最近のエッセイ

 2020年7月26日           マスクしながらラッパを吹く

 コロナ感染の拡大を危惧する余り、行政は「人の集まりの自粛」を求めています。例え、マスクを付けていても、人間の唾液の飛沫は飛び交い、クラスターを引き起こしている例が各地で起きているからです。大相撲、野球、サッカーなど、いずれも観客数を制限して行なっています。当事者達は、そうであっても組織に属しているため、減収にはなっていても生活に窮することはないでしょう。

 大変なのは、個人の芸を大勢に観て貰って生活している、いわゆる芸術家たちではないでしょうか。演劇人、音楽家、古典芸能従事者などなど。卑近な例ではピアノ教室などの先生。感染を恐れての余り、生徒が通ってこないそうです。これは一つの例ですが、那覇に住む義弟は無形文化財古典芸能保持者で、義妹も沖縄琴の先生ですがお弟子さんが来なくなって、苦境に立たされています。

 文化座の佐々木愛さんの沖縄公演は、元より中止に追い込まれましたが、その後の活動状況は一向に聞こえて来ません。演劇集団の惨状は、恐らく目に余るものがあるでしょう。

 問題は、この状況がいつまで続くのか? いつまで待てば回復するのか?です。効果的なワクチンが開発され、日本人全員に行き渡るまで3年かかるとすれば、それまでの3年間、どうやって生活を維持したらいいのでしょう。

 感染率が比較的低い日本はまだマシな方ですが、ヨーロッパのイタリヤ、フランスはどうか。例えば、毎年1月1日に行なわれる「ニューイヤーコンサート」。いつの時もウイーン楽友協会大ホールは大満員になります。楽団員も肩を寄せ合っての演奏です。吹奏楽員の唾液は飛散するでしょう。まさか、マスクをしてラッパを吹くわけにはいかないでしょう。

 折から沖縄の米軍基地内で集団感染が起きました。それが、岩国基地や、三沢基地へも飛び火しています。世界一の軍備を誇るアメリカといえども、コロナには勝てないようです。もしもまかり間違って中国と戦火をを交えることにでもなれば、兵隊さんはマスクをしながら銃を撃つことになるのでしょうか。

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                  文明の最盛期 だそうだが

        この頃の 住みにくさは  どうだ?

        空気 水、食べ物 寝る場所 歩く場所

        生きる心地の 頼りなさは どうだ?

       情の薄い目をして 行ったり来たり

       時には シットリと野に咲く花を

       愛でてあげたら、どうなのさ !! 

 

 

 

2020年7月25日             弾 圧 (3)  

 ドイツのナチスがやったこと、現在の中国共産党がやっていることと、日本は無関係であったでしょうか? 違います。日本も同じことをやってきました。天皇の名の下に神国日本の幻想を作り上げ、軍備を拡張し、八紘一宇の名の下に、朝鮮半島や、中国を弾圧してきました。丸山真男の「現代政治の思想と行動」は、私の学生時代からの座右の書でありますが、実に克明に、軍部が台頭し、天皇の名の下に国民を洗脳し、「聖戦」の名を冠して太平洋戦争を始めた経緯を詳らかにしています。その結果、膨大な数の日本人、朝鮮人、中国人、かつアメリカ人が死にました。

 そして、敗戦です。東京裁判が行なわれました。ところがすべての被告は「私の責任ではありません。すべて上官の命令に従ったまでです」と異口同音に陳述しました。そして、最高責任者であった東条英機首相まで「戦争は東条の責任だと言われるが、違う。東条というものは一個の草奔の臣である。あなた方と少しも変わりはない。ただ違うのは総理大臣という職務を与えられている。これは天皇陛下のお光りを受けて始めて光る。陛下のお光りがなかったら石ころにも等しい。陛下のご信任のままに私は行動してきた積もりだ。そこが、ヨーロッパの独裁者と違うところだ」と述べています。当時のヨーロッパの独裁者はイタリアのムッソリーニ、ハンガリーのチャウセスク夫妻など。この夫妻は逆さ吊りの刑を受けて死にました。

 いま、中国共産党は人民の繁栄の名の下に、漢民族優位を唱えウイグル自治区を制圧し、50年の期限を待たずに、香港に触手を伸ばし、ついには台湾併合を視野に入れた手を打ち始めています。そのためには手段を選ばない、倫理を無視した策略を弄しています。アメリカのヒューストンにある中国総領事館はスパイ活動の総本山とも言われていました。何しろ、中国では世界のあらゆる秘密情報を中国に集約させるためにハッカーの職に就かされている人間の数が15万人を超えているそうです。

 アメリカはとうとう痺れを切らしました。三日前、ヒューストンの中国総領事館に命令を発しました。「三日間だけ猶予を与える。アメリカから出て行け!」領事館の庭から火の煙が立ち上り始めました。秘密文書が焼かれているのです。当然、中国は報復するでしょう。その報復に対し、アメリカも更なる報復をするでしょう。戦争というモノはこうした小さなことを契機にして拡大に拡大して行きます。それが歴史の常です。

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           朝焼け小焼けだ 大漁だ

           大羽イワシの大漁だ

           浜は 祭のようだけど

           海の中では 何万の

           イワシの弔い するだろう

                          ー金子みすずー

 

 

2020年7月24日                      弾 圧(2)

 前述した「中川牧師の書斎」の中川さんは相模大野教会の牧師さんで、現在、シンガポール教会で大活躍の松本牧師の師匠筋に当たります。昨年2月のイスラエル行きは 松本牧師が主宰する訪問団の一員に加えさせて頂き、バンコックからテレアビブ行きの飛行機に乗り込んだのでした。目的の一つはエルサレムのホテルで開かれた日本人による「メシアニック・ジュウ」を励ますことにもありました。

 その会議は2日間みっちり行なわれ、私は中川先生の講義に預かり、数々の質問もさせていただきました。一行はまた、エルサレムのユダヤ記念館も訪れました。地下に設えられた膨大な施設で、中央にはナチスの迫害を受けて亡くなった600万人のお名前が刻まれた巨大な円形の記念碑がありました。6000人のユダヤ人に独断でビザを発行した日本人外交官杉原千畝を記念する植樹も大きく育っていました。
 さて、ナチスの台頭によりヒトラーが唱えた「アーリアン民族至上主義」は既に過去のものになっていますが、中国共産党のウイグル人弾圧はナチスと同じ考え方の土壌から発している、と言えるのではないでしょうか。更に太平洋戦争を巻き起こした日本の軍国主義、八紘一宇を至上とした日本神国主義がそれに重なります。

 5年前、ポーランドへ行ったとき、アウシュヴィッツまで足を伸ばしましたが、ガス室を前にして流した涙と、沖縄の平和公園の丘に建てられている235,000人の名前が刻まれた「平和の礎石」を前にして流した涙が、同じ悲しみから来ていることに気づかされます。それは生きとし生きるモノの底知れぬ業の罪深さです。      

 

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    朝風に 黄色い蕾はほころんで

    絢爛豪華に 咲き誇る

     鳥たちも 花の色香に 酔い心地

     あなたとて しばし

     その傍らで、憩わせてもらうがいいよ

     ほんの束の間

     土から咲いて 土に散る

 

   

2020年7月23日                           弾 圧 (1)

 中国大陸の北の外れに新疆ウイグル自治区があります。隣はキリギスタン、そのまた隣はロシアです。従って人々の顔立ちはロシア系であり、明らかに漢民族とは違います。約4000万人のイスラム集団は1944年に東トルキスタン共和国として独立を果たしましたが、その5年後、中国共産党が進攻し、中国人民共和国に統合されました。ここの魅力は大量の地下資源と豊富な石油です。すべて、中国共産党に搾取されています。あまつさえ、ここは核実験場にもなっています。どれだけのウイグル人が被爆したか、怖ろしい数字だそうです。中国共産党の目的はウイグル人の抹殺にあります。断種が行なわれ、漢人との混血が奨励されています。

 街中には20メートルおきに監視カメラが設置されていて、イスラム教信仰が否定されています。モスクはあっても集団礼拝は赦されていません。従って、アザーンもありません。ウイグル独自の文化が日を追って破壊され、ウイグル語の使用も禁止されています。少しでも違反すると逮捕され、拘留され、強制労働に追い込めれます。

 最も悲惨なのは臓器移植です。拘置された者は人間ではなく、単なる臓器の保持者でしかなくなります。あるとき、共産党の高官が臓器移植が必要になりました。日本では3〜4年待つのが普通です。アメリカでさえ数ヶ月待ちです。それなのに臓器は3日で運ばれてきました。一人のウイグル人が死んだのです。

 中国共産党のウイグル人弾圧の実態は、次第に世界的広がりを見せています。アメリカの議会を始め、ヨーロッパでも非難決議を表だって表明するようになりました。しかし、中国共産党はそれらを尻目に、なお一層、弾圧の度を高めているのが現状です。

 この実態をユーチューブを使って詳らかにしているキリスト教牧師さんがお二人おいでになリます。一人は大阪の高原剛一郎さん、もうお一方は関東の中川牧師です。「中川牧師の書斎」「剛チャンネル」を見て下さるようお願いいたします。 

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        明日のことは 誰にも分らない

        明日のことを 思い煩うな

        しっかりしろ この一瞬を無駄にするな

        命の果てが 明日であってもいいように

        モンブランとアイガーが見ているぞ

 

 

 2020年7月22日           時  鮭 

 鮭はいま、世界中に出回っている魚です。そのほとんどはノルウエー産の冷凍物です。タイ・チェンマイのマーケットにも刺身や、寿司で出回っていました。中にはカンカン照りの路傍の屋台でも見つけました。とても手が出せません。そうでなくても、鮭にはアニサキスなどの寄生虫が多いのです。

 鮭には銀鮭、紅鮭といろいろですが、何といっても美味この上ないのは時鮭でしょうか。この、6月、7月が、いわば旬です。幸い、いただいたギフト券のカタログに時鮭が入っていましたので三越デパートへ注文しました。届いたのは小型の一匹まるごとでしたが、どうしたわけか、美味しくありません。味がボケているのです。恐らく、時鮭は今は捕れないので数年前か数十年前の冷凍品だったのでしょう。

 ギフト券の送り主は、同じ長野県出身の両角和雄さんという所長さんです。昨年の7月、業界を引退する、というのでご夫妻が私を椿山荘での午餐に招いてくれました。彼を千葉市の稲毛に起用したのは、当時、働き盛りだった中沢担当員でした。彼の兄は竜彦さんと言って、数年前に亡くなりましたが優れた新聞人でした。本社への部数の注文は現在売れている部数だけ、余分な紙は一切持たない、という鉄則のもと、兄弟のグループは発展に発展を重ねました。彼を起用して25年が経過したある日、そのお祝いをしたのですが、帰りがけに封筒を貰いました。高額の金額が書かれた小切手でした。泣けてきました。私が見込んだ人物がここまで成功してくれたことが嬉しかったのです。数週間後、「十分楽しんだ、ありがとう」の言葉を添えて封筒はそのままお返ししました。爾来、年二回、ギフト券が届くようになりました。私も、年一回ですが大分のカボスを送り続けています。椿山荘にお招きいただいた時はタイ・チェンマイのシルクの老舗「シナワトラ」からお孫さん用の生地を買ってきてお渡ししました。今度行った時も、また買ってきてお渡しするつもりでいます。

 実は今日、またまた両角和雄さんからのギフト券が届きました。引退の儀式が済んでいるにも拘わらずです。何とも言えない嬉しさの余り、この文章になりました。

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  青空のもと 林の中を駆け巡る

  仰げば 白い雲の群れ

  眼をつむれば 胸の上を流れゆく

  果てしなき 平和の訪れ

  じっと 山の頂きを見る

 

2020年7月21日          政権不支持74%

 朝刊に掲載された世論調査によれば、コロナに対する政府の対応について評価しない割合が60%にも及んでいます。感染拡大防止策で首相は指導力を発揮しているか、の問いに対して、発揮しているが24%、発揮していないが66%にも上っています。しかも、「ゴーツートラベル」の実施については賛成は僅かに19%、反対が74%にも及んでいます。更に、私が最も危惧するのはワクチンに対する日本の姿勢です。世界各国の現状は以下の通りです。

 フランスは自国のサノフィ製薬に対し、工場建設費用を一切支援しました。アメリカも四億ドルを支援しました。日本はゼロです。

 ドイツは自国のキュアバック製薬に3億ドルを支援しました。アメリカはこの社に対して独占権を要求しています。日本は何もしていません。

 アメリカは自国のモデルナ製薬に対し5億ドルを支援しました。日本は「薬を売って」と交渉中です。続いてアメリカは自国のノバ・バックス製薬に16億ドルを支援し、現在、一億回分を確保しました。

 さて、イギリスですが自国のオックスフォード・アストロゼネカ製薬に対し7000万ドルを支援し、既に一億人分を確保しています。更に、アメリカはこの社に対し12億ドルを投資し、3億回分を確保しました。日本はどうか? この社に対し「売ってちょうだい」とお願いしているだけです。

 日本も生化学分野では先進国の筈です。各国に負けず、ワクチンの開発は進んでいるでしょう。しかし、それらの機関に対して政府支援が入ったでしょうか?アストロゼネカに対して各国がとったような支援金を送ったでしょうか? そんな話は聞こえて来ていません。だから、国民の大多数は政権不支持なのです。安倍のマスクと10万円とキャンペーンに批判的なのです。

 問題はワクチンです。治療薬の開発です。何としても自国内で開発しなければなりません。安倍政権はそれに向けて、国運をかけた支援をすべきなのです。

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                 夏は 青い空に白い雲を浮かばせ 

                 私の歎きを謳ってくれる

                 底知れぬ深みから 青空は白い雲を呼び

                 私に寄り添わせてくれている

                 さあ、わが悲しみよ 頭を上げよ

                 すべては 喜びの裏返しではないか

 

2020年7月20日            寂聴さん

 「ゴーツートラベル」が施行されたら京都か、東北か、迷っていましたが、その甲斐もなくなりました。京都の場合は大好きな大河内山荘を第一に、続いて近くの寂庵を垣間見てこようと思っていました。今週の去る雑誌で97才の寂聴さんとお付きの世話人山尾しおりさんの対談がありました。献身的な看護を続ける山尾さんに寂聴さんは「あなたのお蔭」と言い、山尾さんは「私があるのは先生のお蔭」と感謝していました。寂聴さんは、丁度、7年前に胆嚢癌を患います。その痛さに耐えかね「神も仏もない」と叫んだのは有名です。90才で手術はない、という病院に対して「先生は耐えられるからお願いします」と執拗に迫ったのが山尾さんです。年寄りに欠かせない、として上等な牛肉を毎日食卓に上げているのも彼女です。

 徳島の仏具店に生まれた晴海さんは、東京女子大卒業後、結婚して一児をもうけますが、離婚となり、数々の男性遍歴があって50才の時、今東光を仏師として中尊寺で得度し、寂聴と命名されました。その後、奥嵯峨野の昔の処刑地に寂庵を建て法話を一般公開しています。私が仕事で岩手へ行ったとき、二戸だったかの寺で寂庵さんの法話に接したことがあります。笑わせ上手な話しぶりで、質問にも丁寧に答えていました。流石だ、と思いました。以来、私も寂庵ファンでいるわけです。

 週刊朝日には、時折、84才の横尾忠則さんと、寂聴さんの往復書簡が掲載されます。先ず真っ先にそこを読みます。97才で良くそこまで頭が回るなあ、と感嘆することしきりです。人間の寿命は、上手に使えば120才まで生きられるように、神さまが設計下さっているそうです。平櫛田中という彫刻家は105才の時山に分け入って次に使う仏像に適する樹を探し歩きました。生木を切り倒し、彫刻が出来るためには乾燥しなければなりません。それにはあと5年かかるそうでした。見上げたものです。

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       初夏のいちじるしさは

       空の碧をつんざいて

       横に流れる白い雲だ

       何を語っているのか 凜々と

       気高く 静かな雲だ 

 

2020年7月19日               食 料 難

 

 日照りの時は涙を流し、寒さの夏はオロオロ歩き、、、、宮沢賢治の「雨にも負けず」の一節です。今は梅雨時とはいえ確かに天候は異常です。昨日も、一昨日も、一昨昨日も雨でした。しかも、寒いのです。中国奥地で発達した巨大な不連続線は日本列島まで犯しています。ということは、作物を始め稲作に良い影響を与えていないことを意味します。今が旬の長野の「丸なす」の味が恋しくて、近くの5,6軒のスーパーを探し回りましたが全くの徒労に終わったため、長野からわざわざ取り寄せたのでしたが、期待した味がありませんでした。ということは、現在の気候がこのまま続けば、稲の作柄に影響するのです。日本国内では、米は余り気味であっても、秋の収穫が期待できないとなれば、米の値段はグンと上がること請け合いです。

 折から、中国が世界の食糧の爆買いを始めた、という情報が入ってきました。遙かヒマラヤに端を発する北の黄河、南の揚子江の流域の都市は、この一ヶ月水浸しです。重慶、武漢、南京、西安の都市はビルの一階部分まで水浸しで、海辺の都市・上海までもが被害に遭っています。当然ながら、奥地の穀倉地帯も影響を免れないため、一部地区では食料庫の強奪まで起きているようです。14億5000万人もいる中国国民の内6億人が水害被害を受けているので、このまま推移すれば中国は食糧危機に陥るでしょう。よって、世界の食糧の爆買いを始めたのでしょうが、迷惑なのは爆買いされる国々です。当然ながら米・小麦・大麦・玉蜀黍などの値段が上がります。中国発のコロナで苦しめられている世界の国々は、これから食料によっても苦しめられるのです。

 数年前にポーランドへ行ったとき、首都ワルシャワで巨大な建物を見ました。そこにはヨーロッパ中の各国のトラックが集結していました。「一帯一路」のお蔭でそこへ中国発の長い連結の貨物列車が到着しました。はるばる天山山脈を越えてたどり着いた中国産品を積んでいました。各国のトラックは奪うように品物を持ち去りました。空になった貨物車に、一体何が積まれたと思います? ヨーロッパ産のワイン、バター、チーズなどの乳製品です。中でも大量に積まれたのは幼児用の粉ミルクです。中国の粉ミルクはヒ素が混入されていて、粗悪品だからです。中国の子どもたちはヨーロッパのミルクを飲んで育っているのです。

 

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             われらは  影絵

         舞台はこの地 観客は天空

         右往左往する演技を 昼は陽の光が

         夜は月光が 影を落とす

         走馬灯のような その空しい演技を

         天空の星たちは 見ている

         毎日 飽きもせず      

 

2020年7月18日                      東京除外

 「ゴーツートラベル」の実施が数日後に迫りました。ここへ来てこの企画は「東京除外」で決まりそうな気配です。東京都民は参加できない、他地方から東京に来ても、来るのは自由だが補助の対象にはならない、というのです。それでも尚、感染は拡大するから実施は延ばした方がいい、という議論も他方にあって、新聞・テレビの喧しいことといったらありません。

 例えばデイズニーランド。ここは千葉県の浦安市・舞浜に位置しているので補助の対象に入ります。莫大な含み資産を持っているとはいえ、この決定にホットしていることでしょう。私の長男はこのオリエンタルランドの子会社の社長ですが、さぞかし、喜んでいることでしょう。

 一方、東京都民の心境は複雑です。私も都民の一人ですが、折角、この企画の恩恵に預かろうと、旅行プランを練り始めていたところに、この決定です。公費による旅行補助がオジャンになったのですから、憤懣やるかたなし、です。

 コロナ、コロナ、一辺倒の連日の新聞、テレビ、雑誌の報道に接しながら、私はツラツラ考えます。コロナはそんなに甘いものじゃない、この騒動はこれからが本番だ、と。なぜなら、コロナのワクチンが未だに発見されていないからです。日夜取り組んでいる研究者の歎きが伝わってきます。この病原菌は捉えどころがない、と。つまり、この菌は絶えず変容するからです。これこそ、というワクチンを発見しても、コロナ菌は瞬く間にそれを乗り越え、カタチを変えて悪さをするらしいのです。一つの特効薬で閉じ込めることができない、それがこのコロナ菌だと云うのです。東大感染研の児玉竜彦教授がそのことを声を大にして警告しています。つまり「ワクチンを過信するな」と。

 そうだとすれば、コロナ禍はこれからが本番になるのではないでしょうか?マスクを付け、三密を避けてもコロナ菌は絶えず変容しながら感染を繰り返すのではないでしょうか。それを思うと、私は絶望的な気持ちになります。恐らく、私が生きている間、コロナは暴れまくるのではないか?と。

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               宇宙の真理はねえ

        誰にも不可知なのだから

        そんなに心をくだいて 何になる?

        悩まないことだよ

        天に任せてしまうことだよ

        君に降りかかっている宿命は

        どのみち 避けられないのだから

 

2020年7月17日           苦境の東京女子医大病院

 東京女子医大病院が、400人余りの看護師を解雇する、と報じられています。外来患者が激減し、経営が成り立たなくなったからだそうです。確かに、人々はコロナ感染を恐れて病院へ行かなくなりました。

 私自身、何かあると女子医大へ駆け込んでいました。不整脈が頻繁に起きた時は心臓外科の谷崎医師のすすめで、心房粗動を阻止する手術を受けました。谷崎先生は今は府中の榊原記念病院に移っているので、今後、心臓で何かあったら谷崎先生の元へ駆け込むのですが、尿管結石で苦しんだ時も女子医大でした。胆嚢炎で救急車でここの病院へ運ばれたこともあります。一過性脳虚血症の時も、神経内科の宇野先生にご厄介になりました。

 つまり私の身体に関するカルテのほとんどが女子医大にあるのです。その病院が今、「患者が来なくて困っている」「夏期ボーナスは出せない、人員削減に踏み切る」とは一体どうしたことでしょう。憎っくきはコロナであり、風評被害です。

 ここ3年間、私は大きな病気をしていません。80才の坂を超えた途端に元気になってしまいました。私にとっては喜ばしいことでも、女子医大にとっては嬉しくないでしょう。少しでも病院のお役に立つため、コロナ感染を恐れず、女子医大へ日参しようか、とあらぬ事を真剣に考えています。

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             九重に広がる 空の果ては虚無だ

      地の上の 形あるもの

      すべては空しく 土に還る

      生と滅との間の

      僅かな 私の時間

      せめて 楽しもうよ

      命とて 虚無なのだから

 

 

2020年7月16日          奇人棋士・加藤一二三

 朝日朝刊掲載の「人生の贈り物・語る」が政治学者の御厨貴から将棋棋士の加藤一二三に替わりました。丸顔の独特の風貌と語り口で知られた元将棋名人です。その独自性からタレント的にテレビに出ていましたが、余りの個性の強さのせいか、今はなりを潜めています。

 朝日の社屋が有楽町の日劇隣りにあった頃、朝日主催の名人戦が始まると、正面入り口に屋台が組まれ、将棋の大盤解説が年二回行なわれてきました。その櫓に登って、解説者の云うとおりに駒を動かしていたのが、この加藤一二三青年でした。

 正面玄関の右が広告部、左手が販売部、突き当たりが業務局長室でした。大盤解説の時期になると、販売部の裏の小部屋が関係者で一杯になります。困ったことにその小部屋は私のデスクの真後ろです。五月蠅いのなんの。将棋五段で朝日名人位を持つ永井さんは、局長室よりその小部屋にいる方が長いほどでした。升田幸三も常連で、永井さんは大山康晴より升田将棋を好んでいました。ついでに申せば、将棋名人戦が朝日主催になったのは、枡田・永井の関係があったからこそ、と云われています。

 いま、将棋界は17才の高校生棋士藤井聡太の出現により、有史以来の盛り上がりを見せています。元名人の加藤さんはこの17才棋士に負けたので、引退したのでした。奇人とも云うべき加藤一二三さんを、永井さんは可愛がっていました。再度の朝日の登場です。きっと、永井さんは喜んでいるでしょう。 

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     この世の営みを終えて やがて私は旅にでる

     旅であるから 歩き続けるにちがいない

     休み場所はあるか?

     終点はあるか?

     千年後 私が地中から芽を出し

     一本の樹か花になるという希望は

      持たせてもらえるのだろうか?

 

 

 

2020年7月15日        「補助」ということ

 あと、一週間すると、国が主催する「ゴーツートラベル」というキャンペーンが始まります。そんなに家にばかり閉じこもっていないで、旅に出てお金を使って下さい。そうすれば一日2万円ほどを国が補助して差し上げます、ただし、2万円のうちの6千円はクーポンです、それでお土産を買って下さいというものです。「国家が個人の旅行に補助金を出して行って貰う」、前代未聞の施策であり、これもコロナのお蔭でしょうが、地方が「諸悪の根源は東京にあり」としている現状を考えると、この機に乗じてコロナが拡散してしまう事態も考えられるわけで、はて、結果はどうなるのでしょう。

 補助という言葉は現役の時、いや、と言うほど使いました。販売店を鼓舞して部数を増やすために補助金を出すのです。経営補助、特別補助、臨時補助などなど、、そのためには「協議書」というものを書かねばなりません。どれだけ書いたものか、、、、管理職になってからは、提出された「協議書」に難癖を付ける立場です。どれだけ部下に恨まれたものか、、、、

 ものは試し、国の補助金を貰って旅をする経験は始めてでもあるので、この企画に乗ってみようか、と思っています。東北、或いは京都と思ってはいますが、例えば、今まで感染者ゼロの岩手県へ行ったら、さぞ、周囲から白い目で見られるでしょうなあ。ここは思案の為所です。

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      若い日の絵巻物は はや、閉じてしまった

      命の春は いつの間にか暮れてしまった

      青春は いつ去るともなく 過ぎ去っていった

      だが 肉体は衰えつつあっても

      私の心は 昔にもまして若々しい

      絵巻物は これからが佳境といえそうだ

      そうとも 青春は心のありようだ 

 

2020年7月14日                 パリ祭

 7月14日の今日は「パリ祭」です。今の若い人はパリ祭と言ってもピンと来ないかも知れません。一昔前は盛大でした。盛り場には若人が集まってシャンソンを歌いまくりました。そのまた一昔前はロシア民謡の歌声喫茶でした。時は移ろい、今、ロシア民謡も、シャンソンも皆で歌うこともなくなりました。

 銀座五丁目の泰明小学校近くの地下に「蛙たち」というシャンソンバーがありました。30代だった私の行きつけのネグラでした。土岐雄一郎というピアノの名手が私の先生でした。土岐さんは芸大ピアノ科出で、どんな曲でも、相手が調子を外しても間髪を入れず合わせてしまう名人でした。私がその時、土岐さんに習ったのはイブモンタンの「兵士が戦場へ行くとき」です。50年経った今も私はこの曲を土岐さん流の装飾音符を入れながら暗譜で弾くことが出来ています。

 その小さなネグラには、しばしば俳優の森雅之が来ていました。片隅に一人ぽつねんと座って喧噪を楽しんでいました。「蛙たちは」その後コリドー街の二階へ引っ越します。シャンソン歌手の卵達のステージが一時間毎にありました。「桜の実が熟するとき」、「パリの空の下」「100万本の薔薇」などがはやり始め、ステージ制になり、木戸銭も高くなりました。カンツオーネが流行りだしたのもこの頃です。私が好んで聴いたり弾いたりしたのは、ドメニコ・モドーニヨの「ボラーレ」です。

 これは古い映画「ヨーロッパの夜」の中で歌われてから世界的に広がって行きました。ハリのあるモドーニヨの美声には惚れ惚れしてしまいます。実はこの古い映画を私はテープでは持っているのですが、DVDで見たいとここ10年来探しているのですが、どうも、絶版になっているらしく、未だに手に入いっていません。しかし、諦めずに探しまくります。

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   毎日が過ぎてゆく

   目まぐるしく 過ぎてゆく

   未来は たちどころに現在になり

   現在は 一瞬のうちに過去になる

   もし 赦されて自由にできるものなら

   一言 云ってみたい

   「時間よ 止まれ」

 

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