2020年8月27日 パレスチナ問題
イスラエルとアラブ首長国連邦の国交樹立は中東諸国に驚きを持って受け取られています。中でも、千年以上も前からユダヤ人との紛争を繰り返しているアラブ人としてのパレスチナの怒りは凄まじいようです。それはそうでしょう。今まで味方だと思っていた国が敵方と握手したのですから。
ここで考えたいのは、イスラエルは1948年5月14日に国連総会で国家として承認されたのに、パレスチナがなぜ、国家が形成できないで、未だに自治政府のままなのか? という問題です。両国の人口比は次の通りです。イスラエルはユダヤ人5、137,800人とアラブ人1,439,700人、合計6,652,896人で構成されています。一方、パレスチナを構成するアラブ人は、イスラエルのガザ地区に1,428.757人、ヨルダン川西岸に2,466、000人、合計、約400万人が住んでいます。
一年半前にイスラエルへ行った時、望んでいたガザ地区へは行けませんでしたが、死海までバスで下るとき、パレスチナ人だけの町をつぶさに見ることができました商店はほとんど休業状態で、扉は落書きだらけ、人々の服装は貧しげで、至る所にゴミが放置されていました。活気が全くなかったのです。エルサレムの街並みとの大きな落差を感じました。一方、ヨルダン川西岸のパレスチナの土地は徐々にイスラエルのものになってきています。闘いで略奪するのではありません。莫大な対価を払って土地所有者から購入しているのです。最近も、2兆円の土地取引がありました。その金はどうなったか? 個人消費に使われ、パレスチナ自治政府の発展には無関係でありました。
飯山陽(あかり)さんという女性の中東問題の論者がいます。この方の「イスラムの論理」という本は 池内紀さんが絶賛した本でした。私も感動しながら読みました。この方の結論は、パレスチナは世界各国からの喜捨を当てにしてその日暮らしをしているだけで、指導者に人材を欠いている、だから、世界は既にパレスチナの建国を諦めている、というものでした。パレスチナ援助には日本の金もあったのです。
かつて、アラファト議長の頃は、パレスチナは建国寸前までいきました。オスロ合意が実行されれば状況は変っていたでしょう。しかし、パレスチナはいま、教育に熱心だ、と聞き及びます。優秀な人材がやがて現れて来ることに、期待をかけましょう。
手術室から 男が血相を変えて飛び出してきた
「どうしたんですか?
簡単な手術だから心配ないですよ
きっと上手くいきますよ」
「同じことを 手術室の看護婦が言ったんだ」
「それなら いいじゃありませんか」
「よくないよ 看護婦は私に
じゃなく 執刀する医者に言ったんだ」
2020年8月26日 軍国主義国だった日本
韓国の徴用工問題は、いまだ未決のまま推移しています。大統領は企業側からではなく、日本と韓国が話し合いの上、金を出し合って解決に導きたい、と提案していますが、日本は相変わらず話に乗ろうとしていません。1965年の5億ドルの支払いに含まれているとの、主張を繰り返しています。確かに、個人賠償は一切せず、国の復交とやらに全額を使ってしまった韓国政府のやり方に不備はあった、としても、この問題は当事者が生存する限り、敢えて言えば数代にわたる月日によって心の傷が消えない限り、両国が引きずって行く問題なのです。
1925年頃から敗戦の1940年まで、日本は異様とも言える軍国主義国家になっていました。「錦糸輝く日本の栄えある光、真に受けて」、「八紘一宇」を標榜し、他国民を見下す特殊な国になっていました。朝鮮の人々に極端な仕打ちをしても、何とも思わない風潮が確かにありました。韓国の人々が心の底に「日本への怨念」を持ち続けたから、といって何で咎められましょう。日本は今まで何回も国家を挙げて謝ってきましたが、それで済む、というものでもありません。人々の心から笵が消えるまで謝り続けなければならないかも知れません。
日本人はいま、1925年から1940年にかけての軍国主義国家日本が近隣諸国に対してどんなことをしでかしてきたか、その罪状を早く忘れ去ろうとしています。「そんな時代あったの?」とばかりに、新しい顔作りに懸命です。しかし、しかしです。虐げられた人々の気持ちは末代まで続くのです。
大日本青少年団歌(1941)
1) 若き者 朝日のごとく 新たなる
われら 大日本青少年団
ああ、御稜威 あまねきところ
空は晴れたり 空は晴れたり
いざ共に 聖恩の旗 仰ぎつつ
勅語を胸に われら起たん
2) 若き者 羽ばたき強く 巣立ちゆく
われら 大日本青少年団
ああ 希望 かがやくところ
力みなぎる 力みなぎる
いざ共に 皇国の明日 担ひつつ
御民の幸に われら生きん
2020年8月25日 お国言葉
今日の新聞で渡部恒三(88才)さんの死去が報ぜられました。薩長土肥に攻められた会津の出で、生涯を会津の言葉で通したことでも知られています。古い話ですが、白河の販売所長であった庄司重寿さんの娘の洋子さんの結婚式で、お隣同士になったことがあります。庄司さんは熱烈な社会党員でもありました。福島弁は会津と中通りと浜道りでは言葉のニュアンスが微妙に違います。会津弁丸出しの渡部さんの祝辞は会場をやんやと湧かせました。
仕事柄、東日本、九州を担当したお蔭で、その土地毎のお国訛りに接しました。青森・津軽では「何処へゆくの?」「お風呂だよ」は「とさ?」「ゆさ!」です。寒いからエネルギーを節約するのでしょう。岩手の南部では「でがんす」が言葉の最後に加わります。山形ではトンボは「アッケ」牛は「べご」です。秋田では「お年玉沢山貰って嬉しい」が「やしゃまんごじっぱりもろておもしえ」、新潟では相づちの言葉尻に「が」が入ります。「おめさん、そういうが」、、、、アヒルじゃあるまいし、「ガアガア」五月蠅いくらいです。東京に近い群馬、茨城、栃木、そして千葉、埼玉にもお国言葉がそれぞれ健在で、東北6県に負けていません。更に言えば、東京にも東京言葉が古くから存在しています。廓だった浅草吉原の言葉が今も使われているから驚きです。
仕事で鹿児島へ行ったときはビックリでした。地元の人の会話がサッパリ理解出来ませんでした。沖縄本島では、観光客の増加もあって、比較的、他県より標準語が話されています。ただし、古来からの琉球語があって年配者同志は今でも標準語を使いません。乙姫劇団という架設芝居小屋が今でも人気を集めていますが、一度覗いてみたものの、全く、全く分りませんでした。
ところで、沖縄には日本古来の万葉古語が数多く残っています。天の岩戸に天照大神がお隠れになり、扉を開けさせようと集まった神々が知恵を絞ります。女性の神が舞台へ出てストリップを始めます。宝登の開陳に及びます。神々はやんややんやの大喝采です。天照大神が何事かと岩戸を細めに開けたところ、タジカラノオノ尊が強引に岩戸を開け、昼が戻りました。宝登神社は今でも埼玉県秩父長瀞に存在しています。ご神体は「宝」だそうです。沖縄で、「ホー」、或いは「ホーミー」と言う言葉を発すると女性は顔を赤らめます。ところで、私のパソコン・ウインドウズ10はスタートと同時に画面に大きく「ホーミー」の文字が現れます。沖縄では売れないでしょう。
朝刊では、同時に、朝日新聞の名物記者だった柴田鉄治(85才)さんの訃報もありました。三年ほど販売局に来られた時もあって、親しくさせて貰っていました。今年いただいた年賀状は、文字が震えていて、弱々しかったので心配していました。お二人のご冥福を心からお祈りいたします。
奈良の遺跡から最も古い木簡が発見された
何やら、文字が書かれている
学者達が集まって、文字の解読に取り組んだ
一ヶ月後 やっと解読に成功した
それには こう書かれていた
「まったく 近頃の若い者は、、、、」
2020年8月24日 コロナは人間性まで破壊する(2)
コロナに感染した場合、都会では人が多いお蔭もあって、周囲の人から疎外されることは余りありませんが、田舎ではそうはいかないようです。岩手県は感染者ゼロを守ってきましたが、先月、第一号が発生し、その近親者達や会社の同僚10人余りが感染してしまいました。石油会社の社員だったようですが、みるみる売り上げは落ち、会社や、その同僚を含めて村八分同様の被害を受けているようです。岩手県知事は「とがめるな」と全県民に向かって発言しましたが、その効果は全く無いようです。徳島県では感染者宅に石を投げ入れたり、壁に落書きをしたり、全く犯罪者扱いのようだと、報道にありました。余りの非難を受けるので、体調を崩し、自殺に追い込まれた例もあるとか。その地域社会に住めなくなり、引っ越しを余儀なくされている例が無数にあるとか。
感染者を犯罪者の目で見て疎外する、この傾向は何も日本ばかりではありません。世界的傾向です。アフリカの低開発国では、感染者を寄ってたかってなぶり殺しにした例もあると仄聞します。
最近、こんな例がありました。長野の親友を囲んで東京から数人が車で集まり、清里や諏訪で楽しい一夜を過す機会を年二回やっていました。今回は塩尻まで行って彼の奥さんも交えて「馬刺しで一杯やらず」と持ちかけたところ、本人は快諾したものの、しばらくして断りの電話が入りました。東京ナンバーの車の人と会うと、後で何を言われるか分らない、私は遠慮するにしても、お父さんも行かないで欲しい、とのこと。 数日して「俺はいいども、女房には勝てんでなあ、申し訳ない」、達筆のはがきが舞い込みました。
年をとると 死ぬことが平気になる
因業な人も
優しい人も
みんな年をとって死ぬ
一件落着
世は平等
2020年8月23日 コロナは人間性まで破壊する(1)
コロナが、人間の循環器機能を破壊し、死に至らしめるばかりでなく、人間が本来持っている良きもの、例えば、信頼、信義、隣人愛、友情、向上心、奉仕の精神などを同時に破壊していることに私たちは気づかねばなりません。家に籠もって、人との接触を避ける余り、大事な隣人を「保菌者ではあるまいか?」という疑いを持って、極力、接触を避けようとしていないでしょうか?
更に、コロナ感染を恐れる身体的病は、お互いが作り上げた社会の仕組みまで直撃します。会議などはお互いに会うことなく映像で行ないます。企業は極端に雇用を縮小し始めます。加えて、営業利益の縮小に伴い人員削減を始めます。失業者が溢れ出します。職を失ってしまえばどうやって食べていけますか? ストレスの余り、自殺者が後を絶たなくなるでしょう。
一般的に、大きな事件や災害の後には、決まって、心を病む人が増えます。コロナ禍が始まって約8ヶ月が経過しましたが、景気後退による人的被害はこれからが本番となるはずです。ある学者は「このウイルス拡大が治まってから精神的苦悩の爆発と拡散が起きる」と予言しています。苦悩の爆発は貧困による自殺者の急増です。よしんば、感染していなくとも人間を死に至らしめる、その上、人間が築き上げた社会秩序を根底から破壊する、それがコロナです。私は、社会がコロナを恐れる余り、人間性まで破壊されていくことに耐えられません。
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2020年8月22日 大統領選
アメリカの大統領選が2ヶ月後に迫っています。共和党のトランプ、民主党のバイデンの二人の一騎打ちになります。4年前の選挙の際は、トランプは門外漢とみられていましたが、「この人はバカではない」と当選を予測した数少ない日本人の一人が佐藤優でした。
「アメリカファースト」を標榜したトランプは、前大統領のバラク・オバマの「八方良かれ」外交とは違って、中国共産党を悪の巣窟と見なし、思い切った中国外し政策に舵を切ったのは特筆に値するでしょう。ただ、中国発のコロナの世界的蔓延にアメリカともあろうものが対処を誤り、世界一の感染者・死者を出したことはトランプ失政と言っていいでしょう。
二ヶ月後の大統領選で民主党候補に指名されたバイデンは苦労人です。子どもの頃はドモリ、つまり吃音で悩みました。私も小学生の頃、吃音者でしたから、彼の当時の悩みがよく分ります。その彼は、24才で大学同級生と結婚しますが、29才で上院議員に選ばれた一ヶ月後、彼は車でクリスマスツリーを買いに出かけた際、交通事故で妻と、僅か1才の一人娘を失います。その上、二人の息子の内一人を46才で脳腫瘍で失います。これはどうでもいいことですが、彼の大好物はアイスクリームだそうです。
問題は、バイデンがオバマ時代の副大統領であったことです。オバマの「八方良かれ」外交の影のリーダーであったことです。中国共産党を「悪の巣窟」と断じて開戦も辞さないまでの数々の中国排除のトランプ政策を、彼が大統領になった場合、どういう舵を切るか、でありましょう。
一方、バイデンが指名していた副大統領候補は黒人系の女性です。ジャマイカ出身でインド系の血を引いています。カマラ・ハリスという55才の才媛です。黒人社会で成り立っているアメリカであってみれが、これは有利な条件と言えるでしょう。
それにしても、アメリカという国は、大統領を選ぶのに何でまあ大騒ぎになるのでしょうか? 何でまあ、膨大なエネルギーを注ぐのでしょうか? 私は今もって不思議でなりません。逆に何故、日本では国民一人一人が首相を選べないのでしょうか?
それは日本の選挙制度「小選挙区制」に由来しているのです。中選挙区制の当時は与党の二人が当選することは極めて稀で、野党もそれなりに当選者を出し得ていました。小選挙区制では、ほとんどの地区で当選者は一人になるのですから、与党が多数を占めるのは自明の理りです。こういう分りきった制度が自民の策略により大した論議もなく、暗闇で決まってしまったことに日本の不幸があります。自民党に席を置いてさえいれば、どんなぼんくらでも議員になれてしまうのです。アメリカのような二大政党が争う選挙は、中選挙区制に戻さない限り不可能でしょう。
安倍晋三の政権はそろそろ終りに近づいています。だからといって、「この人を総理に」と思える人が自民党内にいるでしょうか? 「熱狂するアメリカ」とまでいく必要はサラサラありませんが、日本もせめて二大政党制になって欲しいものです。それには選挙制度を中選挙区制に戻す以外にないでしょう。
分裂騒ぎの 民主党
過去完了の 自民党
金魚のうんこ 公明党
何でも反対 社民党
日本には向かない 共産党
饒舌多弁の 維新の会
化石の置物 小沢一郎
2020年8月21日 レバノンの爆発事故
イスラエルと国境を接し、地中海に面する国レバノンは4000年も前から中東では最も栄えた国でした。風光明媚であり、古来から「中東のパリ」と称されて多くの観光客を集めてきました。キリスト教徒も多く、イスラムと拮抗しているのに、何故か、国境を接するイスラエルを敵視し、戦火を交えていました。聖書にはユダヤ人をよくする国は栄え、敵対する国は滅びる、とあります。それを地で行くような事件が起こりました。ベイルートの港の倉庫に6年前から無造作に貯蔵されていた2700トンの硝酸アンモニウムが大爆発を起したのです。8月4日のことです。
135人が死亡し、4000人が負傷し、約10万人が家を失いました。そうでなくても、レバノンはヒズボラという革新勢力が暗闘を繰り広げ、政府機能は麻痺し、市民は一日千円しか銀行からお金を引き出せません。既に、国家として体をなしていない国になっていたのです。そこへこの追い打ちです。爆発の原因が一時、ヒズボラの仕業か、イスラエルによるものか、取り沙汰されましたが、作業員の不注意によるもの、と断定されました。内閣は総辞職に追い込まれました。デフォルトになった国は、容易なことでは復活出来ません。一方、イスラエルは爆発による負傷者をイスラエルの病院に搬送することを申し出ています。
私は、この事件により、またしても聖書の予言の不思議に思いをいたします。ユダヤ人に良くする国は栄え、ユダヤ人を排斥する国は滅びると言う記述です。端的な例がイギリスです。
16世紀のイギリスで、あろうことかユダヤ人のデズレリイが首相になりました。アングロサクソンがユダヤ人を指導者に仰いだのです。時、エジプトがスエズ運河の株を隠密で売りに出しました。秘かにフランスが名乗りを上げていました。それをロスチャイルドから聞いたデズレリイは即座にロスチャイルドに借金を申し出ました。400万ポンドです。ロスチャイルドが言いました。「で、質草は?」デズレリイが言いました「大英帝国!」 イギリスは東洋へ行くのに、アフリカの喜望峰を回らないで済むようになりました。インドもタイも中国もそして日本へもイギリスの船舶が往来し、イギリスは産業革命を成功させたのです。その後、東洋の各国はイギリスの支配から独立を果たし、その最後は香港でありました。イギリスの繁栄はユダヤ人であるデズレリイを首相に仰いだことから始まった、と言っても過言ではありません。改めて、聖書の予言の不思議に思いをいたします。
天国の その川は
密と 香乳と、酒が溢れ
天女が お相手して くれるそうな
だから と世間は言うが
私は 今ある 一杯の酒を選ぶ
現物は すべての約束に勝る
2020年8月20日 ユダヤ人
昨年1月31日の深夜、バンコックからイスラエルのテレアビブ行きの飛行機に乗り込みました。機内は大柄で髭を生やしたユダヤ人で一杯でした。トイレに立つと後部の通路に黒い帽子を被り、何やら経文を見ながら身体を揺すっている人が数人いました。テレアビブ空港に着陸した瞬間、機内は割れんばかりの拍手に包まれました。
最初の宿泊地はガリラヤ湖半のヒュッテでした。食事は母屋の二階のバイキングです。大皿に盛られた食材は豊富でしたが、魚類はあっても、貝、タコ、イカの類いはありませんでした。日本の寿司はここでも人気で、デコレーション化したものが、これでもか、と言えるぐらいに並んでいました。二日目の夜でしたか、ホテルのロビーは着飾ったユダヤ人家族達で一杯になりました。長老とおぼしき人の話に耳を傾け、歌を唄い、敬虔な祈りを捧げていました。ユダヤ教信者達の毎週の祈りの時だそうでした。
イエルサレムの「歎きの壁」は世界からの観光客で賑わっていましたが、日によって集まる人々が違います。確か日曜日がキリスト教徒、土曜日がユダヤ教徒、金曜日がイスラム教徒ではなかったでしょうか。訪れたのが、たまたま土曜日だったせいで、ユダヤ教徒で溢れていました。黒い帽子、上から下まで黒ずくめの男たちが、身体を揺すりながら経文を唱えていました。女性達は仕切られた反対側に集い、順次、壁に向かって頭をたれていました。その数、数百人。
ユダヤ教徒の経典は、旧約聖書と、紀元300年頃に作られたタルムードと呼ばれる規範書です。特徴は、イエスをキリストと認めないことです。アブラハムこそが救世主であると頑なに信じているところにあります。ところが、ユダヤ教徒の中にもイエスをキリストとして信ずる者が多数現れ始めました。この人達を「メシヤニック・ジュウ」と呼びます。イエルサレムだけでも3万人を超えているやに聞き及びます。
この時、イエルサレムのホテルに集まった日本人のキリスト教徒は200人を超えていました。主宰は相模大野教会の中川牧師です。二日間にわたるセミナーには多くのイスラエルの学者や牧師がメシアニック・ジュウの現状を語りました。
中川牧師は「中川牧師の書斎から」というユーチューブ番組をお持ちです。たまたま、昨日、それを見ました。中東問題について蘊蓄の深い中川さんですが、今回のイスラエルとアラブ首長国連邦との国交正常化について、手放しで喜びつつ、今後予想される中東の動きについて解説していました。実に鋭い、しかも、穿った捉え方をしていました。中川牧師が、イスラエルとユダヤ民族の来し方を将来について、専門の学者以上の学識と予見をお持ちなのを、改めて知る機会となりました。西洋の歴史はキリスト教の聖書への学識がなければ、決して語れません。
それだからこそ私も、聖書を学びつつ早稲田で西洋史を専攻したのでした。西の高原剛一郎、東の中川牧師、お二人のユーチュ−ブからは目が離せません。
明日のことを 思い煩うな
明日の悲しみを 忘れるのだ
明日は一瞬のうちに 今日となり
今日は一瞬のうちに 昨日となる
この一瞬こそが人生
2020年8月19日 高貴な人達
コロナの感染者数は、世界は元より日本でも留まるところを知らず、増え続けています。都市封鎖をして、人の往来を止めてしまえば感染を封じ込められるのに、多くの国はそれをしたがりません。なぜなら、経済活動が落ち込むからでしょう。日本もご多分に漏れず、「ゴーツートラベル」を実施しました。自民党の幹事長のセカンドフロアーは日本観光協会の役員であったお蔭です。
それにより、迷惑しているのは医療従事者ではないでしょうか? コロナ感染者のみの治療に日夜従事している看護師、専門医のご苦労はいかばかりでしょうか?
彼らは一日も早く、この仕事から抜けたい、と思っているのに、患者は後から後から運ばれてきます。「もう沢山だ、助けてくれ!」という悲鳴が聞こえて来てなりません。私たち国民は、日夜コロナと接して居る医療従事者の心を心としなければなりません。彼らこそ高貴な仕事のただ中にあるのです。自分と自分の家族の危険を顧みず、人の命を救うために全力で立ち向かう、つまり「自分を捨てて人に尽くす」その精神を毎日持続させながら、自分の命を危険に晒しているのです。
この、高貴な人達のご苦労を本当に考えたら、この人達を更に悩ますことが分っている政治政策など打てなかったはずです。よしんば両面政策をとるにしても、医療従事者に対する手厚い保護政策を同時に発動すべきではなかったでしょうか?
そこまで頭を回さない政治家ども。しかもその裏に蠢く利権がらみの嫌らしい動き。日本のコロナ感染者数はこれからも増え続けるでしょう。そして、医療従事者の数は増えないのに、患者数がうなぎ登りに増える結果になるでしょう。
医学部の授業に、数学の講義があった
「何で、こんな難しい数学をやらねば
ならないのですか?」
「人の命を救うためだ」
「人の命と数学は関係ないでしょう」
「出来の悪い学生を、医学部から追い出すためだ」
2020年8月18日 思い切り給うべし
今を去る1000年前、鎌倉時代に北条重時(1,198〜1,261) という将軍がいました。この武将は「極楽寺殿御消息」という100ヶ条の教訓書を残しています。今の時代にも通じる貴重な文献です。
第一条は「人としてによりて振る舞うべき次第」として、20代までは学習と鍛錬の時代であり、30代まではそれを更に伸ばし、人格を形成すべき時である。続いて、30代から50代は社会に対して責任を感じ、社会 に対して身を捨てる覚悟で奉仕すべき時である、としています。
さて、その先です。「 人間、60ともなれば、何事も打ち捨てて、ひたすら後生を願って念仏せよ。その年齢となったならば、例え、子どもが死に 、子孫が滅びようとも、心をこの世に止めることなく、そのことを、信仰を深める助けとし、自分はもはやこの世に無きものと、思い切り給うべし」とあります。
60才になったら、自分はもはやこの世に無いものと思い切れ、とは何と潔い言葉でありましょうか!
一方、現代にはこういう言葉もあります。「50,60花なら蕾、70,80働き盛り、90になって迎えが来たら、100まで待てと追い返せ!」
確かに、現代は医療の進歩もあり長寿社会にはなっています。男性の平均寿命は81才、女性は85才だそうですが、80を越えて尚、権力にしがみついている人間もゴマンといます。96才で、尚、現場に口出しをする「ナベツネ」などその最たるものでありましょう。私は思います。昔の60才は現代の80才としても「さて、80才ともなれば、何事も打ち捨てて、われ、もはや、この世になき者と思い切り給うべし」ではないでしょうか?
養生訓
小脂 多菜
小糖 多果
小塩 多酢
小食 多嚼
小精 多粗
小静 多行
小怒 多笑
小欲 多施
小煩 多眠
小車 多歩
2020年8月17日 快男児・白州次郎
敗戦後、しばらくしてアメリカとの間に平和条約が結ばれます。「サンフランシスコ平和条約」です。当時の首相・吉田茂は英語で読み上げる積もりでいたところ、大反対して日本語に巻物を急遽、作成したのが、当時、吉田茂の参与だった白州次郎です。彼は神戸中学卒業の後、イギリスのケンブリッジ大学を出ていますから、英語は達者でした。吉田は白州が達筆で書いた巻物を読み上げました。
女性関係が派手だった白州はですが、樺山伯爵令嬢だった正子と結婚します。高級車好きの白州は外車ランチア・ラムダに駆って新婚旅行に出かけています。政界にいたのは吉田が引退するまでで、その後、東北電力の社長に転じ、只見ダムを建設するなど実業界でも活躍します。軽井沢の名門コースの理事長までやっていました。死後、「葬式無用、戒名無用」とだけの遺言が残されていました。
夫妻が住んでいたのは、神奈川の外れ、鶴川の小高い丘の上の一軒の農家です。今でも「武相荘」として訪れる人を迎え入れています。7,8年前、私もその農家を訪れました。白州正子に昔から興味があったからです。彼女の古美術に対する審美眼は異様に高く、随筆も、また、飛び抜けて面白かったからです。彼女の美に対する眼力は当時付き合っていた小林秀雄や青山三郎に寄って開かれました。一時、銀座の並木通りに古美術の店を開いていました。たまたま、和服姿の正子をその店で見かけたこともありました。顔の大きな小柄な女性でした。無愛想には彼女の書斎がその膨大な蔵書と共に残されています。大きな机の前の窓を開けると隣の農家の石垣だけが見えました。「成る程」と痛く感激したことを昨日のように思い出します。来客があると彼女は決まっていなり寿司を供したそうです。ちなみに、白州夫妻の次男は小林秀雄の次女と結婚しています。これも「成る程」でした。
幼い頃は 師について一生懸命勉した
長ずるに及んで 自ら一心不乱に学び
その学歴は 誇らしいものになった
周囲にも認められて それなりの尊敬も集めた
だが この胸に去来するのは
次の たった一言
「水のように来て 風のように去る身だ」
2020年8月16日 国交樹立
アラブ首長国連邦はアラビア半島のペルシャ湾沿いに位置する7つの国からなる連邦国家です。人口は910万人で、首都はアブダビ、通貨はデルハム。ドバイはその連邦の内の一つで、海岸に立てば、対岸のイランが霞んで見え、大型のタンカーがひっきりなしに行き交っています。気温はいつも30度以上、飲料水は海水を濾過しています。有り余る石油のお蔭で、この国には税金がありません。教育費も医療費もタダ、男は必ずと言っていいほど髭を生やし、女性は全身黒ずくめで目だけを露出させています。イスラム教の国ですから朝早くから「アザーン」が鳴り響きます。マーケットには一日5回の祈りをするための部屋が、至る所に備わっています。
石油のお蔭で溢れるお金を、この国は都市の近代化に注いで来ました。世界一高いビルの存在もこの国ならではのものです。そのビルは巨大なショッピングセンターにもなっていて、チーズの売り場だけで一部屋が成り立っていました。日本の清酒のあらゆる銘柄が集まっていました。私は4年ほど前にドバイに行ったのですが、未だかつて、これほどの贅沢なマーケットにお目にかかったことはありません。
更に凄いのはこの国の国営航空です。ドバイのエミレーツ空港は余りに広くて地下鉄で行き来します。100人乗りのエレベーターで税関へ行きます。エコノミーなのに機内食も盛りだくさん、満喫できました。それに客室アテンダントが、何と美人揃いであったことか!
このアラブ首長国連邦が、アラブ諸国から除け者扱いにされていたイスラエルと国交を樹立しました。一昨日の大ニュースです。これは驚き以外ありません。なぜならイスラエルは1948年の国連承認による建国以来、アラブ諸国のすべての国と敵対関係にあったからです。中東関係は複雑です。大国のサウジアラビアとイランは実に仲が悪い。スンニ派とシーア派だからでしょう。しかし、両国は共にイスラエルと仲が悪い。アメリカはサウジとイスラエルとはいいがイランとは一触即発の状態です。原因の一つは核問題です。中東で唯一核を保有しているのがイスラエルです。アメリカのお蔭です。イランも既に持っているらしいのですが、アメリカが横槍を入れています。つまり、アラブ首長国連邦はイスラエルを通じて核の傘に入ったことを意味します。それはイランに対抗するためであったでしょう。
聖書によれば、ユダヤ人に良くする国は栄え、ユダヤ人を排斥する国は滅びる、とあります。「そんなバカな」と言いたいところですが、これは歴史が証明しています。実に不思議な現象ですがこれは事実です。アラブ首長国連邦はこれからもっと栄えるのではないでしょうか。
サウジアラビアでは 喉が渇くと
「ノムナー」へ入る
ギリシアでは おなかが空くと
「タベルナ」で食事する
オランダには そういう人ばかりではない
人が集まる「スケベニンゲン」
という避暑地がある
2020年8月15日 終戦の日の玉音放送
昭和20年のこの日、長野市の空は晴れ渡り、白い雲が漂っていました。前々日、敵機が襲来して長野駅の機関区が機銃掃射を受けたことが、話題になっていました。正午少し前、全員が中庭に土下座し、廊下中央に置かれた旧式のラジオを凝視しています。やがて、天皇陛下の声が流れてきました。「忍びがたきを忍び、、、、」ぐらいしか理解出来ません。やがて、全員が泣き出しました。母親の泣き声が一段と高く、庭の草や土を毟りながら泣き崩れていました。「矢っ張り、戦争に負けたのだ」と分りましたが涙は出てきません。そっと離れて、物陰へ行って空を見上げました。その時の空の蒼さと白い雲のカタチ、それだけは今も鮮明に心のまぶたに焼き付いています。何やらホットして、嬉しさがこみ上げて来たのをハッキリ覚えています。
戦時歌謡 「勝ち抜く僕等少国民」(1945年)
(作詞・上村数馬 作曲・橋本国彦)
1) 勝ち抜く僕等少国民 天皇陛下の御為に
死ねと教えた父母の 赤い血潮を受け継いで
心に決死の白襷 かけて勇んで突撃だ
2) 必勝祈願の朝詣 八幡様の神前で
木刀振って真剣に 敵を百千切り斃す
力をつけて見せますと 今朝も祈りを込めてきた
3) 僕等の身体に込めてある 弾は肉弾大和魂
不沈を誇る敵艦も 一発必中体当たり
見事轟沈させてみる 飛行機位は何のその
4) 今日増産の帰り道 みんなで摘んだ花束を
英霊室に供えたら 次は君らだわかったか
しっかりやれよ たのんだと 胸に響いた神の声
2020年8月14日 深夜、並んで新聞を買う
30年程前までは、新聞は貴重な情報源でした。新聞を取らない家は、ご近所の手前、恥ずかしい時代でした。今はどうでしょう? 新聞は、とらない、読まない、触らない時代になっています。電車の中で新聞を読んでいる人は、ほぼ、皆無です。コンビニにうずたかく積まれている新聞は、朝から夜まで減ることがありません。
ところが、深夜、新聞社の前に並んで、刷り上がってくる新聞を貪り読む人々がいます。「行列を作って新聞を買う」、そんな国が今どきあるでしょうか?あるのです。それは香港です。「デイリー・アップル」という新聞です。
この新聞社のオーナーはジミーライという中国人です。広東省の去る金持ちの2号さんの子として生まれた彼は、苦労しながら香港に渡って財をなし、新聞社を興します。一貫して自由と民主主義の立場を貫きます。香港にはもう一人熱烈な反共産党を標榜し、街頭デモの先頭に立つ若い女性がいます。アグネス・チョウです。
8月1日でしたか、この二人が同時に香港警察に逮捕され留置されました。アメリカを先頭とする自由主義陣営の反響は凄まじく、驚いた中共側は一日で彼と彼女を保釈します。あくまでも仮釈放だ、という条件付きで。
「デイリーアップル」はオーナーであるジミーライ逮捕の模様を余すところなく記事にします。アグネ・チョウの檄文を連日掲載します。携帯の小さな画面では分らない事象の優劣を、誌面は重大差に応じて市民に知らせます。
これが、深夜、市民が新聞社に押しかけて、争って新聞を買う理由でありました。今、世界は紙の新聞をそっちのけにして、小さな画面からの情報に満足しています。活字の大きさはほとんど同じです。だから、重大なニュースも、タレントのゴシップ記事もスペースは同じ扱いです。 だから、だから日本人は世界の事象に鈍感になり、重大な流れに無頓着になっているのではないでしょうか?
香港のこの事件、日本人のほとんどは無関心ではないでしょうか?芸能人のゴシップと同様に認識しているのではないでしょうか? お寒い感じがしてなりません。
髪の薄くなった老人が 理髪店へ行った
「ああ、痛ましい、惜しいなあー」
床に散らばった髪の毛を見ながら
老人が呟いた
理髪師が言った
「あのー、お持ち帰りなさいます?」
<余談> きょうの(8月13日)午後3時半頃、遅い昼飯を食べに「浜寿司」に行き、食べ終わって家に向かう頃、一天、にわかにかき曇り、夕立となりました。帰宅と同時に大雨となり、雷も鳴り始めました。仕事場から見ていると雨は面白いように黒々とした空から降ってきます。30分ほどで小止みになったかと思うと、突然、陽が射し始めました。気を良くして、小降りの雨に頓着せず、猫額のベランダへ出てみて驚きました。東の空に大きな虹が架かっているではありませんか。「虹を見るのは久しぶりだなあ」と思いながら見とれていると、「アッ」と、更に驚きました。虹の上にもう一つ虹が架かっているではありませんか。一方の虹ほど鮮明ではありませんが、七色の虹が、虹の上に架かっているのです。端から端まで完全に。東京の空で完全な二重の虹を見るのは、恐らく生まれて初めてではないでしょうか。
二重の虹は外側から薄くなり、30分ほどですべて消えましたが、さて、二重の虹は吉でしょうか凶でしょうか?ネットで調べて見ると、「吉凶、相半ばする」とありましたがどうやら吉の方が多いようです。「さてさて、東京と私の運命や如何に?」
2020年8月13日 雷
昨日の午後3時頃、空がにわかにかき曇り、雷が鳴り始め、大粒の雨が降り始めました。夕立です。余りのひどさに、電気の元栓を落としベットに寝転がりIPADを開きました。案の定、轟音が鳴り渡り、閃光が走りました。近くの電柱に落雷したようでした。練馬より酷かったのは「さいたま市」のようで、何カ所かに落雷があり停電になったそうです。「なーに、雷ぐらい」と昔からタカを括っていたのですが、恐い思いをしたことがあります。
ある夏の午後、栃木県那須でゴルフをしていたときです。怪しい雲行きになったなと思う間もなく、雷が鳴り、雨が降り始めました。ゴルフ場一杯に拡声器が「避難して下さい」とガナリ始めました。しかし、スコアは佳境に入っています。ここで止めるわけにはいきません。キャデイはハラハラしています。突然、轟音と共に周囲の高い木に火柱が立ち始めました。這々の体で、クラブを離し、靴を脱ぎ、ベルトを外し、雷に気づかれないように、避雷針のある避難小屋に逃げ込みました。聞けば、栃木県は雷銀座であるとのこと。ゴルフ場でかなりの人が被害にあっているとのこと。雷を避けるには高い木の下は、更に危険であること。衣服を脱ぎ捨て、腹ばいになっているのがいいこと。なぜ、腹ばいがいいかというと、身体に一つ付いていて外すことが出来ない金メのもが隠れるからだそうでした。閑話休題。
私の丘よ さようなら
芽花も抜いた 草笛を
青い空見て 吹きもした
私の丘の 青草よ
みんな元気で 伸びとくれ
遙か遠くの 街中で
私は いつも 思ってる
2020年8月12日 運
「ナショナル」を興した松下幸之助は、入社面接の時、「君は運がええ人かえ?」とだけ聞いたそうです。そして、「運のええ」人だけを選んで入社させた、と言われています。会社は大発展し「パナソニック」になりました。
8月15日、敗戦となり地方に分散していた集団疎開児童が東京に帰ってきました。しかし、両親、兄弟姉妹、既にいません。戦火に焼かれてしまっているのです。家もありません。度重なる空襲で焼かれてしまったのです。親類縁者も子どもの世話どころでありません。従って、身を寄せるところがありません。住むところがありません。全くのひとりぼっちになったのです。行政さえも子どもの世話まで手が回りません。児童達はやむなく上野の地下道に住み着きます。他に行くところがないからです。垢だらけ、シラミだらけになり、「お母さん!」と小さな声で叫びながら栄養失調で死んでいきました。
どれだけの数の疎開児童が死んでいったでしょうか! 生き残った地下道住まいの人達による「回想記」が今年も細々と出版されています。これらが、恐らく最後になるでしょう。なぜなら、疎開児童の最少年齢は国民学校一年生で、現在、既に83才になっているからです。
私が、松下幸之助から「君は運がええか?」と問われれば、即座に「私は飛びきり運のいい男です」と答えるでしょう。新井薬師の家は焼けても、母は戦火をかいくぐって、福島の山奥まで私を迎えに来てくれました。もし、母を戦火で失っていれば、私も上野の地下道の住人になっていたでしょう。運は全くの紙一重のところにあったのです。更に運は私について回ります。高校卒業までの長野での10年間、優れた教師と隣人に囲まれて多感な時代を過すことが出来ました。曲がりなりにも大学へ入り、一流と言われる会社で時を過し、年金をいただきながら83才まで生きながらえている、、多くの友人達が他界しているというのに、、私は本当に運のいい男なのです。
「あ、カラスが死んでいる!」
沢尻エリカが叫んだ
「どこ? どこ?」
安倍晋三は 空を見上げた
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