最近のエッセイ

2020年8月11日         かんたんスマホ

 私のスマホは、3年ほど前に畏友堀田さんの勧めで、タイ・チェンマイのマーケットで買った中国製ファーウエイです。その後、ファーウエウには特殊な装置が付加されていて、個人情報が中国共産党に筒抜けになっていることが判明しましたが、私如きの情報など何の役にも立たないだろう、と使い続けていました。最近、通話が不如意になったので、Yモバイル店へ行ったところ原因はシムの接触が悪かっただけでしたが、店から「かんたんスマホ」への機種変更を勧められました。使用料金は従来と変らず、しかも、一ヶ月分の電気料金が無料になるサーヴィスが付いています。何で電気料金なんだ、と理解に苦しみましたが、それに気を良くして切り替えに応じました。切り替え料金は16,000円、私のところの電気料金は一ヶ月24,000円ほどです。逆鞘現象です。

 切り替えて貰った「かんたんスマホ」は簡単そうに見えて、カンタンではではありませんでした。接続に失敗すると店へ飛び込みました。一度や二度ではありませんでした。驚くべきはこの小さな器械に余りにも便利な機能が詰め込まれていることでした。言葉を発するだけでこの機種は答えてくれます。IPADでもそれは出来ますが、出先ではこの方が便利です。電話もかけ放題、ラインも無尽蔵。位置情報、優れたカーナビなど何でもござれ。つくずく、最近の電子機器の発達振りには驚かされました。

 仕事場にはウインドウ・7と、大型画面のウインドウ・10、IPADとそのキーボードがあります。これで十分と思っていたのですが、そこに新型のスマートフォンが加わりました。何とか習熟してその機能を使わせてもらいましょう。

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    ミュージシャン松本秀彦が天国へ行った

   「良く来たなあ 早速だけど、今晩コンサートが

    あるから、 直ぐ入ってやってくれないか?

    サッチもはいるし、 アームストロングもいる

    ドラムはジョージ・川口だ」

   「で、ボーカルは?」

   「それが問題でなあ、音は外すし、滑るし、

    歌詞は忘れるし、、、、、、

    神さまの若い彼女なんだ」   

 

2020年8月10日            天網恢々

 昨九日の夜、北京はまたしても豪雨に見舞われました。しかも、真夏なのに大きな塊の雹が降りました。その映像は今朝掲載のユーチューブでも明らかです。北京が雹に見舞われたのは、これで三回目ではないでしょうか。ユーチューブの写真に偽りがなければ、中国のほとんどの都市が、今、水浸しになっています。長江流域の重慶、宜昌、武漢、南京、上海、、、黄河流域の西安などなど。今もって水が引く気配が見られません。それなのに、それなのに、北京の共産党幹部から見舞いの言葉も、励ましの言葉も今もってありません。7人の党の重鎮達はどこかへ雲隠れしてしまっています。人民を何と心得ているのでしょうか? 

 伝えられているのは共産党内部の権力闘争の激化です。習近平は2020年までに貧困の完全解消を掲げて党首になりました。しかし、首相の李克強は、党大会で「中国人の一人当たりの年収は3万元(45万円)に過ぎず、14億5000万人の内の6億人は月収は1000元(15000円)に過ぎない」と述べました。痛烈な習近平批判です。権力闘争はこれによって更に激化したようです。

 今月下旬から、共産党の主要行事である「北裁河会議」が始まります。前勢力であった江沢民派の長老達が一堂に会します。批判を恐れて、習近平は欠席するのではないか、と噂されています。そうなると会議は成立しないでしょう。

 度重なる水害で家を追われた約3億の民衆、これから蔓延するに違いないコロナを含む疫病、それに飲料水と食料、電力、加えてアメリカからの軍事的圧力、、、、

香港に圧力を加え、台湾を脅し、尖閣諸島に毎日軍艦を徘徊させる時ではないのに、何故か、中国共産党は人民の方を向こうとはしていません。「天網恢々疎にして漏らさず」が、そろそろ始まるような気がしてなりません。  

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      戦争の終り  沖縄の万座毛の崖から

   次々に身を投げた 女たち

   美徳やら 義理やら 体裁やら

   大砲やら 火だの 男だのに 追い詰められて

   飛ばなければならないから 飛び込んだ

   行き場のない 行き場

   (崖はいつも女達を真っ逆さまにする)

   それがねえ

   まだ一人も 海にとどかないのだ

   70年も経つ というのに

   どうしたんだろう あの女たち 

 

2020年8月9日            長崎原爆           

 今日は二発目の原爆が長崎に落とされた日です。アメリカ軍の計画では標的は小倉だったそうですが、小倉の上空が天候不良だったため、急遽、長崎に変更されたそうです。爆心地に建てられている大男の像は、初めは違和感を覚えましたが、慣れてしまうと、これもあるかな、と思うようになりました。長崎市はほとんどが坂道で、仕事は大変なのですが、優れた会長さんがいて、仕事は順調でした。伺う度に市内の仕事仲間が集まって、宴会、カラオケで新米局長を励ましてくれました。極上の皿うどんの店、水雲亭の水餃子、そしてお土産はフクサヤのカステラ、時にカラスミ。上等のスタインウエイが置いてあった小さなピアノバー。ここは一人で深夜訪れました。

 長崎は九州の他の都市と感触が全く違う街です。何度でも行きたい街です。亡くなった7万人の人には全く申し訳ない次第ですが。

 ところで、このところコロナの感染者が全国的に増え続けています。全国の知事さんは、頼むから我が県には来ないでくれ、と懇願しています。一方、国は、東京以外の国民に向かって、費用の半額近くを補助してあげるから旅行に行ってくれ、と政令を発しています。国は経済を回すためには、少しの犠牲は仕方がないと考えているようですが、この政策の実行に当たって黒い霧があったことが判明しました。

 そのキーマンはまたもやセカンドフロアー幹事長です。観光協会などから4000万円以上の献金が二階派にあったことが明るみに出ました。感染者の増加によしんば耐えるとしても、医療現場、殊に、各地区の保健所機能が限界を超えつつあること、国として手を打っているかが問題なのです。出来ていないのです。そのままなのです。だから問題なのです。しかも、国会は休会です。審議したい法案は山ほどあるのにです。嗚呼、やんぬるかな!

 

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        明るい方へ 明るい方へ

       一つの葉でも 陽の洩るとこへ

       藪の影の草は

       明るい方へ 明るい方へ

       羽は焦げよ と灯のあるとこへ

       夜 飛ぶ虫は

       明るい方へ 明るい方へ

       一分も広く 陽の射すとこへ

       町に住む子らは 

               ー 金子みすずー

 

2020年8月8日          聴きたくないピアニスト

  最近、音楽を聴くのは、専ら「ユーチューヴ」、「ユーチューヴ・ミュージック」からです。あらゆる音楽家、あらゆる音楽が、指一本の操作で立ち所に映像と共に画面に現れるので、便利この上もありません。映像はその演奏者の顔の表情、動作、鍵盤上の指の動きなど、一切を視聴者に伝えます。ピアニストの場合、平手奏法が出来ているか? 親指が反り返っていないか? 無用な力を鍵盤に加えていないか? など直ぐ分るので、そのピアニストの力量が裏の裏まで分ってしまいます。

 ピアノは微妙な楽器です。鍵盤を叩く音と、指の重みだけを鍵盤に与えて音を出すのと音の透明度が違います。鍵盤は叩かれるのを嫌います。指の重みだけで触れてやると「ありがとう」と言って、自分の持っている最高の音色で答えてくれます。

 昔の私は闇雲に鍵盤に対して指を立てて悦に入っていました。自分で調律をするようになって、始めて「一番いい音は指の重さだけの時に限る」ことが分ったのです。でも、「時、既に遅し」、身についた習いは替えられるものではありません。

 「平手奏法で、鍵盤を指の重さだけで弾くのが、ピアノの力を最高に引き出す」ことが分ってから、私の古今のピアニストを見る目が変りました。ショパンコンクールの予選会でもこれを基準に優劣を自分なりに決めました。前回、予選を通過した日本人ピアニストはすべて女性で、小林愛美他6人でしたが、全員が全員とも平手奏法に欠陥があったためか落選でした。私から見ても納得出来ました。

 平手奏法は出来ているのですが、聴くに堪えないピアニストがいます。それは中国のピアニスト達です。いま、活躍中のランランとカンカン。それに女流のユジャ・ワンです。そして最近評判の13才の「牛牛」。彼らは、この難曲を弾きこなす私を見てくれ、と言わんばかりの魔術師のような気取った動作をします。音楽に演奏者の振り付けを加味するのは邪道の最たるものでありましょう。絶対に聴きたくありません。

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           永遠の 命が欲しくて

      貪るように 冷たい 杯に

      唇を触れてみる

      杯は 唇を返しながら

      耳元で 囁いた

      酒を飲め

      それしかない 

2020年8月7日           銀 座

 今日は銀座5丁目にヤボ用があり、電車で行くのは感染の確率が増す訳だから、と思って車で出かけました。練馬から銀座まで、普通は一時間あれば十分なのですが途中の混雑を考え、一時間40分をとりました。ところがです。家を出た途端、目白通りの渋滞に巻き込まれました。高田馬場付近は大混雑です。飯田橋から九段下まで車がびっしりです。大手町周辺まで来て、やっと、隙間が出来ました。

 駐車場を探しましたがどこも満杯で、やっと、並木通りのコインパーキングを見つけました。丁度、三笠会館の真ん前でした。やれやれ、と止めたのですが、300円を入れて60分が限度です。それを過ぎてしまって、そこに監視員が来ると途端に駐車違反の切符を切られます。5人の昼食は三笠会館の三階の日本料理にして貰いました。車を見張れるからでありました。私にとって並木道りのこの三笠本店は懐かしいところです。社屋が数寄屋橋にあったころ、遠来の客を持てなすため、よく利用させてもらっていました。三笠会館は社屋脇の西銀座デパートにもあったのですが、目の前で肉を焼いてくれるのは、当時、並木道りの本店だけでした。

 昼の懐石を前にして5人はビールをよく飲みました。といっても私は運転手ですから呑むわけにはいきません。一時間毎に降りていって車を出し入れしなければなりません。そうでなくても並木通りは一方通行で混雑の限りをを尽くしています。渋滞の間隙をを縫って、縦列駐車を繰り返すのです。都合、三回それをやりました。奇異に感じたことは、三階の広い部屋にいたお客さんは、3時間余り、我々5人以外、誰も 来なかったことです。しかも、どの階にもお客さんらしき影がなかったことです。

 そこで、今日分ったことが二つ。車の大混雑は、公共機関を利用することによって起きる感染を抑えるための大衆の防御手段ではないか? 三笠会館の広い部屋が、3時間にわたって我々5人だけだったことは、人々が財布の紐を締め出した結果ではないか? ということです。

 練馬までの帰りも道路は渋滞でした。籠もってばかりいないで、時には、世間をこの目で見てこなくてはならないなあ、と反省した一日でした。

 

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         言葉をしゃべる 利口ない犬がいた

    飼い主は、もっと勉強させようと

    語学研修に出した 夏休み犬が戻ってきた

   「お帰り どうだった?」

   「三カ国語しゃべれるようになりました」

   「それは立派だ。やってみてくれる?」 

       「ヒヒーン、カアカア、コケコッコー!」

 

2020年8月6日          原子爆弾投下

 昭和20年8月6日午前8時15分、一機のアメリカ軍爆撃機から投下された新型爆弾は、投下から43秒後、地上600メートルで炸裂。火球の温度は摂氏100万度、地表の温度は3000〜4000度。投下直後の死者数14万人。後遺症で苦しんでいる人、現在も数万人。

 この頃、私は集団疎開先へ迎えに来てくれた母と一緒に、長野市東鶴賀の母の実家に身を寄せていました。小学二年生の私は、「日本もこれでお終いだな」と大人達がひそひそ声で話すのを小耳に挟みながら、新型爆弾への好奇心をつのらせていました。

 小倉の西部本社へ赴任した頃、広島で責任者会がありました。原爆ドームを皮切りに、一日かけて関係施設を回りました。涙が涸れ果てたのを、昨日のように思い出します。アメリカへ行ったときは、記念館に置いてあった原爆を投下した爆撃機そのものを見ました。唾を吐きかける訳にはいきませんでしたが。

 この所、アメリカ・中国共産党との関係が、日を追ってきな臭くなっています。早稲田第一文学部史学科西洋史専攻であった私が、唯一学んだことは、「戦争のなかった時代はない」ということです。つまり、好むと好まざるとに拘わらず「人間は戦争をする」のです。たまたま私の場合は、幼児期の7年間だけ戦争の最中を過しましたが、これからの人は、恐らく大変でしょう。核弾頭が再び頭上で炸裂するかもしれないのですから。 

 

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    蜂はお花のなかに お花はお庭のなかに 

    お庭は土塀のなかに 土塀は町のなかに

    町は日本のなかに  日本は世界のなかに

    世界は神さまのなかに

    そうして そうして 

    神さまは 小っちゃな蜂のなかに 

                ー金子みすずー
 

2020年8月5日         佐藤 優の見解   

 CSISが発表した下記の論文について、佐藤優がどういう見解を持つか、調べて見ました。彼は外務省主任分析官の頃、鈴木宗男の件で512日間、豚箱に留置されましたが、その優れた洞察力は当代一だ、と私は兼ねてから私淑しているところです。アメリカがヒューストンの中国領事館を3日間で閉鎖させ、中国がそれに対抗したのが第一段階。この先、中国在住のアメリカ人を引き上げさせれば、それが第二段階。大使館を引き上げ、アメリカ在住の中国人に国外退去を命ずれば、それが第三段階。尖閣諸島で小規模な武力衝突が起きるのが第四段階。その後は、言わずと知れたミサイルの応酬となります。

 CSISの論文は、アメリカ中国の覇権主義の実態を見抜き、それを赦さないという決意の最初の意思表示だ、と彼は見ます。日本はというと、今までバランス外交を旨とし、二階敏博は兎も角、外務省出身の今井尚哉は広い視野の持ち主で、日本の立場は如何に一方に偏することなく国を発展させるか、そこのところを安倍晋三にやらせてきている。だから、アメリカ側より親中国派の重鎮とみられたのは心外であったろう。ただ、この急激なアメリカの変化を予測し、手を打てなかったのは彼の落ち度ではあるまいか。もう一つ、この論文を敢えていま発表したのは11月に大統領選挙を意識してのことである。事態が進み開戦間際になっては、アメリカは大統領を替える訳にはいかない。CSISの発表は選挙がらみの策略、と言えないこともない。場合によると、中国の出方によっては、憲法改正の機運が急激に高まり、日本も交戦権を持つ事態になりかねない。以上が、佐藤優の考え方でありました。

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        先があることを 忘れよう

 

        過ぎたことも 忘れよう

        今 たった今

        それが 肝心

        楽しい 今の連続

        そう ありたい

 

 

 

2020年8月4日          セカンド・フロアー

 

 

 外務省の外郭団体に「国際問題研究所」があります。私と日経新聞社でアルバイトが一緒だった法政大学大学院生・佐藤栄一さんは、卒業後、その研究所へ入りました。数々の論文が認められたからです。1日約5時間、一緒に仕事をしながら、私は彼からいろいろなことを学びました。丸山真男、埴谷雄高、ルカーチ、モーゲンソウなどを知ったのも彼からでした。研究所へ入所した彼は、そこで「軍縮」という膨大な研究論文を発表します。枕になるほど分厚い本です。その後、交流は絶えていたのですが、私が小倉の西部本社の営業局長の時、ふらっとやってきました。フグで持てなしたのは言うまでもありません。ただ、酒の飲み方が尋常ではありませんでした。案の定、それから直ぐに亡くなってしまわれました。

 彼が所属した研究所は、アメリカ「戦略国際問題研究所」、俗にCSISの傘下にあります。最近、このCSISが中国共産党の最近の姿勢を声高に批判し始めていることが話題になっています。日本の議員の中の「親中派」の一人一人の名前を挙げ、日本国そのものの親中国振りに遺憾の意を示し始めました。

 CSISが名前を挙げて批判しているのは先ず第一に自民党のセカンドフロアー、つまり、和歌山出身の二階敏博幹事長です。続いて、現法務大臣の二階派森まさこ、現首相補佐官の今井尚哉、などです。二階派には約40人が所属しています。安倍政権の終焉を前にして、次期総理のゴタゴタを「俺が納める」と豪語して飛び回っているセカンド氏に、アメリカの最高戦略機関から「テメー、中国から手を引けー、さもないとアメリカは日本を見捨てるぞ」、と脅しがかかったのです。

 ここで分るのは、アメリカが中国共産党政権に対し、堪忍袋の緒を切らし、戦争をも辞さない対決姿勢を取り始めたことです。未だに、日本が習近平を国賓として迎える、その音頭をとっている二階派に痺れを切らしたのでありましょう。

 一方、世界の風潮はコロナを境に急激に変りました。ヨーロッパの各国は、中国離れを加速しています。なぜか、ドイツだけは未だに中国とズブズブですが。周りの国はメルケルの真意を測りかねているそうです。もし、コロナがなければ今年の3月には習近平は国賓として来日し、宮中晩餐会が盛大に催され、それを陰で仕切ったセカンドさんは鼻高々であったでしょう。それがいまや、アメリカの最高機関から悪者の代名詞として名指しされるとは!        

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      同じ志を持つ友は 大勢いた

   別れの言葉を 聞かないうちに いつの間にか

   次々に無音になり 風の便りに

   死の枕辺に 倒れたことを知る

   命を張った あの 酒盛りは 何だったのか

   罵倒と攻撃と 理解と寛容の宴よ

   一足先とはいえ

   そんなに急ぐこと ないじゃないか!

 

 

 

2020年8月3日           首里の地下壕

 

 

 那覇市の一郭、小高い丘に昔の琉球王朝時代の名残であった首里城があります。勿論、戦争で失われたので、戦後に建てられたものですが、最近、原因不明で焼失しました。今、復元の最中ですがその城の下に、膨大な長さの地下壕があり、そこに調査の手が入っています。昭和20年6月23日、沖縄玉砕の日まで、そこが日本軍の総司令部でありました。生々しい傷跡が露出しているそうです。

 沖縄本島は小さな島です。アメリカ海軍に囲まれ昼夜分かたず艦砲射撃を受けます。人々は沖縄の至る所にある「ガマ」と呼ばれる洞窟に避難します。日本軍は人々が白旗を揚げて投降することを赦しませんでした。万座毛という崖から子どもを抱いて海に向かって飛び込む姿が後を絶ちません。ガマに潜んでいた人々もアメリカ軍の火炎放射器で、次々に焼かれました。軍の命令に背き、白旗を上げて投降したガマもあります。アメリカ軍は食料を与え、丁寧に保護したそうです。噂がウワサを呼び投降者があとを経たなくなったと聞き及びます。日本軍は一般市民に対し、何と過酷な命令を与えたものか! その元凶達が、首里の洞窟内に潜んでいたのです。最も彼らとて生き残ることは出来なかったようですが。

 沖縄玉砕に至る日までに亡くなった沖縄市民、軍人、アメリカ兵士、韓国人、すべての方の名前が刻まれた石碑が、沖縄南部平和公園にあります。「平和の礎」です。

 国別の死者の数は以下の通りです。

  ○日本人・・・226,977   ○アメリカ・・・14,009  ○イギリス・・・82

  ○台湾・・・34   ○北朝鮮・・・82   ○韓国・・・382

                 合計 226,977人

 これだけの人の命の犠牲を強いたのが、首里の地下壕に潜んでいた日本軍人達でありました。首里城の修復を機に、彼らの最後の実態が明るみに出ようとしています。日本の軍国主義の残酷な一面が、再び暴かれようとしています。

 すべての人のお名前が刻まれた石碑は、紺碧の海が見渡せる丘の上の上にあります。一隅には永遠に消えることのない火が燃えています。私は、沖縄に行くたびに極力、ここへきてお参りして来ました。お名前の刻まれた石の林の中に入ると、いつも涙が溢れてきます。慌てて、嗚咽をこらえながら燃える火の側へ行き、碧い海に向かって思い切り泣くのが常でした。

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             奥様が絵の展覧会へ行った

      「この絵、素敵! ミレーでしょう?」

      「いいえ、奥様 ベラスケスでございます」

      「これは、ルノアールに間違いないわ」

      「いいえ、奥様、セザンヌでございます」

      「これこれ、これこそ ピカソだわ」

      「申し訳ございません 奥様

         ただの鏡でございます」

 

 

2020年8月2日       議員達よ、休んでいる場合か!          

 梅雨明け宣言が出されました。大空の佇まいは真夏の積乱雲に替わりました。南半球では、既に真冬に入っているでしょう。そのオーストラリアで感染の拡大が始まっています。同じ島国である日本列島・沖縄でも日に日に感染者は増え始めています。陸続きのタイやベトナムでは感染者が増えていないにも拘わらずです。

 オーストラリアの場合は、国民の意識と、為政者の政治力にありました。つまり、感染者が少ないこといいことに、経済優先に舵を切ったのです。日本も同様です。「ゴーツートラベル」の結果、日を追って感染者の数が増大しています。自宅待機指示が多くなりました。即刻、隔離すべきなのに医療設備が追いつかず、家庭内感染が広がりました。このまま推移すれば、医療崩壊が起きるのが目に見え始めました。それなのに、ああ、日本の国会議員達は休会をいいことに無聊を囲っています。即刻、国会を開催して、必要な議案審議をすべきなのにです。大規模な隔離施設を作り、医療従事者を増やし、一般病院に設備を完備させ、健康保険を適用するよう制度を見直し、面倒な規制を取っ払い、総力を挙げて感染防止に取り組むべきなのにです。この非常事態に国会議員を遊ばせていていいものでしょうか?

 余っている8000万枚のマスク配布? もう、そんな段階ではないのです。必ず、保健所の窓口に出頭? 病院なら何処でも対応出来るように法改正すべきです。だからといって動物病院は別ですけれども、、、、、

 「医療崩壊が起きる前に、あらゆる手を打っておく」、それこそが為政者の仕事ではありませんか! 官邸にたむろしている者どもよ、どうして、未来が予測できないのだ! 国会議員達よ、議員会館でノホホンとしていないで、選挙区へ帰って窮状をくまなく聴きだし、その地区の対策を細部にわたって打ち立て給え!目を覚ませ、議員達よ! 今こそ、国はあんた達に動いて欲しいのだ!

 

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               仰向けに寝て  胸に両手を合わす時は

      もう 息は吸えない

      夜の明けぬ間に起きて この世の息を吸え

      息の数を 数えながら

      それができる 喜びを知れ

      夜は 繰り返し明けても

      息は そうはいかない      

 

 

 2020年8月1日       特攻隊員の飛行機の絵        

 昭和19年から20年にかけて、東京は何度もB29爆撃機の空襲を受けるようになりました。集団学童疎開が始まりました。中野区上高田国民学校の50人余りに割り当てられたのは、福島県浜通り、富岡駅前の大東館という旅館でした。駅の向こうには広大な砂浜が広がっていました。私は最下級の一年生でそこに参加していました。ある日、広い浜辺に3機の二重翼の練習機が飛来し、三人の航空兵が大東館に泊まりました。俗に言う「赤とんぼ」という華奢な飛行機です。特殊任務を帯びた訓練飛行だったそうで、後で分ったことですが、彼ら三人は特攻隊になるための訓練のようでした。食後、大広間に生徒達が集まりました。飛行士三人に生徒達は思い思いの質問を浴びせます。私はそのうちの一人に「飛行機の絵を描いて下さい」と言いました。「よーし」と言って飛行士の一人が私を抱き上げ自分の膝の間に入れ、用意された画用紙に当時、最速と言われた「ハヤブサ」を描いてくれました。嬉しかったですね。爾来、その絵を私は大切にしました。今もその絵は家のどこかにある筈です。 話は逸れますが、長野県上田に戦没画学生の作品だけを集めた美術館があります。「無言館」です。館主は窪島誠一郎、水上勉の不肖の息子です。10年ほど前のある夜、窪島さんの持つ永福町のアトリエ兼ラウンジで小さな催しがあり、文化座の佐々木愛さんと丸山さんの三人で出かけました。佐々木愛さんは脚本の関係で水上勉さんの絶大な信奉者でした。ラウンジで窪島さんに紹介されたとき、私が大事にしてきた特攻兵の飛行機の絵の話をしました。是非、無言館にお持ち願いたい、と話は纏まりました。実は、それを実行しないまま現在に至っています。一人の英霊に対して私は申し訳ないことをしているのです。

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   皇室内親王御製

       次ぎの世を 背負うべき身ぞ 逞しく

       正しく伸びよ 里に移りて

 

    (集団疎開児童による替え歌)

 

      次の世を、背負うれっか疎開の子

      メシは一膳で 

 

      シラミまみれで いつも ふらふら

 

2020年7月31日           ポツダム宣言

 今から75年前の7月29日は、日本に向かって発せられたポツダム宣言を受託するかどうかの最終期限日でした。7月24日にドイツのポツダムにアメリカのトルーマン、イギリスのチャーチルとアトリー、ソ連のスターリン、中華民国の蒋介石が集まり日本への降伏文書を作成し、日本に向かって打電されました。日本は天皇を中心とする御前会議が開かれましたが、阿南陸将の猛反対により、受託はなりませんでした。

 結果、8月6日には広島に、9日には長崎に原爆が投下され多くの人が焼け死にました。日本との不可侵条約を結んでいたソ連は、一方的に条約を破棄し、宣戦を布告し、約500万人のソ連軍が日本の統治下であった満州へなだれ込みます。60万人が捕虜になり、シベリアのハバロフスクに収容され、極寒の中、強制労働させられます。千島列島の樺太は元より、北方4島がソ連によって占拠され、今日に至っています。

 もし、7月29日にポツダム宣言を日本が受託していたら、、、、、歴史に「タラ、レバ」は禁物ですがソ連の一方的な宣戦布告もなければ、原爆投下もなかったでしょう。御前会議における「阿南陸将徹底抗戦」の発言がなかったら、、、、、その後の推移はどうなっていたでしょう。彼は割腹自殺しましたが、彼の存在が日本の未来を左右したと言えるでしょう。

 かつて、ヨーロッパツアーで、旧東ドイツの「ポツダム」があったので参加したことがあります。会議が行なわれたのは湖畔の平屋建ての一軒でした。部屋が仕切られていて、チャーチルの部屋が最も小さく、飛び入り参加のスターリンの部屋が一番豪華でした。チャーチルは急用で途中から帰国したとのこと。

 そのツアーでは、途中、マイセンに寄って気分を戻し、ドレスデンでは今も残る空襲跡を見、ウイーンに抜け、ハンガリーのブタペストから帰国したのですが、途中、国営企業による工場の無残な姿をいくつも見ました。マルクス・エンゲルス理論は一体何だったのか? 深く考えさせられました。

 日本は半月後の8月14日、宣言の受託を打電するのですが、この半月間に失われた我が同胞の死は一体何だったのでしょう。深く頭を垂れ、生き残って来たことに感謝する日々にいたします。

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    海行かば 水漬(みず)く屍(かばね)
  山行かば  草生(くさむ)す屍
  大君(おおぎみ)の辺にこそ死なめ
  かえりみは せじ (長閑には 死なじ) 
         ー大伴家持 ・ 信時 潔ー   
 

 

2020年7月30日       第一号患者を責めるな

 これまでの半年間、感染者を0に抑えていた岩手県で、昨日、二人の感染者が出てしまいました。「ゴーツートラベル」に乗じて、盛岡市の40代男性と宮古市の30代男性が東京近郊のキャンプ場に滞在し感染したのです。岩手県民の怒りと歎きはいかばかりでしょうか。
 岩手県の人口は122万、面積は北海道に次いで二番目です。口数の少ない県民性のお蔭で飛沫も飛びません。しかも、豆腐や納豆を常食にしています。盛岡市の納豆購入額は全国一です。ついでながら、私の朝食はゴーヤーの白エビ炒めと、目玉焼きとヨーグルトです。納豆も欠かしたことがありません。
 感染した二人の岩手県人は、今頃どんな思いでいるでしょうか。二人の家族・親族は白い目でみられ、きっと、村八分同然の扱いを受けることでしょう。そして、この二人の感染者の家族・親族との付き合いを、岩手県民は末代にわたって拒否し続けるでしょう。男二人は、どんなに後悔していることか。それもこれも、「ゴーツートラベル」という政府の緩和政策の結果でありましょう。
 感染が判明した段階で、岩手県知事が県民に向かって言いました「第一号患者を責めるな」と。患者の発生をゼロに抑えてきた知事としては、無念の思いであったでしょうが、よくぞ、発言してくれました。立派な知事ではないでしょうか。こうなった以上は、三人目を出さないように、万全を期して貰いたいモノです。
 この度の行政による緩和政策は失敗への可能性を十分に抱え込んでいる、と私は予測していました。行政のやることは、全国民の検査を可能にするPCR試薬の完備、十分な隔離機能を伴う
ベッド数の確保、人工呼吸器の設備増大、医療従事者への十分な支援、ワクチンや治療薬の開発にしのぎを削っている研究機関への惜しみない支援、それに携わっている研究者への経済援助、などであって、これらこそが最優先されるべきなのです。旅行業者や、観光施設などへのオモンパカリは、今回のように急いでやることではないのです。

 この度の岩手県の発症は、順序を間違えた行政の残念な結果にほかならない、と私は岩手県民の無念の気持ちを代弁させて貰います。

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        わたしが両手を広げても

        お空はちっとも 飛べないが

        飛べる小鳥は私のように

        地面を早くは走れない

        私がからだをゆすっても

        きれいな音は出ないけど

        あの鳴る鈴は私のように

        たくさんな歌は知らないよ

        鈴と小鳥とそれから私

        みんな違って みんないい

             ー金子みすずー

        

 

2020年7月29日       五月雨を集めて速し最上川

 昨日は山形県の最上川まで氾濫する、というニュースが飛び込んで来ました。今日の東京は妙な霧雨です。中国は相変わらずの洪水です。全く妙な毎日です。

 長野高校同窓会誌「北七」が届きました。総会は開けなかったけれど、友人達の「歎き節」で満ちていました。その文章の中に前島文治君の「千曲川決壊による浸水被害」の報告記事がありました。昨年10月の始め、善光寺平は水浸しになりました。彼の家の一階部分が浸水し、彼は二階に避難し無事ではあったものの、二日間飲まず食わず、ようやくヘリコプターで釣り上げられて生還した、とありました。栽培していたリンゴはすべてダメ、農機具なども全部使い物にならなくなったそうです。

 オリンピック施設あとに一時寝泊まりし、やがて避難施設に移り、ようやく、7月から我が家に戻ることが出来たそうです。約10ヶ月間、多くの人々から計り知れない親切を受け、それが何よりの励みになり、今は、よし、これから頑張るぞ、の気持ちでいるそうです。

 たまたま、善光寺平が水浸しになる3日程前、私は中学校の同級会で、善光寺平が一望できる小布施の温泉旅館におりました。妙高山、黒姫山、飯綱山を見ながらお湯に浸かっていました。平和そのものの景色を俯瞰しながら旧友たちと楽しい時を持ちました。翌朝早く、私だけ帰京したのですが、長野電鉄はリンゴ畑の中を走り抜けます。沢山の赤い実が、3日後には濁流に流されるなど、想像だに出来ませんでした。今年は天候不順のためか、お気の毒な人々が日本各地に出来てしまいました。更に申せば、中国です。雨はまだ降り続き、ビルの一階部分が冠水です。その数、4億人を超えるとか。誠に誠にお気の毒です。

                                五月雨を集め過ぎだよ最上川

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      われらの後も 世は続く

     われらは 影も形もなくなるのに

     世は 恐らく 永遠に続く

     来なかったとしたら

     それは不足だろうか 行くからと行って

      何の変わりも ないのだよ

      ああ 何としたことだ!

2020年7月28日           高校野球

 今日は晴れたかなあ、と思ったら、また雨です。いつもなら高校野球の出場校が、ほぼ、決まっていてあと数校を残すのみ。対戦相手を決める抽選会を待ちわびている頃です。

 私の出身校・長野高校は、強いは強いのですが、いつも松商学園に負けて涙を呑んでいました。その松商も今は出番が稀です。佐久長聖という小さな学校に負けるのです。この学校は選手を全国から集め特訓をします。甲子園に出場するためだけが目的のようで、県民からは顰蹙を買っています。しかし、今や強豪校は全国規模で選手をかき集めます。有望選手は小学生の時から目を付けられ、何かと目に見えない恩恵が与えられているや、に仄聞します。すなわち、将来、金になるからでしよう。

 私は、甲子園球場へ行ったのはたった一度だけです。引率で何度か機会はあったのですが、野球に目のない友人や後輩達に譲ってきました。その日は思い立って朝早く、梅田から阪神電車に乗りました。駅前商店街の果てにツタが絡まる建造物が聳えていました。準決勝だったかの日で内野席はなく、外野の片隅から全体を眺め渡しました。4万人の歓声が耳を劈きました。かち割り氷が胃袋にしみました。

 清々しい気分で満員電車に乗りましたが、何故か、もう一度、それも、決勝戦の時に来たい、と痛切に思いました。純粋なものに接したあとの、心の昂ぶりのせいだったのでしょう。コロナ禍は恐らく2,3年は続くでしょうから、果たして生きている内にもう一度甲子園に行けるかどうか、祈るや切です。

 

     地の面にある 一握りの土だって

     かつては、輝く陽の面

       星の額で あったろう

       袖の上の 塵を払うにも

       静かに そっと するがいい

       変わり果てた 姿の 花の乙女が

       そこに  いるのだから

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