最近のエッセイ

2016年2月11日         憧れのピアニスト   

 稀代の女流ピアニスト・カチア・ヴニアテッシュビリが、いま、日本へ来ています。明日の晩、朝日浜離宮ホールで演奏会をします。ムソルグスキーの「展覧会の絵」です。チケットを懸命に探しましたが、すべて、ソールドアウトです。21日は大阪のNHKホールでNHK交響楽団との共演です。22日は福岡です。シュトラウスの「変容」をやります。両公演ともチケットはすべて、ソールドアウトです。昨年10月からチケットは販売開始していたのですから、どうして、もっと早く気が付かなかったのか、悔やまれてなりません。

 チケットがダメなら、明日の晩、勝手知ったる浜離宮ホールの楽屋へ行って、ひと目、彼女を見ようか、とも考えています。

 と同時に明日の晩から21日までの10日間、彼女は恐らく日本に滞在するのでしょうか。何をするのでしょう? どこへ行くのでしょう? これも気になってなりません。グルジア生まれの彼女も、もう、30歳前後、どんな変容をとげているのか?

 ユーチューブにアップされている彼女の演奏は、IPADでほとんど聴きました。昨晩はラフマニノフ、今朝はシューマンでした。彼女が妹のゲバントサとデユオする野外コンサートは、もう、30回以上聴いているでしょうか。スクリアービンのプレリュード一番は、彼女の演奏が良くて良くて、スタイルを真似て昨年の11月、麻布のライブスタジオでやりました。一か所トチリましたが…

 彼女の三回の演奏会が成功を収め、10日余りの日本滞在が楽しいものとなるよう、祈るや切です。

 

2016年2月10日          砂 漠

 ドバイ空港に着陸したのは夜でした。バンコックへ向かう帰りは朝9時半の離陸です。座席は生憎、通路側でした。シートベルトサインが消えると、直ぐ、お手洗いを兼ねて後部へ行き、小さな窓から外の景色を眺めました。広大な灰色の大地が広がっています。ペルシャ湾の紺碧の海に沿って小さな街が見えます。ドバイやシャルジャ、アブダビです。灰色の大地は砂漠です。とことどころにクスんだ緑が見えます。いわゆるオアシスでしょうか。この灰色の大地の下にはどの位の石油が埋蔵されているのでしょう。どんなに石油があろうとも、やがては枯渇します。その時、砂漠の都市はどうなるのでしょう。いらぬ心配をしてしまいます。

 砂漠を車で疾走し、テント小屋で食事をいただくツアーに参加しました。夕方4時、他の参加者も乗せた車がホテルへ迎えに来てくれました。パキスタンから来た白装束の4人、アフリカ系黒人夫婦。車は120キロのスピードで街を駆け抜けます。40分足らずで砂漠へ到着です。車を乗り換えます。タイやの空気圧を調整した車だそうです。

 車は、猛スピードで砂山を上がったり降りたり疾走します。ローギヤーで小山を上る時はいいが、下る時は砂と共に崩れ落ちる感じです。車内は悲鳴の連続です。助手席の私が、「あ、転覆だ」と思う瞬間が何度もありました。恥ずかしながら、何度も呻き声を上げてしまいました。折から西の空は真っ赤な夕日です。見惚れました。

 砂漠の中にある幕舎に連れて行かれました。円形の舞台を囲んで二、三百人が車座になります。奇術、火踊り、そして名物のベリーダンスです。踊り手が年配の小母さん一人だけだったのは、期待外れでした。食事はバイキングでしたが、旨いものは何もなく、ただ、良かったのはアルコール類が売店にあったことです。缶ビールが30デリハム、約1000円でした。夜の砂漠は冷えます。寒さに震えながら2本いただきました。

 幕舎の一郭でラクダを見かけました。微動だにせず、西の空を見上げています。奇妙な生き物です 

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2016年2月9日           依存症

 毎日、ドバイのメトロに乗っていて、気が付いたことがあります。新聞、雑誌を読んでいる人がいない、スマーとフォンをやっている人が極端にいなかったことです。いるにはいましたが、外国人がほとんどでした。それに、子供の影が薄い。ある駅で下校帰りの小学生の一団が乗ってきた時は、ほっとしました。駅ごとに小さな売店はありました。モールに書店も僅かにありました。でも、新聞の影はほとんど見かけませんでした。

 日本はどうでしょう? 月の初め、野球の清原和博が麻薬所持で逮捕されました。ヤクザそのものの、実にイヤな顔になっていました。イスラムの国なら即刻、死刑でしょう。新宿、渋谷などの盛り場は、パチンコや、居酒屋、バー、セックス産業が目白押しです。パチンコ依存症は560万人、毎日酒を飲む人は約700万人、その内56万人が重症のアルコール依存症患者です。大麻を含む麻薬依存症は50万人を超えるのではないでしょうか。

 更に酷いのは、ゲーム依存症でしょう。電車に乗れば、男女を問わず殆どの人がスマホに熱中しています。中には、歩きながら画面を見ている人もいます。一体、何を見ているのでしょうか。それは、画面に踊るゲームなのです。つまり、日本人の殆どはゲーム依存症になっているのです。

 約5000万人のゲーム依存症患者を抱え込んでしまった日本!
 高齢化、少子化が進んでいる日本!
 介護を必要とする認知症やパーキンソン病患者が増え続けている日本! 
 貧困が進み、生活保護所帯が急増している日本!
 溢れるギャンブルに飽き足らずカジノまで作ろうとしている日本! 
 イスラムの人たちが見たら、気絶するに違いないセックス本が氾濫する日本!
 政治が益々右傾化し、戦争を辞さない国に突き進んでいく日本! 

  『国家の興亡は存外早い』、と歴史家トインビーは予言していました。

 

2016年2月8日          カヴァア神殿

 江戸時代、民衆は「お伊勢参り」を自分の一生の宿願としていました。お金を貯め、旅支度を整え、伊勢神宮へ行きました。世界10億人のイスラム教徒の一生の宿願はサウジアラビアのメッカへ行って、カヴァア神殿の前にひれ伏し、祈りを捧げることです。巡礼月になると、メッカは200万を超える巡礼者で埋まります。着ているもの脱ぎ、身を清め、たった二枚の白布で身体を被い、神殿に額ずきます。

 200万人が一堂に会して祈ることが出来る、壮大な建造物がメッカにあります。その中央にあるのが、真っ黒い、大きな函です。カヴァアと呼ばれています。中に何があるか? 全くのカラッポだそうです。イスラム教はあらゆる偶像を排除しているからです。

 ドバイ空港からは、サウジのジェッダ行の路線があって、巡礼月には増便されます。どんなに行ってみたい、と願っても、行くことが出来ません。サウジアラビアがイスラム教徒以外の入国を拒否しているからです。

 野街和嘉という日本人写真家が、サウジアラビア建国100年を撮るに当たって、イスラム教徒になって入国を果たしています。息を呑むような壮大な写真の数々は1999年に「アサヒグラフ」で発表されました。私がイスラムに惹かれたのはその写真集のせいでもあります。

 昨年、メッカで事件が起きました。1000人を超える巡礼者が圧死したのです。ほとんどは巡礼に訪れた隣国のイラン人でした。イランは国を挙げてサウジの警備の不備を詰りました。カヴァア神殿をメッカからテヘランに移せ、とまで迫りました。両国の仲は一層険悪となりました。

 200万人がカヴァア神殿前でひれ伏し、拝礼している全体像を撮った、野町さんの写真は実に圧巻です。同じような写真が、シャルジャの「イスラム博物館」にありました。写真の写真ですが、ご勘弁下さい。

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イスラム博物館には、イスラム教徒の聖典「コラーン」の実物も展示されていました。黄金のケースを伴っていました。

  今回、ドバイに滞在し、周辺を回ってみて感じたことは、ここでは、イスラム教が稀釈されているなあ、ということです。知るところによれば、スンニ派のサウジ、シーア派のイランはもっと厳格です。両国とも飲酒は鞭打ちの刑です。麻薬所持者は死刑です。礼拝の時刻には商店は店を閉めなければなりません。女性は目だけ出した黒装束を強いられます。肌や髪を露出するのは厳禁です。それは、外国人にも強要されます。車の運転、フットボールの観戦、一人歩き、一人でレストランに入ること、男女同席のパーテイなど禁じられています。女性に許されている職業は看護婦と、女生徒だけを教える教師のみです。ただ、家庭にあっては絶大な権力を握っていて、母親は尊敬の対象です。ドバイのモールの婦人専門店に黒衣の女性が群がっていました。家の中だけで着る、派手な衣装を物色しているのでした。

 

2016年2月7日          古都 シャルジャ

 アラブ首長国連邦は、連邦という名が付く通り、それぞれの王様が地域を分けて支配しています。三番目に大きいシャルジャへ行きました。メトロのユニオンで降りてバスターミナルから2階建てのバスに乗り、一時間ほどで終点に着きました。煉瓦作りの、古い建物が密集している地域がありましたが、ドバイのたたずまいとさして変わりません。大きなモールへ行きました。生鮮食料品を扱う巨大市場へも行きました。分かったことは、日本やタイ国のような新鮮な野菜や果物がない、ということです。砂漠の国です。夏は50度になるそうです。おまけに、雨が降りません。水は、というとすべて海水を浄化して使っています。野菜や果物の育ちようがないではありませんか。ところどころに緑地を見かけますが、地下を工夫して水を供給しているとのこと。おまけに、前は海、後ろは広大な砂漠です。新鮮なものを運べる道理がありません。なるほど、だから、航空機が発達しているんだ、すべて、金にあかせて空輸に頼っているんだ、と納得しました。

 そのためかどうか、ドバイの食事は、単なる栄養補給であって、美味しいものがありません。四季に恵まれた日本の食事は「天国」に近い、と改めて思いました。

 ふと入ったイラン人の店は、木の実などを売る卸屋さんでした。安かったのでクルミ、生姜ゼリー、ビスタチオ、カシューナッツ、チョコレートなど、持てるだけ買い込みました。「コリアン? チャイニーズ?」 と聞くので「ジャパニーズ!」というと大仰に喜びました。日本が大好きだというのです。「どこかに美味しい店はないか」と聞くと、あるある、と言って道順を教えてくれました。その店ではイラン人が大勢いて、皿の料理を手掴みで食べていました。いやはや、不味いのなんの。下の写真がそれです。ライスはパサパサ、スープは得体のしれない味。マトンらしき肉は味なし。

 野菜や果物が少ないせいか、アラブの男たちは皆、腹が出っ張っています。炭水化物ばっかり食べているからでしょうか。私と同じです。

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2016年2月6日           乳 香

 巨大にして近代的なモールとは別に、大昔から栄えていたに違いない市場があります。それが、ゴールド・スーク、オールド・スーク、スパイス・スークです。うらぶれた港に面していました。メトロに乗り、ブルジュマンで降ります。最初なのでタクシーを使い、先ず、ゴールド・スークへ案内してもらいました。長いアーケードの両側はゴールドを始め、宝石・貴金属の店ばかりが並んでいます。上野のアメ横にも同じようなアーケードがありますが、規模は恐らく10倍以上です。ただただ、眺めるだけで通り過ぎました。オールド・スークはカシミヤ製品が安いと学習していたので、上着を探しましたが見つかりませんでした。ようやく、スパイススークにたどりつきました。

 今回の旅の目的の一つは「乳香とはなんぞや」という長年の疑問を解消することです。聖書を読むと、乳香、あるいは香油の記述が数多く出てきます。遊女がイエス・キリストの足を香油で洗います。乳香が立ち込めたところで、イエスは群衆に向かって説教します。どんな香りの中にイエスはおられたのか。イエスはいまはこの世に容として存在しなくても、イエスを包み込んだ香りは存在するのだから、せめて、その香りを確かめてみたいではありませんか。

 乳香とは、砂漠に生えるある種の植物の樹液を固めたものだそうです。オマーン産のフランキンセンスというのが最高級品であるとか。

 その乳香がありました。入り口からして芳香が立ち込めている専門店です。英語を話す従業員との駆け引きが始まります。一度は出ていくふりもしました。最高級品も含めて4種類の乳香を1万数千円で買いました。乳香は小さな瀬戸物容器に入れて下から固形燃料で燻します。得も言われぬ芳香が部屋中に立ち込めます。チェンマイに戻り、4種類を小分けして野尻牧師に献上しました。日曜礼拝の後の聖書研究会で、牧師は言われるままのやり方で乳香を燻しました。会堂中に芳香が立ち込めました。皆さん、「ワーッ、イエスさまはこの香りの中にいらっしゃったのですね」 と感慨深げでした。乳香はほんの少しずつ皆さんにお裾分けしました。

 4月の桜の頃、福島原発に隣接する「夜ノ森町の桜」を再び観に行く予定です。その時、常磐湯本の泉に建立されている「翼の教会」の礼拝に出させてもらい、佐藤牧師夫妻や皆さんに乳香を献上する積りでいます。イエスが包まれた芳香に、福島の皆さんがどんな感慨を示されるか、今から楽しみです。既に、包みを拵えました。

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乳香店   ドバイゴールデ
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    註 左下の写真はサフランです。

2016年2月5日          最高と最大

 世界最大のノッポビルと世界最大のモールがドバイにあります。ノッポビルはバージュ・ハリハといって822メートルです。645メートルの日本のスカイツリーを見下ろす高さです。そのビルの下がドバイモールです。1200余りの店舗と170の飲食店があるとのこと。メトロの「ドバイ・モール」駅から動く歩道に乗り、2000メートルほど行かなければモールに着きません。一階の食料品売り場へ行って、先ず、たまげてしまいました。世界中のありとあらゆる食品が、処狭しと並んでいるのです。圧巻はチーズ売り場でした。学校の小講堂位の広さのところに、世界中のチーズが並んでいました。大好きなプルシャンのチーズもありました。しかし、購入したのは数種類です。換算してみると意外に高かったからです。何故か、プルシャンは昔の味がしませんでした。ブルーチーズは殊の旨く、慈しみながら、大事に食べました。

 都合、三回ほどこのモールへ行きましたが、その内の一回は壊れかけたメガネを直して貰いに行ったのでした。一軒目のめがね屋「職人は3時にならないと来ません」。二軒目、「ウチにはこれを直す道具がありません」。三軒目、「修理はやっていません」。世界最大のモールはメガネ一つ直せないのでした。 

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  822メートルのタワーに昇るには、予め、インターネットでの予約が必要で、おまけに270ディルハムかかるとのこと。いくらかかろうが、私には関係ありません。まして、地上422メートルある天空レストランなど、恐怖の対象です。

 私は高校時代から〈山男〉で、どんな高い山でも平気ですが、自分の脚下が地面でなく、例えばコンクリートなどの人造物になると、途端に股間が縮みあがるのです。5階以上のホテルでは窓下を覗けません。「ホイ、シマッタ」、私が高所恐怖症であることを、曝け出してしまいました。

 

2016年2月4日            メトロ

 ドバイは北側をペルシャ湾にして、東西に発展している巨大都市です。海岸線に沿ってメトロが走っています。人々はレッドラインと呼んでいます。ブルジュマンという駅で南北に走るグリーンラインと交差します。全線を乗りこなしても多分1時間半はかからないでしょう。それほど小規模なのに、駅だけはバカデカい。金ぴかの屋根に覆われた巨大ドームです。5両編成の電車が約5分おきにやってきます。全自動運転です。不思議に思って運転席を覗いてみたら、人がひとりいるにはいました。窓際に突っ立て所在無げでした。下の写真は滞在したホテルの4階のテラスから毎日見ていたメトロの駅です。手前が工事中のため、騒音に悩まされました。

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海岸線に並ぶ金ぴか駅

 

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      メトロは高架も走るので、景色が丸見えです。至る所でビル建設の起重機が動いています。ドバイ・モールのある中心街は、奇妙奇天烈な恰好の高層ビルが林立しています。郊外は高層マンションです。ところが、よく観察してみると、夜、マンションの窓に明かりが点滅しません。ほとんどが空き部屋なのでは? と推測しました。 同じ現象は中国にもあります。経済成長率という数字のために、金にあかせて入れ物を作っても、実体経済が伴わないので高額家賃の入れ物は空き部屋同然となってしまうのです。

 もしかすると、このドバイという都市は「砂上の楼閣」ではなかろうか? という疑念が沸々と湧いてきてしまいました。

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   紺碧のペルシャ湾 水はまだ冷たい

2016年2月3日            祈 り

 今回の旅の目的は、アラブ系の人達のほとんどが信仰しているイスラム教と、実際の生活がどうなっているのか、をこの目で視ることです。逆説的ではありますが、イスラムを見ることによってキリスト教が分かってくる、と自分なりに考えました。そのためには先ず、街のあちこちに聳えているイスラムのモスクに入いってみることです。

 

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   一泊13万円の海上ホテル

ホテルから毎日出ている無料バスに乗って海岸へ行きました。紺碧の海です。対岸はイランです。バスを降りたところに、寫眞のようなモスクがありました。外扉が開いていたので入りました。すると、ターバンに白衣の人がやって来て、「入ってはいけない」としきりに喚くのです。止む無く退散しました。戻ってからホテルに聴くと、観光客用として外国人が入れるモスクは、アブダビに一つだけあるとのこと。タクシーなら2時間、飛行機もバスもあるとのことでしたが、予約は入れたものの、結局は行けませんでした。

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    外国人の入場を拒否するモスク

モスクのスピーカーは一日に数回、祈りの文句を大音量で流します。その都度、モスレムたちは敬虔な祈りの姿勢をとるもの、と私は想像逞しくしていました。ところが、白衣の人も、黒衣の人も全く知らぬ顔です。古都といわれるサルジャの生鮮市場内にも、巨大モールにも、そして宿泊中のホテルにも、いわゆる祈りの場所「プレイルーム」がありました。でも、閑散としていました。注意深く観察したにも拘わらず、祈りの姿勢をとるモスレムに出会ったのは、何と、たった、3人だけでした。モスレムなら一日のうち5回、例え、何処にいようとも、メッカの方向に向かって祈りの姿勢をとるものと聞いていたのに、何としたことでしょうか。たった3回でしたが、その内の一回は砂漠をバギー車で疾走し、仮設テントに案内され、夕日を見ながらバーべキュウをいただいた時です。テントの暗がりの中で、たった一人が、敬虔な祈りを捧げていました。

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    外国人の入場を拒否するモスク

イスラム教にはラマダンという大きな儀式があります。その年によって変わりますが、約20日間近く、日の出から日の入りまで一切の食物を口にいれることが出来ません。水すら飲めないのです。人々は夜明け前に二食分を胃の中に詰め込み、仕事に出ます。そして日が暮れてから夜食を摂ります。難行だそうです。イスラムのもう一つの掟は、男女間の差別が厳重なことです。結婚式に招かれても男女が同席することはありません。男性は男性だけで披露宴を行い、それが終わってから女性は女性だけで宴を張って花嫁だけを祝福します。驚いたのはホテルの前に駅があるドバイ唯一の電車です。メトロと呼ばれ地下も走れば高架も走る五両編成の、運転手がいない自動運転電車です。車両が男性専用、女性専用と別れているのです。そうとは知らず、誤って女性専用車に乗込み、座ろうとしたら、「あっちへ行きなさい」と、注意されました。

 レストランで男女が向かい合って食事を摂っています。男性は普通の恰好ですが、女性は両眼を出しただけの黒装束です。どうやって食物や飲み物を口に入れるのか? 見ない振りをして興味津々で見ていました。彼女は(若いか、年配なのか、勿論分かりません)一瞬、辺りを見回し、左手でアゴの下のベールを伸ばして空間を作り、右手で食物を挟んだホークを口に運びました、そしてすばやくベールを元に戻しました。その作業は一秒かかったかどうか。

 イスラム世界とは大変なところです。

2016年2月2日           巨大なドバイ空港

 アラブ首長国連邦の首都はアブダビですが、エミレーツ航空の本拠はドバイにあります。空港はペルシャ湾沿いにあって、対岸はイラン、後ろがサウジアラビア、隣りがオマーン、とカタールです。人口はたったの921万人なのに、成田空港など問題にならない豪華絢爛たる国際空港を持っています。

バンコックから6時間余りでドバイに着きました。現地時間午後7時半、日本時間なら夜中の12時過ぎです。何しろ初めてのところですから、人の流れのままに進みます。すると、地下プラットホームから5両編成の電車に乗るではありませんか! 5分は乗ったでしょうか。巨大なドームで降ろされました。黒装束の通関が待ち受けていました。「ジャパニーズ?」「イエス」、アサリと通してくれました。

 この空港は何もかもが巨大な上に、キンキら金でした。これは後で分かったのですが、世界中の、どの航空会社もこの空港に乗り入れていません。というか、乗り入れが拒否されています。それなのに、世界のほとんどの空港に、このエミレーツ航空は乗り入れることが出来ています。地球の反対側、例えばサンパウロやリオデジャネイロへの直行便があるのです。広大な駐機場にいるのは同一マークの最新鋭機ばかり。一体これはどうしたことでしょうか。

 預け入れていたスーツケースを受け取り、まず、100ドルを両替しました。ホテルまでのタクシー代が必要だからです。100円が約28ディルハム、100ドルは360ディルハムでした。円安傾向は海外旅行者にとって被害甚大です。ホテルまでは20キロほどなので、タクシーは高速道路に乗ります。なんと片側6車線の巨大な道路です。120キロ〜140キロで飛ばします。外は小雨。「砂漠の国に雨が降る」です。夏は50℃になり1月は日本の秋口の気温だと学習してきたのに、寒いくらいです。

 黒装束の女性たちで賑わうホテルに到着しました

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2016年1月31日     世界一といわれるエミレーツ航空

 バンコックの巨大なスワンナブーム空港内を1kメートルほど歩き回り、ようやく、アラブ首長国連邦のドバイに向かうエミレーツ航空のゲイトを探し当てました。500人ほどの人々が屯しています。肌の色は浅黒く、身体は大きく、目も鼻もはっきりしていて男は一様にヒゲを生やしています。頭からスッポリ白い布を身にまとった男たちはパキスタン人でしょうか。女性のほとんどは目ばかり出した黒装束です。東洋人らしき人は見かけません。日本人は一人もいません。これから乗込むのは、左右2つづつのエンジンを持つ超大型新鋭旅客機EK380です。

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  500人が座席のゾーンごとにぞろぞろ入っていきます。普通、旅客機はファースト、ビジネス、エコノミーに分かれていますがこの飛行機は頭からお尻まですべてエコノミーです。エコノミーとはいえ座席は広々として、隣り席の人と肱が当たる心配がありません。総ての席がエコノミーであるのはアラーの神の元では人間は全て平等だという考えに元ずくからでしょうか。感心してしまいました。熱いおしぼりのあと、機内食のメニューが配られました。昔の全日空、日航はやっていました。だが、今は全くやっていません。小奇麗なメニューを配るのは、このエミレーツ航空だけかもしれません。メニュー通りの美味しそうな機内食が配られました。

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  飲み物もアルコール類を含めてフンダンに用意されています。選り取り自由です。白と赤のワインを頼みましたが、見渡したところ乗客のほとんどはアルコールを飲みません。これはドバイに着いて、街中を歩いてみて分かったのですが、外国人はアルコール類を買うことが出来ません。何よりも、レストランにも、カフェにもアルコール類がメニューにないのです。東洋には、まして日本には至る所にある居酒屋など、ドバイにもサリジャにも一軒たりともないのです。まして、パチンコ屋、クラブ、バーなど全くと言っていいほどありません。映画館や劇場はどうなのか? そこまでは探索できませんでした。

 一体、ここの人達は何を楽しみにしているのか? 黒装束で目ばかり出している女性たちにファッションはあるのか? 着飾る楽しみを、なぜ、放棄しているのか?

 機内食を配るエミレーツ航空の20人はいるCAは、全員がスタイル抜群の美人ばかりでした。ヨーロッパ系の航空会社のCAも均整のとれた美人が多いことで知られていますが、このCAたちには及ばないでしょう。民族衣装をまとったインドネシア航空のCAも魅力的ですが、霞んでしまいそうです。アメリカの航空会社は? お婆さんばっかりです。

 更に良かったのは、最新式の映像画面が目の前にあり、操作も簡単で、好きなクラシック音楽が自由選択できたことです。大型飛行機なのにエンジン音も静かで、ショパンのピアノ曲を始め、モーツアルト、シューベルト、ベーとーヴェンを堪能することが出来ました。こんなこと、初めてです。

 エミレーツ航空は、なるほど、世界一だと実感しました。

 

2016年1月30日         宮沢恭人君を偲ぶ会

 「宮沢君を偲ぶ会をやりたい」、と先輩の宮内さんに最初に持ちかけたのは、昨年12月の始めです。「一力英夫さんを偲ぶ会」は宮内さんから宮沢、中沢に持ちかけられました。プレスセンター記者クラブの会員である宮内さんは、直ぐに部屋を確保してくれました。販売局に配属された新人は担当員として外交に出るに当たって、助手として、1,2年親分担当員に付き、ノウハウを取得するのが習いです。宮内さんが販売局在任中に育てた担当員は15人を超えます。局内随一の大親分です。自慢じゃありませんが、私に付いた助手は11人です。局内二番目の人数です。最初の助手は福島時代の植田義浩君です。彼はその後、販売局長、取締役販売担当、西部本社代表、熊本朝日テレビ社長、そして今年から相談役です。昨日、彼は熊本から駆けつけてくれました。

 30日正午、「偲ぶ会」は宮沢君の助手を務めた小栗昌宏君(朝日販売サービス社長)の司会で始まりました。プレスセンター中ホールに祭壇が設けられ、花に囲まれた宮沢君が「何ということをしてくれるんだ」と言いたげに収まっています。白菊を献花したのは販売関係者89人、長野高校関係者19人です。発起人代表の久富道生さん(元取締役販売担当)が、出席して下さった新聞各社、読売、毎日、日経、信濃毎日、新聞協会の方々にお礼を述べ、続いて遺族の妻美子さん、長男正恭さん(日本IBM)、次男義文さん(竹中工務店)、長女恭子さんらを紹介します。そして、宮沢君の生涯を実に簡潔に述べられました。続いて今年96歳になる大先輩の竹市義弘さん、連合会長岩城武さん、協会の川島さんが挨拶されました。彼は宮沢君を団長とするアメリカのICMAに参加した時の世話役です。宮沢団長は15日間の団体旅行中、ICMAはそっちのけでゴルフばかり4回も企画したとのこと。会場が笑いに包まれました。

 長野高校同期生19人のために、別室を用意しました。新聞関係者ばかりの中では、ロクに話も出来なかろう、と思ったからです。5日から28日まで私は外国なので、幹事役を倉石篤君に頼みました。彼は実によくやってくれました。わざわざプレスセンターまで足を運んで、宴席料理のことなど交渉し、改めて通知を出すなど万端準備してくれました。お蔭で19人の会は盛り上がり、一人一人が近況を披露するなどして、お開きになったのは4時過ぎです。彼がインターネットで出した通知を、ドバイ滞在中、IPADを開いて見たときは嬉しかったですねえ。

 9階の部屋と10階の中ホールをウロウロしていた時です。別件で協会に来ていた中江利忠元朝日新聞社長に遭遇しました。半ば強制的に10階会場にお連れし、ご挨拶してもらいました。宮沢君は中江社長時代に役員を務めています。御案内状を出そうかどうか揉めたのですが、販売関係者ばかりの集まりだから、とご遠慮申し上げていたのです。私がウロウロしなければこれは無かったことになります。きっと、宮沢君が察して私をウロウロさせたのだ、と思います。不思議な因縁を感じます。

 遺族のお礼のご挨拶を、奥さまと長男正恭さんが立派になさった後、発起人代表の締めの挨拶です。私は宮内さんにやってもらいたくて、お願いしてあったのに、今日来てみると、刷り物に私の名前があるではありませんか。「ヒドイ、欠席裁判だ」と文句を言ったら「「当然だ、打ち合わせ会に欠席した罰だ」と返されました。席を外し、何を言おうかと考えました。在り来たりの挨拶を嫌うのが私の性分です。旅行中に読んだ「般若心経とキリスト教」という本が頭を掠めました。般若心経の最後の部分「ギャーテイギャーテイ、ハーラーギャーテイ、ボンジーソワカ、ハンニャーシンギョウ」を全員で二回、声を出してもらおう、と決めました。そして、その通りになりました。全員の声がホール中に響き渡りました。

 しかし、つらつら考えてみると、宮沢君は親鸞に傾倒していて、浄土真宗では般若心経はやりません。南無阿弥陀仏です。やってしまって「シマッタ、ナムアミダブツにしておけば良かった」 と思いました。

 許してくれ、宮沢君。

 1月28日発行の朝日新聞社報「Aダッシュ」が今日届きました。依頼された宮沢君への追悼文が掲載されていますので、ここに、載録させていただきます。    

               朝日新聞社報「Aダッシュ」原稿        

               「部数にこだわった男」

 1960年入社の宮澤恭人さんが東京販売局に配属され、担当助手として外交に出た最初の地区は千葉県です。親分は前澤健則さん、次の親分が海野武さん。朝日新聞400万部達成の祝賀会が名古屋で行われた頃です。部数は面白いように増えました。東北管内で東京紙第一位なのは、福島、山形、宮城ですが、宮城県は宮沢さんが黄金時代を築きました。

 そして、彼が販売局長を務めた相前後に、朝日新聞はついに830万の部数を達成します。部数は新聞社のいのちです。彼はその金字塔樹立の立役者の一人でありました。当時、家庭での新聞代支払順位は電気料、水道料の次ぐらいでした。新聞をとらないのは恥でした。ところが、十数年前から、インターネット、携帯使用料などのため、支払い順位は下方に追いやられます。そして今、若者は「新聞はとらない、読まない、触らない」、「部屋が汚れるからタダでもいらない」という始末。販売店のご苦労は並大抵ではありません。紙を媒体とする情報手段の退潮は、アメリカに始まり、今や世界的現象です。好転する兆しは今のところありません。  

 早くから気が付いた宮沢さんは対策を講じました。打ち出したのが、「爽やか計画」、「ABC図表の導入」、「販売店の集約化」などでした。そして、「皆さん、もっと、もっと部数にこだわって欲しい」と東京の販売店のみならず、単身赴任した西部本社の営業局長時代にも、九州の販売店に向かって檄を飛ばしました。その姿勢は名古屋代表になっても、監査役になっても、すべての役職から解き放たれた後でも、変わりませんでした。彼こそが一番朝日新聞部数にこだわり、そして、逝ったのです。(社友 元朝日学生新聞社社長 中澤 信男) 

 

2016年1月29日     ナベツネの高笑いが聞こえる

23日間の旅から昨日帰ってきました。異常気象のせいか、バンコックもチェンマイも中東のドバイも、サルジャも寒い日がありましたが、何とか無事に帰国することが出来ました。溜まっていた新聞を昨日はまとめ読みをしました。甘利大臣の辞任劇はともかく、とんでもない記事を見て、怒り心頭を発しているところです。 1月22日の夕刻、安倍晋三は読売新聞社へ呼ばれました。集まっていたのは読売新聞主筆渡辺恒雄、読売新聞特別編集委員橋本五郎、NHKエンタープライス社長今井環、産経新聞相談役清原武彦、日本経済新聞社論説委員長芹川洋一、ジャーナリスト後藤謙次、評論家尾山太郎らです。(朝日新聞出身で桜美林大学教授の早野透の名もありましたが彼は欠席だったとのこと。誤報という訂正記事が載りました) 全員が読売ビル内の高級料理屋で会食をしています。 

 一昨年の10月、赤坂の料亭でナベツネと安倍の極秘会談が行われました。その結果、衆議院解散、12月末総選挙となりました。解散の狼煙を上げたのは読売でした。安保闘争が始まりましたが、反対の論陣を張ったのは毎日、東京、中日なのどブロック紙や、地方紙と朝日でした。産経、日経、読売の大手町グループが安倍政権を擁護しました。NHKはヒヨリました。

 こういう流れの中での、今回の会食が何を意味するか? 憲法改正への布石以外の何物でもないでしょう。ナベツネの高笑いが聞こえてなりません。 

 そもそも、一国の総理大臣が、いちマスコミに呼ばれたからといって、のこのこ出かけて行き、御馳走になっていいものでしょうか。呼びつけるマスコミもマスコミです。ここにナベツネの奢りが図らずも露呈されています。 実に、実に、実にイヤな感じです。

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