最近のエッセイ(71)

2021年8月27日               厚い壁

 コロナに感染し、呼吸困難になっていても、入院できずに自宅待機を強いられている患者が続出しています。一方、国立病院、自治体が運営する病院のベットはまだまだ、がら空きの状態です。なぜ、余力があるのに大病院ともあろうものが、コロナ患者を受け入れたがらないのか? それは「コロナ患者は厄介」だからです。人工呼吸器や、専用の設備投資をしなければならず、それが厄介だからです。新たな人員確保が出来ないからです。既存の医師や、看護婦がコロナ専属になるのを嫌がるからです。中には奇特な病院もあります。埼玉県ふじみ野市にある私立病院です。私が尿管結石で電波による破砕を受けて、命拾いをした病院です。この病院は院長の英断により、全部のベッドをコロナ患者用にしました。

 やれば出来るのに、既に、非常事態になっているのに、国立病院や大病院は動こうとはしません。業を煮やした厚生省は、指に挟んで酸素取り入れ量が82以下になったら入院先を探す。それ以上の場合は自宅待機、としました。これこそ、場当たり主義の際たるものでしょう。

 私は思います。政府は命令を発するべき時が今である、と。コロナ患者を申し訳の様にしか受け入れていない大病院に対し、温存しているベッドの80%をコロナ患者用に振り向け、更に、医師、看護師、ICU設備などもコロナ患者用に編成しなおすべき、ではないかと。政治は何のためにあるのですか、国民の内2万人以上が病院に入れず、治療も受けられない状態で自宅に留め置かれるなんて、政治の無力以外の何物でもありません。政府が頑迷な医学会に命令を発するのは今です。医学団体にグダグダ言わせず、感染者を即、入院させてこその日本国です。菅内閣の無力を嘆きます。

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            イムス埼玉富士見野病院

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      この埼玉ふじみ野市の「イムス病院」は僅かな

      部分だけを残し、ほとんどすべてををコロナ

      患者用にしています。立派な院長です。

 

2021年8月26日        この上ない快挙

 今、行われているパラリンピックの水泳の100メートル背泳ぎで、14歳の女子中学生山田美幸さんが銀メダルを獲得しました。彼女は新潟県阿賀野市に住んでいて生まれつき両腕・両手がありません。しかも、片方の足も不自由のようです。その生まれつきの体で、猛練習を重ね、身体と足の力だけで100メートルを泳ぎ切り、メダルに輝いたのです。今朝の一面に、手がないから足でメダルを掴み、首でブーケを受け止め、新潟県人らしい控えめな微笑を浮かべる写真が掲載されました。

 それを見たとき、感激で胸が熱くなり、うれし涙が溢れてきました。我々の世代は知っているのです。このことは既に風化され、新潟の歴史の片隅に追いやられていますが、我々年配者は知っています。特に私は新潟県を仕事で担当しましたから、昔、大問題になった阿賀野川流域の公害についても勉強を余儀なくされてました。

 熊本の窒素公害同様、昭和電工の阿賀野川汚染処理水放出は、当時大問題でした。恐らく、この裏には、ご両親のどちらかが汚染されたため、染色体に異常を来たし、その結果、山田美幸ちゃんが障碍者として生まれざるを得なかった、という事実が隠されているに違いありません。だからこそ、喜びが一塩なのです。公害による逆境を跳ね返した山田一家も偉いが、新潟下越の皆さんの喜びは如何ばかりか、日本中を挙げてお祝いした気持ちです。14歳の山田美幸ちゃんに幸あれ! 

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2021年8月25日        勇気ある決断

 今朝の報道によれば、北九州の指定暴力団「工藤会」のトップ・野村悟とナムバー2の田上不美夫が福岡地裁でそれぞれ死刑、無期懲役が言い渡されたそうです。画期的な判決でありましよう。それだけ、この工藤会は北九州、それも小倉を根城にして「悪さ」を働いていたからです

 小倉の西部本社の業務局長として赴任する際、先輩から小倉の夜には十分気を付けるように、と何よりも先に申し送りを受けました。幸い、1年8か月の小倉時代は平穏無事に過ごしましたが、その夜、局長は誰と、どこで飲んでいたかまで、翌朝には筒抜けになっているのには、驚きと共に閉口しました。美人秘書の松原さんに問いただしても、「何しろ狭い街ですから」とニヤニヤするばかり。その時、これは何かあるなと悟り、以後、女性のいる巷には極力近づかないようにしました。

 指定暴力団工藤会の事務所は、私の住むマンションの近くにあって、それは白いごく普通のビルでしたが、それらしいオア兄さんや、高級車が出入りしていました。暴力団の収入のほとんどは、飲食店からの「ミカジメ料」で、収入の少ない飲食業者さんたちは苦労しているようでした。兎に角、指定暴力団のトップが死刑の宣告を受けるのは、歴史的にみても、今回が初めてではないでしょうか。福岡地裁の裁判官たちの勇気と決断には国を挙げて敬意を表さねばなりません。

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                       北九州夜の小倉駅

2021年8月24日               横浜大好き

 振り返ってみるまでもなく、昔から随分横浜には足を運びました。今でこそ、私の住む練馬・中村橋から乗ると、乗り換えなしで横浜・中華街についてしまうほど便利になっているのですが、昔は渋谷まで出て東急電鉄で終点の桜木町で降り、バスかタクシーで山下公園へ行って、中華街で食事をして元町を歩き、港が見える丘公園へ登って横浜港の船の出入りを眺め、外人墓地を下って、名代の店でパンを買って帰るのが常でした。中華街では「シャテンキ」というおかゆの店を贔屓にしていました。朝日入社同期の八人組の一人君島士郎君が横浜国大生の頃、家庭教師をした女性がその店の女将になっていたからです。元町に向う道の左側の小さな店も見逃しませんでした。極上の自家製スープの五目ソバは絶品でした。

 ある時、フェーリス女学院に続く上の道を歩いていたら、小さな歴史博物館を見つけたので入ってみました。そして驚きました。昔、この周辺の土地を支配していたのは「中沢」という豪族であったことを知りました。中沢という姓は長野県ではよく見かけはするものの、そう滅多にありません。江戸時代初期から中沢を名乗る侍たちがこの土地に住み着いていたことを、改めて知ったのです。道理で私中沢が横浜に惹かれるわけです。先祖が私を呼んでいるのでしょう、きっと。

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2021年8月23日          おめでとう!

 昨日、投開票された横浜市長選は、今後の政局に重大な影響を及ぼしかねない与党の惨敗となりました。横浜は菅現総理の地元中の地元です。自民党推薦の小此木八郎は15万票の差を付けられて、政治は素人で横浜市立大の教授に惨敗したのです。嬉しいことに彼も早稲田です。もとより、現市長の林文子も185、960票で第三位でした。元、長野県知事だった田中康夫は178,416票で第四位。この人の場合は長野県政に差したら功績もなく、しかも、その後「これ」という言論活動もしていなかったのだから当然の結果でしょう。

 選挙の争点は「横浜にカジノを誘致」するかどうかでありました。「ラスベガスのカジノを横浜へ」というアメリカからの強い要請は数年前から続いています。山下公園の付近に強大な歓楽街を造ることは、税収の面から言っても横浜市に絶大な恩恵を与えることは目に見えていました。それを横浜市民は見事に跳ね返したのです。「俺の目の黒いうちは、横浜にカジノなど作らせない」と豪語していた「浜のドン」の存在も大きく影響したのでしょう。兎に角、横浜は今のままの横浜に落ち着きました。投票率も見逃せません。林文子の時は37,21%だったのに今回は49,05%に跳ね上がりました。今回の選挙結果はこの先に必ず行われる国政選挙への影響は甚大になるでしょう。面白くなってきました。まずは、横浜の良識ある皆さん、おめでとう!

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2021年8月22日         甲子園

 今年の高校球児たちは可哀想です。いつもなら大観衆の視線を浴びながら甲子園でプレーするのに、今年は、僅かな関係者と家族だけが見守る中での熱戦だからです。それでも、球児たちは喜びに溢れた熱戦を展開しています。恒例なら、今日あたりが決勝戦となるのですが、雨天に祟られ、延び延びになっています。夏の高校野球は朝日新聞にとって一大行事です。宣伝部も、地方担当員も販売店も大忙しになります。県営球場の数あるポールに朝日の旗をはためかせるのも、紙旗を要所、要所に張りめぐらすのも販売店の仕事です。担当員は支局長と一緒に開会式に出席します。優勝、または、準優勝ともなれば、さあ大変、パレードの準備です。

 福島の磐城高校が準優勝を遂げたことがありました。当時、福島を担当していたのは私でした。常磐線の福島の入り口「勿来」から、「平」の磐城高校までオープンカー5台によるパレードが行なわれました。国道6号線は片側通行に規制されました。沿道は物凄い人の波です。従業員は紙旗を配りに配ります。沿道の人出は10万人を超えたといわれています。北関東を次長で担当していた時は、木内監督率いる茨城の常総学院が優勝しました。取手二高も確か優勝か準優勝をしました。この時も総出でパレードを準備しました。余りにお祭り騒ぎが過ぎたためか、高野連から自粛要請が出たほどです。小倉へ赴任していた時は佐賀北商業の優勝です。この時は大雨でしたが、パレードの車に乗せられて博多駅から佐賀まで行きました。

 しかし、私が甲子園へ行ったのは僅か二度だけです。一度目は販売店を引率しての団体で、二度目は亡妻を連れての単独でした。阪神電鉄の甲子園で降りると駅前から球場まで土産物屋が並んでいます。その先にツタの絡まった球場の城壁が聳えています。カチワリ氷を頬張りながら、大観衆の大歓声の中に身を置く経験は決して忘れることが出来ません。実は、この春、武蔵野美大(ムサビ)を卒業し、京都の会社にデザイナーとして就職している孫娘に逢いながら、人生最後の甲子園行きを決行しよう、と目論んでいたのですが、コロナのお陰で持ち越しとなりました。来年になるか、又は再来年か、はたまたその先になるのか、三度目の甲子園行を果たすまでは、生き延びなければ、と秘かに決意しています。 

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2021年8月21日         からくり

 古代ローマ帝国が繁栄を謳歌したその裏には、「すべての道はローマに通ず」という理念がありました。莫大なお金をかけて道を作り上げました。その結果、世界の富はローマに流れ、その富の取り合いで、ローマは西ローマ帝国と東ローマ帝国に分断され自滅の道をたどるのですが、同じことを、いま、中国がやり始めています。習近平が提唱した「一帯一路」構想です。

 まず、アフリカや中東の低開発国にインフラ整備を持ち掛けます。「港や飛行場、工業団地など貴国にとって必要な設備を作って差し上げます。お金は中国が負担します。返済は長期にわたって返してくだされば結構です。」 願ってもない申し出でに低開発国はそれを受託します。例えば、港を造る工事が始まったとします。鉄鋼は中国から運ばれます。労働者も中国から来ます。末端の労働者以外、すべて、中国人が仕切ります。従って、その国には金が落ちません。その内、工事の最中に水が出た、土砂崩壊があった、などなど工事費は膨らみ続けます。すべて、その国が中国に返済しなければなりません。金利は年6,4%の高金利です。当然、低開発国はその負担に耐えられません。やがて、その場所に中国国旗がはためきます。反対勢力を除去するために中国共産党の軍隊が駐留し始めます。いやしくもその国の了解なしに他国の軍隊が駐留していいものでしょうか? そして、その国に返済能力が無いことを見極めるや、中国は向こう100年間の港湾使用を承認させます。100年間港を使い、100年経ったら返してやる、というのです。

 中国共産党の甘言にのり、一帯一路を受け入れた国は、下記のとおりですが世界197カ国のうち100カ国以上が「俺も入れてくれ」と申し出ています。そして今更ながら、その巧妙なからくりに気付いたようですが、時すでに遅しの感があります。かてて加えて、中国に発したコロナ禍は低開発国にも蔓延し始めています。中国嫌悪の流れが怒涛の広がりを見せ始めているのも、むべなるかなでありましょう。

           一帯一路参加国

アルジェリア、アンゴラ、ウガンダ、エジプト、エチオピア

ガーナ、カーボベルデ、ガボン、カメルーン、ガンビア、ギニア

などアフリカ36国。中南米コスタリカ、パナマ、エルサルバドル

アジアでは、アフガニスタン、インドネシア、韓国など25カ国

中東ではイラク、イラン、オマーン、レバノン、カタール、

サウジアラビア、クエートなど9カ国 ヨーロッパ27カ国など

2021年8月20日        8月26日

 いよいよ8月26日が、あと、一週間後に迫ってきました。なぜ、この日が注目されているか、と言えば、世界的な禍になっているコロナのの発生源が特定され、確定されるからです。コロナの発生については、今まで、様々な憶測が飛び交い、どれが真実なのか特定することが出来ないでいました。中国武漢がその発生地であることは動かしえない厳然たる事実なのですが、蝙蝠による偶発的な自然発生だったのか、中国共産党による生物化学兵器が人為的ミスにより漏洩し、世界的規模で拡散したのか、意見が分かれていました。加えて、そこにアメリカの科学者が噛んでいたのか、どうなのか、これも議論が分かれていました。一方、原因調査に乗り込んだ世界機構のWHOは、中国共産党の巧みな誘導により、また、事務局長テドロスの国が中国から多大の恩恵を受けていることから、結論を曖昧にしたまま引き上げていることも疑惑に輪をかけて、世界は一層混乱しました。

 8月26日はアメリカを始め、主要国の諜報機関が、事の経緯を詳らかにしながら、一切の外部的介入を拒否し、コトの真実を詳細に追求し、何が真実であったかを、世界に発表する日なのです。つまり、この日に発表される真実が、今後どうあれ、世界の公式見解となるのです。もし、武漢生物化学兵器研究所の取り扱いミスによって引き起こされたものであったとしたら、莫大な賠償金請求が中国に向けて発せられるでしょう。それを恐れる中国共産党は、あらゆる手を使って、その流れを阻止しようと懸命のようです。当然ながら、主要国の諜報機関の中には、中国共産党の手先が潜り込んでいます。8月26日、どうなるか? どんな結論になるのか?あと、一週間後です。  

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 中国武漢・生物化学兵器研究所

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2021年8月19日                  ズーム

 タイ・チェンマイの、日本語キリスト教会を率いる長谷部愛実牧師からメールが届きました。恒例の夏の研修会をズームで行う、良かったらご参加下さい、というものでした。世間を見渡せば、テレビ出演者も、大学の授業も、ほとんどズーム参加になっています。コロナ感染が止まることを知らない今日、直接、お会いするのではなく、画面を通し、互いに顔を突き合わせながら意志の疎通を図る、それがズームの良さだ、とは知ってはいても、こちとら、スカイプはやったことはあっても、ズームは全くチンプンカンプンでした。早速、PCデポからの遠隔操作でズームをインストールしてもらいました。私の大型画面のパソコンの上部にカメラがあるのを見つけ出し、送られてきた暗号を入れて起動させました。懐かしい会員の皆さんのお顔が写りだしました。新しく借りた教会堂の全貌も映し出されました。今までの会堂は中国人教会から月額6000バーツで借りていましたが、三階にあったため、年々増える高齢者には階段の上り下りが大きな負担になっていました。画面越しに新会堂を見ると、一階にあり、前面は見事な芝生です。私も使ったことがあるアプライトのピアノも、程よく収まっていました。ただ、残念だったのは、新会員の顔ぶれが少なかったことでしょうか。これは無理もありません。当時、3000人ほどチェンマイにいた日本人は500人近くまで減少し、しかも、この一年半余り、コロナのお陰でタイ国への入国が出来なくなっているからです。早くその時が来て、この会堂が日本人の信徒で賑わって欲しいものだ、と願わずにはおられませんでした。

 研修会の講師に呼ばれていた長野県の女性牧師さんのお話を聴いている時です。画面が突然消えました。接続できません、との表示です。改めて最初からやり直しました。ところが2分もすると、また、消えました。なぜ、そうなるのか、サッパリです。とうとう投げ出してしまいました。お陰で、チャットに加わることが出来ず仕舞いになりました。しかし、懐かしい方々のお姿を垣間見ることができ、成程、ズームとは便利なものだ、と改めて知ることができました。

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2021年8月18日     残置諜者・小野田寛郎少尉

 日本の敗戦も知らず、フィリピンのルパング島から敗戦後29年経ってから帰国した小野田さんの最敬礼姿を見た日本国民は、熱狂の嵐に包まれました。陸軍諜報機関・中野学校で育った彼は、最後の一人になっても、決して死んではならぬ、国のために戦え、と教えられていたからでありました。ルパング島はマニラ港に接する孤島です。船の出入りが一目瞭然でした。報告する手段のないまま、彼は木の幹に刃物で書き込んでいた、といいます。

 この小野田さんにいたく興味を示した朝日新聞の同僚がいました。前河北新報社長一力一夫さんの弟、関連事業担当役員・一力英夫さんです。町枝さんとの結婚にも力添えを惜しまず、築地に小野田さんの事務所を構えさせました。その上、福島県棚倉町に小学生相手の「小野田自然塾」を開校させました。当時、私は宣伝部長で、一力さんは販売局の二年先輩でもありましたから、逆らうわけにもいかず、使い走りをさせられました。小野田夫妻と何度も食事をご一緒しました。温厚で、いつも笑顔を絶やさず、言葉を選びながら静かに話をされる小野田さんには感動を覚えることしきりでした。反対に町枝夫人は、おしゃべりで、がらっぱちで、余り好感が持てませんでしたが、小野田さんの人柄には惚れていたのではないでしょうか。

 しばらくして小野田さんは、日本の喧騒にウンザリしたのでしょう、実兄のいるブラジルへ移住し、牛1800頭の牧場主になりました。奥さんも一緒に行ってしまいました。そして2014年、91歳でかの地で没しました。

 もう一人日本軍人でジャングルで生き延びた帰還兵士に横井さんがいます。一力さんは二人を何度か引き合わせようとしましたが、それはなりませんでした。それは横井さんが実際に語った中で、「天皇陛下から賜った銃剣で穴を掘った」という噂が小野田さんの耳に入っていたからのようでした。

 日本軍人の諜報機関であった中野学校は、既に跡形もありません。もし小野田さんが生きていれば今年で99歳、白寿を迎えていたでありましょう。

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2021年8月17日     九州男児「カカムラト」

 中東のアフガニスタンが、とうとう、タリバーンの手に落ちました。ガニ大統領は国外に逃げました。アメリカが「世界の警察をヤメル」と宣言し、兵力を引き上げ始めた時から、このことは予想されていました。残念だったのは、日本人としてアフガニスタンのために尽くしに尽くした中村哲さんが、タリバーンの銃弾によって斃されてしまったことです。この方ほどアフガニスタンのため粉骨砕身した人間は、恐らく、これまでも居なかったし、これからも出ないでしょう。惜しみて余りある九州男児でした。特筆すべきは、泥水を飲んでいた国民に井戸の掘り方を教え、清潔な水を供給し、湧き出る水を使いながら灌漑の技術を駆使して、農作物を豊かに実らせ、アフガニスタンに幸せをもたらしたことです。その上、彼は九州大学の医学部を出た脳外科医でもありました。ペシャワール会という組織を作り、子供から大人まで低価格で受診できる医療制度まで作り上げました。

 チョビ髭を生やした中村さんはアフガニスタンの人々から「カカムラト」と呼ばれ慈父の様に慕われていました。彼は北九州の古賀の出身です。私自身、小倉に赴任して分かったのですが、炭鉱や、漁港が多いことから北九州には、いわゆる筋の通らないことを嫌う、直情径行型の荒クレ者が大勢いました。貧しい者のためならすべてを捨て、身を粉にして尽くすという姿勢は九州男児そのものでした。

 誠に、惜しい人物をタリバーンは殺害したものです。一方、首都カブールを制圧したタリバーンは戦闘能力では勝っていたとはいえ、国を治める能力は果たして持ち合わせているのでしょうか。アフガニスタンの国民を幸せに導くことが出来るのでしょうか? 私は「できない」と踏んでいます。なぜなら、国民から等しく尊敬されていた「カカムラト」に銃弾を浴びせるなど、善悪の区別も定かでないテロ集団に一国を治める力などない、と思うからです。中村哲さんのご冥福を心から祈るや切です。

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 中村ドクターが指揮して作った灌漑

 

2021年8月16日        軍 票

 第二次世界大戦の末期、強烈な印象で残っているのは学徒出陣の光景です。冷たい雨が降りしきる中、神宮球場で、学生服の学生たちが鉄砲を担ぎ、軍靴を高鳴らしながら悲愴な面持ちで行進を繰り返していました。兵隊を戦地に送り出す以上、食糧や、日用品などの補給をすべきところ、日本国はそれをしませんでした。それらは現地で調達しろ、というのが日本軍の掟でした。そのため、軍隊は食糧の自給自足が強いられたのです。「大日本帝国軍事貨幣」がそれぞれの軍隊に持たされました。香港を始めニューギニア、ラバウルなど現地の人は「本当にこの貨幣は通用するのか」、半ば訝りながらも、この紙幣による支払いを拒絶することはできませんでした。軍隊がこの紙幣を使い切ったらどうなるか? 既に日本の敗色は濃厚になっていて補給路は完全に断たれています。兵士たちは住民を襲って食料を強奪するか、密林に隠れ住んでカエルや蛇を捕まえて食べる以外にありません。栄養失調のため学徒出陣を強いられた優秀な学生たちは、次々に死んでいきました。中には密林に一人隠れ住み、敗戦になったことも知らず、数年たって帰還した小野田少尉の例もありました。

 一方、東京は3月と5月22日に アメリカのB29爆撃機の大編隊による空襲を受けて焼け野原になり、20万人とも30万人ともいわれる人が焼け死にました。家と肉親を失った子供たちは行き場がなく、上野の地下道に住み着きました。そのかず数百人とも数千人とも。

 ところで、軍隊が現地で発行した「大日本帝国軍票」は戦後、現地通貨に兌換して住民にきちんと支払われたでしょうか。戦後70年を経過しているにも関わらず、未だにくすぶり続けている、と仄聞します。軍票の偽物が現われたことも原因の一つでしょうが、大半は、現地の人が「紙くず同然」として破棄してしまってもいます。

 思えば、日本の「大日本帝国主義」は近隣諸国にどれだけの迷惑をかけたことか、また、有能な若き多数の人材を死に至らしめたことか、計り知れません。だから日本は、いまミャンマーで起きているミンアウンフラインの軍事政権を笑えないのです。中国の共産党一党独裁による覇権主義を、云々する資格は無いのです。歴史は繰り返されるのが歴史です。世界歴史を俯瞰するまでもなく、戦争のなかった時代は地球が始まって以来、一度たりとも無いのです。

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2021年8月15日       ラムダ株の出現

 変異種のデルタ株が猛威を振るい始めた、と思っていたら、次はラムダ株という変異種が出現しました。この二つの変異種には従来のワクチンでは効果が見られない、と専らの噂ですから、いよいよ断末魔の様相を呈してきました。首都圏、関西圏の感染者数は日を追うごとにその数を更新しています。都内の病院は、感染者を収容しきれず、自宅療養を余儀なくされる患者は、一万人を超えるまでになりました。自宅待機となれば、家族に感染するのは、これは必須です。

 大昔、ペストが世界的に流行し、3000万人以上が感染死亡しましたが、一人が感染すると家族全員が感染死亡するのと同じ理屈です。幸い、医療崩壊は大都市だけに見られる現象で、地方医療にはまだまだ余力があるのが救いですが、秋田県の病院が東京の患者を喜んで受け入れるとは考えられません。地域の壁が厳然と存在しているからです。

 例えば、私が感染した、とします。東京では入院できませんから、長野のホテルに滞在します。そこで、救急車を呼んだら長野日赤で治療を受けられるでしょうか?よそ者はダメと拒否されるのでしょうか。この先、病院によっては患者は地元民に限ると制限することも起こり得るように思えてなりません。

 東京の感染は確実に増えていく以上、何らかの対策を講じたいのですが、タイ・チェンマイへ行きたくても、既に長期間にわたって入国禁止です。沖縄列島も、今やテンヤワンヤの有様です。すると、一番安全なのは、人に接せず、最小限の買い物だけにして、終日自宅に籠っていること以外にないのかもしれません。ヤレヤレです。本当にヤレヤレです。

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       2021年8月14日        悪天候

 この数日間、雨は断続的に降り続き、気温は下がり、まるで、秋が始まったような毎日です。日本各地、気温が40℃になったり、20℃に下がったり乱高下を繰り返しています。これは何も、日本だけの現象かと思えばさにあらず、世界各地が同じような気温変化と降雨に苦しんでいます。殊に、大雨による河川の氾濫で苦しんでいるのは中国大陸のようです。驚いたことに、中国奥地のタクラマカン砂漠に大雨が降り続き、洪水が発生したそうではありませんか。その上、揚子江、黄河の源流を制御するために上流の各地のダムは決壊し、周辺の都市は車が流され、人家の一階部分が浸水し、大規模な田畑は今もって水没しています。共産党はその被害状況を隠蔽し続けていますが、ユーチューブにはその凄まじさが余すところなく伝えられています。この8月、共産党を牛耳ったかつての指導者たちの集まりがあり、「すべて、習近平のせいだ、習近平辞めろ!」の大合唱が起きています。

 確かに、彼が提唱した「一帯一路」は開発途上国のインフラ整備に貢献した感がありましたが、金利は高く、それが払えず、結局、中国に乗っ取られる事例が世界の各地で発生しています。加えて、中国が発生源とみられる生物兵器としてのコロナの世界的蔓延です。トランプに替わったバイデン政権は、意外にも中国に対して強硬姿勢を取り始めた故に、世界はいま、「中国全面拒否」に傾きつつあります。加えて、中国のこれからの問題は、洪水被害の修復と田畑の水没によって起きる食糧危機をどう乗り切るか、でありましょう。更に、コロナの変種が国内に蔓延し始め、一切の外出を禁止した都市もあります。

 それにしても、今年の天候は異常です。それは世界的規模で起きています。人間が放りだした温暖化現象の結果だとは分かっていても、それが、中国大陸に偏っていることから「神の御業」だと思わざるを得ません。

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2021年8月13日          サザエさん

 漫画で思い出すのは、長谷川町子のサザエさんです。大学卒業時の6月でしたか、朝日新聞社の入社試験が早稲田の大講堂で行われました。受験生は約450人。出題の中に、「朝日新聞について思うことを450字以内で書け」というのがありました。私は、何と、サザエさんの漫画について論じたのでした。多くの人に聞くまでもなく、ほとんどの人は朝刊を手にしたとき、まず社会面から読み出す。そしてまず真っ先に目をやるのはサザエさんの漫画だ。なぜなら、「小さな、クスッとする笑いは」一日を始めるに当たっての清涼剤でもあるからだろう、とやったのです。その時の時事問題の出題に、アパルトヘイト(人種差別)について述べよ、というのもありましたが、これは手つかずでした。幸い、450人中32番の成績で、面接の結果、首尾よく8人の採用者のお仲間に加わることが出来ましたが、漫画のサザエさんについて述べた意外性のお陰で採用が決まったのだろう、と思っています。

 磯野波平、サザエ、カツオ、ワカメ一家が醸し出す小さな笑いを描き続けた長谷川町子さんは既にお亡くなりになっていますが、この漫画はテレビ朝日でも採り上げられ、その主題歌は夕方になると巷に鳴り響いていました。笑いは人生のオアシスでもあるからです。ところで、私の家には長谷川町子さんがお書きになった直筆原稿があります。宣伝部長時代に掠め取った秘蔵品です。家宝の一つにしています。

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2021年8月12日         サンペイさん        

 つい最近、漫画家のサトウサンペイさんがお亡くなりになりました。朝日新聞朝刊の社会面に「フジ三太郎」の4コマ漫画を26年間にわたって描き続けてこられた方です。私が出版局次長を兼務で仰せつかった時です。出版業務部の高倉君から「近く、フジ三太郎を朝日文庫にして発売する。協力してもらいたい」と頼まれ、ある晩、銀座のバーでサンペイさんとお会いしました。気さくな方で話は深夜まで続きました。私自身も朝刊を開くたびに最初に目を通すほど、この漫画が好きでしたから、いろいろ秘策を練りました。案の定、爆発的人気となり19巻まで発行されました。

 再び、サンペイさんと銀座のバーでお会いしました。サンペイさんから額に入った漫画をいただきました。フジ三太郎が電車の中で吊革につかまりながら、女性の胸元をのぞき込んでいる漫画です。私の名前の揮毫もありました。

 漫画はその後、朝刊はイシイヒサイチの「ノノチャン」に替わります。夕刊は「地球防衛家族」です。両方とも10年以上続いていますが、爾来、私はこの二つに目を通していません。なぜなら、「線が汚い」からです。それに、後を継ぐ作家の選考に当たって、私は社内の会合で次の漫画の作者は広く公募すべきだ、主張しましたが、当時の学芸部長の独断と偏見が通ってしまいました。既に学芸部内では決まっていたのでした。もし、公募すれば、三浦綾子さんの「氷点」のように、世間の耳目を集めることが出来たでしょうに、誠に残念でした。今、掲載されている朝・夕刊の漫画は、「サザエさん」や「フジ三太郎」の様に後世に残ることは絶対にないでしょう。

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2021年8月11日              長野の丸茄子

 普段は野菜の茄子(ナス)には、さして、関心がないのですが、この時期になると

無性に食べたくなるものがあります。それは長野の丸茄子です。東京の家が空襲で焼け、母親と共に長野の母の実家に転がり込んだ私たちにとって、茄子の油みそや、茄子の味噌汁は御馳走でした。どういうものか、この茄子は東京ではあまり見かけません。長野だけのものといっても、南信でもあまり見かけません。北信だけで生産され消費されているようなのです。少年期にイヤというほど食べさせられものは、郷愁となっているのでしょう、この時期になると無性に恋しくなるから、困ったものです。今までは高校の同窓会のたびに、しこたま仕入れて、毎日一個ずつ味噌汁にしていたのですが、この二年間、それも叶いませんでした。

 今日、長野市の東急デパートの食料品売り場に電話しました。たまたま、丸茄子のいいものが入荷したところでした。しかも一個が100円!15個頼んだので、15日間、故郷の味に接することが出来ます。一方、長野での少年時代、秋の稲穂に群がるイナゴ取りにはよく行きました。油で炒って、羽をむしって食べるのです。カルシウムが豊富ですから、私が伸長174cmになったのも、イナゴのお陰かもしれません。茄子のついでに、デパートの人にイナゴの佃煮はあるか、と聞いたらそれはないとのこと、どこかに売っているとことはないかと聞いたら、私は知らないが調べてご返事しましょうか?となりましたが、申し訳ないので「自分でネットで探します」と言って電話を切りました。本当に探そうか、どうしようか、迷っています。

       
長野の丸茄子

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