2023年2月3日       節 分                                    今日は節分、豆まきの日です。物心ついた頃からこの日を楽しみにしていました。炒った大豆を升に入れて、「福は内、福は内!」と三回唱えながら座敷や台所に撒き、ガラス戸を開け放って、「鬼は外!」と一握りの豆を暗闇に向かって解き放つ。家人は「ご尤も、ご尤も」と唱えながらぞろぞろ狭い家の中を付いて歩く、、、翌日、撒かれた豆を自分の年の数だけ拾って食べる、、、、子供の頃からのこの非日常性が嬉しく、一家を構えてからも続いていました。

 秋田ではこの頃、「なまはげ」という鬼が各家庭を回って大暴れします。たまたま、秋田市の川端にある「濵野屋」という料亭で5,6人の宴会をやっている時、この「なまはげ」がうなり声をあげて座敷に乗り込んできました。大人でも、一瞬、「怖い」とたじろいだほどですから、ましてや子供が泣き出すのも宜なるかな、と思いました。なにがしかの金子を包んでご退散願いました。

 名物・きりたんぽには、鶏肉は比内鶏であるのは勿論ですが、味の決め手は「ささがき牛蒡」と「せり」にあることを教わりました。そして肝心のきりたんぽは、翌朝、食べた方が味が浸みていて美味しい、とも教わりました。”ああ、なまはげに会いたい、きりたんぽ食べたい”

2023年2月2日       上原ひろみ                                    アメリカの野外劇場で2000人を超える聴衆が、たった三人の演奏に聴き惚れています。一曲終わるごとに万雷の拍手を浴びせています。舞台の両袖には巨大なスクリーンがあって、小柄なピアニストの鍵盤上の魔術的な動きを、余すところなく映し出しています。彼女は自分の身体を少しは大きく見せたいのか、不釣り合いな髪の纏め方をしています。舞台の三人とは、大柄な黒人のベイシスト、白髪頭の白人のドラマー、そして日本人ピアニスの上原ひろみ。彼女は浜松の生まれでヤマハ音楽教室育ち。法政大学法学部に入りましたが、アメリカに留学しバークレイ音楽大学を首席で卒業します。彼女の才能を最初に発見したのはチックコリアです。二台のピアノのための曲は山ほど在り、二人は全米を駆け抜け、大反響を呼びました。チックコリアも既に亡くなり、今、上原ひろみは彼を超えるジャズ・ピアニストとして全米の人気を独り占めしています。

 ユーチューヴには彼女の演奏がしばしば登場します。その度にチャンネルを合わせて聞き惚れます。その回数200回は越えているでしょう。驚くのはミスタッチは一度たりともなく、音の擦りすらないのです。しかも、彼女はヤマハのピアノ以外使わないのです。専属の調律師がついていて、何時の時も、最高の状態のヤマハにして使っているのです。まだ20代かなあ、と思っていた上原ひろみも、何と、すでに39歳とのこと。一度、結婚したようですが、離婚状態であるとか、ないとか、、、ピアニストの寿命は50歳までです。年寄りのピアノなど聴きたくありません。死ぬまでに一度、上原ひろみの生演奏を聴きたい、というのが私の最大の望みです。

2023年2月1日     ミヤンマー軍政の罪                                      決して豊かな国ではないタイの隣国ミャンマーが、軍部のクーデターによりアウンサン・スーチーさんが軟禁され、小柄で小太りのミン・アウンフラインがこの国を軍政にして、今日で丁度2年が経ちました。相変わらず国は貧しいままで、こともあろうに、スーチーさんの罪状は更に重くなり、禁固33年となりました。70歳を超えているスーチーさんにとって過酷この上もありません。数年前、タイ・チェンマイからプロペラ機で一時間、ヤンゴンへ行って一週間逗留しました。その際、軟禁されているスーチーさんのご自宅までタクシーで行きました。勿論、扉は閉ざされたままでしたが、その替わり、アウンサン一家が、昔、住んでいて、いまは博物館兼レストランになっている小高い丘の上の建物へ行きました。アウンサン将軍に抱かれるスーチーさんの可愛らしい写真がありました。ヤンゴンで痛切に感じたのはこの国の貧しさでした。ドルの支払いでなければ泊まれないホテルへの道の両側は、路上マーケットでした。半ば腐りかけた海産物や、とても売り物にはならないだろう得体の知れないものが並んでいました。走っている車もバスも日本の中古車でした。中には日本語の標識をそのままを付けたバスが走っていました。「渋谷行きー青山回り」

 竹山道雄の「ビルマの竪琴」はかつての名作中の名作です。何度読み返したことでしょう「オーイ水島、日本へ帰ろう!」何度、迫る嗚咽を堪えたことでしょう。ヤンゴンは寺院の街です。至る所に仏像がおわして、人々は床にひざまずき、ひたすらな思いを込めて仏像を見上げていました。そんな国をいま、軍部が牛耳っているのです。この軍部は中国によって作られた傀儡政権です。中国にとってスーチーさんの民主政治は邪魔なのでした。やがて、ミャンマーの少数民族ロヒンギャは壊滅させられ、そこからパイプラインが中国まで引かれ中東の石油が陸揚げされるでしょう。中国はそれを狙ってミンアウン・フラインを懐柔したのです。

 このところ日本の尖閣列島海域を中国船が我が物顔で航行しています。海上自衛隊が警告を発すると、「ここは中国の固有の領土、領海である。お前らこそ下がれ」と公然とやるそうです。

2023年1月31日      宗教と政治(ロシア正教)                                  1月18日から19日にかけて、ロシア正教会の信者には奇妙な習慣があります。凍てついた川や湖の氷を割り、沐浴するのです。何故なら2000年前のこの日、イエス・キリストが洗礼を受けた日だからです。スターリン時代、ロシアにはロシア正教の教会が四万カ所もありました。しかし、マルクス・レーニン主義は宗教を否定します。スターリンはこの教会すべてを閉鎖します。その後、独ソ戦争が勃発します。ドイツが雪崩を打ってソ連に攻め込みます。スターリンは国民の団結を呼び戻すために、ロシア正教の教会を復活させます。その数二万カ所あまり。ロシア国民の団結によりドイツ軍は撤退を余儀なくされました。

 ロシアのプーチンが尊敬するのはこのスターリンです。自由主義化したゴルヴァチョフはプーチンが最も嫌う政治家で、葬儀にも参列しませんでした。

 宗教を国教としている国は数多くあります。キプロスがそうです。ギリシャもギリシャ正教です。フィンランド正教会もあります。ロシアのモスクワ宗司教はアレクシス2世でしたが、ロシア正教会はあくまでも政局を超越した存在でありつづけようとしてきました。ところがどうでしょう、現在の「キリル総司教」は何と、ロシアの諜報活動のカーゲーべー出身です。彼が就任するときプーチンは花束をもって臨んでいます。そして今、ロシア正教は「ウクライナの民族主義から祖国を守るための戦いである」として、プーチン政策を全面的に支持しています。

 日本でも同じことがありました。軍部が台頭し、神国日本を唱え始めました。鳥居と神社が日本国中に建てられ、「八紘一宇」「大東亜共栄圏」の文字が国中に溢れました。どれだけの近隣諸国が迷惑を被ったことでしょう。ロシアのことを言えない日本であったことを忘れてはなりません。

2023年1月30日      若さ                                  降り続く雪の金沢で、昨日、将棋の王将戦第3局が行われました。王将位は若干20歳の藤井聡太が持っていて、挑戦者はかつての七冠王として一世を風靡した羽生善治9段です。二日目の再開の模様がテレビ中継されました。将棋盤を挟んでお二人ともマスク姿ではありますが和服姿です。片側には記録係を含めて20人余りの男性が詰めていて、合図と共に一斉に頭を下げ合います。両対局者は勿論、全員、なかなか頭を上げません。先に頭を上げた者が負けとでもなるのでしょうか、儀礼とはいえ、このお辞儀から勝負が始まったようです。将棋の駒の動かし方も面白い。優しく駒を動かしてからその背中を軽くトントンと叩きます。まるで、シッカリやってくれよ、とでも言い含めるみたいな所作です。第三局は20歳の藤井聡太が奇手を放って勝利しました。全国の将棋ファンは「神の手が放たれた」といささか興奮気味です。

 一方、囲碁の方でも女流のプロ戦で10台の女の子が正式棋戦で活躍中です。上野阿佐美タイトル保持者に挑む、若干13歳のプロ・仲邑菫です。3番勝負のこの棋戦、互いに一勝一敗となりました。もし、次の手合いで菫ちゃんが勝てば、史上初の10台のタイトル保持者の出現です。若くして棋聖となった一力遼と、女性の第一人者藤沢里菜は、10代の後輩、仲邑菫と関航太郞とで4人の会を作り、日夜研鑽に励んでいます。やがては、自分の地位が奪われることを承知で後輩の育成に努める、実に清々しい行為と言わねばならないでしょう。

2023年1月29日      桜咲く                                  日本列島はいま、寒さに震えています。青森の酸ヶ湯では3メートルを超える積雪で苦しんでいます。新潟の十日町では「♫花の咲くまじゃ小半年、、、」と、耐えに耐えています。

 でも、日本列島には、いま、桜が満開のところがあるのです。そこでは今月の15日頃から開花します。そしていま、満開の見頃を迎えています。それは沖縄です。本部八重岳、名護城趾、南部の八重瀬公園などなど、ただ、桜の種類が違っていて、ほとんどが赤い八重桜です。純白のソメイヨシノを見かけることはありません。本部の八重岳は小さな山ですが、だらだら坂を登る道の両側が桜並木になっていて、それはそれは美事なもので、全山が400本を超える桜で朱に染まります。ここで玉砕した兵士達の血潮を思わせもする、不気味でもある赤い桜です。

 桜はタイ・チェンマイにも咲いていました。チェンマイ大学から7曲がりの山道を登り始め、観光客で賑わう寺院群を右に見ながら、更に行くとタイ王朝の離宮があります。瀟洒なお花畑が広がります。そこから先は単線の山道です。対向車があると、谷すれすれまで寄って交差しあいます。そして、そして行き着いた小さな谷間の集落。全村が満開の赤い八重桜で埋まっていました。それはそれは美事な桜でした。不思議なことにどの家にも雨戸や窓ガラスがありません。家の中が丸見えです。不心得者などここにはいないのでしょう。「こういうところもあるんだ、ここは天国だ」と思いました。観光客用に「絵はがき」が売っていました。その一枚は今も私の仕事場に張ってあって、私の仕事ぶりを見ています。

2023年1月28日      女性天皇陛下                                  たまたまIPADを見ていたら、昨年成人された愛子様の記者会見の模様が出てきました。成人になられた愛子様の皇室人としての心構えや、どう生きてゆくか、かなり長々とした画像が映し出されました。興味深く見入り、そして、改めて感動を覚えました。「このお方はいい。既に天皇としての風格を備えている。見識も豊かだ。女性としても立派だ、既に一流の人間にまで成長している。」映像越しではありましたが、愛子様の人となりに深く感銘いたしました。そして国民のすべてが愛子様を女性天皇として仰ぐ日まで生きていたいものだ、とシミジミ思いました。男系を継承してきた日本の天皇制はこれからも継承されるでしょう。幸い、次男の秋篠宮家には高校生の君が控えています。将来に問題はない、といえばそう言えるのですが、問題は雅子様の小和田家と、紀子様の川島家との違いです。現天皇は外務省で働く雅子様に一目惚れしました。特ダネをとったのは朝日新聞の松山記者です。小和田家が立派だったのは、爾来、ご両親はオランダへ行き、ご兄弟、ご親戚一同、なりを潜め、マスコミの話題になるなど一切ありませんでした。

 秋篠宮は学習院で同学年の紀子様に一目惚れし、目白駅前の田中屋でデートしていました。川島教授の娘で学内の教員宿舎の四畳半が彼女の城でした。紀子様の魅力的笑顔は誰もが認めるところですが、彼女の実弟が余り良くない。その上、ICU時代の長女に弁護士志望の恋人ができていま、ニューヨーク住まいです。この男の叔父がどうやら良からぬ素性のようです。問題がおきるたびに宮内庁はもみ消しに苦労しているようですが、秋篠宮の一族には小和田家のそれのような清々しさがありません。愛子様に象徴される「気高さ・気品」がないのです。

「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」

2023年1月27日      三たび、戦車のこと                                  ウクライナから痛切な要望のあったドイツ製の戦車「レオポルド2」の供給は、前回のNATO諸国の集まりでは意見の一致は見られず、ロシアを刺激しないため、先送りになったにも拘わらず、ここへ来て急転直下、アメリカはイラク戦争で実績のある「エイブラムス」戦車を、そしてNATO諸国は「レオポルド2」をウクライナに供与することが決まりました。言い出しっぺはポーランドであったようですが、ドイツ製のこの優れものはヨーロッパに2000台は出回っているようで、もし、このほとんどがウクライナに集結すれば、ロシアの旧式戦車では太刀打ちできないでしょう。この「レオポルド2」の戦車は夜間戦闘能力に優れているようで、その能力を習熟するためには2,3ヶ月が必要とされています。恐らくロシアはその間隙をぬって、総攻撃をかけてくるでしょうが、ウクライナにそれを持ちこたえる力があるかどうか、が勝負の分かれ目になるでしょう。と言うことは、この戦争は一年を経過したにも拘わらず停戦の機運は既に去り、これからが食うか食われるかの激戦になることを意味しています。この不幸な戦争の終結はどんな形で押し寄せるのでしょうか。世界に散っているウクライナ難民、地元に留まって戦っている人たち、嫌々かり出されて戦地に赴いているロシアの少数民族の人々、そして退役軍人達。お互いの国の政治家の独断と偏見により命を失ってゆく者が続出している現状を、心から憂います。

2023年1月26日      立ち往生                                  長唄や歌舞伎の「勧進帳」に、弁慶が言動に詰まって立ち往生する場面があります。昨日、午後から深夜にかけて、降りしきる予想外の積雪のため、京都周辺を走る福知山線、京都線などの電車が軒並みストップを余儀なくされ、乗客のほとんどが列車内に十時間余り閉じ込められ、病人が出るほどになりました。その上、「列車をお降りになりたい方は、自己責任でお願いします」というアナウンスが車内に流れたものだから、それも問題となり、JRの責任者は朝からテレビで謝り続けています。すべての原因は、降り続く雪のため、レールのポイントが作動しなくなったためです。雪国の鉄道では、列車のポイントごとに融雪装置が作動するようになっていて、かなりの豪雪でも列車は動きました。生憎、京都近郊の列車レールにはその備えがありませんでした。関西地区での豪雪は10年に一度の現象のようですが、気候変動はこれから一層激しさを増すでしょうから、雪への備えは、全国的に必要不可欠になるでしょう。

 降りしきる雪に、そこへ風が加わると雪は凶暴な正体を現します。視界すべてが真っ白に変化します。自分の立ち位置が分らなくなります。冬山登山で何度もそれを経験しましたが、一番の方法は、身体を低くしてじっとしていることです。動かないことです。そうはいかない場合もあります。福島担当の時の正月、会津若松で従業員も集まっての新年会がありました。猛吹雪の日で、郡山からの磐越西線は不通です。やむなくタクシーで向かいました。普通なら一時間で着くところ、猪苗代湖畔でホワイトアウトに遭遇しました。進むことも退くことも、右も左も分りません。運転手さんも途方に暮れています。そこへ運良く除雪車が通りかかりました。除雪車に先を走ってもらって、漸く会津若松の会場に着きました。会も既に終わり近くになっていましたが、用意した記念品やお酒の2合瓶をお一人お一人に声をかけてお渡しすることができました。

2023年1月25日      細田博之                                  統一教会とズブズブの関係に在りながら、未だに衆議院議長を辞職しようともしない細田博之が、説明会をごく内輪に行いました。世間の誰もが「不十分」としているにも拘わらず、責任を感じて議長を辞める様子など微塵もありません。彼は1944年生まれの80歳。東大法学部出身の島根県の秀才ではありますが、岸、安倍家の統一教会との関係をそのまま引き継ぎ、選挙のたびに統一教会の大量の票を差配し、庶民からの献金の実態に目をつぶり、あまつさえ、この悪辣な韓国系エセキリスト教会の日本での活動を陰では擁護している始末。一方、故安倍首相のために公然と偽証を繰り返し、政調会長の座を利用して、公然と台湾へ出かけるなど、反省の色などおくびにも出さず、居座り続けている萩生田光一というしたたか者も自民にはいます。「恥を知らない人間」が自民党には何と多いことか! 

 「50、60花ならつぼみ、70、80働き盛り、90になって迎えが来たら100まで待てと追い返せ」というザレ歌がありますが、私は国会議員や地方議員も含めて定年制を設けるべきだ、とかねがね思っています。中国でさえ68歳の定年制が存在しているではありませんか。習近平が破りはしましたが、、、、日本国の衰退現象を招来させたのは年寄りどもがわんさかいる国会並びに地方議会議員のロートル化にある、と言えるのではないでしょうか?

2023年1月24日     運転免許証                                     練馬から都営地下鉄で六本木方面に向かいます。大門浜松町で降り京成電車に乗り換え、品川駅から京浜急行の普通電車に乗り、北品川、青物横丁、新馬場、そして鮫洲駅で下車。歩いて8分。警視庁の運転試験所。運転免許の書き換えには、どうしても三年ごとにここへ来て、認知機能試験を受けねばなりません。30歳台で免許を取ってから50年余り、この役所のご厄介になってきました。昔のここは、正に掘っ立て小屋みたいなところでしたが、今はどうして、どうして四階建ての巨大なビルで、中には食堂や喫茶室まであります。

 名前を呼ばれて1時半から試験が始まりました。ロートルばかりの2,30人、神妙に筆記試験に向かいます。先ず、スクリーンに四種類ずつの写真が現れます。それが四回続きます。合計16個。それを記憶し時間の最後に紙に書きます。太鼓、戦車、ステレオ、金槌、万年筆、コート、百合の花、だるまさん、飛行機、タンス、、、後は忘れました。乱数表の中から、特定の数字だけを見つけてチェックする問題もありました。3年前の試験では最高点から2番目の成績で合格したのでしたが、今はスッカリ変わっていて「認知症ある、なし」だけの判定になっていました。さて、次は実技試験です。これにも合格して石神井警察署へ行かなければ免許証は交付されません。近くの教習所はすべて満員。やむなく、清瀬の教習所へ行って実技試験を受けます。それが31日の午後2時。

2023年1月23日     週刊朝日廃刊                                      ここ30年余り、毎日の生活で切り離せなくなっているのはパソコンとスマホとIPADではないでしょうか。殊にIPADは優れもので、重宝この上もありません。その一つが、すべての雑誌が自由に読めることです。週刊誌であれ、趣味の雑誌であれ、何でもござれ、確か月額数百円で読めてしまうのです。従って、現物を買うことなど一度もしたことがありません。その煽りでしょうか、100年は続いてきた週刊朝日の廃刊が報ぜられました。毎週愛読していた、名だたる週刊朝日が、今年の5月以降、もう、読めなくなるのです。

 思えば、現役で販売局次長を任命されていたとき、出版局次長も兼務させられていて、出版物の部数の下落を食い止めるため、必死の努力をしたことがあります。しかし、時の流れには逆らえず、朝日カメラ、朝日ジャーナル、アサヒグラフが廃刊に追い込まれました。アサヒグラフに連載されていた団伊久磨の「パイプのけむり」は私の大のお気に入りで、毎日のホームページは、これに触発されて始めたものです。

 紙媒体による情報の伝達手段の衰えは目に余るものがあります。でも、IPADで見る限り、新しい雑誌が次々に出現しているようにも思えます。一旦、休刊に追い込まれたアエラも復刊したではありませんか。新聞社そのものがおかしくなった毎日新聞の「サンデー毎日」でさえ、細々と発行しているではありませんか。朝日新聞の現社長の中村さんに申し上げたい。どうか、しばらく様子を見た上で、「週刊朝日」を復刊して貰いたい、と。必死になって繋いできた朝日販売陣のこれまでの努力を無にして貰いたくない、と。

2023年1月22日     再び戦車のこと                                  下に揚げた戦車の写真は「レオパルド1A2」というドイツ製ではありますがウクライナに供給されている旧式戦車です。しかし、今、ウクライナが欲しがっているのは同じくドイツ製の「レオパルド2A7V」という最新式の戦車です。この戦車をドイツから購入した国はNATOの諸国の中にも数多くあります。だが、この戦車をウクライナに供給できるかどうかの権限はドイツが持っています。一方、ロシアは旧式ながらも戦車の保有数にかけては欧州一です。春にかけてウクライナへの大攻撃が予想されます。戦車を操っているのはロシアの軍事会社「ワグネル」です。ワグネルは戦争を商売とするプーチン直属の組織です。プーチンに逆ら者の暗殺、毒殺を請け負ってきました。

 NATO諸国が集まりました。ウクライナが欲しがっているレオパルド1A2を許可するかどうかの審議です。物別れになりました。ロシアをこれ以上刺激したくない、と言うのが結論となりました。失望したのはウクライナです。「我々は、この戦車の供給を受けるまで戦わねばならない」との悲痛な叫びを発しました。この戦車の製造元であるドイツは、ロシアから天然ガスの供給を受けています。このパイプラインはウクライナを通っています。だから、ドイツはロシアを刺激したくないのです。もし、NATO諸国がウクライナに最新式戦車を供給して、地上戦で勝利したらどうなるでしょう?ロシアは核攻撃に走るのではないでしょうか?キエフが広島・長崎となることでしょう。つまり、第三次世界大戦が待ち受けているのです。あらゆる戦争は「拡大する宿命」を持っているのは歴史の示す掟です。開戦してやがて一年が経過します。何とか停戦に持ち込む手立てはないものでしょうか?

  2023年1月21日      春 節                                  旧暦の暦を使っている中国全土では、今日が大晦日で明日が新年となります。新しい年を迎えるに当たっての人々の気持ちに分け隔てはありません。今晩は家族が集まって爆竹を鳴らし、花火を打ち上げ、ご馳走を前にして家族の再会を祝い、新たな年への意気込みを語り合うでしょう。ただ、14億の人間がそれぞれの故郷へ移動するのです。すると、コロナのオミクロン株も一緒に動くのです。人が動けば感染も拡大するでしょう。どの位の感染拡大が予想されるのか?全く未知数です。未知の領域です。加えて、共産党政府は規制を撤廃して好きなようにさせるようなのです。

 いいじゃありませんか!家族と再会して乾杯し、喜びのうちに感染し、何も死ぬと限ってはいないのだから、十分に看病し合ってコロナを乗り切っていく、、、、、是非、そうあってほしいものです。

 問題の一つは、中国とタイ国が隣り合っていることです、春節での中国人の移動は、延べ21億人と予測されているので、大勢の中国人がタイへなだれ込むでしょう。チェンマイは中国人にとっては人気の都市です。恐らくチェンマイでも爆発的な感染が予想されるのではないでしょうか?そこへ日本から飛び込んでゆくのは、、、、とも、考えてしまいます。

2023年1月20日     寒 波                                1月下旬から2月上旬にかけて、日本国中が最も寒くなる時節です。その上、10年に一度という寒波の襲来が見込まれているそうです。コロナ禍になる3年前までは、この寒さを避けるため、タイ・チェンマイに避難できていました。10時30分の羽田発のタイ航空に乗ると5時間後にはバンコックです。一時間の待ち合わせで国内航空に乗り換えると50分でチェンマイです。心地よい風の中、半袖に着替えて地元ビールで乾杯、、、、コロナ禍になる3年前までは、こういう幸せな時を持つことが出来ていました。行くときはいつも東京からキーボード・ピアニカなどをを手荷物にしてチェンマイに持ち込んでいました。それらを畏友堀田さんの案内で、少数民族の小学校や教会へ持って行って寄贈してきました。そのためには車が必要となり日産マーチを購入しました。そのお陰で、ゴールデン・トライアングルやミャンマーとの国境、首長族の集落などへ行くことができました。複雑で、大渋滞のチェンマイの繁華街での運転も、恐れ気もなくできるようになりました。

 でも、何事にも限りあります。丁度、足かけ3年前、得体の知れない伝染病が中国で流行り出した、という情報が乱れ飛ぶ中、借りていた森の中の一軒家を返上し、家財道具や荷物の処分を畏友堀田さんにお願いし、3月6日に帰国したのでした。正に間一髪、数日後には国境が閉鎖され、タイ国に入ることも出ることもできなくなりました。

 このチェンマイへ2月の中旬から3月の上旬にかけて出かけようと思っています。

2023年1月19日     二審判決                           双葉原発のメルトダウンを引き起こした14メートルを超える津波について、東電経営陣の責任を追求する二審判決の結果が出ました。驚くなかれ、予測は不能であり、よって経営陣に罪なし、とする無罪判決です。原発が双葉に出来た故に、10メートルを超える津波が原発の電源を破壊し、炉心の冷却装置が壊れ、原子炉が高熱を発して爆発し、双葉町に隣接する浪江、小高、大熊、夜ノ森、富岡の住民に放射能被害をもたらし、今もって居住不可能の町を作り出したその責任は東電にない、という判決なのです。では一体誰の責任なのでしょうか?誰の責任でもない、自然のしからしむところだ、とでも言うのでしょうか?

 私が福島県を担当していた頃、原発誘致の議論が福島県中でかしましく行われていました。言いだっしっぺは読売新聞社主の正力松太郎。彼は政府組織の電源開発の総裁も兼務していて、「日本の電気は水力から原子力へ」とする運動の最先端でした。電通と協力して二兆4000万円の金を政府から引き出し、反対する地方紙、地方テレビに広告料としてばらまき、国中に40カ所を超える原発を建設させました。

 双葉原発は太平洋の海岸に面して四基作られていて、その内の一基に津波の海水が乱入し、冷却する水道の電源が切れて作動せず、炉心が高熱を発して爆発を起こし、放射能を空中にまき散らしたのです。放射能の半減期は数千年です。それほど危険なものを海岸に作るからには、あらゆる事故を予測してメルトダウンを起こさない頑丈な設備を創り上げることが東電の、そして、経営者のやるべきことではなかったのでしょうか?それを放置し、14メトルを超える津波は「想定外」だった、とはよくも言えたものです。到底、納得の出来ない二審判決です。福島の人たちは、皆、怒り心頭を発しているはずです。

2023年1月18日   何と、盛岡市が!                       ニューヨークタイムズが、今年ゆくべき世界の都市52カ所を発表しました。第一位はイギリスのロンドンでした。そして第二位は?

 何と日本の盛岡市が選ばれました。更に第19位に福岡市が入っています。更にアジアでいえば12位にブータン、36位に台北が入っていますが、中国の都市は一つも入っていないようです。

 何で盛岡市なのか?今を時めく野球の大谷翔平の故郷が盛岡市に繋がる花巻であることも影響しているかもしれません。選考理由の一つが、歩いて観光できる穏やかなたたずまいの都市であること。美味しいコーヒー店が至る所にあること、「椀子蕎麦」が珍しい上に美味であることを上げています。

 仕事柄、東北六県・信越、北関東、首都圏、それに九州全域を歩き回った私も、言われてみれば、盛岡市は好きな都市の最上位であったかなあ、と今回の発表にうなずきを隠せないでいます。椀子蕎麦はともかく、冬の「冷麺」がとびきり美味しかった記憶があります。

 それに盛岡市郊外に建つ、瀟洒な建物の「先人記念館」。130人余りの歴史上の人物が顕彰されています。筆頭は「武士道」の新渡戸稲造、原敬、米内光政、石川啄木、宮沢賢治、金田一京助、、、やがては大谷翔平もこの建物の仲間入りするでしょう。

2023年1月17日   運命の日                       28年前のこの日の朝、僅かな地震の揺れを感じて目を覚ましました。博多のホテルの一室でした。テレビを付けると阪神淡路大震災が報じられていました。が、テレビは同じ場面の繰り返し写真ばかりで一向に要領を得ません。前夜、朝日の販売担当とサシで酒を飲み、2月から朝日学生新聞社の専務取締役として出向するように、申し渡されていたのでした。悔しさで「眠れなかった」ものの、専務の後は代表取締役社長として現海野社長の後を継いでくれとも言われました。海野さんは私が外勤社員になった時の親分でもあります。「俺の後は中沢に」という話が既に内々あったようでした。しかし、朝日での人生も営業局長で終わりか、という悔しさもあって、その日の眠りは浅かったようです。そこに加えて大震災の映像です。高速道路の落下や、逃げ惑う人々の姿は、これが大災害であることを知らせていました。生きていられるだけでも幸せなんだ。今後に仕事が与えてもらえたことだけでも幸せなんだ、「よーし、今まで以上の「朝日小学生新聞」、「朝日中学生ウイークリー」「朝日進学情報」を創り上げてやろうじゃないか、と心に決めた日、それが28年前の今日「1月17日」だったのです。

2023年1月16日     奇々怪々                     金子みすずの詩に「鰯」を謳った詩があります。          「大漁だ、大漁だ、大羽鰯の大漁だ、朝焼け小焼けで大漁だ、浜は祭りのようだけど、海の中では何万の、鰯の弔いするだろう」

 この何万もの鰯が、いや、何千万、何億匹の鰯がいま、北海道の海岸に打ち寄せられたり、あるいは死んで津軽海峡を漂って、本州の海岸にも打ち寄せられているようなのです。原因は定かではないようですが、海水の水温に関係している、と言われています。つまり、鰯が好む海水温度は10度から20度ほどだそうで、それ以下になると生息出来ないらしいのです。ここにも地球温暖化並びに異常気象の影響が及んでいると言わざるをえません。

 鰯の大量死の原因が海水温度の低温化にあるとしたら、何故、そうなるのでしょうか? 思い当たるのは、地球温暖化により、北極の氷が日夜轟音を立てて溶け出している事実です。その冷たい海水がオホーツク海から日本海、太平洋に流れ込んで来たせいではないでしょうか? いずれにしても、鰯の大量死は人間の仕業であると言わねばなりません。日本人を始め人類は、自分達の所業が何の罪もない鰯を大量死に追い込んでいる事実を、しっかりと見つめ弔いをしなければなりません。

2023年1月15日     アルバム                                   手元に一冊の写真アルバムがあります。片方から開くと、誕生以来の私の写真が、もう片方には父母や母方の親戚、従兄弟姉妹の写真が丁寧に貼り付けられています。このアルバムは、母が柳行李の底に偲ばせて、集団学童疎開で福島へ行く私に持たせてくれました。浜通り富岡駅前の大東館で体中シラミに食われながら、母と東京が恋しくて何度このアルバムを開いたことでしょう。そしてこのアルバムは長野から東京へ。でも、アルバムに写真を貼り付けていたのは高校前期までで、その後、写真が追加添付されることはありませんでした。生活に忙しく、そんな余裕がなかったせいもあります。時代は進み、一眼レフのカメラが普及されるに及んで、写真はパソコンに保管されるようになりました。おびただしい数の写真がパソコンの「ピクチュアー」に保管されているのですが、シミジミ鑑賞する気など起きません。その点、一枚ずつの写真は、遙かに重みが加わります。下の写真は、母が持たせてくれて、今まで何とか持ちこたえてきたアルバムの第一ページの写真です。そして、今日の15日が86回目の誕生日。この世に生を受けて始めて撮られた写真。おちんちん丸出しで好奇心に満ちた顔つき。アルバムの第一ページにこの写真を載せてくれた母に心からありがとう、と言いたい気持ちで一杯です。

2023年1月14日      雪 崩                              1月も中旬になりましたが、日本海側を中心に豪雪が続いた後、急に気温が上がって、この数日、雪崩注意報が出されています。大雪の後の気温上昇は思わぬ災害を引き起こします。雪崩は気温が上がる春先に多いのですが、注意報が1月出されたのです。ということは温暖化のせいで気象状況が荒れているからでしょう。テレビに水上町の雪の状態が映し出されました。意外に積雪がないのが驚きでした。直ぐ奥の藤原村、宝台樹温泉などは豪雪地帯ですが、ここも積雪が左程でなくビックリでした。

 昔、この谷川で危うく雪崩に巻き込まれそうになったことがあります。四万温泉から平票山に登り、千の倉岳、谷川岳を経て茂倉山の雪渓、芝倉沢を降りてきた時のことです。5月とはいえ、沢には雪が残っていて、一人一人持っているピッケルを上手に使って、靴のまま雪渓を滑り降りるのです。グリー制動といいます。もうすぐ下界かな、と思ったその時です。「危ない!雪崩だ!よけろ!」という絶叫が上から聞こえました。咄嗟に身を伏せたとき、雪の大きな塊が身体の横を通過して行きました。巻き込まれていたら、、、、どうなっていたでしょう。下界は緑に溢れていました。湯桧曽川の流れに沿って歩き、上越線の土合の駅にたどり着きました。

2023年1月13日      戦 車                              厳冬期に入ったロシアとウクライナの戦争は、新年に入って更に激しさを加え続けています。その主役を務めているのが戦車です。戦車は車と違ってカタビラがついているので凍土を走ることが出来ます。ロシアの戦車が旧型であるのに対し、ウクライナの戦車はアメリカ、ドイツ、イギリスから付与された新型車両であるため、性能ではウクライナに軍配が上がっているでしょう。

 戦車といえば、思い起こされるのが作家で不滅の人気を誇る司馬遼太郎です。彼は太平洋戦争末期の頃、戦車隊の一員として栃木県佐野で戦車に乗っていました。本土防衛のための戦闘員だったのです。しかし、彼が乗っていた戦車は小型で、室内は絶えず粉塵が立ちこめ、極悪な匂いに苦しめられ、それが夢にまで現れたそうです。同じ頃、作家として名を上げた井上靖も兵隊でした。純文学として名を上げた井上靖に対して、司馬遼太郎はどちらかと言えば大衆小説です。司馬は井上が軍隊時代どんな役職であったか聞き出します。そして井上が輜重輸卒の兵隊であったことを探り出し、溜飲を下げます。何故なら「輜重輸卒が兵隊ならば、チョウチョ、トンボも鳥のうち」というザレ歌があったからです。司馬遼太郎といえども大人げない時代があったようでした。    彼の作品のほとんどは私の書庫に在り、折に触れ読み返していますが、その度に血湧き肉躍るのが「坂の上の雲」です。また、「菜の花の沖」も捨てがたい作品です。

 大正12年(1923年)生まれの福田定一は、今、生きていれば丁度100歳。産経新聞の記者として京都支局に赴任し金閣寺の焼き討ち事件などを取材します。処女作「梟の城」で直木賞を受賞し、同僚だったみどりさんと再婚します。残された膨大な書籍と文献などみどりさんが運営する資料館に保管展示されているそうです。どうしても一度、訪れなければなりません。

2023年1月12日       スキー                        スキーに行きたいと思う。山スキーでなくてもいいから、スキー場の斜面を豪快なシュプールを描きながら滑り降りたいと思う。この歳になっても、何とかもう一度、雪の斜面に立って「どけー」と叫びながら滑り降りたい、と痛切に願っているこの頃です。小学生の頃、善光寺の裏山の坂道が格好のスキー場でした。当時は竹スキー。月明かりの中でも夢中で滑っていました。中学・高校時代は、本格的なスキーを買って貰って今度は山スキー。シールというアザラシの皮をスキーに履かせて戸隠、飯縄、黒姫、岩菅、志賀の笠岳などの頂上に登り、道なき道を器用に下まで滑り降りてきました。その豪快さは例えようもなく、密かに、ゲレンデで滑っている人たちを見下していました。

 最後のスキーは宮沢君の清里山荘近くの「サン・メドウ」スキー場でした。宮沢君の滑りが余りに格好よかったので、負けてナルものか、とスキー教室に入り、先生の合図で頂上から滑り降り始めた途端、図体の大きな初心者が後ろからぶつかってきました。二人とも斜面に投げ出され5,60メートルは流されました。後頭部に痛みが走りました。雪上救急車が呼ばれ、更に救急車が来て麓の大きな病院へ運ばれました。大きなギブスを首に巻いて帰京ました。宮沢君はずっと、ずっと付き添ってくれました。スキー場での損傷事故は、保険の対象外であることを、そのとき始めて知りました。                            それ以来スキーから遠ざかっているのです。宮沢君が亡くなる2年前のことですから、もうかれこれ8年になるでしょうか。もう一つの問題は、「スキーに行くぞ」といくら力んで見ても、「よし、分った」と言って一緒に行ってくれそうな友人がいなくなっていることです。スキーがどんなに魅力があっても、一人では面白さも半減です。やっぱり、もう、無理なのでしょうか?

2023年1月11日    おめでたい ?                        昨年のショパンコンクールで第一位のカナダ人ブリュースリューに次いで第二位となった日本人反田恭平が小林愛美と結婚し、既に彼女が身ごもっていることが明るみに出ました。小林愛美は第四位でした。彼女が挑んだショパンのプレリュード25曲の全曲演奏が評価されたようでした。同時に出場し、ファイナルまではいけなかった日本の秀才ピアニストに角野隼斗がいます。私は彼こそファイナルに相応しいと思っていたのですが、残念な結果となりました。

 反田と小林は小澤征爾と同じ桐朋の出です。しかも二人は同時に桐朋が主催する「子供のための音楽教室」に通っていました。小林愛美はその当時から反田恭平に惹かれていたようですが、反田はモスクワ音楽院に留学し、そこでロシア人の女性と結婚します。そして、二人はポーランドのワルシャワに来て、ピアノ以外の音楽活動を始めます。多くの審査員も彼の活動と関係が深かったようです。憧れの外国の地で幼なじみの男女が、同じ目的のために励まし合えば、そこはそれ、そうなることは目に見えていた、と言っていいでしょう。ロシア人の彼の奥さんも、よく、離婚を承知したものです。恐らく莫大な慰謝料を約束させられたでしょう。

 世界的に有名なショパンコンクールで、2位と4位になった二人のこれまでの努力を讃えこそすれ、私は二人の演奏が好きではありません。日本で最高のピアニストは角野隼斗だ、という思いは今もこれからも変わらないでしょう。思うに、ピアニストというものはどこか孤高で神秘性を湛えていて貰いたいものです。幼なじみとはいえ、男と女の睦み合う姿を想像しながら、演奏を聴きたいとは思いません。それは私一人の思いかもしれませんが。

2023年1月10日         XBB1.5(えっくすびーびーいちてんご)                    またまた、コロナの変異種の登場です。しばらく前に変異して世界中を荒らし回ったオミクロン株が、今度はXBB1.5という恐ろしく専門的な名前の株に変異して密かに蔓延し始めたそうです。しかも、この株は中国でも発見されたそうですから、12月に入ってからの爆発的な中国の感染状況を見れば、この変異株のせいではないとは言い切れないでしょう。

 中国はコロナの発症の源であったが故に、外国製のワクチンの導入を一切排除してきました。メンツにかけても外国製を使うわけにはいかなかったのでしょう。厳重な隔離政策をとり、感染者数と死亡者数の少なさをWBCに報告し、世界中における感染拡大を横目で見続けてきました。そして、結果的に住民の反対デモを招き、そこで極端な緩和政策に舵を切りました。その結果、驚くべき数の死者が出る感染状況を招いてしまいました。その原因の一つがXBB1.5という変異種のお陰だ、としたら、、、この変異種に対するワクチンはまだ、世界中で開発されていないのですから恐るべき結果が待ち受けている、と予測しないわけにはいきません。大変な事態になってきました。しかも中国では春節とい民族大移動の時期と重なります。少なくとも日本は、否日本国は、当分の間中国人の入国を水際で食い止めねばならないでしょう。

2023年1月9日         早大ラグビーの不名誉                   昨日行われた大学ラグビー決勝戦で、早稲田は帝京に73ー20の53点差で破れました。これは物凄い記録で73得点、53点差、いずれも新記録であります。名門早稲田のラグビーにとって誠に不名誉な記録であり、歴代の早稲田のラガーマンはたちの怒りと嘆きはいかばかりでしょうか。

 私が販売第六部の部長の時、宮城県を担当していたのが、後に早稲田ラグビー部の監督になる小林正幸君でした。北関東担当部長の時、次長を務めてくれたのが同じく早稲田ラグビーの名選手石山君でした。小林正幸君は仙台の市内の若い販売所長と諍いを起こし、その顛末が週刊文春に取り上げられました。結局、販売原価代金の未払いを正当化しようとした販売所長側の敗訴になったのですが、週刊誌にのったことの責任から私は始末書を書かせられる羽目になりました。今はそんなことはありませんが、週刊文春は朝日のあることないことを取り上げていました。朝日について書くとその号の売れ行きが違ったそうでした。今は何を書いてもサッパリ売れないそうです。閑話休題。

 名門早稲田のラグビー部が、帝京大学に天文学的な数字を献上して大敗を喫したこと、その嘆きが節が昨日から今日にかけて日本列島を覆っているように思えてなりません。

 

2023年1月8日           大間のまぐろ                   青森県の下北半島の突端に「大間」という小さな町があります。下北半島は、丁度、斧のような形をしていますがその斧の刃のあたりが大間です。近くには「イタコ」もあります。神秘的な色の水を湛える湖の周りに巫女さんが大勢いて参拝者の人生を占ってくれます。

 東北担当の部長の時、その下北半島の突端まで、当時青森県を担当していた船越君が運転する車で行ったことがあります。途中、横浜という部落があって、名物のホタテ貝を堪能しました。大間の販売店主さんは、大の朝日びいきで大歓迎してくれました。美味しいマグロのトロのどんぶりをご馳走になりました。マグロにも色々あってインド洋で捕れるもの、大西洋で捕れるもの、いろいろあるようですが、築地市場では大間で捕れたマグロが最上とされています。かつて一匹2億円の値がついたこともありました。そのマグロは大きさが3メートル、重さが440キロだったそうです。

 近年、日本人が大好きなマグロがだんだん口に入らなくなりました。まして、マグロのマグロたる大トロ、中トロが店頭に並ばなくなりました。並ぶことがあっても目の玉が飛び出るほどの高値です。一体、どうしたのでしょう?それは、中国人が買い占めてしまうからだ、と言われています。中国人はマグロの赤身はどうでもよく、大トロ、中トロだけを狙って、いくら高くても買い占めてしまうそうです。中国と商売をしていた従弟の靖輝君が生きていた頃、上海の海産物料理店へ何度も行きました。大きな生け簀から魚を釣り上げて目の前で調理してくれる店があちこちにありました。日本にも昔ありました。それらの店がマグロの中トロ、大トロを扱うようになったのです。人間の口は日本人も中国人も同じです。いま、中国人の懐が肥えて高価なマグロをむさぼるように食べ始めたのです。弱ったものです。

2023年1月7日     七草粥                         

 いつの間にか今日は七草。毎年恒例にしている七草粥を作り、シミジミした思いでいただきました。七草はいまはセットになって売られているので、便利この上もありません。せり、なずな(ぺんぺん草)、ごぎょう(母子草)、はこべら(ハコベ)、仏の座(コ鬼タビラコ)、なずな(蕪)、すずしろ(大根)春の七草。

 いま、新潟県を含む日本海側の皆さんは、降り止まない雪に悩まされていることでしょう。私が新潟県全県を担当する数年前、サンパチ豪雪といって上越線が全線にわたってストップしたことがありました。当時は新聞は梱包されて上越線の新聞列車に積み込まれ、谷川岳の下を貫通する清水トンネルを抜けて新潟県全県に運ばれていました。その列車が豪雪のため越後川口で動けなくなったのです。応援にかり出され、何とか新聞梱包を列車からトラックに積み替え事なきを得ましたが、その際、朝日の担当員が定宿にしていた長岡の長岡館から七草粥の差し入れがありました。大鍋のコシヒカリの粥の中で、緑の春の七草が浮いていました。美味でした。生涯忘れることの出来ない美味しさでした。

2023年1月6日     福 袋                     

 年明け早々デパートや専門店は外国人客で賑わっています。いずれも新年に売り出されている福袋が目当てのようで、中には、100万円単位で大量に購入して故国へ持ち帰える人もいます。確かに、福袋には価格以上のものが入っていて割安ではあっても、必要でもないものまで買わされるので、結局は割高につくはずです。でも、その買い物の意外性が面白くもあります

 一昔前、長男夫婦と女の子の孫、次男夫婦と男女の孫、それに母親と、一緒に暮らす従妹の大勢が、練馬の我が家の座敷に集まって新年を寿ぐのが恒例になっていました。予定されたその日までに、私はデパートへ行って三つの福袋を用意し、みんなでそれを開けて品物の意外性を楽しみました。その、恒例となっていた新年の集まりもいつの間にか母親も亡くなり、孫達も成人してそれぞれの人生を歩み始めてからはなくなってしまいました。思えば、福袋を買い込んで中身を開け、意外性を楽しんでいるうちが人生の花の時期だったような気がします。

2023年1月5日   中国の劇的変容                              

 中国で人々が白い紙を掲げて街頭に立ち、政府の厳重なコロナ隔離政策を非難したのは去年十一月の二十日頃のことです。その運動は瞬く間に中国全土に広がりつづけ、やむなく、共産党の習近平政権は隔離政策を削除しました。するとどうでしょう、感染は物凄い勢いで中国全土に広がり、まだ、一ヶ月足らずしか経っていないというのに、死体の山が出来はじめ、全国の火葬場は焼却を待つ長い行列が出来る始末。僅か、一ヶ月足らずの間に、こんなにも変わるものか、と半ば仰天しながらテレビ画面に釘付けになっているところです。考えられるのは、中国人のほとんどがワクチン接種をしていないか、していても中国製のワクチンでは効果がなかったのか、いずれにしても驚くべき変化です。しかも中国ではまもなく春節が始まります。コロナの発端は武漢で始まったコロナ患者が、春節の時期に大多数でヨーロッパに旅行したことに起因しています。

 自国の不手際によって世界に漏洩したコロナ菌、それを隠そうとして感染者数を過小に発表してきた中国政府。人民の不満が爆発しただけで、大幅な緩和策をとり、収拾のつかないまでの感染者数の増大を招来してしまった中国共産党・習近平政権! 何とも劇的な変化であります。

 いずれにしても、中国人民の政府に対する信頼は大きく揺らいでいるようです。その証拠に、中国の富裕層は中国を捨て、世界各国に移住し始めました。東北や北海道の地味の良いところが彼らの狙いで、大量に買われているそうです。入国制限や外国人土地購入禁止令を出さなければ、今に日本は中国人で溢れかえるようにならないとも限りません。

2023年1月4日         苦瓜(ゴーヤー)                     

 スライスしたゴーヤーのオリーブ油炒めを朝食の定番にして、7、8年が経過しました。一本を三回に分けて納豆、目玉焼きとともに食しているのですが、納豆と卵はいつでも店頭にあってもゴーヤーはそうはいきません。季節を選ぶ品種だからです。今は水耕栽培が出来るようになって、キュウリ、トマト。茄子など一年中店頭を賑わしていますが、ゴーヤーはそうはなっていないようです。新年の入荷を期待して光が丘のスーパー三店を見て回りましたが、入荷はありませんでした。そうなると、意地でも探したくなリます。やっと、古ぼけたスーパーで去年からそこにあったような5~6本を見つけ、やれ嬉しや、とその全部を買い求めて来ました。

 夏の盛の頃、一本100円のゴーヤーをしこたま買い込んできてスライスし、天日干しにしたものがかなりあります。これを水で戻して炒めて食べる、、、、このときが来るのを密かな楽しみにしています。

  2023年1月3日        青学どうした!                      

 今、時計は午前11時。復路の箱根駅伝は平塚のあたりを通過中です。トップは依然として駒沢大。2位が中央大。異変が起きたのは3位だった青山学院です。3位から8位に大きく転落しました。他に順位を下げたのは順天堂大と東京国際大です。逆に上げたのは創価大と法政大と早稲田です。往年の覇者早稲田は5位から3位になりましたが、國學院に抜かれて今は4位。

 解せないのは3位から8位に転落した青学です。箱根山の下りで順位を落としているのです。原監督の選手起用の見誤りだったのでしょうか。世間に広く知られているように青学の競走部は、神奈川の淵野辺に合宿所を持ち、選手、原監督の家族もろとも共同生活をしています。ここ数年、それが奏功し、青学の競走部は一躍世間の耳目を集めました。その青学が3位から8位に転落とは!5人に抜かれたのですぞ! 何とも情けない!

 一昔前、早稲田の競走部も青学同様、気を吐いていました。その頃の競走部のマネージャーは私の小学校時代の恩師・上野雄二先生の孫息子の雄也君。献身的な活動をして早稲田競走部の名を高からしめました。

 あと数時間すると選手達が大手町の読売本社前に張られたゴールに飛び込んで来るでしょう。果たして、駒沢が1位のままゴールできるのか?それとも番狂わせが起きるのか? 青学の復活劇はあるのか、ないのか? 今日も昨日に続く穏やかな晴天。目が離せません。

2023年1月2日       ニューイヤーコンサート                

 恒例のニューイヤーコンサートが、ウイーンの楽友協会大ホールから、ウエザーメストの指揮で全世界に放映されました。今年はウイーン少年合唱団と少女合唱団が特別出演しました。新年を迎えるたびに、ほとんど毎年これを楽しみにして聴いているので、曲目のほとんどは馴染みのものばかりとなっています。小澤征爾が指揮をした年もありました。彼がウイーンに住み、ウインフィルの楽友協会の役職に就いていた頃です。演奏最後の曲目「ラデッキー行進曲」の時、後ろを振り向いて聴衆に拍手を即すときの仕草が、従来と変わっていたことを思い出します。

 遙か20年ほど前、このウイーンに三日ほど滞在し、楽友協会の扉を開けて中を覗いたことがあります。さして広くないホールで、天井から大きなシャンデリアが三つ。これと同じ形のシャンデリアが六本木のサントリーホールでも見られるのは何ともご愛敬です。このとき、ウイーンの72番の路面電車に乗って市民墓地まで行きました。楽聖達のお墓にお参りをするためです。電車を降りたはいいが、案内所も何もありません。幸い、通りかかったご婦人が親切にも案内してくれました。ベートウヴェン、シューベルト、モーツアルトのお墓が並んでいました。少し離れて、椅子に座ったブラームスがこちらの三人を羨ましそうに見ていました。その後10年ほどして再び市民墓地を訪ねる機会があったのですが、そのときお墓の位置関係がやたらに観光地化されていて興ざめでした。ブラームスの羨ましそうな素振りのお墓もなぜかなくなっていました。

 2023年1月1日           新年の抱負                

 新年明けましておめでとうございます。今日の東京の空は雲一つなく、太陽が燦々と輝き、風一つありません。降り積る雪に閉ざされ、曇天の中での生活を余儀なくされている北国の人たちには、全く、申し訳ない次第です。この輝かしい年の初めに当たって願うのは、先ず第一に「コロナには何としても感染しない」ことです。今、5回目のワクチン接種の通知が来ていますが、時期を見て接種して貰うつもりです。巷では、ワクチンの薬害が叫ばれ、接種拒否の人々が増えているようですが、私の場合、この3年余り感染から遠ざかってこれたのはワクチンのお陰でありましょう。少なくとも私はそう思っています。

 二番目に今年からやろう、と思うのは身辺整理です。私の母親が生きた93歳まで命を長らえることが目標ですが、1937年1月15日生まれの私は86歳になります。お陰様でここまで生きてくることが出来ました。この上は、何時お召しがきても良いように身辺を整えておきましょう。書籍、楽器、CD、DVD、家財、衣類、、、、沖縄のオバアのように、枕元に死に装束だけを残して別れを告げたいものです。

 そのためにも、近々、タイ・チェンマイへ行っ異友堀田さんに預けてある車の処分をしてこなければなりません。タイも日本と同じ交通ルールですが、国際免許は再発行してもらっても、彼の地で運転はしないつもりです。事故を起こしては台無しになってしまいます。

 そんなわけで今年はやることが一杯です。そうそう、今年の課題はピアノにもあります。12月末、フォーレの「シチリアーノ」をひっさげてヴィデオ発表会に臨みなしたが、1月からはベートウベンの106番ソナタ「ハンマークラヴィア」の第三楽章の「アダージオ」と取り組む積もりです。ロマンロランが愛してやまなかった曲です。彼の大作「ジャンクリストフ」の読み返しも、今年の目標に入れましょう。高校時代、受験勉強そっちのけで図書室に籠って読みふけったものです。

2022年12月21日    新潟大雪・交通麻痺                         まだ、秋あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゃゆゅよらりるれろわ・を・んアイウエオカキクケコサシスセソタチツテトナニヌネノハヒフヘホマミムメモヤャユュヨララリルレロワ・ヲ・ン

2022年12月20日    新潟大雪・交通麻痺                         まだ、秋の終わりの気配が漂っているのに、新潟では、県内のほとんどが60センチを超す大雪に見舞われ、交通機関や国道が麻痺状態に置かれるという異常事態になっています。新潟を二年間担当した私にとって、これは人ごとではあり得ず、心がキリキリと痛みます。私が担当していた頃の新潟は、豪雪に見舞われるのは上越の高田、中越の十日町、越後湯沢、小出、六日町などに決まっていて、新潟市や柏崎、三条などの海岸線の街での降雪は、ほとんどありませんでした。それがどうでしょう、今回は新潟県内の街のほとんどが60センチを超す大雪に見舞われているのです。正に、異常気象というほかありません。新潟県は富山県境の市振から山形県境の府屋まで、400キロに及ぶ細長い県です。そこを、国道と高速道路が走っています。その道路が大雪のため除雪が叶わず、車の大渋滞ができ、人々は車のガソリンの消耗を心配しながら閉じ込められているのです。脇道に出ようにも除雪が出来ていないからそれも叶いません。おなかも空くでしょう。寒さに震えていることでしょう。新潟県は自衛隊の出動も要請したようですが、県内すべての国道が通行不能になるなんて、新潟県始まって以来の出来事ではないでしょうか。

 願わくは、国道沿いにお住まいの住民の皆様、動きたくても動けないでいる車の皆さんを助けてやってください。食料を届けてやってください。暖房器具を持ち寄って暖めてやってください。お願いします。

 2022年12月19日    命 日                        今日は母親の祥月命日です。16年前の12月19日の明け方、清瀬の複十字病院で亡くなりました。93歳でした。最晩年は食欲も衰え、流動食以外は受け付けなくなり、医師の勧めで「胃瘻」という手術を受けたその明け方のことでした。前日の手術に立ち会い、手術は成功しました、の報を聞いて、やれやれと自宅に戻った数時間後、母親は亡くなったのです。明らかに医療ミスであるでしょう。それ以外に考えられません。知らせを受け、急いで清瀬の複十字病院へ駆けつけると、担当した医師と看護婦は、私に向かって深々と頭を下げました。怒り心頭を発し、担当者を怒鳴り上げ、医療ミスだとして大問題にすることも出来たでしょうが、何故か、冷静さが支配しました。甘んじて受け入れてしまいました。理由は、一度死んだものは二度と戻らないことを知っていたからでありましょう。裁判に持ち込んだからといって、医師に勝てる事例は極めて希なことを知っていたからでありましょう。加えて、93歳まで生きればトシに不足はないだろう、との思いもありました。

 思えば、母親の93年の生涯は波瀾万丈であったと言えるでしょう。私を育てるために一生懸命だった93年ではなかったでしょうか。

 今日は快晴の空。関越道路を東松山で降り、森林公園に連なる墓地へ行き、花を手向け、線香を灯し、沖縄のオバアの墓ではクリスチャンだったオバアのために主の祈りをずし、真ん中の連れ合いの姉夫婦の墓では般若心経を唱え、母親と連れ合いが眠る三つ目の墓では念仏を心ゆくまで唱えてきました。

 2022年12月18日    寒 さ                          小学校3年から高校時代まで長野にいたので、冬の寒さには慣れている積もりですが、同じ冬でもロシアやウクライナの寒さは、ちょっと、違うようです。意地の悪いロシアは、ウクライナの発電所や変電所などを狙い撃ちにしたため、多くの一般市民は暗がりの中で、寒さに震えながらこの冬をやり過ごさねばなりません。水も食料も不足し、その上、暖房もない生活を余儀なくされる人々が日に日に増えていることを、戦争を起こした者達は何と思っているのでしょうか。

 厳冬期の北アルプスの唐松岳に登ったのは高校2年の真冬でした。八方尾根まではリフトで上がり、その先はスキーにアザラシの皮を履かせジグザグに上りました。冷泉小屋に一泊し、翌朝、快晴の中を、右手に白馬三山を見ながら頂上を目指します。尾根に出た途端、強風が吹き荒れるなか、スキーをデポし、8本爪のアイゼンに履き替えます。そして、頂上制覇。外気温度は恐らくマイナス20度を超えていたでしょうが、身体を動かしているため、寒さを感じませんでした。その帰りの下山途中です。スキーもろとも雪の吹きだまりの中につ込んだ途端、右足のスキーが折れてしまいました。さあ、そこからは片足スキーです。片足だけで滑るのは何とも難しいものでしたが、麓の細野部落に明かりが点る頃、何とか下山出来ました。懐かしい思い出の一コマです。

2022年12月17日    N・S・S                       昨日の閣議で、日本の今後の防衛にとって最も重要な問題が、いとも簡単に変更されました。それは国家安全保障戦略についてです。俗にNSSと呼ばれる「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言葉を替えて、相手の領域内を直接攻撃できるようにしたことです。これは、日本の戦後から続いてきた安全保障体制の大いなる転換、と言っていいでしょう。しかも、その上、今後の5年間で防衛費を1・5倍にすることまで閣議決定されました。誠に、あれよ、あれよという間の出来事です。

 私が生きている間に起こりうるかどうかは別にしても、日本がこれから立ち向かわねばならない脅威は、言わずと知れた中国であり、北朝鮮であり、最近はその上、ロシアまでもが加わりました。日本はウクライナ同様、ロシアと国境線を同じにしています。その上、彼の国とは平和条約を締結しておりません。何せ、太平洋戦争の時には、ソ連は相互不可侵条約を一方的に破って、一万の大軍をもって満州国に押し入り、おびただしい捕虜を極寒のシベリアへ送り込んだ国です。

 この三国の脅威については、太平洋戦争を生き抜いてきた年寄りたちは元より、若い人たちにとっても共通の問題として捉えられ、しかも、最近は、その脅威が現実味を帯びてきているので、大昔の「安保反対!」とはならないような気がします。それにしても将来日本を背負って立つ若者達の無関心ぶりはどうでしょう、まだ、始まったばかりだから、理解するのに旬日を要すのかもしれませんが、それにしても、日本の将来に関する決定が、いとも簡単に閣議決定されてゆく現行の政治体制を憂います。

2022年12月16日    気候の不公平                       北海道は猛吹雪に襲われている、というのに今日の東京は快晴の空が広がっています。気候変動の著しい現象は世界的な規模で広がっているようですが、驚いたのは、地球の反対側のブラジルで大洪水が起きていることです。見渡す限りの平地が家の高さまで水に埋まっていました。原因は森林の乱獲だそうです。ブラジルは国の政策として森林を潰して、農地化する政策を推し進めていますが、それがアダになりました。森林の貯水力を甘く見た結果でしょう。

 日本もこれからが気候との戦いです。太平洋側は、連日、カラカラの天気だというのに、日本海側は雪もよいの曇天の連続です。新潟県を二年間担当して、日本海側と太平洋側の冬の気候の余りの不公平極まりない現実を、いやというほど知りました。

 その太平洋側のまっただ中、福島の浜通りに一週間後、二泊三日で出かけてきます。久しぶりの泉、平、富岡、大野、小高です。佐藤彰牧師にお会いし、「翼の教会」のクリスマス礼拝にも参加します。

 車の免許更新が来年2月に迫っていますが、返上する積もりは今のところありません。視力も、反射力も、衰えを感じません。しかし、少しでも異常を感じれば返上する積もりでいます。事故を起こしてからでは取り返しがつきません。安全運転を終始心がけて行ってきます。

2022年12月15日    ク エ                       寒さがつのって来るにつれ、ナベ料理が恋しくなってきました。青森の「しょっつる」秋田の「きりたんぽ」茨城の「アンコウ鍋」と色々ですが、その美味しさおいて飛び抜けているのが、北九州のフグ鍋、博多のクエ鍋ではないでしょうか。中でも「クエ」は今や幻の魚と化し、滅多にお目にかかれません。今から三〇年ほど前、九州小倉に単身赴任していた頃は、冬の宴会はいつも「フグ刺し」「フグ鍋」が定番で、「クエ」は滅多なことでは膳に上りませんでした。幸いなことに、博多では「よしおか」というスタンド割烹を前任者から引き継ぎ、目の前のガラスケースに横たわる「クエ」を見ながら、刺身や、鍋をいただくことが出来ました。当時は、小倉本社にも、博多駅前の朝日ビル内にも「営業局長室」があり、重宝にさせていただきました。「クエ」は深海の岩場を根城にする怪魚の一種です。大きなものは1メートル以上にもなります。あるとき、スタンド割烹「よしおか」の目の前のガラスケース一杯に「クエ」が横たわっていてビックリしたことがありました。

 フグ鍋も勿論ですが、それ以上に上品で味わい深いのが「クエ」ではないでしょうか? 私は現役で福島県を担当していた頃、ふぐ毒に当たって死にそうになったことがあります。12月の末の頃で選挙号外のため、福島支局に詰めていました。近くの「マンセイ」という料理屋で、徹夜になるので力を付けておこうと食べたフグ鍋に当たり、支局前の大原病院に担ぎ込まれ、お花畑を見るまでなりましたが、幸い命をとりとめ、30日の有楽町本社での打ち上げ会に間に合い、拍手で迎えられました。以来、フグには近づいておりません。専らクエを探し回るのですが、もはや、世間では幻の魚になってしまっています。何とか、もう一度「クエ」にお世話になってから「あちらへ行きたい」ものです。

2022年12月14日  軍事予算1兆円増額                       岸田総理が国防費1兆円を増額する、まず、現行の災害復興予算をそれに充て、たばこ税、所得税などを順次当てはめていく、とのたまいました。驚いたのは閣内から「総理の真意が計りかねる」「いかにも唐突である」などという異論が噴出していることです。9月の国葬決定もそうでしたが、岸田総理は独断専行型の人間なのでしょうか、少なくとも閣内に計って、そこで反対があろうとも異論があろうとも、私が総理である以上、これで行くと断行してこその総理大臣なのであるのに、閣内の意見の集約もとらずに、最も大事な案件をいとも軽々と決定しようとするところに、岸田文雄という人間の軽さが見え隠れします。

 日本の自衛隊の規模はかなり大きく、世界で7番目だったと記憶します。しかし、大きな足かせがあって、それは攻撃してくる相手国にこちらから攻撃をしてはならない、ということです。「防戦だけの存在としての軍隊」それが日本の憲法に明記されている国防の実態なのです。従って、極く普通の軍隊になるためには憲法を改正しなければなりません。

 かりそめにも私は早稲田大学第一文学部史学科の西洋史専攻に籍を置き、戦争のなかった時代はなかったことを学びました。と言うことは、いずれ、中国共産党は台湾併合に舵を切るのは必須と思われ、当然、アメリカとの軍事衝突は避けられません。とすれば、日本はある意味でアメリカの属国ですから中国からの攻撃対象となるでしょう。両国の軍事費から見れば、日本が増額する一兆円など微々たるものであるでしょう。でも、備えあれば憂いなしの例えのように、軍事予算にケチは付けられません。国の死活に関わってくるからです。その意味で軍事予算の増額はやむを得ないことなのです。ただ、岸田総理のやり方が稚拙極まりないという事実が露見した、ということなのです。誠に思慮の少々不足している国会議員を我々は総理として仰いでいるのです。

2022年12月13日  ロシアとウクライナ問題                       スイスのジュネーブに永住している知人から、ロシアとウクライナ問題に対するメールが届きました。3人のお仲間とのオンラインによるやり取りだったようですが、傾聴に値する部分もあるので、ご本人に断り無く、ここに再録させて貰いました。 

 「昨日は在欧の旧同僚と忘年会を開催しました。と言ってもそれぞれ英国 オランダに住みついている二人とのトリオです。本年の回顧がテーマ。」

 当然のようにウクライナ問題が筆頭に上り口角泡を飛ばした次第です。相手は二人とも「主権国家を勝手に侵攻した悪者はプーチン。自国防衛をするウクライナには武器提供も含めて援助するのが当然。旧ソ連と左程変わらないロシアは 民主主義の価値を理解していない。」との一点張。カフェでだったら 掴み合いしたいぐらい だという意見も出て来て わらいました。

 自分達が 絶対に正しい。と主張するだけで 妥協とか 話し合いの道をまず探そうとしない限り 犠牲者は増える一方だと 私は思っています。ウクライナもロシアも最初は一つの国だった。古代ルーシの首都はキエフだった。つい最近までは 歴史も共有していた。少しでもロシア語ができて ロシア文学に描写されるロシア人に親しみを感じるならばもっと別の見方ができる筈だと 密かに信じています。現在の施政者がどれほど悪者であっても。日本が真珠湾攻撃をして無闇矢鱈にアジアで暴れ回っていても 日本語の美しさとか 日本文化の美を愛おしく思う欧米人も少数ながらいた筈。もう一つのテーマは「日本との絆でした。この春 母親をなくしてから 日本との絆がぷっつり切れてしまって 大海の波に揉まれる漂流物みたいな気分だけれど あなたたちは どうですか と尋ねられました。オランダ在住の友人は 読書も9割方 非日本語系だし 地球市民になりかかっている模様。私一人が 日本語にしがみつき 望郷の念にもかられているようでした。両親との乳離れは早くからあったし 日本を離れた経緯も他の二人とは異なるので 親の存在とはほぼ無関係な絆が 私にはあります。心を割って話せる友人も日本にはいる。スイスには一人いる程度。(後略)

2022年12月12日   世間は賑わっていた                     昨日は一ヶ月ぶりに西武線に乗り、池袋から地下鉄銀座線でお茶の水で降り、総武線で錦糸町まで行きました。昔の江東楽天地は既に瀟洒なビルになっているのですが、そこを通り抜けて仲間の待つ碁会所へ到達しました。どこもかしこも人の流れは尋常でなく、全員が全員ともマスク姿であることを除けば疫病コロナの気配は全く無く、穏やかで平和な人々の生活がそこにありました。しかし、東京では毎日1万人以上の感染者が新たに報告され、昨日は医師会の尾身会長までが感染したことが報じられました。当然ワクチンを打っていたでしょうが、それでもコロナは人を選ばないのです。と言うことは、ワクチン四回接種の私も感染を免れることが出来ない現実があることを意味します。    だから、たとえ5回目を打ったところで感染する確率はゼロではないことが分ります。

 一億人を超す日本人全員が感染するまでコロナ禍は続く!のではないでしょうか? 自宅待機を強いられ、激しい苦しみから生還したら、2度とは感染しないのでしょうか? 

 囲碁の会が終わって近くの居酒屋へ直行し、お互いの無事を祝しながら酒宴が始まりました。久しぶりなので、酒量が上がり今日は二日酔い気味です。ことに寄ったら、コロナ菌は私の体内で活動を開始し始めたかもしれません。

2022年12月11日   天才は双葉より                     昨日は目白の椿山荘で、朝日新聞が主催する囲碁名人戦での勝者を讃える式典が行われました。中村史郎朝日新聞社長から允許状が芝野虎丸9段に手渡されました。最終局は正に死闘で、井山裕太本因坊の白石が盤上をのたうち回り、最後は殺されました。まれに見る激闘でした。一週間前のNHKの囲碁番組で芝野虎丸と関太郎の若手同士の一騎打ちがありましたが、22歳と19歳の死闘です。AIを駆使した次元の違う碁が打たれました。もう、囲碁の世界でも年寄りは既にお呼びでなくなっていることを知らされました。ところで明日は久しぶりに錦糸町まで出かけます。囲碁の会が昼からあるからです。電車の乗るのは正に一ヶ月ぶりです。まして、碁石を握るのは何ヶ月ぶりでしょうか。棋力の衰えを感じて落胆しながら帰って来るかもしれません。

 ところで、若手の快進撃と言えば女流の囲碁の世界でも同じです。藤沢里菜、上野愛咲美の時代を脅かしているのが、僅か13歳の仲邑菫です。今日の週間碁の紙面は日頃、藤沢に教えを受けている13歳が、恩師にタイトル戦で勝ったことが報じられています。

 一方、音楽の世界でも若手が活躍しています。バイオリンの村田秋保、御年11歳の小さな女の子です。オーケストラを率いて堂々たるソロを弾きこなしています。出身は茨城県の水戸だそうですが、茨城に天才を生み出す力があったのかどうか、甚だ疑問です。13歳と11歳の女の子同士。今後の活躍が見ものです。

2022年12月10日    整理しよう             

 朝刊をいつものようにパラパラやっていましたら、音響製品の高価買い取りの広告が出ていました。アンプやオープンリール、スピーカー、楽器、、、そういえば家の地下室には、久しく使っていないそれらのものが眠っています。おびただしい数のレコード、CD。それのためのターンテーブル、アンプ、大型スピーカー2基、バイオリン、三味線などなど。

 「そうだ、この際、整理しよう。私もトシだ」と何やら啓示らしきものを受けました。整理しなければならないものに本もあります。「日本の名著・全巻」大佛次郎「天皇の世紀・全巻」「埴谷雄高集・全巻」「三島由紀夫全巻・初版本10冊ほど」、、、、、 

 どれもこれも、若いときから集めてきたものでそれぞれに愛着があるのですが、これから渡らねばならなくなる「三途の川」を担いでいくわけにもいかないでしょう。だからといって、子供や孫どもに残したからといって宝の持ち腐れになること必定です。

 そこで思い起こすのは沖縄の「オバー」の死に方です。自分の持ち物一切を近親者に与え、枕元に死に装束だけを置いて死んでゆきます。今際のサイ、「オバー、水飲まんね」と問いかけると「いらん、途中で粗相してはいかんから、」 私も自分自身の死に方を考えなければなりません。

2022年12月9日      防衛費増額       

 共産党一党支配の中国の国防予算は、年々膨らみ続けています。呼応してアメリカの国防費も増額の一途をたどっています。日本はどうでしょう?ヤット重い腰を上げました。増税を図り、一兆円の増額が決まりました。ただし、増税は来年以降に持ち越されます。軍事国防費に巨大な予算をつぎ込んでいるのは、アメリカです。その次が中国です。中国の軍事予算の膨張ぶりには驚くべきものがあります。その狙いは、言わずと知れた、南沙諸島、尖閣諸島の領有化と台湾です。それをさせじ、と踏ん張っているのが民主主義の国アメリカです。中国が台湾支配に動き出せば、民主主義の危機ですからアメリカが対応に乗り出すでしょう。すると、日本のアメリカ軍基地が中国の攻撃目標になること必定です。沖縄、横須賀、横田、十和田などにミサイルの雨が降るでしょう。かりそめにも日本領土が攻撃された場合、日本は黙っておれるでしょうか? かくて、好むと好まざるに拘わらず、日本は中国との全面戦争に巻き込まれていくのです。すると、防衛費はいくらあっても足りなくなります。それを予測しての、このたびの1兆円の増額です。税金でまかなうのです。増税は再来年から始まるそうです。恐らく年金の減額にも繋がっていくでしょう。

 ここ2000年の世界史を見ても、戦争のなかった時代はありませんでした。今も、厳冬期の東ヨーロッパでロシアとウクライナが戦火を交えています。明日の日本がそこに見え隠れしています。

2022年12月8日      戦争勃発の日       

 今から77年前の今日、大日本帝国は世界の強国を相手に戦争を始めました。アメリカ、フランス、イギリス、オランダ、そして中国共産党と中華民国がその相手です。なぜ、無謀とも言える戦争を日本は始めたのか?日華事変で勝ちを占めた軍部のおごりがありました。「神国日本」に対する幻想がそこにありました。そして、77年前の今日、ハワイの真珠湾奇襲攻撃で戦果を納め、軍部の独裁のもとに、国民に多大の犠牲を払わせ、おまけに原子爆弾まで落とされて20年8月15日、日本は降伏したのです。戦犯となって拘留された33人の軍人達の裁判が行われました。いわゆる東京裁判です。全員が全員とも「私は上官の命令に従ったまでで、私に罪はありません」と陳述しました。(丸山真男著・現代政治の思想と行動参照)

 この日、臨時ニュースを聞いた母親は、青い顔をしながら私を連れて吉祥寺の「パン屋」へ走りました。当時、井の頭公園近くに住んでいたのです。パンはすべて売り切れていました。売れ残っていた菓子パンをしこた買い込みました。そのときの母親の切羽詰まった青い顔を今でも鮮明に思い出すことが出来ます。その後、新井薬師の門構えの家に移って、上高田国民学校の一年生になるのですが、直ぐに福島の浜通り富岡へ学童疎開させられます。5月25日の山の手空襲で家は焼かれ、命だけは助かった母親が福島の私を連れて長野の母の実家にお世話になります。軍部の独裁によって引き起こされた悲惨な戦争、そこに何らかの価値があった、と言えるでしょうか?

 同じ苦しみと哀しみを、地球の反対側で、ウクライナの人たちが、いま、受けているのです。 

2022年12月7日      NHK会長人事       

 期待していた前川喜平さんのNHK会長人事は、水泡に期してしまいました。稲葉延雄という元官僚が割り込んできたのです。静岡県出身、東大経済から日銀入社。総裁選に打って出るも、黒田氏に破れ、退社。リコーの経済研究所の所長。72歳の高齢。かくて、前川喜平さんを押す四万五千票の署名は水泡に帰してしまいました。どうして、時の政治は一般民衆の声を無視するのでしょうか? NHKの改革は誰が見ても必要なのに、またまた時の政治によって蔑ろにされました。恐らく、前川さんを放擲した、前菅官房長官の意向が働いたのでしょう。岸田総理がそれに反対して、前川会長を実現させていれば、岸田の株も上がっただろうに、岸田の懐の浅さを憂いたい思いです。

 麻生、二階、細田などの老害が今もってはびこっている自民党に限界は来ないのでしょうか? それにしても、NHKの内部事情に誰よりも詳しい、NHKOB会の皆さんが前川さんを望んだのに、それを無視して再び官僚出身者をそれも高齢者を選ぶとはな何事でしょうか!

2022年12月6日      学園都市茨城       

 昨日は茨城県の悪口を書きましたが、この県の大きな特徴は、太平洋に面して平野が続く起伏の少ない土地柄だと、いうことです。筑波山がありますが、小さなコブのようなものです。気候は温暖極まりなく、土地が肥沃なため、作物の生育には最も適した土地柄ゆえ、人々の生活は豊かです。生活するためだけなら、茨城にいれば苦労がありません。日本海寄りの県の人たち、および、東北六県の人たちは、半年は雪に埋もれた生活を強いられます。生活を維持するためにはのんびりとしては居られません。知恵を働かせて生きてゆかねばなりません。その差が県民性に表れるのではないでしょうか?

 筑波山の麓近く、笠間観音の隣に「美野里町」という小さな集落があります。最も温暖な気候と肥沃な土地柄に長年恵まれて来た結果、町中が豊かさに満ちていました。貧しさのかけらも見られない特異なところでした。定年後はここに居を構えて晩年を過ごそうか、と真剣に思ったくらいです。

 近年、筑波山麓の肥沃な南茨城めがけて、東京都心からあらゆる研究機関が押し寄せてきました。学園都市がそれです。私が担当し終わった頃からその動きは顕著になり、都心の日暮里から学園都市まで高速鉄道が出来てしまいました。ここ数十年で見違える変化を遂げているのが茨城県南部です。

 「担当した中で、最もガサツな県、それは茨城」などと言っておれなくなりました。

お気軽に
お問合せください

お電話でのお問合せ・相談予約

03-3998-4086