最近のエッセイ(82)

2022年4月11日     いいぞ、ジョンソン

 一昨日、イギリスのジョンソン首相がウクライナの首都キエフを訪問し、街中の被害状況を、ジェレンスキー大統領と共に視察し、更なる軍事物資の供給を約束するとともに、相互の連帯を確認して電撃訪問を終えました。厳重な警備の元であったとはいえ、いつ狙い撃ちされるか分からないのに、戦争最中の首都を歩き回るとは勇気のいることであったでしょう。恐らく、NATO加盟国の元首たちは「してやられた」と思っているのではないでしょうか?という事は、「ロシア対ウクライナ」の紛争が「NATO対ロシア」に拡大する懸念が発生する予兆とみることが出来るかもしれません。例え、ウクライナがNATOの加盟国でなくても、プーチンを亡き者にするため連帯が生じる可能性が、ジョンソンの電撃訪問によって生じたのです。ジョンソンに続け、とばかり、ドイツ、フランス、イタリアの首相がキエフ訪問を始めたら、一体どうなることでしょう? すると、第三次世界大戦の勃発です。その時、日本はどうするのでしょう?

 

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2022年4月10日        見田宗介さん逝く

 元東大教授で社会学者の見田宗介さん(84歳)がお亡くなりになりました。新聞が隆盛を極めつつある頃、販売店従業員が不足し、大々的に学生を募集し、奨学金を差し上げ、新聞配達をしてもらった時期があります。その学生らが卒業するとき洋上大学と称し、団体で海外旅行へ行ってもらうご褒美がありました。この企画は大いに当たり、15年以上続きましたが、新聞不況と共にいつの間にかなくなりました。私が随行員に選ばれたのは30台の後半、団長は古川第二部長、副団長が川名次長、他に内勤の辻君、小川さんが世話人となりました。朝日旅行の高田君が20日間の旅行一切を取り仕切ってくれました。他に講師が二人つきました。その一人が見田宗介さんでした。同じ年ごろであったせいか、飛行機の中でも隣り合い仲良くさせてもらいました。この洋上大学は横浜からサンフランシスコへ行くのが常でしたが、この時はヨーロッパでした。学生35人のうち10人は女子学生です。当時、ヨーロッパへの直行便はなくアンカレッジを経由しました。そしてスイスのチューリッヒへ朝、到着。バスでスイスの反対側のエイグルへ出て、山道を登り避暑地レザンのアメリカンスクールに到着です。パンもチーズも食べ放題。学生たちは狂ったようにお代わりしました。仮にも大学と名乗るからには講義がありました。見田宗介さんともう一人の講師の出番となりました。その後はドイツのハンブルグ、デンマークのコペンハーゲンを経由し、ユトランド半島のホーセンスで民宿の御厄介になりました。出される食事はジャガイモばかりで往生しました。パリに着いたとき、朝日旅行の粋な計らいで日本料理屋へ行きました。学生たちは貪るようにご飯を掻き込みました。その時、私は見田宗介さんのお隣でしたが、「やっぱり米の飯はいいね」と、シミジミおっしゃったのが今でも印象に残っています。ご冥福を祈ります。

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2022年4月9日          日本よ、この際動け!

 アフリカのサバンナの例を見るまでもなく、生きとし生けるものの本能は、自分が支配できる領土の拡大にあるのではないでしょうか。広げれば広げるほどその生き物の生存が保証されます。反対に、領土が狭まれば生存は脅かされます。人間とて生物です。支配できる領土の拡大に血道を上げるのは、生きとし生けるものの必然の行為なのでしょう。しかし、ロシアによるウクライナ侵攻の理由はそうではないようです。不覚にもロシアが許してしまった専制的独裁者の独りよがりな判断による戦争です。そのため、世界はこの戦争を良しとせず、ロシアに対する経済的制裁を大規模に実行し始めました。石油、天然ガスのストップ、海外資産の凍結、人的交流の排除。物流の停止、エトセトラ、、、、これらの制裁措置は徐々にロシア国内に浸透し始め、国民は戦争の無意味さに気付き始めていますが、厳重な報道監視によって全く報道されません。つまり、両国民の間には厭戦気分が蔓延し始めているいるのです。引っ込みがつかなくなっているこの戦争は、ならばどうすればよいか?

 強大な第三国連合による調停が、この際、停戦のカギになるのではないでしょうか。アメリカやNATO加盟国は当事者ですから、もとより、調停者足りえません。では、ロシアをして納得させる調停国はあるのでしょうか。あります。

 それは中国とインドと日本です。日本の岸田総理は西側諸国と足並みをそろえようと躍起となってますが、余りに視野が狭すぎます。日本が動いて、動いて、動き回って中国とインドを調停国にしてしまおうではありませんか!

 大国インドと中国が調停に入れば、さしものプーチンにとっても停戦へのキッカケとなるのではないでしょうか。その音頭を日本がとる、、、、、、岸田総理は歴史上の人物になるでしょう。

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2022年4月8日          どらえもん

 二人一組の漫画家藤子・F・不二雄さんが亡くなりました。今頃、二人は天国で再会し、やあやあ、と手を取り合っていることでしょう。 

 兎に角、二人が創り上げた「どらえもん」は人気がありました。タイ・チェンマイの奥地の奥地、少数民族の小学校でも大人気でした。チェンマイから車で4時間の奥地フエの小学校でもそうでした。キーボードやピアニカを日本から運ぶ度に先生方と仲良くなり、応対してくれる先生方をあだ名で呼ぶようになりました。色黒で丸顔の先生を「ドラえもん」、しとやかで、おとなしい先生を「しずかちゃん」、身体の大きい先生を「ジャイアン」、、、、畏友堀田さんの計らいで、チェンマイ奥地の、そのまた奥地小学校へ「小太鼓」、「シンバル」、「ピアニカ」を届けながら、ついでに映写機を持っていって、講堂と称する比較的大きな部屋で、映画会を開いてあげたことがあります。映写技師は十日に一度高田さん宅に集まって映画会を催してくださる梶原さん。その時、持参したのがタイ語に翻訳された「ドラえもん」。終わって子供達一人一人にチェンマイで用意して運んできた「お菓子の袋」を差し上げました。子供たちの上気した嬉しそうな顔、顔、顔、、、、こちら迄嬉しくなりました。

 チェンマイでは妙齢のご婦人までが「ドラえもん」に狂っていました。熊本からチェンマイに移住し結婚している市原さんの奥さんです。既に、50歳を超えていると思われる色黒のタイ人ですが、ドラえもん集めに狂っていました。ある時、東京でも珍しい人形を見つけたので、買って、奥さんに差し上げたところ、その喜こばれようといったら、、、、漫画には、その持っている力を遥かに越えた領域があることを、チエンマイでの活動を通して知りました。

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2022年4月7日            薩摩の血

 長野市の長野高校手前の「動物園下」というバス停の前に康楽寺というお寺があります。その寺の中ほどに、中沢家代々の墓と出水家代々の墓が向かい合ってあります。私の祖父・中沢丙三は出水(でみず)キヨと所帯を持ち、登茂子、朝江、繁子、袈裟三、志津子、留江子、喜三代が生まれました。唯一の男であった袈裟三は夭折しました。戦後まもなく、喜三代は遠縁に当る、国鉄職員の中沢邦夫と結婚し、久美子、秀樹を授かります。久美子は独身のまま、清瀬の久留米団地で私の母親と共にいましたが、母親の死後、いまは施設のお世話になっています。中沢家代々の墓は秀樹が受け継ぎ、彼には5人の子供がいるので、墓守の心配は当分なさそうです。

 さて、私の祖母の出水キヨは長野市東鶴賀の郵便局の家に生まれます。昇一郎、幸二郎、武三郎が兄妹です。この一族の祖父は出水周助といって、鹿児島出水(いずみ)市出身の商人です。周助は、最初は大阪に出て商売を始めたのですが、失敗して長野市へやってきます。そして、桜枝町で油問屋を始めます。時流に乗って油の商売は大繁盛したそうです。善光寺平に鉄道が開通したとき、それを見物するため沿道には桟敷席が設けられたそうですが、周助はその桟敷席に、花街権堂町の芸者衆を総揚げして見物したとか、語り草になっています。

 鹿児島県出水市は、毎年の鶴が飛来して越冬するので有名です。私が高校生の頃、「自分には薩摩の血も流れているんだ」との思いから、周助について調べようと鹿児島出水市へ出かけようと計画したことがありましたが、資金不足で断念した苦い思い出があります。今は、資金はあっても、身体がいうことを聞いてくれません。ままならないものです。 

 
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2022年4月6日          ピアノ3台

 毎日5時になると地下室に下りて行ってピアノに向うのを日課にしています。10日に一度は近くのピアノ教室で先生に見てもらっています。そこのピアノはスタインウエイのグランドなので、それも魅力の一つです。地下室にはローランドのグランド型キーボードもありました。九州小倉へ赴任した際、120万円で購入した優れものです。多彩な楽器の音色もでるし、録音再生機能もありました。ある時、チェンマイの日本語教会の牧師をお辞めになり、埼玉県熊谷の施設の一室に移られた野尻孝篤ご夫妻が我が家にお出で下さったとき、奥様の明子さんが毎日弾いているのは、10万円のキーボードだというので「良かったらお使いください」とお貸し、孝篤牧師がお亡くなりになった後も、そのままになっています。いずれは、この優れたキーボードは、福島の佐藤彰牧師がお建てになった大野教会に寄付させて頂くつもりです。さて、三台目はチェンマイの少数民族の学校へ寄付するつもりで購入したアプライトピアノです。ネットのお陰で四国の金光教会で使われていたカワイのそれを4万円で購入しました。輸送費が7万円かかり11万円支出しました。さて、タイへ船便で送りましょう、と調べていると輸送費のみならず、陸揚げ費用、関税、バンコックからチェンマイ迄の輸送費などなど、莫大な費用が発生することが分かりました。バンコックへ行ったついでに税関へ行って、少数民族の学校への寄付だと言ってもダメでした。都合、50万以上かかることが分かったので、それなら、現地で買った方が廉い、と諦めざるを得ませんでした。さてどうしたものか?

 ところで、いま、駅ピアノが流行しています。雑踏のなかでピアノ演奏するのは邪道に近いと、私は思っているのですが、どうしてどうして、流行しています。ふとしたことで、数か月前、所沢駅のピアノを弾いてしまいました。やってみるとなかなか面白い。違和感がたまらない魅力になるのです。そこでいま思案しているのが、三台目のカワイアプライトを私が乗り降りする中村橋駅に、駅ピアノとして使ってもらおうか?と考えているのです。中村橋駅のコーンコースは天井も高いので、ピアノの音は冴えるはずです。ここは思案のしどころでしょうか。

               カワイのアプライト

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2022年4月5日                    ワルシャワ

 ウクライナの隣のポーランドは、400万人を超える避難民を受け入れていて、ごった返しているようです。6年前、首都ワルシャワの中心部に交差点角にそそり立つホテル・ノボテルに8日間滞在しました。目的はショパンコンクールでしたが、チケットは日本でも取れず、現地へ行けば何とかなるだろう、と行ったのでしたが、やはり、何ともならず、コンクール会場付近をウロウロするだけで目的を果たせませんでした。チケットのすべては中国、韓国の団体に買い占められていて、ダフ屋でさえ弱っているようでした。仕方がないのでコンビニでウオッカを買ってきて、チビチビやりながら、テレビの前に座り続けていました。食事は朝夕とも、さして代わり映えしない、しかも、美味しくないバイキング。食べに出ても、これは、と言えるものもなく、バスターミナルのビルに寿司屋さんがありましたが、これもダメ。ポーランドの人は何で食については関心がないのだろう、と呆れてしまった記憶が残っています。

 しかし、ワルシャワから国内航空でクラクフへ行き、バスで2時間、アウシュヴィッツへ行ってから考えが変わりました。その日、食べるものがあるだけで幸せなのだ、と。「入浴だ !」と聞かされ、衣服を脱いで団体で入った部屋の天井からチクロンガスが降ってきて苦悶のうちに絶命したおよそ600万に及ぶユダヤ人家族。残された眼鏡、靴、義足、頭髪の山、山、山、、、、

 クラフクからワルシャワへ最終便で帰って来たのですが、丁度、満月が昇るところでした。人間の持つ不条理に思いを致し、涙が流れて仕方がありませんでした。故郷のウクライナを追われ、異国の地で故郷に思いを馳せながら月を眺めている、何の罪もないウクライナの人たちの気持ちが、痛いように分かり、辛くて、辛くてならないのです。    

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アウシュヴィッツのガス室入り口

2022年4月4日          偉大なロシアの怠慢

 いま、世界中から「総スカン」を食っているロシアという国は、歴史的に見て偉大にして優秀な国です。 日本など遥かに及ばないでしょう。一例を文学者にとれば、ツルゲーネフ、トルストイ、チエーホフ、プーシキン、ソルジエニーチン、ドストエーフスキー、、、、19世紀から20世紀にかけてのロシアの音楽家は有名人ばっかりです。バラキレフ、ムソルグスキー、チャイコフスキー、リムスキーコルサコフ、スクリヤービン、ラフマニノフ、ストラビンスキー、プロコフィエフ、ハチャトリアン、ショスタコーヴィッチ、、、、ノーベル賞受賞者も21人います。ソルジエニーチン、パステルナーク、パブロフ、メチニコフ、ムラトフ、そしてミハイル・ゴルバチョフ、、、、、。

 偉大なロシアを築いてきた上記の偉人たちは、今回のウクライナ侵攻をどう思っているでしょうか? 「よくやった。貴様の判断は正しい。もっとやれ、もっとやれ」 と評価しているでしょうか? 「プーチンよ、よくも貴様は偉大なロシアの名を汚してくれたな!この不届き者め!」と怒り心頭を発しているでしょうか?

 私は、つらつら思うのです。ロシアを世界でも名だたる偉大な国に仕上げた過去の偉人たちは、今回のプーチンのとった行動に賛成する者はほとんどいないだろうと。これから先、偉大なロシアが世界中から一定の距離を置いた目で 見られるようになるのは、すべてプーチンのせいだ、と。

 ただ、私にも一言あります。東西ドイツでベルリンの壁が壊された際、東ドイツの諜報員だったプーチンを、偉大なロシア人ともあろうものが、何で独裁専制者になるまで放っておいたのか、と。これはロシア国民の怠慢ではなかったか、と。

 
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2022年4月3日                     労働組合

 GAFAと呼ばれる巨大産業には労働組合がありませんでした。近年、組合運動は世界的に下火になっていたからでしょう。ところが、このGAFAの中のアマゾンに労働組合が結成されました。日本のアマゾンではなくアメリカでの話です。

 ニューヨーク州のステンタス島にあるアマゾンの拠点では、8000人が働いているそうです。アマゾン本体は労働組合には一貫して反対の立場を取り、創業以来28年間、労働組合はありませんでした。なぜなら、アマゾンはサーヴィス業であり、ストライキで業務が一時でも停止すれば信用がガタ落ちとなり、会社の存続にかかわって来るからです。本家本元でこうなった以上、日本のアマゾンも例外足りえないのではないでしょうか。

 私自身、実際のところアマゾンにどれだけ世話になっているか、計り知れません。書籍であれ、食糧であれ、雑貨であれ、当家専用の画面を開いて注文を入れると、翌日には届いています。しかも、値段も手ごろです。なぜなら、類似商品が画面に現れるので比較検討が出来るからです。ただ、何回かトラブルにも見舞われました。悪質な配送業者が潜り込んでいるためです。その度にトラブルセンターとやり合うのですが、くどい様にメールで誤って来るのですが、今もって配達されず、一か月も待ち続けている書籍があります。

 アメリカのアマゾンに組合が出来た以上、旬日を待たずして日本のアマゾンでも結成されるでしょう。組合が強くなりすぎ経営にまで口出しをし、結果的に弱体化した例に日産自動車があります。更に日産はゴーンという不届き者によって信用を落としました。アマゾンにはそうなってほしくない、と願うのは私だけではないでしょう。

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2022年4月2日           タイ・奥地の桜

 昨夜来の冷たい雨と風で、咲き誇っていた桜は花吹雪となって道路上に吹き寄せられています。花の命は短くて、、、、全くその通りで、余計に愛おしくなります。「桜散る残る桜も散る桜」、、、世の無常を感じます。

 日本国内で一番初めに咲くのは沖縄の紅桜でしようか。小さな山に登るジグザグの道の両脇に植わっている桜並木。満開は1月15日ごろでした。

 タイ・チェンマイにも桜がありました。バンコックは年中猛暑ですが、チェンマイは北緯18度の高地にあり、ハワイと同じ気候です。チェンマイ市街を見下ろす山の上には壮大な仏教寺院とタイ王朝の離宮が聳え立っています。チェンマイの桜はそのまた奥で咲いている、というので車を運転して行ってみました。諸外国と違って、タイは日本と同じ左側通行なので運転にはさしたる違和感はありません。混雑する寺院を抜け、静かな王様の離宮をやり過ごし、いよいよ、山道です。道は一車線しかありません。対向車があると、ところどころにある二車線の幅のあるところまで、前進するか後退するかしてやり過ごさなければなりません。少しでもハンドル操作を誤れば谷底へ転落です。そんな道を夢中で4,50分、やっと山間の小さな部落に着きました。何と桜が満開でした。部落中が桜で埋まっていました。ただし、日本の代表的桜であるソメイヨシノとは、似ても似つかないピンクの八重桜でありました。

 車を空き地に置き、小さな売店で買ったお菓子を頬張りながら歩き回ってみました。ほとんどの家は戸が開いていて中まで丸見えです。一年を通じて雨季と乾季はあっても、気温は夜も昼も同じなので、戸を立てることは無いそうでした。

 桃源郷だな、と思いました。最晩年は身体一つでここへ来て、心静かに終わろうかな、と思ったことです。 

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2022年4月1日         誤った情報

 歴史を振り返ってみるまでもなく、独裁者に届く情報は「いい情報」ばかりで「悪い情報」は握りつぶされる。悪い情報を上げれば、それが真実であればあるほど独裁者は怒り狂い、側近に当たり散らす。「お前らが悪いからだ!」と怒鳴られ叱られ、場合によっては殺される。側近たちはそれを恐れて情報操作をしてしまう。独裁者は独裁者で真実をそのまま受け取ろうとしない。自分こそ正しいので、否定されるわけはない、だから、自分に不利な情報には目をつぶり、自分こそ正しいのだと、判断を誤り、ついには、国を亡ぼす重大な局面を見逃してしまう。

 いろいろな情報を総合するとロシアの悪代官プーチンは、いま、そんな状態にあるようです。側近隊たちはプーチンから怒鳴られるのが怖くて、真実を言えない状態に置かれているようなのです。ウクライナ側の必死の防戦のお陰でロシア側の軍隊には厭戦気分が漂い始め、中には及び腰になり、戦闘を放棄してしまう兵士もいるとか。加えてプーチンの側近たちも次々に離反し始め、国内でも大財閥たちが停滞する経済を嘆き始め、国民にも厭戦気分が漂い始めました。

 独裁政治は、決して長続きせず、必ず崩壊するのは歴史が物語っています。世界中がこぞって反対している以上、ウクライナ国民以上にロシア国民までもがこの戦争で苦しみだしたからにはプーチンの失脚は時間の問題となったのではないでしょうか? たったいま、停戦の臨時ニュースが流れました!(今日は4月1日)

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2022年3月31日               同期の桜   

 一昨日に続いて、昨日も、今日も桜の下に佇んできました。青空に映える満開の桜は見飽きることがないのです。ところで、桜で思い出すのは戦時中、主として特攻隊で歌われた「同期の桜」です。

 当時、全国の新聞社は破竹の勢いで部数を伸ばしていました。家が一軒増える毎に新聞も一部増えました。中でも読売と朝日がダントツでした。新聞を取らないのは、ご近所の手前、恥ずかしい、とされた時代でした。新聞休刊日になると熱海や、鬼怒川などの温泉地は各社の新聞従業員で満杯になっていました。ホテルや旅館の入り口から紙旗の社旗を飾り、宴会では豪華な賞品が貰える抽選会が盛んでした。宴の終わりには、全員が肩を組み身体を揺すって大合唱しました。朝日の場合、決まって歌われたのが「同期の桜」です。

 ♪貴様と俺とは同期の桜、同じ朝日の庭に咲く、咲いた花なら散るのは覚悟、見事散りましょ、朝日のために♪♪♪、、、繰り返し、繰り返し、いつ果てるともなく歌われました。

 それがどうでしょう。いま、こういう催しは一切なくなりました。情報の伝達手段が「紙」から「光」に替わって以来、ほぼ、20年が経ちましたが、全国の新聞部数は減少に減少の一途となり、加えて新聞社収入の一方を支えている広告もネットに奪われ、新聞経営は全国紙も、ブロック紙も、地方紙も押しなべて存続の危機に陥っています。一体、誰がこうなることを予測できたでしょうか。

 振り返ってみれば私の65歳までの人生は朝日新聞、朝日小学生新聞、朝日中学生ウイークりー、そして朝日の刊行物の販売網強化のために存在していた、と言っても過言ではないでしょう。その努力はもうおしまいにしたのでしょうか?いいえ、今も続けているのです。電車に乗る時は朝日新聞をもっていって車内で広げているのです。既に、10両編成の電車の中で新聞を読んでいるのは私一人になっていようとも、です。

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022年3月30日        エルドアン

 トルコのエルドアン大統領は、部屋数が100もある壮大な宮殿を自己所有しています。ある意味でプーチンと同じ独裁者ですが、今回、5回目になる停戦協議の仲介者として、両陣営をイスタンブールに呼び、その役目を、幾分なりとも果たしたのは大きな功績でありましょう。「長引く戦争は誰のためにもならない」と、激しい言葉で会議を仲介したのです。かなりの譲歩を引き出したのは、彼の力によるところが大きいと言えるでしょう。トルコは過去にロシアと14回も戦争ををして、その度に負け、領土を獲られています。一方、クルド人への弾圧にも酷いものがあります。

 しかし、今回の停戦協議はトルコが仲立ちをした以上、両国はそれを破るわけにはいかないでしょう。停戦への兆しが見え始めたのはエルドアンの功績ではないでしょうか。もし、実現すれば、トルコは両国に恩を売ったことになるでしょう。

 ところで、フェースブックには、しばしば、着飾った女性が一列に並んで手を握り合い楽隊に合わせてラインダンスをする写真が現れます。どうやら結婚式などの集まりのようで、この国では大勢が招待され喜びのラインダンスをするのが、しきたりのようでした。女性は大柄で、色が白く、かつ美人です。男性の方は細いズボンを纏い同じ列に加わって身体の動きを合わせますが、皆がみんな、髭を生やしています。どこの国の習慣かなあ、といろいろ探ってみた結果、トルコにいじめられているクルド人であることを突き止めました。クルデッシュダンスと呼ばれているようでした。トルコのエルドアンがいじめている虐げられた民族集団です。世の中、いろいろだなあ、と思わされた次第。

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2022年3月29日             な ぜ

 ウクライナの首都キエフの陥落はまじか、と言われながら一向にそうならないのは何故なのでしょう。そこには祖国を守るために必死のウクライナ兵と、何だかよく分からないままに、戦場に駆り出されているロシア兵士との意識の差が原因ではないか?と思わずにはいられません。

 両軍の兵力の違いを見てみましょう。軍事費は52億ドル対617億ドルでロシアの方が10倍以上です。戦車の数2596対12420。兵隊の数13万対90万。戦闘機数70機対900機。戦闘装甲車12,303対30,122。自主砲1067対6504。野砲2040対7571.ロケット砲490対3591。

 これだけの違いがあるのにロシア軍はあちこちでマゴマゴしているように見えているのです。最近の情報ではキエフ占領は諦めて、地方都市の攻略に戦術を転換したとの噂まで流れています。一方、ウクライナは中立を宣言する覚悟があることを公にし始めました。条件は国土からのロシア軍の撤退です。世界は固唾をのんで戦況を見守っています。そして平和の到来を願っています。プーチンを支えてるロシア高官数人が辞任するというい異常事態も散見し始めました。

 
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2022年3月28日                 桜 満開

 本日は晴天なり。そして、桜も満開なり。千川通の50本近い桜も、春日町の桜並木も、石神井川沿いの桜も、哲学堂の桜も、光が丘公園の桜も満開です。たった今も、近くの向山公園のベンチに座って、青空に映える桜を、飽かず眺めてきました。すると、桜にもいろいろあって、老木であってもたわわに花を付けているもの、若いのに貧相な花しか付けないもの、桜の世界もいろいろだなあ、と思いを新たにしました。でも、西行の歌「願わくは花の元にて春死なむこのきさらぎの望月の頃」の気持ちが伝わってきました。

 関東の桜はお陰様で満開の時を迎えていますが、福島夜ノ森の、会津の、三春の、二本松霞が城の、福島市郊外の「花の山」も、白河城の、本宮の蛇の鼻公園の桜もまだまだでしょう。ましてや、青森の弘前城公園の桜たちは雪に埋もれていることでしょう。更に、奥会津の桧枝岐の山桜は寒さに震えていることでしょう。

 思えば、私もそれ相当の歳になりました。あと何年桜と対峙することが出来るか?親友のほとんどは、すでにあちらに行ってしまっています。やがて会える楽しみはあるとしても、あちらの世界には桜が咲いているでしょうか?この世で寿命の尽きた桜は、あちらでも咲いているに違いないと思いながら、いましばし、この世の桜を楽しむことにしましょう。 

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2022年3月27日          北方領土

 未だに解決を見ない北方領土問題には長い歴史があります。遡れば江戸時代末期にそれは始まります。日ロ通好条約が結ばれたのは1855年ですから、明治維新の13年前です。樺太と千島列島は日本領になっていました。1875年、樺太と千島の交換条件が成立します。日ロ戦争で日本が勝利します。1905年ポーツマス条約により樺太の北緯50度以南、つまり、サハリンの半分と千島列島全部が日本領になります。ところが、ロシアは日本が8月15日に無条件降伏をしたにも拘らず、8月28日までに樺太全島、千島列島の最南端の歯舞、色丹、国後、択捉の四島迄攻め入り占領します。昭和、平成、令和と、約70年余にわたって、せめて4島だけは、という返還交渉が始まり継続していますが、今もってそのままです。挙句の果ては、2島でもいいから返還して、そして平和条約を結ぼうと、日本の首相は何代にもわたって交渉を繰り返してきましたが、ロシア側はぬらりくらりとして今もって進展を見ていません。プーチンになってからもそのままです。日本へ来るたびに盛大な歓迎を受け、最上級の持て成しを受けながら、今もって、少しの進捗も見ていません。

 ロシア側からそのたびに手玉に取られた日本の首相は数知れません。領土問題というのは、このように厳しいものなのです。相手が強かなロシアであってみれば尚更です。歴史的過去を振り返ってみるまでもなく、その正当性がこちら側にあるとしても、既得権益をおめおめと譲り渡すほど国家と言うものは甘くないのです。

 予想されるのは、恐らくウクライナ侵攻戦争がが拡大し、アメリカを中心とするNATOとロシアが対峙し、世界的規模の第三次大戦が勃発し、ロシアが負ける時が来るまで、そのチャンスはないのではないでしょうか。領土と言うものはそれほどシビアなものなのです。なぜなら、領土放棄は国家の威信に拘わるものだからです。

2022年3月26日                 喧嘩は素手でやるべし

 東京の家が空襲で焼け、長野の三輪小学校に転入した3年生の時、取っ組み合いの大喧嘩をしたことがあります。私にはあだ名が付けられていました。「東京のお坊ちゃん」、英語の縫い取りのある毛糸のセーターをいつも着ていたので「英語の坊ちゃん」、「イースト菌」、中には「種牛の一等品」というのもありました。ある日校舎のトイレ脇の空き地に呼ばれました。悪ガキが数人集まっていてボスは大塚君という赤毛ののっぺりした5年生です。「てめえは生意気だ」と小突かれ始め、一発張り手を食らいました。私は我を忘れて相手に武者ぶりつきました。取っ組み合いの大喧嘩です。どれだけ殴られたか、殴り返したか覚えがありません。私も大塚君に負けないぐらいの大柄であり、力も強かったので、先生が呼ばれてくるまで殴り合いは続きました。

 二度目は中学二年の時です。同じクラスでリレー選手の鈴木君と何かのことで取っ組み合いの喧嘩となりました。校庭で馬乗りになってボカボカやっていると先生が呼ばれて引き離され、二人とも廊下に立たされました。各学年10クラスもある1500人のマンモス中学校での出来事でした。

 北朝鮮が新型の大陸間弾道ミサイルの発射実験を一昨日行いました。飛行距離は1090キロ、高度は6248キロ、飛行時間は67分だそうです。もし、このミサイルが100発製造されて、アメリカに向けて発射されればアメリカの東海岸の都市はもとより、西海岸にも被害が及ぶでしょう。しかも、このミサイルは音速で飛ぶので迎撃は困難とされています。日本の米軍基地などひとたまりもないでしょう。

 生きとし生けるものにとって喧嘩はつきものです。なぜなら、生存競争でもあるからです。世界史を俯瞰するとき、遡れる限りにおいて、戦争のなかった時代はありませんでした。つい、最近にはシリアやアフガンで戦争がありました。そして、いま、ロシアとウクライナの同系民族同士の殺し合いです。場合によると、隣同士から東西に分かれての大規模戦争にまで発展しそうな勢いです。

 だから、提案したい。国連で決議して欲しい。「戦争は大いにやってよろしい。ただし、武器はその一切を使ってはならぬ。素手でやるべし」

2022年3月25日        練馬今昔

 パソコンへの打ち込みや、IPADとの戯れに疲れると、仕事場のガラス戸を一杯に開け、猫額のベランダへ出て外を眺めます。家は5メートル道路が交差する角地にあり、二つの車庫の上に建っている二階家なので、かなりの高さがあり、あまり気付かれづに 行き交う人々を眺めることが出来ます。今しがたも、白杖を突きながら歩道に敷かれた白線を頼りにとぼとぼと歩く老人がいました。車の音が聞こえるや、彼は白線の上に立ち止まってやり過ごします。車の付いた買い物袋を頼りにゆっくり歩く老婦人の何と多いことか。朝夕は、犬の散歩も数多く、その犬までもがヨタヨタ歩きをしています。つまり、練馬のこのあたり一帯は、ご老人さまご用たし部落と化しているのを知らされるのでした。

 入社早々、駅まで8分のこの土地に22坪の建売住宅を購入した時は、あたり一面、野原と林でした。紫陽花や、コスモスが咲き乱れていました。その後、道路向かいの角地に78坪の土地を購入し、アパートと母屋を建て現在に至っていますが、それがどうでしょう、戸建て住宅の密集地帯となり、空き地はすべて無くなっています。私と同様、元気な時に戸建て住宅を購入して住み着いたはいいけれど、人は誰でも年を取ります。歩くのに杖を必要とするようになります。その結果、このあたり一帯はヨチヨチ、ヨタヨタ歩きの年配者で溢れかえり始めたのです。その昔、練馬は「練馬大根」で名を馳せていました。いま、練馬のどこへ行っても大根畑はありません。慣れ親しんだ豊島園でさえ、今は廃園となり、何やら揉めているように仄聞します。人の世は止まることが無いのです。

2022年3月24日         武器としての言葉

 昨日、国会内に巨大スクリーンが設けられ、国会議員全員が見つめる中、ウクライナのゼレンスキー大統領の演説が放映されました。ポーランドの秘密基地からの衛星中継であったようです。前身がコメデアンで俳優である彼は、原稿を読むことなく、この戦争の不当性を訴え、戦争の早期終結を願い、終わりに、ウクライナに栄光あれ、日本に栄光あれと結びました。岸田総理以下、全員が総立ちになり拍手を送りました。

 ウクライナ侵攻は2月24日に始まったので、今日で丁度一か月を経過しました。予想に反し、ロシア軍はウクライナ軍の捨て身の防御により、難航しています。余りの抵抗の凄まじさに、ロシア軍は核兵器を使うのではないか、とまで噂されている始末。そのためロシア軍の攻撃は軍も民間人も区別なく、激しさを増しているようです。世界の世論は、ここへきて激しくロシアを糾弾し、ウクライナに同情し、加担する傾向に替わり始めました。ゼレンスキー大統領の言葉の力によるところが大きいのではないでしょうか。昔からユダヤ人には優れた人がいました。大英帝国で唯一ユダヤ人の宰相であったでデズレリーは、売りに出たスエズ運河の株を、ロスチャイルドを通して400万ポンドで即決即断して購入し、イギリスの東洋進出の礎を築きました。ロスチャイルドから「、、、して、400万ポンドの質草は」と問われたデズレリ―は何と答えたか 「質草は大英帝国!」と答えたのは有名な話です。

 ユダヤ人大統領のゼレンスキーさん。きっと、何かをしでかしてくれるはずです。

2022年3月23日       再開・大野教会

 福島・浜通りの双葉原発がメルトダウンし、放射能を噴き上げて以来、隣町の浪江、大野の街は居住困難地域となり、廃墟同然でした。ところが今年になって、放射能が除染され、住めば住めるようになりました。大野には佐藤彰牧師が建てた福島大野バプテスト教会があります。霊安室もある立派な教会です。

 事故発生と同時に、佐藤牧師は45人の信徒を連れて、最初は彼の実家の山形へ向かいます。続いて、奥多摩の自然施設へ移動です。45人の寝るところ、食べ物、生活必需品の確保など、筆舌に尽くしがたいご苦労の連続でありました。その様子がビデオで流れ、世界中のキリスト者の同情と共感と励ましと共に、かなりの献金が寄せられました。佐藤牧師の凄いところは、それらのお金を基に、放射能障害のない茨城県寄りのいわき市・泉に、教会堂を建て、その周辺に45人の教会員の住居を確保してしまいました。教会堂は、ある篤志家のお陰て広い敷地に建てられました。これ以上は望めない設備の整った立派なものです。しかも、大野に向って今にも飛び立とうとする鳥にあやかったデザインです。町の人は「翼の教会」と呼称し、既に名物になり、信徒も大野時代の三倍から五倍になりました。

 ここ数年来、毎年、桜の頃になると浜通りに出かけ、集団疎開で逗留した富岡駅前の大東旅館の跡地を訪ね、見る人なく咲き誇る夜ノ森の桜の下にたたずみ、翼の教会の礼拝に交わってきました。定宿にしているのは湯本のオーシャンホテルでした。今年初め、朗報が飛び込みました。大野教会が再開されたのです。写真で見ると大野教会は小さな町である大野にはもったいないほどの立派な教会です。熱心なクリスチャンであった、小高の篤志家「半谷マサ」さんのご厚意によるものだそうでした。硅石の採掘で財を成した半谷さんの三男ご一家は東京山手線の巣鴨に住み、私が学生の頃一緒に住んだ清水聡さんの実姉が奥さんでした。三男さんは私が早稲田の一年の時、伊勢丹デパート立川店の副店長でした。そのご縁で大学一年の夏休み中、立川店一階のハンカチ売り場でアルバイトさせてもらいました。学生服姿で売り場に立ったのです。大野教会の建立に私財を投じた「半谷まさ」にはご自身で書かれた半生記の小冊子があります。岡山から福島小高に嫁いできたご苦労がつづられていて、何度、読み返したことでしょうか。

 夜ノ森の桜はやがて満開となるでしょう。解禁になっているので500本の桜を観に、人、人、人で溢れるでしょう。コロナ禍で遠ざかっていた福島浜どうりへ、今年こそ万難を排して出かける積りです。大野教会にも訪れます。「半谷マサ」さんと佐藤彰牧師の偉大な作品を、この目で見てくるつもりです。

2022年3月22日         神国日本 

 歴史始まって以来、人間による人間の殺し合いのない時代はなかった、と言えるのですが、太平洋戦争でのアメリカと日本の殺し合いをこの目で見た世代は、当時国民学校一年生だった我々が最後でありましょう。

 栃木県の舘林で乗り換えて、佐野市手前の田島という片田舎に、私の母親の姉が住んでいました。子だくさんの家庭で、一人っ子の私はそこへ行くのが楽しみでした。母に連れられて舘林に着いた時です。空襲警報のサイレンが鳴り始め、乗客の全員は防空後に避難させられました。青空の一隅にB29の編隊が轟音を立てて現れました。その数20機余り。舘林の隣の太田の「中島飛行場」を爆撃するためのようです。青空に高射砲がさく裂します。が、高度が足りません。何とも歯がゆい限りです。すると、飛行場から二機の日本の戦闘機がB29めがけて襲い掛かりました。空中戦です。一機はあえなく撃ち落されました。しかし、もう一機はB29に体当たりし、火だるまになって落下していきました。しばらくすると、体当たりを食らったB29は隊列を離れ、ひらひらし始め、やがて轟音と共に火柱が上がりました。防空壕からはい出し、固唾をのんで空を見上げていた乗客から、期せずして拍手が起きました。しかし、この時を境に、中島飛行場は使えなくなったそうです。

 昭和16年12月8日、ハワイ真珠湾の奇襲攻撃を皮切りに、日本が始めた戦争は、どんな大義名分があったのでしょうか? 大東亜共栄圏とか八紘一宇とかは、日本の勝手な理屈でしかありません。大正から昭和初期にかけて台頭してきた軍部が政治の実権を握り始めてから、極端に右傾化し始めたのです。丸山正男の「現代政治の思想と行動」の通りです。

 つまり、ウクライナを侵略する軍事大国ロシアの今の姿は、かつて、朝鮮半島、満州、支那を侵略した日本と同じではありませんか!2・2・6事件から5・15・事件、軍部が強大化する姿勢を、民意は咎めることが出来なかったばかりか、軍国主義化する日本を「神国日本」と囃したのが日本国民ではなかったでしょうか?

2022年3月21日        行き場のない恐怖感

  「戦火を避けて避難する、、、、、」 いま、何百万のウクライナの人たちがやっているのと同じことを、いまから、79年前に私もやっていたのでした。大東亜戦争で日本の敗色が濃厚となり、連日連夜の様にラジオは空襲警報を発令していました。「東部軍管区情報、東部軍管区情報、敵B29の大編隊は房総半島上空より本土に近接しつつあり、空襲警報発令!空襲警報発令!」そのたびに庭の一隅に掘られている防空壕に、綿入れの防空頭巾をかぶり、息を潜めて入ります。遠くの方で爆弾の炸裂する音が聞こえます。爆撃機が頭上を通過する轟音が防空壕の中にも響き渡ります。「次は、爆弾はここに落ちるのではないか?」 いつの間にか、暗がりの中で、震えながら隣の母親にしがみ付いていました。それが20年3月10日の大空襲でした。いわゆる下町を中心に25万人が焼け死んだといわれています。

 その恐怖!いま、正にここに爆弾が落ちるかもしれない怖れ!そして痛い思いをして死ぬという予感!それを今、ウクライナの人々は味わっているのです。大勢がその苦しみの渦中にいるのです。寒さと飢えに苦しみながら、、、、

 どんな理屈があろうとも、生きとし生ける権利のある人間同士が殺し合いをしてはなりません。隣同士は仲が悪いとしたものですが、「人殺し」にまで及んではなりません。ますます激化するロシア軍によるキエフ攻撃のテレビ画面を見ながら、堪らない気持ちで一杯になっています。

2022年3月20日       パソコン受難

 昨日の午後のことです。パソコンに向かい、ホームページをいつものように開こうとすると妙な企業からのページが現れます。年齢・住所・職業・取引銀行など詳細に記入して登録しろ、という一方的なページです。「やられた、ハッキングされた!」」と思いました。一方、グーグルからもメールが入りました。「あなたのパソコンは外部からの攻撃にさらされている。回避する方法はこれこれ、、、、」 言うとおりに操作を繰り替えしましたが、パスワードがいろいろで、一向に埒があきません。 思い余ってPCデポの有料相談に遠隔操作による診断を頼みました。かなりの数の不法侵入があり、除去してもらいましたが、一旦は回復したものの、再びページを開くことが出来なくなります。

 弱りました。雨がそぼ降る中、重いパソコンを仕事部屋から持ち出し、車に積み込み、平和台のPCデポに持ち込みました。担当者と共に操作を開始するとホームページ画面に小さな見慣れない英数字の羅列があるのを発見しました。それにカーソルをあて、削除すると、あらあら不思議、ホームページが回復したではありませんか。ホッとしました。なぜ、こうなったか? 思えば私のホームページは「ご意見、ご感想を歓迎します」となっています。そのためか、外国人の名前による迷惑メールがかなりの分量で入ってきていました。世の中、善意の人ばかりではないのです。これを機に迷惑メールの遮断措置を講じてもらいました。

 再び、重いパソコンを二階の仕事場に運びこみました。昨晩のお酒の美味しかったこと!

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