2024年 9 月 20日    子供の命                                  従弟の靖輝が存命中、上海人で彼の取引相手の虞さんとゴルフをやるため、しばしば、上海へ行きました。定宿のホテルの真向かいが小学校であったため、朝のその時間は登校する子供と、彼らを送ってきた父兄とで、いつもごった返していました。下校時も同様でした。何故なら、子供を一人にすると、掠われて遠隔地へ売り飛ばされるからでした。

 タイ・チェンマイの森の中の一軒家に住んだ時もそうでした。ドッケオという名前の施設で、その前が小学校でした。登校時、下校時は決まって、車、自転車、三輪車などでごった返しました。子供を掠って、遠隔地へ売り飛ばす悪習慣が、タイ国にも未だに残っているからでした。

 太平洋戦争で日本が負け、外地から故国へ引き揚げるとき、多くの家族は子どもを残し引き上げて来ました。残留孤児という汚名が今でも残っています。しかし、一昨日、中国深圳の日本人学校付近で起きた、日本人小学生殺害事件は、全く意味合いが違います。日本憎し、日本人憎しとばかり、親に連れられている子供の腹を刃物で刺し殺したのです。理由は一つ、「過去の日本の中国における振る舞いへの報復」だそうでした。子供は小学校五年生、父親は日本人、母親は中国人、犯人は一般人です。これに対する中国の官憲の取り扱いは微妙です。恰も、良くやった、とでも言いたげな振る舞いです。一方、殺害現場には祭壇が設けられ、献花が絶えないようです。

 翻って日本はどうでしょう。外国人は皆、ランドセルを背負った小さな小学生が、一人で地下鉄に乗って、登校、下校しているのを目の当たりにして驚嘆しています。こんな国はあり得ない、と異口同音に曰っています。確かに、日本ほど安全な国は無いかも知れません。

2024年 9 月 19日    敬老の日                                  数日前、練馬区役所から一通のし袋が届けられました。3000円の区内専用の商品券が入っていました。表書きは「祝米寿」とありました。そういえば、来年の1月15日を迎えると、確かに88歳の米寿です。区役所も「イキなこと」をやるものだ、と思いましたが、どうせなら、3万円にしてくれていたらいいのに、、、、

 昨日が敬老の日で休日扱いであることをスッカリ失念していました。それにしても日本人口の高齢化は進んでいるようです。ザッと調べて見ましたが、90歳以上の人口は206万人。前年より14万人増えていました。更に、100歳以上は67824人。前年から2132人増えていまが、うち59627人が女性で全体の87,9%を占めています。どの年代をとってみても女性の方が多いのです。更にもっとも長生きしているのも女性で117歳だそうです。昔、金さん銀さんという双子の女性が100歳を超えて生きているという話題で持ちきりになったこともありました。

 身近な例では、朝日の販売局の先輩で武市義弘さんがおられます。数年前に白寿のお祝いをして差し上げた「囲碁仲間」でもあります。白寿とは、百と言う数字から一をとると「白」99歳をいいます。今は、囲碁会そのものがなくなったのでお逢いできていませんが、朝日社報に死亡通知が載らない以上、今もってご健在なのでしょう。ご立派なものです。

 さて、私の場合はどうなるか? 私は一度死んで生き返った男でもあります。現役で福島を担当していたその年の暮れ、選挙号外の手筈のため福島支局にな詰めなければならないその夜、元気付けに食べた「フグ鍋」に当たって、支局前の大原病院へかつぎ込まれました。ふぐ毒に特効薬はありません。お花畑が現われました。後ろ姿が美人の女性が、森の中への小道を先導し、付いてこいと誘います。突然、小川のせせらぎの音がし始めました。お花畑が消えました。女性の姿もかき消えました。生き返ったのです。この事件は読売系の民有新聞の社会面に載りました。フグ調理が免許制になりました。何故なら、福県県と大分県だけは誰でもフグを捌くことが出来ていたのです。

 一度、死地を彷徨った人間は長生きするそうです。でも、私の望みは私の母親が亡くなった歳まで生きることです。それは、93歳です。

2024年 9 月 18日  中秋の名月                                  昨日の17日は、暦では中秋の名月に当たる日でした。中天に輝くまん丸の月を、シミジミ仰いだ記憶が鮮明に残っています。それは、中国の西安で遭遇した満月です。朝日小学生新聞と中学生ウイークリーを発行する朝日学生新聞社と中国の子供新聞「中国小年報社」の間で、社員の相互交流が盛んであった頃です。その年は私と編集長の佐藤さんと、副編集長の渡辺さんの三人が北京へ行き、日中書道展の表彰式を行った後、小年報社の王惟信編集長と、女性社員の馬衛東さんの案内で、西安へ行ったときです。我々三人と、中国側の通訳クンを含めた三人の計6人で、ホテルの屋上に出て、名代のお茶とお菓子(月餅)をいただきながら、中天に輝く満月を見上げました。雲一つ無い夜空に星たちをお供にしながら、特別な風情を見せて輝いていました。いつも見慣れている月の輝きを、異国の夜空で仰ぎ見る思いは特別でした。

 月に感動した思いはもう一つあります。ポーランドのワルシャワへ行ったときです。一日を費やし、アウシュビッツへ行き、打ちひしがれてホテル「ノボテル」へ戻るとき、大通りの地平線から、巨大な月が昇って来るのに遭遇しました。昇る朝日と見まごうばかりの大きさの月です。今まで出会ったことのない大きさの月です。驚きました。ガス室への順番待ちをしている人々も、かつてはこの月を見ていた違いない、そう思うと、枯れ果てていた涙腺から再び水が溢れてきて仕方がありませんでした。

 月見ればちじにものこそかなしけれわがみひとつの秋にはあらねど

2024年 9 月 17日  長野の丸茄子                                  長野で過ごしたのは昭和20年の終戦直前から高校時代までですが、この間、夏になると「長野の丸茄子」のお世話になり続けてきました。全国、ほとんどの茄子は楕円形をしていて、まん丸ではありません。ところが、長野の茄子に限ってまん丸なのです。弁当のおかずも茄子の天ぷらでした。朝は決まって茄子の味噌汁、夕飯には「茄子の油味噌」が定番でした。4,5年前までは長野高校同窓会「北七会」が毎年、8月に開かれていました。丸茄子の最盛期です。そのたびに駅前の東急デパートの地階ヘ行って、丸茄子を買い求め、同時に信州味噌も仕入れて、楽しんできました。

 その北七同窓会も85歳を最後にお仕舞いになりました。いまはどうしているか? 東急デパートの野菜売り場に直接電話して送り届けて貰っているのです。既に9月も半ばを過ぎましたが、今日、それをしました。売り場の人からは「今日、いいものが入った、楽しみにしていて下さい。」と言われました。小さな喜びです。されど大きな幸福です。

2024年 9 月 16日   死後のカタチ                                 人間が息をしなくなる、つまり、死亡した後、どんな扱いを受けるか、国によって、時代によって、様々な形がありますが、現代では火葬が一般的な習わしでしょうか。しばらく前では、土葬の習慣がありました。死体を横たえた木製のシツギをそのまま地中に埋めるのです。木桶に坐位のまま、地中に埋める習慣の地方もありました。沖縄では鳥葬もありました。死体を鳥についばませるのです。穴蔵にそのまま放置し、時間を経て、洗って骨にするところもありました。つまり、色々ですが、現在の日本では火葬が主流です。

 今朝のモーニングショウでは、現在では主流となっている火葬料金の都市ごとの比較を扱っていました。余りの差があるのに驚いてしまいました。何と東京都内にある7か所の火葬場の料金が9万円に値上げされたのに、千葉市やさいたま市ではたったの6000円!理由は東京都の場合、行政が関与していないからだそうです。なら、他の都市はどうか、市町村はどうか、ほとんどの場合、行政が関与していて一件一万円以下、、、つまり、東京都の場合、行政が届かない商いとしての火葬場運営を許しているので、勝手に値上げが出来る、都民は、7箇所の火葬場の意のままの料金を払わされる、という現状が今日のテレビによってあからさまになったのです。9万円と6000円、東京都民と千葉市民の余りに大きすぎる冥土への入場料金!

 今日のテレ朝の番組を観た東京都民は、余りの大きさの差に驚いたことでしょう。恐らく、このままでは済まないでしょう。「葬祭業に行政が介入しろ」という声が起きるのは必須でしょう。私としても9万円は払いたくない。6000円になったところでぽっくり逝きましょう。

2024年 9 月 15日  富士登山(2)                                 昨年の5月中旬、畏友堀田さんと供に、我が家にお泊まりいただいたタイ人の親子(妙齢の女性二人)と車で富士山に行きました。運転は堀田さんにお願いしました。その頃、私は鼠径ヘルニアで苦しんでいて、開腹手術を翌月に控えていました。出発の日は雨模様でしたが、山中湖ほとりのホテルに泊った翌日は美事な快晴に恵まれ、湖面に映る富士山の雲一つ無い姿に感動しました。瑞々しい若葉のジグザグ道を上りきると、そこは富士山の五合目で、数十台の観光バスと供に外国人客で溢れかえっていました。西洋人もたまに見かけましたが、ほとんどが東洋人、それも中国人でした。驚いたのは、バスから降りた客が、そのままの格好で、スーツケースを引きずりながら五合目からの山道を登って行くではありませんか! 恐らく、途中から引き返してくるのでしょうが、中には、そのままの格好で頂上を目指す団体もいるとか。その結果、気圧の変化による高山病になり、救助を要請する事例が後を立たないとか、、、、たまたま、交通整理をしていた係官と親しくなったので、考えられない程の事例を聴くことが出来ました。彼が極端に怒っていたのは、中国のツアー会社が、参加者に対して、富士山の怖さ、怖ろしさについてツアー客に教えないで、登山させている現実についてでした。余りにも富士山を甘く見ている、その結果数々の非常事態が発生し、その度に救急隊が出動を余儀なくされている、そのすべてが日本の税金で賄われている。それなのに中国のツアー会社は「それが当然」とばかりに一切関与しない態度をとり続けている、彼らの無責任な態度や振る舞いによって、われわれ、日本人の富士山に関係している者がどれだけ迷惑を被っているか、想像を絶するものがあるんですよ、とその係官は吐き捨てるように曰いました。

 奈良の鹿達に対する振る舞いといい、日本の象徴である富士山に対する軽薄な態度と言い、特に中国人の団体客については特別な規制が必要なのではないでしょうか。何故なら、中国人のほとんどが、人間としての「正しい躾」を幼い頃から身につけさせて貰っていないからです。

2024年 9 月 14日  富士登山(1)                                 夏山の季節もソロソロ終わりになり、秋の気配が漂い始めています。富士山の五合目近く、森林限界では、既に紅葉が始まっているのではないでしょうか?思い出すのは、ちょうどこの頃、富士山に登った記憶です。入社して数年目、駆け出し販売局外勤社員の頃です。東京都内を担当する販売第一部の部長は前沢健則さんという陸士上がりの方でした。若手社員、時代を担う販売店の二世の教育に熱心な方で、その年の今頃、総勢30人が富士山麓にある自衛隊富士駐屯地での合宿訓練に参加させられました。当然、私もその内の一人です。自衛隊の方々と同じものを食堂でいただき、同じベットで寝かせて貰いました。二日目、朝三時の起床です。約30人、黙々と富士山頂めがけて登山を開始しました。かなりの急勾配を訓練と称して、闇雲に登らされました。生憎の曇り空でしたが、山頂に達する頃、雲海の果てに真っ赤な太陽が顔を出しました。いやー、感動しましたね。その頃はまだ外国人の登山者など、一人もいませんでした。ところが今はどうでしょう。森林限界の五合目は観光バスでごった返し、軽装でスーツケースを引きずって登る観光客までいる始末。激変する天候が富士山の特徴であることを知らずに、ただ、闇雲の登るものだから、どれだけ、関係者に迷惑をかけているか!

 二泊三日の研修の最終日は、世界的に名を馳せているロボット技術で名高い「ファナック」の工場を見学して帰って来ました。

2024年 9 月 13日    一力遼の快挙                               囲碁の世界戦に「応氏杯世界選手権」というのがあります。オリンピックと同じ、4年に一回開催される国際棋戦で、囲碁界では、もっとも権威のある棋戦ですが、日本人棋士が優勝したことはありません。僅かに「チョウウ」が優勝したことがありますが、彼は日本に帰化した台湾人です。

 この4年に一回の第10回応氏杯世界選手権に、日本から一力遼(27歳)が出場し、何と、最強手の中国・謝科9段(24歳)を破り、優勝を果たしました。日本のプロ棋士は元より、囲碁に携わるすべての日本人がこの快挙に驚くと供に、喜びを分かち合いました。つまり、一力遼は世界一強い囲碁棋士になったことを世界が認めたのです。いやー、私自身も驚きましたね、、、、

  一力遼君は、現在の河北新報社社長の息子です。社長と兄弟で朝日新聞で取締役を務めた一力英夫さんの甥っ子に当たります。一力英夫さんは私が販売五部次長の時、部長として仕えた部長さんです。交友関係の広い部長でしたから、販売とは直接関係の無い会合費伝票をどれだけ処理させられたことか!相談を受けたこともあります。「甥っ子の遼が囲碁のプロ棋士になりたいと言っている。どうすればいいか?」結局彼は、麹町に部屋を借り、早稲田大学に通う傍ら、市ヶ谷の日本棋院の院生なりました。彼の母親は仙台=東京を行ったり来たりしていました。

 現在、囲碁界の人気をさらっているのは、朝日の名人戦の帰趨です。名人位の芝野虎丸に一力遼が挑戦している棋戦です。その棋戦の詳細が新聞発表されているのですが、驚くべきは、両雄はAIコンピューターが指示するところへピタ、ピタと打っていたことです。解説者を含めて碁界関係者は驚きの声を上げていました。

 私は朝日に入社以来、4年先輩の同業者一力英夫の人となりに接してきましたが、河北新報新聞社創業者の一力次郎一族には、「何かある」と感じていましたが、この度、囲碁において世界最強の棋士が生まれるとは、誰が予測出来たでしょうか!世の中は実に面白い。

2024年 9 月 12日  出でよ、女性宰相                             アメリカ民主党の大統領選の候補として名乗り出ている女性、カマラ・ハリスさん(59)と共和党の候補で前大統領だったドナルド・トランプ(78)との初のテレビ討論会が10日、行われました。直後に行われた世論調査では「63対37」でハリス氏優勢となったようです。野外ステージで演説中、狙撃を受けて耳に負傷した直後は、トランプへの同情が集中し、勝利は圧倒的、と思われていた状勢が、ここへ来て、大きく変化しだした、と観て良いようです。ただ、アメリカの政権は共和党と民主党の二大政党の交代制でなりたっています。「次は俺たちだ!」と待ち構えているモノ達が、どれだけいることか!

 折しも、日本の女性外務大臣上川陽子が総裁選に名乗りを上げました。総勢9人による大激戦の様相です。 誰が次の総理大臣になるのか、いまのところ全く分りません。もしも、もしもです。日本では上川陽子が総理になり、アメリカではカマラ・ハリスが大統領になったとしたら、、、、、、日米関係は元より、世界の政治は大きく替わるのではないでしょうか。加えてイギリスでもサッチャーに替わる女性が、ドイツでもマクロンに替わる女性宰相が現われたとしたら、、、、、女性は争いを好みません。隣近所との付き合いを大切にします。一家の繁栄に心を砕きます。子孫のために財を残そうとします。一家も国家も同じ仕組みで成り立っています。男は働けばいいのです。研究開発に心を砕けばいいのです。宇宙を相手に働けばいいのです。カマラ・ハリスのアメリカ初の女性大統領、上川陽子の日本国初の女性総理大臣、、、そうなったらいいな。

2024年 9 月 11日   新聞の良き時代                             長崎の中華料理のことを書きながら思い出すのは、現役時代、つまり社屋が有楽町にあったときも、築地に移った時も、我々販売局の外勤社員は、社内の社員食堂を使うことは滅多に無く、ほとんど、外の中華料理屋さんで済ませていたことです。有楽町時代はコリドー街の外れの小さな中華料理店でした。築地に移ってからは、芥川賞の選考会が開かれる料亭の隣のビルの三階の中華料理店でした。面白いことに、広告局の外勤担当社員も、社内食堂を滅多に使わず、「ビヤホール・ニュー東京」裏のガード脇の「慶楽」という中華料理店でした。何故か?と今になって考えると、社員食堂ではお互いの情報交換など出来ない、心置きなく仲間同士で話しがしたい、その必要に迫られての行動だったように思います。更に、販売局外勤社員には特権がありました。有楽町時代、朝日の向かい側にニュー東京がありました。その脇道に「花柳」という鮨屋さんがありました。遅くまで仕事をして、終わると、自然とその店に足が向きます。誰かしら仲間がいました。オダを上げている者もいました。そこでは、何を飲んでも、何を食べてもサイン一つで店を出ることが出来ました。すべて、所属部の次長が処理してくれていました。その代わり、オダを上げる先輩の話を傾聴しなければなりませんでした。新聞の部数の伸張が上り調子の、誠によき時代だったように思います。

2024年 9 月 10日  被爆手帳                           九州小倉の西部本社に単身赴任しているとき、長崎にはしばしば訪れました。平地らしい平地はほとんど無い不思議な街で、市民の住居のほとんどは山の斜面に建っていました。江戸時代末期、外国船が日本近海に出没し始めた頃、唯一、寄港が許されたのがこの長崎であったため、今なお、異国情緒が町中に溢れていました。殊に中華街が圧巻でした。油で揚げた麺の上に絶妙な味のアンをかけたた「皿うどん」、出来たてを頬張る「水餃子」、「長崎カステラ」などなど、美味しいものが溢れていました。目を楽しませるものも沢山ありました。「グラーバー邸」、「江戸切り子博物館」などなど。在任中、九州全域の販売店が一堂に会する「朝日会総会」をご当地の大きな料亭で開催したことがあります。宴会に侍ってもらった20人余りの綺麗どころの装いは、絢爛豪華で、どこの地区でもないものでした。しかも、彼女たちの出し物も異国情緒溢れるモノでした。ましてや、ここが原爆を投下されたところとは到底思えない華やかなものでした。

 その日の仕事を終えて、夕食を済ませた後の私の密かな楽しみ、それは場末の小さなバーを訪れることでした。何と、そこにはスタインウエイのグランドピアノが置いてあったのです。マダムのお顔は既に忘れましたが、そこで奏でたピアノの音色だけは、今でも耳の底にこびりついています。

 今日の朝日の一面には驚きました。「被爆体験者15人に手帳交付」として長崎地裁が認定した、というニュースです。昭和20年の8月9日、原爆による被害に遭いながら、爆心地から離れていたため、被爆者とは認められず、従って、国からの救済も受けられず、争いが続いていました。それが今になって認める、というニュースなのです。争っていたのは44人でしたが、認められたのはその内の15人だけ。何とも無慈悲な国の対応ではありませんか!なぜ、全員を認めなかったのですか!なぜ、こんなにも時間が掛かったのですか80年ほど前の出来事の処理に、何で、はやくもっと早く結論を出して上げなかったのですか!

2024年 9 月 9日  ピアノレッスン                          今日はピアノのレッスン日。前々回から始めている、指の練習のための「ハノン三番」と、中学時代にマスターしているチエルニー30番の第三曲、とショパンのノクターン13番を持って行きました。問題は、気持ちが意図するように指が動いてくれないことです。それが、日を追う毎に顕著に表れ始めていることです。我ながら情けなくて、情けなくて、、、、、、若いときは造作も無かった指の動きが、今はたどたどしく、あまつさえ、ミスをしながら、、、、、

 この悔しさ、情けなさ、、、、、今日は先生の前でイヤという程、味合わされて来ました。どうすればいいのでしょう? この苦しみを抜け出す手立てはあるのでしょうか? どなたか、お教え願えませんでしょうか?

 最近、ユーチューブで、つとに探して聴き入っている番組があります。8歳の時の吉村妃鞠ちゃんのバイオリン演奏です。外国の去るコンクールで弾いたチゴイネルワイゼンは圧巻でした。審査員エミール・ブロンは最高点を点けました。使っていたバイオリンもストラデバリでした。世界で600挺しか残っていない一挺10億円を超える楽器でした。前沢雄作の財団が貸与している楽器だそうですが、彼も世の中に貢献していたのですね。

 バイオリンの天才が吉村妃鞠なら、ピアノの天才は上原ひろみです。最近、彼女のユーチューブでの出番が無くなってきているの気がかりです。ピアノでの天才は角野隼斗がいますが、彼ももう歳。もし、私が生まれ変われたら、そのときは、産湯に浸かりながらピアノを弾く積もりです。

2024年 9 月 8日   奢れるもの                         アメリカのプロ野球球団の総元締めNBAが、来年の開幕戦を日本で行う、と発表しました。日本人選手が多数いるドジャースとカプス戦が予定されました。普通なら当然、日本のプロ野球球団との対戦も組み込まれるはずです。当然、読売ジャイアンツが選ばれ、後楽園球場で行われるのが自然な成り行きです。ところが、いま、そうはならない雲行きです。その原因の一つは読売の、96歳にして未だに、権力者の地位にしがみついている「ナベツネ」こと渡辺恒雄の存在です。読売テレビがドジャースの大谷翔平のプライバシーを侵したにも拘わらず、正式の謝罪もせず、その責任を取ろうともせず、「小僧のくせに、たかが選手が、ぶっ飛ばすぞ」と、うそぶき続けている状況が、そのまま、続いているからです。加えて、読売テレビが大宣伝して放映してきた「愛は地球を救う」「24時間テレビ」の恥部が明るみに出てきました。視聴者からの浄財が、読売テレビの幹部の懐に入っていた忌まわしい事実も明るみに出ました。

 渡辺恒雄の前の読売グループの総師は、販売畑出身の務台光雄でした。彼も権力にしがみつき、なかなか退任しないので、ナベツネが先頭を切って追い出しにかかり、そして成功しました。彼の持論は「80歳を過ぎた人間が最高権力者でいる企業は、必ず衰退する」というものでした。このセオリーの正しさを証明し始めたのが今の「ナベツネの読売グループ」ではないでしょうか?

 いま、日本国中が「読売テレビ」とドジャースの大谷翔平との事件を、固唾を飲んで見守っています。日本人の誰に聴いても、ナベツネの「たかが選手が!」という暴言を非難しています。ことに、読売テレビに連なる人々の困惑ぶり、読売新聞を取り、ジャイアンツを愛する人々の嘆きはいかばかりでしょうか!     奢れるモノ久しからず、春の夜の夢のごとし 

2024年 9 月 7    香港大洪水                          一昔前、タイ・チェンマイから帰ってくるとき、香港経由を使ったことがあります。確かドラゴン航空という小型飛行機で香港空港の片隅に着き、大いに歩かされて記憶が鮮明です。空港が混雑していたためか、香港上空で長い時間を費やし、お陰で、周辺の小島や、海の色の変化などが俯瞰でき、楽しんだ記憶があります。実際、海の色はブルーからグリーンに大きく変化しました。当時の香港空港はビルの谷間にあり、離着陸には高度な技術が要求されていたようでした。更に、東京発までには時間がたっぷりあり、待合室に並べられている無料のアルコールその他、たんまり楽しませて貰いました。大好きなオリーブの実をどのくらい頂いたものか、、、、

 この香港が、昨晩の豪雨で水浸しになったと言うからオドロキです。一時間に158ミリの雨が降ったそうです。平地がほとんど無い町並みなのに、車が水没し、地下街が冠水し、街全体の機能が喪失したと言うからビックリ仰天です。1884年の観測以来、始めての出来事だそうですから、市民の皆さんのオドロキはいかばかりであったでしょうか。

 最近の報道によれば、ゲリラ豪雨は世界のあちこちで起きているようです。ほとんど雨の降らない、サウジアラビア、アラブ首長国連邦のドバイなども大雨による洪水被害を受けているそうですから、オドロキ、モモノキでありまする。日本の各地で起きている「線状降水帯」による被害など、驚くに当たらないのかも知れません。これらの気象上の変化は、すべて、人間がひり出している炭素系ガスの仕業でありましょう。

 我が家の猫額のベランダから眺める大空の状況は、いまだ、秋の気配は望めず、気温も心なしか下がり気味とはいえ、30度を超えています。このところの数年、如実に感じるのは、春と秋が短くなって、冬と夏が長くなっていることです。やがて、日本の四季もなくなってしまうのでしょうか?

2024年 9 月 5・6    インターネット                          昨日の昼から今日の午前中まで、パソコンは出来てもインターネットは使えなくなっていました。そのため、アウトルックのメールも、ブログの書き込みも出来なくなっていました。理由は、ネットのプロバイダーを「PCデポ」にし、回線を昔のNTTに変更したためでした。思えば「平和台のPCデポ」さんには多大のお世話になっています。数えて10年以上になるでしょうか。富士通の大型パソコンに買い換えたのも、IPADを形式アップさせたのも、テレビを最新式にしたのも、スマホを買ったのもここからです。その上、最近は、ここの店長の沼田さんと親しくなり、時々、我が家に来て、お酒を飲んだり、すき焼き鍋をつついたりして貰っています。ならば、いっそのこと、ネットのプロバイダーも、ここと取引のある、昔のNTT回線にしようと決めて回線工事に入って貰ったのが昨日のことなのです。

 工事は大型のクレーン車が来て、直ぐに終わりましたが、インターネットは翌日昼頃まで使えなくなるとのこと、ただ、IPADは、スマホの電波を使って出来るかもしれない、とのことでしたが、ベッドに入って試してはみたものの、映像は完璧ではなく、諦めて寝てしまいました。寂しい夜でした。いかに私自身が、ネット人間になっているかを知らされたその夜でした。それがいいか、悪いかは別の問題としても、その現実に直面させられた昨晩でした。

 インターネットは今日の昼頃回復し、こうしてブログをものすことができているのですが、自分が既にネット人間になっていること、ネットなしでは生きていけないだろうこと、などなど、改めて考えさせられているところです。

2024年 9 月 4    記録映画「中村 哲」                            2019年9月15日、今から5年前、アフガニスタンのジエララバードで殺害された中村哲さんの記録映画が、いま、日本各地で上映され、話題を集めています。彼は九州大学医学部卒の医者である傍ら、当地の医療に貢献しつつも、問題の本質は「水」であることを見抜き、大規模な灌漑設備の構築に全精力を投入しました。その結果、劣悪な水による疾患はなくなり、緑溢れる土地が広がり、市民が大喜びしたのは申すまでもないでしょう。ところが、水脈の変化により、一部地域の水源に変化が生じ、それを恨んだ住民の銃弾により殺されたのです。正にフゴウの死でありました。2019年12月4日、彼が73歳の時でした。

 彼には二男二女がいます。親戚には叔父に当たる作家の火野葦平がいました。彼の偉業は次第に広がり続け、ぺシャワール会がそれを引き継いでいます。そして、このたびの記録映画の上映です。私は思います。映画もさることながら、この映画をDVDにしてもらえないか?と。そうしてもらうと、より多くの人に「中村哲さん」を知ってもらえるのではないか?と。関係者の方々、よろしくお願いいたします。

2024年 9 月 3    トルネード                            日本列島を縦断し、大きな被害をもたらすであろうと、気象庁が予報した台風10号はさしたる被害をもたらさず雲散霧消しましたが、実は、数々の竜巻を主として宮崎県内に及ぼしていたことが分りました。竜巻はトルネードと呼ばれ、年間、1000個ほど世界各地で起きていますが、世界の竜巻の8割はアメリカで発生しています。竜巻は突風の一種で、規模は小さく、寿命も短いが、直径数メートルから数百メートルに及び、人間を含む動物や植物、コンクリートや鉄骨の建物、時には大型の自動車さえも空中に巻き上げます。アメリカ国内でもオクラホマ州が「トルネード銀座」と言われ、そこの人達は、トルネードが起きると、全戸に必ずある地下室に避難し、無事を祈っているそうです。

 日本の新聞協会から派遣され「アメリカのICMA総会」参加させて貰ったとき、「オクラホマ・タイムス」の社長さんと仲良くなりました。その社長さんから日本の我々に贈られた「トルネード」という記録映画を、帰って来てから新聞協会でみんなと観たことがあります。人間とトルネードとの戦いの価値ある記録映画でした。トルネードの発生が予想されると、研究者達は、危険を顧みず、その発生原理を掴もうと、車を急がせていました。

 台風10号はさしたる被害をもたらさず、日本列島を縦断することなく温帯低気圧に変わった、と思っていたら、何のことはない、宮崎県で竜巻となって暴れていたのでした。これも気象庁は予報出来ていませんでした。日本の気象庁の猛省を促します。

2024年 9 月 2    気象庁の勉強不足                            日本列島を縦断する「超大型」という触れ込みの台風10号は、列島上空で急速に衰え、雲散霧消しました。今日の大空は心なし秋の気配が漂う雲が見受けられる快晴です。それにしても、気象庁の予報とは大いに異なる妙な台風でした。時速15キロ、つまり、自転車並の速度で日本列島に迫ってきた台風は、進路予想図では、完全に日本列島を縦断する、と気象庁は大げさに発表していました。そのため、新幹線を含めて鉄道は、大事を取って運休に運休を重ねました。空の便も同様でした。結果はどうだったでしょう? 一部地域に大雨被害はもたらしたものの、この台風は列島を縦断することなく、雲散霧消してしまったのです。ただし、一部地域では線状降水帯が発生し、洪水被害を受けたことも事実です。しかし、風による被害は日本列島、どこにもなかったのです。一風変わったこの台風の性質を、気象庁は正確に予見し、公に予報し得ていたでしょうか? 全くダメではなかったでしょうか? 予報を信じ、大事を取って度々運休する新幹線のお陰で、どれだけの人々が迷惑を被ったことでしょう。この、一風変わった台風の現実を、何故、気象庁は予報出来なかったのでしょうか! 「何事も無いのに新幹線全面運休!」気象庁は責任を感じなければなりません。地球上の気象変化は、この台風に現われたように大きく変化しているのです。従来の尺度では推し量れないほど変わって来ているのです。この一風変わった台風の形態を予測出来なかったこと、気象庁の重大失態、と言わねばならないでしょう。

2024年 9 月 1      関東大震災                           今から数えて101年前の今日の正午頃、正確には1923年(大正12年)9月1日の11時58分、未曾有の大地震が関東地区に起きました。それによる死者、行方不明者は、推定で10万5000人。全壊、もしくは焼失した家屋は、東京で20万5580、神奈川で12万5577、千葉県は1万9967、埼玉県は8845、、、、、、大災害です。俗に関東大震災と呼ばれ続けてきました。その頃、私の母親は御年8歳。一家は東京深川に住んでいました。母親の父中沢丙三は小さな鉄工所を経営し女の子ばかり5人を養っていました。丙三の父は信州真田藩の祐筆を務めていた中沢愛之進、母親の母親は鹿児島出水から出てきて長野で「油商人」になっていた,出水周助の娘「きよ」でした。一家は命からがら長野へ引き上げ、裾花川のほとり「竜宮淵」で商売を始めます。

 大きな地震災害であったにも拘わらず、しかも、人的被害が最も大きかった深川に住んでいたにも拘わらず、中沢一家に人的被害がなかったことは、「奇跡」そのものではなかったでしょうか。もし、この時、8歳の私の母親に何かあったとすれば、私という存在もなかったわけで、正に、運命のいたずらを感じてなりません。とは言っても、「災害は忘れた頃にやってくる」という言い伝えがあります。「南海トラフ地震」、「東京直下型地震」が取り沙汰されています。今、住んでいる家は、三井ホームの注文建築ですが、半地下に音楽室を創る関係もあって、土台を鉄筋コンクリートで固めて貰いました。二つの車庫もコンクリート製です。将来必ず起きるであろう地震を意識して建ててもらってはいるのですが、、、、、どうなりますことやら、、、、

2024年 8 月 31    愛犬デコピンの始球式                            昨日、大谷翔平の属するドジャース球場で珍しい始球式がありました。何と、彼の愛犬である「デコピン」が、それをやったのです。このユーモアに会場が大喝采となったのは言うまでもありません。

 試合開始前、大谷がデコピンを伴い、誰もいないピッチャーマウンドに向います。ボールを置き、デコピンをそのまま置いて、彼だけホームベースに戻りキャッチャーの構えをします。それが合図となっているのか、デコピンはボールを口に咥えて、一目散に走り出し、大谷が構えているミットにボールを投げ入れました。すかさず、大谷は持っていた青い小さな箱から、何かを取り出しデコピンに与えました。観客は、初めて見る犬の始球式に大歓声、、、、、

 神聖な球場のマウンドが、犬に依って穢された、と異論を唱える人も中にはいるかも知れません。しかし、大方はこの奇想天外な珍事に拍手を送り、笑い合ったのではないでしょうか。それにしても大谷はデコピンを可愛がり、デコピンも、良く、彼になついているものです。

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2024年 8 月 30     アマゾン                            大手通販サイトの「アマゾン」は誠に便利です。長い間、利用させて貰っていますが、困ったことが一つあります。昔は、問題が起きると、苦情センターに電話します。すると、担当者が出てきて適切なアドバイスをしてくれていたのですが、どうしたことか、それが無くなり、すべての応答がネット上のみ、となってしまっていることです。加えて、いわゆる「インチキ」メールと思われる、いかがわしいメールが多くなりました。そういうものに騙されたことが今までに2回もありました。一度目は「トラヤの羊羹」を注文したところ、京都の団地の一角から似ても似つかない代物が送られてきました。二度目は6万円相当の家具が勝手に注文され、代金が引き落としされてしまいました。有り難いことに、いずれも、アマゾンのトラブルセンターで「人間の声」で適切に処理して貰いました。

 ところが最近、「あなたの支払い方法に問題あり。改めてカード番号を登録し治せ」という通知が絶え間なく入って来るようになりました。もしかすると、カードの有効期限の問題かも知れません。それもあり得るでしょうし、ことによると「詐欺」かも知れません。それを確かめるため、何度も電話して人の声での確認しようとするのですが、係員が応対する部署が既にどこにもありません。すべての部署で係官が電話応対に出ないのです。

 何から何までコンピューターに任せ、人間の対応を廃したアマゾン!私は、これは企業として間違ったやり方だ、と思うのです。係官が出てくれれば、カード番号その他、有効期限まで、素直に登録し直そうと思っているのです。

2024年 8 月 29   巨大ビルの傾き                            シンガポールはタイ・バンコックからでも陸路で行ける半島の先に突き出た小さな国です。小国ではあっても、世界中からの多くの観光客で賑わう、財政的には最も豊かな小国です。この国の象徴は、以前はライオンの口から水が吹き出す「マーライオン」でしたが、今は「マリーナ・ベイ・サンズ」です。巨大な三つのビルの上に舟形をしたプールが横たわる巨大な建築物です。中には大がかりな「カジノ」あり、ショッピングエリアあり、イベント会場あり、ホテルは963室もあります。更に屋上のプールで泳ぐことも出来ます。天空の中で泳ぐ、、、、、、どんなに素晴らしいでしょうか! 

 ところがいま、問題が起きています。このビルに入って、床にビー玉を置くと、静止せずに、一方に向かって転がり始めるそうです。ドアがひとりでに閉まるそうです。遠方からこのビルを眺めると心なし傾いているそうです。不気味ではありませんか!いま、シンガポールでは人々の間で大きな話題になっています。

 このビルはフランス人のモシエ・サフデイが設計したそうです。そして施工社を世界中の公募しました。多くの国の業者が応募しましたが、余りに曲線の使い方が斬新のため、有名なフランスの業者も、そして日本の大手・清水建設も辞退しました。唯一、韓国の双龍建設が名乗りを上げ、受注しました。韓国の建設業社は手抜き工事が多く、とかく世界で悪名を轟かせていますが、仕方がありません。そこだけしか残らなかったのですから、、、、建設は2010年の6月に始まり、早くも2年3ヶ月後には完成させてしまいました。早く出来たため、インセンチブとして7億円を貰いました。ところが、ところがです。この双龍建設は、僅か五年後に倒産し、今は、カゲもカタチもありません。いま、シンガポール人同士の関心はこの巨大建造物の倒壊の噂だそうです。

 シンガポールへは、私は2度行かせて貰っています。一度目は仲間内のゴルフ。小舟で渡った島のゴルフ場でした。朝は涼しかったものの次第に太陽に照りつけられ始め、水分不足も祟り、死にそうになりました。二度目はマレーシア沿いの「ナイトサファリ」危うく毒蛇に噛まれそうになりました。もしこれから、三度目の機会があっても、「マリーナ・ベイ・サンズ」には泊らないようにします。倒壊されては堪らないからです。

2024年 8 月 28   男は2度出るでない                           自民党の総裁選挙、立憲民主党の代表者選びの選挙は来月に予定されています。自民党では11人々の候補者が乱立し、立憲でも4人の候補者が名乗りを上げています。驚いたのは立憲の場合、かつて総理の経験のある野田佳彦が名乗りを上げていることです。紛れもない二度目です。

 私が朝日新聞に入社させて貰って間もなくの頃、「朝日事件」という騒動が起きました。私が、縁故があって入社させて貰った永井大三さんが常務取締役業務局長の頃です。事の発端は、朝日新聞の創業者である村山家の娘婿に入った男が、病院を経営したい、朝日新聞として病院を開設して欲しいと村山家に申し入れ、村山家がそれをOKし、常務会に諮ったところ、永井大三さんが「朝日は新聞一筋で行くべきだ」と猛反対したことに始まります。村山家は怒り狂いました。そして永井常務を解雇してしまいました。それに怒ったのは販売店です。毎月本社に納めるべき新聞代原価を、本社に納めず、供託し始めたのです。大事件となりました。当時私はぺいぺいの販売局員でしたが、入手した情報を持って、密かに、都立大学駅近くの永井さんのご自宅に、何回も通っては、時の情報を永井さんに知らせに行きました。永井さんは私の情報を心待ちにしていました。「納金拒否」は新聞社にとって死活の問題でした。結局、村山家は病院経営案を撤回し、村山社長も辞任に追い込まれ、時の編集担当だった広岡知男さんが社長になりました。永井さんの復帰はありませんでした。一段落付いた頃、永井さんのお宅に伺ったところ、一通の「筆字巻紙」の手紙を見せられました。そこには経団連会長が発した「道路公団総裁になって貰いたい」という要請書でした。その手紙と共にもう一つの手紙も見せて貰いました。永井さんの生まれ故郷広島の生口島に住まわれる、永井さんの父親からの手紙でした。そこにはこう記されていました。「大三、男は二度でるでない」

 永井さんはそれを守りました。奥さんの稲子さんに先立たれましたが、悠々自適生活を送られていました。一人息子の謙君は、ガン煩いのため、仕事が出来ず、度々、お金の援助をしてきました。瀬戸内海生口島の啓徳寺には永井家のお墓があって、今はお三方が仲良くしているはずです。行って、最後のお別れをしようと、いつも思いながら、未だ、果たせずにいます。

2024年 8 月 27   イランはいらん                           イスラム主義ハマスの最高幹部イスマイル・ハニヤがイスラエルによって殺害されて以来、イランによるイスラエルに対する報復攻撃が、何時始まるか?世界は固唾を飲んで見守っていますが、一向にその気配がありません。何故でしょう?それは、ロシアのプーチンのせいだ、と言われています。イランの最高指導者ハメネイに対して、プーチンが自制を求めたことが原因だ、そうです。ロシアは今、自国内の軍事基地までウクライナのドローンの攻撃を受け、劣勢に立たされています。それにより、ロシアの武器弾薬、ドローンなどが足らなくなり、イランから供与を受けています。あまつさえ、北朝鮮からの支援まで受けている始末。イスラエルとの開戦、となればそれらは停止されるでしょう。プーチンはそれを怖れているのでしょう。

 イランの最高権力者は大統領ではありません。宗教指導者です。現在はハメネイですが、その前はホメイニでした。イスラム教の開祖ムハンマドの血を引くものが、この国では最もエライのです。聞くところによれば、イランの国民は「その政治の宗教臭さ」に辟易しているとの噂も流れています。この国では女性は、外出するときは、必ずヒジャブを纏わねばなりません。髪の毛を見せない為のスカーフです。それに反対の狼煙を上げた女性は、捉えられ死刑になったという噂です。更に、イランは強力な革命軍を持っています。その目的とするところは、ユダヤ教、キリスト教をこの世から駆逐し、世界をイスラム教の支配に置くことです。ガザの「ハマス」、レバノンの「ヒズボラ」など、そのためのゲリラ組織です。驚いたことに、その狙いは徐々に現われてきています。何故なら、世界のキリスト教信者の数は日に2万人ずつ減り、イスラム教徒が日に2万人ずつ増えているからです。

2024年 8 月 26   躾の問題                           いま、中国からの団体客が津波のように、日本各地へ押し寄せてきています。一昔前は、日本商品を買いあさる「爆買い」が問題となりました。コロナ騒ぎで、一時、下火となりましたが、今はそれも収まり、円安のおかげもあってか、日本各地は中国人の団体客で一杯です。それはいいとして、問題は一部中国人の傍若無人の振る舞いです。靖国神社の石碑に落書きはする、小便を引っかける、奈良の鹿達に暴行を加える、富士山の五合目から半ズボンで、スーツケースを引っ張って登るのはいいが、寒さに耐えかねて、器物を壊して暖をとる、辺り構わず排便をする、満員電車の中で床に座って食事を摂る、ホテルの器物を黙って持ち帰る、、、などなど、目に余る行動が目立ち、問題となっています。私自身も嫌な出来事を経験しました。

 先ず彼らは、飛行機の中でも、列車の中でも大声で会話します。そのうるさいことと言ったら、、、、しばしば行った上海便での経験です。タイ・チェンマイのメイピンホテルでは、朝食も夕食もバイキング形式でした。中国人団体客としばしば一緒でした。自分が食べられる量だけ持ってくればいいのに、皿に山盛り盛ってきて、それを残します。食べかすを通路に捨てます。上海でのこと、魚専門の料理店は中国人で一杯の人気でした。彼らは魚の骨やアラを通路に捨てます。テーブルの上も食べかすで一杯です。そして残します。食べ物を残すことが中国のマナーになっているようでした。

 中国でも韓国でも、世論調査によれば、「日本は嫌いだ」という数が上位を占めています。それなのに彼らは好んで日本に来るのです。中国の大富豪は、あろうことか、青森の奥入瀬渓谷一帯を買い占めてさえいます。最近、こんな話しがありました。東京の地下鉄での出来事。中国人の一家が床に座り込んで食事を始めました。それを見た小学五年生の男の子が「日本では地下鉄の中で食事はしないことになっています。直ちに止めて下さい」と叫びました。家族は顔を赤らめたそうです。

2024年 8 月 25     痛快の極み                         いま、人口2億4000万人で野球大好き人間の国「アメリカ合衆国」じゅうが、大いに沸いています。それは、ドジャースに移籍した大谷翔平がドジャース球場での最終回、満塁ホームランを打って勝利したのみならず「フォーテイ・フォーテイ=40-40」、つまりホームランを40本、盗塁を40回という偉業をその瞬間に達成したからです。これはアメリカのプロ野球史上6人目の快挙だそうで、正に、劇的な幕切れであり、全米の野球ファンは「アッケ」にとられたようです。

 今年の3月、身長190センチの大谷翔平は、身長180センチの元バスケット選手で、美人でしかも気品のある田中真美子さんを伴侶に選んだことにより、私生活が安定したことも、この快挙に繋がったのかも知れません。つまり、彼は幸運の星の下に生まれて来たのでしょう。それは彼のご両親に繋がっています。立派だなあ、と思うことがあります。それは彼のご両親の態度です。彼の母親は、息子が何十億と稼いでいるにも拘わらず、一切それを当てにせず、今なお、飲食店でアルバイトをしているそうではありませんか?父親とて兄姉も揃って同様だそうです。「この家庭ありて、この息子あり!」     流石、岩手県人は素晴らしい!  

2024年 8 月 24     水のあれこれ                    外国人観光客が日本来て飲食店に入ると、先ず、目の前にコップに入った水が置かれます。冷たくて美味しい水で、しかも無料。こういうことは日本独特の美風で世界のどこにもありません。水が欲しければペットボトルの水をお金を出して買わねばなりません。タイチェンマイで借りていた森の中の一軒家にも水道はありました。除菌装置を付けてはいましたが、炊事洗濯に使うだけで、調理や飲料には、別に大きなペットボトルの水を買って使っていました。

 かつて旅したアラブ首長国連邦のドバイでも、イスラエルでも、水は海水をくみ上げ、それを濾過し、真水にして使っていました。直接用の飲料水は、やはりペットボトルからでした。ヨーロッパでの飲料用は炭酸水だったように覚えています。カンボジアのトンレサップ湖へ行った時は、数千人の湖上生活者達が、湖水の水をそのまま煮炊きに使っていました。

 高校生の時から「どんどん講」という登山団体に入らせて貰っていたお陰で、山々から湧き出る清水や、谷川の水のお世話になってきました。そのお陰もあって清水や湧き水であってもそれぞれに味があることを知りました。また長じては旅ガラスの身となったお陰で、東北、関東、信越、九州の水のお世話になってきました。忘れられないのは茨城県土浦市の水道水です。泥臭い嫌な味がする水でした。霞ヶ浦の水を浄化し使っているのでしょうが、よく、市民はこれに耐えているものだ、と感心しました。

 私がいま、寝室のベットサイドに置いて、夜中に飲んでいるのは「北アルプス・安曇野の湧水」です。安曇野には広大なワサビ園があちこちにあります。北アルプスに降り注いだ雨の半分は、黑部川となって「黒4ダム」を経過し日本海に至りますが、半分はワサビ園を潤した後、犀川となって、長野で千曲川と合流し、飯山辺りから信濃川となって新潟から日本海に注ぎます。

 ペットボトルのアルプスの水には「南アルプスの水」もあります。これはサントリーが発売していますが、安曇野水より劣ります。何故なら、安曇野の水には微量ながらマグネシウム、リンなどが含まれていてなんとも言えない味があるからです。私の寝室には大きな「ポトス」の鉢植え枕元に置かれています。私と同様、安曇野湧水の愛好者です。水と空気だけでいつも青々としています。不思議な植物です。

2024年 8 月 23     エゼキエル戦争                今から2300年~2000年前に書かれた旧約聖書は、ある意味で預言書でもあります。その中に「エゼキエル書」という「予言」があります。それによると、ユダヤ人の国から北極に向かって真っ直ぐに線を引き、真下に位置する国が、二つの国を引き連れて、ユダヤ人の国を撲滅せんと襲ってくるが、突如として天災地変が起き、壊滅するという予言です。

 ユダヤ人の国とはどこでしょう? 今のイスラエルです。イスラエルの首都エルサレムから北極に向かって真っ直ぐ線を引くと、その真下に位置するのはどこでしょう、今のロシアのモスクワです。ロシアが二つの国を引き連れて、イスラエルに襲って来る、というのです。引き連れてくる国とはどこでしょう? トルコとイランとされています。

 いま、イスラエルとイランとは最悪の状況下にあります。何故なら、テロ組織「ハマス」の最高指導者がイランに潜んでいたところ、イスラエルのピンポイント爆撃に依って殺害されたからです。つまり、イランこそが「ハマス」の支援者であり、イスラエルのユダヤ人の宗教である「キリスト教」、「ユダヤ教」をこの世から抹殺し、アラブの全体をイスラム教の世界にしたいとする張本人なのです。この際、イスラム教の「スンニ派」、「シーア派」は問題ではないようです。いま、世界は、イランがイスラエルに対してどう出るか?それに対してイスラエルがどう反撃するか、固唾を飲んで見守っているのです。なぜ、そこにロシアが加わらないのか?ロシアのプーチンの横車のお陰で、NATO全体を敵に回している今、ロシア軍はウクライナの激しい抵抗に遭い、それどころでないのでしょう。この点はエゼキエル書の預言とは違ってきています。

 一方、今の世界は、ガザとヨルダン川西岸にかろうじて住んでいる少数民族に対するイスラエルの攻撃に批判的です。根深い宗教戦争であることに目を向けず、皮相的な面ばかりを強調する世界の偏向報道を真に受けているからです。イランを主軸とするアラブ世界の目的は、「ユダヤ人の皆殺し」、「イスラエルという国の抹殺」、「アラブ世界からキリスト教・ユダヤ教の排除」なのです。

 恐らく、イスラエルとイランは遠からず戦火を交えるはずです。そうなればアメリカはイスラエルを支援するでしょう。中国はイランに味方するでしょう。そこでロシアはどう出るか?今のロシアはNATOとアメリカの全面的支援の前に劣勢に立たされています。エゼキエル預言どころではないはずです。                                            

2024年 8 月 22     トイレ事情                                                                                       生まれてこの方、様々なトイレのお世話になっていますが、今の、日本のトイレは世界一だ、との評判を貰っています。羽田や成田空港に降り立った外国人のすべてが、日本のトイレの完璧さに、先ず、驚くそうです。今は全くその気配はありませんが、人がひり出す糞尿は貴重な肥料でした。畑には必ず肥だめがありました。発酵させて使う為でした。長野市に疎開していた小学生の頃、学校が管理する農園にも、藁で隠された肥だめがあり、間違って道を踏み外し両足もろとも肥だめに落ちてしまったことがあります。先生から「肥料が入ったから、背が伸びるぞ」とからかわれましたが、正にその通りになりました。

 長ずるに及んで、世界各地のトイレのお世話になってきました。タイ・チェンマイの奥地では単なる穴をまたいでひり出し、備え付けのバケツの水で流し、使った紙は紙くず篭へ、、、中国では垣根越しに相手の隣でひり出し、水で流し、使った紙はくずかごに入れていました。つまり、中国のトイレは団体で入るようになっているのでした。日本のお武家様も厠に入ってひり出すと、下に器を捧げ持った下男がいて、肥だめに捨てに行ったそうです。パリのベルサイユ宮殿には厠がなかったそうです。貴婦人がその気になると、お付きの女官が器を持って広がったスカートの中に差し入れます。女官はそれを捧げ持って宮殿の森の中へ捨てに行きます。貴婦人は匂いを消すために香水を振りかけます。香水はそのために発達してきたそうです。

 椎名誠の旅行記によるとロシアのシベリアのレストランには厠がないそうです。その気になった客人は地下に降りていくと、うずたかく積まれた凍った糞尿の山があるそうです。客人はその上に自分のものを加えます。たちどころに凍るそうです。

 今は全くそんなことはありませんが、一昔前の日本の鉄道は、糞尿の垂れ流しでした。ホームからもそれを見ることが出来ていました。ほんの一昔前までは、、、、

2024年 8 月 21     米騒動                                                                                    今まで、いろいろな種類のお米のお世話になってきましたが、最も愛用させて貰ってきたお米は、山形産の「つや姫」とい銘柄米です。米びつの底が見えて来たので、いつものお店に買いに行ったところ、品切れになっているではありませんか。他のお店に回ったところ、そこにもありませんでした。驚いたことに馴染みのお店でも、行きつけのスーパーでもお米そのものが売り切れになっているのです。そこでようやく、今、日本中で米の買い占め騒動が起きているのを知りました。理由は、今年の連日の猛暑のお陰で、米の品質の低下や収穫量の減少が見込まれため、そうなっているのだそうです。

 米騒動は20年以上前の平成の世でも起きています。そのときは冷夏による大凶作が見込まれたセイでした。今回は連日の孟夏のセイ! 季節はいろいろな影響を人間にもたらすようです。

 さて、どうするか? お米大好き人間の私にとって、連日、粉もので過ごすわけにもいきません。かといって、血眼になって米を買いあさる醜態も演じたくありません。とりあえず、レンジでチンすれば美味しいご飯となるつや姫のパックをかなり多めに買ってきたところです。

2024年 8 月 20   映画が持つ力                                                                                    今日の朝日の一面はアランドロンの死を、大きく伝えています。88歳、私と同じ歳です。彼は「若者のすべて」、「地下室のメロデイ」、「山猫」、「サムライ」、「パリの灯は遠く」など、数々の映画に出演していますが、最も印象に残っているのは、何と言っても「太陽がいっぱい」でしょうか。一抹の懼れを抱きながら、浜辺に引き上げられてくるヨットに、ロープに繋がれた彼が殺害した友の遺体が浜辺に上がってきます。彼の驚愕した顔と供に主題歌が高鳴ります。何とも美事な幕切れでありました。この映画の監督は、確か、ルネ・クレマンだったのではないでしょうか? 50年以上経った今でも、その画面が脳裏に焼き付いています。強烈でした。

 優れた映画は、時として、人の人生を変えるほどの力を持っています。私もそれを経験した一人です。それは浪人時代の3月のある日、何事かに失敗し、悲嘆にくれ、「明日は死のう」と決心し、この世とのお別れの積もりで、銀座裏の小さな映画館に入りました。「モンマルトルの丘」というフランス映画が上映されいました。イヴモンタンが「兵士が戦場へ行くとき」、コラボケールが「モンマルトルの丘」を唱っていました。見終わって出てきたとき、考えが180度変わっていました。「なにクソ、死んで堪るか、生きて生きて生き抜いてやるぞ」大空に向かって吠えたのです。

 思えば、それは、18歳の春でした。

2024年 8 月 19      温暖化                                                                                  ユーチューブによると、中国各地で大雨が降り、河川が氾濫し、田畑はいうに及ばず、都市までも水浸しとなり、人々の生活の基盤が失われ、人的被害まで出ているそうです。同じ現象はヨーロッパ大陸でも起き、ドイツのある都市が水没した、との情報まで飛び交っています。原因は人間が作り出した都市機能や車の排気ガスその他のため、大気の温暖化が加速し、河川や海から蒸発した水蒸気が、雨となって地上に降り注ぐからです。地上の温度が高くなればなるほど、海や河川からの水の蒸発が活発になり、天はそれを持ちこたえられず、地上に返してくるのです。それはつまり、地球上のH2Oの量は決まっているので、地上の温暖化が進めば進むほど、その回転の速度が速くなるのが自然の理です。と言うことは、人間や人間社会がひり出す炭素化合物の量が、益々増えこそすれ、減ることは考えられないので、海や河川から蒸発する水の総量も必然的に多くなるため、洪水による被害は更に多くなるのではないでしょうか?ここまで書いて「ハタ」と気がついたことがあります。

 水、すなわち「H20」はエベレスト山頂の氷になったり、深海の魚のはらわたの中にいたり、人間の涙になったり、赤ちゃんのおしっこになったり、とカタチを変えさえすれ、地球上の水そのものの総量は変わらないのではないか。更に言えば、地球が誕生したときに授かった、天からの贈り物でもある水という液体は、植物を育み、動物を生息させ、時には嵐となって人間を屠ったりはするが、それは水が形を変えての「悪さ」ではあっても水そのものの性質ではなく、互いに融和しながら共存すべき物質ではないのか、水と折り合いを付けながらお世話になるべき貴重な物質でもある、それを人間は厳粛に受け取って共存を図るべき貴重な存在ではなかろうか?という事実です。

 その共存に刃向かっている例が中国にあります。人間の利益のために悪用している例があります。それは、中国が誇る世界一のダム「三峡ダム」の例です。水の性質にあらがって、人力で作り上げた「人工物」です。今現在、このダムのコンクリートの堤防には、1万カ所の亀裂が露わになっていると言います。もし、一カ所でも決壊すれば、連鎖反応が起き、膨大な量の水が下流の都市に流れ込みます。下流に位置するほとんどの都市はその被害をまともに受け、2億人以上の人民が死に絶えるそうです。最下流に位置する大都市上海も水没するそうです。その危険を人間は既に予知していても、今の中国政府はどうすることも出来ずにいるようです。

2024年 8 月 18    派閥政治                                                                                 岸田文雄が、次期自民党総裁選に出ないことが公になり、来月の総裁選に立候補を予定している候補者を巡って、派閥内の抗争は激しさを増しています。自民党内には大きな派閥が五つあります。先ず、吉田茂の流れをくむ麻生派。今時、全く見られなくなった中折れ帽をかぶり、パイプを離さず、バーに通い詰める気取った小柄な、首相経験もある麻生太郎が親分の麻生派。このグループからは、河野太郎(61)が名乗り出ています。岸田によって損な役割のデジタル大臣を押しつけられたため、評判は今一つです。彼は悪評高かった河野一郎の息子で、腎臓の一つをオヤジに生体移植しています。そのため代謝が異常になり、顔色が黒いのです。でも、海外留学経験があるため英語はペラペラです。私が宣伝部長時代、朝日社内行われた表彰式で和服姿の彼の母親と同席したことがあります。大柄の気品のある賢夫人そのものでした。

 続いて茂木派からは幹事長の茂木俊充(68)と元官房長官だった加藤勝信(68)の二人。彼らは元衆議院議長だった細田が興した最大派閥を引き継いでいます。二人の内どちら?と問われれば茂木ではないでしょうか。次は池田勇人が興して岸田に引き継がれた、広島を起点とする宏池会からは官房長官の林芳正(63)。そしてまだ、噂だけですが女性外相の上川陽子(71)。旧安倍派からは経済安保担当相の髙市早苗(63)。官房長官時代に50億円使った二階派からは前経済安保担当相の小林鷹行(43)。

 そして、元幹事長だった石破茂(67)。彼は無派閥です。どこにも属していません。彼は国民的人気からすれば一番のようです。つまり、一匹オオカミなのです。田中真紀子は彼を評して「納豆餅」と呼ばわりました。人気があるからといって、派閥政治横行の中で為政者たり得るでしょうか。甚だ疑問です。

 意外なの元総理小泉純一郎の息子・小泉進次郎(43)の名が上がっていることです。野田聖子の名前まで挙がっています。以上の11人による自民党総裁選!どういう結果となるのでしょうか?

2024年 8 月 17   チエコ・ドマジリツエ                                                                                 オリンピックやり投げで、金メダルに輝いた北口榛花選手は、日本選手団と供に凱旋帰国すると思われていたのに、意外や意外、一人、デイビット・セケラックコーチと共に、チエコスロバキアのドマジリツエへ戻っていきました。日本人は唖然としましたが、チエコの人達は大歓迎でした。市上げての歓迎行事が行われたようです。彼女は五年前にメールでチェコの現在のセケラックにコーチを頼み、単身移住しています。つまり、彼女の居住空間は既に、日本ではなくなっていたのです。

 今年26歳の北口榛花は北海道・旭川の生まれです。父親は旭川のアート・ホテルで菓子職人として働いています。太っているのはそのセイもあるでしょう。趣味はkポップと韓国ドラマ、そして食べることと寝ること。試合の前には、椅子に座らず、腹ばいになってカステラを食べること。それが彼女の試合前の「おまじない」であるようなのです。その姿を見て、和田あきこが「トドみたい」とテレビで評したことが、いま、日本中の話題になっています。いくら何でも、太っているのも試合の為だからして、和田あきこは伏して謝らなければならないでしょう。チエコスロバキアに戻ったのも、引き続き、各地で試合が行われるからだと伝え聞きます。いずれにしても、金メダルを獲った北口榛花が、お世話になっているチエコスロバキアへ真っ先に戻ったのは、彼女が既に、国際的なアスリートに成長した証しではないでしょうか。お目出度いことです。

2024年 8 月 16      台 風                                                                                 地球全体の気候がおかしくなってきているセイでしょうか、台風の進路まで狂い出してきています。今までの台風は、九州への上陸辺りから始まり、回が重なる毎に、その進路が北上してくるのが常でした。ところが今年は違います。最初の台風は東北三陸沖からの上陸に始まり、岩手、青森を襲ったのでした。青森名産の「林檎」が甚大な被害を受けたようです。その次の台風が今です。福島、茨城から上陸してくるそうです。その煽りで、たった今、東京も大雨です。何かが狂いだしています。これまで、こんなことあったでしょうか?

 私自身の台風の経験では、風速60メートルの強烈な台風に遭遇した例があります。それは小倉の西部本社に業務局長として単身赴任しているときです。鹿児島県朝日会の皆さんとの大宴会の翌日、朝日新聞鹿児島支局と、南日本新聞社に表敬訪問している頃から風は強くなり、雨脚が激しくなってきました。かといって、予定行動を止めるわけにもいきません。最後の朝日会事務所に着いた頃は道路は冠水し、折れた街路樹が散乱していました。やむなく海沿いのホテルに退散しました。館内放送が叫びました。「知覧から上陸したこの台風は最大風速60メートルです。危険ですから部屋から出ないで下さい!」

 部屋から見える隣のビルの屋上には数台の車が止まっていました。なんと、その数台の車が強風に煽られて絶えず動き回っているのです。やがて、「ギャシャン」という強烈な音がし、耳がツーンとなりました。メインロビーの大ガラスが割れたのでした。波のしぶきがロビーまで入って来ている様でした。これはまずい、もし、この客室のガラスが割れたら、私は部屋から吸い出されるかもしれない。一瞬、恐怖を覚え、洋服とカバンをバスルームの湯船に入れ、私自身もそこに入り、扉を閉めました。変な気持ちでした。一方、風速が60メートルほどになると、回り一面が白くなり、何も見えなくなることを知りました、やがて台風は去り、静寂が戻ってきましたが、ホテルでも外でも食べるものがありません。寝る以外にありませんでした。何と10時間、熟睡したのです。朝食バイキングが美味しかったことといったら、、、、ホテルは、大損害があったにも拘わらず宿泊料を半額にしてくれました。

2024年 8 月 15      退 陣                                                                              今期限りで一議員に戻る岸田文雄は典型的な二世政治家です。後に広島から出馬して議員となる父親が通産官僚時代、ニューヨクに住み、三年間公立小学校に通っています。英語がネイテヴのはずです。東京に戻り、麹町中学校から開成高校に進みます。二浪しても東大に入れず、早稲田法学部卒となりました。衆議院議員だった父の秘書を務めますが、1993年出馬し当選を果たし、池田勇人が興し父親が後を継いだ「宏池会」に所属します。

 一昔前、岸田と石破と菅の三人が自民党総裁選に立候補した際、辛辣家の田中真紀子が三人をそれぞれ「冷凍透明人間」「納豆餅」「問屋の番頭」と呼びました。世論調査による岸田の評判は、始めはよかったものの、次第に下降線をたどり、今は見る影もありません。金権組織が暴露した自民党議員への風当たりの強さは想像以上となり、今度の選挙でどうなるか?注視されています。        世間評判に反して、私は、「岸田総理は良くやった」と思っています。「良く歩いた!」「大勢の人に会った!」結果はともかく「良く人の話を聞いた!」と二世議員ならではにしては、の及第点をあげたい、と思います。

 圧巻はバイデン大統領主催の晩餐会でした。夫婦で出席した岸田首相、余りに煌びやかな出席者に懼れをなした岸田夫人が、「私たちの席在るかしら?」と心細げだったのに、こともあろうに大統領の横に席を見つけて「あった!」と喜びの声を上げた、、、、その顛末を岸田は冒頭にネイテイブ英語でやったものものだから、満場が大拍手、大笑いに包まれ、、、、大成功、、、、。こういう咄嗟の芸当が、石破や菅に出来るでしょうか?

 早稲田の後輩・岸田総理、ご苦労様でした。

2024年 8 月 14   今の私                                                                                「♫見よ、東海の空明けて、旭日高く輝けば、天地の精気溌剌と希望は萌ゆる大八洲、おお晴朗の朝雲に、聳える富士の姿こそ、金網無血揺るぎなき、我が日本の栄えあれ、、、♫」と唱いながら鉄砲を担ぎ、カーキ色の軍服を着、脚にゲートルを巻き、悲愴な顔つきで行進する兵隊さんの隊列を、頭に防空頭巾をかむり、モンペをはき、割烹着姿のご婦人達が日の丸の小旗を振り、沿道で見送りました。そして、「勇んで国を出たからは、手柄立てずに死なりょうか、天皇陛下の為ならば、、、、」そして戦場に送られた兵士達は「♫恩賜の煙草をいただいて、明日は死ぬぞと決めた夜は、荒野の風も生臭く、グッと睨んだ敵空に、星が瞬く二つ三つ♫」そして、そして「♫海ゆかば水つく屍、山ゆかば草むす屍 大儀見の辺にこそ死なめ 顧みはせじ♫」、、、、どれだけの兵隊さんが異国の地で死んでいったことでしょう。銃後の守りを仰せつかった夫人や子供達、3月25日、そして5月20日、「東部軍管区情報、敵B29爆撃機の大編隊房総半島より本土に近接しつつあり。空襲警報発令、空襲警報発令!」新井薬師の我が家が焼け、命だけは助かった母親が、会津の山奥に集団学童疎開をしていた小学校2年の私を迎えに来て呉れました。二人で山を下り、長野市の母親の実家に向かいました。嬉しかったですね。

 そして8月15日の玉音放送。廊下に置かれたラジオから流れる天皇の「もごもご」した放送を、全員、中庭に土下座して聴きました。母は庭の草をかきむしり、身をよじって泣きました。全員が全員とも号泣していました。

 しかし、私だけそこを離れて、裏の物置へ行って空を見上げました。どうしたことか、自然に笑みがこぼれました。清々しい気分が襲ってきました。どうしてだか分らないが、「やるぞ、やってやろうじゃないか!」と心が叫んでいました。そして、そして80年後の今の私がいるのです。

2024年 8 月 13    メタル数比較                                                                             熱戦が繰り広げられ、数々の問題を露呈したパリ・オリンピックは終わりました。選手達は、それぞれ故国へ凱旋しています。日本選手団も帰って来ました。空港では熱烈な歓迎を受けています。何しろ、金メダル数では世界第三位となったのですから。オリンピックにおけるメダル獲得数は、「その国の国力を現わす」と言ったら言い過ぎでしょうが、金メダルについて言えば、米国40、中国40の次の20個を獲得したのです。

       金    銀     銅    計

  米 国   40   44   42  128

  中 国   40   27   24   91

  日 本   20   12   13   45

  豪 州   18   19   16   53

  フランス  16   26   22   64

  オランダ   15    7    12  34

   英 国   14   22   29   65

  イタリア  12   13   15   40

  ドイツ   12   13    8   33

              選手の皆さん お疲れ様でした。

2024年 8 月 12         おデブの快挙                                                                      一般に運動選手の体型は筋肉質でありスマートです。デブで通用するのは相撲取りくらいでありましょう。ところが、ところが、そのおデブちゃんで、しかも女性がオリンピックで金メダルの栄に輝いたのです。その人の名は北口榛花、1998年北海道旭川生まれの26歳。やり投げ決勝で、第一投目、65メートル80を投げ、美事、金メダルに輝いたのです。いやー、日本国中が驚きましたね。彼女は日大出身で日本航空に席を置いていますが、身長179センチ、体重は88キロ。正に、女力士です。甘いお菓子に目がないようで、決勝投擲の前、寝転んで、カステラを頬張っていました。そして、第一投目で自己最長記録を出したのです。

 この快挙の陰には、涙ぐましい努力があったようです。男子やり投げの世界記録保持者の教えを請うため、単身でチエコスロバキアに渡り、研鑽に励んでいたのです。人知れぬ努力がそこにあったのです。

 日本の運動評論家達は、彼女を評して、異口同音に甘いものを節制しなければダメダ、身体を筋肉質に作り替えなければ、良い記録に繋がらない、と彼女の身体の改造を指摘していたのですが、赤恥をかいた、と言えるようです。身体がデブでも運動記録と関係しない、というセオリーを、彼女が新たに打ち立てたのではないでしょうか。

 問題が色々吹き出したオリンピックも終わりとなりました。日本の獲得メダル数は目覚ましいモノがあります。今のとこ世界第四位です。イギリス、フランス、イタリア、ドイツなどの強豪国を遼がしています。何とも嬉しいではありませんか! 四年後は日本ではなくロスアンゼルス開催だそうです。   

2024年 8 月 11         ビックリ仰天                                                                      今回のオリンピックから新たに新種目になったブレイキンという競技があります。日本ではほとんど見かけませんが、外国では街の広場で主として黒人が、道具は何も使わず、身体の極限の動きを披露して、喝采を浴びている光景がユーチューヴなどで見られます。それを見る限り、人間の身体は、こんなにも考えられない動きに耐えられるものか、と驚嘆させられます。今回のオリンピックからこれが競技としてオリンピックに初登場しました。

 何、何と、このブレイキンに日本の選手が、それもか弱そうな女の子が登場し、金メダルに輝いたではありませんか! 日本国中がビックリ仰天!

 俗称・AMI(アミイ)湯浅亜実という女の子がその人です。調べて見ると、川崎駅近くの広場がブレイキンの道場のようで、アミイはそこでの花形だったようです。言ってみれば、大道芸だった曲芸が、認められてオリンピックの競技種目に加えられ、外国人、それも黒人を押さえて日本人が初の栄冠に輝いた、と言えるようです。私も驚いたが、日本人のほとんどがビックリ仰天したのではないでしょうか。思えば、「軽業」と言っていい「ボードゲーム」で14歳の少年が金メダルに輝いています。と言うことは、「日本民族の身体は他の民族にはない、無限の力が宿っている」とも言えるように思えます。

 何としても目出度い!目出度い!

2024年 8 月 10         ピアノへの執念                                                                      シューベルトの「四手のための幻想曲・ヘ短調作品940」を練馬文化センターで、先生と連弾して以来、旬日が経過しました。「今度は何を弾こうか?」と思案の連日でしたが、私が最も好きな曲でもある難曲中の難曲、ショパンの「ノクターン13番」に決めました。この曲は、昨年のショパンコンクールで角野隼斗が最後に弾いて、喝采を浴びた曲でもあります。

 問題は、日を重ねるにつれ指の動きが鈍くなり、その上、速いフレーズが弾けなくなっていることです。ほんのしばらく前までは、造作なく弾けていたドビッシーの「パスピエ」、「アラベスク一番」、「月の光」など、今は弾きこなせなくなっています。指が、思うように動いてくれなくなっているからです。「歳を重ねる」というのは何と悲劇的な現象でありましょうか!しばらく前には、チェルニーの30番を全曲復習できていたのに、それも、今はままなりません。シューマンの「子供の情景」も、速いフレーズの2,3曲が未だ手つかずです。つくづく、情けなくて、情けなくて、我ながら癇癪を起しそうです。だからといて、ここで諦めてしまえば、「はい、それまでよ」で終わりです。

 一方、ものは考えようです。毎日、一定時間、ピアノと向き逢う時間を持っているからこそ、「老化する速度が押さえ込めている」とも思えるからです。お陰で、視力も確かだし、車の運転も支障ありません。味覚も聴覚も正常です。毎日、ピアノと接触している「賜物」と言えるのでしょう。今日はピアノのレッスン日でした。ノクターン13番の前半部分を、つっかえながら先生の前でやりました。思えば、もう一曲、やりたい曲があります。それはラフマニノフの「ボカリーズ」です。これも難曲です。思えば、「弾きたい曲がある」と言うことは、ある意味、何と幸せなことでしょう。

2024年 8 月 9 日      勉強不足の長崎市長                                                                    今日9日は長崎の原爆忌です。広島同様、世界各国からの要人と供に、長崎市民は、深い哀悼の誠を捧げました。この式典には、毎年、世界各国の要人達も招待されています。勿論、当該国のアメリカは勿論、世界の主要国の代表も集います。しかし、今年に限って、何故か、主要6カ国が出席を拒否しました。その理由は、この式典が今年に限ってイスラエルを招待しなかったからです。アメリカを始め、主要6カ国とEUがそれに反発したのです。

 長崎市長の鈴木史朗市長は「イスラエルはガザでパレスチナ人を迫害している。だから平和の祭典には相応しくない」とでも思ったのでしょうか。誠に浅はかな判断だと言わざるを得ません。長崎市議会は市長の判断をなにゆえに支持したのでしょうか? 余りにも大きな「誤った判断ミス」「勉強不足」と言わざるを得ません。

 戦いの禍中にあるイスラエルだからこそ、平和の祭典に呼ぶべきではなかったでしょうか?「ハマスを盾にしてパレスチナ人を殺しているから、平和の祭典には呼ばない」。何という短絡的な発想だったのことでしょう!この判断ミスのお陰で、アメリカ始め主要6カ国が出席をボイコットしてしまいました。

 大きな、大きな汚点です。長崎市の、鈴木市長の勉強不足による、大きな汚点を、歴史的なマイナスの出来事を招来してしまいました。残念でなりません。

2024年 8 月 8 日       悪評嘖々                                                                    パリ・オリンピックは、思いの他、評判がいまいちです。曰く、食事が悪い、エネルギー源が不足している、、、寄生虫がいた、、、セーヌ川を泳ぐには水質が汚染されていてとても泳げない、、、、審判の質が悪い、、、しかも誤審だらけ、、

 それに、黒人の台頭が目立ちます。フランス代表の陸上選手もほとんど黒人です。と言うより、競技のほとんどは黒人選手で占められています。アングロサクソン系はどこへ行ってしまったのでしょう。黄色人種でさえ、まばらになっている現在を鑑みれば、これからのオリンピックは黒人達で占められてしまうのではないか? と危惧されます。珍しいことに、水泳競技でさえ、真っ黒ではないが、浅黒い肌の選手が見受けられました。つまり、スポーツの世界でも白人系が衰退し、カラード全盛となっているのです。トラック競技でも最後尾を走っていた黒人選手が、最終回近くに、全力で走り始め一位から三位まで独占する光景が、頻繁に見られるようになりました。毎回がそのパターンなので、観ていて面白くありません。

 どちらかと言えば、虐げられた生活を強いられている黒人にとって、オリンピックは絶好の機会でありましょう。しかも、彼らは強靱な肉体を兼ね備えています。オリンピックで勝つことだけを目標にして、それだけを目的として、日常を頑張り通す、、、アングロサクソンと心がけが違います。近年は黄色人種もスキだらけになりつつあります。

 次のオリンピックは四年後です。あと4年!私の目標は、93歳でみまかった私の母親の年まで生き長らえることです。4年後私は91歳です。

 よーし頑張るぞ。次のオリンピックを観るまで死んでなるモノか!東京大会にも参加した世界の選手達は「東京は良かった。食べ物を含めて何もかも良かった」と述懐しています。次回のオリンピック、再び、東京での開催にならないかなあ、、、、、、、

2024年 8 月 7        甲子園始まる                                                                    いよいよ今日から、待望の甲子園高校野球が始まりました。校名を記したプラカードを持つ女子高生に続いて、思い思いの歩調で高校球児達が入場してきます。各校の先頭の球児は、県大会で優勝した折りに授かった優勝旗を捧げ持っています。球児達の入場行進の仕方は、決して一様ではありません。脚を高く踏みしめるチームもあれば、そぞろ歩きの学校もあります。その変化がまた面白い。今年は猛暑が予想されるためか、数々の暑さ対策が取られているようです。その第一が、暑い盛りには試合を行わないようです。全員が水入りのポットを持参です。昔は、そんなことありませんでした。観客席では「かち割り氷」が飛ぶように売れていました。「暑さに耐えながら観覧する!」これが甲子園であったのです。暑さが思いのほか厳しくなったせいか、それとも人間が軟弱になったセイでしょうか? 

 長い間、朝日新聞に席を置きながら、実際に甲子園球場で観戦したのは、僅か二回だけです。その代わり、赴任先で、優勝校、準優勝校のパレードには何回か付き合いました。福島担当の頃、磐城高校が準優勝しました。勿来の駅から磐城高校まで国道6号線のパレードです。沿道が朝日の紙旗で埋まりました。茨城担当の時は取手二高と常総学院です。盛大な祝賀行事に出席しました。九州に単身赴任しているときは佐賀商業でした。博多駅から佐賀駅までのパレードに同乗しました。

 華々しいパレードもさることながら、裏方の仕事も、随分、関係しました。高校野球の地方大会での球場の設営は、当該朝日支局とその地区の朝日会の役目なのです。私自身、人出が足りなくて紙旗貼りをやったことがあります。今となっては懐かしい思い出です。

2024年 8 月 6        エノラゲイ                                                                    昭和20年8月6日0時37分、気象観測用のB29が3機、それぞれ広島、小倉、長崎に向かってテニアン島を離陸しました。ストレートフラッシュ号は広島へ、ジャビット3世号は小倉へ、フルハウス号は長崎へ。テニアン島から広島までは7時間。続いて飛び立ったエノラゲイ号は8時9分、広島上空に到達しました。高度は9632メートル。投下目標は太田川の相生橋。8時15分17秒、投下。原爆はスピンしながら落下し、43秒後、高度600メートルで核分裂爆発。広島市民11万人が即死しました。

 14時37分、エノラゲイ号はテニアン島に帰還。盛大な歓迎を受け、乗組員全員に勲章が授与され、盛大なパーテイは深夜から明け方まで続いたそうです。一方、広島では即死出来なかった数万人が火傷の傷と痛みに絶えながら、水を求めてさまよい歩き、挙げ句の果てに野垂れ死にしていきました。その数も、数万人と言われています。

 原爆忌は毎年訪れます。その度に、私たちは不慮の死を遂げた人々を今更のように弔い、平和を誓い合います。でも、戦争は地上から無くなっていません。ロシアとウクライナ、イスラエルとアラブ諸国。今日も戦火の火花は散っています。核兵器の使用こそ無いけれど、いずれの国も所有しています。いずれ、そんなに遠くないうちに、広島、長崎に次ぐ、第三の被爆都市が出てくるのでは無いでしょうか? 人間とは、何とお粗末な被造物なのでしょうか。

2024年 8 月 5 日    悪評さくさく                                                                前回のオリンピック・東京大会に続いて、パリ・オリンピックに参加している選手達は、しきりに、東京大会での食事を懐かしんでいるようです。何故なら、東京大会では、3000席のメインダイニングを用意し、日本料理、世界各国の料理、グルテンフリーなど700種類の料理を24時間提供していていたからです。その費用、約71億円!

 イギリスやドイツの選手団曰く、「パリの食事は、選手が求める種類や量ではない」、「選手は一枚の肉を取るにも苦労している」として両国とも、既に、自前のシエフに来て貰っているそうです。更に、名物のフォアグラは、「動物愛護の精神」に乗っ取って一切出されていないそうです。更に付け加えれば、選手村には冷房装置がないそうです。「地球環境愛護の精神」に則って、そうしているのだそうです。フランス選手の宿舎にはクーラーがあるのに、、、、

 柔道では、ハッキリと分る誤審がありました。決勝戦で重量同士の一本試合。黒人女性審判員が「待て」と手を上げているのに、黒人選手は日本選手を締め上げ続け、日本選手が「落ちた」ところで一本勝ちを制しました。会場は物凄い「ブーイング」。これにより日本の金メダルが阻まれました。

 更に言えば、開会式が悪評サクサクなのを知りました。その原因は式の最中、昔のフランス革命でのマリーアントワネットがギロチンに架けられる映像を流したことです。「パンが無ければお菓子を食べたらいいんじゃない」と言ったお姫様のことです。何も今更、映像で流さなくても、、、。

 私が気づいた変なことは、テレビ画面に映るその度ごとの映像です。映る限りにおいての画面の観客席がいつも超満員なのです。遙か離れている観客席の画面も大入り満員になっているのです。でも、その画面に少しの動きもありません。観客がいる限り少しは動きが画面から伝わるはずです。詰まり、画面を差し替えているか、操作してるのではないでしょうか?果たして、実際はどうなのでしょう?

2024年 8 月 4 日    興味津津                                                                アメリカの大統領選、ボケを自覚したバイデンの退場が決まりました。当然であったでしょう。替わって副大統領だったカマラ・ハリスさんが民主党の候補として名乗り出ました。アメリカの歴史の中で、これは、画期的出来事です。アジア系の黒人女性の初めての登場です。年齢は59歳、黒人であるジャマイカ系の父とインド系移民の母をを持つ、アジア系の女性です。既に立候補が決まっている二期目のトランプと壮絶な選挙戦になることは、恐らく、必須でしょう。既に、彼女への献金が450億円も集まっているとのこと、これはオドロキ以外の何ものでもありません。

 苛烈さを増すイスラエル紛争では、ハマスの最高指導者がイランで殺害されました。イスラエルに対するハマスのテロ行為絶滅を悲願とする目的は、一応、達成されたとみていいのでしょうが、果たしてこの紛争の根源を支配するイランがこのまま黙っているでしょうか? 私は、この紛争は益々拡大する、と観ています。何故なら中東のアラブ世界、つまり、イスラム教の国々の目標は、中東からユダヤ教を排除することユダヤ人を、アラブから抹殺すること、、イスラエルという国を撲滅することにその目的があるからです。

 詰まり、イスラエル紛争について、アメリカの次期大統領がどういう態度に出るか? がとても重要なのです。トランプが返り咲いた場合、彼の娘婿がユダヤ人であることから、イスラエル支援を送り続けました。望まないまでもイランとの戦いを忌避しないでしょう。しかし、もし、女性大統領になった場合、そういう態度がとれるでしょうか?女性は本能的に争いを好みません。戦争を嫌います。もし、アメリカが女性大統領を選んだ場合、世界情勢に一代転換が起きること、必須でしょう。アメリカ大統領選の帰趨、、、、世界はいま曲がり角にさしかかっているのです。

2024年 8 月 3 日     選手村の食事                                                         パリ・オリンピックの選手村の食事については賛否両論があるようです。その一つは種類は様々、盛り付けは華美であっても、体力を維持、発揮するためのエネルギー供給源となる食材が少ない、という不満です。

 先ず、ご当地のフランス料理では、ベジタリアン・ブルギオン。野菜の赤ワイン煮込み。ブランダート・ドウ、モルー。塩漬けのタラとマッシュポテト。アジア料理では豚挽き肉とタイバジルのバスマテイライス。 カリフラワーとターメリック入りのベイクドポテト。アフリカ・カリブ料理では、ピーマン、タマネギ、トマトの卵料理。チエルムーラソースのフライドシュリンプ。 世界共通としてはラム肉とミントジュースの煮込み。ベジタブルチサワ。茄子とジャガイモの料理、、、ET CETERA

 フランス料理の最大の王様、「フォアグラ」についてはどうなのでしょうか?選手・役員全員が好きなだけ食べられる量が提供されていたのでしょうか?「エスカルゴ」についてはどうなのでしょう?どうやら、チーズだけは食べ放題だそうです。でも、選手達の力の根源は何と言っても炭水化物ではなかったでしょうか?その量が少ないため、不満が出ている様なのでした。東京オリンピックの選手村では、「味の素の冷凍餃子が選手達に大評判でした。あれなら炭水化物の供給源になり得たでしょう。

 昔、現役の頃、30人の朝日新聞奨学生を連れてヨーロッパ10日間の旅を引率したことがありました。スイスのエイーグルから登山電車でレザンに登り、そこのアメリカンスクールに滞在したのち、ドイツを経由しデンマークの民宿に逗留しました。出てくる料理はジャガイモばかりでした。さて、帰国となってパリに出て、そこの日本料理屋さんにお世話になりました。全員が全員とも、お米のご飯をむさぼるように食べました。日本の食習慣とはいえ、日本人のエネルギー源はお米であったのです。

2024年 8 月 2 日    美は照応にあり                                                     「美は照応にあり」という意味深長な言葉は、小学校6年生の時、担任の上野雄二先生から教えられた言葉です。長野市外れの先生のご自宅は蔵書が満ちあふれていて、新婚間もない先生のお宅で、奥様の手料理の夕食を頂きながら、「美」とは何ものか?について夜更けまで課外授業を受けさせていただきました。忘れられないそのご恩に報いるため、朝日新聞社へ入社後、御恩を感じていた旧友達と協力して、先生の詩集を自費出版させていただきました。その出版記念会を先生の教え子達、約300名が長野市の文化センターに集まって、盛大に開かせていただきました。詩集の序文は、当時、朝日新聞の第一面を毎日飾っていた、「おりおりのうた」の選者「大岡信」さんにお願いしました。そのとき、仲間数人で三鷹の大岡先生のお宅へお願いしに行きました。先生好物のウイスキー6本と金五万円を持参しましたが、しばらくして、金五万円が返されてきました。ウイスキーだけで十分だ、というお手紙が入っていました。

 何で、こんな古い話を持ち出したかというと、「美」というものは、何も美術の世界だけのモノではない、今、佳境に入っているオリンピックの選手たちの中にも「美」は存在する、と悟ったからであります。懸命に戦う選手達の姿、、、、死に物狂いで相手と向き逢っているそのカタチ。「掛け値なしに美しい」と感じたからです。金メダルに輝いた体操選手、柔道、卓球、バレーボール、バトミントン、ET C、、、全身全霊を込めて相手と立ち向かっている人間の姿、、、掛け値なしに美しい。と今更ながら、改めて感じたのです。オリンピック万歳!

2024年 8 月 1 日    ナベツネ                                                     読売新聞社及び野球の巨人軍などの、読売グループの最高権力者とし今も居座り続ける渡辺恒雄は、1926年(大正15年)の生まれであるから今年で98歳になるのであろうか? 今もってその権力の座から降りようとしていないて現状は、常識の範疇を遙かに超えるのではないでしょうか。

 彼は杉並区に生まれ開成中学、東京高校を経て、戦後の混乱の中、東京帝国大学文学部哲学科にに席を得ます。一時、共産党にも入党しています。読売新聞に入社し、政治部記者として数々の政治家と親交を得ていきます。特に中曽根康弘とは昵懇の間柄でした。中曽根が100歳で没したとき、葬儀委員長を務めています。

 読売新聞は富山県出身の正力松太郎に依って生まれました。正力は後に電源開発総裁も務めています。日本における原子力発電の推進者でもありました。原子力発電に懐疑的だった日本国内世論を一掃するため、国庫予算2兆4000億円を組んで、電通と結託して、国内の地方新聞社、地方テレビに「原発は安全だ」という広告を掲載させ、今日に至っています。

 ナベツネが編集を代表していたときの読売新聞の社長は、販売畑出身の務台光雄でした。私が朝日新聞に拾われた頃です。毎日新聞の梅島、朝日新聞の常務取締役営業局長の永井大三の三人が、新聞界の三巨頭と言われていました。読売の務台光雄が、高齢でもある務台が、なかなかその座から去ろうとしない現状に、ナベツネは社内で公然と務台に反旗を翻し、とうとう務台光雄の追い落としに成功してしまいました。

 高齢になったら、自らを悟り、権力の座から降りて、次代に引き継げ、と強力に主張していたナベツネ本人が、何と、今もって読売グループの権力者で在り続けているんです。大きな矛盾を読売グループは日本国民に見せつけているのです。

 この5月にアメリカ・ロスで起きた「大谷翔平事件」は今もって収束の兆しが見えていません。フジテレビと日テレの過剰報道についてフジは謝罪を公にしましたが、日テレは先月末お座なりの言辞を発しただけです。それにはナベツネの言辞が大きな障害となっています。

 「何を抜かすか、この小僧、たかが選手の分際で、ぶっ飛ばすぞ」と大上段にやったのです。日本国中が呆れました。老害の極みと言えるのではないでしょうか! この事件の帰趨は日本国民の大きな関心事となっています。

   ナベツネ殺すに刃物は要らぬ、読売新聞止めればよい!

2024年 7 月 30・31 日    ポツダム宣言                                                     昭和20年7月16日、ドイツのポツダムにアメリカのトルーマン、イギリスのチャーチル、中国の蒋介石、(後にロシアのスターリンが参加)が集まって、日本に対する降伏勧告の文書を作成し、日本に送りつけられました。受託するかどうかの回答期限は7月の28日。日本は天皇陛下を交えて何度も協議したようですが、軍部の強硬な姿勢により勧告は受け入れられませんでした。昭和20年の今日、もはや、これまでとしてトルーマンは原子爆弾投下の命令を下します。

 25年ほど前、ツアーに加わって東ドイツのポツダムへ行ったことがあります。湖畔の小さな民家がその舞台でした。スターリンに割り当てられた部屋が一番大きかった記憶があります。

 そのポツダム宣言ですが、名前は知ってはいても、その内容については、これまで無知のままです。たまたま、その全文を手に入れたので読んでみました。歴史的価値のある文章なので、長いけれど、ここに再録いたします。

 1)我々、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席とイギリスの首相は、我々の数億の国民を代表して協議した結果、この戦争終結の機会を日本与えることで意見が一致した。

 2)アメリカ、イギリス、そして中国の陸海空軍は、何度も陸軍、航空編隊の増強を受けて巨大になっており、日本に対して最後の一撃を加える体制が整っている。この軍事力は、日本が抵抗を止めるまで同盟国によって維持できるものだ。

 3)世界中の自由な人々は立ち上がった。それに対してドイツが採った無益かつ無意味な抵抗の結果は、日本の人々に対しても極めて明快な例として示されている。現在日本に向かって集中しつつある力は、ナチスの抵抗に対して用いられた力ー全ドイツ民の生活、産業、国土を荒廃させるのに必要だった力ーに比べると、測り知れないほど大きいものだ。決意を持って、我々の軍事力すべてを投入すれば、日本軍は壊滅し、また、日本の国土は焦土と化すだろう。

 4)日本が決断する時は来ている。知力を欠いた身勝手な軍国主義者によって制御され続け、滅亡に淵に至るのか。それとも、理性の道を選ぶのか。

 5)我々絵の条件は以下の通り。条件からの逸脱はないものとする。台替条件はない。遅延も一切認めない。

 6)日本の人々をだまし、間違った方向に導き、世界征服に誘った影響勢力や権威・権力は、排除されなければならない。無責任な軍国主義が世界からなくなるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能である。

 7)そのような新秩序が確立されるまで、また日本の戦争遂行能力が壊滅したと明確に証明できるまで、連合国軍が指定する日本領土内の諸地点は、連合国軍がこれを占領するものとする。基本的目的の達成を担保するためである。

 8)カイロ宣言の条項は履行されるべきものとし、また、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及び我々の決定する周辺小諸島に限定するものとする。

 9)日本の軍隊は、完全に武装解除されてから帰還を許し、平和で生産的な生活を営む機会をあたえることとする。

 10)我々は、日本を人種差別し、奴隷化するつもりもなければ国を絶滅させるつもりもない。しかし、我々の捕虜を虐待した者を含めて、すべての戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を行うものとする。日本政府は、日本の人々の間に民主主義的風潮を強化し、あるいは復活するにあたって、障害となるものは排除する。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重が確立されなければならない。

 11)日本は産業の維持を許される。そして経済を持続し、正当な戦争賠償の取り立てに充当する。しかし、戦争を目的とする軍備拡張のためのものではない。この目的のため、原材料の入手はこれを許される。ただし、入手と支配とは区別する。世界貿易取引関係への日本の事実上の参加をゆるすものとする。

 12)連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯び、かつ責任ある政府が樹立される限りにおいて、直ちに日本より撤退するものとする。

 13)我々は日本政府に対し日本軍の無条件降伏の宣言を要求する。かつ、誠意を持って実行されるよう、適切かつ十二分な保証を求める。もし拒否すれば、日本は即座にかつ徹底して撃滅される。

 この降伏勧告は、今、振り返ってみても、「決して過酷な勧告ではなかった」と私には思えます。ああ、それなのに、それなのに、受諾しなかったが為に、8月6日、9日と立て続けに新兵器・原子爆弾が広島・長崎に落とされ約50万の市民が命を奪われました。

 いま、パリではオリンピックがたけなわです。地球市民のお祭りです。どんなにこれが尊く、素晴らしいモノなのか、ここに記したポツダム宣言を読めば分ろうというモノです。過日のオリンピックの開催をけなす女性筆者による小賢しい天声人語。論説委員室へ行って怒鳴り込もうとさえ思っているところです。

2024年 7 月 29 日    暑 い                                                       今日も気温は朝から36度以上。猛暑です。ところで、世界の情報を色々見る限りにおいて、パリのオリンピックの水上演出は、余り、評判が良かったとは言えないようです。 何故なら「まとまりがなかった」、「焦点がハッキリしなかった」などなど、、、、

 私はそうは思いません。大きな広場のないパリにおいて、人々の大勢が一堂に集まれる空間はセーヌ川そのものだったでしょう。それをぬけばコンコルド広場だけです。東京には色々あります。国立競技場、神宮球場、室内なら武道館、、、、余談になりますが、その武道館と神宮球場で大勢を前にして挨拶したことがあります。武道館の時は朝日が主催する毎年行われる「全国職業別団体将棋大会」(俗にしょくだんせん)。毎年主催者を代表して朝日の宣伝部長が挨拶をしています。もう一つは明治神宮球場で産経新聞社の主催から朝日へ移った時の、最初の「東京都小・中学校対抗野球大会」、一万人規模の入場行進がありました。ゲストの野村監督ご夫妻、来賓の五木ひろ和祐子夫妻と共に子供達の入場行進に拍手を送り、主催者挨拶をしました。流石に足が震えました。 

、、、、暑さで頭がおかしくなったのでしょう。つまらない思い出話を書きました。平にご容赦、、、、

2024年 7 月 28     熱中症                                                          今日も昼日中は36度、猛暑の連続です。幸い、一日中二階の仕事場にいても、誰にも咎められない生活になっているので、部屋の温度を26度前後に固定して猛暑をやり過ごすことが出来ています。しかし、数十年前、私としたことが熱中症で救急車で運ばれたことがあります。8月のある朝、いつものように起きて、キッチンに立っているとき、悪寒とと激しい目眩に襲われました。三男に救急車を呼んで貰い、そのまま病院へ運ばれました。高野台の順天堂は満員で江古田の鈴木病院でした。意識が混濁し始めていて、長男と次男の家族が呼ばれました。長男の一人娘と次男の双子の男女の孫が中学生の頃で、全員が駆けつけてくれました。その全員が見守る前で、私は立ち上がろうと藻搔いたようです。とうとう紐でベッドにくくりつけられました。意識が混濁していたようでした。その後、空きができて順天堂へ移動となりましたが、おしっこが出ません。看護婦さんによって管が常時くくりつけられました。血尿が出ていたようでした。

 原因は熱中症でもたちの悪い「水分摂取不足症」だったようです。水分をシッカリ摂るように、と申し渡されたように思います。それからというもの、寝室の枕元には「北アルプスの天然水」の二リットルのボトルが年中置かれています。夜中起きる場合もあるのでその度にゴクゴクとやります。

 順天堂の年配の看護婦さんが、「歳をとったら水を飲んで下さい。毎日、タクサン飲んで下さい」と、誰彼の区別なく患者さんに向かって言っていた言葉を、私は今も実行しています。

 2024年 7 月 27     奇想天外な開会式                                                          約三時間、テレビで流れたパリ・オリンピックの映像を見ることが出来ました。感激しました。流石、フランス・パリだと納得しました。昨日の天声人語を書いた女性の論説委員も、恐らく、観たでしょう。世界の人々のスポーツをすることによる祭典の喜びを、その映像から推し量り、自分の書いた天声人の「狭量さ」に恥じ入ったことでしょう。

 生憎の小雨交じりのお天気でしたが、それをモノともせず、各国選手団は船に乗り、セーヌ河両岸のパリ市民に手を振り続けていました。選手が大人数の国は大型船で、小人数の国は呉越同舟で、、、。市民達も小雨の中、小旗を振ってそれに答えていました。何と、麗しい、微笑ましい光景であったことか!「選手団の入場行進をセーヌ川の船で行う!」何と素晴らしいアイデアではなかったでしょうか! 船上の選手達の笑顔はこぼれんばかりでした。喜びに満ちあふれていました。

 コンコルド広場では、人数を制限して型どおりの開会式が行われました。バッハ会長がフランス国に感謝し、マクロン首相が開会を宣言しました。残るは聖火台の点灯です。これにも数々の工夫が隠されていました。そして、光の渦の中で聖火はエッフル塔に灯りました。

 延べ約三時間。フランスならではの工夫が散見できた「奇想天外」とも言える開会式でした。笑顔が満ちあふれていました。人種の違いこそあれど、スポーツを通じて心を一つにする人間同士の愛がそこにありました。

 この奇想天外なオリンピック開会式を観るまで、生き長らえて来れたことを、改めて神に感謝しました。

2024年 7 月 26 日    呆れた天声人語                                                      今朝の天声人語の書き出しは「オリンピックが嫌いだ」という文章で始まっています。翻訳家の岸本佐知子が随筆集「ねにもつたいぷ」に書かれた文章だそうです。理由は「朝から晩までオリンピック、オリンピックになるから嫌いだ」というのだそうです。更に「メダルの数に固執するから嫌いだ」とも。金銀銅のメダルを止めて、どんぐり、煮干し、蝉の抜け殻にしたらどうか、とこの随筆が提案していることを天使人語氏が、マコトシヤカに紹介しています。

 この天声人語の著者は明らかに女性でしょう。ほとんどの男性は岸本佐知子という女性の翻訳家を知りません。いやしくも天使人語に取り上げる以上、少しは世間に名の通った男女の識者にして貰いたいモノです。更に言わせて貰えば、大事な開会式の天声人語に、メダルは、金銀銅を止めて、どんぐり、煮干し、蝉の抜け殻にしたら?という女性翻訳家の戯言を大切な天声人語の限りある紙面に登場させていいものでしょうか?

 新聞自体の凋落、部数の激減、優秀社員の転職、女性記者の増加、加えて、朝日名物の天声人語筆者の女性化、、、、かつての天声人語の筆者の皆さん、今朝のハッキリ女性と分る筆者のものを見て、呆れて、嘆いていることでしょう。パリ五輪の開会式の天声人語である以上、日本選手団の活躍を祈念する天声人語であって欲しかった。

2024年 7 月 25 日    オリンピック                                                      いよいよ、明日26日から「パリ・オリンピック」が始まります。どんなオリンピックになるのでしょうか?楽しみです。開会式では市中を流れるセーヌ河を使うそうです。どんなアイデアが生まれるのでしょうか?  思えば、四年前の東京オリンピックも愉快でした。選手村の食堂では味の素の「冷凍餃子」が飛ぶように売れました。韓国の選手団の宿舎の壁面に反日の垂れ幕がタラされました。日本の食事は食べられない、として自国の食材と供に料理人を連れてきました。韓国は今回のオリンピックでも、メダルのデザインが日章旗に似ているといちゃもんを付けています。韓国という国は何かというと、日本にいちゃもんを付けてきます。「またか!」とオリンピック委員会は辟易しているそうです。

 パリには二度行きました。最初はロマンロランの「ジャンクリストフ」に血道を上げている頃で、ルーブル美術館の壮大さに圧倒され、ノートルダム寺院の鐘の音には心を動かされました。その度にエスカルゴとフォアグラを頂きましたが、上等のフォアグラを採るために、無理矢理、ガチョウの喉に穀物を押し込んでいる現場を見てからは、ガチョウへの同情が先立つようになりました。夫婦で行った時は、パリのデパートでそれぞれにオーバーコートを買いました。店員さんが出してくるのは、いずれもタケが長く、日本のモノと全く違います。余りの熱心さに断るわけにはいかなくなり、買い求めはしましたが、結局、宝の持ち腐れとなりました。

 ともあれ、「花の都・パリ」での世界最大のイベントです。明日からが楽しみです。

2024年 7 月 24 日     能登の水問題                                                  人が生きるに当たって絶対に必要なモノは何でしょう? 水です。地震と津波で壊滅的被害を受けた、能登半島の市町村の水事情はどうなっているでしょうか? 調べてみると、既に半年以上が経過しているのに、全くと言っていいほど、進んでいません。相変わらず、町ごとに給水車が来て、その給水車にポリ缶を持った高齢者が集まり、腰を痛めながら運び入れ、飲料水、料理の水にしているのが現状のようです。とても、洗濯やトイレまでは回らないようで、非衛生、この上もないようです。  

 何故か! 第一の原因は、居住地の地下に張り巡らされていた水道管が、地震のため、ズタズタにされたことです。土を掘り返し、旧い管を取り除き、新しい管に入れ替えねばなりません。膨大な人力が必要です。機材も集めねばなりません。いくら掛かるか分らないお金の手当も必要です。ああ、それなのに、それなのに、馳知事の石川県も、街や市は元より、動いてくれていません。全国に大号令をかけて、各地の水道業者を能登に集め、どんな大金を払ってでも、国の事業としてとり組むべきなのに、それが出来ていないのです。

 「命の水」の確保に遅れている現状を見かねた。令和新撰組の山本太郎が、国会で岸田総理をつるし上げました。小気味の良い質疑応答でした。私も太郎さんに同感です。国家としての特別予算を組んで、全国から水道業者を能登に集め、人海戦術で水道管復旧に当たるべきだと。

 今は7月、しかし、間もなく一年が経つのですぞ。いかに、災害の規模が大きかったとは言え、人間同士、助け合えば克服出来るのです。それこそが、行政の、国家の役目ではないでしょうか?

 災害から既に半年も経過しているというのに、今もって、給水車に群がり、痛い腰をかばいながら、仮設住宅すら与えて貰っていない人々をこのままにしていていいものでしょうか?              議員の皆さんよ、恥を知り給え!

2024年 7 月 23 日     ピアノ発表会                                              今日はこれから、練馬駅前の練馬文化センターへ行ってピアノを弾いてきます。ピアノ教室の合同発表会で、幼い子供たちに混じって白髪頭の生徒が出場するのです。恐らく、私が最高令の出場者のはずです。昨年はプーランクのエチュードを弾きました。その前の年は先生との連弾でスラブ舞曲でした。そして今回はシューベルトの「二台のための幻想曲940ヘ短調」。極めて長く、また技術的にも難しい曲です。今回はその前般部分だけ。それでも、凡そ10分くらい掛かります。

 この三ヶ月、この曲ばかり弾いてきました。何度弾いても、その度にシンミリしてしまう、絶妙な和音とメロデイがちりばめられている曲なのです。今回は前半だけ弾くのですが、何とか、年末のビデオ発表会までには、難度の高い後半部分をやりたいモノだ、と思っています。つまり、この曲を仕上げるまでは、「あちらの世界」には行かない、行けないとまで思い詰めているのです。

 この年になるまで、ロマン派の巨匠達のピアノ曲を弾かせて貰ってきています。モーツアルト、ベートウベン、シューマン、ショパン、ドヴィッシー、、、、つらつらオモン観るに、最も私の感性にぴったりするのはシューベルトだ、と思うようになりました。

 文化センターでの開演は午後三時半。私の出番は六時半頃だそうです。これから身を清め、地下室のピアノで最後の練習をし、仏壇に灯明と線香を灯し、行って参ります。

2024年 7 月 22 日     何故だろう                                              今までは、大道芸と思われていたブレイクダンスが、ブレイキンとして今回からオリンピックの正式種目に加えられたことは、良かったとしても、既に、時代遅れになっているにも拘わらず、依然として正式種目に加わっている競技が散見されます。その一つが「馬術」。戦争に火薬が使われる以前、馬を乗りこなすことは必須の案件でした。時は移り、今次の戦争に馬が登場することはありません。乗りこなす技術を競う必要もありません。僅かに、ヨーロッパの豪族が、趣味・嗜みとして馬と接しているくらいです。すなわち、特権階級だけに通用する競技となっているのです。時代が移り、馬の代わりにガソリンによって走る車が世界中を走り回っている現在、「馬の扱い」を競技として競う種目を敢えて残しているオリンピックは、一体、何なのでしょうか?

 もう一つあります。それは水泳です。以前から日本選手が大活躍している、日本のお家芸ともいわれる水泳です。かつては古橋選手、橋爪選手が大活躍して日本中を沸かせました。今回は池江理佳子選手です。難病の白血病を克服しての出場です。嬉しさこの上もないのですが、考えてみると、また五〇年この方、オリンピックの水泳場で黒人選手を観たことがありません。男性も女性もです。何故でしょう? 「黒人とは同じ水の中で泳ぎたくない」という暗黙の差別が厳然として存在しているのでしょうか? もし、それが暗黙の正解だとすれば、これこそオリンピック委員会がとり組まねばならない大問題だ、と思えるのですが如何でしょうか?

2024年 7 月 21      ブレイキン                                              東京オリンピックを昨日の出来事のように思っていたら、間もなくパリ・オリンピックが開かれます。友人のほとんどは、既に、幽明境を異にし、高校時代からの友達は、信濃毎日新聞の内山君だけとなりました。故に、シッカリ観戦し、冥土への土産としなければなりません。

 今回から、オリンピックに新しい種目が加わりました。「ブレイキン」というのだそうです。道具は何も使わず、身体だけを使って、昔でいう曲芸を繰り広げる行為です。いわゆるアクロバット。街の広場で主として黒人が人を集めて自分の身体の極限を披露する運動行為です。普通では考えられない人間の身体の動きが、いとも、易々と繰り広げられ、それに感動した観衆が、空き缶にお金を投げ入れる、、、、それがオリンピックの正式種目になったのです。

 アクロバット的競技は、昔から鉄棒、鞍馬、平行棒、床体操などがあり、日本はその部分で数々のメダルに輝いてきていますが、ブレイキンはそれとも違います。一切の道具を使わず、身体だけで、人間の身体の動かし得る極限を表現します。つまり、昔で言う大道芸がオリンピックの正式種目に昇華したのです。ユーチューブで見る限り、それは凄いモノです。人間の身体はこんなにも多彩な表現ができるのか!と唸ってしまうほどです。この運動表現を、黒人の専売特許ぐらいにしか認識がなかった私は、大いに反省しなければなりません。ともあれ、花の都のパリで行われる五年に一度のオリンピック。その次の五年に一度のオリンピックまでは、恐らく、私はこの世にはいないでしょうから、ゆっくり、じっくり見させて貰って、日本国選手を応援しましょう。

2024年 7 月 20                                                    鰹は私の大好きな魚の筆頭です。昨夕も、スーパーで買った背の部分をスライスしてわさび醤油と共にいただきました。旨かったの何の、、、 昨 日本は世界有数の鰹消費国のようです。年間の消費量は約25万トン。鰹の世界の水揚げ量は299万トンですから、世界の十分の一を頂いていることになります。

 鰹は回遊魚でも在ります。毎年、2月、3月頃、石垣島、台湾の近くの海域で生まれた鰹の稚魚は、黒潮にのって北上を開始します。野島崎沖辺りに至る頃はかなりの大きさに成長します。漁師達の鰹の一本釣りの餌食になります。初鰹です。鰹の群れは北海道沖に達すると、今度は向きを替えて、産卵のため南下を開始し始めます。秋の戻り鰹です。美味の極値です。或る秋の頃、親友の宮沢君が会員の桜ヶ丘でゴルフをやり、終わって鮨屋に入りました。そこで頂いた戻り鰹の握りの旨かったこと!二人で、「もうありません」と言われるまで食べ尽くしてしまいました。

 更に旨かった鰹のにぎりの思いでは、三月初めの沖縄・石垣島の鮨屋です。生まれたばかりの、これから黒潮にのって遡上する前の、子供の鰹の握りでした。「申し訳ない、申し訳ない」と心でつぶやきながら、その類い希な美味を頂いてしまいました。ここまで書いたところで、、、、今夜も鰹で決まりです。

2024年 7 月 1 9 日  日本良いとこ                                              円安のお陰かどうか、今、日本中に外国人が溢れかえっています。何しろ、世界の民に、「一番行ってみたい国は?」と問うと「それは日本!」となるそうですから、嬉しい悲鳴です。彼らが一様に驚くのはダイソーの100円ショップだそうです。文房具その他、彼らはその品数の多さと、値段の安さに惹かれて爆買いしているそうです。CoCo壱番屋のカレーは本場より味がいいそうです。日本人ならほとんど見向きもしなくなったカップラーメンや即席モノ、彼らは爆買いしています。そして彼らや彼女たちは、日本中どこにでもあるコンビニを重宝にしているようです。コンビニのサンドイッチとおにぎり、絶大な人気商品だとか。

 エジプトから日本へ出稼ぎに来ていた娘が、かなりの蓄えが出来たのでエジプトから父親を呼びました。親子は新幹線で京都に向かいました。富士山に圧倒されながら父親は叫び続けました。「砂がない!砂がない!、砂はどこにあるんだ!」

 いま、日本で、行かない方が良い、と言われている国の筆頭はインドです。その次がエジプト。治安が悪い上に、観る価値のあるのはピラミットとスフインクス、それに砂漠。エジプトから来たお父さんは日本も砂に囲まれている国、と思っていたのでしょうね。

 現在、日本の労働力の或る部分は外国人の若者に託されています。昨年の7月、鼠径ヘルニアの手術の後遺症で、練馬高野台のリハビリ病院へ8日間入院しました。リハビリの指導をしてくれたのは韓国の若い女性でした。入浴の介添えをしてくれたのは、二人の若いベトナムの女性でした。遠からず、介護施設の職員は外国籍の女性ばかりになり、日本の若者はいなくなるのではないでしょうか!

2024年 7 月 1 8 日  デコピン                                              アメリカ野球界の最大の祭典「オールスター戦」で、大谷翔平は真美子夫人と手を繋いで、レッドカーペットを歩きました。翔平と手を繋ぐ真美子夫人は、ノースリーブの白一色の装いで、輝いていました。驚いたのは彼の愛犬「デコピン」も一緒だったことです。何と、彼の着ている背広の裏側にデコピンの姿が縫い込まれていたのです。それを見た観客は、彼のユーモアーのセンスに大喝采したようです。

 日本人は昔から着物を着てその上に羽織を羽織っていました。羽織は表地は普通でも、裏地の質と柄に気を配りました。「粋」という言葉はそこから生まれました。彼の出生地・盛岡も武家社会の伝統が残っているところです。彼はそれを知っていたのでしょう。

 彼が自分の背広をはだけて、デコピンの裏地をみせた途端、大群衆はその意外性に呆気にとられ、感嘆の声をあげ、大拍手が鳴り止まなかったそうです。それにもまして、ノースリーブながら白一色のいでたちの真美子夫人の美しさは、際立っていました。その真美子夫人とデコピンのお陰で、彼は特大のホームランを打ち上げたのです。

2024年 7 月 1 7 日      腑に落ちない                                               ライフルの弾が、もし、三センチほどずれていたら、トランプの脳髄を直撃し、彼は即死し、アメリカのみならず世界の景色が変わることになったかもしれない一昨日の事件。どうにも腑に落ちないのは、トーマス・クルックスという20歳の青年をしてこの凶行事件に至らしめた背景の存在です。そのため、彼の家庭環境、学校での動き、思想的背景など、Googleやマイクロソフトを使って調べて見ましたが、今のところハッキリしません。分ったことは、バイデンが就任した折、民主党に15ドル献金をしたことぐらいです。家庭環境、父親、母親、兄弟などもハッキリしません。いずれハッキリするでしょうが、しばらくしてから、彼をしてこのような凶行に至らしめた彼の心情の推移を話題にしたい思いでいます。

 唯一、ハッキリしたのは、「次期大統領はトランプで決まり」となったことです。 もし、ライフルの弾が三センチずれていたら彼は即死していたはずです。神様はアメリカには彼が必要だ、として弾道を外したのです。そうとしか思えません。トランプ自身もそう思ったでしょうし、多くのアメリカ人も、そう思っているのではないでしょうか。

2024年 7 月 1 6 日      祭り                                               昨日は京都の祇園祭りでしたが、大雨に祟られ、サンザンだったようです。箱形の山車を印し半纏の男達が引っ張り、山車の上では「お囃子」が、「コンコンチキチ、コンチキチ」と奏で、四條通りを練り歩く、単純なモノですが、何故か人気があり、黒山の人だかりとなります。

 商売が旅ガラスであったお陰で、日本各地の祭り出会えたことは、今思えば、有り難いことでした。青森の「ねぶた」弘前の「ねぷた」、秋田の「百尺竿灯」、仙台の「七夕祭り」、福島の「会津磐梯山」、小倉の「祇園太鼓」などなど。ただ、どうしても行ってみたいと思いながらいまだ果たせないでいる祭りがあります。それは徳島の「阿波踊り」、岐阜郡上八幡の「盆踊り」、そして富山の「風の盆」の三つです。中でも風の盆は魅力的な祭りです。深夜、編み笠姿の女性たちが、鼓弓と三味線の響きの中で、静かに練り歩きます。そのときの鼓弓の音色が絶妙なのです。     祭りは観るより参加する方が、より実感を伴います。会津若松の磐梯踊りに飛び入り参加したことがありましたが、同じ所作の繰り返しで早々退散したことがありました。同じ繰り返しでも阿波踊りとなると違うようです。所作が複雑です。団扇の使い方が微妙です。しかも、見物人が大勢です。会津磐梯山と大きく違うようです。

 くどいようですが、祭りは観るより参加すべきモノのようです。青森の「ねぶた」の時は青森朝日会が朝日新聞の陸奥新報社での現地印刷を記念して参加したいから「ご寄付を」と言ってきました。私が東北6県・信越を担当する部長だったときです。確か60万円の特別協議書を書いた覚えがあります。当夜は、東北6県の担当社員全員、青森朝日会の皆さんとその家族が揃って「ねぶた」を出動させました。オドロ・オドロしいねぶたの回りで喜びを表現する「ハネト」という役があります。年甲斐もなく、それをしたものだから、翌日、歩くのが大変となりました。祭りは観るより参加するモノのようです。

2024年 7 月 1 5 日      暗殺未遂                                               一昔前、どの理髪店にも置いてある人気漫画がありました。「ゴルゴ13」という斎藤隆夫の連載漫画です。プロのスナイパーの物語で、密命を帯びると、どんな困難な暗殺でも「狙い違わず」一発で仕留めるので世界的に注文が殺到しました。これは漫画での話し。

 昨日、トランプ大統領が演説中にスナイパー攻撃に遭いました。犯人はトーマス・クルックスという白人の20歳の男。父親が所持していたライフル銃「AR15」を使っての場外からの発砲でした。この男、高校時代から射撃が下手で学校内で有名だったらしいのです。お陰で、件の大統領は命拾いをしました。弾丸はトランプの耳をかすめ血の一滴を垂らすだけで済んだのです。トランプをかすめた弾丸は、不幸にも罪のない近くの人に当たり、その人はトランプの代わりに亡くなったそうです。

 銃による要人の暗殺は、アメリカではしばしば起きています。ケネデイ大統領の時もそうでした。オズワルドという犯人は、ゴルゴ13よろしく、オープンカーのケネデイを一発で仕留めています。夫人が、咄嗟に隣の夫の上に身を重ねた写真が印象に残っています。

 アメリカは、言わずと知れた「銃社会」です。青年になれば誰でも自由に銃を持つことが出来ます。世の中には変質者がゴロゴロいるのです。今回の犯人も僅か20歳です。分別がヤットつき始めた年齢の人間です。この社会の掟は日本と全く違います。我が国では銃はおろか刀剣の所持でさえ、厳重な許可が必要です。安心して演壇に立って演説出来ます。日本こそが先進国であり、アメリカこそが野蛮な後進国だ、と断ずることにしましょうか。

2024年 7 月 1 4 日      博多祇園山笠                                               毎年7月恒例の「博多祇園山笠」が始まりました。何故か、博多の男達が熱狂する祭りです。博多市内の町会毎に、おどろオドロしい人形を山車にのせ、おおぜいの男達がそれを引っ張り、狭い、ほんとに狭い櫛田神社に乗り入れ、ぐるっと回って出てくるまでの時間を競う、競技というか、神事なのです。どの山車も凡そ30秒前後で、駆け抜けてくるのですが、山車を急旋回させるには色々秘術があるそうで、それが男達にとっての魅力のようで、年々盛んになり、衰えを知らない神事になっているようです。

 櫛田神社入りを果たした山車・一行は、明け始めた街の一角に陣取り、全員が手拍子を打ちながら、歌を唱って解散式を行います。「♫♫目出度、目出度の若松様よ、枝も茂るし、葉も茂る、エイしょーえ、エイしょーえ、しょうえ、しょうえ、あれわさえーーションガイナ♫」

 家に戻った男達は、一晩寝ていないのにも拘わらず、そのまま、何事もなかったように、日常の仕事に就きます。勤め人は務めにでます。その替り身の速さがこの祭りの身上のようで、女達の魅力をかき立てているようでした。

 小倉の西部本社に赴任していた頃、奥尾代表に届いた櫛田神社の桟敷席招待券二枚、編集局長の羽原さんと業務局長の私がもらい受け、最終便の新幹線で小倉から博多に向かい、列車内に午前2時までいて、櫛田神社の桟敷席に向かいました。締め込み姿の男達の熱気に圧倒されました。あちこちの街角から響いてくる3・3・7拍子と歌声に圧倒されました。それより何より、何事もなかったように背広や仕事着に着替え、昨日と同じ仕事に就く男達の心意気に感動しました。

2024年 7 月 1 3      スタン国                                               中東には、末尾が「スタン」とつく国が数多くあります。アフガニスタン、パキスタン、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン   ETC.、、、これらの国の内、アフガニスタンとパキスタンはアルカイダなどの紛争や内紛で、世界的話題となったことから、その位置や政治形態、民族性など、ある程度分ったつもりでいるのですが、他の「スタン国」についてはその国の位置も、大きさも、人種も民族性についても理解の範疇を超えています。

 たまたま、テレビ朝日の土曜の朝の旅番組で、それらのスタン国の首都を紹介する映像が流れました。土曜三週連続でしたが、ビックリ仰天しました。実に、実に洗練された、美事な、芸術的と言える程の、この世の天国がそこにあったからです。勿論、イスラム教国ですから佇まいは共通してはいても、建造物の奇抜な構造美、調和のとれた色彩美などなど、オドロキの連続でした。中東の一隅に、こういう天国が存在していたのか!と、地球の奥行きの深さに、改めて思いを致しました。と同時に、これらの国の女性達が、いずれも色白で、目鼻立ちが整っている美人ばかりなのにも驚かされました。

 美人足る条件の一つは、先ず、色が白いことが上げられるでしょうか。すると、地域が限られてきます。日差しの強い地域の女性は先ず、刎ねられるでしょう。チベットは山の奥地に位置します。色白の美人がワンサカ。ロシアにも美人がワンサカ。更に多いのがウクライナ。

 昔、池袋に日本人のウクライナ通の男性が経営するウクライナ美人だけのナイト・クラブがありました。閑話休題。

 2024年 7 月1 2 日     ボ ケ                                               人は、歳を重ねる毎に、衰えて行きます。身体機能は退化し、記憶力も判断力も鈍くなります。その進行の仕方は人によって様々ですが、概ね、80歳を超える頃から顕在化していきます。アメリカの大統領バイデンさんの場合は、まだ、81歳ですが、ボケの兆候がかなり顕著になってきました。ある会合で、腹心のハリス副大統領を「トランプ」と言い間違えました。はたまた、こともあろうに、アメリカで行われたNATO首脳会議で、出席しているウクライナのゼレンスキー大統領を、「プーチン」と名指ししました。会場は、異様な空気に包まれたそうですが、さもありなんでしたでしょう。

 高齢によるバイデン大統領のボケぶりは、しばらく前から取り沙汰され、後任探しが密かに行われているにも拘わらず、当人は至って意に介せず、今後四年間、やるつもりでいるようです。

 ボケは人ごとではありません。私自身、既に87歳を超えました。物忘れは激しくなり、動作は緩慢となり、持病の間質性肺炎のお陰で長距離の歩行は、途中休まないと出来ません。でも、記憶力、判断力などに衰えはありません。その原因を探ってみれば、毎日ピアノを弾くこと、「ホーム・ページ」の掲載を日課にしていること、毎朝の食事に気を配っていることなどが上げられそうです。

 顧みれば、私が81歳の頃は、海外旅行を頻繁に行い、タイ・チェンマイに拠点をおき、車を買い、東京からキーボード担いでタイ航空に乗り込み、畏友堀田さんの指示される少数民族の学校や教会に寄付することを続けていました。

 バイデンさんに申し上げましょう。ご苦労様でした。もう十分です。お若い方にお譲り下さい。ついでに、トランプさんに申し上げます。あなたの金髪を見るのはもう沢山です。お若い方にお譲りなさいませ。

2024年 7 月11 日  京都の変なところ                                               かなり昔のこと、京都に魅せられて、レンタカーで大原の奥まで走り回っていた頃、五条の「う雑炊」に堪能して、さて、東京へ帰ろうかと京都駅に向かって歩き始めました。最短距離をとって歩き始めたのですが、歩けども回りは鉄線に囲まれた空き地ばかり、六条、七条空き地の連続です。何でこんなに空き地が続くのか?ぽっかり空いた京都の空洞地帯!さては、あれだな、と想像を巡らしました。詰まり、七条界隈は昔で言う「エタ部落」であったところだったからではないか、それが、いまでも続いているのではなかろうか?と。

 ほとんどの土地は有刺鉄線に囲まれていました。大きな集合住宅が散見出来ました。恐らく部落民の為の集合住宅なのでしょう。しかし、周囲の景観はすべてみすぼらしく、三条、四條、五条の賑わいとは全く異質の佇まいでした。大きな集合住宅は三つありました。昔、むかし、「エタ」とさげすまれた人々の末裔が押し込まれているらしいことが想像されました。

 京都には罪人を葬った名残の忌み嫌われる処があります。嵯峨野の一隅です。土地を掘り起こせば人骨が出てきます。そのまっただ中に瀬戸内寂聴が「寂庵」を敢えて建てました。昔は寂庵だけでしたが、今は住宅が密集しています。

 何故、京都駅に最も近い七条界隈を、京都の市民は空き地のままにしておくのでしょうか?大いなる疑問です。

2024年 7 月 1 0 日  鴨川の河原                                               京都市内を貫流する鴨川は、京都ならではの風物詩です。三条、四条、五条などの橋の上からの眺めは圧巻です。先斗町の桟敷席に陣取って、美女を侍らせ、大文字の送り火を見たこともありました。京都新聞社の太田局長の計らいでした。その頃、鴨川の遊歩道にはチリ一つ落ちていませんでした。市当局の厳重な計らいのお陰でした。

 今はどうでしょう? どれだけ懸命に掃除をしても、1日を待たずしてゴミの山になるそうです。主として外国人が河原に出て飲み食いし、残骸をそのままポイ捨てして立ち去るからだそうです。中には、河原をねぐらにするカップルもいるそうです。

 いま、日本国の観光地は外国人で溢れかえっています。円安の影響もあるでしょうが、食べ物が美味しいこと、治安がいいこと、清潔なこと、差別がないことなどが人から人に伝わり、「世界で一番行きたい国はどこ? それは日本!」となっているから恐れ入ったモノです。そのあおりを受けて、鴨川の河原が、処理しきれないほどの「ごみ」で溢れるようになっているのです。しかし、人気が出るのも善し悪しで、3778メートルの富士山へ、夏服の軽装で、スーツケースを持って登ろうとする団体客まで現われる始末。お陰で山小屋はごった返し、高山病患者が続出しているようです。同じように、鴨川の河原で一夜を明かすカップルが後をたたないとか。

 確かに、常識のない外国人で観光地は溢れかえっていますが、一部、迷惑ではあっても、これは日本にとって嬉しい悲鳴ではありますまいか? ですから、京都の皆さん、富士山の関係者の皆さん、心ない外国人の御入来に呆れかえっているでしょうが、どうか、それに耐えて、最善を尽くしてやって下さい。お願いします。

2024年 7 月 9 日    マリーヌ・ルペン                                             世紀のオリンピックを間際に控えたフランスでは、屋台骨を控える政局が大きな変化を遂げつつあります。その元凶がマリーヌ・ルペン率いる極右政党「国民連合」です。自国第一主義を掲げ、当然ながら、移民の受け入れ、大反対です。ルペンの父親はジャンマリー・ルペン。1972年国民戦線を興しました。その精神を娘が受け継いでいるのです。

 フランスの国民議会は定数577議席で、二段階の直接選挙制をとっています。有権者は18歳以上、日本は20歳以上でしたっけ。フランスの大きな問題は、選挙の度ごとに、ルペン率いる国民連合が勢力を拡大していることです。極右であるにも拘わらず、支持者が増えているのです。これが現政権を率いるマクロンの頭の痛いところになっているようです。もし、ルペンがマクロンに替わったら? フランスは今までのようではなくなるのではないでしょうか。オリンピックどころではないかも知れません。ドイツにヒットラーが現われてヨーロッパが変わったように、女性ルペンが一大旋風を起こすかも知れません。

2024年 7 月 8 日    蓮舫負けた!                                             蓮舫が小池に負けました。しかも、大差で、、都民の頭は一体どうなっているのでしょう? あれほど一生懸命に現状を訴え、未来を憂い、都政の刷新を訴えた蓮舫を、なんで、見殺しにしたのですか? 始めは集計不正を疑いました。集計マシン「武蔵」に数々の疑問があったからです。しかし、2786214票対1222867の票差ではそれは不可能でしょう。蓮舫敗北の原因の一つは、女性同士の戦いの中に、若い男性石丸伸二が乗り込んで来たことです。これは萩生田光一の差配によります。革新の票が割れました。しかし、石丸の得票した1581093票を加えても小池の票には届きません。

 東京都民は、なぜ、革新的な首長を頂くことを嫌ったのでしょうか?どうして、そんなにも小池がいいのでしょうか?可もなく不可もなく、大企業ベッタリの小池の肩を持つのでしょうか?

 蓮舫は、恐らく、悔し涙に暮れていることでしょう。彼女は一生懸命に戦いました。どの地区での街宣でも黒山の人だかりでした。彼女はあらん限りの愛敬を振りまいていました。しばらくは、休息を余儀なくされるでしょうが、政治の世界において、彼女は不可欠な才媛です。どうか、いい機会ですから英気を蓄え捲土重来を期して下さい。

2024年 7 月 7 日    知事選投票日                                            都知事選投票に行ってきました。投票用紙に大きな字で「蓮舫」と書き込んできました。投票所はいつもの向山小学校の講堂です。この学校には三人の男の子がお世話になっています。外気温は有に36度超えています。猛暑です。そのせいか、投票所はガランとしていました。午後1時頃でしたが、人影は三人だけ。恐らく、投票率は最低を記録するのではないでしょうか。

 昭和62年の鈴木俊一の時は43、19%、4期目の時は44,94%。1971年の美濃部亮吉の3期目の時は72,36%、最近では猪瀬直樹が62,6%を記録しています。蛇足ながら猪瀬は私の母校・長野高校の先輩でもあります。小池百合子も2016年の時は59,73%の得票率でした。

 それにしても今日の暑さは異常です。東京中が猛暑です。当然、投票率に影響が出るでしょう。恐らく40%を切るのではないでしょうか? となると、「この人にこそなって貰いたい」という思いを持つ人以外は棄権に回るのではないでしょうか?お天道様が差配する今日の知事選挙! どんな結果になるのでしょうか!

2024年 7 月 6 日    選挙戦最終日                                            都知事選挙は明日が投票日。選挙運動は今日が最終日です。意外なことが起きました。IPADに載ったのですが、小池百合子の街頭演説の最中、群衆の中から「ヤメロ、ヤメロ」のコールが飛び出し、それが瞬く間に広がりをみせ、怒濤のようになり、小池の演説が聞き取れなくなったことです。また、新聞は一面全部をさいて、50名を超える候補者全部の政見を掲載しましたが、ほとんどが名前だけ、空欄ばかりでした。それも「N党」というふざけたモノばかり。町中のポスターも50名分のスペースは確保してあっても、空欄ばかり。選挙をもてあそぶ巫山戯た輩の存在を許していいのでしょうか?

 恐らく、次の都知事は蓮舫で決まり、小池は下野するでしょうが、問題は、明治神宮外苑の再開発計画が、かなりのところまで本決まりになっている事実が発覚したことです。電通を中心とする利権を狙う業者が、次を予想し、「今のうちに」とばかり、既成事実を矢継ぎ早に作り上げてしまっていることが、分ったのです。蓮舫といえども、この事実を「ちゃぶ台返し」することが出来ないように、徒党を組んで利権追求を既にしてしまっていることが判明したのです。

 小池の置き土産は、明治神宮外苑の緑を削減することであったようなのです。再開発という名目で、都内に残された唯一の緑の土地をコンクリートで塗り固めようとする業者の利権の既成事実を、新任の蓮舫がどう立ち向かうか、これこそが大問題となるでしょう。

2024年 7 月 5 日   新千円札お目見え                                               私が今使っている財布は、一応、黒の折りたたみの皮財布ですが、角はすり切れ、色は褪せ、見る影もない一件であります。でも、その度に瞬間接着剤で修理し、形を整え、大事に使っています。何故なら、実に縁起の良い財布だからです。この財布は、三度、手元を離れたのに三度とも戻ってきた奇跡の財布だからです。一度目はタクシーで置き忘れたのに、次の方が気がついて、近所の交番に届けてくれていました。現金はそのままでした。二度目は、バリ島へ向かう途中、インドネシアのジャカルタ空港で、財布を落としました。気づいた通行人が、私を追いかけて戻してくれました。三度目はバリ島の料理屋で夕食を摂った際、机の下に財布を落としたまま店を出てしまいました。次に、その席に着いた外国人団体客が気づいて、レジに預けていてくれました。次の店でそれに気づき、慌てて引き返しました。レジの女将さんが笑顔で返してくれました。団体の皆さんには何度も何度も頭を下げました。嬉しかったのです。財布には数枚のクレジットカードが入っています。日本のカード会社に、深夜、紛失届を電話しなくて済んだことも喜びでした。

 財布には現金、カード、免許証のほかに、外国紙幣も入っています。訪ね歩いた諸外国の少額紙幣です。ポンド、ルーブル、フラン、ユーロバーツなどなど、、、中でも希少価値がありそうなモノは、中国の元です。それも外国人専用の兌換券です。今は60歳を超えた長男が小学生の時、中国では兌換券以外使えませんでした。

 さて、昨日から日本では新しい千円札が流通し始めました。今日、丁度、銀行へ行く用事があったので「新千円の渋沢栄一さん」のお顔を拝見、と思ったのですが、両替コーナーは長蛇の列でした。

2024年 7 月 4 日   奈良公園の鹿                                               天皇皇后両陛下のイギリスご訪問後であるにも拘わらず、イギリスのテレビでは日本に関する報道が止むことなく続いているようです。その中で、イギリスの人達を驚嘆させているのが、奈良公園の野生の鹿の驚くべき生態の数々だそうです。野生の鹿はイギリスにも生息しているそうです。しかし、イギリスの鹿は人間を怖がって近寄っては来ないそうです。ところが奈良の鹿たちは、人間を怖れず、馴れ馴れしく近寄ってきて、何度も、何度も頭を下げて、鹿せんべい貰います。道路を横切る時は、人間と同じように横断歩道に立ち止り、車が止まってくれるのを待って、悠然と渡って行きます。雨が降ると、人間と同じように軒下に入って雨宿りしています。小さな子供を見ると愛おしそうに眺めます。決して悪さをしません。大昔から培われた奈良の鹿達の行動は、イギリスの人達には驚嘆すべきモノだったらしく、番組は大好評だったそうです。ただ、そこに水を差したのは、韓国人、中国人団体客の心ない行動だったらしく、彼らは、団体行動を良いことにして、様々な悪さを鹿に対して行いました。目に余る行動もつぶさに画面に映ったらしく、その、中国、韓国の団体客達の、鹿に対する不見識の行動は、改めてイギリス人の不評を買ったようでした。  

 「古都巡礼」という亀井勝一郎の名著があります。「奈良はいつ来ても良いが、特に新緑の頃がよい」という文章で始まる名著です。この文庫本を片手に、彼が定宿にしていた旧い旅館に泊り、若い頃、どれだけ奈良を彷徨ったでしょうか。東大寺大仏殿前の灯籠、三月堂の日光・月光菩薩、冬の真夜中の二月堂のお水取り、、、、そして、興福寺、唐招提寺、薬師寺、法隆寺、正倉院、、、、鹿はその頃からいました。不覚にも、持っていた鹿せんべいを、数匹の鹿の攻撃に遭い、むしり取られた鮮明な記憶が残っています。

 古都に急増する中国・韓国の団体旅行の皆さんにお願い申し上げます。どうか、奈良公園の鹿達に悪さをしないで下さい。鹿が頭を下げて向かって来るのは「鹿せんべい、ちょうだい」の催促なのです。どうか、じらさないで、カラカワナイデ、上げて下さい。お願いします。

2024年 7 月3 日   読売テレビの凋落                                          昨晩、何気なく点けたテレビ朝日が面白かった。羽鳥慎一郎他、毎朝の「モーニングショウ」の常連が一同に介して、三時間番組をやったのです。それも、大谷翔平を中心にドジャース球団オンリイで。明らかに、読売テレビ・フジテレビを意識した番組構成のようでした。過日の大谷翔平の逆鱗に触れた「プライベート放映」については、フジテレビは、一応謝罪はしましたが、読売テレビは今もって遺憾の言葉も、謝罪の素振りを見せていません。それどころか、6月23日、96歳のナベツネが「小僧!ぶっ飛ばすぞ!」との暴言を吐きました。老害の極みと言われながらも、一応は社主的存在でありますからして、配下の読売テレビ関係者も逆らう訳にはいかないのでしょう。それをいいことにテレビ朝日が、「巻き返しのチャンス」とばかりに大見得を切ったのが、昨夜の「翔平・ドジャース一辺倒」の番組ではなかったでしょうか。

 この事件は、明らかに老害が引き起こした、在ってはならない出来事です。行き過ぎた報道があったと、悟ったなら、率直に謝ればいいものを、「謝ることを潔しとしない」老人が、居座っているからこういう羽目になるのです。読売新聞が部数では日本一であったにしても、野球のジャイアンツも日本一の球団であったかもしても、「奢れるモノ久しからず」の格言通り、凋落が始まった、と言えるのではないでしょうか。

2024年 7 月2 日     変容する新宿西口                                      仕事場が有楽町にあったことから、夜の銀座一丁目から七丁目まで馴染みがあったとはいえ、一番、心に残っているのは、やはり、新宿です。それも歌舞伎町界隈。区役所通り周辺には、キャバレー、ゲイバー、ゴールデン街あり、花園神社あり、、、、最も足繁く通ったのは、「鎧屋」、「樽屋」、「いないいないバー」などでした。樽屋では、囲碁界の大御所・藤沢秀行さんがいつも酔い潰れていて、スッカリ仲良しになり、彼が銀座に開いていた酒の飲める「囲碁クラブ」の会員にさせて貰い、当時、まだ中学生だった彼の孫・藤沢里菜ちゃんに打って貰ったことなどもありました。三日前、その新宿西口へタクシーで向かいました。小田急線ロマンスカーで相模大野で降り相鉄線に乗り換え、大和の教会へ行って佐藤彰先生のお話を聴くためです。驚いたのは新宿西口の変容ぶりです。小田急デパートもなくなっていました。西口名物「飲み屋横丁」消えていました。西口広場の周辺の建物も取り壊されていました。一大改装工事が行われ始めていたのでした。思えば渋谷駅周辺の大改装です。至る所に地下通路ができ、湾岸線と東横線が地下で繋がりました。お陰でいまは、西武線の飯能からも本川越からも、横浜中華街まで直通です。練馬から乗っても、約4,50分で横浜中華街地下に到着です。

 工事のお陰で、小田急のホームまで長い距離を歩かさせられました。しばらくぶりで乗る小田急のロマンスカーも様変わりしていました。外観も車内もシックな色で統一され、機密性に優れているためか、音がしない車内なのでした。恐らく、継ぎ目のない長尺レールになっているからでしょう。昔は、赤い派手な車体で、シッキりなしに警笛を鳴らして走っていました。

 我々都民は、渋谷駅周辺の一大変容ぶりにも驚かされましたが、今度はそれが新宿西口に飛び火しているのです。その結果を見届けるまでは、私としては、あちらの世界へ逝くわけには参りません。

2024年 7 月1 日     半 年                                      今年の1月1日、突如として起きた能登半島沖地震から、今日で半年目を迎えます。死者281人、負傷者1207人、家屋全壊~石川県8053棟、新潟県106棟、富山県51棟、家屋半壊~石川県16745棟、新潟県3766棟、富山県772棟、、、、、大災害です。しかし、仮設住宅はまだ7割しか出来ていません。その上、公費による解体工事もほとんど進んでいません。大部分の人達はいまだビニールハウス暮らしを強いられています。被災者のほとんどが高齢者であるため、自宅を片づけてそこに新居を建てる余力も気力もなくなっていることにも原因があるようです。

 輪島を中心とする能登半島観光には三度ほど訪れていますが、最初は販売局在任中の朝日会団体旅行でした。有名な加賀屋に泊まり、翌朝、バスを連ねて真っ先に、輪島の朝市に向かいました。面白くて、面白く堪りませんでした。二度目は早稲田の同級会で、金沢大の教授になっていた岡倉古志郎の孫岡倉徹志君の設営でした。三度目はずわい蟹を食べるだけの目的で、金沢の近江町市場前のホテルに陣取り、その次いでに観光バスで能登半島一周しました。

 穏やかに、平和に暮らしていた能登の皆さんが、突然の災害に見舞われ、自宅は壊され、未だにビニールハウス暮らしを強いられているか、と思うとやりきれない気持ちになります。それにしても、石川県の馳知事のやり方は鈍い。お世辞にも「頑張っている」とは言えません。

 これからしばらくは夏ですが、冬は直ぐそこまで来ているのですぞ!

2024年 6 月3 0 日     小田急線沿線                                     新宿発の小田急線に乗り、相模大野で乗り換え、中央林間の次が「大和」です。ここに日本一大きなプロテスタントの教会があります。今日、この教会で、一部と二部に別れて二回、佐藤彰牧師のお話がありました。11年前の3月11日、福島双葉原発のメルトダウンのお陰で、大野教会の皆さん60人余りが、先生の郷里の山形へ逃げ、東京・奥多摩の施設で集団生活を余儀なくされ、それにも拘わらず福島・泉に「翼の教会」を建立し、以前にも増して、大きく発展している様子を、映像と供に佐藤牧師がお話されました。ほぼ満員の皆さんが、オドロキと感激をもって聴き入っていました。

 久しぶりに乗る小田急沿線の景色は、思った以上に様変わりしていました。その頃、大学受験に失敗し、長野の柏与印刷の社長清水さんの従弟の成蹊大学生・清水聡さんと二人で、経堂の駅近くの二階家の一室に住んでいました。柏与印刷の東京出張所の名目で、僅かな給料を貰い、家賃はタダ、その代わり自炊生活で、東京の出版社とのハシリ使いをしながら、代々木の予備校に通っていました。その頃の小田急沿線の風景は緑豊かで沢山の空き地がありました。

 朝日に入社し、数々の部署を経て宣伝部長になったら、小田急本社から、何と、無料パス券が五枚届きました。特急にも乗れる券です。理由は小田急が主催する「向が丘遊園」数々の催しを朝日新聞社が共同主催するようになったからでした。部員は重宝していましたが、私は、一度もその恩恵に預からなかった、と記憶しています。

 今日、早朝、スタイルが変わった小田急特急の窓から、沿線風景をつぶさに眺めました。高層建築の林立です。参宮橋、代々木八幡は昔のままですがそこから先は高架です。朝日の独身寮でお世話になった東北沢は下北沢に続く地下に潜っていました。何より乗り降りする乗客がどことなく上品です。練馬の西武線と違うなあ、と思わされた次第。

2024年 6 月2 9 日     次期総理 (2)                                   昔から良妻賢母という言葉があります。家庭の浮き沈みは、その家を支配する女性の力如何によるとする言葉です。国家とて家庭の延長と捉えていいのではないでしょうか?

 女性は争いを好みません。殺し合いなど真っ平です。子供の教育に気を配ります。贅沢も嫌います。近所付き合いを大切にします。そういう観点から世界を見渡すと、世界の半数以上の国が女性宰相を排出してきていることに気づかされます。仲間はずれになっているのは我が日本国です。ちなみに女性を宰相にいただいた国は沢山あるのですが主な国は以下の通りです。

 ドイツ・アンゲラメルケル(16年)、イギリス・マーガレットサッチャー(11年)、パングラデッシュ・カレダジア(5年)、ニュージーランド・ジエニーシップリー(2年)、スリランカ・パンダラナイケ(5年)、パキスタン・ブット(3年)、カナダ・キムキャンベル(3年)、ユーゴスラビア・ミルカブラニング(3年)、インド・インヂラガンジー(4年)、イスラエル・ゴルダ・メイア(5年)、オーストラリア・ジュリアギラード(3年)、ミヤンマー・アウンサン・スーチ(4年)・・・・・・まだまだ沢山ありります。世界には、これだけの女性宰相が出現しているのに、(韓国ですらあったのですよー)何故か、日本では未だかつて出現していないのです。日本の政治は、後進国並みだ、と世界から言われても反論できないのが歯がゆいです。

2024年 6 月2 8 日     次期総理 (1)                                 元外務大臣田中真紀子ををして「冷凍透明人間」と言わしめた「総理・岸田文雄」の寿命も迫ってきているようです。本人はやる気十分のようですが、余りにも支持率が低すぎます。その上、自民党の裏金問題が政党構造改革を迫っています。加えて、国民の目線から見て、「この人こそ総理になって貰いたい」という人物が見当たりません。

 一昔前、こんな人々が総理候補に挙げられていました。林芳正31、河野太郎18、茂木敏充16、岸田文雄9、髙市早苗8、石破茂6、上川陽子3。衆議院解散による総選挙を控えて、次期総理に名乗りを上げたのは、現在のところ岸田文雄ご本人と、石破茂、それに河野太郎です。ここに高市早苗が加われば前回と同じ顔ぶれになります。

 世間的には悪評サクサクですが、私は岸田文雄は良くやった、と思っています。同学のよしみもあるのでしょうが、小まめに良く動いたと思います。更に、留学経験があるため、英語が話せました。語学が出来ない人間が、日本を代表するな、というのは私の持論です。「納豆餅こと石破茂」は慶応出ではあっても留学経験はあリません。恐らく話せないでしょう。留学経験のある河野太郎も出馬を明らかにしました。彼は岸田の策略により、損な役柄を押しつけられました。国民のほとんどが嫌がる「マイナンバー・健康保険証を合体する役所」の大臣です。

 私自身としては、都知事に蓮舫、総理大臣に上川陽子の二人の才女がなったらいいな、と思っているのですが、さてさて、どうなりますことやら、、、、、、興味津津です。

2024年 6 月2 7 日   出禁・その後                               自宅の空撮写真や、近隣住民へ取材を放映したことで大谷翔平の怒りを買い、「出禁」を申し渡されたフジテレビとニホンテレビのその後の出方について、関心をもって見守っているのですが、不思議なことに新しい動きが伝わってきません。然る上に、NHKも他の民放局も、朝日新聞も地方紙も全く触れていません。ほとんどの新刊雑誌もIPADで閲覧出来るのですが、今日見た限りでは、どの雑誌も取り上げていません。僅かに、ユーチューブにしばらく前の乱暴な記事が流れているだけです。何故でしょう? 読売と産経がそれほど怖いのでしょうか、読売のドン「ねべつね」に忖度しているのでしょうか? マスコミ同士、同業者としてかばい合っているのでしょうか? それにしても異常な雰囲気です。その上、「出禁」にされたのに、しかも、ドジャース本社から直接申し渡されたのに、大谷に関する報道は、以前と変わらず放映されています。理由はNBAに莫大な金を払って映像を買っているから出来るのだとか。

「出禁」とは一体、何だったのか? 大きな疑問です。更に大きな疑問はNHKが全くこの件について報道していないことです。朝日新聞が、紙面で全く触れていないことです。同業者としてかばい合う限界を超えた事件であるのに、一言も触れてきていません。

 報道に関する重大な事件だと私は思います。

2024年 6 月2 6 日   質草は大英帝国                              江戸時代末期、日本の近海にヨーロッパの船が現われるようになりました。種子島から火縄銃が入って来ました。戦国武士達の戦いの仕方が替り始めました。長崎・出島からオランダ医学が入って来ました。アメリカから黒船が来ましたが、これはずっと後のことです。

 日本のみならず、ヨーロッパのイギリス、スペイン、ポルトガル、オランダなどが争って、当時は未開だったアジアの国々を支配下に置き始めました。その勢いを加速させたのが地中海と紅海を結ぶ、スエズ運河の開通でした。従来はアフリカの先端・喜望峰を回らねばならず、莫大な日にちを要しました。イギリスの繁栄は、そのスエズ運河を我が物にしたことに端を発したのです。

 イギリスの歴代の宰相の中で、唯一、ユダヤ人がなったことがあります。デズレリイです。彼があるとき、同じユダヤ人のロスチャイルドと歓談しているとき、彼が張り巡らしている世界各地のロスチャイルドの姻戚から、エジプトが、その頃出来上がったばかりの「スエズ運河」を売りに出した、という情報が入りました。

 「たった今、エジプト政府が資金難で、スエズ運河を売りに出したという情報が入りました」「いくらで?」「400万ポンドだそうです」「買った!直ぐ支払いしたい、即、400万ポンド貸して下さい。」「議会の承認は無くてもいいのですか?」「議会は承認するはずです」、「して、質草は?」、「大英帝国!」

 昔のビルマが英国領になったのも、香港が英国領になったのも、ここから始まったのです。

2024年 6 月2 5 日     陸蒸気                        明治維新となり、外国の文化が続々と日本に押し寄せて来ました。中でも鉄道に関しては、明治元年に蒸気車施設が提唱され、人々はイギリスからの輸入を待ちわびました。こんなザレ歌がはやりました。

 「道は出来たが蒸気車はまだかいな」、「道も車もでき次第、できたらたんと乗れ、陸蒸気、しょんがいな」そして、明治5年、品川ー横浜間14,5マイルのレールが引かれ、イギリス製の陸蒸気が走り始めました。その後の進歩は目覚ましいモノとなりました。今や日本は世界に冠たる鉄道王国にのし上がっています。安全と正確性を遺憾なく発揮している日本製の車両と、どこの国も真似できない乗り心地を誇る鉄道技術はもて囃され、世界中から賞賛され続けています。中でも、陸蒸気を頂いたイギリスにおける日本製車両の活躍には、目を見張るモノがあります。フランス、イギリスを結ぶドーバー海峡の海底トンネルで寒暖の差で立ち往生した列車を救援したのも、日本の日立製の車両です。以来、イギリス中を走っているのは、ほとんど日立製の車両です。

 そのイギリスへ、いま、天皇皇后両陛下が招かれてご滞在されています。期せずして、両陛下ともお若い時にイギリスへの留学経験をお持ちです。いま、どんなにか、懐かしい思いをされて、ご滞在されておいでになることでしょうか!

 そのご恩を受けたイギリスと、わが日本は戦火を交えたことがあります。当時、イギリス領であったビルマこと今のミャンマー、とでした。しばらく前のこと、そのミャンマーの首都ヤンゴンへ行きました。タイチェンマイからプロペラ機で一時間の距離でした。滞在したホテルでガイドを付けて貰い、日本兵士の墓地へ案内を請いました。案内されたのは広大な敷地に広がるイギリス兵士達の墓地でした。立派な墓地で、至る所花が手向けられていました。しかし、日本兵士の墓はありません。仕方が無いので、自力で探しました。ドアも、窓も満足にない、おんぼろ山手線に乗って、かなり離れたところに位置する日本兵士達の墓地を探し当てました。日本式の石碑が林立してはいましたが、みすぼらしさは拭えませんでした。そして、思いました。

 鉄道の恩を受けたイギリスと戦火を交えた日本も悪いが、それは兵士達の罪であろうか?と。せめて日本は、日本国民とその政府は、墓地を整備し、年に一度ぐらいは菩提を弔っても然るべきではないのか、と。

2024年 6 月2 4 日    沖縄玉砕(2)

 (沖縄慰霊の日が、例年のように 昨日、平和公園で行われ、詩が朗読されました)                                               短い命を知ってか知らずか 蝉が懸命に鳴いている 冬を知らない叫びの中で 僕はまた天を仰いだ あの日から79年の月日が流れたという 今年18になった僕の 祖父母も戦後生まれだ それだけの時が流れたというのに あの日 短い命を知るはずもなく 少年少女たちは 誰かが始めた争いで 大きな未来とともに散って逝った 大切な人は突然 誰かが始めた争いで 大きな未来とともに散って逝った 大切な人は突然 誰かが始めた争いで 夏の初めにいなくなった 泣く我が子を殺すしかなかった 一家で死ぬしかなかった 誰かが始めた争いで 常緑の島は色を失くした 誰のための誰の戦争なのだろう 会いたい 帰りたい 話したい 笑いたい そういくら繰り返そうと 誰かが始めた争いが そのすべてを奪い去る 

 心に落ちた 暗い暗い闇はあの戦争の副作用だ 微かな光さえも届かぬような 絶望すらないような 怒りも嘆きも失くしてしまいそうな 深い深い奥底で 懸命に生きてくれた人々が 今日を創った 今日を繋ぎ留めた 両親の命も 僕の命も 友の命も 大切な君の命も すべて  心に落ちた あの戦争の副作用は 人々の口を固く閉ざした まるで、戦争が悪いことだと 言ってはいけないのだと 口止めするように 思い出したくもないほどの あの惨劇がそうさせた

 僕は再び天を仰いだ 抜けるような青空を 飛行機が横切る 僕にとってあれは 怖れおののくものではない 僕らは雨のように打ち付ける 爆弾の怖さも 戦争の「せ」の字も知らない けれど 常緑の平和を知っている あの日も 海は青く 同じように太陽が照りつけていた そういう普遍の中にただ 平和が欠けることの怖さを 僕たちは知っている 人は過ちを繰り返すから 時は無情に流れていくから 今日まで人々は 恒久の平和を祈り続けた 小さな島で起きた 余りにも大きすぎる悲しみを 手を繋ぐように 受け継いできた

 それでも世界はまだ繰り返している 79年の祈りでさえも まだ足りないというのなら それでも変わらないというのなら もっともっとこれからも 僕らが祈りを繋ぎ続けよう 限りない平和のために 僕ら自身の為に 紡ぐ平和が いつか世界のためになる そう信じて 

 今年もこの6月23日を 平和のために生きている その素晴らしさを噛みしめながら (沖縄県立宮古島高校3年 仲間友祐)

2024年 6 月2 3 日    沖縄玉砕(1)                                               またまた、悲しみを新たにする記念日が巡ってきました。昭和20年の6月23日の今日、太平洋戦争で日本軍の基地であった沖縄が全滅し、玉砕したのです。日本軍は無情にも、沖縄市民の降伏、投降を許さなかったため、沖縄に無数にある「ガマ」と呼ばれる洞窟に隠れていた一般市民は、アメリカ軍の火炎放射器で焼き殺され、万座毛と呼ばれる崖から子供を抱いた女性が飛び降り自殺を強いられました。海の色が朱に染まったそうです。その数、約20万人。日本軍人が1万人。アメリカ軍人が8000人、台湾、韓国人がそれぞれ1万人、そして後は一般市民、、、、それらの、すべての方々のお名前が刻まれた石碑が、平和記念公園に林立されていて、毎年、この日、慰霊祭が行われてきています。

 沖縄が玉砕となるしばらく前、東京・新井薬師の自宅が5月25日の空襲で焼かれ、命だけは助かったは母親が、福島の会津の山奥に学童集団疎開をしていた国民学校二年生の私を迎えに来て呉れて、二人して山を下り、長野市鶴賀の母親の実家に身を寄せました。後に、妻となる沖縄出身の妻の一家は四人の女の子供と供に、パラオのコロール島に疎開していたお陰で難を免れ、終戦と共にアメリカの軍艦で沖縄本島に戻り、沖縄コザの商店街で、アメリカ物資を捌く商売を始めました。

 その四人の女の子の一人と私が早稲田の学生の時、ふとしたことで知り合い、朝日新聞入社後半年で結婚したのです。そして、男の子三人を育てて貰いました。思えば、練馬に建て売り住宅が買えたのも、土地を買い増しして、アパートや自宅が建て替えられたのも彼女と彼女の母親のお陰でした。更に特筆したいのは、一度として喧嘩したこと、嫌な思いをしたことがなかったことです。問題が起きても、「しむさ、しむさ」(沖縄言葉でなるようになる)と言って、いつもニコニコしていました。どれだけ助かったことか!

 その彼女が、くも膜下出血を発症し、東京医大で亡くなったのが、何と17年前の6月23日!私が70歳、彼女が72歳の時でした。今日23日は私にとって、万感の思いの日なのです。

2024年 6 月2 2 日    ロスの底辺事情                                               アメリカ領ハワイへは数回行きましたが、本土へは二回行ったきりです。それは東京本社の販売局次長の時で、アメリカの全新聞社で構成されている「ICMAシンポジウム」にオブザーバ参加するためで、日本の、読売、日経、産経、毎日、河北、信毎、西日本、山陽、京都各社の販売局次長、それに日本新聞協会の担当者(勝俣さん)と、ワシントン駐在の佐藤さんの合計12名が参加しました。団長が私、会場はアメリカ本土真ん中辺りの「ルイビル」。全部で十日間の日程でした。そのとき、ラスベガスで二泊したあとロサンゼルスでも二泊しました。

 そのとき、現地のガイドから注意事項がありました。「ここから先へは足を踏み入れてはならない街角がある、絶対に守るように。胸のポケットにはいつも100ドル札を入れておけ。ピストルを向けられたら両手を上げ、胸ポケットを顎をしゃくって示せ。歩道は真ん中を歩け、建物側からも、車道側からもひったくりがある。外を歩くときは、極力、荷物を持つな、、、、、市内をマイクロバスで見て歩いたとき、映画俳優らが住む高級住宅地と、黒人やヒスパニックが道路に寝ている、つまり、路上生活を強いられている一隅との格差にオドロキ呆れた記憶が鮮明です。   街の一隅に「実弾射撃場」が在りました。全員で入って、ピストルを撃ってみました。標的を狙っても、なかなか、当たるモノではありませんでした。でも、不心得モノがいて、狙われたらそれっきりです。それが、アメリカという国の、そしてロサンゼルスの現実なのです。

 日本では全く考えられないアメリカ社会の底辺の危険極まりない現実を、知ってか知らずか、のほほんと映像にして「視聴者サービス」とする日本のテレビ会社。温厚な大谷翔平が、なぜ、そこまで怒ったか!理解できないのではないでしょうか。

 

2024年 6 月21 日    認識の差                                            アメリカはそうでなくても人種の坩堝であり、特に黒人やヒスパニック系が多い。その上、誰でも銃を持てるから危険この上もありません。大昔、ロスアンジェルスへ行った時、いわゆる高級住宅地と言われる映画俳優などが住む地域へも行きました。有刺鉄線に囲まれ厳重な警護の中にありました。その住宅の中の豪華な一軒家を大谷翔平は12億円で買い求め、新妻真美子さんと愛犬「デコピン」と暮らし始めました。大谷が試合に出かけた後は、新妻と犬一匹です。物騒です。彼にとって最大の悩みの種であるでしょう。そこに輪をかけた事件が起きました。日本テレビとフジテレビが彼の住居を空撮し、テレビで放映しました。ご近所を訪問し、その談話も同時に写し出しました。安全を脅かす心ない仕打ちです。撮影側はアメリカも日本と同じだ、安全だ、と思ったのでしょう。しかし、在ってはならない、とんでもないことなのです。

 日本での大昔、忠臣蔵で赤穂浪士が吉良邸討ち入りに際し、どんなに絵図面が欲しかったか!同じように、屋敷の空撮写真は、侵入を狙っているモノにとってどれだけ役に立つものなのか!

 大谷翔平は怒りました。自分の存在でご近所に迷惑が掛かることに我慢ならなかったのでしょう。温厚にして冷静な彼が、この日本の心ないテレビ局二社の仕業に怒り心頭を発したのです。球団と相談して日本のこれらのテレビを「出禁」に指定しました。自分のことを取材、放映させない、と。慌てたのは両テレビ局の親会社、「讀賣新聞社」、と「産経新聞社」です。詫びを入れるか、と思いきや、ユーチューブに久しぶりに読売のドン渡辺恒雄(恐らく96歳前後でしょう)が現われ、葉巻片手にうそぶきました。「何を!この小僧!」

2024年 6 月20 日    買い物                                         家から車で五分位のところに大きなスーパーストアが出来ました。「ベルク」というチェーン店です。光が丘団地へ行けば、「西友」、「イオン」など、スーパーはどこも賑わっているのですが、今度出来た「ベルク」特別大きい。いつも重宝にしている練馬区役所隣の「大関」の10倍の大きさはあるでしょう。しかも、珍しいモノも含めて陳列商品は多彩です。その上、値段も手頃です。

 私は買い物が好きです。いかに、廉くて美味しいモノを買うか、人生の大部分、そのことにしのぎを削ってきた気がします。学生時代は、上井草駅前の肉屋から、100グラム30円の豚肉の細切れを買ってきて、石油コンロに中華鍋を載せ、野菜と供に炒めては栄養補給をしていました。九州小倉での単身赴任時代は、一匹30円の鰯を大量に買ってきて、骨を抜き、身を叩き、つみれを沢山作って冷凍し、それで命を繋いでいました。

 今日、ベルクで買ったのは、先ず、毎朝欠かせない「苦瓜」。他では一本200円前後なのに、ここでは89円でした。果物では「サクランボ」「キューイ」、「パイナップル」、味の素の「冷凍餃子」、「カツオの刺身」、「北海道チーズ」、「豆乳ヨーグルト」、奮発して「黒毛和牛のステーキ肉」、それににぎり寿司の盛り合わせ、甘味類五種類、ETC、、、

 実は、今日、この欄にロシアーウクライナ紛争についての「藤原帰一さん」の小論を取り上げる積もりだったのですが、色々、検討して見た末、止めることにしました。悪しからず。

2024年 6 月19 日  北朝鮮のミサイル                                         汚物を風船にして、38度線を越えて飛ばしている北朝鮮へ、何と、ロロシアのプーチンが行きました。2,3日前のことです。まさか、「同じモノを呉れ、ウクライナへ飛ばすから」と言いに行ったのではないでしようが、武器か、弾薬か、ミサイルか、はたまた大陸間弾道弾か?いずれにしても武器の無心に行ったことは明らかです。

 ロシアという大国が、世界からつまはじきされている北朝鮮へ、お願いに行くとは、、、、これこそ、プーチンのこの戦いにおける「焦り」の現われでなくて何でしょう?

 恐らく、プーチンは、破れかぶれの心境から核を使いたがっているでしょう。すると、ロシアは全世界から袋だたきに遭うでしょう。それより何より核の使用は、ロシア国民がOKしないでしょう。だから、彼は救いを求めて、核に変わる長距離弾道の兵器の供与に走ったのでしょう。しかし、どうやって、あのどでかい武器をロシア領まで運ぶのでしょうか。運びきれないから、といって北朝鮮からウクライナ・キエフに向けて発射したらどうなるのでしょうか?北朝鮮の弾道ミサイルはアメリカ本土まで届く航続距離を誇っています。その場合、発射地が北朝鮮内であったら、それは参戦と見なされ、報復されても仕方が無いことなのでしょうか?

 ロシアともあろう大国の大統領が、世界からつまはじきされている北朝鮮へ「武器弾薬」の無心に行く、ウクライナ戦争の終焉が見える気がします。NATO諸国はせせら笑っているのではないでしょうか。

2024年 6 月18 日    国 境                                        韓国と北朝鮮を分ける38度線上で、唯一、双方の行き来が出来る板門店へ行ったのは、大分昔のことです。その後、長男一家とも韓国へ行きましたが、まだ、孫が小さかったので、専らミヨンドンだけでした。

 そのときは、ロッテホテルからツアーバスに乗りました。物々しい警備の板門店に着くと、韓国軍のバス、国連のバスに乗り換えさせられ、武装兵士が乗り込んできました。北朝鮮の建物が見えるところで双方の兵士が銃を構えて睨みあっていました。境界線上に小屋がありました。その中だけは38度線を超えることが許されていました。観光客用のビルに戻ると望遠鏡が沢山在りました。覗くと北朝鮮の日常生活が見えました。祭壇がありました。沢山の花束が山積みになっていました。チョゴリを着た夫人達で溢れていました。別れ別れになった家族を思う、切ない気持ちが溢れていました。日本製の蒸気機関車が置いてありました。大昔、双方の土地を走り抜けていた機関車だそうでした。それ以外は、辺りは大原野でした。大きな木は一本もありません。小鳥もいません。虫もいません。遙か地平線まで見通せました。密入国を避けるための死の世界になっているのでした。

 この境界線を境にして、今、両国の間で忌まわしい事件が起きています。韓国側は北朝鮮側に対して「密入国を即す宣伝ビラ」を大量に飛ばしています。北朝鮮側も負けてはいません。人民の汚物の入った風船を南側に飛ばし始めています。何と、次元の低い、しかも低劣な争いでしょうか。

 私自身、もう、歳も歳ですから、三度韓国へ行く気力は失せていますが、例え、気力があったとしても韓国へは行く気になれません。頭の上から汚物が降ってこられては堪ったモノではありません。

2024年 6 月17 日  スパコン・富岳                                        都知事候補・蓮舫さんについて、どうしても離れない印象は、鳩山・管・野田総理の時代に予算縮小の役目を仰せつかった蓮舫さんが放った言葉です。俎上に上がっていた電子コンピューター「富岳」の担当者に向かってこう言いました。「富岳が一位でなければならない理由をいって下さい。二位では何故いけないのですか?」

 その「富岳」が設置されている関西・神戸の研究所へ団体で行って深い感銘を受けてきたことがあります。日本の新聞協会から派遣されアメリカ本国での研修に加わった「ICMA」のメンバーの最後の同窓会が、京都新聞社の太田さんの設営で神戸で開かれた際、「富岳」を擁するコンピュータ研究所への見学の日程が組まれていたのでした。

 先ず、講堂に通され「富岳」の何たるか?を聞かされたのでしたが、こちとら、ちんぷんかんぷんです。現場に通されガラス越しに「富岳」を見たのですが、大きな函が100個余り、整然と並んでいるだけで、面白くも、何ともありません。それにしても、頭の良さそうな、利口そうな若い人が、大勢、働いていました。

 ところで、これからのコンピューターの主役は、電子ではなく、量子だそうです。噂に寄れば、その量子コンピューター研究所が、我が練馬区の隣、和光市に建設されているそうです。既に、半ば出来上がっているとか。じゃによって、あらかじめ蓮舫さんに申し上げておきます。どうか知事になったら、科学の進歩に関するお金だけは予算をフンダンに組んであげて下さい。これまでも、これからも、日本は「科学立国」を目指すからです。

2024年 6 月16 日  7兆8500億円!                                        7兆8500億円!(500億ドル!)膨大な金額です。昨日、イタリアで開かれていた「G7」が、新たにウクライナを支援するために贈与を決定した金額です! 既に、支援疲れを見せていた「G7]でしたが、ゼレンスキー大統領の巧みな弁舌のせいもあったのでしょう、「決定」となりました。この金額の中には、勿論、日本からの支援金も含まれているはずです。

 ガッカリしたのはロシアのプーチン他、その一味ではないでしょうか?NATO諸国が後ろに控えている以上、支援金の枯渇は見えないからです。そのためかどうか、ロシア側はクリミア他の領地をよこせば、停戦に応じてもよい、という態度を見せ始めています。ところが、ゼレンスキー他はそれを「断固、拒否」しています。

 最近の両国の戦いの応酬はドローンなどの、無人の近代兵器に頼り切っています。「国のために身を捨てて戦う」などという一時代前のうたい文句は、とうの昔に失せてしまっているようです。「国を守る為に戦う」などという気概は、ウクライナ兵にはまだ在っても、ロシア兵の中ではとうに失せているように見受けられます。欧州全体を席巻し始めた「NATO化」に対するプーチンの抵抗がこの戦争の根底にある理屈ですが、北欧三国を初め、ロシアの支配下をヨシとしないかつての属国は、既にロシアを離れてNATOに加盟しています。気がついてみたら「裸の王様」になっていた、というのが現状ではないでしょうか?

 7兆8500億円(500億ドル)の世界各国からのウクライナに対する新たな支援を、ロシア国民はどう受け取るでしょうか?

2024年 6 月15 日                                         一時代前、全国紙の読売新聞社は銀座三丁目、毎日新聞社は有楽町駅前、朝日新聞社はその反対側に、三社は密集していました。その後、毎日は竹橋、読売は大手町、朝日は築地に移転しています。1961年、400人余の受験生から8人が選ばれ、私はその中の一人として販売局に配属されます。最初の一年は研修のため発送部庶務課でした。週一回は夜勤もありました。日劇の隣にガラス張りの輪転機が設置されていて、その二階が刷り上がった新聞を梱包し、仕分けして新聞輸送車に乗せる作業をする発送部でした。

 なぜか、青い菜っ葉服を着た発送部員は梱包した包みを荒縄で縛り、鎌を使って切断し、ベルトコンベアーに載せていました。広い作業場は一晩中荒縄の埃で充満していました。そのため、作業員は全員、分厚いマスクを着用していました。

 学生時代、6時から10時半まで、日経新聞発送部の別室で新聞梱包に送り先の「駅符」を貼り付ける仕事をアルバイトとして、月額8000円を貰い、自活していた私は、日経の発送部では荒縄を使った梱包などせず、自動結束機使っいたことを思い、菜っ葉服の朝日のマークを取り外し、明け方、近くの読売新聞発送部、同じく毎日新聞の発送部に忍び込み、両社の発送部が最新式の自動結束機を使っていることを突き止め、密かに写真を撮り、レポートを書き上げました。ついでに、両社の発送部の壁に大書されていた、都内の販売店への配送コース表も書き取り、かなり分厚いレポートにして、朝日入社の恩人、都立大学にお住まいの永井大三常務取締役・業務局長宅に持参しました。永井さんは、しげしげとそのレーポートに目を通していました。そして、旬日ならずして二階の発送部作業場は大騒ぎとなりました。矢継ぎ早に最新式の梱包機が導入され始めたのです。荒縄による埃は立たなくなりました。作業員はただ、僅かに手を差し伸べるだけ、労力はほとんど、使わないでも良くなりました。

 この傾向は、社屋が築地に移ってからも踏襲されました。先ず、編集も組み版も「ネルソン」という新方式が導入され人出が極端に減りました。積み込み発送もすべてコンピューター処理です。人はタダ見ているだけです。すべて、コンピューターがやってくれているのです。折角、新兵器が導入されているのに、惜しむらくは、ただ一つ、新聞を読む人が激減していることです。

2024年 6 月14 日   神宮外苑再開発                                      中央線の千駄ヶ谷で降り、青山方面に向かって歩き始めると、緑に囲まれ、のびのびとした空間の中を歩くことになります。東京都体育館あり、神宮球場あり、ラグビー場あり、、、、緑に囲まれて点在しています。都民にとって代えがたい憩いの場でもあり、神宮外苑と呼ばれて都民に親しまれています。殊に、青山道路に連なる道の両側に生い茂る「銀杏並木」は圧巻で、秋になると歩道も、車道も真っ黄色の落ち葉で埋まります。

 いま、都庁内に突如として起きている問題は、この神宮外苑の再開発です。電通が主導し、利権に敏い政治家が群がり始めています。その筆頭が森喜朗、そして萩生田光一、、、、小池百合子も半ばその気になっているようです、一体、再開発とはどういうことか?端的に言ってしまえば、「緑を無くして、コンクリートに替える」ことです。思えば新宿駅西口の再開発がそうでした。かつては大きな淀橋浄水場があり、緑が生い茂っていました。それがどうでしょう、先ず、東京都庁が物凄い高層ビルを二つも建て、移転しました。佐藤サンペイが朝日連載の漫画で揶揄しました「誰かこのビルに入ったことある?」「ナイ、ナイ、ナイ!」「誰かこのビルに用事のある人いる?」「ナイ、ナイ、ナイ!」

 しかし、もし、都民が都知事に小池百合子を三選すれば、この計画はキット進む、と思われてなりません。蓮舫の場合はどうか?もっと、もっと緑豊かな都民の憩いの場になるでしょう。

2024年 6 月13 日    男女不平等                                   戦後、民主主義の国として歩んで来た我が日本国、男女平等が標榜されてきたにも拘わらず、最近の国連機構による調査では、相変わらず、後進国並みであることが公になりました。世界における順位は何と118位、146カ国中の118位なのです。これはG7の国の中で最下位です。しかも、政治の分野では113位、経済の分野では120位です。オドロキ、モモノキでありまする。ちなみに、上位を独占しているのは北欧三国、イギリスでさえ15位、アメリカも43位。

 ところで、来月7日が投票日の東京都知事選。不出馬が予想されていた小池百合子現知事が、三選を狙う出馬を表明しました。一時、不出馬の噂が流れましたがガセネタだったのです。他にも男どもが50人余り名乗りを上げていますが、今回は、女性二人の一騎打ちになること必定でしょう。私は、勿論、レンホウさんに入れます。伏魔殿とも言える東京都政に大ナタを振るって貰いたいからです。許せないのは変わり身の早い萩生田光一が都連会長として小池百合子支持に回ったことです。八王子の皆さんはどんな思いでいるでしょうか。

2024年 6 月12 日    電動自転車                                 家の近くに保育園と幼稚園がある関係で、朝夕は送り迎えのお母さん方で混雑します。ひと頃は自転車でしたが、今は電動機付き自転車です。前と後ろに子供を乗せ、かなりの坂道を、こともなげにスイスイ登って行きます。ビックリします。ベトナムやカンボジヤへ行った時は呆れました。バイクの大洪水だったからです。信号が変わる毎に密集したバイクが一斉に走り出す、その轟音と排気ガスのものすごさに呆れました。タイのチェンマイでは小型のオート三輪と言える「トクトク」がハバを効かせていました。しかし、専ら利用したのはソンテウという乗り合い自動車でした。20バーツ出せば、市内どこでも連れて行ってくれました。ただし、乗り合いですから、目的地までたどり着くには時間が掛かりました。結局、必要に迫られ教会友のモトイ君から彼の乗っていたスポーツカーを譲り受けました。お陰で、東京から来る度に、手荷物として機内に運び入れたヤマハのキーボードを、畏友堀田さんの指示する山の中の少数民族の小学校や教会へ寄贈することができたのでした。閑話休題。

 いま、電動自転車が世界的に流行しているようです。強力なモーターの付いたものが8~9万円で買えてしまうからです。殊に中国ではその動きが顕著のようです。それに付随して起きているのが電動自転車充電の為による漏電の火事です。中国人の住居は、ほとんど、高層建築内ですから、自転車を自宅に上げて充電しなければなりません。そこで漏電による火災が起きるのです。集合住宅の一カ所で纏めて充電する設備など考えられていなかったための欠陥だ、と言われています。加えて電動自転車の充電設備が欠陥だらけだ、ともいわれています。楽あれば苦あり、世の中色々です。

2024年 6 月11 日    質の低下                              昨日述べたように、この10年余りでの新聞の部数減少は、驚くべき数字となっています。しからば、それに反比例して、新聞の質は上がったでしょうか? 上がるどころか、相対的に下がっていることを認めないわけにはいかないでしょう。何故なら、学生達は、紙を媒体とする情報産業の限界を悟り、光・電波による情報産業に未来を見つけ、そちらの方にシフトし始めたからです。つまり、優秀な学生ほど新聞社など受験しなくなったのです。その間隙をぬって、優秀な女子学生が新聞社に集まり出しました。朝日新聞社もその傾向の最中にあります。この10年余りの入社式の集合写真を見るまでもなく、半数以上が女性です。

 1961年、私が入社したときは紅一点は松井ヤヨリでした。社内に女性記者は二人しかいませんでした。ファッションだけを受け持ていました。それが今や、上席論説委員は女性です。記事全体も女性的見方とハッキリいえるものが多くなりました。連載記事で評判のよい「私の履歴書」に宝塚が登場しました。今は、なんと、「女性服飾評論家」です。評論家は評論家であって実業の人ではありません。掘り起こせば、女性で一つのことに打ち込んだ一生を持つ、優れた人が大勢いるはずです。何故、探し出す努力を惜しむのでしょうか。

 女性である以上、やがては結婚し、家庭を持ち、子育てに専念するでしょう。折角、培った仕事上の知識や経験と決別するときが必ず来るはずです。それを思うと、新聞社の未来は暗澹たるものだ、と戦慄を覚えてなりません。

2024年 6 月10 日    新聞の退潮現象                              ユーチューヴに、新聞の部数についての面白い記事があったので再録しました。この10年間に新聞の発行部数がどのように推移したか、というモノです。全国紙、地方紙、ブロック紙とありますが、部数を増やした新聞は一つもありません。いずれも、大幅に部数を減らしています。しかも、この先、部数が増える要因は全く見当たりません。

 私が入社し、販売局に配属された時の全社の部数は確か400万部に届いていませんでした。しかし、定年を迎え、関連会社に移ったときの部数は860万部を超え、読売新聞部数に肉薄していました。部数は新聞社の命です。以下は全国の新聞社の10年前の部数と現在部数の比較です。

 北日本45万ー37万、福島民報25万ー21万、岩手日報20万ー17万、信濃毎日47万ー39万、山梨日日20万ー16万、秋田魁23万ー19万、十勝毎日8万ー7万、中国63万ー50万、福島民友18万ー14万、福井20万ー16万、新潟日報46万ー36万、宮崎21万ー16万、大分合同21万ー16万、四国20万ー15万、北陸中日9万ー7万、北海道108万ー80万、静新65万ー48万、熊日31万ー22万、南日本32万ー23万、高知19万ー13万、東京新聞52万ー37万、岐阜17万ー12万、中日256万ー179万、徳島24万ー16万、神戸55万ー37万、愛媛26万ー17万、山陽41万ー27万、京都48万ー31万読売956万ー618万、神奈川20万ー13万、産経161万ー91万、日経276万ー143万、西日本72万ー37万、毎日332万ー162万、朝日743万ー356万

2024年 6 月9 日     核兵器                           ロシアによるウクライナ侵攻は、二年前の2月24日の早朝に始まりました。何故覚えているか、と言うと、この日、私は巣鴨駅近くの大和町病院へ入院し、膀胱結石除去手術を受けたからです。本当は、女子医大で受ける手筈になっていたのですが、入院して手術の当日、麻酔医がコロナに掛かって対応できない、という理由で延期されたのでした。病院側の人員の都合で延期されたのに、当日の検査料、部屋代など請求されたので、頭にきて、それ以降、女子医大へは行かないことにしました。    ロシアの侵攻は凄まじく、瞬く間にクリミア半島がロシア領になりました。しかし、次第にNATO諸国の武器弾薬がウクライナ支援に送られ始めるや、今は、攻守が逆転し、ロシア側が窮地に立たされているようです。と言うことは、 NATO諸国としてはここで負けるわけにはいかないのです。どうあっても勝利するか、停戦に持ち込むかしなければならないのです。

 ところがです。劣勢に立たされているプーチンは、ついに禁断の言葉を口にし始めました。核兵器の使用を仄めかし始めたのです。もしも、ロシア側が核兵器を飛ばし、キーウ上空で炸裂させれば、戦争の帰趨はその一瞬で左右されるでしょう。その場合、NATO諸国はどうするのでしょうか?事態を静観するだけでしょうか?それとも、報復の為の核兵器をモスクワ上空に炸裂させるのでしょうか?

2024年 6 月8 日   ゴルファアー・渋野日向子                         もう五年前になる2019年の全英女子オープンゴルフで、樋口久子以来42年ぶりになる優勝を果たした渋野日向子は、一躍、小父さんゴルファー達のアイドルになりました。プレー中、お菓子を食べながら笑顔を振りまき、あれよあれよ、という間に、こともなげに、優勝してしまった、その無邪気な姿に、日本の小父さんゴルファー達は感動してしまったのでした。私も、その一人でした。週刊誌にも彼女のコーナーが出来たほどでした。ところが、以後、絶不調が続きます。予選落ちが続きます。ショットが乱れに乱れます。そして、「渋野もこれまで」と世間が見切りを付け始めた途端、ドエライことをやり遂げます。このたびの全米女子オープンで二位に入ったのです。賞金は1億円を優に超えました。

 彼女を見限り始めていた小父さん達が、あっと驚いたのは言うまでもありません。私もそうです。再び、日向子ブームが始まるのではないでしょうか。ところで、一位も日本人でした。笹尾優花。父親が日本人、母親フィリピン。フィリピンでは大騒ぎのようです。面白いのは、このところ、日本でもアメリカでも女性韓国人ゴルファーの参加数が、極端に減っている、という珍現象があります。これはどうやら両国の女子ゴルフ協会が締め出しを図った結果であるらしいのです。参加するためにはどういう条件を付けたのか?いずれ調べて見るつもりです。

2024年 6 月 7 日     鬼門の6月                      6月は、私にとって鬼門の月です。何故なら昨年のこの月、大変な苦しみを経験しました。鼠径ヘルニアの手術で、国立感染症病院へ入院したのが6月12日、手術は局部麻酔で13日に行われ、15日に退院したのはいいけれど、6月25日の朝、右足太ももから足全体にかけて、猛烈な痛みに襲われ、椅子に座ることも歩くこともできなくなりました。幸い、タイ・チェンマイから畏友堀田さんが来てくれていたお陰で、食事の世話から、何から何まで、お世話をおかけしました。手術の後遺症であるらしいことは感じはしたものの、病院の方では曖昧な診断でした。

 それが7月14日の朝、突然、すべての痛みが嘘のように去り、普通に歩くことも、椅子に座ってパソコンを操作することも出来るようになったのです。嬉しかったですね。でも、予約を入れて貰っていた都合で、近くのリハビリ病院へ一週間、入院を余儀なくされました。

 さて、一年後の今、これといった病気の気配はありません。持病である間質性肺炎の他には、、、、もう、四年前になりますか、三回目のコロナワクチンの打って貰った直後から、急に始まった息切れの発作は、高価な薬を処方して貰っているのに、快方に向かう兆しが見えていません。一錠5000円のこの薬、、、最も、難病の指定を受けている間質性肺炎にはいまだ、特効薬がなく、ただ、進行を遅らせるだけの効果だとは、いわれてきています。なんとか、お医者様方には頑張っていただいて、特効薬を、私が「息をしている」間に見つけ出して貰いたと願うや切であります。

2024年 6 月 6 日    更に変容するらしい埋め立地             今日の朝日の紙面にデズニーランドのカラー全面広告が四面全部を使って掲載されました。その趣旨は、ランドの周辺をデズニーリゾートとして再開発するという計画の発表でした。

 思えば、私が正担当として江東六区を担当した頃、葛西、船堀周辺はボロボロの土地でした。小林寿という山男が兄弟三人で約800部の朝日を配っていました。以来、物凄い速さで埋め立てが進み、新興住宅が生まれ、千葉まで通じる鉄道・湾岸線が生まれ、デズニーランド、それに加えてデズニーシーが出来ました。その周辺は既に宅地造成が進み、高級住宅地として栄えています。東京広しといえどもこれほどの変貌を遂げた地域は、他に無いのではないでしょうか。

 折から国立千葉大を卒業する長男から就職口を頼まれ、開業して間もないデズニーランドを推薦したところ、首尾良く幹部候補生として採用され、ゴミ掃除人(カストーデアル)から始まり、人事部長、全パビリオンの総責任者・運営部長を勤め上げ、関連会社の社長をこなし、今も相談役として出勤しています。それもこれも、江戸川下流の荒れ地の再開発が無かったら出来なかったことです。

 今朝のカラー全面広告は、同地区全体を更に再開発して、都内屈指のリゾート地区に変容させようとする、運営会社・オリエンタルランド社の決意の表れ、であるようです。この先、どのように変化していくのか、昔の「荒れ地の葛西・船堀」を知る私にとっては興味津津、といったところです。あと、10年生かしていただきますよう、神様にお願いしているところです。

2024年 6 月 5 日      中 国 (6)                            (もう一回だけ中国に付いて述べさせていただきます)北京に着いた我々朝日学生新聞社の三人は中国小年報社の計らいで、西安と上海の視察旅行に出かけました。その前に、北京の小学校の視察が用意されていました。少年報社からは編集長の王義之さん、女性社員の馬衛東さん、それに通訳の三人です。一行6人は先ず、北京小学校の正門で生徒達によるブラスバンドの演奏で迎えられました。続いて校長室で記帳です。中国の国旗と日の丸の旗が飾られていました。驚いたのは、廊下ですれ違う生徒たちが、我々とすれ違い様、深々とお辞儀をすることでした。更に驚いたのは本物のパソコンが50台近く置かれた教室があって、生徒達が黙々と操作していることでした。その頃の日本の子供達は、プラモデルに夢中でした。「恐るべし、中国!」と肝を冷やしました。

 西安では専ら観光でした。丁度、9月17日ごろだったの中秋の名月を6人全員がホテルの屋上から、月餅を頂きながら、感慨をもって見上げました。さて、最後は上海です。そこの子供新聞社では大したことをやっていました。日刊新聞の一ページを子供達に解放し、彼らが勝手に自由に編集していたのでした。これにはビックリ仰天させられました。そして、「恐るべし、未来の中国!」との感慨を胸に帰朝しましたが、その後どうなったでしょうか? 芽生えていた素晴らしい芽を、「共産党がすべて摘み取ってしまった」と、思えてなりません。

2024年 6 月 4 日      中 国 (5)                            一昔前、飯田橋に「日中友好協会」という団体があり、大活躍していました。恐らく、こ組織は今も在るでしょうが活動の噂は伝わってきていません。團伊久磨が率先して中国へ乗り込み交響楽団を組織させました。ピアニストの松浦豊昭がピアニストを育てました。囲碁の藤沢秀行らが囲碁を教えました。その結果、囲碁では若手の育成に国家が介入し最強の国になりました。ピアニストも大勢生まれました。ランラン、カンカン、ユンデイ・りー、ユジャワン、牛牛などなど、、、

 ひと頃、中国人ピアニストは世界的にもて囃されました。演奏会はどこの国でも満員状態でした。ところが、今はどうでしょう?少なくとも日本では、彼らの演奏会があっても誰も聴きに行きません。一つの原因は、彼らの演奏が自分の軽業師的テクニックをひけらかし過ぎるところにあります。もう一つは、最近の中国政治に対する嫌悪感にあるようです。「中国人の演奏など聴きたくない」とする傾向が、世界的風潮になっているからでありましょう。

 團伊久磨が何度も中国に渡って指導した「中国交響楽団」は、今はどうなっているのでしょうか? 活躍の噂はトンと聞こえて来てはいません。思えば彼はその中国で指導を終えた晩、ホテルで客死しました。隣の部屋には歌舞伎俳優がいて、彼がお孫さんと「お土産は何がいい?」と電話のヤリトリをした直後、亡くなったようです。77歳でした。

 国の政治のあり方は、芸術の世界の発展伸張をも左右するという事実を、我々は知らねばなりません。そのいい例が今の中国ではないでしょうか?

2024年 6 月 3 日      中 国 (4)                            人は何故、一度権力を手に入れると、それを維持するためにあらゆる残虐行為を恥とせず、しゃにむに戦いを繰り返すのでしょうか? 遠くはローマ帝国の暴君ネロ然り、アレキサンダー大王然り。日本の戦国時代もそうでした。武士は刀をぶる下げ、反逆する者を容赦なくブタタ切って来ました。ミヤンマーのヤンゴンへ行った時、たまたま入った動物園の猿山で、ボス同士の壮絶な争いを見ました。グループが固まって見守る中、ボス猿同士がそれはそれは死に物狂いの争いを繰り広げました。身の毛がヨダツ死闘でした。

 いま、その甘い蜜の味を知って、権力の座を明け渡そうとしないボスザルの代表は、ロシアのプーチンと中国の習近平ではないでしょうか?中でもプーチンは、その刀自が諜報員だけあって、自分に反対するモノ達を、巧妙に毒殺、暗殺してきました。習近平然り。少しでも反対運動が起きるのを怖れ、監視組織を強化し、それらしき動きを未然に防いでいます。そのため、ロシアにも中国にも言論の自由など存在しません。少しでも政治に不満を漏らそうものなら、直ちに収監されます。

 昔の映画に「チャップリンの独裁者」が在りました。地球を描いた大きな風船を彼は軽妙にもてあそび、腰で受けたり、足で受けたり、、、そして、突然、風船が破裂します、、、、ロシアのプーチンも、中国の習近平も風船と戯れている姿はチャップリンと同じです。やがて、破裂するのは時間の問題でしょう。私はそれを信じて疑いません。

2024年 6 月 2 日      中 国 (3)                            今から30年程前になりますが、従弟の靖輝君の商売相手の中国人「虞さん」と三人で上海の海辺リのゴルフ場で盛んにプレーしいた頃の話しです。あることがあって共産党員を辞めた中国人に会って、食事を御一緒したことがあります。共産党の悪口をサンザン聞かされました。利権の温床だと言うのでした。

 マルクス・レーニン主義を基調として始まった共産主義の中国の特徴の一つは、土地の私有化を認めないところにあります。それこそが汚職の原点だ、と彼は言うのでした。

 毛沢東に始まった中国共産党は独自の毛沢東思想を実行に移しました。続いて登場した登小平は「白でも黒でもネズミを捕る猫がいい猫だ」として、独特の「登小平理論」を展開しました。続いた江沢民も「三つの理論を」展開し、胡錦濤も彼独自の理論を展開しました。さて、五代目の習近平です。登場するや、共産党員の汚職の摘発に精力的にとり組み、ということは、自分の競争相手を失脚させることに血道をあげ、結果的に自分の地位の安泰化を図り、定年制まで廃止し、独裁体制を確固たるものにしました。「共同富裕」を旗印に掲げ、国内の「高速鉄道網整備」、「一帯一路構想」などを掲げましたが、いずれも悪評サクサクの状態です。建築業界は、実際に居住するのではなく投資の対象としてのマンション建築に血道を上げた結果、資金繰りに行き詰まり、大問題になっています。加えて、一党独裁の弊害が社会現象として顕在化し始め、日本を初め、世界の企業は中国からの撤退を余儀なくされています。

 共産党一党独裁政権の最大の弊害は、国土の土地私有化を認めず、共産党員が管理しているところに始まったのではないでしょうか?それが汚職の原点になっているのではないでしょうか?

2024年 6 月 1 日      中 国 (2)                            中国には国営の新聞社が在ります。言わずと知れた人民日報です。国土の広い中国ですから地方都市にもそれぞれの新聞社があります。その数、500社余り。国営の小中学生相手の新聞社もありました。名付けて「中国少年報社」(チョンゴウ・シャオネンパオ」驚いたことに、年少者向けの新聞社は全国で136社もありました。

 その新聞社と、我が朝日学生新聞社との間に「研修」と称して毎年交互に3名ずつの社員交流が在りました。前任の海野社長が始めたもので、私が在任した6年間は続きましたが、私の後任の山本社長になったら、なぜか、打ち切りになってしまいました。彼は極端な中国嫌いだったからです。

 その年、私と佐藤編集長と遠藤副編集長の三人は、まず、北京へ向かいました。400人ほどの子供達の集まっている会場での「日中子供書道展」の上位入賞者に日本からの賞品を渡す為です。毎年、中国から子供達の書いた書道が日本へ送られてきます。日本の書家が審査し、上位入賞者の作品は朝日本社のメインロビーや講堂に展示され、話題を呼んでいました。さすが、「書の国」だけあって、子供が書いたもの、といえども侮りがたく、日本の子供と比較にならない作品が多くありました。この企画も山本氏は打ち切ってしまいました。

 さて、北京の会場での表彰式、よせばいいのに、私は習い覚えた中国語で一部挨拶しました。場内は大爆笑となりました。私の中国語の発音がおかしかったからです。

 その晩、少年報社は盛大な宴を張ってくれました。社長の温維新さんと通訳を交えて隣同士、話しが弾む内、彼が囲碁四段の腕前であることを知りました。ならば、と碁盤・碁石が運ばれて来て対戦となりました。黒山の人だかりとなりました。社長が打つと、回りから横やりが入り始めました。置かれた石が動かされ始めました。私も日本棋院四段の腕前です。終局が近くなり、私の勝ちが見え始めたとき、10人余りの観客の一人が、打たれた石を動かし妙手を示唆しました。私の負けです。投了すると、10人余りの社員さん達が大歓声を挙げました。いやはやでありました。

2024年 5 月 31 日      中 国 (1)                            中国へ始めて行ったのは、かれこれ50年以上前の真冬です。その年の正月休み、西武観光のツアーに肖って、小学校高学年の長男・次男を伴い、4人で行きました。北京は猛烈な寒さで、慌てて免税店に飛び込み中国人のほとんどが身につけている、青色の綿の入った外套を買いました。天安門近くのホテル「建前飯店」は建て付けが悪く、隙間風が吹き込み、売店には品物がなく、しからびた林檎だけが並んでいました。道路際の部屋だったので、夜中はしっきりなしに通る空車の音に悩まされ、朝は朝で、数千台の自転車が発するペダルの音に困惑しました。一般自動車など、ほとんど走っていませんでした。天安門広場へ行ってみました。夜中なのに、我々と同じ青い防寒具を纏った人々が凡そ数千人、何をするでもなく、ただ、ただ突っ立ていました。そこに強烈なエネルギーの内在を感じ取ったのは、私だけではないはずです。

 救いの一つは、名だたる北京飯店での食事ができたことです。われわれ家族の前に、名物「北京ダック」がお替り自由で出てきました。ダックの皮を剥ぎ、餅に挟んで口に入れるのです。子供らは「美味しいね」といいながら瞬く間に一羽を平らげ、お代わりをしました。バスで移動し、万里の長城にも登りました。よくも、こういうものを作ったものだ、と感慨を新たにしたことを覚えています。

 当時の中国人労働者の給料は、確か、日本円にして6000円~7000円程度だった、と記憶します。私の朝日新聞での初任給は18000円でしたが、その頃は10万円を越えていたと記憶します。ツアーの費用は14万円でしたが、これは賞与でまかなった記憶があります。言いたいことは一つ。中国の一般民衆は貧しかったのです。

 それがどうでしょう。50年経って一般民衆は豊になっているでしょうか?至って貧しいままではないでしょうか? 富んでいるのは一部の階級の人間ばかり、、、、、すなわち共産党員です。その辺のことを掘り下げていきましょう。

2024年 5 月 30 日     小池百合子                         今日の午後、小池百合子が次の知事選に出馬しない、というニュースが飛び込んで来ました。出所はスマホですが、まもなく始まる、N・H・Kのニュースで明らかにされるでしょうが、私は、小池百合子はいい判断をした、と思います。一度、権力の座に上り詰めた者は、その座を失うことを何よりも良しといないのが世の習いですが、流石、カイロ大学の卒業生(?)だけあって人間の栄枯盛衰の短さを、身をもって知ったからなのでしょう。

 人間という者は、一度、権力の座につくと、「それがずっと続くもの」と思いがちです。自分自身にうぬぼれてしまうからです。それは私自身の経験からも言えることです。西部本社の営業局長だった私は59歳の時、朝日小学生新聞、中学生ウイークリー、進学情報などを発行する朝日学生新聞社への出向を命じられました。一年半の専務時代を経て社長に就任しました。そして6年、、、小池さんと同じ6年です。後任にリクルート事件で社会的事件を巻き起こした、その張本人・社会部記者山本博が社長に乗り込んで来ました。私は社長室の隣の小部屋で会長です。それも一年間のみ。悔しかったのなんの、、、、

 一度、権力を握ると、人はそれがずっと続くもの、と錯覚しがちです。小池百合子さんよ、6年もの間、権力者で在り続けたのだから、もう十分ではありますまいか。英断を讃えます。

2024年 5 月 2 9 日     蓮 舫                         まもなく都知事の選挙が始まります。早くも、小池知事が三選を目指して立候補しました。新宿の、あの浄水所跡に建てられた巨大な二つの高層建築に君臨するのは誰になるのでしょう? 少なくとも小池は既に飽きられているでしよう。その上、学歴不正問題まで起きています。ここへ来て、蓮舫が出馬を表明しました。面白くなりました。恐らく、女性同士の一騎打ちになるかも知れませ。

 蓮舫は元々、台湾人の政商謝哲信と「ミス資生堂」だった斉藤圭子の間に生まれた混血児です。青山学院幼稚園から、初等部、中等部、高等部を経て青山大学法学部法律学科を経ています。

 その後政界入りし、民主党政権時代、内閣府特命担当大臣を仰せつかります。国の予算にメスを入れねばなりません。膨大な予算を要求しているスーパーコンピューターの担当者に言いました。「世界で一位にならなければならない理由を言って下さい。二位ではダメなのですか?」

 このヤリトリは今でも語り草になっています。一方、東京都庁は、予算の使い方において伏魔殿並だ、といわれ続けています。小池に替わって彼女が知事になり、無駄金をワッサワッサ摘発してくれることを、大多数の都民は願っているのではないでしょうか?

2024年 5 月 2 8 日     台風一号                         未だ5月です。薫風香る爽やかな5月です。それなのに、日本列島に台風が上陸し、いま、関西地方は大雨の被害を受けています。予報に寄れば、台風の中心は、夕方から夜にかけて関東地方を通過する予定です。それに伴い、線状降水帯があちこちで被害をもたらしているようです。

 5月は一年で一番良い季節です。6月に入ると梅雨入りです。甲子園の予選がその頃、全国で始まります。そして、決勝戦が終わる頃から10月にかけて、台風が頻繁に日本列島にやってきます。それが通例でありました。それが全く覆ったのです。正に「異常気象」と言わざるを得ません。この台風は風速は激しくないようですが、各地で大雨を降らしているようです。これから夜にかけて、新幹線も、空の便も不通なるとのこと。いやはや、誠に珍しい現象です。地球全体の気象が狂い始めている一つの現われではないでしょうか?

2024年 5 月 2 7 日     大谷夫人(2)                     いま、話題を独占している大谷夫妻について、真美子夫人のご家族のことや、父親の職業に就いて知りたいと思い、パソコンと格闘しているのですが、中々そういう記事にお目に掛かりません。分ったことは、ご家族は4人、兄がいて大谷と同じ歳の元ラグビー選手。真美子さんの少女時代の写真も探せど、探せど、、、、専ら現われてくるのは真美子さんの選手姿ばかり、、、それも健康美に溢れるモノばかり、、、

 いずれ、田中家の写真を探り当てこのブログに登場してもらう積もりです。

2024年 5 月 2 6 日     大谷夫人                     アメリカのプロ野球開幕戦を韓国で開催するにあたり、話題の大谷翔平は自身の結婚相手の田中真美子を公表し、韓国へ同行しました。アメリカは元より、日本でも韓国でも、更に世界中の話題となっています。

 大谷が見初めた田中真美子とは、一体どういう女性か?ご両親やご兄弟は? 二人の間にははどういう経緯があったのか? 今のところ詳細は伝わってはいませんが、いずれ明らかになってくるでしょう。ただ、彼女が成徳高校から、早稲田大学に進学し、三年生の時、ユニバシアード世界大会に富士通の選手として2大会連続出場し、50年ぶりに銀メダルに輝いたことでも知られています。早稲田での学部はどこだったのか?卒業できたのか?詳らかではありません。いずれ、彼女の全貌が明らかになってくるでしょう。いま、分っているのは彼女の愛称はマミ、1996年12月11日生まれの27歳。身長180センチ、体重70キロ。更に加えれば、彼女は色白のかなりの美人。それも気品のある麗人です。

 速くも、新たに所属したブルージェイズの選手婦人会のお仲間に加えさせて貰っていますが、その気品溢れる立ち居振る舞いが絶賛を浴びているようです。大谷翔平は素晴らしい伴侶を見つけ出しました。

2024年 5 月 2 5 日     マナー                     タイ・チェンマイへ初めて行った頃、宿泊は市内を流れる「ピン川」のほとり「ホテル・メイピン」でした。台湾出身の女性歌手・テレサテンが四階から飛び降りたか、飛び下ろされたかして、亡くなったホテルです。ホテルでの朝食はバイキング形式です。ほとんど毎日、中国人の団体客と一緒になりました。彼らは、驚くべき量の食べ物を持ってきます。そして食べ残します。口に合わないと感じた料理は、ところ構わず吐き出します。その上、大量の食べ残しを置いて去って行きました。

 従弟の靖輝と上海での彼の商売相手「虞」さんと、上海の生け簀料理店へ行ったときです。山と積まれた卓上の魚料理を、彼らは手でかきむしり、骨や、頭をテーブルや通路に放り出して平気でした。彼らが去った後、従業員は苦労していました。

 さて、日本の懐石料理を頂くときです。音を立てた食べるでしょうか?食べ残しをするでしょうか? テーブルや通路に食べ残しを放り出すでしょうか?大声でしゃべり合うでしょうか?

 日本の文化は、古来に遡り、遣唐使や、遣隋使らによって中国を経由して伝来したものです。仏教も言語も、陶磁器も衣装も中国を祖としています。なぜ、食事マナーだけ、真似しなかったのでしょうか?

2024年 5 月 2 4 日      天国に一番近い島               一昔前、といっても大昔かも知れません。海外旅行など「夢のまた夢であった頃です。兼高薫の世界を旅する30分番組が人気絶頂の頃です。日本人の二人の若い女性が、インド洋に浮かぶセイシエル諸島へ旅しました。その顛末を「天国一番近い島」としてテレビで放映しました。爆発的人気を博しました。同じ頃、設立された朝日新聞社販売局の子会社「朝日旅行」がフィリピンの小さな島への旅を喧伝しました。海の綺麗な小さな島でしたが、絶大な人気を博し、当時の我々の先輩・柳沢社長は「ホクホク」でした。

 このセイシエル諸島でいま、島を挙げての大問題が起きています。フランス領をこのまま続けるか、それとも独立を果たすか?

この島は日本の四国に匹敵する大きさの島だそうです。近くにはフランスの画家ゴーガンが終生住み着いたタチヒ島があります。この辺り一帯の島は、第一次戦争当時、フランス領にされて現在に至っているのです。香港がイギリス領であったと同じ理屈です。

 フランスのマクロン大統領が現地を訪れました。火に油を注いだようです。住民はフランスの庇護のもとに暮らすの、潔し、としなくなったのです。これこそ自然の流れ、というものです。フランス人、マクロン大統領の、勇断を期待しましょう。

2024年 5 月 2 日      ワシャ知らん               自民党の、裏金問題に対する規制法改正案が各党から出されましたが、各党それぞれ厳しい案を提出しているのに、自民党からのモノが一番手緩いことが露わになりました。規正に掛かる該当者は大勢いるのに、このごに及んで、「ワシャ知らん」を決め込んでいる自民党議員の何と多いことでしょう。その筆頭が萩生田光一。審議会に出るべきなのに無視し続け、嵐の静まるのをジッと待っている。何と卑怯な男でしょうか!二階に至っては「自分は今後立候補しない、息子をお願いする」とばかり一切説明すること無く、口をつぐんだままです。

 今回の東京15区の補欠選挙では、自民党からの立候補者は一人もありませんでした。補欠選挙は島根県でもありましたが自民は落選しました。開闢以来の出来事です。

 いま、国会の解散が取り沙汰され、ことによると、その時期が9月かもしれません。恐らく、自民に替わって野党連合が勝利するのではないでしょうか? 何故なら、国民はこぞって今の自民党のやり方に愛想を尽かしているからです。しかし、野党連合になったからといって、激動する世界の動きに対応できる力があるでしょうか?

 少しの進歩も感じられない日本の三文代議士の集団を憂います。(写真は議員会館)                                                                   

2024年 5 月 2 2日     ヘリコプター                                                                                                                                                                                              昨日、イランでライシ大統領、アブドラヒアン外相らの乗ったヘリコプターが、悪天候のため墜落し、同乗者9人全員が死亡する、というニュースが報じられました。一瞬、イスラエルの謀略か?と疑いましたが、それは無く、全くの天候不良が原因だったようです。

 このところ、ヘリコプターの事故が頻繁です。日本の宮古島海域で視察に訪れた自衛隊のお偉方初め7人が海底に沈みました。空中でヘリ同志が衝突する事故もありました。

 朝日新聞社の航空部も数機のヘリコプターを所持しています。専ら取材用ですが、そうでない使い方をしたときもあります。東京の販売局長が急逝し、大阪からKさんが新しい局長として赴任してきたときです。同時に、今まで大阪販売局の所管であった富山県が東京管轄となリました。富山県は朝日新聞の普及率が日本一悪いところです。県全体の部数は18、000部。販売店数25店。当時の東北6県、信越担当の販売部長は私。富山県がおまけに付いたのです。何とか景気付け考えねばなりません。思いついたのがヘリコプターを飛ばす祝賀行事です。当時の宣伝部長だった菊原君と相談し、富山県出身の有名人にヘリコプターに乗って貰い、富山空港で祝賀行事を挙行することでした。当時、人気を独占していた富山県出身女子プロゴルファー・森口祐子も、快くっ乗ってくれました。

 河川敷に作られた富山空港で、販売店所長、家族、従業員全員が、拍手で見守る中、朝日新聞社旗をはためかせたヘリコプターが、到着しました。今でも語り草になっているそうです。

2024年 5 月 2 1日       台湾総統                                                                                                                                                                                           昨日、台湾の総統が蔡英文さんから頼清徳(ライチントー)さんに替わりました。同じ民進党ですから、中国に対する姿勢は従来と変わりません。ということは、台湾の人達は台湾が中国に支配されることを望んでいない、あくまでも民主国家でありたい、と望んでいるのです。

 太平洋戦争末期、毛沢東率いる共産党に追われた蒋介石は、故宮の財宝と共に台湾に逃げ込み、現在に至っています。そして今や、半導体生産において世界屈指の国になっています。日本の熊本にまで生産工場を拡大しようとする勢いです。

 最初に台湾へ行ったのは、千葉中部担当時代の団体旅行でしたが、従弟の靖輝一家と、私の母親それに私の一家、併せて12人で一週間の予定で行ったこともあります。それは私の母親の古希のお祝いを兼ねていました。盛大な宴会となり、喜んだ母親の姿が今も目に浮かびます。驚くのは、台湾の人達の親日ぶりです。その点、韓国と全く違います。どこへ行っても日本人は温かい目で迎えられました。

 問題は台湾の今後です。中国共産党は台湾は自分たちの領土だ、と主張しています。武力による奪還もいとわない勢いです。一方、アメリカ初め民主国家は、共同で台湾を守り抜く、と宣言しています。日本もその一員になっています。私は、武力衝突は避けられないだろう、と見ています。いずれは起きる、としても、そのときは、私があの世へ行ってからにして貰いたいモノです。

2024年 5 月 2 0日       神輿を担ぐ                                                                                                                                                                                           昨日は浅草の三社祭でした。町ごとが繰り出す神輿の威勢の良いかけ声と、それを見物する人の波で浅草界隈はゴッタ返していました。大昔、私自身、その年だけ、この神輿を担いだ経験があります。

 時は入社して下積みの経験を終え、江東6区を受け持つ販売の正担当員に抜擢された時です。前任の東大卒の原さんが急逝し、当時千葉県を担当する同じ東大出の海野さんの助手を務めていた私が、急遽、原さんの後の正担当に抜擢されたのです。江東6区とは墨田、江戸川、江東、荒川、足立、葛飾区をさし、販売所長は、原さんが行った構造改革によって、威勢の良い若手ばかりになっていました。その中に、浅草地区を担当する関崎九三という、長野の松本深志高校卒の所長がいました。既に地元に溶け込んでいて浅草周辺の顔役になっていました。

 同郷のよしみで打ち解けあっていたその関崎さんから「中沢さん、三社祭りの神輿を担ぎませんか」と持ちかけられたのです。一も二もありません。喜んで承諾したのです。当日、法被、地下足袋など一切は彼が用意してくれていました。町の顔役にも紹介してもらい、いざ、出陣です。私の背が高いせいか、意外に重さが堪えました。後は、無我夢中でした。何度か休憩を取ったあと、寺社入りを果たして、三三七拍子の手締めを打って終了。その後、町の衆と酌み交わした冷や酒の旨かったこと! ならば、もう一度担ぎたいモノです。

2024年5月19日    タケミチャンネル                                                                                                                                                                                         ユーチューヴに連日のように登場する「本要約タケミチャンネル」という番組があります。白衣を着た「タケミさん」が主として食べ物について能書きを垂れる番組です。曰く、「死んでも一日一杯はこれを飲め」、「病気が消える地上最後の神飲料」、「80歳でも老化しない人は意外なことをやっていた!」、「一日10グラムは死んでも食え、あらゆる病気を消す神飲料」ET CETERA。

 つられて私が、彼の言うとおりにした日常の食事が在ります。先ずヨーグルトを「R1」から豆乳ヨーグルトに替えました。ヨーグルトの中に「しらす干し」と「いり胡麻」を加えました。更に、そこにキムチを加えると更にいいそうです。ゴーヤーは長生きのための最良の野菜で「オイルサーデン」を加えると、更に良いそうです。ハンバーグは絶対に食べないようにしました。人口肉やまがい物がワンサカ、だそうです。ガストやジョナサンのドリンクバーにあるモノは、ほとんどが偽物の原料だそうです。更に悪いのがポテトチップス、とフライドポテト。セブンイレブンなどの果物の清涼飲料水も合成モノだから御法度だそうです。ただし、このチャンネルが推奨しているセブンで売っている超安値の身体に極めて良いモノがあります。一袋138円の「甘栗」です。バカな私はそれを真に受け、買ってきて食べているところです。

2024年5月18日       チ-ズ                                                                                                                                                                                                                            人生最後の日に、「お前は何を食べたいか?」と問われれば、私は即座に「チーズ!」と答えるでしょう。それほど、私はチーズが好きです。 ところが、我が日本国には、これと言ったチーズがありません。店頭に並んでいるのは、北海道産の「カマンベール」ぐらいで、後は、ヨーロッパ産、オーストラリア産がすべてです。その北海道産も決して美味しくありません。美味の極地は発酵モノです。その最たるモノがヨーロッパのスカンジナビア半島でしか生産されていない「シュールストレミング」という魚の発酵の缶詰です。今だかつて、お目にかかったこともありませんが、この缶詰を空けるときは、野原にでも行って明けないと、その強烈な匂いが立ちこめて、周囲が大迷惑となるようです。

 チーズといえどもいろいろなタイプがあります。例をあげれば、青カビタイプ、ハードタイプ、白カビタイプ、シエーブルタイプ、フレッシュタイプ、、、、、スイスへ行った時、デパートの食品売り場に、チーズだけのコーナーがありました。スーツケースを半ばチーズで一杯にして帰朝しました。オーストラリアにも美味しいチーズがありました。毎日、毎日、愛おしみつつ頂きました。ドバイのマーケットにはチーズだけ専門の一室がありました。スイスには、串刺しにした食べ物をチーズにまぶして、いただくチーズ・フォンデユーという素敵な料理法があります。

 何故、日本にはチーズ料理が根付いてこなかったのでしょうか?北海道産の牛乳が、ワンサカあるにも拘わらず、、、、

2024年5月17日       ロンジン                                                                                                                                                                                                                         ミヤンマーの首都・ヤンゴンで、一週間ほど滞在した中級のホテルでは、ドル以外の通貨は使えませんでした。近くの道路では毎朝市が立ち、あらゆるモノが並べられていました。干からび過ぎた魚の干物、縁の欠けた陶器、ヨレヨレの衣装などなど。行き交うほとんどの男性の衣装は、腰巻きのようなロンジンと呼ばれる一枚布です。好奇心に駆られ、アウンサンマーケットで、その一件を購入しました。500円でした。さて、どうやって身につけるか? ホテルの食堂で、ボーイさん達が寄ってたかって、パンツ一枚の私に、そのロンジンを巻き付けてくれました。たった一枚の布を落ちないように腰に巻き付けるには、古来から伝わるコツが在りました。ゴム草履を履き、外に出ました。心地よい夜の涼風が足下から下半身全体に入って来ました。私の祖先は、もしかしてビルマ人では? と思った程です。

 アウンサン・スーチーさんの邸宅は頑丈な塀に囲まれていました。しかし、彼女が子供時代を過ごした、小高い丘の上の建物は記念館になっていました。アウンサン将軍に抱かれた彼女の写真がありました、

 ヤンゴンには、日本の山手線のような唯一の鉄道・環状線があります。窓のほとんどは壊れたままです。開かない扉もあります。その5、6両をバカでかい音のするジーゼル車が牽引します。線路の両側の空き地はゴミの山。30年以上前の家電製品が山と積まれていました。

 ヤンゴンの大きな特徴は、至る所に仏教寺院があって僧服姿の僧侶で溢れていたことです。しかも、広大な寺院の中に入ると、涅槃仏を見上げる大勢の一般市民で溢れていて、皆が皆、恍惚状態になりながら仏様を見上げていたことです。つまり、この国には軍隊は必要が無いのです。仏教徒ばかりの穏やかな民衆に溢れた平和で在るべき国なのでした。それを、中国が、自分国の利権のために、、、この国に全く似合わない武器を持つ国にしたのです。中国の罪は大きすぎます。

2024年5月16日     泥沼のミャンマー                                                                                                                                                                                                                         ミヤンマーとは、昔のビルマのことです。第二次大戦の末期、大勢の日本兵がここで戦死しました。その顛末を書いた竹山道雄の「ビルマの竪琴は」長い間ベストセラーで在り続けました。日本兵が捕虜になって収容所に収監され、帰国を待っているとき、奇しくも免れて僧侶になり、僧服を着て竪琴を持ち、オウムをそこに留まらせて、収容所を訪れる、、、「おおい、水島、一緒に日本に帰ろう」とオウムに言わせても、「私は帰る訳にはいかない」と、オウムに言わせ、「水付く屍、草むす屍」とオウムに言わせ、無残に野ざらしになっていた多くの日本兵士の死骸を葬って歩いた、、、、当時、まだ、少年だった私は、この本を一読、再読、再々読した記憶が今も鮮明に残っています。

 5年程前、タイ・チェンマイからプロペラ機で一時間のミヤンマーの首都ヤンゴンへ行きました。アウンサンスーチーさんの時代でした。彼女はビルマの独立に貢献のあったアウンサン将軍の娘です。貧しい国でした。日本の中古車が溢れていました。トラックも、バスもそうでした。バスは日本語で書かれた行く先表示のままか走っていました。街全体が貧しかったけれど、そこには自由がありました。軒を連ねている仏教寺院では敬虔な信者の祈りが溢れていました。

 そこへ全く、突然、降ってわいたように軍政が引かれ、スーチーさんは幽閉されます。軍人上がりのミン・アウン・フラインが実権をを握ります。いわゆる軍事クーデターです。すべては中国の差し金だ、と世界の世論は断じています。ところが、今はどうでしょう?ミャンマーの北部には沢山の少数民族がいます。カレン族、カチン族、カレンニ族、チン族、、、、これらの部族が大同団結し、国軍に戦いを挑み始めたのです。大統領まで選出されました。ミン・スエザン大統領です。これらの勢力はスーチーさんの解放を標榜することでは一致しています。慌てたのは中国のようです。思惑がはずれたからです。その思惑とは、ミャンマーを支配下に置き、中東からの石油をヤンゴンで水揚げし、パイプラインで中国中心部に運ぶことにあったようです。

 いま、中国・習近平が提唱した「一帯一路」構想は、初めは世界の後進国は飛びつきましたが、その内容が明らかになるにつれ、今や「悪評サクサク」の状態です。なぜなら、金も資材も、労働者さえもが全部が全部、中国人が来て、当該国の利益にならないからです。しかも、借金の返済は「ドルで」となっているからです。今後のミャンマー、国軍と北方少数民族との戦い、どうなっていくのでしょう。

2024年5月15日     ドローン・ショウ                                                                                                                                                                                                                         昨夜、大阪・関西万博を盛り上げようと、LEDを搭載した約9500のドローンが打ち上げられ、大阪の夜空を飾りました。膨大な費用が掛かったはずです。既に、開催まで一年を切っているのに、参加国もまばらであり、工事の進捗もはかばかしくありません。一方、世論も一向に沸いてきてはいません。ほとんどの人は、そんな金があったら、能登半島沖地震の復興に回せ、と言っています。

 問題の一つは、万博会場が、大阪のゴミ処理場・夢の島の跡地に作られることにあります。つい、先頃も地下に貯まっていたガスが爆発しました。危険、この上もありません。その上、万博終了後は跡地に巨大な遊戯施設「カジノ」が計画されています。つまり、大阪人の抜け目無さが端的に表れている万博なのです。それを見越してか、予定されていた参加国も次々にキャンセルし始めています。

 関西は自民党では無く維新の天下です。橋下徹は引っ込んでいますが、吉村知事の力の無さが、この万博によって露呈されるのでは無いでしょうか?

2024年5月14日     死者35000人                                                                                                                                                                                                                         昨年10月7日、ハマスのテロ行為から始まったイスラエル軍の反撃により、ガザに住んでいるパレスチナ人の死者は3万5000人を越えました。更に瓦礫に埋まっている死者は、推定で約1万人。世界中から停戦の呼びかけがあっても、ハマスは応ずる振りを見せながらも、ハマスを支援するイラン、オマーン、イエーメン、レバノンなどが密かにが反対しているため、進捗が見られません。これらの国はユダヤ人を皆殺しにし、イスラエルという国を地球上から抹殺することを目的としているからです。そのため、世界中に散らばるイスラム教徒を使って、イスラエルの残虐性を殊の外喧伝し、躍起となって世界世論を「イスラエル悪し」と密かに導いています。何度も言うようですが、世界の宗教はイスラムだけ在ればいいのであって、キリスト教の存在を許してはならないのです。神はアラーのみ、イスラエルのゴルゴダの丘に建つ聖墳墓教会など邪魔なのです。ユダヤ人など邪魔な存在なのです。キリスト教をこの世から抹殺したいのです。

 イスラエル側は、それを知っているからこそ、世界の世論がどうあろうと、抵抗し続けているのです。国の存続に拘わる以上、不本意ではあっても、ハマスの絶滅を図るため、民間人の犠牲を伴ってでも攻撃の手を緩めないでいるのです。しかし、世界の世論は、日本とて同じですが目先の事実のみを報じています。イスラエルは、いま、必死なのです。ユダヤ人は今こそ結束して、1948年5月14日に国連で承認されたイスラエルという国を守ろうとしているのです。

2024年5月13日     美味しい魚                                                                                                                                                                                                                            家から車で20分ぐらいのところに魚市場が在ります。新潟の漁港出雲崎に揚がる魚が毎朝、陸送されてくる得がたい市場です。昨日、そこで赤い魚「キンキ」を見つけました。さして大きくないモノが一匹2000円です。エイヤーとばかり購入して甘辛く煮ていただきました。旨かったのなんの。骨までしゃぶり尽くしました。キンキは東北から北海道にかけて揚がってくる美味この上ない魚です。

 東北6県信越富山を担当する部長だったころ、あちこちでこの魚を頂きました。特に記憶に残っているのは、仙台の狸小路の地下に店を構える「地雷や」というお店です。この「キンキ」を目の前で焼いてくれました。それを銘酒「うらがすみ」と共にいただくのです。思い出すだけでよだれがたまります。秋田では「はたはた」がありました。茨城では「鮟鱇」です。富山では「寒ブリ」、「ずわい蟹」、「ホタルイカ」。そして、北九州では「ふぐ」と「くえ」。これらのすべては高級魚であり値も張ります。

 安価にして美味なる魚は何か?それは鰯です。鰯のつみれ汁です。小倉に単身赴任している頃、旦か市場で一匹30円の新鮮な鰯を買ってきて、骨と頭を取り、包丁で叩いて、団子にし、つみれ汁を作りました。それを小分けにして冷凍し、同じく、冷凍しておいた「かぼす汁」と供に毎日頂くのです。飽きることなど在りませんでした。ならば、鰯を買ってきて作ろうか? その元気は、もう、無くなりかけています。

2024年5月12日     スタインウエイ                                                                                                                                                                                                                         いま、自宅の半地下のピアノ室で使っているピアノは、ヤマハのC3というグランドピアノです。調律器具も一式揃っているので、自分で調律しながら使っています。長年使っているので、愛着が生じているのですが、転機がありました。住んでいる建売住宅の隣の土地を坪7万円で76坪買い、そこへ自分の住宅とアパートを建て、アパートの賃貸収入を借金の返済に充てていた頃、自宅の洋間にグランドピアノが欲しくなりました。今まではヤマハのアプライとだったのです。出来れば、その頃もて囃されていた、スタインウエイのグランドピアノを、と思って浜松町のその代理店「松尾ピアノ」に日参しました。練習用一台が400万円していました。迷いに迷いました。諦めて、ヤマハのC3グランドとなりました。確か120万円。今の愛器です。

 一方、諦めたスタインウエイのピアノは、値下がりすることはありません。かねて目を付けていたものが、400万どころか、今は1700万円!驚いたものです。かといって、今から買い換える訳にも参りません。お先がそろそろ迫ってきているからです。これだけピアノに愛着を持っている私です。神様は、必ず、私めを、生まれ変わらせて再びこの世に送って下さるでしょう。今度こそ、スタインウエイにするのです。ヤマハには申し訳ありませんが、、、、

2024年5月11日     ドバイ色々                                                                                                                                                                                                                         ドバイはアラブ首長国連邦の首都です。砂漠の中に出来た国なので、ほとんど雨が降りません。ただ、石油産出国なので国全体は飛びきり豪華です。その、ドバイにどうしたことか多量の降雨があり、街全体が洪水に襲われた、というからオドロキです。もう、5,6年前になりますか、ドバイへ行ったときの印象を思い出すままに、ダラダラと記してみます。

 ドバイの航空会社は「エミレーツ航空」と言います。成田から乗ったエミレーツ航空は素敵でした。客室乗務員は輝くような美人ばかり、機内食は飛びきり上等でした。ドバイの空港は広大でした。空港内を地下鉄が走っていました。100人乗りのエレベーターがありました。日本のパスポートは世界的に権威があるらしく、ほとんど、素通りでした。道路は広く、タクシーは的確にホテルへ運んでくれました。ホテルの前はドバイ唯一のモノレール駅の一つで、日本の日立製の無人運転の5両連結が果断なく走っていました。女性専用車両があり、黒装束で目ばかり光らせて女性がわんさか。一度、間違えて乗り込んでしまったら、非難する目が刺さるよう、、、。どこの駅にも動く歩道が完備していました。世界一の高さを誇るビルの下層階はマーケットで、世界のチーズだけを集めた部屋、日本のお酒だけを売っている一隅も在りました。動く歩道はどこにでもあって誠に快適でした。レストランに入りました。隣の席はドバイのカップルです。男は普通の身なりで、食べ方も替わりませんでしたが、女性の方は、目ばかり光らせた黒ずくめ。食べ物をホークに挟んで、口の周りの黒布をちょっとずらし、放り込むように口に運び、直ぐ、黒布を下ろします。その間、一秒余り。ただ、女性は家では黒服を脱ぎ捨てます。人に見えない限り家では、どんな派手な服装をしてもいいそうです。しかも、男性は四人まで同時妻帯することが、コラーンで許されています。ただし、その扱いには、分け隔てがあってはならないそうです。 時間になると、街中にコラーンの経文が響き渡ります。その度に、彼らはメッカの方向に向かって土下座し、コーランを唱和します。それも一日に5回、、、、。海沿いの国とはいえ、雨は降らず、川がありませんから、飲料水はじめ生活用水は海の水を濾過して使っています。海岸の至る所に海水くみ上げのモーターが唸っていて、水質も良くありません。

 中東のイラン、サウジアラビア、ドバイなど、何故栄えているのか?それはすべて石油のせいです。これらの国が排出する石油に寄って繁栄を謳歌しているのです。石油は無尽蔵なのでしょうか?いいえ、やがては採り尽くされる日が来ることは確実でしょう。ながーい目で見ると、中東の繁栄は、単なる歴史の一ページになることだけはハッキリしています。

2024年5月10日     衛星を見た                                                                                                                                                                                                                         天気予報の通り、今日は絶好の五月晴れです。天空を見渡しても、雲一つありません。これを逃してなるモノか、と車を出し、吉祥寺から東八道路を抜け、神代植物園へ薔薇を見に行きました。ところが、入り口は大行列、駐車場は満杯、とても入れたモノではありません。しばらく彷徨った末に、深大寺の裏門から入ることに成功しました。宏大な敷地に咲き誇る色とりどりの薔薇は、それはそれは美事でした。それ以上にビックリしたのは、観客のほとんどが高齢者であることでした。更に驚いたのは、馴染みの蕎麦屋が大行列、仕方なく、深大寺門側の「いまい」に寄ったのでしたが、店内は大入り満員、かぞえて9人の従業員が忙しく動き回っていました。

 夜、微醺を帯びて猫額のベランダに出て、一日を振り返っていたときです。夜空には雲一つありません。おまけに星も輝いていません。そのときです。東の空から西に向かって大きな光輝く物体が、かなりの速さで動いているのを発見しました。航空機ではありません。飛行機ならたえず光を点滅させているからです。しばし、見とれました。

 恐らく、人工衛星ではないか、と判断しました。その物体はやがて、東の地平線に消えていきました。地上で、芳香を発しながら咲き誇る色とりどりの薔薇と、地球を回遊している無機質な人工衛星と、その両方に会えたこの日の幸せを、心から感謝しました。

2024年5月9日     ハイブリット車の躍進                                                                                                                                                                                                                         今朝の新聞一面は、トヨタ自動車が3月期決算で最高利益を出したことを報じています。売上高45兆953億円、営業利益4兆3000億円円、世界最高です。世界的に流行しているEV車ではなく、手ごろ感のあるハイブリット車が人気を集めたのが理由だそうです。これに反して、中国が国を挙げて推奨したEV車は、全く売れず、中国中に野ざらしの状態に置かれている、というからオドロキです。

 30歳台の初め、宮沢君が免許を取ったことに刺激され、私も免許を取って日産ローレルを買いました。水冷式のワンドアー、スポーツタイプの車でした。まだ、小学生だった長男・次男、よちよち歩きの三男、どんなに喜んだことか!幸いにも、駐車違反の他、運転ミスは無く、今は25年前に買ったホンダ・フィットのご厄介になっています。ところが、昨年の車検の今頃、車のキーが抜けないという故障が発生し、以後、停車の度にボンネットを明け、バッテリーの回路を切断しながら約一年間、乗り続けてきました。修理工場に持って行っても、本社の相談室に持ち込んでも、部品が無い、の一点張りでした。そろそろ、免許証返納の時も迫ってきています。停車の度にボンネットを開けて回路を遮断する苦労をいとわなければ、何の支障も無く、車は快調に走ってくれています。格安の中古車にも魅力が沸くのですが、わが、分身とも言えるホンダ・フィット、別れる気など毛頭起きません。少しでも運転に異常を感じたときが運転免許返納の時です。そして、その時こそが車とお別れの時です。車はくず鉄になり、私も煙となって視界からから消えるでしょう。出来ることなら、あちらの世界へ行っても、わが、ホンダ・フィットを探し出し、何時までも一緒にいたいものです。

2024年5月8日    神代植物公園                                                                                                                                                                                                                        東京都が運営する「神代植物公園」へ行くには、車で上石神井から吉祥寺にでて、多摩川浄水を渡り、突き当たりの十三間道路を右折し、しばらくい行って左折すると、そこが宏大な敷地の植物園です。毎年のように訪れていたのですが、コロナ禍の最中に行ったきり、ご無沙汰しています。連休中に行こうと思っていましたが、混雑を予想し、連休も明けてしまいました。連休明けの晴天の日を狙っているのですが、7日、8日とも曇天です。宏大なバラ園の中に身を置くのは青空の元に限ります。生憎、昨日も今日も、そして明日も、青空とは縁遠い日が続くようです。

 園内には樹齢100年は超えると思われるソメイヨシノが9本並んでいます。何時かは満開の時に来よう、と思いながら、未だ果たせないでいます。植物園の直ぐ隣が深大寺です。名物は「蕎麦」。植物園の帰りに立ち寄る「蕎麦やさん」は、いつも決まっています。

 とにかく、この植物園のバラ園は凄い。宏大な敷地にあらゆる種類の薔薇が咲き乱れます。その中に、人が一人座れる休み所があります。そこに居座って、薔薇の香りに包まれていると、、、、、

2024年5月7日     アメリカの学生デモ                                                                                                                                                                                                                         いま、アメリカの大学でイスラエル紛争に対するデモが広がりを見せています。コロンビア大学が発祥と言われ、それが、燎原の火のごとく全米の大学に波及しています。首謀者を捉えてみると、全員が全員とも肌の浅黒いアラブ人だそうです。キリスト教徒ではなくイスラム教徒です。ガザにおけるハマスのテロは問題とせず、専ら、イスラエルのパレスチナ人への残虐な行為をあげつらっています。そして、イスラエルに対するアメリカ側の軍事援助に非難を浴びせています。

 その根底は、イスラエルをこの地上から抹殺し、ユダヤ人の撲滅を図る目的であることは見え見えであります。アメリカ警察は、この学生運動を厳重に取り締まってはいますが、いずれ、ヨーロッパの大学、そして日本の大学にも飛び火してくるのではないでしょうか?

 この運動の影響は大きく、親イスラエルだったアメリカの世論が反ユダヤ主義に傾きつつあるようにみえます。この運動の根底にあるのは、イスラム至上主義です。イスラム教以外の宗教の存在を認めないアッラーの教えです。パレスチナ人を矢面にたたせ、人間の盾にしながら、執拗に停戦に応じようとしない、イスラム至上主義。イスラムの経典「クラーン」にそう書いてあるので、彼らにとって止むを得ない行動原理になっているのです。

 アメリカの学生諸君に申し上げたい。願わくは、この争いの表面の現象に一喜一憂せず、アラブ人の排他性を見抜き、ユダヤ人の苦悩に思いを馳せて貰いたい、と。

2024年5月6     アングラ演劇                                                                                                                                                                                                                         1960年代から70年にかけて、演劇界で一世を風靡した、とされる唐十郎さんが84歳で亡くなりました。その訃報が今朝の朝日の一面で報じられました。なんで一面に写真入りで?と違和感を覚えたのは私だけでは無いはずです。新宿の花園神社の境内にテントを張って、アングラ演劇に何かと最もらしい理屈を付けて演じられた数々は当時の学生にもて囃されたのは事実であります。

 彼は明治の文学部でしたが、早稲田でもそのような動きが出ました。自由舞台を中心とする「別役実」の不条理演劇の台頭です。満州からの引き揚げ者である彼の名字は、本当は「べっちゃく」でありましたが「べつやく」で通していました。姉「別役咲枝」がいて、彼女は長野の柳町中学で、三年間同級生でした。どうしたことか、柳町中学では私が生徒会長、彼女が副会長でした。父親はすでに亡く、一家はみすぼらしい長屋に住み、母親は水商売をして子供三人を養っていました。

 柏与印刷社長清水さんが主宰する「山行きクラブどんどん講」を離れるに当たって、後任に別役君と彼の友達の小笠原君を紹介しました。このどんどん講への加入がどれだけ自分の思想形成に役に立ったか、彼は後に朝日新聞にエッセイを載せています。

 学生の頃、住んでいたアパートの一室に東京音大の女性徒がいました。彼女の紹介で阿佐ヶ谷の大きな家に住む佐々木さんという音大生の家に良く集まりました。別役実君を連れて行ったこともあります。みんなで餃子を作って食べるのが常でした。その中の一人に楠祐子という飛びきり美人がいました。密かに目を付けていたのでしたが、そのままになり、私は沖縄女性と結婚します。あるとき長男を連れて夫婦で沖縄に向かうため羽田の待合室にいました。そこへ、ひょっこり別役実君が現われました。何と、奥さんが私が目を付けていた楠祐子ではありませんか!しかも、私の長男と同じ年頃の女の子を連れていました。

 最後に彼と逢ったのは宣伝部長の時です。朝日新聞の重役の中野という男が、朝日新聞でアニメ映画を作ろう、と言いだしたときです。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が選ばれました。その制作にあたって総監督に別役実が選ばれました。彼が朝日へやってきました。やあやあ、となりました。映画は好評でしたが、それきりになりました。その後まもなく、彼の訃報がありました。

2024年5月5     老残ピアニスト(2)                                                                                                                                                                                                                         今日はこどもの日。昔は、どこでも鯉のぼりがはためいていました。趣のある日本ならではの習慣だったのに、どこへ消えてしまったのでしょう。ピアノを初め芸事は、7,5,3の子供の頃に始めていなければ人前に出せる芸術家になることは難しい、と言われています。

 さて、昨日話題にしたふじこヘミングについての、少しばかりの続きです。1931年生まれの彼女の父親はスエーデン人の建築家、母親は日本人のピアニスト大月投網子です。母親について3歳からピアノとと戯れています。そのため、青山学院在学中から天才ピアニストとして騒がれ、芸大在学中に日本音楽コンクールで二位になっています。その余勢でベルリン音楽大学に留学するも、父親は子供二人を残してスエーデンに帰ってしまい、一家は困窮を極めます。その上、16歳の時、中耳炎を患い右耳の聴力を失います。その頃、テレビで「フジコあるピアニストの軌跡」がNHKから放映されました。彼女が弾くリストのカンパネラが「奇跡のカンパネラ」として3ヶ月で30万枚売れたそうです。昔の栄光の中に生きながら、困窮を極めた彼女を支えたモノは煙草だったそうです。92歳まで吸っていたそうでした。再び、ご冥福を祈りましょう。

2024年5月4日        老残 ピアニスト (1)                                                                                                                                                                                                                                横浜の外人墓地の隣を元町に向かって降りてゆくと、広い道に出て、その左側にピアニスト「ふじこヘミング」のCD、DVDを主として扱っている店があります。スタジオもありましたから、もしかすると、彼女はここに住んでいるのかな、と思いながら通り過ぎたことがありました。      女流ピアニスト・ふじこヘミングさんは一昨日、93歳でお亡くなりになったそうです。その年まで、現役で在り続けようとした努力は立派でしたが、晩年の演奏は音の擦りの連続で聴くに堪えない演奏になっていました。しかし、世間は彼女の演奏をもて囃していた節があります。

 日本にも優れたピアニストが存在しました。旧くは松浦豊明、中村紘子、内田光子、仲道育代、宮沢明子、海老彩子、、、、ほとんどのピアニストはある年齢になると演奏活動から遠ざかっています。何故なら、速いフレーズが弾けなくなるからです。その年齢は55歳前後ではないでしょうか? 人間の運動神経、反射能力はその頃から下降線をたどり始めるからです。極論すれば「年寄りの演奏は聴くな」「ピアノは若い人の演奏に限る」と私は密かに思っているのです。昔、宣伝部長時代、サントリーホールで83歳のウラジミール・ホロヴィッツの演奏を聴いたことがあります。ミスタッチの連続でした。「壊れた骨董品」と揶揄されました。

 今日は私のピアノのレッスン日でした。課題はシューベルトの幻想曲940、の連弾です、始めて先生が低音を弾いて下さいました。毎日、時間を決めて練習を繰り返しているのですが、なかなか思うように弾けません。何故なら、指が思うように動いてくれないのです。同じところでエラーが出ます。「こんなはずでは無かった」と歯がみしながら、ピアノに向かっているのです。その現実を目の当たりにしながら、思うとき、ふじこヘミングさんが、93歳まで現役で在ろうとした努力は、並大抵ではなかったでしょうから、そこはそれ、それを讃えたい思いです。ご冥福を祈ります。

2024年5月3日             ユダヤ人                                                                                                                                                                                                                        イスラエルに行くに当たって、松本牧師率いるシンガポール教会の団体に合流するため、深夜、チェンマイからバンコックへ出て、テレアビブ行きの飛行機に合流しました。バンコックでの検査は厳重を極めました。スーツケースは明けられ、すべて白日の下にさらされました。大型のパソコンには、どうして調べたのか、我々4人の個人情報が日本語で入っていて、認否を取られました。機内は満員で、我々4人の席しか空いていませんでした。機内後部のトイレ前の空間に、黒ずくめの衣服を着たユダヤ人とおぼしき人が、譜面台らしきものを目の前において、彼らの経典「タルムード」を小声でずしていました。明け方近く、イスラエルの唯一のテレアビブ空港に飛行機が着地した瞬間、機内に盛大な拍手と、歓声が沸き起こりました。こんなこと、初めての経験でした。ユダヤ人の国を思う切ない気持ちが察しられて、感動しました。

 エルサレムの嘆きの壁は、ユダヤ教徒の日、イスラム教徒の日、キリスト教徒の日、と截然と分かれています。松本牧師率いる日本人団体がそこを訪れた日は、ユダヤ教徒の日でした。黒ずくめの衣装の人達で埋まっていました。壁に向かって左側が男性、右側が女性となっていました。譜面台のようなモノに経典を置いて、声を出し、身体を揺すって読み上げていました。

 別の日、壁の前は髪を隠し、黒ずくめの服装で身を隠したイスラームの女性達で一杯になります。壁から少し離れたところから仰ぎ見ると巨大な金色のドームが辺りを睥睨しています。イスラムの神・ムハンマドが昇天した聖なる場所と言われています。ドームの中には入れないばかりか、辺りは閑散としています。少し離れて「ビアドロ・ローサ」があります。キリスト・イエスが自ら十字架を担いで登った丘です。十字架の址は「聖墳墓教会」になっています。世界各国からの人々で溢れかえっていて、押すな押すなの状況でした。

 中東のアラブ各国の目的は、この聖墳墓教会を滅ぼし、巨大な黄金のドームを、ムハンマドの聖地とすることに在るのです。共存は、イスラームにとって在ってはならないことなのです。

2024年5月2日             死海の水                                                                                                                                                                                                                        今日、仕事場の机上の片隅に置いてある小瓶の水を一滴、「イスラエル紛争の早期終結」を願いながら口に入れました。四年前の2月末から3月初めの十日間、イスラエルへ行った時、死海で採取してきた貴重な水です。まだ、蒸発せずに小瓶に4分の1ほど残っているのです。隣国のレバノンの近くに位置するガリラヤ湖から流れ出た水はヨルダン川として高低差400メートル近くを下り、死海に注ぎます。死海は大きな湖です。ところが、その先、出口がありません。数千年から数万年、そのままの状態ですから、塩分その他の濃度が高まり、人間ほか動物の飲料には適さなくなります。その水が今も私の仕事場にあって、気持ちが辛くなったときに口に含んでいるのです。

 イスラエルが隣国レバノンにある、ハマスの拠点でもあるイラン大使館を空爆しました。その報復としてイランが、イスラエルに向けて数百発のミサイルを撃ち込みました。ところが、イスラエルが保持する新兵器「鉄のカーテン」のお陰でほとんどが撃墜され、実害がなかった、との報道です。私は不思議でならないのです。何故なら、約10日間イスラエル中をバスで動きましたが、どこにも軍事施設らしきモノ見かけたことがなかったからです。砂漠と岩山ばかりだったからです。空港はテレアビブに在るだけです。首都エルサレムも普通の街でした。小高い山に上がって周囲を見回す機会もありましたが、全くと言っていいほど、軍事施設を見ることがありませんでした。

 今回の紛争の原因は、イスラム諸国がこぞってユダヤ人の殲滅を図るためテロ組織であるハマスを支援し、軍事活動を始めたことに由来しています。1948年の国連総会で国家の設立を承認されたイスラエルにとってたまったものでは在りません。だが、世界の世論も、日本の世論さえも、イスラエル非難に傾きつつあります。イスラム世界の横暴を見ない振りすることは、決して許されません。

2024年5月1日             メイデイ                                                                                                                                                                                                                        今日はメイデイ、労働者のお祭りの日です。昔は、全国あちこちで労働運動が展開され、ストライキなどが盛んであったのに、今の日本ではそのような気配が見られなくなりました。これは社会の進歩でしょうか、あるいは退歩でしょうか?

 遙か昔、私が早稲田の学生の時、日米安保条約を巡って国中の学生が路頭に出て反対運動を展開したことがあります。岸信介首相の時です。国会議事堂前の通りから、晴海通りにかけて、交通は遮断され、スクラムを組んだ学生で一杯になりました。「安保反対!安保反対!」のシュプレヒコールがどれだけ繰り返されたことでしょうか。私もその中の一人でした。警察官とのもみ合いの中で、東大生の樺美智子さんが圧死しました。デモは一層激しさを増しました。

 朝日新聞入社試験で一次が通って面接試験の時、「君は安保闘争のデモの時、それにに加わったか?」と聴かれました。「アルバイトで忙しくそれどころではありませんでした」と嘘をついて逃れました。当時、朝日社内でもストライキが起きていました。会社側がロックダウンしたため、大勢の社員が、日劇側の道路に布団をひいて寝ていました。その、状況をみながら「何という会社だ、こんな会社に入って大丈夫だろうか?」と不安になったことを、今更のように思い出します。

 今、日本国内で、華々しいストライキをやっている会社はあるでしょうか? つくずく、時代の流れを感じます。労働者のお祭り「メイデイ」はそろそろお仕舞いにしたら如何でしょう。

2024年4月3 0日             蔵書の処分                                                                                                                                                                                                                        若い時から集めた書籍が、地下のピアノ室の壁際の本棚を、ところ狭しと埋めています。三島由紀夫の初版本を含めてほとんどの彼の著作が辺りを睥睨しています。若い時、とち狂った埴谷雄高の全著作もあります。学研発行の「日本美術全集50巻」も在ります。学研の編集長だった早稲田同級生の竹内二郎君が贈ってくれたものです。中には食べるものも食べず、神田の古書店から購入した貴重な本もあります。二階の仕事部屋にあるモノ含めて、千冊以上は在るでしょうか。

 さて、これをどうしたモノか?これらを担いで三途の川を渡るわけにはいかないでしょう。息が出来ている間に処分しなければなりません。 

 畏友堀田さんが我が家に逗留しているとき、小説類の本を段ボール一杯に詰め込んで、近くの「ブックオフ」に持って行ったことがあります。買い取って貰った金額は何と全部で2600円。オドロキモモノキでした。ということは、食べるものも食べずに買い込んだ書籍の数々と共に、当時の思い出の詰まった私にとっては貴重な本の数々を、商業主義の「ブックオフ」なんぞに持ち込みたくないのです。

 ならば、どうすれば良いか?難問でありまする。

2024年4月29日           落 選                                                                                                                                                                                                                          昨日が投票日の衆議院の補欠選挙、飯山陽(48歳)さんは24264票を獲得しながら第四位に終わり落選しました。当選者は立憲民主党公認(37歳)の酒井菜摘さん、獲得票数は49476票。高卒で看護士、前区議会議員でした。今回の全国補欠選挙での立候補は自民党は一人もいませんでした。当選者三人はいずれも立憲民主党。時の流れをひしと感じました。高卒で看護師だった酒井さん。東大の大学院を出て中東に居を移し、イスラム研究者としてベストセラーを何冊も出している飯山さん。所属した党に原因があったとみても仕方が無いでしょう。にわか作りの日本保守党。党首は、あの問題児百田氏。それに川村たかしが加わっています。もし、彼女が立憲民主党を選んでいたなら当選は確実だったでしょう。日本国民は自民党に愛想をつかし、次なる党にシフトしかかっているのです。それが立憲になっているのでしょう。

 自民に愛想を尽かし、替りの党を見回せども、どこも似たり寄ったり、立憲民主党しかないのです。さりとて、にわか作りの日本保守党が今後成長する兆しは皆無と言っていいでしょう。

 飯山陽さんは選択を間違えたのです。あの才女が道を違えた、と言っていいでしょう。残念です。

2024年4月28日            歩く                                                                                                                                                                                                                        「中杉通り」という幹線道路があります。杉並区の阿佐谷駅から始まって中野区の西武新宿線鷺宮駅の脇を抜け、練馬区の中村橋駅を終点とする道路のことを言います。さして道幅の広くない道路ですが10分おきぐらいの間隔でバスが走っています。かなりの乗客が利用しています。小生の家は、その終点の中村橋駅商店街を抜け、目白道路を渡って少し行ったところに位置しています。

 一昔前、時々、歩行訓練のため、家を出てこの中杉通りを歩き、阿佐ヶ谷ではなく、荻窪まで歩き続けて、荻窪の「ルミネ」の地下食料品売り場へ行き、新鮮な海産物を仕入れ、帰りは荻窪発練馬行きのバスに乗って帰って来るのを常としていました。その頃は、荻窪まで歩き続けることが造作も無かったのに、次第に、途中、腰を下ろすようになりました。一回が二回になり、、、、、

 ところが、コロナ禍になり、三回目のワクチンを打ったあと、突然、息切れ発作が出始めました。長距離の歩行が困難になりました。中村橋のバス停まで行くのさえ、息切れに襲われます。この大きな変化に狼狽しました。でも、4回目のワクチンを打って、タイ・チェンマイに出かけました。4回目の証書がないと入国出来なかったからです。季候の良い彼の地に着いても、息切れの状況は変わりませんでした。家の近くの「光が丘病院呼吸器科」の診断を受け、精密検査をして貰いました。間質性肺炎でもあることが分かり、「オエッブ」という新薬を処方されました。一錠5000円もする薬です。一日1万円。でも、高額医療費補助のお陰で一ヶ月分17000円で済んでいます。だからといって息切れ状態は改善されたでしょうか? 医者宣わく「これは進行を遅らせる薬であるからして、、、、」

 荻窪まで、途中、休むことなしに歩ける日を夢見ています。

2024年4月27日    オリーブの実                                                                                                                                                                                                                    今朝のテレビの旅番組で、小豆島特集をやっていました。小豆島と言えばオリーブ。オリーブの実は私の大好物です。数十年前、ICMAの同窓会で、中国新聞の田中君の設営で小豆島へ行ったことがあります。高台から見下ろす一面のオリーブの畑。美事なものでした。

 オリーブの実を囓りながら、モルト・ウヰスキーを口中に躍らせる、、、私にとって無上の楽しみの時です。ところが、オリーブの実は町のスーパーで見かけることはほとんどありません。何故なのでしょう?

 タイ・チェンマイ空港にはダイナーズクラブ会員他の専用待合室があって、飲み物、食べ物がすべて無料になっています。黒とみどりのオリーブの実が置かれていて、フンダンに食べることが出来ました。帰京の時は少し早く出て、その部屋に入ります。ビールを飲みながら、心ゆくまでオリーブの実を囓る、、、、、香港の空港のウエイテイングルームにもオリーブは山のようにありました。日本の羽田空港の国際線は?昔はあった専用待合室は、今は全く姿を消しています。世知辛くなったモノです。

 オリーブの原産地はギリシアだろうと言われていますが、レバノン、シリア辺りが発祥だそうです。と言うことは紀元2000年前、イエス・キリストが好んで使った「香油」にはオリーブ油が使われたのではないでしょうか? 調べて見たら、樹齢400年のオリーブの樹が現存しているようです。それも、戦火の中のパレスチナに、、、。その樹はガザに在るのでしょうか?それともヨルダン川西岸に在るのでしょうか?

2024年4月26日   朝日新聞社人事                                                                                                                                                                                                               6月の株主総会を前にして、朝日新聞社の首脳陣の人事案が新聞発表されました。それによると、社長の中村史郎が代表権のある会長、代表取締役社長には専務だった角田克が就任予定になっています。何のことはない、同じメンバーです。思えば、新聞社経営は昔と違って大きく様変わりしています。「紙」を媒体とする情報伝達手段は、25年程前から衰退の一途をたどり始め、朝日新聞を始めブロック紙、地方紙は、四苦八苦の経営を強いられています。これは、世界共通の現象でも在ります。

 私の孫弟子だった小田桐則雄君は相変わらず役員で在り続けるようです。ただし、役職名が「販売担当」から「顧客開発統括」と替わるようです。どちらにしても、販売局出身の唯一の役員ですから、頑張って貰いたいモノです。私が、千葉、埼玉を所管する第四部長の時、次長は高橋湛君でした。そして、埼玉統括担当が植田義浩君、彼の助手が小田桐君でした。植田君は私の福島時代の最初の助手でしたから、小田桐君は私にとって孫弟子になります。思えば、私の現役時代、8人の助手が付いてくれました。局内最多でした。出世頭は最初の弟子の植田君。東京本社の販売局長、販売担当、西部本社代表を歴任し、続いて熊本テレビ朝日社長になりました。今は、小倉の近くで画廊を経営し、愛犬と戯れる毎日だそうです。彼もまた、小田切君の再任を喜んでいるでしょう。

2024年4月25日   諜報活動                                                                                                                                                                                                               今週の週刊文春は、国家間の諜報活動、いわゆるスパイ行為について、池上彰と諜報戦争の只中にいた外事警察官僚にして国家安全保障局長を務めた北村滋氏との対談を大きく載せています。いかにして、相手国の動きを素早く察知するか、そして、それに対処するか、が勝敗を左右する重要な決め手になることは言うまでもありません。

 ロシアのプーチンは元東ドイツに派遣されていたKJVのスパイでした。多くの政敵を密かに毒殺し、現在の独裁体制を築いています。どれだけ多くの反対者を屠ってきたことか!最近では朋友・ブリゴジンが乗った飛行機ごと爆破され殺されました。極く最近、ナワリヌイが獄中死させられました。中国でも同じです。次の主席といわれていた李克強がプールで不審死を遂げさせられました。いずれも、独裁者としての習近平が自分の地位を守る為でした。

 国家間で、「いざ、戦争!」となった場合、相手国に対しての情報量が多く、また、それが正確であればあるほど、勝率が高くなることは言うまでもないでしょう。

 私自身、その諜報活動に巻き込まれそうになったことがあります。頃は宣伝部長時代。発案した「朝日メイト」が好調で、音楽事務所がこぞって共催を申し出てきていました。ロシアバレー団の東京公演に際し、松尾音楽事務所が朝日メイトとの共催を申し込んできました。

 上野の文化会館は連日大盛況でした。打ち上げとなって、私と松信次長が、六本木のロシア大使館で行われたパーテイに呼ばれました。華やかな夜になりました。終わって、在る一人のロシア人から声がかかり、密かに別室に通されました。流ちょうな日本語と人なつこい笑顔で、彼は切り出しました。「我々は日本の新聞について知りたいことが沢山ある、あなたを見込んで、あなたを通してそれを知りたい。協力してもらえないか?」と言いながら、紙包みの上に手を置きました。咄嗟に、「スパイになれ」と言うことだと理解し、「これは危ない」という思いが去来しました。そこはそれ、百戦錬磨の宣伝部長、「折角ですが、その任は私には重すぎるようです。他の人を当たって下さい」と笑顔で言って、そそくさと退散しました。

2024年4月24日   サザエさん                                                                                                                                                                                                               一昨日、当欄で日本のアニメが世界的な人気となり、現在の外国人の日本訪問を助長しているのではないか?と書きました。つらつら思うに、私の人生も「アニメのおかげ」と言えるのかも知れません。私の中学生時代、家でとっている新聞は毎日新聞でした。社会面には横山隆一の「フクちゃん」が掲載されていて、まず、それから見るのが常でした。上京して早稲田の学生となり、朝日新聞の入社試験に臨みました。編集でなく業務で受験したのですが、試験場は早稲田の教室で450人ほどが受験生でした。時事用語の解説で「アパルトヘイト」が分らず、無理かな、思っていたら第一次が通りました。後で聞くと、私の筆記試験の成績は32番だったそうです。点数を稼いだのは、出題された小論文だったそうでした。何と、朝日新聞に毎日連載されている長谷川町子作「サザエさん」の効用について論じたのです。当時の人気のアニメはこの漫画だったのです。

 ほとんどの読者は新聞が到着すると、先ず一面をサッと見て、続いて社会面に移るのではないか? 社会面のどこを最初に見るだろう?4コマ漫画ではないだろうか? 「サザエさん」ではなかろうか?そして、クスッとしながら、他の面をおもむろに読み出す、、、、その故に、読者維持、新規読者獲得にとって漫画は大事で在る、、、、、

 その年、業務局には8人が入社しました。後で分ったことですが、試験成績のトップは横浜国立大の君島、出版広告部に行きました。副島種臣の孫・大野と、東京タイムズの社長の息子の高尾と高岡の三人が広告局、三人とも早稲田。そして大野は出世して副社長にまでなりました。そして私は販売局。もう一人、一橋の柳田もそうでしたが変人でもあったので、早期退職を余儀なくされました、、、、

 つまり、新聞における「アニメ効用」について論じたお陰での私の一生が決まってしまった、と言えるようなのです。

 その後、4コマアニメは、サザエさんに替り、佐藤サンペイなりました。今は「ののちゃん」というのですが、これは全く時代遅れのモノで面白くも何ともありません。だから、だから、朝日新聞の部数は減っているのでしょう。人気アニメを横目で見てきた朝日新聞の失敗と言えるでしょう。

2024年4月23日    お粗末                                                                                                                                                                                                            一昨昨日の夜、といってもその日の午後10時半頃、訓練飛行を行っていた海上自衛隊のヘリコプター同士が、洋上衝突し、8人の乗組員全員が機体と共に、5500メートルの海底に沈む、というトンデモナイ事故が起きました。余りにも悲惨です。これほどの深度の海底に沈んでしまった機体・遺体を引き上げることは、ほぼ、不可能に近いでしょう。  海上自衛隊のヘリコプター事故は、つい最近、起きたばかりです。

 こちらの方は昼間、沖縄の宮古島で起きました。旧い飛行場跡を視察に来た、司令官を乗せた8人乗りのヘリコプターが、機体の損傷か、操縦ミスかのどちらかで、海の藻屑となったのです。

 戦争によるならまだしも、戦わずして国家の機材が失われたのです。それよりも何よりも、貴重な人的被害の大きさです。

 これによって分ることは、日本の防衛力の未熟さ、でしょうか。誠に誠に、情けない限りです。日本国民のほとんどが唖然としていることでしょう。

2024年4月22日     観光客激増の背景                                                                                                                                                                                                           いま、日本のアニメは世界中で大流行しています。日本を訪れている外国人のほとんどは、子供の頃、日本のアニメを見、アニメソングを口ずさんで育ってきています。ちなみに、訪れている外国人200人に「アニメの主題・ボルテスVの歌」を今も歌えるかと聴いたところ、200人中174人が日本語で歌えたそうです。

 子供時代の彼らを虜にした、日本のアニメ、そして口ずさんだ主題歌、その生産国・発祥地である日本は、彼らにとって聖地で在り、一度は訪れたい国で在り続けている、、、、これが日本への観光客激増の背景の一部をなしているのではないでしょうか。

 そう思いながら、昭和、平成、令和時代にはやった、また、はやっているアニメソングを探ってみました。(一位から5位まで)

 <昭和> 1、タッチ 2,銀河鉄道999 3,宇宙戦艦ヤマト 

      4,ゲットワイルド 5,マジンガーZ

 <平成> 1,残酷な天使のテーゼ 2,チャラヘッドチャラ

      3,おどるポンポコリン 4,世界が終わるまで

      5,ムーンライト伝説

 <令和> 1,アイドル 2,紅蓮華 3,炎 4,ミックスナッツ

      5,残響賛歌

 ところで、上に挙げたアニメソングの数々、耳にしたことはあっても私に歌えるでしょうか、ピアノで弾けるでしょう? 全くのお手上げです。改めて、時代のギャップを感じています。

2024年4月21日     外国人観光客                                                                                                                                                                                                           昨日、駒込へ行って息子達に会うため、久しぶりに池袋構内を歩き、山手線に乗りました。驚きました。行き交う人々の中の外国人観光客の多さです。団体客が多く、階段を駆け上がっていく姿を何度も目撃しました。山手線で、外国人の乗っていない車両はなかった、とさえ言えます。今年3月、日本を訪れた外国人観光客は3、081、600人で、前年同月比69.5%増だそうです。昨年一年間では31,882,049人だったそうです。今年に入ってからは更に増え、1月から3月までで、8,558,100人が訪れているそうです。

 更に驚くのは、観光客の目当ては、神社仏閣のある京都・奈良・日光は言うに及ばず、日本人の我々でさえ知らない、全く辺鄙なところへ津波のように押し寄せているというから、驚きです。先ず、岩手の盛岡。ここは大谷翔平の出身地でもあり、かつて「いま、世界で行くべきところ50選」の中で、ロンドンに次いで盛岡を上げた、ニューヨークタイムスに負うところが大きいのでしょう。

 ところが、何ゆえか、日本人さえ知らない小さ町や村に大観光団が押し寄せている、というからビックリです。曰く、北海道・当別町、山形・高畑町、茨城・北茨城市、秋田・能代町、新潟・見附市、山梨・白波山村小菅村、、、、、、

 一方、良くない噂も飛び交っています。青森の奥入瀬渓谷や十和田湖の周辺の土地、北海道のスキー場の土地が、中国人の大富豪によって買い占められている、という噂です。それもほとんどが水資源の良いところに限られているそうです。つまり、中国は水が悪い。政治も悪い。経済もお先真っ暗だ。だから、余生は日本で暮らそう、という流れだそうです。この先、日本がどうなって行くのか?それを思うと安心して、あの世へ行く気になれません。

2024年4月20日  懐かしい駒込駅                                                                                                                                                                                                        今日は、長男、次男と駒込駅で落ち合って、次男が懇意にしている司法書士の事務所へ行きました。私亡き後の財産処分について遺言書を正式に作って貰うためです。久しぶりに会う二人は、長男が61歳、次男が60歳、二人とも頭に白いものが目立ち始めていました。そういう私は既に真っ白。駒込駅の線路を隔てた土手一面に咲く「つつじ」は、まだ、三分咲きでした。

 東口を出てしばらく行くと文化座座長「佐々木愛さん」のお住まいのマンションです。その辺りが通称「文化村」で、佐々木愛さんが主宰する文化座の稽古場があります。テレビ朝日の丸山さんの紹介で、愛さんとお近づきになれたお陰で、「佐々木愛・舞台生活50年」の記念誌を、我が「N・N工房」作らせて貰うことになり、取材のため、どれだけ、この駒込駅に降り立ったことでしょうか。

 汗水垂らして、パソコンとプリンターだけで400部作り上げ、池袋のホテルで行われた記念式典の引き出物の一部として、参会者全員に差し上げたのでした。(このホームページのトップページに、その本の表紙だけが載っています)文化座を創設した佐々木邦枝さんの娘さんですから写真を多く使いました。奮発してグラビアの高級紙を使いました。

 納品に当たって、愛さんから「お幾らお払いすれば」と問われましたが、「一切、無料です」と言いたかったのですが、それでは恩着せがましいので、紙代として一冊100円だけ頂きます、といって4万円頂きました。幸い、記念誌は大好評でした。

 「夢中になって本作りに熱中する」その苦しさの裏返しが、無上の楽しさであることを教えてくれたのが、何度となく訪れた駒込駅だったのです。その後、トップページにあるような、自分の本や、人様の本を沢山作るようになりましたが、その最初の出逢いがこの駒込だったのです。

2024年4月19日    古酒の値段                                                                                                                                                                                                     古い話ですが、50年前の30歳台の頃、洋酒集めにうつつを抜かしていた時期があります。家を建て替え、洋間にグランドピアノを置き、その脇の飾り棚に、ブランデー、コニャック、ウイスキーなどを集めて悦に入っておりました。50年の間に、ウイスキーの全部は飲んでしまいましたが、何故か、今でもブランデーとコニャックが20本ほど残っています。寄る年波ゆえ、処分しなければ、と古酒買い取り業者に、今日、来て貰いました。

 あらかじめ、ネットで調べたところ、ナポレオンの「ブック」や、「樽」の買い取り値段は、一本20万から30万します。業者は一本、一本念入りに写真を撮っていました。そして、最後にのたまいました。「一本1000円で引き取らせていただきます」、「?!」

 即刻、お帰り頂きました。と同時に、あることを思い出しました。それは大分前のこと、銀製品や、僅かな宝石類を、ある業者に査定して貰ったはいいが、値段が折り合わず、そのままにしていたところ、いつの間にか無くなっていたのです。留守を見計らって、空き巣に入られ、盗まれた、と断定するに足る根拠があがりました。それと同じことが、起ころうとしているのでは、、、、、、

 これらの酒類は地下のピアノ室の蔵書の中に置いてあります。できるだけ早く、置き場所を替えるつもりです。親族にしか分らない、家のどこかに。いやはや、世の中は複雑怪奇です。

2024年4月18日    お 米                                                                                                                                                                                                   唐突ではではありますが、ふと、思うのは、生まれてこの方どれだけの量の、種類の「お米」を食べさせてもらって生き長らえて来たか?ということです。 幸いにも、旅ガラスの職業でもあったので、全国のほとんどの銘柄のお米を食べさせて貰ってきました。その上、お米を主食とする中国、台湾、タイ、ベトナム、カンボジア、ミヤンマーをはじめとする東南アジアのお米にもありついてきました。

 中には、これがお米か、と思われる「砂を噛んでいる」と錯覚するご飯もありました。ミャンマーのホテルのモノでした。ところがそのご飯に7色の香料の入ったカレーをかけ、薬草のシャンツアイと共に掻き込むと、あらあら不思議、美味そのものになるのでした。タイ・チェンマイに逗留中はお米に困りました。高級スーパーへ行って高額な日本のお米を買い求めていました。

 日本はお米に関しては幸せな国です。美味しい銘柄米が目白押しです。例えば、北海道では「ななつぼし」「ゆめぴりか」「ゆきひかり」、秋田は「あきたこまち」、青森は「晴天の霹靂」「まっしぐら」、岩手の「ひと目ぼれ」、宮城は「ささにしき」、長野は「ミルキーウエイ」、新潟は「こしひかり」そして、山形の「つや姫」。不思議なことに、北関東三県、千葉埼玉にはこれは、といえる銘柄米がありません。それは、東海、関西、中国地方でも同じです。僅かに岡山に「朝日米」、熊本に「三度のときめき」がある位です。

 沖縄はどうでしょう?あの狭い島国でも米を作っているのでしょうか?作っているのです。三銘柄あります。「ちゅらひかり」、「ちょにしき」、「ひと目ぼれ」です。一昔前、沖縄の「美ら海水族館」へ行ったとき、泊った「今帰仁」のホテルでそのご飯に出遭いました。日本一美味だ、と唸ってしまいました。

 今日は米びつが底を突いたので、これからお米を買いに行きます。毎日お世話になっているお米は山形の「つや姫」です。5キロ2240円。

 

2024年4月17日    躑 躅(つつじ)                                                                                                                                                                                                   練馬駅に隣接する文化センターの隣は躑躅公園になっています。あらゆる種類のものが植えられていて、連日、大賑わいです。

 太平洋戦争末期の頃、福島・浜通りの富岡駅前・大東館に集団学童疎疎開を強いられた国民学校二年生の私にとって、躑躅は貴重な食べ物でした。30人程の生徒は、朝起きるや、教育勅語の発声を強いられ、「次の世を背負うべき身ぞ、たくましく、正しく伸びよ里に移りて」という皇后陛下の歌を唱わされ、薄い味噌汁と菜っ葉のおしたしと、僅かな麦飯ご飯を、あたふたと掻き込んだ後、弁当箱を持たされて外に放り出されます。中身は、僅かな麦飯と納豆だけです。授業などありませんでした。目の前の富岡駅には毎朝、数台の客車を牽引した上野行きの蒸気機関車が釜焚きを始めています。やがて、ガラガラの客車を引っ張って、ゴトゴトと駅を出て行きます。どんなに、それに乗って母の許へ帰りたかったことか! 

 空腹ですから、弁当は昼にならないうちに食べてしまいます。時は春、至る所に躑躅が咲き乱れています。花をむしって口に入れると、僅かながら甘みが残ります。それが良くて良くて、、、、、ワラビ、ゼンマイ、ふきのとう、ハマボウフウ、、、食べられそうなものは、何でも口に入れました。

 あるとき、母親が富岡まで面会に来てくれました。サッカリンで甘みを付けた、ホットケーキ状のモノを30枚ほどお土産にして。全員が座敷に正座して「中沢さんありがとう」の合唱とともに頂きました。どんなに嬉しく、また、鼻が高かったか!

 その後、5月25日、新井薬師の家が空襲で焼け、母は着の身着のまま私を迎えに来てくれて、長野での生活が始まったのです。

 躑躅を見ると、その当時が思い出されて、胸が熱くなるのです。

2024年4月16日    本命同士の報復戦                                                                                                                                                                                                  一月ほど前、シリアのイラン大使館がイスラエルによって空爆されました。ハマスの拠点になっていたからです。「目には目を」、イランによる報復攻撃が、昨日、ありました。ドローン約170発、弾道ミサイル120発、巡航ミ30発、、、、イスラエルにはそのすべてを迎撃する「鉄のカーテン」という新兵器があります。打ち込まれたすべてが迎撃されたようです。

 問題はこれからです。ユダヤ人を殲滅させ、イスラエルという国をこの世から抹殺することを最大の目的としている、イスラム教の大本山・イラン。今回の報復攻撃で幕が引かれた、、、と見るのは浅薄過ぎるでしょう。単なる序奏、でしかないのではないでしょうか。

 それが分っているイスラエルのネタニヤフ首相。「やられる前にやりかえす」その暴走を止めたいアメリカをはじめとする欧米諸国。

 昨年10月に始まったハマスのテロ攻撃。その最大の後ろ盾のイラン。既に、半年が経過しましたが、収まる気配は未だありません。

 ロシアとウクライナ戦争は既に二年以上経過しているのに、関係は泥沼化しています。NATO諸国全体にも厭戦気分が漂い始めています。戦争というモノの幕引きは、古来から「難しいモノ」とされてきました。イスラエルとハマスの戦い、これ以上拡大しないことを祈るのみです。・ン

2024年4月15日    春の味覚                                                                                                                                                                                               日本の春の楽しみは、梅に続く桜でしたが、その次は何でしょう?それは山菜でしょうか。田んぼの畦に慎ましく顔を出す「ふきのとう」、続いて雑木林の中で芽を吹く「タラの芽」、「行者ニンニク」、「コシアブラ」、続いて「タケノコ」、「ワラビ」、「ゼンマイ」

 毎年、その時期になると車を駆して、埼玉奥の秩父国境まで、あるいは上越国境まで、タラの芽採りに出かけていました。天ぷらにすると香りが逃げるので、「サッと湯がいて醤油を垂らし、熱いご飯とともに掻き込」、美味この上もありません。最近は、栽培モノが出回っていますが、天然物と比べようもありません。続いて「コシアブラ」。同じようにして口に放り込みます。春の芳香が口いっぱいに広がります。

 この時期になると、東北6県の生鮮市場には山菜の山が築かれます。特に秋田の市場が豪勢でした。しこたま仕入れてきて、最後には持て余したこともありました。続いて「タケノコ」。京都の市場には小倉山にだけ採れる「小柄の白タケノコ」が並びます。美味の極地を行くタケノコだと私は思っています。竹林へ行って、まだ、地上に芽を出さぬタケノコを掘り出し、たき火にあぶって、むしゃぶりついたこともありました。

 桜の開花頃は雨続きだったのに、いまは、皮肉にも晴天が続いています。おまけに気温も高く夏のようです。山菜達の大慌ての様子が手に取るように伝わってきます。

2024年4月14日  大河内山荘の八重桜                                                                                                                                                                                                今日は気温も高く快晴ですが、東京練馬のほとんどの桜は散り始め、葉桜になりつつあります。京都とて、一足早くそうなっているでしょうが、八重桜はいまが満開です。この時期、行きたいな、逢いたいな、と思う桜が京都・嵐山の大河内山荘の、巨木の八重桜です。入場料を払ってだらだら坂を登り切ったところで、その巨木は「おいでやす」と迎えてくれるのです。緋毛氈に座ってその桜を見上げていると、お姐さんがお茶とお菓子を運んできてくれます。微風が吹いて桜の花びらが茶碗に入って来たりすると、今日の幸せを改めて感じるのです。

 いままでに、どれだけの回数、この山荘に足を運んだことでしょうか!でも、いまは行く気になれないでいます。何故なら、嵐山全体が外国の観光客で「ごった返し」しているからです。天竜寺の脇の竹林の小道を上りきったところにこの山荘は位置しているのですが、嵐山全体が連日、外国人観光客で大入り満員だそうです。

 何故、いま、日本全体に外人観光客が押し寄せてくるのか、不思議でなりません。恐らく円安の影響もあるのでしょうが、日本の治安の良さ、清潔なこと、日本が人種的差別をしない国であること、食べ物が美味しいこと、などが、人から、人へと知れ渡り、世界中の人々が「日本へ行ってみたい」と人気が高まっているせいもあるようです。

 それにしても異常です。先日、東京駅から練馬までタクシーを使いましたが、大行列している半数以上が外国人でした。

 

2024年4月13日  飯山陽さん、立候補                                                                                                                                                                                                今月、東京15区で、衆議院議員の補欠選挙が行われます。なんと、そこに、かの有名なイスラム学者飯山陽(いいやまあかり)さんが立候補しているではありませんか!学問の世界では飽き足らず、日本の政治を牽引していこうという意志の表れでしょうか。その心意気やヨシです。

 彼女はまた、ユーチューブでも番組を持っています。「いかりちゃんねる」という名前で、あたるを幸い攻撃の矢を放っています。 彼女のチャンネルの登録者数18万人。総再生回数3634万回にも上がっています。

 彼女の舌鋒は鋭く、日本のイスラム学者のほとんどに向けられています。彼女は東大の大学院で博士号を取得していますが、彼女に続く東大のイスラム学者の認識の甘さに愛想を尽かし、攻撃の対象としています。その攻撃の矢面に立たされている東大の中田教授などは、完全に彼女を否定しにかかっています。

 彼女の著書「イスラム教の論理」はベストセラーにもなり、大阪・東住吉教会の高原剛一郎牧師など絶賛しています。また、最近の「イスラム教再考」は私のベットの友になっていますが、問題は、それらが選挙に通用するか?でありましょう。

 東京15区は下町の本所、深川、中央、墨田、港、の辺りを言います。何と8人が立候補する激戦となっています。半数の4人が女性です。男性の中には、両足のない乙武洋匡さんもいます。はてさて、どうなりますことやら、、、、、、

2024年4月12日    バイデン主催・晩餐会                                                                                                                                                                                                   いかに支持率が低迷していようと、政局が不安定であろうと、国と国との約束事は半年以上前から決まっていることなので、ホゴにする訳にはいきません。岸田(冷凍透明人間)総理夫妻はアメリカ・バイデン大統領の招きで、国賓として「大晩餐会」に出席しました。出席者はアメリカの名だたる人達、クリントン元大統領夫妻、歌手のポール・サイモン、俳優のロバートデニーロ、、、、煌びやかな出席者に驚いた岸田総理夫人は旦那に向かって「これでは誰が主賓か分らないわね」と旦那につぶやいたそうです。岸田総理は開口一番、これを取り上げ、「妻が私にそう言いましたが、私もそう感じました。でも、大統領の隣の席に案内された時は、正直、ホットしました」それを英語でやったのです。会場は大爆笑となったそうです。

 「会場の笑いをとる、、、」演説者にとってこれほど難しいことはありません。しかも母国語ならいざ知らず、英語で会場を大爆笑させたのです。日本国の存在を、アメリカのお歴々に向かって印象づけたのです。咄嗟の機転とはいえ、なかなか出来るモノではありません。この点だけは岸田総理を褒めてあげましょう。日本の現実を見れば、この総理は不人気で、恐らく旬日ならずして退任に追い込まれるでしょう。だからといって、アメリカのお歴々を前にして会場を爆笑させる語学力を持った後任者は果たしているでしょうか? お寒い現実を我々は目の当たりにしているのです。申すまでもなく、日米のこれからに付いては問題が山積しています。私が高校生の頃「向米一辺倒を廃せよ」とい傾向が盛んでしたが、現実はそうはなりませんでしたし、これからも覆ることはないでしょう。ともあれ、岸田総理夫妻、ご苦労様でした。

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2024年4月11日    偽情報                                                                                                                                                                                                   一昔前の日毎の外部情報の入手は、テレビと電話と新聞でした。それがいまは複雑多岐に亘っています。テレビと新聞の値打ちは次第に衰え、いまは専ら、パソコンとスマホです。その両方には連日あらゆる情報が入ってきています。アウトルック、フェースブック、ユーチューブなど、これでもか、というぐらいの勧誘情報が飛び込んできています。銀行からのもあります。「あなたの暗証番号の再確認のため、再入力ください」区役所からもあります。「還付金があります。銀行口座番号をお知らせ下さい、、、」フェースブックにはかなりの有名人が「値上がり必須」だといって銘柄を上げています。森永卓郎ははともかく、そんなことやるはずのない池上彰まで登場させています。

 株とは既に縁を切っているので受け流していいのですが、アマゾンとかヤマダ電機などの名を騙って暗証番号を聞いてきます。大昔、それを信じて、アマゾンの言うがまま、カード番号を教えましたら、かなりの金額の詐欺行為にあいました。以来、ネットを通じての金銭のやり取りは十分注意するとともに、ほとんど遠ざかっています。

 ネットを利用し、善良な人々を騙し、ほくそ笑んでいる人間の何と多いことか! 情報化社会とは、一面、人と人との騙しあい社会でもあるのです。

2024年4月10日     豊洲場外市場                                                                                                                                                                                                    今日は朝から美事な快晴。花たちの喜びのざわめきがきこえるようです。「待ってました!」とばかりに、客人をお乗せして豊洲の場外市場へへ向かいました。懐かしい晴海通りを直進し、月島から有明に入り右折しました。驚いたのは、見渡す限り、辺り一面、高層住宅が林立していたことです。私がこの地区を担当していたウン十年前、ここは都民のゴミ捨て場であり、埋め立て地そのものでした。それが、いまは、億ションがひしめいているのです。満天下に名が轟いている大谷翔平もここに億ションを構えていて、時々、母親が来て世話を焼くとか。

 築地から移転を余儀なくされた「場外」は直ぐ見つかりました。ビルの中にせせこましく、一軒一軒が趣向を凝らし、開業していました。丁度、羽田空港の二階、「江戸風情商店街」に似せた佇まいでした。ほとんどの海産物は築地では屋台に無造作に置かれていたのに、ここではガラスケースの中に鎮座していました。衛生的ではあるでしょうが、荒々しさも面白さもなくなったように感じました。それでも、至る所、人、人、人で一杯。手頃な鮨屋に入って、かなり割高な一件を、悠然と流れる隅田川を眺めながら頂きました。

 帰途、右折が出来ないので、左折して隅田川を渡ると、途端にトンネルです。「ままよ」と入ると、出たところは溜池の交差点近くでした。これには驚きました。浦島太郎の心境でした。

 桜田門から半蔵門、靖国神社の桜にも敬意を表して、最後は新青梅街道の桜並木を通って帰って来ました。念願の「青空を仰ぎながら桜を愛でる」ことが、今日、ヤット叶いました。神様、ありがとう。

2024年4月9日     花に嵐                                                                                                                                                                                                    昔から、「花に嵐」という言葉がありますが、今日が、正に、その日でしょうか。風が吹き荒れ、雨が降っています。それに、気温も低い。昨日も曇天でしたが、三カ所の桜を見て回りました。高野台病院近くの石神井川を覆い尽くす桜並木。その近くの公園のシダレザクラの数本も5分咲きでした。続いて千川通りの約50本の桜。最後は練馬区の一等地豊島園そばの高級住宅地一軒一軒に植えられている桜、桜、桜、、、。

 折角、一年ぶりに花を咲かせたのに、紺碧の空の輝きを一度も背景にすることなく、雨に打たれ、風に飛ばされ、寒さに震えながら地面に打ち付けられる桜たちの気持ちはいかばかりでありましょうか。

 予報に寄れば、今週の関東地方は大雨の連続だそうです。「紺碧の空の下で満開の桜を仰ぎみる」ためには桜前線と一緒に列島を北上しなければなりません。あと、五日もすれば福島辺りが見頃でしょう。白河城跡、開成山、本宮の蛇ノ鼻公園、三春の天然記念物のしだれ桜、二本松の霞城、そして福島市郊外の、全山が桜でうまっている「花の山」。続いて、仙台、盛岡、青森、、、27日から29日までが弘前城公園の桜祭り。

 日本列島、最後の桜は会津の奥の平家の落人部落「檜枝岐」の桜です。見慣れた「吉野」ではなく山桜ですが、おもむきがあります。満開は5月5日ごろです。勇をふるって、その桜を観に行こうか、、、、、

2024年4月8日     岩崎ちひろ                                                                                                                                                                                               日本の優れた絵本作家であり、共産党議員松本善明の妻でもあった岩崎ちひろは西武新宿線・上井草駅近くに住んでいました。ご自宅は、いま、記念館になっています。私も学生時代の後半は上井草に住んでいました。歩いて5分とかからない距離でした。学費、生活費を稼ぐため、授業が終わると早稲田から都電に乗って、終点の茅場町まで行き、日本経済新聞社の発送部エフ係として10時半までしごとをし、入浴して、茅場町11時発の都電の最終に乗って、高田馬場ヘ戻り、西武線に乗り換え、自室に戻る毎日でした。司法試験に23歳で合格した共産党員松本善明は知っていましたが、彼が結婚した相手の岩崎ちひろが31歳であったことは全く知りませんでした。

 いま思うと、彼女の絵本は日本のアニメのハシリではなかったでしょうか。いわゆる少女漫画を突き抜けた斬新性が、そこにありました。

 今日、我が家に逗留していただいている鍋谷さんの希望で、「いわさきちひろ記念館」へ行きました。昔、一度行っているし、住み慣れたところだから、と安易に捉えていたことが災いして、探しあぐねてしまいました。漸くたどり着いた、と思ったら月曜日のため休館中。外回りから覗いてみても、繁盛しているとは言いがたい状況でした。時代とのギャップを改めて知らされた思いでした。

2024年4月7日     ドリアン                                                                                                                                                                                               日本のスーパーや、デパートの食品売り場へ行くと、あらゆる果物が売られていますが、無いものが一つあります。それはドリアンです。タイ・チェンマイでは道ばたに屋台が出ていて、歩きながら頬張ることさえできたのに、日本では、そんなこと、全く出来ません。

 あの独特の、強烈な匂いが「しとやかな」日本人には「あわない」とでもいうのでしょうか? 不思議で堪りません。タイ・チェンマイではこれからがドリアンの最盛期で、野菜市場へ行こうものなら、ドリアンが山と積まれています。しかも廉い。ただ、ドリアンを食べる場合、「禁じ」があります。「アルコールを飲みながら食べてはいけない」というのです。あるとき、薄々、それを知りながら、「ま、いいか」とばかりにワインを飲みながらやってしまいました。しばらくして、強烈な違和感が襲ってきました。身体を動かすのが困難になったのです。バンコック病院から救急車が来ました。どんな治療を受けたかは思い出せませんが、とにかく、二泊三日留め置かれ、八万バーツ払わされました。幸い、海外保険に入っていたので、全額が戻ってきた上に、健康保険からも戻りがきたので「これはいい」となりましたが、再び、あの嫌な気分にだけはなりたくありません。爾来、チェンマイに行く度に、ドリアンの恩恵に預かっているのですが、その日は、アルコールを遠ざけるようにしてきました。、、、、、、「ああ、ドリアン、食べたい!」、、、、、

2024年4月6日    桜、桜、桜                                                                                                                                                                                               3月31日の午後、福島・大野教会へ行く途中に立ち寄った世の森町の500本近い桜は、まだ、三分咲きほどでした。帰りの列車から観る桜は、首都圏に近づくに連れ、5分咲きぐらいになっていました。

 帰宅後、2日も3日も4日も、そして昨日も「光が丘の桜並木」、「神田川の両岸の桜」、「千川通りの桜」を観に行きました。昨日が満開を迎えていました。でも、不満です。青空が戻ってきていないのです。紺碧の空を背景に、咲き誇る桜を見上げる至上の時が、まだ、到来していないのです。なぜなら、ここ数日、雨もよいの薄ら寒い日が連続しているからなのです。

 なぜ、お天気は、こうも非情なのでしょうか!福島から帰ってきて以来、東京の空はどんよりとして、少しも青空を覗かせないでいます。しかも、薄ら寒く雨もよいです。この時期の私の希望は、「燦々と照りつける青空の元、満開の桜を仰ぎ見たい」ただ、それだけなのです。

 老い先短い、私です。今日までダメでも、明日こそ、その日をお与えください。

 と、ここまで書いて天気予報を見ると、残念ながら、今週は晴れの日がありません。「それでは」と、少しの食べ物と飲み物をもって、我が愛すべき近くの公園の桜の様子を見にへ行きました。老木の桜は満開でした。曇天の下であっても桜は輝いていました。全力をもって咲き誇っていました。満足しました。

2024年4月5日    大甘な処分                                                                                                                                                                                               自民党の裏金問題について、自民党による処分が発表されました。自分で自分の不始末を処分するのですから、大甘になるだろうとは予想されていましたが、今日の発表を新聞紙上で見る限り、予想以上の甘さが露呈されました。官房長官時代を含めて50億円も私した二階敏博に至っては全くのお咎めなしです。何故なら、本人が「次回の選挙には出馬しない」としたからです。それとこれとは別でしょう。それが世間の常識というものです。萩生田光一に至っては、政調会長の役職一年間停止、だけです。事件発生以来、政倫審への出席も断り続け、だんまりを決め込み、逃げ回っていた卑怯極まりない政治屋です。彼の選挙区である八王子の皆さんは、どんなお気持ちでしょうか? 

 今朝の朝日新聞は、「自民、コップの中の処分劇」、「無責任体質 幹部から若手まで」、「首相は不問、二階敏博氏の不出馬に便乗」、「土壇場の迷走、解明より党内事情優先」、「処分、市民感とズレ」、「実態解明されぬままの甘い処分」、「けじめにはほど遠い」などの大見出しが躍っています。

 これでは失墜した政治への信頼回復どころか、逆に不信に拍車をかけるのではないでしょうか。実態解明を置き去りにし、内輪の基準で結論を出しても、政治的けじめになっていないのではないでしょうか。

 世論はこれでは納得しないでしょう。近々、解散総選挙が噂されています。国民の大部分が自民党に愛想を尽かしているでしょうが、さりとて、自民党に替わって政治を担う政党が、今の日本にあるでしょうか?

2024年4月4日    上 海                                                                                                                                                                                               ユーチューブの「妙法」さんの解説によると、最近の中国の不況は思いのほか深刻で、大都市・上海でさえ、不況に喘ぎ、暗い雰囲気の中にあるそうです。20年ほど前、従弟の靖輝君が上海人の虞さんと取引が在り、中国製品を「日本文化センター」に卸していた関係もあって度々、上海へ行って三人でゴルフをしました。多分、15回ではきかないでしょう。乗っている飛行機が上海に近づくにつれ、立ちこめるスモッグのため下界が霞み始めます。都心までの道路は大渋滞で、いつものホテルに着くまで一時間以上かかるのがザラでした。しかし、どこのマーケットも活況を呈していて、ブランド品を所望すると、近所の隠れ家に案内されました。本物が格安で手に入りました。若い女性がわんさかいる「クラブ」も大盛況でした。5,60人が両側に並んで、出迎えてくれます。続いて、部屋に入ると5人ずつ、次々に現われ、指名されるのを待ちます。ほとんどの女性が片言の日本語を話しました。いま、上海のこういう場所も不況に喘いでいるそうです。

 「共産党員でなければ人にあらず」という傾向は益々強くなり、建設業は不良債権を抱え、習近平が唱えた「一帯一路」構想は世界中から総スカンを浴び始め、若者は就職口がなく、鳴りもの入りで出来上がった、国中を網羅する高速鉄道網も乗る人がなく、あまつさえ、世界は中国をiを異端視し始めています。

2024年4月3日    3メートルの津波                                                                                                                                                                                               今朝、いつものように、ゴーヤー朝食を摂っていると、突然、テレビが「沖縄地方に、3メートルの津波襲来」との報道がありました。「すわ、一大事!」沖縄那覇空港は波打ち際に位置しています。完全に水没し、離発着が出来なくなります。

 困ったことに佐藤彰牧師の孫娘「6年生のまひるちゃん」が、昨日だったか、今日だったか、沖縄へ団体旅行で出かけているのです。空港が使えなくなるとすると、、、、、。

 まもなく、地震の震源は台湾で、マグニチュードは7・2、との正式発表がありました。かなりの大地震です。しばらくして、津波の大きさは3センチ、と、訂正が入りました。ヤレヤレでした。それにしても、気象庁はどうしてこんな大きな間違いを、平気でするのでしょうか!

 今年、1月1日の能登半島大地震、その後の千葉沖地震、、、、、世界的に見ても地震の震度回数は、昔と比べものにならないくらい増えています。やがて予想される日本の大地震は、南海トラフ地震、そして東京大地震です。地震の起きる確率は極めて高いそうです。

 願わくは、東京大地震は、私があちらへ召されてからにして貰いたいものですが、どんなふうに私の家が潰れ、東京が廃墟と化すのか、見極めてから召されたいものだ、との思いも去来しています。

2024年4月1・2日  罹災地・大熊町                                                                                                                                                                                                 31日、イースター礼拝が終わって、全員で昼食をいただいたあと、われわれ、チェンマイ組は佐藤先生の車に乗せていただいて、常磐高速を北上し、放射能罹災地・大熊町に向かいました。福島双葉原発の隣町ですから、ほとんどが立ち入り禁止区域です。磐城・平を過ぎると高速道路の交通量は極端に少なくなります。ほとんど、毎年のようにきているのですが、それでも、少しは多くなっているように思いました。途中、大野と富岡の中間に位置する夜ノ森町に寄りました。佐藤先生がお住まいになっていた家、先生がお建てになった大きな夜ノ森教会、見せて貰いました。夜ノ森は桜の町です。街路樹を含めて500本以上の桜が植えられています。桜はまだ三分咲きぐらいでした。

 驚いたのは、佐藤先生が数年前に再建した大野教会の周辺です。何時の年に来ても、教会の周辺は「草ボウボウ」でした。それが、新築の一軒家の集合住宅に変わっていたのです。住宅の真ん中に教会が位置するようになっていたのです。聞けば、家賃は格安で2~3万円だそうです。

 咄嗟に閃きました。余生はここの住宅を借りて過ごそうか、と。教会の礼拝の賛美歌の伴奏を引き受けて過ごそうか、と。思えば、東京大空襲を避けて、隣町の富岡駅前の大東旅館に集団疎開しました。食べ物がなくて、つつじの花をむしって食べました。朝日新聞に入社し、福島県を5年間担当しました。部長になっても、局次長になっても、福島県は管轄下にありました。福島県で死ねるなら本望というものです。

 なに、放射能など怖くも何ともありません。返って、雑菌を殺し、イノチを長らえさせてくれるかも知れません。

2024年3月30・31日  泣いた中沢                                                                                                                                                                                                 タイ・チェンマイからわざわざお出でいただいている、日本語キリスト教会での友人鍋谷さん、梶原さんらと共に、11時の上野発の特急日立で福島・泉の「翼の教会」へ向かいました。駅にはわざわざ佐藤彰牧師が迎えに出てくださいました。その晩は教会内の宿泊施設に泊らせて貰いました。

 さて、翌日の日曜日。たまたまイースターと重なったので大勢の教会員さんの前で「私・中沢信男の受洗儀式」です。白装束に着替え、祭壇の奥にしつらえられている受洗槽に入り、佐藤牧師の手で頭もろとも水中に、ほんの一瞬、沈み込まされました。幸いにも水はぬるま湯でした。素早く着替えて、今度は私自身のマイクを握っての「あかしのことば」です。何度も書き直しているので、空で言えるのですが、始めて一分と経たないうちに、心の底からこみ上げるものがあって、泣き出してしまいました。言葉になりません。泣きながらの言葉だけが響き渡り、場内は静まり返りました。誠に、誠に、恥ずかしい仕儀となってしまいました。

 人前で泣いたことは、たった、一度だけあります。目黒の洗足幼稚園に通っていた頃、童謡の「キシャポッポ」を独唱したときです。後ろの席で心配そうに観ている母親と目が合ってしまった途端、涙声になってしまったのです。それでも、泣きながら歌い終えて壇上から降りてくると、いつものいじめっ子が「もっと泣け、もっと泣け!」と憎々しい声で言いました。

 学生時代から懸案であった「キリスト者」。このたび、中沢信男という男は、「切なる招き」に呼応し、泣きながら「崖を飛び越え」させていただいたのです。

2024年3月29日   甘すぎる日本外交                                                                                                                                                                                                パレスチナ難民を支援するため生まれた、国連組織「UNRWA」がハマスに転じた国連職員に乗っ取られ、この世界からの義援金がイスラエルへの攻撃資金に転用されていたことが判明して以来、まだ、旬日しか経っていません。その上、この組織が透明性を伴う組織に生まれ変わったかどうか、それすら、未だ、闇の中です。ああ、それなのに、それなのに、アメリカ始め主要国が再開途上にあるかどうかも確認せず、日本国が再開に踏み切ったのです。支援金額は52億円。それを決めたのは誰か?日本国・女性外務大臣上川陽子です。

 アメリカやヨーロッパ諸国に次いで、日本国として資金提供中止に舵を切ったのは、僅か半年前の10月です。最大の目的はパレスチナ人への支援であったにも拘わらず、世界各国からの支援金の大部分がハマスに流れ、イスラエル攻撃のための武器・弾薬になったようでした。この金を流用して、ハマスの幹部には、自家用ジエット機を乗り回す者もいた、言われています。

 一体、組織の改編・改革は、半年やそこらで変わるものでしょうか?アメリカやヨーロッパ諸国は再開に慎重な姿勢とり続けています。

 再開に踏み切ろうとしているのはオーストラリア、カナダ、それに日本の三国だけです。アメリカまでもが慎重な姿勢をとり続けているにも拘わらず、何故、日本だけが飛び抜ける行動に踏み切ったのでしょうか? それは外務大臣が女性だからでしょうか?女性特有の哀れみからでしょうか?

 私は断固反対です。パレスチナ難民の救済は、裕福なアラブ諸国がやるべきです。アラブ諸国の真の目的はイスラエルという国を構成するユダヤ人をこの世から抹殺し、イスラエルという国をなくすことにあるからです。この辺の「くだり」は飯山陽さんの最近の著書に明らかです。

2024年3月28日    愛子様                                                                                                                                                                                          一昨昨日、天皇・皇后の一人娘、愛子さまが、伊勢神宮へおいでになりお一人で参拝されました。今年、学習院大学をご卒業され、日本赤十字社にご就職なさるようです。帽子から靴、お洋服まで、真っ白に統一された装いで、沿道に詰めかけた群衆に笑顔で応じながら、小雨降る中を傘をさしてゆっくり歩まれておりました。神殿に向かって、いざ、拝礼となったその時、当然、雨は止み、日が差こみました。

 群衆は驚きました。その画像を見て私もビックリしました。これはすなわち、祭られている天照大神が、愛子様を祝福するため、天の力をして雨を止め、陽の光を贈ったのではないか、と。例えそうではなく、偶然おきた自然現象としても余りにできすぎています。人々は思いました。次の時代の日本天皇は、秋篠宮の長男ではなく、女性皇族の愛子様ではないか、と。歴代の天皇がそれを望んで居られるのではないか?と。

 私自身も愛子様にそうなって欲しい、と願っている一人です。女性天皇の登場! いいではありませんか! 母親の雅子様同様、愛子様には気品が漂っています。日本国の象徴に相応しい、知性と教養を身につけておいでになります。その上、学習院を優秀な成績で卒業され、日本赤十字社に勤務なさいます。近い将来、男性天皇を固執する反対派がまかり出るでしょうが、国民の大部分は愛子様を支持するのではないでしょうか?

 類い希な気品と美しさを備えた愛子様の天皇即位を見届けてるまではあの世に行きたくありません。

2024年3月27日    斑鳩の里                                                                                                                                                                                          昨日、有楽町の朝日ホールで、「法隆寺・これから10年の展望」というシンポジウムが開かれました。法隆寺管長の古谷正覚さん始め、お歴々がこれからの展望を語りました。

 朝日学生新聞社の大阪支社へ寄った帰り、奈良へ寄って「斑鳩の里」を足に任せて歩き回ったことがあります。東大寺、興福寺、法隆寺、中宮寺、秋篠の寺、、、などなど。中でも法隆寺は一日がかりでした。バスを降り、正面の南大門を見据えながら仲見世通りを直進し、境内に入ります。金堂は焼失を免れましたが、壁画は無残でした。いまは拝観禁止ですが当時は垣間見ることが出来たのでした。伽藍内は廻廊で繋がっていますが、その廻廊の屋根を支える横木に「やっつけ仕事」の一本があることを発見し、有頂天になったことがあります。

 経堂、講堂、夢殿、中宮寺、宝物殿などなど、おまけに、裏へ回って土塀の外まで観て歩きました。半日は費やしたでしょう。流石に疲れて休息所に入りました。夕暮れが迫り、庭師の小父さんが落ち葉をかき集めている以外、私一人でした。休息所ではお茶は飲み放題でした。一口頂いて唸りました。余りに美味しいお茶だったからです。「流石、法隆寺!」と納得してしまいました。

 昨日の朝日ホール、専門家達によるシンポジウム、前もって知っていれば、万難を排して参加していたろうに、惜しいことをしました。

2024年3月26日    7月・ピアノ発表会                                                                                                                                                                                     今日、月3回のピアノ教室へ行ったところ、先生から今年も合同発表会を7月、練馬文化センターで行う、どうする?と聞かれました。

 3年前は先生との連弾でスラブ舞曲をやりました。2年前はプーランクの荘厳な練習曲でした。昨年の7月は鼠径ヘルニアの手術の後遺症で歩くこともままならず、ウンウン唸っていました。先生から「また、連弾をやりましょうか? シューベルトの幻想曲OP103ーD40など如何ですか?」と問われました。

 何たる偶然でしょうか! 私が苦労に苦労を重ね、やっとの思いでヤマハ本社の楽譜売り場から取り寄せた、独奏用の楽譜の原本、連弾用のことをおっしゃるのでした。この曲については今月20日の当欄で触れていますので、詳しいことは割愛しますが、この曲を先生と連弾できる!しかも、文化センターのような大きな会場で!

 即座にOKしました。帰宅するやいなや、ヤマハの楽譜売り場に件のシューベルトの連弾用楽譜の送付をお願いしました。大きな目標が出来ました。嬉しさ、この上もありません。

2024年3月25日    よくぞ、けっぱった                                                                                                                                                                                    昨日の、大相撲千秋楽で青森県出身の「尊富士・たけるふじ」が初入幕ながら、十三勝二敗で優勝を果たしました。初入幕で優勝とは110年ぶりだそうで、青森県中が沸きに沸いています。青森は相撲が盛んな土地として昔から知られています。希代の横綱若乃花を輩出したお国柄でもあります。このところ、大相撲はモンゴル勢にやられっぱなしでしたから、久々に日本力士の優勝、ご同慶です。

 私の応援力士は数人いるのですが、あまり、パッとしません。「遠藤」などどうしてしまったのでしょうか。いまは大横綱「大鵬」の孫「王鵬」を応援しています。

 早稲田に在学中、必須科目に体育がありました。理工学部の裏に土俵を構えた早稲田相撲部がありました。身体は大きい方なので「ま、なんとかなるだろう」と入りました。はじめはパンツの上からの「マワシ」を締めて貰って土俵に入り、仁王立ちになった先輩を押し出します。すると、先輩はくるっと後ろ向きになって「まだ、まだ」といいます。再び繰り返します。仕舞いには、息が上がって土俵に倒れ込みます。それでもなお、先輩は私を踏みつけ「まだ、まだ」といいました。

 身体が大きく運動神経もそこそこであったため、相撲部への入部を、時の指導者「笠置山関」から勧められました。食べ放題の「ちゃんこ鍋」の魅力もあってしばらく在籍しましたが、アルバイトの時間と両立しないため、辞めさせて貰って、今度は憧れていた早稲田男声合唱団「グリークラブ」へ入れて貰いました。入部の際は音叉による試験があリました。しかし、ここもアルバイトの時間と両立せず、半年ぐらいで辞めざるを得ませんでした。何しろ、仕送り一切なしで生きていたのですから。しかし、お陰で密度の濃い学生時代を送らせてもらいました。

2024年3月24日    土地の領有権                                                                                                                                                                                    日本の人口は1億2000万人。アメリカは3億4000万人。それに対して中国は14億4200万人。桁が違います。更にインドは14億4900万人で、中国を追い抜き、世界第一位です。

 この世界第一位のインドと第二位中国は国境を接しているのですが、その距離なんと3440キロ。その周囲にはネパールやチベットの国がありますが、中国とインドが、シッキム州のナラクを中心に激しい国境紛争を展開しています。俗にカシミール紛争とも呼ばれ、双方、一歩も妥協を許していません。最近は、中国側が攻勢に出て、インド側に死者が出たため、インドは怒りを倍加しているようです。日本も中国とは尖閣列島の領有権を巡って、中国との問題を抱えています。東シナ海ではベトナム、フィリピンが中国の横暴な振る舞いに、怒り心頭を発しています。

 戦争とは、詰まるところ、土地の領有権の争いに他なりません。昨年10月7日におきたイスラエル紛争は、イスラム教主義の中東諸国が、パレスチナ人の為の世界からの救援金を国連の職員まで味方に引き入れ、ハマスを使ってユダヤ教のユダヤ人をこの世から抹殺しようと企てた、土地争いでもあるのです。ウクライナ紛争とて同じ図式です。ロシアはウクライナを自分の支配下に置きたいがため、大勢の両国民に犠牲を強いているのです。

 仮に、中国とインドの国境紛争が拡大したらどうなるでしょうか?中国が台湾に手を出した時が、インドのチャンスであろうと。中国に対して大規模な攻勢をかけるだろうと。両国とも核保有国です。

 ヒマラヤ山脈上空を核弾頭が飛び交う様を見てからあの世へ行きたいモノです。

2024年3月23日   幼い鰹のにぎり                                                                                                                                                                                   築地から移転を余儀なくされた有明の魚市場へ行く大きな目的の一つは新鮮で美味しい「お寿司」にありつくことです。近々訪れるタイ・チェンマイのお仲間をお連れするのですが、果たしてどんなお寿司にお目にかかれるのか、興味津津です。タイ・チェンマイにもお寿司屋さんはありました。二軒ありました。スーパーにもありました。ほとんどがサーモンの握りでした。それもノルウエー産の養殖サーモン。最も危険な食べ物です。何故なら、そのほとんどが養殖で、身体に危険な薬品まみれであるからです。その上、サーモン特有の寄生害虫「アニサキス」。あるとき、買ってきた鮨の中に這いずり回っているその虫を発見したことがあります。「ゾット」しました。それ以来、どんなときでもサーモンは敬遠しています。

 実は、マグロも問題ありのようです。近畿大学がマグロの養殖に成功して以来、人体に有害な薬品が大手を振ってまかり出ている、という噂なのです。値段の高い「ウニ」といえども、いまは養殖されているようで、薬害がないとは言えないようなのです。しからば、何を食べたらよいのか? と箸休めの「ガリ」に手を伸ばすと、「ちょっと待った!」ほとんどが韓国産なのです。

 いままで生きてきた「鮨体験」で何が一番であったでしょう。それはいまと同じ時期、沖縄・石垣島の鮨屋でお目にかかった、黒潮に乗って北上する前の「鰹の幼魚」の握りでした。爾来、「鰹の握り」が欠かせなくなりました。これからが鰹の季節。楽しみです。

2024年3月22日   築地場外市場                                                                                                                                                                                   もう、大分昔のことですが、有楽町の日劇と並んで朝日新聞社がありました。いまはその二つの建物はありません。朝日の跡地には西武デパートが、日劇の跡地は関西の阪急デパートとなって繁盛しているようです。築地の魚河岸前に移転した朝日新聞社は、15階建ての巨大な建物になって、我々の販売局はその12階に陣取り、向い隣りの「癌研病院の巨大な建物と共に、辺りを睥睨していました。今度は、魚河岸そのものが、埋め立て地・有明に引っ越しました。それと共に、築地場外市場もそちらに移転です。いま、古巣の朝日12階から見る築地場内・場外市場は廃墟同然です。東京都の所有地だそうですが、未だに、跡地がどうなるのか、決まっていないようです。

 一方、埋め立て地「有明」に遷った築地の場内・場外市場は、いまや大賑わいだそうです。折から、円安の効果のお陰もあってか、外国からのお客様で大賑わいだそうです。殊に場外市場は、昔以上の繁盛振りだそうです。昔の築地と違って、宏大な敷地の駐車場は大混雑のようです。行って、様子を見てきたいではありませんか。

 今月27日に、タイ・チェンマイから客人2名がおいでになってしばらく逗留されます。いい機会が訪れました。我がボロ車にお乗せして、「有明」におもむき、場外の「鮨」を堪能してくるつもりです。

2024年3月21日    女性的ものの見方                                                                                                                                                                                最近、といっても1~2年ぐらい前からですが、朝日新聞の記事の最後に、括弧付きで発信した記者名が記載されるようになっています。それも、このところ女性名が多くなっています。ということは、客観的ニュースの伝達であっても、女子の目から見た伝達記事になることは否定できません。つまり、朝日新聞自体が「女性的になった」と言えるのではないでしょうか?

 私が入社した1961年頃には、社内には女性記者は2名しかいませんでした。家庭部に一人、企画部に一人。専ら、ファッション関係の記事を専門にしていました。その後、外語大出の松井やよりが入社してきました。戦時下の慰安婦問題が俎上に上がり、韓国との仲が険悪になりました。

 いま、社内報に載る新入社員の合同写真を見ると、女性社員が半分以上です。女性の方が男性より優秀、という見方もあるでしょうが、優秀と思われる男子学生は、新興のIT産業の方へ舵を切っています。紙による情報伝達産業は、既に、時代遅れであることを悟っているからです。新聞にとっての悲劇は、一時は人気のあったこの産業が、次第に人気を失い、落ちぶれ、行く末を悟った優秀な記者達が、続々、新聞社に見切りを付け依願退社していることです。この現象も女性記者の異常な台頭と無縁ではないでしょう。

 今朝の天声人語は、ハッキリ、女性が書いたモノと分るものの見方でした。恐らく紅一点の郷富佐子さんが筆者でしよう。

 荒垣秀雄、入江徳郎、疋田桂一郎、深代淳郎、辰野和男などの天声人語筆者の先輩方は、どんな思いでいることでしょうか。

2024年3月20 日   F・モール「幻想曲」                                                                                                                                                                              探しに探しあぐねていた貴重な楽譜が、昨日、銀座のヤマハから届きました。シューベルト作曲・幻想曲0p90・Fモールです。Fモールとはヘ短調のことです。この曲は元々、ピアニスト二人のための連弾用として作曲されたのですが、クズネソフというロシアのピアニストが独奏用に編曲した貴重な楽譜なのです。そのためかどうか、10ページ足らずの楽譜なのに5千円を超える値段でした。

 さて、この曲は三連音符の「呼びかけ」から始まります。閉ざしていた心の底の底に優しく呼びかける天上からの招きです。しかし、はじめの典雅な響きはやがて悪魔による支配に身をゆだねます。かなりの技術がなければ弾きこなすことが出来ない曲想が現われます。そして、最後は、天国とはかくありなむ、となって終曲です。かなり難易度の高い曲です。なぜ、私がこの曲に惹かれるのか?

 私が中学生の頃、長野市柳町中学校の音楽室のピアノを使って作曲し、信州大学のコンクールに応募したところ入賞し、NHK長野放送局から自身がピアノを弾いて放送されたことがあります。暗くて音の反射のない部屋のピアノでしたが、7分もかかる曲でした。その曲名が「幻想曲・Fモール」。シューベルトの曲名と同じなのでした。心に沁みるシューベルトの曲も<ヘ短調>。そして、放送させて貰ったのも<ヘ短調>。この偶然は何としたことでしょう。やっと、入手できた貴重な「ヘ短調」楽譜。シューベルトを偲びながら一ヶ月かけて弾きこなす積もりです。                                                                                                                                                

2024年3月19 日   驚きの選挙結果                                                                                                                                                                               一体、ロシア国民の意識はどうなってしまったのでしょうか?一昨日開票された大統領選挙で、5選目を狙う71歳のプーチンが87%の高得票率で当選を果たしたのです。ロシアの有権者の6割以上がプーチンに票を入れたのです。何とも驚くべき結果です。これにより彼の任期は、20年の憲法改正により、更に2期12年の任期が可能になったのです。       何たる結果でありましょうか!つまるところ、ロシア国民はこの戦争の継続を望んでいるのです。更なる徴兵令が出れば応じよう、と意思表示したのです。

 この結果に失望の色を隠せないでいるのは、恐らくゼレンスキー大統領以下ウクライナの人々でしょう。次いで、ヨーロッパの全部の国が加入しているNATO諸国ではないでしょうか?ロシアとの開戦が現実味を帯びてきたからです。

 私はロシア国民に対して疑問を投げかけます。そこにどんな巧妙な仕掛けが隠されていようと、今後12年間プーチンの時代が続くことになったのです。歴史を振り返っても独裁者は戦争を好みます。自分の権勢を誇示するためです。旧くはアレキサンダー大王がそうでした。ローマ皇帝然り。ドイツのヒットラー然り。日本軍部もそうでした。

 恐らく、これからはウクライナの敗色が濃くなるはずです。NATO諸国としてはそれを無視できるでしょうか?第三次世界大戦の勃発です。その予兆として現われたのが、今回の巧妙に仕掛けられたロシアの大統領選ではなかったでしょうか。

2024年3月18 日   内憂外患                                                                                                                                                                                昨日、4kチューナーを内蔵する4kスマートテレビP615シリーの液晶テレビを取り付けて貰ったのはいいが、その操作が実に、実に複雑怪奇で、辟易しているところです。分厚い取り扱い説明書はあるのですが、読めば読むほど分らなくなります。複雑さの要因は、旧いテレビのリモコンと新しい方のリモコンの両方を、同時に使い分けることにあります。旧い方のだって、未だ、完全操作できていないのに、新たに4kが加わったのです。一番楽しみにしていたユーチューブのアップなど、アッチコッチいじればいじるほど、トンデモナイ方向に導かれてしまっている次第。

 ということは、このスマートテレビは「年寄り向きには出来ていない」ことが分ったのでした。だからといって、今更、返品するわけにはいかないでしょう。年寄りにとって、時間は有り余るほどあります。私とて同様です。完全習熟に向かって努力しよう、と決心しているところです。と、ここまで書いたところで、アラ汁が思い出されての「銚子丸」へ出かけました。ところが外は思いの他の大嵐。風速30メートルはあったでしょうか。いわゆる「春一番」なのでした。従って、マスクをしていても鼻水は出るは、目は痒いは、慌てて、目薬と鼻のスプレーのご厄介になりました。内憂外患とはこのことをいうのでしょうか。

2024年3月17 日   新しいテレビ(その1)                                                                                                                                                                              最近、テレビの音が濁ってきて、聴きづらくなりました。機種の音声の劣化か、それとも私の耳の老化か、判断がつきません。先ず、機種の劣化を疑い、新しいモノと交換することにしました。馴染みの平和台PCデポの店長・沼田さんが本日、新しい機種を持ってきてセッテイングしてくれました。くだんの新品は大型画面で音は明瞭そのもの。私の耳の劣化ではないことが分かり、一安心です。しかもこのテレビ、4Kチューナーを内蔵しています。だから、地上波はもとより、BS、CSなどなど、あらゆる電波が映し出されることです。いままでIPADだけが頼りだったユーチューブまで見られるのです。これには驚いてしまいました。日曜日毎の福島「泉」教会・佐藤牧師のお話、大阪の高原牧師の蘊蓄ある講演、見ようと思えば、明瞭な音声のもとで、接することができるのです。しかも、料金が安い。月額1250円で四年間払い。

 目標が一つ加わりました。この代金を支払い終えるまではあの世へ行くわけにはいかない、と。

2024年3月16 日   春、春、春                                                                                                                                                                              遙かヨーロッパのある国から送られて来ている春の写真です。昨日、練馬の千川通りの桜並木で、一番若い、と思われる一本が満開になっているのを見つけました。青空のもとで見上げる満開の桜、、、、。

2024年3月15 日   一錠5000円の薬                                                                                                                                                                         今日は、昨年10月から通い始めた「練馬・光が丘病院」の診察日でした。相変わらず病院は、私と同世代の老人たちで溢れかえっていました。血圧は128-72。酸素濃度は98。肺の写真に変化は見られませんでした。しかし、処方された薬はまたしても「オエッブ」、一錠5000円もする薬です。これを朝晩服用。1日1万円にもなります。一ヶ月で30万円。しかし、高額医療費免除のため自己負担は17000円で済みます。10月から服用を開始していますが、私の持病である「間質性肺炎」は回復の軌道上にあるのでしょうか? 残念ながらその兆しはありません。担当の船橋雄大医師の説明では、間質性肺炎を治す薬は世界中探してもいまはない。しかし、進行を遅らせることは出来る。それがこの「オエッブ」という薬だ、とおっしゃるのでした。

 私が幼稚園生だった頃、目黒の洗足池の近くに住んでいました。かかりつけの病院は近くの「市橋医院」。肺門リンパ腺炎でそこへ行くのに、医師はその度に「坊ちゃん、おポンポンはいかがですか?」と聞くのでした。しかし、長ずるに及んで、病院のお世話になったことは一度もありません。典型的な健康優良児だった、と自負しています。その勢いのまま定年を迎えましたが、その頃、團伊久磨を真似てパイプ煙草に手を出し始めました。その結果の間質性肺炎の発症です。伊久磨さんは77歳でお亡くなりになりましたが、同じく同病の中江利忠元朝日新聞社長は93歳を超えて益々お元気です。読売の「ナベツネ」もパイプ党でしたが、恐らく95歳になろうというのに、訃報は伝わっていません。「オエッヴ」を超える治療薬が現われるまでこの薬のお世話になるつもりです。

2024年3月14 日   知らなかった、で済むか!                                                                                                                                                                    いま、政治倫理審議会は衆議院から参議院へ移っています。今日の夕刊一面には自民党の参議院幹事長の世耕弘成氏の登場です。そして「裏金知らなかった」、「環流復活経緯、分らない」、そして「裏金作りについて、派閥で裏金化が行われていることを一切知らなかった」、「自分は関与していない」、と堂々と「シラ」を切りました。

 衆議院の政倫審でも出席者の全員が「知らなかった」「自分は関係ない」のオンパレートでした。醜い!余りにも醜い!呆れ果てて、開いた口が塞がりません。

 企業側にも責任はあります。政治資金パーテイのパーテイ券を企業はよろこんで購入しています。日本の企業は、そのほとんどが安定した政治の中にあって活動できているのは、保守政治、自由民主党のお陰である、と自覚しているからであります。経団連がその一翼を担っているのです。

 現役の時、宣伝部長から子会社の社長に出向しましたが、取引先からある政治家のパーテイ券を買ってくれ、と頼まれたことが何度かありました。一枚2万円の券、纏めて購入せざるを得ませんでした。行ってみました。人でごった返していました。形ばかりの飲み物とつまみの他、何も出ませんでした。

 いま、自民党の政治家たちは、明るみに出てしまった脱税行為を隠しに隠そうと躍起になっています。私は思います。日本の経済の高度な成長は自民党によるところが大きかったのです。この際、旧来の陋習をきっぱりと改め、裏金はあってもいいから、きっちっと税務処理をし、国民に恥じない、清潔な政治に立ち返って貰えばいいのです。この際いっておきましょう。権力にしがみついている80歳以上の者は去れ!と。

(世耕弘也は早稲田の後輩です。申し訳ありません。)

2024年3月13     となりのトトロ                                                                                                                                                               本来ならピアノに向かう夕方の時間、パソコンの「ジブリ」を開いて「となりのトトロ」を観てしまいました。この作品、何度観ても飽きないから不思議です。幼い姉妹の「サツキ」ちゃんと「メイ」ちゃん。のどかな田園風景と、そこのぼろ屋に移り住む父と姉妹。それを世話するおばあちゃん。孫の健太君。七コック病院に入院中の二人のお母さん。林の中に迷い込んだメイちゃんが、突然、遭遇する「怪物トトロ」。雨の日に突然現われる「猫バス」。すべてが、のどかな田園の風景の中で、恰も、現実に起こりうる描写力の中で展開されていきます。しかも、ストーリーの展開が「ハラハラ・ドキドキ」の連続。そして、見終わって、自分の気持ちが穏やかで、暖かくなっていることに気づくから、いよいよ持って、不思議な作品、といわざるを得ません。            かくなる上は、受賞作品「きみたちはどういきるか」を早急に観に行く積もりです。

2024年3月12 日   アカデミー賞                                                                                                                                                       「千と千尋の神隠し」「風立ちぬ」「崖の上のポニュ」「ハウルの動く城」「毛虫のポロ」「もののけ姫」「となりのトトロ」「紅の豚」「魔女の宅急便」「風の谷のナウシカ」「天空の城ラプタ」「ルパン三世」、、、そして、今回二回目のアカデミー賞受賞となった「君たちはどう生きるか」、、すべて宮崎駿の作品です。

 これらの作品のほとんどは、私のパソコンに入っていて、時折、カーソルを当てて見入ります。一番好きなのは矢っ張り「となりのトトロ」でしょうか。前回のアカデミー賞受賞は「千と千尋の神隠し」でした。

 宮崎駿は既に83歳。にも拘わらず、創作意欲が全く衰えていないのは驚異以外の何ものでもありません。ということは「モノを作り出す」ことに夢中になる人生であれば、長寿が約束されるのでしょうか?

 でも、ごく最近、「少年ジャンプ」に掲載され全世界で2億6000万部以上発行された「ドラゴンボール」の著者鳥山明さんは、つい最近68歳で亡くなっています。急性硬膜下出血だったそうです。人生は不可解なモノのようです。

2024年3月11 日   杉花粉                                                                                                                                                         昨日と一昨日、特急日立で福島泉まで飽かず外を眺めていて、改めて気づいたことは、「何と、関東平野には杉木立が多いことか」でした。至る所に花粉をつけて色の変わった杉木立がありました。停車して扉を開けている間も、花粉は車内まで飛び込んで来ていました。

 宣伝部長だった当時、筑波山麓に学園都市構想が生まれ、宇宙センターや、研究機関が続々と土浦・奥まで移転していました。教育大学まで移転し、筑波大学となりました。とうとう、筑波万国博覧会まで開催の運びとなりました。朝日新聞の組織の中に森林組合まで生まれ「植樹奨励」が合い言葉となる時代でした。宣伝部長として、朝日新聞として何かやらねばなりません。思いついたのが「記念植樹」です。「筑波山麓に木を植えよう、あなたのお名前を刻んだ石碑を建て、お名前を永久に残そうという」という運動の展開でした。思いの他のご寄付が集まりました。寄付者のお名前を紙上に載せたこともあって、その数、数万人となりました。主催者として筑波山に建てられた石碑を見に行きました。確かに、筑波山の一隅にそれはありました。その後のことは、残金と共に森林組合にお任せし、宣伝部を去りました。

 その後の話しによれば、植樹は「檜」を所望したのに、ほとんどが「杉」であったようです。今となると、植えられた杉は成木となり、大量の杉花粉を関東平野に飛来させているのです。そこまでは、私としても考えが及びませんでした。今の時期、花粉症に悩む人々の数は減ることがありません。そして、私自身も花粉症患者の一人です。今更謝っても仕方ありませんが、世間様に対して申し訳ないことをしてしまいました。誠に、誠に申し訳ありませんでした。

 

2024年3月9・10 日                                                                                                                                                         9日の朝、11時の特急日立に乗り、福島・泉で下車し、「翼の教会」へ行って佐藤牧師にお会いしました。懇切丁寧なお話を伺ったのち、夕食を共にして頂き、教会の付属施設である「ゲスト・ルーム」に泊りました。3月11日はあの忌まわしい東北大震災から13年目の日です。この日は、奇しくも佐藤先生の誕生日でもあったのでした。

 朝5時半、テレビを点けました。福島テレビに佐藤先生が映っていました。30分番組の中で、双葉原発崩壊による放射能汚染で、住めなくなった大野教会の教会員40名を連れて、会津へ逃げ、山形に逃げ、ついには奥多摩町の施設へ移り住んだご苦労が語られました。筆舌に尽くせぬご苦労がそこにあったのでした。

 10日は福島・泉の「翼の教会」の記念礼拝でした。先生と苦楽を共にした教会員ほか、100名程による祈りの会でした。フィリピン教会員のご寄付による軽食を全員で頂き、泉発2時29分の特急日立に乗り帰京いたしました。先生自ら、車で駅まで送って下さいました。

 12月の時は車を運転して泉まで行ったのでしたが、運転に気を取られて、何も考え、感じられませんでした。しかし、列車だと違います。行きも帰りも、始終、外の景色を眺めていました。都内上野から始まって、千葉県、茨城県、福島県の各駅毎に、その町の当時の朝日新聞販売店の所長さんたちの顔が浮かんでは消えました。堪らない貴重で懐かしい時間でした。

2024年3月8日    團伊久磨                                                                                                                                                   一昔前、朝日新聞は「アサヒグラフ」を発行していました。その巻末には、いつも、團伊久磨の名エッセイ「パイプのけむり」が掲載されていました。私はその随筆が好きで好きで、この雑誌が発行されるとそれが掲載されている巻末から読んでいました。アサヒグラフの廃刊と共に「パイプのけむり」もなくなりました。全27巻、地下のピアノ室に整然と並んでいます。ところが今の時代、トンと團伊久磨の名前にお目にかかることがなくなっています。彼は指揮者で作曲家でもありましたから、数々の歌曲やオペラをモノしています。いい曲が沢山あって、私は昔、その伴奏部分を弾いたりしていました。何故、なくなったのでしょう? そういえば、山田耕作という作曲家がいて、数々の日本歌曲を残しています。「荒城の月」の滝廉太郎もいました。髙木東六も数々の童謡を残しています。でも、この30年余り、これらの作曲家の作品がテレビやラジオで流れたでしょうか? 音楽会があったでしょうか? 学校の教材になっていたでしょうか? 

 ないのです。全く言っていいほどないのです。電波に乗って流れるのは「千本桜」などのアニメ主題歌ばかり、、、、、、

 私は国家に責任があると思っています。国家の意思を代弁するのが公共放送であるNHKです。NHKは視聴率には関係ないのですから、日本古来の音楽番組だけを専門に流すチャンネルを作ったら如何でしょう?

 日本書紀、古事記、源氏物語、枕の草紙、土佐日記、平家物語、奥の細道などの原文朗読と解説。雅楽、能、狂言、常磐津、長唄、端唄、小唄、都々逸、民謡。明治以降の日本人作曲家の作品、、、、、

 聴き及べば、芸大邦人楽器部門の応募者は、年々減り続け、後に続く者がある部門では皆無の状態のようです。一方、応募者が満員状態の音楽クラブは吹奏楽部のようです。それも世界的に有名になっている京都橘商業高校の女生徒中心の「踊るバンド」専ら「シング・シング・シング」が十八番です。もし、彼女たちが踊るバンドで長唄「勧進帳」をやってくれたら・・・・・

 

2024年3月7日   長生きしたけりゃ                                                                                                                                                    ユーチューブにほとんど連日掲載されている番組に、「長生きしたければこれを食え」というのがあります。いつも「本要約チャンネルのタケミです」という前置きから始まります。長生きを拒否したくはないので、いつの間にか私の食事にも変化が訪れていました。朝食には納豆、それも国産の大豆製品に限ります。サニーサイドの卵二個。スライスした沖縄産のゴーヤーにツナ缶を入れたオリー油油炒め。一本を3日で食べ終わります。それに、カナダ産メイプルシロップを入れたヨーグルト。本当は豆乳で出来たモノの方がいいようです。お茶は日本茶でなくグアバ茶。果物はミカンかイチゴ。タイ・チェンマイに逗留していたときは、パイナップルでした。あそこは果物が豊富で何でもありました。昼は、努めて鮨です。長生きしたけりゃ青魚を食え、とあります。専ら、近所の「浜ずし」「銚子丸」へ行くか、スーパーものにします。「銚子丸」では二時までに行くと、アラ汁が無料です。イワシ、コハダなどの青魚を握って貰って、千円でおつりが来ます。

 夕方は日課にしているピアノ練習をしたあと、少量のウイスキーで喉を潤し、鹿児島産のイモ焼酎をスイス産のチーズと共にいただきます。それに、冷凍しておいたブルーベリーが加わります。食卓に出てくるのは鍋ものがほとんどで、ご飯はいただきません。寝る前にはクローブの実を三粒噛み砕き、夜中に一回はトイレに起きるのですが、その度に水を飲みます。北アルプス安曇野の天然水です。寝られなかったことなど一度もなく、朝7時半には目を覚まし、しばし、IPADと戯れます。

 逆に、本要約チャンネルで「食べるな」と声を大にしているものがあります。中国産の大豆の納豆、野類類です。それに小麦製品、果物ジュース類、即席ラーメン類、安物のコーヒーなどです。外国産小麦製品には遺伝子組み替え物質が使われているから、だそうです。となるとパンやピザにも問題ありなのでしょうか? 中でも、最も食べてはいけないのは、マクドナルドや、ガストなどで人気のフライドポテト、ポテトチップなどだそうです。使い古した油が寿命を縮めるとか。そこで安価に売られているジュース類、コーヒーなども添加物だらけだそうです。

2024年3月6日     仲邑菫ちゃん                                                                                                                                                15歳の女の子で、プロの囲碁棋士仲邑菫ちゃんが、日本を離れて韓国の棋院へ移籍することになりました。女子の囲碁界は益々盛んで、藤沢里菜女流本因坊(25歳)、上野愛咲美女流名人(22歳)らがその筆頭ですが、いままで、中国や韓国の女流棋士に勝つことが出来ず、いつも第3位に甘んじていました。何故か、両国の女流囲碁棋士は強いのです。

 その理由は、韓国、中国とも国営の囲碁学校を持ち、日本に勝つことをその目的にしているからです。両国とも、才能のある若者を早い内から見つけ出し、国がお金を出して英才教育をしているのです。

 20年程前、日本の朝日新聞に関係する囲碁愛好家8人が、上海へ行って中国の囲碁クラブの面々と対戦したことがありました。私の従弟の靖輝君の商売相手の「虞」さんがそのお膳立てをしてくれました。8人同士の対戦が始まりました。何と、当方の最年長である78歳の武市義弘さんと、上海棋院の8歳の少年との対戦となりました。かろうじて、半目だけ日本側に残りましたが、全体としては負け越しになりました。         その顛末を私が記事にして「週刊囲碁クラブ」に掲載して貰いましたが、見出しが、「中国の囲碁、恐るべし」となっていました。

 日本棋院から韓国棋院に移籍してまで、囲碁に打ち込もうとする15歳の仲邑菫ちゃん。「その意気やよし」です。出来れば、彼女が世界一の女流棋士になるのを見届けて、満足してあちらの世界へ行きたいモノです。

2024年3月5日  4万109円23銭                                                                                                                                                     昨日、東京の株式市場で日経平均株価が、史上初めて4万円の大台を超えました。34年ぶりの更新でした。兜町は沸きに沸いていることでしょう。内容を見ると、人工知能「AI」ブームに関連する半導体関連の銘柄を中心に買われています。一方、円相場は一ドル150円前後の極端な円安であるため、海外投資家達にとって、日本株は「割安」と受け止められていることも影響しているようです。

 私が株のデイトレードに血道を上げていたのは、宣伝部長から販売局の子会社「アコス」の社長になったときです。経済の勉強、と称して会社でも、自宅でもパソコンととり組みました。母校の早稲田が開いていた「セミナー」にも参加して、「もうはまだなり、まだはもうなり」などの取引の定理などを学びました。当時の日経平均の高値は15000円ほどでした。その後、地合が極端に悪くなり、8000円台まで落ち込みました。と同時に、本社に戻され、東北六県信越富山を所管する販売第六部長になるに及んで、パソコンと睨めっこする時間が無くなりました。それでも、400万円ほどの利益を上げていました。

 兜町の証券取引所の回りには、何故か、うなぎ屋がひしめいていました。株価が高値を更新する度に、うなぎ屋の回りは賑わい、蒲焼きの匂いに溢れました。いまはどうなっているでしょう?

2024年3月4日    春の邪魔者                                                                                                                                                     いつの間にかもう3月。春の到来は嬉しさこの上もないけれど、嬉しくないことも一つあります。それは杉花粉の飛来です。一昨日は春風が吹き荒れ、春一番と共に花粉が目と鼻に飛び込んで来ました。目が痒くなり、鼻がムズムズし始めました。慌てて、去年の目薬と鼻のスプレーを探しました。

 現役の頃の4月、秩父・長瀞の山の中でゴルフをしたことがあります。杉林の中でのコースでしたから、スタート台に立つとすべてが花粉のお陰で白く霞んでいました。くしゃみは連発するや、ペットボトルを取り出して、ひっきりなしに目を洗うや、散々な目に遭いました。思いあまって杉の葉っぱをむしって、噛み、嚥下したところ、その晩、大変な苦しみにあいました。ところが、その翌年、花粉症が全く起きませんでした。恐らく、身体の中に抗体が出来上がっていたのでしょう。

 花粉症は杉花粉のみならず、空き地に生えている背高泡立ち草、いわゆるブタクサにもあるようです。しかし、この厄介者が生えているところは、いまは、ほとんど無いので安心です。

 実は、花粉症にならない方法があるようです。アレルゲン免疫療法を言うのだそうです。それは杉花粉のエキスを少しずつ体の中に取り込んで体質を改善する方法だそうです。思いあまって「杉の葉を噛んで飲み込んだら、翌年、おきなかった」と同じ理屈です。

 いまからそれをしようか、、、あと10年生きるならそれもいいが、、、

 2024年3月3日    囲碁・NHK杯                                                                                                                                                        日曜日の昼から始まる囲碁棋戦「NHK杯」は楽しみにしている番組ですが、今日は準決勝戦で、当代超一流の井山裕太と一力遼が対戦しました。しばらく前までは、井山裕太が棋聖戦、名人戦、王座戦などを独占し、七冠を制していましたが、このところ一力遼にやられっぱないになっています。「NHK杯」も一力が独占していました。

 何度もこの欄に登場していますが、一力遼は私の二年先輩で朝日新聞で同僚であった一力英夫さんの弟・和夫さんの子供です。今日はこのライバル同士の対戦・準決勝となったのです。固唾を飲んで、見守りました。囲碁の戦いでは、一目でも多くの「地すなわちじ」を稼いだ方が勝つのですが彼ら高段者ともなれば、そんなこと気にしません。相手の石をどうやって屠るか、つまり、目を二つ作らせないか、そのことのみに腐心するのです。目のない石どうしが、盤上をのたうち回る、そのハラハラ・ドキドキを制したのは一力でした。これで決勝に進むことになった一力の次の相手は中部棋院の志田篤です。恐らく今年のNHK杯者は一力遼で決まりでしょう。

2024年3月2       お粗末!                                                                                                                                                   昨日、自民党派閥の裏金脱税事件を受け、自民党幹部の四人が出席して、衆議院政治倫理審査会が開かれました。岸田総理も出席して型どおりの開会の辞を述べました。驚いたことに、政治不信を招いた組織的裏金作りについて、四人が四人とも謝罪はしましたが全員が自身の関与を否定しました。裏金はこの五年間で約7億円に及んでいます。

 一方、許せないのは政調会長の要職にありながら、3000万円近い裏金を受け取っていた萩生田光一は、出席を乞われながら逃げ回りました。この男はかつての安倍総理の「モリ・カケ」問題の時、テレビの前で何度も偽証を繰り返した男です。権力におもねる最低の男です。彼の選挙区、八王子の皆さんも、逃げ隠れしながら権力にしがみついている彼の行動を「イヤ」というほど見せつけられ、愛想が尽きたのではないでしょうか。加えて、二階派の領主二階敏博です。官房長官であった時期を含めて50億円の金を「私」したその説明をどう付ける積もりなのでしょうか。

 ところで、昨日の「大谷翔平結婚のお相手」の当欄の記事。出所はマイクロソフトだったのですが、異説があるようです。バレーボールではなく、バスケットボール選手の方だ、と。内々の結婚式はもう終わっているとか。それにしても、ここまで騒がれている結婚とは、前代未聞では無かったでしょうか。

2024年3月1     大谷翔平、結婚!                                                                                                                                                  昨日、29歳になった大谷翔平が、自身の結婚を公にしました。お相手の名前は、まだ、公表されていませんが、元オリンピック・バレーボール選手であった狩野舞子、その人であるようです。1988年7月15日生まれの36歳。大谷は29歳ですから、完全な姉さん女房です。しかも彼女は身長が185センチ、一方の大谷は193センチ。二人の側に寄るだけで威圧されるでしょう。

 大谷一族は野球一家ですが、狩野舞子の方もバレーボール一家です。父親は中央大学、母親も東京女子体育大学バレーの選手でした。大谷家も、狩野家もボールに縁のある家庭ですから、二人の間には「玉のような赤ちゃんが」生まれることでしょう。それも、193センチと185センチの大型の男と女の睦み合いから生まれてくる赤ちゃん。将来は日本の球界を背負う人間になることでしょう。

 何としても目出度い。お目出度う、お目出度う!

2024年2月29   枕の草紙                                                                                                                                                 「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。」

 言わずと知れた清少納言の「枕の草紙」の冒頭の一節です。昔から暗記していたので、今もってスラスラでてきます。そう、明日から三月。暦の上では春なのです。

 「夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、蛍のおほく飛びちがいたる。」   「秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端、いと近くなりたるに、、、、」

 「冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭もてわたるも、いとつきづきし。」

 清少納言が生まれたのは966年頃。いまから1158年前です。家柄は余り高くなく、父親は清原本輔という和歌集の撰者でした。16歳の時、橘則光と結婚し、翌年に則長を出産しています。子育ても終わり彼女が30歳ぐらいの時に、一条天皇の妃である中宮定子に仕えるため宮中に出仕しています。はじめはよかったけれど、彼女の父親が死に、実の兄が流罪になるなど、惨めな経験も多かったようですが、枕草子には、そういった辛い出来事など一切書かれていません。意外に長命で60歳ぐらいまで生きたといわれています。つまり、昔は人生50年と言われていたのです。米寿まで生きれば仙人扱いになったでしょう。

 明日から3月です。春は曙です。桜の開花も二十日頃でしょうか。

2024年2月28   女性宰相                                                                                                                                                 自民党議員の裏金問題を含めて、岸田総理の命運はもはや尽きつつあるようです。あと、半年以内に岸田内閣は退陣し、新内閣が誕生するでしょう。誰が、次期総理になるでしょうか? かつて、元外相田中真紀子は三人の候補を挙げていました。その中の一人は既に短期政権でした。他の二人は河野太郎、と納豆餅こと石破茂です。しかし、私が待望する河野太郎は、冷凍透明人間岸田文雄の策略でデジタル担当相に追いやられ、国民的不人気の禍中にあります。小泉進次郎?まだまだ修行が足りません。さりとて石破ですか?

 ここへ来て、急上昇しているのが女性宰相待望論の禍中にある上川陽子現外務大臣です。静岡県出身七十歳。東大教養学部からハーバードド大学ケネデイスクール卒。麻生太郎をして「このおばさん、さして綺麗ではないけれど、なななかやるなあ」といわしめた才女です。

 彼女は、法務大臣拝命の頃、矢継ぎ早に「死刑執行」に容赦なくハンコを押した、というので一時、不人気でした。その一方、決断の早さでは人気があったと言われています。

 冷凍透明人間の命運は既に尽きています。加えて、裏金問題の自民党に対する国民の怒りは収まる気配がありません。さりとて、いまの立憲、国民、維新で政権が成り立つでしょうか。山本太郎政権になるまでには、あと10年が必要でしょう。

 自民党は上川女性宰相を立て、国民の気分を一新させ、自らも裏金の弊害を切り捨てて再生を図るためには、思い切った出方をしなければなりません。それが、上川宰相を待望する所以です。

2024年2月27日  公開か、非公開か                                                                                                                                                 自民党の派閥の裏金事件について、自民党は衆議院の政治倫理審査会の開催について同意はしたものの、この会合を公開にするか非公開にするかで、大もめに揉めています。しかも、時間を45分に制限しようとまでしています。国民は呆れているのではないでしょうか!

 日本国の台所は国民が納める税金で成り立っています。働いて得た収入には所得税、土地建物を我が物にすれば不動産取得税、車を手にすれば重量税、住んでいるだけで住民税、モノを買えば消費税、温泉に入れば入湯税、、、、ところが、政治家だけは、それも自民党の派閥に属している場合に限り、裏金が不当に入ってくるのです。それも、2000万~3000万円。派閥の親分が官房長官にでもなれば、官房機密費が無尽蔵に使えるのです。二階敏博の場合は何と50億円!

 国民には税金を課し、政治家は不当利得を我が物にする、この風習は今に始まったことでは無く、明治、大正、昭和、平成と連綿と続いてきたのではないでしょうか。更にいえば、戦国時代から続いてきた慣習ではなかったでしょうか? 

 この問題は、明るみに出た以上、うやむやにしては決してなりません。制限時間45分などもってのほかです。野党議員さんの頑張りどころはいまです。一層の奮起を期待します。

2024年2月26日   「業務スーパー」頑張れ                                                                                                                                                日本が原子力発電の導入に踏み込んだのは、読売新聞の社主正力松太郎が電源開発総裁を務めていた時に遡ります。反対の狼煙を上げたのが朝日新聞、毎日新聞、その他ブロック紙、地方紙でした。これを封じるため、正力は電通と協力し、2兆4000億円の金を用意し、全国のブロック紙、地方紙、テレビ局にばらまきます。世論は次第に原子力発電の容認に傾き始めます。

 私が現役で福島県を五年間担当させられていたとき、県内に原子力を発電所を設置するかどうかで、県内が大もめに揉めました。福島県知事は元より賛成派です。11万部の読売系民友新聞、8万部の読売新聞も賛成派です。反対派は8万部の朝日、5万部の毎日新聞、24万部の民報新聞でした。大論争が展開されましたが、浜通りの双葉町が受け入れを積極的に申し出たため、決着となり、大金が双葉町に下り、町全体が見違えるようになりました。そこへ、3月11日の大地震、14メートルの大津波です。双葉町は壊滅します。

 その後、小泉純一郎総理はスエーデンのオンカロにある原子炉を見学に行きます。そして、断じます。「日本には原子力発電は不向きである」と。何故ならスエーデンでは原子力廃棄物の貯蔵は400メートル地下の岩盤の中に葬られているのに、日本はどこを掘っても水が湧き出る、永久貯蔵出来るところが、日本国土どこにも無いことを知ったからです。

 耳寄りな話しが今日のテレビにありました。「業務スーパー」という全国展開の商店があります。珍しい冷凍品を求めに、私も時々利用しています。聴けば全国に1000店以上展開する大企業だそうです。この「業務スーパーマーケット」が地熱発電事業を興す、という話題でありました。確かに日本国土は温泉に恵まれています。地熱を電力に変えるには最も適した国土であります。地震が起きたからといって、温水が吹き出るくらいで、人体には損傷を与えません。これからの買い物は「業務スーパー」のみにしよう、と思っているところです。

 ところで、今日は2月26日。福島の佐藤一家のまひるちゃんに贈ったデズニーの券が今日の日付です。幸い、好天です。親子四人で楽しんでいる、と思うと、こちらまで嬉しくなります。

2024年2月25日   戦争の意味                                                                                                                                               二年前の昨日の24日はロシアとウクライナの戦争が始まった日です。両国の多くの兵士が亡くなり、一般市民もその巻き添えになり、建物は破壊され、国土は荒廃し、多くの国民は国を脱出させられ、苦しみの禍中に放り込まれたままです。確実に言えることは、両国民の間に厭戦気分が漂い始めていることです。その理由は何のために殺し合いをしているのか分らなくなっているからです。「ウクライナのNATO加盟を許さない」とするロシアのプーチンに対して「単なるそのことのために殺し合いをするのか?」という疑問がロシア国内に漂い始めていることも事実です。一方、NATO諸国の間にもウクライナ支援疲れが見えて来ています。「ゼレンスキーよ、いい加減にしてくれ」という声が聴かれるようになりました。ここで望ましいのは、停戦の音頭を取ってくれる国の出現でしょうか? 

 昭和20年の太平洋戦争の末期、日本の敗色は濃厚となり、B29爆撃機編隊の東京空襲を避けるため、学童の集団疎開が始まりました。中野区の国民学校に割り当てられたのは福島県浜通りの旅館でした。上高田国民学校の二年生だった私は、忘れもしない二月二五日夜、つまり今日の夜、新井薬師から中野駅まで隊列を組んで向かいました。母は私を食い入るように見つめたまま、一言も発せず中野駅まで付いてきてくれました。割り当てられた旅館は福島県浜通り富岡駅前の「大東館」でした。携帯品は小さなコオり一つでした。翌日、体中が虱だらけになりました。空腹の余りつつじの花をむしって食べました。

 当然ながら、何のために戦争をしているのか、何のためにこのような寂しい思いをさせられているのか、全く分りませんでした。恐らく、ウクライナの子供達も同じ思いでいることでしょう。

 「プーチンとゼレンスキーの意地の張り合い」、それがどれだけ子供達を不幸にしていることでしょうか!

2024年2月24日   ビルマの竪琴                                                                                                                                               戦後、まもなくして、「赤とんぼ」という雑誌に竹山道雄が、日本軍の捕虜達が織りなす物語「ビルマの竪琴」を発表し、瞬く間に話題となり、その後、二回も映画化されました。中井貴一扮するビルマの僧服姿の水島上等兵と、収容所に入れられた日本兵との心温まるやり取りが映画では展開されます。いつも僧服姿で、肩にオウムを乗せ、竪琴を奏でながら収容所に現われる僧侶水島に対して、捕虜達はオウムに言葉を覚え込ませます。「おーい、水島、一緒に日本へ帰ろう!」

 結局、水島上等兵は捕虜達と一緒に日本へ帰りませんでした。それは、ビルマからタイの国境にかけて、野垂れ死にした日本兵の遺骨を弔い、丁寧に埋葬するためでした。

 「海行かば、水つく屍、山行かば、草むす屍、大儀見の辺にこそ死なめ、顧みはせじ」

 当時の記録を見れば、敗走する日本兵の遺体は、ビルマの国境を越えてタイの奥地にまで広がっていたようでした。

 時流れて、一〇年程前、チェンマイからプロペラ機に乗り、約一時間、ミヤンマーの首都ヤンゴンへ行きました。ドル紙幣以外支払いを認めないホテルに陣取り、ホテルに案内人をお願いして、霊園に案内して貰いました。案内された霊園は外人墓地ではあっても日本人はどこにも埋葬されていませんでした。翌日、おんぼろジーゼル車に曳かれた窓の壊れた山手線らしきモノに乗り、自力で日本人墓地を探し当て、生花を手向け、祈りを捧げました。ヤンゴンの市内を走っているのは、ほとんど日本の中古車で、市内バスも日本語で書かれた行く先表示のまま走っていました。アウンサン・マーケットで500円出して、腰に巻き付ける生地を買い、ホテルの従業員総出で、腰に巻き付けてもらい、草履を履いて夜の町に繰り出しました。私の前世はもしかしてタイ人ではなかったか?と思わされたことでした。

 そのミヤンマーの指導者であったアウンサン・スーチーさんが幽閉され、中国の差し金に躍らされたミン・アウン・フラインがいまも尚、軍政を曳いています。ああやんぬるかな。

2024年2月23日   は、はっ、歯                                                                                                                                               練馬の我が家から歩いて五分のところに、堀内歯科医があります。四年前、といえばコロナ禍の全盛の頃でしたが、年末年始にかけて奥歯の親知らずが痛んで、痛んでお世話になったことがあります。治療して貰って、しばらくは通って口内環境を整えて貰っていましたが、いまは、全くのご無沙汰です。何の異常も無いからです。私の口内を診て堀内歯科医が驚いたことがあります。全部が全部自分の歯で、入歯が全然無かったからです。俗に八十歳になって自分の歯が20本以上あれば上等、といわれているそうです。いまや、八十八歳の米寿を迎えようとしている私ですが、生涯を通じて歯で苦しんだ記憶が無いのです。なぜか、とつらつら考えてみるに、戦争が終わって長野へ移り、食べ物の無い時代、田んぼに出ては、イナゴを捕り、羽をむしって、むしゃむしゃ食べていたことに起因するのではないか、と思われるのです。そういえば、コオロギや、天竜川の「ザザムシ」まで食べたことがありました。ケッタイナ形をした虫たちでしたが、食べられるものなら何でも口に入れたい年頃でした。北アルプス登山中は雷鳥まで捕らえて食べました。捕獲禁止になる前でした。

 戦争が終わって「モノが無い時代」。口に入るモノなら「なんでも貪欲に食べた時代」、それがあってこその現在。イナゴとコオロギと、ザザムシに感謝しなければなりません。

2024年2月22日   メシアニック・ジュウ                                                                                                                                                世界はユダヤ人を「ジュウ」と呼び習わしています。このジュウ達のあがめる宗教がユダヤ教で、教祖はアブラハムです。イエス・キリストではありません。経典も聖書ではなく、キリスト没後三五〇年を経て作られたタルムードです。従って、エルサレムの「嘆き壁」に集まる信徒も三つに分かれています。確か、金曜日がイスラム教徒、土曜日がユダヤ教徒、日曜日がキリスト教徒です。女性のイスラム教徒は、その日、髪にスカーフを巻いて壁と対峙しています。ユダヤ教徒は目の前に譜面台のようなものを置いて、大声を出してタルムードを読み上げます。いずれの日も、嘆きの壁前は大賑わいです。

 ところが、何時の頃からか、ユダヤ教からキリスト教に転向するユダヤ教徒が多くなりました。この人達を「メシアニック・ジュウ」と呼ぶようになりました。しかも、その数が日増しに増えるようになりました。四年前の三月、日本の各地のキリスト教会が信徒を連れてエルサレムのホテルに集まりました。中心は、神奈川の中川牧師夫妻、シンガポール教会の松本牧師夫妻、そして、タイ・チェンマイ教会から参加の私たち4人、それにイスラエル大学の教授を交えて、総勢150人ほどで三日間に亘ってシンポジウムが開かれました。主題は、キリスト教への改宗者を更に増やすにはどうすべきか?というものでした。

 私たちチエンマイの4人組は、シンガポール教会の皆さんと共に、松本牧師の案内で、イスラエルの隅から隅まで見て回ることが出来ました。残念だったのは、パレスチナ人の居住地「ガザ」へは入れなかったことです。築かれた高い壁の向こうには、彼らのどんな生活があるのか、今となっては惜しくてなりません。

 その約一年後、松本牧師夫妻はシンガポールから帰国しますが、脳出血を発症してしまいます。激務がたったのでしょう。遠くから祈りを繰り返して居りました。

 ところがです。一昨日、松本牧師の日曜日の「お説教」が再びユーチューブに掲載されていたではありませんか!嬉しかったの何の!何ものにも代えがたい喜びでした。

2024年2月21日   ユダヤ人口1400万人                                                                                                                                                 アラブ諸国から「この世から消えて欲しい」と蛇蝎のごとく嫌われているユダヤ人の人口は、僅か、1400万人ほどです。イスラエルに630万人、アメリカに570万人ほどが住んでいます。第二次世界大戦末期、アーリアン民族主義を掲げるドイツのナチスによってユダヤ人600万人がアウシュヴィッツその他で毒殺されました。一方、600人の脱出者を日本の外交官杉浦千畝が救っています。四年前、イスラエルへ行ったとき、植えられた記念樹を見てきました。

 一方、イスラエルではユダヤ人とパレスチナ人が隣り合って住んでいますが、歴史を俯瞰してみて、ユダヤ人は歴史に名を残る偉人を大勢輩出していますが、パレスチナ人にそういう人はいたでしょうか?寡聞にして知りません。これも、不思議な現象と言わざるを得ません。

 世界に名の知れたユダヤ人の有名人の名を揚げてみましょう。

 アインシュタイン(物理学者)、カール・マルクス(経済学者)、ジークムント・フロイト(精神科医)、ロバート・オッペンハイマー(物理学者)、ジョンホン・ノイマン(数学者)、バールフ・スピノザ(哲学者)、レフ・トロッキー(革命家)、アルフレッド・アドラー(医学者)、マルク・シャガール(画家)、メンデルスゾーン(作曲家)、ロザリンド・フランクリン(物理学者)、ピーター・ドラッガ-(経営者)、マーク・ザッカーバーグ(実業家)、スチーブン・スピルバーグ(映画監督)、マルク・シャガール(画家)、ボブ・デラン(音楽家)、、、、

 おっと、忘れていました。ヨーロッパを中心に世界の金融を牛耳っている「ロスチャイルド一族」、この方々もユダヤ人でありました。

2024年2月20日   パレスチナ問題                                                                                                                                                一九九三年八月二〇日、いまから約三〇年前、ノルウエイのオスロで画期的な条約が締結されました。当事者はイスラエルのラヴィン首相とパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長、そして、立会人にアメリカのクリントン大統領。その内容は、1)イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として、相互に承認する。2)イスラエルが占領した地域から暫定的に撤退し、五年に亘って自治政府の自治を認める。その五年の間に今後の詳細を協議する。という内容でした。

 元々、イスラエルは一九四八年五月一四日、国連総会で国家としての存立が承認されています。同時に、パレスチナの自治政府も承認されていました。収まらなかったのは周辺のアラブ諸国でした。アラビア語を話す周辺のアラブ諸国はパレスチなどどうでもよく、ユダヤ人の存在が許せなかったのです。ユダヤ人があがめる宗教の元祖はアブラハムです。同じユダヤ人の中からイエス・キリストが生まれ、ローマ人に殺されるに及んでキリスト教が発生します。聖書が経典となりました。反キリストのユダヤ人は聖書に代わる経典を編み出します。タルムードというユダヤ人だけの経典が紀元三五〇年頃になって、編み出されます。

 紀元七〇〇年頃になって、ムハンマドの出現です。右手に剣、左手にコーラン(クラーン)を掲げて中東の宗教を駆逐していきます。イスラム教の始まりです。その目的は、、、ここが大事なところです。ユダヤ教徒、キリスト教徒を地球上から駆逐し、イスラム教徒だけにすることです。そこに一切の妥協がないのです。

 つまり、イスラム教徒にとってユダヤ教徒、キリスト教徒との共存共栄などあってはならないことなのです。そのことはハッキリとコーランに書かれています。と言うことは、アラブ諸国にとってパレスチナの独立などどうでもよく、先ず、ユダヤ教徒を滅ぼし、次にはキリスト教徒を中東から追い出すことを目的にし、どんな手を使ってでも、先ずイスラエルという国を中東から追い出すために、ハマスのテロを仕掛けたのです。言ってみれば、「どんな手を使ってでも、イスラエルを中東から消し去る」、、、この目的に向かってイランをはじめとする、イエメン、ヨルダン、エジプト、オマーンは動いているのです。そのためには手段を選ばない。その一つの例が、国連組織のUNRWAの不正行為です。パレスチナ難民の救済の為に世界各国から寄せられた義援金が、ハマスに横取りされて、イスラエルを襲うための武器弾薬に変わっていたことを、世界各国は見逃していた事件です。日本からの義援金も、イスラエルを襲うための武器弾薬に当てられていたのです。長い間、それに気づかなかった自由主義諸国の阿呆さ加減! お笑いの一説です。

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