2022年10月31日       無残な圧死                   昨日、宮沢君の墓参の帰り道、しばし、たたずんだ渋谷駅前広場と交差点の人の流れはかなり異常でした。よく見ると、群衆の中には仮装している集団も見かけました。ハローウインの前日だったからです。駅前の大きな交差点では警察官が笛を鳴らして怒鳴っています。「信号が変わっているのです。早く歩道に上がって下さい。ドライバーが迷惑しています、、、、」

 韓国では昨日、悲惨な人身事故が起きました。ハローウインの衣装を着けた若者が梨泰院の狭い路地に密集して、身動きが全くとれなくなり、154人が圧死しました。なんという無残な死に方でありましょう!人様のお役に立って死ぬならそれも在りでしょうが、ただただ、人波に押されまくって逃げ場がなくなって息絶える!こんな惨めな死に方ってあるでしょうか!

 私は韓国の行政、警察の怠慢から生じた事故だと思います。大混雑はあらかじめ予測し出来たはずなのに、何故、対策を講じなかったのでしょうか。渋谷の駅前交差点では、日本の警察は五月蠅いほど笛を鳴らして人員制御している様に、何で、韓国警察は人員整理をしなかったのでしょう? これは明らかな人災です。韓国警察の怠慢によって起きた国家的損失です。お気の毒という意外にありません。

2022年10月30日       7回忌                   今日は宮沢恭人君の7回忌の日に当たります。これから支度をして井の頭線・東大前の浄土真宗のお寺へお参りに行ってきます。同じ長野高校から彼は一年浪人して東大から朝日新聞社販売局へ。私も一年浪人、早稲田を一年留年して同じ販売局へ。二人とも海野武という東大出の猛者を親分に持ち、大阪から来た販売局長を二人して局次長として仕え、彼の後の西部本社の営業局長を引き継ぎ、おまけに書道会まで引き継ぎ、最終的には彼は取締役名古屋代表、私は朝日学生新聞社社長を最後に仕事とは決別しました。以後、ゴルフは清春カントリー、囲碁は同じ日本棋院四段の腕前で覇を競い合い、彼が入院するまで六本木の書道塾へ毎週通いました。膀胱ガンが彼の身体を蝕み始めたのはその頃です。運良く、日本で最も権威のある有明病院へ入いれましたが、病状は進み、肺に水がたまり始めました。どうしても行きたかったポーランド・ワルシャワでのショパンコンクールの出発前日、有明病院へ行き、面会謝絶を押して彼と握手しました。そして、高台にある有明駅のホームから有明病院に向かって「どうか、彼を助けて下さい」と祈りました。しかし、一週間後、彼は私が帰国した日の朝、私を待っていたかのように、あの世に旅立ちました。葬儀は、井の頭線の東大前駅を降りて直ぐの浄土真宗の小さなお寺で行なわれました。彼がここの奥津城どころを買うとき相談を受けました。私は大いに賛成しました。東大へ通う学生の足音を聞きながら眠って居られるなんて、またとないじゃないか、と。

 今日、これから支度をしてそこへ行くのです。久しぶりに彼に会えるのです。悲しさ半分、嬉しさ半分です、、、、、、、

 行ってきました。線香を手向け、私も彼も長野の浄土真宗なので念仏を唱えて来ました。同業であった信濃毎日新聞の内山君をスマホで呼び出し、そのスマホを墓石の上に置いて、内山君からも彼に向かって語りかけて貰いました。

 帰路、昨年同様、渋谷駅前広場にしばしたたずみ、雑踏を眺めました。昨年も同じことをしてスマホを落としました。奇特な方に拾われ、幸い、戻ってきましたが、、、今日はハローウインの前日の上に日曜日とあって、人の混み様は尋常ではありませんでした。時間を忘れて雑踏の中に身を置いていました。

 2022年10月29日    権力の醜さ                     反対派勢力を一掃し、7人のトップをすべて自分の息のかかった子分どもで固めた一党独裁政治が、今後の中国で続こうとしています。一方、日本の政界は統一教会問題でてんやわんやの大騒ぎですが、その中にあって「シレッ」として権力にしがみついている野郎がいます。敢えて、野郎と呼ばせて貰います。筆頭は細田衆議院議長です。細田派の親分でもあります。そのズブズブの関係が次々に明るみに出ているのに、本人は全く知らぬ顔の半兵衛、どこ吹く風、とばかり権力にしがみついています。もう一人は萩生田光一前文科相です。この男は安倍総理の森友事件の時、堂々とテレビで偽証を放っています。どの面下げて、政調会長のポストに座っているのでしょうか。他にも大勢います。しかし、彼らはこの際、なりを潜めて嵐が過ぎ去るのをじっと待っています。地方議員も然りです。主として日本の政界に仕掛けられた韓国を発祥とするエセキリスト教団の罠は思いのほか深く一般民衆にまで浸透し、その、霊感商法に対する軋轢は大きな社会問題にもなっています。それを事前に察知して排除するのが政治の役目であるのに、自らズブズブの関係に陥っているとは何たるザマでありましょうか!

 図らずも、自民党政治の大きな恥部が露呈されました。自分は関係ない、とばかりに「知らぬ顔の半兵衛」を決め込むなど、決して許されるものではありません。

 2022年10月28日     反 省                    昨日のこの欄で、共産党大会での胡錦濤の行動について「義憤に駆られての自発的退場」と書きましたが、一方、「会場からつまみ出された」との見方も出来ることが分りました。公開されている写真の音声があればいいのですが、また、最初の部分の写真があればすっきりするでしょうが、今のところは憶測するしかありません。問題を解く鍵は、何故、胡錦濤の背後に係員が二人も付いたか?です。

 「抗議のための自発的退場」と、「邪魔だからつまみ出された」では、「月とすっぽん」ほどの違いがあります。いずれ、この問題は、写真の音声を含めて明らかになっていくでしょうが、昨日、私は一方的な判断を下してしまったことについては、反省しなければならないでしょう。

2022年10月27日      事 件                     過日の中国共産党大会の最終日、壇上最前列で習近平と並んで座っていた前主席の胡錦濤が、何を思ったか、突然、退席しました。去り際に習近平の横の席にいた李克強の肩に手を置いて、、、、憮然とした習近平の顔が見ものでした。胡錦濤は10年前に習近平を主席にした、いわば、親分でもあります。その親分に対して相談もなしに人事を決め、しかも、彼に対していつも距離を置いていた李克強を年は一つしか変わらないのに下野させ、7人の重要人物のすべてを側近で固めた習近平の新しい人事に腹を立て、せめてそれを意思表示するため、途中退席を決行したのでありましょう。せめてもの抵抗の気持ちを、途中退席することによって示したのです。この事件は、明らかに習近平にとってマイナスに作用するでしょう。人事というものは政治にとって最重要課題ですから、いかなる政治家であっても先ず、関係者に根回しをします。反対があれば説得を試みます。反対が強い場合は妥協を試みます。今回の胡錦濤の場合、習近平はその根回しをしなかったのではないでしょうか? だから、胡錦濤は、自分がないがしろにされたことに怒って満座の中で抵抗を試みたのではないでしょうか。会議の最中、自分の恩人でもある先輩から、大恥を食らった習近平。この問題は、今後、中国14億人の格好の話題となるでしょう。

2022年10月26日    ハンマークラビア                    ベートウベンには30曲を超えるピアノソナタがありますが、中でも29番のハンマークビアと名前の付いた曲は超有名です。そしてこの曲を更に有名にしたのは第三楽章のアダージオです。「ジャンクリストフ」の作者でもあるロマンロランには「ベートウベンの生涯」という大作もあるのですが、この第三楽章のアダージオを絶賛しています。優雅な単音で始まるこの曲は、途中、控えていた貴婦人がつられて立ち上がり、踊り出すような、いわゆる、俗っぽい部分もあるのですが、それがまた、この曲を引き立てています。ロマンロランは、この曲を年老いた女友達マルビータに献呈しています。ショパンのマズルカや、チャイコフスキーの短調の曲にいささか疲れを覚えている私は、この3楽章のアダージオを思い出し楽譜を探しました。が、あの分厚い楽譜が見当たりません。やむなくアマゾンから取り寄せ、到着するや、恐る恐る3楽章を開いて音をとってみましたが、到底、私ごときの力量では無理なことを知りました。高校生の時から大学にかけてピアノはなくても「ベートウベンの悲愴ソナタ」が弾けていたのに、です。一方、ユーチューブを開くと多くの名だたるピアニストがこの曲を演奏しています。いずれも素晴らしい演奏です。IPADを片手に、目では楽譜を追いながら、さて、どうしたものか?と思案しているところです。

2022年10月25日       異常気象                                             

 昨日から今日にかけて、気温が異常に下がりました。日本のあちこちの山で初冠雪が観測されました。まだ、10月下旬なのに、秋を通り越して冬がそこまで来ているのです。気温の異常は太平洋の海の底でも起きているようです。アラスカのベーリング海では海底温度が2,6度上昇したため二億匹のずわい蟹が死に絶えたようです。そのためアメリカ水産庁は今年と来年、ずわい蟹を禁漁としました。日本へ入ってこなくなりました。当てに出来るのは、ロシア産と日本海近海で捕れるものだけです。必然的に今年もまたずわい蟹は高嶺の花になるでしょう。数年前、蟹にありつくことだけを目的として金沢へ行ったことが思い出されます。羽田から小松空港へ飛び、金沢の近江町市場の真ん前のホテルに陣取りました。蟹の本場とはいえ、甲羅にこけの生えた見るからにずわい蟹の親分のようなのは、1万5000円以上しましたが、その子分の、人相の良いものを求め、ホテルの部屋で、金沢の銘酒「菊姫」と共に堪能しました。

 旅ガラスが仕事であった私にとって、その土地の市場に寄ってその土地独自の産物を見て歩くのが楽しみの一つでした。春の秋田の市場では山菜が、うずたかく積まれていました。新潟の本町市場では、獲れたての日本海の魚が飛び跳ねていました。数ある日本の市場の中で、私が一番気に入っているのが、金沢の近江町市場です。海産物が豊富なせいか、何故か、おでんやさんの屋台を数多く見かけました。

 昨年の大晦日は冷凍蟹で何とかごまかしましたが、今年はもはや無理でしょう。せめて、金沢産の「おでんだね」を仕入れ、お酒だけは「菊姫」にして大晦日を送りたいと思っています。

2022年10月24日     中国共産党大会                                       5年ごとに行なわれる共産党大会が昨日終了しました。習近平より一才年下で、彼とは距離を置いていた李克強はその地位を外されました。新入りの役員は全員が全員とも習近平の息のかかった者ばかりです。向こう十年の独裁体制が確立した、といっていいでしょう。確実に言えることは、アメリカと中国の覇権争いが、今後益々激しくなるということです。第三次世界大戦の勃発も視野の中に入れねばならなくなりました。

 一昔前の中国はボロボロの国でした。今、60歳でデズニーランドの子会社の社長をしている長男が小学校5年生、コンサルタント会社の部長を務めている次男が4年生だった時の正月休み、生まれて間もない三男を母親に預けて、4人で中国ツアーに参加しました。西武観光の企画で5泊六日、一人14万円の子供らにとっては初の海外旅行でした。北京に着いた途端、猛烈な寒さに襲われました。慌てて免税店に飛び込んで、中国人が着ているのと同じ、青色の綿入れの外套を四着買いました。宿泊のホテル「建前飯店は」天安門広場の近くの街角でしたが、建て付けが悪く、隙間風が吹き込んで来ました。夜中は空車の往来が激しく、朝になると眼下の道路は自転車の大洪水。「シヤー」という連続音は悪魔の響きとなりました。売店で売っているのは腐りかけたリンゴの他何も見当たらす、近くの天安門広場へ行ってみると、既に、数千人の同じ青い外套を着た人々が、何をするでもなく、ただ、ただ、突っ立ていました。強烈なポテンシャルパワーを感じました。3日目の夕食は北京飯店での名物「北京ダック」でした。ウエイターさんに食べ方を教わると、子供達は食べるは食べるは、一羽では足りずお代わりする始末。連れてきて良かったなあ、と思いました。当時、旅行者は現地の通貨「人民元」を使うことが出来ませんでした。旅行者用の兌換券が発行されていました。私の古ぼけた財布の中には、今もって、そのときの兌換券と人民元が入っています。50年間財布のお守りをして貰ってきました。

 習近平の続投が決まったいま、今後の中国はどうなっていくのでしょうか?覇権争いは歴史の常識です。独裁者は自分の力を過信し、その発露を求めるのが歴史の常でした。習近平が第二のプーチンにならないよう、祈るや切です。

 

2022年10月23日       サイトウキネンの変容                 毎年、秋口になるとアルプスの麓の町長野県の松本市は音楽一色に染まります。桐朋音大の故斉藤秀雄の薫陶を受け、世界中に散っていた教え子達が松本に集結して、恩師を偲びながら名演奏を披露してきました。その舵取りをしてきたのが斉藤秀雄の一番弟子・小沢征爾でありました。二人の指導を受け、世界中に散っていた音楽家達が、このときとばかり松本に集まって、それはそれは美事な演奏を行ないます。チケットの入手は当然ながら入手困難を極めました。幸いなことに、信濃毎日新聞社が後援団体に入っていたことから、販売局長であった内山貢君のお陰で、チケット2枚をとって貰い、毎年、車を駆して松本まで行っていました。それもこれも16年前までの話で、今、サイトウキネンは「セイジ・オザワ記念松本フェステバル」と名前を替えています。その上、今までは9月の十日間が期間だったのに、8月から11月まで四ヶ月間がその期間になっています。その証拠に、サイトウキネン30周年記念オーケストラが、文化ホールでマーラーの交響曲第9番を、アンドリス・ネルソンの指揮で演奏するのが何と、11月25日です。8月から始まって11月まで続くまでに替わりも変わってしまったサイトウキネン。何と申しましょうか、であります。

 幸いなことに小澤征爾は不自由な身体であっても、会場に現れ、短時間であっても指揮棒を振るったようでした。  

 2022年10月22日        行政のコロナ見殺し政策                今までは、新聞の都内版には毎日の行政区別のコロナ感染者数が載っていました。それによって、23区や大島、八丈島などの感染者数の比較が出来ていました。ところが最近の紙面ではその図表が見当たりません。僅かに総数が発表されるだけです。

 極く最近、神奈川県相模原市に住む親戚の青年がコロナに罹りました。高熱が出て、汗が夜具を濡らし始めたので、検査を受けたところ陽性が判明しました。入院治療を申し出しましたが、行政は取り扱ってくれません。薬はくれたらしいのですが自宅待機を申し渡されました。布団乾燥機、下着、流動食品などをアマゾンを通じて取り寄せ、彼の住むアパートの扉前に届けさせました。どうやら、高熱も去り、食欲も出て、平常に戻りつつあるようですが、まだ、職場復帰には至っていないようです。

 この件を通じて分ったことは、行政は既に、コロナ患者をインフルエンザ感染者と同等に見なし始めていた、という事実です。患者が発生したら、速やかに収容隔離し、的確な治療を施し、職場復帰をさせるのが行政の役目であるにも拘わらず、それをしなくなったのです。病院は収容を拒否し、自宅治療を強要し、死ぬものは死ね!と言っているに等しいのです。だから、患者数の新聞発表もしなくなったのでしよう。

 恐ろしいことになりました。特に持病のある高齢者にとっては、「感染は即死」に繋がることになっているのです。私などは特に小さいときから気管支が弱く、何度も肺門リンパ腺炎に罹っていました。既に、四回目のワクチン接種は行なってはいるものの、もし、感染すればイチコロでありましょう。

 医療崩壊を怖れる医療行政は既にコロナ患者の治療を放棄したのです。それが日本の現実であり、世界の趨勢であるようです。

2022年10月21日            牧野記念庭園                     北京秋天」という言葉があります。昔、画家の梅原龍三郎らが中国の北京へ行った際、見上げる青空が余りに澄み切っているので、感動の余り発した言葉です。今日の東京の空は晴れてはいても鰯雲が浮かんでいますが、昨日は正に「北京秋天」でした。心が浮き浮きしました。そして、家からさして遠くない大泉学園に位置する「牧野記念庭園」へ出かけました。高知県が生んだ植物学の泰斗・牧野富太郎が大正年間から昭和30年にお亡くなりになるで住んだところです。つい最近まで、雑木林や、畑が広がっていた練馬の大泉地区も、宅地開発が進んで、高層建築や、戸建て住宅が密集しています。その狭間の中にさして広くない記念庭園がありました。入場料は無料。そのせいもあってか、植物の手入れには手が回りかねているように思われました。資料室はありました。彼が植物学の世界に並々でない功績を残していたことが、改めて分りました。彼が最も愛した植物の押し葉の写真が10枚一組で千円で売られていました。唯一の収入源かと思い、買わせていただきました。資料室で彼の年譜を見ていたら、彼はこの庭園で94歳で亡くなった、とありました。私も彼に肖って94歳まで生きて、毎年春には、各種の桜が植えられているこの庭園を訪れよう、と思いました。

 

2022年10月20日         玉川徹さん復帰                     

 去る9月27日に安倍前総理の国葬は、悪評サクサクの中で行なわれましたが、唯一、菅前総理の友人代表挨拶には、その心情が溢れていて胸を打つものがありました。テレビ朝日の朝の看板番組「モーニングショウ」で常連のコメンテイターである玉川さんが、この挨拶を含めて「電通が絡んでいる」とやったものだから、物議を醸しました。そうでなくてもテレビ局は電通からの広告で成り立っています。例えそれが事実であっても、電通の機嫌を損ねるわけにはいきません。玉川さんは二週間の謹慎処分となりました。これを機に玉川さんはテレビ朝日を退社し、独立するのではないか、など憶測が飛び交いましたが、一昨日、彼はテレビに出て発言に不適格な部分があったことを認め、謝罪しました。そして、今日から朝の番組に出演しました。やれ、良かった、と思ったのは、キット、私一人ではないはずです。

  彼は仙台の名門校仙台二高の出身です。そこから京大の農学部に入り大学院まで修了している変わり種です。恐らく、テレビのコメンテーターは彼が意図した職業ではなかったはずですが、どういう訳か、こちらの方でも能力を発揮しました。つまり、全人格が優れているからでありましょうが、それにしては家庭的にバツ一なのが気になります。彼の今後の活躍に期待いたしましょう。

 2022年10月19日         進む円安                     

 円安が加速しています。日銀が半月ほど前に為替介入しましたが、その時は、4~5円下がったものの、焼け石に水でありました。国会に召喚された黒田日銀総裁は「低金利政策はこのまま推移させる」と言い放ちました。お辞めになる気はないか?との問いに、その気はない、と豪語しました。このところのドル高の影響は、日本のみならず世界中の国々がその影響を被っています。特にアルゼンチンがひどく、132%。日本はその次の122%。何故、こうなるのでしょう? 実は、アメリカも物価高で苦しんでいるのです。それを抑えるために金利を上昇させました。それが投機筋によって、好機と捉えられ、ドル高を招いている、と言われています。一方、円安は輸出業者にとってはまたとない好機です。日本製品が売れるからです。反対に輸入業者にとっては災難でしょう。購入する海外の物品が高値になるからです。

 コロナによる規制が緩和され、先週から海外から日本へ来る外国人がうなぎ登りに増えています。すべての外国人は、日本製品を爆買いしています。廉い、廉いと言って大喜びでスーツケースを満杯にしています。反対に外国へ出かけた日本人は、為替レートの落ち込みで、買いたいものも我慢を強いられる始末。殊に、何度も往来したタイ・チェンマイでも同じで、日本円の使い出がなくなった、という嘆き節が、横溢しているようです。

 この現象を生じさせたのは一体、誰なのでしょう? 私は自民党政府と財務省、日銀のせいだ、と思います。日本活力を信じるが上の「見誤り」でなくて何でしょうか。老大国日本の現実を見誤ったがゆえの無策から生じた、政治の貧困が招いた災難でなくて何でしょうか!

 2022年10月17日   一緒にいること(作者不詳)                  死ぬということは、なんでもないことなのです。                                                                                        私が隣の部屋に移っただけなのです。お互いの今までの関係はそのまま続いている        のです。今までと同じ名前で呼んでください。今までと同じに気軽に話しかけて下        さい。ちょっとした冗談に、いつも笑っていたように、面白がって笑って下さい。        遊んで下さい。微笑んで下さい。時には、私のことを考えて下さい。私のために祈        って下さい。私の名前をお仲間の中に入れておいて下さい。元と同じように。

   死ぬということについて気楽にお話しましょう。命の意味は今までと同じです。                   それは、今でも変わりません。でも、それは完全に繋がっているのです。

  私が見えないからといって、あなたが忘れてよいでしょうか? 私はいつもあなた        を 見つめています。その柱の陰から、お台所の片隅から。そして、私はあなたを待       っています。少し離れて、ほんの近くで、ちょっと、角を曲がったところで。

 全く、大丈夫です。何も過ぎ去っていませんし、何にもなくなっていないのです。ほ      んの一瞬が過ぎたあと、すべては元のままでしょう。すべては良くなっているので        す。永遠に、今まで以上の楽しさの中で、私はあなたと共にいるのです。

    いつまでも、いつまでも、、、、、 

 (この散文詩は、幸田シャーミン作とも言われています) 

2022年10月17日      演説と笑い             

 1昨日、北京で中国の最大行事である共産党大会が開催され、習近平は一時間半に亘って演説しました。5年前の前回は3時間を超える演説でしたから、聞いている方も大変だったでしょう。長い演説でも、その中に笑いがあると演説の内容も好感を持って理解される、と古来から言われています。私自身、人前で話す機会には大変恵まれてきました。そのたびに、どこで、どういう笑いをとるか、について腐心しました。練りに練ってその場に臨みました。殊に、朝日新聞社の宣伝部長になってからは、社が主催する行事が多く、そのたびに主催者挨拶をさせられてきました。将棋の職団戦という行事がありました。全国の会社の将棋クラブの日本一を競う団体戦です。武道館に2000人ほど集まった中での主催者挨拶でした。幸い、会場に笑えてもらえてホッとしました。

 神宮球場で少年野球大会がありました。産経新聞社主催から朝日に移ってきた行事でした。ユニフォームを着た1000人を超える少年達を前に、壇上に立ち、さすがに足が震えながら、練りに練った少年向けの挨拶をしました。計画通り笑ってもらえました。歌手の五木さん、和祐子さん夫妻のお子さんも選手の中にいる関係でゲストに呼ばれていました。野村監督の代わりに奥さんの左知代さんもゲストで挨拶しました。

 部長、局長、社長になってからは挨拶の機会が多くなり、そのたびに新しい笑いを考えるのも、次第に億劫になり始め、一つところに纏めて置く方法がないかと、考えた末に出来たのが、わが「ジョーク集」です。このホームーページにも収録されています。その気になって集めてみると、あるは、あるは、世界には思いも寄らないジョークが、沢山、存在していました。苦労して集めて、さて、使おうか、と身構えてはみたものの、演説する機会は既にどこにも、もうありません。

2022年10月16日      紅 葉             

 10月も半ばを迎え、吹く秋風と共に、紅葉の季節となりました。若いときから旅ガラスの身であってみれば、全国各地の紅葉に出会う幸運に恵まれてきました。最も早い紅葉に出会ったのは、9月の下旬、北アルプスの立山・剱岳に登ったときです。剣沢の源流をなす池の畔にビバークしたのですが、朝、テントから這い出してみると、全山の植物すべてが朱に染まって、朝陽の中で輝いていました。ここは天国に違いないと思いながら、下山を開始し、欅平まで降りてくると、今度は関西電力が作った桟道を伝わって黒部川を遡ります。数十メートル下は激流が水しぶきを上げています。崖に打ち込まれた杭の上に置かれた板の上を、ザックを背負って歩くのです、時にザックが針金に触ってあわやとなります。必死の思いで、剣沢と針ノ木沢の出会いの十字峡に到達します。そこも紅葉の天国でした。ビバークの用意をして、今度はその先の白竜峡に向かいます。既に桟道はなく、黒部川の清流を遡って、漸く、魔の洞窟へ到着しました。五十メートル四方の洞窟には黒部の清流がまんまんと湛えられていました。正に、白龍が住んでいてもおかしくない秘境でした。それも、これも今は昔、黒部の電源開発により白竜峡は湖底に沈んでしまっているようです。

 東北の地方の紅葉は10月初旬から始まります。青森の奥入瀬渓谷、山形の月山麓、福島の裏磐梯、夏井川渓谷沿い、、、しかし、なんと言っても美事なのは12月の京都の寺院の紅葉でしょう。いわゆるモミジ、カエデの種類が京都のものは違うのでしょうか、色合いが違うように思えてなりません。詩仙堂、三千院、苔寺、金閣寺、、、、中でも私のお気に入り、嵐山の大河内山荘から見る桂川の紅葉、、、、

 時の政府と自治体は、いま、旅行割引券を発行中です。恐らく、人気のある京都は外国人を交えてごった返しているでしょう。私としてもそれに肖りたいとは思うものの、人混みをかき分けて行く気には、到底なれません。困ったものです。

22年10月15日      秋の歌 十首              

   秋風に たなびく雲の絶え間より もれいづる月の 影のさやけさ

   山川に 風のかけたるしがらみは 流れもあえぬ 紅葉なりけり

   秋の菊 にほうかぎりは かざしても 花より先きと 知らぬ我が身を

   奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声きくときぞ 秋はかなしき

   秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ

   寂しさに 宿を立ち居出て ながむれば いずこも同じ 秋の夕暮れ

   おりたちて 今朝の寒さを おどろきぬ 露しとしとと 柿の葉深く

   秋の日は さびしせつなし 部屋の棚 あらゆる花を もて飾れども

   さえざえと 今朝咲き盛る 白菊の 葉陰の土は 紫に見ゆ

   雲去れば もののかげなく 薄赤き 夕日の山に 秋風ぞ吹く

   紅葉照り あかるき中に 我が心 むなしくなりて しまし居りけり 

2022年10月14日    プーチンよ、去れ             

 ロシアの兵隊の数が足らなくなり、一般募集をかけ、経験のない若者がかり出され、銃の持ち方まで教わっている映像が世界に飛び回っています。一方、ウクライナ側ではロシア兵士に投降を呼びかけ、戦車一台、装甲車一台につき、それぞれ代金を支払うから、という驚くべき現実が露わになっています。2月24日から始まった戦争も、新しい段階を迎えつつあります。と同時に、この戦争の意味が改めて問われ出しています。

 破れかぶれになったプーチンが、NATO加盟諸国に核の雨を降らせる、それに対してアメリカを主体とする西側諸国が一致して、ロシア全土に核を使う、正に地球の末期的現象が現実味を帯びてきました。何でそうなるのか? ひとえに独裁者プーチンの独裁ぶりがそうさせるのです。ウクライナの政権がネオナチと呼ばれ、NATOに加盟されることを怖れ、独裁者プーチンはクリミア半島を掌中にし、ウクライナ南側の4州を住民投票までやって支配下に納めました。両国の大勢の無辜な人間が犠牲になりました。人間を死なせない方法、それは一つだけあります。ロシアもNATOに加盟すればいいのです。ロシアがプーチンによる独裁国家をやめて、他の国と同じ、民主国家、自由主義国家になればいいのです。無理に民主国家にならなくてもいいのです。独裁国家であることを止めさえすればいいのです。NATOの存在意義がなくなります。ヨーロッパに平和が訪れます。いずれはまた、諍いが起きるでしょうが、当面の殺し合いはなくなります。

 主義、主張を笠に着て、人間同士が殺し合いに明け暮れる、これほど愚かなことはありません。最も、殺し合いは今に始まった訳ではなく、過去2000年の世界史は殺し合いの連続でしたが、、、、、私は声を大にして叫びたい。プーチンよ去れ!と。

2022年10月13    小倉・旦過市場          

 かぼすを絞って製氷皿に入れ、折々に取り出しては重宝にしていたことで思い出すのは、もう一つの冷凍貯蔵品、「鰯のつみれ汁」です。ある日、小倉の庶民の台所、旦過市場に入ったら、大ぶりの生きのいい鰯が一匹30円で売られていました。つられて30匹を買い込み、一人暮らしのマンションの流しに入れたものの、さあ、どうしよう?

 覚悟を決めて、一匹ずつ頭と骨を剥がし、まな板の上で叩きました。味噌と片栗粉を少量入れて「鰯のつみれ汁」の完成です。小さいとき、母親がよく作ってくれた懐かしい味に仕上がりました。これも小分けにして冷凍保存です。かぼすとつみれ汁の食事が長いこと続きました。しかし、いくら続いても飽きることはありませんでした。

 いま、つみれ汁は光が丘の「屯田」という北海道系和食料理店に行くと、いつでも味わえるのですが、鰯そのものの味は九州小倉の方が勝っているように思えます。たまにはつみれ汁を自分で作ってみようか、と思ってはいるものの、いまだ、実行できていません。

2022年10月12日      かぼす         

 毎年、秋の始めになると、大分県名産のかぼすを友人、知人、親戚に送り始めて何年になるでしょうか? 事の起こりは九州小倉に単身赴任しているとき、責任者会で大分県の山の中でゴルフをしました。売店を覗いたらかぼすが10個ほど網に入って500円で売られていました。これを皆さんに送ってあげたら喜ぶだろうな、と思ったのが最初です。60カ所ほどの住所を書いて山香農協から四キロ入りのかぼすを送ってもらいました。案の定、喜びの礼状が舞い込みました。翌年も、また翌年も送り続けました。ご主人がお隠れになっても奥様宛に送り続けました。始めたのが私が57歳の時でしたから、かれこれ、30年間、続いています。ところが今年は、暑さが続いたせいか、申し込みが遅れてしまいました。でも、山香農協の担当者のお陰で25箱を確保して貰い、送ってもらうことが、昨日、決まりました。ホットしました。

 単身赴任の時は、このかぼすを搾って、製氷皿に流し込み保存しておきます。どんな料理にもあって、重宝しました。数日後には、半ば黄色くなったかぼすが我が家にも届くでしょう。芋焼酎のかぼす割りが今年も楽しめます。

 2022年10月11日      戦線拡大         

 昨日、ロシアのミサイルがウクライナの首都キーウに落とされました。その数83発。プーチンの肝いりで作られたクリミア大橋が爆破された報復でありましょう。今までは、どちらにも無差別攻撃は避ける、という不文律がありました。それが破られたのです。民間人は攻撃しない、という暗黙の了解がありました。それが反古にされたのです。ゆゆしい出来事と言わねばなりません。しかし、戦争というものは、このように逐次拡大していくものなのであります。ウクライナに西側から送られた長距離ミサイル「ハイマート」を使えば、モスクワのクレムリン宮殿はおろか、ロシアの軍事基地を軒並み破壊出来るのですが、ウクライナはそれをやりません。戦争には戦争としての節度が存在するからでありましょう。一方、ロシアには核兵器が無数にあります。それを使えば、ウクライナを完全に消滅させることも出来ます。敢えてそれを行なわないのは、世界の世論を慮ってのことでありましょう。

 首都、キーウがミサイル攻撃された以上、ウクライナも黙ってはいないでしょう。必ず次の手が用意されるはずです。戦争というものは、好むと好まざるとに拘わらず、このように拡大していきます。世界史をひもどけば、その例は枚挙にいとまがありません。戦争を終結させる一番被害が出ない方法が一つあります。それはロシア式ルーレットです。9発の弾丸が飛び出るルーレット式の拳銃があります。プーチンとぜスキレンスキーが互いに向き合って、拳銃に込められた一発の弾丸を引き当てた方が死ねばいいのです。両国の人々はそれを望んでいるはずです。

2022年1月月10日    京都橘学園吹奏学部       

 京都は名にし負う古都です。雅楽や琴、三味線が似合いこそすれ、洋楽やジャズの分野で有名になるなぞ、誰が予想出来たでしょうか?それがあるのです。しかも、主としてうら若き女性高校生が、踊りながら奏でる吹奏楽団です。いまや、世界的に有名で、す。全員がオレンジ色のミニスカートで、ジャズの難曲「シン・シング・シング」を一糸乱れず演奏します。踊りながらトロンボーンや、コルネットや、チューバ吹く。どれだけの加重動作であるか、見ているだけでも疲れますが、彼女たちはいとも簡単にやってのけているのです。彼女達への別称「オレンジの悪魔」は今や世界的にも有名で、アメリカへも何度も行って、本場のデズニーランドや、その他で美事な演奏を披露しています。ところで最近、この悪魔集団が国慶節に招かれた、という報道がありました。中国の国慶節かと思い、中国も粋な計らいをするものだ、と嬉しくなりましたが、実は台湾の国慶節でした。なーんだ、とがっかりでしたが、台湾の国を挙げての行事参加したことは光栄の極みでありましょう。しかも、蔡総督に招かれ王宮で写真撮影までして貰っています。この悪魔集団の更なる活躍を祈るや、切です。

2022年10月9日     長唄 勧進帳         

 久しぶりに今藤長十郎一門の長唄「勧進帳」をテレビで視ました。感動しました。舞台は向かって左手に歌い手の男性6人、右手に、これも男性ばかりの三味線が六丁。下段にお囃子衆。中央に三味線の女性が一人。四世今藤長十郎です。すっかりお婆さんになってちょこなんと座っています。だが、その三味線の音が鳴ることといったら、、、。もちろん、譜面台など置いてありません。あの長い「勧進帳」を全曲暗譜で弾きこなしましました。実に、美事でした。

 かつて、私の伯母が川崎で長唄を教えていました。杵屋弥七登という名取りでした。学生時代、時々行っては三味線と戯れました。どうやら、「岸の柳」が弾けるようになりました。「松の緑」、「越後獅子」、「秋の色草」、「土蜘蛛」、「綱館」などなど、面白そうなものが沢山ありました。三味線文化譜というものがあって、便利でした。春秋の温習会にはかり出されて、雑用をこなしました。今はどうでしょう? 長唄など、日本古来の音楽を教える看板など一つとして見かけません。さすがに、京都へ行けば、あるでしょうが、関東で見かることはないでしょう。東京芸大には日本古来の楽器を教える部門は今もありますが、先細りのように聞こえてきています。全く、惜しい限りです。

 日本古来の音楽は1オクターブを5つにに区切った音で成り立っています。ところが文明開化と共に西洋から12音音階が入ってきました一オクターヴを12に切った音を言います。しかし、世界の民族音楽のほとんどは5音階で成り立っています。ジプシー音楽然り、フラメンコ然り、沖縄の三線もそうです。日本の演歌もそうなりました。オクターヴのうち4度と7度の音を省く奏法です。世界にはまだまだ知られていない音階が数多くあるそうです。日本古来の5音階の音楽、廃れていく古来の響き、何としても継承していかねばなりません。

2022年10月8日     粋な計らい         

 ノルウエーのノーベル賞選考委員会は、今年のノーベル・平和賞の受賞者に、またまた、粋な計らいをしました。受賞は三組あって、先ず、独裁政治が行なわれているベラルーシの人権活動家アレシ・ビヤリツキ氏。ロシアの人権団体「メモリアル」。そしてウクライナの人権団体「市民自由センター(CCL)」です。賞金は各々1億3000万円。これにはビックリしました。ベラルーシの独裁者ルカシエンコも、ロシアのプーチンも、ウクライナのゼレンスキーもビックリしたでしょう。中でも、喜んだのはウクライナの国民でありましょう。過去にもありました。ビルマのアウンサンスーチー、中国のリウ・シャオポー、韓国の金大中、日本の佐藤栄作、、、、いずれもその後はパッとしませんでしたが、時の政治の曲がり角になりました。

 今回の紛争当事国の3つの人権団体への受賞は、世界中から好感を持って迎えられるでしょう。全く、ノーベル賞の選考委員会は粋な計らいをしたものです。願わくはこれを機に紛争が拡大しないことを、祈るや切です。

2022年10月7日     チャイコフスキー         

 十日に一度、近くのピアノの先生のところに通うのは、今も続いています。8月と9月はシューベルト前奏曲集NO・3にのめりこみました。が、今もってスムーズに弾けていません。メロデイを右手で奏でながら、同じ右手で三連音符を最弱音で弾くのですが、「ジソミア」という不治の病に罹っているため、音が不揃いになります。中指と人差し指の音の出が、0・1秒遅れるのです。でも、何とか二ヶ月かかって、さしたるミスなしで弾きこなしました。今度はチャイコフスキーの「秋」とショパンのマズルカに挑戦します。毎日午後5時から30分はピアノに向かい、終わってウイスキーで喉を潤すのが日課です。時には、ユーチューヴでホロヴィッツや、カチアブニアステビリの3番を聴くのですが、聴くたびに、自分の演奏がイヤになります。だからといって、ピアノを止めてしまったらどうなるか? 「はい、それまでよ」でありましょう。

 馬齢を重ねるごとに、自分の力量が落ちてゆく悲哀を感じていくのは例えようもなく寂しいものです。全盛期には、シューベルトの前奏曲集全曲が弾けていました。今思うと、夢のような時代でした。その昔は、モーツアルトのトルコ行進曲付きソナタを長野高校の文化祭で弾きました。勢いに乗じて最後のトルコ行進曲を猛烈な速さで弾き始め、途中の一カ所で、トチル過ちを犯しはしましたが、、、

 今、思うとあの大曲をすべて暗譜で弾けていたのです。今はどうでしょう。暗譜などとても出来ません。楽譜を見るにも眼鏡なしでは霞んでいます。結局、何が言いたいかというと、演奏を聴くのは若い人のものに限る、と言うことです。大昔、83歳のホロヴィッツの演奏を大枚35000円払ってサントリーホールで聴きましたが、ミスの連発でした。「壊れた骨董品」と揶揄されました。ホロヴィッツでさえそうなのですから、況んや、私においておや。さあ、5時になりました。地下室へ行ってピアノに向かいましょう。自分自身にだけに聴かせるために。

 

2022年10月6日      寒暖差        

 昨日の昼間は快晴で気温は30度だったのに、今日は雨模様で寒暖計は20度を割っています。世界中が天候不順とはいえ、この激変は、一体、何なのでしょうか?温暖な気候で知られているタイ・チェンマイでも大雨が降り、お堀の水が溢れ町中が水浸しになった、という知らせが届いています。地球の気候がいつにも増して大荒れに荒れているとは承知してはいるものの、それにしても異常です。

 昔から山へ登っていましたから、気候の変化には慣れています。穂高に登ったときは吹雪に遭遇しましたが、上高地に降りてくるとそこは緑の楽園。河童橋の梓川の汀で、朝炊いた飯盒のご飯を梓川の水に浸して、水飯にして、塩昆布と一緒に掻き込みました。その旨かったことといったら、、、正に登山の醍醐味でした。南アルプスの塩見岳に登って大天井岳、北岳を経由して薬師三山から降りてきたときも、気候、気温の変化にイヤと言うほど遭遇しました。若いと時から気候の変化には慣れ、気温の変化には耐性が出来ていると自信は持ってはいても、小生も寄る年波、急激な気温変化は身にこたえます。

 タイ・チェンマイは猛暑のバンコックと違って、ハワイと同じ緯度上にあるため、一年を通じて気温は一定で、ほとんどの民家には窓ガラスがありません。蚊の侵入を防ぐための網戸があるだけです。借りていた森の中の一軒家もそうでした。時には寒い日もあったので、10万円をかけて、窓ガラスを入れはしましたが。しかし、年中同じ気候、同じ気温というのも退屈なもので、日本のように四季の変化のある国の方がいいなあ、とは思いました。しかし、日本の四季もこのところ変化しているようです。春と秋が短くなり夏と冬が長くなっているように感じませんか?

 気候の変化は、いま、世界中に広がりを見せています。中国では全土が大洪水、大干ばつに見舞われました。お陰で農作物に甚大の被害が出ました。果たして14億5000万人を養っていけるのでしょうか? 気候による被害はアメリカでもヨーロッパでも立て続けに起きています。正に、気候の一大変化が地球上に起き始めているのです。土地のぶんどり合戦のような戦争をやっている場合ではないのです。気候変化をもたらす人間がひり出す炭酸ガスをどうやって減らしていくか、それこそが大問題なのです。

2022年10月5日      只見線        

 「只見線」とは新潟の小出と福島の会津若松を結ぶ、JR鉄道路線のことを言います。所要時間は約四時間半。福島側の只見に到着すると、列車の乗り換えです。福島県を5年、新潟県を二年半担当した私は、会津若松から只見、小出から只見へは何回も乗ったことはあるのですが、全線を通して、仕事を離れて乗ったことがありません。何故なら、沿線は絶景の連続で、落ちたらどう思うような思うようなところを列車は走っていきます。案の定、11年前の7月、集中豪雨で鉄橋が崩落し、以来、全線開通は行なわれていませんでした。ところが、今月の1日、復旧作業が実を結んで、全線開通となりました。喜んだのは地元の人たちばかりではありません。全国の鉄道ファンにとっても朗報でした。写真ファンも大喜びです。おまけが付きました。真冬、只見川の鉄橋を渡電車の写真が世界的に有名な写真コンクールで、何と特賞を勝ち取ったのです。その写真が新聞に載ったとき、その出来映えに驚きまし。真冬、周囲の木々は一面の氷の花です。遠くの山も雪化粧です。寒さが伝わって来ます。鉄橋を二両連結の電車が渡って行きます。その電車と鉄橋の影が只見川に逆さに写ります。ただそれだけの写真ですが、凜然とした地球の荘厳な美が、神々しいまでに伝わってきます。国際的にも特賞に値する写真でありました。新潟市のただのサラリーマンの作だそうでした。その写真をこのブログに掲載したかったのですが、転載は今は不可能のようで、同じアングルでの別写真で許して下さい。出来れば、今年の厳冬期、防寒具に身を包んで新潟の小出から福島の会津若松まで、四時間一二分の旅に出たいものだ、と思っています。

2022年10月4日    厄介な人たち        

 北朝鮮がまたまた弾道ミサイルを発射し、こともあろうに日本列島の上空を通過し、太平洋上に落下しました。日本は領空が侵犯されたことになります。もしも、列島上空でミサイルが暴発したら、、、と思うとゾッとしてしまいます。いま、北朝鮮の民衆は食料難で暴動寸前だ、との報道もあります。何故、人民の命よりミサイルなのでしょうか? ロシアと同じく、独裁者の身勝手さが浮き彫りになっています。韓国の前大統領文在寅も身勝手な人間でした。自身が北朝鮮の土地の生まれであったことから、北朝鮮と融和を図ろうとしました。その前哨戦として反日不買運動を政府が挙げて煽動しました。アメリカと日本から離れようとしました。中国に秋波を送りはじめました。その結果いまはどうなっているか?、日本のみならず、アメリカまで韓国をないがしろにし始めました。相手にしなくなりました。困っているのは現ユン・ソンニョル政権です。ウオンが暴落して経済が落ち込んでしまい、ドルとのスワップが死ぬほど欲しいのに、アメリカも日本も、もはや、見向きもしません。それもこれも、前政権の文在寅が蒔いた種のせいだ、と私は思っているのですが、なぜか、今もって民衆は文在寅になつかしさを覚えているや、に見えます。つまり、日本という国に対する朝鮮民族の怨念は千年は続くかもしれません。韓国の国定教科書を見ると、あること無いことが、これ見よがしに載っています。その一部は、確かに歴史的事実ではあっても、全部が全部そうであったわけもありません。幼児期の刷り込教育が変わらない限り、韓国の日本に対する怨念の火が消えることは無いでしょう。北朝鮮といい、韓国といい、日本国の隣人は厄介な人たちばかりです。

2022年10月3日         Nコンとマスク

 待ちに待ったNコンが始まりました。恒例の全国小、中、高校の合唱コンクールです。今日は二時間、テレビの前に釘付けになりました。出場者全員がマスクを付けての出演です。観客は一人も入れていません。この日は関東甲信越ブロックの決勝大会でした。出場校の意気込みは伝わってきましたが、残念なのはマスクのお陰で声がくぐもっていることでした。声の持つ艶がマスクに吸収されます。マスク越しでは声の本来の味が伝わってきません。味わいのある独特の声が、ありきたりの「声」そのものだけになります。マスクという繊維がそれをするのです。何故、主催者は、歌うときだけはマスクを外す自由を与えなかったのでしょうか? そうすれば、出場校の訓練された持ち前の声そのものが会場中に響き渡ったでありましょう。マスクのずり落ちを戻すための生徒らの余計な所作を見ることも無かったでしょう。感染を怖れるなら、出場校が壇上から降りるごとに、アルコール散布をして壇上を清めれば良かったのです。

 世論を気にする余りのマスク着用での、くぐもったままの声による演奏!マスクという繊維に吸収されて出てくる声は、味も素っ気も無くなることを主催者は気がつかなかったのでしょうか? マスクを外しての演奏の場合、どうすれば壇上の全体消毒が出来るか?それについて主催者のNHKは試行錯誤を重ねたのでしょうか?

 重ねて言わせて貰います。マスクを付けての合唱は、声そのものがくぐもってしまい、声の持つ自然な魅力がマスクという繊維に吸収されてしまうことに、主催者は何故気がつかなかったのでしょうか? 当然、気がついていたはずなのに、何故、世間並みなことをしたのでしょう? NHKの不作為にもの申し上げます。

2022年10月2日            さかなクン

 日曜日の夕方6時頃から、NHKの総合テレビに「さかなクン」が登場するようになりました。例の奇妙な「ふぐの帽子」を被り、独特の口調で「さかなの蘊蓄」を語ったり、即興でさかなの絵を描いたりします。お相手の女性も従順で、息はぴったりです。番組の内容は魚類の専門的な話ばかりですから、教育番組にふさわしいとも言えるのですが、さかなクンの奇妙奇天烈話しぶり、つい、引き込まれて「なるほど、なるほど」と、思ってしまいます。日曜日の夕方の番組ですから、子供達は楽しみにしていることでしょう。何しろ、大人にとっても面白いのですから、、、、四方を海に囲まれている日本、さかなクンのお陰で海洋への関心が高まって行くのは、望ましいことでありましょう。

 ところで、さかなクンの父親はプロ囲碁棋士の宮沢吾朗さん。殺し屋と言われるほどの異色棋士です。日本棋院が「週間碁」を発刊するに及んで、その取り扱いを巡って読売と朝日で争奪戦があった折、同僚の宮沢恭人君と、当時、週間碁の担当者であった宮沢吾朗当時5段に二面打ちして貰ったことがあります。四子置いたのに二人とも綺麗に負かされました。この殺しやの息子が希代の変人さかなクンなのです。彼は発達障害児として生まれます。学校の勉強はすべて散々です。母親は水槽に蛸を一匹買い入れて彼に与えます。そこから彼の海洋生物への異常な関心が芽生えます。盲目のピアニストが世界に通じるピアニストになったように、母親の愛の力が現在のさかなクンを生んだのでしょう。

 ところで「童顔さかなクン」も既に47歳。千葉の房総半島先端の館山に住み、海洋大学の教授になっていますが、顔つきや態度は以前のままです。結婚もしていないようです。父親の囲碁棋士吾朗さんの噂もとんとありません。気がかりなのはこの一家のこれからです。それとテレビ番組の今後です。

 ※このホームページのプロバイダーが替ったために、8月下旬から約一ヶ月間、新しいやり方を習得するため、悪戦苦闘を重ねて来ました。でも、漸く、新しいやり方にも慣れて参りました。気がついたら「最近のエッセイ88」が延々と続いています。このまま、「88」で押し通してもいいのですが、それでは余りに冗長すぎるので、一ヶ月ごとに区切りを付けることにしました。10月1日から「最近のエッセイ89」となります。引き続きお読みいただけたら、これに過ぎる喜びはありません。 

 2022年10月1日             天声人語

 毎朝、新聞を手にすると、見出しは別として真っ先に読み始めるのが、下段の天声人語です。今朝、読み始めてビックリしました。女性執筆者の就任ご挨拶だったからです。朝日新聞始まって以来の出来事ではないでしょう。とうとう、ここまで来たか、と感慨無量となりました。朝日新聞創刊以来、天声人語の執筆者は男性で継続されてきました。過去を遡れば、嘉治隆一、荒垣秀雄、入江徳郎、疋田桂一郎、深代淳郎、辰野和男、白井健作、栗田亘、小池民男、高橋郁男、福島申二、富永格、、、、

 特に私が好きだったのは荒垣秀雄と入江徳郎の文章でした。白井健作さんはバイク乗りが好きで、あるとき筑波の販売店の前で転倒し、たまたまそこに居合わせた私と所長がお世話したこともありました。

 年四回発行される社内報の春号には、その年の新入社員全員の写真が載りますが、年々女性の数が増え、今では半数が女性です。私が入社した1961年は、女性はたった一人、松井やよりでした。山手教会の牧師の娘であった彼女は、日本人男性の海外への買春旅行を問題視します。傘下の販売店のそれが文春に載り、物議を醸しました。更に彼女は戦時中の日本軍の慰安婦問題を取り上げます。燃え上がった炎は今もってくすぶり続けています。既に彼女は天国に召されていますが、天声人語の執筆者に女性が加わったことを喜んでいるはずです。

 思えば、女性の躍進は世界的傾向になりつつあります。イギリスのジョンソン首相の後任も女性のリズ・トラスです。更にあげれば、ニュージーランドのアダーン、フランスのボルヌ、フィンランドのサンナ・マリン、デンマークのアンデション、、、リトアニア、エストニア、サモア、ウガンダ、、、、そして台湾。

 女性は争いを好みません。戦争などもってのほかです。もし、ロシアとウクライナの指導者が女性であったなら、小競り合いはあったでしょうが殺し合いまでにはならなかったでしょう。一方、日本はどうか? 政治の世界は相変わらずの男性社会です。これは、という女性を見つけることが出来ません。世界の趨勢から遅れているといっていいでしょう。朝日新聞が天声人語の筆者に女性記者を入れたこと、女性にとって「大きな夜明け」と言えるように思います。

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