最近のエッセイ

2020年1月3日           今年の課題

 世界は一昨日から2020年代に入りましたが、この先10年で最も大きな話題を独占しそうなのは中国の動向とその振る舞いではないでしょうか。いまから 10年前、世界はソ連の社会主義・共産主義体制が崩れ、ソ連邦がロシアになったように、中国共産党もやがては崩壊し、中国もソ連と同じように民主主義国になるに違いない、と高を括っていました。ところがどうでしょう、中国共産党は益々猛威を振るい出し、世界の脅威になっているではありませんか!   

 先ず、軍備です。航空母艦、軍艦、原子力潜水艦、爆撃機、戦闘機、ステルスなどの無人機など、その数ではアメリカが中国より遙かに優っているのは明白です。しかし未来に起こりうる戦争の形態は地上や海中ではありません。天空、つまりサイバー空間での優劣こそが決め手になるようなのです。中国のある筋は最近こう述べています。「アメリカはいま宇宙空間に25個の通信衛星を上げているが、その時になれば、中国は一瞬にしてその25個の衛星を一つ残らず破壊することが出来る」と。もし、これが事実なら、ミサイルも、核兵器も衛星を頼みとしている以上勝負は明白です。最近の中国は月の裏側まで人工衛星を飛ばしていますから、アメリカのNASAに劣らない技術力を持っているのは間違いないところでしょう。卓越するまでになった宇宙開発の技術力のほとんどは、中国がアメリカや日本に派遣した人間によって盗んだモノです。「自分のモノは自分のモノ」「人のモノも自分のモノ」というのが中国の古来からの考え方であって、それにやっと気づいたアメリカは今更のように中国人留学生や技術者雇用の受け入れに神経を尖らせ始め、中国人敵視政策を採り始めています。しかし、もう、遅いのではないでしょうか。

 中国の人種政策も問題です。明らかに漢民族至上主義を金科玉条としています。新疆ウイグル自治区の弾圧、チベット自治区の封鎖、香港への人権弾圧、台湾への政治介入、、枚挙にいとまがありません。世界を見渡すと至る所に中国人による、中国人だけの居住区が点在しています。これを客家(ハッカ)と称します。日本にも長崎・神戸・横浜に存在します。シンガポール、タイ、マレーシアなど東南アジアには至る所にこの客家の居留区があります。海外だけで約1億人と言われています。この客家の団結力が凄い。「客家でなければ人にあらず」 これが 合い言葉のようです。フィリピンのドテルテ大統領も客家の末裔です。だから、自分の領海に中国が軍事施設を作っても何も言えないのでしょう。インドネシアのジョコ大統領も客家の流れを汲んだいます。だから決まっていた新幹線建設の日本との契約を反古にし、中国に乗り換えました。

 一方、新疆ウイグル自治区周辺では専ら核実験が繰り返されています。何の予告も警告も無しに、あるとき大空に巨大な閃光がひらめきます。既に16万人のウイグル人が死んだと言われています。チベット自治区でも民族弾圧は苛烈を極めています。「漢民族にあらずんば人にあらず」。ドイツのヒトラーがアーリアン民族第一主義のもと、ユダヤ人600万人を毒殺した、と同じことが中国で起きているのです。

 ところで、一番の問題は中国共産党下における個人情報の掌握に尽きるのはないでしょうか。個人間のすべての情報が中国共産党の支配下に置かれ始めているという事実です。中国製のスマホは実に使い勝手はいいが、そのスマホを通る情報のすべては共産党が知っている、秘密などあり得ない、という恐るべき現実があります。中国共産党はあろうことか国民一人一人を管理し始めているのです。その役割を負っているのが中国製のスマホでありパソコンです。実は、私も中国製のスマホ「ファーウエイ」を使っていますが、私如きの情報など、当局に知れたところで実害はないので、使い勝手の良さにつられているのですが、中国本土では「ペイペイ」や「アリババ」などによって次第に14億人の中国人全員の個人情報が共産党の手中に入ることが確実視されています。なぜ、そんなことをするのか? それは共産党に対する反逆分子をいち早く探して抹殺処分するためです。

 習近平はいち早く、5年と定められた主席の定年制を自ら葬り去り、死ぬまでやるつもりです。彼が主催する「一帯一路」構想は、世界通貨をドルに変わって「元」にする野望の現れでなくて何でしょう。

 また、共産党はキリスト教を禁じています。僅かに、共産党を神と同列におくキリスト教だけが中国国内で許されています。従って、中国国内より東南アジア各国に中国人教会が多々存立しています。タイ・チェンマイ然り。チェンマイの日本語キリスト教会は400人規模の中国人教会ビルの三階で、僅か十数人で毎日曜日を迎えている始末。

 何故、中国共産党が躍進できているのか? 何故、世界制覇を目論んでいる中国の勢いを牽制することが出来ないでいるのか? それはアメリカが弱体化してきているからに他なりません。オバマ大統領時代に「アメリカは世界の警察であることを放棄する」と言いました。次のトランプはアメリカ第一主義を宣言しました。そして遅ればせながら中国との対決姿勢を明確化し、事実上の経済戦争に入っています。恐らく、アメリカが負けるでしょう。それを読んでいるのが韓国の文在寅大統領です。極く最近、韓国大統領府の高官が「韓国は韓米同盟から脱却し、中国の核の傘の元に入り、北朝鮮の核排除に向けて舵を切る」と明言しました。日米韓の三国同盟が崩れ、韓国から米軍が撤退することになります。同盟が味方内から崩れては負けたも同然でしょう。それが公然と予測できているのに、安倍政権は何も出来ていません。

 一体、7年間の安倍政権は日本の国力増強に対して何が出来たでしょうか?残念ながら「ほとんどの面において国力が低下している」と見ていいのではないでしょうか。例えば「GAFA・ガーファ」。グーグル・アマゾン・フェースブック・アップル。これらの4社に対抗できる大企業が日本に今あるでしょうか? 北方四島は一島でも帰ってきたでしょうか? 北朝鮮からの帰還が進んだでしょうか?「アズ・ナンバーワン」と呼ばれてきた日本は何処へ行ってしまったのでしょう?

 今年春、日本国は新しい御代になり、隣国の中国国家主席習近平を国賓として迎えます。アメリカや韓国に追随することなく、日本独自の中国との対応が模索されねばなりません。

 

2020年1月1日           謹賀新年 

 『新年明けましておめでとうございます。今年もお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げますと共に、皆様の一層のご健勝をお祈り申し上げます』

                     10年カレンダー

 私の2階の仕事場の壁には二種類の大きなカレンダーが張ってあります。一つは三井ホームから毎年届くモノ、もう一枚は朝日新聞広告局が発行した10年カレンダーです。このカレンダーは2010年1月1日に始まって2019年12月31日、つまり、昨日で終わっています。10年間、私は折に触れ、生きてきた日を鉛筆などで消してきました。「ああ、ここまで生きてこれた、有り難いなあ、しかしこの先、なにが待っているのだろうか、もしかすると、私がこの世から去る日が、この残りの中のどれかの日かもしれないなあ。その場合は、それを甘んじて享受するとしよう」、と心の中で呟きながら線を入れてきました。それが昨日で終わったのです。恐らく「ある」に違いない、と予想していた私の死亡の日がこのカレンダーには無かったのでありました。

 昨夜、大晦日の夜、カレンダーに向かって最後の筆を加えながら「神さま、ありがとう。お陰さまで何とか生きてこれました。感謝致します。何卒、これからの10年も、同じようなカレンダーを掲げますのでどうぞよろしくお願いいたします」と祈りました。そして、今朝、分厚い朝刊を広げて、付録になっているに違いない広告局制作の10年カレンダーを探しました。ないのです。付録や折り込みの中に見当たらないのです。年を追うごとの広告収入不如意のため制作を止めざるを得なかったのだろう、と推測することにしました。ならば、とネットでさがしましたが、あるにはあってもA4の大きさ以上になりません。これでは面白くありません。今年の本社の賀詞交換会には築地まで出かけていって、作られている場合は何とかせしめてこようと、内心決めました。 さて、もう一つのカレンダーは三井ホーム制作のかなり大きなモノです。日程が書き込めるのでかなり重宝です。私の家が三井ホームによる注文建築だったため「オーナー」さまとなり、何かと便宜があってそれが今も続いているのです。ところが、今年はまだ来ていません。これも催促です。 

 

 

2019年12月29日        萬田久子さん

 昨夜、NHKテレビの「チコちゃんは知っている」を見ていましたら、ゲストにタレントの萬田久子が出てきました。既に60歳は超えているはずなのに若々しく、受け答えも軽妙でした。実は40年以上前になりますか、テレビ朝日の年末歌謡番組に表彰状のプレゼンターとして彼女と共にテレビに出たことがあります。控え室が同室だったので、かなりの時間、二人だけでおしゃべりする機会がありました。それまでは彼女をミーハーの一人と思っていたのですが、話をしていく内に、彼女が天衣無縫の人柄であることが解ってきて、以後、好感を持つようになりました。その彼女が、以前よりも若々しく魅力的な女性になって出演していたのです。

 大昔、年末30日の夜のテレビ朝日の歌謡番組は、当時、紅白歌合戦の前哨戦のような雰囲気がありました。そして、年間を通じての最優秀賞を満田久子が、朝日新聞社賞を私がプレゼンターになったというわけです。授与式の模様も放映され、私の名前も「朝日新聞社宣伝部長中澤信男」と画面に大きく出たそうです。まだまだ新聞社の影が系列のテレビ会社に影響を与えていた時期だからこそ、こんなことが出来たのでしょう。自分の姿と名前がテレビに写って全国に流れた、という経験は、後にも先にもこれが最初で最後でありました。  

 

 

 

2019年12月26日          花が枯れない

 12月は私にとって鬼門の時です。この月の三分二のをやり過ごしたところで、矢っ張りというか「鬼」に捕まってしまいました。強烈な咳と痰と寒気が襲ってきました。インフルエンザのワクチンはしているので、その点は安心ではあっても肺炎への移行が心配です。しかし、20日は川崎まで行って今年最後の囲碁の会に出ました。忘年会ではお酒は自制したのでしたが、翌日からの年賀状の添え書きの最中におかしくなり始めました。咳をするたびに胸が痛くなるのです。病院へ行って胸の音を聴いて貰い、年末年始分を含めた薬を処方して貰いました。そして何とか23日中には年賀状はすべてを書き上げ投函することはできました。

 

 24日は高齢者講習実技テストです。予約してあった池袋サンシャイン近くの豊島教習所で受講しました。その合格書を持って昨日は石神井警察署へ行って新しい免許の交付を受け、その足で都庁まで行って一年間有功の国際免許を貰ってきました。これで10年有功のパスポート、3年の運転免許証、1年の国際免許証がそろいました。「どう有効活用するか」が今後の課題です。

 ところで、実は今日書きたいのは「最近の生花は何故枯れないかのか」という疑問についてです。家の二階の和室6畳間には小さな仏壇があり、私は朝夕の蝋燭と線香と朝茶の供えを日課にしています。ときには仏花を供えます。昔は花は直ぐ枯れました。放っておくと花瓶の水は汚れ異臭を発しました。今年の9月ごろ、ある方から「花のギフト券」を頂戴しました。一般のところでは使えないので、専ら、鷺宮の大きな花屋さん行って1000円の花束を買ってきて供えました。ところが、その花が枯れないのです。ただし、小さな蕾みはツボミのまま、それ以上に成長しないのです。花瓶に水がないならまだしも、潤沢にあるのに、何故この花たちは成長しないのか、不思議でした。10月も11月も1000円の花束は枯れませんでした。そして、12月19日母親の命日に当たるため森林公園の墓地へ行って3っのお墓を掃除し、途中の滑川農産物直売所で仕入れた花束を手向けました。4つめの花束は家に持ってきて仏壇にお供えしました。既に一週間以上経っているのに、この花束も一向に変化しません。一週間前と全く同じ、蕾みはツボミのまま。生き物としての成長が止ったままになっているのです。

 余り不思議なので、調べて見ました。そして「プリザーブド処理」という最近流行の生花処理技術に行き当たりました。そしてスーパーや生花店に並んでいる生き生きとした花たちは、もはや生命を抜かれた残骸物であることが解りました。生命という自由を奪われた物質が、ただ美しいというだけの理由で、店頭に並んでいる。花も葉っぱもそれまでは呼吸していたのに、今はそれを奪われ無呼吸のままその身体を店頭に晒している。私たちはそれに気づかないで、それを許している。と分かりかけてきたのです。本当にそうなのでしょうか? 私も今し方調べただけなので、間違った認識かもしれません。この件は続けて問題にしていきます。

 

 

2019年12月20日          立川志の輔の落語

 希代の落語家立川談志には大勢の弟子がいますが、今のところ志の輔が筆頭と言えるでしょう。幼いときに両親が離婚し、伯父一家に育てられた志の輔は富山の新湊高校を卒業すると明治大学経営学部に進みます。アルバイトの連続で卒業します。何処の大学にもある落語研究会に所属していたことから、三宅裕司と共に活躍し始めていた演劇を断念し、談志に入門しました。

 彼の落語の特徴は、先ず、歯切れが良い、口が良く回る、記憶力が図抜けている、新作落語にも秀でているなどでしょうか。中でも「落語忠臣蔵」には、彼ならではの異様な面白さが詰まっています。

 彼は時にはバンコックまで出張しています。一度、同じ飛行機に乗り合わせたことがありましたが、高座が済むと直ぐ夜行便で帰っていきました。バンコック中の日本人が集まったのでは、と思われるるほどの大入りで(昔は100バーツ・300円、今は300バーツ・1000円らしい) 人気があります。

 しかし、何といっても彼の真価は毎週のNHK番組「試してガッテン」にあるのではないでしょうか。巧妙な司会の中に彼の頭の良さが現れています。恐らく最長寿番組になるのではないでしょうか。

 幸いなことに、ユーチューブには彼の落語が豊富です。昨夜は彼の新作「みどりの窓口」を聴きました。これは何度聴いても面白い。いつのまにか眠っていました。

 

 

2019年12月18日          年賀状

 年賀状作業という悩ましい月末になりました。22日までに投函しないと元日には配達できないというから慌てざるを得ません。毎年のことながら、どんな写真を取り込み、どんな構図にしようか、と悩みます。昨年はイスラエルのエルサレムの全景を主題にしました。今年も悩んだ末に双葉原発の隣町「夜ノ森」の桜の写真にしました。「桜咲く観る人なしに咲く桜」の添え句もしました。夜ノ森は街路樹の全部が桜である上に町中では1500本もの桜が咲くのです。その「元気」に肖りたい、そんな気持ちを込めました。

 今年の宛先は、圧縮に圧縮されてきて290通になりました。一番多かったのは朝日学生新聞社長の時の2600通でした。全国の販売店に送ったからです。それが、1000になり、800になり、500になり、やっと300を割りました。いずれの年も自筆の添え書きをしているのでこれもまた一苦労です。年賀状はどういうものか、印刷だけのモノは見る気がしません。「一言添える」、これは鉄則でありましょう。

 一年に一度、その人とのかつての交流を思い出し、懐かしみながら一言添える。それは大変ではあっても、私は決して煩わしいとは思いません。楽しい作業でもあります。中には、これにて賀状は今後欠礼させていただきます、なんてあるとガッカリしてしまいます。私の場合は死の床に着くまで賀状を書き続けるでしょう。 

 

 

2019年12月16日         認知症検査

 運転免許証が来年2月10日に切れるので、家の近くの教習所へ行きました。50年前に免許を取得したところです。27教科全部を一つも落とさずに取ったので、教官から褒められた教習所です。「認知症検査を受けましたか」と問われ狼狽しました。そんなモノがあるとは知らなかったからです。昨日、鮫洲までその検査を受けに行きました。5年ごとに免許更新に通ったところですから、通い慣れた道です。駅前の寂れた佇まいは全く昔のままでした。ところが、人でごった返していた教習所が見当たりません。聞いて見ると隣の白亜の大ビルに替わっていました。何でこんなに大きいのが必要なのだろう、と訝りました。75歳以上のご同輩12,3人が一室に集まり、解答用紙が配られスクリーンを見ながらの検査が始まりました。白紙に時計を描いて8時20分を表示したり、数字の羅列を見ながら特定の数字を消したり、問題は簡単そのものでしたが、「スクリーン四つずつ五回に亘って映し出された映像を20分後に全部書き記せ」には弱りました。機関銃、親指、ドレス、琴、ドライバー、牛、タンス、メロン、トウモロコシ、レンジ、、、、結局20の内、4つが欠落しました。結果は76点。82点以上だと2時間講習でいいのに、3時間講習になってしまいました。見渡したところ12、3人のご同輩で82点を超えた人はいないようでした。この採点表を持って今度は講習と実地運転試験です。その日は24日です。その結果を持って免許証の書き換えをして貰ったら、今度は都庁へ行って海外免許証の交付です。この免許証は一年毎の書き換えです。今年で4回目になります。イヤハヤです。  

 

 

2019年12月15日        ローマ教皇フランシス

 世界人口70億のうち、24億がキリスト教徒で、そのうちの13億人がカソリック教徒です。カソリックの総本山であるバチカンは独立した皇国で莫大な権勢を持ち、その財力は想像を絶するようです。歴代の法王は防弾設備のある高級車に乗り、ローレックスの時計をはめ、独自の高級香料の香りを周囲に漂わせていました。

 76歳で枢機卿から選挙で選ばれ教皇に推挙されたフランシスは、ヨーロッパではなくアルゼンチンの生まれです。純粋の白人ではありません。いま彼は82歳。私と同じ歳です。私も戦争を経験しましたが、彼はポーランドにもいましたから戦争の悲惨さを私以上に経験しているはずです。

 そのせいもあってか、彼は実に質素な生活を実践しています。車は普通のオープンカーになりました。バチカンにあっては粗末な二部屋を自分の部屋にしています。身につけている時計はローレックスではありません。1万円の日本製のカシオです。

 その彼が11月23日から26日にかけて日本へやってきました。キッカケは一枚の原爆被害に遭った少年の写真だったそうです。この写真にはかつて私も同様に涙にくれるほど胸打たれました。いたいけな半ズボン姿で裸足の少年が背中に黒いおぶいひもで、彼の弟らしき子どもを背負って直立不動の姿勢をとりながら、何やら順番を待っています。背中の子の首は大きく後ろへ不自然に垂れ下がっているので、既に死んでいるものと思われました。そう、彼は死体の火葬場でその順番を待っているのでした。

 20年ほど前、私はローマから入ってミラノへ抜ける旅をしました。バチカン広場の大群衆に驚き、法王庁内を観光し、その豪華さに度肝を抜かれました。カソリック・キリスト教と絵画・彫刻・建築との結びつきとその絢爛さに圧倒されて帰ってきました。その法王庁の最高権力者を広島・長崎は迎えたのです。質素を旨とする教皇フランシスの意義ある今後の活動を期待しましょう。     

 

 

2019年12月14日       赤穂浪士にもいろいろ

 今から数えて316年前の今夜、赤穂浪士47人が吉良邸に押し入り、仇討ちを果たしました。高輪の泉岳寺には彼らのお墓があり、今も尚、線香の煙が絶えることがありません。数年前に行ったとき、人、人、人でごった返していました。日本人はこの仇討ち話が大好きなのでしょう。実は私も同じです。明後日は鮫洲の運転試験所へ行くので日にちはズレますが、私もお参りに行こうと思っています。

 整然と並んだ彼らのお墓には、それぞれ享年が刻まれていますが、ほとんどが若い年齢なのに気がつきます。最年長は寺坂吉右衛門の83歳。最年少は内蔵助良雄の長男である大石主税良金の16歳。彼の辞世の句は「あふときはかたりつくすとおもへども別れとなればのこる言の葉」ですが、生きたいという願望が込められています。内蔵助の辞世の句は「あら楽や思いは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし」です。親父はイイとしても16歳が哀れでなりません。

 初めは勢いよく義盟に加わったけれど、脱盟した人物も数多くいます。およそ20名。高田郡兵衛が最初の一人です。菅野三平重実は討ち入りに加わらなかったが赤穂への一番の知らせしたあと、自責の念にかられ自害しました。橋本平左衛門も脱盟後、大阪の遊女と心中しました。中には連盟の金品を盗んで逐電した者もいます。小山田庄左衛門。父親が恥じて自害しています。肺病みだった毛利小平太は最後の脱盟の一人です。雪の中を這いつくばって吉良邸まで来て、勝ちどきを聞きました。仮名手本忠臣蔵には早野勘平という脱盟者が出てきますが、このうちの誰かがモデルになっているようです。

 片や、大義のために命を捨て、日本国ある限り末代まで語り継がれるであろう47人。片や、人間の弱さの故か、汚名の中に語り継がれる脱盟者数十人。今夜はその明暗を分けた日に当たるのです。    

 

2019年12月13日           海の異変

 日本は四方を海に囲まれた島国です。この海に最近異変が起きているというのです。○富山湾でリュウグウノツカイという深海魚が通年は2,3体なのに今年は13体も揚った。○今年12月2日、兵庫県西宮の海岸でイワシ数万匹の死骸が揚った。○亜熱帯の海にのみ生息する猛毒のヒョウモンダコ(ふぐ毒と同じテトロドトキシンを持つ)が神奈川県沖で見つかった。○マグロ漁で名高い青森大間ではマグロが極端に捕れなくなった。○五島列島で一日最大10トンのスルメイカが揚っていたのに今はゼロ。○サンマは9月だけで6万トン揚っていたのに今年は3000トン。○秋鮭も11月は通年の6分の1の水揚げ。○沖縄の珊瑚がほぼ白化。佐渡の海に珊瑚が現れた。これら一連の現象の原因は何なのでしょうか? 地球温暖化が原因と言われていますが、果たしてそれだけなのでしょうか? 

 日本列島は縦に長いだけに海水温度にも差があります。だから季節によって違ってはくるものの、太平洋近海を22度とすると、沖縄24度、東北沖17度、北海道沖12度とかなりの差を生じています。温暖化による影響は即座に海水にも跳ね返るようですから、海の生物がその温度差に反応しているのかもしれません。専門家によると1度違うだけでも海の中では大変だ、そうです。でも私は敢えて言いたい。「大きな地球規模の地殻変動の前触れではないか?」と。「大規模な南海トラフ地震、首都圏直下型地震が迫っているのではないか?」と。

  全く、ジシンのない言い方で申し訳ありません。     

 

2019年12月11日                     発酵食品

 私は発酵食品が大好きです。臭くて「ウエー」といいそうな食べ物の中にモノの味の根源があるように思えてなりません。身近な例では「納豆」、「チーズ」、「ヨーグルト」「酒粕」、「味噌」、「醤油」、そして琵琶湖の「フナ寿司」などですが、世界には最も臭くて旨いと言われる発酵食品があります。それは北欧のスカンジナビア半島のみにしかない「シュールストレミング」という缶詰です。単なる鰊の缶詰ですが、発酵が進むと内部が膨張して缶詰はまん丸になります。北欧の人はこれを開ける時、室内ではやりません。野原に出て人気のないところでやるそうです。なぜなら。死んだ方がまし、と言われるくらいの悪臭が立ち篭めるからだそうです。そしてそのお味は、もう死んでもいい、と思うくらいの美味だそうです。臭いものが好きな私としては、必ずやこの缶詰をこの先の人生で味合わずにおくべきか、と覚悟を新たにしています。

 日本の臭くて旨い発酵食品の筆頭は、琵琶湖のフナ寿司と大島のクサヤではないでしょうか。フナ寿司はある方からのいただきものだったのですが、開けた途端、家中が臭くなりました。しかし、又とない美味でした。いま、この珍品はなくなってしまいました。琵琶湖のフナが外来種のブラックバスにより全滅させられたからです。憎っくき外来種であります。ブラックバス寿司が代わりにあるそうですが、絶対に食べてやりません。

 伊豆大島へ行って、レンタカーで波浮の港近くの二軒あるクサヤ製造所へ行ったことがあります。トイレどころでない臭いドロドロの釜に、魚を入れるところをこの目で見てきました。青鯖とトビウオのクサヤを厳重に包んで貰って持ち帰り、楽しませて貰いました。練馬の私の家の近くに、「旬」という新潟出雲崎港で揚った海産物が直送されてくる市場があるのですが、ここで売っているクサヤは全く美味しくありません。従って瓶詰めを買ってきます。これがまた芋焼酎とピッタリあうんですなあ。

 ところで今夜、志の輔の番組で同じ発酵食品である「塩麹」が登場しました。この発酵食品を使うと「モノの味」が激変するという内容でした。確かに塩麹も発酵食であります。何の料理にも塩麹を使うとおいしさが格段に違う、と塩麹の製造元の女将が番組内で言っていましたが、確かに塩麹は味の盲点になっていたかもしれません。

 

019年12月10日           烏鷺の闘い

  毎週日曜日毎にタブロイド版の「週間碁」が送られてきます。創刊の時からですから40年以上続いているのではないでしょうか。つくづく感じさせられるのは、囲碁棋士の絶頂期はそう長くは続かない、ということです。せいぜい持って10年余り。世代交代が最も激しい世界であるようです。

 今期の朝日新聞の名人位(優勝賞金3100万円)は若干19歳の芝野虎丸です。彼は日経の王座戦(1400万)もとりました。ひと頃は井山裕太が7冠 を占めていましたが、今や二冠だけになりました。まだ、二〇代半ばだというのにです。

 近年の囲碁の歴史を俯瞰してみると、絶頂期を迎えていたと思ったらいつの間にか世代交代を強いられているという現実に驚かされます。

 藤沢秀行、坂田鉄男、高川秀格、のあと林海峰、大竹秀雄、武宮正樹になったと思ったら、小林光一、趙治勳の時代になり、依田紀元と張羽が絶世を極めていると思っていたら井山裕太の出現です。そして史上最強と謳われていた彼が最近は10代の次の世代に破れていくのです。若手の二番手は一力遼です。余談ながら彼は河北新報の現社長の息子です。我々の先輩であった一力英夫は彼の伯父さんに当たります。市ヶ谷の日本棋院に近い麹町に母親と共に居を構え、院生時代を過し、18歳で頭角を現し始めました。

 今日はこれから囲碁の会に出かけます。東大卒で長野高校のドイツ語教師であった柳川先生(囲碁六段・昨年故人となりました)を慕う集まりです。桜井英博君(七段・東大・早稲田大学名誉教授)に負けるわけにはいきません。宮沢君もあの世から出てきて参加するはずです。 

 

2019年12月8日          今日は記念日

 昭和16年の今日、大東亜戦争が始まりました。日本はアメリカに対して宣戦布告します。そして真珠湾での奇襲攻撃です。ヨーロッパでも戦争は既に始まっていました。歴史は、この戦争を第二次世界大戦と称しています。この戦争のお蔭でどれだけの軍人と民間人が死んで行ったか? 調べてみました。(数字は軍人と民間人とその合計です)

              日本         230+80     310万人

             ドイツ        422+267    689万人

             オーストリア  25+93       118万人(ユダヤ系市民65)

             フランス        20+40      60万人

             イギリス       14+24      38万人

             中国        350+971     1321万人

             ポーランド   12+591       603万人(ユダヤ系市民270)

             アメリカ      29+X       29万人

             ソ連      1300+700    2000万人(?)

           他にフィリピン111万、朝鮮20万 台湾3万(いずれも軍属)

 荒っぽい数字の羅列ですが、いかに多くの人が、歯がみしながら、地団駄を踏みながら死んでいったか! 幸いにして、生かして貰っている我々は、亡くなった人々のお蔭で今日があることに、改めて思いを致し、せめて、今日一日を感謝の気持ちを持って過したいものです。

 

2019年12月7日            パソコン映画館 

 半年ほど前に、パソコンを大画面のものに替えたので、これで映画を見るのもいいな、と思ってDVDを集め出しました。先ず、宮崎駿の「スタジオジブリ」作品から始めました。続いて黒沢明作品、オードリー・ヘップバーンが出演する作品、そしてチャップリンのもの。一通り集めたところで、懐旧にふけりながら映画館を開設しました。矢張り、「となりのトトロ」、「生きる」、「七人の侍」、「ローマの休日」が自分の感性に一番ピッタリだ、と感じました。

 続いて、チャップリンものです。初期のドタバタも集めましたが、彼のモノは何と言っても「独裁者」、「モダンタイムズ」ではないでしょうか。今日は今年一番に冷え込んだ土曜日です。午後はこの二編を観る時間としました。そして、「独裁者」の最後の場面の演説を観ながら、ひとり、涙をにじませました。ポーランドのアウシュヴィッツと、イスラエルの記念館の600万人の墓誌銘とが重なって思い出されたからです。

 パソコンによる一人映画館を開設して、思い知らされたのは、若いときに観て感じたことと、歳を重ねた今観るのとでは、同じ映画なのに感じ方がまるで違う、ということでした。さて、黄昏時となりましたが、まだ「きこしめす」時間には間があります。「モダンタイムズ」を観ることにしましょう。

 

2019年12月6日            母親の13回忌

 日本列島はこれから本格的な寒さを迎えますが、地球の反対側のオーストラリア・メルボルンは真夏になっていくでしょう。三男の語学留学のため、メルボルンへは、都合、三回行きましたが、そのうちの一回は私の母親を連れて行きました。留学を果たしている孫に会うためです。成田のホリデイ・インに前泊し、シドニーで国内線に乗り換えて行きました。母親はメルボルンを痛く気に入りました。ゴールドコーストへも行きました。瀟洒な別荘が一千万円しないのを知って、母親は「買いたい」といい出しました。当時は日本中がセカンドハウスブームで、母親を伴って秩父山中の小屋を見に行ったこともあります。掘っ立て小屋が500万円で飛ぶように売れていた時代です。別荘といえば、宮沢君の別荘が清里にあって、何度かお世話になったのですが、その隣が売りに出されました。3000万とのこと。しきりに誘いがかかりました。

 結局、オーストラリアも、秩父も、清里も買わずじまいになったのですが、いまはそれが正解であったように思えます。日本の高度成長期の夢物語でありました。

 メルボルンへ行って孫にお小遣いをたんまり渡した母親は、その後10年して清瀬の病院で「胃瘻手術」の失敗で亡くなりました。93歳でした。今月19日が丁度13回忌に当たります。波瀾万丈の生涯を全うした私の母親でした。 

 

2019年12月5日           ホロヴィッツのピアノ

 今日は、ひょんなことからホロヴィッツの数曲の演奏をDVDで聴きました。単なる演奏は何度も聴いていますが、その演奏を上からの写真で見るのは初めてです。目を釘づけにして、その演奏に見入りました。彼は大きな手をそのまま鍵盤に自然に乗せ、決して指を立てることなく、シューベルトのアンプロンプチュNO3を弾きました。アルペジオの連続の中で、シューベルトならではメロデイが単音で流れる美しい曲です。私も昔やったことのある曲ですが、彼の演奏は驚嘆すべきモノでした。

 その演奏は決して指を立てません。力を入れません。大きな手ですから、時には鍵の根元の部分まで押さえて弾きます。手をよく見ると、爪が伸びています。よくもまあ、ピアノの極く狭い場所にあの大きな指が入るモノだと吃驚です。最大の特徴はピアノが本来持っている美しい音を最大限に引き出していることでした。

 大昔、83歳のホロヴィッツの演奏会がサントリーホールでありました。チケットは3万4千円でした。行きました。そしてガッカリしました。至る所で音を外したのです。ミスタッチは10カ所を超えました。評論家の新聞評は「壊れた骨董品」との揶揄でした。私も感想文を書いて「音楽の友社」へ送りました。そうしたらその文章が同社の主力月刊誌「音楽の友」に掲載されました。

 本人の為に弁解すると、来日して直ぐの演奏会であったため、時差の関係で睡眠薬が効いていたとのこと、そうと分っていれば同情の余地があったのでしょうが(その後、彼は再来日し、今度は体調を整え本番を迎えて汚名を返上しました)私は逆上して失礼な言葉を書き連ねてしまいました。

 今日、彼の平手演奏をDVDで聴いて、私は彼について認識を新たにしました。彼こそ名ピアニストであったと。シューベルトのアンプロンプチュを彼以上に弾けるピアニストはいないのではないか、と。     

 

2019年12月4日           人、人、人

 朝のテレビは、京都の紅葉の名所に連なる大群衆を映し出しました。押し合い、へし合いして整理券をもらう行列は、凄まじいモノでした。嵐山の瑠璃光寺、北野天満宮、東山の永観堂、清水寺、、、京都の山紅葉は今が真っ盛りです。大河内山荘は写し出されませんでしたが、あそこの紅葉と茶室と庭苔の調和の佇まい、、、ああ、行きたいなあ、あの静寂と共にありたいなあ、と思うことしきりです。地元の人が嘆息していました。「ああ、もう京都は京都でなくなった!」

 この歳になるまで随分世界のあちこちの旅をしてきました。東南アジアはブルネイインド、ブータン、モンゴルをのぞいて垣間見て来ました。今更のように思えたのは日本ほど四季の移ろいの変化を享受している国はない、というコトです。タイ・バンコックはただただ暑い。タイの軽井沢といわれるチェンマイは、冬でも短パンでOKですが四季の変化はない。乾期と雨期があるだけです。ドバイには緑はありませんでした。イスラエルは岩だらけでした。ただ、オーストラリアのメルボルン、対岸のニュージーランドには日本の四季がありました。しかも、日本は北海道の礼文島から沖縄の石垣島まで縦に長い国でありますから、季節の味わいには殊の外優れた特性があります。

 これからは、外国よりは日本のあちこちに行って、生きていることの喜びを謳歌しようかな、と京都の人、人、人、の映像を見ながらしみじみ思いました。さし当って、この12月、去年の金沢の近江町市場へ「蟹」を食べに行ったように、今年は富山、糸魚川へ行って揚ったばかりの一件にありつこうかな、と思っています。          

 

2019年12月2日            この本は凄い 

 

 11月17日に日本でも発売になった韓国のベストセラー「反日種族主義」をアマゾンで取り寄せ、半ば、読み終わりました。感動を覚えました。ここ、何十年に亘っての韓国に対するあらゆる疑問が、この一冊によって氷解しました。全く、凄い本がでたものです。何よりも、韓国民が衝撃を受けているはずです。大ベストセラーになるでしょう。日本語訳も100万部を超えるのではないでしょうか。

 

 先ず、この本は冒頭で「韓国民は平気で嘘をつく、自分の利益の為なら嘘の上に嘘を重ねて恥じない国民である」と断じています。「歴史的事実さえも歪曲して何ら恥じない国民」、「事実をねじ曲げても、敢えて反日にその原因を着せようとする。そういう風土が蔓延してしまっている」と説くのです。

 

 教育すら歴史的事実をねじ曲げ、反日一辺倒になってしまっているのに、その教育を受けた若者が大学を出て裁判官になっている、その裁判官が徴用工問題で、故人請求権の存在を認め、何ら、事実関係を検証すること無しに大法院判決を言い渡した、と言うのです。

 

 全く、その通りです。この判決がなかったなら、日韓の事態の悪化はこれほどまでにならなかったでしょう。 

 

 慰安婦問題についても、この本は公娼制度の軍隊の例であって、強制連行でも性奴隷でもなく一般の娼婦以上の収入もあったのだから、塑像を大使館まえに置く非礼は韓国の恥だとしています。

 

 この本の凄いところは、一つの主張に対する事実関係を、過去に遡った文献をあげて世間の風潮に対して反論しているところにあります。

 

 ところで、この本は6人のグループの共著として成り立っています。リーダーは李栄薫(イ・ヨンフン)というソウル大教授です。(この方の講話は、早くからユーチューブにあって、私は感動し、何とか大きな波になればいいな、と願っていました。今や波どころか大きなウネリになろうとしています。嬉しいこと限りなしです)

 

 二人目は金洛年(キム・ナクニョン 東国大教授)この教授は東大で博士号を取得しています。三人目は金容三(キム・ヨムサン)新聞記者です。四人目は朱益鐘(チュ・エキチョン)ハーバーと大学で奨学金を貰っていました。五人目は鄭安基(チュ・イクチョン)高麗大研究員、京都大で博士号を取得しています。最後の一人は李宇行(イ・ウヨン)ハーバート大学の研究員でもあります。以上、彼らの名誉の為にお名前を上げさせて貰いました。

 

 私はこの6人が韓国内で激しい弾圧に遭うだろう、と予測しています。殺されなければいいが、とさえ思っています。何となればこの「反日種族主義」は、それほど衝撃的な本だからです。

 

 

 

2019年12月1日           鬼門の12月

 12月になりました。早いモノで今年もあと一ヶ月です。どういう訳か、私にとって12月は鬼門です。身体的な不都合が起きるのです。大掃除の最中に、玄関の石段で滑って、イヤというほど腰を打ち、動けなくなり救急車で運ばれました。憩室性大腸炎になり、これまた病院で5日間の絶食を強いられました。仲間と湯河原の旅館で囲碁を打っている最中に強烈な目眩に襲われ、救急車で熱海の病院へ運ばれ3日間入院を余儀なくされたのも12月です。福島県担当中、ふぐ毒に当たって死の一歩手前までいったのも暮れでした。その時は血圧が70,50まで下がり、お花畑が現れました。人間、死の間際には脳内にドーパミンが分泌され、実に安らかな気持ちで死んで行けるのだ、と確信しました。昔から気管支が弱い私は12月になると風邪をひきます。咳が長引き1月、2月、3月まで引きずります。そして花粉症と合体し、重症化するのが常です。

 今年は早めにインフルエンザの予防注射をしました。毎日イソジンの嗽を欠かさないようにしています。手洗いの励行、外出時のマスク、十分な睡眠と栄養補給エトセトラ、、、、果たして今年はどうなりますか?

 

2019年11月29日                       パーキンソン

 パーキンソンは難病といわれています。なぜなら、原因の究明も定かでなく、治療法もこれは、というものが確立されていないからです。リハビリと薬物治療がすべてのようで、脳内の外科手術まで至っていないようです。

 大学の学友で親友だった竹内二郎君は、晩年、このパーキンソンになりました。小柄な体型ながら頭脳明晰、YMCA仕込みの英語力抜群、いつも笑顔で60人のクラスのリーダーでした。「誰もが彼と一緒だと楽しくなる」、そういう人柄でした。学習研究社の名編集長になり、30巻を超える美術図鑑を世に出しました。彼のその力作は地下室にあって、次の持ち主は私の双子の孫の女性の方、萌ちゃん(ムサビに在学中)になるでしょう。

 病状が進んだ彼に逢いに、同じく親友の三村君と一緒に横浜から相鉄線に乗り、自宅近くの中華料理やへ行きました。奥様に手を引かれて現れた彼をみて愕然としました。腰が曲がり、首が垂れ下がり、そろりそろりとしか歩けないのでした。料理を食べようとしても箸が震え、口まで運べても溢すのです。話し声も消え入りそうでした。「これが、あの、にこやかで、才気溢れる竹内君か」と唖然としてしまいました。パーキンソンという難病の、難病たる所以を垣間見てしまいました。

 余談ながら、私は彼の追悼集を全力で作り上げました。幸い、彼の奥様の孝子さんはご健在で、私の本作りの過程にある「綴じ」のお手伝いをお願いしたこともありました。

 一昨日、長野松本に住む元信濃毎日新聞の内山君から電話が入りました。長野善光寺住職・永代宿坊淵之坊若麻侑孝君の奥様が、パーキンソンでお亡くなりになったというのです。かねてより奥様がこの病気で大変だとは聞き及んでいました。とうとうその時が来たか、と若麻績君の悲しみに思いを馳せました。

 若麻績君とは、中学校三年間同じクラスでした。彼も背が高かったのでクラスの後ろの方で席を並べていました。彼はいつも白米の豪華弁当、私は麦飯の上に野菜の天麩羅がのっかた粗末なもの。長野市中学バレーボール大会では私がセンターで彼がセンターレフトで優勝しました。そして彼はいま、長野高校同窓会「北七会」の永代会長です。今の副会長は元日赤院長の宮崎君です。名医がそばに付いていても奥様のパーキンソンを克服できなかったのでしょうか。残念でなりません。

 

2019年11月27日               学生たちよホンコンを見習え

 大騒動の最中、香港の区議会議員選挙が行なわれました。その結果は驚くべきモノとなりました。親中派が大多数であったものが、大逆転となったのです。

 民主派385人、親中派59人、その他8人。投票率71%(前回は49%)

 中国の人口は約13億5000万、それに対し香港の人口はわずか759万人。一国二制度があと40年続くとしても、やがては中国に飲み込まれる香港ですが、この選挙で「共産主義はイヤだ、民主主義がイイ」と、態度で示したのです。その主力となったのは若者たちでした。学生たちでした。学内はもとより、街頭での警察との闘いはすさまじいモノでした。死者も出ました。日本の安保闘争の時の死者「樺美智子さん」のようにその名前は語り継がれるでしょう。

 それにしても今の日本の学生たちはどうしたのでしょうか? 借りてきた猫のように温和しい。腐敗しきった政治が目の前にあるのに、少しも動こうともしない。呆れたモノです。少しは香港を見習え! と言ってやりたいです。

 

2019年11月26日      人様のお役に立つ仕事(2) 

  続いて次男ですが、彼は国立東京農工大を卒業すると「日本窒素」に就職します。水俣病を起こした会社です。しかし、薄暗いところで、来る日も来る日も実験ばかりさせられたので嫌気がさしたらしく、「三裕コンサルタント」という愛知用水を手がけた会社に転職します。本社のある名古屋へ家族で移住した時期もありましたが、今は東京支社におります。国家試験の技術士の資格を持ち、灌漑、治水などの設計に携わっています。専ら官公庁が仕事先のようです。今年は全国で台風による土砂崩れや、河川の氾濫が起きたため大童のとのこと。これも、人様のお役に立つ仕事ですから、私は次男も誇りに思っています。さて、三男ですが、オーストラリアへ語学留学して英語だけは堪能でありますが、いまだこれといった人様のお役に立つ仕事に就いていません。乳飲み子の頃、重病で死にかけただけに、その後の過保護が祟ったせいもあるかもしれないので、今もって親の責任を感じている次第です。三男が人様のお役に立つ仕事をしてくれるまで、私は死んでも死にきれません。 

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