最近のエッセイ(83)

2022年5月9日            勝 手

 修理から戻って、至極、快調に動作していたパソコン画面に、突然、富士通からと思われる画面が現れました。現在の「ウインドウ10」を「ウインドウ11」にバージョンアップをしてやるから指示に従えというのです。思えば古いパソコンは「ウインドウ7」でした。それを10に替え、万事、支障なく使っていたのに、また、新しいバージョンが出来た、というのです。人間、新しい方に、つい、気持ちが動きます。パソコン画面が言う通りインストールの開始のボタンを押してしまいました。

 約3時間後、デスクトップは背景画面を含めて全くの様変わり、となりました。使い慣れたアイコンが、一律にあまり面白くないデザインに代わっていました。「何で、勝手に替えるのか、それぞれのアイコンにはそれなりの思い入れがあったのに!」と怒り心頭を発してしまいました。他の画面もそうでした。白色が基調であったのに黒色に変わっています。ピン止めのアイコンも含めて、色もデザインも、そして、位置も、すべてが大きく様変わりしてしまいました。富士通がいくら製造元だとはいえ、購入した以上、所有権はこちらのものです。それを断りなしに、自分たちの好みは万人に通じるはずだ、との思い込みだけで勝手にデザイン変更していいのでしょうか?

 我々一般人にとっては、ましてや、老年者にとっては、パソコンはメールが出来て、文章や写真が掲載できて、ユーチューヴや、ツイッターや、フェースブックがあればそれで十分なのです。それ以上は望んでいないのです。富士通にもの申して、元の「ウインドウ10」に戻してもらうか、つい言いなりに入れてしまった「ウインドウ11」に慣れ親しむ努力をするか、正に、ハムレットの心境です。

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  2022年5月8日         神田三省堂

 神田神保町の一角にそそり立つ三省堂が閉店、という記事が朝刊で報じられました。出版不況もとうとうここまで来たか、と感無量になりました。早稲田に通う貧乏学生だった頃、高田馬場から大学まで、バスはあるのに行きも帰りも歩きました。通りの両側には古書店が2,30店、軒を連ねていました。覗く楽しみもあったからです。大学三年になってからは、学校が終わると早稲田から都電に乗り、終点の茅場町の日経新聞社へ行って10時半まで仕事をして、再び都電に乗って高田馬場まで来て上井草の4畳半の部屋に戻ります。約3年間、毎日、三省堂のビルを仰ぎ見てきました。社会人になってからも、しばしば神保町へ行きましたが、なぜか、古書店街に身を置くと、心が騒ぎます。ある意味では心の故郷に近い存在でもありました。一通り古書店を回って、好みの本を仕入れ、最後に中華料理の「揚子江」へ入って一杯のビールを飲みながら、堅焼きそばに辛子と酢をフンダンに入れ、そそくさと食べる幸せも、神田ならではのものでした。

 今、書籍はインターネットで注文します。「アマゾン」を始め「古書店」など、数多くのネット取り次ぎ業者が目白押しです。注文すれば翌日には家の玄関に届きます。便利さではこの上ないのですが、古書店内に渦高く積まれた本の山を見、その独特の匂いを嗅ぎながら、しばし、その世界の中に身を置いて我を忘れる、そういう時間とはすでに決別を余儀なくされたのです。独特の空間の中に身を置いて、あれこれ迷いながら、古の碩学の面影を探る貴重な時間は、もう、戻って来ないのかもしれません。

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2022年5月7日          原子力発電

 ロシアのウクライナ侵攻を非難して、世界の国々は、ロシアからの石油や天然ガスの輸入を控えています。その間隙をぬって、原子力発電への回帰が密かに勢いを盛り返し始めました。イギリスを訪問した岸田総理までもが、ロンドンでそれらしい含みのある演説をしたというので問題になっています。エネルギーとしての石炭、石油、天然ガスから世界は脱却しよう、それも、30年後には完成させようというのは、今や、世界の合い言葉であり、各国は競って風力発電の開発にしのぎを削っています。ところが、日本ではどうでしょう。その趨勢に背を向けて、未だに原子力発電に未練タラタラなのです。アメリカの原子力会社を買収して自社の傘下に入れ、そのことのために苦境に陥った東芝なども同じ穴のムジナでありましょう。

 なぜ、日本では未だに原子力発電に固執しているのか? なぜ、風力発電に対する開発が進まないのか? 実に不可解です。双葉原発であれほどの被害を受けたにも拘わらず、54基ある原子力発電所の大部分が未だに稼働させているのはなぜなのか? それも、これも、政治の弱さに起因している、と私は思います。冷凍透明人間と揶揄された岸田総理では無理なのです。もし、河野太郎が総理になっていたら違っていたでしょう。彼は、かつての小泉純一郎総理と同じく、日本には核廃棄物を永遠に貯蔵する地盤がないから、原子力発電は日本には向かないと既に喝破しています。元総理はフィンランドのオンカロへ行って、地下400メートルの岩盤深くに廃棄物が密閉廃棄され、10万年は大丈夫だと言われている現実を見て、日本国土にはそういう岩盤がない、だからダメだ、と結論したのです。

 歴史を遡るまでもなく、日本に原発をもたらしたのは読売新聞です。社主の正力松太郎です。電源開発の総裁も同時に務め、原子力の安全性を電通を使って日本国中に広めました。地方紙やテレビにばらまいた金の総額は、何と、2兆4000億円!もし、読売新聞なかりせば、福島双葉原発の大災害は起きなかったでしょう。

 汚染除去が進み、居住可能区域となった双葉町の隣、大熊町へ今月11日~13日にかけて行って参ります。佐藤彰牧師が建てた大熊町教会の現況を見るためです。大熊町と富岡町の間に位置する夜の森町の500本の桜が、既に葉桜になっているのが残念です。 

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2022年5月6日          移りゆく時

 一昔前までは、拙宅の車庫の上はベランダになっていて、そこには沖縄から取り寄せたガヴァの木などが植わっていました。底の浅いザルを置き、毎朝、100円ショップで買ってきたひまわりの種などを入れてあげていました。ヒヨドリ、ムクドリ、などがそれを狙って、朝早くから騒いでいました。時には緑色のメジロの番や、近くの石神井川からセキレイまでもが現れました。飼い犬のシーズーが、小鳥たちが争って餌をついばむのを楽しそうに見ていました。いつの頃からか、小鳥たちの数は減り始め、使われなくなった高架送電線に大挙して止まって騒いでいたムクドリの姿を見ることもなくなりました。鳩も、雀さえも見かけなくなりました。今のベランダは簀の子をひいた鉢植え置き場になっているのですが、蝶も、蜂も、小さな虫さえも寄ってきません。25年ほど前の、餌を奪い合うベランダの喧噪が夢のようです。

 新聞が読まれなくなり、部数は日を追うごとに減少し、その上、企業の収益悪化で広告の出稿量も激減し、全国の新聞社は青息吐息の状態です。テレビ局でさえ収益率が低下し、その存続が危ぶまれ始めました。代わって、情報伝達手段としてのネットが凄まじい勢いで時代を先取りしています。フェースブックは元より、ツイッターやラインなど、その上、報道によると、より巨大なネット空間が近く、できあがるそうではありませんか。

 一昔前の練馬は緑の多い、小鳥たちが群れ遊ぶ楽園でした。いまは全くその面影が無くなったのは、地域といえども、日々、変化しているからでありましょう。年とともに変化していく世の中と、どう足並みをそろえて生きてゆけるか、それが問われているのです

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2022年5月5日          議員特権

  衆議院議員に初当選した山本太郎が、敢えて、議員辞職をして、来る参議院選挙に再出馬するそうです。会派の人数がものを言う議会政治であってみれば「令和新撰組」としては参議院で纏まりたいのかもしれませんが、「折角、当選させてやったのになんだ!」という非難の声も上がっているようです。

 永田町に聳える国会議事堂の並びに、衆議院、参議院議員のための議員会館があります。かなり広い部屋を与えられ議員はそこで寝泊まりしたり、執務したりしています。大きなレストランがあって、山海の珍味が廉価で食べられます。一度だけ社会党の勝間田正一氏に会いに、NHK労働組合の副委員長であり、長野高校同級生だった佐々木潤君に伴われて、その会館内に入ったことがありました。ついでに、食事にも預かりましたが、その豪華さには驚かされ「成程、議員特権とは物凄いものだなあ」と思わされました。

 議事堂の周りには外務省、昔の大蔵省、通産省などの官公庁が所狭しと軒を連ねています。新聞、雑誌類の配達はどうなっているかというと、今もそうですが「丸の内販売」という老舗が全国すべての新聞、出版物を一手に扱い、議員会館、官公庁に納めています。作業場は有楽町~新橋間の高架線下です。私は若いとき、江東6区を担当した後、中央、千代田、港、新宿を担当しましたが、丸の内販売を訪れることは希でした。なぜなら、行ったところで部数が増えるわけもないからでした。

 新聞を含め、出版物代金は議員の個人負担でありましょうが、議員には数々の特権が付与されています。乗り物は航空機を含めてすべて無料です。そのほかに雑費として月額100万円以上が歳費のほかに付与されます。至れり尽くせりの厚遇が歴史的に継承されています。

 山本太郎はその恩恵を自ら断ち切り、一度、野に下って再出発しようというのですから大した度胸だ、といわざるを得ません。当然、最近の令和新撰組の人気の高さに肖ってのことでしょうが、さて、世間はどんな反応を示すでしょうか。

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2022年5月4日     時代を先取りしたピアノ曲

 このところ、ラフマニノフのピアノ曲ばかり聴いています。寝る時も、IPADを横に置いているので、否応なく耳に入ってきます。2曲あるピアノ協奏曲は数十回聴いていますし、ピアノ曲では「ボカリーズ」と「鐘」を弾いたことがあるくらいで、あとは、ショパン、シューベルト、ベートーヴェン、シューマン、モーツアルトばかりやっていました。思えば、この作曲家たちの音楽は江戸時代末期の音楽なのです。ショパンは1810年に生まれ1849年に39歳で亡くなりましたが、薩長土肥がのろしを上げた頃の音楽家でした。すなわち、私たちは幕末時代の音楽を、どういうわけか反復練習しているのです。

 1868年、日本は明治維新となりますが、そのころ、ロシアでスクリヤーヴィンが生まれます。1872年の生まれです。そしてその翌年の1873年にラフマニノフの誕生です。明治維新の4~5年後です。この天才はその名に怖じず1915年に43歳で他界します。彼のピアノ曲は、ソナタ1番~10番、前奏曲、マズルカ、ノクターン、ポロネーズなどなど、数知れません。その翌年の1873年に生まれたラフマニノフは1943年、私の生まれた6年後に71歳で没しましたが、この間、彼は膨大な数のピアノ曲を作曲しています。

 しかし、今、ピアニストたちが協奏曲以外、彼の曲を演奏会で取り上げるのは極く希れです。なぜでしょう。毎晩、聞き続けてきてそれが分かり始めました。あまりにも難曲だからです。超技巧的な曲ばかりなのです。暗譜するなんてとんでもない、楽譜見ながらでもミスを犯しそうな曲がほとんどです。しかし、その割に心に響く曲想がありません。ロマンチシズムがありません。ゾクッとするフレーズがほとんどありません。音の構成において、彼ら二人は、江戸末期の抒情派作曲家たちとは次元の異なる音を紡ぎ出しているからでありましょう。ロシア人の二人は相次いでモスクワ音楽院に入り、互いに競い合ったあまり、技巧に走りすぎたといえるのではないでしょうか。ラフマニノフとスクリヤーヴィンのピアノ作品が好んで弾かれるようになるには、もう少しAIが発達した時代になるような気がしてなりません。

th.jfifラフマニノフの誕生です。.jfif
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2022年5月3日           蟻の一穴

 今日は憲法制定の記念日。日本が国境を接するロシアが武力行使をは始めた以上、日本国憲法は今のままでいいのか?という論議が巻き起こるのは、宜なるかな、といえるかもしれません。戦局は一進一退の様子ですが、ここへ来て、ロシアに対する輸出規制がダメージを与える情報が飛び込んできています。部品が届かないから鉄道車両が作れない、精密機械が来ないから武器もできない、、、などなど。その最たるものが「砂糖」だそうです。甘いもの欲しがるのは人種に隔てがありません。戦後の日本もそうでした。サッカリンで代用していた苦い思い出がありました。

 ロシアという国は世界の国々がそうであるように、地方自治体ごとに行政が分かれています。その自治体によって、ロシアの砂糖は買い占められ、市場に出回らなくなっているそうです。もし、戦争が長引いたらどうなるか?友好国からの密輸に頼らざるを得なくなるでしょう。国境を接している国は、モンゴル、日本、中国、カザフスタン、北朝鮮、ベラルーシ、フィンランドなどです。もし、国連からの強い規制が入り、監視団が派遣されたらロシアはどうなるでしょう。国民の不満は爆発寸前まで高まるのではないでしょうか? たかが砂糖、されど砂糖、であるはずです。こと左様にロシアに対する世界の輸出規制は次第に効果を見せ始めました。

 プーチンといえども、砂糖までは念頭になかったでしょう。頑丈な堤防も蟻の一穴から崩れるのが古来からのならいです。世界は戦争終結に向けて、砂糖にも願いを託そうではありませんか。

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2022年5月2日          タラの芽

 或るときの4月末日、青森弘前に本拠のある陸奥新報社が、朝日新聞、日刊スポーツの関係者を招いて、桜見物をかねて宴を張ってくれました。新聞の現地印刷をお願いしたそのお礼であったのでしょう。その翌日、休暇をとって、担当員の船越君の車で私と日刊スポーツ部長の久保田君の三人は、下北半島の向かい側、津軽半島へ向かいました。私の提案でタラの芽を採るためでもありました。津軽半島は日本人が最初に稲作を始めたところとしても有名です。丸山遺跡以上のものが点在していました。岩木山を左に見て、十三湖で名物のしじみ汁に舌鼓を打ち、そこのおばあさんにタラの芽の在処を聞くと、すぐそこだというのです。行ってみて驚きました。道路から浜辺まで、見渡す限り、タラの芽が群生していました。夢中で採りまくりました。車のトランク一杯のタラの芽を収穫して弘前に凱旋しました。

 桜の咲く頃、野山は山菜に満ちあふれます。ふきのとう、土筆、のびる、ワラビ、ゼンマイ、コシアブラ、そしてタラの芽、、、、中でもタラの芽はその王者でしょう。さっと湯がいて、微塵切りにし、醤油をたらし、熱いご飯とともに掻き込む、、、、私にとっては至福の時が流れます。最近ではスパーでも見かけますが、ほとんどが人工栽培もので、天然物とは比べものになりません。買う気になど少しもなりません。

 つい最近まで、近郊の山へ行ってタラの芽をとるのは、私の春の楽しみの一つでした。埼玉の都幾川渓谷の奥く、湯桧曽川沿いの有刺鉄線で囲まれた中、いずれも秘密の場所になっています。連休が終わったら、タラの芽を目指して出かけるつもりです。 

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2022年5月1日      おめさん方、どこからおいでなすったえ

 函館五稜郭の桜は今が満開の時を迎えています。青森弘前城の桜は、例年、27,8日頃ですから散り始めているでしょう。最も遅く咲くのは会津の奥、檜枝岐の山桜です。5月5,6日に満開となります。会津鶴ヶ城の桜も実に見事です。

 その会津へ向かって今頃、次男の車は奥さんの真弓さんと、京都に就職して、連休で戻っている孫娘の萌(もえ)を乗せて東北道をひた走っていることでしょう。会津鶴ヶ城の学芸員として13倍の倍率を突破して再就職した孫息子の匠(たくみ)に会いに行くのです。四人で2泊3日を会津で過ごす、と聞いています。

 匠は、なぜか、日本の歴史については異常に詳しいのです。5人で昔の長州、今の山口県へ行って、全県を車で回ったとき、まだ、中学生であったのに、史跡の至る所で故事来歴の解説を滔滔とやってくれました。心酔していたのは高杉晋作と、吉田松陰で、その博識ぶりにはびっくり仰天してしまいました。会津藩は薩長土肥から見れば逆賊です。白虎隊に頼った悲劇の藩です。

 九州小倉に赴任しているとき、山口県の全販売所長さんの団体旅行で、福島の飯坂温泉、磐梯熱海、会津の東山温泉の三カ所を回ったことがあります。その最後の東山での夜の宴会の時です。10人ほどの芸者さんの中で、一番古株らしい芸者さんが「おめさん方、どこからお出でなすたえ」と聞きました。「山口県だ」、「山口ゆうたら長州かえ?」、「そうだ」、それを聞いた途端、この古株さんは「おい、みんなこの人らは長州だど」と大声を上げました。すると、10人の芸者さんは、一斉に「ええ~!」と声を張り上げました。すると、この年配さんは立ち上がり、続けました。「この仇やろう、よくもやってくれたな、仇を討つのは今だど。みんな、煮え湯をお酌してやらっしゃい」と大声で叫びました。会場は爆笑に包まれました。   

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2022年4月30日          沖縄三線(サンシン)

 一昨昨日、沖縄・古典芸能文化財保持者でもあった、私の亡くなった連れ合いの妹のご主人が亡くなりました。私の代わりに長男と次男が、すぐさま、沖縄に飛んで葬儀に参列してくれました。琉球新報、沖縄タイムズにも大きく報じられ、コロナ禍にも係わらず多くの参列者があったようです。

 夫妻は、若いとき、建て増しした練馬の我が家の二階に住んでいたことがあります。どうしたことか、そのとき、長男と同じ歳だった盛吾ちゃんを不治の病で亡くしてしまいます。失意のうちに沖縄に戻り、古典芸能の研鑽に励み、那覇市内から少し離れた津嘉山に自宅兼稽古場を作り、大勢の弟子たちに囲まれ、その努力の甲斐あって無形文化財保持者にまで上り詰めました。

 私どもが那覇へ行った時のこと、義弟と二人だけで海釣りへ行来ました。泊港で漁船を貸し切り、沖へ行って、釣り糸を垂らしました。その日は生憎、海は荒れ放題でした。二人とも船酔いに苦しみながら頑張り通しましたが、なぜか、釣れる魚はグルクンという赤い色をした魚ばかり。このあたりの海は沖縄戦が激しかったので、多くの血が流れ、それで魚は赤いのか、と不気味でもありました。

 練馬の自宅の地下室には彼から預かった一丁の沖縄三線があります。私の長男用のものでしたが、結局そのままになっていて、ニシキヘビの皮で作られ胴は破れたままになっています。でも、竿とテンジンは紫檀でできている高級品です。

 日本古来の三味線音楽は、時とともに衰退の一途をたどっていますが、沖縄はその逆で、ますます盛んなようです。いずれ、我が家に鎮座している三線も、古巣へ戻してやろう、と思っています。 

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2022年4月29日       戦争の形を変えているドローン

 圧倒的な軍事力の差がありながら、なぜ、ロシア軍はイスラエル侵攻でモタモタしているのでしょう? それは軍用ドローンのお陰のようです。しかも、トルコ製の「バイラクタルTB2」というドローンです。遠隔操作など全くいらない無人機です。しかも、AIの操作により、自ら飛び回ってロシア軍の戦車に体当たりし、爆破します。しかも、このドローンは小型の戦闘機の格好をしていても、音速で飛んでくるので迎撃することは困難だ、といわれています。

 ドローンの発達は、これからの戦争のあり方を変えるだろうと、昔から言われてきました。なぜなら、ドローンを素早く見つけて撃ち落としたところで、人的被害には全く繋がりません。トルコはこのドローンを、いま、大量生産しているのです。お陰でこの国の軍需産業は飛躍的に伸び始め、10年前の37億ドルから100億ドルに急拡大しています。今のところ、ドローンが輸出できる国はアメリカ、イスラエル、そして中国ですが、性能においてはトルコのものが最高だ、と見なされています。

 昔、絨毯の輸出で名をあげたトルコが、超近代兵器の輸出国になろうとは、一体誰が予測できたでしょうか?

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2022年4月28日       佐藤優の今

 ヨーロッパに住んでいる知人から本の注文がありました。その中の一冊、「知の巨人が暴く<世界の常識はウソばかり>」という副島隆彦・佐藤優共著の本が、今日、アマゾンから届きました。今年2月発行の新書です。知人に送る前、失礼とは思いながらペラペラとページをくくって見て驚きました。何と、佐藤優は現在、重病を患い、去る大学病院に入院中だというのです。病名は「末期的腎不全」、加えて「前立腺癌」!二つとも命に関わる重病です。おそらく、三日にあげず腎臓透析を受けているでしょう。癌に効く放射線療法を受けていることでしょう。

 現代医学は、すでに長足の進歩を遂げています。現在62歳の佐藤優の命を長らえさせるのは、そう難しいことではないはずです。前立腺癌には女性ホルモンなどの特効薬が出回っています。腎臓についても、いよいよとなれば生体移植という手もあるでしょう。河野洋平は息子の河野太郎から腎臓の生体移植を受け、今も二人ともお元気です。場合によっては中国へ渡って腎臓移植を受けることも可能です。。たとえ、それがウイグル人の腎臓であったとしても、、、

 私は思います、そして祈ります。日本国の医学は、この際、佐藤優を全力を挙げて救わなければならない、絶対死なせてはならない、と。何としても助けてやってほしい、と。彼は同社大学神学部に席を置いたクリスチャンでもあります。従って、死ぬことを恐れてなどいないでしょう。でも、私たちが彼を必要としているのです。彼の頭脳からほとばしり出る言葉を頼りにしているのです。彼の回復を祈るや切です。

 
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2022年4月27日          「線」に宿る美 

 仮に、筆でも鉛筆でも一本の線を引いたとします。人によって、そこに「美」が宿る人と、何本引いても「駄目」な人がいます。「駄目」を克服しようと人は書道などに打ち込み励みます。

 6年前に亡くなった宮沢恭人君と私がそうでした。九州小倉の西部本社の業務局長を彼から引き継いだとき、西部書道会も引き継ぎ、お役御免になってからも、二人して六本木の「飯島書道塾」に毎週、通いました。春敬先生はすでに亡く、奥様の恵美子さんが塾頭でした。春・秋二回の書道展は上野の都美術館で開催され、そのたびに出品を繰り返してきました。しかし、どうしても「線の美」を表現することができず、宮沢君には、それは少しありましたが、宮沢君の逝去とともに、書道から遠ざかってしまいました。

 私の中学生時代からの友人で、さる有名出版社の社長夫人になられ、お子様はピアノ教室の先生をされている方も、書道に精進され、師範代の資格をお持ちになっていらっしゃいます。この方は、ご自分では気づいていないようですが、お書きになる作品には、時として「キラリ」と光る「線の美」を表現できる方です。

 一方、タイ・チェンマイの教会で知り合った某氏は、三日にあげずご自分がお描きになった水彩画をフェース・ブックに掲載しているのですが、その熱心さは敬服ものであっても、絵そのものには迫ってくるものがありません。なぜなら、「線」が汚いからです。表現の世界では一本の線の含みは重大です。

 朝日新聞社が主催する「現代書道20人展」は、今年も年初頭に開催されました。コロナ渦になるまでは、毎年、楽しみにして行っていたのですが、今日、三年ぶりにネットで主なものを見ました。顔ぶれはすっかり変わり、仮名の名手小山いと子さんの名前はありませんでした。総じていえることは、「書道は造形に変化した」です。線の美を競うのではなく、文字の造形の奇を衒う、奇妙な世界に入ってしまっている、ということでした。書道たるもの、空海の「風信帳」の世界に戻るべきだと強く感じました。

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2022年4月26日         自由な言論

 今の日本では、時の政治に対して何を言っても、どんなに悪態を突いても拘束されることはありません。発言の自由が保障されているからです。一昔前の日本はそうではありませんでした。軍部が台頭し、シナ事変から太平洋戦争に没入した頃、日本国の隅から隅まで軍国主義が主流となり、それを批判すると非国民の烙印を押され、官憲によって拿捕されました。

 いま、かつての日本と同じ状態になっているのが、ロシア、中国、北朝鮮そしてミャンマーでしょうか。これらの国では自由にものが言えません。そのため、これらの国では祖国を捨て、国外に脱出するものの数が日ごとに増えていように仄聞します。ロシアではすでに10万人を超えているとか。中国では100万人を超えているとか。

 一週間前に行なわれたフランスの大統領選挙では、極右政党の女性候補ルペンとマクロン現大統領の一騎打ちになりましたが、かろうじて、マクロンが勝利しました。ロシアの肩を持つ女性候補ルペン氏との票数差は、前回よりも僅差となりました。仮に、ルペン女史が勝利していたら、フランスでも言論統制が始まったに違いありません。自由にものが言えない国に移行していくに相違ありません。数々の不満はあってもフランス人は良識を示した、といっていいでしょう。

 何でも自由にものが言える国、公然と政権批判しても、それが許される国、それが自由主義諸国の一員としての日本です。その自由な国日本人であることの幸せを、この頃、しみじみ感じています。

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2022年4月25日       マラソンと高齢者

 17日に行なわれた長野県の諏訪湖畔で行われた長野マラソン大会で86歳になる男性高齢者・小口さんが4時間7分3秒で完走したことが話題になっています。当日は、約4000人が走り、トップは長野市出身の牛山純一さんの2時間14分42秒でした。しんがりは5時間29分36秒でしたから、高齢者小口さんは大健闘だった、と讃えられるでしょう。86歳といえば、女性の猪又佐枝子さんの6時間9分33秒という記録があります。また、京都の宮崎さんは100メートルを42秒22で走っています。御年105歳です。

 世の中には元気な高齢者もいるものだなあ、と感心している私も小口さんと同じ86歳になろうとしています。「走る!」などとはとんでもない、歩くだけで精一杯です。

 これではならじ、と一念発起し、最近、室内用自転車漕ぎ機を購入しました。一日20分はこれを使って足腰の衰えをカヴァーしよう、との思いからでした。ところがどっこい、すでに、半月が経過しているのに一度も漕いでいません。

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2022年4月24日            やりずらくなった戦争

 ウクライナ南部の都市・マリウポリは、今や完全にロシア軍の手に落ち、世界最大といえる製鉄所の地下壕に1000人余りの一般市民と、兵士の一部が立て籠もるだけとなりました。ロシア軍からの降伏勧告があっても、応じようとはしていません。世界は固唾を飲んで見守り続けています。

 第二次世界大戦の末期、沖縄でも同じようなことがありました。沖縄本島は小さな島ですから、逃げようがありません。一般市民は砲火を避けて、沖縄にはあちこちにあるガマと呼ばれる洞窟に逃げ込みました。日本軍沖縄司令官は、住民の降伏を許さなかったのです。洞窟ですから、水だけはありましたが、食料は次第に底を尽きます。地獄の苦しみに耐えかねて、市民は白旗を掲げて出ようとします。すると、すかさず、火炎放射器が浴びせられます。どこのガマでも一般市民の死体の山が築かれたそうです。沖縄は20年6月23日に玉砕するのですが、死者の数は合計約24万人。日本軍人6万人、アメリカ軍1万5000人、韓国人・台湾人など9,000人、、後の約15万人は一般市民です。

 当時は、まだテレビなどありませんから、この事実が明るみに出たのは、戦後しばらくたってからです。いまは、連日のようにお茶の間で現地の実況中継が見られ、世界中の人々が一喜一憂しているのと段違いです。

 更に、日本軍のとどめを刺すように、アメリカは広島、長崎に原子爆弾を落とし、数十万人の無辜なる一般市民を虐殺しました。世界がそれを知ったのは、はるか時を経てからでした。

 

 今は、その日に起きたことがその日中に世界の隅々にまで伝播される時代です。世界は、固唾を飲んでウクライナの製鉄所の動態を見守っています。沖縄で一般市民15万人が惨殺されるのを知らなかった地球の民は、2000人ほどの製鉄所内、立てこもる人間の動向に、一喜一憂しているのです。近代は戦争もやりずらくなった、といえるようです。

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2022年4月23日       スクリヤービン 

 スクリヤービン(1872~1915)はロシア生まれの天才作曲家です。モスクワ音楽院に在籍し、ラフマニノフらと覇を競い合いましたが、天才の例に漏れず43歳で亡くなりました。数々のピアノ曲を残していますが、いずれも難曲で、素人の手におえるものではありません。ただ、エチュード2-(1)は私が長年に亘って弾き続けています。彼が10代の時の作品をいわれ、ホロヴィッツはよくアンコールでこの曲を演奏していました。

 3月上旬の入院手術以来、閉塞性はこう症らしきものに罹り、歩行困難となりましたが、ようやくそれも癒え、5月からはピアノ教室に通い始めます。当然、7月の練馬文化センターで行われるグループ発表会へは、出場いたします。予定ではシューマンの「子供の情景(抜粋)」と決めていたのですが、これはこれで軽いタッチが要求されるので、難しく、弾きなれたスクリヤービンと、メンデルスゾーンの無言歌から一曲を弾くつもりでいます。

 ところで、スクリヤービンが10代で作曲した、くだんのエチュードは和音の使い方が斬新で、荘厳にして美しい曲です。至る所で「あの世」を思わせる美しい和音が散りばめられています。

 10代の頃の作曲といえば、私も中学生の時、作曲コンクールで優勝し、NHK・長野放送局から自作自演したことがあります。「ロンドヘ短調」というモーツアルトを意識した8分の曲でした。ミスタッチ一つなく弾き終えましたが、今は全く思い出せません。スクリヤービンがいかに優れた作曲家であったか、そして、ロシア人の持つ底知れぬ芸術性に思いをいたし、発表会に臨むつもりです。

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2022年4月22日        ツツジ

 桜散って旬日が経過し、今はハナミヅキとツツジが全盛です。練馬駅近くの練馬文化センターの隣に、ツツジだけが咲き誇る公園があります。先日も訪れましたがまだ、7分咲きのようでした。今日は雨天の合間の快晴に恵まれています。これから、行って花の中に身を置く幸せを味わって来るつもりです。

 ツツジには、忘れられない思い出があります。太平洋戦争末期の一月、中野区上高田国民学校一年生の時、学童集団疎開で福島浜通り、富岡駅前の大東館へ強制疎開させられました。母に見送られ,柳行李一つでの団体生活が始まりました。寝泊りを始めてすぐ、体中が虱だらけになりました。授業など申し訳程度で、アルミ弁当箱に僅かな量の麦飯と納豆だけの昼飯を持たされて、屋外に放り出されます。空腹に耐えかねて、口に入るものは何でも食べました。 その中にツツジの花がありました。むしり取って口に入れると、花の根元の方に僅かな甘みが感じられるのです。それがよくてよくて、夢中で食べました。

 東北であっても福島浜通りは春の訪れが早いので、野は食べ物で満ちていました。桜の花、ゆり根、ワラビ、ゼンマイ、タラの芽などなど。しかし、その後の4月末、私たちは会津若松・野沢村の奥地へ強制移住させられます。アメリカの軍艦が福島沖に現れ始めたからです。そして、5月末、家を空襲で焼かれながらも、奇跡的に命が無事だった母親が、母の実家の長野で行くため、私を迎えに野沢村までやってきてくれました。

 二人で徒歩で山を下りながら磐越西線の野沢駅に向かうとき、どんなに嬉しかったことか!もう、ツツジを食べなくてもよくなったのです。

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2022年4月21日       佐藤 優 どうした? 

 私がかねてより尊敬し、彼が張る論陣に賛同し、その動向に一方ならぬ注目のの度合いを強めていた論客に佐藤優がいます。彼は福島県三春の出身。父親は沖縄で離島の女性に恋し、彼が生まれました。同志社大学神学部に籍を置いたクリスチャンでもある彼は、外務省に入り主席分析官を務め、ロシア問題の専門家になります。ロシア問題の一方の権威者鈴木宗男議員と組んだために、予期せぬ裁きを受け、512日間、豚箱へ入りますが、以後、活発な言論活動を始めます。その活動のほとんどはユーチューブで伺い知ることができます。私のパソコンには彼の特設ページができているほどです。

 ところが、最近、彼の動向が怪しくなってきています。週刊現代で書評欄を毎週受け持っているくらいで存在の影が薄くなっています。ユーチューブを隈なく点検してみましたが、今年の2月以降の彼の発言が全く見当たりません。一月に鈴木宗男と共同で小さな会合をやったくらいです。久しぶりで見る彼は、太りに太り、眼ばかり大きくなり精悍さは全く失われていました。

 ロシア問題の権威者である彼が、今回のウクライナ侵攻にに対して、どんな論評を下しているのか、ユーチューブを含めて漁ってみましたが、見つけることができないでいます。おそらく、言葉を失っているのではないか?とも推測されるのですが、私としては、この際、彼の本音を聞いてみたくて仕方がありません。引き続き検索してみるつもりです。

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2022年4月20日       身勝手な存在

 ロシアによるウクライナ侵攻は、あと四日で二か月を経過します。しばし、劣勢であったロシア軍は、司令官を替えるなど体制を入れ替え、本気になって総攻撃を開始しています。このところ連日テレビ画面に映し出されるのは、ウクライナの一般市民の惨めで哀れな報道ばかり。そのたびに怒り心頭を発しながら、かつ、涙で目を曇らせながら見入ってしまっています。

 このところ、連日それが続いているとどうなるか?おかしなことに、テレビを見たくなくなるのです。「もう、沢山だ、止めてくれ!」とテレビに向かって叫びたくなるのです。何とした心の変化でしょうか?

 同じことは11年前にもありました。三陸沖地震と大津波、加えて双葉原発のメルトダウンです。テレビも新聞も、そしてあらゆる媒体はこの不幸な事件を連日連夜報道しまくりました。ある時から、私は新聞も広げずテレビも点けなくなりました。辛さが極限に達すると、人間の脳はそれを回避する行動に出るのでしょうか?とにかく不思議な体験をしました。ところがいま、またしても同じ行動にかられはじめているのです。同じ日本人に対して襲ってきた不幸でなくても、人種は違っても同じ人間に対して、その存在を脅かしている映像は、もう、見たくなくなったのです。

 人間とは身勝手なものだ、不幸の共有を忌避したがる得体のしれない存在だ、といまさらのように思わされています。

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2022年4月19日          ロックダウン

 人口2000万人の都市「上海」が、いま、ロックダウンされています。映像で見る限り、通りは閑散として人も車も行き来がありません。すでに、一週間が過ぎ、人々は備蓄していた食料が尽き、その上、配給食糧もまばらであるため、暴動寸前だ、との報道です。

 思えば、上海にはよく行かせてもらいました。亡くなった従弟の靖輝が上海在住の虞(グ)さんと商売していた関係で、往来が頻繁にあったのです。一族郎党を引き連れて観光地を回ったこともあります。上海の海沿えにあるピンハイゴルフ場には三人で20回以上行っているでしょうか。その頃は、書道に熱中していたので、墨、筆、紙など上海の名代の店から仕入れました。中国は何といっても漢字発祥の国です。顔真卿、、欧陽訊、猪遂良、虞世南など、名だたる書家を輩出しています。彼らの拓本を沢山仕入れてきましたが、今では大切な宝物です。

 いつの時だったか、三人で上海では有名な書家を訪ねたことがあります。その書家の弟子でもある元共産党員も加わり宴会となりました。その折、私はこの書家の字が気に入ったので、「何か私のために書いてください」と言って、書家に一万円を差し上げました。しばらくして、大きな包みが届きました。腰の高さもある二枚の額です。何という字の略字なのかはわかりませんが、とにかく雄渾な筆の運びです。その二枚の額は今も地下室に鎮座しています。

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今から1880年ほど前 に書かれた「蘭亭の序」

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2022年4月18日        韓国の日和見

 ウクライナのゼレンスキー大統領は、過日、世界各国に向けてネットを使って、この度の戦争の不条理さを訴えました。日本では岸田総理以下、国会内の大広間に全議員が集まって傾聴し、終わって、全員が立ち上がって拍手し、賛意を示しました。同じことが韓国の国会でも行われました。ところが、会場は国会内ではなく図書館の大広間。議員の総数は400人を超えているのに、その日集まっったのはたったの50人足らず。日本はじめ、欧米諸国とは大変な違いでした。

 これは何を意味するのでしょう? 順番が世界で24番目であったことが気に入らなかったのでしょうか?、そうではないでしょう? 意識的ボイコットであったのではないか、と私は推測します。5月に政権が終わるとはいえ、左翼的な文在寅はアメリカから離れたがっていました。かつてないほどの反日姿勢を貫き通しました。失敗の連続でしたが北朝鮮に媚びを送りました。つまり、これからの世界を支配するのは、アメリカではなく中国やロシアである、と見据えているのです。ゼレンスキーをボイコットしたのはロシアに媚びを売ったことに他なりません。すなわち、この度の侵攻はロシアに正当性がある、と韓国という国家が認めたことと同じです。

 かりそめにも、アメリカ、韓国、日本はGsomiaでもわかる通り軍事同盟を結んでいます。専制国家に対峙する自由主義諸国の一員であるはずです。

 この5月から韓国では新政権となります。大柄な元検事総長が大統領です。近々大部隊を引き連れてアメリカ、そして日本へ挨拶にやってきます。どんなことを言い出すのか?興味津々で両国は対峙するでしょう。 

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2022年4月17日    またも岩手県から怪物!

 一週間前のプロ野球、ロッテ対オリックスの試合に初登板した若干20歳の投手、佐々木朗希が、とんでもない快挙を成し遂げました。105球投げて相手チームを無安打、無得点に抑える完全試合をしたのです。しかも、13者連続三振、プロ野球最多タイ記録となる19奪三振、というおまけつきです。日本中がこの偉業に湧きました。なんと、彼も大谷翔平と同じ岩手県の人間です。しかも、11年前の地震・津波で大被害を受けた三陸沖の大船渡高校野球部の出身。

 いうまでもなく、高校野球は日本国中で盛んです。逸材は中学生野球時代から目を付けられ、甲子園出場名門校へスカウトされ英才教育を受けるのが世の常です。しかし、大谷翔平も、佐々木朗希もそういう道をたどったわけではありません。なぜでしょう。どうして彼も岩手県人なのでしょう。不思議で不思議でなりません。

 東北六県・信越・富山を担当する部長時代、三陸海岸を訪れ大船渡で泊ったことがあります。大船渡の所長さんの計らいで、海から上がったばかりの「海鞘ホヤ」を進められたことがあります。妙な形と異臭を伴う浜の怪物です。申し訳程度にいただきはしましたが、もう一度、と言われれば首を横に振らざるを得ません。佐々木朗希君は、海鞘を含む三陸沖の海産物を常食にしていたおかげで、あれほどの長身にして、伸びのある身体になったのでしょうか? しかも、三陸沖津波の時の彼はまだ10歳。苦難と闘いながら20歳を迎えたのです。つまり、苦しみを乗り越えての快挙達成なのです。それだけにこの度の快挙は大変な出来事でもあるのです。

 いまだに苦しみの中にある三陸沖の皆さん、皆さんが育てた佐々木朗希君はとんでもない偉業を達成してくれました。よかったですね。おめでとう、おめでとうと何度も言わせてもらいます。

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2022年4月16日       不注意and無理

 4月12日の朝のことです。パソコンの画面の汚れを綺麗にしようと、クリーナーを吹き付けぬぐい始めたのはいいけれど、数ある操作ボタンを同時に触れてしまいました。途端に画面に得体のしれない波線が現れ、収拾がつかなくなりました。電源を切って再生を試みましたがダメです。重いパソコンを二階から下ろし車に積んでPCデポに持ち込みました。しばらくして、パソコンは重傷のため福島保原の富士通の工場へ送ることになるとの通知です。その間、代わりとしてノートパソコンを貸すとのこと。やれやれ、ため息が出るとともに、自分の不注意に深く思いをいたしました。パソコンという近代兵器が、今の自分の生活にとっていかに無くてはならないものなっているか、さらに言えばパソコンのない生活は、もはや、考えられないところまできていることを、改めておもいしらされました。

 幸い、私のパソコンは電源が回復したので、福島へは送らずに済む、あとは、初期化してお手元に戻します、それまで、このノートパソコンを使ってくださいとのこと。このブログはそのパソコンを使って打ち込んでいます。

 この三日間、自助努力をしなかったわけではありません。倉庫から古いパソコン(ウインドウ7)を持ち出し悪戦苦闘もしました。タイ・チェンマイで使っていたノートパソコンも試してみました。メールができたのでスイスへ発信したところ文字化けすることが分かり使い物になりませんでした。ということはネットの世界は日進月歩の速さで技術改革が行われていて、「追いつく努力をしなければ取り残される」ということが分かりました。今日まで通用していたものが、明日は別の形になっているのです。その技術進歩の速さは尋常ではなく、年配者には追いついていくのはほとんど無理です。高校同級生で新聞四天王の一人・内山貢君が、今もってパソコンにもスマホにも近寄らず、もっぱら、「ガラケー」のお世話になっているのが,よくわかろうと、したものです。

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