最近のエッセイ

2017年11月2日        不合理

 投票総数では自民党以外に入れた数の方が、遥かに多かったにも拘わらず、再び安倍政権になってしまい、全く面白くありません。なぜこうなるのか? 言わずと知れた小選挙区制に問題があるからです。十数年前、日本国はアメリカや欧米各国の二大政党制を夢見ました。共和党か民主党しかないアメリカを見習おうとしたのでした。ところがどっこい、自民に対抗する勢力がなかなか育ちません。「保守と革新」にならないのです。革新の中にも保守があり、共産党は少しの妥協も見せず旧態依然のまま、党名すら変えようとしません。

 「コップの中の嵐」によって自滅したのが今回の結果でしょうか。野党が健全に育たない現実、これが日本の不幸でしょうか。
 

2017年10月29日       遠くにありて

 明日は有楽町の新装なった「ニュー東京」で「赤富士の会」という催しがあります。既に引退した販売店所長、本社販売局OB、現役幹部、本社役員などが集まって旧交を温める会です。5年前、私に挨拶の順番が回ってきた時は、ちょうど慰安婦問題が起きた時でしたから、「みんな頑張ろう、現場に出て従業員を励まそう」と30分近く熱弁を振るいました。また、数年来、会の締め括りに歌われる「朝日若人の歌」の大合唱のピアノ伴奏を務めて来ました。

 しかし、3年前から出席を辞退しています。今年もまた欠席通知を出しました。それは、新聞との係わりを自分の中で絶ち切ったせいです。昔を懐かしみ、愚痴を言いたくないからです。朝日新聞は遠い昔の出来事、と思うことにしたのです。「新聞は汚れるからタダでもいらない」という、思いもかけなかった世相の変化の中で、未曽有の苦しみに遭遇している後輩たちを見るに忍びないのです

 思えば、私は、存命している販売局練習生の長生き人間の一人になってしまいました。練習生とは昔の軍隊での呼称で幹部候補生をいいます。販売局の担当員は24時間が勤務時間です。一地区のすべてを任されるのですから、何かあれば真夜中でもすっ飛んで行きます。時間外労働などの意識は微塵も念頭にありません。自分の気持ちが販売店と共にあれば、「労働」という観念が消えうせるのです。

 最近、東大卒の電通女性社員が過労死で裁判沙汰になりました。自分を律せなかったせいでありましょう。電通がまだ創生期の頃、吉田という社長の「電通鬼10則」というものがありました。要するに四六時中仕事のことを考え行動しろ、というものです。朝日の練習生も、その10則を秘かに懐中に忍ばせていました。だから、朝日の部数は驚異的に伸びたのです。350万から830万部へ伸びたのです。

 それを可能にした販売練習生は、若い時の激務が災いしたのか、殆どが短命で終わっています。これは誠に残念なことですが事実です。何と、齢80歳の私が、存命中の練習生の最古参に仲間入りしていのです。しかも5番目です。

 98歳の竹市さん(東大)、続いて93歳の青山さん(早稲田)、88歳の石塚さん(一ツ橋)、名古屋入社で84歳の嘉戸さん(早稲田)、そして私です。お世話になった先輩方23名は既にお亡くなりになりました。私の次の年に入社の4人も既にこの世におりません。部下として仕えて貰った6人もすでに他界しています。

 最近、女子医大で胃カメラ検査をしました。胃袋に不快感を覚えたからです。一昨日結果を聞きにいくと「ガンも潰瘍もありません」とのこと。胃袋内のピロリ菌検査もマイナスでした。悪さをするらしいピロリ菌はいないのでした。そのことを女子医大で掛かりつけの宇野女医に報告すると、「中沢さん、あなたは運の強い人だと思うよ」とのご託宣。こうなったら現役最古参の竹市さんの年まで生きてやろう、と秘かに思いました。

 その時は「赤富士の会」には毎回出席して熱弁を奮ってやりましょうや。

 

2017年10月23日        日本人は好戦的民族?

 ほんの一昔前、日本人は刀を差し、殺し合いをしてきました。薩摩、長州、土佐、肥前が江戸に攻め入り、会津の白虎隊まで屠りました。日露戦争で勝利し、日華事変を経て、太平洋戦争に突入します。原爆を落とされ、日本中の都市が壊滅的被害を受け、国中が廃墟となりましたが、奇跡的復興を果たします。とはいえ、負けたことに対する恨みを、日本人は今なお持ち続けているのではないでしょうか?

 今度の選挙の結果は、日本人の心の底の恨みを顕在化させたものではないでしょうか。そうとしか思えない意外と言えば意外、当然と言えば当然の結果ではなかろうか、と私は結論します。

 韓国と戦いたいのです。中国と戦を交えたいのです。北朝鮮を地上から抹殺させたいのです。そういう願いが日本人の心の底に去来しているのです。そうとしか思えないのが今回の選挙結果でありましょう。

 「次なる戦争は必ず起きる」という世界史から見た定理を、理屈抜きにして心の奥底に感じているからこそ、好戦的な安倍政権の存続を支持したのではないでしょうか。森友・加計問題はあったとしても、それは枝葉末節であるからして、日本会議の「日本は再び戦争を厭わない」という理屈を受け入れたのではないでしょうか。

 私自身としては、この流れに対して断固反対です。でも、大学で史学科西洋史を専攻し「世界史的にみて戦争の無かった時代はなく、戦争はこれからも起きる」ことを学んだ身になって見れば、「なるほど」と思わざるを得ません。

 この両日、新聞を読みません。テレビも見ません。不愉快だからです。日本国民に愛想を尽かしたからでもあります。でも、選挙結果は厳然たる事実です。

 そんなに遠くない将来、核武装する日本、いつの日か核弾頭が炸裂する日本、その日が間違いなくやってくるのが眼に見えるようになりました。やれやれ、その日がにやってくることが確実になりました。

 早く、お墓に入りたいよー。

 

2017年10月18日        それを言っちゃーお仕舞めえよ

 その言葉は「排除する」です。民進党の前原代表と、希望の党を立ち上げた小池百合子が密談し、民進党は全会一致で「希望」に雪崩れ込みました。その際、小池は「全員を受け入れる気持ちはありません。立場や考え方の違う人は排除させていただきます」とノタマイました。恐らく排除されるであろう民進党の6人が困って「立憲民主党」を立ち上げました。今度は右往左往していた民進党員が立憲へ鞍替えを始める始末。いまや、野党内は喧々諤々。野党の結束など遠い昔となってしまいました。同士討ちが始まったのです。

 小池が「排除させていただく」などと云わず、「多少の違いはあっても、それはそれ、自民党政治を終わらせるために、共に戦いましょう」と度量の大きさを示していたらこの、一週間の混乱は回避されていたのではないでしょうか。

 いやしくの同じ人間に向かって「排除する」などという言葉は使ってはなりません。

 この言葉のお蔭で今回の選挙は野党にとって全くの無意味となりました。私自身も「もしかすると」と淡い希望を持っていたのですが水泡に帰しました。余りにも残念です。だから、選挙報道のテレビも見ません。新聞も選挙のところを読みません。

 安倍とナベツネの高笑いが聞こえます。あーイヤダ、いやだ。

 

2017年10月15日          ホームカミングデイー

 早稲田大学には、毎年、卒業生のための「ホームカミングデイー」という集いがあります。学内校舎は元より、大隈会館、大隈庭園を開放し、仮設テントが立ち並び、卒業生たちを迎え入れます。45年目の時、私にも招待状が届きました。一人で出かけ、古巣を満喫してきました。今までは45年で一区切りでしたが、今は卒業50年目が最後となったようです。寿命が延びたせいでしょう。

 私と同期入社で広告局に配属され、今は名古屋に住む高岡君から、15日は上京するので一緒に行かないか、と誘いがかかりました。生憎、三日続きの雨空でしたが、午後一時、指定された新宿京王プラザのラウンジで高岡君と会いました。高岡君はその席に同じく同期入社で広告局に配属され、代表取締役専務にまで上り詰めた大野君を呼んでいました。名古屋市長の河村さんと親しい高岡君は、河村さんから「朝日よ、もっと頑張れ、中日はだめだ、もっと名古屋のことを書いて全国記事にして欲しい」それにはどうすればよいか、大野君の力を借りたい、という相談事があったのでした。

 話が長引いたので、タクシーでリーガロイヤルホテルに着き、大隈庭園にたどり着いたのが4時を回っていました。大方の屋台は店仕舞いを始めていました。でも、大隈講堂では催し物が佳境に入っていました。女子学生によるフラダンスです。伝統あるナレオハワイアンズの演奏です。最前列に陣取ったので目の保養になったどころか、脂粉の香りの恩恵まで受けました。そしてブラスバンドと応援団による応援歌、校歌の斉唱です。全員が肩を組みコブシを振り上げ、声を張り上げました。鎌田早稲田大学総長のコブシの振り方が、皆と違っているのが気になりました。

 入学金だけは家から出してもらいましたが、学資、生活費のすべてを自力で賄ってきた私です。お蔭で単位が不足し留年を余儀なくされましたが、朝日新聞に入れたのも大学卒業という資格があったればこそです。改めて感謝の気持ちを大学に捧げました。

 高岡君と夕食を共にし8時過ぎに帰宅すると、家の中が見違えるように整理整頓されていました。次男夫婦が来てくれていたのです。何度も繰り返すようですが、嫁の真弓さんは整理整頓には特異な才能を持っています。家の中の隅々までが見違えるようになっていたのです。つくづく有難いなあと思いました。そして、今日一日を感謝しました。

 

2017年10月7日           農薬の害?

 一昔前、果物や野菜などの生鮮品は直ぐに腐りました。ところが、最近では店頭に並べられているそれらが、いつまでも同じところに並べられているのに、腐りません。なぜか? それは幾種類もの農薬が使われ、更に、表面がコーテイングされているからです。

 調べてみました。最も多量の農薬が使われているのがイチゴだというのが分かりました。続いてリンゴ、ブドウ、ピーマン、セロリ、トマト、、、レモンもそうです。九州小倉での単身赴任時代、レモンを買ってきてそのまま卓上に置いて眺めていたら、一年以上そのままの状態を保っていました。怖くなって捨てましたが、、、

 モノが腐る原因を作るのは空気です。空気中の酸素が原因です。この現象を「酸化」と言います。人間を含む生き物が年を追うごとに弱っていくのも酸素のせいです。だから、酸素さえ遮断すれば生鮮食品はそのままの状態を維持することが出来ます。

 最近の生鮮食品の殆どは、酸素を遮断するためのコーテイングがされているらしいのです。だから、いつまでも同じ状態で店頭に並んでいるのです。だが、農薬と共にコーテイングされたこれらは、身体に害はないのでしょうか? 害はない、と立証されているから使われているのでしょうが、果たして本当にそうでしょうか?

 去る8月末、山梨の石和温泉に泊まり、笛吹川を遡る旅をしました。道の駅で売られている「種無し巨峰」や桃をしこたま買い込み、洗わずに車の中で食べました。宿に戻って洗っても食べましたが、しばらくしてお腹に違和感を覚え始めました。ごく最近、スーパーで買った梨の「豊水」を綺麗に洗って皮を剥いて食べたにも拘わらず「あ、薬品を食べてしまった」という妙な味覚がありました。途端に一過性の下痢が始まりました。農薬の一種は表面を洗っても内部に沁み込んでいるため、防御できないのではないでしょうか。

 ドラッグストアには、コーテイング物質や農薬を除去するための薬品が売られています。「薬品を落とすために薬品を使う」こんなこと毎日できるでしょうか。

 タイ・チェンマイの青空市場で売られている野菜類は無農薬で知られています。いわゆる有機野菜です。それはいいとしてもその野菜類を洗う水道水がダメなのです。いちいちミネラル水で洗っていたのですが、外食の時が困るのです。何度お腹を壊したことでしょう。4年前には入院すらしました。でも、そのうち慣れてきたようです。かなり際どいものでも大丈夫になったようです。日本の農薬漬けの果物や野菜類に対しても、慣れるより仕方が無いのでしょうか。

 

2017年10月5日           中秋の名月

 昨夜はしばらく外に出て、中天に輝く名月を眺めました。記憶に残る名月は、やはり、外国で仰いだ時です。その時は9月中旬、中国・西安で眺めました。付き添って案内してくれた王さん、馬さんと月餅を食べながら祝いました。ポーランド・ワルシャワでは10月下旬でした。マーケットで買い物をした帰り道、泊まっているホテル「ノボテル」の上空に輝いていました。今まで見たこともない大きく鮮やかな月でした。

 月は地球を回っています。地球は太陽を回っています。その太陽の数十倍の大きさの星が、双子座のウカイという星です。その、数倍がオリオン座のベータ―星、その数倍がペテルギウスです。その数倍がさそり座のアルファ星です。その数十倍がV838星、、、

 この星から見ると太陽は気球の大きさ以下、地球はボールの大きさでしかありません。更にV509星、、更にV354星、、となって、今まで発見されている中で一番大きな星は「L1551−IRS5]というのだそうです。この星から見ると太陽はボールの大きさ、地球は芥子粒の大きさでしかないそうです。そして、地球からこの星までの距離は450光年。光は一秒間に地球を7周り半進みます。この速さで直進しても到達までには450年かかる、、、気が遠くなりそうです。つまり、宇宙は広い。広すぎる。その宇宙空間に飛び交う重力波の測定に成功したアメリカの三人の物理学者にノーベル賞が与えられた、、、その発見には日本人科学者も少なからず貢献し、いま、重力波の測定装置がカミオカンデで建設中、、、重力波ってなんだ? 中秋の名月は想像を逞しく駆り立てます。

 

2017年10月4日          思いきり給うべし       

 原発から出るゴミは放射能を帯びていますが、我が家から出るゴミは、その時の思い出が一杯詰まった貴重品です。8月10日にタイから帰ってきてからというもの、毎日「捨てるべきか、捨てざるべきか」という悩みに苛まれています。

 ちなみに、戦国時代の武将北条重時(1198〜1261)に「極楽寺殿御消息」という100ヶ条の教訓書があります。人間、20代までには学習と鍛錬に励めよ、30から50代までは社会的責任を果たせ、そして、「さて、60代ともなれば、何ごとをも打ち捨てて、ひたすら後生を願って念仏せよ。例え子供に何事が起ころうとも、よしんば、子孫が滅びようとも、この世に心を留めることなく、そのことを、信仰を深める助けとして、自分はこの世にすでに無きもの、と思い切り給うべし」とあります。

 この武将の場合は60歳でしたが、人間、60か、70か、80かの違いはあれ、どこかで、それまでに築いた地位や、名誉や、財産や、社会的影響力などをサラリと捨て、全く別の価値観に生きるという転機が必要なのではないでしょうか。

 私は、自分の「その時」を75歳と決めたのでしたが、情けないことに、80歳まで命を貰いながら「思い切り」が出来ないでいます。

 今日は車庫に一杯詰まった粗大ごみを区役所が収集に来てくれる日です。コンビニで買った「回収券」をそれぞれに貼り付け、持って行ってもらいます。区役所でなく業者に頼むと車一台6〜7万掛かります。いずれはそれも必要になるでしょう。

 「思い切り給う」にはかなりの金が掛かるのを始めて知りました。

 

2017年10月2日           10万年

 日本に存在する原発は、稼働しているのもあれば、住民の同意が得られず動かせないでいるモノもあります。メルトダウンを起こした福島原発は、いま廃炉に向けて建設的でない作業が行われていますが、天文学的な金額が必用とされます。金額以上に、土地と生活権を奪われた福島県民の損害も計り知れません。

 世界中では夥しい数の原発が動いています。原発の耐用年数は40年。補修しても、あと20年。どの国であれ、原発は60年経つと廃炉にしなければなりません。残るのは放射能に汚染された廃棄物です。原発の燃料はウラン鉱石です。ウランは地球上に無尽蔵にあるわけではありません。使い切れば原発は動きません。つまり、有限です。せいぜい、あと、100年と云われます。

 地球生成の長い歴史から見れば、100年はアッという間です。それに反し、原子炉から出てくる人類にとって有害な放射能汚染物質は、その半減期は10万年です。どこの国でも汚染物質の密閉、格納には苦労しています。

 下北半島の六ヶ所村は日本原発のゴミ捨て場です。防護服などの軽度な汚染物は地下60メートルの穴の中にガラスで固めて封じ込めます。重度のものは、地下300メートルの横穴の中に同じくガラスで固めて封印します。スエーデンではオンカロという地区の岩盤の中に埋めます。日本は300メートルですが、オンカロは400メートルです。日本ではどこを掘っても温泉や、地下水の破砕帯にぶつかります。オンカロのような岩礁地帯は日本にはありません。この実態をつぶさに見てきた小泉元首相は、自身の政治の反省を込めて、原発絶対反対を声を大にして主張するようになりました。

 私の長野高校時代の同期生に東京電力に入った小島勇君がいます。ゴリというあだ名でした。副社長になりましたが、原発を担当したわけでもないのに、青森六ヶ所村処理場の責任者になりました。それっきり音信が途絶しました。高濃度の放射能にやられたかもしれません。放射能の半減期の10万年、日本列島は地殻変動なしに推移するでしょうか。下北半島が地震で隆起し、地下貯蔵物質が剥き出しにならないでしょうか。

 ごく最近、政府は放射能汚染物質の貯蔵に相応しい全国地図を発表しました。補助金をたんまりあげるから名乗り出でよ、というオフレです。名乗り出た地域は全国どこもありません。それはそうでしょう、誰だって子孫に迷惑を掛けたくありません。

 僅か60年の利便性のために、10万年もの間、地震の度にオロオロしなければならなくなった日本という島国。

 その原発設置を、なりふり構わず進めた電源開発と電力会社と電通と読売新聞。1兆3800億の広告費を地方紙や地方テレビにばら撒いた、オゾマシイ日本の歴史。改めてその罪を問いたださねばなりません。

 

2017年9月29日            秀 逸

 今朝の朝日の天声人語は実にいい。思わず笑ってしまいました。久しぶりに小気味よい文章に出会いました。エールを送ります。

 『天皇を祝賀の場に迎える際、民衆が一斉に発する祝いの言葉には何がふさわしいか。明治の中期、そんな議論が起きた。帝国大学の教授らが知恵を寄せた。▼まず浮上したのは英国人教官が体育祭で学生に教えた「フレー」。今でも応援で使う言葉だ。「やはり日本語を」と異論が出て退けられる。提案されたのは「奉賀」三唱である。祝賀の思いを奉じるとの意味で、いかにもめでたい。▼ところが学生に発声練習させて問題が見つかる。「ほうがあ・ほうがあ・ほうがあ」。どうしても「阿呆が」が二つ聞こえる。代わりに採用されたのが「万歳」の三唱だった。▼きのう衆院本会議場に「万歳」の声が響いた。議場で取材した同僚に聞くと、声量は自民党議員たちがきわめて大きかった。同じ与党でも公明の一帯は声が小さめ。しぶしぶつきあったかのようだ。民進、共産など野党4党の席は無音。解散に抗議して欠席した。▼なぜ解散時に万歳するのか。昨年政界を引退した江田五月氏は、自著で「士気を鼓舞するため」「いちばん無難なかけ声」「ヤケッパチの絶叫」の3説を挙げる。今回はヤケッパチ派がかなり多いのではないか。なにしろ「希望の党」が参入して政界が液状化してしまった。▼これほどあからさまに政治家たちの保身とエゴが見える解散劇は近年例がない。首相も首相なら野党も野党である。そもそも解散に「万歳」は似合わない。とりわけ今回は「ほうがあ」の三唱がふさわしい』

 

2017年9月28日           年寄は引っ込め

 今日、衆議院が解散となりました。朝日は「大義なき解散」と批判し、読売は「時宜を得た決断」と評価しています。ナベツネが意図している以上、論陣は真っ二つに割れて当然でしょう。ならば、今回の選挙では人心の一新を図るべきです。年寄や、功成り名遂げた者は潔く下野すべきです。76歳の高村副総裁は下野するそうです。総裁経験者の谷垣も身体の不調で立候補を見送ります。ならば民進党の菅や、野田や、小沢はどうなるか。首相経験者はもうお呼びでないのです。小沢の出る時代はすでに去って久しいのです。

 昨日、前原が代表を務める民進党の議員総会が開かれました。事実上の解党大会です。「いかなる手を使っても安倍内閣を倒したい」という前原の演説が受け入れられ、彼らは「希望の党」の名前を貰って選挙に出ることになりました。民進党に残るのは前原だけです。つまり「反安倍」への勢力結集が、思いのほかの速さで動きつつあるのです。

 もし、菅や野田や小沢が民進や自由の名を捨てて、希望の名を貰って選挙に出たら、これはもうお笑いでしょう。年寄は引っ込むがいいのです。未練たらたらに政界にいてもらいたくありません。

 思わぬ展開に一番驚いているのは、当該の議員たちでありましょう。「一寸先は闇」とは、けだし名言です。

 

2017年9月27日           三島由紀夫の初版本

 双子の男女の孫の萌ちゃん、匠くんが今年から東京や武蔵野の大学に通い始めました。大宮の奥から通うのは容易ではありません。いずれは練馬の私の家に住んでもらうとすれば、早いうちがよかろうと決心し、7月から荷物の整理を始めています。捨てても、捨てても新たな物がでてきます。地下の音楽室だけはそのままにし、私の書籍や楽譜・CDは当分の間、置いてもらうとしても、容易ではない作業に明け暮れています。

 地下の書棚には三島由紀夫の全著作が揃っています。初版本がどのくらい在るだろうと調べてみました。約半数が初版本でした。こうなると、初版本の価格が知りたくなりました。ネットで調べました。ほとんどに数千円の値がついています。最高額は「暁の寺・新潮社昭和45年7月発行」の86、400円でした。次が「夜の支度・鎌倉書房昭和23年1月発行」の59,400円。「愛の渇き」64,800円。「幸福号出帆」45,360円、、

 ありました。「暁の寺」と「幸福号出帆」がありました。「夜の仕度」は残念ながら2刷りでした。「愛の渇き」は即座に見つけられませんでしたが、どこかに紛れ込んでいるでしょう。 

 三島由紀夫に傾倒し出したのは高校生の頃です。食べるだけでも苦労だったのに、腹を空かせながら三島の本を集めました。好きだったのは「禁色Ⅰ」「禁色Ⅱ」の二冊です。何度読み返したことでしょう。

 その三島が去る年の11月25日、市ヶ谷の自衛隊に乗込んで、増田長官の部屋で割腹自殺します。介添えは森田必勝でした。朝日の社屋が有楽町日劇の隣にあった頃、日劇地下の「フィズ」という馴染みの店で昼飯を食べていると「号外がでるぞ、手伝え!」と伝えられました。号外に掲載された写真は増田長官の部屋を天井近くから俯瞰した写真でした。よく見ると、三島の首が隅の方に転がっているではありませんか!

 大評判になったこの号外も、本の間から折りたたまれ、変色して出て来ました。オークションに出せばそれなりの価値はあるかもしれません。

 一度だけ、三島本人と席を並べたことがあります。去る麗人と銀座松坂屋裏の牛肉店「末広亭」にいたときです。三島が一人でつかつかと入ってきて隣りの席につきました。決していい男とはいえない細長く青白い顔に澄んだ目が光っていました。「私はあなたの大ファンです。あなたの著作のすべてを持っています。サインをお願いします」と言いたかったけれど、これは失礼にあたるでしょう。何食わぬ顔で彼の動作を横目で伺っていました。彼の前に運ばれてきたのは、400グラムはあろうかという特上のヒレステーキです。優雅なナイフ捌きでそれを平らげるとそそくさと出ていきました。

 三島の本名は平岡公威といいます。大森に住み、杉山某という日本画家の令嬢と結婚し一男一女をなします。彼が女性と接するときは男性の影を女性に投影して営みます。彼が本当の歓喜を覚えるのは美青年と接するときです。去る九州の福島某という青年が三島との営みを赤裸々に綴った本があります。「紅い薔薇」という亀鑑本です。これも家にあります。

 男だけの集団「盾の会」を組織し、45歳にして美青年森田必勝を伴って市ヶ谷の自衛隊に乗込み、長官室に座り込み、腹に短刀を突きさし、背後から森田の剣を受けて首が転がり落ちた事件は、一体、何であったか? これは理屈ではない、彼一流の美意識がなせる華麗なる心中事件ではなかったでしょうか。 

 

2017年9月25日           犯人は両国の教科書

 私が「朝日小学生新聞」「中学生ウイークリー」を発行する朝日学生新聞社の責任者であったころ、中国国営の「中国小年報(ちょんぐをしゃおねんぱお)社」と交流がありました。毎年、「日中書道展」を北京と東京で同時開催していました。社員の交流も行われました。一年ごとに、三名の社員が一週間近く、経費は双方の社負担で、和気藹々とやっていました。社長の温維新さんとは肝胆相照らす仲になりました。それに編集長の王儀文さん、女性編集者の馬衛東さん、、、

 私自身も編集長の佐藤さん、副編集長の遠藤さんの三人で北京、西安、上海を歩き、北京の小学校や上海の子ども新聞社などを訪ねました。王さんと、馬さんが同行して世話を焼いてくれました。通訳もつけてくれました。小学校ではブラスバンドの演奏で迎えられ、授業参観もしました。上海の、民間の子ども新聞社では、子供が新聞編集に携わっているのを見て驚嘆しました。中国は広く、子ども新聞を発行する新聞社が345社あるのを知りました。

 副社長の金さん、王さん、馬さんが日本へ来たときは、私がかって出て京都を案内しました。帯状疱疹を患い中でしたが、恩に報いるため手厚くお持てなししました。反日だの、嫌中だの、微塵もありませんでした。当時、日中友好協会の活動も盛んでした。76歳で亡くなった音楽家の團伊玖磨さんは、中国のオーケストラを親身になってお世話していました。囲碁では藤沢秀行さんが中国選手を強化するため、猛烈な肩入れをしていました。中国が今のように強くなったのは、一にも二にも秀行さんのお蔭です。

 それなのに、いつのころからか、両社の交流が途絶えました。私の後の山本社長のころだったようですが、理由は金銭的な節約もあったようですが、それより何より、中国に反日感情が巻き起こったことが原因のようでした。小学生の教科書に旧日本軍がどれだけ中国人民の虐殺したか、南京事件とは何であったかを、拡大解釈して載せ始めたのです。その上、各地に出来た戦争博物館の見学を小学生の必須科目にしました。見てきた人によると、恐ろしいまでの日本軍の悪逆非道ぶりが、「これでもか」と云わんばかりに展示されているそうです。

 つまり、中国共産党政権が政権維持のために、殊更に日本を悪者に仕立て上げた、そういう教育を全小学校に意識的にやり始めたことが原因です。この教育を受けた小学生が、今や若者になり、その若者たちが「愛国無罪」を叫び、日本商店や日本商品に暴虐の限りを尽くし始めたのです。

 韓国も同じです。韓国の小学校の歴史や社会科の教科書を見せてもらったことがありますが、凄まじいまでに日本軍国主義の悪行を羅列しています。日本の統治下に置かれた朝鮮半島に対して、確かに圧政もあったでしょうが、インフラ整備などの善政も数限りなく行っています。功罪は相半ばしているというのが本当のところです。ところが、教科書には善政は無視され悪行ばかりが書き連なっていました。この教科書で学ばされたで小学生たちが、今や学生になり、いま、慰安婦像の周りに屯しているのです。日本に対する怨念、つまり、「恨」を叩きこまれた若者たちで、韓国は満ち溢れはじめているのです。

 日本の教科書はどうか? 記述は確かにありますが、実にアッサリしたものです。その違いの大きさには驚くべきものがあります。つまり、教育に政治が係ると、為政者たちは権力の維持と誇示のため、敢て歴史を持ちだし、「自分たちの不幸は日本の奴らのせいだ、我が党は日本に復讐するために存在する。だから我が党を支持せよ」となるのです。

 両国は、ことある度に「日本は正しい歴史認識をせよ」と迫ります。日本は両国に向かって「あなた方こそ正しい歴史を子供たちに教えなさい。教科書を改めなさい」というべきです。それをしない限り、やがては火器を振りかざした喧嘩が勃発するでしょう。

 一つだけ朗報があります。いま、日本各地は中国、韓国からの旅行者で溢れ返っています。アメリカのサーズ配備で中国は韓国旅行を禁止しました。韓国人も中国へ行き辛くなっています。その結果、両国からの日本への旅行者がウナギ登りに増えているのです。日本人は、内心ではともかく、どんな人に対しても対等に、親切の限りを尽くします。殆どの両国の旅行者は日本に対して多大なる好感を持って帰国します。「聞くと見るとではエライ違いだ」と、故郷へ帰って周りに吹聴しています。ユーチュブを見ているとこういった動画が満ち溢れています。心が温まります。

 

2017年9月22日           カボス

 朝日新聞西部本社の営業局長をしていた時です。たまたま、九州の全新聞社の販売責任者の定例会合と翌日のゴルフ会が大分県でありました。ゴルフ場の売店にカボスが大きなネットに沢山入って500円で売られていました。1キロ以上はあったでしょう。ゴルフ場の近くの山香農協のものでした。カボスは大分の特産品であるのを知りました。

 買って帰ってカボスを搾り、製氷皿で凍らせて食事の度ごとに使いました。旨いのです。食べ物がカボスのお蔭で変身するのです。これはいい、東京の皆さんに送って上げたら、さぞ、喜ぶだろうな、と思いました。4キロ入れの段ボールを60個、山香農協に頼みました。案の定、嬉しい礼状が届きました。これを始めたのが57歳の秋。今年80歳。カボス送りは23年間続いています。現役時代にお世話になった方々へのせめてものお返しの積りで続けています。月日の経過と共に、時にはご主人がお亡くなりになります。それでも、奥さま宛てに送り続けています。これは私が死ぬまで続くでしょう。

 ところが一昨日、例年のように山香農協に頼みましたら、今年は台風の影響で、品物が確保できそうもない、という返事が返ってきました。慌てました。三拝九拝しました。

 有難いことに、今日返事があって、何とか品物は確保できそうだ、とのことです。良かった、良かった、と一人喜んでいるところです。

 カボスは柑橘類の仲間です。同じ仲間にスダチ、レモン、沖縄のシーカーサー、それに外国ではライムがあります。スダチは初鰹にすこぶる合います。シーカーサーは小粒すぎるのが難点ですが、その酸っぱさは極上です。タイではライムをフンダンに絞って焼き飯にかけます。ナンプラーとライムの相性は抜群です。でも、私にとっての一番は、酸っぱい酸っぱい木からもぎ取ったばかりの夏みかんです。来年の春こそ、伊豆半島へ行って夏みかん三昧になる積りです。 

 

2017年9月19日        「北のボン」と「金髪のワヤ」

 風の盆ならぬ「北のボン」は、殆ど連日テレビ画面に現れますが、実に、実にイヤな感じです。ミサイルの発射や核実験を「これでもか」と世界中に見せつけています。あの太っちょの頭の中に〈ミサイルも核も、抑止力として所持するのであって、武力行使は絶対にしない〉という聡明さを持っていれば、まだ、救われもしますが、若さと勢いに任せて暴発しない、という保証が全くないらしいので困るのです。

 かつての冷戦時代、ソ連のフルシチョフがキューバにミサイルを持ち込もうとしました。これに反抗したアメリカのケネデイは猛反発しました。一触即発となりました。ケネデイはフルシチョフに電話しました。戦争は回避されました。

 こういう芸当が「北のボン」と「金髪のワヤ」との間にできるかどうか。

 互いに意地の張り合いを続けたらどうなるか? 恐らく北朝鮮、韓国、日本、アメリカで数百万人が死ぬでしょう。何の罪もない人間が理由もなくイノチを剥奪されるのです。そんな権利が二人にあるでしょうか? 絶対にありません。

 困るのは二人のならず者に加わって「勇み肌の長州人」がやる気満々でいることです。南北が和解し、統一国家を夢見ていた「見習い統領」も漸く自分の柔さ加減に気付き、慌てだしました。サーズの導入を一基のみならず5基まで導入してしまいました。中国が怒るまいことか。韓国製品の不買運動、韓国旅行の禁止に踏み切りました。ロッテも中国から撤退を余儀なくされています。明洞は閑古鳥が鳴いています。四面楚歌の状態は何時まで続くのでしょうか。

 もし、韓国に居住している3万人を超えるアメリカ人が 韓国から撤退し始めたら、それが戦争の予兆です。無垢な人間を死に至らしめる権利は「北のボン」にも「金髪のワヤ」にも絶対にありません。

 渦中の二人が聡明であることを祈るや切です。そして、「勇み肌の長州人」を選挙で落とす力量が選挙民にあるかどうか、それが問われています。

 

2017年9月18日        〈ほんとに監督〉と〈断固総理〉

 ふと点けたBSテレビで広島ー阪神の試合をやっていました。この試合で広島が勝てば広島のセリーグ優勝となります。甲子園球場は超満員、観覧席は広島の赤、阪神の黄色で真っ二つに割れました。息詰まる熱戦を3対2で制したのは広島でした。赤ヘルの全選手がブルペンを飛出し、緒方監督の胴上げとなりました。一回、二回、三回、、、緒方監督の背番号は九なので九回まではやるかな、と思っていたら十一回までやりました。監督へのインターヴィユが始まりました。興奮しているせいもあるでしょうが、発言の中に「ほんとに」という言葉が数限りなくでてきます。面白いのでその「ほんとに」を数え始めました。十一回は確実に超えました。緒方監督は端正な顔立ちです。俗にいい男と言っていいでしょう。統率力や指導力や人柄はその人間の顔立ちに現れます。選手の指導に当たってこの監督はどれだけこの「ほんとに」を連発したことでしょう。選手はこの「ほんとに」に絆され、持てる力を十二分に発揮させれたのでしょう。

 監督に人を得ると選手が見違えるように成長する例は、大学の駅伝にもあります。青山学院大学の駅伝「原監督」がその人です。並み居る大学駅伝の強豪の中で完全優勝を連続で成し遂げる、なんてことは今だかつてありませんでした。聞くところによれば神奈川県淵野辺の青山学院別院敷地の中に駅伝選手だけの寮があって、全員が起床を共にしているそうではありませんか。原監督の奥さんまでもが選手の世話をやいているとか。成程、成程と思わざるを得ません。

 一方、安倍総理はこのところ「断固として」という言い方をしきりに使います。断固と言ったからには断固実行して貰わねばならないのに、言葉だけが空回りしています。総理は日本国の監督です。監督に人を得ないとチームは方向が定まりません。しかも、この監督はチームから「忖度」してもらって平然としています。責任を取ろうとする素振りも見せません。監督に人を得ないのは、日本という名のチームの不幸です。だからといって、見渡したところ「この人こそ」と言える監督が見当たりません。日本というチームは政治的には「ほんとに」不幸ですなあ。 

 

2017年9月18日           衆議院解散

 突如として衆議院解散の風が吹き出しました。この入れ智慧をしたのが、またしても読売のナベツネであるのはハッキリしています。「民進党は離党者が続出している。野党勢力がお粗末極まりない今が出直しのチャンスである。少しぐらい数を減らしても自民党が圧勝するのは間違いない。選挙は〈森、加計〉問題の禊になるはずだ。臨時国会でこれ以上つつかれては、必ずボロがでる。今だよ、安倍君。読売新聞はあんたを応援する。そして、憲法改正に向かってマッシグラに進むのだ。幸い、北朝鮮問題は益々紛糾するから世論は〈日本が戦争が出来る国〉になることを厭わないだろう。この機に乗じて日本を核保有国にしたまえ。読売は論陣を張ってあんたを支持していくから、早速、選挙をやりたまえ」

 読売の老害、いや、日本国の老害でもあるナベツネが安倍を秘かに呼んで、このような秘策を授けたのは3年前の12月解散と同じでありましょう。案の定、読売は紙面で解散風を強烈に取り上げ始めました。今日の社説で朝日はこの解散の唐突姓を問題視しています。

 学生時代に日本経済新聞の発送部整備係で一緒にアルバイトした仲間に法政大学大学院の佐藤栄一さんがいます。国際問題研究所へ入った彼は「パワーポリテックス」という分厚い本を著します。枕に出来るほどの大著です。「軍縮による平和などありえない。相手より優れた武器を所有することによってのみ国際間の均衡は保たれる。いずれ、大国の隙間を突いて小国も核武装するだろう。日本がそうなる日はそう遠くない」と述べています。

 彼は15年ほど前に亡くなりましたが、この預言はあながち的外れとは言えなくなっています。厳格な核拡散防止条約があっても、インドとパキスタン、そしてイラクに北朝鮮、あの貧しい国ミャンマーまで核を保有しているではありませんか。トランプ政権でのアメリカ軍部には韓国と日本にも核を持たせよう、という議論が起きているではありませんか。

 余談ですが、夕方6時から11時まで佐藤さんと一緒に仕事をしながら色々な知識を仕入れました。丸山正男、清水幾太郎、三木清、モーゲンソウ、ルカーチ、エトセトラ。アルバイトの金をはたいてそれらの本を仕入れ勉強しました。懐かしい時代です。

 これも余談ですが、旧約聖書にこうあります。やがて地球上に火の玉が飛び交い約7割の人間が死滅すると。2500年以上も前に書かれた旧約聖書はある意味で予言の書でもあります。歴史的に検証してみるとほとんどの事象が当たっているからです。しかも、ユダヤ人を中心にして歴史が作られてきているのは驚くべきです。やがて、「地球上の7割の人間が火の玉のお蔭で死滅する」という予言が絵空事では無くなる日が本当にやってくるような気がします。

 

2017年9月15日                              カッシーニ

 飛行機に乗る時、窓際の席が取れな いと、何か損した気分になります。そんな時は、機内最後部の窓にへばりついて外を眺めます。雲とその動きを観るのが面白いのです。台湾を過ぎ、ベトナムのハノイ辺から陸地が続きます。バンコックが近づくにつれ、空は積乱雲だらけになります。そのカタチが千差万別で飽きることがありません。バンコックからチェンマイへ向かう時は夕日が雲の彩りを替えます。太陽が沈んだ瞬間、空一面が真っ赤になります。

 この空の彼方に向かってフロリダ・ナサから打ち上げられた土星観測衛星「カッシーニ」が今日、すべての役目を終えて、土星大気圏に突入して燃え尽きました。この観測衛星は13年前の1997年に打ち上げられ、探査機としては第4号でした。13年間、夥しい数の写真を送ってきました。その数、何と5000枚。写真は電波に乗って地球に到達します。電波は光の速さと同じです。一秒間に地球を7周り半します。その速さをしても到達までの時間は80分だそうですから、これはもうオドロキ、モモノキです。この探査衛星は土星の周りを周回する7つの衛星を発見しました。そのうちの一つ「タイタン」には液体のメタンガスが存在していました。もう一つの「エンゲラドウス」には液体の水が存在していました。土星は30年に一度の割合で大嵐が起きることも知らせて来ました。

 宇宙とは、何と神秘に充ちているものか、改めて驚異を覚えます。遠くない将来、私の身体は焼かれ、水分は蒸発し、私の魂は「千の風」になって地球を飛び回るでしょう。その時、新しい宇宙の神秘に出会えるかもしれません。大いなる楽しみでもあります。

2017年9月9日       「朝が待ち遠しい」かった新聞男の訃報

 昨日朝早く福島郡山から電話がありました。「古川が今朝亡くなりました。葬儀は8日です。お別れの言葉をお願いできますか?」聞き覚えのある奥さんからです。「とうとう彼も逝ってしまったか…」と一瞬、感無量となりました。

 両親の内どちらかがフィリピン人であった古川義人さんは戦後、日本に引き揚げて来て郡山の在に寄留します。そして「長谷孝」という新聞販売の歴史上勇名を馳せた新聞集団に所属し、頭角を現していきます。福島県のほとんどの販売所長は長谷孝の薫陶を受けた方々で、その筆頭は長らくいわき市平を所管した西山昭平さんでありましょう。

 福島県の朝日新聞部数が、読売新聞に1万部余の差をつけて東京紙第一位であるのも、長谷孝、西山昭平さんお蔭であるのは言うまでもありません。

 郡山開成の式場には100人余の関係者が集まっていました。懐かしい顔ぶれも見えましたが殆どが私にとっては初めての方々です。朝日会長だった根本征一郎君に紹介してもらいながら、旧交を温めました。

 弔辞は私一人だけです。奉書に書くのは筆字をやっていた私にとってなんでもないことでしたが、敢て挨拶にし、三つのことに焦点を絞り「お別れの言葉」としました。1〉彼は稀に見る働き者で、2〉朝が来るのが待ち遠しいという名セリフを残した。3〉4人の子供を後継者に育て上げ、おまけに奥さんの老後のためにアパートまで建てた。本当は面白いエピソードを紹介し、笑を取ろうかとも思ったのですが、いかにも不謹慎なので止めました。

 県内に散ってゆく参会者を見送るまで長居をしたのは、恐らく福島に来て、昔の仲間と会うのはこれが最後になるだろう、という予感があったからです。タクシーを途中で下り、懐かしい場所を散策してから新幹線に乗りました。 

 

2017年9月4日            発酵食品

 私の仕事場には一枚の色紙があります。テレビ朝日「おかずのクッキング」の創始者土井勝さんの「味」とだけ筆太に書かれた色紙です。黒毛和牛の霜降り肉も、本マグロのトロも、採れたての松葉ガニも、それはそれで旨いけれど、本当に美味いものは、と問われれば「発酵食品」ではないか、と私は思います。

 素材を腐らせるのではないのです。時間をかけて発酵させるのです。微生物の不思議な力をフンダンに利用して素材を別の食べ物にして味合うのです。発酵という過程を経ると素材は似ても似つかない変身を遂げるのを、人間は長い時間を掛けて探究してきました。

 味噌、醤油、麹、納豆、お茶、漬物、ウスターソース、糠漬け、チーズ、ヨーグルト、鰹節、塩辛、コチュジャン、ナンプラー、酒粕、キムチ、ピクルス…

 今日、たまには贅沢しよう、とクサヤの干物の瓶詰とチーズのプルサンを買ってきました。プルサンはいま日本の市場では余り見かけなくなりました。このチーズを私は好きで好きでスイスの旅の帰り、ウイーン空港でしこたま仕入れ、座席で一つ丸ごと食べてしまいました。

 クサヤとガーリック入りのプルサンの少量を同時に口に含み、念入りに味わったあと、薩摩の芋焼酎で流し込む。私にとっての味の極致がありました。そう言えば、日本酒、ビール、ワインなどのお酒も発酵食品でしたね。

 次の目標は琵琶湖生粋の鮒寿司、そしてスエーデンのシュールストレミングです。その昔、琵琶湖畔でいただいた鮒寿司の匂いたるや、臭いの何の。今の琵琶湖はブラックバスがのさばって鮒は全滅らしいのです。だから鮒寿司は幻になっているようです。

 シュールストレミングとは鰊の缶詰です。缶の中で発酵させるので缶詰はまん丸くなっています。そんじょそこらで缶を開けることは出来ません。猛烈な勢いで中身が飛出し周囲に飛び散るからです。その臭いは100メートル先まで漂うとか。

 次の旅はこの腐った缶詰を目的に、スエーデンにしようか、と思っています。

 

2017年9月2日            ユーチューブ

 私のベッドサイドの必携品はIPADです。決まってこれを枕元に置いて楽しんでいます。音楽はカチア・ヴニアステビリとアルゲリッチのピアノ曲。評論は佐藤優と池上彰。大阪の牧師高原剛一郎の講話。ゲームなら数独か詰将棋かオセロ。書物は青空文庫、この文庫には古典ものなら何でもあるのに、最近のものがないのが欠点です。ユーチューブではないけれど、ショパン、ベートゥーベン、モーツアルト、シューベルト、シューマンなどの古典も入っているので選曲は豊富です。メールや自分のホームページ、それにフェースブックなども覗けるので実に重宝しています。

 そして、いつの間にか寝てしまい、気が付いたら朝になっています。夜中に起きることは滅多にありません。だからIPADは実に有難い睡眠剤でもあります。今日、ふと気が付いて、製本で使っているデスクトップパソコンにユーチューブをインストールしてみました。すべて大画面、大音響で見られるではありませんか。しかも、検索の欄に「中沢信男」と打ち込んでみました。すると、私が撮った動画がズラズラと出てきたではありませんか。

 総数72本! 吃驚しました。それぞれにその時の旅の感慨が詰まってる貴重な映像の数々です。そこで考えたのは、これらの動画はいつまで残るんだろう、という疑問です。恐らく、私の死後もこの動画は見ようとすれば可能ではなかろうか、掲載期限は無いのだから何時まででも続くのではないでしょうか。だとすれば凄いことです。見たいとは決して思わないでしょうが、孫の孫のそのまた孫が見ることが出来るのです。つまり、私が存在した証が半永久的に残るのです。これは驚異です。私のホームページの「最近のエッセイ」は「30」番となりました。書きも書いたり、膨大な量です。でも、これはプロバイダーに料金を払わなくなれば自然消滅するでしょう。だからこちらの方は有限です。

 でも、もし、ホームページのすべてをユーチューブの動画にしたら… 可能かどうか、どなたか教えて下さい。 

 

2017年8月28日            新大久保界隈 

 新宿歌舞伎町の大久保病院での定期健診のあと、脚を伸ばして新大久保界隈を歩いて見ました。およそ10年ほど前までは、いわゆる「韓流」が持て囃され、ごった返していました。韓国食材を買って帰りました。人々は韓国が好きだったのです。韓流スターに女性は憧れていたのです。それがどうでしょう、新大久保界隈は寂れに寂れていました。シャッター街にになっていたのです。驚くべき変化を目の当たりにしました。総て、両国の政治家のせいだ、と私は断言して憚りません。

 両国の民衆はお互いに偏見など持たず、例え少しぐらいの偏見があっても、決して表に出すことなく、「良いものは良い」「好きなものは好き」として年月を重ねてきました。私は韓国ソウルへ二度行っています。ロッテホテルに泊まり、夜は焼肉に舌鼓を打ち、板門店にも行き、北朝鮮の兵士との睨みあいも見ました。長男一家と四人で屋台で朝飯を食べました。博物館へ行って「白磁」青磁」の見事さに圧倒されました。日本の歴史は中国と韓国のお蔭だなあ、とつくづく思わされましました。明洞の地下街でメガネを作って貰いました。狭い通路がどこまでも続く衣料品市場で下着類をしこたま仕入れました。スーツケースを買おうとしたら、私を日本人と知ってか、大幅にプライスダウンしてくれました。長男の嫁の悦子さんも、孫娘の果南も韓国大好き人間になっていました。 

 そこへ突如、朝日新聞の記事訂正を機に、慰安婦問題が持ち上がりました。慰安婦の銅像がソウルの日本大使館、釜山の総領事館前に設置されました。関係ないと思われるアメリカの都市にまで設置されました。最近はその人形が公共バスの最前列の席にまで置かれ始めました。2年前の12月、外相同士が握手をし、10億円の支払いと共に「今後一切この件に触れない」と約束しました。その約束の中には人形の撤去も含まれていました。 やがて3年になろうか、というのに、韓国側は約束を果たさずにいます。人形も撤去されず10億円も戻って来ていません。

 あまつさえ、昨今は戦時中の韓国人強制労働に対する補償をしろ、と迫って来ています。その理由は、国同士の補償は済んでいるが、個人の請求権は存在すると韓国最高裁判所の判決で認められたから、というのです。しかも、今年春から大統領になった文在寅までもが言い出したのです。

 国民への迎合のため、殊更に日本に対して「怨」を剥き出しにして人気を勝ち取る手法をポピュリズム政治と言います。歴代の韓国大統領はそれをしてきました。一方、韓国と北朝鮮は戦いを終えたわけではありません。38度線上の板門店を見るまでもなく両国は「休戦」状態にあります。現在、アメリカ軍と韓国軍は大規模な軍事訓練を行っています。それに反発した北朝鮮はまたしてもミサイルを、今朝、発射しました。

 あろうことか、そのミサイルは日本上空を通過し、根室沖から太平洋に落下しました。 実害はなかったとはいえ、これはとんでもないことです。一方、安倍政権にとっては天から降ってた玉手箱に等しい。なぜなら、国民の目がそちらに向き、「モリ、加計」問題が二の次になるからです。 

 ソウルの繁華街明洞は新大久保界隈と同様、火の消えたようになっているそうです。まず、余程の物好きでない限り、日本人は韓国へ行かなくなりました。替わって一時期中国人団体で賑わっていましたが、中国政府が韓国への観光旅行を規制し始めました。その理由はアメリカの迎撃ミサイルサーズが韓国領内のゴルフ場に設置されたからです。このサーズはぴったりと中国北京に射程を合わせています。この事実を中国のマスコミは大きく扱いました。その結果、北京や上海の韓国人街へ中国人は行かなくなりました。明洞同様火の消えたようになっているそうです。そのため、中国で商売している韓国人は大挙してベトナム、カンボジア、ラオスなどに移住しているそうです。加えて、世界の市場を一時席巻していたサムスンの売り上げは激減しています。ロッテの経営者が逮捕されました。外貨の準備高が極端に減り、かつては日本がスワップに応じていましたが、もう、協力しないことを日本政府は決めています。

 不思議なもので私も大好きだった韓国、そして新大久保界隈、もう行きたいとは思いません。こうなったのもすべて政治のせいです。中国、韓国、そして日本の為政者のポピュリズムのせいです。経済的にどれだけの損失を蒙っているか計り知れないでしょう。困ったものです。

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