最近のエッセイ43

2020年3月18日          桜、さくら、サクラ

 近くの公園の桜が咲き始めました。南側の地面に近い数輪が見事に咲きました。さてさて、嬉しい季節の始まりです。「春日町から光が丘へ向かう桜並木」「光が丘公園の桜」「千川通りの1000メートルは続く桜」『神田川沿いの100本」「哲学堂・新井薬師の桜」、、、、家の近くだけでもこれだけあります。桜を仰ぐ日は晴天に限ります。青空がバックでなければなりません。雨の日や、風の強い日の桜は惨めです。

 「靖国神社の桜」、「千鳥ヶ淵の桜」、「隅田川沿いの桜」、「上野公園の桜」、、、いずれも桜の名所ですが、いかんせん人が多くて静かな観賞に堪えません。しかし、人が多いほど観賞に堪える桜があります。青森の弘前城の桜です。雪の一冬を耐え忍んだ素朴な人々が桜の下で狂喜乱舞します。妙に納得出来ます。その時は4月の25,26,27日頃です。納得など出来るわけがない桜もあります。福島原発双葉町の隣町夜ノ森の桜です。この町には500本の桜が観る人無しに咲きます。三年ほど続けて秘かに訪れましたが、もしかすると、今年は除染されていて町に入れるかも知れません。今年は弘前にしようか、夜ノ森にするか、それともいっそのこと京都の円山公園にするか迷っています。考えてみれば、実に幸せなことです。  

 

 

2020年3月17日             マイナンバー 

 

 確定申告の締め切り日は、通年では3月16日ですが、今年はコロナのお蔭で一ヶ月延びています。それでも、締め切り日には持って行こうと計算を始めたのはいいけれど、申告書は「マイナンバーを添付しなければ受け付けない」と但し書きにあるではありませんか。そこで、このカードを探し始めましたが、何処にしまったのか、それらしいところを探せども探せども出てきません。仕方が無いので練馬区役所へ行って再発行を申請しました。私と同じような人でごった返していました。7,8年前でしたか 、マイナンバーが導入されるに当たって大きな反対運動が 国中に起きました。それが次第に外堀を埋められる形で、内堀である確定申告と確実に結びついたのです。税務当局は、恐らく、してやったり、とほくそ笑んでいることでしょう。

 まだあります。所得に対する税金の計算方法が今年から変わったのです。そうでなくても、年金の総額が漸減し、介護保険の金額が上がっているのに所得税の本体まで上がったのです。月額5000円ほど、年額6万円ほどです。今年からの税額の計算方法はすべての国民に共通ですから、皆さん、確定申告をしながら驚いたり、嘆いたりしているのではないでしょうか。

 私自身の場合は、60歳の会社定年の時から厚生年金の満額を貰い、更に、いただいた退職金4000万円のうち半分を企業年金に積み立て、月額15万円を今日まで貰い続け、長生きしているお蔭で預け入れた倍額以上を既に貰い、その上、自宅隣の敷地に建てた三世帯のアパ−ト収入も別途あるので、恵まれていると自分では思っているのですが、それでも尚、所得税がじりじりと上がるのはいい気持ちがいたしません。変なモノです。 

 

 

2020年3月15日       どうなっている? アフリカと南米

 

 新コロナウイルスの感染は世界規模で広がり、日を追って感染者の数が増えています。ヨーロッパではイタリアが最も多くの感染者をだし、中東ではイランとトルコが筆頭です。遅ればせながら、アメリカも「国家非常事態宣言」を出し、主要国からの入国拒否に転じました。

 感染者分布の世界地図を見ながら不思議に思うことは、アフリカ大陸と南米大陸の動向がいつも抜けていることです。恐らく、医療体制が整っていないため、国家として感染者の数を把握出来ないためだろうと、推測はするものの、もし、この両大陸へ飛び火しているとすれば、膨大な数をカウントするように思われてなりません。先進国であろうと、後進国であろうと、ウイルスには関係ありませんから、世界は両大陸の隠れた感染者数を早く明らかにし、蔓延の実態を公表すべきと思われます。

 WHOはここへ来て「パンデミック」宣言をしましたが、何故、後進国の感染者数に言及しないのでしょうか? それをすれば、「今年のオリンピックは、もう無理」と世界が納得するのではないでしょうか。なぜなら、オリンピックには全世界から競技者が集まるからです。アフリカ大陸からも、南米大陸からも選手であれば集まるからです。選手の中の感染者を見つけ出すなど至難の業になるでしょう。WHOは4月までの間に、両大陸に位置する後進国の感染状況を速やかに把握して世界に公表すべきです。

 

 

2020年3月14日          寿司三昧(2)

 

 寿司の善し悪しを決めるにあたって、ネタに劣らずものをいうのは、シャリと酢ではないでしょうか? 自己主張せずにネタの旨さを引き出す、脇役としての米。
 私自身の旅烏としての役得は、東日本各地のほとんどの種類の米を食べることができた、ということです。一昔前、新潟産の「コシヒカリ」、それも魚沼産のものが一世を風靡していました。谷川岳の土手っ腹を突き破る清水トンネル抜けると、なだらかな扇状地が広がります。浦佐、小出、堀之内などの町が点在する魚沼郡です。 初代「コシヒカリ」はここで培われました。生粋のそこの米は確かに旨い。 旨いが故に全国で交配が行なわれ雑種が出回ります。「新潟に負けじ」と旨い米競争が始まりました。その結果、北海道の「七つ星」、秋田の「秋田小町」、青森の「晴天の霹靂」、宮城の「ささにしき」、長野の「ミルキークイン」などが生まれました。

 私がいま最も愛用しているのは「山形産のつや姫」です。レンジ用のパックも出回っているので実に重宝にしています。しかしいま、全国にはどのくらいの種類のお米があるでしょうか? なんと、490種類もの銘柄米があるのです。これはオドロキ、モモノキでありました。では、この銘柄米の中のどのお米が寿司米として使われているでしょうか? 

 全然違うのです。この490種類の米は、寿司米として使われていないのです。寿司には寿司専用の米がありました。「銀坊主一族」という米です。この米の特徴は粘り気が少なく、粒離れがよい、弾力性があり歯ごたえがいい、のど越しがいい、つるつる感がある、などです。

 一度この米を買ってきて、自分で酢飯を作ってみたくなっています。

 

 

2020年3月13日                      寿司三昧(1)

 

 朝日新聞社が有楽町にあったころ、向かいのニュートーキョウの横町を入ったところに「花柳」という寿司屋がありました。販売局の外務社員の夜のたまり場でした。旬の肴を切ってもらって酒を酌み交わし、先輩の蘊蓄に耳を傾け、お仕舞いは握って貰って夜更けて家路に附く、のが常でした。勘定は、ほとんどが部の次長が処理していました。社屋が築地へ移ってからは、たまり場は「江戸銀」になりましたが、会合費に対しては経理が厳しくなり、昔のようにはいかなくなりました。 

 月の内、半分近くは家を空ける旅烏であってみれば、その土地の「旨いもの」との出会いは楽しみの一つです。私は寿司が好物なので、日本の、ほとんどの土地の「お寿司」と出会うことが出来たのは大いなる役得でした。秋田の(はたはた)寿司、富山・氷見の 寒ブリ、青森・大間の本マグロ、新潟の甘エビ寿司などなど。中でも特筆したいのは岩手県前沢で食べた「生牛肉のトロ寿司」です。旨くて旨くて20カンは食べたでしょうか。

 九州へ赴任したときは、フグやアラ(くえ)の寿司も食べましたが、何か頼りなく、フグはやはり大皿に盛り付けられた薄作りか鍋、そしてアラは鍋に限る、と知らされました。2月に沖縄の石垣島へ行ったときです。黒潮にのる前の鰹の子どもの寿司にありつきました。旨かったのなんの。

 寿司は海に囲まれた日本ならではの、美味にして風雅な食べ物です。今や全世界に知れ渡り、世界中で食べられるようになっていますが、外国で食べる寿司は、、、、かなりヘンテコリンな食べ物になっています。イスラエルにはロシアン巻きという巻き寿司がありました。ポーランドのワルシャワではくたびれたサーモン寿司がありました。タイ・チェンマイにも屋台寿司があります。一個30,40バーツでくそ熱い屋外の屋台で売っています。とても、食べる気になれません。

 今日のお昼は目の前で握って貰うお寿司屋で、本マグロ寿司5貫その他、アラ汁を3杯お代わりしてきました。

 

 

2020年3月12日                     沈丁花

 

 家から歩いて五分のところに小さな公園があって、桜の大木が二本あります。折に触れその前のベンチに座って時を過します。堅いつぼみの時、芽が膨らみ始めた時、数輪が開花した時、満開の時、散り始めの時、「散る桜 残る桜も 散る桜」の時、葉桜の時、枯れ葉の時、葉の吹きだまりが風に煽られている時、、、、、桜はその折々にカタチを変えます。今は沈丁花の香りが桜のつぼみの間に漂います。3月16日は確定申告の締め切り日です。江古田の練馬東税務署の横に小さな公園があって、何故か 沈丁花ばかりが咲き乱れています。二つ、三つの小枝を失敬して食卓に飾るのを常としていました。税金を納めたのだからこのぐらいは、、、、という気持ちです。ところが今年の確定申告の締め切りが一ヶ月延びました。新コロナウイルスのお蔭です。矢っ張り、今年も16日に持って行こう、そして沈丁花も失敬してこよう、と思っています。 

 

 

 

2020年3月12日         別役 実君のこと(2)

 

 

 私は学生時代後半、西部新宿線の上井草に部屋を借りていました。茅場町の日経新聞の発送部整備課でアルバイトをしている頃で、5時に授業を終えると早稲田から茅場町まで都電で行き、11時に、茅場町から高田馬場に戻り、西武線に乗るという毎日でした。上井草のアパートの一室に東京音大の女生徒がいました。ピアノがありました。休みの日など音大の女生徒がそこへ集まります。わたしが伴奏を頼まれます。その中に佐々木さんという髪の長い女性がいました。彼女の住まいは阿佐ヶ谷のキッチンもある部屋でした。そこも集会所になり、何かというと餃子づくりの集まりがありました。その集まりにの中に、後に女優になる楠侑子がいました。何かの折りに、私はそこへ同級の市川君と別役君を伴ったことがありました。それっきり私はアルバイトと卒論にかまけて疎遠になっていったのですが、十数年後のある日、羽田空港で別役夫妻とバッタリ会いました。何と、彼の奥さんはあの楠侑子ではありませんか!肥満児の女の子を連れていました。私も肥満児の長男を連れていました。

 

 次に会ったのは、朝日新聞社の事業担当役員が「朝日も映画を作る」と言い出したときです。アニメ映画の「銀河鉄道の夜」です。社外担当者の一人に別役君が選ばれていました。当時、私は宣伝部長で彼と「やあ、やあ、」となりました。この映画は大金を投じたものの、最終的にはどうだったのでしょう。担当役員だった中野某氏は宣伝部が悪いからだと社内中に触れて回りました。朝日にも「鼻持ちならない奴」はいました。

 

2020年3月11日         別役 実君のこと(1)

 今朝の朝日新聞第一面に、劇作家・別役実君の訃報がありました。82歳。私の1年下の学年です。長野・柳町中学、長野高校ずっと一緒でした。早稲田では私は第一文学部でしたが彼はニ文で劇団自由舞台に所属していました。「ゴドーを待ちながら」に代表される、その頃はやりだした「不条理劇」の脚本を手がけるようになり、脚光を浴びるようになります。 彼には一つ上の別役咲枝という姉がいて同じ白鳥先生のクラスで三年間を過しました。おまけに、私が1500人もいるマンモス校の生徒会長、彼女が副会長でした。

 彼らは満州からの引き揚げ者で、父親を早くに亡くし一家は三輪田町の長屋に住み、母親は水商売をして家計を支えていました。同級生の咲枝さんは築地の印刷会社の社長と結婚し長島性になりましたが、パーキンソンまがいの難病を患い10年ほど前に他界しています。別役実君もパーキンソンであったようで、大変だったのだろうな、と同情を禁じ得ません。蛇足ながら、珍しい姓である別役(ベツヤク)は(ベッチャク)、または(イ・ヨンフン)と呼びます。白鳥先生はいつも彼女をベッチャクと呼んでいました。

 長野善光寺大門町の中腹に位置する、柏与印刷の清水さんの自宅は真向かいの柏与紙店の裏にあり、その一階にはピアノもあり、サロン風になっていました。「どんどん講」という山グループの集まりがあったり、英語の塾になったりしていました。清水さんは旧制長野中学の英語教師をしていたことから、一切無料の柏与塾が週一回あって、教材はハムレットなどでした。私が東京に行くに当たって誰か紹介しろ、と言うので、私は別役実君と、彼の友達の小笠原君の二人を後釜に推薦しました。その後、彼がこの柏与塾と、清水さんから受けた恩恵について、「大変ありがたかった」と書いているのを週刊朝日で読んだことがあります。

 

2020年3月10日         東京大空襲

 1944年(昭和19年)3月10日の夜、中野区上高田国民学校一年生の私は、けたたましい空襲警報のサイレンの音に起こされ、母親と共に東の空が真っ赤に燃えているのを見ながら震えていました。下町を中心とする東京大空襲が始まったのでした。この時の死者は10万人、負傷者は100万人を超えたといわれています。敵B29の大編隊による東京爆撃は昭和19年の11月以降106回にも及びました。

 中野区新井薬師の私の家も5月24日の山の手大空襲で焼失しました。その時は延べ470機のB29が 焼夷弾を無差別に落とし15万戸が焼け、3500人が焼け死にました。その時は私は、一年生として、集団学童疎開で福島県浜通り富岡駅前の「大東館」にいましたから、家に残っていたのは母だけで、消火活動もままならず這々の体で逃げました。母はしばらく栃木の実姉のところに身を寄せていましたが、7月、苦労しながら会津の山の中、野沢まで私を迎えに来てくれて、母の郷里長野の東鶴賀の実家に身を寄せました。私たち親子は、誠に運が良かったのではないでしょうか。それだけにこの空襲によって命を落とされた方々が不憫でなりません。つらつら思うに、10万人を超える空襲によって亡くなった方々の犠牲の上に今日があるのです。そのことを生き残った私たちは決して忘れてはなりません。

                        (3月10日 B29爆撃機による無差別焼夷弾投下)

2020年3月10日          この命 

 「昨日、またかくてありけり。今日もまたかくてありなむ。この命、何をあくせく、明日をのみ思いわづらう」と古語にあります。

 人混みには出ない、電車にも乗らない、会合も欠席する、ひたすら自宅内に閉じこもる、という生活が始まって旬日が経過しました。幸い、読書やピアノに向かう時間が増えて、自分の来し方を今更のように顧みる時間を楽しんではいるのですが、一方、旅に出たい、新しい刺激にあやかりたい、という思いも日を追って強くなっています。

 今年の3月に予定されていた異国の麗人の来日も、私自身の5月の異国への旅も、今回の騒動で延期を余儀なくされ、いずれはその時が来るとしても、今のところは定かではなく、四,五ヶ月すればその時が来るのか、と期待しながら新型ウイルス禍の成り行きに一喜一憂しています。

 しかし、私以上にやきもきしているのは、海外に事業規模を拡大している企業に携わる人たちでしょう。入国制限のお蔭で、まともには行き来ができなくなっているのですから。  恐らく想像を絶するものがあるに違いありません。

 その原因を作ったのは誰か? 中国共産党であります。しかし、いま、中国首脳部の言動は全く聞こえて来ません。厳重な言論統制の中にある、とはいえ余りに無礼なのではないでしょうか。「不都合なことには、口を噤む」 この姿勢は毛沢東の時から続いています。かつて、毛沢東はの大号令を発しました。「ネズミを殺せ!、蚊を殺せ!、雀を殺せ!」その結果、農作物が育たず多数の餓死者がでました。天安門広場では軍の戦車がデモ隊の学生を踏み潰しました。いまの中国ではそのことを話題にすることは出来ません。歴史から抹殺しようとしているのでしょう。、不都合なことには目を背け口を噤む、中国共産党の常套手段です。

 今回のウイルス騒動の寄ってきたる由縁が中国にあるにもかかわらず、中国共産党は一切の弁明も、釈明も、「申し訳ない」の一言も発していません。自分の都合の悪いことには目を背け、口を噤む、これが中国共産党の姿勢です。今更、中国の説明を聞いたからと言ってどうにもならないのは分りきっていても、釈然としないのは、世界の人々の共通の気持ちではないでしょうか。

 

2020年3月10日          入国規制

 新コロナの世界的蔓延は、若干、抑えられてきたものの予断を許しません。ここへ来て韓国は日本を始め中国からの入国制限に舵を切りました。すかさず、日本も、中国・韓国のからの日本入国規制に踏切りました。ビザの発給停止、入国者全員の14日間隔離などです。一方、中東のトルコも厳格な東洋人入国規制を発令しました。慌てたのは韓国です。なぜなら、韓国とトルコは人の往来が従来から激しく、お互いの経済活動が活発であり、トルコ国内に数多くの経済拠点を持つ韓国には痛手となるからです。文在寅はエルドアンに抗議しました。でも、覆ることはないでしよう。 ヨーロッパではイタリアが感染国の筆頭です。何故だろう、と考えました。そして思い当たりました。北イタリアには、主としてミラノ周辺には中国人居留地が多数存在しています。春節で故郷に帰っていた中国人が戻ってきて感染を広げたのではないでしょうか?そして、イタリアから隣接のフランスやスイスへ、そしてヨーロッパ中に拡散されたのではないでしょうか? やはり、元凶は中国人なのでしょう。

 世界の国々は、自国を保護するために、なりふり構わず規制を強化し始めています。これらの処置がどれだけそれぞれの国の経済面に悪影響を及ぼすか、計り知れません。

 ということは、中国人を筆頭にアジア人が世界で疎外されつつあることを意味します。白い目で見られ、なるべく近づかないようにされ始めました。人種的偏見は、好むと好まざるとに拘わらず、感染忌避の名の下に堂々とまかり通り始めています。

 今日は相撲の大阪場所の初日でした。力士と関係者だけの奇妙キテレツの映像が流れました。野球のオープン戦も、ゴルフも、観客無しで行なわれています。

 政府関係者は、この二週間が山場だと言っていますが、世界的な流れを見る限り、そうは思われません。この新コロナウイルスに対する特効薬が現れない限り、この現象は収束しないのではないか、と思われます。

 私は、7月開催が予定されている東京オリンピックは、恐らく、開催不能となるか、大相撲のように、観客無しで開催されるか、前代未聞の決定になる、と思っています。それもこれも、中国から始まりました。もし、仮にも生物兵器の漏洩だとしたら、中国はどうやって世界に顔向けできるでしょうか?  

 

 

2020年3月10日         モーツアルトのピアノ曲

 異国の知人が、「モーツアルト幻想曲397」の復習をしているのを聞きおよび、懐かしくなって「ユーチューブ・ミユジック」を開いて聴きました。いろいろな弾き方があり、五歳の子どもの演奏から始まって、コンクールの第一位の女性や、プロの演奏者まで、とうとう10人ほどの演奏を聴いてしまいました。簡単なようでいて深い内容のある名曲です。私も昔やったのですが、今はプレストの部分などは指が動かないでしょう。バドラ・スコダやグレングールドの演奏もありました。ピアノの天才といわれるグールドはこの曲に自分流の解釈を付け加えた演奏でした。が、しかし、それがこの曲ににぴったりで違和感がありません。流石、天才ピアニストは凄い、と納得出来ました。

 

 また、高校時代の話に戻って恐縮ですが、長野高校の文化祭では毎年出場して、ピアノを弾いていました。先輩の歌の伴奏(小諸なる古城のほとり・シューマンの蓮の歌など)だったり、生徒会長だった佐々木潤君の(オーソレミヨなど)だったりいろいろでした。1年の時は無謀にも、モーツアルトの「トルコ行進曲つき変奏曲k303」をやりました。終楽章のトルコ行進曲になって、そこまで余りに良く弾けたせいか、気分が高揚して普段の速さを超えた速度で突入してしまいました。案の定、途中でとちりました。会場が失笑しました。火の出るほど恥ずかしい思いをしました。

 途中休憩の後はプロのピアニストとチェリストの競演です。アンコールの時、何とプロの女性ピアニストは、私がトチッたトルコ行進曲を弾き出したではありませんか!実に、実に恥ずかしかった記憶は今でも鮮明です。

 

2020年3月9日             暗 誦

 長野高校在学中の頃、日本の古典ものを覚えて、ソラで言えることに熱中した時期がありました。平家物語、徒然草、方丈記、奥の細道などですが、それらの一部が今でも折に触れ口の端にのぼる時があります。平家物語の「祇園精舎の鐘の声・・・」は余りにも有名で、誰でも初めの20行ほどはソラでいえるでしょうが、その先は如何でしょう。   
 「さて、おんあんじつをえいらんあるに、のきにはつたあさがおはえかかり、しのぶまじりのわすれぐさ、ひょうたんしばしばむなしく、あめげんけんがとぼそをうるおすともいいつべし・・・・きぎにこずたうましらのこえ、それらのおとずれなしには、まさきのかずらあおかずら、くるひとまれなるところなり・・・・」 

 そして、方丈記の鴨長明には大変憧れました。洛中を見下ろす日野山の山中に4畳半ほどの小屋を建てそこに住んだからです。「一切の虚飾を去り、一人、山川草木を相手に生きる」、、、当時、自分もやれたらいいな、と真剣に思ったことです。鴨長明の4畳半ほどの庵は、いま、下鴨神社境内の河合神社に復元されているそうですが、まだ、行っていません。
 「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、元の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びてとどまりたるためしなし、世の中にある人と住みかと、また、かくの如し」  そして、西行です。

      願わくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ

 

2020年3月8日           一緒にいること

 死ぬということは何でもないことなのです。私が隣の部屋に移っただけなのです。お互いの今までの関係はそのまま続いているのです。今までと同じ名前で呼んでください。今までと同じに気楽に話してください。ちょっとした冗談にいつも笑っていたように面白がって笑ってください。遊んで下さい。微笑んで下さい。時には私のことを考えて下さい。私のために祈って下さい。私の名前を家族の中に入れておいて下さい。元と同じように。 命の意味は今までと同じです。それは今でも変わりません。でも、それは完全に繋がっているのです。私が見えないからといって、あなたが忘れていいでしょうか。私はあなたを待っています。少し離れて、ほんの近くで、ちょっと角を曲がったところで。
全く大丈夫です。何も過ぎ去っていません。何にも無くなっていないのです。ほんの一瞬が過ぎた後、すべては元のままでしょう。でも、良くなっているのです。永遠に。今まで以上の楽しさの中で、いつまでも、いつまでも、、、、

 

       Today is the first day of the rest of your life
     (今日という日はあなたの残りの人生の第1日目である)

     ふと、旧い手帳を括っていたら、こんな書き付けが出てきました。

2020年3月7日      パイプオルガン

 今から数年前、スイスだけで一週間の旅をしたときのことです。チューリッヒの去る教会に入った途端、大音響のパイプオルガンの演奏に包まれました。弾き直しなどがありましたから、どなたかの練習の最中であったのでしょう。しかし、その演奏は私には天上からの音楽のように聞こえ、しばし、聴き惚れました。私には妙な癖があって、良い音楽に接すると身体が震えてくるのです。その時もそうでした。

 練馬のバプテスト教会にもパイプオルガンが設備されています。複雑に装備されているそのパイプオルガンに触れてみたい、演奏してみたいと、いつも思っているのですが、教会員の中には数名の武蔵野音大ピアノ科の卒業生がいて、私の出る幕はありません。

 京都の桂に小林英之さんという方のご実家がありました。お隣が小糸恵子さんのお宅です。恵子さんは小林さんの家のピアノを弾きに通ったそうです。そして、恵子さんは芸大に入りパイプオルガン奏者になりました。6年遅れて小林英之さんも芸大に入ります。恵子さんがガイダンスの労をとったようです。今、小林さんは上野学園音大の教授であり、東京芸術劇場の専属オルガニストです。恵子さんはというと、スイスへ渡り、「ケイ・コイト」として世界に名だたるオルガニストになっています。今や彼女はバッハのオルガン曲演奏の名手としても一世を風靡しています。最もポピュラーな「トッカータとフーガ」を含めてバッハには200曲を超えるオルガン曲があります。そのすべてを暗譜で演奏出来るのは、彼女ぐらいではないでしょうか。最も、オルガン演奏は両手両足を絶えず使うので、楽譜を見る余裕などないのです。重労働なのです。

 ヨーロッパに行って驚くのは、キリスト教会が宗派を問わずどこにもあり、パイプオルガンが設置されていることです。そのほとんどが、ストラウブールのシュヴェンケル社製のようです。「KEI KOITO]さんが、活躍の場を日本でなくヨーロッパ、中でもスイスを中心に選んだのは、半ば必然であったでしょうが、その評価が日本ではほとんど知られていないことが残念です。 

 

2020年3月6日            掟

 雨もよいの昨日と違って、今日は晴天ですが風が吹き荒れています。 つまり、花粉が我が物顔で飛び回っているのです。外出すれば、たちまち、目が痒くなり、鼻水が出てクシャミの連発となります。ポケットに薬を忍ばせ、目薬を差し、鼻孔に噴霧器を差し向けなければ、苦しくてたまりません。全く、困った季節です。

 更に悪いのは、気力が萎えてきていて、何もする気が無くなっていることです。これではならじ、と自分自身に対して掟を課すことにしました。

 

 1)毎日1時間はピアノに向かうこと、 2)30分は家の掃除などをすること、3)2時間は本を読むこと、4)30分は歩くこと、などです。

 花粉の季節が終わるまで、この掟を守っていこうと、自分に言い含めているところです。

 

2020年3月5日         しなやかな文章

 ヨーロッパのある国に定住している知人から、日本語の書籍の購入を頼まれ、数十冊の本をアマゾンから取り寄せています。下記の椎名誠もそのうちの一冊です。今日も届きました。中村明著「日本語の作法・しなやかな文章術」です。分厚い大著です。早稲田の第一文学部時代、私は西洋史、彼は国文科に在籍していましたが、波多野完治のゼミで一緒だったかもしれない、という微かな記憶があります。1935年生まれの彼は山形県鶴岡の出身。私の同級生で山形・米沢出身の吉沢章二郎君の知り合いでもありました。学部長が谷崎さん、国語学の権威・時枝誠教授、名物教授・暉峻康隆さんなどの頃です。私はその頃、波多野精一「時と永遠」に夢中でした。卒論でも「死海の書」に関連づけて、この本を取り上げたくらいです。中村さんの本を読みながら、つくづく思ったことは、「ああ、もっと文章の書き方を勉強しておけば良かった」という一点です。

 私自身の「最近のエッセイ」は回を重ねて、量だけは多いけれど、文章としてはサッパリ面白くない、ただ駄文を連ねているに等しい、と常々思っているのです。しかし、これが私の限界だ、とすれば「これから勉強を重ねて、死ぬ間際までには一篇だけでイイから、これは、という文章を書きたい」と思うのです。だから、いまや早稲田の名誉教授である中村さんの最近の労作を熟読玩味しよう、と決めました。

 

2020年3月4日           トンレサップ湖上生活

 椎名誠が、昨年、「世界の家族・家族の世界」という写真集を出しているのを知りました。アマゾンで取り寄せて見ました。写真家としての椎名誠の魅力が横溢した近刊でありました。その中に、カンボジアのトンレサップ湖の湖上生活者の写真がありました。私も数年前にそこへ行っているので同じ思いを致しました。

 カンボジアではアンコールワットが余りにも有名です。そこへ行くにためにバンコックからシュムリアップ行きのプロペラ機に乗ります。猛烈な暑さの中、三日間、周辺の旧寺院跡を見て回りましたが、近くにトンレサップという湖があって、五千人近くが湖上生活をしている、と聞き及び、そのツアーに参加しました。聞きしに勝る人間の家族の極限生活がそこにありました。(動画です。クリックするとご覧になれます)

 2020年3月3日           椎名誠の文章力

 若い頃、土方人足までやった椎名誠は、銀座7丁目のビルの一室に居を構える「業界紙会社」の記者になります。「事実をそのまま伝える」という筆法は、その時に培われたようです。一方、彼は好奇心が人一倍強いため、日本のみならず世界各地のいわゆる辺境に好んで出かけて行き、その顛末を業界紙記者よろしく、一切の虚飾無しに文章化しました。それがまた新鮮で人気が高まりました。私も彼のだらだら文章に魅せられた一人で、300冊は超える彼の単行本の半分以上は書庫にあります。 一方、彼には体育会的気質があって、「大勢で騒ぐ」ことが大好きです。新宿の地下の居酒屋に四六時中群れていて、国中の離れ島へキャンプに行ったり、漁船が網を海に浮かべるために使う「大きなガラス玉」をボールの代わりにして砂浜で野球に興じたり、大の男どもが子どものように「ラッチもない」ことに興ずる、それがまた文章になる、、、、従って、彼の本には思想性や芸術性など全く見られません。それなのに、読み始めると止まらなくなるから不思議です。

 この、3,4年前まで「サンデー毎日」や「週刊文春」に2ページものを連載していましたが、このところパッタリと途絶えています。よもや、病気でなければいいが、と思って調べて見ました。

 「岳物語」の主人公であった息子さんは、結婚して三人の子どもの父親になり、新宿区の椎名家の近くに住んでいます。おじいちゃんは孫と遊ぶのを無上の楽しみとしているようです。息子さんについて書いた「岳物語」についてお父さんに反発した時期があったようです。娘の葉さんはアメリカへ留学し、ニューヨーク州の弁護士資格をとりました。アメリカ人と結婚しましたが、今は離婚し、日本でエッセイストとなっているようです。奥さんの渡辺一枝さんも夫君に劣らぬほどの物書きです。桜蘭やチベットに異常なまでの関心を持ち、作家活動をしています。

 ご夫妻はアルバイト先で知り合いました。誠さんが奥さんのアパートへ行ったところ、スエン・ヘデインの「さまよえる湖」が揃っていたようです。それが欲しくて求婚したとか、、、、小平に新居を持った頃は、一枝さんは保母さんをやっていました。昔は、主人が家を空けていたのに今は奥さんがチベットへ入り浸っているそうです。

 問題は、椎名誠の持病である不眠症とうつ病でしょうか。「僕は眠れない」で明らかなように一種の精神障害で、彼は苦しんでいるようです。皺だらけの彼の顔を見るに付け、彼の苦しみが透けて見えます。   

 

2020年3月2日                           雪

 今年は、まだ、雪にお目にかかっていないのに、3月を迎えてしまいました。最も、1月中旬から2月にかけて、タイ・チェンマイでしたから仕方ありません。

 雪、と言えばスキー。最後にスキーをしたのは清里の宮沢山荘にお邪魔して、赤岳の麓の「サン・メドウ」で滑った時でした。宮沢君はこのスキー場の年間パスポートを買っていて自分の庭のようにしていました。彼の滑りが余りに華麗なので、「よーし」と思って私はスキー教室に入りました。4,5時間後、卒業試験はテッペンからの滑降です。私の番になりました。勢いよく滑り出したのはイイが、斜め後ろから大男の初心者がブツカッテきました。二人とも斜面に4,50メートルは投げ出されました。首の辺りを「イヤ」というほど強打しました。立ち上がれません。相手の男も同様のようでした。雪上救急車が二台来ました。宮沢君に付き添って貰って、麓の甲南病院へ行きました。首に大きなギブスをはめられて翌日帰京し、持参した頸椎X線写真と紹介状を持って女子医大へ行きました。スキー場での衝突事故は「どっちもどっち」で損害賠償は成立しないことを始めて知りました。

 スキーの事故と言えば、予備校時代に長野の清水さんと国鉄職員の大熊さんの三人で、厳冬期の唐松岳へ登った時のことです。当時の八方尾根は今のように開けていませんでした。ロープウエイの終点からは、スキーを十文字に担いで、深い雪の中をラッセルしながら進みます。冷泉小屋で一泊し、翌朝、頂上を目指します。ほどよいところでスキーをデポし、8本爪のアイゼンに履き替えます。左手に五竜、鹿島槍、右手に白馬三山、雄大な景色に見とれる暇も無いくらい、頂上は強風が吹き荒れていました。早々に下山を開始し、スキーに履き替え雄大な斜面を滑降し始めました。大きな誤算は、新雪を含めて斜面が凍結していたことです。吹きだまりに突っ込んだ瞬間、スキーの片方が折れてしまいました。片足で滑るより仕方ありません。速力は、当然、鈍ります。信濃四谷駅発(今の白馬駅)の松本行きの最終列車の時刻は迫ってきます。お二人には明日の仕事があります。「俺たちは明日があるから先に行くが、お前はゆっくり降りて麓に泊まれ。宿代は払っておいてやる。決して無理をするな」

 何度、斜面で転び、何度、雪だるまになったでしょうか。夕暮れが迫ってきました。八方尾根のリフトは既に停まっています。町灯りが見え始めました。「助かった」と思いました。下から「オーイ、オーイ」という大勢の人声が聞こえて来ました。「学生がスキーを折って降りてくる。万一の場合は頼む」と言い置いてくれていたのでした。  

 

2020年2月29日          付和雷同

 親しくさせて貰っている友人から「薬局からちり紙が消えている」とのメールがありました。「まさか?」と思ってテッシュペーパーを買いに行ってみました。無いのです。普段なら、山と積まれているテッシュも、トイレットペーパーも、キッチンペーパすらも全く無いのです。「月曜日の9時には入荷しますのでそれまでお待ち下さい。ただ、大勢さんが並びますので、お早めにおいで下さい」とのこと。

 呆れました。日本人に呆れました。戦争が始まる、というなら理解も出来ましょうが、単なる微生物騒動ではありませんか!

 しかも、これらのペーパー類は中国からの輸入品ではなく、日本の製紙会社が作っているのですぞ。日本の倉庫には唸るほどの在庫があるのですぞ。なるほど、日本の古紙は中国に輸出されていて輸入品のように見えますが、それは電気工業製品などの包装に使われる段ボール類だけです。

 「群衆心理」というモノは怖ろしい。総理大臣が「全国の学校を3月3日から春休みまで休校にすること」というおフレを出しただけで、この騒ぎ。

 報道によれば、全国の学校に対する休校要請は、政権内部に意見を聞くこともなく、安倍晋三周辺だけの、いわば独りよがりの政令発表だったそうではありませんか!こういう問題こそ、広く英知を結集して「万機公論に決すべし」なのではなかったでしょうか。明治政府ですら、この「五箇条のご誓文」に従っていました。

 案の定、休校要請に肯んじない自治体が多数出ています。石川県や金沢市などがその筆頭です。加賀藩が長州藩の言うことなど聞くわけもありません。土佐藩ですらそっぽを向いています。

 学生、生徒達にとって、大事な、大事な第三学期を「学校へ出てくるな、家に引っ込んでいろ」とよくも言えたモノです。

「全国の学生・生徒の皆さん、教職員の皆さん、いま、中国を始め、世界中を脅かしている新コロナウイルスが、私たちの日本で蔓延するかどうかは、これからの二週間が最大の山場になります。どうか、手洗い、うがい、アルコール消毒など学校毎に万全の態勢を作って乗り切っていこうではありませんか。少しでも怪しい動きがあったら、私は全校休校してもやぬを得ないと思います。その判断は地方自治体にお任せしますが、もし、出費があるなら、それは政府が保証します」 

 こういうオフレであれば、テッシュペーパーの売り切れにはならなかったでしょうに。

 

2020年2月28日           羹に懲りて

 高齢者や持病を持っている人に向かって、「この際人混みに出るな」というなら話は分ります。しかし、今回の総理大臣のオフレは「すべての学校は3月3日から春休みまで休校にしろ」というモノです。例えば私の出身の長野県では、たった一人の感染者がいるだけなのに、何で全学校を休校にしなければならないのですか!1年で一番大事な三学期を、何で強制的に休ませなければならないのですか! 理解に苦しみます。

 これは、とりもなおさず、行政の責任逃れのオフレです。「羮に懲りて膾を吹く」の類いでなくて何でしょう。長男が務めているデズニーランドが、二週間の休業に踏み切るそうです。これは「あ、そう」と頷くだけで済みますが、学校となるとそうはいきません。教育の機会を失うからです。そうでなくても日本の教育水準は、世界の中ではスエーデンに負けています。

 早い話、コロナウイルスの震源地中国では全国の学校を休校にしているでしょうか? そんな話はまだ聞こえて来てはいません。

 つくづく、今の為政者はダメだなあ、と思うのは私だけでしょうか?森友学園、公文書偽装の件、桜を観る会、検察庁定年延長問題、ETC、、、、安倍晋三以下をノサバラセテイルのは私を含めた国民全員ですぞ!         

 

2020年2月27日            蟄 居

 今日は曇天の昨日と違って快晴なのに、冷たい風が吹き荒んでいます。外に出れば花粉が目や鼻に飛び込み、顕著な自覚症状となります。いやはや、辛い季節です。折から新型コロナウイルスの蔓延を防ぐため、政府はイベントや会合の禁止、一時的学級閉鎖などの政令を発しつつあります。

 一昨日は光が丘病院へ行って、CTや喀痰検査の結果を聞きました。今のところ肺に癌などを含む異常は見当たらないが、ご高齢でありますからして、将来、間質性肺炎になる恐れが無いとは言えない、ジャニヨッテ、煙草はダメよ、と美人の女医さんに言われました。次回の予約は5月19日。

 新型コロナウイルスは、今や、世界的規模で拡散していますが、仮に感染の疑惑があっても、検査する試薬も、治療する隔離病床も今の日本では十分に整ってはいないのだから、少々、熱が出ても病院を訪れず、自宅療養して欲しい、という咋今の厚生大臣の言葉。ならば、もっけの幸い、外へ出ることを止めよう、電車にも乗らずにおこう、ましてや人混みには近づくまい、外出は食料の買い出しの時だけにして終日蟄居していよう、そうだ、そうだ、その方が花粉症持ちの私にとっては好都合、と思うことにしました。

 中国武漢を発生源とする今回の出来事は、日が経つにつれ、野生動物からでは無く、「人為的は過失による重大事故」の様相がはっきりしてきたようです。細菌を兵器として研究する施設が武漢に二カ所あると、前に述べましたが、そのうちの一つに勤務する7人の研究員が近くの病院になだれ込んできました。そこでは手に負えないと言うので2000人規模の協和病院に移り、そこから拡散が始まった、と言うのがどうやら真相のようです。事故なのか、他国からの策略なのかはいまのところ不明ですが、「野生動物からの感染」はどうやら否定されつつあります。「中国の生物兵器の扱いミスによる漏洩感染」 世界の国々の人々も、薄々気づいてはいても、あからさまに中国を非難することは憚れるので、もう少し実態が暴露されるまで、敢えて声高に言わないのではないでしょうか。

 世界の市況では株が大暴落し始めました。韓国などはすでにボロボロです。日本も二万円を割るのはここ一週間以内でしょう。ザマアゴランアソバセ、ヤガリマセです。     

 

2020年2月25日                      柑橘類

 昔の話で何ですが、日刊スポーツ新聞社の部長に加藤君という切れ者がいました。毎年のことながら冬から春にかけて彼の顔が黄色く染まってくるのです。何故か?と問いかけると、彼は卓上に置いてあるミカンを指さし、此れのせいです、と恥ずかしそうに答えました。彼は一日に10個以上のミカンを食べるとのこと、ミカンが無かったら死んでしまいたい、とも言いました。

 囲碁の世界で今を時めく、一力遼くんの伯父さんに当たる一力英夫さんが部長の時、次長として仕えたことがありました。京都の楠荘という一力家なじみのところで舞妓さんたちに囲まれた時のことです。 舞妓さんの一人が卓上のバンパイユという熊本産の大変珍しいミカンを取り分けて一力さんに食べさせようとしました。すると一力さんは「僕は今、柑橘類(かんきつるい)は沢山だ」と言って拒否しました。柑橘類、、、、、この言葉は私には鋭く、また、艶めかしく響きました。

 爾来、私はその柑橘類の虜になって80の齢を超えました。平たく言えば、ミカン類を食べない日はない、と言うことです。一昨日は金柑一袋、紀州ミカン、三ヶ日ミカン、オレンジ、伊予柑、夏みかん、、、、、今日も伊予柑10個を買ってきて悦に入っているところです。何といっても、一番好きなのは、熊本産の大きなミカン「バンパイユ」でしょうか。これは滅多に手に入りません。

 人が見れば、私の顔も日刊スポーツの加藤君よろしく、黄色くなっているのではないでしょうか。 

 

2020年2月24日         白装束のキリスト教 

 韓国におけるキリスト教には様々な宗派が勝手に存在する、とは聴いていましたが、今回、新型肺炎菌の急速な蔓延に一役買っている映像を観て、改めて驚きました。数百人は収容できる会堂に、白装束を纏った信者が正座して儀式が始まります。信者の多くは女性です。密集していますから、もし、保菌者がいるとすれば、飛沫感染は、当然、起り得るでしょう。この団体の名称は「新天地イエスの会』と言います。礼拝はその技術に長けた指導者による「集団陶酔」のようです。指導者は巧みに集団を自在に操ります。

 遙か昔、これに似たキリスト教的新興宗教が韓国にありました。集団見合い結婚です。1500人の男性と1500人の女性が「神の名」のもとに自分の前に並んだ異性と結婚させられました。かつて、山口百恵の三人組の一人がこの宗教によって初対面の男性と結婚させられ、芸能界を去りました。いま、彼女はどうなっているのか、、、 プロテスタント・キリスト教の亜流が、なぜ、韓国に多いのでしょうか?

 実は、キリスト教徒の総数は、日本が全人口の1%であるのに対し、韓国では28%にもなります。悪政の誉れが高い大統領文在寅も、実はカトリック教徒です。ところが韓国のキリスト教は、どこか日本の新興宗教に似ていて、現世利益や、病気治癒願望などシャーマニズム傾向が強いと言われます。その現れの一端が白装束の集団礼拝なのです。 

 一方、世界のキリスト教史を見ても聖書の様々な解釈により、歴史のその時どきの事情により、キリスト教そのものが変質したり、解釈が変わったりしてきたことは、歴史的事実です。総数22億の世界のキリスト教徒の50%はローマカトリック教徒です。アフリカ、メキシコなどを主に全世界に拡散しています。プロテスタントは23%ほどです。アメリカ、オーストラリア、インドネシア、カナダ、イギリス、アルゼンチンなどがそうです。ギリシア正教もあります。12%ほどですが、旧ソ連領はの大部分がこの宗派です。もう一つ東方諸教会があります、イラン、イラク、エチオピアなどに広がっています。

 昨日の報道によれば韓国の感染者はこの10日間あまりで、飛躍的に増えました。ほとんどが白装束の方々とか、著名な牧師も亡くなったと言われています。だからといって白装束教会は日曜礼拝を休止するでしょうか? それは考えられません。艱難辛苦に立ち向かってこその教会であるからです。

 願わくは、感染者がこれ以上蔓延しないことを、日本国から祈るや切です。    

 

2020年2月23日          4000億匹

 何が4000億匹かというと、アフリカのエチオピア、イエメンなどに発生して樹木や草原の緑を食い荒らす「サバク飛びバッタ」のことです。異常気象のためサバク地帯に大量の雨が降りました。雨が降れば草木が繁茂します。その緑の葉っぱを餌とする昆虫が発生します。すべて、異常気象のお蔭です。

 五センチほどの大きさのこのバッタは、二ヶ月ほどの寿命しかないそうですが,その間に400個ほどの卵を産むそうです。飛行距離は一日200キロほど。例えて言えば、東京で生まれたバッタは一日で水戸まで飛ぶそうです。そして、緑であれば何でも食い尽くす。葉っぱのほとんどは他の草食動物に食べられてしまていても、残っているモノはすべて、毒性の高いモノであっても、貪欲に食べてしまうそうです。だから、バッタの胃袋は毒だらけ。人間の食用にはならないそうです。エチオピアやイエメンはそうでなくても極貧の国。国連や赤十字は、総力を挙げて被害国の救済しなければなりません。エチオピアの隣はエジプトやサウジアラビア、イスラエル、スーダン、ヨルダンです。ヨルダンへ逃げたニッサンのゴーン被告は、私財を投げ打ってこの国際危機に立ち向かって欲しいものです。一方、中央アジアの奥地でもバッタの発生が確認されているそうです。パキスタンからインド、そして中国の奥地にも集団発生が見られるそうです。

 バッタの異常発生は日本にもありました。明治時代に北海道でトノサマバッタが異常発生し、時の政府がその駆除と人民の救済に苦労したという文献があります。すべての原因は「気象の異常のせい」とのこと。

 中国武漢を震源とするウイルスの異常発生、そしてバッタ。人間の奢りに対する神さまの警告でありましょう。  

 

2020年2月20日           落ち目の郵政  

 お年玉付年賀状の当選番号は先月23日に発表されています。今日、思い出して当たっているかどうか、期待を込めて調べて見ました。自慢じゃありませんが、80年を超える生涯で、一度たりとも大当たりしたことがありません。いつの年も幾枚かの記念切手ばかり、、、、今年も300通あまり、多いときは2000通を超えていましたから投下した金額は莫大でしよう。だから、少しぐらいの見返りがあっても、、、、と思うのは貧乏人の浅ましさ。結果は、、、、たった4枚の記念切手当選でした。去年までは10枚を超えるときもあったのに、、、そう思ってよくよく見ると最下位の当選番号が従来の下一桁から下二桁になっているではありません。一桁と二桁では確率が全く違います。つまり、落ち目の郵政が「経費節約のための挙に出た」のです。せこい改変です。怒りを通り越して哀れになりました。

 そういえば、この頃郵便局へ行っても人影はまばらです。店頭では余り使われそうもない雑物のセールが行なわれています。でも、買っている人を見たことがありません。小包の宅配はヤマト便に奪われ、手紙やはがきはメールやスマホに取って代わられ、生命保険も民間にやられ、郵政の存在価値が全くと言っていいほど無くなっているように思えてなりません。小泉内閣時代に郵政は民営化された筈ですが、未だに、半官半民の気風は抜けず、老齢保険では大がかりな不正まで行なわれました。

 同じ民営化でも、中曽根内閣の時の国鉄民営化は完全に成功し、世界に冠たるJRになっています。それに付随して新幹線の技術や日立や日本車両が作り上げる鉄道車両は世界の垂涎の的になっています。

 日本は何故通信機器の面で遅れをとってしまったのか? それは、紙による媒体文化が、光や電波によるものに取って代わるその急速な変化についていけなかったことによります。わずか25年前から始まった情報伝播の方法が「紙」から「光」に替わったことに対応出来なかったからです。電電公社も東日本通信にも大きな研究所を持っていて、われわれも見学に行きましたが、そこではスマホやIPDの時代になることを完全に予測していました。テレホンカード全盛の頃でしたが、三浦半島にあったその研究所では怖ろしい通信革命を完全予測していました。それなのに、何故日本は遅れをとってしまったのか? アメリカと、中国は言うに及ばず、韓国にまで新しい通信技術を駆使する巨大産業が生まれているのに、何故日本はその流れから疎外されたのか? GAFAと呼ばれるグーグル、アマゾン、フェースブック、アップルなどの巨大産業を日本でも持つ可能性があったのに、何故、後塵を拝する情けない状態になったのか? それは詰まるところ郵政における利権争いであり、出る杭は打たれる日本の宿命であり、人を得なかった日本の悲劇となったのです。そのなれの果てが年賀状の姑息な倹約に集約された、と言っていいのではないでしょうか!

 今月6日の帰朝の際、面白いことに気がつきました。それは、タイのチェンマイ空港にもバンコックのスワンナ・ブーム空港でも、売店から一切の煙草の販売が消えていることでした。更に国内線でも国際線でも、かってあったスモーキングルームが全部、完全になくなっていることでした。ビニール袋の全廃といい、煙草の販売停止といい「タイ政府、なかなかやるなあ」と思ったことです。我が国も「日本たばこ産業」を早急に廃止しては如何でしょう。

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