなっているでしょう?

2024年3月4日    春の邪魔者                                                                                                                                                     いつの間にかもう3月。春の到来は嬉しさこの上もないけれど、嬉しくないことも一つあります。それは杉花粉の飛来です。一昨日は春風が吹き荒れ、春一番と共に花粉が目と鼻に飛び込んで来ました。目が痒くなり、鼻がムズムズし始めました。慌てて、去年の目薬と鼻のスプレーを探しました。

 現役の頃の4月、秩父・長瀞の山の中でゴルフをしたことがあります。杉林の中でのコースでしたから、スタート台に立つとすべてが花粉のお陰で白く霞んでいました。くしゃみは連発するや、ペットボトルを取り出して、ひっきりなしに目を洗うや、散々な目に遭いました。思いあまって杉の葉っぱをむしって、噛み、嚥下したところ、その晩、大変な苦しみにあいました。ところが、その翌年、花粉症が全く起きませんでした。恐らく、身体の中に抗体が出来上がっていたのでしょう。

 花粉症は杉花粉のみならず、空き地に生えている背高泡立ち草、いわゆるブタクサにもあるようです。しかし、この厄介者が生えているところは、いまは、ほとんど無いので安心です。

 実は、花粉症にならない方法があるようです。アレルゲン免疫療法を言うのだそうです。それは杉花粉のエキスを少しずつ体の中に取り込んで体質を改善する方法だそうです。思いあまって「杉の葉を噛んで飲み込んだら、翌年、おきなかった」と同じ理屈です。

 いまからそれをしようか、、、あと10年生きるならそれもいいが、、、

 2024年3月3日    囲碁・NHK杯                                                                                                                                                        日曜日の昼から始まる囲碁棋戦「NHK杯」は楽しみにしている番組ですが、今日は準決勝戦で、当代超一流の井山裕太と一力遼が対戦しました。しばらく前までは、井山裕太が棋聖戦、名人戦、王座戦などを独占し、七冠を制していましたが、このところ一力遼にやられっぱないになっています。「NHK杯」も一力が独占していました。

 何度もこの欄に登場していますが、一力遼は私の二年先輩で朝日新聞で同僚であった一力英夫さんの弟・和夫さんの子供です。今日はこのライバル同士の対戦・準決勝となったのです。固唾を飲んで、見守りました。囲碁の戦いでは、一目でも多くの「地すなわちじ」を稼いだ方が勝つのですが彼ら高段者ともなれば、そんなこと気にしません。相手の石をどうやって屠るか、つまり、目を二つ作らせないか、そのことのみに腐心するのです。目のない石どうしが、盤上をのたうち回る、そのハラハラ・ドキドキを制したのは一力でした。これで決勝に進むことになった一力の次の相手は中部棋院の志田篤です。恐らく今年のNHK杯者は一力遼で決まりでしょう。

2024年3月2       お粗末!                                                                                                                                                   昨日、自民党派閥の裏金脱税事件を受け、自民党幹部の四人が出席して、衆議院政治倫理審査会が開かれました。岸田総理も出席して型どおりの開会の辞を述べました。驚いたことに、政治不信を招いた組織的裏金作りについて、四人が四人とも謝罪はしましたが全員が自身の関与を否定しました。裏金はこの五年間で約7億円に及んでいます。

 一方、許せないのは政調会長の要職にありながら、3000万円近い裏金を受け取っていた萩生田光一は、出席を乞われながら逃げ回りました。この男はかつての安倍総理の「モリ・カケ」問題の時、テレビの前で何度も偽証を繰り返した男です。権力におもねる最低の男です。彼の選挙区、八王子の皆さんも、逃げ隠れしながら権力にしがみついている彼の行動を「イヤ」というほど見せつけられ、愛想が尽きたのではないでしょうか。加えて、二階派の領主二階敏博です。官房長官であった時期を含めて50億円の金を「私」したその説明をどう付ける積もりなのでしょうか。

 ところで、昨日の「大谷翔平結婚のお相手」の当欄の記事。出所はマイクロソフトだったのですが、異説があるようです。バレーボールではなく、バスケットボール選手の方だ、と。内々の結婚式はもう終わっているとか。それにしても、ここまで騒がれている結婚とは、前代未聞では無かったでしょうか。

2024年3月1     大谷翔平、結婚!                                                                                                                                                  昨日、29歳になった大谷翔平が、自身の結婚を公にしました。お相手の名前は、まだ、公表されていませんが、元オリンピック・バレーボール選手であった狩野舞子、その人であるようです。1988年7月15日生まれの36歳。大谷は29歳ですから、完全な姉さん女房です。しかも彼女は身長が185センチ、一方の大谷は193センチ。二人の側に寄るだけで威圧されるでしょう。

 大谷一族は野球一家ですが、狩野舞子の方もバレーボール一家です。父親は中央大学、母親も東京女子体育大学バレーの選手でした。大谷家も、狩野家もボールに縁のある家庭ですから、二人の間には「玉のような赤ちゃんが」生まれることでしょう。それも、193センチと185センチの大型の男と女の睦み合いから生まれてくる赤ちゃん。将来は日本の球界を背負う人間になることでしょう。

 何としても目出度い。お目出度う、お目出度う!

2024年2月29   枕の草紙                                                                                                                                                 「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。」

 言わずと知れた清少納言の「枕の草紙」の冒頭の一節です。昔から暗記していたので、今もってスラスラでてきます。そう、明日から三月。暦の上では春なのです。

 「夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、蛍のおほく飛びちがいたる。」   「秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端、いと近くなりたるに、、、、」

 「冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭もてわたるも、いとつきづきし。」

 清少納言が生まれたのは966年頃。いまから1158年前です。家柄は余り高くなく、父親は清原本輔という和歌集の撰者でした。16歳の時、橘則光と結婚し、翌年に則長を出産しています。子育ても終わり彼女が30歳ぐらいの時に、一条天皇の妃である中宮定子に仕えるため宮中に出仕しています。はじめはよかったけれど、彼女の父親が死に、実の兄が流罪になるなど、惨めな経験も多かったようですが、枕草子には、そういった辛い出来事など一切書かれていません。意外に長命で60歳ぐらいまで生きたといわれています。つまり、昔は人生50年と言われていたのです。米寿まで生きれば仙人扱いになったでしょう。

 明日から3月です。春は曙です。桜の開花も二十日頃でしょうか。

2024年2月28   女性宰相                                                                                                                                                 自民党議員の裏金問題を含めて、岸田総理の命運はもはや尽きつつあるようです。あと、半年以内に岸田内閣は退陣し、新内閣が誕生するでしょう。誰が、次期総理になるでしょうか? かつて、元外相田中真紀子は三人の候補を挙げていました。その中の一人は既に短期政権でした。他の二人は河野太郎、と納豆餅こと石破茂です。しかし、私が待望する河野太郎は、冷凍透明人間岸田文雄の策略でデジタル担当相に追いやられ、国民的不人気の禍中にあります。小泉進次郎?まだまだ修行が足りません。さりとて石破ですか?

 ここへ来て、急上昇しているのが女性宰相待望論の禍中にある上川陽子現外務大臣です。静岡県出身七十歳。東大教養学部からハーバードド大学ケネデイスクール卒。麻生太郎をして「このおばさん、さして綺麗ではないけれど、なななかやるなあ」といわしめた才女です。

 彼女は、法務大臣拝命の頃、矢継ぎ早に「死刑執行」に容赦なくハンコを押した、というので一時、不人気でした。その一方、決断の早さでは人気があったと言われています。

 冷凍透明人間の命運は既に尽きています。加えて、裏金問題の自民党に対する国民の怒りは収まる気配がありません。さりとて、いまの立憲、国民、維新で政権が成り立つでしょうか。山本太郎政権になるまでには、あと10年が必要でしょう。

 自民党は上川女性宰相を立て、国民の気分を一新させ、自らも裏金の弊害を切り捨てて再生を図るためには、思い切った出方をしなければなりません。それが、上川宰相を待望する所以です。

2024年2月27日  公開か、非公開か                                                                                                                                                 自民党の派閥の裏金事件について、自民党は衆議院の政治倫理審査会の開催について同意はしたものの、この会合を公開にするか非公開にするかで、大もめに揉めています。しかも、時間を45分に制限しようとまでしています。国民は呆れているのではないでしょうか!

 日本国の台所は国民が納める税金で成り立っています。働いて得た収入には所得税、土地建物を我が物にすれば不動産取得税、車を手にすれば重量税、住んでいるだけで住民税、モノを買えば消費税、温泉に入れば入湯税、、、、ところが、政治家だけは、それも自民党の派閥に属している場合に限り、裏金が不当に入ってくるのです。それも、2000万~3000万円。派閥の親分が官房長官にでもなれば、官房機密費が無尽蔵に使えるのです。二階敏博の場合は何と50億円!

 国民には税金を課し、政治家は不当利得を我が物にする、この風習は今に始まったことでは無く、明治、大正、昭和、平成と連綿と続いてきたのではないでしょうか。更にいえば、戦国時代から続いてきた慣習ではなかったでしょうか? 

 この問題は、明るみに出た以上、うやむやにしては決してなりません。制限時間45分などもってのほかです。野党議員さんの頑張りどころはいまです。一層の奮起を期待します。

2024年2月26日   「業務スーパー」頑張れ                                                                                                                                                日本が原子力発電の導入に踏み込んだのは、読売新聞の社主正力松太郎が電源開発総裁を務めていた時に遡ります。反対の狼煙を上げたのが朝日新聞、毎日新聞、その他ブロック紙、地方紙でした。これを封じるため、正力は電通と協力し、2兆4000億円の金を用意し、全国のブロック紙、地方紙、テレビ局にばらまきます。世論は次第に原子力発電の容認に傾き始めます。

 私が現役で福島県を五年間担当させられていたとき、県内に原子力を発電所を設置するかどうかで、県内が大もめに揉めました。福島県知事は元より賛成派です。11万部の読売系民友新聞、8万部の読売新聞も賛成派です。反対派は8万部の朝日、5万部の毎日新聞、24万部の民報新聞でした。大論争が展開されましたが、浜通りの双葉町が受け入れを積極的に申し出たため、決着となり、大金が双葉町に下り、町全体が見違えるようになりました。そこへ、3月11日の大地震、14メートルの大津波です。双葉町は壊滅します。

 その後、小泉純一郎総理はスエーデンのオンカロにある原子炉を見学に行きます。そして、断じます。「日本には原子力発電は不向きである」と。何故ならスエーデンでは原子力廃棄物の貯蔵は400メートル地下の岩盤の中に葬られているのに、日本はどこを掘っても水が湧き出る、永久貯蔵出来るところが、日本国土どこにも無いことを知ったからです。

 耳寄りな話しが今日のテレビにありました。「業務スーパー」という全国展開の商店があります。珍しい冷凍品を求めに、私も時々利用しています。聴けば全国に1000店以上展開する大企業だそうです。この「業務スーパーマーケット」が地熱発電事業を興す、という話題でありました。確かに日本国土は温泉に恵まれています。地熱を電力に変えるには最も適した国土であります。地震が起きたからといって、温水が吹き出るくらいで、人体には損傷を与えません。これからの買い物は「業務スーパー」のみにしよう、と思っているところです。

 ところで、今日は2月26日。福島の佐藤一家のまひるちゃんに贈ったデズニーの券が今日の日付です。幸い、好天です。親子四人で楽しんでいる、と思うと、こちらまで嬉しくなります。

2024年2月25日   戦争の意味                                                                                                                                               二年前の昨日の24日はロシアとウクライナの戦争が始まった日です。両国の多くの兵士が亡くなり、一般市民もその巻き添えになり、建物は破壊され、国土は荒廃し、多くの国民は国を脱出させられ、苦しみの禍中に放り込まれたままです。確実に言えることは、両国民の間に厭戦気分が漂い始めていることです。その理由は何のために殺し合いをしているのか分らなくなっているからです。「ウクライナのNATO加盟を許さない」とするロシアのプーチンに対して「単なるそのことのために殺し合いをするのか?」という疑問がロシア国内に漂い始めていることも事実です。一方、NATO諸国の間にもウクライナ支援疲れが見えて来ています。「ゼレンスキーよ、いい加減にしてくれ」という声が聴かれるようになりました。ここで望ましいのは、停戦の音頭を取ってくれる国の出現でしょうか? 

 昭和20年の太平洋戦争の末期、日本の敗色は濃厚となり、B29爆撃機編隊の東京空襲を避けるため、学童の集団疎開が始まりました。中野区の国民学校に割り当てられたのは福島県浜通りの旅館でした。上高田国民学校の二年生だった私は、忘れもしない二月二五日夜、つまり今日の夜、新井薬師から中野駅まで隊列を組んで向かいました。母は私を食い入るように見つめたまま、一言も発せず中野駅まで付いてきてくれました。割り当てられた旅館は福島県浜通り富岡駅前の「大東館」でした。携帯品は小さなコオり一つでした。翌日、体中が虱だらけになりました。空腹の余りつつじの花をむしって食べました。

 当然ながら、何のために戦争をしているのか、何のためにこのような寂しい思いをさせられているのか、全く分りませんでした。恐らく、ウクライナの子供達も同じ思いでいることでしょう。

 「プーチンとゼレンスキーの意地の張り合い」、それがどれだけ子供達を不幸にしていることでしょうか!

2024年2月24日   ビルマの竪琴                                                                                                                                               戦後、まもなくして、「赤とんぼ」という雑誌に竹山道雄が、日本軍の捕虜達が織りなす物語「ビルマの竪琴」を発表し、瞬く間に話題となり、その後、二回も映画化されました。中井貴一扮するビルマの僧服姿の水島上等兵と、収容所に入れられた日本兵との心温まるやり取りが映画では展開されます。いつも僧服姿で、肩にオウムを乗せ、竪琴を奏でながら収容所に現われる僧侶水島に対して、捕虜達はオウムに言葉を覚え込ませます。「おーい、水島、一緒に日本へ帰ろう!」

 結局、水島上等兵は捕虜達と一緒に日本へ帰りませんでした。それは、ビルマからタイの国境にかけて、野垂れ死にした日本兵の遺骨を弔い、丁寧に埋葬するためでした。

 「海行かば、水つく屍、山行かば、草むす屍、大儀見の辺にこそ死なめ、顧みはせじ」

 当時の記録を見れば、敗走する日本兵の遺体は、ビルマの国境を越えてタイの奥地にまで広がっていたようでした。

 時流れて、一〇年程前、チェンマイからプロペラ機に乗り、約一時間、ミヤンマーの首都ヤンゴンへ行きました。ドル紙幣以外支払いを認めないホテルに陣取り、ホテルに案内人をお願いして、霊園に案内して貰いました。案内された霊園は外人墓地ではあっても日本人はどこにも埋葬されていませんでした。翌日、おんぼろジーゼル車に曳かれた窓の壊れた山手線らしきモノに乗り、自力で日本人墓地を探し当て、生花を手向け、祈りを捧げました。ヤンゴンの市内を走っているのは、ほとんど日本の中古車で、市内バスも日本語で書かれた行く先表示のまま走っていました。アウンサン・マーケットで500円出して、腰に巻き付ける生地を買い、ホテルの従業員総出で、腰に巻き付けてもらい、草履を履いて夜の町に繰り出しました。私の前世はもしかしてタイ人ではなかったか?と思わされたことでした。

 そのミヤンマーの指導者であったアウンサン・スーチーさんが幽閉され、中国の差し金に躍らされたミン・アウン・フラインがいまも尚、軍政を曳いています。ああやんぬるかな。

2024年2月23日   は、はっ、歯                                                                                                                                               練馬の我が家から歩いて五分のところに、堀内歯科医があります。四年前、といえばコロナ禍の全盛の頃でしたが、年末年始にかけて奥歯の親知らずが痛んで、痛んでお世話になったことがあります。治療して貰って、しばらくは通って口内環境を整えて貰っていましたが、いまは、全くのご無沙汰です。何の異常も無いからです。私の口内を診て堀内歯科医が驚いたことがあります。全部が全部自分の歯で、入歯が全然無かったからです。俗に八十歳になって自分の歯が20本以上あれば上等、といわれているそうです。いまや、八十八歳の米寿を迎えようとしている私ですが、生涯を通じて歯で苦しんだ記憶が無いのです。なぜか、とつらつら考えてみるに、戦争が終わって長野へ移り、食べ物の無い時代、田んぼに出ては、イナゴを捕り、羽をむしって、むしゃむしゃ食べていたことに起因するのではないか、と思われるのです。そういえば、コオロギや、天竜川の「ザザムシ」まで食べたことがありました。ケッタイナ形をした虫たちでしたが、食べられるものなら何でも口に入れたい年頃でした。北アルプス登山中は雷鳥まで捕らえて食べました。捕獲禁止になる前でした。

 戦争が終わって「モノが無い時代」。口に入るモノなら「なんでも貪欲に食べた時代」、それがあってこその現在。イナゴとコオロギと、ザザムシに感謝しなければなりません。

2024年2月22日   メシアニック・ジュウ                                                                                                                                                世界はユダヤ人を「ジュウ」と呼び習わしています。このジュウ達のあがめる宗教がユダヤ教で、教祖はアブラハムです。イエス・キリストではありません。経典も聖書ではなく、キリスト没後三五〇年を経て作られたタルムードです。従って、エルサレムの「嘆き壁」に集まる信徒も三つに分かれています。確か、金曜日がイスラム教徒、土曜日がユダヤ教徒、日曜日がキリスト教徒です。女性のイスラム教徒は、その日、髪にスカーフを巻いて壁と対峙しています。ユダヤ教徒は目の前に譜面台のようなものを置いて、大声を出してタルムードを読み上げます。いずれの日も、嘆きの壁前は大賑わいです。

 ところが、何時の頃からか、ユダヤ教からキリスト教に転向するユダヤ教徒が多くなりました。この人達を「メシアニック・ジュウ」と呼ぶようになりました。しかも、その数が日増しに増えるようになりました。四年前の三月、日本の各地のキリスト教会が信徒を連れてエルサレムのホテルに集まりました。中心は、神奈川の中川牧師夫妻、シンガポール教会の松本牧師夫妻、そして、タイ・チェンマイ教会から参加の私たち4人、それにイスラエル大学の教授を交えて、総勢150人ほどで三日間に亘ってシンポジウムが開かれました。主題は、キリスト教への改宗者を更に増やすにはどうすべきか?というものでした。

 私たちチエンマイの4人組は、シンガポール教会の皆さんと共に、松本牧師の案内で、イスラエルの隅から隅まで見て回ることが出来ました。残念だったのは、パレスチナ人の居住地「ガザ」へは入れなかったことです。築かれた高い壁の向こうには、彼らのどんな生活があるのか、今となっては惜しくてなりません。

 その約一年後、松本牧師夫妻はシンガポールから帰国しますが、脳出血を発症してしまいます。激務がたったのでしょう。遠くから祈りを繰り返して居りました。

 ところがです。一昨日、松本牧師の日曜日の「お説教」が再びユーチューブに掲載されていたではありませんか!嬉しかったの何の!何ものにも代えがたい喜びでした。

2024年2月21日   ユダヤ人口1400万人                                                                                                                                                 アラブ諸国から「この世から消えて欲しい」と蛇蝎のごとく嫌われているユダヤ人の人口は、僅か、1400万人ほどです。イスラエルに630万人、アメリカに570万人ほどが住んでいます。第二次世界大戦末期、アーリアン民族主義を掲げるドイツのナチスによってユダヤ人600万人がアウシュヴィッツその他で毒殺されました。一方、600人の脱出者を日本の外交官杉浦千畝が救っています。四年前、イスラエルへ行ったとき、植えられた記念樹を見てきました。

 一方、イスラエルではユダヤ人とパレスチナ人が隣り合って住んでいますが、歴史を俯瞰してみて、ユダヤ人は歴史に名を残る偉人を大勢輩出していますが、パレスチナ人にそういう人はいたでしょうか?寡聞にして知りません。これも、不思議な現象と言わざるを得ません。

 世界に名の知れたユダヤ人の有名人の名を揚げてみましょう。

 アインシュタイン(物理学者)、カール・マルクス(経済学者)、ジークムント・フロイト(精神科医)、ロバート・オッペンハイマー(物理学者)、ジョンホン・ノイマン(数学者)、バールフ・スピノザ(哲学者)、レフ・トロッキー(革命家)、アルフレッド・アドラー(医学者)、マルク・シャガール(画家)、メンデルスゾーン(作曲家)、ロザリンド・フランクリン(物理学者)、ピーター・ドラッガ-(経営者)、マーク・ザッカーバーグ(実業家)、スチーブン・スピルバーグ(映画監督)、マルク・シャガール(画家)、ボブ・デラン(音楽家)、、、、

 おっと、忘れていました。ヨーロッパを中心に世界の金融を牛耳っている「ロスチャイルド一族」、この方々もユダヤ人でありました。

2024年2月20日   パレスチナ問題                                                                                                                                                一九九三年八月二〇日、いまから約三〇年前、ノルウエイのオスロで画期的な条約が締結されました。当事者はイスラエルのラヴィン首相とパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長、そして、立会人にアメリカのクリントン大統領。その内容は、1)イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として、相互に承認する。2)イスラエルが占領した地域から暫定的に撤退し、五年に亘って自治政府の自治を認める。その五年の間に今後の詳細を協議する。という内容でした。

 元々、イスラエルは一九四八年五月一四日、国連総会で国家としての存立が承認されています。同時に、パレスチナの自治政府も承認されていました。収まらなかったのは周辺のアラブ諸国でした。アラビア語を話す周辺のアラブ諸国はパレスチなどどうでもよく、ユダヤ人の存在が許せなかったのです。ユダヤ人があがめる宗教の元祖はアブラハムです。同じユダヤ人の中からイエス・キリストが生まれ、ローマ人に殺されるに及んでキリスト教が発生します。聖書が経典となりました。反キリストのユダヤ人は聖書に代わる経典を編み出します。タルムードというユダヤ人だけの経典が紀元三五〇年頃になって、編み出されます。

 紀元七〇〇年頃になって、ムハンマドの出現です。右手に剣、左手にコーラン(クラーン)を掲げて中東の宗教を駆逐していきます。イスラム教の始まりです。その目的は、、、ここが大事なところです。ユダヤ教徒、キリスト教徒を地球上から駆逐し、イスラム教徒だけにすることです。そこに一切の妥協がないのです。

 つまり、イスラム教徒にとってユダヤ教徒、キリスト教徒との共存共栄などあってはならないことなのです。そのことはハッキリとコーランに書かれています。と言うことは、アラブ諸国にとってパレスチナの独立などどうでもよく、先ず、ユダヤ教徒を滅ぼし、次にはキリスト教徒を中東から追い出すことを目的にし、どんな手を使ってでも、先ずイスラエルという国を中東から追い出すために、ハマスのテロを仕掛けたのです。言ってみれば、「どんな手を使ってでも、イスラエルを中東から消し去る」、、、この目的に向かってイランをはじめとする、イエメン、ヨルダン、エジプト、オマーンは動いているのです。そのためには手段を選ばない。その一つの例が、国連組織のUNRWAの不正行為です。パレスチナ難民の救済の為に世界各国から寄せられた義援金が、ハマスに横取りされて、イスラエルを襲うための武器弾薬に変わっていたことを、世界各国は見逃していた事件です。日本からの義援金も、イスラエルを襲うための武器弾薬に当てられていたのです。長い間、それに気づかなかった自由主義諸国の阿呆さ加減! お笑いの一説です。

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