エッセイ

 

2014年2月28日              右翼的思考 

 数多くの週刊誌がありますが、余り買ったことがありません。週刊朝日、アエラ、サンデー毎日その他はIPADで毎週のものが読めるので、尚更です。現代、ポストは、IPADにはありませんが、新聞広告の見出しを見れば十分です。ところが、今日の新聞で、週刊新潮、週刊文春が期せずして韓国問題を取り上げているのを見て、珍しくも、二誌を買ってきました。文春は、あまりの韓国の仕打ちに堪りかねた日本の逆襲が始まったことを取り上げていました。新潮は韓国の外相、家族相の二閣僚を主体とする日本攻撃の内情を伝えていました。女性大統領の言辞を操っているのはこの男女の閣僚だそうであります。

 また、ソチ・オリンピックの、女子フィギアを巡るロシア贔屓の判定を不服とする、200万韓国国民の声を特集していました。ロシアに阿った判定に対する異状なまでの抗議です。また、週刊誌報道によれば、アメリカに建立された慰安婦銅像は、北朝鮮系の韓国人のなせる仕業であるとのこと。日本と韓国の増悪を助長することが、北朝鮮の利益に跳ね返るのだそうで、世の中にはいろいろな見方があるものだなあ、と感心させられました。

 日本問題を絶えず俎上に上げてさえいれば、政権が安定するという国内事情を、そのまま受け入れている女性大統領の資質にも問題がありますが、日本が本気になって怒り出したという雰囲気は、どうやら、ありそうに思えます。韓流ドラマの衰退、新大久保の退潮減少、韓国への旅行者の激減などなど。両国の交流の悪化はこの一年、目に見える形で推移しています。

 私でさえ、大好きだったキムチを買わなくなりました。韓国料理店へも行かなくなりました。

 政治の在りようは難しい、とシミジミ思います。権力を手中にした者が、権力を維持するために、仮想敵国を作って国民の目を逸らす、というのは、極くありふれた政治手法であり、いずれの国にも、それはあります。
また、企業間競争の中にも、あまつさえ、近所付き合い、家族間の中にも、それは有りうることで、つくづく人間は愚かだなあ、と思ってしまうのであります。

 本気になって怒り出した日本。それなら、まずやることは、若者に兵役義務を課すことから始めねばならないでしょう。

 どうやら、私もトシを取りすぎたようです。若い時から若干左翼的傾向にあった私が、右翼的思考を是認するようになっっているのですから。

 

2014年2月24日            ダズヴィダーニア

 ソチ・オリンピックの開会式の映像で、五輪の内の一つが開かない、というハプニングがありました。閉会式ではこれを逆手にとって、四つの人の輪が開いているのに、何故か、五つ目だけタイミングをずらせて開花させました。この、心憎い演出には拍手でした。

 北方系の人間は流石に強い。そして、皆な肌が白く、綺麗です。そりゃーそうでしょう、一年の半分近く雪と暮らしているのですから。一部の競技を除いて、黒人の姿がないのが印象的でした。

 ロシア33、アメリカ28、ノルウエー26、カナダ25、オランダ24、ドイツ19、オーストリア17、フランス15、スエーデン15、中国9、韓国8、日本8…… メダルの数です。

 浅田真央と高梨沙羅が期待通りであったなら、中国と韓国を抜けたのになあ……

 浅田真央は転倒がたたって、6位に終わりましたが、フリーでは自己最高得点をたたき出しました。それでいいのです。爽やかな結末です。思いどうりの演技が出来た浅田真央は、終わった瞬間、涙を流しました。思わず貰い泣きしてしまいました。清々しい思いをしたのは、私だけではなかった筈です。これこそがオリンピックの精神です。メタルではありません。「どう戦うか」 こそが重要なのです。

 4位で、惜しくもメダルを逃したモーグルの上村愛子も、爽やかでした。3位になった相手は明らかなミスを二つ犯しました。採点の不公平があったのは明白でしょう。でも、彼女は笑って耐えました。その顔は、実に、美しいとさえいえる清々しさでした。拍手です。

 スノーボードで銀メダルを獲得した竹内智香も、こんな美人がいたのか、思わせる選手でした。技術習得のため、単身でスイスへ乗り込みます。技術を教えてもらった選手との一騎打ちです。手に汗を握るシーンでした。この場合、恩人を凌駕してはいけないのです。スイス国民から日本人は袋叩きに逢うでしょう。

 同じ女子でも、不様だったのはアイスホッケーです。大人数で乗り込みながら、一勝もできずに終わるとは…… 全員、坊主になって出直してはどうでしょう。  

 

2014年2月23日              背筋が通った人間

 世の中には、「この人は凄い」 と思わせる人物は大勢います。でも、その中で、「背筋が一本通った人」となると、極めて稀になります。戦争が終わったことも知らず、ルパング島で29年間一人で過ごし、祖国に帰還した陸軍少尉小野田寛郎は、正に凄い人でありますが、私は、その上に「背筋の通った類まれな男」と認めるのに吝かでありません。惜しくも、先月86歳でお亡くなりになりました。

 彼が生還したとき、日本国中が湧きました。多額の見舞い金が寄せられました。それを巡って、旧軍人会や遺族会から誹謗中傷が寄せられました。日本人の心の狭さの然らしめる所以でしょうか。

 彼はそれに嫌気が差し、僅か一年で、日本を捨て、兄を頼ってブラジルに渡ります。荒地を耕し、1800頭の牛を飼うまでになります。でも、金に困ります。結婚した町子さんを連れて、日本へ資金稼ぎに参ります。

 その頃、朝日新聞の事業担当に、販売出身のI氏がいました。宮城県県紙河北新報の創業者を父に持つ山男でした。朝日新聞社が、小野田寛郎さんを全面的に支援することになりました。小野田さんは月島に事務所を構えました。

 当時、宣伝部長だった私は、小野田さんの講演会を企画します。ほとんどの地区の販売店従業員会への講演を企画しました。20箇所以上に上ったでしょうか。その他にも紙面を使って、講演会開催企画を発表し、一般からの申し込みも受け、小野田事務所に流しました。

 事業担当I氏は、福島県棚倉地区で開設された「小野田自然塾」の設立にも尽力しました。約2万人の子供たちが訪れたと仄聞しています。

 何回か小野田夫妻と食事を共にしました。どこが良くて惚れたのか分からにような町子夫人といつも一緒でした。どんな話題になっても、柔和な笑みをたたえ、顔色を変えることなど、一度としてありませんでした。

 I氏が事業担当を外れ、私が宣伝部長をから他部署に転出するにつれ、後任者に引き継ぎはしたものの次第に疎遠になっていったのは否めないところです。しかし、小野田さんの講演は評判を呼び、月島の事務所は健在で、小野田さんは自身でパソコンを操作するまでになっていました。

 16歳で応召し、4年間中国に居て、その後29年間ルパング島で終戦を知らずに過ごし、その後30年間以上ブラジルで牧場を経営しました。いつの時も前向きで、人生に怯むことなど一度としてなかった小野田さんの生涯は「一本背筋の通った凄い男」でありました。

 小野田さんに対する個人的思いから、支援を惜しまなかった朝日新聞のI氏も、期せずした昨年12月に認知症で亡くなりました。今頃二人で、どんな会話を交わしているのでしょうか。

 

2014年2月22日              喜多方ラーメン

 福島県の北の外れの喜多方市は、雪深いので有名です。福島県を担当していた私は、私の前任者が青森県から起用して、喜多方の朝日新聞販売所長になった彼を慰労するため、喜多方に宿をとり、その晩、二人で一献傾けました。新参ものなのに、既に、街に詳しくなっていた彼が、酒盛りのあと、「喜多方に旨いラーメン屋ができたのです。行ってみませんか」と言いいました。今から四十数年前の話です。その後、全国展開をする喜多方ラーメン発祥の店に、私たちは小雪の舞う中、行きました。

 美味かったのです。実に旨かったのです。札幌の味噌ラーメンのようなクドさは無く、アッサリとした中に、旨さを通り越した滋味が溢れ出ていました。大鍋には明日のためのスープの仕込みが始まっていました。老舗の西洋料理店がするような、丁寧な作り方をしていました。人工調味料など、全くありませんでした。

 喜多方ラーメンは、その後評判を呼び、全国展開しました。あれから40年…… 今日、その懐かしい喜多方ラーメンを食べました。光が丘のマーケットに買い物に出た序でに、、もう、絶対に行くまいと、思っていたにも拘らず、全国展開のチエーン店の一つに入ってしまいました。20年前にも、銀座のコリドー街の店に入って、昔のものとは似てもにつかない喜多方ラーメンを食べさせられ、怒り心頭を発した経験がありました。

 実は、今日は喜多方の販売店所長が亡くなって、13回忌の日だったのです。所長の名は井筒憲造君と言います。喜多方で20年務めたあと、故郷の弘前市の所長に転出し、青森県朝日会長を長らく努め、私より遥かに若いのに、激務が重なったためか、亡くなってしまいました。

 朝日新聞がどんなに良い新聞であろうが、新聞が売れなければ存立できません。新聞を配り、代金を回収し、新しい読者を開拓する販売店を経営する所長さん達は、宝のような存在です。その地域の全権を委任されている本社の担当社員は所長さんを大切にします。そのため、取引を超えた関係が時として生じます。その関係は、親子、兄弟、単なる友人以上にすら発展することがあります。昔の担当社員も、いまの若い担当社員も、販売店の経営指導はもとより、販売店の冠婚葬祭や、生活全般について、苦楽を共にするのは当たり前のことなのです。それがあるからこそ、朝日新聞は140年近くも生きながらえて来ました。本社も販売店も一心同体なのだ、という理念と実行が、朝日新聞の根底なのです。だから私が、私の弟分として接してきた井筒憲造君の13回忌の命日を覚えていたからといって、少しの不思議もありません。

 しかし、彼を思い出しながら食べた、今日の喜多方ラーメンは「不味かった!」 
 どう不味かったか、というと強烈な後味が、口内にいつまでも残るのです。味の基礎になる自然のグルタミン酸は、昆布や鰹節などの場合は、旨みを感じさせた後、スーと消えて、その上、爽やかさを口内に残します。人口味とは極端な違いです。

 いま、ほとんどの飲食店は人工グルタミン酸で調理をしています。更に悪いのは、それに慣らされた一般大衆が、自然のグルタミン酸では納得しなくなっている風潮があります。強烈な後味こそが、旨さだということになってしまっているのです。

 店の隙間から厨房を覗きました。スープを作る大鍋などありません。つまり、手間暇などかけていないのです。野菜だけは炒めていました。そこへドラム缶から液体を入れました。粉をふりかけました。麺は輪ゴムを噛んでいるようでした。790円でした。

 泉下の井筒君は、きっと、苦笑いしていることでしょう。 

 

2014年2月19日            お陰さまで

 私には1〜4ヶ月に一回お世話になっているかかりつけ医師がいます。先ず、月に一度血圧の薬を処方してもらっている、近所の浅野先生です。会津中央病院の外科部長を務めた心臓病の権威であります。最近、「町医者になった心臓病のオーソリテイ」と新聞で紹介されました。毎月、胸の音を聴いてもらって、「いいですね」と言ってもらっています。榊原記念病院の谷崎先生のところには、三ヶ月に一回行きます。「中澤さん、アブレーションをやってみますか」と言われて、先生が女子医大に在籍していころ、二泊三日のカテーテル手術を受けました。10年以上前のことです。いつ行っても薬の処方はしてくれません。どんな薬も副作用があります、だから、なるべく飲まないのがよろしい、というのが谷崎先生の処方です。一過性脳虚血症のときにお世話になったのが、女子医大の宇野先生です。小柄で、中学生のような女医さんですが、血栓を予防するプラザキサ、タケブロン、ガスモチンを処方してもらっています。先生の勧めにより、半年に一回、脳のMRIを撮ってもらっています。「お年の割には、いい脳をしています」と診断されて悦にいってきました。

 今日、診断を仰いできたのは、都立大久保病院の白川先生です。五年前に発症した尿管結石を治してもらいました。先生が女子医大に在籍されていた最初の診断のとき、やおら、私の肛門に指を突っ込み、あろうことか私の一物を検査し、「前立腺が肥大しています。生検が必要かもしれません」と宣った先生です。肛門まで知られてしまうと、愛着が生じるのでしょうか、先生が都立大久保病院に移っても、付いて行きました。

 細胞のガン化を示す指標のPSA値の上限は、4,0です。ところが、私は三年間の平均値が7、5前後なのです。一度精密検査をしましょうか、ということで昨年一二月、前立腺だけのMRI撮影を受けました。細胞の一部がガン化しているのか、どうなのか、実は今日がその判定の日なのでした。

 結果は「写真で見る限り、問題になる所見はありません」 というのが今日の結果でありました。嬉しかったですね。

 「私は77歳の喜寿を迎えることができました。その上、今日は、ガンとはまだ無縁であるという診断を受けました。嬉しくてなりません。それもこれも先生のお陰です」と言いました。満面に笑みを浮かべた先生は、

 「いやあ、私はなにもやっていませんよ。あと10年頑張りましょう」と言いました。

 「お陰さまで、喜寿まで生きながらえることができました。先生のお陰です。有難うございます」という言葉は榊原の谷崎先生にも、女子医大の宇野先生にも、掛かり付けの浅野先生にも、言いました。どの先生も「いやあー 私のせいでは……」と照れていましたが、今まで一度も見せたことのない笑顔がそこにありました。

 たった一言のお礼の言葉が、医者と患者という関係を、人と人の関係に昇華させることを知りました。

 ガンの疑いから解放された今日、嬉しくて、嬉しくて、一人祝杯を上げているところです。

 

2014年2月17日             芸大卒業演奏会

 一昨日から降り続いた雪は、凄かったですね。10センチ以上の降雪の無かった山梨の甲府盆地に1メートル10センチの積雪があったのです。群馬の前橋も、空っ風が降雪を拒否していたのでしたが、今回は76センチ。住んでいる人たちは慌てたでしょうね。両地区とも、国道が動けず、ドライバーが避難所の世話になっているむねをテレビは伝えています。雪の突発的ないたずらを、予測できなかった報いでしょうか。

 私はというと、まだ、都内の積雪が1,2センチの時に、三日分の食料を買いだめしてきました。お陰で、三日間、一歩も外へ出ないで、食卓は潤沢です。トシの効ですかねえ。閑話休題。

 東京芸大には奏楽堂というホールがあります。古いのもありますが、いまは滅多なことがないと使われません。新奏楽堂は500人規模の、音響としては最高に吟味されたホールです。毎年この頃になると、在校生による卒業演奏家が、部門別に開催されます。無料なのが何よりの魅力です。

 バイオリン、ピアノ、管楽器、声楽、邦楽、と日によって出し物が違うのですが、三日間に亘って行われるピアノ演奏会には、私は万難を排して聴きに行くことにしています。何故か。それは、音楽というのは若い人の演奏にこそ限る、という私独自の偏見があるからです。

 音楽表現も、肉体の条件反射の一つです。脳が理解して指先に伝える速度を、若い人が仮に0.01秒とすれば、30歳を過ぎるにつれ、0.1秒と遅れてきます。50歳をf過ぎると、更に遅れます。それは83歳で日本で演奏会をおこなった稀代のピアニスト、ホロヴィッツの演奏会が実証しています。壊れた骨董品になるのです。中村紘子もそうなってきましたね。内田光子でさえ、ご本人は血の滲む努力をしていますが、老いというものに抗えないでいます。

 つまり、音楽は若い人が奏でる感性にこそ、聴くものが内在すると言っていいのです。「そんなこと言ったって年齢が加わることによる音楽の深み」 はどうなるんだ? それもあるでしょう。決して否定はしません。まあ、聴けるのは40歳ぐらいまででしょうか。スポーツ選手は40歳になると自分を悟って引退します。音楽家もそうあって欲しいものです。何となれば、音楽家も肉体労働であるからです。

 芸大ピアノ科卒業生の演奏会は、それは見事なものです。午前と午後の部があり、約30人が三日間演奏するのですが、「これぞピアノ」という音が鳴り渡ります。至福のひと時です。

 ショパンの練習曲10番の12曲を連続演奏する、男子生徒の番になりました。天才ショパンが20歳で作曲した世界でも難曲の部類に入るものです。私ごとですが、世界のピアニストで、この曲を演奏したレコード、テープ、CD、など約40人の演奏したものを、全部所持しています。

 どんな解釈をしながら、この若者が挑むのか、固唾を飲んで聴き始めたのでしたが、第7曲目の途中、この若者は演奏を中止し、5秒の後、続きを弾き始めました。ミスタッチなら許せるのです。しかし、演奏途中での勝手な休止符は、楽譜にありません。不必要な休止符は、また、ありました。もう、許せません。

 「神聖なショパンの練習曲を何と心得る!」 気持ちが収まらないので芸大のホームページを検索して、鳴っている音楽を途中で自分勝手に止めるのは、ショパンに失礼だ」と書いてやりました。

 返事は、まだ、来ません。  


2014年2月16日             受信料を何とする

 NHKの経営委員長、経営委員二人が、安倍晋三首相の指名により替わりました。この三人の発言が問題になり、国会喚問にまで及んでいます。委員長になった籾井勝人は日本ユニシスの社長を務めた財界人でありますが、「非公式ではありますが……」 と公の席で述べた彼自身の考え方が、問題視されています。

 「慰安婦ははどこでもあったことだ」「オランダの飾り窓があるじゃないか」など、極く当たり前のことを言っているのですが、重大な失言があります。それは、

 「政府が右と言えばそれに沿うのが公共放送の使命であって、左と言うわけにはいきません」という件です。この発言一つで、この委員長が、例え、百万言弄しても適任者ではないことが分かってしまいました。

 いつの時代も、権力はマスコミを自家薬籠に捉えようとします。それに反発し、権力が右に傾けば左に、左に傾けば右に、絶えず中道へ導こうとするのがマスコミの使命であり、公共放送の役割ではないでしょうか。

 そういう観点から見れば、権力に阿り、世論操作を買って出ている読売新聞などは、すでにマスコミであることを放棄している、と言いていいでしょう。

 自らを省みながら、時の権力に阿らず、過去、現在、未来を正しく俯瞰しながら、日本の進む道を示してゆくのが公共放送のありようではないでしょうか。そうあってもらってこそ、我々が収める受信料が生きるというものです。

 序でに言わせてもらえば、昨年末に相次いで経営委員になった、埼玉大学名誉教授の長谷川三千子、作家と称する百田尚樹も、経営位委員たる資格に欠けています。長谷川は、朝日の中江社長と面談の際、拳銃自殺した右翼の野村秋介を、「現人神になられた」と、およそ異次元の論文を発表しています。百田に至っては、田母神の応援演説で、他候補を「人間のクズ」とまで貶しています。

 この三人はいずれも、安倍総理の意向を受け、総務省が任命した人たちです。この人事の裏側に見えてくるものは、安倍総理の野望です。憲法改正への布石でなくてなんでしょうか。

 「政府が右というなら、左ということはできません」、という委員長を擁するNHKが、本当に委員長の言うがままになるのなら、私は受信料の支払いを拒否します。

 しかし、私はNHKの社員の底力を信じます。イギリスのBBCに劣らぬ見識を持った社員で満ちていると信じます。BBCは、あの人気のあったサッチャーにさえ反抗して、行き過ぎを諌めてきました。心から、そうあって欲しい、と願っています。

 

2014年2月15日             羽生結弦君

 ソチの冬季オリンピックの男子フィギアで、高校生の羽生君が金メダルを獲り、日本中が湧いています。確かに、彼の4回転ジャンプは格好良い。4回転後の彼の腰は、高い位置にある。誤魔化しがない。10代ならではの運動神経の賜物でしょうか。

 彼が表現した演技もさることながら、私を感動させたのは、マスコミの質問に答える彼の言葉です。少しの奢りもなく、率直に、正直に、ありのままに自分を見つめ、語っています。

 「出発点に立たされた思いがします」、「被災された人々に、何らかの報いができたとすれば、これからこそが自分に課せられた使命だと、思っています」、「たまたま、仙台出身の荒川選手に続くことができて、仙台の皆さまに喜んでもらえて嬉しい」、「カナダのチャン選手のミスが、私のミスより大きかっただけの結果でしょう」

 純粋そのもののマスコミの質問に対する受け答えに対し、私は快哉を叫んで憚りません。

 自分に対する過大評価も、マスコミに対するオモネリなどもなく、ひたすら、自分とだけ向き合う感想を述べている彼の姿勢の純粋性に、私は驚くとともに、彼という人物の大きさに感動しているのです。

 どうか、どうか、この姿勢で、今後を貫いていって欲しい、と願うのは、私だけではない筈です。


2014年2月14日        選挙の結果を左右する公明党の存在

 今日は金曜日、シンシンと雪が降り積もっています。先週の金曜日も雪が降り出し、翌日いっぱい降り続いて、約20センチほどの積雪となりました。今回の雪も明日いっぱい降りしきるとの予報です。二週続けて日本列島がすっぽり雪に埋まるという、異常気象です。アメリカも、いま、三回目の大寒波に襲われているそうです。温暖な気候のフロリダまで雪景色だそうですから、この奇っ怪な気象現象は世界的規模のようです。

 先週日曜日は雪靴を履いて、投票に行きました。細川護煕と書いてきました。破れることは予想していましたが、第三位とは拍子抜けでした。

 舛添211万、宇都宮98万、細川96万、田母神61万。投票率は46.14%。率は戦後三番目の低さでありました。雪が災いしたのでしょう。仮に良い天気であったとしても、細川さんは負けたでしょう。敗北の最大の理由は公明党が自民党と共に舛添側に回ったことに尽きます。

創価学会員は全国で1700万人といわれます。日本国人口1億2500万の内、有権者数を仮に1億とします。すると17%が創価学会員となります、東京都の人口1200万人の17%は約200万人です。宗教団体というものは、信者の数を多めに発表するのが常、と心得、話半分としても、都内には100万人の学会員有権者がいるのです。学会員は投票にあたって、本部の指令どおりに動くそうです。

 それ即ち、「選挙は公明党の支持がないと負ける」ことを意味しませんか?

 その良い例が、沖縄名護市長選でした。有権者は3万人です。投票率が極めて高かったのは自明の理でしょう。学会員は5000人といわれていました。3万人の17%として5000人です。合っています。

 選挙結果は4000票の差で、反対派の現市長が勝ちました。最大の理由は公明党が5000人の学会員に対して、自由投票にしたことに尽きます。組織票を行使しなかったのです。

 その結果、沖縄県政はややこしいことになりました。沖縄県知事が辺野古への移転をOKしたのに、地元が反対するという図式になったのです。その原因は公明党にあり、と言わねばなりません。

 ならば公明党は、都知事選でも200万学会員に対して、自主投票にすれば良かったのであります。

 雪が降らず、寒くもなかったなら、無党派層がもっと選挙権を行使したでしょう。公明党が学会員に対して自主投票にすれば、小泉純一郎や、吉永小百合や、菅原文太や、瀬戸内寂聴が応援演説した細川さんが勝ち名乗りを上げたでしょう。

 たまたま、渋谷駅等で街頭演説を聞いた宮沢君が、私に携帯電話をかけてきて、「凄いよ、いま一万人ぐらい集まっている」といって、しばらく携帯の音で演説の有様を聞かせてくれました。

 ああ、やんぬるかな。
 


2014年2月9日                わんたん

 小林勝代さんが亡くなりました。永年、NHKの料理番組に出ていた方です。誰にでも作れる簡単料理をテーマにして、洒脱で、明るく、飾らない語り口で調理の実演をする番組は、人気がありました。何で私が彼女に興味を持ったかというと、彼女が教えるわんたんの作り方に、目からウロコが落ちた思いがしたからです。

 ラーメンに押されて、わんたんは二流か三流の扱いを受けていますが、私は、わんたんのあの、ツルっとした感触が堪らなく好きです。ひき肉を包み込んでいる小麦粉の皮が、薄ければ薄いほど、わんたんの味は引き立ちます。残念ながら、そういうわんたんを出してくれる中華料理店は滅多にありません。

 椎名誠の本の中に、半年間チベットに行っていた奥さんを空港に迎えに行って、ご自宅で二人でわんたん鍋を作って食べる場面があります。アメリカの東海岸、西海岸に住んでいる二人の子供たちが帰ってきて、久しぶりに四人揃って、自宅で食べる料理も、椎名家定番のわんたん鍋です。

 私はどうしたわけか、椎名誠が好きで、膨大な彼の著作のほとんどを読んでいますが、「一日一麺」をモットーにしている彼が、最後に行き着いたところが、蕎麦でも饂飩でもパスタでもなく、わんたんであることに興味を覚えました。彼の家のわんたんは具が煮え立ったところに、ひき肉を極薄皮に包んだわんたんを入れます。皮は極薄が条件だそうです。ツルツルの感触が何とも堪らない、と彼は書いています。

 山形県の日本海側に位置する鶴岡は、いまやワンタン麺で有名です。酒田にも人気店ができているそうです。一度行って食べてみたいと思うものの、麺が入ってしまえば、これはわんたんとしては邪道でしょうか。

 小林勝代のわんたんはこうです。適宜にダシをとり野菜、きのこ類を入れた鍋に、良質の豚のひき肉を入れます。そこへ極薄皮のわんたんを浮かべます。ひき肉を皮で包むという手間を省くのです。

 なるほどであります。薄皮の食感がわんたんの身上であるなら、これで十分なのであります。目から鱗でありましょう。他にも、彼女の考案になる手間をかけない料理は沢山あるでしょうが、永年に亘って放送してきたこの功績は、大いに称えられて然るべきではないでしょうか。

 私の仕事場には「旬の味を手早く簡単に」をモットーにして、テレビ朝日の「おかずのクッキング」で活躍した土井勝さんの「味」という色紙が掲げられています。

 今頃、あちらでは「小林さん良くやったね」と土井さんが労っているでしょう。

 

2014年2月7日            (続)オゾマシイ事件

 下記に記したオゾマシイ事件は、いま、新聞、テレビ、雑誌などでもちきりです。ただ、肝心のご当人が表面に現れてこないどころか、居場所さえ掴めていないようです。袋叩きになるのは決まってますから、きっと雲隠れしたままでいるのしょう。週刊文春は「ペテン師」と極め付けました。彼に連なった善意の人々は、いま、どんな気持ちでしょうか。

 日本コロンビア会社から回答がきました。長い文章だけが羅列するメールですが、要は、返品には応じかねる、という趣旨です。CD一枚の値段は3,260円でしたから、莫大な金額がコロンビアに入っている筈です。CDの原価などというものは、300円もしないのが普通です。悪いのは作曲家であり、会社には責任は存在しない、とその文章は主張しています。呆れ果てた企業倫理であります。

 私は、ペテン師どもが合作したCDを返品し、金を取り戻し、善意で私にくれた長男に返してやりたい、と思うのです。少なくとも彼は二枚以上買っているわけで、6,520円以上の損害が発生している筈です。

 あたかも、美談であるかのように、囃し立てた新聞、テレビ、雑誌その他の報道各社は、どう責任を取ってくれるのでしょうか? 広島市は「広島賞」の授賞を取り消しました。NHKは謝罪文章を出しました。他のマスコミはまだです。少なくとも、深く確かめもしないで、尻馬に乗って囃したてた責任について、報道各社は紙面や画面で謝罪すべきだ、と私は思います。

 最も罪の重い、CDの出版元である日本コロンビアが、莫大な収入がありながら被害者ズラをして「知らぬ顔の半兵衛」をきめこむなどというのは、許されることではありません。マスコミ各社は、そこのところに焦点を合わせ、日本コロンビアを追求すべきです。それがせめてもの罪滅ぼしです。

 しばらく、成り行きを見守りましょう。      

 

2014年2月5日            オゾマシイ事件

 机の上に一枚のCDがあります。大友直人指揮、東京交響楽団 交響曲第一番「広島」。
 作曲者は佐村河内守という耳が聞こえないというハンデイを持ちながら、幼い時に原爆をに遭い、それを元に作曲したというふれこみです。私の長男がこのCDを持ってきて、

 「オヤジさん、聴いてみな、凄いから。ベートーヴェンの再来だ。耳が聞こえないのに、これだけのものを作曲したんだよ。いま、売れに売れていて、16万枚を突破したそうだ」 と興奮しながら言うのです。

 早速、聴いてみました。だが、途中で嫌になって止めてしまいました。月並みな音の配列が目立ち、感動を伴はないのです。耳が聞こえようと、聞こえなかろうと、ハンデイがあろうと、なかろうと、音楽にはそんなことは関係ないのです。盲目のピアニスト辻井伸行が凄いのは、健常者以上の音楽性を持って、ピアノに向かっているからだ、というのが私の考え方です。

 今日、何気なくテレビを見ていたら、風貌だけは音楽家然とした作曲者佐村河内守自身が現れて、「交響曲広島は、私が作曲したものではありません。ゴーストライターに頼んで作曲してもらったものです」 と言っているではありませんか。しかも、ゴーストライターの顔写真まで映っています。 唖然としました。

 こういう欺瞞行為は、私に言わせれば「死」に値します。死んでお詫びしてもし足りない、実に、実にオゾマシイ出来事と言わねばなりません。「よくもまあ、おめおめと、記者会見などできるなあ、この糞ったれ」というのが私の感想です。

 人間社会では「勘定」を弄ぶ事件は、しばしば発生します。その場合の解決策は概ね「勘定」に委ねます。しかし、人間の「感情」を弄ばれた事件の解決策は、一体、あるのでしょうか? 時間を返せ、その時の感情を返してくれ、といっても、それは出来ない相談でしょう。それだけに当事者の罪は重いと言わざるを得ません。

 協力を惜しまなかった、指揮車の大友直人、それに、東京交響楽団の面々。善意の裏切りに腸が煮えくり返っているでしょう。16万枚売り上げた日本コロンビアの出方が見ものです。

 

2014年2月5日               負の連鎖

 東京都知事選の投票日が、4日後に迫ってきました。私は熊本の殿様の末裔でありながら、朝日新聞の一年後輩社員でもあった細川護煕さんに「清き一票」を入れる積りですが、恐らく、知事は舛添要一で決まるでしょう。
 厚労相の時の彼は光っていました。後期高齢者医療制度を改革する、と大見得を切りました。期待していましたが、そのままです。名前すら同じです。硬直した官僚組織の然らしめる所以でしょうか。それはそれとしても、彼の女性関係が気に入りません。片山さつきとの結婚生活中に、別の女性に子供を産ませています。そして、彼女ではない別の女性と住んでいます。家庭を律せない男に東京都の政事が務まるとも思えません。今や過去の人となった小沢一郎も、家庭からソッポを向かれました。

 細川護煕の街頭演説では、小泉純一郎元首相が獅子奮迅の活躍をしています。吉永小百合や、菅原文太まで応援演説しています。その点での人気度は一番高い筈ですが、でもダメでしょう。時の自民党が組織を挙げて舛添支持にまわったからです。「自民党は終わった」と宣言して離党した人間を、恥も外聞もなく取り込んだのですぞ。自民も自民なら舛添も舛添です。それなのに当選してしまうのです。

 それを可能にするのが、世の中の潮流です。竹島、尖閣に端を発した右傾化への潮流です。秘密保護法案、集団的自衛権の容認、そして憲法改正へ……

 安倍総理の12月26日の靖国参拝に対する世論調査では、良くなかった、とする者が46%でしたが、驚くなかれ、良かったとする者が40%もあったのです。

 政教分離は政治の建前であり、天皇さえ遠ざかっている靖国参拝を、憲法違反であるにも関わらず是認する国民的潮流……これが現実であります。

 つまり、国民は最近の中国、韓国の日本批判に怒っているのでしょう。「なにを、このクソバカやろう」 と内心では大いに敵愾心を燃やして始めたのではないでしょうか? 「やるなら、やってやろうじゃないか」という気持ちを40%という数字に代弁させているのではないでしょうか?

 私は、大学では第一文学部史学科西洋史専攻に籍をおきました。学んだことの一つは、「人類の歴史に戦争のなかった時代はなかった」ということです。ということは、「これからも日本人は戦争をする」というセオリーが、厳然として存在するのです。戦争の発端は、恐らく縄張り争いになるでしょう。獣も、鳥も、魚でさえ、自分の縄張りを死守するため、文字通り決死の覚悟で侵入者と戦います。いわんや、人間においておや。

 負へ向かっての連鎖は、石原慎太郎の尖閣買い上げ問題、野田総理の中国の対応の拙さに端を発しました。韓国とは大統領の竹島上陸から始まりました。互いに領有権を主張し、止まるところがありません。ということは、やがては武力行使の時期が来る、ということです。人間というものは、本然的に戦いを好みます。平和というものは、男は本来的に好きではないのです。争いごとの渦中にいつも身を置いていたいものなのです。困った存在なのです。

 瀬戸内寂聴が叫んでいます。「早く、誰かが止めないと、戦争になっちゃうわよ」  

 

2014年2月3日                撃退法

 今日は節分です。鬼を撃退する日です。世間では豆まきです。子供の頃はその役をやらされました。「福は内、福は内、鬼は外」、と声を出すのが何やら気恥ずかしかっのを思い出します。

 いま撃退したいものが二つあります。電話セールスと迷惑メールがそれです。

 本の製作という居職であってみれば、かかってくる電話に出ないわけにはいきません。貴金属投資、新規上場株案内、お墓のセールス、エトセトラ… そういえば振り込め詐欺もありましたっけ。
 その都度、私は声色を変え「ワタシ、イマ認知症デ、ナニモワカラナイノ」と言って、電話を切ります。これなら相手に対して失礼にならないでしょう。しかし、中にはこんなのもありました。もう一度電話がかかって来て、「認知症なら電話をとるな、このバカ!」

 迷惑メールも困ったものです。 ノートンという会社のソフトで仕分けして貰っているからいいようなものの、現在59、883通の迷惑メールの在庫があります。その上、未開封メールが17、601通。一日に200通ほど増えていく勘定になります。アドレスを替えればこの苦労から抜け出せる、とは分かっているのですが、おいそれと出来るものではありません。友人知人に新アドレスを知らせるのは簡単でも、友人知人に一瞬の戸惑いやお手間をかけさせててしまうでしょう。それは全く本意ではありません。

 詐欺まがいの商法が、公然とまかり通るインターネットの世界は、定めし現代の鬼ではないでしょうか。
 豆をぶつけたい心境です。 

 

2014年1月28日         司馬遼太郎のしょうもない短編

 私の家の近くに、練馬区立の図書館が三つあります。貸出自由なので二、三冊借りてきては、読み終えるとまた、行って借りてきます。便利であります。いま、借りてきているのは司馬遼太郎短編集です。光が丘図書館の一隅で見つけたものです。都合10巻、合計150篇ほどの全集です。興味津々で第一巻から読み始め、いま、第三巻の途中まで読み終わりました。

 初出は「面白クラブ」「小説クラブ」「オール読み物」「講談倶楽部」「週間サンケイ」などがほとんどです。いわゆる駄文であります。しょうもない歴史ものであります。これが、「坂の上の雲」「龍馬がゆく」「菜の花の沖」などの名作を書いた同じ作家のものか、と呆れるほどの駄作の行列であります。

 司馬遼太郎は1960年に「梟の城」で直木賞を取りました。伊賀の忍者を扱ったものですが、さほどの感動はありませんでした。短編集も同じです。暗いのです。扱われる主人公はほとんどがいわゆる下賤の人間です。町人では手代、走り使い、郭の付き人、武士とは社会的に認められない伊賀や甲賀の忍者、そして忍者の中でも最下級の下忍。舞台は大阪の下町、時代は江戸末期。薩長土肥が乗り込んできて、新選組を蹴散らす頃。いわゆる、英雄なんていうものは登場してきません。

 何故だろう、何でなんだろう、と訝りました。この大作家の初期の作品は何でこんなに暗く、やるせなく、不幸の連続なんだろう、と考え込まされました。

 そのうち、ハタと気がつきました。「歴史の中では虫けらのように扱われた人間に光を当て、その中に人間の普遍性を見出し、時代を俯瞰している」 という、いずれの駄文にも共通する真実があることに、です。

 司馬遼太郎こと福田定一は、大阪外語から産経新聞大阪支社に入社し、京都支局で寺社仏閣を担当しています。同僚だった緑さんと結婚し、生活のためもあってカストリ雑誌にまで駄文を載せたのでしょう。後年に至って数々の名作をものす、この偉大な作家の礎は、20代後半から30代前半にかけての駄文活動にこそあったのではないか。そう思って、膨大な数の短編集を読み進めていくと、「なる程、なる程」と頷ける箇所が多々あることに気付きます。

 先ず、史実に関する旺盛な知識欲です。文献に明るくなるにつれ、江戸から室町、平安、飛鳥、大化の改新に至る、人間往来、相関図などが、驚くべき緻密さで語られます。天皇、公卿、諸大名から下級武士、町人、下忍に至るあらゆる階層の人間模様が、1個の人間として光が当てられ、平等に語られていきます。

 時代という背景の中で、特異性のある人間を選び出し、縦から、横から、斜めから、その人物に光を当て、面白さを際立たせてゆく。それは勿論、創作的であっても、人間性の真実は、いまも昔も変わらないのです。

 「菜の花の沖」全5巻は、小倉での単身赴任時代、下関のアーケイド内の古本屋で見つけました。主人公の高田屋嘉兵衛に魅せられ、連続徹夜して読み切り、勤務に支障を来したことがありました。「坂の上の雲」もそうでした。司馬遼太郎の学識の豊かさ、時代を俯瞰し、その中で、それなりの生き方をする人物に光を当てて浮き彫りにする、したたかさ、そしてその魅力ある筆致。

 司馬遼太郎は、正に大文豪でありましょう。例え、初期の頃は駄文書きであったとしても。

 さて、その駄文とは言え、その才能の片鱗が窺われる短編集は、第三巻を読み終わりました。これから図書館へ行って第四巻を借りてきます。

 

2014年1月27日       凍てつくアメリカ 燃えるロシア

 今月初旬、アメリカが大寒波に襲われました。フロリダ、ロス、ラスベガスなど南部を除く合衆国のほとんどが気温マイナス0度以下、しかも、大雪、それに低気圧に依るブリザード。ニューヨーク、ワシントンなど連日マイナス7,8度。ミシガン湖周辺にいたってはマイナス20度。路面は凍結。航空機は当然離発着できず、欠航が約1万便。一旦は緩和されたものの、月末のいま、再びブリザードに見舞われています。

 地球温暖化を阻止するため、CO2などの排出削減を目的とするの国際会議が京都で開かれました。いまから17年前の1997年のことです。、一番消極的だったのがアメリカで、署名を拒否し、離脱してしまいました。続いてカナダも離脱。最も排出量の多いインドと中国は、趣旨に抗って、初めから入っていません。

 世界でいま、窒素酸化物や炭酸ガスを最も排出しているのが、アメリカ、中国、インドでありましょう。その三国が世界の趨勢に対して、ソッポを向いたのでした。

 いま、アメリカ全土を襲っている大寒波は、その仕返しではないでしょうか。こう言っては何ですが、「いい気味」であります。
 アメリカは穀物の輸出国です。冬期間にこれだけの積雪があった以上、今年は雨量が減少する筈です。大規模な旱魃が予想され、混乱は避けられないでしょう。「ざまあみろ」と言いたいです。

 中国は自らしっぺ返しを受けています。北京も上海も、太陽が朧にしか見えない公害都市になってしまいました。バンコックへの行き帰りに窓の外を見ていると、東シナ海を覆う雲がピンク色に変色して、沖縄列島、日本方面に流れています。当然朝鮮半島も影響を受けているはずであります。韓国は何で文句を付けないのでしょうか、理解に苦しみます。

 一方、ロシアは京都議定書には署名しています。燃えているというのは何か? それは際限なく起きている自爆テロです。折りからロシアのソチで冬季オリンピックが開催されます。ロシアの弾圧に抗議するには、絶好の機会でしょう。厳重は警備体制がとられているようですが、アメリカは軍艦を黒海に待機させました。万一の場合、アメリカ選手を保護するためだそうです。これは、いくらなんでもやり過ぎでしょう。プーチンさんの白い顔が怒りで真っ赤に燃えているはずです。

 

2014年1月4日             一里塚

 長男、次男一家、それに三男と従妹が集まる恒例の新年顔合わせは、今年、高校受験の孫たちの都合で、一日に変更になりました。キッチンのレンジ、冷蔵庫、調理台などの油を落とし、床磨きなどに励みました。一日はどの商店も休みになるので、31日の夕方、買い出しに出向きました。本マグとを含む握り寿司セット、黒毛和牛の特上肉、通常価格の三割高には目を瞑って、買い整えました。北海道の土田君が贈ってくれた、ボタンエビ、イクラ、イカ、ホタテ、サーモンは解凍して、二人の女の子の孫に手巻き寿司を作ってもらう予定にしました。長男、次男一家がそれぞれの嫁さんの実家を回って、我が家に着いたのが4時半。

 楽しい時間はあっという間に過ぎました。お開きの手締めの際、三人の孫に、今年の抱負を語ってもらいました。歴史学者を目指したい、色彩や造形の感覚を生かしたい、ブラスバンドのパーカッションは趣味にして、偏差値を今から5つほど上げ、医学関係の道に進みたい。これからの人生に目的意識を持ち始めた孫たちに、惜しみない拍手をおくらせてもらいました。

 宴の後片付けは、二人の嫁さんがキレイにやってくれました。

 翌日、一日中ボケーとしていました。テレビのバカ騒ぎを見る気は毛頭起きません。これはイカンと思いました。中断していた本作りのノルマを、昨日と今日、自分に課しました。おそらく誰も読んでくれない、友人らに送ったとしても、一笑に付されるだけの 「ジョーク集」 の製本開始です。明日のノルマも自分に課しました。

 一日の終わりに口に含む一杯の酒は、何もしないでいた一日では味が変わります。旨くありません。無為に過ごす日は一日たりともあってはならない、無理やり自分に言い聞かせているのです。

 ジョーク集が終わったら、何をやろうか、ホームページに掲載しているエッセイ集を纏めようか、それとも、新たな創作活動をしようか、これが新年の課題です。

 〈元旦や 冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし〉


2014年1月7日              大根サンカ

 産地直送店マルシュエで、三浦大根を見つけました。瑞々しい葉っぱも一緒にラッピングされていました。大きめの鍋底に利尻昆布をはり、上等の鰹節だしに味醂を少々、岩塩と薄口醤油で味を整え、あらかじめ水煮した輪切りの大根を加え、程々に煮えたところでいただきます。美味でありました。

 葉っぱはみじん切りにして、ゴマ油で炒め、ナンプラーで味付けをして、炊きたての「つや姫」ご飯に混ぜ込んでいただきます。美味でありました。

 一日で食べ尽くしてしまったので、翌日また、同じ一件を買い求めてきました。その時、気がついたのは、大根の葉っぱが同じように瑞々しかったことです。大根の葉っぱというものは、普通、一日でグンなりしてしまう、それ程敏感なものなのに、です。

 ラッピング以外の、何らかのコーテイングがされているな、と直感しました。

 九州小倉での単身赴任時代、買ってきたレモンが中々腐らないので、食卓において毎日眺めていたことがありました。一年間、見続けました。変化が起きませでした。驚きと共に、不気味でした。だから、呆れて捨てました。

 その時から、「あらゆる食材は空気によって腐る」 という原理を学んだのです。つまり、酸化という掟の存在に気がついたのです。食材の大敵は空気であり、空気に依る酸化を防げば、食材の寿命を長くすることが可能になるという、実に単純な事実を知ったのです。

 調べてみました。仰天しました。何と、ほとんどの食材には酸化防止剤が使われているではありませんか!

 ポリ塩化ビニールは透明性があり、主に果物、野菜などに使われます。リンゴがいつまでも光沢を保っているのも、ミカンやイチゴが瑞々しいのも、ビニールコーティングされているからでありました。青森県産の「コミツ」という糖度の濃い小リンゴをいただいたことがあります。半年間、そのままの状態を保っていました。高原トマトを買ってきました。冷蔵庫に入れておいたら二ヶ月もそのままでした。いま、トマトは土によって栽培されず、工場で生産されているそうです。ハイテク野菜工場では液体肥料がコンピューター管理され、大量出荷されます。キュウリもナスも野菜工場からのものがほとんどだそうです。当然、虫食い跡などありません。

 12月末日、フユ柿を三個買ってきました、季節ハズレで珍しかったからでもあります。それに、熟してトロトロになった柿を食べたかったせいもあります。ところが、二週間たった今も、固いままなのです。熟さないのです。だから、そのまま置いてあります。眺めていると不気味でさえあります。

 考えてみれば、人間が老化するのも、空気に依る酸化だという現実があります。果物や野菜がそうなっているように、空気を遮断できるコウテイング技術が、人間にも応用できるようになれば、老化から解放されるようになるのではないでしょうか。

 時代は恐ろしい勢いで変化しているのだなあ、と改めて思います。

 

2014年1月9日            ハイテク野菜工場

 ハイテク野菜工場とは、人手を使わず、一切をコンピューター管理する植物生産システムのことを言います。
そこでは土壌、つまり、土を必要としません。窒素、りん酸、カリ、その他ミネラルなど、水に溶かされ工場内を循環します。種まきから取り入れまで、人手を要しません。植物に必要な日光でさえも
人工光です。

人間の役割は、というと、コンピューターを見ているだけだそうであります。

 このシステムを国の最重要政策として推進しているのが、オランダです。海水面より低く、狭い国土しか持たないこの国が、今や、農産物輸出国になっています。その輸出総額はアメリカ、中国にひけをとらない第6位です。調べてみて驚きました。

 中国の農産物は、いま、世界中からつまはじきに会っています。高濃度の農薬に汚染されているからです。大量の石炭を燃やし、車の排気ガスにも頓着せず、ただ、生産性だけを追い求めてきた中国は、中国製のものは買わない、いわんや、農作物においておや、という世界的風潮にたじろいでいます。

 そこに目を付けたのがオランダです。ハイテク野菜工場のシステムそのものを中国に輸出し始めました。中国も国を挙げて奨励しました。13億4500万の民に農薬漬け野菜を食べさせるわけにはいかないからです。

ハイテク野菜が店頭に並びはじめました。レタス一個の値段が、通常野菜の5,6倍するそうです。それでも、飛ぶように売れるそうです。そりゃーそうでしょう。農薬漬けの野菜など、誰だって食べたくありませんもの。

 日本はどうでしょう? 3年前でハイテク野菜工場は127箇所 だったそうです。それが今は、400箇所を超えるとか。大企業までもが、そのシステムの独自開発に乗り出しています。あの松下、いまのパナソニックまでもが、新規参入し始めたのです。

 私は、ほんの少しですがパナソニックの株を持っています。松下通信の株だったのですが、松下に吸収合併され、株価は下落しました。10年間塩漬けになったままです。儲けた分は全て吐き出し、いま売ったら赤字となります。株主総会報告書には毎年目を通すのですが、その報告書の中にハイテク野菜工場システム構築を新規事業とする、という項目を見つけました。「おやおや、随分落ちたものだ」 とその時は思ったのですが、いまは違います。パナソニックのあらゆる技術を駆使して、オランダに負けないシステムを構築し、私の目が黒い内に株価を上げてもらいものだなあ、と願っているところです。

 ハイテク工場で作られた野菜や果物を食べるなんて、嫌だなあ、と誰もが思うし、私だって嫌です。

 でも、地球上の土壌は年々汚染され続けていくのです。しかもそこに、放射能汚染が加わったらどうなりますか? 地球はますます、ますます、汚されていくのです。でも、やっぱり、食べたくないなあ……

 

2014年1月13日            おせちを食べたら

 大晦日のことです。元日を待たずに三段重ねのおせち料理を、「ま、いいか」と食べ始めました。おせちは毎年暮れの30日になると冷凍宅配便で送られてきます。長男からの志です。こんな電話も来ていました。

 「今年もおせち送ったけどさあ。楽天からの案内につられて安いのにしっちゃったんだよなあ。余りひどかったら写真に撮っておいて。ワリイ、ワリイ」 

 毎年貰うのとそんなに遜色のないおせちを、長男 の気持ちに感謝しながら頂いているうちに、どうしたことか妙に気分が悪くなってきました。あまり経験したことのない気分の悪さに狼狽しました。これは寝るに限る、とベットで宇宙物理学の本を読んでいるうちに熟睡してしまいました。だから、除夜の鐘は聞かず仕舞になりました。

 翌朝、若水を汲み、仏様方にお茶を差し上げ、冷蔵庫からおせちを取り出しましたが、箸を付ける気になりません。おせちの中の何かが、昨晩の気分の悪さの原因かもしれない、と思えてならなかったからです。しかし、どの食品なのか特定できません。原因不明のまま半月が経過しました。

 今朝、IPADで、各種雑誌の新年号に目を通していたら、「添加剤まみれのおせち料理、身体への危険度」という記事が目に止まりました。「これだ!」 とガッテンしました。

 添加物はいま、あらゆる食品に使われています。仕方なく私たちはそれを許容しています。ところが、日持ちをさせるために、おせちには基準以上の添加剤が使われているというのです。

かまぼこ、練り製品、数の子には殺菌漂白のために過酸化水素が使われていました。

伊勢海老、車海老、アワビには酸化防止剤にジプチルドロキシトルエンが使われていました。

チーズ、ハム、ソーセージには発酵調整剤として硝酸ナトリウムが使われていました。

イカ、タコ、田作り、煮豆には防腐剤をして、ソルビン酸カリウムが使われていました。

キントン、伊達巻、厚焼き卵には酸化防止剤として、エルソルビン酸ナトリウムが使われていました。

イクラ、カニ、ナマコには溶剤としてプロピレングリコールが使われていました。 

そして、すべての食品の味付けにグルタミン酸ナトリウムが使われているのでした。

 これらの防腐剤、発色剤、漂白剤、安定剤、酸化防止剤は、人体に痺れ、下痢、嘔吐、発熱、血圧低下、不安感、腎機能障害などを誘発し、更に悪いことに発がん性がある、とのことでありました。

 さて、どうするか? もう、おせちは来年からは食べないことにしよう、とは思うものの、それでは、折角の長男の気持ちを無にすることになってしまう。長男に言うべきか言わざるべきか、今は、ハムレットの気持ちです。 

 

2014年1月16日            細川護煕さーん

 恒例の朝日旧友会新年総会が、今日、行われました。例によって、今年喜寿を迎える47人の名前を司会者が読み上げます。去年は私の名前も呼ばれ、大きな声で「ハイ!」とやったもので会場のドヨメキをかいました。司会者は47人の最後近く、「細川護煕さーん」と呼ばわりました。当然、出席はしていません。会場に、和やかというか、良くやるなあ、というか、しっかりやれよ、というか、そういう意味の笑いが起こりました。そうなのです。熊本の殿様細川さんは朝日新聞の社員でもあったのです。

 熊本県知事を勤め、新党さきがけを起こし、首相にもなりましたが、佐川急便からの一億円献金疑惑で僅か9ヶ月で首相を降り、その後の10年は陶芸三昧の日々を送っている、異色の同僚なのでした。このほど、小泉純一郎さんとタッグを組んで、東京都知事に立候補するという、離れ業をを演じ始めたのでありました。

 前任の東京都知事であった猪瀬直樹さんは、奇しくも、長野高校の後輩であります。徳洲会からの5千万円献金疑惑で、都議会で集中砲火を浴び、退陣となりましたが、残念なことに、脇の甘さを露呈してしまいました。惜しい人材であったはずです。

 元首相小泉さんは「この戦いは、原発なしの日本でいこうとする集団と、日本には原発は必要だという集団との争いである」と、今度の都知事選挙を一刀両断しましたが、小泉さん一流の「冴えた勘」には拍手を送りたい気分で一杯です。

 安倍総理の12月26日の靖国神社参拝が、中韓を問わずアメリカまでもが「失望した」という声明を発表しています。中江会長も、木村朝日新聞社長も、安倍政権の右傾化について、強い危機感を募らせていることが今回の総会で鮮明となりました。読売の88歳になる老害の主ナベツネが、政府の喚問機関「集団的自衛権行使」の識者会議の議長を務めていることも明らかにされました。〈中立を旨とすべき〉 が新聞の大義であるはずなのに、時の権力の中枢に居座り、巨大部数を笠にして自分の主義主張をゴリ押しするとは何事であるか! 義憤を感じてなりません。朝日、日経、毎日、そしてほとんどの地方紙、ブロック紙が中道路線であるのに対し、このところの読売は明らかに右寄りになり、政権の御用新聞か、というまでの書きざまがいたるところで見られるようになりました。産経は更に右寄りですが、これは、部数が全くといってないので、影響力は微々たるものでしょう。由々しきはナベツネです。心ある読売の友人はいつまでも続く老害を心から憂慮していました。

 「朝日は読売の88歳の爺さんに負けるわけにはいかない!」 木村社長は声を張り上げました。胸のすく思いがしました。

 恒例の喜寿該当者代表講演は、下村満子さんでした。アルバイトの通訳から始まって、ニューヨーク特派員、朝日ジャーナル編集長時代を回顧しながら、今なお、ジャーナリズム精神を持ち続けて、故郷である福島の再生のために頑張っていることどもを述べました。「この年になれば、もう、お金も、名誉も何もいらない。人のために尽くして一生を終わりたい」と結びました。現役の時は、少々僻目で見ていたのですが、見直してしまいました。

 懇親パーテイになり、専務取締役の飯田君、取締役販売担当の細見君らと、4月の消費税アップと同時に起りうるに違いない部数減にどう対処すべきか、議論を交わしました。先輩ズラをして能書きを垂れる自分を、ああ、俺も歳だなあと自嘲したひと時でありました。

 

2014年1月21日              オードリイー

 私のIPADには、映画では唯一「ローマの休日」がダウンロードされています。「最も好きな映画は?」と聞かれたら「この映画」と答えて、私は憚りません。「古いなあ…」と言われようと、何と言われようと、私はこの映画の哀愁というか、朴訥な新聞記者の男気というか、画面から流れてくるユーモアが好きで好きで堪らないのです。特に、最後のシーンの、王女の記者会見でのやりとり、そして誰もいなくなったドームを後にする新聞記者グレゴリー・ペックの靴音…、フェードインしながらフェードアウトする弦楽合奏の響き… 何度見ても、その度に温かい気持ちにさせられます。

 ローマへ行った時も、王女がジェラートを食べたスペイン広場へ行きました。同じようにジェラートを買ってオードリーが食べたようにしてみました。嘘をつくと、手首がちぎられる獅子の口に手を入れた時も、オードリイーを思いながらやってみました。 

 オードリイー・ヘップバーンが演じた映画のほとんどは、その後、見ているつもりですが、記者会見に臨む時の彼女の気品を凌駕するシーンはなかったのではないでしょうか。

 彼女が卓越した女性であることを示すのは、スイスジュネーブから50キロの寒村に家を求め、普通の小母さんになってからです。古くて大きな農家に住みつきました。一人で街へ買い物に出かけます。お気に入りのジェラート店でチョコレートを買い、行きつけのチーズ店でいつもの決まったチーズを求め、、野菜や果物を自分で選んで買います。村人はそれを優しく受け入れ、交流が芽生えます。

 やがて、女優の仕事は一切断り、ユニセフの親善大使となり、飢餓に苦しむアフリカの子供たちへの支援を全力で世界に訴えます。やせ細った子供を抱きしめ、子供たちの輪の中に入って、「どうか、この子供たちに支援を」 と涙を流しながら訴えます。それによって、どれだけの子供たちが救われたか!

 ガンに犯され、アメリカで手術はしたものの思わしくなく、彼女の希望によってジュネーブの田舎家に戻り63歳で、早すぎる人生の幕を閉じます。

 村人のほとんど、1000人を越す会葬者が別れを惜しんだといいます。地域の住民に愛されていた証拠でしよう。彼女が住んだ農家は人手に渡っているようですが、村には彼女を偲ぶ小さな記念館があります。墓前はいつも花が絶えないそうです。

 昨年5月、スイスへ行ったとき、最初に降り立ったのがジュネーブであったので、何とかオードリイーが住んだ家を見て、墓前に花を添えたかったのですが、叶いませんでした。

 日本の吉本のお笑い芸人にオードリイーを名乗る男がいます。ピンクのチョッキを着ていい男ぶったキザったらしい奴です。テレビに現れると反吐が出そうになります。「オードリイーを名乗るな、この野郎」 とテレビを他チャンネルに切り替えます。

 

2014年1月23日          腹の立つこと

 伊藤博文を暗殺した韓国の安重根を、韓国の英雄としてハルピンに銅像を立てて欲しい、と韓国の女性大統領が中国の習近平に擦り寄った話は、前にも書きました。歴史的事実としては、伊藤博文は韓国は韓国に任せるのが良い、という穏健派で、韓国併合を強行したのは後の軍部でありました。韓国に対する良き理解者であった伊藤博文は、言ってみれば、暗殺される理由などなかったのであります。

 博文の肖像画はつい先ごろまで、日本の紙幣でありました。日本の偉人であったことは、日本人なら押しなべて認めるところであり、暗殺される理由などなかったのであります。

 その偉人を暗殺した思慮浅い韓国人を英雄に祭り上げ、しかも、国境を越えて銅像建立を願い出るなどというのは、誤った歴史認識の然らしむる所以と言わねばなりません。

 ああ、それなのに、中国は、こともあろうに、安重根の銅像を含む記念館を設立したのでありました。日本人にとってこれほどの侮辱が有りましょうか! 腹が立って、腹が立ってならないのであります!

 政教分離が建前の日本にあって、天皇陛下まで参拝していない靖国神社へ、時の総理が参拝するなど、あってはならないのは自明の理です。天皇はA級戦犯が合妣されて以来、遠ざかっておいでになるのです。

 東大教授丸山真男の「現代政治の思想と行動」という本があります。当時、争って読まれました。東京裁判におけるA級戦犯の陳述を克明に分析したものでした。35人が35人とも、「上官の命令に従ったまでです」という異口同音の釈明を、鋭く追求した名著であります。続編もあります。日本の軍国主義の由来が見事に浮き彫りにされている、類まれな分析結果が散りばめられています。戦争責任は一体誰にあったのか?

 戦後の解釈は、正に、いろいろです。自己責任をとらない軍部の指導者たち、右翼は責任は国全体だと主張し、識者は責任は軍部そのものの体制的欠陥にあり、という真っ向から対立した議論は、今なお続いていると言っていいかもしれません。

 しかし、日本の軍国主義が、韓国や中国に多大の迷惑をかけた事実は揺るぎないものでありましょう。日本はそれを承知し、70年間の間に、それ相当の償いを韓国や中国にやってきました。これ以上、文句は言わない、という言辞まで両国から貰っているのです。

 それなのにです。まだ、足りないと両国は蒸し返し始めたのです。民族間の怨念は1000年たっても消えないとしたものです。「怨」ほど民族間の和解を拒むものはありません。

 それは分かるとしても、我が国にとっては偉人である伊藤博文を、こともあろうに、この偉大な人物を暗殺した下手人の記念館を両国が共同して立てるとは!

 日本、韓国、中国の民衆は、それを望んだのでしょうか? 私はそうは思いません。政治家同士の権謀術数が、産んだものと心得ます。三国には心ある為政者はいないものでしょうか?

 心から憂います。

 

2014年1月24日              ジャガイモ礼賛

 数多ある食べ物のの中で、いま、一番虐げられているものは、ジャガイモではないでしょうか? 何しろ安い。今日、産地直送店で買ったジャガイモは、10個入ったメイクイーンの一袋が180円、8個入ったキタアカリが200円。人相の余りよくない地元のものが15個で150円、驚くべき安さです。

 ドイツやその周辺では主食となっているジャガイモが、いま、なぜこんなに安いのか? 理解に苦しみます。

 現役の時、4年間新聞業務に従事した学生75人を引率して、デンマークの農家に民宿したとき、3日間の主食はジャガイモだけでした。キタアカリ、メイクイーンよりはるかに美味しくない小粒のジャガイモでした。ドイツに入って、ジャーマンポテトにありつきました。脂が入るとジャガイモは途端に美味しくなります。だから、私のジャガイモ料理も、最後はバターやベーコンを使います。

 買ってきたキタアカリを、5,6個洗って皮など剥かず、タジン鍋に入れて、レンジで7分間。ほくほくになったジャガイモの皮はすぐ剥けます。ベーコンを加えてもよし、そのままバターで食べてもよし、実に美味であります。しかも廉価。

 タジン鍋を知ったのは、ほんの7,8年前です。人参でも、セロリでも、玉ねぎでも、鶏肉でも、この三角鍋に入れてレンジすると、たちどころに蒸しあがります。素材の持ち味を生かす調理法ではないでしょうか。

 そういえば、オーストラリアの家庭料理も、蒸した食材がテーブルに山と積まれ、好みのドレッシングで頂く、極めてシンプルなものであったことを思い出します。

 今夜も、一日のノルマをこなし、小さなフライパンで群馬県川場産の塩味の薄いベーコンをサッと炒め、タジン鍋で蒸しあがったキタあかりのジャガイモを粗つぶししたものに、バジルや香菜を加えた一品を作りました。

 コップ一杯の積りのお酒が、一杯半になりました。

 

2014年1月25日           持続可能な社会

 ここ7,8年の間に、私は、北京、上海、台北、ヤンゴン、バンコック、チェンマイ、ホーチミン、ハノイの各都市へ行きました。つくづく思ったことは、この先、これらの都市は、都市として機能しているのだろうか? という素朴な疑問です。30年後、いや、5年後には交通トラフィックが限度に達し、都市として機能が麻痺してしまうのではないか? ということです。

 その根底にあるのは、際限のない人間の欲望です。隣が車を持てば、私も持ちたい。しかも、車は益々安く供給されるようになり、誰でも持てるようになっていきます。

 経済発展の指数をあげるために、公害問題などに頓着なく、人間の欲望の赴くままに放置している都市の典型は、おそらく上海でしょうか。バンコックがそれに続いているように見えます。車、車、車… バイク、バイク、バイク… 昔、北京や上海で走っているのは自転車でした…

 石炭、石油などの化石燃料が有限であることを、知ってはいても、人間の欲望を制御できないでいるのが、東南アジアの都市の現実です。

 つまり、持続可能な都市ではもはや無くなっている、と断言できるのです。人間の果てしない欲望のままに、全てが垂れ流しされている。そして、そう遠くない将来、都市機能が完全に麻痺してしまう…

 エネルギーを化石燃料に頼り、際限のない車の生産を許容していて、一体、都市の将来はあるのでしょうか?

 それに気づき、化石燃料にエネルギーに全く頼らない、新たな試みを模索し、実行に移す活動を始めた都市や街や村が出始めています。風力、地熱、太陽光、家畜の糞を発酵させるメタンガスなどなど。その顕著な例はドイツにあります。アメリカの中都市ポートランドも実績をあげつつあります。

 限りある化石燃料や、危険極まりない原子力に頼ららなければ、社会は永久に持続するはずではありませんか!

 原発輸出の業界の片棒を担ぎ、再稼働を容認し、日本を持続可能な国家にすることに耳を傾けようとしない安倍政権に、小泉純一郎元首相は刃を突きつけ始めました。「政治は、原発は日本ではやめる。それだけ決めればいい。あとは、学者や官僚がやってくれる」 

 そうすれば、日本も持続可能な国家になるでしょう。

お気軽に
お問合せください

お電話でのお問合せ・相談予約

03-3998-4086