最近のエッセイ(67)

2021年6月20日      時の移り変わり

 蔵書の整理をしよう、と思いながら旬日が経過しています。若い時、苦労しながら集めたにも係わらず、ざっと目を通しただけで、そのままになっているものが数多あるのに今更のように気づき、忸怩たる思いでいるところです。「日本の名著・30巻」「天皇の世紀・大佛次郎著全巻」 「埴谷雄高・死霊ほか全巻」などがそれです。一方、三島由紀夫のもの、團伊久磨のものはほとんど揃っていて、その全部に目を通してきました。勝手なものです。

 埴谷雄高は稀代の左翼系思想家ですが、文章は恐ろしく難解です。特に「死霊」は世界の4大難解書の一つです。岩波文庫にはなっていますが、ローレンス・スターンの「トリストラム・シャンデイ」、ジョイスの「フィネガンス・ウエイク」、トーマス・ピンチョンの「重力の虹」、そこに「死霊」が加わります。

 十把一絡げにしてブックオフに持ち込むのも癪なので、古書店などでの買取価格を調べてみました。何と、日本の名著30冊全部が6000円! 一冊200円です。驚き桃の木でありました。更に、三島由紀夫の初版本でさえ値が下がっていました。つまり、紙を媒体とする文化の伝承が既に過去のものになっている、という厳しい現実に気付くのが、私の場合遅すぎた、と言えるのでありましょう。蔵書が増えていくことに秘かに喜びを感じていた私は何だったのか? 今更のように時代の変わりように圧倒されています。  

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        海は昼眠る  夜も眠る

   ごうごう いびきをかいて眠る

   昔、昔 大昔 海がはじめて 口開けて

   笑った時に 太陽は 

   目をまわして 驚いた

   かわいい花や 人たちを

   海がのんでしまおうと

   優しく光る太陽は  魔術で海を眠らせた

   海は昼眠る 夜も眠る

   ごうごう いびきをかいて眠る

              ー小川未明ー

 

2021年6月19日        カード

 カードは誠に便利なものです。昔から使っているダイナースカードは当時はステータスのシンボルみたいな存在でした。ところが今は落ちぶれているらしく年会費が3万円を超えます。品物に替えられるポイントが山ほど溜まっているのですが、手続きが面倒でそのままになっています。専ら使っているのがマスターカードです。

 秋葉原の協和銀行に当座があり、小切手を使っていた時からの付き合いです。何度も合併を繰り返してきた銀行で、三菱協和東京銀行から今は三菱UFJ銀行になっています。

 マスターカードの引き落としはこの銀行口座からなのですが、このカードは海外へ行ったときに便利なのです。タイ・チェンマイへ行った時です。ゴールデントライアングルの近くでちょっとした額の現地通貨が必要になりました。生憎、手持ちの現金が不足しています。マスターカードは外国でもキャッシングができることを思い出し、街角のATMにカードを差し込んでみました。タイ語、英語の他日本語の表示もあったお陰です。すると、一分もかからず、タイ通貨の1万バーツ(1000バーツ10枚32,000円相当)がスラスラスラとATMから出てきたではありませんか!有難かったですね。地獄で仏とはこのことだと思いました。

 ところで、今日は一年以上使っていない楽天のプレミアムカードを解約しました。このカードにはマスターにはない海外医療旅行保険がついているので、万一のために入会したのでしたが、引き落としの銀行口座の件で揉めたことから、そのままにしていたのでした。一回も使っていないのに、かなり高額の年会費請求があったので解約に踏み切りました。海外旅行保険はその都度、入ることにしましょう。あと、何回行けるか? それは神のみぞ知るです。 

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     橋下徹が市長になる前の大阪市役所は お手盛り

    の激しい職場だった 在籍40人の職場に人事院の

    調査が入った 、、、、

  「恐れ入ります、、、該当の方 手をお上げ下さい、、部長        

 の 方、、8人ですね、、課長の方、、、、8人ですね 係長 

 の方、、、、 8人ですね,、、参事の方、、、8人ですね、、、   

  企画官の方、、、、、5人ですか、、、、

  合計すると37人になります つまり、平社員の方が      

   3人 いらっしゃるのですね、、、、、」

 片隅から声があった 「まだ、三人漏れているよ!」

 声を上げたのは

      局長と、局長代理と局長補佐だった

 

2021年6月18日         したたかなロシア

 昔のことですが、ドイツのベルリンからハンガリーへ抜けるツアーに参加したことがあります。東ドイツ崩壊の現状を見たかったからです。途中、マイセンの手前のポツダムに寄って、日本への降伏を迫るポツダム宣言が起草された湖畔の小さな家に寄りました。トルーマン、チャーチル、蒋介石、そして特別参加のスターリン。それぞれに割り当てられた部屋を見ましたが、何故か、スターリンの部屋が一番豪華で大きかったのを見て奇異に感じたことがあります。

 日本の降伏を迫るボツダム宣言の期限は7月27日でした。日本の軍部は御前会議でそれを拒否します。すかさず、ソ連は日本との不可侵条約を一方的に破り、宣戦布告します。満州、樺太、千島列島でどれだけ日本人が殺されたことでしょう。そして、広島と長崎に原爆です。歴史に「もし」は禁物ですが、ポツダム宣言を早期に受け入れていれば歴史は大きく変わっていたのです。

 なぜ、受託が遅れたのか? それは日本が中立国のソ連に停戦の仲介を頼んでいたからです。ソ連なら何とかしてくれるだろう、という甘さがあったのでしよう。そうでなくてもソ連は日露戦争で日本によって苦杯を喫した国です。ソ連というしたたかな国を日本の軍部は見誤ったのです。

 司馬遼太郎の「菜の花の沖」は日露戦争の顛末を、余すところなく伝えている名著中の名著です。読み返すたびに、日本海海戦での秋山好古と乃木希典の行動が髣髴としてきて、時を忘れてしまうほどです。ソ連の日本に対する恨みの原点がそこに存在するからこそ、プーチンになっても千島や樺太はおろか、北方4島でさえ頑なに拒否されているのでしょう。戦後70年以上たっても、ロシアとの国交正常化が実現していない背景は、その辺にあるのでしょう。

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   満月はシベリアの大地照らしおり

    「異国の丘」をそっと口ずさぶ

  巡りくる大空襲は風化なし

     子を失いし亡き父母の嘆きに

  ようやくに鎮魂の碑完成す

     数多の命失せしその日に

2021年6月17日        プーチン

 イギリスでGセブンが行われた後、バイデンはスイス・ジュネーヴでロシアのプーチンと会談しました。トランプを嫌っていて、秘かにバイデンに肩入れしていたプーチンですから、互いの握手にも力が入ったことでしょう。思えば、プーチン政権は実に長い政権です。ゴルバチョフ時代にソ連邦が崩壊し、一時、政権はエリチンになりましたが、それ以来20年に亘って、その地位を守り続けています。北方領土問題を抱える日本の首相は何度もプーチンとやり合いましたが、例えば森喜朗は20回前後、安倍晋三もその位の回数、プーチンと会っていますが、そのたびにハグラカされ、玉虫色のまま、その後一向に進展することなく推移しています。「プーチンのしたたかさの勝ち」と言わざるを得ないでしょう。唯一の問題はクリミヤヘの不法侵入で、欧米から非難を受けていますが、プーチンは「どこ吹く風」の態度をとり続けています。バイデンとの会談での喫緊の問題としたのは、やはり、中国の覇権主義の台頭についてでした。共産革命はもともとロシアで起きた政治革命でした。マルクス・レーニン主義が叫ばれ、資本家を排斥し、労働者をして国家の主体とする考え方は、一時日本にも爆発的に普及し、学生たちはこぞって、資本論やハンデユーリング論に熱中しました。向坂逸郎は正に神様でした。貧乏学生だった私の書棚にも、「マルクス・エンゲルス選集」が揃い始めました。今、日本の古本屋にこれらの本はありません。あったとしても、積み重ねの底の方で埃を被っています。

 ロシアは中国と国境を接しています。日本と韓国のように、隣同士の国が仲良かった試はありません。台頭著しい中国に対しロシアとアメリカが、今後、どういう態度にでるか、興味津々です。 

     それはきれいな春紫いろで

     芥子つぶより小さくて

     こぼれて土に落ちたとき

     ぱっと花火がはじけるように

     大きな花が ひらくのよ

     もしも涙がこぼれるように

     こんな笑いがこぼれたら

     どんなに どんなに

     きれいでしょう

             ー金子みすゞー 

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2021年6月16日       なかざわワイン

 何故かいま、ワインが市場に溢れています。どこのスーパーへ行ってもワイン売り場が大きなスペースを占領していて、世界中のワインが選り取り見取りです。しかも廉価です。500円を切る値段でフランス、スペイン、チリのワインが売られています。しばらく前までは、2000円を切るワインは極く稀れでした。ところが、店頭に出ている安ワインの中に日本産はないのです。北海道の池田ワインや、山梨のものなど、相変わらずの高値です。面白い現象です。

 長男、次男がまだ小学生だったころ、山梨のワインがブームになったことがあります。100本単位で購入し、自分流のラベルを貼って、穴倉に貯蔵してもらい、熟成を待つのです。時流に遅れじ、とばかり一家で山梨のワインセラーに出かけ100本を購入し、ラベルは長男が50本、次男が50本、それぞれ稚拙ながら工夫を凝らしたラベルを張り、地下の穴倉に貯蔵してもらいました。ワインの熟成を待つ穴倉は薄暗く、裸電球が点っていましたが、なかざわワインが置かれた場所は、坂本九さん、と清川虹子さんの隣でした。お二人ともかなり以前にお亡くなりなったのは残念です。

 なかざわワインはその後20年ほど、正月や、何かの祝い事のたびに栓が抜かれてきましたが、そして、今も10本ほど自宅の地下室に残っているのですが、既に気が抜けてしまっていて、飲むに堪えなくなっています。

 一昨日の朝日に全面広告が載りました。コンクールで金賞を受けた世界のワイン11本総額14,980円のものを送料なしで、5980円で、しかもエコバッグのおまけつきで売るというのです。朝日の広告局が扱うものに、いかがわしいものありません。注文の電話を入れました。楽しみです。
    

    「お尋ねは町営墓地へ行く道ですか? 

   この飲み屋街を

   出たところに病院があるでしょう。そこを右に

   曲がって少し行くと老人ホームがあります

   そこも右に曲がります。すると、メモリアル・

   ホールに突き当たります。その50メートル

   先に花屋さんと料理屋さんが並んでいますから

   その前を左に曲がると、お寺の住職さんの

   家がありまして その先に見える

   お寺の裏が町営墓地です」    

 
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2021年6月15日         さかなクン

 一期一会という言葉があります。これをもじって「一魚一会」と使いだしたのが、トレードマークのフグの帽子をかぶり、いつも、はしゃぎまわっている「さかなクン」です。魚に関する知識では日本では彼を超える者がいないと、と言われるくらい魚通です。彼は、高校三年生の時、全国魚通選手権大会で優勝しています。現在は東京海洋大学の准教授・名誉博士の称号を持ち、相変わらず特異な帽子をかぶり、魚の絵をかき、テレビに出演しています。今は50歳近い年なのに、結婚もせず、家庭も持たず「毎日・魚・魚・魚」の日常のようです。

 彼の本名は宮沢正之と言います。プロ囲碁棋士宮沢悟朗9段の息子です。宮沢姓で分かる通り、長野県の出です。父親は囲碁の世界では荒法師といわれ、型破りの強さの持ち主でした。日本棋院が「週刊碁」と発行する際、販売網を朝日にするか読売にするか競い合った時があります。当時、局次長だった宮沢恭人君と、宣伝部長だった私は必死に食い下がりました。その折、棋院側の担当者の一人であった宮沢悟朗(当時6段)さんに、二面打ちの指導碁を打ってもらいました。宮沢・中沢は日本棋院4段の免状を持つ腕前なのに、しかも、4子置かせて貰っていたのに二人とも奇麗に負かされました。その折、彼の家庭の話が出て、「家には魚しか興味を持たない男の子がいる、女房は全くの放任主義だ、困ったものだ」 と、左程困ってもいない調子で話が出ました。「囲碁は教えているのですか」「いくら教えても糠に釘だ」とのことでした。願わくは「さかなクン」には強力な囲碁の血が流れているのですから、そちらの方の跡継ぎについても頑張ってもらいたいものです。 

 

  つたの絡まるチャペルで 祈りを捧げた日

  夢多かりしあの頃の 想い出をたどれば

  懐かしい友の顔が 一人一人うかぶ

  重いカバンを抱えて 通ったあの道

  秋の日の図書館の ノートとインクの匂い

  枯葉の散る窓辺 学生時代

     讃美歌を歌いながら 清い死を夢見た

     何のよそおいもせずに 口数も少なく

     胸の中に秘めていた 恋への憧れは

     いつもはかなく破れて 一人書いた日記

     本棚に目をやれば あの頃読んだ小説

     過ぎし日よ わたしの 学生時代

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2021年6月14日         車 両

 このところ中止にはなっていますが、京浜川崎で毎月行われていた囲碁会はいずれ再開されるでしょう。練馬から都営地下鉄に乗り大門浜松町で京浜急行に乗り換えるのですが、いつの時も先頭車両に乗って運転手の後ろに立ちます。座席が空いていても座ることはありません。高輪泉岳寺で運転手が交代し、品川へ着くと仕切り窓の黒布が明け放たれ前方が丸見えになります。特急車両は次の停車駅京浜蒲田までノンストップで走り出します。最高時速は120キロ。高架線ですから空中を疾走する感覚を覚えます。それが良くて、良くて堪らないのです。自分でもヘンな年寄りだなあ、とは自覚しています。

 日本の鉄道技術は世界に冠たるものであるのは世界中が認めるところです。このほどワシントンの地下鉄で日立の8000系の車両の大量注文が入りました。入札に加わった中国が完全に除外されたのは言うまでもありません。ニューヨークの地下鉄は川崎重工の車両が使われています。両社ともアメリカに車両製造工場を設立し、現地の雇用に貢献しているところが中国と違うところです。インドネシアでの高速鉄道の入札では中国に負けましたが、ジャカルタの地下鉄は日本が造り、その快適さに市民は「流石、日本!」と称賛しています。

 ドバイへ行ったとき、驚きました。狭い国の中央を貫通する高架無人運転鉄道は日立製でありました。日本から車両を搬入するときは、様々な苦労があったようです。そのせいか、車両は小柄な日本人用の仕様のためか、アラブ首長国連邦の大柄な人たちには、少々窮屈感があるようでした。

 イギリスも日立の車両をベタ褒めです。400両の追加発注が、つい最近、ありました。キッカケとなったのはドーバー海峡トンネル事件です。厳冬期、フランス製TGV列車はトンネル内で立ち往生します。救援に向かった列車も立ち往生です。寒暖差が激しいための電気系統の故障です。都合3編成の列車と500人の乗客がトンネル内に残されました。そこへ日立製の列車が救援に向かいます。一切の故障なく全車両と500人を救出することが出来ました。欧州全体がやんやの拍手でした。

 日本の鉄道技術はいまベトナムでも評価されています。ハノイでは中国が、ホーチミンでは日本が地下鉄工事を受け持っています。4年ほど前、両都市へ行きましたが、上海以上のバイクと車の大洪水でした。地下鉄が正に必要な国の筆頭でした。ジャカルタの地下鉄のように日本の工事が称賛を浴びつつあるようです。日本の日立と川崎重工と日本車両、株を買うならこの三社に限るようです。    

           公衆トイレのボックスに入ったら落書きが

    あった 「右を見ろ」とあるので右を見たら

    「左を見ろ」とある 左を見ると「後ろを見ろ」

    とある  苦労して身体をひねり後ろをみたら

    「キョロキョロするな このド阿呆」とあった

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2021年6月13日                紫陽花

 紫陽花は93歳で亡くなった私の母がこよなく愛した花です。社会人になって初めての給料を握りしめ、箱根の強羅温泉へ連れて行ったことがあります。ご存じのように箱根登山鉄道は紫陽花が連なる茂みをかき分け、へし分けして登っていきます。 子供のように歓声を上げ続ける母の嬉しそうな声は、今も、ありありと耳の底に響いています。

 昨夜、紫陽花を主題に取り上げたNHKの番組がありました。ところは鎌倉、そして紫陽花寺と呼ばれる長谷寺。ゲストは鎌倉居住のタレント鶴田真由。一昔前、彼女はNHKの海外取材番組によく出ていましたが、いつも日傘をさしているのが大きな特徴でした。アフリカの黒人や、野生動物の中を日傘をさして歩き回る姿は、当然ミスマッチと捉えるところ、奇妙にも映像として融け合っていました。それ以来、私は彼女ファンになったのですが、久しぶりに昨夜、彼女のご尊顔を拝することが出来ました。彼女も既に51歳。ナカヤマダイスケと結婚してどのくらい経つのでしょうか。でも、以前の上品さは少しも損なわれていないのは驚きでした。

 確かに鎌倉は紫陽花の名所ですが、今回の映像で、私たちも見たことがない新種が育てられ、愛しまれていることでした。薔薇と同様、紫陽花の世界も奥が深いことを鶴田真由を介して改めて知りました。

 紫陽花で有名なところは、鎌倉にはまだあります。鎌倉霊園です。学習研究社の敏腕編集長だった竹内二郎君の奥津城です。奥さんの孝子さんの案内で墓参させてもらった時、ビックリしました。居並ぶ墓石が見えないくらい墓所全体が紫陽花で埋まっていたのです。今頃、二郎さんは紫陽花を愛で、一杯きこし召しながら、「おーい、中沢!早くこっちへきて一杯やろうよ」と言っているに違いありません。

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2021年6月12日                 くるま

 5月、6月は車にお金がかかる時期です。まず、税金。更に重量税。車検はいつも車を買ったホンダにお願いしているのですが、かなりの金額の車検費用。かつ、車の保険。これは朝日の団体契約を数十年に亘って契約を更新しているのですが、契約以来無事故、無違反であるにも係わらず、何故か、保険料は毎年上がってきています。更に、タイ・チェンマイに置いてある車にも、当地の税金・保険がかかります。コロナで当地へ行くことが叶わなくても、税金と保険だけは掛かっています。

 そろそろ、免許を返納して車を手放なそうかな、と考えないわけではありませんが、それを実行すると、日常の生活に不便を来たします。まず、食料品の買い出しをどうするか。周囲5,6か所のスーパーへ行くのも車ですから、車が無かったら重い荷物をどうやって運ぶか、それも問題です。幸い、運転技量は今のところ全く衰えがありません。視力も咄嗟の反応も、若い時と全く変わりがありません。アクセルとブレーキを間違えるヘマは一度たりともありません。横断歩道を左折するとき、赤信号なのに飛び込んできた自転車と「あわや」という時もありましたが、瞬間的にブレーキを踏み込んでいました。

 しかし、しかしです。この状態をいつまで維持できるのか?それが問題です。あと1年か3年か5年か? いずれ、その時は確実にやってくるのです。少しでも運転機能の劣化が感じられた時こそがその時でありましょう。いくら保険に入っているとはいえ、事故を起こしてからでは遅いというものです。その時が来たら潔く免許を返納し、買い物はタクシーを使おう、と今から決めています。

 このところ、めっきり黒いバックを背負って食料をデリバリーする若者が増えています。運転側からすると実に邪魔な存在です。でも、職がなく日銭を稼ぐための若者たちの胸中を思うと「邪魔っけ」は言ってはなりません。彼らと並行して走る時は出来るだけ彼らが走りやすいように、道を空ける運転を心がけています。 

      あめは ひとりじゃ うたえない

       きっと だれかと いっしょだよ

       やねといっしょに やねのうた

       つちといっしょに つちのうた

       かわといっしょに かわのうた

       あめはだれとも なかよしで

       どんなうたでも しってるよ

       やねでとんとん やねのうた

       つちでぴちぴち つちのうた

       かわでつんつん かわのうた

       はなでしとしと はなのうた

                 ーつるみまさおー

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2021年6月11日        猫のショルダーバッグ

 本物の猫そっくりの縫いぐるみを作り、中をバッグにして背中に背負って歩く女性が出現しました。そうでなくても世の中猫ブーム、一躍、模造品まで現れ出しました。何でもマネする中国製品は本物には及ばない縫いぐるみですが、それでも、注文が殺到しているとか。お腹を出して背負われている猫、雑踏の中でその女性に遭遇した人々は、思わず、口元が緩むのではないでしょうか。見事な発想の転換と言わざるを得ません。

 猫が出た以上、やがて犬も出てくる可能性大です。コアラも出てくるでしょう。カンガルー、ライオン、ペンギンなどなど、、、、そうなると、人混みは正に動物園です。笑いがはじけるでしょう。

 これは実に面白い発想です。陰鬱な世相に対する庶民のささやかな抵抗です。猫バックを思い付き、お腹を突き出した猫を背負って歩いているお嬢さんに拍手を送ります。

       

     95歳まで長生きした夫人から、彼女の主治医で 

    あった医者に大きな箱が届いた

    「お陰さまで長生きすることが出来ました 

    ありがとうございました」

    という手紙が添えられていた

    主治医がその箱を開けてみると

    なんと、30年分の 彼が処方した薬が

    封も切られずに 入っていた   

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2021年6月10日      公職選挙法

 既に、議員辞職をしている菅原一秀が略式ではあっても起訴された一件が昨日の朝日新聞一面に載りました。地元の冠婚葬祭に約80万円を支出した角による公職選挙法の罪によるものです。彼の選挙区は私が住んでいる練馬区です。街中いたるところに彼のポスターが貼ってあります。やがて、剥がす立場になったわけですが、大仕事でありましょう。練馬区は練馬大根で名をはせていましたが、今では住宅地に替っています。その中のところどころに大きな構えの古い家が点在しています。土地を売った地主の家です。苗字のほとんどが、関口、林、本橋、、、、、すべて姻戚関係にあるようです。そのため、古い因習が今でも残っています。この地元に食い込むためには冠婚葬祭を無視できません。菅原一秀は早稲田の貧乏学生だったようです。初めの頃、彼は毎朝西武線の駅頭に立って、演説していました。「毎朝、駅にいる菅原一秀」というキャッチフレーズで売り込んでいました。経産省副大臣になっても、彼が駅に現れていたら彼を見直したでしょうが、二度と現れず、大臣になった途端に刺されたのです。朝日の記者であった松島みどりもそうでした。選挙民に「団扇」を配った容疑で辞職に追い込まれたのでした。

 同じ容疑で辞職に追い込まれた広島の河井案里夫妻の場合はどうでしょう?1億5000万円が自民党本部から秘かに流れました。総額80万のご祝儀と団扇配布と桁が違います。松島みどり、菅原一秀が気の毒でなりません。

 昨日、何年ぶりかで党首討論会が公開されました。立憲の枝野は民主党時代の落ちこぼれです。維新の会の片山は既に過去の遺物です。玉木は出たがり屋のおぼっちゃん。そして、菅総理が自分の言葉で話したのは過去の思い出を語る時だけ、腹の底からにじみ出る言葉はついに聴かれませんでした。僅かに共産党の志位さんに政治家の本領を垣間見ました。ソ連にも、ドイツにも共産党は既にないのです。日本と中国だけです、その名があるのは。つくずく、日本共産党名前を変えて出直すべきだ、と私は思うのです。そうして志位総理の実現、私は大賛成です。

    

     紫陽花は骨まで青い まだ誰も

          見たことがない 紫陽花の骨

  蹴るほどに月に近づく恐ろしさ

          噛みしめて漕ぐ夜のブランコ

  絶海の孤島のような満月が

          わたしのためであるはずがない

  夏椿短き命愛おしく

           二つ三つ拾いコップに浮かべり

  家を空け帰りてみればきゅうり棚

           長々となりて気色のどかなり

  ラマダンを思わせる月は空高く

           君との逢瀬想い深むる

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2021年6月9日          新薬出現

 徳川幕府は16代続きましたが、一番長生きしたのは最後の慶喜です。76歳まで生きました。初代の家康は73歳で没しました。戦国武将はいずれも短命です。上杉謙信は48歳、武田信玄は51歳でした。豊臣秀吉はえらく長生きしたように見えますが61歳で没しました。水戸黄門でさえ、72歳です。80歳以上は一人もいません。ところが、役立たずそのものの私は今84歳です。

 老人をして廃人に落としめる厄介な病気にアルツハイマー病があります。脳の機能が次第に侵され、正常に機能しなくなる恐ろしい病気です。昔は、「脳軟化症」と呼ばれていました。パーキンソン病もその一種です。これに罹ったら最後、死を覚悟しなければなりません。なぜなら、進行を抑える薬はあっても、治療するまでには至らないからです。ところが、今日、この病気の治療薬がアメリカの製薬会社と日本の「エーザイ製薬」が開発し、治験を経て市販される、とのニュースがありました。何とその価格641万円!2割負担の保険が適用されても128万!とは言っても、これは実に素晴らしい、快挙そのものでありましょう。

 日本の現在の患者数は3万5千700人と言われています。若年性患者も多く、65歳未満では人口10万人当たり50人が患者です。85歳以上では23人に1人が患者だそうです。今回の発表はそれらの人々にとって、嬉しい知らせでありましょう。

 ただ、莫大なお金と使ってまで生き延びなければならない必要がある老人はどれだけいるのか? ただ、生きながらえるだけでいいのか? それはまた別の問題でしょう。

  1198年から1261年まで生きた戦国武将北条重時は、100か条の教訓書を残していますが、その中に「さて、60ともなれば何事をも打ち捨てて、ひたすら後生を願って念仏せよ。この世に心をとどめることなく、自分はもはや、この世にないものと覚悟すべきである」と「極楽寺殿御消息」で述べています。心すべきことです。   

          

      どうして結婚しないのか? 尋ねられた女性

       答えて曰く

       家にはおしゃべりな鸚鵡がいます 家じゅう

       散らかす犬がいて

       年中 泣きわめく猫もいます

       おまけに 手のかかる金魚や カメまで飼って  

       います

       どううして この上 夫まで要るんでしょうか

           

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2021年6月8日     台湾へワクチン

 台湾はコロナ対策に成功している国の一つです。ニュージーランドと同じく、島国であるため、水際対策に怠りなければ蔓延を防げるのです。ところが、空港のパイロットから感染が広がり始めました。ワクチンが必要となりました。ここぞとばかり中国がワクチン無償提供を申し出ました。台湾は拒否しました。南シナ海紛争の渦中にあるベトナム同様、中国を拒否したのです。その台湾へ日本が、まず、100万人分のワクチンを供与したのです。台湾が喜ぶまいことか!

 戦前、一時期、台湾は日本の統治下にありました。 年配者は日本語を話し、日本の歌を口ずさむことが出来ます。従弟の靖輝君が台湾の祭さんと取引があったため、親戚一連隊を連れて行ったり、沖縄の義弟一家と行ったりもしました。次男一家四人と行ったときは12月末で、余りにも寒かったので、免税店で当時中学生だった双子の孫にガウンを買い与え、ついでに私も買って、それは今も重用しています。一番の思い出は、今では4,5千円の値がついていて、滅多に手に入らないカラスミを大量に買ったことです。市場を物色していたら老人が路上でカラスミを積み上げて売っていました。よく見ると、中々の上物です。片言の中国語で値段交渉が始まりました。2000円から3000円まで大きさによって値段はいろいろです。爺さんとの値段交渉が面白くなって、とうとう、全部を積み上げ「***台湾円!」と叫びました。あっけにとられた爺さんは、一瞬ののち相好を崩しました。握手して別れましたが、一個1800円で20個余り買った計算になりました。帰京して、親戚やら友人やら、当時、勤務していた朝日学生新聞社の仕事仲間に配り始めたのはいいが、とうとう、自分のものは一個だけになってしまいました。次に、台湾へ行ったとき同じ市場は行って爺さんを探しましたが、もう、いませんでした。  

 

     30年前の中国のデパート

    「当店では笑顔以外の あらゆる商品を

             取り揃えております」

        現在の中国のデパート

    「当店では 笑顔のバーゲンを

         始めました ただし、

     ほとんどの商品は外国のコピーです」

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2021年6月7日               ミヤンマーを憂う

 タイ・チェンマイ空港から、バガン航空の60人乗りプロペラ機でミャンマーの首都ヤンゴンへ行って数年が経ちました。滑走路は草がボウボウで、空港内は薄暗く、走っている車のほとんどは日本製の中古車でした。日本語の行く先標識をそのまま付けたままのおんぼろバスもありました。ドル支払い以外受け付けないホテル前の道路には朝になると市が立ち、腐臭漂う魚や、僅かな果物や野菜が売られていました。市内は山手線らしき列車が走っていて、5両連結の車両はすべて日本製でしたが既に窓もドアもなく、おまけに、線路の補修などしたことがないのでしょう、レールは湾曲し、20キロ~30キロの、のろのいろ運転でした。おまけに、線路わきの空き地はゴミ捨て場になっていて、錆びついた、使い古しの電化製品が所かまわず放置されていました。河を渡って向こう岸へ行くとき、船着き場へ行きましたが、その周辺もゴミだらけ、夥しい腐臭が漂っていました。年配者のほとんどは、男も女も腰に一枚の布を巻き付けるロンジン姿。物好きな私は、アウンサンマーケットで500円はたいて同じロンジンを買い、ホテルの従業員さんに助けてもらって巻き付け、夜の街へ出ました。風がスースーと入り、自分の祖先はビルマ人ではなかったか、と思ったことです。

  貧しさの極みのミャンマーの民衆と国軍との闘争はこのところ一層激しさを加えています。既に民衆の800人が殺され、民衆側も武器を仕入れて国軍と銃撃戦を始めています。お互いに3本指を立て、認識を交わしながら国軍と対峙しています。

 国民を守るための軍隊が国民を殺して憚らない、この現象は全く不可解です。司令官のミンアウンフラインには、一体、良心というものがあるのでしょうか?同じ例は中東のシリアでもありました。二世で坊ちゃん育ちのアサドは、大量の国民を難民にしたのです。難民はトルコを経由してヨーロッパへ逃れました。難民に寛容であったイギリスを目指しました。イギリスは医療費無料の国です。税金が難民に使われては堪ったものではありません。昨年12月イギリスはEUを離脱しました。離脱してみると、状況はイギリスにとって誠に不利なようで、なぜ、二回も国民投票をしたのか、反省しきりのようです。

 ミヤンマーの大きな過ちは中国の甘言に乗ったことです。ミャンマーの国民のほとんどは中国に好感情をもっていないのに、中国は金と武器でミンアウンフラインを篭絡したのです。中国側の大義名分は「一帯一路」でありました。すべて、自国の利益のためです。ゴルゴ13のような射撃の名手が現われて、彼を秘かに斃してくれるのを望みます。   

            入道雲にのって

     夏休みはいってしまった さよならのかわりに

     素晴らしい夕立を ふりまいて

     けさ そらはまっさお 

     木の葉の一枚一枚が

     新しい光と挨拶をかわしている

     だがキミ! 夏休みよ

     もう一度 戻ってこないかなあ

     忘れものをとりにさ

     迷い子のセミ  

     さびしそうな麦わら帽子

     それから ぼくの耳に くっついて

     離れない波の音   ー高田敏子ー  

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2021年6月6日        ペンギンパレード

 オーストラリアの女子ソフトボール選手団が早々と来日して、割り当てられている群馬県太田市に向いました。これが女性か?と見迷う大柄な選手たちです。日本とは季節が真逆のオーストラリアはこれから寒風吹きすさぶ冬です。梅雨時とはいえ、日本の温暖な毎日を楽しんでいることでしょう。シドニー、ゴールドコースト、メルボルンを中心に3回ほど行きましたが、オーストラリアはもう一度行きたい国の筆頭です。

 その時はバスに乗ってペンギンが群れて住む海岸べりへ行きました。大波のたびに、50センチほどの小型のペンギンが大挙して打ち寄せられます。そのまま勝手に崖の草むらのねぐらに向うのか、と思っていたら違いました。整然と一列に並び始めたではありませんか! 全員が並んだのを見届けて、一列の隊列を崩さず斜面を登り始めるではありませんか! よちよち登りながら時々奇声を発します。すると、草むらからも鳴き声が返ってきます。あたかも「いま帰ったよ」「あなた、お帰りなさい、早く来て」と聞こえました。ペンギンの通路にそってガラス張りの観光道路がありました。時に立ち止まって息を整えているペンギンを10センチの距離から観察することもできました。何を思っているのか、哲学者の風貌で、見物人と目を合わせることはありませんでした。メルボルンの南海岸に群生するペンギンは「フェアリーペンギン」というのだそうで、バスに戻ってからも妙な生き物を見た興奮は収まりませんでした。

 動物園へ行ったときは、列に並んでユーカリの葉を食べているコアラを抱かせてもらいました。駝鳥に手を出したら突かれて痛い思いもしました。カンガルーのステーキ肉は美味しくありませんでした。タスマニアデビル、カモノハシ、フクロモモンガ、珍しい生き物をたくさん見ることが出来ました。国全体が大らかで、ワインやチーズが廉くてフンダンにある国、それがオーストラリアです。それより何より、この国がいいのは日本と同じ緯度上に位置しているため、時差がほとんどないことでありましょう。 

      千恵子は東京には空が無いといふ

   本当の空が見たいといふ

   私は驚いて空を見る

   桜若葉の間にあるのは 切っても切れない

   昔馴染みの きれいな空だ

   どんよりけむる地平のぼかしは

   薄桃色の朝のしめりだ

   千恵子は遠くを見ながら言う

   安達太良山の山の上に

   毎日出ている青い空が

   千恵子の本当の空だという

   あどけない空の話である

            ー高村光太郎ー

 
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