2020年12月22日 年賀状
12月5日に「PCデポ」に持ち込んだパソコンはとうとう、富士通の修理工場へ行くことになりました。年末年始があるので、上がってくるのは15日頃だろう、という情けない話。替わりに、といってノートパソコンを貸してくれたので、それまではこれを使わざるを得ません。
折から、年賀状の時の到来です。旧いパソコンから「筆ぐるめ」を入れ直し、プリンターをだましだまし使って、何とか289枚を刷り上げました。使ったのはタイ・チェンマイで撮った群生するランの写真でしたが、どう見てもコロナが連想されるので、替わりに福島・三春で撮った満開の枝垂桜に置き換えました。後は、一言言葉を添えて24日までにポストへ入れます。同年輩からは、「年賀状はこれにて、、、」と言っては来ても、私は、命ある限り年賀状は続けるつもりです。これは不思議な感覚です。
遡って考えると、私は人との関係性の中にあってここまで生きてこれたのです。私という人間は、私一人でここまで生きながらえたのでは決してありません。私が接した人々が私をしてここまで育てて下さったのではないでしょうか。それで思い出すのは哲学者西田幾太郎の言葉です。
<作られつつ作り、作りつつ作られる>
この言葉は中学一年生の時、白鳥先生から教わりました。ついでに申せば、白鳥先生は担任の最初の授業の時、黒板に大きな字で、<明るく、真面目に、努力家であれ>と大書されました。
爾来、ウン十年間、私を支配したのはこれらの言葉でありました。先生の教え子である以上、289枚の年賀状に添え書きをする努力を、これからいたしまする。
やがて仄々と明ける朝
空は見事に晴れました
あおく あおく美しく
小さなきれいなたましいの
神さまのお国へ行く道を
広く 広くあけようと
ー金子みすゞー
2020年12月15日 パソコンはまだダメ
「今日こそはパソコンと再会できる」とPCデポへ行ったのですが、ダメでした。初期化する小さな器具がどうしても必要とのこと。その前は富士通の登録番号をもっていったのに合致せず、それがないと初期化はできないとのこと。家中、隈なく探しましたが見つかりません。途方にくれました。かくなる上は、改めて新品を購入しようと覚悟を決め、その手続きに入りましたが、それには古い機種の書類が必要とのこと。それらは車のトランクに入れっぱなしであったことを思い出し、そのケースを取り出してみたところ、なんとまあ、家中探しても見つからなかった初期化用の小さな器具が、そのケースの中に鎮座していたのです。
どうして、車のトランクに思いを致さなかったのか、歳は取りたくないものだ、とつくづく思い知らされました。新しいパソコンを購入するという散財は免れましたが、パソコンの受け取りは、またまた伸びて今週の土曜日の夕方、となりました。あと5日間待たねばなりません。
*旧いパソコンを使って、何とか11日まで持ちこたえましたが、今度はこのパソコンも具合が悪くなりました。修理に出している大型パソコンは月曜日の4時に引き取りに行きます。それまで、不本意ながらお休みさせてください。
2020年12月11日 深い闇
アメリカの大統領選は、すでにバイデンに決まったように報じられていますが、「中川牧師の書斎」や高原剛一郎の「剛チャンネル」を見る限り、まだまだ、紆余曲折がありそうです。中川牧師は、英語が堪能なことから、アメリカのあらゆる情報に精通していて、その上深い洞察力をお持ちです。お二人の見方に共通するのはアメリカにおける社会主義、共産主義の深い闇の存在です。その密かな台頭ぶりを歴史的事象から説き起こし、いまや、選挙にまで介入するようになったロシア、中国の卑劣なやり口を説き起こします。その、手段を択ばないやり口の一つがアメリカ各州で使われている選挙の投票用紙と集計機です。実に巧妙な手口でバイデン票を積み上げることに成功しました。その実態は監視カメラにそのまま捉えられています。この事実を司法がどう判断するか、そして、選ばれた選挙人がどう出るか? がこれからの推移です。加えて、バイデンの次男、ハンターバイデンの中国からの利益供与について、司直の手が入りました。コカイン中毒のこの男は、トラの威を借るキツネよろしく、ロシア、中国から 莫大な金をせしめていたのです。しかし、アメリカにおける密かに暗躍する左派系勢力はそれを無視し続けています。なんとなれば、「アメリカをして社会主義の国にする」というロシア、中国の野望は手段を選ばないからです。
激動する世界の動きに比べて、日本は、また、何とのんびりしているのでしょう。コロナ、コロナで明け暮れ、外交的動きは全くありません。日本の新聞も雑誌もそうです。アメリカの選挙で図らずも露呈した民主社会を覆そうとするロシア、中国の動きに全くの無関心です。最も、たたき上げの番頭が首相になった以上、世界的視野と見識を持って、と言っても、それは無理でしょう。方やもう一方の旗頭のセカンドフロアーは観光協会とずぶずぶです。
感染者が日ごとに最高数値を示し、医療現場が悲鳴を上げているのに「ゴーツウーキャンペーン」を来年6月まで延長するとの声明を出しました。国内の殆どの識者はこの声明に批判的です。
「一時停止してから、様子を見て再開する」これが本筋であり、国民のほとんどが思っているに違いありません。アメリカに劣らず日本もすでに中国の魔手にやられ始めているのです。見識のある政治家の存在が見当たらない、のが日本の不幸です。
2020年12月5日 無言館
長野の上田から電車で少し上がった鹿教湯に無言館があります。
*ここまで書いたところで、パソコンのインターネットが不調になりました。原因はどうも、悪性ウイルスのようです。現在掲載させてもらっている写真がボケているので「ペイント」というソフトで一度写真を圧縮すると、鮮明になることを知りました。そこで、「ペイント」の無料ソフトをインストールしたところ、無料は数回までで、それ以後はかなり高額の有料であることが分かりました。(これは一種の詐欺商法ですね) そこでこのソフトを消去したところ、パソコンンはインターネットに繋がらなくなりました。初めはタカをくくっていたのですが、繋がらない頻度は徐々に多くなり、「これはイカン」と、いつも世話になっている「PCデポ」に持ち込んだところ重症でした。
内部を一週間前に戻して貰っても治りません。「初期化するしかない」との結論になりました。それが一昨昨日。今日も「PCデポ」へ行きましたが、データーの確認だけで、仕上がりは来週の月曜日とのこと。いやはや、これははや、でありまする。
既に一年前にお役御免となった古いパソコンを取り出して、いま、顛末を記しているのですが、つらつら思ったのは「パソコンは、既に身体の一部になっていた!」ということです。パソコンと対峙していないと、大げさに言えば、<人生の間が持たない>のです。オカシナ感覚ではありますが、初めての経験です。
今日、今しがた、「ブログでホームページの松坂さんのの協力を得て」古いパソコンでのログインができました。4日間の空白が生じましたがご了解ください。憎っくきは悪性のウイルス、、、何が面白くてやっているのでしょうか。(12月9日夕)
2020年12月4日 ガラケー
タイ・チェンマイの電気街で買ったファーウエイのスマホを、数ヶ月前にYモバイルの簡単スマホに乗り換えたものの、私にとっては決して簡単ではなく、ほとんど電話だけの代物になっています。ウインドウ10の大型パソコンと、IPADは何とか使いこなせているものの、なぜか、スマホは性に合わないのです。ほとんど通話だけなのに、毎月4〜5千円取られているようです。
ここへ来て国が音頭を取って料金値下げの機運が高まり出しました。いち早く、NTTドコモが月額2,900円を打ち出しました。低迷しているドコモにとっては起死回生のチャンス到来ではないでしょうか。かつて、私の家の電話・テレビ・ネットを支配していたのはNTTでした。月額の支払いは12,000円を超えていました。練馬の地デジが割り込んできて10,000円になりました。今は「ひかりTV」で8,000円前後です。
なぜ、NTTがダメだったか、というとサーヴィスがなってなかったからです。依然として親方日の丸的であったからです。そのため、サーヴィスの良い同業他社に抜かれて、回線専用会社に落ちぶれてしまったのでしよう。
現役の頃、関連会社の責任者がうち揃って、三浦三崎にあるNTT研究所へ見学に行ったことがあります。20年も前のことですが、余りに凄いことを研究し、将来起こりうる通信革命を予測しているので、驚いたことがありました。20年経ってみてNTT研究所予測は見事あたりましたが、どれもこれも民間企業に採られ、NTTは鳴かず飛ばずでありました。腕時計の大きさの中にすべての通信機能が集約されるとのNTTの予測は、確かに当たりましたが、それはアップル社のモノとなりました。
通信機能の発展には、到底、付いていけないモノがあります。でも、私などまだいい方です。仲間が寄ると半分は未だに「ガラケー」なのですから。
天と地を くぅる くぅる
回るは 誰じゃ
それは 水
世界中を くぅる くぅる
回るは 誰じゃ
それは 風
柿の木を くぅる くぅる
回るは 誰じゃ
それは
その実の 欲しい子じゃ
ー金子みすゞー
2020年12月3日 アメリカの社会主義
昨年の今頃、私の三男は休暇を取ってロスアンジェルスへ行きました。今もってフィギアのブレードランナーに凝っていて「何があっても」と、親父から金をせしめて行きました。ロスの空港近くの宿でしたが、危険極まり無かったそうです。私がロスへ行ったときもそうでした。立ち入り禁止の通りへ、ふと、立ち入ったところ、危うく身ぐるみ剥がれそうになりました。一方、ハリウッドには豪壮な住宅が目白押しです。どの家にも電気鉄条網が張り巡らされていました。アメリカにおける貧富の差は、恐らく世界一ではないでしょうか。持てる者と持たざる者との確執。それがアメリカの底流にあって、それが故に選挙でも問題が発生するのでしょう。持たざる者はアメリカ社会を社会主義化、共産主義化しようとします。主として黒人、ヒスパニック系の人々です。その寄り集まりが民主党でありましょう。その反対、持てる者同志は共和党で結束します。この隠然たる戦いが表面化したのが、今回の大統領選挙ではなかったでしょうか? 世界的に見て、ソ連のマルクス・レーニン主義は崩壊しました。東ドイツも西ドイツに併呑されました。社会主義・共産主義は今は中国のみに残っています。ところが中国の共産主義は似ても似つかない資本主義の亜流です。にもかかわらず、アメリカの民主党は中共とズブズブの関係にあります。これは、他方から見れば中国はアメリカをして社会主義・共産主義の国にしたいのです。だからこそ、あらゆる手を使って、不正まで犯して民主党に肩入れしたのでしょう。
振り返れば、アメリカはこの100年間、黒人、ヒスパニックは元より、あらゆる人種の移民をアメリカ国民として受け入れてきました。その結果、持てる者と、持たざる者との差は、いよいよ顕著になってきました。この先、アメリカを支配するのは社会主義者になるかもしれないという予兆が、今回の選挙の底流にあるような気がしてなりません。
私は 青い馬に跨がった 酔いどれ
邪教や正教
信仰や戒律には目もくれず
神も 真理も 世の中のもろもろ
一切 眼中になく
ひたすら
前世と来世の間を
駆けぬける 酔いどれ
この上ない勇者
と呼んでくれ
2020年12月2日 正義の味方?
「新聞は読まない、取らない、触らない時代」となリ始めたのは、日本では森喜朗首相の頃でしょうか? 「IT革命だ」 と叫ばれた時代に発します。25年ほど前でしょうか? アメリカではもっと早く、その5年ほど前に遡ります。ニューヨークタイムスの部数は120万部を割り込み、27人の女性社員が一室に立てこもり、朝から晩まで電話拡張をしていました。ワシントンの街角毎には新聞の即売スタンドが設けられていましたが、開けて買う人は稀でした。空港の機内搭乗口には新聞は山と積まれていました。無料なのに、機内に持ち込む人はほとんどいませんでした。
IT革命が進むにつれ、新聞を読むのは高齢者ばかりとなり、それらの読者がいなくなるにつれ、都市ごとにあった新聞社は次々と潰れていきました。共和党の記事も民主党の出来事も、ただ、表面的な報道になりました。不正があろうと重大問題が起きようと、新聞はその深層に迫って事実を報道する力が、自ずと無くなったのです。
その証拠に今回の選挙でバイデン側に、息子のハンターバイデンに絡む中国資金や、直接の不正行為について、かつての大新聞であったニューヨーク・タイムスやワシントン・ポストなどが、本来ならガンガン書き立てるものなのに、それらしい素振りも見せていないではありませんか。
ユーチューヴに毎週登場する「中川牧師の書斎」はアメリカの選挙について、実に克明に、そして公正な見方で、その裏側を語ってくれています。その情報の出所はアメリカのすべての新聞・テレビ・ネットです。英語が堪能の牧師ならではの、実に正鵠得た解説になっています。そして、最後には「クリスチャンとしての見方」で締めくくります。中川牧師も嘆いていました。なぜ、大新聞が真相の解明に動かないのか?と。
私は中川牧師に申し上げたい。正義の味方であるはずのアメリカの大新聞といえども、既にその力がなくなっているのですよ、と。やがて、日本の新聞もそうなりますよ、と。
イギリスのオックスフォード大学医学部の
掲示板にある日大きな告知がなされた
「この度 本学のA教授が 畏れ多くも
エリザベス女王の主治医に就任された」
翌日 その告知に落書きがあった
ゴット・セーブ・ザ・クイーン
2020年12月1日 朝日新聞社長辞任
朝刊によると、朝日本社の9月中間決算は、前年同期比22,5%減の92億9100万円の赤字だそうです。更に、税金の繰延資産を取り崩したので純損益は419億800万円の赤字となりました。中間決算としては9年ぶりの赤字です。部数減に加え、コロナに寄る広告収入も激減し、経営者の責任であるとは言いがたい面もあるでしょうが、渡辺社長は「コロナ禍がキッカケとはいえ、構造改革のスピードが鈍かったことが赤字の背景にあることは否めず、責任は社長である私にある」として辞任を表明しました。誠に潔い渡辺社長の決断ではあります。つらつら世間を見渡してみるまでもなく、この一年、売り上げを伸ばした会社はあるでしょうか?広告の激減は新聞社の経営を直撃します。恐らく、全国紙のみならず、日本の地方紙、ブロック紙なども押し並べて赤字でありましょう。スマホの普及により、人々が「新聞は取らない、読まない、触らない」となっていること、更に地方経済が低迷しているため広告収入が激減していること、すべて新聞の退潮現象があるところへ、コロナが追い打ちをかけたこと、などなど。もし、コロナ禍がこの先一年も続けば、新聞社の倒産が目白押しになるかも知れません。
渡辺社長は私が千葉県を担当していた時の千葉支局員でした。千葉大を卒業し、一年留年し、朝日の仲間入りをしました。当時担当していた千葉市浜野の新聞店主から、娘のアルバイト先を見つけてくれないか、と頼まれました。私と私の助手だった大久保英一君は、丁度、千葉支局に空席があったので娘さんを支局長に頼んでアルバイト採用にして貰いました。浜野のお店の娘さんは、実に気立ての良い美人でありました。浜野の販売店には実に見事な奥様が店を切り盛りしていたのですが、小柄な旦那は、仕事は兎も角、情報屋で大久保君から改廃しようという申し出がありました。助手の勉強のためもありました。朝日の販売店を辞めて貰いました。いい仲になった浜野販売店の娘と渡辺支局員を残し、改廃された夫婦はその後、青森で読売新聞の店を引き継ぎ、その次は産経新聞の店に移ったとかいろいろ噂は流れました。
浜野販売店の娘で千葉支局のアルバイトを勤めた美人と渡辺支局員は華燭の典を挙げるや、見る見る階段を上り始め、ついに、社長にまでなりました。生まれた娘さんは宝塚の人気女優にまでなりました。どこの誰がこのことを予測出来たでしょうか? もし、我々が浜野販売店の娘を千葉支局のアルバイトに推薦しなかったら?渡辺支局員の社長はあり得たのかどうなのか?
今はただ、渡辺社長ご苦労様でした、と申し上げたい。幸い、朝日新聞は東京にも大阪にも、博多にも不動産を沢山所有しています。有楽町マリオンも、大阪のフェステバルホールも、博多の駅前ビルも朝日の所有です。たとえ、読者が200万になっても持ちこたえていけるでしょう。そのうちに、電波ではダメだ、情報伝達は紙媒体に限る、という時代になるかも知れません。
三才になったモエちゃんは
お母さんと田舎の家に行った
お風呂を湧かそうとお母さんは
水道の蛇口を開けぱなしにした
しばらくしてから言った
モエちゃん お風呂見てきてくれる?
トコトコ見に行ったモエちゃんが
息せき切って 帰ってきた
「ママ 大変だ お風呂が足りない!」
2020年11月30日 田岡俊次
ユーチューブを検索していたら、元朝日新聞記者で軍事評論家の田岡俊次の番組がありました。懐かしさの余り、同じ番組を繰り返して観てしまいました。私がかつて私淑していた人物だったからです。彼は私より4才年下の1941年うまれ。京都の朱雀高校から早稲田政経学部政治学科の卒業です。父親は京大の法学部長。毛並みは立派です。私より2年遅れて朝日新聞入社。主として防衛庁を担当する政治部記者として敏腕を振るいます。著書も6冊あります。2007年には「北朝鮮・朝鮮はどれだけ怖いか」、2014年には「日本の安全保障はここが間違っている」などがあります。2冊とも私の蔵書になっています。退職してからは軍事評論家として活躍していましたが、このところ、音沙汰がありませんでした。今日、画面での対談に登場していた彼の風貌は、私より若いのに、私より老けて見えました。でも、論旨は明快でした。 「尖閣で中国と日本との間に小競り合いが起き、拡大することがあっても、アメリカは日本には加担しないだろう」 「アメリカが強気に出て中国と戦火を交える事態になった場合、沖縄、ガム、三沢、岩国、横田などにミサイルが着弾するだろう。アメリカは戦争が下手だ。それは中東のイラク、パキスタン、アフガニスタンでのアメリカ軍をみればよく分る。バイデンになったアメリカは、中国とは宥和政策をとるだろうが、両大国の狭間にある日本は、両国の軍事衝突を回避する立場を貫きたい」と述べていました。時に、横暴な中国共産を世界の軍事力でぶっ潰せ!と思わずにはいられませんが、どんな事態になっても戦争は回避すべき、という田岡俊次の言葉には重みがありました。
いっぱいの星だ
暗い夜道
星雲の中へでも入りそうだ
とおい村は
青いあられ酒をあびている
眠くなった星が
水気を孕んで下りてくる
あんまり星が
たくさんなので
白い穀倉のある村への路を
迷いそうだ
2020年11月29日 不毛の一年
11月も終わって、そろそろ師走です。コロナは去年の今頃から感染活動を始めたようですから、約一年が経過しました。実にイヤな一年でありました。感染したくないという自己防衛の本能からか、人間不信の一年でありました。自分の殻にだけ閉じこもった孤独な一年でありました。ゴルフコンペも、囲碁の会も、OB会も、同窓会も、同級会も、仲間内の小さな会もすべて中止、中止、中止、、、四季毎に行っていたタイ・チェンマイも国境閉鎖で行くことならず。計画していたヨーロッパ、ロシアなどもってのほか、、、本を読もう、ピアノを復習しようと意気込んでみても、一向に熱が入らず、だらけた毎日が容赦なく過ぎてゆきました。
殺菌力があるというので、寝るときはクローブを噛み、起きるとイソジンで嗽をし、綿棒でルゴールを喉に塗り、これも殺菌力があるというので抹茶をたてて、仕事場の窓を開け放ってゆっくり飲み、朝食の定番、ゴーヤーの桜エビ炒め、納豆、目玉焼き、ヨーグルトと蜂蜜、、、、もういいよ、という思いです。
外出といえば車での食料品買い付け。行く先々で手指をアルコール消毒。帰ってきてもアルコール、、、、バスにも電車にも乗らず、人混みには近寄らず、音楽会も、展覧会も、歌舞伎も、大相撲もお預けだった今年、、、、
考えてみれば、私と同じ思いで毎日をうんざりしながら送っている人々はどれくらいいるか。日本には何千万人、世界では数十億人がいることでしょう。この異常だった年。それもこれも中国のせいです。中国共産党のせいです。武漢の細菌兵器研究所のせいです。最近、中国から王岐外相が来日しましたが、ただ来ただけで、済まぬとも、申し訳ないの一言もありませんでした。
きんもくせいの匂いが
庭いっぱい
表の風が
御門のとこで
はいろか やめよか
相談してた ー金子みすゞー
2020年11月28日 映画の力(2)
「ヨーロッパの夜」は 半世紀以上も前に日本で上演されたイタリア映画です。戦争が終結し、ヨーロッパの人々の<夜を楽しむ>さまが、そのまま映像となっている半ば記録映画でもありました。冒頭、珍妙な楽隊が登場します。笑いがはじけます。サーカスが現れます。綱渡りや、空中ブランコの華やかさの裏に潜む、過酷な訓練人間模様に焦点が当てられます。高度なマジックには 驚かされました。鋭利な電動ノコギリで真っ二つに切られたのに、その本人が舞台上手から登場します。鎖でがんじがらめにされ、水中に閉じ込められた美女が、アワやという瞬間、濡れていない衣服で舞台に現れます。ハンブルグの飾り窓の女達もありました。美少年がたむろするクラブに押しかけるその道の人々の葛藤もありました。オペラもありました。ウイーンの楽友協会の恒例のコンサートも圧巻でした。屈指はパリの「ムーランルュージュ」や「赤い風車」の 出し物でした。軽騎兵序曲に合わせて踊るラインダンス。美声の黒人が歌うセクシーな歌 、そして、夜明けと共に流れるドメニコモドーニヨの「ボラーレ」、、、、学生を卒業したころだった私は、楽譜を取り寄せ、自分でピアノを弾きながら蛮声を張り上げたモノです。「ヨーロッパの夜」はただそれだけのモノなのに、何で半世紀にもなるのに心の底に隠然と存在しているのか? 考えてみれば不思議です。でも、復興途上の日本にはない平和なヨーロッパに住む人々の夜を楽しむ姿に感動したのではないでしょうか。感動こそが映画だ、と私には思えてなりません。
暗い鉄の塀が
何処までも つづいていたが
ひとところ 狭い隙間があいていた
そこから 誰か
出ていったやつがあるらしい
そのあたりに
たくさんの花が
こぼれている
2020年11月27日 映画の力(1)
映画は、ただ、深刻な事象をこれでもか、と訴えるだけで果たしていいものなのかどうか? 前川さんが関わった「子どもたちをよろしく」を観て考えてしまいました。私が最初に感動した映画は確か「石ノ花」というロシア映画でした。地中探検の映画で初めての天然色でした。中学生の時で、学校全体で映画館へ行った、と覚えています。
東京へ出てきて、アルバイトしながら浪人生活を送っていたときです。受けた大学からはいまだ「なしのつぶて」です。コックにでもなろう、と銀座の「トルコ野田」という料理店で見習いを始めました。「オレの人生もこれまで」と悲痛な思いを胸にしながら銀座の和光裏のテアトル銀座で「モンマルトルの丘」という映画を観ました。コラボケールの歌が流れました。見終わって銀座の空を仰いだとき、「オレの人生には無限の可能性が満ちている、矢でも鉄砲でも持ってこい」と吠えました。
ところが、数日して明治学院大学の合格通知が来ました。続いて、早稲田からの合格も手にしました。そして、今があるのです。映画の筋は忘れましたがコラボケールの歌を聴くとき、私は映画によって救われた、と今でも思うのです。
黒沢明の一連の作品を私は今でも秘蔵しています。中でも「7人の侍」「生きる」は何度繰り返して観たでしょうか。チャップリンの全作品もそうです。「独裁者」「モダンタイムス」など、今でも時折観ています。最近では宮崎駿の一連の作品です。
どうしてももう一度観たい、と言う映画があります。「ヨーロッパの夜」という記録映画です。探しに探しても入手出来ずにいます。その映画の中ではドメニコ・モドーニヨが「ボラーレ」を声量豊かに歌っています。それが、よくてよくて、、、、、、
感動の伴わない映画は映画とは言えないのではないでしょうか。失礼ながら、前川さんに言いたい言葉です。
墓石に詩文を書くのは外国の習慣だが
日本でも見かけるようになった
「わが妻 安らかに眠る その恵みにより
われ 安らかな時を過す」
「この墓の前でお喋りをしてはならぬ
彼女が目を覚まして加わるから」
「彼は 無神論者であったが いま 正装して
天国からの迎えを待つ」
「この墓の前に アルコール飲料を近づけては
ならぬ 彼が気づいて起き上がってくるから」.
2020年11月25日 前川喜平さんを囲む会
福島へ行った目的はもう一つありました。文科省の前政務次官であった前川喜平さんを囲むフォーラムと彼が企画した映画「こどもたちをよろしく」を見ることでした。前川さんは現職の頃、歌舞伎町のイカガワシイところへ通っていると読売新聞にすっぱ抜かれ、当時の菅官房長官によって辞職に追い込まれましたが、実態は正義の人であるため世間の風当たりは内閣府に集まりました。そして今や、忖度だらけの男、萩小田光一が文科大臣です。それ以来、私どもは前川喜平さんのフアンとなっています。その人が関係した映画なら見たいではありませんか! 前川さんご本人のお顔も仰ぎ見たいではありませんか!
福島駅近くの小さな会場でしたが7,80人が集まっていました。元より覆面姿の前夜の小林福寿さんも見えていました。情報源は小林さんだったからです。映画は貧困の家庭やギャンブル狂の親父を持つ子どもたちの苦悩を描く深刻なテーマで満ちていました。余りに暗く、救いようのない実態がアカラサマニされるので、私はそれに耐えられず外に出てしまいました。上映後のフォーラムの中で、前川さんは私は企画の段階で加わっただけで、親友の寺脇がこの映画を作った、とおっしゃっていましたが、もし、全面的に前川さんがメガホンをとっていたなら、これ以後「前川ファン」を降りようか、と思ったほどです。
質問・意見を受ける時間となりました。真っ先に手を挙げた私にマイクが渡されました。「私は前川さんの熱烈なファンの一人であります。その前川さんがお作りになった映画が上映されると聞き及んで、東京から泊まりがけでやってきました。(ここで会場から拍手が起きました) この映画は現実を直視し、世の中に問題を提起した、実に優れた作品であります。感動を覚えました。ただ一つ言わせていただけば、心がほのぼのとするシーンが一つでもいいから欲しかったなあ、と思います。この作品については前川さんは、ただ、企画の段階でのみ加わり、すべては寺脇さんの手によるものとのご説明をいただき、一面、安心いたしました。(会場失笑)前川さんには一日でも早く政治家になっていただきたい。そしてニックキ萩小田光一を引きずり下ろしてもらいたい、前川さんのご健闘を祈ります(会場拍手)」
奈良の遺跡から黄金の棺桶が発見された
中に三つの女性の頭蓋骨が入っていた
一番小さなものを 学者達は
女帝卑弥呼の少女時代のもの と断じた
二番目のものを
女帝卑弥呼の全盛時代のものと断じた
三番目の 歯の欠けたものを
女帝卑弥呼が
老婆になった時のもの と断じた
2020年11月24日 眼 癌
22日は元福島民報新聞社の敏腕記者であった、小林福寿さんと一献傾けたく福島まで出かけました。福島県には読売系の福島民友、毎日系の福島民報の2社があります。福島駅を降りて、すぐ、駅前通りの右側に博向堂という書店、その隣に長沢朝日新聞専売店がありました。100年続いている老舗でした。書店も、新聞店も長沢さんの経営でした。その向かいに福島民報社がありました。新幹線が入ってきて駅西が開発され、その影響で書店・新聞店も、そして民報社も移転を余儀なくされ、民報社は駅西に大きなビルを建て、そこに移っていますが、昔の民報社は地の利がよかったことから、出張のたびに寄らせてもらっていました。昔から朝日と毎日及び毎日系の新聞社とは仲が良く、共通の敵は読売と民友だったからです。
その民報社の小林記者とは、はじめはフェースブックでの出会いでしたが、話してみると共通の友人が多く、数年前に訪ねたときは、丁度、桜の季節だったので小林さんの案内で福島名所「花の山」へ連れて行ってもらいました。ある奇特な人が作り上げた「全山桜」で埋まっている秘所でした。
元気そのものだった小林記者は、その晩、目には眼帯、そしてマスク姿で現れました。「癌が目にできた」というのです。左目の癌が大きくなり切除を余儀なくされ、その空洞を腿の肉をとって埋めた、というのです。たまげてしまいました。目にも癌が発生するとは? 聞くところによれば目の癌は全国で年間50人ぐらいが発症するとのこと。なぜ、よりによって、民報社の敏腕記者がその50人のうちに入らねばならなかったのか?と。
私は即座に、これは福島県ならではの公傷・公害に違いないと思いました。なぜなら福島県はいたるところが放射能に侵されています。新聞記者である以上、放射能を恐れていては仕事になりません。その血と汗の結果が無情にも癌となって、最も大切な「目」に現れたのではないでしょうか?
「視力は0.7ですが右目だけでも運転はかろうじて出来ますよ」と笑い飛ばしながら、ちびりちびりと酒を口にする小林さんを前にして、私は居たたまれなくなりました。
大空の果ては 見当もつかない
分かってのは 命に限りがあること
天の掟は 心に辛い
できることを 楽しんで 精一杯やろう
番が回ってきても それは誰にでもあること
笑顔で受け入れよう
2020年11月21日 可燃・不燃物処理
練馬区での可燃ゴミ以外の収集は意外と複雑です。まず、区役所の担当部署へ電話します。混み合っていてなかな繋がらないの欠点です。品物の種類と大きさを言うと、金額が提示されます。コンビニへ行ってその金額のシールを買います。そのシールを各々に貼り付け車に乗せて処理施設へ運びます。自分で車から台車へ降ろします。職員は手を貸してくれません。
昨日、東久留米市の龍泉苑組合という処理施設へ行きました。広大な敷地を擁する大きな処理施設でした。予約も何もいらず、ただ市民のものであったという証明が条件でした。先ず、道路上に設えられた秤に車ごと乗ります。白い札に何事かが書き込まれます。それを持って順路に従って進みます。可燃ゴミと、不燃ゴミと別れていましたが、両方とも係員が降ろすのを手伝ってくれました。空になった車ごと、再び秤に乗りました。料金が提示されました。
不燃ゴミを積んだ業者の車と、可燃ゴミを積んだ私の車は都合4回ここへ行きました。払った料金は約3万円。業者へは6万円。都合9万円で団地一所帯分の廃棄物処理が出来てしまいました。廃棄物業者は2社とも30万円を超える見積もりでした。
残されていた物は14年前に亡くなった私の母親の物が大部分でした。喪服や帯や見慣れていた普段着など、後ろ髪を引かれる思いで袋や段ボールに入れました。遅く帰ってきて、仏壇に報告すると「早く言ってくれれば、持ってきて貰いたい物があったのに、、、、」と母親が言ったように思いました。
こおろぎの脚が 片っぽ もげました
追っかけたタマは
叱ってやったけど
しらじらと 秋の日差しは こともなく
蟋蟀の 脚は片っぽ もげてます
ー金子みすゞー
2020年11月19日 GAFA
GAFA(ガーファ)とはグーグル、アマゾン、フェスブック、アップルのことです。既に私の生活に密着しています。グーグルの検索で世界の情報を入手し、フェースブックで友人知人と会話し、アマゾンで必要品を買い、IPADはベットでの友になっています。しかし油断は禁物、アマゾンでこんなことがありました。金沢の知人から送られてきた珍味のお礼に、アマゾンから虎屋の羊羹5本入れ(2800円)を送りました。数日後に福島へ行くので、お土産のつもりで同じモノを注文しました。届いたの確かに5本入れの羊羹でしたがハガキと同じ大きさのモノでした。虎屋に聞いたところ一本300円のもので1500円相当のものだとのこと。アマゾンにクレームを入れました。発送業者に聞いてくれとのこと。業者を探しました。京都の外れの市営住宅がその業者の居所でした。業者は居丈高にこう言いました。「商品も値段も間違いない。虎屋から仕入れはするが、値段はこちらで決めている。文句あるか!」 再び虎屋に電話すると「実は当方も困っている。大変迷惑している。でも、取り締まる条例がない」とのこと。
怒り心頭を発した私はアマゾンに「こういう悪質業者となぜ、取引しているのだ!」と非難を浴びせました。しばらくして、メールがありました。「申し訳ありません。私どもの監督不行き届きでした。以後、気を付けます。お詫びに購入代金を全額返金させていただきます」とありました。大企業同士でも、その間隙をぬって悪徳業者が跳梁跋扈する、その現実を経験しました。
この古びた宿場を
人は 世界と呼ぶ
昼と夜の 二色の休み場所だ
繁栄を謳歌した国王一派の末裔は
自分の手柄でもないのに 今もって
歓楽の限りを 尽くしている
善政をひいた
800年前の国王一派は
墓に眠って 声も立てない
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