最近のエッセイ

2015年10月11日        ミャンマーよ、お前もか

 2週間のタイ国滞在中、隣りのミヤンマーが核武装を完了したという話を小耳にはさみました。敬虔な仏教徒だらけの、世界最貧国であるミヤンマーが、何で核武装するのか驚き以外の何物でもありません。調べてみると、北朝鮮が関与していました。大量の穀物輸入と引き換えに、技術供与されたのでした。ミャンマーの軍事政権はそれをひた隠ししているのも、解ってきました。

 イランの核疑惑に対して、アメリカを含む西側が譲歩したのは極く最近のことです。「イスラム国」への参戦を促すため、一年間で核保有できる条約を結んだのです。これにより、中東の各国は核保有に向けて動き出しました。中東で核保有しているのはイスラエルだけですが、佐藤優氏の解説によれば、サウジアラビア、オマーン、シリアなどは5年以内に、その他の周辺諸国は10年たたずに核保有を完成するだろう、とのことです。実に恐ろしいことになってきました。

 現在の核保有国と保有する核数は次の通りです。

  アメリカ 9400発    ロシア 13000発   イギリス 185発          

  フランス  300発    中国   240発   インド    80発

  パキスタン 80発    イスラエル  80発   北朝鮮   10発以下

 この他に、アメリカが核弾頭を配備している国があります。数は分かりませんが、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギーの4か国です。カナダ、ギリシャ、トルコの3か国は現在は抜けています。

 上記の数字は、長崎・広島型の核弾頭の数字ですが、まだ、あります。それは戦略型核兵器、つまり、核弾頭付ミサイルです。数千キロを飛んで行って目的地の上空で破裂させるものです。数字は次の通りです。

  アメリカ   2126発    ロシア  2668発    イギリス   160発

  フランス    300発    中国    180発     インド     60発

  パキスタン   60発    北朝鮮    10発以下

 世界には核不拡散防止条約があります。核保有国の増加を制限する法律です。北朝鮮とイランはそれに違反したため、幾度となく制裁を課せられているのです。でも、結果的には両国とも保有国になってしまいました。

 世界最貧国のミヤンマーでさえ持てた以上、イランに甘い制裁を与えた以上、世界の核保有への趨勢は加速されるのは必定でしよう。お隣の韓国がそうならない保証は全くありません。

 聖書は予言の書と言われます。ユダヤ人に焦点を置いたその予言は、次々に当たっています。最も大きな予言は「やがて、大空に火の雨が降り、生きとし生けるもの死に絶える」とあります。その意味するところ大きなものがあります。  

 

2015年10月10日        5代目が認知症

 犬と一緒の生活が、かれこれ50年以上続いています。一貫して小型犬のシーズーです。男の子3人を育て上げる上で、どれほど貢献してくれたか計り知れません。最初がタバサ、次がラブ、そしてテミ。4代目のテツは黒毛のオスのシーズーでした。最後は不治の心臓疾患のため安楽死してもらいました。悲しかったですねえ。5代目のメス犬チュラは、そろそろ12年目に入ります。連れ合いが亡くなって足かけ9年になりますが、その間、チュラは和室の私の布団の周りで寝てきました。専用の寝床は作ってあるのに、不思議なもので、毎晩寝場所を替えます。寒い時には布団の中に潜り込んで来ます。

 チュラ婆さんに目立って変化が現れだしたのは、この2,3か月前です。私が帰宅する足音を聞くやいなや、玄関に飛び出してきて尻尾を振ったのに、それをしなくなりました。「チュラ!」と呼びかけても、あらぬ方を見ていることが多くなりました。一日の大半を寝ているようになりました。何より困るのは、排せつをところ構わずするようになったことです。今までは、決まったところにしていたのに、です。これには往生します。とうとう始まったのでしよう。犬にもある認知症が、我が家の愛犬にも現れ出したのでしょう。そろそろ、お仕舞の時が迫ってきたのかもしれません。

 昨夜は買ってきた鶏肉を湯がいて与えました。力をつけさせるためです。そして「どこでやってもいいよ。怒らないからね。長生きしてくれよなあ」 と もはや虚ろに近いチュラも目を覗きこんで伝えました。

 恐らく、私の家に犬がいるのはチュラが最後になる筈です。「チュラを看取るまで俺は逝くわけにはいかない」 と、自分に言い聞かせています。

 

2015年10月9日           一党独裁制

 安倍内閣が改造人事を発表しました。安倍シンパのお友達内閣であります。日本は民主主義国家であり、二大政党を標榜してはいるものの、選挙制度の欠陥により、一党独裁の趣きを許しています。こうなると、手が付けられなくなるのは歴史が証明しています。

 一党独裁になってしまうと、独裁者はあらゆる手を使ってそれを維持しようとします。スターリンがいい例です。グルジア生まれで猜疑心の塊だったスターリンは、マルキシズムを信奉する振りをしながら、レーニンを神格化し、異を唱える政敵約4000万人を葬むりました。中華人民共和国の毛沢東は天安門事件までに2500万人を葬ったといわれます。ドイツ・ナチスのヒットラーはアーリアン民族純粋主義を唱え、600万人のユダヤ人をガス室に送り込みました。カンボジアのポルポトは原始共産主義を唱え、国中の識者200万人を殺しました。スペインのフランコ体制の弾圧と内戦。、イタリアのムッソリーニの強圧政治。ムッソリーニ夫妻は逆さ吊りの刑になりました。近くはルーマニアのチャウセスク。お隣のハンガリーでは現在が独裁制です。EUの旗を屋上から投げ捨て、難民など一人も入れようとはしません。貧しさの故もあるでしょうが、チャウセスクの再来です。イラクのアダム・フセインも独裁者でした。しかし、独裁のお蔭でスンニ派とシーア派のバランスは取れていました。アメリカが民主化の旗印のもと、ちょっかいを出したお蔭で、混乱極まりない坩堝となりました。パンドラの函はそのままにしておけばよかったのです。現在の「イスラム国」はフセイン時代の残党が蜂起しているのです。アメリカが世界の警察を気取った結果のシッペ返しといえます。

 シリアのアサド政権もそうです。膨大な難民を出しながら政権にしがみ付いています。どうしたことか、ロシアのプーチンがアサド政権支持に回りました。アメリカ、フランスなどの爆撃機を、確実に撃ち落とす高性能のミサイルをロシア兵士と共にシリアに持ち込んでいます。これにはアメリカもフランスも辟易しています。ロシアのプーチンもいまや独裁者の仲間入りをした、と言えるようです。何故なら、ロシアも一党独裁制であるからです。極く最近、岸田外相が北方領土返還問題を含めてロシアへ行きました。ゴルバチョフ時代とは打って変わった応対にたじろいで帰ってきました。北方領土返還問題は、もはや存在しない、なぜなら、われわれは日露戦争の仇をとったからだ、というのです。昭和20年、大東亜戦争敗戦の二週間前に日ソ不可侵条約を一方的に破り、1000万人の兵士を動員して満州国から攻め入り、暴虐略奪の限りを尽くし、60万人をシベリアに抑留し、そのうち10万人の日本人を殺したのがロシアです。日本はタイミングを失したのです。まず、4島の内2島でも良いから手を打っておくべきでした。

 年末に来日するプーチンに対し、折角、独裁者になった安倍晋三であってみれば、真っ向から勝負に出て、決着を付けてもらいたものです。が、恐らくできないでしょう。知性も教養もなく、深い洞察力も持たない岸・安倍家の三代目は、稀代の怪僧ラス・プーチンに似てきたプーチンとは格が違いすぎるからです。

 

2015年10月8日       東南アジアとノーベル賞

 バンコック発TG682便は、6日早朝、羽田に着きました。眠い目をこすりながら、2週間余りご無沙汰だった朝日新聞の朝刊を広げました。大村智さんのノーベル賞受賞の文字が躍っていました。風土病に対する特効治療薬の発見により、何百万人を救った功績が高く評価されたのです。更に翌日、梶田さんの受賞です。カミオカンデの所長を務める梶田さんは、既にノーベル賞を受賞している小柴さんの弟子です。宇宙を構成している物質ニュートリノに質量があることを証明した功績によるものだそうですが、私には全くチンプンカンプンです。

 大村さんは山梨大学、梶田さんは埼玉大学の出身です。東大、京大、名古屋大ではありません。しかも、大村さんは韮崎高校定時制の教諭だったそうではありませんか。両大学を始め、韮崎高校の出身者、関係者の喜びは如何ばかりでしょうか。私まで嬉しくなります。特に大村さんには感動を覚えました。

 それは、Sさんが送ってくれたフェースブックの動画です。短い動画ですが、先ず、大村さんが聴衆を前にしてマイクを使い講演しています。その壇上へ関係者の女性が携帯電話をもって大村さんにあたふたと近づきます。「安倍総理からお祝いの電話です」驚いた大村さんは一瞬、電話を取ろうとします。次の瞬間、両手で電話を押し戻します、そして聴衆の方に身体を向けて「タイム、イズ、マネー」とつぶやき、講演を続けます。たったこれだけの動画ですが、何とも爽やかではありませんか。

 かりそめにも、一国を代表する総理大臣からのお祝いの電話です。それを一顧だにせず、今やっている仕事を大切にする、何とも心憎いではありませんか。彼の奥さんは16年前に亡くなっています。しかし、彼の財布の中には奥さんの写真が、土を採取するための小さなビニール袋と一緒に入っています。彼が知らせを受けて最初にやったことは財布の中の奥さんに「おい、とうとうやったよ」語りかけることだったそうです。梶田さんが最初にやったことは、恩師である小柴さんへの感謝の電話だったそうです。

 日本人のノーベル賞受賞者は、お二人を入れて24人になりました。お隣の中国はどうでしょう。13億4500万人もの人がいるのに、受賞者はたった三人です、一人は平和賞、もう一人は文学賞、今回の女性の生化学受賞者が辛うじて自然科学です。6000万人の韓国はどうでしょう。ただ一人です。それも平和賞の金大中さん。ミャンマーでは平和賞のスーチーさん。なぜ、東南アジアには自然科学の受賞者がいないのか。不思議でなりません。

 そこで調べてみました。恐ろしいほどの片寄りがあることを知りました。ご参考までに国別のノーベル賞受賞者数を上位から並べてみました。

 1)アメリカ 342人  2)イギリス 112人  3)ドイツ 101人

 4)フランス 54人  5)スエーデン 29人  6)日本  24人

 7)スイス  22人  8)ロシア 19人  9)オランダ 16人

 10)カナダ・イタリア 14人  12)オーストリア・デンマーク 13人

 14)オーストラリア 10人  15)スペイン 6人    ・・・・・インド 5人 

 ・・・・・中華人民共和国  3人 ・・・・・ギリシャ  2人  ・・・・・大韓民国  1人

 

2015年9月21日        約束の実行

 明日からタイ国チエンマイへ再び行って参ります。帰国は来月の5日です。34キロの重さのヤマハクラビノーバPF・F100を手荷物として帯同していきます。中古品ではありますが、新品同様の優れものです。既にタイ国際航空への申告も済ませました。30キロがリミットですから4キロの超過料金が課せられます。

 既に、家の倉庫に着いているカワイのアプライトピアノと、私のローランドのグランド型電子ピアノを書籍その他と共に、コンテナ輸送する積りでいました。近くの引っ越しのサカイで見積もりして貰ったら、何と899、000円、そのほかタイ入管で3000ドルを用意してください、とのこと。余りに高額なので逡巡してしまいました。輸送費を入れて11万円で入手したカワイのピアノなどに、とても100万円近くかけて運ぶ気になれません。何とか安く運べる手だてを模索することにして、先ず、カレン族の学校に約束した電子ピアノを手荷物にして運ぶことにしました。タイ国の電圧は220ボルトなので変圧器も買いました。ペダルが付いていなかったので、ヤマハに特注して仕入れました。向こうへ着いて試弾が済んだら、このクラビノーバはアプライトピアノを予定しているワニ族の学校で使っていてもらい、アプライトが着いたら交換してもらおうと思っています。どうしたことか、今回の寄付行為に対して、学校側からの礼状が既に届いています。だから「やーめた」というわけにはいかないのです。

 鍵盤楽器は日本では、いつの頃からか粗大ゴミ扱いです。ネットで「ジモテイー」を検索すると2,3万円で手に入ります。中には「邪魔だから上げます」というのもあります。ところがタイの奥地へ行ってみると、子供たちはピアノなど見たこともありません。全くの宝物です。ピアノ大好き人間としては何とかしてあげたいなあ、と心から思ってしまうのです。もし、今回の手荷物作戦に成功したら、次回行くときも、同じことをしようと秘かに決めています。はて、どうなりますことやら。

 

2015年9月18日         PIGS

 PIGとは英語で豚のことです。Sが付けば複数です。

 いま、ヨーロッパのEU圏ではこの「ブタ」が全体のアシを引っ張り、お荷物になろうとしている話題で持ち切りです。財政がいつ破綻してもおかしくない国の存在です。Pはポルトガル、Iはイタリア、Gはグリーク、つまりギリシャです。そしてSはスペイン。アイルランドもそうですから、今はPIIGSとなったようです。

 これらの5か国に共通しているのが、宗教がカトリックであることです。プロテスタンの国は入っていません。何故なのか? このわけを解くには、民衆と宗教と寺院の在り方を巡って歴史を遡らねばなりません。

 イタリアやスペインを旅すれば、どこの寺院も立派なのに目を瞠ります。特にローマ法王庁のサンピエトロ寺院など眩いほどです。そのお金の出所は民衆です。お金を寄進すれば、それだけであなたは天国へ行ける、と僧侶は民衆を煽りました。天国へ行けるかどうか、これは大問題です。争ってお金を捧げました。そして、もう天国は約束されたのだから、私はもういいや、とばかり現世で働かなくなりました。ひとのこと、社会のこと、世の中を良くすることなどどうでもよくなったのです。働いてお金を貯める、そのお金を資本として、新しいことに挑戦する、資本を回転させてインフラを整備していく、という社会的風潮にはならなかったのです。寺院が発行した天国への切符は「免罪符」と呼ばれる中世の悪弊であったことを、我々は歴史で学んでいます。

 「それはちょっと違うのではないか」と異を唱えて、カソリック教会に立ち向かったのが、マルチンルターでありカルヴィンでした。いわゆる、宗教改革です。

 〈大金を寺院に寄贈して免罪符など買わなくても、神はもともと、私たちに天国を約束して下さっている。神がお遣わし下さったイエス・キリストがわれわれの罪を一身に背負ってくださった事実が、その証である。寺院を立派にして神はお喜びになるであろうか? お金は世のため、人のために使ってこそ神はお喜びになる。私たちは神の愛をこの世に具現するための器であるべきだ。人のため、世のため、寸暇を惜しんで働こう〉 

 この考え方が〈世界の進歩に繋がったのだ〉と看過したのがマックスウエーバーです。名著「プロテスタンチズムの倫理と資本主義の精神」がそれです。俗に「プロ倫」と言われ、現在でも、学生にとって必読の書となっています。

 ギリシアは、つい先ごろ借金の追い貸しを受けて、一時凌ぎの状態にありますが、次に起きるのはEUからの離脱でしょう。通貨がドラクマに戻っても、その価値は世界中が認めませんから、国家や国民の財産価値は激減して世界から相手にされなくなるでしょう。殆どの国有財産は差し押さえられて、外国資本のものになるでしょう。ギリシャ正教というカトリック信仰のお蔭で、「働かない国民」となった報いです。その次はスペインでしょうか。闘牛とフラメンコとガウデイなどの観光には見るべきものがあっても、世界に誇れるインフラ整備など何もありません。享楽に明け暮れている報いでしょうか。イソップ物語の「蟻とキリギリス」を髣髴とさせるではありませんか。

 日本は大丈夫でしょうか。カトリックでもプロテスタントでもない日本は、勤勉な国民性によって、敗戦の何もないところから経済大国にまで自国を押し上げてきました。しかし、老齢化が世界で一番進んでいる国です。おまけに、国民一人当たり835万円の借金を抱えています。「アメリカが戦争するなら、一緒に戦ってもいいよ」 などと能天気なことを言っている場合ではないのです。

 戦争法案は、とうとう廃案にできませんでした。

 

2015年9月16日          カツオ

 またまた、カツオを買ってきてしまいました。これで4日間連続です。車で10分ほどのところに、新潟出雲崎港からの直送鮮魚店があるのが、いいのやら、悪いのやら…

 日本海の戻りカツオですが、とにかく脂がのってます。形の良い背の半身を買い、ぶつ切りにして、分葱、生姜、茗荷、ニンニクを刻んで混ぜ合わせ、醤油を垂らして、コップ半分の芋焼酎と頂きます。当然、全部は食べられないわけで、醤油漬けにして、翌朝、お茶漬けとなります。

 現役時代は、東日本と九州全域を旅する稼業でありましたから、旨いカツオを求め歩く幸運に恵まれました。居酒屋に入ってカツオがあれば、何をさておいても注文してきました。焼津港、三崎港、銚子港、大洗、那珂湊港などへ行って、カツオ漁りもしました。ところが、旨いカツオには、それ相当の流通経路があるのでしょう、滅多に遭遇できませんでした。カツオはアシの早い魚です。時間との闘いのようなところがあります。少なくとも昔はそうでした。高知へ行ったとき、名物皿鉢料理でカツオのたたきを食べました。旨くありません。時間が経ち過ぎてしまうと、如何に名物だろうと駄魚になります。ところが、今は洋上で瞬間冷凍し、食べる時に瞬間解凍できる高度な技術が開発されています。美味いカツオを、居ながらにして味わう機会が増えたのは有難いことです。

 だからといって、「本当に美味いカツオ」と巡り合う機会は滅多にあるものではありません。私はたった二度だけ、その機会に恵まれました。

 茨城県を担当している時です。定宿は料亭も兼営している水戸の「竹葉亭」でした。県の朝日会会長さんは、常陸太田を所管する町田さんという美食家でした。レストランと契約して、自分専用の黒毛和牛の枝肉を預かってもらうほどの猛者です。「肉には食べ時というものがあってな、最高に熟成されたときに食べてあげるのが、肉に対する礼儀というものだよ」 彼の口癖でした。カツオ論争になりました。彼もカツオ人間だったのです。「よーし、待ってろよ。明日大洗港へ行って、最高のカツオを仕入れてくっから」  ムキになった彼は、本当に大洗へ行って氷詰めの一件を持ってきてしまいました。そして、料亭の調理場で自分で捌きだしたのです。竹葉亭のおかみさんまで見に来ました。その日は会長、副会長、幹事長との打ち合わせもあったのですが、仕事の話は5分で終わり、皆で、この上なく美味のカツオを貪り喰らいました。

 もう一件は、二月末、沖縄石垣島へ行ったときです。石垣一番の寿司屋のガラスケースの中に見慣れない青魚がありました。カツオの幼魚だというのです。これから黒潮と共に北上し、5月、6月には成魚となるカツオでした。刺身でも、握っても、もらいました。カツオの持っている類まれな旨味が凝縮されていました。こんなに早くイノチをうばってしまうなんて、申し訳ない気持ちでした。しかし、その繊細な味わいは、次の世へ逝っても忘れないでしょう。 

 

2015年9月15日          天津爆発

 ちょうど一か月ほど前、中国天津市で、核爆発かと思うような大規模な爆発が起きました。厳重な情報統制を中国政府はひいていますが、そこはそれ、ネット社会ですから事故周辺の事実が漏れてきました。「臨海」という会社の、危険薬物管理の杜撰さがクローズアップされてきました。「臨海」は、勿論、所謂「コンコンスー」でありますが、中国制度のご多分に漏れず、国家、いわゆる共産党が支配しています。事故責任は国家である、と臨海は主張し、共産党幹部は、責任は臨海の管理の杜撰さにあり、と主張して、互いに責任の転化を図っています。

 「臨海コンコンスー」は、危険物であるのを承知の上で、薬物を積み上げました。火災が起こったら、万一にも水で消火してはいけない、という情報を、党幹部は消防通達していませんでした。爆発によって亡くなった大多数は消防隊員でした。その間にあったものは、金を介在とする癒着です。儲かるなら何をしてもよい、という、所謂、中国人の体質です。論語や儒教や仏教を捨て去った共産主義の本質です。「金こそ総て」という拝金主義が中国社会に蔓延している、その結果です。

 爆発事故はこの一年で、中国では全国で数十回起きました。日本でならその都度、大問題になるのに、中国共産党は事実を隠ぺいし、公にしません。総て「コンコンスー」が起こしているのですが、「コンコンスー」は共産党管理ですから、隠蔽されるのです。

 報道統制は、中国では今もって目に余るものがあります。逆に、大々的に報道し始めた天津市の将来図があります。爆発によって大きな穴が開いたところを、直ぐに緑化して大きな公園にするという発表です。住民や企業への補償も始まっていないのに、事故現場の未来図を大々的に発表する神経とは何ぞや。これも中国なのです。

 

2015年9月14日          国営と民営

 ツアーバスは東ヨーロッパを駆け抜けます。ベルリンで二泊、マイセン、ポツダムを抜けてドレスデンで一泊、チエコスロバキアのプラハで一泊、オーストリアのウイーンで2泊、ハンガリーのブタペストで一泊。ウイーンを除いて、いわゆる、かつての社会主義国を見て回りました。12年ほど前のことです。大原野を走りゆくバスの車窓に、頻繁に大規模な工場が現れます。それが何と、すべて操業停止の廃屋なのです。20ほどもあったでしょうか。全て、国営企業のなれの果てでした。特に、東ドイツが酷かった。

 明治維新以来、日本は富国強兵を国是としましたが、経済を民営にまかせ、国営化したのは鉄道と郵政とタバコ位でしょうか。その結果、江戸時代から続く豪商、三井、三菱、住友、鴻池などが争って日本経済の発展をけん引しました。終戦後、いわゆる財閥は解体されますが、代わって、東芝、松下、日立、石川島播磨などが加わります。鉄道は中曽根内閣の時に、郵政は小泉時代に民営化されました。

 鉄道が国鉄からJRになってどうなったでしょうか? ストライキが無くなりました。同業他社との競争が始まり、サーヴィスが良くなりました。給与が一般企業と同程度になりました。郵政は同業他社に水をあけられていますが、今秋の株式上場を機に、変身するでしょう。

 国営企業の最大の欠点は、競争原理が働かなくなることです。俗に「親方日の丸」なのですから、「いかに少なく働いて、いかに多くをもらうか」 が従業員の最大の関心事になります。東ドイツを始めとする社会主義国家の崩壊の最後はソ連邦です。スターリンの独裁、恐怖政治を乗り越えたまではよかったが、結局、ロシア単体になってしまいました。西側の商業主義、市場原理を導入せざるを得なくなりました。ロシアはいま、日本資本のロシア参入を渇望しているではありませんか。

 翻って中国はどうでしょう。一党独裁のもと、経済的発展には、目を瞠るものがあります。13億4500万人(一説にはもっと多くて14億7000万人)の国家ですから、民主主義を導入すれば、百家争鳴となって、とても統治すること不可能になるかもしれません。世界の資本は有り余る労働力と、低賃金に目をつけて、自社の生産力を中国に依存し始めました。

 私が初めて北京へ行った頃、いま50歳の息子が小学生でしたが、労働者の平均賃金は8000円程度でした。一方、私はというと月収30万を超えていました。人民元は使えず、兌換券でした。建前飯店というホテルまがいの安宿に親子4人で泊まりましたが、部屋は道路に面していて、一晩中、何も積んでいない車の騒音に悩まされました。車やバイクはまばらで、自転車のみが横行していました。交差点で自転車が一斉にこぎ出す「シャー」という音は、いまでも、鮮やかに耳の底に残っています。

 私の従弟が台湾との貿易に見切りをつけ、上海の「グさん」とまみえるに及んで、都合7,8回、誘われて上海へ行きました。平均給与は8000円の10倍、つまり、8万円ほどになっていました。いまは、どうでしょう。16万を超えているそうです。加えて株式投資でぼろ儲けする一般庶民が現れだしました。最後に上海へ行ったのは約3年前ですが、上海の中の渋谷か銀座のような繁華街で、若者達が山海の珍味をテーブルに並べて、贅の限りを尽くしていました。一方、高層ビルの市民住宅の裏手に回ると、繁栄から取り残されたに違いない大勢の男たちが、ただ、座って時を過ごしていました。商業主義の波に上手く乗った者、乗れなかったものの差が歴然としていました。つまり、社会主義が最も嫌う貧富の差が公然となったのです。

 中国にも民間会社はいろいろあります。「〜コンコンスー」という看板はいたるところにみられます。ところが、共産党の支配下では土地所有は認められていません。土地は全て国家の所有であり、借地権のみが転売可能です。しかも、経営にはその地域の共産党が関与します。自由裁量は原則許されていません。コンコンスーが儲かれば共産党が吸収しますが、赤字の責任は原則とりません。共産党には国是が課せられます。人民をして高層ビルのアパートに住まわせろ、農村から都市に流入させる布告を和らげアパートに住まわせろ、という国家方針に従い、高い家賃のアパートをこれでもか、というぐらい作ります。上海の郊外に、おびただしい高層アパートの廃屋が、目白押しに並んでいるのを実際目にして、唖然としたことがあります。しかし、その責任は誰もとらないそうです。国家の責任だからでしょう。東ドイツの国営企業のなれの果てと同じです。

 中国ではいま、株価が大幅に下落しています。労働賃金の高騰化に伴い、世界の資本が求める中国の「ウマミ」が急速になくなりつつあります。日本企業も次なる低賃金の国南米にシフトし始めました。加えて、中国の商業主義ではすべて国家管理の元にあるのですから、競争原理が働きません。低賃金を売り物に、世界の資本投下を集め、わが世の春を決め込んだのはいいが、世界の資本が中国に見切りを付け、次々に去って行ったら、一体、中国はどうなるか。

 私は今回の中国を発信源とする、世界同時株安を、中国共産党支配の終焉に至る第一楽章と捉えます。東ドイツ、ソ連がそうなったように、歴史は、次は中国、と決めてかかっているように思います。一過性の出来事では決してないのです。中国という国に潜む構造的欠陥の露呈が始まった、と捉えるべきです。

 今後三年以内に、中国国内に弱者を主体とする暴動が起き、一党支配が覆され、国営企業が軒並み廃墟になってゆくに違いない、と信じます。 

 

2015年9月13日        ピンピンコロリ

 人は誰でも、最後には「死」というものを演じなければなりません。認知症まがいになり、ホームに入れてもらい、大勢の人に迷惑をかけて死んでゆくのは、どうも、潔しとはしません。何とか介護保険の御厄介にならず、ある日、忽然と消えたいものであります。

 長野県の佐久市のあるお寺に、ピンコロ地蔵という石仏があります。10年ほど前、仲良し四人組(宮沢、内山、山崎、中沢の晴山会のメンバー)は、宮沢君が所有する清里の山荘に泊まらせてもらってオダを上げた翌日、宮沢君の運転で佐久まで足をのばしました。赤い涎掛けをかけた等身大の石仏に向かって、四人はそれぞれの思いを胸に、敬虔な祈りを捧げました。その霊験のお蔭か、全員が何らかの病気と共にあるにも拘らず、78、79歳の今日まで元気でいます。10年経ったので、お礼かたがたもう一度行って「これからの10年もお願いします」とやろうか、などと言い合っています。

 團伊玖磨の死に方は正にピンピンコロリそのものでした。オペラ「素戔嗚」など作曲家としての活動も見事でしたが、私は彼の音楽よりも、毎週アサヒグラフの巻末に掲載される洒脱なエッセイの方が好きでした。その量は膨大で、27巻の単行本になって朝日新聞社から発行されています。私がエッセイを書き始めたのは、彼の「パイプのけむり」に負うところ大きいと言えます。愛煙家の彼は自宅でのみ、パイプや葉巻を吸っていました。葉巻はモンテクリストや、コヒーバ、パイプはマイミクスチャーやアーリーモーニングなどです。私も彼に倣って仕事場でのみ、彼の真似をすることがあります。それほど彼の生き方や、考え方に共感を覚えたのです。

 朝日新聞が有楽町にあったころ、アタッシュケースを持って颯爽と社内を歩いている彼に会いました。当時のアサヒグラフの編集長は熊倉さんでした。「音楽の専門領域のことは書かない」「ヘソ下三寸のことは書かない」という約束で「パイプのけむり」は始まりました。朝日新聞発刊100年を記念する全国販売店の会がサントリーホールで開かれました。オーケストラの指揮者が團伊玖磨さんでした。係だったので、團さんと二言、三言話す機会がありました。随分肌の色が生白いな、と思いました。

 お葬式にも行きました。池袋の護国寺で行われ、時の総理大臣小泉純一郎の顔もありました。建築家になった長男のお礼の言葉が長くて閉口しました。植物をこよなく愛した彼は、自宅の傾斜斜面を利用して珍しい植物を植えています。それがどうなっているか見たくて5,6年前に逗子の、主なき自宅を見に行きました。子産石というバス停から200段ほど石段を上ったところに円形の大きな邸宅がありました。これなら、どんなに音を出しても苦情は出ないでしょう。なるほど、と感心しました。

 彼は芸大で一年先輩だったピアニストの奥さんを、彼の死の二年前に亡くしています。「ちょっと肩が痛い気がするわ」という言葉を最後に、彼のベッドと30センチと離れていないベッドで朝には亡くなっていたそうです。彼の悲嘆振りには目に余るものがありました。

 一方、彼の死はこうです。日中友好協会の会合で北京のホテルの会議のあと、ある歌舞伎役者と並んで部屋に戻り、東京に電話を架けます。孫の飛鳥ちゃんに「お土産は何がいい?」と聞いたそうです。それが最後でありました。遺体は航空便で運ばれてきました。奥さんは彼より二つ上でしたから、共に76歳でした。

 私は、実は、こういう死に方こそが羨ましくてなりません。正に、ピンピンコロリそのもではありませんか。誰にも迷惑をかけず、勿論、亡くなってからは迷惑をかけるのですが、それはさておき、いいなあーと思うのです。

 結局、人生に対して飽くことことなく、何らかの仕事に向かって日々精進を欠かさない人間にのみ、ピンピンコロリが与えられるように思います。目的もなく、ただただ、生きているだけでは死んだも同然なのです。苦しみは無碍に過ごすことへの対価かも知れません。ピンピンコロリは自分で勝ち取るものだと思います。

 

2015年9月12日        高齢者に報いよ

 自分で自分の口を糊している身でありますからして、二日毎には食料品を買に行かねばなりません。産地直送店のマルシエ、スーパーの大川、ライフ、西友など、必要に応じて使い分けています。出来るだけ生鮮食料品を買い、自分で調理するのを常としていますが、このところ、目立って言えるのは、「値段が高くなった」ということです。三年前より二割は高くなったのではないでしょうか。物価がデフレ傾向にあったときは、我々年金生活者は楽でした。年金は、減りこそすれ増える試しはないのですから、尚更でした。安倍政権になって、「デフレスパイラルを断ち切る」という掛け声のもと、日銀はお札を刷りに刷りまくり始めました。アベノミックスと呼ばれるこの政策は、アメリカの二番煎じなのですが、株価だけは上昇し始めました、恩恵を蒙ったのは海外資本と大企業だけです。それでも、最近になって、ごく一部の企業に連なる労働者へのベースアップが行われるようになりましたが、年金生活者はどうでしょう?

 入って来るものが年々減らされ、出ていくものが増えていくのですから、堪ったものではありません。

 世界で一番老化が進んでいる国、それは日本なのです。65歳以上の割合が25%を超えた世界で最初の国、それが我が日本なのです。しかも、少子化現象により、年々この割合は増えていきます。とすれば、政治は高齢者にこそ、光を当てねばならないのではないでしょうか。高齢者のみを対象とした優遇制度を面倒ではあっても、制度化して当然だと、私は思います。私が為政者なら、65歳以上の高齢者に対する消費税の一定額の減免措置を制度化します。ただし、生鮮食料品に限ります。

 IPADを使って最近の週刊誌、女性誌、総合雑誌に目を通していると「破綻していく老人」「お一人様老人所帯の増加」「孤独死の哀れ」「食いものにされる生活保護老人」などの特集記事が目白押しです。

 言っておきますが、日本の今日の繁栄は、一体誰が築いたのでしょうか? いま65歳以上になっている高齢者たちが、汗みどろになって働いたお蔭ではないでしょうか?国として彼らの老後を支えるのは、「いわば当然、」ではないでしょうか?

 安倍晋三の政治の在り方は、間違いだらけです。

 

2015年9月11日          水の災害

 テレビに映し出される天気図の、雨の激しい赤マークは、関東を利根川と共に横断する鬼怒川の流れに沿って長時間居座っていました。関東を掠めて通過している台風の影響による長雨前線が、北関東を直撃したのです。鬼怒川は利根川に並行して太平洋に注ぎ込まれますが、川幅の広さに余裕がなく、それが災いしたのでしょう、茨城県の常総市で決壊しました。田んぼばかりの町村を集めて常総市などというハイカラな名前を付けるから分かりずらいのですが、決壊した堤防によって、水浸しになっているのは、まぎれもなく石毛(いしげ)です。私は現役時代、茨城、栃木などを担当していましたから、地理には詳しいのです。映像でみると、石毛のほとんどは水没し、泥水が溢れています。二階の窓から援けを求める人が無数で、今も、救助ヘリが活躍しています。人的被害が最小限で済むよう、祈らずにはおられません。

 石毛村の朝日新聞は800部たらずでしたが、加藤さんという若手が担当していました。彼は後に取手市に起用されるのですが、石毛の村を彼の車に乗ってで見て回ったことがあります。鬼怒川の堤防に登り、地域全体を見回しましたが、さして頑丈で無い堤防をはさんで、鬼怒川の水位と村全体の海抜とが、さして変わっていないことに気が付きました。堤防が決壊したらどうなるだろう、といらぬことを想像してしまいました。そのことは、不思議にも記憶の底に残っているのです。50年もしくはそれ以上の月日に亘って何事もなかったのに、石毛は大水害に見舞われてしまいました。私同様、石毛を愛した加藤さんも現役を退いていますが、今頃は歯噛みしているでしょう。

 自宅を建てる時、沖縄のオバアが私に言いました。「水のソバはいけないよ。100年、200年の間には必ず何かが起きるから」

 常総市の皆さん、心からお見舞い申し上げます。

 

2015年9月10日        10年カレンダー

 二階の私の仕事場の壁に、10年カレンダーが張ってあります。今から5年9か月前、2010年の正月から1019年の12月までの、10年分の日付けが網羅されています。朝日新聞広告局が2010年の元旦号の付録として、読者に配布したものです。

 「これはいい。ここに載っている日付けだけは何としても生きてみせるぞ」と固い決意のもと、折に触れ、過ぎ去った日々を消してきました。つまり、72歳から始まりましたので、82歳までは生きてやるぞ、と決心したのです。

 たった今、今年の一月から昨日の分まで消しました。残りはあと4年と半分を切りました。つらつら、残りの白い部分を見ながら、「この未知の部分を本当に生きることができるのだろうか? もしかすると、この中の或る一日が私の終わりの日かもしれない」  という予感が頭を掠めました。

 というのは、7月終わりから8月初めにかけての「感染症、熱中症の合併による敗血症の疑い」という診断を貰った入院騒ぎ以来、活力の枯渇をとみに感じるようになったからです。今日やることを明日に延ばします。本作りの仕事に張り合いが持てなくなりました。断捨離も、気持ちは急くものの、前途ほど遠しです。なぜ、こういう体たらくになったのか、自分自身を分析すると、やはり、自分の身体の中に、通常ではない変化が起きているからではないか、と思うようになりました。存在が思惟を決定するからです。

 9月の始め、女子医大の腎臓センターへ行きました。都立大久保病院の白川先生が主治医でありますが、セカンドオピニオンを得るためです。エコーによると、目立つ変化は無いものの、前立腺は大きくなっています。以前から大きかったのですが、それ以上になっているようです。今月15日に、再び女子医大へ行って血液検査の結果を視ます。そして、MRIの日取りを決めます。怪しい所見がでれば、前立腺の9カ所の細胞をとってガン細胞の有無を調べる「「生検」をしてもらう積りです。いままでは、「生検」は拒否してきたのですが、今度は率先してやってもらう積りでいます。予感としては、「そろそろガンが発生している」に違いなかろうから、敢て、宣告してもらって、ガンと共存しよう、と思っているのです。このところの無気力の原因が、やっぱり身体の内部の変化、つまり、ガンの発生にあったのだ、と自分自身を納得させたいのです。

 私はガンを、全く、恐れていません。 ガン細胞は、人間誰でも持っていて、自分の身をこの世から始末するための思し召しだ、とさえ思います。有難いことに、78歳ともなると、どこの病院でもガンの手術をしません。適齢期を過ぎてしまったからです。

 主治医の白川先生から言われました。「前立腺ガンは進行が遅いのです。中沢さんにもし、ガン細胞が見つかっても、手術はしません。ホルモン注射や放射線療法だけとなります」 これは誠に有難いことで、身体の中にメスを入れずにガンと仲良く、折り合いをつけながら生きてゆくことが出来ます。

 やる気の出ない身体の変調は、今まで眠っていたガン細胞が活動を始めたに相違ない、と思っている私は、はて、どうすればいいか?

 「私の最後の日が、10年カレンダーの残りの日の中に九分九厘あるのだよ、こうしちゃおれないのだよ、急がねばならないのだよ、毎日を充実していかねば私の創造主に対して申し訳ないのだよ、授かったイノチは何らかのために捧げねばならないのだよ」 と決意を新たにいたします。 

 私の仕事場の、もう一方の壁には、詩人加川文一の色紙が張ってあります。いま、この文章を打ち込みながら、その色紙をシゲシゲと見ているところです。

   〈たれにゆだねん夢にしあらず、ひと日ひと日を己のものとはせよ〉

 

2015年9月9日          オゾマシイ風景

 自民党総裁選挙で、安倍晋三が無投票当選が決まりました。前総務会長の野田聖子が対立候補として注目されていましたが、20人の推薦人が確保できず、立候補出来ませんでした。執拗な切り崩しにあったようです。

 今朝の朝日新聞の論壇で、元外相田中真紀子が苦言を呈しています。「昔の自民党は、違った意見でも堂々と発表して、活発だったわよ。これだけ民意とかけ離れているのに、何よ、みんな押し黙っちゃって」

 自民党本部に集まった議員全員は、安倍晋三を檀上に押し上げ、万歳を三唱し、盛大な拍手を彼に送りました。檀上で安倍を囲んだのは女性議員たちです。中川郁子(自死した中川の妻)、高市早苗、稲田朋美、松島みどり、加藤鮎子、豊田真由子、牧島かれん、金子恵美、佐藤ゆかり、土屋品子、山田美樹……自民党の女性議員は衆議院だけで25名います。そのほとんどが檀上に上がり、安倍を囲んで満面に笑みを浮かべています。

 何ともやり切れない、オゾマシイ風景です。

 女性こそが、自分達が産んだ子供が戦争に巻き込まれないように、体を張ってでも憲法を守るのが本当ではないでしょうか。野田聖子が安倍に逆らって立候補しよう、としたなら、同性として応援を買って出るのが普通の神経ではないでしょうか。

 25名の女性議員の内10名は比例代表で議員にならされました。参議院はほとんどが比例です。つまり、議員としての見識を持っていないにも拘わらず、議員にさせられた女性がほとんどなのでしょう。

 自民党内、公明党内で波乱が起きない以上、この度の法案は成立し、次はいよいよ憲法の改正になっていくでしょう。現行の選挙制度が小選挙区制である限り、議員としての見識のない有象無象が国会内に横行するのです。日本の不幸は小選挙区制という選挙制度にあるのです。

 

2015年9月8日          メルケルさんの快挙

 イスラム国の勢力拡大に伴い、シリアを脱出した難民がヨーロッパ中央に向かって、徒歩で移動しています。ハンガリーは受け入れを拒否しました。隣国のオーストリアにも受け入れられませんでした。隣りのチエコもスロバキアも拒否です。ドイツだけが、「さあ、いらっしやい。大変でしたね。ゆっくりお休みください」と言って難民対策として、1兆円の予算を組んだそうです。メルケルさんの決断です。

 難民の中の幼気な子供が、波打ち際で死んでいる写真が世界に衝撃を与えています。ローマ法王が「キリスト教徒ならば、協力して難民を受け入れなさい」と声明を出しました。しかし、言葉や気持ちとしては分かっていても、実際の受け入れとなると、二の足を踏むのが、こういう問題の常です。ドイツのある州の首長はメルケルさんの決断に反対の狼煙を挙げました。人道問題とはいえ、異民族を抱え込む苦労は並大抵ではないからです。

 アメリカとメキシコの間の越境問題も実に深刻です。トランプという大統領候補は、あからさまにメキシコを盗賊呼ばわりをして非難しています。隣国と陸地の境界線を持たない日本は、異民族の大量流入などという経験をしたことがないのですが、この際、5000人に限って受け入れる、という声明を発しては如何でしょう。世界の日本に対する見方が変わろう、というものです。何となれば、難民の発生は日本にも責任があるからです。

 今年の初め、安倍晋三はイスラエルの首相と、日本はイスラム国と対峙している国々に対し、2000億㌦の人道支援を行う、と共同声明を発しました。それに対してイスラム国側からは 「日本は9000キロも離れたところからわざわざやって来て、われわれが戦っている国に対して金を出すとは何事か。いらぬお世話だ」と言って後藤さん他一名のジャーナリストを血祭りに上げたではないですか。更に、反発したイスラム国が、ますます結束して力を付け、空爆しか行わない連合軍を蹴散らし始め、難民が続出し始めたのではありませんか。 

 一体、安倍という男は何様の積りでしょうか。ウクライナへ出かけていってまでも、2000億㌦を差し上げると約束してきてしまっています。ロシアが嫌な顔をするのは目に見えているのにです。案の定、メドベージェフ首相が千島列島に足を踏み入れました。報復以外の何物でもありません。

 安倍晋三のムダ使いはまだあります。アメリカの上下両院で演説させてもらう見返りに、一機135億円のオスプレイを20機近く買う約束をしてきました。

 折から補正予算の締切が迫っています。国全体の借金は増えこそすれ全く減っていません。消費税の増額は一体何だったのでしょう。シリア難民受け入れのために、国内一部の反対を押し切って、一兆円の予算を組んだドイツのメルケルさんと、何という違いでしょうか。

 明日は自民党総裁選の告示日です。立候補者が誰もいないとは、呆れてモノも言えません。国民大多数の反対に耳を傾けず、今後も、お坊ちゃまのやりたいようにさせようとする自民党。政治の劣化、ここに極まった、と言えます。

 

2015年9月7日        一芸に秀でる人間教育

 大宮からシャトル電車で20分、県立伊奈総合学園高校があります。中学校を入れると約3000人の生徒が学ぶマンモス学校です。今年もその学園祭に呼ばれ、次男一家4人と大宮駅で待ち合わせ、行ってきました。昨年も同じメンバーで、高校一年に在学する双子の孫の一人萌ちゃんの活躍ぶりに接してきたのですが、二年生の今年は、それ以上の仕事をしていて、目を瞠らされました。普段使う教室を変身させるために、大きな絵を描いて壁や廊下や教室の日常性を覆うのですが、その作業のほとんどを萌ちゃんがやったようなのです。しかも、江戸の浮世絵で統一されていました。圧巻は畳5枚はありそうな廊下の窓ガラスを、浮世絵風のステンドグラスにしてしまったことです。艶めかしささえ漂う傑作になっていました。朝、一番電車に乗って製作に打ち込んでいた、と母親の真弓さんから聞きました。小、中学生のころ、応募したポスターコンクールで数々の賞を貰ってはいましたが、こういう才能が将来開花するといいなあ、と爺さんは考えます。私は何の才能も発揮できずここまで来てしまいましたが、特にダメなのが絵です。カラッキシです。しかし、私の腹違いの兄は流軌会という画壇に属する画家でした。武蔵野美術大学の理事、多摩芸術学園高校の理事長をやっていました…閑話休題。

 3000人は有に入れる体育館に席を移しました。活気溢れるダンスが演じられていました。我々の若い時のダンスはワルツ、ジルバ、ルンバなど、男と女のねちねちしたものでしたが、最近のダンスは丸っきり質が違います。集団による体の動きの極限の美を追求しています。見ていて実に気持ちがいい。約100人のダンス部員がはち切れんばかりの演技を見せてくれました。

 続いて吹奏楽です。ダンスが終わった舞台とその舞台下に、約270人の生徒が演奏の準備を始めます。敷物が敷かれ、チューバが、コントラバスが、パーカッションが、ドラムが入ってきます。全員が私語一つ交わしません。無言で、整然とした準備時間は30分丁度かかりました。見惚れてしまう30分でした。

 そして、昨年と同じ指揮者先生の登場です。270の楽器が一斉に音を発します。オシッコが漏れそうになる戦慄が身体中を駆け巡ります。絵筆はダメでも、音に敏感な私にとって、またとない天国的な音の饗宴です。殆どの演奏者は楽譜など見ません。譜面台はあっても、楽譜が置いてないのです。身体で音を覚えてしまっているのでしょう。圧巻の一時間でした。

 体育館では、バスケットやバレーの試合をやっていました。体操競技の立派な設備も使われていました。最後に50人ほどのチアリーダによる演技に送られて学園祭をあとにしました。

 一人の人間はあらゆる可能性を内に秘めた存在です。その可能性を引き出してやるのが教育というものです。受験勉強という競争社会を乗り切っていく勉強の技術も等閑に出来ませんが、もっと大切なことは、自分の可能性と向き合わせる教育の在り方です。自分好きなこと、やりたいことを勝手に、存分にやらせる教育環境です。

 この県立伊奈総合学園高等学校には、それがまさしくある、と確信しました。いい高校に入れて良かったなあ、と改めて思いました。

 

2015年9月4日           ミリタリーバランス

 昨日の北京は、大雨になるのを望んでいたのに、快晴になってしまいました。軍事パレードは、習近平が三台の車の先頭車にただ一人乗り、辺りを睥睨していました。「ああ、ナチスのヒットラーと同じだなあ」 と思ってしまいました。ナチスの軍事パレードも、ヒットラーがいつも先頭のオープンカーに乗っていました。今回のパレードでの大きな特徴は、核弾頭付の大陸間弾道ミサイルDF-5、DFー31、そして、DF-210などが披露されたことです。これらは常時、アメリカ軍の太平洋上の基地、(ガム、沖縄、三沢、横田、横須賀)などに標準を合わせているばかりか、新型のDF-210に至っては、アメリカ本土の軍事基地に標準を合わせています。核弾頭付ミサイルは驚くべき進化を遂げていて、アメリカマイアミのナサまで届く航続距離を持つことが出来ています。中国が所持するミサイルの合計は、今のところ88基です。ところが、それに対するアメリカは、何と、1,100基のミサイルを持っています。アメリカもまた、中国のすべての軍事基地にミサイルの標準を、常時、合わせているのです。

 武器があれば、人間は使いたがります。5年先か、50年先か、あるいは500年先か、双方のミサイルが飛び交う日が来ないという保証は、全くありません。その時は、世の終わりで、聖書の預言が成就されるでしょう。

 一方、極東の各国の兵力並びに軍事力はどうでしょう。

      兵力(万人) 戦闘爆撃機 空母  軍艦   年間軍事予算
日本  25 371 48 450億ドル
韓国 54 462 0  28 290億ドル
台湾 20 530 21 107億ドル
北朝鮮  100  603 29 50億ドル
中国  223 1693  79 1760億ドル
アメリカ 142 1435 11  114  6460億ドル

  日本国の平和憲法は、第9条で「戦争は、これを永久に放棄する」と謳っていますが、どうして、どうして、自衛手段としての武力は年々蓄えられ、年間予算5兆円を費やし、世界でも9番目位に位置するほどの武力保持国家になっています。国際政治が、依然としてパワーポリテックスである以上、自分からは決して仕掛けない限りにおいての武力保持は、止むを得ないかもしれません。

 永世中立国スイスは日本と同じ立場です。自らは決して仕掛けないが、仕掛けられたときには、国民全員が兵士になります。山の中に隠している武器弾薬を取り出します。高速道路が飛行機の滑走路に早変わりします。戦争を放棄した以上、日本もスイスと同じ立場を貫くべきなのです。しかし、日本は不幸にも、ここへきて、好戦的な長州人安倍晋三が現れ、読売新聞のナベツネに唆され、「日本はこれから、アメリカが行う戦争には一緒になって戦うよ」 と、閣議決定し、しかも、絶対多数をいいことに、その法案を衆議院で可決してしまったのです。

 その結果どういうことが将来起きるか、というと、いつの日かアメリカと中国が武力衝突するときは、日本が先ず、中国の標的になります。日本は再び焼野原になるでしょう。南京虐殺の仇、とばかりに日本人は皆殺しにされるかもしれません。

 20世紀はアメリカが世界に君臨しました。21世紀は、もしかすると、中国になるかも知れません。国家の存亡は意外に早いのです。 昨日の北京のパレードは、その中国の野望が見え隠れしていました。世界の基軸通貨をドルから元にし、世界を赤旗で埋め尽くすことを中国が狙っていることが、白日の下に曝け出されたのです。

 地球上の生きとしし生けるもの、生存競争は日常茶飯事です。そのための殺し合いは日夜行われています。ところが、人間の殺し合いの武器が今世紀に入って極端に変わってきました。武器弾薬が主役であったのが第一次世界大戦。戦闘機、軍艦が主役になったのが第二次世界大戦。第三次の大戦が起こるとすれば、主役になるのはコンピュータであることがハッキリしています。近代兵器は全て、コンピュータによって制御されます。そこで、いかにして相手国のコンピュータを攪乱するか、が戦いのカギを握ることになります。いわゆる、サイバー攻撃です。いま、中国にはサイバー部隊があって、何と135000人が日夜コンピュータに張り付いています。アメリカは、確か30000万人位です。日本は、というと、僅か3000人!

 昔の安保闘争の時の合言葉は「向米一辺倒を排せよ」でした。同じ言葉を私は安倍晋三に投げかけたいのです。「仲良くしなければならないのは、たとえイヤであっても、中国、韓国なのだ」と。

 

2015年9月2日        罪を憎んで人を憎まず

 明日9月3日、北京の天安門広場では、大規模な軍事パレードが行われます。「抗日戦争勝利70年記念パレード」だそうです。しかも、習近平はこの日をもって国民の祝日にしました。「今更、何だ!」 と腸が煮えくり返る思いです。いずれの国においても、為政者が権力者になると、外部に仮想敵国を作って国民の目を目をそらさせるのを常套手段にします。もし、内政に問題が発生していれば猶更です。

 世界同時株安は、最近の中国の経済の不調が原因です。上海の株式市場の混乱は目を覆うものがあります。持ち株の何倍もの金額の信用買いを認めているために、一般市民の犠牲は留まるところがないようです。不動産も低迷しています。巨大投資を繰り返し、マンションを作りに作っても、空き部屋同然になっています。内政の失敗でなくて何でしょうか。更に問題なのは、失政の責任を誰もとらないことです。集団指導体制の明らかな弊害が、ここへ来て露呈しています。天津の大爆発がいい例です。「私が責任者だ」と名乗りでた企業も為政者もいないではないですか。代わりに為政者がやっていることは、事件の隠蔽です。正確な死者や怪我人の数ぐらい発表があってもいいのに、それすら、ありません。極端な情報制限が行われているや、に聞き及びます。

 韓国とて同じです。行き詰まった内政のハケ口を朴ウネさんは、日本を敵視することによって糊塗しようとしています。同盟国であり、朝鮮戦争でお世話になったアメリカを尻目に、彼女は明日の式典に参加します。朝鮮戦争で北朝鮮を支援した中国へ擦り寄っていくのですぞ。いくら温厚なオバマさんでも不快を隠さないでいます。

 第二次世界大戦でヨーロッパの国々は、ドイツのヒトラーによるナチの攻撃で散々な目に遇いました。でも、いまそれを云々する国はヨーロッパにありません。それは「罪を憎んで人を憎まず」というキリスト教の精神が根底にあるからです。ナチスの罪は許せないがすべてのドイツ人がナチスであったわけではない、と最も被害を受けたフランス国民がドイツ国民を受け入れたのです。

 一方、罪を憎んで人を憎まず、という精神は東洋の論語にも、儒教にも、仏教にも出てきます。それなのに、両国の日本への憎しみは異常と言っていいほどです。戦争記念館、排日教育、教科書、地図に至るまで、止まるところがありません。両国は罪を憎んだ上に日本人という人を永久に憎もうとしています。それが民族意識なら仕方ないでしょう。ところが違うのです。時の政権が自分の政権を維持させるため、つまり、人間の持っている〈お互いに許しあう〉崇高な精神に逆らおうとしているのです。権力を維持するために、日本に対する敵愾心を煽り立てているのです。

 だから、許せないのです。

 一般民衆は日本の犯した罪は許せなくても、日本人には親しみを感じ、とうに、許してくれている筈です。いち早く復興を遂げた日本の技術力、資本力によって、両国の躍進があったのではないでしょうか。日本に恩義を感じている企業はゴマンとあるのではないでしょうか。

 それを、敢て捻じ曲げようとしているのが、政権維持のために躍起となっている両国の権力者たちです。

 明日の北京の祝典、大雨になればよいと願っています。

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