最近のエッセイ

2016年1月4日          ドバイはヤバイか

 キリスト教にカソリックとプロテスタントという宗派があるように、イスラム教にも、スンニ派とシーア派があります。両者の違いは大ざっぱに言って、ムハンマドが神の声として記した「コラーン」と、ムハンマドの行動記録である「ハーデース」を重視するのがスンニ派、ムハンマドの血統を重んじ、唯一の指導者を「イマーム」として崇めるのがシーア派でしょうか。イスラム教徒を「モスレム」と言いますが、モスレムの大多数(ほとんど80%以上)はシーア派です。

 国別にみればサウジアラビアがスンニ派です。スンニ派の中の「ワッハーブ」という厳格な教えを国教としています。隣りの国イランはシーア派です。ムハンマドと血が繋がっていると云われる「ホメイニ」さんがつい最近までイマーム、つまり、最高権力者でした。いまは「ロウハニ」さんです。

 困ったことに、イランとサウジアラビアは紅海を挟んだ隣国同士なのに、昔から仲が悪いのです。その仲の悪さは、歴史的にみて、日本と韓国以上かもしれません。

 一昨日、とうとう両国は国交断絶してしまいました。原因はサウジアラビアに捕らわれていた曰くつきのイランのシーア派指導者たち47人を、サウジが死刑に処したことによります。イランのテヘランやその他にあるサウジアラビア大使館がイラン国民に襲われました。サウジに対する群衆の暴動が起きたのです。イランの指導者は躍起となって宥めようとしますが、群衆は言うことを聞きません。その報復としてサウジは、今日、イランに対して国交断絶を申し入れたのです。

 困ったことになりました。

 明日10時に成田を出発してバンコック、チェンマイへ行き、山奥の少数民族の学校へ、キーボードを届け、10日のチェンマイ日本語キリスト教会の礼拝に出て、12日、バンコック発のエミレーツ航空でアラブ首長国連邦のドバイに入るのです。この国はサウジアラビアの南端に国境を接し、対岸はイランです。ドバイを根城にしてモスレムの国を歩こう、というのが今回の目的の一つです。

 「飛んで火に入る夏の虫」になったのでは、堪ったものではありません。だからといって計画を変更する気にはなれません。「当たって砕けろ」です。「あとは野となれ、山となれ」です。

 そんな訳で、明日からしばらくの間、この欄はお休みにさせてください。

 

2016年1月1日           明けまして

 今年から止めようと思っていたのですが、長年の習慣というのは恐ろしいもので、やってしまいました。新聞6紙の販売店を回って元日の朝刊を買ってることです。

 朝6時、車で毎日新聞、東京新聞の複合店へ行きます。日経店へ行って本紙と流通新聞を買います。読売店を回り、最後はサンケイ店です。店内の雰囲気とその勢い、従業員の数など、イヤでも目に入ります。感じたことは次の通りです。

 各紙とも別刷りはあっても、工夫のあとがみられない。どの新聞にも、今年の新企画がない。催し物もない。広告も大企業のものがない。いかがわしい健康産業広告が目立つ。折込広告の枚数は朝日と読売が群を抜いてはいるが、例年より減っている。サンケイ、毎日には折込がほとんどない。日経は若い従業員が多く、活気がある。店内の整頓ぶりは読売が一番。

 白々と明けてくる東の空を見上げながら、「ああ、新聞は増々落ち目になって行くのかなあ」、と暗澹たる気持ちになりました。

 練馬駅周辺は、このところ巨大マンションが林立し始めました。このうちの何軒が新聞をとってくれているだろうか、どうすれば、全所帯が新聞を読んでくれるのだろうか、マンションを見上げながら、深いため息をつきました。

 私は、日本が上り坂にある時の、新聞が生活必需品であった時の、いわば、新聞黄金時代に居させてもらったことを感謝すべきで、もう、現役を離れて15年も経つのだから、いい加減、新聞のことを思うのは止めよう、とは思うのですが、理性ではそう思っても、感情がそれを許さないのはどうしたことでしょう。

 太陽と地球の間の磁気に何らかの変化が生じて、インターネットがダメになる、そういう時が来て、紙を媒体とする情報伝達手段が再び盛り返す、そういう時にならないかなあ、というのが新年に当たっての抱負です。お粗末。 

 

2015年12月30日         黒毛和牛寿司

 毎年、正月の1日か2日に、家族が我が家に集まってくれます。長男一家の三人、次男一家の4人、三男に従妹、それに、母親に貴子さんに連れ合いに愛犬。狭い和室が一杯になっていました。それぞれが料理を持ち寄り、食卓は皿の置き場もないくらいでした。月日は流れます。連れ合いと母親が亡くなって9年、今年は愛犬もいなくなりました。

 昨年は黒毛和牛のステーキと、本マグロの握り寿司だけに絞りました。お節料理は無しです。お年玉交換が済むと、長男も次男も、そそくさと嫁さんの実家へ向かいます。それでいいのだ、と思います。今年も、本マグロの握り寿司だけを用意して、簡略にしよう、と思っています。

 日本の寿司が、いまや、世界を席巻している現状には目を瞠るものがあります。バンコックにもチェンマイにも、ラオスにも、カンボジアにも、ベトナムにも、日本の寿司がありました。ポーランドのワルシャワホテル近くに3軒もありました。日本料理店の主人に言わせると、寿司を出す店はワルシャワに300軒はあるとのこと。その内の一軒へ行きました。唸ってしまいました。美味いのです。吟味された酢飯の上にトロサーモンがのっていました。ノルウエー産のサーモンは、いま、世界の人気を独り占めしています。

 寿司は何といっても本マグロの中トロ、大トロにとどめを刺すのではないでしょうか。これは外国では滅多に食べられません。日本ならでは口福はこれに尽きる、と私は思います。でも、もっと美味い寿司があります。山口県下関で食べたトラフグの寿司です。博多で食べたクエの寿司です。岩手県前沢で食べたトロ牛肉の生寿司です。揚がったばかりのズワイガニの味噌の寿司も絶品だそうですが、これは、まだ食べたことがありません。寿司という食文化を持つ日本は本当に幸せだ、と心から思います。

 有楽町にあった朝日新聞は築地に引っ越しました。昼飯は市場の場外や、時には場内の寿司屋さんにも足を延ばすことができました。仕事が終わって寿司屋さんに引け込み、「お任せ」で酒を呑み、つまみを切ってもらい、握ってもらいました。幸せな時代でした。

 今日、黒毛和牛の一口大の切り身を10切れ、800円で買ってきました。赤酢とつや姫で酢飯を作り、軽く炙った和牛を載せました。すこぶる付の美味い寿司でした。当分病みつきになりそうです。

 

2015年12月30日         ゴンドラの唄

 年末になると決まって思い出す映画があります。黒沢明監督志村喬主演の「生きる」です。ウダツの上がらない市役所の吏員が、町の一角のゴミ捨て場を公園にしてしまうまでの物語です。雪の舞う夜更け、志村喬が出来上がった公園のブランコに乗り、揺らしながら独り言のように唄う歌、それが「ゴンドラの唄」です。思い出しても涙が滲みます。

 1)  いのち短し 恋せよ乙女     2)  いのち短し 恋せよ乙女

     赤き唇 あせぬ間に           いざ手をとりて かの舟に

     熱き血潮の 冷えぬ間に        いざ燃ゆる頬を 君が頬に

     明日の月日は ないものを       ここは誰も 来ぬものを

  替え歌ができました。年の瀬のお笑いと思召せ。

  1) いのち短し 旅せよオジン    2)  いのち短し 旅せよオジン  

     薄い頭が 禿げぬ間に          いざ空を飛ぶ 船に乗り

     少ないお金が 失せぬ間に       世界の果てに 向かおうよ

     明日はイノチは ないものを            そこは女神が おわします

 

2015年12月29日          トゲが抜けた

 慰安婦問題の火付け役は朝日新聞です。松井やよりという私と同期入社の美人記者が存在しなかったならば、恐らく、この問題は永久に闇の中に在った筈です。山手教会の牧師の娘であった彼女は、当時盛んに行われていた台湾、韓国への買春団体旅行を文芸春秋に内部告発しました。(最近のエッセイ17「赤富士の会」参照)

 大阪社会部の植松隆記者がそれに呼応、検証することなしに自虐的記事を書きました。彼は韓国に語学留学し、韓国人と結婚します。母親が慰安婦であったと言われます。書き殴りの記事が社会問題になったのに、朝日は押し黙ったままでした。紙面で訂正をしたのは昨年9月です。木村伊量社長がそれをやりました。嫌韓チャンネルによると、木村社長には韓国人の血が混じっているそうです。いつかはやらなければならないことをやった訳ですから、この判断は間違ってはいないのですが、世間では大問題になりました。そうでなくても新聞離れが著しい状況下にあって、更に、朝日離れが加速しました。公称10万部減と言われますが、実態はその3倍かも知れません。

 昨日、両国の外相会談がソウルであって、この問題は一応の決着をみました。朝日新聞が4面を使って大きく取り上げたのは、当然といえば当然でしょう。64歳で没した松井やよりはこれで安心して永久の眠りにつけるでしょう。

 政治は求心力を高めるために、仮想敵国を殊更に作り、国民の目をそちらに向けさせます。韓国前大統領がジャンパー姿で竹島に上陸し、「天皇が謝りに来い、言葉を選んでくるなら来なくてよい」と大見得を切ったのもその表れです。現大統領もそれを引き継ぎます。アメリカを落ち目と見限り、中国への擦り寄りを始めます。見苦しいほどの中国接近です。しかし、日本を敵にみなして国内経済が順当に発展する道理はありません。何となれば、中国経済も崩壊の危機を孕んでいるからです。

 ここへきて、「アメリカと日本を敵にまわしては国内経済が持たない」「方向転換をしなければ国が持たない」「そのためには、日本との友好関係をアメリカが望むように、回復しなければならない」と韓国の現政権は悟ったのではないでしょうか?

 韓国は日韓関係に自分から刺したトゲを自分で抜いた、と言えるでしょう。ともあれ「よかった」です。朝日新聞も「よかった」です。

 新大久保駅周辺のあの賑わいが、また戻って来るでしょう。「冬のソナタ」が復活するでしょう。私も、しばらく絶っていた大好きなキムチを再び食べることにします。

 

2015年12月27日          イジメと差別

 生きとし生けるもの、自分の縄張りに異種と思われる生き物が入ってくると、イジメたり、差別したりして排除する行動に出ます。

 私も小学生の時、イジメに遇いました。東京空襲で焼け出され、長野へ疎開し、三輪小学校の二年生になりました。付けられたあだ名が「東京のお坊ちゃん」「デカ上等兵」「種牛の一等品」、「イースト菌」、英語が刺繍されたセーターを着ていたので「英語の坊ちゃん」。

 学校の空き地に呼び出され、数人に囲まれ、嫌味を言われ、からかわれました。ボスは大塚という(今でも名前を憶えているから不思議です)6年生です。取っ組み合いになりました。死にもの狂いで戦いました。イジメは無くなり、一目置かれだしました。

 同じようなことがヨーロッパで起きています。白人社会は不足する労働力を補うため、アフリカや中東から、いわゆるカラードの受け入れを始めます。大英帝国がその嚆矢でした。タクシーの運転手のほとんどがカラードです。本人はいいとしても、問題はカラードの子どもたちです。イジメに遇います。差別されます。学歴が有っても社会は受け入れません。カラードの子孫はイギリス社会での居場所がないのです。ヨーロッパの同じような境遇の若者がイラク周辺に集まります。西欧社会を滅ぼし、イスラム国家を建設しよう、と洗脳されます。やっと自分のあり場所を見つけたカラードの二世、三世達が、西欧社会に対する憎しみをぶつけ始めます。

 それが、ロンドンの爆破であり、二度に亘るパリの同時テロです。何となれば、ISのリーダーのほとんどがイギリス出身、フランス出身のイジメられっ子だからです。

 白人社会は表面的には綺麗ごとを言っていますが、あくまでも、黒人やカラードを差別します。 彼らに社会の下級労働を押し付け、重宝にしていたのですが、今や持て余し気味です。接することに恐れを持つまでになってしまいました。挙句の果ては、空爆による皆殺し作戦です。

 反省すべきはヨーロッパやアメリカの白人社会です。下級労働を黒人やカラードに任せてきた傲慢さを悔いるべきです。皆殺しではなく、彼らに国を与えるのが先決です。互いに深く干渉をせず、縄張りを決して侵さないことにしよう、と決めればいいのです。例え、今のISを皆殺しにしたって、西欧社会での蔑視と差別がなくならない以上、次のISが次から次へと生まれてくるのです。テロに遇ったからといって「これは戦争だ」と捉えたのは西欧社会の奢り以外の何物でもありません。アメリカの9・11を境に、白人社会は中東のパンドラの函を開けてしまいました。世界の警察を気取り、部族社会に民主主義を持ち込もうとしました。実に、単純極まりない発想です。民主主義はここ200年の産物ですが、宗教的部族国家は2000年も続いているのです。

 現在の混沌は、白人社会の傲慢さが招いた当然の報い、と捉えるべきでしょう。

 

2015年12月25日          感動の天声人語

 天声人語は朝日新聞の看板です。50余年に亘って毎日読んでいます。荒垣秀雄、深代淳郎など、名文家がこの欄の名声を高からしめて来ました。近年は低調です。残念に思っていました。ところが今日、「これはいい!」というものに出くわしました。全文を載録させてもらいましょう。太字の部分が感動したところです。

 神奈川県の三浦半島に「戦没船員の碑」がある。戦時中、多くの民間船が軍に徴用されて敵に沈められた。44年前、激しい雨の中での除幕式に、当時は皇太子ご夫妻だった天皇、皇后両陛下の姿があった▼美智子さまは歌を詠まれた。〈かく濡れて遺族らと祈る更にさらにひたぬれて君ら逝き給ひしか」。父母や妻子の名を呼びながら海に消えた人々への痛切な哀悼がにじむ。同じ心痛を、天皇も分かち持たれていると知った▼82歳の誕生日を前に、民間の船員への思いを切々と述べられた。「輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います」。犠牲者は6万人を超す▼戦後70年だった今年を、「様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年」と振り返られた。そして「先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが、日本の将来にとって極めて大切なことと思います」。うなずいた方は多かろう。両陛下は年明けに、先の戦争で激戦地になったフィリピンを訪問する。その戦場で死線をさまよった作家の大岡昇平は今日が命日だ。代表作の一つ『野火』の名高い一節が胸に浮かぶ。「戦争を知らない人間は半分は子供である」▼戦後生まれの「半分子供」が人口の8割を占める時代になった。不戦の歳月の賜物だが戦争を知らないことを知らなければ人は危ない。軽く見がちになる。学ぶ努力。考える姿勢。陛下の言葉を胸底にたたみたい。

 実にいい文章です。しかも薀蓄が深い。美智子さまの歌には思わず感動のうめき声が出てしまいました。

 この文章の後ろには、現在の安倍政治への痛烈な批判が、オブラートに包まれて内在しています。知性も教養もない安倍晋三には、それを察知する知能さえ無いのが残念の極みです。

 

2015年12月23日          キウイ・フルーツ

 猫額の庭の立木の枝を払ってみると、沢山のキウイが現れました。こんなにも成っていたのか、と驚くほどです。25年この方、雌雄のキウイは二階の窓から屋根まで伸び放題で、毎年、植木屋さんの厄介になっていました。何故なら、固くて、小さくて、食べられなかったからです。時にはムクドリやヒヨドリが大挙して押し寄せ、ついばんでいましたが、最近はやって来ません。試しに、柔らかくなっているのをもいで食べてみました。イケルではありませんか。この果物はビタミンが豊富で、身体によい、と聞いています。毎日食べよう、と決めました。

 タイ・チエンマイへ行って嬉しいのは果物が豊富なことです。常夏のハワイと同じ緯度上に位置しているためか、どこのマーケットへ行ってもあらゆる果物が山と積まれています。しかも廉価です。スイカ、これは日本のように大きくはありませんが糖度が高い。マンゴー、黄色いのも美味しいが、青いのは地元では炒めて食べます。美味です。ドラゴンフルーツ、マンゴスチン。白い果肉は果物の女王です。イチゴ、ミカン、リンゴは、品種改良されていないためか、あまり美味しくありません。葡萄もそうです。その意味では日本も果物王国でしょうか。しかし、何と言ってもドリアンです。ドリアンだけ売っている市場もあって、山と積まれていて選りどり見取りです。たまらなく臭いのですが、私は大好きです。温室栽培が盛んな日本なのに、どうして、ドリアンは無いのでしょうか。逆に不思議なのは、タイにはサクランボがないことです。5月に出回る山形産の佐藤錦という大粒のサクランボ、あれは日本だけのものなのでしょうか。

 最近、チェンマイ日本語キリスト教会の皆さんが、山と積まれたタイの果物を前にしてタイ国の良さをアピールする動画をユーチューブで流しました。皆さん幸福そうです。来月5日からしばらくの間、私もお仲間に入れさせていただきます。

 

2015年12月21日          されど、掃除

 家の周りの猫額の空き地に、樹木が植わっています。晩秋になると道路や隣家の駐車場に葉を落とし迷惑を掛けています。道路の方は花梨の木の葉と梅と楓とキウイです。裏の方は公孫樹とハナミズキです。垣根の塀はジャスミンです。毎年、植木屋さんに手入れをしてもらってきました。

 ところが、今年は植木屋さんから声が掛かりません。貰った名刺も所在不明です。隣家からは毎年掃除が大変なので、公孫樹とハナミヅキをどうにかしてくれませんか、と催促されています。76坪の土地を分けてもらった手前、頭があがりません。

 大宮の次男に相談したところ、「やってやる」との返事。そして昨日、四人が道具持参で朝も早いうちから来てくれました。次男の奥さんの真弓さんは家の中、次男が電動ノコギリ、高校生2年生で双子の孫の匠君と萌ちゃん、そして私が、切られた枝を細分して袋詰めする係となりました。45リットルのビニール袋へ、枝や葉っぱを詰め込むのは難儀な作業です。二人の高校生はわき目も振らずやってくれます。作業中、私がマゴマゴしていると、萌ちゃんが「おじいちゃんには、これをやってもらっていいですか?」と指示を出すのです。年中泣きわめいていた赤ん坊の時から二人を見ている私は、この変わり様には目を瞠りました。

 夕暮れ迫る4時半、すべての作業が終わりました。枝や、葉っぱを詰め終わったビニール袋は、なんと70袋!

 家に入って、また、驚きました。見違えるように片付いているのです。隅から隅まで、そして、戸棚の中まで綺麗になっているのです。ものの並べ方にも神経が行き届いています。かねてから真弓さんのこの方面には、一つの才能があるなあ、と思っていましたが、改めて再確認しました。

 人は、「片づけること」について、「全くできない」、「ある程度はできる」、「優れてできる」、「美的感覚をもってできる」と分類できるようです。ごみ屋敷の中にいる私の従妹は「全くできない」典型でしょう。私の三男も、やればできるのに、何度言ってもやらないから「ある程度はできる」部類でしょう。私もそうです。散らかっている中にいても全く苦になりません。

 現役時代、私は沢山の店と家庭を訪問してきました。本社の担当員はその店の客間に通されます。商売の不振の店は、決まって店も家の中も汚れていました。美的にまでとは言わなくても、整理整頓が行き届いている店は成績優秀店でした。

 「たかが掃除」はなく、「されど掃除」なのです。

 大宮の皆さん、ありがとう。(積み上げられていた70袋は、今日が集荷日だったので朝早く起きて、車に積み、町内のあちこちの集荷場に分散してきました。少々後ろめたい気持ちでした) 

 

2015年12月18日         蹄 鉄

 朝のNHKBSをみていたら、デープ・インパクトという競走馬の強さの秘密を科学的に分析する番組をやっていました。なぜか、食い入るように見てしまいました。この馬はダービ、天皇賞、菊花賞の三賞を無敗で勝ち取った、いわゆる三冠馬です。後ろの方でウロウロしていたくせに、最後の400メートルになると、外枠から天馬のように飛出し、アレヨ、アレヨという間に居並ぶ名馬をごぼう抜きします。胸のすく走りです。

 この強さの秘密を科学的に分析した映像は見ごたえがありました。強さの秘密はこの馬の持って生まれた足首にありました。後ろ足を揃えて地面に接着する時間が他の馬より長いため、強い跳躍力が生まれるのでした。蹄鉄も関係します。蹄鉄とは馬のヒズメが擦り減らないよう、馬の爪に鋲を打ち込んで固定する鉄の環のことをいいます。 ところが、この馬のヒズメは間隔が狭く、打ち込む鋲が神経に触ってしまう恐れがありました。そこで考え出されたのが高性能接着剤です。蹄鉄と爪が鉄釘ではなく、接着剤で固定されているのが、この馬デープ・インパクトの特徴でした。

 私の子どもの頃の遊び道具は、この蹄鉄でした。家の中にゴロゴロありました。叩くといい音がします。如何にして、軽くて丈夫な蹄鉄を作るか、が私の父親の仕事の一部であったように思います。

 帝国大学農学部農獣医学部教授が父の当時の肩書です。「白ねずみにおける胸腺切除による影響」という論文で博士号を取得しています。馬の医者として軍隊へ召集され、下腹部に被弾して復員します。日大農獣医学部教授として、日本競馬会に所属し、馬の医者になります。馬にとっての名医であったようです。すべての競走馬に必要な軽くて丈夫な蹄鉄を開発するため、日本蹄鉄学校を創設します。いま、その学校はお仕舞になり日大鶴ヶ丘高校になっています。この高校の初代校長に父の名があります。

 私は生まれてこの方、競馬場へいったことがありません、馬券さえ買ったことがありません。しかし、今日のデープ・インパクトの記録映像には、何故か、血が騒ぎました。競馬会の裏方の仕事「蹄鉄」の開発に、力を注いだ父の血が流れている証左でしょうか。そういえば、家のどこかを探せば蹄鉄の一本が出てくるはずです。93歳で逝った母が大切にしていたものです。

 

2015年12月17日          果たして本当か

 アメリカのFRBが、今日付けで貸し付け金利の値上げを発表しました。公定歩合0〜0,25%を0,25〜0,50%としたのです。その根拠はアメリカ経済が上昇に転じたという判断によるものです。失業率も回復しました。物価もインフレになりました。不動産投資も増えました。その結果株価は今日だけで300ドル上昇しました。煽りをくったのが日本円です。円を売ってドルを買う動きが活発になりました。

 果たして本当にアメリカ経済は復調したのでしょうか? 私はそうは思いません。10年前のリーマンショックを表面的に乗り越えたに過ぎない、一過性の現象だ、と断言して憚りません。

 資本主義が宿命的に持つセオリーは貧富の格差の増大です。ほんの一部の持てる者のみが益々富み、大多数の持たざる者は、どんなに足掻いても、益々貧しくなって行くのが資本主義の宿命なのです。その典型がアメリカではなかったですか。

 日本もアメリカの真似をして、日銀はお金を刷りに刷っています。アベノミックスの当事者たちはアメリカの景気が回復した以上、日本もそうなるに違いない、と楽観ムードの只中にいるようです。

 ケインズもマルクスも、その経済理論は、歴史の一時、持てはやされましたが、実態経済はその理論通りにはなりませんでした。市場経済が、予測を超えてさまざまに変化するのを私たちは実感してきました。

 一党独裁で社会主義経済の中国も、大きく揺らいでいます。民主主義国ギリシアもブラジルもスペインもアルゼンチンはもとより、イタリアまで過大な負債を抱え、国家の存立が危ぶまれています。

 私が生きている時は無理でしょうが、いずれ、中国の一党独裁は滅びるでしょう。アメリカを始めとする資本主義国も同じように終焉を迎えるでしょう。

 つぎに来る社会制度は何か? これは私のかねてよりの持論である統制計画経済です。限りある地球資源を計画的に分け合い、富める者、貧しき者の存在を許さない平等社会の実現です。

 

2015年12月16日         治 安

 一昨日、ロスアンゼルスの学校がすべて休校となりました。無差別銃乱射をするという予告があったからです。その予告はニューヨークの学校にも届きました。しかし、ニューヨークの市当局は休校措置をとりませんでした。それは届いた脅迫状に書かれていた「アッラーアクバル(神は偉大なり)」の最初のAの文字が小文字であったため、これは悪戯だ、と見破ったからだ、と報道されています。

 一通の脅迫状で社会は大騒ぎをする、と分かった以上、それを面白がって次々に送られる事態が避けられなくなりました。中には本物もあるかもしれません。とんでもない社会になってしまいました。

 原因のすべては、西側キリスト教社会が団結して行うイスラム教徒を差別し、テロ集団といわれるアルカイダならびに「イスラム国」殲滅作戦に出たことによります。空爆はシリアはイラクの善良な市民まで巻き添えにしています。

 武力には武力を持って応じ、次第にエスカレートして最後は破壊だけが残るのを、人類は過去の歴史から学んでいます。それなのに、またまた繰り返えそうとしています。聖書が予言する「最後は光の雨が降り、この世の終わりが来る」という世界の破滅が真実味を帯びてきました。

 海外へ何故好んで出かけるか? それは緊張の中に自分を置いて、自分はまだ認知症にはなっていない、と確認するためでもあります。治安の悪そうな場所には出来るだけ近づかないよう、自己防衛に勤めます。その緊張感が堪らなく面白くて、次の旅の計画を練ってしまうのです。海外への旅はアンチエイジングそのものなのです。

 しかし、こうまで治安が悪くなってしまうと、自己防衛にも限度があります。空港で銃の乱射を受ける覚悟をしなければなりません。自分の乗った飛行機が、いつ、仕掛けられた爆発物によって、空中分解しない、という保証は全くなくなりました。

 だからといって、その危険に屈服してしまうわけにはいかないでしょう。しかも、今度は戦乱只中のアラビア半島が目的地の一つです。ドバイを拠点にしてイスラム圏を歩きます。これは私の半生の夢でした。困ったものです。こんなジョークがあります。

 「ねえ、ねえ、一人の人が飛行機にダイナマイトを持って乗って、爆発させる確率はどのくらい?」

 「恐らく、一億分の一だろうな」

 「それなら、二人の人がダイナマイトを持って爆発させる確率は?」

 「恐らく、一兆分の一だろうな」

 「分かった。今度飛行機に乗る時は、ダイナマイトを持って乗ろっつと」 

 

2015年12月14日         原 罪

 三浦綾子の「氷点」を読み始めました。美人妻が夫の留守に、彼女に心を寄せる若い男性と自宅で危ない会話のやり取りをします。帰って来た夫は灰皿の吸い殻に気づき、人物を特定します。始めのその部分まで読んで、本は伏せたままになりました。三角関係の展開が予想されるからです。美人妻の心の襞を追っても、この歳では心労が高まるだけです。

 この「氷点上」「氷点下」はキリスト教でいう原罪を扱っていまる、と言われます。原罪とは何か? 人間は罪びとであり、それはエデンの園から追われたときに始まる、と言われます。ドフトエーフスキーの「カラマーゾフの兄弟」も人間の原罪を扱っています。人を殺すのも罪だが、もっと大きな罪を人間は背負っている、とこの本は訴えます。

 私自身も「原罪とは何か?」 と長い間模索してきました。辿り着いた結論らしきものは、「私の存在は、私に生を与えてくれた創造主、それを神とすれば、その存在に気づかずにいることが原罪なのだ」ということです。しかも、「その罪を贖うために、イエスという男が救世主、つまりキリストとなって、この世に現れたが、それは創造主の大いなる愛であって、その愛を具現するために、自己を無にして、その受け皿となってこそ原罪から解放される」 のではないか、というものです。

 平ったく言えば、夏目漱石が唱える「則天去私」です。「私を去って天に則れ」です。

 長野高校時代、私は新設された文芸部の部長でした。謄写版刷りの雑誌は2号までしか発行されませんでしたが、そこに私は「自我の追求」という小論を載せています。長野教会に通っていた頃です。自分というものの存在に悩みに悩み、夜通し長野の街を歩き回ったこともあります。受験勉強に対する強い拒否反応だったかもしれません。勉強そっちのけで、西田幾太郎、三木清、波多野精一、ロマンロラン全集、ゲーテ、ポールバレリーなどを読みふけっていました。お蔭で全校での席次は、4番で入ったのに出る時は279番でした。

 遮二無二、受験勉強に勤しみ、4番を維持し、東大から国家公務員になり、やがては政治家になって、自分を捨てて国のために尽くす、そういう選択肢もあったかなあ、と今になって思います。閑話休題。

 

2015年12月12日         佐藤 優

 言論人岸井成挌については、この欄で触れていますが、私の大好きな言論人に佐藤優がいます。ブタ箱に513日間入った54歳の人間です。同志社大学神学部から外務省主席分析官を務め、収監と同時に退職を余儀なくされた飛び切り体格の優れた人間です。専ら、ラジオで時事解説をしていますが、その判断と見通しの明るさは余人を寄せ付けません。外務省に入ったころ、ロシアに留学をしましたから語学は堪能です。英語、ロシア語のみならず、世界の言語にも精通し、原典を読破して正当な判断を加える能力は他の追従を許しません。その優れた解説はユーチューブで毎週見られます。

 彼の刀自は福島県三春町のお寺です。父親が沖縄に出稼ぎに行き、沖縄伊江島出身の女性を母として誕生します。原発問題もさることながら、沖縄問題についての洞察が私以上に詳しく、また、切実な思いでいるのは、彼の刀自に関係しています。

 三春町衆福寺の住職で芥川賞作家の玄侑宗久さんと親しいのも、頷けます。二人の対談は実に優れた味わいがあります。しかも、彼の専攻は神学です。世界のあらゆる宗教に精通しています。その学識たるや半端ではありません。その上で彼はキリスト者になっています。情緒的信者ではありません。「我、もはや生きるに非ず。キリスト我が内にありて生きるなり」を地で行っています。だから、彼の言うことには遠慮もなければ阿るという姿勢もありません。優れたバランス感覚から発する言葉に満ちています。

 北方領土問題で、田中宗男と組んだ時期があります。公費の使い方について超法規的使い方がありました。それが問題となりました。外務省の異端児でありましたから、殊更に大きく扱われました。それをしたのが、今をトキメク外務次官でした。私利私欲でやったのではないのは断言できます。官僚社会とはそういうところです。でも、彼は野に下ってから本領を発揮します。何しろ、身体もデカいが言うことも大きい。しかも、豊富な情報源を持っているから何人も太刀打ちできない。ロシア語もチエチエン語もトルコ語もウクライナ語もシリア語も出来るから、インターネットを駆使して正に時宜を得た情報に寄って事象を解析して解説します。実に得難い人材です。

 彼はまた、優れた読書家でもあります。立花隆も蔵書だけの一軒家を持っていますが、彼もひけをとらないようです。私はこの歳になって気づいたのですが、本を買わなくなりました。読まなくなりました。そそられる本に出くわしても、恐らくそんなことだろうと予断して買わないのです。佐藤優のあらゆる事象に対する貪欲さを私は取り戻さねばなりません。 

 

2015年12月9日           北京終点

 画家梅原竜三郎に「北京秋天」という一連の油絵があります。よく晴れ渡った北京の見事な紅葉を題材にした絵です。いま、北京には「秋天」は存在しなくなったようです。

 日本から東シナ海を抜け、中国大陸に近づくにつれ空の色が替わります。ピンク色をした雲らしき一団が偏西風に乗って、朝鮮半島や日本列島に向かっているのを飛行機の窓から見ることが出来ます。上海上空ではあらゆる景色がスモッグの中です。太陽すら朧です。

 北京郊外にある2115の工場のほとんどは化石燃料、それも安い石炭を使い、遠慮会釈なく煙を噴き上げています。一般家庭の暖房も安い石炭です。日本車を除く排気ガス規制の無い車で道路という道路は渋滞です。規制が無いわけではないのです。でも、賄賂の横行により稀釈されます。加えて、人のことはどうでもよい、自分さえ良ければ、という精神風土が中国人の底流にあります。

 確かに中国の経済発展は目覚ましいかもしれない。しかし、その反動が環境汚染です。マスクをしても息苦しい日常を創り出して、果たして人民は幸福でしょうか?

 人体に悪さをするのはPM2、5という物質です。1当たり75マイクログラム以下でなければなりません。それが北京では382マイクログラム、上海では235、ハルピンでは、何と、1000マイクログラムを超えました。

 遅ればせながら、中国は日本に頭を下げて、東京の排気ガス規制を学びにやって来るそうです。人間の生存に関することですから、大いに東京の規制の実態を教えてやってもらいたいものです。

 北京駐在の日本人の家庭では、PM2,5防衛のために窓という窓の隙間にメベリをし、室内に5台の空気清浄機を置いても、子供はゴホン、ゴホンとやっています。

 問題は汚染物質が体内に留まり、将来に亘って人体に悪影響を及ぼすことです。北京には世界各国の商社マンが駐在していますが、皆さん、早く帰りたがっているそうです。駐在を命じられ、拒否できないとなると、会社を辞めるそうです。

 「北京終点」の幕開けでしょうか。

 

2015年12月8日          耳の不思議

 昭和16年の今日、日本は太平洋戦争を始めました。大東亜戦争とも呼称していました。戦争は4年間続き昭和20年8月に敗戦を迎えます。私は国民学校2年生でした。空襲を経験しました。下町の空が真っ赤でした。機銃掃射も受けました。B29の大編隊も見ました。燈火管制も経験しました。戦争の恐ろしさ、悲惨さ、空しさを経験した最後の世代であるでしょう。

 もの心付いてから、8歳までの間に、数々の歌を聞きました。主として軍歌、国民歌謡、などですが、目に焼き付いていた映像は次第に薄れていくのに、自然に覚えた歌だけは、いまも耳の底で鳴っています。これは不思議な感覚です。

 陸軍の歌では〈歩兵の歌〉〈橘中佐〉〈士官学校校歌〉〈輜重兵の歌〉…
 海軍では〈軍艦マーチ〉〈決死隊〉〈江田島節〉〈轟沈〉〈海軍小唄〉…
 国民歌謡では〈隣組〉〈欲しがりません〉〈愛国行進曲〉くろがねの力〉〈愛馬行進曲〉
          〈空の勇士〉〈暁に祈る〉〈出征兵士を送る歌〉…

 最も印象に残っているは何と言っても〈海行かば〉でしょうか。この歌は悲痛です。

       海行かば水つく屍 山行かば草蒸す屍

       大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじ

 忘れられないのは〈集団疎開児童へ贈る歌〉というものです。皇室の誰かが作り疎開先で年中歌わされていました。

  次の世を背負うべき身ぞ逞しく 正しく伸びよ 里に移りて 

 替え歌まで覚えています。

  次の世を背負うれっかい疎開の子 飯は一膳で… 

 人間は、いまはの際になると、5感は次々に衰えていきます。最後に残るのは聴覚だそうです。臨終の際、もういいかなと思って、故人の悪口など、ゆめゆめ言ってはなりませんぞえ。

 

2015年12月7日           蟹

 蟹の美味しい季節になりました。 日本海沿岸のあちこちで、水深300メートルから揚がったばかりのズワイガニがセリにかかっています。若い時は、毛カニやズワイよりタラバカニの方が上等だと思っていました。北海道でタラバカニ一匹を三人で平らげたことがあります。余り、美味しくありませんでした。上海の専門店で上海カニを食べたこともあります。無錫湖から揚がったとはいえ、養殖ものです。居ながらにして餌が降ってくるところで育ったカニが旨かろう訳はありません。

 山陰の「城の崎」へグループで行ったときです。今朝、揚がったばかりという松葉カニを食べました。まだ動いているカニの脚をもぎ、甲羅をはがして味噌に喰らいつきました。カニすきやカニ焼売もあったと思います。「カニほど美味いものはない」と、その時実感しました。冬の味覚の王者でしょう。

 松葉カニと越前カニは種類が違うのか、と思っていましたが、ただ、水揚げ場所が違うだけで同じなのを最近になって知りました。加能カニ、津居山カニ、タイザガニ、皆同じでした。

 さて、そのカニが食べたくなりました。キッカケはテレビの映像です。金沢の近江町市場の鮮魚売り場にカニの山が出来ていて、2〜3、000円から最高級の15,000円まで、人々が争って買っているではありませんか。初めての北陸新幹線で近江町市場へ行こうか、それとも、車を駈して日本海沿岸まで行ってみるか、と思うまでになりました。冷凍ものなら近所のスーパーで手に入ります。でも、それでは満足できないでしょう。

 しかし、しかしです。昨日冷凍ものを2、180円で買ってきてしまいました。自然解凍させてカニスキを作りました。合わせ具は、下仁田ネギとキリタンポです。まあまあ満足しましたが、どうやったら、生のズワイにあり付けるか、それが今冬の課題です。

 

2015年12月6日          「ノラや」          

 夏目漱石の門弟で内田百閒という随筆家がいました。百鬼園という屋号を持ち、なんともとぼけた文章を書くことで有名でした。何の用もないのに、ただ、汽車に乗り大阪まで行って帰ってくる、ただ、それだけのことなのに、その道中の赤裸々な描写が、どういうものか読み手を引きこんでやまない、そういう達人でした。今でいうエッセイストの草分けでした。

 ところで、現今は、少しでもモノを書く人間を「エッセイスト」という言葉で囃し立てていますがは、何やらオドロオドロしくて私は大嫌いです。小説家や作家は文章表現の技術を身に着け、一つの世界の表現をしていますが、いま、エッセイストと呼ばれるジャンルの物書きはその技術をほとんど持っていません。阿川佐和子や、吉行和子は作家の娘ですが世間は彼女らをエッセイストと呼んでいます。あたかも、ピアニスト、ギタリストのように、一つの世界の技術を極めたかのように。

 エッセイは技術ではありません。日記の延長と捉えていいでしょう。私も、日々、文章を書き飛ばしていますが、これは駄文であり、一種の遺言であり、退屈しのぎの行為であります。思ったこと、考えたことを記録しているに過ぎません。

 しかし、私は内田百間を立派なエッセイストと呼ぶことに異論はありません。作家、小説家と同じく、文章表現の技術を、エッセイという形式で彼は確立しています。

 その彼が1961年に「ノラや」という随筆集、今で言うエッセイ集を刊行しました。この年、私は朝日新聞社の社員になったのですが、早稲田の貧乏学生のころから高田馬場の古本屋で百罾の随筆集を買い集めていました。「ノラや」は貰った初任給を懐にして新刊本で買いました。

 百罾が飼っていたノラという名前の犬が失踪します。連日連夜、ノラを探し歩きます。それこそ不眠不休で、人目も構わず「ノラや、ノラや」と呼ばわって歩きます。犬を失った悲しみと喪失感がこの本のすべてでした。

 「ナンダコリャ」と若かった私は、この本を途中で投げ出してしまいました。地下の書棚のどこかに在る筈です。

 愛犬チュラが逝ってしまって3日経ちました。いま、内田百閒の気持ちが痛いほど分かります。たかが犬一匹のことで、一冊の本をものした百罾にならって、私も書いてみようかという気持ちです。そうすれば気持ちが晴れるのか、どうなのか。とりあえず、「ノラや」を書棚から探し出し読み返そうと思うのです。

 

2015年12月4日            悲しみ

 愛犬のチュラが10日ほど前から、ケージの中でうずくまるようになりました。元気がありません。餌をねだって吼えることもありません。両眼も白く濁り始め、撫でてやっても反応を示しません。そろそろ迫ってきたのかなあ、と暗い思いになりました。

 このまま逝かせてやろう、そう決めたものの、同居している三男が承知しません。「病院で診てもらってくれ、ダメだったら諦めるから」 とシツコク私に迫ります。それもそうだ、と練馬動物救急病院へ連れて行きました。

 X線、エコー、血液検査の結果説明を受けました。肝臓が大きく膨らみ、腫瘍の存在を確認しました。腎機能も悪く、クレアチニン数値が高く、白血球も異常に増加しています。残念ながら手術は出来ません、あと、2、3日です。と宣告されました。48、000円払いました。

 犬は我慢強い動物です。ジッと耐えています。そのいじらしい姿は飼い主にとって地獄の拷問です。「頑張ってくれよなあ」という励ましの問いかけも虚ろに響きます。

 一昨夜の午前3時に手を触れた時は、まだ、微かな呼吸をしていました。7時に起きた時は姿勢が替わっていました。横になっていました。そして、呼吸が止まっていました。13年弱の命でした。

 この上なくチュラを愛した連れ合いが残した、温かいセーターで遺体を包みお通夜をしました。祭壇を作り、ロウソクを灯し、水や、好物だったササミを茹でて供えました。

 そして今日、三男と共に哲学堂動物霊園へ行って荼毘に付しました。

 人の死も悲しいが、愛犬の死は脳内の別の個所を刺激するのか、云うに言われぬ悲しみの中にいます。

 

2015年12月3日          腕が落ちた

 ワルシャワへ行って、ショパンさんの、所謂、お墓に詣でてしまったら、興味の対象がシューベルトへ移りました。ソナタ集の最終曲OP21の、いわゆる彼の遺作にのめり込んでいます。IPADを寝床に持ち込んで、シフラやギーゼキングの演奏にうつつをぬかしています。ポリーニの演奏が際立っていました。全曲をさらってみよう、と勢い込んだものの、指が動きません。自分の情けなさに腹が立ちました。つい最近には、と言っても10年ほど前ですが、シューベルトの4曲の前奏曲を上げています。「冬の旅」全曲の伴奏もこなしました。その技術はどこへいってしまったのでしょうか?

 その原因の一つが、いつごろから現われたのか定かではありませんが、右手の人差し指に小さな麻痺が出てきたことです。それに、楽譜は読めているのに、指に伝わる速度が遅くなりました。ミスタッチが多くなりました。

 5月23日に麻布のコージーコーナーでやった、販売OBバンドの第2回演奏会を再び来年の2月20日にやることが決まっています。バンマスの大久保君から約12曲の楽譜が届けられています。第二回目のリハーサルは今月12日です。三回目が2月2日前後、そして本番に挑みます。

 衰えた力を回復するには、反復練習しかないと思い、いま、毎日ピアノに向かうのを日課にしています。それでも、ミスタッチが多いのです。独奏曲はショパンの「雨だれ」に決めているのですが、若い頃にはなかったミスを連発しています。

 つくづく自分が情けなくなりました。

 30年も前に、83歳のホロビッツの演奏会を聴きに行って、余りのミスの多さに驚き、「壊れた骨董品」と揶揄し、入場料36000円返せ、と「音楽の友」に掲載された私の原稿を今は悔いています。

 昔のようにいかなくても、せめて、ミスタッチを減らすにはどうしたらよいか、悩みに悩んでいるのが現状です。

 中学生の時、長野の信州大学の作曲コンクールにピアノ曲「幻想曲ヘ短調」で応募したら、第一位となり、NHK長野放送局から8分の曲を自演しました。ミスタッチは一つもありませんでした。私はあの日に帰りたい思いで一杯です。

 来年から、しばらく遠ざかっている「ヤマハ音楽教室」へ通う積りでいます。

 

2015年12月2日         目を向けさせなさい!

 静岡空港はいままで、ガラ空き状態でした。ところが、昨今は中国便で大混雑のようです。バスに乗って東京や関西に出かけます。爆買いした荷物を満載して中国へ戻って行きます。急激に膨らんだ中国都市部の新富裕層が、円安をいいことにして、買いまくっているのです。労働者の平均給与が8000円前後だった昔を思うと、考えられない飛躍ぶりです。「爆買い」は今年の流行語大賞になりました。

、一方、日本では貧困層が劇的に増加し始めました。4人に1人が65歳以上、という世界最初の高齢化社会日本は、年金受給者の割合が当然の如くに増え、働けない、或いは、働く場所にありつけない人々で充満し始めました。しかも、年金額は年々減少していきます。その上、アベノミックスのお蔭で物価は上昇気味です。

 高齢者なのに、新聞従業員をしながら認知症の妻を抱え、とうとう働けなくなり、娘さんの車に3人で乗り込み、利根川に車ごと入水した、という記事がありました。死ぬ寸前の娘さんを助け出し、なんと、娘さんを自殺幇助罪で、警察は逮捕しました。朝日新聞の従業員だったかもしれない、この親子三人について、私は気の毒で、気の毒で居たたまれないのです。自治体や国は何をしているのでしょうか。

 民主主義、資本主義は必然的に人間社会の貧富の差を拡大します。富める者は益々富み、貧しさにおいては際限がありません。社会は共同体であり、政治は貧しい者を救済するためにこそ、存在理由があります。

 共産主義、社会主義もそのためにありました。中国は共産党による一党独裁ですが、都市部と農村部とは分断されています。登小平が解禁した商業主義に上手く便乗出来た一部の「すばっしっこい」都市層の人民が、爆買いの恩恵に預かっていますが、農村部は相変わらず、貧困が支配しています。イスラムのテロは、中東の貧困層から、持てる者、つまり、ヨーロッパ社会、アメリカ社会への「恨み節の肉弾戦」なのです。

 安倍政権は日本のナケナシの金を世界にばら撒いています。ISと戦っている国への側面援助2000億、ウクライナ支援に2300億、一機350億のオスプレイ19機をアメリカから、そして今回のCOP21でも協力金を申しでました。それなのに政治は一家三人入水自殺を止められないのです。

 日本の借金は1000兆円を超えています。赤子から高齢者まで、国民一人当たり830万円の借金です。おまけに、日本年金機構はリスクの多い金融商品に手を出し、現在7兆円の損失を出しています。このせいで、年金を減額したら承知しませんぞ。

 益々増え続ける日本の貧困家庭、働きたくてもその機会を与えられない母子家庭、共同体から見放された独居老人所帯。

 霞が関よ、知性も教養もない長州のお坊ちゃんの、日本の金のばら撒きを止めさせなさい! お願いだから、日本の現在の貧困に目を向けさせなさい!

 

2015年12月1日        ノンちゃん雲に乗る

 私が小学生から中学生になる頃、「ノンちゃん雲に乗る」という映画がありました。石井桃子の童話が原作です。この映画が好きで、好きで堪りませんでした。映画そのものは単純で、他愛もないものでしたが、主演が鰐淵晴子でした。バイオリンニスト鰐淵賢舟と、確かスエーデン人女性とのあいの子でしたが、すこぶるつきの美少女です。脇役を固めたのが白髪の仙人役の徳川夢声、父親が「7人の侍」で好演した藤田進、母親役が原節子でした。名古屋彰もいましたかねえ。

 鰐淵晴子のブロマイドを忍ばせ、授業中秘かに見ていました。大学生になるまで鰐淵晴子の「追っかけ」でした。日本一の美女は? と問われれば、「鰐淵晴子」と答えていました。ところが、彼女は時と共に銀幕から消えてゆきます。替わりに大活躍を始めたのが原節子です。笠智衆などと共演した「東京物語」は歴史に残る名作です。演技力もさることながら、彼女の美貌は何人といえども犯しがたい気品を漂わせ始めました。

 アルバイトで貯めた僅かなお金で、彼女が出演する映画を片端から見まくりました。追っかけは、鰐淵晴子から原節子に替わったのです。数々の名場面が今も脳裏に浮かべることが出来るのですが、私にとっての最高のシーンは「ノンちゃん」の時の原節子演ずる母親役の時のワンシーンです。飼い犬のポチに餌をやる一瞬です。「ポチにはこれよ」と言いながら、膝を屈め、愛しそうに飼い犬を見つめます。

 「ローマの休日」の最後の場面、記者会見場に臨むヘップバーンの気品溢れる歩く姿も大好きですが、それ以上に、頭の中にいつもチラつくのが原節子の「ポチにはこれよ」なのです。

 不可解だったのは、42歳を境にして全くと言えるほど、姿を消してしまったことです。そして、50年後、彼女が2か月も前の9月に亡くなっていたことが報ぜられました。鎌倉で一人住まいをし、時として買い物にも現れたようですが、あらゆることから自分を隠し通しました。その徹底ぶりは、正に、見事でした。隠れた男性がいたのか、いなかったのか、暮らしぶりはどうだったのか、いずれは明らかになってくるでしょうが、私は彼女をエライと思います。出来得れば、彼女が隠し果せた部分については、決して明るみにだすことなく、ベールに包まれたままであって欲しい、と思います。

 オードリイ・ヘップバーンもある時から身を隠しました。スイスのジュネーブ郊外の農家に居を移し、普通の小母さんになりました。気取らない姿でチーズを買い、好物のチョコレート菓子を求めました。誰とでも気軽に挨拶を交わし、村人から愛されました。彼女のお葬式には村人1000人が集まり別れを惜しみました。

 天下の美女の生涯は、こうありたいものです。 

 

2015年11月30日         加速する右傾化

 このところ、日本国全体が急速に右傾化し始めました。武道館で「日本会議」が行われました。言論統制が始まりました。その勢いは新聞・テレビ・雑誌・ネットにまで及び始めました。良識ある発言で定評のある毎日新聞の編集委員で、TBSのサンデーモーニングの常連である岸井成挌(ただかず)氏に対する個人攻撃まで公にされ始めました。「憲法を改正し、神国日本に立ち戻れ」と防衛庁に押し入り、割腹自殺を遂げた三島由紀夫、森田必勝がもてはやされ始めました。忌まわしい現状となりました。

 岸井さんは私が尊敬してやまない言論人の一人です。慶応普通部から慶応大学に入り毎日新聞の主筆まで勤め、類まれな情報網を持ち、的確な発言を繰り返す優れた人です。父親は衆議院議員です。こういう人にこそ日本国のリーダーになってもらいたい、と私は常々思っています。大好きな人です。朝日の担当員仲間の一人が、岸井さんを囲むサークルに所属していて、「君も入れば」と言ってくれるのですが、今のところ気後れしています。

 彼には佐高信との共著もあります。左翼的思考の強い彼とは慶応で同級生でした。アマゾンで取り寄せて、読んでみる積りです。

 最近の日本の右傾化を憂慮する声明文が出されました。村山富市、河野洋平、そして朝日の論説主幹であった若宮啓文さんらが名を連ねています。きっかけは韓国の大学教授が出版した慰安婦問題を含む書籍を、韓国検察が弾圧したことに始まりす。慰安婦は必ずしも強制連行の結果ではない、自主的部分もあったとその本は調査結果を報告しています。国策に合わない言論を、司法の力で抑え込もうというのは韓国の常套手段ですが、日本も同じになってきた、と声明文は警告を発しています。

 日本人のみならず、人間は好戦的生物です。戦国時代の昔から、主義、信条を巡って殺し合いがありました。各国の歴史は、いずれも血生臭いものです。その最大のものが、日本が捲起こした太平洋戦争でしょう。どれだけの迷惑を東南アジアの国々に与えてきたことか! その元凶は日本の至る所に組織された大政翼賛会でした。

 「贅沢は敵だ」、「欲しがりません、勝つまでは」、と肥大した軍部は国民を戦争へと巻き込んできました。少しの疑問でも唱えようものなら、「非国民である」とのレッテルを押され収監され処罰されました。

 この度開催された日本会議は、この傾向を内蔵している、と私は断言して憚りません。言論弾圧から日本国は狂い始めたのです。歴史は繰り返され始めたのです。

 

2015年11月29日            読 み

 囲碁の世界では「読み」の正確さが勝負を決めます。どこまで先の展開が読めるかが大切なのです。相手に勝る「読み」がなければ、勝つことが出来ません。行き当たりばったりでは、負かされるのがオチです。今日のNHK囲碁は、張羽さんと村川大輔君の対戦でした。村川君が圧倒的優勢でしたが、その後の読みに欠落があり、張羽さんの放った妙手により、村川君は勝碁を失いました。普通、プロ棋士同志の対局では7~80手ぐらい先まで読まねばなりません。私の場合はせいぜい7~8手です。

 領空を侵犯されたトルコが、ロシア戦闘機2機を撃墜しました。国際法では、警告を発し、それに応じなければいかなる対策をとってもよろしい、決められています。なぜなら、主権が侵されるからです。決断したのはトルコのエルドアン首相です。ロシア戦闘機のパイロットは「警告はなかった」 と主張しています。水掛け論です。怒ったロシアの国民は「人殺し」と言って、モスクワのトルコ大使館を囲んでいます。

 ロシアが空爆を始めたシリアに国境を接しているのが、トルコです。狭い区域です。高速のロシアの戦闘機が勢い余って、一瞬、トルコの領空を掠めたからといって、何で責められましょうか。

 国際法に則っているとはいえ、これを囲碁に例えれば、読み違いだと私は思います。ほんの数分であり、実害は全くなのですから、警告を発するだけにしておけば良かったじゃないですか。度重なった場合にのみ強硬手段に出ればいいじゃないですか。

 果たしてロシアはトルコ人の入国規制し、経済制裁を始めました。トルコ側にそこまでの読みがあったでしょうか。敵の味方は敵であることをハッキリさせてしまいました。トルコ側の読み不足です。一方、アサド政権の支持に回ったロシア側に、こういうことが起きる、という読みがあったでしょうか。

 国と国との関係は、囲碁の対戦と全く同じに見えます。深い読みを入れた方が勝ち組になります。サイバー攻撃はそのためにあるようなものです。相手の手の内が秘密裡に読み取れるからです。

 しかし、内情は、実は単純ではなく、トルコが応援する反アサドの組織までをも、ロシアが空爆の対象にしていることに端を発しています。アサド政権を支持するように舵を切ったロシアは、確かに、トルコの敵になったのは間違いありません。

 私が不可解なのは、何故、ロシアがアサド政権に肩入れするか、です。自国民に対して化学兵器を使い、大量の難民を発生させてまで、頑なに政権に居座り続けるアサド政権です。そのアサドを支持し始めたロシアの姿勢は、果たして正しい読みの結果であるのか、という疑問です。

 日本も、ここは慎重な読みを入れねばなりません。知性も教養も洞察力も持たない安倍政権にそれができるでしょうか。決して、当事者に加担してはならないでしょう。西側の空爆同盟から降りたカナダのように、高見の見物を決め込むのが最良策というものです。何故なら、この紛争は、やがて世界を揺るがす一大宗教戦争になるからです。日本はキリスト教でもイスラム教でもなく、無宗教の国なのですから。

 それにしても、この紛争の火種を作ったアメリカが、世界の警察であることを放棄し、高見の見物をきめこみ始めたのは、無責任の極みです。

 

2015年11月28日         アラブ首長国連邦

 アメリカによって、パンドラの函が開いてしまった中東は、いまや混乱の坩堝となっています。若い頃から中東へは一度は行ってみたい、という夢を持っている私にとって、現在の血なまぐさい状況は、誠に迷惑です。本当はイラクのバグダットへ行って、チグリス、ユーフラテス河の流域に栄えた古代文明に接し、シリアからイスラエルへ入り、イエスキリストの痕跡をたどり、「さあ、お前はキリスト者になるか、それとも、現状のままで死を迎えるのか」 を自分に問いたいと思っているのです。

 いまや、その夢は不可能になりました。バグダットもシリアも、こういう単純な旅行者など、受け入れてくれません。

 でも、イスラエルだけは公認されたクリスチャンの団体であれば、入国可能とのこと。来年後半までには然るべき団体に入れてもらい、望みを果たそう、と秘かに思っています。もう一つの願いは、イスラムの世界の只中に自分を置いてみたい、という欲求です。ミナレットというイスラム寺院を、直接、見たいのです。白衣を纏い、ターバン姿のイスラムの街中を歩きたいのです。そして、予てから憧れている、アラビアンナイト時代からの交易品「乳香」なるものを手に入れ、その香りを堪能してみたいのです。

 そこで考えたのが、アラブ首長国連邦の一大都市ドバイです。ドバイはアラビア半島の突端にあり、世界中の観光者で溢れかえっているようです。サウジアラビアのメッカやメジナは、異教徒は入れませんがここは大丈夫です。治安にも問題はないようです。そうときめたらドバイについて知らねばなりません。「地球の歩き方・アラビア半島編」をアマゾンから取り寄せました。ドバイの通貨1デナールが日本円の28円97銭なのを知りました。アルコール類は市内で外国人は買うことが出来ません。持ちこむ以外に手はなさそうです。スークという市場では、オマーン産の高級乳香フランキンセンスを買うことができそうです。暑い国で、夏は50度を超える日もあるようですが、冬ならば日本の秋と一緒です。ホテルも選り取り見取りです。

 1月実行!と決めつつあります。まず、今回仕入れたヤマハキーボードを手荷物にして、チエンマイに向かいます。これは優れもので30曲以上のアニメソングが内蔵されています。ドラえもんやキン肉マンの歌も入っています。普通のキーボードだったら、操作が分らず、宝の持ち腐れになるでしょうが、これは違います。

 Hさん、Sさんと一緒に、チェンマイから片道4時間かかるパイという村の少数民族カレン族の学校に向かいます。一年前に訪問し、ピアノかキーボードを寄付する、と大見得を切ってしまった学校です。その時、校長先生や先生方とお昼を御馳走になり、ドラえもんと顔立ちがソックリの先生と親しくなりました。しずかちゃんもいました。

 一年振りに約束を果たしに行くのです。9月に持って行った25キロを超す同じくヤマハのキーボードは、今回、同じく少数民族の学校の女子寮へ寄付します。本来、この寮には、アプライトのピアノを寄付する積りで、既に仕入れが終わって、家にあるのですが、送料がベラボウです。引っ越しのサカイで見積もってもらったら99万円、日通でも55万円です。4万円で譲り受け、7万円の送料を払って、いま、家の倉庫に眠っているカワイのアプライトにそんな大金はかけられません。現地で購入し寄付した方が、よっぽど安くつきます。何とかして安い送料を見つけ出し、初志を貫徹しなければならないのです。

 今日、ネットの「ジモテイ」を見ていたら、ヤマハのキーボードの掘り出しものを見つけました。交渉を始めました。日本では鍵盤楽器は邪魔者扱いです。ところが、タイの奥地では宝物です。こうなったら何台でも仕入れて持って行ってやろう、と思います。半ばヤケクソです。

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