最近のエッセイ

 

2017年8月24日              劣化している政治屋集団      

 長い間、生きてきて、あらゆる職業の知人友人とのお付き合いはありましたが、不思議でならないのが、政治家とは全く無縁であったことです。一度だけ、NHK労働組合の万年副委員長であった佐々木潤君に連れられて第一議員会館へ行き、時の社会党委員長に会ったことがありましたが、彼は既に死亡しました。猪瀬直樹氏は長野高校の同窓ですが、面識はありません。

 想い起せば大学時代、優秀な学生は国家公務員になりました。大企業や銀行がその次。出版社、新聞社、テレビなどのマスコミは4番目か5番目。どういう学生たちが政治家を志望していたかというと、親が政治家である子弟だけの集まりが学内にあって、そこが彼らの根城になっていました。雄飛会、早稲田雄弁会などがそれです。汚い学帽を被り、よれよれの制服に手ぬぐいを垂らし、甘泉園の池のほとりで「我々は…」などと演説の練習をやっていました。

 一般学生は半ば軽蔑の眼差しを彼らに向けていました。森嘉郎、竹下登、藤波厚生…

小渕恵三とは同学部同学年でした。あの、風采が上がらない、どこにでもいるような学生が、どうして日本国の総理までになったのか、私は今もって不思議でなりません。そういう目で政治家を見ると共通していることがあります。それは世襲制です。つまり「地盤、看板、カバン」を彼らは引き継ぐために大学に来たのです。閉鎖された世界、それが政治家、あるいは政治屋の生きる術なのでしようか。だから、ロクでもない人物でも、親のお蔭で政治家を名乗れるのです。

 重婚騒ぎで世間の笑いものになった中川某、彼は中川秀直の息子です。バカ丸出しの顔を晒しています。名政治家後藤田正晴の息子も浮気問題で鳴りを潜めたままです。竹下登の息子も愚鈍です。

 加えて、立候補して票を獲得すれば、どんな奴でも「政治家でござい」と居丈高になることが出来ます。練馬区選出の自民党議員菅原一秀は、かつては駅頭に連日立って訴えていました。今はテレビに写ることに懸命のようです。報告会など一切ありません。

 都議選で大勝した「都民ファースト」は50人になりましたが、見識を持った、つまり「都民のために、命を懸けてやってやろう」という人間がどれだけいるか?

 政治家こそ「己を捨てて、人のため、社会のため、国のため」に尽くす人間でなければならないのです。自分の公的秘書を「このハゲー!」とののしる東大法学部出の才媛、破廉恥在を犯したのに内閣のお蔭で不起訴処分になったベテラン、公文書の所在を9回も「ありません」で通し、国税庁長官になった佐川某、いははや、いやはや、の連続であります。

 政治を、そのなり手に門戸を開放し、最も優秀な人間によって構成される集団にしたいものです。

 

2017年8月21日               戦争はどうなる?

 アメリカのトランプは側近中の側近であったバノンを解任しました。彼は「われわれが作ったトランプは終わった」と言って去りました。トランプが解任した側近は、一体、何人になるでしょう? 10人は超えています。これで政治がまともに出来るでしょうか? 否です。断じて否です。しかも、白人至上主義者とそうでない人たちとの間で大規模なデモが起きました。トランプは「両方ともケシカラン」と言いました。歴代の大統領なら「白人至上主義はケシカラン」と言ったでしょう。だから、国を挙げての騒ぎになってしまいました。四面楚歌の状態とは今のトランプを指します。

 問題は北朝鮮の異常人物と、アメリカの常識では計れない人物が「核のハンドル」を握っていることです。かてて加えてアメリカの国防長官マチスは「狂犬」と云われてきた人物です。

 歴史を見るまでもなく、戦争はふとした小さな出来事から発します。言葉の応酬は必ず小さな小競り合いを誘発します。ほんの小さな競り合いを許容する度量が「二人の異常人物」にあるでしょうか? 全くないと言えるでしょう。戦争はこのような過程を経て、取り返しのつかない事態に拡大します。それはこれまでの世界史を見れば明らかです。

 回避するのは恐らく不可能です。人類の不幸は、その歴史の中で戦争の無かった時代を持ち合わせていないことです。いみじくもこのことは聖書にも予言されています。やがて、火の玉が飛び交い、世界の人口は8割が消滅すると。

 やがてはそうなるとしても、いま、戦争を回避する方法は只一つあります。それは北朝鮮の独裁者とアメリカの異常人物を早急に抹殺することです。

 80年ほど前日本が起こした日華事変、太平洋戦争は独裁者の台頭ではありませんでした。「軍部」という異常組織が増殖を遂げた結果でした。丸山正男の「現代政治の思想と行動」に詳らかのように、東京裁判では総ての戦犯が「上司の命令に従ったまでです」と言いました。

 アメリカの極秘作戦には「金正恩」の抹殺計画があるそうです。トランプの役目はその作戦にOKを出すことです。そして、世論に従って自分のリゾートでゴルフでもしているがいいのです。

 

2017年8月20日              ボツ原稿

 8月は重ぐるしい月です。6日、9日の原爆投下、そして15日の終戦。毎年のことながら、よくもまあ数々の苦難を潜り抜けここまで生きて来れたものだ、と感謝する月でもあります。甲子園の熱戦も終盤を迎え決勝戦を迎えます。すると秋が忍び寄って来ているのを肌で感じます。

 ところで、朝日新聞が「戦争の記憶」という投稿を募集しました。次の短文を書いて投稿しました。係から2,3の質問がありましたが、掲載日は詳らかにしませんでした。恐らくボツになったのでしょう。

             福島浜通り「夜ノ森の桜」

 昭和19年秋、中野区上高田国民学校1年生だった私は、中野駅から学童集団疎開特別列車に乗せられて、福島県浜通りへ向かいます。若かった母は私を食入るように見つめていました。富岡駅前の大東館が割り当てられた宿舎でした。着いた翌日から、下着はシラミだらけになりました。空腹の余り野草を毟って食べました。ツツジの花は酸っぱかったが御馳走でした。毎朝5時、上野行きの普通列車が罐炊きを始めます。目の前の富岡駅から乗る人もなくゴトゴトと出ていきます。どんなに飛び乗って母の元へ帰りたかったか!
 20年5月25日の東京大空襲で家が焼け、生き残った母が私を迎えに来てくれ、郷里の長野へ向かいます。8月15日、終戦の玉音放送は全員が庭に出て土下座して聞きました。母は庭の草を掻き毟り、身を捩って泣きました。
 それから70年、私は折に触れては富岡駅前の大東館へ行きました。穏やかな海と平和がそこにありました。ところが6年前の3月11日、津波が襲います。続いて放射能が追い打ちをかけます。常磐線は不通となり、駅も大東館も廃墟となりました。避難区域に指定された富岡町に人影はなくなりました。でも、廃墟ではあっても存在していました。
 今年春、行ってみて驚きました。富岡駅も、大東館も、それに続く駅前通りの建物もすべて撤去されていて、黒一色になっていました。汚染物質を入れた袋が敷き詰められていたのです。隣町の夜ノ森の名物、数百本の桜だけは、見る人影もなく見事に咲いていました。

 

2017年8月11日         ピアニカー20挺寄贈を約束する

 昨夜9時半、タイ航空660便で羽田に着きました。むっとした気温に一瞬たじろぎましたが、しばらくして雨になりました。ノロノロ台風が日本列島を縦断して過ぎ去ったあとだったせいか、機内の揺れは全くありませんでした。約一か月滞在したチェンマイはハワイと同じ緯度上に位置する為、バンコックと違って、暑くもなく寒くもなしです。虫よけの網戸が張られた窓は、年がら年中開け放たれたままです。それでも、朝晩は少し寒いのでパジャマを付けます。今はちょうど雨季で、ほとんど毎日スコールがありました。晴れていた空が一転俄かに掻き曇り、一陣の風と雷と共に大粒の雨が降り注ぎます。その間、短い時は約20分ほど、空は再び嘘のように晴れ渡って爽やかな日差しとなるのです。

   (チェンマイ・ドッケオの杜の中の一軒家に置きっぱなしにしているパソコンは、悪性のウイルスにやられたらしく、7月24日以降、的確に作動しなくなりました。そのため、現地での書きこみが叶いませんでした。申し訳ありません)

 さて、8月1日早朝、二人のHさん(堀田さんと林さん)に伴われてチェンマイから270キロ離れた少数民族の街「パイ」へ向けて車で出発しました。堀田さんのご実家は埼玉県飯能市にあり、ご家族はそちらにお住まいですが、彼は埼玉県のさる慈善団体の現地特派員としてチェンマイに単身赴任し、大勢の高校生に日本語を教え、希望者には青森県の大学留学を斡旋するなど、日本とタイの交流を図る仕事を生き甲斐にしている奇特な方です。今回もパイの二つの高校から選ばれた6人の高校生に奨学金(年額14000バーツ)を渡すという役目を持っていました。私と林さんには過去三回の訪問で日本からはるばる持参し、寄贈した2台のキーボードがどんな使われ方をしているか、確認する意味がありました。

 予め訪問を知らせてあったので、幼稚園生徒から小学生の数十人、それに先生方全員が講堂に集まっていました。舞台の両脇には二台のキーボードがセットされていました。若い男の音楽担当の先生が着任していました。パイ君という名前のチェンマイ大学の4年生で、卒業後は正式の音楽担当教師になるそうでした。右側のキーボードで年老いた先生が和音をとり、左側のキーボードをパイ君が奏で、愛くるしい幼稚園児の演奏が始まりました。5挺のピアニカの演奏もありました。ピアニカともメロデオンとういうこの楽器は、小型の2オクターブの鍵盤を息を吹いて鳴らすというものです。

 圧巻は生徒全員が日本とタイの旗をかざしながら日本のあの難しい歌「昴スバル」を歌ったことです。しかも、日本語で。旗の裏に書いてある歌詞を見ながら……  不覚にも涙が流れて止まりませんでした…… 寄贈した2台のキーボードがこんなにも強烈な変化をこの小学校にもたらした…… 傍らにいた小柄な女校長先生は涙を流す私の肩を擦ってくれました…… 

 それは片言の英語でしか意思の疎通は出来なくても、音楽がもたらす人間同士の理解であったでしょうか。更に驚いたのは、校舎の片隅に最近出来たばかりだという音楽室を見せてもらったことです。ドラムセットがありました、ギターも、民族楽器も揃っていました。ピアニカもありました。学生兼音楽教師のパイ君が見事な撥さばきでドラムを叩いてくれました。

 学校が用意してくれた昼食は、かつての訪問時にあだ名を付けた3人の女先生「のびた」「ドラえもん」「シズカちゃん」も一緒でした。出来得ればピアニカまたはメロデオンがもっとあれば、生徒たちに音楽に直に接してもらえるのではないか、という未来の展望が出て、「分かりました、次回にはピアニカを持参できるよう努力しましょう。15挺もあれば…」「いえ、出来れば20挺!」

 成り行きとは恐ろしいものです。私はこれから日本に帰ってピアニカ集めに東奔西走しなければならなくなりました。

 この少数民族の小学校の音楽教育の未来は、優れた音楽教師を雇い活躍させることにあります。学生教師のパイ君ならそれができる、と私は確信しています。校長先生は堀田さんに向かってこの学生に対する奨学金申請を頼みました。堀田さんはOKして申請書をパイ君に書かせました。しかし、それが受理されて支給されるのは来年です。彼の窮状は現在であるらしいのです。校長先生は自分の財布から2000バーツ出しました。林さんの財布には8000バーツ、私の財布には2000バーツありました。締めて12000バーツ。即席の奨学金贈呈式となりました。集まっていた先生方全員が思わぬハプニングに顔を紅潮させているパイ君に拍手をおくりました。 

 

2017年7月24日               権 力

 24,25日は安倍晋三とその取り巻きが仕でかした「加計学園」問題について国会で集中審議が行われます。今日24日、多大なる」関心を持ってテレビを凝視しましたが、その臆面もない体たらくに嫌気が差し、テレビを離れました。権力は都合の悪い質問は無視します。「記憶にありません」をこぞって連発します。忖度だらけの過去の出来事を殊更に正当化しようとします。

 更に驚くのは、権力側はすべての経緯について瑕疵を認めないことです。問題が露呈したあらゆる文書は、その存在を無視し「これで正しかったんだ」と改めて主張さえ始めたことです

 呆れ果てました。謝罪するどころか、反省の気持ちの表明すらなかったのですから。固唾を呑んで見守っていた国民の多くは私と同じように「はぐらかされた」気持ちでしょう。

 そして権力というものの正体が、いかに醜いものか、つぶさに知ることとなったでしょう

 

2017年7月17日             日野原重明さん

 今からおよそ20年前の3月27日朝9時半ごろ、築地の朝日社内にある朝日学生新聞社へ通うため銀座駅から日比谷線に乗り換えようとしたら、電車が不通になっていました。何も気にも留めず出社して7階の部屋から見ると、築地駅周辺が何やら騒がしいではありませんか。地下鉄車内で猛毒サリンが撒かれ、死者が出ているらしいのです。サリンは8時ごろ霞ヶ関駅で車内に撒かれたらしく、もし、私の出社時刻が一時間早かったら、私も被害者になっていたかもしれません。

 地下鉄築地駅の最寄の病院は聖路加です。担ぎ込まれた大勢の患者に戸惑いながらも、聖路加病院は総力を挙げてこの降って沸いた事件に対応したようです。その、総指揮を執ったのが聖路加院長日野原重明さんでありました。何度か私も聖路加で診察治療を受けましたが、看護婦さんが大勢いて、しかも対応がすばらしいことに気が付きました。聖路加には看護士養成学校が併設されているのでした。その校長も日野原さん。病院内には大きな教会堂があり、ミサが行われ、時にはコンサート会場となるのでした。その出演者の中で出演回数が多いのが日野原さんだったそうです。聖路加病院はその地続きに巨大な二つのビルを持っています。一つは終末期を迎えた患者が丁寧な末期医療を受けられる病棟です。もう一方は貸しビルで電通と九州石油が入っていました。貸しビルは病院の経営の安定化をはかるためでありました。いずれも、日野原さんが発案者であり、責任者でありました。貸しビルの方の55階には洒落たレストランがあり、私は気に入って食事処にしていました。高所恐怖症ではありましたが、天空を眺め渡しては昂然の気を養いました。日野原さんのお陰です。

 日野原さんはまた、「新老人の会」設立の言いだしっぺでもありました。寿命が飛躍的に延びた今日、65歳から老人扱いは早すぎる、「新老人」という呼称で区別しようではないか、という趣旨のもとに結成され、会則もありました。会報も送られてきました。年会費は3000円でありました。会長は勿論、日野原さんです。

 一昨年、NHKが主催する全国小、中、高校合唱コンクールで、日野原さんは小学校の部の課題曲の作詞をなさいました。そして、決勝大会の当日、車椅子で登壇した日野原さんは全員合唱の指揮をとりました。104歳の合唱指揮者は世界でも稀でありましたでしょう。

 最後に特筆したいのは、日野原さんは長州・萩の貧しい牧師の家に生まれたことです。吉田松陰、高杉晋作と同じ萩の出身であります。萩中学から京大の医学部に進みます。兄弟の多い貧しい牧師の家庭であってみれば、その学びの道は厳しさを極めたに違いありません。私の書架には日野原さんの自伝に近いエッセイ集が数冊あって、心が荒むたびにそれらの本を読み返してきました。その本の中にはご自分が寝るときの姿勢が事細かに書いてありました。日野原さんはうつ伏せで寝るのです。丁度、胎児が母親の体内にいるときと同じ丸まった姿勢をとって眠るのでした。 

 このたびの105歳での大往生、実に,実に見事な生涯でした。誰もがあなたの人生を褒め称えています。私もまたその一人です。本当にありがとうございました。お疲れさまでした。

 ところで日野原さん、あなたは何時もご自分の思うままに生きて来られました。ならば日野原さん、お棺の中に入っているいま、やはり、仰向けではなく、うつ伏せになっておいでなのでしょうか? 母親の胎内にいたときと同じ姿勢になって、神の国に入って行かれたのでしょうか?

 

2017年7月14日           ノミの心臓「稀勢の里」

 大相撲今場所、稀勢の里が2勝3敗で休場となりました。無様ですねえ。でも、これは予測されたことでもありました。なぜならこの横綱はプレッシャーに弱いのです。これは、という一番になると必ずといっていいほど負けるのです。相手に負けるのではなく、自分の中にこしらえたモンスターにしてやられるのです。ゴルファーがかかり易いイップス病と同じ病を彼は持っているのです。イップス病とは、その瞬間になると平常心ではいられなくなる異常心理状態を言います。

 もう一つ彼の不幸は、彼が属する部屋に彼に助言してくれる先輩がいないことです。横綱隆の里の部屋を継いだのは、漫画を片時も話さない駄目親方です。田子の浦部屋親方は身体は大きいが、頭の鉢が異様に小さい。つまり、脳みそが詰まっていない、といっていいでしょう。だから、いつも高安と二人だけなのです。このところ二人は世間の耳目を集めましたが、これは二人にとって嬉しい話である一方、ひいきの引き倒しでもありました。「出る杭は打たれ」て当然だからです。

 早稲田の相撲部に、例え3か月でも在籍した私の見方としては、「稀勢の里の長期横綱在位はない」という予想です。何となれば、イップス病に打ち勝ったプロゴルファーはほとんど稀だからです。もう一つ、彼と大関高安が育った茨城県、という風土が関係します。初代若乃花は青森出身です。凍てつく寒風の中、彼は荷揚げ人足をやっていました。茨城は気候が温暖で、地味が豊かです。豊穣な農作物がいつも身近にある、極めて恵まれた土地柄です。それが、高安はともかく稀勢の里の育った環境なのでした。

 私は白鳳は立派な力士だと認めるにやぶさかではありません。ただ、横綱はどんな相撲にも堂々と受けて立たねばなりません。最近の白鳳の相撲は「いなし」「はたき」「目くらまし」などが多くなりました。何をやっても勝てばいい、というものでもありません。この点、最近の白鳳にはガッカリします。

 モンゴルは日本人の北方系ルーツです。例え日本人でなくても白鳳の偉業は称えられます。願わくは稀勢の里よ、白鳳を超える横綱であって欲しい、と願うのは私だけでしょうか。

 

2017年7月9日             8、8年の平均余命

 昨年は入院のため出席が叶わなかった北七会へ、今年は出席することが出来ました。杖を使っての参加者の数が多くなっていました。しかし、会報の「会員ひと言」を見ると、身体の不調のため出席叶わず、という近況報告がやたらに多く、出席できたことの幸せを殊更に感じました。ただ、特筆すべきは、会員の死亡報告が昨年一年で3人だけだったことです。今年の出席者は44人でしたが、残りの会員約170名ほどは出席は叶わなくても、まだ死んではいないのです。

 亡くなった3人の内、一人は広岡男也君でした。父君が長野高校野球部の監督でしたが、彼は優秀な脳外科医でした。小柄なのに私よりドライバーを飛ばしました。弾丸ライナーでした。一緒に回った時、彼が食道ガンと闘っているのを知りました。

 彼は北七会の副代表幹事役でしたので、その後任に長野日赤の院長であった宮崎忠昭君が選ばれました。北七会が一泊で行われた時、同室だった宮崎君に、長野県の男女は何故全国一になったのか、シツコク尋ねたことがあります。彼は答えに窮していましたが、その後、佐久病院を興した若月俊一の「医者は自ら地域に出向いて、病気になる前の医療を行え」 がその原点にあることを知り、しかも、町内ごとに食事改善委員会制度、略して「オッショクカイ」制度が各市町村に争って生まれたことを私に語ってくれました。紅いジャンパーを着たご婦人二人組が、塩分濃度計量器を持って町内の全家庭を訪問します。味噌汁や漬物の塩分濃度を測りに歩くのです。その努力の結果、佐久、岩村田市の医療費国庫負担が全国最低となりました。長野県の他の市町村が「佐久に続け」となった結果の全国一なのでありました。

 その宮崎元日赤院長が「皆さん、80歳になった長野県人の平均余命をご存じですか。平均余命とはあと何年生きられるかを言います。何と、8年8か月です。ということは、今日ご出席の皆さんの内、半分は卒寿、つまり90歳まで生きるのです」と演説しました。

 私は「ウヘー」となりました。何故なら私の仕事場に張ってある10年カレンダーは2010年に始まって2020年の12月31日でお仕舞になるからです。この日まで仕事を続けられたら「望外の幸せ」と決めているからです。半ば認知症になりながら、杖を頼りに生きるのは、私の人生の主旨に反します。しかし、人間の生死は神さまの領域に属します。願わくは神さま、認知症になってまでこの世に生を受けていたくありません。何卒よろしく。

 「註」今回、「追想宮沢恭人」を10冊持参しました。受付に置いてもらったところ全数貰われていきました。旧友たちと再会出来て、宮沢君も喜んでいるでしょう。

 

2017年7月8日              北陸新幹線「かがやき」

 午前8時18分、上野駅で「かがやき」に乗込みました。大宮を出るや、高崎、軽井沢を吹っ飛ばして長野、富山だけに停車する金沢行きです。どんな列車かなのか、興味津々でした。

 長野高校が長野北高であった頃の第七回生の同窓会が、今日、長野の犀北館ホテルでありました。今回から夜ではなく昼間の開催となり11時半集合、と案内にあります。9時半ごろの列車でも十分に間に合うのですが、どうしたことか目覚ましが鳴る前に起きてしまったので「よし、恒例の墓参りは午前中に済まそう」と家を7時に出ました。お蔭で「かがやき」に乗れたのでした。

 全席指定で4号車の11番のA席。早速、車内の点検です。東北新幹線の「はやぶさ」型より窓は小さく堅牢に出来ている印象です。気密性が優れているのを先ず感じました。1号車から11号車まで狭い通路を歩きました。物売りのカートとすれ違う時は身体を横にしてやっと通れます。座席の占有率は約8割、殆どが日本海側の文化の中で育った顔立ちを感じました。

 同じ日本人で在りながら、太平洋側と日本海側とでは列車の乗客の顔は明らかに異なります。特に鈍行列車に乗るとその違いはつぶさです。例えば常磐線や福島浜通りの鈍行列車と新潟から山形、秋田、青森にかけての鈍行列車とは月とスッポン位の違いがあります。色が浅黒く、スキだらけでしまりのなさそうなのが太平洋側。美人らしい美人は一編成列車に1人もいないと言っていいでしょう。千葉美人、茨城美人、福島美人、仙台美人など聞いたことがありません。ところが、日本海側ではみな色が白く、自分だけのからに閉じこもってスキを見せない雰囲気です。その代り、スコブル付の美人が一車両に1人はいます。新潟美人、庄内美人、秋田美人、津軽美人は本当にいました。閑話休題…

 さて「かがやき」ですが、9号車のグリーン車は落ち着いた雰囲気です。10号車にはシャワーや小さな湯船を備えた障害者用の万全の施設がありました。更に驚いたのは11号車の半分がグリーン車よりも上の階級といえるグランクラスがあったことです。大きなソファーが20ほど並んでいました。その先に展望車が…残念ながら運転室になっていて、立ち入り禁止でした。

 私が高校生の頃、長野から11時35分発の準急に乗って上野へ出て来ました。上野着は4時半だったと記憶します。その昔は蒸気機関車で6時間は掛かっていたと思います。軽井沢〜横川間は、まだ、レールの真ん中に敷かれた歯車を使って、速度を制御しながら走行するアプト式でした。軽井沢でも横川でも機関車入れ替えの作業でかなりの時間がかかりました。横川駅で列車の窓から「釜めし弁当」を買うのが楽しみでした。高崎へ着くと関東平野の匂いがして、信州の山猿の胸は高鳴るのでした。

 それがどうでしょう。大宮を出た「かがやき」は高崎にも軽井沢にも停車することなくいきなり長野です。所要時間1時間21分。生まれて初めて高崎駅、軽井沢駅を走りながら見る経験をさせてもらいました。

 

2017年7月6日                アニサキス

 一年前の今日、私は新宿の大久保病院の集中治療室にいました。前日、6時間余の開腹手術が行われ胆嚢が摘出されました。胆嚢は肝臓が作った胆汁を貯めおくところで、なくても差し支えない、と言われた通り、今は痛くも痒くもありません。つくずく、この歳まで生かされてきたことに感謝する毎日です。ショパンやモーツアルトシューベルトは、皆、40才にならないうちに死にました。思えばこの天才たちの倍の年齢を生きてきたことになります。何のお役にもたつことなく…

 ところで、最近、生魚に寄生するアニサキスの害がしきりに言われるようになりました。胃壁にくい込んで激痛をもたらすそうです。私はとうにこのことを知っていて生のサーモンは絶対に食べないようにしてきました。ところがアニサキスはサバ、イワシ、サンマ、マグロを含めてすべての魚に寄生している、というではありませんか。ウヘーとなりました。

 私は長い虫が大嫌いです。ミミズ、サソリ、ゴカイ、そしてヘビ… 想像しただけで身の毛がよだちます。魚釣りに行っても餌のゴカイを扱うことが出来ません。私の変な性癖でしょうか。その依ってきたる所以は幼稚園児の頃に遡ります。戦争が終わって食べ物もなく、衛生状態も悪かった頃です。虫下しを飲まされた朝、私の肛門から回虫が尻尾を出しました。母親が引っ張り出そうとします。「待て待て、そんなことをすると頭が残るぞ」と云って父親が割り箸を持ってきて、からめ取るようにして一匹全体を出してくれました。ソ奴は出てきてもまだ、うねうねと動いていたのを鮮明に覚えています。私は恐怖のあまり哭くことも忘れて身体を硬直させていました。これが長虫嫌いの原点であったと思います。ヘビは長虫の親玉です。特にキライです。

 台湾へは何度も行きましたが、あそこはヘビの本場です。地元の人がエンカンと呼ぶナイトバザールにはヘビ屋さんが沢山あります。怖いもの見たさでしばし佇みます。数十匹がとぐろを巻いている網の中からヘビ屋の小父さんが素手で一匹を掴みだすと、2メートルはあろうかという一件を鴨居に吊るすと、あっという間に皮を剥ぎ、まな板でぶつ切りにし鍋に放り込みます。それを待っていた台湾美女が三人、紅い唇を開けて美味しそうに食べるではありませんか! 噛まれると100歩、歩かないうちに死ぬという「百歩蛇」が一番旨いそうです。

 テレビに映し出された胃壁に蠢くアニサキスは、小型のヘビそのものです。どうして生魚が食べられましょうか! 生魚が買えなくなりました。出来合いの寿司も買えなくなりました。握って貰った寿司をしげしげと点検しするのもなんですから寿司屋へも行かなくなりました。困ったものです。 

 

2017年7月5日                トマトとリコピン

 トマトは昔から生で食べるものと決めていましたし、そうしてきました。ところが、ある時、沖縄のオバアがトマトは煮て食べる方が美味しいよ、と言って、良く煮込んだトマトを素麺にかけてくれました。ソーミンチャンプルーでした。美味かったのです。昔、新宿の中村屋の隣のビルの最上階に「世界のレストラン」がありました。そのイタリアコーナーで出会ったトマトソースだけのスパゲッテイ。何度通ったことでしょうか。桃太郎という日本のトマトを使って自分でも作りましたが、先の尖がったイタリアのトマトでなければ味が出ないことを知りました。そこで専らイタリア産の缶詰を使いました。ところが、缶詰はその壁面の金属化合物が流れ出していて危険、と言われ出しました。

 いま、トマトは年がら年中店頭で売られています。種類も豊富になりました。何故かというとトマトは工場で作られるようになったからです。人工光線の中で、流れる水から養分を摂ってトマトは大量生産されて店頭に並びます。こうなるとトマト好きの私は辟易してトマトから遠ざかります。

 ところがこの一か月、毎日トマトを食べるようになりました。朝方、完熟トマトを買ってきて(大粒3個250円)ヘタを取り、すり潰して鍋に入れ弱火で煮ます。味付けは塩だけなのに旨いの何の。実は、私の住んでいる練馬にはまだまだ土地があって、その農家は朝どりのトマトを自動販売機に入れて売っているのでした。ふとしたことで、ごく最近、その農家を知りました。

 市販の完熟トマトジュースを買ってきて、オリーブ油を垂らしてレンジで温めることもしましたが、矢張り、生のものの方が旨い。トマトの成分リコピンの含有量も生には敵わないでしょう。

 次は、煮詰めたこのトマトソースを使ってソーミンチャンプルーや、トマトソースだけのスパゲテイを作ります。どんな味になるか…

 ところで、私の朝ごはんをご紹介させていただきましょうか。150〜200円で買ってきたゴーヤーを縦割りにし、わたを取り、片身をスライスし、小さなフライパンにオリーブ油を入れて炒めます。殆ど生ッぽい内に溶き卵2個を加えてナンプラーで味付けし、ご飯にかけていただきます。それだけです。味噌汁、漬物を遠ざけて何年になるでしょうか。

 今日は、つまらないことを書いてしまいました。お粗末。

 

2017年7月4日            聖書の預言ー第三次世界大戦ー

 過激派組織「イスラム国」指導者の死と共に、その拠点モスルが制圧されました。兵士たちはどこへ散ったかというと、東南アジアのマレーシア、フィリピンです。ミンダナオ島では麻薬を巡って壮絶な戦闘が起きているそうです。一方、シリアを巡って、イラン、サウジアラビア、トルコ、ロシアの勢力争いが激化し始めています。イランはシーア派、サウジはスンニ派、シリアは亜流のスンニ派ですが、イランとサウジは国交断絶しています。その争いをいいことにイスラエルはパレスチナの土地を我が物顔で侵食しています。殆どの中東諸国から冷たい、しかも、憎しみの目で見られているのに何のそのです。パレスチナのアラファト議長が勝ち取った「ノルウエー宣言」など反古同然となっています。しかもアメリカの問題児トランプはエルサレムの「嘆きの壁」で頭を垂れました。

 旧約聖書に「エゼキエル書」があります。2300年前に書かれたものですが、世界史を勉強するにつれ、歴史の数々の出来事が「聖書で予言されたものが成就された」という不思議にぶち当たります。1800万人いたユダヤ人は迫害を受けて古くはスペイン、ドイツ、ポーランド、アメリカに散っていたのが、ドイツのナチスに400万人殺された後、各地から寄り集まって1943年今のイスラエルを建国し、国際承認されました。これもエゼキエル書に予言されています。更に予言は続きます。世界の紛争が一段落したころ、エルサレムの真北の国が中心となり(真北に位置しているのはロシアのモスクワです)トルコ、イランと共にイスラエルに襲ってくる。光の球が飛び交い(核弾頭のことでしょうか)生きとし生けるものの7割が死滅する。ただ、襲ってきたロシア、トルコ、イランの軍隊は自壊作用を起こし死滅する。とあるのです。

 恐ろしい地球の未来を予言する記述が、こともあろうに聖書の中の、2300年も前に書かれた旧約のエゼキエル書にあったことは驚き以外の何ものでもありません

 世界史を紐どいて見ると、人類はいかなる時代でも戦争をしています。自分の国を守るため、と言いながら敢て仇を作り血を流しています。中東の部族国家に民主主義を持ち込もうとしたアメリカの傲慢により、中東のパンドラの函が開けられたのは周知の通りです。混乱の坩堝と化した中東にこそ次なる大戦争が待ち構えている、と思えてなりません。

 

2017年7月3日            まさか、ここまでとは!

 昨晩8時に締め切られた都議会議員選挙は即日開票となり、新聞各紙の一面は、「自民の惨敗・都民ファーストの圧勝」を伝えています。57議席から23議席までの凋落! 都議会のドン内田何某が推薦する才媛も、成り上がりの若者に屈しました。劇的な変化と言っていいでしょう。

 選挙戦最終日、唯一、秋葉原で安倍は街頭に立ちました。「帰れ、帰れ」「安倍辞めろ」のコールが沸き起こりました。それに対して安倍は何と言ったか。

 「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放ったのです。しかも、声を荒げて。こんな人たちとは何ですか。卑しくも反対者といえども国民です。国民を「こんな人たち」とは何ですか!怒りが込み上げて来ます。こんな人たちの声を謙虚に聞いてこその為政者のあるべき姿ではないでしょうか。

 一方、小池側の勝因は豊洲問題で「アウフヘーベン」というドイツ語を使ったこと、と言っていいかもしれません。ドイツの哲学者ヘーゲルが使った用語で日本語では「止揚」と訳されています。二つの相対する案件が生じたとすると、その両者のいいとこ取りをして、一段、高みへ昇華させる手法を言います。こういう言葉を知っているこの小母さん、なかなかの者です。

 かくして、自民一党独裁政治は、お膝元の東京都から崩れました。責任者は辞職して当然です。「あったものを、なかったとは言えない」と権力に対して敢然と立ち向かった前文科省政務次官前川喜平が光っています。

 

2017年6月30日       気位の高さが判断力を鈍らせる?

 丁度、福島県中通の須賀川近くに福島空港が開設されたころです。「今度の山口朝日会の旅行は福島県に決めた、あんたは福島を5年も担当したんだから穴場も知っているだろう、俺たちを連れて行け」となって山口朝日会の会員50名ほどを連れ、二泊三日の行程で福島入りしました。最初の宿泊地は磐梯熱海です。ご当地の劇場で演じられた金粉ショウの最中に火災が起き、30人近くが亡くなったところです。二日目は会津若松東山温泉の高級旅館「向滝」でした。

 宴会が始まりました。綺麗処が10人以上入ってお酌しています。古参の芸妓が聞きました。 「おめさん方、何処から来なすったえ」「山口県からだ」「山口県いうたら長州かえ」「そうだ」その途端、年老いた芸妓は、すくっと立ち上がるや、「おい、みんな、この人ら長州だえ、白虎隊の仇を撃つのは今だぞえ、煮え湯をお酌してやらっしゃい」と怒鳴りあげたのです。10人の芸妓が「エエーッ」と声を上げ、色めきだったのは、傍から見ていて良く分かりました。

 福島県中通に須賀川市があります。宮城県の伊達藩に謀反を企てた須賀川藩は伊達藩によって滅多打ちにされました。完膚なきまでに惨殺されたのです。須賀川の人々は今もって宮城県人を嫁をもらいません。嫁にも行きません。宮城県人、というだけで身構えます。それが今もって続いているのですから恐れ入ったものです。歴史は100年経った今でも続いているのです。

 一方、長州の人々の気位の高さも尋常ではありません。朝日新聞西部本社のテリトリーは九州全域奄美大島、沖縄諸島とあるのですが、唯一、本州の山口県が入っています。経済の中心は博多や北九州にあるのに、なぜか、山口県人は「九州島の奴ら」と卑下した呼び方をします。新潟県で佐渡の人々を評して「佐渡むじな」と蔑視する感覚と一緒なのです。

 さて、何が言いたいかというと、安倍晋三における潜在的な気位の高さです。「俺は日本を作った長州人だ」という傲りが彼の胸底にあるのではないでしょうか。その誤ったキンジのようなものが彼を支えていて、もはや、正当な判断が出来なくなっているのではないでしょうか。

 

2017年6月29日             金子みすずは長州の人

 私は、童謡詩人金子みすず(本名金子テル子)が大好きです。512篇余りの全詩集も持っていますし、それらの中から選り抜かれた10枚のCDもあります。二階の小さな工房で製本に打ち込む時は、そのCDを鳴らします。今日も製本の仕事をしながら順を追って聴きました。みすずの代表作は何と言っても「大漁」でしょうか。

          朝焼け小焼けで 大漁だ 浜は祭りのやうだけど
          海のなかでは 何万の 鰯のとむらひするだろう

 大学浪人の頃から諳んじているのは「私と小鳥と鈴と」です。

          私が両手を広げても お空はちっとも飛べないが
          飛べる小鳥は私のやうに 地べたを速くは走れない   
          私がからだをゆすっても きれいな音はでないけど
          あの鳴る鈴は私のやうに たくさんの曲はしらないよ
          鈴と小鳥とそれから私  みんなちがってみんないい

 天真爛漫ともいうべきみすずの詩に反して、彼女の生涯は家庭的にも結婚生活でも複雑でした。下関の文具書籍を扱う上山商店に勤めていた彼女の父親金子庄之助は中国出張中死亡します。他殺とも言われています。母親金子ミチが上山商店に後妻で入り、みすずは20歳で身持ちの悪い男と結婚しますが、花柳病を移され、それも原因で彼女はカルモチンを呑んで自殺しました。26歳でした。

 ところで、長州はみすずの他に優れた詩人を輩出しています。種田山頭火、中原中也、加川文一などです。日本の夜明けを彩った吉田松陰、高杉晋作は長州萩の出身です。松陰の松下邨塾で学んだ門人たちの活躍が無かったら、明治維新はどうなっていたか分からないでしょう。

 三年前、次男夫婦と高校生の双子の男女の孫に連れられて、山口空港から長州に入り萩で泊まりました。孫の匠が長州の歴史に精通していて、殆ど彼の案内役で「萩」を隈なく廻りました。本州の西の外れの小藩なのに、何故、日本全国の情報に精通し「日本を動かそう」としたのか、そしてそれが出来たのか、孫同様、私も不思議でなりません。

 山口県内を走る中国道を小月というインターを降りると、半月庵という高杉晋作一色のお寺があります。小男で長剣を引きずるようにしていた晋作の銅像がありました。晋作が指揮した奇兵隊全員の墓もありました。苗字を貰えないいわゆる小者の墓もありました。晋作の墓から一段下がったところに、彼のお妾さんの墓もありました。晋作が大好きだという孫は飽かず眺めていました。そして、「僕は長州が大好きだ、将来は歴史学者になる積りだ」と胸を膨らませていました。

 さて、何が言いたいかというと、現内閣総理大臣安倍晋三も長州人だということです。しかも、岸信介、安倍晋太郎に連なる刀自です。つまり、恥晒しなことをやってはならない名門の出であるのです。

 安倍晋三君、君も長州人なら過去の偉人達に劣る真似をしてはなりませぬぞえ。長州人なら権力に未練たらたらであってはなりませぬぞえ。輝かしい長州人の歴史に汚点を残してはなりませぬぞえ。これ以上居座っては、過去の偉人たちから爪はじきにされまっせ。 

 

2017年6月28日            坊ちゃん、おぽんぽんは如何ですか?

 六本木のミッドタウンの最上階にハイアット・リージエンシイ・ホテルがあります。超高級ホテルです。一泊220万円もする部屋もあるそうです。

 黒塗りの車が一台、そのホテル一階の秘密通路に横付けされます。彼は誰にも見られることなくエレベーターで最上階の部屋に入ります。医療機材が運び込まれた特別室には、三人の医師が待機しています。その内の一人は慶応病院の医師で彼の主治医です。手術着に着替えさせられたた彼がベットに横たわると、彼の下腹部を中心にMRIが作動し始めます。肛門から内視鏡が挿入されます。内視鏡には液体散布装置が付いていて、その液体は彼の大腸璧に万遍なく噴射を開始します。その液体は、何と、ある健常者の糞便を薄めたものです。

 潰瘍性大腸炎、これが彼の持病です。人間の大腸には夥しい数の細菌がいて、食物のあらゆる栄養素を大腸壁から吸収し、血管に送り込み込みます。ただ、何らかの作用により、腸内に生息する細菌のバランスが崩れると、大腸壁は糜爛し、潰瘍を作ります。潰瘍はガン細胞を誘発します。それを阻止するためには、定期的に健常者の糞便を注入して大腸内に生息する細菌のバランスを維持させねばなりません。しかし、そんなにまでしても、それは一時的なものであって、全治は到底望め無いようです。だから、糞便の注入は定期的に受けなければなりません。潰瘍性大腸炎は難病中の難病、だそうです。

 健全なる精神は健全なる肉体に宿る、とは古来から言われます。不幸にして我々日本人は「健全でない肉体の持ち主」に国の舵取りを任せてしまいました。他人の糞便のお蔭で生き長らえている人間を選んでしまいました。

 「認めず、調べず、謝らず」 これは朝日新聞の一面に躍った見出しです。とても、健全な精神が作用しているとは思えない最近の体たらくに、我々国民は遭遇させられています。権力者に阿る取巻き連中が巣食っているいるところ、それがこともあろうに首相官邸そのものであることを、国民は知るようになりました。健全な肉体でないから健全な精神は宿り得ません。だから、とんでもない閣僚の人選が行なわれ、国民の顰蹙を買うのです。困るのは、政権が末期的現象を呈しているのに、本人がそれに気が付いていないばかりか、やる気満々でいることです。精神が健全でないから、善悪の判断が、既に付かなくなってしまっているのでしょうか。更に困るのは、「次はこの人に任せたい」という肉体と精神を持つ政治家が見当たらないことです。選挙制度を替えない限り、この状態は今後も続いていくでしょう。日本の不幸はここにあります。

 「坊ちゃん、おぽんぽんの具合は如何ですか?」とは私が幼稚園児の頃、母に連れられて行った目黒洗足池近くの市橋病院の先生の言葉です。かつて、この言葉を題字にホームページで、政権の批判記事を書いたら、旬日ならずして彼は総理大臣を投げ出しました。理由はおぽんぽんの具合が悪かったからです。

 「再びその時がやってくる」と私は踏んでいます。

 

2017年6月27日             稀代の女流ピアニスト

 グルジア生まれの女流ピアニスト・カチア・ヴニアテッシュビリの演奏会が11月9日サントリーホールで行われます。前売り券は既に完売されていて、それでも、何としても行きたいので、毎日のようにインターネットで検索しています。オークションで5割高で出ましたが、すんでのところで浚われました。彼女の演奏会は続いて名古屋、大阪、福岡とあるのですが、これらも付け入る隙がありません。よっぽど名古屋まで行こうか、と思いましたが、広島交響楽団との共演では… 私としては彼女のソロを聴きたいのです。

 彼女の世界各地での演奏会は、ユーチューブで数多く接することが出来ます。中でも妹のゲヴァントッサ・ブニアテッシュビリとのデユオは圧巻です。妹もなかなかのもので、野外コンサートで演奏したスラブ舞曲、ハンガリアン舞曲、そしてポピュラーではありますがピアソラのものなど、聴いていて惚れ惚れします。

 何せ、二人とも美人でスタイル抜群です。その上、露出度の高い衣装で演奏するものですから、目にも耳にも至福が訪れます。

 動画では二人が音楽学生だった頃の生乾きな演奏も見ることが出来ます。特筆すべきは「ピアノを弾くのに力を加えない」という奏法です。両方の掌を広げて鍵盤の上に置く、とします。黒鍵と黒鍵の間に指がいって弾きつらい感じがしますが、あとは、指の重さだけで音を出します。ピアノという楽器は妙なもので、優しく触れてやればやるほど、いい音を出します。力を入れて鍵盤を叩く奏法はピアノ本来の音を損なってしまうのです。

 不幸にも私は、中学時代の三年間、ピアノは指を立てて弾くもの、と教え込まれました。信州大学が主催した作曲コンクールで図らずも一等賞となり、NHK長野放送局から「ロンドFモール」という8分の曲を自演した時も、鍵盤を叩きました。もし、ピアノの平手奏法を教える先生だったら…人生変わっていたかも知れませんね。

 「余分な力を入れずに、指と腕の重さだけを鍵盤に与える。するとピアノは嬉しがって最高の音色で鳴り出す」これがカチア・ブニアテッシュビリの本領です。

 片や、ワルシャワショパンコンクールでの、韓国や、中国や、日本の一部の演奏はどうであったか? ピアノショウではあるまいし、派手なパフォーマンスの連続です。特に中国が酷い。軽業のような演奏をしました。もう、ワルシャワへは金輪際行かない、とした所以です。

 しかし、何としても11月9日の彼女の演奏会へ行きたい、稀代のピアニストのピアノらしいピアノを聴きたい思いで一杯です。

 

2017年6月26日              夏祭り

 全国各地から、夏祭りの呼び声を訊く季節となりました。出張が多かった仕事柄、各地の祭りを観る機会だけはありました。秋田の竿灯、仙台の七夕、弘前のねぷた、博多の山笠…

 青森のねぷたでは、陸奥新報社での現地印刷を記念し、地元の朝日会がどうしても山車を出したいから本社も協力してくれ、という当時の井筒会長から懇願され、50万円の協議書を書きました。「朝日新聞社、青森県朝日会」の山車が練り歩き、会員家族一同が「ハネト」になりました。

 博多では朝日会が櫛田神社の特別観覧席を取ってくれました。羽原編集局長と一緒に、新幹線の中で午前3時まで酒を飲み、それから神社に向かい4時59分、号砲一発、何台もの山車の櫛田入りを見ました。その時は「土井流れ」が32秒で優勝しました。「男」の締め込み姿は何ともイナセでした。驚いたのは、朝6時には祭りの一切が跡形もなくなり、普通の朝になっていたことです。この変わり身の早さこそ山笠の特徴ではないでしょうか。そして祭りの最後に全員が歌う「若松さまよ」には心底痺れました。

 阿波踊りで関係したのは「高円寺の阿波踊り」です。産経新聞が後援していたのを、阿佐ヶ谷の販売店が地元商店街に渡りを付け、半ば朝日の共催にしたのです。朝日連まで出来て、社員や家族が大勢参加できるようになりました。当時、宣伝部長だった私は駅前にしつらえられた舞台で賞状を読みあげ渡しました。

 どうしても行ってみたい、出来るなら参加してみたい、と思っている祭りは何と言っても「徳島本場の阿波踊り」です。そして「富山の風の盆」です。ジパング倶楽部から送られてきているパンフレット見ながら、思案投げ首の最中です。

 

2017年6月23日             たかが鉛筆、されど…

 数独というゲームがあります。9×9、つまり81のマス目にあらかじめ20前後の数字が入っていて、あとは空白、その空白の中に当てはまる数字を推理して入れていく、という単純極まりないゲームでありますが、私は、このゲームが出たころからやり始め、今では、完全に嵌っています。

 ニコリという出版社発行の「激辛数独」は一冊105問づつ掲載されているのですが、8冊目まで既に完了し、現在は9冊目〜12冊目を取り寄せ、暇を見つけては取り組んでいます。
 ニコリの数独はIPADにもあって、こちらは専らベッド用です。いかに一問を30分以内に完成させるかを掟にして取り組みます。気が付くと朝日が差し込んでいた、なんていうのがショッチュウで、数独は私の睡眠薬代わりでもあります。夜中にトイレにも行かず、熟睡出来ているのは、この数独のお蔭かも知れません。

 激辛数独では、そのマス目にあらかじめ予想される数字を薄く、小さく鉛筆で書きこんでおきます。数字が確定するとそれを消して大きく、濃く書き、その数字を丸印で囲みます。従って、先っぽに消しゴムの付いた鉛筆が必携品になります。ここ15年で数本目になる消しゴム付き三菱鉛筆を近くの文具店に買いに行きました。ないのです。今日、別用で、西武百貨店の「ロフト」へ行ったので鉛筆売り場へ行きました。やはり、ないのです。係の人に尋ねると、「もう、置いてありません」とのこと。代わりに勧められたのが消しゴム付のボールペンです。

 ボールペンで書いた字が消せる! 最近、東南アジアの観光客が、日本の消しゴム付ボールペンをお土産に買って帰る、とは聞いていたものの、それが自分の身に起ころうとは!

 疑心暗鬼のまま、174円で買ったその一件を使ってみました。何と使い勝手のいいこと! ボールペンの先っぽは、なぜか、なよなよしています。でも、スムースです。ペンを持ち替え、消しゴムなるもので、消したい線をなぞりました。あら、不思議、力を入れてゴシゴシやらなくても線はスーッと消えたではありませんか。しかも、ゴムカスなど残らないのです。

 吃驚仰天しました。ああ、自分は何と時代遅れになっていたのか、とつくづく思い知らされた次第です。

 話は替わりますが、今の安倍政権は、書いてしまった鉛筆の跡を消しゴムで消そう、と躍起になっています。消そうとしても消えないのは、石井法相、萩小田副官房長官、菅官房長官、山本地方創生相などなどの発言。それに伴って、消しゴムカスが続々と出てきてしまっています。

 埼玉4区から選出された女性議員が、自分の公設秘書に罵詈雑言を浴びせ、時には暴力を振るったというかどで、自民党に離党届を出した、というテレビ報道もあります。秘書が録音した音声がテレビでそのまま流されるため、しばし、耳を覆いました。この女性議員、桜蔭、東大法学部、厚生省、立候補、二期目だそうですが、自民党を始め議員の劣化には目を覆いたくなります。

 森友学園、加計獣医学部設立疑惑などなど、将棋で言えば安倍政権は既に詰んでいるのです。いつまでも権力にしがみついていると、首相官邸にISのテロが起きますぞえ。

2017年6月13日           過剰演出

 梅雨入りしたせいか、愚図ついたお天気が続いています。最近気になることは、テレビのお天気情報がやたらに詳しく、専門的になり、その上、時間が長くなったことです。奇抜な演出をしたり、出演者がタレント気取りになったりもします。気象予報士のタレント化です。

 冬のある日、現地情報を伝える予報士が、オーバーを着て、襟巻、耳当て、手袋をして出演しました。人に話をするときは、オーバーはまだしも、襟巻や手袋ぐらいは外すのがエチケットでしょう。嫌な感じでした。

 お天気は天気予報であって、晴れか、曇りか、雨か、それ以外はないのです。なぜ、そうなるのかの解説を事細かに聞いたところで、それによって雨が晴れに替わるわけもなく、何になるのでしょう。いらぬお世話であります。少なくともこちとら、その日が晴れでも、曇りでも、たとえ雨であっても、それはそれ天の采配であるからしてどうでもいいのです。

 気象予報士どもが、さも、したり顔で、お天気がそうなる理由付けを事細かに、しかも長々とやりだすと、「やれやれ」と思ってしまうのは私だけでしょうか。

 天気情報以上にイヤな感じを受けるのは、テレビで我が物顔に振る舞う吉本の芸人どもです。笑いを取るための浅薄な物言い以上に虫唾が走るのは、彼らの下品この上ない顔とその立ち居振る舞いです。笑いを取るための激しい基礎訓練や素養がないから、過剰演出でやり過ごそうとします。見るに堪えません。「笑いをとる」のいうのは一つの芸であり、一寸やそっとの付け焼刃で出来るものではありません。古くは「エンタツ、アチャコ」「ヤス、キヨ」の漫才。最近では「ころっけ」などが一つの芸域を作り上げました。「きみまろ」も面白い。芸人にも賞味期限があって、いい加減に引っ込め、と言いたいのが「北野たけし」「松本ひとし」。たけしは呂律が回らなくなり、松本は死人の顔さながら、見るに堪えないに暗い顔になっています。昔の名前でいつまでも居座ってもらうのは迷惑です。 

 

2017年6月10日                  死ねない国

 佐藤愛子の「93歳何が目出度い」がベストセラーになったのは昨今の出来事です。95歳の瀬戸内寂聴は、最近、心臓の手術をしたのに回復して「歌集」を出版する勢いです。車椅子で回診を続けている聖路加の日野原重明さんは105歳を超えています。中曽根大勲位は99歳の祝いを盛大にやりました。

 街を歩けば4人に1人は65歳以上です。そぞろ歩きをしたり、杖を持ったりしている人の割合は確実に増えました。病院の待合室は高齢者ばかり。図書館を占拠しているのは学生にあらず、何もすることが無いらしいお年寄りの面々。世界に冠たる老人大国、それが昨今の日本であり、この傾向は増々助長されるでしょう。男性は80、5歳、女性は85、2歳。これが目下の日本の平均寿命だそうです。しかも、長野県の男女が最長寿だそうで、長野県人を自負する私にとって嬉しいこと……でありましょうか?

 問題は、医療の格段の進歩もあって寿命が延びているけれど、生かされているお返しに高齢者は国のお役に立っことを、何かしているでしょうか? 生産性のある仕事に従事しているでしょうか? ほとんどの高齢者は社会のお役に立つ仕事などやっていません。唯々、飯を喰らって、その日その日をやり過ごしているだけ……

 こういう人々を「ゴクツブシ」と敢て言わせてもらいましょう。さしずめ、私など「ゴクツブシ」の典型です。過去、一生懸命で生産性のある仕事に従事してきたのだから……せめて老後は……年金をもらって……悠々自適でいいではナイカ……こういう言訳をしたいけれど、だからこそ社会全体の活力が失われていくのです。

 ところで、日本という国家が負っている借金は1300兆円を超えます。一人当たり850万円に相当します。それなのに国家が安泰でいられるのは、それと同額程度の預貯金が金融機関にあるからです。日本の高齢者は一人につき1000万円程度を保有されています。つまり日本という国は遠くギリシャなどと違って債務超過になっていません。でも、活力が衰える国になっています。お金は資本です。資本は回転させてこそ国家に活力が生じます。マックスウエーバーがいみじくも説いた「プロテスタンテイズムと資本主義の精神」は古典ではあっても現代にも当てはまる理論です。

 資本は腐るほどあるのに、それを使いこなす活力が失せてしまっている社会、それが老大国日本の姿です。言ってみれば、お金を社会のために使わず、若い者に甘えて、自分だけ贅沢しながら細々と生きながらえている閉塞された高齢者集団社会、それが今の日本です。資本を持ちながら社会のお役に立っていない「ゴクツブシ」どもに声を大にして言いたい。

 「あなた方は日本から去りなさい。低開発国へ行き、そこで生活し、あなたの財をその国のために使いなさい。あなたのお金はその国で生きるでしょう。日本も、高齢者医療制度の高額負担から逃れられて一挙両得です。そうすれば、あなたは日本のため、世界のためになる人間になれるのです」

 

2017年6月7日           まかり通る「国家戦略特区」

 国会審議をよくよく観察していると、安倍は「国家戦略特区で決まったことだから」と逃げを打ちます。この国家戦略特区とは何ぞや。調べてみると、省庁の従来の慣行に縛られず内閣府が重要と認める案件について、国家戦略上必要であるという名目のもと、総理大臣の権限により認可される特別制度であることが分かります。

 更に調べてみると、この会議に連なるメンバーのすべてが「日本会議」に属していることが分かります。国民が良く知らないところで、こういった我田引水ともいうべき組織が既にできていて、今回、図らずも表に出た森友、加計問題を「国家戦略特区」で決まったことだから、と逃げを打つ安倍という男は、何たる恥知らずな人間でありましょう!

 もっと問題なのは、役人が苦心惨憺して上げてくる事例をこの「国家戦略特区」でいとも簡単に覆すことができる、という事実です。

 「戦争のできない国」を「戦争をこちらから仕掛けることが出来る国」にすることが「国家戦略特区」で可能にさえなるのです。

 国民が知らぬ間に、マスコミさえ欺かれて、こういう組織が安倍主導の元に出来ているのです。皆さん知っていましたか? 少なくとも私は知りませんでした。かなり関心を持つ私でさえそうなのですから、殆どの皆さんは根耳に水ではなかったでしょうか。驚くべき陰謀が官邸内では策略されていたのです。優秀な官僚が上げてくる案件を、一部の恣意的な議員や内閣府によって、いとも簡単に却下することが出来るのです。都合の悪いことは「国家戦略だ」との名のもとに退けることが出来るのです。こんなこと許されますか? 加計問題も「国家戦略特区で決めたのだから、ワシャ知らん」というのが安倍の言い分です。この身勝手さを内蔵するこの組織を問題にして、私たちは早急にこの内閣を葬り去らねばなりません。

 森友問題で露呈した「役人の忖度」、加計問題で図らずも露呈した「国家戦略特区」、その底流に蠢く「日本会議」。

 心あるマスコミよ、良識ある国民の皆さん、この問題は徹底的に追求されねばなりません! 最も望むことは読売のナベツネが一日も早くクタバッテ、本来の大読売新聞に戻ることです。早くしないと残紙180万部が300万部になりまっせ。そうでなくても、ジャイアンツが11連敗を喫しているではないですか!

 

2017年6月5日                   見苦しい

 加計学園問題の国会質疑をテレビで見ています。民進党の議員がパネルを見せながら核心に迫った質問をするのに、安倍はその質問に答えようとしません。「はぐらかし」の連続です。しかし、内心の動揺はハッキリその挙動に表れます。同じ言葉を何回も繰り返すのです。質問とは関係しない自分勝手な持論を繰り返します。逆に強がって見せます。「印象操作だ」と逆襲します。つまり、自分にとって不利なことは決して言おうとしません。「ああいえばこういう」の連続です。

 明らかに問題があったのに、それが誰の目にも明らかなのに、それを認めようとはしません。

 ああ、「いやだいやだ」と心から思い、テレビの前を離れました。「権力とはこういうものか」と改めて思いました。つまり、いつの時代でも権力者の側が正しく、それが例え間違っていたと内心は認めていても、それを言葉で言うことがない。一つでも瑕疵を認めればそれは即、権力の瓦解に繋がる、だから、どんな詭弁を弄しても事実を事実として認めない、古今東西これが権力を握った者の常套手段であることを、テレビはものの見事に伝えています。

 前川氏が出会い系バーに出入りしていたことを読売にリークし、内閣官房長官は彼の人格面から文書を怪文書扱いにして貶めようとしました。ところが、彼にそういったやましい行為などなく、かえって美談に類する行為であることが次第に分かってきて、内閣と読売が狼狽し始めています。質問がその責任を追求すると、今度はその誤りを認めようとはせず、「彼は文科省天下り事件の最高責任者であったから当然」と矛先を変えました。そして、証人喚問をあくまでも拒否します。

 シドロモドロになりながらも、ムキになって詭弁を弄する安倍を見ながら、「腐ったもの」を見ているようで、辛いものがありました。

 ところで、腐ったものはわが家のテーブルにも発生しました。毎日一個は食べていた大事な「伊豆半島の夏みかん」の色が変わってきたものがでたのです。慌てました。最近の傾向として、リンゴもイチゴもレモンも腐りません。腐るというのは空気中の酸素が影響します。空気中の酸素が原因で酸化するのが腐りの原因です。だから、固体一つ一つに薄いコーテイングを施し酸化を防ぎます。

 単身赴任中の小倉で、レモンをテーブルの上に置いて、いつ腐るかと眺めていたことがありました。一年以上そのままでした。気味が悪くなって捨てましたが、驚きでした。伊豆半島の夏みかんを買って送ってもらった熱海のスーパーには山と積まれてありました。恐らく、腐ったものも出る筈ですから、係の人は大変だろうな、とあらぬ心配をしてしまいました。

 安倍内閣を支えているものは、権力という目には見えないコーテイングです。これを引っ剥がすのは民衆です。民衆の結束です。今の日本でそれが出来るか?

 二大政党政治を夢見て作った選挙制度「小選挙区制」ではそれができるとは思えません。もう一つ政治資金規正法があります。昔の自民党のように議員に金を配る親分が居なくなりました。いい意味での派閥がなくなったのです。日本の不幸でしょうか。

 

 

2017年6月3日           「ババ」 を引いたトランプ

 地球全体の気候変動が、化石燃料などの無分別な放出にその原因があることを、世界各国はようやく分かってきました。京都議定書に始まり、パリ協定に至るまで世界各国は協力して地球規模の削減に団結し始めました。一番遅れたのがアメリカと中国です。13億4500万人の中国と3億人のアメリカがその気にならなければ、他国がどんなに努力しても水の泡です。北京、上海、南京などの大都市はスモッグが立ち込め、健康被害が出始めました。アメリカは強烈な寒波や日照りやハリケーンに翻弄され始めました。ここへきてようやく、両国はパリ協定に参加しました。中国が特に熱心に取り組み始めました。それはそうでしょう、冬の時期などマスクや防毒面が生活必需品になっているのですから。

 ところがです。イタリアで行われたGセブンで「ゆめゆめ離脱しないように」と釘を刺されたにも拘わらず、トランプは今日、離脱を表明しました。ドイツのメルケルは怒りました。フランスのマクロンは真っ赤になってアメリカを詰りました。各国はここぞとばかりアメリカ非難を始めています。アメリカ国内も大変です。ニューヨークタイムズを始めマスコミの殆どはこれ以上ない論調でトランプ非難をしています。良識あるアメリカ人は地球温暖化対策についても、アメリカこそが世界をリードしなければならない、と感じているからです。

 「こんな情けない、恥晒しな大統領を選んでしまった!」大方のアメリカ人は後悔に苛まれているのではないでしょうか。私もそう思います。彼の言動が良きにつけ悪しきにつけ、選挙公約からブレナイことは特筆に値すると思っていたのですが、いくら「アメリカファースト」であっても、世界規模の風潮に対して「おらーやめた」はないでしょう。ドラえもんのジャイアンと同じではありませんか。

 彼はこの件によって自らババを引きました。終わりでしょう。卑しくもアメリカの良識がこれを許すわけがありません。弾劾されるか、暗殺されるか、これはお楽しみです。 

 

 

2017年6月1日            パイナップルと夏みかん

 去年の11月頃、「咳にはパイナップルジュースが効く」と聞きました。気管支が弱く、この時期になると毎年風邪を引きこみ、それが慢性化して困り果てる私は、早速、ジュースをしこたま買い込みました。現物の方が遥かによろしかろう、と市売のパック入りパイナップルを毎日食べました。更に、パイナップルそのものを買ってきて、自分で皮を剥き包丁を入れて食べ始めました。パイナップルスライサーという便利なカッターをアマゾンから取り寄せ、カッターの一つはスーツケースに入れてタイまで持参しました。パイナップルの頭を落とし、スライサーをねじ込み、程よいところで逆回転させるとパイナップルが螺旋状になってゾロゾロ出て来ます。

 お蔭さまで今年は「咳の悩み」がありませんでした。今も食卓には姿かたちそのままのパイナップルが鎮座しているのですが、私の趣向は既に夏みかんに移っています。

 デコポン、ネーブルなど柑橘類はいろいろあるのですが、私が目指すのは酸っぱい、酸っぱい夏みかんです。かつて伊豆半島へ行ったとき、たわわに実る夏みかんを木からもぎ取って食べたことがあります。その酸っぱさと新鮮さに唸りました。「伊豆半島の夏みかん」これが私の憧れとなりました。その夏みかんは熱海駅を下り、坂道を下っていくと小さなみかん専門店で扱っています。昨年はそこから大量に仕入れました。先月24日、熱海での囲碁会の折り、そこを訪ねました。生憎、お休みでした。途方に暮れましたが諦めきれません。更に歩いて熱海のスーパーバリュマックスへ行きました。ありました、ありました、「伊豆半島夏みかん」が山と売られていました。大きな一件が6個入って540円。5袋買って託送を頼みました。送料450円。その内一個を宿に持ち込み謹んでいただきましたが、まさしく酸っぱすぎる夏みかん正当な味。まだ、20個残っています。

 今度熱海へ行くのは今月14日です。年一回の八重洲会の碁会です。小さな蜜柑屋さんが開いているといいのですが。

 

2017年5月27日             読売のお粗末 

 前川事務次官の「義挙」に対して、彼が歌舞伎町の出会い系バーに出入りしていた過去を殊更に拡大解釈して報道する一部の勢力があります。その発端は読売新聞、追従しているのが産経新聞、そして雑誌の数社。

 一般的に言って、新聞は個人情報を、ましてや個人の下半身情報を公にすることを慎しみます。個人のプライバシーを侵すことになるからです。長い歴史の中で朝日新聞が禁を侵したことが一回でもあったでしょうか。新聞が自らに課しているこの不文律を、今回、読売新聞が犯しました。

 しかも、その個人情報の出所が何と内閣府! 総理官邸が、元一官吏の下半身情報を秘かに握っていて個人攻撃に出たのです。この秘密情報を読売新聞のみに流しました。真実を吐露した一官吏を人格的に葬り去ろうというのです。一国の政治の中枢が、何とも汚い手を使ったものです。実に、実に情けない。

 一官吏の個人情報を流された読売編集局は、掲載を嫌がったようです。当然です。担当記者は涙ながらに書いたそうです。安倍政治を遮二無二擁護したい編集主幹でもあるナベツネの、強い指示があったのは言うまでもないでしょう。元読売の記者だった某氏はテレビ出演して嘆きました。「我が古巣も地に堕ちた」と。

 皮肉なことに、義挙に出た前川喜平氏の妹は中曽根大勲位の息子と結婚しています。当然、御年99歳の長老の耳にも届いていたでしょう。憲法改正に関しては中曽根とナベツネは同じ穴のムジナです。実に面白い成り行きになりました。

 ところで、昨日は、ひょんなことから両国国技館のマス席で相撲を見ました。

 囲碁仲間の原山さんから9000円の券を頂いたのです。昔は、焼き鳥、飲みもの、お土産が付いてその位の値段だったと記憶しますが、今は、何も付かずにこの値段です。

 しかし、場内は満員でした。話題の稀勢の里は休場でしたが、弟弟子の高安が大暴れしました。横綱日馬富士を土俵下へぶっ飛ばしたのです。館内は大歓声、座布団が飛び交いました。

 早稲田の学生だった頃、体育系の単位一つは必須でした。理工学部の裏に土俵があって、相撲部がありました。大学相撲華やかなりし時代です。おそるおそる入れてもらいました。最初はパンツの上にまわしをつけて四股を踏みました。笠置山の指導を受けました。ガタイが大きいのと、体力があるのとで、規定の単位をもらった後、煽てられて、相撲部へ入部させられました。今度は、まわしは直に付けねばなりません。そのまわしが臭いのなんの… 理由は、まわしは洗わないものと決まっているからでした。汚れは叩いて落とせ、というのです。

 ウヘー、となりました。最初に教えてくれたのは「テッポウ」と「マタ割り」です。その次は「押し」です。先輩が土俵際に立ちます。その腰を捉えて全力で押します。先輩はズルズルと後退し土俵を割ります。すると、くるっと反転し、また、押せというのです。何回か繰り返すと汗みどろになり、土俵に倒れこみます。すると、先輩は倒れこんだ私の上に足を乗せて「マダマダ」といいます。

 腹いっぱい食べられる「チヤンコ」は魅力的だったけれど、押し以外は教えてくれない「学生相撲」に耐えられず、結局、三か月で退部しました。そして、男性合唱団「グリークラブ」に鞍替えします。入部には音叉で音をとる試験がありました。試験官は「諸星」という4年生でした。暫くは続きましたが、貧乏学生のこちとら、毎日のように家庭教師のアルバイトがあります。だからクラブの遠征には参加できません。

 相撲よりも遥かに私に合っていたのに、悔しい思いをしました。何せ、家からの仕送りなどなく自分で一切をまかなっていたのですから。3年になって、6時から毎日、茅場町の日本経済新聞発送部でアルバイトするようになり、生活は漸く安定しました。 そんなことを思い出しながら、相撲がはねた後、隅田川界隈を足に任せて歩き回りました。つくづく、今の幸せを思いました。

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