最近のエッセイ

 

2017年2月23日             九 条 葱

 今日、済生会川口病院で尿管結石除去後のCT写真を撮り、「異常なし」の診断結果をもらい、帰りに川口ララ・ガーデンのスーパーに寄ったところ、野菜売り場で九条葱を見つけました。この京都のネギは東京では滅多にお目にかかれません。しこたま買い込み、ついでに買った広島産の生ガキと一緒に味噌仕立ての鍋にし、大事に冷凍しておいた越後の餅も最後に入れて芋焼酎と共にいただきました。この冬の時期、葱が実に美味しい。餅との相性もいい。黒毛和牛のすき焼きの時は九条葱の三倍は太い下仁田ネギが欠かせません。深谷のネギもいいけれど一寸下品な味わいです。

 浪人、学生、留年の6年間と単身赴任の2年間、そして、連れ合いが倒れ、車椅子になってからの6年と亡くなってからの10年間、私は自分の口は自分で糊してきました。つまり、今日はどんなものをどんな風にして食べようか、というのが日課となり、楽しみとなっているのです。以前なら新鮮なイワシを見つけると10匹ほど買ってきてハラワタを裂き、叩いて団子にし、味噌を加え、大鍋で煮た大根人参を加え、イワシのつみれ汁を作ったのですが、その元気はもう無くなりました。余ったつみれ汁は小分けにして冷凍保存し、これも冷凍しておいたカボス果汁と共に朝の雑炊にするという面倒をしなくなって久しい。なるべく簡略にして美味い物を工夫する……寄る年波のせいでしょうか。だからと言って、レトルトものや、即席ものは一切遠ざけます。せいぜいその日にスーパーなどで作られた味の薄い、油の少ない惣菜ものだけは許容範囲にしています。

 マヨネーズやケチャップは、同居している三男のための料理には使っても、自分のものには使いません。油は良質のオリーブ油、塩は殆ど使わず、醤油だけは特撰ものを買ってきます。車で行ける範囲にスーパーは7、8軒あるのですが、それぞれ特徴があるので、その日の好みで店を選びます。食材選びは実に楽しい作業です。せいぜい2〜3000円ほど買い込みます。月額6〜9万円。衣料品や耐久消費財など一切買わないので、後は光熱費、税金、医療費などが出費のすべてです。

 ところが、この2月から年金が大きく目減りして振り込まれてきました。所得税、区民税が上がりました。後期高齢者の医療費負担分も上がりました。介護保険など、世話になる積りなどサラサラないのに1万70000円が無条件で差し引かれます。厚生年金は、かつては月額、満額の24万円あり、控除額は3万程度であったのに2月からは5万を超えました。確かに後期高齢者医療費には多大のお世話になっていますが、これからの負担増はバカになりません。その上、企業年金も減額されています。私は朝日新聞退職金4000万弱のうち2000万円を年金に回し、月額15万あまり貰ってきましたが、今は減額されて月額12万です。この年金は60歳から貰っているので80歳のいまはおつりが出て、古巣に迷惑を掛けています。心苦しい限りです。このほか、若い時から「有限会社中沢商事」を設立し、今も三世帯分のアパート経営をしているので、その家賃収入のお蔭で海外旅行など出来ているのですが、やがては建て替えか、売るかしなければなりません。でも、その積立は出来ていません。

 有難いと思うのは、お蔭様で日に2〜3000円の食費をかけてもさして困らないことです。これは感謝以外の何もでもありません。

 

2017年2月21日            大 学 受 験

 1月末から3月中旬にかけて世の中は受験シーズンたけなわです。双子の男女の孫がその渦中にあるので爺さんとしては心穏やかでない日々が続いています。最初に男の孫から「国学院はダメでしたが国士舘は受かりました。本命の埼玉大学、頑張ります」という知らせがありました。大いに褒めてやりました。続いて孫娘から日大芸術学部デザイン科に受かりました。数日して、本命の武蔵野美術大学に受かりました、という弾んだ声がありました。「ヤッター!」と爺さんは不覚にも涙を流しました。ムサビはいい大学です。その人間の持っている個性を伸ばしてくれるところです。作家では村上龍、赤瀬川源平、斎藤綾子、内館牧子…イラストレーターでは山藤章二、シマズ、相沢タロウイチ、井川ゆり子、やくしまるえつこ、宮沢タク、佐野洋子、いわさきゆうこ、くまさんこと篠原勝之、モデルのKIKI、ろっぺいナオマサ、チベット音楽の草野正之、古くは水木しげる、辛酸なめ子、見城美枝子、思いつくままに上げてみても卒業して活躍している名前が次から次ぎと出て来ます。それに、映像にたづさわっている人の何と多いことか!そうそう、落語家の林家たい平君もムサビでした。

 この大学は何らかの才能を持った学生が集まるところで、大学はそれぞれの学生が持つ多彩な才能を開花させているように思います。孫娘が今後どんな才能を開花させるのか、恐らくそれを見定めることなく爺さんは黄泉に下るのでしょうが、これから孫娘が生きてゆく取っ掛かりを掴んだことだけは確実なので嬉しくて仕方がありません。旬日して孫息子の埼玉大学の結果発表です。この孫息子の特徴は日本歴史に実に詳しいことです。つまり、日本歴史の研究者になること、出来れば博物館の学芸員になることを目標にしています。地味ではあっても、それが好きだという学究肌の持ち主です。「何としても合格させてやりたい」爺さんの願いはそれに尽きます。

 

2017年2月16日             東芝の哀れ

 子会社、孫会社を含めて20万人余の社員を擁する東芝が債務超過に陥り、一部上場会社から二部上場に格下げになりました。懸命に組織を支えてきた社員の落胆ぶりは想像に余りあります。

 直接の原因はアメリカの原発会社であるウエスチングハウスの買収に舵をきったところ、買収後に隠れ負債が発覚し、7600億余りの負債を抱え、債務超過に陥ったことです。経営者の責任は重大ですが、それを粉飾決算で隠し通してきた歴代の経営者も問題でしょう。

 そもそも、原発が世界的にみて商売にならなくなったのは、福島双葉原発のメルトダウンがそのきっかけでした。もし、あの事故がなかったら原発を国策とする日本国、そしてその国策の推進役である東芝は現在とは違った姿になっていたでしょう。

 誠に恐ろしき神の鉄槌でありました。

 日本に54基もの原発ができ、東芝がその設置に一役も二役も買って出た遠因は読売新聞創始者で電源開発総裁を務めたの正力松太郎であり、旗振り役の電通です。「原発は安全である」という広告を地方紙、地方テレビの広告で宣伝した総金額は1兆3800億円にも上ります。自民党政府も推進役を務めました。この膨大な金の出所は我々の納める電気料からであり、われわれが収めた税金からでもあります。東芝の経営者は「国策として推進される原発事業は日本はおろか世界的需要が高まる」に違いない、と経営判断し、十分な調べもせずに、ただ名前だけ有名なウエスチングハウスの買収に踏み切ったアマさは詰られても、それは自民党政府の責任でもあります。

 巨額の融資を既にしている銀行団はいま、追い貸しをするかどうかで揉めにもめています。既に子会社を分社化し、売れるものは売り、3000億あまりの債務超過に陥っている東芝を世間は見放していいものでしょうか?

 見放してはならない、と私は思います。政府保証で銀行団から追い貸しをさせるべきです。すべての始まりである読売新聞も責任を感じ、社屋を質に入れて追い貸しに協力すべきです。

 学生時代、私は武蔵野音大ピアノ科のUさんとピュアーな付き合いをしていました。本人は私と結婚できるものとと思っていたようでした。「沖縄」へ行くにあたって彼女を新宿に呼び出し「あなたとは結婚できない」と告げました。彼女は雨の降りしきる中、コートを翻し泣きながら走って去っていきました。旬日して彼女は東芝の社員とお見合いし、二人の男の子に恵まれました。彼女のためにも、日本国は東芝を市場から去らせてはならない、そう思うのです。     

 

2017年2月13日          ハチャメチャ大統領

 2時間の時差があるチェンマイのドッケオでも、日本のテレビは録画で見られるので、1月20日就任したトランプ大統領に関する報道は余すところなく承知しています。7か国からの入国禁止の大統領令に反発した地方法曹の仮処分に反発して再び大統領令がでそうなこと、トランプが指名した閣僚の半数近くが議会の承認が得られないこと、昨日はトランプ所有のリゾートゴルフ場でゴルフをしたこと、それも18ホールで飽き足らず27ホールを回ったこと、驚きの連続です。このゴルフ場は入会金2000万円、一泊20万円もします。日米首脳同士のゴルフは安倍晋三の祖父岸信介が時の大統領アイゼンハワーと廻って以来でしょう。ゴルフをやって悪いとは言いません。しかし、ハチャメチャ大統領と、親しげにゴルフをやる日本という国を世界はどんな目で見るでしょうか?岸信介による安保闘争のときのわれわれ学生の合言葉は「米国一辺倒を排せよ」でした。

 私は少なくとも大統領の評価の定まらないうちに、日本の代表者にゴルフなどやって欲しくなかった、と心から思います。両国にまたがる経済、金融など喫緊の課題は副大統領と麻生副総理に任せたということですが、それは責任逃れというものです。

 私はこの数年でタイ、ミャンマー、ベトナム、カンボジア、ラオス、マレーシア、シンガポール、台湾、上海、北京を歩き回ってきましたが、走っている車の80%は日本車でした。ドイツの車はたまに見かけてもアメリカ車を見ることは殆どありません。何故か? 燃費も性能も極端に悪いからです。アメリカ車は市場から駆逐されて久しいのです。車産業であれほど栄えたアメリカのデトロイトは廃墟になっているのです。それなのにトランプはアメリカ車を買え、と居丈高です。日本もその内アメリカ車を押し付けられるでしょう。

 トランプについては、もう一つ、大きな懸念があります。アメリカのイスラエル領事館の問題です。イスラエルの首都はイエルサレムですが、アメリカの領事館はテレアビブにあります。領事館をイエルサレムに移す法案は半年ごとにアメリカ議会に提出されその度に先送りされてきました。それはこの十数年繰り返されています。もし、実行されればパレスチナを含めてアラブ諸国がアメリカに対する大規模テロを勃発させるでしょう。アラブ諸国はこぞってパレスチナの味方であり反イスラエルです。ところがトランプの娘イバンカの夫はユダヤ教徒であり、イバンカも最近ユダヤ教徒に改宗しました。トランプ一族は親イスラエルなのです。

 もし、イエルサレムに領事館を移す大統領令が出されればアラブ諸国対イスラエル・アメリカの戦争が起きる可能性があります。これは佐藤優が予言しています。核が飛び交うかも知れません。これにロシアが参戦すれば聖書の預言通りになります。イスラエルから真北の国が火の玉を燃やしイスラエルに侵攻する、と2300年も前に旧約聖書のエゼキエル書に書かれています。聖書のある部分は予言の書でもあります。ハチャメチャ大統領の自制を促したいものです。

 

2017年2月12日          二台目のキーボード寄贈

 今年の冬の日本海側は豪雪に苦しんでいます。新潟は言うに及ばず、富山、金沢、福井、鳥取、島根、北九州など、いたるところの国道で交通が遮断されています。雪の影響を受けないで済んでいるのは関東平野ぐらいでしょうか。寒いけれど連日青空に恵まれています。

 チェンマイでの約3週間は連日半袖暮しでした。気温は平均して25度。これは当地が常夏の島ハワイと同じ西経18度に位置しているためです。そのため、街中ファランで溢れています。フォーリナー、つまり外国人をタイの人々はファランと呼んでいます。ファランの男性はランニングシャツに短パン、女性はブラジャーとホットパンツだけでほぼストリップ状態。目のやり場に困ります。

 2月1日早朝、堀田さん、林さん、それに私の三人は日本から持ち込んだ4台のキーボドのうち3台目をニッサン・マーチに積み込んでパイの町へ向かいました。町外れに位置する小数民族の小学校に日本のキーボードを寄贈する為です。昨年一台目を寄贈した時は学校あげての歓迎を受けました。(その時の写真や動画は既にホームページに掲載済みです)今回は「大げさにしないで欲しい、放し飼いされている生みたてタマゴを少々貰えればありがたい」と堀田さんが学校に連絡してもらっています。チェンマイーパイ間は直線距離にして128キロですが、途中、急峻は山を4つほど越えねばならないため約4時間を要します。往路は病み上がりの私の運転です。青空に映える常緑樹の景観を楽しみながら慎重に運転しました。小柄な女校長先生はバンコック出張で不在でしたが、すでにお友達になっている「ドラえもん」先生、シズカちゃん先生、そして、あらたに赴任した音楽担当の男性先生が迎えてくれました。嬉しかったのは20人余りの小学生が待機していて、次々にキーボードにこわごわ触って音を出してくれたことです。恒例により私が伴奏して全員でタイ国歌を歌いました。アンコールがあったので2度やりました。至福の時が流れました。今回の旅の最大の目的が達成された瞬間です。

 

2017年2月11日          チェンマイ・バンコック病院

 1月11日、済生会川口総合病院で尿管結石を除去するための「衝撃波療法」を受けました。一泊二日の入院でしたが、石は粉砕されストーンと膀胱に落ちたようです。あるお婆さんが言いました。私の場合は「バァチャーン」と音がしました。ある坊ちゃんの場合は「ボッチャーン」と音がしました。手術は成功でしたが時として血尿が出ます。一週間続きました。18日出発のチェンマイ行きは不安でしたが「エーイ、ままよ」と出発しました。案の定、歩いたり、重いものを持ったりすると血尿です。思い余ってチェンマイでは最高級のバンコック病院泌尿器科へ行きました。幸い、日本語通訳が常駐していて、抗生物質の処方、CTを撮るなどしてもらいました。海外旅行の際は決まって保険に入っていくのですが、継続治療の場合は保険が適用されません。しかし、国内に戻って国民保健へ申告すれば三割負担の扱いにはなります。それから数日後のある朝、強烈な眩暈と吐き気に襲われました。原因が分かりません。またまたバンコック病院です。一泊入院を勧められました。不思議なことに翌日にはすっかり回復してしまいました。一泊の入院費は驚くなかれ何と32000バーツ、9万6000円です。幸い、この入院は突発性のため、病院と保険会社が「保険は適応される」と判断してくれました。しかも、帰国して申請すれば7割が戻ってくることが分かりました。何のことはない、いわゆる「焼け太り」です。保険会社と国家には誠に相済まぬことです。

 何故、強烈な吐き気と眩暈に襲われたのか? 前日午後、季節外れではありましたが重さ3キロのドリアンを買い込み、しこたま食べ、夜にはワインを飲んだこと、これがどうやら犯人らしいのです。現地ではドリアンとビールを一緒に食しては「死に至る時もある」と云われています。ワインとてアルコールです。他にもにさん原因らしきものがあるのですが、今度行ったとき、確認のため同じことをやって見ようと思っています。

 團伊玖磨のエッセイ「パイプのけむり」に、当時、成るほど、と感心した一文があります。八丈島の海の見える断崖に建つ「仕事場」でのこと、ある日強烈な蕁麻疹発作に襲われます。死を覚悟したほどの症状だったそうです。彼は、発作前数日間に料理して食べたすべての同じ食材を試しにかかります。そして、瓶詰の「あゆのうるか」が原因であったことを突き止めます。再び発作で苦しんだのは言うまでもありません。私は痛く感心してしまいました。

 2月8日、帰ってきた翌日、川口病院へ行き手術台に横たわり、尿管に挿入されバイパスの役目をしていたカテーテルを抜いてもらいました。10センチはあろうかという代物で、一瞬、快感を伴い、ソ奴は体外に排出されました。カテーテルは昨年10月、大久保病院の白川医師、石剛丘医師に依って緊急挿入されたのですが、4カ月間の苦しみから漸く解放されました。この3日間快調そのものです。ありがたいことです。

 

2017年1月15日           アーテフィシャル・インテリジェンス

 アーテフィシャル・インテリジエンスとは、いま、流行りのAIのことです。頭文字をとって略されていますが、日本では人工頭脳と訳されています。コンピューターの飛躍的発達により、人間の知性、知識、知能をはるかに超えた、つまり人智を超えた領域にまで最近のコンピューターは進歩しました。コンピューターは今や三次元、四次元の造形まで行ってしまいます。あの平面でしかないコンピューターの中で立体が作られているのです。しかも、読み込ませた情報をその優劣によって選別し、新たな情報を作り上げてしまうのです。人間の頭脳がそうするように取捨選択を行い、より高度な情報を創造してしまうのです。例えば、抗生物質です。或る患者が運び込まれたとします。その病原菌に最も有効な抗生物質を見つけ出すのに医者は苦労します。抗生物質は何千種類もあるからです。AIにかければ数秒間でそれを見つけ出してくれるそうです。

 囲碁、将棋、チエスなどの勝負事のの世界では、既にその分野での最強の打ち手にコンピューターは勝ってしまうほどになりました。囲碁でも将棋でも、東西古今の棋譜をコンピューターに読み込ませます。内蔵された何千万局の中からコンピューターは最善手を瞬時に選び出し、打ち手に教えます。三秒とかからないそうです。将棋は日本独特のものですが、最強と云われるプロ棋士が負かされました。チエスでも世界一のロシアの若者が負かされました。囲碁ではこれも最強と云われた韓国の棋士が負け越しました。日本では趙治勲が挑みましたが今のところ一勝一敗です。負けるのが分かっているからどの棋士もやりたがりません。

 発達したAIは、数百人の人間の顔の中から狙ったただ一人の人間を識別するそうです。これを知って私は想像逞しくしました。もしかすると、人類の戦争のカタチが変わるのではないかと。敵国に核弾頭をぶち込み、罪もない民衆を皆殺しにするような戦争は過去のものになるのではないかと。

 戦争というものは、いつの時代にあっても、国を束ねる為政者の意地の張り合いに起因します。民衆というものはいつの時代でも平和であることを望んでいます。ならば、為政者同志だけで戦わせたらいいではありませんか。もし、AIが武器の分野にまで広がれば、民衆に害を及ぼす大量破壊兵器など過去の遺物になってしまうでしょう。

 いま、世界の各国は争って核武装しています。加えて核武装を操作するコンピューターを破壊するためのサイバー戦略の構築に躍起です。人工頭脳は、もし、これが可能になると戦争のカタチが瞬時に替わること請け合いです。

 私の想像ではこれからの戦争のカタチはこうです。先ず、ドローンが必要です。空中を飛び回ることが出来るアレです。農薬散布や遠隔地輸送に使おうか、と今一使途が定まっていないようですが、先ずこれを超小型化します。現在、小鳥位まで小さく出来ているようですが、もっと小さくハチぐらいの大きさにします。AIはその位の大きさにまで縮小出来るそうです。AIを搭載したドローンは人間の識別など簡単に出来るようです。顔の輪郭、髪カタチ、色、発散する臭い、目、鼻、口… そして、ドローンには爆薬、もしくは毒薬を搭載します。相手国に侵入し、この男はと思う周辺でドローンを放ちます。彼はたちどころに暗殺されます。ゴルゴ13は高性能ライフルでしたが、ドローンなら発射音はしません。これを双方がやりだしたらどうなるでしょう。

 カクシテ、戦争をしたがっている両国の人間は、この世から順じ抹殺されていきます。メデタシ、メデタシ。

 トランプとプーチンと習金平と安倍晋三に、この新兵器を使ってみたいですなあ。アッ、ハッハッ。

 

2017年1月14日                                     傘 寿  

 私が自我に目覚めたのは中学生の時です。自分は何のために生まれて来たのか、生まれた以上何をなすべきなのか、自分とは何ものなのか?
 煩悶が始まり、高校一年の時「自我の追求」という小論を書き上げ、それが長野高校の文芸誌に掲載されました。広大な宇宙に果てはあるのか、人間の身体を構成するDNAとは何なのか、不思議で不思議で堪りませんでした。

 小学校で三年間受け持ってもらった上野雄二先生は、大学出たてでしたが哲学者で思想家で画家でもありました。先生はロマンロランを訳した片山敏彦先生や、芥川賞作家の金原リサのお爺さんに当たる金原省吾先生に私淑 していて、お宅に伺っては様々な個人授業を受けました。中学校の三年間を受け持って頂いた白鳥英人先生は、決して表には出しませんでしたが熱烈なキリスト者でした。先生の影響もあって長野教会に通うようになり小原福治先生、藤沢一二三先生の薫陶を受けました。 教会には長野柏与印刷の専務清水栄一さんもいらして、調べてみると遠縁に当たることから先生が主催するカシヨ塾に入れてもらい、英語の特別授業をしてもらったり、数々の登山に連れて行ってもらいました。私の後の塾生には劇作家の別役実君がいます。山行きには慶応大学生の永井謙君も加わりました。謙君は永井大三さんの一人息子です。永井さんは朝日新聞常務取締役業務局長で読売の務台、毎日の梅島と共に新聞界の三巨頭と云われていました。

 早稲田の学生の頃、都立大学の永井宅に伺って謙君と将棋を指していたのですが、就職に当たって、当時、日経新聞の関係者によって設立された「海外新聞普及会社」への推薦を永井さんに頼みに行きました。貧乏学生でしたから、学校が終わると6時から11時まで日経の発送部でアルバイトをしていたのです。

 永井さんは「海外新聞は朝日の子会社でもあるが、朝日新聞を受けなさい」とおっしゃるのです。 長野から清水さんが上京して口添えしてくれました。永井さんの奥さんは稲子さんと仰って背の高い美人ですが、その稲子さんの兄さんの石塚俊三さんの奥さんが清水さんの姉のきよさん、という縁続きでありました。

 本当は編集を受けたかったのですが、止むをえません、業務で受けました。受験者450人中32番だと永井さんが教えてくれました。お宅へ呼ばれ、「面接のときは 俺がこう聞くからこう答えろ」と云われ、その通りにしたら8人の合格者の中に私の名前がありました。爾来、私は朝日新聞販売網の増強のために全力を投入してきました。入社の頃の朝日の部数は350万部でした。それが、830万部までになりました。販売という地味にして人が余りやりたがらない仕事でしたが、そこにはそれなりの面白さもありました。紙を媒体とする文化は十数年前に始まったインターネットのお蔭で、今や衰退産業になりはしましたが、時流というものは絶えず変化するものです。止むをえません。仮に紙による文化が留まるところを知らないほどに栄えたら、世界の森林資源はどうなったか? 炭酸ガスを吸って酸素を吐き出してくれる植物が枯渇し、人間の生存が脅かされるに違いありません。神さまは味なことをおやりなさいます。

 朝日新聞定年後、5年間の朝日学生新聞勤務を含めて、曲がりなりにも社会人としての務めを果たすことが出来ましたが、つらつら考えてみると、こうなったのも偶然に偶然が重なった結果であることが分かります。偶然の連なりが無ければ、私は別の道をたどったに違いありません。

 ただこれを、偶然と捉えるか必然と考えるかが問題です。 

 聖書の最初は創世記です。その第一章は「初めに神は天と地を創造された」とあります。そして第一日に光と闇とを区別され、二日目に空と水を作り、三日目陸地を作り、4日目に植物を茂らせ、5日目に動物を作り、6日目に人間を創った、とあります。そして7日目はお休みしました。安息日です。

 「初めに神は天と地を創造された」をその通りと心から頷いてキリスト者になった人たちは大勢います。内村鑑三、新渡戸稲造、新島襄、矢内原忠雄…  この反対が「天と地は単なる偶然の結果であって、そこに何ら意志はない」とするのが進化論です。日本の学校の教科書はこの進化論の立場に立っていますが、欧米の教科書では進化論は一つの仮説として捉えられています。何故なら進化していく過程の化石が発見されていないからです。

 さて、ここからが明日の誕生日が傘寿となる私の本音です。私は私の存在を通して神の意志があることを認めます。私の存在は神の意志であり、神の意志の具現者として生かされて来た、とつくづく思うのです。80年間のあらゆる出来事を通じ、「ああ、面白かった、神さま有難う」と感謝の言葉を捧げたいのです。

 本当に、本当に80年間のこれまでの生涯、神さま、有難う。

 

2017年1月13日             新春パロディ(1)

 道路を暴走するのが18歳           道路を逆走するのが81歳
 心が折れやすいのが18歳             骨が折れやすいのが81歳
 恋に溺れるのが18歳             風呂で溺れるのが81歳
 歯を入念に磨くのが18歳             入れ歯を入念に洗うのが81歳
 餅が詰まっても吐き出せるのが18歳       餅が詰まったらあの世へ逝くのが81歳
 自分のことは語らないのが18歳         自分のことしか語らないのが81歳
 電話帳が友人で一杯になるのが18歳      電話帳が病院と医者、薬局だけになるのが81歳
 化粧を気にするのが18歳
           化粧をしなくなるのが81歳
 偏差値を気にするのが18歳          血糖値を気にするのが81歳
 ズボンのチヤックを上げるのを忘れるのが18歳
   ズボンのチャックを下げるのを忘れるのが81歳
 自分探しをするのが18歳           自分が探されるのが81歳 

 

                  新春パロディ(2)

 腰曲がる背筋はかがむ皺が寄る髪白くなる頭テカテカ

 目はかすむ耳は聞こえず歯は抜ける足はよろける口はフガフガ

 訊きたがるシャシャリ出たがる寂しがる出しゃばりたがる世話焼きたがる

 朝クスリ昼もクスリで夜クスリ病院通いが生きる楽しみ

 身の回り湯たんぽ膏薬老眼鏡尿瓶襟巻入れ歯のケース              

 

2017年1月12日            日本郵便は?

 1月18日から、またタイ国チェンマイに行って参ります。数年前に行ったとき「餅つき機」を持参したのでしたが、これがチェンマイの教会友の皆さんにうけて引っ張りだこになりました。ある方が借り受けたのはいいけれどトランスを焼き切ってしまいました。ドッケオにお住いの87歳の高田さんご夫妻、83歳で自伝を執筆中の元看護婦長の鍋谷さんら、皆さん、お餅が大好きです。

 今日、済生会川口総合病院から戻って、アマゾンで餅つき機を検索し、手頃なものを契約しました。昼ごろだったでしょうか。驚いたことに、5時間前に契約した餅つき機がいま到着しました!

 宅急便は実に便利です。クロネコヤマトも、ヤマトほどではありませんが佐川急便も留守だと何回でも、来てくれます。実に親切丁寧です。

 日本郵便の郵パックはどうか? 一回ベルを押して応答しないとそのままになります。再配達日を指定しない限り二回配達は稀で、このところどれだけ本局へ行って身分証明書を提示して受け取ったことか!消費者の利便性など全く眼中になくなっているのが最近の日本郵便ではないでしょうか。

 郵政民営化に舵を切ったのは小泉内閣でした。国有鉄道の民営化は中曽根内閣でした。国鉄はストがなくなり、料金は高いままだが発展を遂げています。文書は手紙にする手間は今はなく、インターネットになりました。即決、速断できるのがネットの特徴です。紙による情報伝達を担っていた文化の衰退が、郵政にも及んでいるのは明らかです。せめて年賀郵便ぐらいは、と期待しても年々減り続けているのが現状のようです。だから、値上げが発表されました。

 郵便局はそれぞれ細かな工夫を凝らし、いじらしく運営していますが、混んでいる郵便局など、すでにお目にかかれません。新聞や書籍と同じく、紙を媒体とする文化の担い手の衰退は郵便局にも及んでいることを、今回、イヤというほど知らされました。

 欲しいものが、注文して5時間後に届くことを郵政に出来るでしょうか?

 昨日、尿管結石除去のための衝撃波による手術を受けました。手術台にのっている私の腹部に衝撃波が浴びせられます。ピシッ、ピシッと音を立てる衝撃波は我慢できるくらいの痛みを伴います。することが無いので頭の中で音楽を鳴らし数を数えました。3876まで数えました。実際は4000発撃ち込まれたようです。終わった時は若干気分が悪く、その原因は血圧が上がったせいでしたが、「スッキリ感」はこの上なく鼻歌を歌いながら帰宅しました。次回は2月9日、尿管に残っている応急処置で昨年10月に挿入されたカテーテルを抜きに再び病院です。

 何はともあれ、私の身体機能は元に戻りつつあります。ご心配を頂いている皆さまにご報告するとともに、厚く、厚く感謝申し上げます。

 

2017年1月10日            100歳まで      

 昨日は囲碁の会とそのメンバーによる新年会が川崎でありました。朝日新聞の大先輩で、オントシ97歳と3か月になる竹市義弘さんと初手合いをしました。4子置かせてのハンデイ碁でしたが、見事に負かされました。感心したのは竹市さんが一手一手を深く考え、鋭い手を放ってきたことでした。いわゆる老人ボケなどこの方の場合微塵もありません。目標は東京オリンピックまで生きて観戦してからアチラへ逝くことだそうです。100歳を目指しているのです。

 どうしたら長生きができるのか? その秘訣は何なのか? 竹市さんは75歳の時、前立腺ガンを発症しました。手術を拒否し、女性ホルモンの注射だけでガンを克服してしまいました。強い意志を持つとガンの方が参ってしまうらしいのでした。

 私が朝日新聞に入社した時、業務局長は永井大三さんでした。その次が豊川正男さん。酒浸りの毎日のせいで50歳で亡くなりました。豊川さんは同じ東大の次年度入社の武市さんを重用しませんでした。専ら裏方役が多かった竹市さんでしたが、人生の競争では竹市さんは50年、豊川さんに勝ちました。

 平櫛田中という彫刻家は102歳の時、山へ行って自分が彫りたい木を探しました。生木は直ぐには彫れず乾燥が必要です。3年は掛かるそうです。103歳になった聖路加病院の院長日野原重明さんは、車椅子を使いながら回診して回っています。100歳以上の高齢者は全国に53000人もいるそうですが、今月の15日で80歳になる私にとって100歳はあと20年先です。

 少なくてもあと3年ちょっと生きながらえ、竹市さんと碁盤を囲みながら東京オリンピックを見たいものです。明日は指折り数えてきた「尿管結石を外部衝撃波で粉砕」する手術の日。一泊二日の入院です。

 

2017年1月2日              媒体の変容

 私の新年は、空が白々と明けるころ、新聞店を回って元日付新聞を買ってくることから始まります。同時に新聞店内の様子を覗き見て、その系統の盛衰を見届けます。各紙共通して言えることは、店内に昔の活気が全く見られなくなったことです。その上、各紙の別刷り付録にもそれなりの工夫が見られません。おまけに本紙は広告だらけです。健康食品や旅行広告が目に余ります。読売の本紙は記事の総量比率で広告の方が高いのではないでしょうか。背に腹は代えられないのかもしれません。

 残念ながら新聞は斜陽産業の最たるものになってしまいました。半生を費やし朝日新聞と共にあった私の存在は何であったのか? 今更ながら忸怩たる思いで元日の日の出を迎えました。せめてもの救いは新聞6紙に挟まれていた折込広告が読売より朝日が多かったこと位でしょうか。媒体としての価値はまだまだ捨てたものではない、という証左です。

 外出するときは朝日新聞を小脇にして電車に乗り込みます。それとなく社内や駅構内を観察します。車内で新聞を読んでいる人は2,3年前までは4、5人は居ました。今は殆どお目にかかりません。コンビニに入ると新聞の即売スタンドを見ます。良質の情報がたった150円で買えるのに売れていません。スポーツ紙とて同じです。即売会社は既に成り立たなくなっているのではないでしょうか。スポーツ各社は経営がオカシクなっているでしょう。

 言うまでもなく、乗り物車内ではスマホが全盛です。車内の向かいの座席一列全員がスマホに夢中になっているサマは日常となりました。細切れの情報が飛び交っています。誰でもが自分で撮った写真や動画を張り付けて発信できるようになりました。フェースブックやツイッター、ミクシーなどから人々は世界や日本のあらゆる情報を入手できるようになりました。〈いいね〉をクリックすることで自分の意見も言えるようになりました。手軽な双方向性情報交換が無料で出来るようになっているのです。その上スマホ一台で買い物ができ、支払いも出来ます。私自身もアマゾンの愛用者ですが、欲しいものは即座に入手できてしまいます。翌日には届きくのです。

 元日にいただいた年賀状の中に、福島県イワキ市平の西山新聞店からのものがありました。60年続いてきた店を閉めた、というものでした。擁護ホームに入っている故西山昭平さんの奥さまの芳子さんから、思い出を綴ったお手紙が届きました。私は今日まで2000人ではきかない新聞販売人と合いまみえて来ましたが、最も優れた人の筆頭が西山さんだと思っています。そのお店がたたまれるようになってしまったとは!

 新聞の苦戦はなおなお続くでしょう。現役の諸君のご苦労が偲ばれます。つまり、新聞は今だかって無かった未知の領域に踏み込み始めたのです。東京紙、地方紙、ブロック紙を含めて競争は止めて都市、地域ごとに販売網を複合化し、細々と生き延びていく以外に生きる道はないのかも知れません。

 考えてみれば、相棒宮沢恭人君はいい時にこの世を去りました。私も、80歳を機に新聞のことは極力忘れ、別の目標に向かっての生き方を構築する決意です。

 少なくても来年の元旦、各新聞を求めに行くことはないでしょう。

 

2016年12月30日            10年カレンダー

 仕事場の壁に10年カレンダーが貼ってあります。2010年1月1日から2019年12月31日までの3650日余の数字が並んでいます。折に触れ「ああ、この日まで生きることができた。有難かったなあ」、と数字を消してきました。今年もあと一日を残すのみとなりました。カレンダーの残りはあと3年。この数字の中に私の死亡日があるのかないのか。

 12月は私にとって鬼門です。今まで、必ずと言ってよいほど何ごとかが起きました。大掃除の最中、玄関の石段から滑って腰をイヤというほど打ち身動きが出来なくなりました。理由もなく下血が始まり入院を余儀なくされ、5日間絶食となりました。大腸憩室症でした。咳が止まらなくなり、病院のハシゴをしました。首を曲げた途端、目が回りだし一過性脳虚血症で入院しました。従弟の靖輝君を誘って名古屋四日市の温泉へ行ったはいいけれど、その晩、尿管結石を発祥し、名古屋の日赤病院まで従弟に連れて行ってもらいました。12月30日でした。極め付けは現役で福島県を担当していた時です。12月27日、衆議院選挙で速報態勢をとるため、福島支局に張り付かねばなりません。徹夜になるので力を付けておこう、と支局近くの料理屋「万世」でフグの白子鍋を食べました。足腰が立たなくなり、支局前の大原病院に担ぎ込まれ、上の血圧が70、下が50になりました、あと10づつ下がればお陀仏です。甘美なお花畑を彷徨いました。中沢はフグで死んだという情報が流れ、三日後の30日、局員全員が打ち上げをやっている有楽町本社の販売局に戻った時、全員から奇異の目で見られ、拍手をもらいました。この事件は地方紙の福島民友に掲載され、料理屋「万世」は20日間の営業停止となりました。

 私にとっては鬼門の年の暮れ、静かにしていれば何ごとも無かろう、と今年は大掃除もそこそこ無聊を囲っています。年初めも今回は恒例の集まりをやらない予定なので、専ら読書とAPADで過ごします。

 さて、問題は私の死亡日が10年カレンダーの中にあるのか、それとも次の10年カレンダーに繰り越されるか、イヤでもオウでも、その日は確実にやってきます。私は棺桶の中に入って火をかけられ灰と骨になるのでしよう。何とか、自分の死を楽しむ心境になりたいものです。

     去年今年 貫く 棒の如きもの

 

2016年12月29日            「ヘン」の極み

 北朝鮮の社会主義の根幹をなす理論は「ツチエ思想」です。金一族の初代はそれなりに評価されても、三代目となると単なる世襲国家となって、しかも、危険極まりない「核」を玩具のように扱い始めました。二代目までは、「核を持っているぞ、アメリカさん振り向いて」ぐらいでしたが、核実験を重ねるにつれ、核武装が本物になってきました。飛距離的にアメリカ本土まで届くミサイルの打ち上げに成功し、核の小型化にも成功しています。「先制攻撃はしない」とは言っていますが、ことと次第によっては、アメリカの上空で核弾頭が炸裂するでしょう。先刻承知のアメリカは、いまは本気になってある作戦を実行しようとしています。それは「三代目の暗殺」です。オバマは慎重でしたが、トランプならそれをやりかねません。

 するとどうなるか?北朝鮮は韓国に併呑されるでしょう。大韓民国の誕生です。問題は核がどうなるか?元々、韓国は核武装を望んでいます。北朝鮮から入ってきた核を捨てるでしょうか?そうはならないでしょう。日本の隣国が核保有国になるのです。核武装は日本の技術水準なら朝飯前です。何となれば、54箇所の原発発電所を持つ日本にはウランやプルトニウムが腐るほどあるからです。国と国とはパワーバランスで見かけの平和を保つことができています。カクシテ日本も核保有国となるのです。

 世界には核拡散防止条約があります。それによって核保有国が広がるのを防いでいます。しかし、裏には裏があるもので、いまや、スーチーさん率いるあの貧困の国ミャンマーでさえ秘密裡に核を保有しています。これは北朝鮮が食うに困って食糧と引き換えに核技術を伝授しました。中東も核だらけです。貧困に喘ぐパキスタンやイラクが自分たちの核技術を売っているからです。多数の核技術研究所を持つイランなどその気になれば1年未満で核弾頭を作り上げるでしょう。

 旧約聖書の中のエゼキエル書は、今から2300年ほど前に書かれたものですが、核弾頭が飛び交う世界の終末をハッキリと予言しています。紀元1世紀から3世紀ころまではイエスによるキリスト教は迫害され、ユダヤ人のための聖書「旧約聖書」と「タルムード」が全盛となるのですが、この終末思想はタルムードにも詳しく書かれています。火の玉が飛び交いこの世は破滅するというものです。その時、救世主が現れて信仰厚き者を次の世に連れさっていく、ということになるとこの来世感はどの宗教にもありがちなことではあるでしょう。

 続いてフィリピンのドゥテルテ。南沙諸島で中国に領海侵犯されているにも拘らず、アメリカをあからさまにケナし、中国の習金平に擦り寄っていきました。麻薬患者、売人、疑わしき者、そのすべてを裁判にかけることなく無差別に殺しています。殺されたくないそれらしき者60万人が自首し、収監されているといいます。

 麻薬に一度でも手を染めた者は、脳の中に悪魔を住まわせたに等しい、と云われます。日本にもそれらしき患者が多数いるらしく、芸能関係者の話題が跡を絶ちません。フィリピンは60万人の麻薬患者をどうするのでしょうか。殺すのでしょうか。

 ドゥテルテが中国に擦り寄っていくわけは簡単です。元々、彼は中国発家〈ハッカ〉の末裔だからです。いわゆる「華僑」の殆どは客家です。習金平もそうです。日本に来ている囲碁の女流棋士「謝イミン」もそうです。日本と中国が新幹線導入で争ったインドネシアの大統領も客家です。彼らの結束は石のように固いことで知られています。中国人口13億3500万人の内、漢民族で客家と云われて世界中に散らばっている人口は約1億5000万人と云われています。イヤハヤであります。

 

2016年12月27日     ヘンな政治家が持て囃されるヘンな世界になった

 どう考えてもヘンだ、という政治家が世界中に蔓延り始めました。その典型はアメリカの今回のトランプですが、アメリカに対抗意識を燃やすロシアのプーチンもヘンです。ソ連邦が崩壊し、今までロシア側だったソ連の属国がロシアを離れ、こともあろうに自由諸国で構成するNATOに加盟しました。16年前です。ロシアの通貨ルーブルは暴落し、経済は疲弊し共産主義、社会主義はそれまで、と世界は思っていました。アメリカを始め自由主義諸国がそれをやってのけたのです。諜報部員だったプーチンが大統領になるに及んで、折からの石油高騰も幸いし、ロシアは奇蹟的に建てなおりました。スターリンと同じ粛清政策でプーチンに対抗する勢力の殆どは殺されました。そしてクリミアを奪いウクライナと戦い、いま、アメリカが手を抜いた隙に、中東で制空権を握り、シリアのアサド政権を応援しています。シリアのアサドこそ、政権にしがみ付き、国民を難民にしている独裁者です。その最大の理由はシリア国内にロシアの軍港があるからです。

 この12月、安倍のたっての願いで山口県に来て山海の珍味を満喫し、北方四島での日本の開発援助を取り付け、講道館で柔道をして帰っていきました。せめて歯舞、色丹の返還ぐらいはあるだろうという日本の期待むなしく、プーチンは手ぶらで来てお土産を持って行ってしまいました。

 太平洋戦争の末期、しかも、日本が降伏する15日前にソ連は日本との不可侵条約を一方的に破り、1000万の軍隊を南下させて、略奪、婦女暴行の限りを尽くし、日本兵400万人を捕虜にし、シベリアで酷使しました。ロシアという国がいかに自分勝手な国であるかを示す良い例が、今回のオリンピックでの国自体が主犯の薬物違反です。国威発揚のためなら何でもする国がロシアなのを、世界は改めて知りました。

 世界はこの21世紀の初頭まで、アメリカの主導で動いて来ました。膨大な軍事費を投入して世界の警察の役目を担ってきました。しかし、オバマ大統領は「今後、アメリカは世界の警察であることを止める」と宣言しました。中東の混乱はアメリカのせいですが、解決を見ないうちに放り出したのです。それに乗じたのがロシアです。プーチンはトランプに書簡をおくりました。「お互いに解りあう話し合いをしようではないか」と。この書簡の裏に見え隠れするのは「あんたは、もう引っ込め。俺が替わってやってやるから」という引導です。

 アメリカの弱腰は中東のサウジアラビアを嘆かせ、イランを勢いつかせてしまいました。イランに対し「しばらくしたら核爆弾を作ってもいいよ」とお墨付けを与えたのです。シーア派のイランの指導者ハメネイも独裁者ですが、サウジの国王サルマンと恐ろしく仲が悪い。スンニ派だからです。サウジのメッカには100万人のイスラム教徒が一堂に会して礼拝するカヴァア神殿を持つドームがありますが、イランはその御神体をイランに移したくて堪らないのです。隣国同志は仲が悪いものと決まっていますが、イランとサウジほどのものはそうありません。そのイランの独裁者ハメネイはプーチンと昵懇の仲になり始めています。その目的はサウジアラビアであり、イスラエルでしょう。旧約聖書は予言の書でもありますが、「テレアビブの真北の国が火の球を操って襲ってくる」とエゼキエル書にあります。緯度的にイスラエルの真北はモスクワです。聖書によれば、世界はやがては終末に至るようです。

 中東にはヘンな独裁者がメジロ押しです。ガダフィイ大佐の私邸は余りにも豪華でしたが、それに劣らない権力者がトルコのエルドアンです。ごく最近日本のかつての5・15事件のような反乱がありましたが、失敗に終わり、エルドアンは4万人余りを粛清しました。彼の豪邸は部屋数が250もあります。しかも、エルドアンの息子は石油の闇取引で莫大な利益を上げています。韓国の朴ウネとその取り巻きの利益など比較になりません。ウクライナのポロシエンコ大統領も政商の最たるものです。国民の方など全く向いていません。安倍総理がその彼が率いるウクライナに200億円を寄付したのは記憶に新しいことです。その大金は国民に使われることなく政商大統領の懐に入るでしょう。

 ヘンな政治家はアジアにもいます。北朝鮮の金正雲、フィリピンのドゥテルテ、そして中国の習金平です。ヘンな政治家がいる国の最大の特徴は言論統制です。中でも中国のネット上の検閲は徹底しています。体制批判をネットに載せようものなら、すぐさま秘密警察のお出ましです。自由な言論は薬にしたくても中国にはありません。名古屋の従弟の商売の関係で上海へは数十回行きましたが、もう二度と行きたいとは思いません。廃墟になりつつある高層アパート群、汚染された煌びやかな料理、100メートル行くのに10分はかかる交通渋滞、太陽が黄色く見えるスモッグ。そして、ベトナム、フィリピンの反対を押し切り、オランダハーグの国際司法裁判所の裁定を「紙切れ」と断じて南沙諸島の岩礁を埋め立て、軍事基地を造成している中国。その指導者習金平は毛沢東より自分の方が偉い、とミエをきり始めました。

 私は長男、次男が小学生のころ、大金を払って北京や万里の長城へ行きました。人民元は使えず兌換券でしたが、北京市内は自転車の洪水でした。空気は綺麗でした。全衆徳の北京ダックは美味の極致でした。天安門広場には青い防寒服を着た人民で溢れていました。何をするでもなくただ集まっていました。恐ろしいエネルギーを感じましたが、いまや北京はスモッグにまみれ、息することもままならない人間の住むところではなくなってしまっています。それなのに習金平は功罪相半ばする毛沢東を超えよう、と画策しているのです。

 国際法を足蹴にしてまで海洋の利権に固執する中国の現体制。スモッグの中に市民を閉じ込め、賄賂や汚職に明け暮れる中国。自国の住民をほっておいて、アフリカの各国を植民地化し始めた中国。誠に残念ながら、アメリカが衰退していく現状の中で、今後日本は、ロシアと中国を相手にしていかねばならなくなったのです。

 ヘンな指導者は、次はフランスに現れるでしょう。ヨーロッパ諸国は中東に移民に辟易しているのが偽らざるところです。イギリスがEUを脱退したのもそのためです。フランスのオランド大統領は不人気の極みになってるのは周知の通りです。次期フランスの大統領は女性で最右翼の党首ルペンが専らだという報道です。オーストリアは危なかったのですが辛うじて「まとも」な首相で落ち着きました。最もまともなEUの実質的指導者ドイツのメルケルさんもこのところ精彩がありません。

 2017年は世界が激動する年になるのは確実です。

 

2016年12月20日         ヒヤシンスに負けないぞ 

 年賀状の時期になりました。どういう図案にしようか、毎年、頭を悩ませます。2〜3年前までは次男一家との集合写真で構成させてもらっていました。京都の三千院、東寺、それに萩の松陰神社、エトセトラ…

 昨年はタイの奥地の首長族の写真でした。「安倍政権の交代を首を長くして待つ…」に引っ掛けました。交代どころか、自民党は規約を改正して3年の三倍にしてしまいました。自民党が独裁政権であっても、対抗勢力が育だたない、という不幸が日本にはあります。それに選挙制度も問題です。小選挙区制を改正しない限り日本は何時まで経っても今のままです。

 写真アルバムを括っていたら、タイ奥地の魔の三角地帯に咲いている毒々しい赤色の火焔樹とマッ黄色のゴールデンシャワーが絡み合っているものがありました。魔の三角地帯は麻薬が公然と取引されている警察も寄り付かないところです。そこには豪勢なビルが三つ立っています。メコン河を挟んでタイ側にも、ラオス側にも、ミャンマー側にも、期せづして同じように建っていて相手国を睥睨しているのです。豪華ホテルとカジノがそれです。極端に貧しい人々しか住んでいない3か国の突端に突如をして現われるカジノビルには度胆を抜かれます。その時はツアー客として行ったので入れませんでしたが、今度行ったときは中へ入ってくるつもりです。

 折から国会でカジノ法案が可決されました。それも、殆ど審議されず、あれよあれよという間に強行採決で。

 言うまでもなく、あらゆるバクチはハウス側、つまり胴元が損しない、どころか、儲かるように出来ています。ぱちんこは言うに及ばず、競馬、競輪、トトカルチョなどなど。確率論を少しでも齧れば誰でも納得できるほど単純な図式で、胴元以外は損するようにできています。それを政府が推進しようというのです。

 魔の三角地帯に咲いていた火炎樹とゴールデンシャワーのまっ黄色は、人々の恨みの象徴に思われました。そこで、その恨みを年賀状の図案にしました。

 一方、今年も長野にお住まいで中学同窓生のNさんから、数々の贈り物の中に入ってヒヤシンスの球根が7つ送られてきました。この数年、お蔭さまでヒヤシンスの水耕栽培をして見事な開花を愛でて来ました。いつも驚くのは、何で水だけでこんな見事な花が咲くのだろう、ということでした。数年前に作った句です。

 『水だけで いのちたぎらす ヒヤシンス』

 年賀状はこれだ!これにしよう、と決めました。早速一つを写真に撮り、背景をブルー一色にして添え書きもしました。「お蔭さまで80歳。ヒヤシンスに負けないぞ」

 350枚の印刷ただいま終わりました。

 

2016年12月14日              結石の徐去

 済生会川口総合病院は紹介状がないと診てくれません。しかも、人で溢れています。大久保病院の泌尿器科医師石郷岡先生の紹介状の効果は覿面でした。音波で粉砕して取り出すか、直接の手術にするか、直接の場合は日程が立て混んでいて、早くても2月になるというのです。待ちきれないので、先ず、「1月の11日、音波による粉砕」にしてもらいました。首尾よく石が粉砕されて出ればよし、成功しない時は2月に直接手術と決まりました。今日はその準備のための面談、ということで病院へ行ってきました。入院は2日間、血液サラサラの薬は2日前から飲んでは駄目、などなど事細かな注意を受けて来ました。いやはや、手間の掛かることです。本当は、12月中に手術をしてもらい、1月は初旬から暖かいところへ行こう、と目論んでいたのでしたが予定がずれてしまいました。

 新年は2日の午後、家族の新年会を恒例にしていましたが、次男の男女の双子の孫が受験なので、取りやめにする積りです。昨年の12月は次男一家4人が来てくれて、家の周りの樹木の手入れをしてくれました。一日かかって70袋余が一杯になり、処分するのに神経を使いました。今年はそれも無し、にしました。とにかく、受験生がいると神経を使ってしまいます。二人の第一志望校は「武蔵野美術」「国立埼玉大学」です。自分のこと以上に心配でなりません。

 想い起せば、私は名門長野高校に350人中席次4番で入ったのに、一学年末は11番に落ち、二学年末は75番に落ち、卒業時は273番でした。受験勉強というものを全く毛嫌いしていたからです。図書館でロマンロラン全集、中でも「ジャンクリフトフ」を夢中で読みました。三木清「哲学ノート」、ヘルマンヘッセ「車輪の下」、ゲーテ「詩と真実」、ドフトエーフスキー「カラマーゾフの兄弟」、トルストイ「戦争と平和」、そして「聖書」と聖書の解説書の数々。

 東大ははなからダメなので「東京都立大」、二次では「東京外語大」を受けましたが当然不合格です。浪人になって東京へ来て分かったのは、「受験には受験勉強が必要だ」ということでした。代々木予備校へ通いました。受験はそれなりの技術が必要でした。翌年、先ず、滑り止めの「明治学院大」の合格通知がきました。続いて早稲田がきました。

 受験勉強そっちのけで高校時代に読んだ書物の数々。私が現在あるのはこの時に培われたのだ、東大へ行けなくても十分だったのだ、と思っています。 

 

2016年12月10日              戦争とは

 12月7日未明、宣戦布告の電報がアメリカに着く前に、日本はハワイ真珠湾に奇襲攻撃をかけました。山本五十六元帥率いる航空母艦から戦闘機が飛び立ち、アメリカ艦隊約400隻を撃沈させ、2400人を殺しました。その戦果は8日の一日中、臨時ニュースとしてラジオから流れました。5歳の私と母は吉祥寺の街でそれを聞き、青ざめた母はパン屋でカステラケーキをしこたま買い込みました。

 栃木県佐野の母の姉の嫁ぎ先へ行ったときです。中島飛行場爆撃のためB29の編隊約100機が青空の中、銀色に光りながら飛来しました。電車の乗客は館林駅で降ろされ防空壕に避難です。高射砲はのべつ発射されるのですが低い高度で炸裂します。B29の編隊はビクともしません。中島飛行場から飛び上った日本の戦闘機がB29の一機の翼に体当たりしました。戦闘機は矢のように堕ちけたたましい墜落音を響かせました。B29もユラユラしながら墜ちました。防空壕の乗客は拍手しました。

 新井薬師の家。夜は燈火管制で明かりに黒い幕を張ります。ラジオから警報が鳴ります。「東部軍管区情報、東部軍管区情報、敵B29大編隊が房総半島沖より本土に近接しつつあり。空襲警報発令、空襲警報発令」 防空壕に避難していると爆弾の炸裂する音が聞こえます。次は家の当たりかもしれない、という恐怖に震えます。

 上高田小学校の校庭で遊んでいる時、何の前触れもなく、アメリカの双胴の戦闘機カーチスP38が現れました。機銃掃射を受けました。弾は校庭に砂埃を立てました。一年生の私は足が竦みました。

 男たちは隊列を組み軍歌を歌い、悲痛な顔を尚もゆがめながら出征していきます。女たちは防空頭巾をかぶり、少ない配給や外食券を受けながら千人針作りに余念がありません。一年生の私は集団疎開に参加することになりました。中野区へ割り当てられたのは福島県浜通りです。柳行李一つに身の回り品を詰め、60人が学校から中野駅まで行進して列車に乗りました。母は青い顔でモノも云わずついて来ました。私から目を離そうとしませんでした。

 富岡駅前の大東館はスしずめでした。翌日からシラミだらけになりました。朝5時、目の前の富岡駅で蒸気機関車の罐炊きが始まります。6時、上野行きの列車がほとんど乗客なしで発車していきます。どんなに、それに乗って東京の母の元へ帰りたかったか。

 戦争にはこういう側面もありました。 

 

2016年12月8日                菌

 福島県から新潟市に転居した小学生が名前にキンを付けて呼ばれている、しかも、先生までもがキンを付けて呼ぶので小学生は登校しなくなった、とニュースが伝えています。教育委員会が乗りだし、大きな問題になっています。たまたま浜通りで原発の炉心溶融があり、放射能被害が広がり、福島県人は日本で差別され出した、という底流がそこに見え隠れします。子供は正直です。転校生をキンを付けて面白がりだしたのです。人間が心の底に持つ差別意識が子供社会で顕在化したのです。

 それがどのくらい子供の心を傷つけるか、先生でさえ分からないでいるのでした。仮にも面白がったとすれば教育者として失格でしょう。それがどんなに子供にとって重大なことか、想像力が欠如しているからです。 私も小学生の時名前にキンを付けてからかわれた経験があります。昭和20年、東京の家が空襲で焼け、長野市三輪小学校2年生となりました。悪がきが大勢いて、私はアダナを沢山つけられました。身体が大きかったので「デカ上等兵」、英語の刺繍の入ったセーターを着ていたので「英語の坊ちゃん」、「東京のお坊ちゃま」、「種牛の一等品」、そして極め付きが「イースト菌」でした。

 校舎の片隅で5,6人に囲まれました。死にもの狂いで取っ組み合いの喧嘩をしました。同じクラスだった岩崎君の親分の大塚を滅多打ちにしました。それからというもの、イースト菌とはよばれなくなりました。

 福島から新潟へ転校した小学生に、私の真似をしろ、と言いたいのですが、そうもいかないでしょう。ここで言いたいのは福島差別が隠然として広がり始めている事実です。福島県産の果物、生鮮野菜、鮮魚など表面上は繕われていますが、陰では安く買いたたかれるか、敬遠されています。あろうことか、福島県人そのものが敬遠され始めました。息子の嫁に福島県の女性を貰いたがりません。勿論、大っぴらにはありませんが、他県民の意識の底に広がり始めているのです。

 いやだなあ、と思うことが最近ありました。2020年のオリンピックの野球、ソフトボールの練習場に福島県の福島球場、郡山の開成山球場、磐城球場を災害復興の一案として使いたいという日本側の提案に、世界野球機構が難色を示しました。風評被害の最たるものと言えるでしょう。つまり、差別意識です。

 差別意識は人間が持つ厭らしいサガですが、今後、数百年に亘って、福島県、及び福島県人が日本中、いや世界中から差別を受けるかと思うと、居たたまれない気持ちです。

 

2016年12月6日         アメリカがオカシクなった原因

 アメリカには伝統のある優れた新聞社が沢山あります。ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、ウオールストリートジャーナル、シカゴトリビューン……ところが、全新聞の発行部数は20年前の半分程度になっています。約3億人の人口のアメリカなのに、1億2700万人の日本のの総発行部数4900万部と同じ位になりました。全盛の頃は8000万部近かったのにです。大きな特徴は、広大なアメリカの各都市にあったいわゆる地方紙が次々に潰れていったからです。潰れた原因は広告がとれなくなったからです。どんなに立派な論陣を張っても採算がとれなくなっては、新聞は潰れます。かつてアメリカには新聞販売担当責任者だけで組織するICMAという団体がありました。どうやって部数を拡大していくか、各社共通の課題として真剣な討議が重ねられていました。ミルウオーキージャーナルのシュワルツさん、オクラホマ新聞のエドノーリンさん。日本の新聞協会加盟社もそこへ参加させてもらって、討論に加わらせてもらってきました。10年ほど前、この組織は無くなりました。部数が減りに減っては組織の存在価値が無くなったからです。

 同じ傾向は日本でも顕著です。地方紙を含めて日本の全新聞発行社が加盟している新聞協会は、会費の負担に耐えられなくなっているほど、その存続が危ぶまれ始めています。日本の地方紙も広告収入で成り立っている以上、地方経済が衰退しては収入が確保できません。

 一体、広告はどこへ行ってしまったのか? それはネットです。4,5年前、ネット広告は全新聞広告を凌駕しました。ネット広告はいまやテレビ広告まで飲み込みそうな勢いです。

 誰が現在のネット社会を予測できたでしょうか。紙による情報伝達手段のこれほどまでの変容を予測できたでしょうか。時代の変貌には恐るべきものがあります。その結果、新聞はかつてのような論陣を張ることができなくなりました。調査報道は影を潜めてしまいました。読者が激減し始めたので社会への影響は極めて少なくくなりました。雑誌を含めて紙を媒体とする報道、論説、言論の重さが、あれよあれよという間に、社会への影響力を失い始めました。替わってネットによる細切れな報道が巷に溢れだしました。新聞の特性は記事の扱い方により、事の重大性をアッピールできる利点がありました。紙面の一覧性がそれを可能にしたのです。社会に「考える」という貴重な時間を与えて来ました。それが、いまやせいぜい大きくてネットの画面です。一体、スマホの小さな画面で人々は「考える」ことが出来るでしょうか?

 アメリカも日本もそして恐らく世界中が、紙による情報伝達文化より電気信号による新しい機能を争って求め出したため、「深く考える」ことを止め「刹那的、感覚的にものごとを捉える」そういう風潮になってしまったのではないでしょうか。アメリカのトランプ現象は正しくその結果でなくて何でしょう。

 古代エジプトの紙の発祥「パピルス」を否定し始めた人類の変容が、アメリカから始まっているのです。

 この大きな社会の変容に日本の新聞社は、いま、大きくたじろいでいます。今だかって経験したことのない未知の領域に踏み込んだのですから慌てふためいているのも頷けます。100年余り培ってきた新聞販売網の異種産業利用も考えたようでしたが、妙案がありません。いま、新聞社が苦肉の策としているのが、新聞社の土地に巨大ビルを建て、テナント料で日々を凌いでいこうとする方向です。その嚆矢は大阪の毎日新聞でした。大きなビルの収入に頼り切っています。朝日新聞の大阪も二つの巨大ビルを完成させ、その一つの一階はフェステバルホールとなっています。東京の銀座にも巨大な朝日ビルが出来つつあります。有楽町のマリオンも西武デパートから莫大なテナント料を頂いています。読売もそうです。大手町の巨大ビルの三分の二以上はテナントビルです。新潟の萬代橋際に天を突くビルが出来ました。「新潟日報」というネオン看板は掲げられていますが、使っているのはほんの一部で、ほとんど全部がテナントビルです。

 新聞は新聞で食っていけなくなり始めたのです。IT化された社会が紙の文化を駆逐し始めたのです。それと共に人間の思考の形態が刹那的ともいうべき0と1に置き換わり始めたのです。アメリカのトランプ現象は当然の帰結というべきかもしれません。 

 

2016年12月4日           日本にカジノはいらない

 カジノを含む大型レジャー施設建設法案が、強行採決されました。激しい憤りを感じます。その法案によれば、北海道、東京、横浜、大阪、佐世保に建設許可が出るそうです。

 シンガポールへ行くとカジノを含む巨大レジャー施設に度胆を抜かれます。4ッつ並んだ巨大ビルの屋上が平面で繋がっています。何とその最上階の平面がプールになっています。世界一高いところにあるプールかもしれません。この奇天烈な建物の中に豪華ホテル、レジャー施設、そしてカジノがあるのです。

 タイのチェンマイから車を飛ばして約半日、ラオス、ミャンマー、タイが国境を接する魔の三角地帯があります。メコン川を挟んで、申し合わせたようにそれぞれの国境に三つの巨大ビルが並んでいます。三つが三つとも高級ホテルとカジノなのです。恐らく、麻薬で設けた金がカジノで飛び交うのでしょう。恐ろしくて入る気がしませんでした。(でも、今度行ったときは入ってみようと思います)

 私のカジノの経験は僅か二回だけです。一回目はマカオでした。香港・マカオへの販売所長旅行の付き添いで行きました。一回大当たりしましたが、結果的には少し負けました。マカオのカジノは年間3兆円を売り上げています。豪華すぎるビルの谷間は貧民窟、それも極端に貧しい人々の生活、それがマカオでした。二回目はラスベガスです。アメリカの新聞事情使節団の団長として15日間アメリカにいました。その時はニューヨークタイムズ社で英語で挨拶をしました。ラスベガスには度胆を抜かれました。この時はほんの少しだけ勝ちました。ラスベガスの年間売上は約1兆円とか。つまり、カジノというのは業者が儲けるだけなのです。庶民はナケナシのお金を業者に奉仕するのです。カジノとはそういうものなのです。

 カジノのルーレットの台へ行くと、「よし、一丁やってやろう」という気持ちにならされます。1から36までの穴にチップを張って36分の1の確率で、首尾よく当たれば1万円が36万円になります。俗に長半、つまり奇数か偶数か、もあります。1~12,12~24,24~36という賭け方もあります。ゲストの射幸心はこれでもか、と擽られます。たまに大当たりすると止められなくなります。そこが業者、つまりハウス側、つまり胴元の狙いです。すべてのゲームは確立論の上に成り立っています。いかなる名人が来ようとも確率では胴元が損しないように出来ているのです。やればやるほど胴元が得するような仕組みになっているのです。

 確率論からいって、「必ずゲストが損する!」ときまっているのがカジノのセオリーなのです。

 そういう庶民の敵ともいうべきカジノが何で日本に必要なのですか! そうでなくても日本にしかないパチンコで約560万人が中毒患者になっているのですぞ!何でギャンブル依存症患者をこれ以上増やさねばならないのですか!

 怒り心頭を発しています。 

 

2016年12月2日              白洲次郎

 小田急線の鶴川で下り、小高い山並みに沿ってしばらく歩き、丘を登りきると一軒の大きな農家があります。そこが白洲次郎と白洲正子が住んでいた武相荘(ブアイソウ)です。武州と相模の境界に位置し、しかも、何の変哲もない農家であることから、この名前が付けられたようです。

 私は白洲正子が書いた殆どの随筆、評論など持っています。それほど正子大好き人間です。美に対する確かな審美眼を持ち、人生に対し、また、歴史や世評に対する論評は他の追従を許さぬ表現力を持っていた白洲正子は一時代を築いた、と言えるほどの優れた女性でありました。彼女の夫である白洲次郎もまた、戦後吉田茂首相の影ながらの補佐役として一世を風靡した風雲児でもありました。イギリスのケンブリッジに留学して英語が堪能であったお蔭で、日本国憲法の制定に当たってGHQと激しく渡り合い、現在の憲法を曲がりなりにも立ち上げた功績は何よりも讃えられるでしょう。

 その白洲次郎の所謂ダンデイズムについて書かれた本を、今日、書店で見つけて一気に読み下してしまいました。白洲夫妻の長女の婿である牧山という男が書いたものです。家族でしか持ち合わせない写真がフンダンに使われているので武相荘での次郎、正子の生活ぶりを、つぶさに知ることができました。

 白洲次郎は長身でいわゆるいい男です。芦屋の名門実業家の刀自で、ブガッテイの名車で正子との新婚旅行をしています。正子は薩摩藩の名門の血を引く才女中の才女ですが、そういう女性をも操れる男の中の男こそが白洲次郎であった、とこの本を読んで納得しました。

 この夫婦には三人の子どもがありました。長女の婿殿は最初はベンツのセールスマンでしたが、今は白洲一家についての本が書けるほどの力量を持つほどになりました。長男も次男も普通の会社員ですが、次男の嫁は小林秀雄の娘です。正子の古美術に対する審美眼は青山次郎と小林秀雄に負うところが大きいのですが、両家は姻戚関係になっていたのでした。

 私が鶴川の武相荘へ行ったのは、もう、5,6年前のことですが、白洲次郎は73歳から一切の職を辞し、農業に勤しんでいます。「夫婦円満の秘訣は?」 と問われた次郎は「あまり一緒にいないことだよ」と答えをはぐらかしています。家事や炊事などほとんどできなかったらしい正子は、来客があると決まって海苔巻と稲荷ずしを作ったそうです。武相荘にはその重箱が展示されています。彼女の書斎は本で溢れていましたが、書斎の窓から見えるのは巨大な石垣でした。

 近々、もう一度、武相荘へ行って男の中の男というべき白洲次郎と、これ以上はいないと思われる才女白洲正子が共に暮らした片鱗に接してくるつもりです。

 

2016年11月29日              カストロの死

 アメリカ合衆国のフロリダ半島から指呼の間に位置しているのがキューバです。共産主義、社会主義国家として、約50年間キューバは資本主義の権化アメリカ合衆国に逆らい対峙してきました。東ドイツ、ハンガリー、ルーマニア、そしてソ連邦など名だたる社会主義国家が崩壊していく中で、キューバだけが生きながらえて来ました。極く最近、アメリカとの国交断絶が解かれ、歴史的なオバマ大統領のキューバ訪問となりましたが、ここで問題にしたいのは社会主義革命を成し遂げたキューバが、そしてキューバ国民が幸せであったかどうか、と云うことです。

 私が早稲田の学生だった頃、社会主義への憧れは最高潮でした。マルクス・レーニンの書物が争って読まれ、「共産党宣言」「マルクス・レーニン選集」「資本論」「反デユ―リング論」などと共に、カストロと轡を並べながらも戦死したチエ・ゲバラの本が大人気でした。浪人から学生に至る間の私の部屋にはゲバラの大きな顔写真が貼ってありました。共産主義、社会主義についてひとくさり述べることができなければ学生にあらず、という時代でした。

 あわや核戦争化か、という時もありました。ソ連がキューバに核ミサイルを配備するに及んで、ソ連邦のフルシチョフとケネデイが互いに核戦争のボタンに手をかけたのです。全世界が緊張に包まれた一瞬でした。

 なぜ、キューバだけが社会主義・共産主義国家でありえたか? それは言うまでもなくゲバラ、カストロの指導力が図抜けていたからです。国としては貧しいけれども、キューバでは教育も医療も無料です。かたや、アメリカには国民保険はありません。医療費はベラボウに高く、教育費に至っては金持ちでない限り高等教育を受けられません。両国のこの50年間の差には驚くべきものがあります。

 この50年間、キューバとアメリカの国民はどちらが幸せだったと言えるでしょうか?何とも言えないところが歴史の面白さです。カストロという重しが取れたキューバのこれからが見ものでしょう。アメリカの次期大統領トランプはマイクを向けられ傲然と言い放ちました。「カストロは傲慢で残忍な独裁者であった」と。果たしてそうだったのでしょうか。

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