最近のエッセイ(61)

02021年3月15日          桜咲く

 東京での桜の開花宣言が昨日出されました。靖国神社の数多の桜のなかで、気象庁から毎年指定されている一本で、5輪の開花が確認されたからです。普通は二十日頃ですから、今年は早い方でありましょう。日本で一番早く咲くのは沖縄の紅桜です。1月15日頃には満開になります。小さな山を登ってゆくジグザグの道の両端に植わっている100本近い桜並木ですが、何故か、内地の桜と違って血の色を滲ませています。北海道を除いて本州の桜開花の最後は青森弘前城公園の桜です。4月27日を挟んで三日間、桜の下は津軽の人たちで満ち溢れます。実は、もっと遅く咲く桜が本州にはあるのです。奥会津・桧枝岐の桜です。5月6日頃満開を迎えます。派手やかな吉野桜とは違う小粒な花の山桜ですが、大木になっているので、見ごたえがあります。 

 一度、行って観てみたい、と思っている桜があります。水上勉の作品に出てくる実話としての「櫻守り」の桜です。富山から名古屋に続く「鯖街道」だったかの沿道にバスの車掌さんが一生をかけて植えた桜並木です。また、もう一度見たいと思う桜があります。全山が桜で埋まっている福島市の奥です。これも、ある篤志家が生涯をかけて数百本の桜で全山を埋め尽くした、知る人ぞ知る隠れた遺産です。

 桜が最も美しく輝くのは、青空を背景にした時です。心が洗われる思いがするとともに、何とも言えない幸せな気持ちに満たされます。外出自粛の折から、遠出はせずに、去年と同じように近隣の桜で済まそうと思っています。なに、すぐ近所に桜の名所が5か所もあるのです。

IMG_5707れいこ7.JPG

      春に目覚めし花のごと 

      散るはわが身の夢の舞い

      夜をきわめしおぼろ月

      浅きめまいと匂い立つ

      定めの儚き人の世を

      今宵の薄月に顕じなん

      せめて一夜の夢なれば

      いと絢爛と散りゆかん

      添うて悲しき人なれど

      この身を焦がす弥生花

                 ー松尾多門ー

 

2021年3月14日    ミン・アウン・フライン 

 何処の国でも軍隊は国民を守るために存在しています。2月1日に起きたミャンマーの国軍によるクーデターは、すでに80人の国民を軍隊が殺しました。それを指揮したのが、アウンサンスーチーを軟禁し、権力を我が物にしたミンアウンフライン国軍最高司令官、写真の男です。64歳の小柄な男です。日本の麻生太郎と親交が深いそうです。建築技師ウータウン・フラインの息子として生まれた彼は、ヤンゴン芸術工科大学卒業後、1974年に国軍士官学校へ入学します。国の一隅に住む80万人の異民族ロヒンギャの虐待の指揮をとる頃から頭角を現し始めます。いわゆる<やり手の小男>になり、ついに、最高位にまで登りつめます。邪魔になるのは選挙で大勝を収めたアウンサンスーチーと民主勢力です。2月1日クーデターを起こし、スーチーさんを軟禁しました。それを怒った市民のデモに、あろうことか実弾を発射し、すでに80人近くを殺しています。北京の天安門事件の再來です。いま、非難の嵐は世界中に巻き起こっていますが、この、小柄な権力者はどこ吹く風のようです。

 

 一方、市民のデモは死者が大勢出ようとも、収まる気配がありません。いま、市民は奇抜な方法でデモを繰り返しています。女性のロンジンを高くなびかせて国軍に向うのです。なぜか、ミャンマーでは女性のロンジンの下に身を置くのは恥とされているからです。もう一つは権力者ミン・アウン・フラインの大きな写真を道路一杯に置いて国軍と対峙しているのです。まさか、権力者を踏んずけまでは来れないだろう、という涙ぐまし戦術です。選挙で圧倒的勝利を収めたアウンサンスーチーさんを、クーデターを起こして軟禁した、この小柄な権力者は、遠からず天罰を受けること必須だ、と私は思っていますが、この一連の動きの裏に中国共産党の思惑が見え隠れしているのが、何としても気がかりです。

Senior General Min Aung Hlaing 2017 (cropped).jpg

       ひよどり越えの さかおとし

       蟻の大軍 攻めくだる

       目指す平家は 梨の芯 

       私の捨てた梨の芯

       峠の茶屋の昼下がり

       ふるは松葉と 蝉しぐれ

       蟻の大軍 いさましく

       梨のお城を とりまいた

                 ー金子みすゞー

 

2021年3月13日         お 米

 昨年末、次男から送られてきたお歳暮の段ボールを先月になって開けてみました。なんと、世にいう銘柄米の数々が1、2キロずつ小分けされた袋が詰まっていたではありませんか。嬉しかったの何の。私は昔から「お米大好き人間」の一人です。現役時代が旅がらすでありましたから、東北、信越、富山、そして九州のお米をイヤというほど味わってきました。中でも新潟県魚沼産コシヒカリはあまりにも有名で、同県を2年余り担当しましたから十分に堪能できました。ところが今はそれをはるかに超える美味しい銘柄米が続々市場に出回っています。ただ、値段が高いのが難点でしょうか。

 最近、頭角を現してきたのが青森の「青天の霹靂」です。お隣の「秋田こまち」は霞みつつあります。私が常用しているのがお隣の山形県の「つや姫」です。レンジ用のパックも勿論これにしています。宮城県の「ひとめぼれ」は栗原産以外は美味しくなくなりました。福島県も、お米に関しては凡庸なところです。ただ、奥会津に近い坂下(ばんげ)にだけは旨い米がありますが、すべて自家用で市場には出てきません。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              茨城県を含む北関東三県もお寂しい限りです。長野県には「ミルキークイーン」がありますが、これの亜種が全国的に生産されています。「又八」がそれです。何らかの賞をもらっています。滋賀県の「にこまる」も最近有名になりました。そして岐阜高山の「黄金の輝き」、石川県の「アモーレ」などが市場で好まれだしました。

  東南アジアを旅していて一番の悩みはお米が美味しくないことです。タイチェンマイのお米屋さんにも沢山の袋が店頭に並んでいますが、もち米以外、みんなぱさぱさで味がなく、ただ、咀嚼して胃袋に押し込むだけ代物です。同じ稲作でも水に恵まれ春夏秋冬のある国と、雨季と乾季だけの東南アジアの国々とでは米にとって条件が違いすぎるのでしょう。美味しいお米がいくらでも手に入る日本国、その国民であることの有難さは計り知れません。

IMG_4920えん5.JPG

 

          如何なれば草よ

        風吹けば 一方に寄る

        人の身は然らず

        己が心の向き向きに寄る

        何か善き

        何が悪しき

        知らず

        ただ人は向き 向き

                 ー与謝野晶子ー

 

 

 

2021年3月12日        美は照応にあり

 終戦になり、長野市に移り住んでの小学校4年から6年までの3年間、上野雄二先生に担当していただきました。膨大な蔵書に囲まれた柳原のご自宅に呼んでもらい、奥様の手料理をいただきながら蘊蓄のあるお話を、しばしば伺っていました。上野先生は金原省吾先生と、ジャンクリストフの名訳で知られる片山俊彦先生に私淑されておいでで、そのお陰で中学時代にロマンロランのほとんどを、分からないなりに読破しました。

 ある夜のこと、先生に向って「人間にとって一番尊い仕事は何でしょうか?」と質問しました。しばらく考えていた先生は、「それは 、美を追求し、表現することにあると思う」とポツンとおっしゃいました。そして「美は照応にあり」と付け加えられました。難しい言葉であり、今でも理解できないでいますが、「美とは天が与えてくれるのもので、人はそれに応じて表現し、創造していくもの、そういう仕事に携わってこそ、人間の生きる値打ちになる」とでも解釈しましょうか。同じ意味の言葉は聖書のコリント書にも表れます。「われ、もはや生きるに非ず、キリストわが内にありて生きるなり」です。美も愛も照らし出されるもの、それに応えて行ってこその人間の生き方、、、、

 今年85歳になる横尾忠則は天から照らされる「美」に素早く応じ、あらゆるジャンルの方法を使ってその美を表現する、ある意味では天才でありました。やがて100歳になんなんとする瀬戸内寂聴さんとは若い時から親交があり、その思い出をたどるお二人の往復書簡形式のページが週刊朝日で連載されていました。二人のやり取りの中に三島由紀夫がしばしば登場し、彼が美を文章によって表現する天才であったことの認識で一致していました。わが意を得た思いでした。

 今日発売の週刊朝日で、この往復書簡がお終いになることを知りました。理由は寂聴さんがこの書簡を書きながら発作に襲われたからです。身体的発作ではありません。精神的発作のようでありました。きっと、いまさらながら無常を悟って何もかもイヤになったのでありましょう。

 

    雲は垂れこめて

    草花の端末に涙ふる

    それを見るのが 生きる張り合い

    わが身の慰め 旨酒の秘密

    明日は わが身は土に還り

    草木になって 露を宿す

    一体 それを誰が見る?

IMG_5099はる10.JPG

2021年3月11日          暗譜力

 

 

 一台のピアノとオーケストラが、互いに自分を主張しながら壮大な音の世界を表現するピアノ協奏曲は、古来から多くの作曲家による作品が数多存在します。モーツアルト、シューベルト、シューマン、ベートーベン<皇帝>、ショパン<第一、第二>、チャイコフスキー、グリーグ、ラフマニノフ<第一、第二、第三>、ハチャトリアンなどなど、いずれも壮大にして華麗、演奏時間は30分を超えるものばかりです。

 これらの名曲のすべてを暗譜で弾いてしまうピアニストがいます。グルジア生まれのカチア・ブニアステビリです。いつも大きな胸を露わにしたセクシイな衣装で登場しまが、彼女がピアノから引き出すのは限りなく自然で美しい音です。それは手の平をそのまま鍵盤に置いて、指の重さ以外のよけいな力を鍵盤に与えないからです。しかもどんな難曲のフレーズでも音を外しません。長い間、彼女の演奏を聴いてきましたが、一度たりともミスタッチがありません。つまり、ほとんどのピアノ協奏曲を暗譜しているのです。膨大な音符の数でありましょう。音符は0,01秒の速さで移動しているのです。一方、ピアニストと協奏するオーケストラの方は目の前の譜面台とニラメッコしています。譜面を見ながら弾くなら、、、誰にだってできることです。ピアニストとは、つまり、記憶力が抜群でなければならないのです。

 私自身、十数年前までは暗譜で弾ける曲もありました。いま、毎日ピアノには向かっていますが、今はどうでしょう。目の前に楽譜があるのに、その通りに指が動いていかない、、、隣の鍵盤を抑えてしまうこともしばしば、、、一曲を暗譜するなんてとんでもない。眼鏡を替えたら楽譜はよく見えるようになりましたが、今度は鍵盤が歪んで見える、、、でも、これは私だけの現象ではないはずです。ということは、年を召したピアニストの演奏は聴かない方がよい、ということに尽きます。

 その昔、来日したポロビッツの演奏会へ3万5000円出してサントリーホールへ聴きに行きました。ミスの連続でした。批評家は「壊れた骨董品」と揶揄しました。私も同じ感想だったので、3万5000円返せ、と投稿しましたら、雑誌「音楽の友」に掲載されました。当時、彼は83歳でした。私はいま、すでに彼の年齢を超えています。つまんない投稿をしたものだ、と悔いています。稀代の名ピアニスト、カチア・ブニアステビリもやがては、、、、ああ、考えたくありません。

 

  世界が大洪水に見舞われる と分かった時

   神様はノアに命じて 大きな箱舟を作らせ

   生きとし生けるものを乗せて

   生き延びさせたのでありました

   先生、質問です  ハイ 匠君

   その時 魚類はどうしたのですか?

   ?

6439877.jpg

 

2021年3月10日         福島県浪江町 

 福島原発のある双葉町の隣が浪江です。今もって町の大部分が帰還困難地域に指定されています。この浪江町大字権現堂に朝日専売所の店を張る鈴木宏さんがいました。片腕が動かないため、三角巾で腕を肩から吊るしながら小まめに動き回っていました。熱烈な朝日信者で、朝日800部、民友500部を扱っていました。もちろん読売を抜いて第一位でした。小柄で優しい奥さんと、店の隣で小さな印刷所で経営する息子さんがいました。ある時、鈴木さんの日頃の労をねぎらうため、浪江の旅館に泊まり鈴木さんと一献傾けました。おっそろしい早口で、しかも生粋の福島弁です。半分も理解できません。そこはそれ、お得意の反復法です。相手の言ったことを少し言葉を変えてお返しする方法です。気をよくした鈴木さんは、明け方近くまで喋りに喋っていきました。その浪江町は今は廃墟になっています。800部の朝日新聞は消えてしまいました。鈴木さんのその後は消息不明のままです。

 ところが、この浪江町に驚くべきことが起きました。昨年3月、ここに世界最大級の水素製造工場建設の起工式が行われたのです。68、000枚の太陽光パネルを張り巡らし、浪江町の水道水を電気分解して水素を取り出します。取り出した一日分の水素で電池自動車560台を一日動かすことができるそうです。また、一日分の水素で150世帯の一か月分の電気を賄えるそうです。一年たった今年水素運搬車が稼働し始めるそうです。おそらく、すでにあちらの世に逝っているに違いない鈴木宏さんは、おらが町の変貌を見下ろしながら「おらーふんとにたまげただー」と言っているでしょう。

         
    なぜ人類のために

    なぜ人類の惨めさと卑しさのために

    私は貧しい部屋に閉じこもっていられないのか

    大時計の針がきっかり6時を指し

    虚ろな音が雑踏のうえの空に鳴りわたる

    私はどうすればいいのか

    重い靴を運ぶ「現在」と いつか

    どこか解らない「終わりの時」までに

    鼠よ 君はわたしにとって何であるのか

    過行く一日の客の記憶 大時計の後ろに

    時間があり 時計の後ろに

    凍り付いた私の人生がある  ー田村隆一ー

 

IMG_5253春の光1.JPG

2021年3月9日           官官接待

 今、国会での論議の中心は総務省の役人が、利権が絡むNTTや東北新社などの接待を受けていたことに関する問題です。内閣広報官が一回7万円の接待を受けていたかどで、辞任に追い込まれました。変異種を含むコロナに日本として今後どう立ち向かうべきかを真剣に論議すべき国会が、連日、接待問題で明け暮れているのは何と無様ではありませんか。菅首相の長男が関与していた故に、菅おろしがその底流にあるとは分かっていても、その次元の低さに辟易してしまいます。

 一昔前、大蔵省の役人を中心に役人同士が向島の料亭でいかがわしさを伴う接待に明け暮れていたことが、明るみに出て、大問題になったことがありました。「官官接待」として記憶に残っています。しかし、考えてみれば美酒珍味を前にしてお互いの情報を交換し合う、というのは日本の古来からの風習です。彼らが動かす予算の額からすれば話し合いのために料亭に払う金など微々たるものです。微醺を帯びながら、お互いに本音と本音をぶつけ合う、それはそれでいいではありませんか。国会で大騒ぎするほどの問題ではない、と私は思います。

 これも一昔前のこと。朝日新聞社幹部と警視庁幹部が、年末、料亭で意見交換と称して大宴会を秘かに開くのが恒例になっていました。警視総監以下のお歴々が「築地吉兆」の大広間の上座に、朝日側は各局の局次長を含む社長以下全員が下座に位置して、大宴会が始まります。社長が短く一年間のお礼を述べ、警視総監が謝辞を述べ、乾杯があって宴が始まります。もちろん、奇麗どころの歌舞音曲もありささやかなお土産もありました。当時、私は局次長であったがために2回ほどこの宴に連なりました。そのためかどうか、新聞記者が侵す交通事故などいつの間にかもみ消されるのでした。また、刑事関係の特ダネも朝日が群を抜いていました。しかし、連綿と続いてきたこの秘かな風習もいつの間にかなくなってしまいました。

 いま、築地の料亭「吉兆」や「金田中」は閑古鳥が鳴いています。奇麗どころもお年寄りばかりで、若い人は全く寄り付かないようです。都都逸、端唄、小唄を歌う人もいなくなっているようです。寂しいことです。

 

  私という現象は 仮定された有機交流電燈の

 

   一つの青い照明です

 

   風景やみんなと一緒に せわしく明滅しながら

 

   いかにも確かにともりつづける

 

   因果交流電燈の 一つの青い照明です

 

   過去と感ずる方向から 紙とインクを連ね

 

   ここまで たもちつづけられた

 

   かげとひかりのひとくさりづつ

 

   その通りの心象スケッチです

 

   すべてこれらの命題は 心象や時間

 

  それ自身の性質として第四次の中で主張されます

 

          ー宮沢賢治 春と修羅からー

IMG_4452.JPG秋晴れ.JPG

2021年3月8日          変異ウイルス

 昨年の2月から、外出を控え、嗽を欠かさず、ゆく先々でアルコール消毒を心がけ、夜はクローブ三粒を噛みながら眠り、朝起きると抹茶をいただき、何とかここまで、コロナに感染することなく過ごしてきました。5月になれば高齢者優先でワクチンの接種が可能とのこと、それまでは、何としても頑張らねば、と思っていた矢先、変異したウイルスが世界的に猛威を振いだした、という新たな恐怖が巻き起こりだしました。最初のウイルスは武漢型と呼ばれていますが、人から人へと感染する段階で自らを変異させ、新たな恐怖を巻き起こし始めたのです。なぜなら、これに感染すると肺炎が重篤化しエクモ(人工循環器機能)でもどうにもならないそうです。

 いまのところ、この変異ウイルスには<イギリス型><南アメリカ型><ブラジル型>の三種が顕在化していますが、さらなる拡大が医学者の間で問題視されています。一般に世界の人種は四つに大別されます。コーカロイド(白人)、モンゴロイド(黄人)、ニグロイド(黒人)、オーストラロイド(オーストラリア原住民など)それぞれ遺伝子配列やミトコンドリアに大きな違いがあります。大胆に言わせてもらえば、イギリス型はコーカロイド、南アメリカ型がニグロイド、ブラジル型がモンゴロイドとなるでしょうか。もし、変異ウイルスが三種で済んでくれれば、対応するワクチンも三種で済むでしょうが、コーカロイドもいろいろです。アングロサクソンもいればアーリアンもいればコーカサスもいます。遺伝子配列にはそれぞれ大きな違いが存在しています。とすれば、変異ウイルスに対応するため遺伝子配列やミトコンドリアの違いに対応するワクチンが必要です。ということは、これから先、もっと恐ろしい事態が予想されてしまいます。日本人に合ったワクチンが必要となるのに、日本にはワクチンを作れる製薬会社がないからです。あっても規模の小さいところばかりです。なぜなら日本のワクチン行政は歴史的に失敗の連続であったからです。だから、ファイザーやアストラゼネカなどの顔色をうかがってばかりいるのです。先進国中の先進国なのにワクチンを多量に作れる製薬会社がない、これが日本の現状です。

 やがて、日本型変異種の登場が予測される以上、国を挙げて全国民をして接種可能にするワクチン開発が必要となります。行政は直ちに行動を開始すべきでしょう。ちなみに日本の細々とした製薬会社名をあげておきます。

  第一三共 KMバイオロジスク(北里)、大阪大学、デンカ、武田薬品

 

  おもちゃ屋さんお昼寝よ 春の日長のお堀端

  ここの柳の葉陰から 私が杖を一つ振りゃ

  店のおもちゃは みな活きて

  ゴムのお鳩は 飛び立つし

  張り子の虎はうなりだす、、、、、

  おもちゃ屋さん そうしたら

  どんなお顔をするかしら    ー金子みすゞー 

IMG_5056はる4.JPG

2021年3月7日          福島原発行動隊

 福島原発の廃炉作業は命の危険を伴います。高度の放射能に汚染された中での仕事になるからです。「そんな危険な仕事を先の長い若者に任せてはおけない、先の短い我々が手助けしようではないか」との主旨のもと、組織されたのが「福島原発行動隊」でした。議員会館での総会へ、私も、2,3回は出席したものの、危険と思われる仕事への要請は全くありません。議事録は今もネットに入ってきてはいるものの、仕事の内容はどうでもいいようなものばかりです。危険な仕事は若者でも大変なのだから、まして年寄りのボランテアになど任せられるか、なのでしょう。

 災害後10年目の今年、この間の仕事の内容が検証されています。明らかになったのは周辺の放射能除去作業に進捗はあったものの、肝心の原発のデブリの撤去と汚染水の処理が全く進んでいなかったことです。更にわかってきたのは、当日原発がメルトダウンを起こすに至る処理に、炉心に水を注入して温度を下げる作業すらできなかったことが詳らかになったことです。

 当時の政府は民主党で総理は菅でした。一国の大将たるもの、デンと構えてあらゆる情報をもとに指揮をとるべきところ、このオッチョコチョイは、ヘリに乗って見物に出かけました。それから以後の10年、政府も東京電力も「君子危うきに近寄らず」でもあるまいに、及び腰に構えるばかりで、火中の栗を拾おうとしていません。福島県の人々の苦しみをよそに、責任のなすり合いばかりが横行しています。

 昨年11月、福島で元福島民報の新聞記者小林福寿さんにお会いしました。数年前にもお会いして福島市郊外の全山桜の名所へ案内してしてもらったのに、何としたことか今回は「目のガン」を発病し、目の球をくり抜く手術をした後でした。福島県中を、放射能をかき分けへし分けしながら記者として飛び回った結果ではないでしょうか。持って瞑すべしです。

 

     針金のように痩せた女と

     ビア樽のように肥った女が言い合っている

     あなたを見ていると日本もいよいよ

     飢餓状態になって 食べ物がないと思うわ

     そうでしょうとも、その原因のすべてが

     あなたのせいだ とね

     食べ物がなくなったら あなたを紐にして

     首を括って死ぬわ

     どうぞご自由に でも私が紐になっても

     すぐ切れるわ

     あなたの重さに耐えられる紐って

     この世の中に あるかしら?

IMG_5257春の光2.JPG

2021年3月6日           小 高

 今朝の天声人語で福島県浜通りの小さな町「小高」が取り上げられていました。放射能の除染がいきわたり、農業が始まっている記事でした。常磐線は今は全線が開通していますが、当時は富岡、大野、双葉、浪江、請戸、小高、原ノ町、新地が不通区間でした。小高には、何故か、半谷(はんがい)姓を名乗る一族が多く、硝石の採掘で潤っていました。そこへ岡山の奥からマサさんが見合い結婚で小高へやってきます。周囲から白眼視され苦労が重なり、救いをキリスト教に求めます。熱烈な信者としてその後、多大の貢献を残してこの世を去ります。一冊の自著によるパンフレットが私の手元にあります。読み返すたびに感動を新たにする名著です。

 半谷さんの三人の男子のうち次男は東京の巣鴨に住み、当時、伊勢丹立川店の副店長でした。奥さんは私が二年間共同生活した清水聡さんの姉でした。その伝手で私は早大一年の夏休み中、立川店一階のハンカチ売り場でアルバイトをさせてもらいました。詰襟に早稲田の記章を付けた姿で立ち働きました。ハンカチ10枚をいかに恰好よく箱詰めするか、お手の物になりました。女性店員からのお誘いも多くて、閉口しました。懐かしい思い出です。

 熱烈なクリスチャンになられた半谷マサさんは、大野の町に瀟洒な教会を私財を投じて建立します。小高の駅近くにも小さな教会を設立します。そして当時は研修生であった佐藤彰さんを両教会の牧師に招聘します。そこへ10年前の大災害です。佐藤牧師は教会員60人を引き連れて、一旦は山形へ逃げます。そこから今度は奥多摩へ移住します。60人の毎日の寝る場所、食べ物、筆舌に尽くしがたい苦労の連続は世界中のクリスチャンに感動を与えました。多くの寄付金が集まったといわれます。佐藤彰牧師の凄いところはそれらも含めて、常磐線湯本の手前の泉に壮大な教会堂を作り上げ、60人の人々にそれぞれ住居を確保してあげたことです。

 この教会堂は泉の駅近くにあり、翼を広げて大野に向って飛び立とうとしている姿をしています。「翼の教会」として町の人々に愛され、日曜礼拝には大勢の人が集まり祈りを捧げます。礼拝堂のほかに食堂が隣接していて、お昼は全員で会食です。図書室、寝室、子供室、牧師室の他に霊安室まで完備しています。最も特筆すべきは、佐藤牧師の説教が毎回、毎回心を打つものばかりで、人々を引き付けてやまない点でしようか。牧師であるなら、一週間のための何かしらの心のお土産を与えてやって欲しいものです。その点から言えば、私にとっては中学時代の小原牧師、大学時代の祖師谷の高倉牧師、現在では相模大野の中川牧師、シンガポールの松本牧師、そして、ユーチューブの高原牧師、、、しかし、何といっても、命を張って教会員を守り続けた佐藤彰牧師こそ、最高の存在ではないでしょうか。

 佐藤牧師夫妻にはお孫さんにそれはそれは愛くるしい女の子がいます。名前がまたいい。「マヒル」ちゃんというのです。今は小学生高学年でしょうが、当時は幼稚園生で牧師のご自宅に伺った際、私はマヒルちゃんの遊び相手にされました。お礼に長男に頼んでデズニーの券を4枚送ってあげました。たどたどしいお礼の手紙が届きました。大切に保管しています。

 

 

        夢の中の自分の顔というものを始めて見た    

    発熱がいく日もつつづいた夜  

    私はキリストを念じてねむった   

    一つの顔があらわれた 

    それはもちろん 現在の私の顔でもなく

     幼い時の自分の顔でもなく   

    いつも心に描いている 天使の顔でもなかった   

    それよりも もっとすぐれた顔であった   

    その顔が自分の顔なのが おのずと分かった    

    顔の周りは金色を帯びた暗黒であった    

    翌朝目熱は下がっていなかった   

    心は平らかだった       ー八木重吉ー 

IMG_1620 (002).JPG

2021年3月5日          死の演出

 数年前から、ほとんどあらゆる分野の週刊誌を自由に閲覧できるサイトを、月額僅か480円で利用させてもらっています。文春も現代も女性誌もファッション誌も、旅行案内も読み放題、見放題です。ただ、ポストと新潮はこの限りではありません。

 最近半年余り、週刊現代は高齢者の生き方について、至れり尽くせりの記事を、これでもか、というほど載せてくれました。曰く、遺言を書いておけ、年取ったら投資をするな、家を売るな、ホームに入るな、子供の世話になろうと思うな、ものを捨てろ、長年のお付き合いはそれとなく絶て、一人静かに死んでこその人生だ、、エトセトラ。

 成程、成程と納得できることばかりが取り上げられていたので、私自身もその線に沿って自分を律し始めています。ここで思い出されるのは、沖縄の「おバア」たちの死に方です。85歳の成年祝を終えると、おバアたちは自分の持ち物すべてを周りの人たちに与え始めます。枕元に置かれるのは一組の下着と死に装束だけ。「おバア、水飲まんね」と語りかけると「いいや、飲まん、途中で粗相するといけないから」、、、、亡妻の母親は90を過ぎて腎臓を患い那覇の病院に入院し透析を続けていました。継続していればまだまだ永らえたにもかかわらず、ある日、もういいからと透析を断って逝きました。自分の死を自分で演出する、、、その心意気が沖縄の女性たちに受け継がれているのはなんとしたことでしょうか。

 私自身は現役で福島県を担当しているとき、フグの白子鍋を食べて半ば死にかけました。地元新聞の記事にもなりました。その時、甘美な映像が脳裏に去来し、自然にアドレナリンが出て死を苦痛から救う経験をさせてもらっています。その時から、自分は余白の人生を生かしてもらっている、という感謝の気持ちを持ち続けて今日まで来ました。だからと言って手をこまぬいていては沖縄のおバア達に笑われるでしょう。週刊現代の記事を参考にし、重い腰を上げねばなりません。

 

     昨夜流した灯篭は 

     揺れて流れてどこへ行た

     西へ 西へと限りなく

     海とお空のさかいまで

     ああ きょうの

     西のお空の あかいこと

              ー金子みすゞー

IMG_5391ruru2.JPG

2021年3月4日           パクチー

 パクチーは強烈な匂いを持つ、日本のセリに似た葉野菜です。中国語ではシャンツアイ(香草)、英語ではコリアンダーと呼ばれています。昔からある薬草の一種ですが、何故か、日本では余り馴染みがありません。決して<良い匂い>ではないから、日本人の好みに合わなかったからでありましょう。でも、最近は何処のスーパーでも見かけるようになりました。一掴み200円ぐらいで売られています。

 パクチーは東南アジアの国々ではどこにでも売られていて、しかも廉価です。特にタイでは格安で一束5バーツ(15円)ほどです。驚くほどの安さです。従って、ほとんどの料理に使われています。

 東南アジア各国を旅して、このパクチーに魅せられた男がいました。パクチーにまつわる一冊の本を出版するとともに、世田谷区経堂にパクチー料理専門店を開きました。チエーン店「養老の滝」の主人もパクチーに魅せられた一人です。池袋西口の養老の滝でパクチー料理の試食会が行われました。当時、この葉野菜に魅力を感じていた一人として、のこのこ出かけていきました。パクライス、パクソバ、パクテン、パクフライ、パクうどん、、、中でも粉末にしたパクチーとそば粉で練り上げたパクソバは驚きでした。絶妙な味の世界が醸し出されていました。と同時に、薬用植物としても効果の高いパクチーはこれから、日本でも多用されるだろうな、という予感を覚えました。いま、東京都内には10軒を超えるパクチー料理店が出来ています。パクチーだけを生産して軌道に乗っている農家も出現しています。独特の臭みのため、好き嫌いの度が激しいのがパクチーの難点ですが、その薬効の大きさに日本中が早く気が付いて欲しいものです。こう書いているうちに、チェンマイのピン河の畔にあるベトナム料理店へ行って、パクチーで包んだ生春巻を食べたくなりました。

 

     昔は恥ずかしかったが  いまは

     「できちゃった婚」 が多い

     皆さま 盛大な拍手をお願いします

     シンロウとニンプのご入場です 

 

IMG_5409ruru10.JPG

2021年3月3日           バイキング   

 東南アジアでは、どこの国へ行っても朝市が開かれます。散歩を兼ねて歩き回るのが楽しみの一つです。ヤンゴンのホテルの前にも毎朝、路上脇に市が立っていましたが、貧しさの極みがそこにありました。ただ、美味しいものが食べたい、とガイドさんが案内してくれたレストランの「ソバ屋さん」は絶品でした。臓物を長時間煮込んだ濃厚なスープで食べるビーフンソバなのですが、奥深い味でした。それに、ホテルの食堂のカレーライスです。インドが近いせいか、あらゆる香辛料が使われているカレールーを、粒の大きい外米に香りが独特の、パクチーなどの薬草を一杯のせて掻き込む、、、

 日本のホテルも最近は朝も夜もバイキングスタイルです。従業員の手間が省けてホテル側は助かっているのでしょうが、中にはひどいのがあります。昔は格式のあった熱海のニューフジヤホテルです。お茶の伊藤園に経営が移ってから、宿泊料が一万円を割るようになったのはいいとしても、朝・夕300人を超える老夫婦で大広間は一杯になります。料理とはいえない荒削りの食材を小さなお盆に載せて、人々は争っていただきます。食べ放題、飲み放題ではあっても、人間が家畜になったようで全くいただけません。そこへ行くと、毎年春、福島へ行くたびに定宿にしている常磐湯本のオーシャンホテルの朝夕のバイキングは圧巻です。種類は多く、すべての食材が吟味されていて、調理も手が込んでいます。だから、何を食べても美味しい。美味しさの極みばかりのバイキングは金沢にもありました。私が最も好きな市場「近江町市場」の真ん前に位置するさして大きくないホテルでした。名物の治部煮を始め、食べ放題のタラバガニ、のどぐろの刺身など堪能できました。流石、近江100万石のお膝元だけあるなあ、と感激したものです。

 ベトナムにも忘れがたいバイキングがありました。南のはずれホーチミンから北の端ハノイへ飛ぶ途中に寄ったフエという町の中華風のホテルでした。ここはベトナム戦争で激戦のあったところですが、どうしたことか、バイキングは朝も夜も豪華そのものでした。世界中のチーズというチーズがありました。1階のホールには、ここに宿泊された皇太子ご夫妻(現天皇)の写真が飾られ、その下にヤマハのグランドピアノが置かれて、ご自由にお弾きください、とありました。楽譜を持っていたので、しばし、弾かせてもらいました。数人の外国人が聴いてくれていて拍手してくれました。もう一度訪れて、バイキングにあやかりたいと思うのは、このホテルです。

 

     空は晴れてても 建物には陰があるよ

  春 早春は心なびかせ それがまるで

  薄絹ででもあるように ハンケチででもあるように

  我等の心を引き千切り

  きれぎれにして風に散らせる

  さうしてこの淋しい心を抱いて

  今年もまた春を迎えるものであることを

  ゆるやかにも 茲に春は立ち返ったのであることを

  土の上の日射しをみながら 冷たい風とともに

  土手の上を歩きながら 遠くの空を見やりながら

  僕は思ふ 思ふことに慣れきって僕はおもふ

              ー中原中也ー 

IMG_5212春の光11.JPG

2021年3月2日          ルビーの約束

 タイ・チェンマイからバガン航空の50人乗りプロペラ機に一時間乗ると、そこはミャンマーの昔の首都ヤンゴンです。ホテルで紹介してもらったカチアさんという日本語のできる女性のガイドのお陰で、その時はヤンゴン市内を隈なく歩き回ることができました。街を走っている車のほとんどが日本の中古車であることにまず驚きました。バスでさえ、日本の行く先表示をつけたまま走っていました。人々の生活は貧しく発展途上国で在るが故に、日本は既にヤンゴンの近郊に巨大な工業団地を確保していて、週に一便、ビジネスクラスだけの全日空便が飛んでいます。もし、軍事政権が中国共産党に支配されたら、日本のこの工業団地がどうなるか心配です。

 昭和18年から敗戦の20年にかけて、日本軍は大きな兵力を当時のビルマに送り込みイギリス軍と壮烈な戦いをしました。特にビルマ奥のマンダレーが激戦地で多くの戦死者が出ました。日本軍のいわゆる敗残兵はビルマからメコン川を渡り、タイに逃れましたが、力尽きて多くが亡くなったといわれています。竹山道雄の「ビルマの竪琴」はその模様をつぶさに伝えている文学作品です。この中に出てくるビルマの涅槃仏は、ヤンゴンのあちこちにありました。極彩色に彩られたあまりにも巨大な仏像です。唇は赤く、目は長いまつげで肘を枕にして寝転がっている様は、余りにもグロテスクですが、多くの人々がその寺院のあちこちに陣取り、仏像を愛おし気に見上げては恍惚状態になっていました。何せ、ヤンゴンはどこへ行っても寺院と仏像だらけなのです。その数ではバンコックやチェンマイも負けてはいませんが、ヤンゴンの方に軍配が上がるでしょう。更に多いといわれるのがビルマ奥地のマンダレーだそうです。ここは宝石のルビーの採掘地です。激戦が行われ、日本軍が惨敗したことでも知られています。

 当時、ミャンマーに出かけるにあたって、長男、次男の嫁さんにルービーを買ってくるぞと、公言しました。しかし余りに高価なことと、高価であっても偽物が多いことを知って、未だ実行できていません。隣のパングラデッシュではサファイアの偽物が数多く出回っているそうでした。ある種の鉱石を高圧の電気釜に入れて圧を強めるとサファイアがぞろぞろ出来るそうです。同じ理屈でがルビーでも行われているとのこと。アウンサンマーケットの100軒ではきかない宝石売り場で、ガイドのカチアさんに通訳した貰いましたが、本物と偽物、全く区別がつきませんでした。しかし、約束は約束、いつかはマンダレーまで出かける積りではいますが、軍政に対抗して死者まで多数出しているミャンマーの人々のことを思うと、今はその気になれません。 

 

      母さまお里は 山こえて

      桃の花咲く 桃の村

      ねえやのお里は 海こえて

      かもめの群れる はなれ島

      私のお里は 知らないの

      どこかにあるよな 気がするの

                    ー金子みすゞー

IMG_5211春の光15.JPG

2021年3月1日           魔の三角地帯

 タイ・チェンマイから車で北上すること5時間余りで、タイ国の最北端に到達します。雄大な流れのメコン川をはさんで対岸がラオス、陸続きの左側がミャンマーです。奇妙だったのは貧しい人家の様相の中に、豪壮なビルがそれぞれ一つづつ建っていることでした。ホテルなのでしょうが、内ではルーレットなどの博打が公然と行われているようです。魔の三角地帯、または、ゴールデン・トライアングルと呼ばれる所以です。

 最初にチェンマイに行ったとき、宿泊したメイピン・ホテルが仕立てた小型観光バスでそこへ行きました。メイピンホテルは台湾出身の歌手テレサテンが身を投げて亡くなったところです。二度目は車を手に入れたので自分で運転して行きました。チェンマイの隣町のチェンライまで3時間。そこから山道を登って2時間。チェンライのはずれにホテルを取りましたが、そこはミャンマーとの国境のすぐ近くで、そこも賑わっていました。三度目は、ほぼ一年前です。小型バスのガイドさんは、男性・女性いわゆる「オネー」でした。どうしたことかタイ国ではこのような人たちを数多く見かけます。

 問題は、このゴールデントライアングルがなぜ恐れられているか、というと、世界的に名の知れた麻薬地帯であるからです。従って、通行する車への検問は厳重を極め車の下まで調べられます。実際に、メコン川の上流のミャンマーでは公然と麻薬の原料となるケシが栽培されています。ミャンマーの陸続きは中国です。

 昨日の報道によれば、ミャンマーの軍政に反対する市民のデモに、実弾が発射され多数の市民の死者が出ました。ミャンマーでは麻薬に対する取り締まりは極めて穏やかです。なぜなら、貧しい国の唯一の収入源であるからでしょう。一方中国では麻薬は死刑に相当します。でも、中国には別の目的があります。中東からタンカーで運ばれてくる石油をミャンマーのヤンゴンに陸揚げし、パイプを通して中国に運び入れるという計画です。その中国にとって、アウンサンスーチーの民主主義は邪魔なのです。ミャンマー軍が保有する武器のすべては中国製です。ミャンマーを軍政にすれば、中国の支配下に置くことができます。ミャンマーの天安門事件はその裏に中国の野望が隠されているのを、世界は報道を密にして大きく広しめるべきです。

  

 

  面白くないことを 面白くして放送するのがテレビ

  面白くないことを面白くされて 放送されるのは

  甚だ 面白くない

  面白くないことは面白くないまま放送するのが

  面白い

  面白くても 面白くなくても そのまま記事に

  するのが新聞 それ故にか 新聞が読まれなくなっ

  ている世間の風潮は 甚だ面白くない

IMG_5229春の光10.JPG

お気軽に
お問合せください

お電話でのお問合せ・相談予約

03-3998-4086