2024年2月19日   突入3年目                                                                                                                                                あと、5日すると24日、ロシアによるウクライナ侵攻が始まって2年が経過し、3年目に突入します。ウクライナの人口は4200万人です。このうち、どれだけの人が故郷を離れた地で、暗澹たる気持ちで3年目を迎えるでしょうか。新聞発表がありましたので採録させてもらいましょう。ドイツ114万、ポーランド96万、イギリス25万、オランダ14万、フランス7万、イタリア17万、オーストリア8万、チエコ38万、スロバキア12万、ハンガリー7万、モルドバ12万、ルーマニア8万、ブルガリア7万、ベラルーシ4万、ロシアへ121万、そしてわが日本へは2098人!

 これだけ多くの人が自分の故郷に住めずに、異国に移って不自由な生活を送ることを余儀なくされている、、、、何のためでしょうか!何の意味があるのでしょうか!、そうしなければならない訳があるのでしょうか! 

 思えば日本も同じ過ちを犯してきました。軍部の台頭を許し、大東亜共栄圏の旗印を掲げ、近隣諸国に迷惑をかけてきました。戦争ほど無意味なものはないのではないでしょうか。

2024年2月18日   ロシアという国                                                                                                                                                しばらく前、と言っても7,8年になりますが、新潟からウラジオストックに渡り、シベリア鉄道の旅を一週間続け、モスクワ、レニングラードへ行く旅を本気になって計画していた時がありました。いまでも、ヨーロッパへ行くときはロシアの上空を通過します。真っ暗な地上に時折、光が現われます。どんな生活なんだろうなあ、と思いは膨らみ続けます。

 大昔、ロシアという国が無くなった時代がありました。騎馬民族・蒙古に占領されていた時期です。250年も続きました。エカテリーナ女王時代、宮廷は怪僧ラス・プーチンに支配されます。明治時代の初め、ロシアが誇るバルチック艦隊が、乃木希典率いる日本海海戦でベタ負けを喫します。この顛末を書いた司馬遼太郎の「菜の花の沖」は何度読んでも、血湧き肉躍る名著です。

 「その仕返」とばかり、ロシアは相互不可侵条約を一方的に破って、昭和20年8月1日に一万の大軍で満州に攻め入ります。その数ヶ月前、ドイツのポツダムでロシアのスターリンを含む戦争当事国が集まって、日本に対する敗戦勧告がなされました。俗に、ポツダム宣言と呼ばれます。団体旅行でそこへ行ったことがありましたが、チャーチル、ルーズベルトに宛がわれた部屋より、スターリンの部屋が飛びきり上等だったことに驚きました。結果、大勢の日本軍人が捕虜となって厳寒の地で命を落としました。おまけに、千島列島をを始め樺太・北方四島がロシアに帰属させられました。この四島の返還交渉は、どれだけ続いてきたでしょうか? エリチン、ゴルバチョフ、プーチン、甘い言葉をぶら下げて、来日してはお土産を大量に貰って帰りました。進展があったでしょうか? 

 今もって、全くありません。議員の鈴木宗男は外務省分析官の佐藤優と組んで、交渉を取り付けるところまで行って、撥ねつけられました。不法行為があったという角で、佐藤優は512日間、豚箱に入りました。四島の返還交渉は進んだでしょうか?一島でも還って来たでしょうか? 思えば日本国は未だ、ロシアと平和条約を結んでいないのです。 

 一方、今回のナワリヌイの死は、世界的な話題になっています。世界各国の論調は驚きを隠せないほどシビアなものです。期待されるのはロシア国民の反発です。プーチンを失脚させるほどの力を示せるか?それが問われているのです。

2024年2月17日     ナワリヌイ毒殺                                                                                                                                            ロシアの反政権指導者で、刑務所に収監されていたアレクセイ・ナワリヌイ(47)が、昨日、死亡したと発表されました。プーチン政権批判の急先鋒で、大統領選挙が迫っている矢先、誰も、彼の死を獄中における自然死などではなく、明らかにプーチンの指令によって殺された、とみているでしょう。

 「自分に反対する者は毒殺する」プーチンはこれまでどれだけの自分に反対する者を殺してきたでしょうか。KJB組織上がりの彼にとって、証拠を残さず政敵を殺すのはお手のものでありました。彼は仲間であった人間まで容赦なく殺すのです。プリゴジンがそうでした。乗った飛行機に爆薬が仕掛けられ、彼は彼の腹心らと共に爆死させられました。

  ロシア国民は誰よりもプーチンの悪行に嫌気がさしているはずです。しかし、それを表に出すことははばかられています。何故なら、直ぐに逮捕され、収監されるからです。

 さて、三月はロシアの大統領選挙です。立候補者は、即、ナワリヌイになるかも知れません。

 一方、モスクワの街頭にナワリヌイを悼んで、花束の山ができはじめています。ロシア国民のせめてもの抵抗でありましょう。

2024年2月16 日   リクルート事件                                                                                                                                            神奈川県の川崎駅の西口は、いま、素晴らしい開発を遂げていますが、この再開発を巡ってある事件が勃発しました。リクルートという新参会社が便宜を図って貰おうと、上場が予定されている自社の未公開株「リクルート・コスモス株」をリクルート社長江副浩正は、密かに川崎市助役に差し上げていたのです。これを知った当時の朝日新聞神奈川支局次長の山本博は、「これぞ事件!」として神奈川版に大きく取り上げました。調べが進むにつれ、この新株を江副から貰った政治家が大勢いることが分ってきました。中曽根、竹下、宮沢、安倍晋太郎、森をはじめとする大勢の政治家、約100人。贈与した株200万株。新聞社にも波及しました。日経新聞の社長も貰っていたので社長を辞めました。朝日新聞の当時の社長一柳東一郎さんも、、、慌てて返したらしい、という密かな噂が少々ありました。

 政・官・財の大規模な疑獄事件と言っていい「リクルート事件」は川崎支局次長だった山本博なかりせば、公にならなかったでありましょう。何と、その彼が私の後任として朝日学生新聞社社長になったのです私が六十四歳の時でした。社長室の隣の部屋があてがわれ会長にさせられましたが、壁一つごしに彼の、ひっきりなしの咳が聞こえて来ていました。すると、まもなく、彼の訃報に接しました。彼のお陰で、「日中子供書道展」も中止となりました。彼は中国が嫌いだったのです。今となれば「先見の明」があったと、いうべきでしょう。

2024年2月15 日     官房機密費                                                                                                                                        永田町の首相官邸には大きな金庫があって、首相はその金を自由に使うことが出来て、領収書などは要らないようです。残り少なくなるといつの間にかお金は補填されている、というから、大したものです。同じような金庫は、首相の女房役である内閣官房長官にも与えられていますが、こちらの方は使用明細が必要とされています。

 ごく最近、甘利官房長官が更迭される一週間で毎日2650万円を使ったことで「何に使ったのか」、と問いただされ、書籍代としてことで更に問題にされています。言語道断なのは二階敏博! 幹事長通算5年の間に50億円使いました。この明細も書籍代!中には、自分の自叙伝の代金も含まれているのです。

 政治は同じ志を持つ者の政策集団によって動いていきます。ある意味で権力闘争でもあるでしょう。ところが、ここへ来て、政策とは名ばかりで、金離れのよい親分のグループに付く、という悍ましい実態が暴露されたのです。加えて自民党のほとんどの議員が裏金の脱税問題に関与している事実も明るみに出たのです。いま、政治は大きく揺らぎ始めました。

 

2024年2月14 日     三味線音楽                                                                                                                                        家の地下のピアノ室には、台湾の鼓弓、沖縄の蛇皮線、会津奥地の檜枝岐で平家の落人達が使っていた古代三味線などが無造作に置かれています。いずれ、処理しなければと思いながら、そのままになっているモノ達です。いま、歌舞伎以外に三味線音楽を聴くことがあるでしょうか?せいぜい、津軽三味線、沖縄民謡の蛇皮線が関の山です。さしもの芸大にも生徒がいなくなっているそうです。

 江戸から明治時代にかけて、三味線音楽は全盛でした。数千人の規模の吉原の遊女達にとって、三味線をつま弾くことは必須科目でした。柳家三亀松の粋な都々逸も、三味線と共にありました。いま、都々逸は三味線と共に消滅しています。

 私の伯母が杵屋弥奈登という長唄の師匠で、川崎の大島町で稽古場を開いていたことから、遊びに行っては三味線に触り、触っては唱っているうちに、「岸の柳」全曲を弾いて唱えるまでになりました。長唄といえども面白い、いい曲が沢山ありました。勧進帳、綱館、秋の色草、越後獅子、松の緑などなど。

 いま、長唄の稽古場、道場などあるでしょうか? 看板一つお目にかかることがありません。長唄、小唄、端唄、都々逸など、三味線音楽がテレビで流れることがあるでしょうか? せいぜい歌舞伎の公演か落語の前座ぐらいだけです。

 日本古来の三味線音楽の復活を、声を大にして叫びたい思いで一杯です。

画像の説明を入力してください

2024年2月13 日     河津桜                                                                                                                                    真冬とも思えない暖かい日が続いています。伊豆河津浜の桜が満開を迎え、大勢の観光客で賑わっています。特に多いのが、春節大移動で日本に押し寄せてきている中国人のようです。円安のせいもあって、高級品を爆買いしているやに報道されています。

 富士山と共に眺められる、この河津浜の桜並木は外国人に大人気だそうで、朝から夜中まで、ひっきりなしの賑わいだそうです。

 日本で一番早い桜の開花は、やはり、沖縄です。一月14日頃に満開を迎えます。小高い山のジグザグ道の両端に400本ほどの桜が植わっていました。そして、三月下旬から関東、四月が東北、四月下旬が弘前、、、、一番遅い桜は福島会津の山奥、五月上旬の、平家の落人部落檜枝岐の山桜です。

 買い物の帰り道、我が愛する向山公園の桜の様子を見に行きました。心なしか、つぼみが膨らんでいました。楽しみな季節、もう直です。

2024年2月12 日  小澤征爾の訃報(3)N響事件                                                                                                                                    1961年、私が丁度朝日新聞社へ入社した年でした。小澤征爾はかの有名なNHK交響楽団の客演指揮者に就任します。彼の岳父である江戸英雄らの尽力のおかげもあったらしいのですが、それはさておき、トンデモナイ事件が起きます。二十七歳の小澤征爾に対して、NHK交響楽団員全員の総意として「この男とは今後一切、演奏も録音もしたくない」という文書が天下に発表されたのです。

 原因は彼の世間知らずの発言でした。演奏を間違えようモノなら、容赦ない言葉を浴びせられました。楽団員の全員が彼より年上で先輩です。その上、小澤征爾は遅刻の常習犯でした。

 当時の識者、三島由起夫、石原慎太郎らが割って入りましたが、事態はそのまま、小澤征爾はいたたまれず、アメリカへ脱出します。ボストン交響楽団に救われます。それをきっかけに、ヨーロッパでも有名になり、ウイーンフィルを率いるようになります。正月恒例のウイーン楽友協会でのニューイヤーコンサートに初の日本人指揮者として登場もしました。

 指揮者と楽団員との軋轢で有名なのは、ベルリン交響楽団と指揮者カラヤンの事件があります。新規採用するクラリネット奏者を巡って、楽団員が拒絶するザービーネ・マイヤーをカラヤンは押し続け、楽団との間に軋轢が生じたのです。

 N響事件後、35年経って、小澤征爾は日本へ戻ってきて、日フィルを指揮し喝采を浴びました。松本におけるサイトウキネンでの活躍は周知の通りです。ただ、NHK交響楽団と和解が出来て、指揮したかどうかは、寡聞にして私は知りません。

2024年2月11 日  小澤征爾の訃報(2)                                                                                                                                    私が大事にしてきている本の一冊に、村上春樹と小澤征爾の対談集があります。作家で在りながら文学以上に音楽に詳しい村上春樹に驚かされた一冊でしたが、小澤征爾もまた、言葉の世界についても博識でありました。

 三井不動産社長の江戸英雄は早くから小澤征爾の才能に目を付け、同じ桐朋学園のピアノ科にいた江戸京子の婿養子に迎えます。ピアニストとしてもかなりの才能がある女性でしたが、小沢は飽き足らず離婚に踏み切り、音楽とは全くといっていいほど関係の無いロシア系ファッシヨンモデルだった入江美樹と再婚します。長女の小澤セイラはエッセイストとして、長男征悦はタレントになってはいますが、その才能は親譲りではないようです。

 先月末、江戸京子が八十六歳で亡くなりました。その後を追うように今月8日、八十八歳の小澤征爾が亡くなったのです。因縁ののあったお二人です。三途の川を渡りながら、どんな話しをしているでしょうか?

 今朝の朝日新聞は二面全部を使って、寄稿された村上春樹さんの追悼文を載せています。切々たる心情溢れる文章でもあったので、思わず目頭を熱くしてしまいました。天才の二人に共通しているのは、明け方に譜面を開いて頭の中に音を鳴らし、一方は筆を走らせる、ということでした。明け方起きるのは共通していても、直ぐにIPADのご厄介になる凡人の私と、天才達とは随分かけ離れた存在だなあ、と改めて思わされました。

2024年2月10 日  小澤征爾の訃報(1)                                                                                                                                    私が早稲田の学生で、アルバイトしながら自活していた頃、同じく桐朋学園で斉藤秀雄の教えを受けた一学生が、ギター一丁背にして、貨物船に乗り込み、ヨーロッパに向かいました。ブザンソンで毎年開かれている、誰でも参加できる「指揮者コンクール」に飛び入り参加するためです。美事、優勝しました。小澤征爾が世界的デビユーを果たした瞬間でした。

 斉藤秀雄は優れたチエロ奏者でしたが、一方、優れた指導者でもありました。大勢の音楽家が彼の元で育ち、世界的な活動で次々に名をあげていきます。その筆頭、小澤征爾が信州松本で「サイトウキネン・音楽フェステバル」を起こします。世界に散っていた斉藤先生の指導を受けた門下生達が一同に会し、オーケストラを編成して小澤征爾が指揮を執るのです。主催は松本市と信濃毎日新聞社他。この期間、松本には日本国中、否、世界中からの音楽ファンが集まり、その入場券はプラチナチケットとなっていきました。幸いなことに、信毎新聞社の販売局長に親友内山貢君がいたお陰で、チケット入手に苦労はしませんでした。印象に残っているのは、チャイコフスキーの交響曲「悲愴」、バッハの「マタイ受難曲全曲」、「ヨハネ受難曲全曲」小澤征爾はこれらの難曲を一度たりとも楽譜を見ずに指揮しました。不思議に思って、休み時間に舞台に近寄ってみると、指揮台には楽譜が置いてありました。しかし、小沢は一度たりとも譜面を明けずに、難曲の全部を指揮し終えたのです。驚嘆してしまいました。

2024年2月9 日  日本製エアーポート                                                                                                                                     遙か、南方洋上の離れ島、パラオのコロール島で日本が携わった国際空港が完成したようです。三十年近く前、羽田を深夜飛び立った小型機は、明け方、コロール空港に着陸しました。滑走路はまだ舗装されていませんでした。戦火が激しかった頃、コロール島、ペルリュー島は沖縄の人達の疎開先でした。終戦になってその人達は、アメリカの軍艦に乗せられて、焼け野原の沖縄本島に帰って来たそうでした。アメリカ兵からの扱いは、非常に親切だったそうです。

 まあまあのホテルに一週間滞在し、戦火の後を見て回ったり、海上レストランも経験しました。何のことはない、船底がガラス張りの漁船に乗って、箱弁当を頂きながら、現地の民謡を聴くだけのものでした。海は透明そのもので、しかも、満天の星空でした。ギターに合わせてパラオの民謡を唱いました。私が歌い出しました。「♫カルキム、ナイニムナイニム、カルキムナイニム、ルンバガトーヤ、ルンバガトーヤ、トーリータウワラキー、サバニガサバニガテマロニセ♫、、、、」

 肌の黒い船員達が驚いたのなんの、期せずして大合唱となりました。一方、見てはならぬモノも見てしまいました。それは、島の一角の海辺リに、うず高く積まれたパラオ住民がひり出したゴミの山です。開闢以来のパラオの人達がひり出したゴミ山でした。何とかしなければ、といいながら、何とも出来ないでいるようでした。それが今はどうなっているか? 見に行きたいモノだ、と思っています。

2024年2月8 日     車の悩み                                                                                                                                 十数年前、イギリスとフランスを結ぶドーバー海峡の海底トンネルで列車事故が起きました。急激に襲ってきた寒波によって凍ってしまったモータのままトンネルは入った列車が、激しい温度差によって変調を来し、海底で動かなくなってしまったのです。500人余りの乗客が閉じ込められてしまいました。救援列車が向かいました。同じような事故を起こし、海底で動かなくなってしまいました。最後にイギリスの鉄道に輸出され走っていた日本の日立製の車両が向かいました。寒暖差にびくともしない車体だったお陰で、全車両が海底トンネルから脱出出来ました。一躍、日本の日立はイギリスの救世主として脚光を浴びました。続々と日立車両の追加注文が舞い込み始めました。

 一方、世界の自動車産業は、期せずしてガソリン車を排除し、EV車製造に血道を上げ始めています。地球温暖化の元凶であるガソリンによる廃棄物を排除し、クリーンな電気自動車で置き換えようという流れが加速されているのです。この流れに最も熱心なのは中国です。日本のトヨタを駆逐するまでの生産台数を誇り始めよう、としていました。ところがです。中国全土に異常寒波が襲います。EV車が温度変化に弱いことが露呈し始めました。加えて、充電もままなりません。充電施設の建設が追いついていないのです。作るけど売れない、という状況が中国全土を覆い始めました。習近平による国策ですから今更手を引くわけにも行かないのでしょう。

 車の問題は私にもあります。25年以上お世話になってきたホンダのフィットなのですが、最近エンジンキーが抜けなくなったのです、旧い車なので既に部品はなく、修理もままなりません。下車する度にボンネットを開けてバッテリーを切断すれば何事もないのですが、いちいち面倒です。さりとて、新車にする勇気もありません。米寿を控えている私にとって、免許返納は時間の問題でもあるからです。

 EV生産に大号令を発してしまった中国の習近平の悩み、車への執着と愛着の狭間にいて悩んでいる男、世は様々です。

2024年2月7 日     ク エ                                                                                                                            こんな話が残っています。ある相撲取りに向かってに贔屓の金持ちが聴いたそうです。「お祝いに何でも叶えてあげよう。何が一番食べたい?」相撲取り曰く「アラ汁が食べたい!」数日後、いろいろな魚のアラで煮込んだアラ汁が届けられたそうです。相撲取りは失望しました。彼が望んだのは「クエ」という魚の煮込み鍋だったからです。

 クエという魚は、昔から高級魚として知られ、フグよりも美味だと言われています。温和しい魚で、昼は岩陰に隠れていて、夜になって活動します。産地は九州の五島列島の当たりで、今は、ほとんど取り尽くされ、滅多にお目にかかれなくなりました。

 小倉の西部本社に単身赴任中、博多駅前のビルも朝日のもので、私のデスクもありました。博多に泊るときは先輩から引き継いだ「吉岡」という小料理屋を贔屓にしていました。あるとき、カウンター席のガラスケースに巨大なクエが「鎮座」していました。いろいろな部位を刺身にして貰ったりして堪能しましたが、しかし、「アラ汁」が一番旨かった思います。実にまろやかにして上品な味だったのです。願わくは、もう一度、博多へ行って「くえ」のアラ汁を食べたい。

2024年2月6 日     雪景色                                                                                                                            みぞれかな?と、思っていた朝からの粉雪が、本格的な雪に替り、関東平野一面、積雪5センチ以上の雪景色となりました。日本列島全域が「白」一色となったのです。お陰で、飛行場は閉鎖され、列車の運休も続出し、高速道路の事故も目に余るモノがありました。さぞかし、雪に苦しめられている人々の溜飲が下がったことでしょう。

 同じ県でありながら、雪に苦しむ地区と、全く、そうでない地区が截然と分かれていたところ、それは5年間も担当させられた福島県でありました。国道六号線が突き抜ける浜通り、雪はほとんど降りません。四号線の中通り、白河、郡山、二本松、福島あたりでは雪害はマレでした。それに反して磐梯山の麓、猪苗代から会津若松、喜多方地区は、毎年雪に苦しめられていました。

 ある年の正月、会津若松で同地区の全従業員を集めての新年会が行われました。油断して、前もって会津入りせず、当日、東京から出かけました。郡山に着いたら大雪のため磐越西戦が全線不通となっていました。やむなくタクシーで向かいました。磐梯熱海までは何事もなかったのに、峠から先は猛吹雪になっていました。とうとう、猪苗代湖畔で立ち往生となってしまいました。そこへ運良く除雪車が来ました。訳を話し、除雪車に先導して貰い、漸く、窮地を脱出することが出来ました。会津若松の会場に着いたときは、会はお開き寸前でした。それでも用意されていた従業員さんのための記念品を、お一人、お一人に渡すことが出来ました。

 雪を見ると、そのときのことが懐かしく思い出されてなりません。

2024年2月5 日  国際社会の責任と日本の無能                                                                                                                            以下はニューヨークタイムスの見解です。

 パレスチナには人道支援を必要とする人々がいる。しかし、ガザはその人道支援をかすめ取りテロに転用するハマスに支配されてきた。もっと早く「UNRWA」に圧力をかけていれば10/7は起こらなかったかもしれない、と嘆いても意味は無い。しかし、いま、国際社会が動いて「UNRWA」に改革の圧力をかけることは未来につながるはずだ。

 惜しむらくはハマスがイスラエルに対する前代未聞の大規模テロ攻撃を実行してから、漸く、国際社会が一致団結した行動にでたことだ。

「UNRWA」のテロ支援には20年以上の歴史がある。2001年には「UNRWA」の運営する学校でハマス指導者が集会を開き、校長や職員がテロリストを賛美したという報告や「UNRWA」の施設がハマスの武器庫になっているとの報告をアメリカの下院議員が議会に上げているにも拘わらず無視され続けてきた。2008年にはUNRWA運営の学校の校長がテロ組織「イスラム聖戦」のためにロケット弾を製造していた事実が判明されたにも拘わらず無視された。

 また、2010年にはUNRWA職員100人以上が、ソーシャル・メデア上反ユダヤ主義を支持し暴力を肯定した、という報告がなされている。

 20年以上前から証拠はあった。しかし、国際社会はこれを無視し、「UNRWA」への資金提供を続けてきた。日本の外務省にいたっては、10/7以降も複数回にわたって「UNRWA」への追加支援を発表し、11/10には主要支援国としてこれからも支援を続けると宣言した。

 以上がニューヨークタイムズの見解であります。日本の外務省の情報収集能力の無さ、日本の中東問題研究者のいい加減さ、驚くばかりであります。すこしは、飯山陽さん、高原剛一郎牧師、中川牧師の真剣な姿勢を見習ったらどうだえー。(写真はハマスの幹部イスマニーヤ)

2024年2月4 日    非 道 (2)                                                                                                                         以下は時事通信の記事の転載です。

  国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)に対し、支援国10カ国以上が資金拠出停止を表明したことを受け、パレスチナ自治区ガザでは怒りと失望が広がっている。長年ガザを支援してきた日本政府も停止を表明。ガザ住民は時事通信の電話取材に「世界は我々を殺そうとしている。日本もその一員となったのか!」

 グテーレス国連事務局長「ガザ市民200万人が日々生き延びるためにUNRWAの援助を必要としている。国連は資金難で二月末にも活動中断を余儀なくされる怖れがある、と危惧している。

 ガザ北部から避難したガッサン・シードさん(33)はUNRWAだけが支援物資を提供する頼みの綱だった。誰かが関与していたとしてもガザ住民全部が罰せられるべきではない。日本は私たちに同情し、多くのプロジェクトをガザで行ってくれた。しかし、私の日本に対する印象は悪い方に変わってしまった。

 奇妙なことに、色々調べて見ても、支援金がどのように横流しされ、ハマスの財源になっていたかに付いての詳細な記事がありません。一方、ハマスの指導者達は、レバノンやシリアなどの高級住宅に住み、豪勢な生活を送っている、しかも、あらん限りの贅沢をしている、との実態について詳しい報道は詳らかにされていません。やがて、実態は、逐次、明らかにされていくでしょうが、ガザやヨルダン川西岸に住むパレスチナの人々に申し上げたい。あなた方を支援するために長年、続いてきた世界中からの支援金を横取りして、武器弾薬にする傍ら、豪勢な生活を送っているハマスの幹部達について、もっとよく知り、世界の人々に訴えなさい、と。自分達、つまりパレスチナ人は、ユダヤ人で構成されているイスラエルを抹殺しようとするアラブ人の集団に利用されているだけなのだ、ということを。

2024年2月3 日    非 道                                                                                                                             

 大阪の高原剛一郎牧師のユーチューブは、毎回、欠かさず目を通させて貰っているのですが、普段、冷静な彼が怒りに燃えて語った最近の出来事があります。それは、UNRWA(国連のパレスチナ難民救済機関)に拘わる国連職員の中に12人のハマスがいて、世界各国からの義援金のほとんどがハマスに流れていたという事実がついに暴露されたことについてです。横流しされた金で個人ジエットを機を乗り回しているハマスの幹部がいると云うから、ますますの驚きです。

 本来、この義援金は55万人の子供の教育費、150万人以上の難民への給付金、食料支援、また、保険サービス、メンタルヘルスと心理社会的支援の拡大、などに使われるものであるにも拘わらず、それへの出費は抑えられ、専ら、イスラエルと戦うための武器、弾薬、の強化に使われてきた事実が明るみに出たのです。

 この事実を知ったアメリカ、カナダ、イタリアが義援金を寄付を中止しました。多くの国が後に続きました。日本もやっと、70年続いた寄付を中止しました。

 高原牧師は、日本のイスラム学者達が、この事実も知らず、パレスチナ難民に対するイスラエル側の攻撃を「非道」と決めつける風潮にあることを、今回のユーチューブでは大いに嘆いていました。

2024年2月2 日    シューベルト                                                                                                                            

 歌曲集「冬の旅」でも有名なシューベルトに「二台のピアノのための幻想曲」があります。人間の一番深いところにある「心の扉」を叩くような連打で始まる名曲です。これを、女流美人ピアニスト姉妹・カチア・ブニアステビリとゲバントサ・ブニアステビリによる二台のピアノ演奏を聴いて以来、「トリコ」になってしまっています。

 なんとかして、一台で弾ける編曲はないものか、と心がけていたところ、あったのです。今日、ユーチューブで見つけました。四手で弾くところ二手で弾いているのを見つけたのです。ということは、楽譜も探せばあるはずです。

 シューベルトの幻想曲集には、速いタッチのものも数多くありますが、それでも、20年ほど前にヤマハ音楽教室に通って、全曲を上げていました。最近は1番と3番を復習しましたが、やり甲斐がありました。いま、好んで弾いているのは「冬の旅」の伴奏部分です。独特の味わいがあって、今の季節にそっくりです。

 

2024年2月1 日     節 分                                                                                                                        

 早いモノで今日から二月、あと二日すると節分です。焙烙で煎った豆を升に入れて、家中の戸を開け放ち、「福は内!」と三回唱えながら豆を撒き、今度は外の暗闇に向かって豆を撒きながら「鬼は外」と一回。家の者はその度に「ご尤も、ご尤も」と唱和しながらゾロゾロ付いて歩く。その後、心づくしのご馳走を頂く、、、、、

 長野にいた小学校、中学、高校までは、狭い家ながらこの習慣は続いていました。東京に来ての学生時代は流石に無理でしたが、家庭を持ってからは復活しました。年男の長男を先頭にゾロゾロ歩いていた時期が人生の花の時期だったように思います。この奇妙な習慣が受け継がれ節分を迎える家庭がどのくらいあるでしょうか。

 今日はピアノレッスン日。帰りにコンビニに寄って恵方巻き鮨を買ってきて、昔を思い出しながら頂きましょうか。

2024年1月31 日     納 豆                                                                                                                        

 現役で茨城県を担当しているときのある日、食堂で「納豆チャーハン」なるモノに遭遇しました。単に、チャーハンに納豆を混ぜただけの代物でしたが、それが意外に美味しかったのです。茨城県は納豆が本場です。水戸の定宿「竹葉亭」の朝食には、いつも、食べきれない量の納豆が出ました。爾来、朝食には納豆が欠かせなくなり、今日も頂きました。ところが、健康食品だとばかり思っていた納豆に、意外や意外、発がん物質が含まれているモノがあることをユーチューブから知らされました。ズバリ、中国産大豆を使った納豆は遺伝子組み換え物質そのもので危険だ、と言うのです。また、プラスチックス容器の中で納豆をこねてはいけない、タレと辛子は発がん物質が入っているので捨てた方がいい、などなど。

 それならいっそう、昔の納豆がそうであったように、「藁つと」に入ったモノにしようか、とアマゾンを開いてビックリ。納豆のオンパレードがそこにあったのです。しかし、値段を見てまたまたビックリ。藁つと納豆一本300円! 私が毎朝食に頂いている「国産納豆」は一パックたったの30円!さてどうするか?ハムレットの心境です。

 

2024年1月30 日     通常国会                                                                                                                        

 150日の会期で通常国会が始まりました。テレビを点けたら、丁度、上川女性外務大臣の所信表明演説の最中でした。議場を見渡すと真剣に聴き入っている眼差しはほとんど見受けられません。面は上げていますが目は瞑ったままです。明らかに寝ているようです。

 何故、演説内容をプリントにして、あらかじめ配っておかないのか、演説はその要点だけを短く伝えるだけにして、時間を短縮することをしないのか、「遅れているなあ」と改めて嘆息しました。

 人の話を聞く、というの一つの労働です。関心の無いことを長々と聞かせられるのは、一面、苦痛でもあるでしょう。だから、気持ちをそらさせないよう演説者は、笑いを採り入れたりする工夫を凝らして演説するのです。私自身、人前で話すことが数多くありました。その度に工夫を凝らしてその場に臨みました。

 一方、国事に燗する演説に笑いなどトンデモナイ、という声も聞こえます。それはそうでしょう。でも、デモです。次から次へと大臣が替わって演説をしているのに、ほとんどの議員が顔は表面を見ながら寝ているに違いない現実を、テレビで見せられると、一言、いいたくなる気持ちを抑えることが出来ません。

2024年1月29 日    アイアンドーム                                                                                                                     

 ロシアとウクライナの戦争は、この二月二四日で丸2年を経過し3年目を迎えようとしています。攻勢であったウクライナ側にもそろそろ疲れが出始め、ロシア側の巻き返しに耐えられるか、どうかが焦点となってきました。原因の一つが、NATO諸国からの武器弾薬援助に疲れが見え始めたことです。しかも、終わりの見えない援助でもあるので、嫌気が差し始めている、と言ったらウクライナに失礼かも知れませんが、それが厳しい現実でもありましょう。

 いま、ウクライナが痛切に望んでいる武器は何でしょう?それはイスラエルが所持している「長距離迎撃ミサイル・アイアンドーム」です。2011年からイスラエルが開発して使い始め、長距離弾、迫撃砲弾などを着弾前に迎撃してきました。

 ウクライナのゼレンスキー大統領は元々ユダヤ人。この武器の援助をかねがね要請してきましたが、イスラエル側がOKを出しません。何故か? それは聖書で言う「エゼキエル戦争」を誘発する恐れを懸念するからでもありましょう。2000年前に書かれた聖書の中に、ロシアがイランとトルコと手を携えてイスラエルに攻め入る、と書かれているからです。

 二月二四日で3年目に入ろうとしているウクライナとロシアの戦争。ロシアの大規模ミサイル攻撃で首都キーウが破壊されるか、イスラエルからのアイアンドームが許されて迎撃するか、 重大な局面に入ろうとしています。

2024年1月28 日    国連職員がハマスべったり                                                                                                                     

 ニューヨークに本部を置く国連の各種の機関の中に、「パレスチナ難民救済機関」俗に「UNRWA」という慈善機関があります。500万人を超えるパレスチナ難民を支援するために生まれた国連の中核機関であります。日本もこれに参加していて70年前から寄付活動を続けています。寄付金の累計は莫大な金額に及ぶそうですが、詳細は明らかにされていません。

 先頃、アメリカ、カナダ、イタリアなどがこの慈善機関への資金拠出を一時停止する、と発表し、実行に移されました。理由はこの機関の運営に携わる国連職員の内12人が「テロ組織ハマス」に拘わっていたことが判明したからです。つまり、ハマスのテロ活動の資金にパレスチナ難民のための義援金が使われたことが、明るみにでたからです。しかも、ハマス側の論理は、「パレスチナの平和はユダヤ人国家イスラエルが存在する限り訪れない。故に、義援金はパレスチナのために立ち上がっているハマスのテロ活動資金に使われるのは当然の行為である。」としています。

 この事実を俯瞰すれば、「UNRWA」に加盟し、義援金を贈っている国々は、ハマスのテロを容認し、イスラエルの国家としての存続を望まないもの、とされても仕方がないのではないでしょうか?

 日本の女性外相がイスラエルに乗り込みました。すなわち、国連職員がハマスであったことが分った以上、莫大な寄付活動を即刻中止すべきなのです。アメリカ、カナダ、イタリアに続くべきなのです。ああ、それなのに、それなのに、、、、

 

2024年1月27 日    鰯のつみれ汁                                                                                                                      

 鰯は、季節を問わずいつでも口に出来る有り難い魚ですが、寒いこの時期こそ脂がのっていて、特に美味しくなります。九州小倉で単身赴任中は、食事も自炊でしたので、小倉の旦過市場へ行って鰯を山ほど買ってきて、骨を抜き、身を叩いて団子状にして、人参、大根と共に煮て、鰯のつみれ汁を作り、小分けして冷凍庫で保存します。それを取り出しては、同じように冷凍保存しておいたカボス汁を掛けて、そそくさと朝食を摂り、歩いて15分の砂津にある本社へ出勤していました。

 当時、鰯は旦過市場で一匹30円、カボスも一個30円ほどでした。実に安い食事でしたが、贅沢なこともしました。ローランドのグランドピアノ型・消音器付きキーボードを120万円で買って部屋に置いたのです。毎日、レシーバーを付けてキーボードに向かうことを日課にして、それを守り通した小倉での単身赴任生活でした。

 この、キーボードは、いま、お亡くなりになった野尻孝篤牧師の奥様の明子さんが川越教会で使っておいでになるようです。いずれ、福島の大野教会で使って貰う積もりでいます。

 昨日はレストラン「屯田」へ行って、鰯のつみれ汁と、ウナギの小丼と、北海道ソフトクリームをいただきました。チケットの入手ができてホットしたからでもありました。ここのつみれ汁は実に美味しい。

 

2024年1月26 日    便利なコンビニ                                                                                                                   

 12月のクリスマスにかけて福島の教会へ行ったとき、デズニーランドの子会社の相談役の長男を介してデズニーランドの優待券を都合してもらって、大人券二枚を持参しました。佐藤牧師のお孫さんの子供券二枚は、行く日が決まったらお知らせ下さい、お送りいたします、と約束してきました。再び長男をわずらわすのも何なので、当方で購入してお送りするつもりでいました。

 メールが入って来ました。2月の26日、四人でデズニーシーヘ参りたい、よろしくとのこと。さあ、どうやってチケットを購入するか?スマホに金銭決済のサイトがあれば簡単、とのことですが、当方、トンと及びではありません。色々調べて見たら、チケットはコンビニでも買える、ということが分ったので、恐る恐る、近所のファミリーマートへ行きました。アルバイトのお兄ちゃんに伴われて小さな器械の前に立ちました。言われるままに指を走らせると、あらあら不思議、二枚の子供券がスルスルと出てきたではありませんか!2月26日の日付もきちんと入っていました。

 お兄ちゃんに寄れば、日本で行われる有料の催し物の券は、この器械を置いてあるコンビニであれば、どこででも購入するることができる、とのこと。知らなかった! 迂闊でした! 世の中は進歩していたのでした! 

2024年1月25 日    長野からの小冊子                                                                                                                    

 昨日、長野から一冊の小冊子が届きました。差出人は我らの長野高校「北7同窓会」の会長を初回から終わりまで務めてくれた若麻績侑孝君。彼は長野善光寺の住職で、管主の次にエライ役を長い間勤め上げ、しかも「淵の坊」という宿坊の当主でもあったので、天皇陛下を始め、多くの著名人との交流が在り、その顛末が小冊子に語られていました。

 実に多くの著名人が善光寺を訪れ、彼が管主代理としてお相手を務めていたことを改めて知り、「大変だったなあ」と改めて彼に言葉を掛けたくなりました。今は車椅子生活の小澤征爾も松本へ来る度に善光寺参りを欠かさなかったそうです。

 流石だ、と思ったのは、この冊子に「長野高校北7会」のことが一行半句も出てこなかったことです。思えば、彼が会長であったが故に、この同窓会は85歳まで存続し、一昨年解散したのでした。

 柳町中学では三年間、彼とは同じ組でした。お互い背が高かったのでいつも教室の後ろで隣り合わせでした。宿坊は信者の旅館でもあるので、彼の弁当はいつも白米で卵焼き、トンカツ、その他、豪華でした。それに反し、私のは麦飯に茹でイカ、野菜のかき揚げに決まっていました。当時、バレーボールが盛んで、市内中学校対抗戦がありました。私が前衛のセンター、彼が前衛レフト、善光寺仲店旅館の大塚君が中衛センターで、優勝を果たしました。

 思えば、戦後の混乱の中をどうにか生き抜いて、それぞれ人生の役目を果たし、今年は米寿を迎えようとしています。人生の一段落を告げる彼から送られて来た小冊子を何度も読み返しながら、若麻績君にどんなお礼の言葉を連ねる手紙を送ろうか、楽しんでいるところです。

2024年1月24 日    オバア                                                                                                                    

 沖縄の女性達は歳をとっても良く働きます。那覇の公設市場で働いているのは80歳から90歳になっている「オバア」達です。中には100歳に近い女性も働いているというから驚きです。その間、男達はどうしているかというと、昼間から泡盛を飲んで三味線を弾いているのですから、正に、男にとって天国でありましょう。

 沖縄の女性にとって「成年祝」という儀式があります。85歳になるとその儀式が盛大に行われます。赤いちゃんちゃんこを着せられ、大きな座布団の上に座らせられ、家族、親戚、知人からお祝いを受けます。人生最大の行事とされ、その日の出費のために女性はお金を貯めるそうでした。

 沖縄の女性は死ぬときも潔いのが大きな特徴です。死期を悟ると、自分の持ち物すべてを、親戚、知人に分け与えます。枕元には死に装束だけを残します。自分のモノ、一切合切を処分し、その時を迎えます。苦しそうなオバアに向かって「おばあ、水、飲まんね?」と聴いても「いらん、途中で粗相するから」と返されたそうです。

 そういうオバアがゴロゴロいるところ、それは沖縄北部の大宜味村あたりのようです。沖縄第二の都市名護を抜け、昔の今帰仁(なきじん)城の当たりを云います。この当たりの海は入り江になっていて、泳いでいる魚が見えるほど海は透明です。国鳥やんばるクイナを見かけることもあります。当然ながら「大嫌いな蛇はぶも」

2024年1月23 日    100万円                                                                                                                    

 朝日新聞朝刊の都内版の下の方に、毎日、能登災害への募金をしてくださった方のお名前が掲載されています。金額の大きい順であるのは仕方がないとしても、数日前、その筆頭に「100万円株式会社朝日イワキ」と出ていました。北千住の旭町の販売所長は、岩城武さんという大学出たての所長さんでした。読売読者を朝日にするため、25回も通った、という逸話の持ち主でもありました。江東六区を担当していた東大卒の原充(はらみつる)さんが、不慮の事故で亡くなりました。千葉県全域の海野武さんの助務であった私が、その後任に指名されます。海野さんは岩城さん直々に私を紹介し、よろしく頼む、と云ってくれました。岩城さんとは大学も一緒だったせいか気心も合いました。下町の朝日新聞の部数は面白いように伸びました。私が千葉埼玉を所管する販売第四部の部長の頃は、岩城さんは東京全販売店の頂点に立つ、連合会長でした。

 その岩城さんが残した息子さんや後輩達が、100万円も寄付が出来る「株式会社イワキ」を引き継いできていたのです。何とも嬉しいではありませんか!

 朝刊の寄付欄でその名と100万円の記載を見たとき、私は不覚にもこみ上げるモノを感じました、泉下の岩城武さんも、キット同じ気持ちだったでしょう。

2024年1月22 日    羹に懲りて                                                                                                                    

 「羮に懲りて膾を吹く」という古事があります。同じようなことが、今政界で起こりつつあります。パーテイ収入のキックバックを防ぐため、派閥を解消しよう、という動きです。既に、岸田首相の宏池会はそれを宣言しています。最大派閥の安倍派、二階派がどう出るか、が焦点でしょう。国会議員は議員としての過分な報酬を貰っています。その上、かなりの金額の政治活動費も加算されています。更に、パーテイ券のキックバックの数千万円です。問題はこのキックバックの金が課税対象から外されていたことが、いま、問題になっているのです。

 それだけの問題なのに、「派閥があるから、そういうことが起きるのだ」と、いつの間にか問題がすり替えられ、世論は一斉に派閥解消に向かっています。「羮に懲りて膾を吹く」の類いでなくて何でしょうか。          政治は、猿山の猿たちの頭目争いに似ています。派閥が大きくなればなるほど権力が近づきます。猿山の権力争いとそっくりです。

2024年1月21 日    月面着陸                                                                                                                    

 昨年9月に打ち上げられ月探査機「SLIM」が月面に着陸した、との報道が、日本全国の新聞第一面を飾りました。探査機の月面着陸は日本は初でも、世界ではソ連、アメリカ、中国、インドに次ぐ5番目です。だから、珍しくも何ともないのですが、日本も、漸く、先進国の仲間入りができたのですから、お目出度いことではあります。ただ、着陸できたはいいけれど、発電機が作動しなかったり、カメラが動かなかったり、色々、不都合が生じているようで、万事好調とは到底言えないようです。

 思い起こせば、月から持ち帰った「石」を見たのは数十年前の大阪万博の時です。岡本太郎の「太陽の塔」を仰ぎながら、押すな押すなの騒ぎの中、その異世界の珍物を「チラッ」とみることが出来ました。それだけでも、万博へ来て良かった、と思いました。余談ながら岡本太郎さんとはしばしば酒席を共にしました。新橋に後藤さんという酒屋の若いマダムが経営するサロンがあったのです。テレ朝の丸山さんの紹介で入会したのでしたが、当時の文春編集長や、各界の著名人と酒席を共にし、談笑することが出来ました。太郎さんはいつも助手と称する妙齢の婦人を伴ってきていました。

 さて、問題は3年後に予定されている大阪万博です。前回は月の石が目玉となり、太陽の塔もそれなりの魅力があって、行ってみてきた甲斐がありました。今回の、予定されている万博にそれらしい、人を引きつけるものがあるでしょうか。「空飛ぶタクシー?」そんなもの誰が乗りまか!

 巷では、万博に注ぎ込む金を能登半島の復興に回せ、との意見が溢れています。私も賛成です。

2024年1月20 日   片足スキー                                                                                                                 

 今日は思いのほか気温が低く、関東平野の山添では雪になっているようです。長野・松本から大糸線に乗り換え、信濃四谷に着くと、壮大なスキー場です。八方尾根という長野でも有数なスキー場です。リフトで頂上へ着くと、スキーの裏にシール(アザラシの皮)を貼り付け、唐松岳に向かって登攀開始です。その日は冷泉小屋に泊りました。翌日は快晴。右手には白馬三山、左手は五竜岳、鹿島槍の勇姿。漸く、尾根に出るとそこでスキーをデポし、6本爪のアイゼンに履き替え、氷を蹴散らしながら唐松岳の頂上を目指します。剣岳、立山が目の前にそそり立っていました。

 強風のため、頂上にいたのはほんの数分。下山の開始です。デポ地に到着後、アイゼンを外して、スキーによる滑降開始です。滑り出してまもなく、私としたことが、雪の塊の中にスキーもろとも突っ込んだ拍子に右スキーを折ってしまいました。さあ、大変。仲間は最初はかばってくれましたが、その日中に長野へ帰らねばなりません。夕闇が迫ってきました。「麓からの救助をお願いしておく、今日は信濃四谷に泊れ。宿代は前払いしておく」

 八方尾根スキー場に着いたときは夕闇が迫っていました。「おーい、おーい」という声が下から聞こえて来たときは、「助かった」と思いました。長野高校二年生の時の経験です。

2024年1月19 日     切実な思い                                                                                                               

 昨日のこの欄では、罹災者には一時避難をして貰い、新たな居住区の新設を提案しました。ところが、その提案が、いかに「絵に描いた餅」に等しいことなのか、改めて理解させられました。それは、罹災者の気持ちの問題でした。自分の住んでいた土地建物への執着心の問題です。

 テレビ画面に映し出されたのは、罹災者に対し、一時避難を勧める町会議員や市会のお偉方に対して、その勧めを、にべもなく断る罹災者の姿でした。見るも無惨に破壊された家であろうと、それは長年使い慣れた自分の所有物である、そこには思い出が一杯詰まった私の過去が息づいている、これらを無視して、新しいところへ行くわけには行かない。どんなに不便であろうがこれらを人任せにして、自分だけ避難するわけに行かない。

 なるほど、と思わされました。人間の複雑な心情について改めて思いをいたされました。となると道は一つ。自力復活です。行政はその復活を助成してあげればいいのです。資金面、資材面、労働力などなど、国を挙げて、罹災者が望むように応援してあげればいいのです。

あくまでも、罹災者がそれを望むような支援を繰り返しして上げること、それこそが支援の本質ではないか? と分かりかけて来ました。

2024年1月18 日     夢見る                                                                                                               

 地震と津波と火事に襲われた能登の惨状を見るに付け、果たして、復旧は可能だろうか? と心配になります。仮に、瓦礫は撤去され、再び家を建てる準備が整ったとします。しかし、問題は飲料水です。下水処理です、電気です、ガスです。どれ一つとして、生活にはなくてはならぬモノです。ガスだけはプロパンで何とかいけるとしても、水道は浄水場が必要となります。配水管を埋め直さねばならないでしょう。下水処理場とて同じです。その全部が地下処理施設です。電気だけは、かろうじて地上処理が可能ですが。

 こう考えると、地震・津波による被害者達が、元の生活を手にすることは「甚だ、危うい」のではないか、とお節介ながら考えてしまいます。しかも、被害に遭われた人々はほとんどが高齢者です。

 「なら、どうしたらいいか?」

 私は、全国の都道府県にある「老人ホーム」を公費で罹災者に開放して心ゆくまで住んでもらったらいい、と考えます。続いて罹災地の復興工事です。私有権は放棄して貰って、共同住宅を公費で建設します。水道、下水、電気、ガス工事など、強度の地震や津波にも耐えられるものに置き換えます。然る後、全国に散らばっていた罹災者は、懐かしい古里へ帰るのです。

 そうなったらいいなあ、と一人夢見ています。

2024年1月17 日  雪国                                                                                                              

 「国境の長いトンネル抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」有名な川端康成の小説「雪国」の書き出しです。作家でもあるこの小説の主人公は、雪国の湯沢温泉で芸者駒子と出会います。二人の仲は次第に深まっていきます。映画では岸惠子が駒子を演じていました。

 この「雪国」は数多くの俳優・女優によって演じられていますが、最初の岸惠子のものが飛び抜けていた、と私は思います。駒子が作家のために長唄を懸命に習うシーンなど泣けてきます。映画でも駒子が、つまり、岸惠子が長唄「越後獅子」全曲、必死で弾きまくるシーンを採り入れていますが、感動ものでした。一方、岸惠子は才女でもありました。「ベラルーシの林檎」というエッセイを朝日新聞から出版している程です。おまけに、彼女の芸者姿には、そこはかとない色気が漂っていました。

 清水トンネルを抜けると、そこは雪の世界です。スキー場が林立しています。湯沢、中里、岩原、丸山などなど、二年間の新潟担当を終わってから、仲間とどれだけ利用させて貰ったことか! でも、最後のスキーは新潟ではありませんでした。宮沢君が会員になっている清里のサンメドウスキー場でした。彼はそのスキー場の年間パスポートを持っていて我が物顔で滑っていました。負けているのは悔しいので、一から出直そうと、そのスキー場の教室に入りました。先生の指示に従って頂上から滑り出すと、大柄の男性初心者が背後からぶつかってきたではありませんか!二人とも7,80メートルは流されました。気がつくと首筋が痛い。雪上救急車が呼ばれ、救急車で長坂の病院へ運ばれました。首に大きなギブスを付けての帰京です。宮沢君は終始、私の面倒を見てくれました。

 爾来、私とスキーは縁遠くなりました。出来れば、もう一度、スキーを履いてゲレンデを滑り降りたい、これが今の願いです。

2024年1月16 日   GDP/四位                                                                                                              

 世界の国々の名目国内総生産GDPが発表されました。残念なことに、ずっと三位を張っていた日本が四位に転落していました。三位になったのはドイツでした。

 名目GDPとはその国が生み出すモノやサービスなど付加価値の総額をいいます。なぜ、ドイツが伸びたのか?それはロシアとウクライナの戦争のお陰で、エネルギー価格が極めて高騰したことが大きな原因のようです。そういえば、前任のメルケル首相の時建設された、ロシアとの天然ガスパプラインは戦争により破壊されたのでした。それもGDPを押し上げる原因になったかも知れません。日本の四位転落の大きな原因は、極端な円安にあるようです。

 かつて日本のGDPはアメリカの次の二位でした。確かに経済大国と呼ばれていた時代がありました。「ジャパン、アズ、NO1」という本が飛ぶように売れた時代です。次第に中国が頭角を現し、日本を抜き去りました。そして今度はドイツにも抜かれたのです。悔しいではありませんか!少なくとも今年は、頑張り抜いてドイツを抜きかえそうではありませんか!

2024年1月15 日    首相能登入り                                                                                                             

 霞ヶ関の官邸屋上から飛び立ったヘリは、その後、軍用基地で大型機に乗り換え、現地では石川県知事を同乗させ、輪島、その他の被災地を視察しました。膝を屈して被災者の話を聞き、1,000億円強の支出を表明しました。再びヘリに乗って空軍基地に、小型機に乗り換え、官邸屋上へ。合計10時間弱。ならば、仮設住宅に泊って、罹災者の苦しみを共有して欲しかった、と思うのは私だけでしょうか。

 一方、教育現場では問題が起きています。学校の校舎が避難所になっているため、学校生徒の学びの場所がないのです。災害の少なかった然るべき場所へ集団移転して、授業を受けさせようとしていますが、それには家庭から離れなければなりません。

 被災地における子供の教育問題。焦眉の急でありましょう。いやはや、問題は山積しているのです。行政の力によって、どこまで回復が可能になるか? 決して、人ごとと捉えてはなりません。

2024年1月14 日    台湾総選挙                                                                                                         

 台湾の蔡英文総統の後任を決める総選挙が昨日投開票され、中国との統一を拒む与党・民進党の頼清徳(64歳)が、勝利しました。票数は558万6,019票。一方、対中国緩和路線の国民党・候友宣の獲得票は467万1021票。40%対33%の僅差の勝利です。

 この結果から今後の推移を予想すると、中国と台湾との緊張関係は更に高まって行くのではないでしょうか? と言うことはこの先、台湾が中国の支配下に置かれてもいい、民主主義でなくてもいい、共産党の支配下になってもいい、とする人々約500万人もいるからです。この人達は、何よりも戦争を怖れているのです。この人達は、民主主義でも共産主義でもどちらでもかまわない、ただ、毎日を平和に過ごせればそれでいい、とする人達です。

 台湾の民主化を阻止するため、あらゆる手を打ってきた中国共産党は、今回の選挙で、恥をかかされる嵌めになりました。当然、次の手を打ってくるでしょう。しかし、問題は中国の14億の民衆が、今回の台湾の結果を、どう、捉えるか?です。中国本土では、一党独裁の共産党政治に数々の弊害が露呈し、民衆の怒りが爆発寸前、となっています。今回の台湾選挙の結果に、14億の民衆がどう反応するか?これが見ものです。

2024年1月13 日    株価急騰                                                                                                         

 東京証券取引所の株価・ダウ平均は、今年に入って続伸し続け、とうとう、35,577円になりました。驚異的な数字でありましょう。フェースブックを開くと、多くの識者が「あれを買え」、「これを買え」と囃し立てています。この現象の依って来たる所以は、日本に来る外国人旅行者が急増するにつれ、日本の堅実な面が改めて見直され、「日本株は買いだ」との認識が世界のトレーダーに認識され始めたことに由来しているようです。代わりに、韓国株、中国株が惨めな状態に陥っているようです。

 株取引は懐かしい。デイトレーダーとして、どれだけパソコンの前で一喜一憂したことか! 結局、地合が益々悪くなり、日経平均が8,000円割り込んだところで、店じまいせざるを得なくなりました。それでも400万円ほどの利益をたたき出し、日産ローレルの車一台を購入、ヨーロッパ旅行、イタリア旅行を楽しむことが出来ました。

 人間という者は、余程、欲深に出来ているようで、デイトレードに夢中になると、他のことには一切興味が無くなります。夢の中にまでグラフが現われてきます。地合が好転していることを良いことに、再び、デイトレードを開始しようか?

 いいえ、いいえ、貧しくとも、いまの生活の方がどれだけマシか分りません。

2024年1月12 日    再建する意志と力                                                                                                         

 主として日本海側の能登半島で、地震、津波、火事、                                                                                                        同時に襲われ、ビニールテント暮らしを強いられている人々が何と多いことか!それも、ほとんどが高齢者! 自力で家の片付けも出来ない人達ばかりです。唯一の頼みは自衛隊です。幸い、全国に散らばっている自衛隊に声が掛かり、大活躍しています。10年以上前の3月11日のときも、そうでした。何しろ現地は高齢者ばかりで、力仕事など出来るわけもありません。

 問題はこの先です。失った家を再建する力が、罹災された高齢者の方々に残っているでしょうか? かといって、何時までもビニールテントにいるわけにもいかないでしょう。

 遅ればせながら、明日13日、岸田総理が現地へ赴きます。遅すぎましたが行かないよりいいでしょう。何とか、現実に即した、高齢者にとっても希望の持てる施策を発表して貰いたいものです。

2024年1月 1 1 日       八代亜紀さん                                                                                                 2011年の東日本大震災で、太平洋沿岸住民が苦しんでいるとき、数千枚の「畳」が熊本県八代市から届きました。送り主は本名橋本明代、演歌歌手、女優、タレント、そして画家でもあった八代亜紀でした。

 彼女は15歳の時から歌に馴染み、一時、バスガイドになりますが、上京してクラブなどで歌い始めます。仲間に五木ひろしがいました。独特の情感が漂う彼女の歌声は、次第に一世を風靡し始め、今では押しも押されぬ歌手になっていました。その彼女が昨年末、12月30日、黄泉路へ旅立ちました。まだ、73歳でした。病名は膠原病指定の難病と言われる「抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎」加えて「急速進行性間質性肺炎」であったそうです。

 古今東西、歌手は大勢います。特に演歌歌手は日本独特なもので私自身、多くの歌手が歌う演歌を聴いてきました。中でも、八代亜紀の歌は好きでした。「♫お酒は温めの燗がいい、♫肴はあぶったイカでいい、、、、」何度聞いてもシミジミします。

 しかし、しかしです。神様は何でこの素晴らしい女性に難病指定の膠原病を与えてお召しになったのでしょうか? 理解に苦しんでいるところです。

2024年1月 1 0       汚い顔                                                                                           数ヶ月前に「汚い顔の典型」として、この欄で松本人志を取り上げたことがありました。ところが、再び取り上げざるを得ない事態になりつつあります。それは、週幹文春が先週号に続いて、今週号も彼のセックス・スキャンダルを大きく取り上げたからです。彼は、それに対して「一切の活動を停止し、汚名を晴らすために全力で文春と戦う、と宣言しました。

 返す返すも残念なのは、我が朝日新聞社が、彼が売り出した頃、続けて二冊も本を出したことです。確かに、彗星のように現われた彼は才能豊かに見えましたし、その活動は耳目を集めはしました。異様なまでに高まった「関西・吉本芸能集団」と共にその実権を握り、従来のボス・中田カフス・ボタンを追いやってしまいました。と同時に、彼の顔もヤクザの典型のように変わったのです。無精髭を生やした色の悪い顔色。油断ならない目つきと薄ら笑い。彼の下劣な品性を暴露した文春との戦い、世間はやれやれと嘆息しながら見つめることでしょう。

2024年1月9日   仏間の線香                                                                                               田中真紀子が外務大臣、田中直紀が防衛大臣だったころ、こんなジョークを作ったことがあります。

 「田中真紀子と田中直紀は似たもの夫婦だが、一つだけ違うことがある。それは何か? 真紀子が何か言うと、言葉は直紀の片耳から入って片耳に抜けるが、直紀が何か言うと、言葉は真紀子の両耳から入って口から出てくる」

 また、真紀子は当時の総理候補3人にこんなあだ名を付けました。菅義偉を問屋の番頭、石破茂を納豆餅、岸田文雄を冷凍透明人間。

 真紀子が外務大臣の時、北方領土問題で鈴木宗男が越権行為を犯し、それを支持していた同志社大神学部卒の分析官佐藤優を、512日間豚箱へ送り、佐藤は外務省を辞め評論家になりました。鈴木宗男との交流は今も続いています。なお、佐藤優は無類の読書家でもあり、ロシア支持者でもあります。なぜ、真紀子は彼をかばいきれなかったのか?それが出来ていれば景色は変わっていたでしょう。

 その真紀子・直紀が住む目白の日本女子大前の、豪壮な田中邸が昨夜火事で全焼。仏間の線香が原因だそうです。角栄さん、嘆いているでしょう。私も朝晩、仏間で線香を灯しています。気を付けなければ。

 

2024年1月8日     まず、現場を踏む                                                                                             昨日は、日本海側の地震津波による大被害が起きて丸一週間。テレビ報道があるお陰で、日本国民のほとんどは、事態の推移を見守ることが出来ていますが、不可解なのは政治家の動きです。ただ一人を除いて現場の視察を行っていません。被害の大きさをこの目で確かめるため、被災者を励ます言葉を発するため、超党派でいいから、ヘリに乗って現地に行った政治家はいたでしょうか? 一人もおりません。

 滑稽なのは、岸田首相以下主要閣僚達が、作業衣を着込んでいることです。作業衣は現地で着るものです。行く気が無いなら作業着は脱いで下さい。作業着が泣いています。それより何より、能登半島を中心とする北陸の人達は、地震や山崩れで家を潰され、津波で家を流され、着の身着のままで、仮設の避難所で、寒さに震えながら、寝泊まりしているのです。避難している人達は、何か悪いことをして天罰が下ったのでしょうか? いいえ、そうではありません。極く善良な人達です。不幸にしてその人達が災難に遭われたとき、ワレワレはどうすべきでしょうか? 不幸にしてワレワレにはどうすることも出来ません。でも、ワレワレは国家に対し税金を納めています。これは相互扶助のためのお金です。政治家を養うためのお金ではありません。国民の中に不幸な目に合われた方がいたなら、その人のために使うお金です。

 政治家達よ、これだけの災難が国民に降りかかっているのに、よくもまあ、平然として新年を送っていられるものだなあ。野党の皆さんよ、何で結束して、視察、救援の先頭に立たないのですか?

 能登の人々は自らが招いた災害に遭っているのではないのですぞ!地震列島日本のどこにでも起こりうる災難に遭っているのですぞ!

 人間であったら誰でもお見舞いに参上したいでしょう。政治家である以上、災害地に足を踏み入れるのは義務でもあるでしょう。

 ああそれなのに、岸田総理以下作業衣を着て、格好だけ付けているのです。況んや、野党の議員においておや。

 でも、国会議員の中でタダ一人、現地を訪れた者がいます。令和新撰組の山本太郎代表です。彼はいま、松葉杖を使っています。それなのに行ったのです。他の議員達は何をしているのですか?

 田中角栄さんの時代なら、角栄さん自らが真っ先に現地に飛んだでしょう。今の怠惰な政治に角栄さんならどんなことをしたでしょうか?

 怠惰な現代の政治家を覚醒させるために、あることをしました。目白のご自宅に火を付けたのです。いま、そのニュースが飛び込んできました。目白御殿は、いま、盛んに燃えているいるそうです。角栄さんの怒りが爆発したのです。

2024年1月7日    からすみ                                                                                      昨年末、次男の雄大が本物の「からすみ」だよ、と言って小さな包みを持ってきてくれました。「からすみ」は私の大好物です。冷蔵庫に大事に保管し、一昨日、封を切って銘酒と共にいただきました。長い間忘れていた懐かしい味が口いっぱいに広がりました。

 「からすみ」はボラという魚の卵巣を取り出し、塩漬けにしてから塩を抜き、天日に干して乾燥させたものをいいます。珍味中の珍味です。一度口にしたら病みつきになります。日本の長崎当たりにもありますが、物凄く高価です。だから、何と言っても台湾です、台湾が本場です。しかも、今は恐ろしく値が高いが昔はそれなりに安かった。

 あるときの台湾での朝、お土産に「からすみ」でも、と思ってマーケットをのぞきに行くと、入り口に美事なからすみを積み上げて店を始めようとする老人がいるではありませんか!その数20個余り。値段を聞くと、大きさによって2500円から3000円。当時としては高い方でした。さあ、そこから片言の中国語で値段交渉が始まりました。そのやり取りが面白かったのなんの! 結局、15個を山と積み上げて、一個1,800円で取引が成立しました。隠すようにして日本へ持ち帰り、当時、朝日学生新聞社の社長だったので、社長室の面々に一個ずつ差し上げ、息子達の家や、嫁さんの家まで配り、ゴルフの会が長野であったので、ニンニクスライスと共に持って行き、宮沢、山崎、内山諸兄に「からすみ」の味を堪能して貰いました。懐かしい思い出です。今では、「からすみ」は貴重品で手に入りません。それに、恐ろしく高価になっているようです。

2024年1月6日     ヴィデオ発表会                                                                                 年末に収録した、ピアノ教室のヴィデオ発表会の写真が送られてきました。第一部から第三部までに分かれていて、第三部のシンガリは誰か、と思ったら、白髪のおじいさん、私でした。

 まだ、小学生や中学生なのに、ドヴィッシーのアラベスク一番、パスピエ、シューベルトの前奏曲NO3など、私が最近弾いていたものを、達者に弾きこなしていました。ピアノ演奏を聴くのは若い人のものに限る、というのが私の持論ですが、余り、「若くても、なんだなあ」という感想が生まれました。

 私が若い時、それも中学生の時、母親の勧めでピアノ教室に通い始め、学校のピアノを使って作曲まで始め、信州大学が主催する作曲コンクールに応募したら、入選し、8分かかる「ロンドヘ短調」を長野NHK放送局から単独演奏しました。でも、不思議なことに「自分には音楽の才能は無い」と悟ったのもその時でした。

 12月のピアノの課題は、シューマンの「子供の情景」全曲演奏でした。ビデオ発表会では曲集の最初のものと、第7曲の2曲だけをピックアップして弾きました。まだ、全曲演奏にはほど遠い状況です。頑張ります。

2024年1月5日     恐 怖                                                                             情報の伝達が、まだ、電波ではなく「紙」であった頃、日本の新聞協会は全国の新聞社の販売局幹部を、毎年行われるアメリカの「ICMA]にオブザーバー参加させていました。その年は私が10人の団長で、無事、参加を終え、帰国の運びとなり、セントルイスに着きました。この町には巨大なアーチが立っていることで有名です。ガイドが、この町に住む日本人女性に替りました。先ず、案内されたのが有名な巨大アーチの一方の地下です。アーチに登っていくトロッコに乗せられました。何の前触れもナクです。下ろされたところはアーチの一方の頂上です。何と、そこはすべてガラス張りで、下が丸見えではありませんか!うへー、となりました。途端にアソコが縮み上がりました。その上、すべてガラス張りで下が丸見えのところを「向こう岸まで歩け」というのです。

 恐怖は限界に達しました。冷汗が流れ出しました。でも、進む以外に道はありません。絶対に下を見ないようにして、向こう岸のトロッコにたどり着きました。

 爾来、私は高所恐怖症になりました。浅草のスカイツリーにも上れなくなりました。ドバイの高層ビルも、台湾の101ビルも、マレーシアの双子のビルも、敬遠となりました。

 翻って思うとき、パイロットとは凄い職業だと改めて思います。目の前の複雑な計器の向こうは果てしない空間です。夜は恐らく真っ暗闇でしょう。計器だけを頼りに、暗黒の中をひたすら飛び続ける、走る、尊敬してしまいます。

2024年1月4日     パイロット                                                                             長野高校での同級生に宮尾君という運動神経の優れた男がいました。水泳部でもその名を轟かせたが、彼は航空自衛隊に入り、F104のパイロットになりました。退役するや、今度は全日空の大型旅客機のパイロットになり、パイロット組合の組合長にもなりました。あるとき、小学生だった三男にせがまれて、全日空のシュミレーション室に行き、彼が模擬の操縦席に座って数々のテストを受ける訓練の様子を見学させて貰いました。生憎、三男は、今はパイロットとは似ても似つかない商売に就いています。

 退役した宮尾君は六本木の去るビルの三階にサロンを開設します。自衛隊の人、全日空の人、そしてワレワレ長野高校生OBで大賑わいとなりました。当然のようにゴルフコンペがしばしば行われました。運動神経の優れた宮尾君が当然ながら飛ばし屋の第一人者でした。

 ところが、何時の頃からか彼は旧友と一緒の席を拒むようになったのです。原因は肛門の括約筋が退化し、うんちが垂れ流し状態となり、彼の側によると「うんち臭く」なったのです。

 これは、パイロットのいわゆる職業病といわれるものだそうです。パイロットは操縦席に座りっぱなしで、いつも危険との隣り合わせだから、いつも踏ん張りっぱなしです。しばらくして、彼の消息はいつの間にか立ち消えとなり、六本木のサロンもなくなったようでした。

 一昨日の羽田空港での衝突事故。滑走路進入の時を間違えた海上保安庁のパイロットのミスと言えるのではないでしょうか?宮尾君ならどんな判断を下すでしょうか?

2024年1月3日    何とも重苦しい                                                                             あっという間に、正月3日になりました。本来なら昨日は、久しぶりの宮中参賀でありました。天皇ご一家も楽しみにしていらしたに違いなく、もし、地震がなければ行われていたでありましょう。もし、能登半島で災害が発生していなければ、海上保安庁の6人乗り巡視機は飛ばなかったはずで、羽田での旅客機との接触事故も起きず、5名の隊員の死亡もなかったでしょう。

 この冬の寒空、地震によって家を潰され、火事によって家を焼かれ、あっという間に何もかも失って、呆然としているに違いない能登半島の人々、、、、、国家並びに地方行政は何のためにあるのですか?日本銀行は何のために存在しているのですか? 不幸にも災害に遭われた人々のためにあるのです。国を挙げて救済に動こうではありませんか!義援金活動を活発に行おうではありませんか! 私もなにがしかのお金をひっさげて、その活動に参加します。ことは急ぎます。災難に遭われた人々を、路頭に置いておくなんて、罪悪そのものです。誰にでも起こりうる自然災害に遭われたのですぞ。岸田総理!今こそあんた様の出番ですぞ。早稲田精神を発揮するのは今ですぞ!!!

2024年1月2日    何と言うことだ!                                                                             神様は何ということをして下さったのか! こともあろうにお目出度い1月1日の午後!純朴な日本海側の人達に向かって、なぜ、これほどまでの試練をお与えになるのか、理解に苦しみます。

 能登半島を中心に、金沢、富山、新潟に跨がって、マグニチュード7を超える巨大地震が起きたのです。それに伴って、津波が起きたのです。あちこちで家は潰れ、火事が起きたのです。かなりの死者が出たのです。潰れた家には到底入れず、停電、断水、野宿、、、、多くの人が、いま、トンデモナイ苦しみに遭っているのです。しかも、元日早々。

 特に能登半島の被害が凄まじい。輪島、七尾、珠洲などなど。特に輪島が酷い。家が壊れた上に火事です。踏んだり蹴ったりとはこのことです。

 もう10年以上になりますか、太平洋側で福島、宮城、三陸が大被害を受けました。テレビは容赦なくその惨状を映し出しました。見るのが辛くて、辛くて、、、、、今回もそうなることでしょう。

2024年1月1日    新年のご挨拶                                                                           

画像の説明を入力してください

2023年12月31日    鬼門の年末                                                                           どういうものか、私にとって年末は鬼門です。必ずと言っていいほど何かがありました。大掃除の最中、玄関の石段で足を踏み外し、歩けなくなりました。31日の夜、突発性憩室大腸炎を発症し、そのまま病院へ運ばれ、4日間、断食を強いられました。名古屋に住む従弟の靖輝君と四日市の温泉で過ごそうと、新幹線で行ったはいいが、その晩、激痛の襲われ、名古屋の日赤へタクシーで。尿管結石と診断され、痛み止めを大量に貰って、女子医大で手術。

 最大のものはフグ中毒でした。福島県担当の時の12月26日の夜、衆議院選の号外手配をするため、福島支局で徹夜しなければなりません。力を付けておこうと、支局近くの「萬世」という料理屋でフグの白子鍋を食べました、白子に血らしきものが混じっていました。当時、大分県と福島県だけは、条例がなく、誰でもフグを調理出来ていました。ふぐ毒が回り始め、警察が呼ばれました。支局前の大原病院へかつぎ込まれました。お花畑が現れ始めました。細い林の中の道を妙齢の女性が後に付いいらっしやい、と合図しています。ふと、木々がそよぎ出しました。せせらぎの音が聞こえ始めました。お花畑が消えました。

 30日、有楽町本社へ戻ると丁度打ち上げの最中でした。「中澤はフグで死んだらしい」と噂されているところへ現われたものだから、ヤンヤの拍手を浴びせられました。

 今年も何かあるだろう、と覚悟していましたが、矢っ張りあったのです。飲み過ぎて転んでしまったのです。おでこと鼻の頭に擦り傷を負ったのです。

 しかし、しかしです こうやって年の瀬を迎えることができたことを衷心から感謝したい思いです。窓を開け、大空に向かって「皆さん、ありがとう」と叫びたい気持ちで一杯です。重ねて言います。「皆さんありがとう!」

2023年12月30日    年賀状                                                                           二日後に迫った来年の干支はイノシシだそうです。猪突猛進のイノシシです。年賀状には、何らかの形でイノシシに肖ったものになるでしょう。ところで、年賀状は、メールやSMSのお陰で年々減リつつあるそうですが、どうなのでしょう?

 ピークは2003年の35億万枚でした。その後、毎年減り続け、今年は16億76908000枚だったようです。20年の間に、凡そ半分になったのです。今後、増える見込みはあるでしょうか?全く、無いようです。それほど、電波は「紙の文化」を駆逐しているのです。

 私ごとで言えば、一番多く年賀状を出したのは、西部本社の営業局長から朝日学生新聞社の社長になった、今から凡そ20年前の2600枚でした。取引を頂いている全国の販売店2000店、それに友人知人の600人。そのすべてに手書の文字を添えたので、大仕事でありました。それでも未だ、243件の住所録が生きています。

 でも、でも、そろそろ店じまいの時が迫ってきています。そこで、決心しました。今回は年賀状を頂いた方にのみ答礼しよう、と。そして、運良く88歳の米寿を迎えることが出来たなら、その年をもって、年賀状はお仕舞いにしよう、と。

 でも、でも、その人との在りし日のことどもを思い出しながら、賀状に一言を添える作業は楽しいものです。どうなることやら、、、、、

2023年12月29日    暗譜力(暗記力)                                                                           昨夜、APADをくくっていたら、吉村妃鞠の総集編がありました。三歳にしてバイオリンを弾き始め、8歳にして世界の新人登竜門を聡なめにした天才バイオリニストの軌跡です。寝るのを忘れて見入ってしまいました。いずれの国のオーケストラでも団員の前には譜面台が置かれています。しかし、ソリスト達の前にはいずれも譜面台はありません。すべて、暗譜です。希代のバイオリニストで、毒舌家でなる審査員長のザハール・ブロン氏をして「彼女の演奏には神が宿っている」とさえ言わしめた、ヒマリちゃんは、すべての難曲を楽譜など見ずに、ミスタッチもなく、こともなげに弾きまくるのでした。

 高校一年の時の文化祭で、私はモーツアルトの「トルコ行進曲付きの変奏曲303番」を暗譜で弾きはしました。もっとも、一カ所肝心な所でミスタッチを犯しましたが。今はどうでしょう? 暗譜はおろか、譜面台を前にしてももどかしい有様です。

 ところが、ヒマリの演奏はどんな難曲でも、一つとしてミスタッチがないのです。こともなげに、絶妙な指裁きで弾きこなしているのです。しかも、そこに大人顔負けの情感が漂い、聴く者の涙さえ誘う演奏をしているのです。

 面白かったのは、どの演奏会場にも両親が片隅で見守っていたことです。作曲家でシンセサイザー奏者の父親は、少しの表情も変えずヒマリちゃんを見守っていました。最後部の席のその後ろでは、母親が、他の観客には見えないようにして、曲に併せて身振り手振りして舞台を見守っていました。母親として居ても立ってもいられない気持ちになるのでしょう。

 譜面台を前にして座っている団員の背丈ほどもない小さな女の子が、古今東西のバイオリンの難曲を、こともなげに弾きまくる、それも一つとしてミスもなく、天上から響いてくるような絶妙な音をもって会場全体を満たす、、、、、実に、実に、時間を忘れて聴き入ってしまいました。お陰で、今日は寝不足です。

 2023年12月28日    現代書道20人展                                                                            コロナ禍のため、長らく休会中だった恒例の「現代書道20人展」が、来年4日より日本橋の高島屋で開催されます。わが朝日新聞社の主催ですが、毎年楽しみにして出かけていました。最も楽しみにしていたのは女流の土橋靖子さんの仮名の作品で、精緻な細筆の筆致の行間に「美」が溢れていました。

 先日、朝日の朝刊全面を使って20人の全作品が掲載されました。新井光風、高木聖雨、吉沢鉄之、、、、驚きでした。ほとんどの作品が、前衛というか、奇を衒ったものばかりだったからです。真面な楷書、行書、草書など一つもありません。土橋靖子さんの仮名の作品でさえそうでした。その表現の中に美が感じられる作品があったでしょうか? 私に、その眼力が既になくなっているからでしょうが、呆れ果ててしまいました。

 日本人は古来から筆と墨と紙を使って互いの意志の疎通を図ってきました。つい、5,60年前までそうでした。ところが、今は、、、、。つまり、筆と墨による表現は、すでに無用の長物になったのです。だから、書道家たちは、世間の気を引くために、敢えて、奇妙奇天烈な表現をせざるを得なくなったのでしょう。机に向かって正座し、おもむろに墨を摺り、白紙に向かって自分を表現する厳粛な瞬間、、、

 もはや、高島屋まで行く気がなくなりました。

2023年12月27日  権利と義務                                                                           日本を民主主義国家たらしめている要因は、この国の選挙制度にあります。独裁国家にはない、素晴らしい制度です。国民が成人に達すると次の六つの選挙権、投票権が与えられます。先ず、衆議院議員選挙の投票権、続いて参議院議員の投票権、続いて、都道府県知事、都道府県議会議員、そして,市区町村長、市区町村議会議員ヘの投票権、以上の六つです。日本国民である限り、選挙権が与えられているのは誠に素晴らしいのですが、問題はその運用の仕方にあります。

 選挙制度が始まって以来、日本は中選挙区制を採用してきました。選挙区毎、2,3人の当選者が割り当てられていましたから、保守と革新が同時に当選していました。それを時の自民党は強引に小選挙区制に変えたのです。亡くなった自民党の細田が改革委員会の議長の時です。比例代表制を新しく設ける代わりに、当選一人区をめったやたらに増やしたのです。以来、自民党の一人天下が続いているのです。

 政治は数で決まります。数が多くなればなるほど、勝手な振る舞いが見過ごされていきます。今回問題になっている「課税逃れのへそくり」も数のおごりの結果である、と言えるでしょう。

 選挙制度を中選挙区制に戻すこと、これ以外に日本の議会制度の再生はありません。

2023年12月26日  政治家への逆風                                                                           いま、政治家への逆風が吹き荒れています。納めなければならない税金をネコババし、私服を肥やしていた自民党議員の実態が明らかになるにつれ、世間は驚きと共に呆れ果て、自民党議員への不信と怒りが巷に満ち溢れる事態になっているのです。私自身が最も嫌いであった政治家、政調会長の萩生田光一も、責任を取って辞任しました。この男、明大商学部卒の60歳。議員秘書から成り上がり、安倍晋三のモリ・カケ事件の時には、テレビで堂々と偽証し、統一教会とベッタリだったくせに、シラを切り通し続けた、いわゆる「政治屋」です。彼を選んだ八王子市民も、漸く、彼の本性を知ったのではないでしょうか。

 マックスウエーバーに「職業としての政治」という名著があります。学生時代の座右の書でした。リンカーンは言いました。「人民の、人民による、人民のための政治」と。

 今の自民党はどうでしょう? 「人民の、国家とためといいながら、金儲けのための政治」に成り下がっているのではないでしょうか!

2023年12月23,24,25日    常磐高速道運転                                                                         再来年には米寿を迎えようという我が身であってみれば、運転には細心の注意を払ってハンドルを握っています。まして、80キロ以上は出さないという規制を己に課してはいても、何時、何が起きてもおかしくありません。福島県の浜通り「泉の教会の日曜礼拝・イブのクリスマス礼拝」に出席させて貰い、佐藤彰牧師から懇切丁寧なご指導を頂き、ただいま、練馬の自宅に戻って参りました。行きは5時間、帰りは、途中、大洗海岸へ寄り道したので、6時間、ハンドルを握り続けました。日本海側は大雪に見舞われているのに、太平洋側の常磐高速のお天気は快晴そのもの、ただ、年末のことゆえ、首都圏の外環道路は激しい渋滞が続きました。

 持参したデズニーランドの二枚の券、美少女「まひる」ちゃんと四歳の弟さんには大喜びされました。行く日が決まり次第、あと二枚追加し、四人で行って貰うことも決まりました。

 日曜礼拝、24日夜のイブ礼拝、それぞれ意義深いものでした。殊に佐藤彰牧師の映像を駆使しての解説は、聞き応えがありました。何はともあれ、細心の注意を払いながら常磐高速の福島までの運転が無事に出来たこと、自分ながら嬉しく思っています。まずは、ご報告まで。

2023年12月22日     デズニーランド                                                                         福島県浜通りの双葉町の隣、大熊町に大野教会を建立しおえた佐藤彰牧師は未曾有の災難に追い込まれます。45名の教会員を連れて山形に逃げ、奥多摩に逃げ、その顛末が世界に広まるにつれ、多くの同情が寄せられ、佐藤牧師は比較的安全な、茨城県寄りの浜通り「泉」に「翼の教会」を建立します。大野に向かって翼を広げている立派な教会です。

 縁あって佐藤牧師のご自宅に伺ったとき、女のお孫さんの幼稚園生「まひるちゃん」が「遊ぼう」といって、寄ってきました。輝くように美しい女の子です。ひとしきり「スミッコ」という積み木遊びを二人で興じました。デズニーランドに痛く興味を持っていたので、その後、デズニーランドの子会社の社長を務める長男を通じて、四枚の無料券を手に入れお送りしました。喜んだの何の、たどたどしい字のお礼状が届きました。その後、コロナ禍が発生し、デズニーランドにも災難が及び、無料券は廃止となりましたが、最近、復活し、長男から二枚の招待券が送られて来ています。

 長男が国立千葉大を卒業するに当たって、就職先の相談を持ちかけられました。デズニーランドを運営するオリエンタルランド社を真っ先に推薦しました。当時、この外資会社は一業種一社のパビリオン建設のため、新聞社では朝日新聞に白羽の矢が当たり、宣伝部長であった私が交渉の窓口になっていました。ボブ・クンツさんという先方の責任者と何度もお会いし、40億の出資もほぼ決まりかけていました。そこへ新聞代の値上げです。値上げの原因がデズニーランドのパビリオンの建設のため、と世間に捉えられては立つ瀬がありません。販売出身の古屋専務から「この話取りやめ」との通達がありました。幸いにも、長男が14人の幹部候補生の中に入れて貰った後のことでした。

 長男は、「ゴミ拾いーカストーデアル」から始まって、あらゆる仕事を経験し、全パビリオンの運営責任者・運営部長にまで務め、その後、子会社の社長になります。デズニーランドには大勢の従業員が働いていますが、中には身体障害者も400人ほどいます。その管理一切を取り仕切る会社でした。今は、相談役になっていますが、あと数年はいられるようです。

 明日、翼の教会で行われる「クリスマス礼拝」に出席するため、車で、福島まで出かけます。まひるちゃんに券をプレゼントするのです。一方、福島5年、茨城2年、千葉4年あまり現役で担当した思い出に浸りながらの旅でもあります。速度80キロ以上は出さないようにし、今後、何回出来るか分らない福島行きに行って参ります。

2023年12月21日     国谷裕子                                                                         NHKの長寿番組に「クローズアップ現代」、俗に「クロ現」と呼ばれてきた番組があります。その司会者が国谷裕子。昨夜、彼女が出演する回顧番組がありました。御年・66歳になる彼女は、まだまだ若々しく色気さえ漂っていました。番組の焦点は、クロ現が取り上げてきた、今までのイスラエルにまつわる報道でした。中でも、「オスロ合意」以後のパエスチナの動き、中東諸国のイスラエルに対する風当たり、そしてその推移があぶり出されていました。その都度における、司会者国谷裕子の質問と解説は美事この上なく、改めて、この問題の根深さを思い知らされました。

 一方、敬愛する東住吉教会牧師・高原剛一郎のイスラエル問題に対するユーチューブでの解説も見逃すことは出来ません。イスラム諸国のイスラエル、すなわちユダヤ人に対する根本的な考え方を、旧約聖書のエゼキエル書に則って詳細に述べていますが、時宜を得た解説になっています。彼も私と同じく、「飯山陽こそ、唯一、まっとうなイスラム研究者だ」としています。それは、イスラエルという国を地球上から抹殺すること、ユダヤ人を絶滅させ、中東全域を、先ず、アラブ人、すなわちイスラム教徒のみにし、「アッラーこそ神なり」を実現するすることを目的としていること、ガザにおけるハマスのテロは、ホンの小手調べにしか過ぎないこと、を見通しているからです。

 昨夜の国谷裕子も、言葉少なでしたがその点について触れていました。聡明な彼女を讃えたい思いです。

2023年12月20日    配膳ロボット                                                                     平和台のPCデポに行った帰り、昼時だったので、久しぶりに「レストラン・ココス」へ入りました。相変わらず混み合っていましたが、立ち働く従業員の姿がありません。僅かに、テーブルの後片付けをする男性従業員一人だけを見かけるのみ。何と、配膳ロボットが大活躍しているのでした。この店にロボットが使われていることは、かねて、承知していました。かなり大型ではありましたが、動きは正確ではなく、テーブルからかなり離れたところで立ち止まってしまうことも度々でした。しかし、今回見たロボットは、割と小柄ながら、座席の直ぐ近く、つまり、座っていて手の届くところまで来て、神妙にかしこまっているのでした。つまり、配膳ロボットも日を追う毎に進歩をとげてるらしいことを改めて知らされたのです。

 調べて見ました。そして、驚きました。実に沢山の種類の配膳ロボットが市場に出回っているのです。値段はかなり高価ですが、時給1200円の従業員を雇うより、遙かに経済的な実態があることを知らされました。

 思えば、ロボット技術については、日本はその最先端を行くロボット大国でもあります。世界の技術的繁栄は、日本のロボット技術のおかげ、と言っても過言ではありません。世界から「ビッグ4」と呼ばれる「ABB]、「ファナック」、「安川電機」、「KUKA」が産業用ロボットの生産で図抜けています。大昔、富士山麓にあるファナックへ見学に行って驚嘆して帰ってきたことが思い出されます。

 レストラン・ココスで配膳ロボット導入のお陰で、人手がいらなくなった現象は、今後、どこまで拡大して行くのでしょうか? 先ず、一般事務員、レジ係、受付係、スーパー店員、警備員などがその対象となるでしょう。一方、ロボット化が考えられない職業と言えば、医師、学校教員、研究者、美容師、デザイナー、俳優などですが、果たしてそうでしょうか?

 世界は思わぬ展開を見せるくせ者です。ロボットの医者が現われるまで生きていたいものです。

2023年12月19日    命 日                                                                     清瀬の久留米団地に従妹の久美子と住む93歳になる私の母親は、その頃、日増しに食が細くなり、清瀬複十字病院の主治医から、この上は「胃瘻」しかない、と言われていました。やむなく同意し、12月18日、手術が行われました。その明け方、けたたましい電話が鳴りました。駆けつけると、執刀医と看護婦が病室の入り口でうなだれていました。恐らく医療ミスに違いなく、怒り心頭を発しましたが、争ったところで、母親は生き返る訳もなく、潔く受け入れることにしました。穏やかな寝顔でした。かくして、私は6月に妻を、その半年後に母親を相次いであの世に送り出したのでした。この年、私は販売局の先輩で専務取締役で亡くなった前沢健則さんの遺稿集「追想、前沢健則」の編集を一手に引き受け、大童でした。私が「N・N工房」を名乗り、人様の本や、私自身の本を編集・出版していることが局内にも知れ渡っていたので、お鉢が回って来たのでした。

 一冊の本作りに没頭していると悲しみ忘れます。すべての編集は12月末で終了し、1月初旬、分厚い3000部が出来上がってきました。関係は無かったものの、出来上がっ来た一冊をつれ合いと、母の仏前に供えました。二人とも微笑んでくれたような気がしました。

2023年12月18日    思い出のサンフランシスコ                                                                     あの、上がったり下がったりは多いが瀟洒な町、サンフランシスコでは小売店、スーパーなどが続々店をたたみ、移住し始め、空き家が続出し始めているそうです。原因は万引きの横行だそうです。万引きはどこの国でも犯罪で、厳重な罰則が科されるのが普通ですが、それでは、弱者に対して「あんまり」だというので、法律を改正したそうです。法律が軽くなれば万引きは一層横行するのが常としたものです。やりきれないのは商店の方です。悪循環は更に悪い方に傾き、商店側は「もうやってられない」とばかりに移住するのです。かくして、あらゆる面で品の良かっサンフランシスコの町並みは、空きやばかりになり始めているというのです。一方、警察側にも事情があります。従来の法律では、簡単な万引きでも発覚した以上は、警察に留置します。一宿・一飯を保証しなければなりません。職にありつけない、黒人やヒスパニックは、それが目当てで、敢えて見つかるように万引きします。だから法律を軽くした、と言う側面もあるのです。

 ここにアメリカ社会の「歪み」があからさまになっている、と思われてなりません。

 トニーベネットが張りのある声で唱う「思い出のサンフランシスコ」という歌があります。「♫I reft my heart in Sanfurancisko~♫」カラオケに足を運んでいた頃、これが私の18番でした。

 遠いアメリカのこととはいえ、大好きだった町が空きやばかりに変容していくという現実を知らされるのは、極めて辛いものがあります。

 翻って我が日本を思うとき、政治家の汚職はあろうとも、この国はバランスのとれた「いい国」だなあ、とシミジミ思います。国内の至る所に外国人が溢れているのも、ムベなるかな、と思われてなりません。

2023年12月17日    86歳                                                                     1937年4月11日、池端直亮(いけはたなおあき)はこの世に生を受けました。父親は池端清亮、母親は池端具子。彼は慶応高校から大学に進むに従って多彩な能力を発揮し始めました。ピアノ、ギター、ウクレレ、作曲、、、、彼は團伊久磨と山田耕筰を尊敬していたので、芸名を「弾厚作」としました。一躍、人気タレントになり、ニックネームは「若大将」となり、彼が主演する数々の映画が生まれました。

 もう、お分かりでしょう、加山雄三です。父親は二枚目俳優だった上原謙、母親はキュートな美人小桜葉子。

 同じ年のせいもあって、私は彼の密かな大ファンでした。彼の親族のせいで湘南のホテルが破産し、彼が莫大な借金を背負ったときには、どうなることか、とハラハラしましたが、彼は、それにひるむことなく、すべてを返し終えてしまいました。後添えになった、慎ましやかな奥さんのせいも多分にあったでしょう。しかし、彼は心労のため二回も病に倒れます。でも、それも乗り越え、今は元気そのものです。

 その彼が、今日の朝日の朝刊の一面広告になりました。ただ、足を乗せるだけで作動する「フット、フィット」という健康器具の宣伝です。彼は宣言していました。「長生きのためには足腰を鍛えなければならない。私の目標はあと14年、100歳まで生きることだ!」と語っていました。

 「長生きのためには足腰、足腰、足腰、、、」分ってはいても、なおざりにしているのが私の現実です。よーし、私だって若大将に負けるのものか、何としても、若大将より一才でも長く生き抜いてやる、と思いながら、足を置くだけで作動する器具の値段を見ると、七四,八〇〇円、うへー。

2023年12月16日    蟹、蟹、蟹                                                                     このところ、朝日新聞には北陸の「ずわい蟹売り出し」の全面広告がしばしば載るようになりました。一面全部が真っ赤に染まった広告なので特に目立ちます。注文すれば空輸で翌日届くそうですが、ドレモコレモ、5000円以上2万円もします。蟹好き私ゆえ、一瞬、注文しようかな、と思いはしても、いやいや、それは贅沢というもの、年金生活を考えなさい、という声が同時に聞こえてきてしまいます。

 3~4年前、それでも蟹だけを目当てに金沢へ飛びました。日本一広い近江町市場の前のホテルに陣取り、一匹3000円から5000円の手頃なずわい蟹を買ってきては越前の美酒と共にいただきました。特に味わい深いのは蟹の爪の部分と、卵の部分でした。甲羅に苔の生えたずわい蟹も見かけました。2万円を超える値段でした。

 北海道へ行ったとき、タラバガニ一匹と取り組んだことがありましたが、大味で繊細さがなかったように思われました。毛蟹の方が未だマシで、特に蟹味噌の美味しさが印象に残っています。

 しからば、ずわい蟹より美味しい蟹はいるのでしょうか?いるのです。私の独断と偏見に依れば、それは上海蟹です。中国のドウテイ湖などに生息する淡水系の小型の蟹です。いま、全く日本には入ってきてはいないようです。

 12月も半ばとなりました。まごまごしていると「蟹の旬」を逃してしまいます。さあ、どうする? どうする?

2023年12月15日      入団記者会見                                                                     今日、アメリカ時間の午後3時、日本時間の午前8時から、大谷翔平のドジャース入団記者会見がありました。完全中継したのはテレビ朝日の羽鳥モーニングショウだけでしたが、お陰で、入団の一部始終の様子を見ることが出来ました。オーナーから17番の背番号が付いたユニフォームを着せて貰い、監督から青い帽子をかぶせて貰っていました。通訳の水原一平さんも壇上の人になっていました。清々しい会見でした。中でも感心したのは彼は談話の中で、「6年間、エンジェルスの皆さんには大変お世話になりました。このご恩は生涯忘れることは出来ません。ありがとうございました。」と述べたことです。この言葉を聞いてエンジェルスファンの人々も、彼を気持ちよく送り出すことが出来たのではないでしょうか。また、彼の入団に当たって、エンゼルスの時と同じ背番号の17番を彼に譲ったブルージェイズの選手は、彼から丁寧な言葉で「譲ってくれてありがとう」と心から言われたそうで、感激した、という話まで飛び交っていました。

 実に爽やかな、心温まる記者会見でした。美事でした。

2023年12月14日      隔世遺伝                                                                      いまや、アメリカでも日本でも大谷翔平の話題で持ちきりです。誰一人として悪くいう者がいない。それほど彼は特異な存在になりつつあります。それは彼が、いつも、いつも謙虚で、爽やかで、笑顔を絶やさない人柄のせいでもありましょう。その類い希な性質はどこから生まれてきたのか?

 父親はノンプロ野球の選手でもあり、母親は父親が属する会社の運動選手でもありました。この両親は、息子がどんなに稼ごうが、一切、それには手を触れず、慎ましい生活を送っています。母親は今もって週にに四日、飲食店で働いていると言うから、これもまた驚きです。

 一方、大谷翔平の人格を形成するのに大きな影響を与えたのは、彼の祖父母である大谷正幸とその妻ユリ、と言われています。正幸は秋田能代生まれで、身体が人一倍大きく、野球が大好きな運動選手でもあったようです。少年時代の翔平の類い希な活躍を目の当たりにしながら、彼に諭したそうです。「いいかい、これからはどんなに人より勝れたことをしても、自慢してはならない。自慢は悪であるから」と。

 そう思ってこれまでの彼の言動を見ると、このおじいさんの諭しが彼の根底に根付いているように思われてなりません。一度として自画自賛した場面がありましたでしょうか?自慢したことがあったでしょうか?彼は、何時の場合も控えめで謙虚でした。それがまた彼の人気を高める所以でもあるのですが、これすなわち、彼のおじいさんからの隔世遺伝なのを知らねばなりません。

2023年12月13日  宏池会 お前もか                                                                      今朝の朝日新聞一面は「岸田派数千万円不記載か」の文字が躍っています。岸田首相は宏池会の出で、この会は広島県出身の首相・池田勇人が起こしたものです。とうとう、パーテイ券の不正処理は、権力の中枢までも脅かす大問題にまで発展してしまいました。

 時の朝日新聞社常務取締役業務局長の永井大三さんも広島県の瀬戸内海、生口島の出身で、池田勇人とは肝胆相照らす仲でありました。こんな話を、永井さんの都立大の家に伺ったとき聞いたことがあります。秘密裏の話があって、池田さんと二人だけで会おうと約束し、永井さんが帝国ホテルの一室で待っていると、そこへ、池田首相が4,5人に囲まれながら入って来た、と言うのです。「申し訳ない、どうしても一人にしてくれないのよ。総理とは不便なものだ」と永井さんに謝ったそうです。

 相撲取りのように太っていて大柄な永井さんと、すらっとした美人の奥様いね子さんには「謙さん」という一人息子の慶大生がいました。三井物産に入ったはいいが、ガンを患い無職となりました。ご夫妻亡き後、謙さんは都立大の家屋敷を売り払い、四谷の荒木町の小さな部屋での生活になりました。困窮すると電話が架かってきます。「中澤、なんとかしてくれ」と。忘れもしない去る年の12月末日です。10万円お渡ししたこともあります。荒木町の質屋ヘ行って、流れる寸前の奥様の宝石類を請け出したこともありました。朝日旅行会を使って永井さんの墓参りとして30人の団体旅行を組織、実行したこともありました。お布施の合計30万円を謙さんにお渡しする際、謙さんに、「お礼状は一人ずつ必ず書いて下さいよ」とお願いしたにも拘わらず、その気配はありませんでした。その後の交流はすでになく、恐らく、謙さんは今、ご両親と一緒でしょう。 

 思えば長野の清水さんの近しい親戚が永井さんで、清水さん主催の「山旅どんどん講」で度々謙さんと一緒だった縁で、朝日新聞に入社させて貰ったのですから、そのご恩を忘れることは出来ません。近々、お三方のお墓参りに行くことを最大の目標にしています。

2023年12月12日  政権の屋台骨揺らぐ                                                                       どこの家庭の主婦も、大きな声で言えないが、大抵は「へそくり」を持っています。旦那とて同様、奥方には内緒の財源を密かに持っているのが普通です。これが、国会議員に及んだ場合は、単なる「へそくり」では済まなくなります。何故なら、課税から逃れているからです。

 議員は政治活動資金調達のため、と表してしばしばパーテイを開催します。一枚2万円の券を支持団体に買って貰います。政治家との繋がりを持っておくことは、何かと利益に繋がるため、支持者は嫌がらずに券を購入し、ホテルで行われる形ばかりのパーテイに出席します。売り上げは上納金として自民党に納められるのですが、一部は議員個人にキックバックされます。当然、課税対象となるべきところ、ほとんど申告されずに個人の「へそくり」となって来たのです。中には1億円を超える「へそくり」も発覚しました。今回の摘発は旧安倍派の幹部達が主ですが、岸田政権を支えてきたのは事実上の安倍政権幹部たちですから、現政権の屋台骨が大いに揺らぎ始めた、と言わざるを得ません。

 更に問題は自民党の他の派閥の場合です。二階派、麻生派、細田派などありますが、安倍派と同じことをやってきたかどうか?もし、これらの派閥政治も安倍派と同じことをやってきたとすれば、、、、事態は更に泥沼化し、自民党の終わりの始まり、にならないとも限りません。

2023年12月11日  ロスアンゼルス                                                                     大谷翔平の移籍先が発表になりました。朝からテレビはそのことで大賑わいです。移籍先はエンジェルスと同じロスアンゼルスを本拠地とするブルージェイスです。契約金は10年で1015億円。途方も無い金額です。私は、エンジェルスにそのまま残って欲しい思いでいたのですが仕方がありません。とはいえ、ロス市民はこの選択を喜んでいるでしょう。この町はニューヨクに次ぐ大都会ですが、アップタウンと、ダウンタウンが截然と分かれる奇妙な都市です。現役の時、日本新聞協会がアメリカに派遣する「ICMA視察団」の団長として、ニューヨーク、ワシントン、ラスベガスの次にこの町に滞在しました。映画俳優達の大豪邸が軒を連ねる居住区と、黒人達が道路に寝ている一隅とが截然と分かれていました。「道を歩くときは真ん中を歩け」、「100ドル札を胸ポケットに忍ばせておけ」「ホールドアップしながら、目でポケットを示せ」などなど、現地の日本人記者から注意を喚起されました。拳銃の実弾射撃場へも行きました。的を狙って引き金を引いたつもりが弾はとんでもない方向へ飛んでいきました。

 大谷翔平は少なくともこれからの10年間、この町で過ごすのです。利点もあります。住み慣れたところにいられること、通訳の実家の料理屋に通えること、ブルージェイズの監督が沖縄生まれの日本人であること、彼の肘の手術をしたのがここの医師であったこと、などなど。

 ほとんどの日本人はこの選択を「よし」としているのではないでしょうか、私にはそんな気がします。

2023年12月10日      宗教戦争                                                                   人は、この世に生を受けて以来、自分の存在が極めて不確かなモノなのを次第に気づき始めます。頼っていたい、心の拠り所が欲しい、慰めて貰いたい、そうした気持ち昂じて宗教心が芽生えていきます。その結果、日本の場合は神道と、外来ではあっても仏教が栄えてきました。それに飽き足らない人々は新たな宗教を生み出してきました。天理教、黒住教、金光教、生長の家、創価学会、立正佼成会、霊友会、幸福の科学などなど。

 この傾向は、世界史的に見ても同じことが言えます。世界人口74億人のうちキリスト教徒が22億人、仏教徒が5億人、18億人がイスラム教徒です。仏教徒は世界人口の6,3%、イスラム教徒の比率は24%です。しかも、イスラム教徒は漸増状態なのに、キリスト教徒と仏教とは漸減状態です。その他に、ゾロアスター教、ジャイナ教、シーク教などがありますが、これらはインド以外に広まってはいないので、民俗宗教と見なされています。

 問題はこの世界三代宗教が持つ、他宗教に対する攻撃性です。元より仏教にはそれはありません。極めて穏当で在り、来たる者拒まず、去る者追わず、の姿勢です。キリスト教も同じ姿勢です。ところが、イスラム教だけは違います。攻撃性を内蔵している宗教なのです。世界のあらゆる宗教を駆逐、排除し、「アッラーこそ神なり」を実現することを基本教義とする宗教なのです。そのためには暴力の駆使も許されます。自爆行為を行った者は、天国に召し抱えられると、奨励されます。9/11の、あの陰惨極まりない事件を起こした者達は、いま、イスラム教徒の中では「神」として祭り上げられています。

 飯山陽著「イスラム教再考」を読み終わりました。彼女はいま、ユーチューブで「いかりちゃんねる」を開設していて、日本のイスラム学者と称する人たちをやり玉に挙げ、論争を仕掛けています。その論点は、「イスラム教そのものの本質を見誤るな」という点につきます。それは二ヶ月前に起きた「ハマステロ」に対するイスラエルの反撃が、余りに人道に反する、という彼らの皮相的な見方に対する反論でもあります。 

 私は予想しています。この戦争は長引くだろうと。パレスチナ人民の不幸はまだまだ続くだろうと。ことに寄ったら、戦火は更に拡大するだろう、と。

2023年12月9日    ガラケー                                                                家から車で10分のところに、平和台PCデポ店があります。パソコン、IPAD、スマートフォン、プリンターなど、今流行の電子器具に何かあるとそのPCデポにかけ込みます。また、電話でも応答してくれて、適切な助言を貰うことも出来ています。60歳から関連企業に移り、暇に任せて自分で本を作ることを覚え、そのお陰で、いわゆる電子器具の扱いに精通することが出来ました。一方、長野高校の同級生だった内山君は、今もって、ガラケーのお世話になっているようです。パソコンも、スマホも持っていません。いま流行のAIなど、彼にとっては異星人の出来事、と捉えている筈です。しかし、電話だけを近代兵器としてお世話になっている内山君は、奥さんと共に二人きりで悠々と暮らしています。パソコンで本が作れなかろうが、フェースブックで情報交換出来なかろうが、ユーチューブが見れなかろうが、ましてや、「AIとは何ものだ」との思いでいようが、生きて行けているのです。

 内山君とは高校時代、受験勉強そっちのけで、長野北高文芸部を起こし、同人誌をただ一回だけ苦労して発行した仲です。その後、中央大学から信濃毎日新聞社へ、私は早稲田から朝日へ、共に営業畑を歩んで来ました。唯一、違ったのは時代と共に変化するITの波に乗ったか、乗らないかの差であったようです。

 でも、デモです。ITの波に乗ったからと言ってどうだったのでしょう? 乗らなかった、と言ってどうだったのでしょう?

2023年12月8日    円 安                                                                浅草と上野の間の金物横町に所用があったついでに、浅草の仲店道りを車で見てきました。聞きしに勝る大混雑ぶりでした。京都、奈良は言うに及ばず、日本国内の観光地は、外国人客で、押すな、押すなの有様のようです。何故か? 大きな要因は円安のお陰でしょう。日本の円の相場が下落傾向にあるので、外国人による日本円の使い出が極端に良くなっているからです。

 2年ほど前のドル・円相場は115円程度でした。それが今は144円台。150円を突破したこともありました。最も、ドルに対して円が高かったのは、三男の語学留学でオーストラリアへ三度も出かけた頃でした。何と、一ドルが78円、オーストラリア・ドルが76円。今の相場の約半分でした。スーツケースにオーストラリアの上等なチーズを詰め込めるだけ詰め込んで帰ってきました。

 そこで、ハタと考えてしまうのは円安は日本にとって利益になるのか不利益をこうむるか、と言う問題です。日本は石油を始め、資源の乏しい国ですから外国から仕入れなければなりません。車のガソリン始め、天然資源の輸入にそれは跳ね返ります。逆に日本製品は割安になるため輸出が伸びます。

 一つ言えることは、円安のお陰で観光地は外国人客で溢れかえっていますが、お客さま方は、一様に、日本はいい国だ、治安も良く、清潔だし、食べ物も美味しい、また来たい、と言いながらお帰り遊ばしています。円安の功罪は色々あっても、これこそが一番の望むところ、と言えるのではないでしょうか。

2023年12月7日    戦争中の歌                                                                夕べは、戦争中に唱った軍歌や、国民歌謡が次々に蘇ってきて、なかなか寝付かれませんでした。仕方がないので、思い出す限り、心の中で歌っていました。「♫太郎よ、お前は良い男、丈夫で、元気で健やかで、お前が大きくなる頃は、日本も大きくなっている、太郎よ、私を超えてゆけ♫」、「♫今日、増産の帰り道、みんなで摘んだ花束を、英霊室に供えたら、次は君らだ、分ったか、シッカリやれよ、と空高く、胸に響いた神の声♫」、「♫進め、少国民、溌剌と元気よく、胸を張り、大手を振って前進だ、遮るもの無く、唇キリリリと、我慢だ、強いぞ、いざ、進め。進め、進め、少国民!♫」、「恩賜の煙草を頂いて、明日は死ぬぞと決めた夜は、荒野の風も生臭く、グッと睨んだ敵空に、星は瞬く二つ三つ」

 そして、黒い布で包んだ電灯の下で箱形のラジオから流れてくる悲痛なアナウンサーの叫び。「東部軍管区情報、東部軍管区情報、敵B29の大編隊が房総半島より本土に近接しつつあり。空襲警報発令、空襲警報発令!」

 明日12月8日は、この大東亜戦争が勃発した日です。蒼くなった母親に連れられて、その頃住んでいた井の頭公園の住居から吉祥寺のパン屋へ行きました。パンは既に売り切れていて、菓子パンをしこたま買い込んで帰ってきました。辛い時代の幕開け、それが、80年前の明日なのです。

 

2023年12月6日    マイコプラズマ肺炎                                                               またしても、中国を震源とする子供の呼吸器疾患の伝染病が、流行し始めました。マイコプラズというのだそうです、41度から42度の高熱が続くそうです。北京の病院も、上海の行院も7,8千人が押し寄せ、診察を待つ親子の映像が映し出され、同情を禁じ得ないのですが、なぜ、また中国なのでしょう。伝染性の疾患ですから、既に、ヨーロッパのオランダや、アメリカなどにも飛び火していますから、遠からず、日本の子供達も苦しむようになるでしょう。しかし、何故か、コロナも、マイコプラズマも中国が震源です。これは一体、何なのでしょうか?

 私自身は、子供の時から呼吸器系統の病気で苦しんできました。肺門リンパ腺炎に何度罹ったことでしょう。しかも、若い頃、吸っていた煙草のお陰で、いま、COPDという疾患もあります。その上、三回目のコロナワクチンを打って貰った直後、息切れ、という副反応に襲われました。今、はやり出したマイコプラズマという肺炎は、子供の病気と言われてはいますが、大人は罹らない、という保証はないでしょう。

 折角、マスクの習慣から抜け出した、と思われていたのに、再び必携品となりました。中国に対する恨みは骨髄に達しています。

2023年12月5日    パー券                                                               自民党議員が、党に納める上納金確保のため、パーテイ券を各企業に売りつけて集金し、一定額以上は各議員にキックバックすべきモノを、派閥毎にため込み、その額が旧安倍派の場合も、セカンド・フロアーこと二階派の場合でも、各一億円を超え、かつ、課税逃れをしていることが明るみに出て、問題視されています。

 宣伝部長だった頃、関連会社で不祥事が発生し、出向を命ぜられて、そこの社長になったことがありました。あるとき、そこの営業部から「取引先から自民党のパーテイ券買ってくれと頼まれた。どうしよう」という相談がありました。取引に拘わることなので、一枚2万円の券を10枚購入し、興味津津、ニューオータニの会場へ行きました。人、人、人でごった返していました。僅かばかりの軽食と、飲み物は用意されていました。党のお偉方が次々に挨拶を繰り返しました。最後は万歳三唱です。そしてお開き。その間約一時間。面白くもなんともない時間でした。

 小倉に単身赴任しているとき、前任から引き継いだスタンドバーのママさんが、工藤会へのみかじめ料が値上がりした、と嘆いたいました。自民党の集金組織もこのやり方とさして変わらないことを知りました。

2023年12月4日    驚くべき国・サウジアラビア                                                               池上彰がサウジアラビアへ行きました。訪れたこの国の現在の映像がテレビで流れました。驚くべき映像を目の当たりにすることが出来ました。至る所、豪華そのものでした。日本のアニメのすべてを展示した豪華な博物館がありました。日本産のお酒だけのて展示場もありました。山崎、白州、響などのウイスキーもありました。パリ・コレだけの館もありました。世界の珍味、キャビア、北京ダック、フォアグラを供するレストランも紹介されていました。とにかく、世界で最も贅を尽くした都市、それがサウジアラビアの首都リアドだ、という現実を知らされました。

 サウジアラビアの面積は215万キロメートル、日本の面積の約5,7倍です。人口は3547万人。首都はリヤド、人種はアラブ人、アラビア語を話します。歴代君主制で、現在の国王はサルマン・アブドル・アジスヌール・サウド国王。兵力は陸軍75000人、海軍13500人、空軍16000人。変わっているのは女性のすべては黒衣を纏い、髪を隠し、目ばかり出し、男性のほとんどは髭を蓄えています。更に変わっているのは、男性一人につき4人まで妻を持つことが許されている点です。家にいる限り、女性は黒衣を脱ぎ捨て、裸同然の派手な衣装に着替えることができます。男尊女卑もいいところです。ただ、国民のすべてがイスラム教徒であるため、一日に5回、大音響で鳴り響くコラーンと共に地面にひれ伏し、メッカに向かって祈りを捧げなければなりません。そして、サウジアラビアの最大の国家目標は、世界の他宗教を殲滅させて、「アッラーこそ神なり」を実現させることです。いま、イスラエルのガザで起きているハマスのテロは、それを実現させるための、ほんの、何度目か小手先しらべにしか過ぎません。

 栄華の限りを尽くしているサウジアラビアの元は、石油です。日本もその恩恵を享受しているのですが、この国の贅沢極まりない状況は永久に続くのでしょうか? 無限に思える石油の埋蔵量にもいつかは枯渇するときがやって来るでしょう。そのとき、この国はどうなるのでしょうか? そのときまた生を受けて見届けたいモノです。

2023年12月3日       早稲田ラグビー                                                               日曜日恒例の囲碁の番組、今日は女流でただ一人勝ち残っていた藤沢里菜さんが登場し、勝利し、準決勝に進みました。地下のおじいさん藤沢秀行さんの喜びの声が聞こえそうです。

 続いてテレビは早稲田ー明治の伝統のラグビー戦中継。一位は帝京大学、二位、三位の争いです。ラグビー場は大入り満員です。互いの校歌斉唱のあと、試合が始まりました。思えば、我が職場には大学ラグビーの選手が大勢いました。かつての朝日販売局は東大、一橋卒が多かったのに、いつの間にか運動部出身者多くなりました。私の次長を務めてくれた石山君、同期の白根君、ハモニカの名奏者堀口君、宮城県を担当した小林正幸君、彼はその後、早稲田ラグビー部の監督までやっています。この小林君が宮城県担当だったとき、市内のある販売店ともめ事を起こし、週刊文春に三回連載で書かれました。部長だった私は社内を駆けずり回って事情説明するやら、仙台の弁護士を立てるやら大変でした。当時、文春は、あること無いこと、朝日に関することどもを取材して書きたてていました。「朝日新聞の恥部・販売第三部」と都内の電車の中刷り広告にされたこともありました。

 伝統の早稲田ー明治の戦い。これを書き終わったら結果を見に階下の居間に降ります。

2023年12月2日          水事情                                                               いま、近畿地方では雨が降らず、水瓶である琵琶湖の水位がどんどん下がっているそうです。戦国時代の城跡の石垣まで露出し始めているとか。一方、季節外れの豪雪に悩まされているところも在り、お天気の神様のいたずらも過ぎるとしたものです。

 いま、日本の観光地は、どこも外国人旅行者で溢れかえっています。彼らが一様に驚くのは、レストランに座れば、コップ一杯の水が黙って出てくる、しかも、すべてタダ。おまけにトイレは水洗で水がフンダンに使える、、これには、まず、驚くそうです。

 なるほど、私の僅かな海外旅行経験でも、水が無料で供せられる国はなかった、と記憶します。有料のペットボトルの水を買わねばなりませんでした。家族で中国へ行ったとき、それをしないで、薬を飲むために目の前におかれた現地の水を飲んでしまいました。途端に、猛烈な下痢に襲われました。中国のトイレは団体で入ります。しかも、外から丸見えでした。

 タイ・チェンマイも水事情は極めて悪いところでした。水道水は濾過装置を通過させて、煮炊きに使いましたが、ほとんどペットボトルの水を使いました。ベトナム、カンボジア、マレーシア、ミャンマー、、、、生水を飲めるところは無かった、と記憶します。ヨーロッパでもそうでした。フランス、ドイツ、オーストリア、ポーランド、、、同じだったと思います。つまり、生水がそのまま飲めるのは、世界広しと言えども、我が日本だけかもしれません。

 自宅の寝室には、たえず2リットル入りのペットボトルが用意されています。北アルプスの天然水です。マグネシウム、カリウムなど、除去されていない、地中から湧き出たばかりの故郷・長野の水です。私の活力の源は、この辺にあるのかもしれません。                                                                                                                                                                                                                  

2023年12月1日      シューマン「子供の情景」                                                               今日から師走。光陰は矢のごとく過ぎていきます。昨日はピアノのレッスン日でした。12月のヴィデオ発表会までには、シューマンの「子供の情景・全13曲」を仕上げるぞ、と意気込んで取りかかってはいたものの、情けないことに、まだ、半分も仕上がってはいません。原因は進歩が遅いこと、同じミスタッチを繰り返すこと。指の動きが鈍くなっていること、、、分っているのに同じ過ちを繰り返すこと、、、

 全く、自分にはまだ先の話だと独り決めしていた「老化」という現象をつき尽きられ、我ながらイヤになってきています。

 だからといって、ここで止めてしまったら、、、、「ハイ、それまでよ」となることも分っています。私の理想は死の床にあっても、鍵盤を叩きながらあちらの世界へ行くことです。

 あと十日、頑張るぞ。

2023年11月30日       高田の四季                                                               新潟県の高田市は名にし負う豪雪地帯です。余りに積雪があるため昔は二階から出入りしていた程です。それではならじ、と市内の目抜き道りには「雁木」という雪覆いが出来ています。それを含めて唱った有名な高田高校校歌があります。次のような歌詞です。

       1.  高田の春は爛漫と 古城を包む春霞

    ああ、この地 我らが故郷

    頚城平の緑を越えて 虹がかかるよ 妙高山に

  2.高田の夏は爽涼と 日本海の波が呼ぶ

    ああ、この地 我らが故郷

    欅神社の森たそがれて 南波の山に半輪の月

  3.高田の秋はさやけくて 青田の川に紅葉うく

    ああ、この地 我らが故郷

    森の都も錦をおびて 鐘がどよむよ あの寺町に

  4.高田の冬はひひとして 繚乱香る六つの花

    ああ、この地 我らが故郷

    金谷山頭 スキーに暮れて 雁木に映ゆる 町並あかり

  今日、一通の訃報が舞い込みました。 藤田 勝 88歳

  長年に亘って高田市全域を守り抜いた、勝れた朝日販売人でした。

  雁木の中の酒場で、どれだけ、この歌を二人で唱ったことか!  

2023年11月29日        日大紛争(2)                                                               全国の大学経営を助勢するため、国には「大学助成金」という制度があります。日大は毎年、90億円の助成を受けていました。それが、アメフト部の薬物使用が発覚し、ここ三年、支払い停止が連続しています。林真理子が理事長になったのも、クリーンな出直しを図りたいための苦肉の策であったでしょう。でも、上層部同士の確執が露呈し、新たな醜聞に発展した以上、混迷は新たに深くなってしまっています。

 日大には事業部という組織があります。あらゆる事業に関わりを持っています。例を挙げれば、損害保険、自動販売機管理、警備会社、清掃業務、旅行代理店、物品販売会社、などなど、売り上げは70億円を超えています。更に、都内板橋には日大医学部付属病院まであります。これほど大きな大学企業体はない、と言える程です。だからといって、90億円の助成金の停止が3年間も続いているのは大きな痛手でありましょう。しかも、クリーンなイメージを作るために大学側の総意で理事長として就任した林真理子に対し、副学長が訴訟事件を起こす始末。助成金の復活は、益々、遠のいた、と言わざるを得ません。

 私の従弟、桜井国輝は日大相撲部に入り、時の横綱「輪島」の付け人になりました。就職も「間組」に決まっていた矢先、糖尿病で若死にしました。また、母親が目白で再婚した相手の次男も日大野球部の選手でしたが、調布市役所に就職してまもなく、4人の子供を残して行方不明になりました。日大は私にとって、悲喜交々の印象のある大学なのです、それだけに今回の上層部における確執は、残念で残念で堪らないのです。

2023年11月28日        日大紛争                                                                 日本全国に、早稲田、慶応の卒業生はゴマンといるのに、それより多いのが日大卒業生です。その全員がうんざりしているのが、今回起きた、日大上層部における訴訟事件ではないでしょうか? こともあろう副学長沢田某が、日大理事長の林真理子に対して、訴訟事件を起こしたのです。「名誉が傷つけられた、1000万円よこせ」と。

 日大アメフト部の薬物使用疑惑のため、日大の悪い印象を一掃するため、嫌がる林真理子を、敢えて、理事長に据えたのは、半年前の日大関係者の総意でした。検察上がりの沢田某もその中の一人でした。

 山梨県石和の本屋の娘、林真理子は日大芸術学部を卒業後、親友長沢忠信君のデザイン会社「ナック」に就職します。直木賞を受賞するに及んで、作家の道に入ります。今も、週刊文春に「夜更けの縄跳び」を連載中です。旦那は千代田加工の勤め人。娘が一人いるようですが、滅多に外へ出ていません。理事長職を云々されたときの彼女は、青天の霹靂だったようです。一度、長沢君と共に朝日浜離宮ホールでお会いしたことがありますが、デブとした印象しか残っていません。

 日大は私にとって人ごとではありません。何故なら、東大農学部を退官して日大農獣医学部ヘ移った私の父親は、その後、日大鶴ヶ丘高校の開設に伴い、その初代校長になっています。しかも、父親の弟は日大の何代目かの総長を務めています。その弟は日本の初期のヨーロッパとの海上貿易に関する権威でもありました。北海道札幌の日大高校を誕生させたのも、その弟です。

 問題の本質は、薬物にまみれた日大アメフト部を、どうやって再生させるか、にあったはずです。林真理子の起用も、世間の印象操作に狙いがあったはずです。ああ、それなのに、それなのに、、、、事態の中心は最上層部の内輪もめになってしまいました。ああ、ヤンヌルカナでありまする。

2023年11月27日    日韓関係                                                                    ユン・ソンニョル政権になって、日韓関係は好転の兆しを見せていたのにも拘わらず、ここへきて、急速に悪化し始めはじめました。理由は、韓国高裁が慰安婦問題について、日本政府に対して、改めて賠償金を支払え、という判決を下したからです。既に、解決済みであるにも拘わらず、再び、俎上に上げたことに起因します。

 第二次世界大戦中の慰安婦問題については、過去、何度も話し合われて来ました。10億円の基金を元にした財団も出来ました。韓国側はそれに納得しましたが、政権が文在寅になり、破棄されました。いずれも韓国側の政治的理由に依りました。つまり、韓国側はこの問題で日本側との交渉を楽しんでいるのでしょう、そうとしか思えません。

 

 この過去の現実を暴いた女性が、朝日新聞の女性記者です。松井ヤヨリです。彼女は山手教会の牧師の娘でした。私と同期入社の社員でした。もう一人大阪本社の社会部に所属する植村という記者がいます。彼は韓国人の妻を持ち、その母親が慰安婦の関係者だったことから、過去の事実関係を詳らかにし、記事にしました。この二人の記者の取材記事により、慰安婦問題は日に日に拡大して行きました。そして、ついには政治的大問題にまでなってしまったのでした。加えて、時の大統領は自身への支持率を上げるために慰安婦問題を嫌日運動の目玉に据えました。関係のない世界各国の目抜きの場所に、慰安婦像が建てられました。慰安婦問題が政治利用されるようになったのです。

 しかし、現ユンソンニョル政権は、前文在寅政権と違って日本に歩み寄りを見せ始めました。日本との経済協力が韓国にとって必要欠くべからざるものなの改めて悟った結果でありました。慰安婦問題も、既に過去のものになりつつありました。ところが、ところがです。このたび、韓国高等裁判所が水を差したのです。日本政府は原告一人当たり1000万円支払え、という判決を下したのです。裁判所の判決は重く受け止めねばなりません。だからといって、解決が進んでいたいたものを、蒸し返していいものでしょうか? 甚だゆゆしき問題です。

2023年11月26日     コンセント抜いたか                                                                 大相撲秋場所は今日の日曜日が千秋楽です。いつもだと、砂かぶり席に嵐山光三郎さんの姿があるのに、このところ、見かけなくなりました。彼は相撲好きでも知られている知識人です。週間朝日が休刊となり、彼の名連載エッセイ「コンセント抜いたか」もお仕舞いになりました。その後、彼はどうしているのでしょう? 嵐山光三郎は彼のペンネームで彼の本名は祐乗坊英明といいます。父親は祐乗坊宣明といい、朝日新聞の社員でした。国立の朝日社宅に住み、その後、払い下げを受け、そのまま住み続けています。父親は退職して多摩大学の教授になりましたが、光三郎さんは週間朝日の名物連載を続け、恩返しをしています。

 箱根の塔ノ沢に「福住楼」という朝日新聞御用達とも言えるの木造旅館があります。販売局の制度会議など、しばしばここで行われ、女主人の「みどり」さんとも打ち解けた間柄になっていました。嵐山光三郎さんもこの旅館のファンでした。この古風な旅館のことがしばしば「コンセント抜いたか」に登場しました。あるとき、女将さんのみどりさんから電話がありました。「コンセント抜いたか」に「塔福」のことが間違って書かれている、どうしよう、というものでした。早速、出版局へ行って事の次第を述べました。訂正記事が長々と載りました。嵐山さんから直接のお礼の電話がありました。みどりさんからもありました。

 これは余談ですが、この旅館での会議が終わると麻雀が始まります。これを楽しみにしている1人でもありました。その晩、生涯の一大失敗をやらかしました。何としたことか、私が役満を振り込んでしまったのです。「オール・グリーン」という滅多にお目にかからない役満です。振り込んだ相手は崎川君。(販売OB会の写真の中に彼がいます)

 熱戦を観戦していた当時の部長「古屋哲夫」さんが感に耐えぬようにのたまいました。「生まれて初めてオール・グリーンで上がるのを見た!」

2023年11月25日     新蕎麦                                                              山間部の荒れ地に、白い花を咲かせていた「蕎麦」が実を結んで収穫されるのが11月の今頃です。蕎麦通はその黒い実を石臼で曳き、そば粉を取り出します。その挽き立てのそば粉に少量のお湯と上等の醤油を加え、練り上げた一件が「そばがき」です。馥郁とした香りと味わいは新蕎麦ならではのものでありましょう。郷里・長野の山奥、戸隠は名だたる蕎麦の名所です。何故か、蕎麦は荒れ地を好み、一面に白い花を咲かせます。蕎麦の名所は福島にもありました。会津若松と喜多方の中間、山都がそうでした。見渡す限りの山間が時期になると白い花を咲かせていました。壮観でした。

 椎名町の目白通り沿いに「翁」という小さな蕎麦屋がありました。高橋某という目玉をぎょろつかせた男が店主でした。手塚治らの漫画家が住むアパートの近くだったので、賑わっていました。私も朝日に入社したころ、その近くに住んでいたことがあったのです。彼は蕎麦を茹でる温度を寒暖計で測ってから、蕎麦を投げ入れ、ストッポッチで頃合いを見て素早く引き上げ、洗います。のんびりしていると、「早くクエ」と即しました。その彼が、山梨の清里に店を出し、自分で蕎麦を栽培し、石臼で曳いてお客に供し始めました。それでも飽き足らず、広島の奥地に蕎麦畑を持ち、自ら、蕎麦栽培を始めました。畏友宮沢君が亡くなって10年余り、その度に蕎麦やさんの世話になって来ました。宮沢君のご贔屓の店は「真次蕎麦」でした。そこはつなぎを使わない、そば粉だけの10割蕎麦で有名なところでした。

 いま、日本蕎麦屋さんは激減しています。替わってラーメン屋さんの全盛です。日本蕎麦とラーメンでは、味の方向が全く違います。この先、日本蕎麦屋さんはどうなっていくのでしょうか?

92023年11月24日     下仁田葱                                                          小さい頃、母親がよく「ねぎま鍋」を作ってくれた記憶が鮮明に残っています。長ずるに及んで、北関東三県を担当する次長になり、群馬県の富岡・下仁田へ行ったとき驚きました。見渡す限りの耕地が葱で埋まっていたいたからです。ずんぐりとした丈の短い、太い葱。葱にも色々種類があるそうで、深谷葱、京都の細い9条葱などなど。ところがこの葱は普通の葱と全く違う姿・形をしていました。地元の方の説明によると、代々の江戸幕府への献上品であったとのこと。地元の所長さんの案内で、葱専門の料理屋さんへ行きました。この葱の特徴は、口の中に入れると、自然にとろけるのです。今まで味わったことのない感触の実に旨い葱でした。それから、というもの下仁田葱の虜になりました。

 この葱が出回るのは、11月末から2月までです。一昨日、家の近くの群馬県農産物直売所を覗いたら、この葱が入荷していたではありませんか。やれ、嬉しや、としこたま買い込み、一昨晩も、昨晩も「葱鍋」です。鶏の手羽先、その他をダシにして、下仁田葱をたらふく頂きました。卓上鍋には、まだ、余韻が残っています。今晩も、恐らく、下仁田葱です。

2023年11月23日     ドバイ 大洪水                                                           ドバイは、アラブ首長国連邦の首都です。ペルシャ湾を挟んで対岸は、イラン、砂漠の向こう側はサウジアラビア、という地形です。砂漠の中に出来上がった近代都市ですが、川がないので、水は海水を処理して使って居ます。浜辺の至る所に海水処理施設のモーターがうなりを上げていました。公共交通機関は狭い国土を縦断する高架鉄道のみ。日本の日立製の六両編成の電車が10分おきに走っていました。街のなかは近代建築がビルが林立し、道路も広く、快適ですが、10分も走れば、もう砂漠です。木々は一本も生えていません。荒涼とした光景が果てしなく続きます。

 一方、世界一高いビルの中には贅をを尽くしたショッピングセンターがありました。世界中のチーズが集められた一角がありました。日本酒の全銘柄が売られているブースもありました。何しろ石油が無尽蔵に出る国ですから、あらゆる贅沢が出来るのでしょう。その象徴の一つがドバイの空港です。世界中で最も人気のある「エミレーツ航空」の根拠地です。巨大空港の設備のほとんどは地下にありました。100人乗りのエレベーターも地下に在りました。地下電車も走っていました。

 このドバイが、先頃、大洪水に見舞われました。砂漠地帯なのに大雨が降り続いたのです。水は容赦なく空港の地下施設にも流れ込みました。数あるビルの地下にも流れ込みました。都市全体が機能不全となったようです。驚くべき天変地変ではありませんか。

 振り返れば、エミレーツ航空でドバイへ行ったのは五,六年前です。目的は「香」でした。イエス・キリストがこよなく愛した「香」を求めに行ったのでした。首尾良く、目的の「香」をマーケットで見つけ日本へ持ち帰り、福島の教会をはじめ、あちこちにお裾分けしました。思えば優雅な時代でした。

2023年11月22日     荒 汁                                                            富山駅前からさして離れていないところに「鮮」という海産物を食べさせてくれる小さな店がありました。富山へ行くたびにそこに寄らせて貰っていました。何よりも「荒汁」が秀逸でした。ずわい蟹、寒ブリ、なども言わずもがなで、貴重品「白エビ」もありました。

 富山県は日本で一番朝日新聞の普及率が低い県です。読売の元祖正力松太郎の生まれた県で、読売の印刷工場もありました。加えて、北日本新聞、北国新聞がハバをきかせていました。私が東北六県・信越担当の第六部長の頃、東京の販売局長が急死します。後任に大阪からK局長が赴任してきました。と同時に、今まで大阪本社管轄であった富山県が東京への移管となりました。私の守備範囲の中に加わったのです。県内24店の販売店の持ち部数の合計は18000部足らず、新潟の8万部、福島の8万部と比較になりません。先ずやったことは北日本新聞との話し合いです。幸い、北日本新聞社の局長と、K局長が昵懇の間柄であったことから、何度か、富山の料亭で話し合いを持ち、北日本扱いの折り込み広告を朝日の販売店に、朝日新聞扱いのものを北日本の販売店へ、相互乗り入れする談合が成立しました。販売店が喜ぶまいことか!

 その後、私は大部数を誇る千葉・埼玉担当の第四部長になり、外勤担当の局次長になり、西部本社の営業局長など歴任するのですが、未だに思い出すのは、富山の海産物料理店「鮮」の「荒汁」です。そして、この時期の「ずわい蟹」です。仕事の思い出より、その土地土地での印象深かった食べ物の方をより多く思い出すのは、何故なのでしょう。

2023年11月21日     三度・飯山陽                                                          筑波高校から、上智大史学科を出て東大大学院で博士号を取った飯山陽は、今、大勢の男性研究者を相手にして孤軍奮闘中です。中でも東大教授の池内恵にかかれば、飯山陽はクソミソです。彼女は、彼が博士号も取っていないのに何を言うか、と論戦を挑んでいます。

 昨年、飯山陽は「イスラム教再考」という二冊目を出版しています。最初の名著「イスラム教の論理と倫理」は私の机上にあるのですが、うかつにも見落としていました。今日、アマゾンに注文を出しました。

 彼女がいま論戦を挑み、また挑まれている男どもは大勢います。井筒俊彦、高橋和夫、中田考、宮田律、出口治郎、内田樹、中田敦彦、そして東大教授の池内恵、などの名前が列挙されます。この男どものほとんどは、イスラム世界で住んだことはありません。それに対して、飯山陽さんは、東大大学院卒業後、数カ国のイスラム世界で実生活をおくっています。イスラム教そのものを肌で感じて論じているのです。今は日本での生活ですが、しばらく前はタイ・バンコックにも住んでいました。

彼女のご主人については、いくら調べても詳らかになりませんが、私の予想では、恐らく、日本人ではないでしょう。生粋のイスラム教徒のように感じます。とかなんとか、どうやら私は飯山陽のファンの1人になったようです。

2023年11月20日   雪、雪、雪                                                            一昨日から昨日の夜にかけて、かなりの雪が日本海側、特に山陰地方に降りました。ほとんどの車はスノータイヤや、チエーンの用意がなかったため、交通は渋滞し、各地で、かなりの事故が発生したようです。

 それにしても時期の早い降雪です。しかも、東北地方の日本海側なら分るが、そこをさし置いて、山陰地方に集中したのはどういうことでしょうか? 明らかに気候は昔と違い始めたようです。

 現役で新潟を担当しているときは雪に苦しめられました。海沿いの街には積雪がないものの、一歩、山間部に入ると豪雪です。特に魚沼地方、十日町などは名にし負う豪雪地帯です。その雪をかき分けヘし分け新潟県8万部の朝日新聞は、毎日、読者の元へ配達されていたのです。

 仕事を終えて、その頃はまだ新幹線がありませんでしたから、特急「とき」に乗って湯沢から清水トンネルを越えると、そこは太陽が燦々と照りつける真昼の世界。よくも、こんなに対照的な世界を、神様はお作り遊ばしたものだ、とお恨み申し上げたものです。

2023年11月19日   再び、いかりチャンネル                                                             ユーチューブでの「いかりチャンネル」こと、飯山陽(あかり)さんはこのところ、狂ったように日本の言論人のイスラエル戦争論調に批判を加えています。とりわけ、放送大学教授の中田某教授、TBSの解説者松原耕二などへは厳しい非難を集中させています。私も彼女と同意見です。日本の言論人は、なんで、現象だけにとらわれて、ことの本質に迫る論評が出来ないのでしょうか?

 それは、日本における宗教は、形ばかりの神道と、葬式仏教はあっても、人間の魂の根源に迫る世界の二大宗教「キリスト教」、「イスラム教」に疎かったせいもあるでしょう。従って、戦争の現実を見るにしても宗教的見地からのものの見方に疎いのです。実感が想像できないでいるのです。現われる現象だけにとらわれて論評しているのです。

 一方、キリスト教の牧師達はイスラエルとアラブとの歴史的因縁について熟知しているので確かな論評が出来ています。飯山陽さんも同じです。深い知識がある上に、長年にわたって、イスラム世界に住んでいたので現実に即した論評が出来るのです。

 「いかりちゃんねる」によれば、テロ集団ハマスには強力な支援者がアラブ諸国各地に大勢ついていると言われています。例えばイエメンの大富豪です。大邸宅に住み、ハマスに膨大な援助を与えながら、指令しています。パレスチナ人を盾にして戦え、と。彼らにとってパレスチナ人も、建国も、どうでもいいのです。ただ、アブラハムと、イエスキリストが残したユダヤ教、とキリスト教を信じるものが、この世からいなくなってくれればいいのです。「アッラーは神なり」だけの世界にしたい、というのが今回のそもそもの原因なのです。

2023年11月18日   朝日メイト                                                             秋篠宮次女の佳子さまが、このところ、日本各地で行われる行事にお出になって、明るい笑顔を振り撒いています。いい笑顔で好感が持てます。姉の真子さまの方は、同級生と恋仲になってニューヨークへ行ってしまいました。皇室の方々はある意味で日本の象徴です。個人的わがままは出来れば避けて貰いたいモノだ、と私は思います。

 今は誰でも持っているカードは、その頃まだ、珍しいモノでした。宣伝部に在籍の頃、次長の松信君の発案で、カード「朝日メイト」という組織を作り上げました。朝日新聞の読者であれば「朝日メイト」の会員になることができ、朝日新聞が主催する、音楽会、展覧会など各種催し物に「朝日メイト料金」で入れるようにしたのです。大当たりしました。朝日メイトになるために、他の新聞を止めて朝日新聞に切り替える読者が激増しました。音楽事務所もそれを見て、朝日新聞との共催を矢継ぎ早に申し込んできました。

 その中の一つにウクライナ歌劇団の東京公演がありました。何と、皇族である高円宮家ご一家が、この公演を希望しておられる、善処せよ、とのお達しが社長秘書室からありました。慌てました。どういうお迎えの仕方をするのか、聞き回りました。控え室を用意し、二人のお嬢さんのためにお茶とケーキを用意させました。でも二人というわけにもいかないので4人分としました。お子さんの席の隣に陣取って、分る範囲のご説明もさせて貰いました。無事にお帰りの車を見届け、部員達から労のねぎらいの言葉を掛けられました。

 その後、数年して高円宮さまは、室内競技の最中突然死されます。宮さまの秘書であった奥様とお嬢様方は、ご健在、と伺っていますが、どうか、秋篠宮の佳子さまのように、明るい笑顔で国民と接して貰いたいものです。

2023年11月17日    二度目のMVP                                                                   大谷翔平が二度目のMVP受賞に輝きました。しかも、全会一致だそうですから、これはもう、快挙以外のなにものでもありません。今朝のテレ朝の番組で、その記者会見の模様が放映されました。会見の場所は恐らく、彼の居間でしょうか、愛犬を抱いての登場です。相変わらずの爽やかな笑顔での登場です。何という種類の犬でしょうか、顔の長い犬が、時折、彼からお菓子を貰いながら愛敬を振りまいていました。彼はこの犬と寝起きを共にしているのでしよう。彼の唯一の慰めなのでしょう。よくよく見ると、どこか彼の父親に似ているような気がしました。彼の父親も野球人ですが、実に、特徴のある顔つきをしています。更によく見れば、彼の母親にもどこか似ているようでした。

 この両親の凄いところは、息子が手にした莫大な金に一切手を付けないことです。父親の収入の範囲で生活しているのです。日本での彼の生活のために有明のマンションを億単位の金で購入し、シーズンオフには母親がそこへ通って世話をしている様ですが、自分たちも、兄姉達も、翔平さんの金を当てにしたことがないそうです。これこそ美談でなくてなんでしょう!

 記者会見の最中、彼は愛犬と戯れながら、極く自然に振る舞っていました。実に爽やかでした。岩手県、万歳! 大谷家、万歳!

2023年11月16日    ガザ・シファ病院                                                                   ガザ地区の中心部に位置する最大の病院「シファ」の地下壕にはハマスの軍事参謀本部が置かれていると言われています。昨日、イスラエルの地上部隊100人がこの病院を急襲し、案の定、武器弾薬などを発見し、それを公開しました。しかし、ハマス側はそれを否定しています。一方、世界の世論はイスラエルに対して非難を浴びせています。例え、参謀本部があろうとも、病院を襲うとは何事か、と言うわけです。日本の新聞論調も概ねそのようです。置き去りにされた新生児の遺体などを殊更に掲載して同情を煽っています。

 パレスチナの一般市民を巻き添えにして、奇襲攻撃を仕掛けたハマスという組織は一体何ものなのでしょう。パレスチナに同情する振りをしながらイスラエルという国をこの世から殲滅させたい、とする国々が「それをさせている」という事実を知らねばなりません。武器弾薬、食料支援などなど、それをしている国の代表がイランでありカタールです。レバノンも、シリアもイエーメンも同じ穴の狢です。つまり、アッラーを唯一の神とする国々のすべてが、ユダヤ・キリスト教の国「イスラエル」の地上からの抹殺を望んでいるのです。

 戦争というモノはいつの世でも悲惨です。かつて、アメリカ軍の空襲と原爆投下によってどれだけの子供達が死んだでしょうか!ウクライナとロシアとの戦争でどれだけの子供達が犠牲になったでしょうか!

 戦争とは相手の生存権を奪う行為です。生まれたばかりの子供であろうと例外はない、と言うべきです。

2023年11月15日    高野山                                                                数年前の桜咲く頃、京都の桜を観ながら高野山に詣でるツアーに参加したことがあります。太閤秀吉が愛でた桜がそのまま生き残っているといわれる「醍醐寺」の桜は、評判に違わず美事でした。続いて高野山の宿坊に直行。生憎、雨が降り出しました。高野山は山の上ですから雨は雪に変わりました。宿坊を出て奥の院に向かって歩きました。左手はお墓、お墓の連続です。何故か会社名が多く、驚くまいことか朝日新聞社のお墓もありました。奥の院は僧・空海が入定したところです。数百年の時を経た明かりが燃えていました。谷間の桜もほぼ満開でしたが、何しろ、寒くて、寒くて、早々に宿坊に引き上げました。

 この、高野山と宿坊、今や外国人観光客に大人気だそうです。今朝のモーニングショーで放映されていました。箱膳を前にして、彼らはぎこちなく正座し、箸を使って精進料理を口に運びます。仏間に入って座禅に取り組みます。彼らにとっては、思っても見なかった異文化との接触です。宿坊での食事、寝泊まりなど、日本人でもそんなに経験は出来ません。外国人なら尚更です。異文化との接触です。故に人気が高まっているのでしょう。日本人の私でさえ、始めて高野山へ行ってみて、「ここは異次元の世界だ」と思いました。外国人にとっては尚更でしょう。ビックリしたのは外国人のツアーの値段の高さです。旅行業者はさぞかしほくそ笑んでいることでしょう。

2023年11月14日      販売OB会                                                                一昔前、九州小倉から東京のICU大学まで歩いてきた学生がいました。その顛末が週刊朝日に載りました。それを見た当時の販売部長寺崎道春さんが「こういう人間こそ朝日の販売に欲しい」

 そうして入社してきたのが、小倉駅長の息子・植田義浩君でした。福島県を担当した私の助務になりました。私には9人の助務が付き、一人前に育って貰いましたが植田君はその最初です。背が高く、ユーモアに富む彼は仕事を覚えるのも早く、切った、張ったの世界でも勇名を轟かせ、東京本社販売局長、全社の販売担当常務、西部本社代表、を歴任し熊本朝日テレビ社長を最後に、自らが作り上げた「画廊」の主に収まり愛犬と暮らしています。

 昨日二時から、築地の朝日本社内の「アラスカ」で3年越しの「販売OB会」が開かれました。懐かしい顔ぶれが集まりました。何と、植田君の顔がそこにあったではありませんか。頭の毛は薄くなってはいましたが精悍さはそのままです。

 思えば、私に付いてくれた植田君は東京販売はおろか全社のリーダーになりましたが、不思議なことに植田君に付いた助手達がその後のリーダーになっているのです。その三代目の幹部から情けない話を聞きました。朝日新聞の総発行部数が、最盛期は860万部であったモノが、今は500万部減って360万部になっているというのです。1961年、私が入社させて貰った頃の発行部数と同じです。

 そして思いました。私の人生は何だったのだろう?と。更に思いました。朝日新聞の部数伸張に命をかけた植田君の人生は何だったのだろう、と。更に、今日ここに集まっている朝日の販売一筋生きてきたOB達の存在は何の意味があったのだろう?と。

2023年11月13日     鮟鱇鍋                                                             オリエンテーリンという野外スポーツ競技があります。競技者には一枚の地図が渡され、競技開始です。地図上に示された10か所のスポットをいかに早く探し出して、通過を示すハンコを貰ってゴールするかを競う競技です。朝日新聞社専務取締役編集担当の伊東牧夫さんは、この競技団体のお偉方でありました。そのお陰で、この競技会は朝日の主催行事にされ、競技会がある度に、宣伝部員がかり出されました。密かに「エライ迷惑」としていましたが、専務サマのお計らいなので従うよりありません。そのときの大会は、茨城県の福島寄り高萩の大原野で行われました。遠隔地であるにも拘わらず、当時の人気スポーツでもあったせか、参加者は大勢でした。水戸支局からは伊藤聡支局長以下5名、宣伝部員は私と松信次長他10名、地元の販売店から10名が雑用係となりました。伊藤さんの同僚・秦正流専務さんまで付き合わされていました。

 大会が無事に終わって、やれやれとしているところへ、大鍋が運ばれて来ました。関係者全員に箸とどんぶりが渡されました。何と、高萩の料理屋さんから「鮟鱇鍋」が運ばれて来たのです。関係者全員、ビックリです。有り難くいただきました。旨かったの何の、、、、、

 私は知らなかったのですが、次長の松信裕君がすべて用意したとのこと、恐らく、関係者全員、こんな旨い鮟鱇鍋を食べたことなど無かったでしょう。松信君はいまは有隣堂書店の社長として頑張っています。伊藤専務も、秦専務も既にお亡くなりになり、オリエンテーリングという野外スポーツも、今はどうなっているか、定かではありません。

2023年11月12日   きりたんぽ鍋                                                                  昨日から急に寒さを感じるようになりました。鍋料理が恋しくなる季節の到来です。秋田では「アキタコマチ」の新米が「きりたんぽ」になって、「比内鶏」と「ささがき牛蒡」と「芹」と「ネギ」と一緒になって食卓に上がるのを待ち焦がれているでしょう。秋田にはそのほか、「しょっつる鍋」もありました。秋田の人はきりたんぽ鍋をするときは、わざと鍋にきりたんぽを残して置きます。一晩経った方が、きりたんぽに味が浸みていて美味しい、とのことでした。更に、いうまでも無いことですが、きりたんぽは、普通に売られている鶏肉ではあの味は出ません。比内鶏は放し飼いされて育った特別な品種なのです。東京でこの比内鶏を取り寄せて使って居る料理屋さんが、ただ。一軒だけあります。(私の知るかぎり)人形町の「秋田」です。

 何故、そこを知ったか? 曰く因縁がありました。私の宣伝部長時代のことです。東京版に「東京味散歩」という連載ものがありました。横柄な物言う記者が担当していました。「人形町の秋田はブロイラーを使って居る」という記事を書きました。女将さん夫婦(山田さん)が朝日新聞社に怒鳴り込んできました。記者は逃げました。結局、テレビ朝日の番組、「土井勝のおかずのクッキング」で取り上げて貰い、怒りを解消して貰いました。それを縁にしてテレビ朝日の出版部長で長野高校の先輩でもある丸山一昭さんと人形町へ通うようになりました。宣伝部会の打ち上げも、販売店の会合も、そこでやるようになりました。文化座を率いる佐々木愛さんとご一緒したこともありました。

  その後、分ったことは、人形町「秋田」の山田さんご夫妻は秋田の故郷に特別な農園を持っていて、比内鶏を放し飼いしていること、一緒に尾長鶏まで飼育していることでした。

 その後、いい加減な記事を書いた記者は地方へ飛ばされました。朝日の記者といえども、中には「変なやつ」もいた、という顛末でした。

 

2023年11月11日    大したもんだ                                                                報道によると、現在、アメリカで大活躍中の大谷翔平選手が、自分の私財を投じて、日本全国、すべての小学校、二万校に対して、3つずつのグローブを贈るという報道がありました。合計六万個のグローブ。快挙です。そのグローブを手にした野球少年達の喜びはいかばかりでしょうか? 日本の子供達の野球熱がうなぎ登りになること必定です。

 凄いことを彼はやってくれようとしています。前代未聞の慶事でありましよう。それにしても、大谷翔平の金銭に対する執着ぶりの無さは異常とも言えるくらいです。加えて、人柄が爽やかです。ケレン味など全く感じません。紛れもない、岩手県が輩出した優秀な人物でありましょう。岩手県の誇り、いや、日本の誇りでもありましょう。

 いま、アメリカの野球界は大谷翔平を巡っての移籍問題で大揺れに揺れています。私の願いは、そのまま、エンゼルスに留まってくれることです。弱い球団の一つであるエンゼルスを皆で協力し合いながら、優勝球団にしてもらいたい、と思うのです。間違っても、ヤンキースなどへ移籍して貰いたくありません。有力候補の一つは、同じ西海岸のロスアンジェルス・ドジャースだと言われていますが、さて、どうなるのでしょう?

2023年11月10日    日本の若者の堕落                                                            カンボジアの首都・プノンペンのアパートを拠点に、日本人高齢者を相手に「特殊詐欺」を働いていた一味、25人が逮捕され、日本に護送されて来ました。その容疑の内容は、老人ホームへの入居難にかこつけて、「抽選で当たりましたよ」と電話して、入居金をだまし取る、というのが主な手口のようでした。被害は27道府県にも及び、総額9億7000万円に及んでいるそうです。裏では、広域暴力団工藤会が絡んでいるともいわれています。工藤会の事務所は北九州小倉にあります。小倉・砂津の西部本社に単身赴任の頃、毎朝、工藤会の事務所の前を通って出社していました。

 つい先頃、フィリピン・マニラでも大勢の詐欺グループが逮捕されました。それにしても、何故、ヨコシマな考えを持つ若者達が日本ではなく、海外を拠点にするのでしょう。気候が温暖で過ごしやすい、人の目を気にしなくて済む、という利点もさることながら、スマホ一台あれば何でも出来る、という時代になっていることが大きな原因ではないでしょうか。「ライン」ひとつとってみても、今では、世界中誰とでも気軽に話ができる時代になっているのです。一昔前は、通信手段は紙による手紙でした。せいぜいが、高額の金を払っての電話でした

 カンボジアの首都はプノンペンですが、有名なアンコールワットはシュムリアップにあります。豪華なホテルに陣取り、大汗をかきながら三日間も見て歩きました。博物館へも行きました。沢山の写真を撮ったところ、「それはダメ」と係員がすべての写真を除去したので、喧嘩になりました。湖上生活者の群れも見に行きました。考えられない貧しい生活がそこにありました。日本の若者達よ、詐欺を働いていた25人の若者達よ、君らはなんという心得違いをしていたのか? 貧しさの際にいても清く正しく生きている湖上生活者の爪の垢でも煎じて飲み給え!

 

2023年11月9日    嵯峨野歩き                                                      今日も秋晴れの上天気。京都の寺社仏閣の紅葉はまだしも、小倉山の木々の紅葉は今が盛りとなっているでしょう。若いときから、暇が出来ると嵯峨野界隈の一人歩きをしてきました。恐らく、二十五回は超えているでしょう。山陰線に乗って、嵯峨野駅で降ります。トロッコ電車を横目に見て町中を抜け、天竜寺の門をくぐります。ひとしきり、美事な庭を鑑賞した後、裏門から抜け、竹林の中のだらだら坂を登り、突き当たりの大河内山荘に入ります。昔の映画俳優・大河内伝次郎が創った瀟洒な空間です。昔の入園料はお茶券込みで300円でした。広い敷地の頂上から見下ろす、桂川の景観は抜群でした。緋毛氈屋台でお茶をいただいていると、屋敷の直ぐ下が山陰線のトンネルになっていて、当時は蒸気機関車の煙が立ちこめました。

 続いて、常寂光寺、二尊院、祇王寺です。確か、二尊院は往年の新橋芸者・照葉さんが剃髪して仏門に入った曰く付きのお寺です。続いて落柿舎。その先は瀬戸内寂聴さんのお住まい「寂庵」。瀬戸内晴美さん剃髪するとき、介添えしたのが今東光和尚。剃髪に当たって彼は彼女に問いました。「男はどうする?」、「絶ちます」との返事。しかし、何故か、寂庵のお庭番に、元毎日新聞社出版局次長だった色男が住み込んでいました。続いて、少し歩いて清涼寺。大沢の池の隣の大きな寺です。寺の奥に写経場がありました。神妙に般若心経を写経しました。昼飯はいつも、清涼寺前の小さな蕎麦屋での「あんかけうどん」です。うどんの上に「アン」が載っているだけのモノです。それが、旨くて、旨くて。そして再び歩いて戻ってきて、嵐山電鉄に乗ります。一番前の席に座ります。次は石庭です、、、、そしてその日のホテルは京都御所前の小さなホテル。歩き疲れて熟睡です。

2023年11月8日    飯山 陽(あかり)                                                  美人のイスラム学者・飯山陽が、二年前に始めたユーチューブ・「いかりちゃんねる」には、既に、13万人のフォローワーがいることを知って、改めて、彼女について調べてみました。47歳。筑波高校から上智大史学部を卒業し、更に、東大大学院に進み、修士課程を修了しています。ものした評論、論文は数知れず、特に評判の高いのは「イスラム教の論理と倫理」でありましょう。私も、この文庫を買って精読し、感動した一人です。実際に彼女は中東、つまり、イスラム圏で長い間生活していたので、そこから鋭い考察が生まれたのでしょうが、池内紀が絶賛しているのもうなずけます。近々、読み直してみる積もりです。

 彼女のご主人と子供については、よく分りません。一説によるとご家族は、バンコックに住んでいるとか? 問題は、彼女がモノした論評の真実性です。夥しい評論活動をワレワレは目にすることが出来ます。凄い数です。ユーチューブでの露出も目覚ましい数です。いつもユーチューブでお世話になっている大阪の牧師・高原剛一郎さんなどは、彼女のイスラム観をべた褒めしています。

 ハマスの奇襲攻撃から始まったイスラエルの反撃。同情論では済まされない歴史的必然性。この際、飯山陽の「イカリチャンネル」覗いてみてはいかがでしょうか?

 

2023年11月7日    金色のドーム                                               イスラエルの首都・エルサレムは起伏の多い街です。その街の小高い丘に巨大な金色のドームが建っていて、恰も、街全体を睥睨しているようです。紀元630年、イスラム教の創始者・ムハンマドが死去しました。メッカやメジナには彼の魂が眠ると言われる巨大な黒い箱があって、何百万人の信者がその回りにひれ伏して、祈りを捧げます。しかし、彼の魂が昇天したのは、エルサレムのそのドームからだと、と言われています。その直ぐそばにゴルゴダの丘があります。イエスキリストが十字架に架けられた丘です。今では、聖墳墓教会になっていて、世界からの信徒達で大混雑になっています、そのイエスが昇天した、とされる坂道は「ビアドロ・ローサ」と呼ばれ、曲がりくねった坂道の両側は小さな商店が密集していました。ある曲がり角には、ここで母親・マリアがイエスを待ち受けていた、という標識がありました。

 金色の大きなドームを一回りしてみました。どこにも入り口がありませんでした。人の群がりもありません。殺風景そのものでした。

 何故、こういう無味乾燥な、ご大層な建造物がここに出来たのか?これこそが、このたびの戦争の原点が潜んでいるように私には思えてなりません。

 今日、ひょんなことから、イスラム学者・飯山陽さんのユーチューブを見ました。始めて彼女のご尊顔を拝しました。魅力的な美人なのに、イスラム社会での生活が長かったことから、蘊蓄のある話が聞けました。付け焼き刃の解説を、さも、したり顔で話をする、日本のエセ学者達よ、少しは、彼女の爪の垢でも煎じて飲みたまえ!

2023年11月6日    ものの見方                                            スイスの国内に入って、観光バスで高速道路を走るとき、何でこんなに広い道路が必要なのか、驚かされます。トンネルには航空機が隠されていて、いざ、という時、高速道路を滑走路にして飛び立ちます。何気ない山のどテツツパラにも格納庫があって、最新鋭の航空機が出番を待っています。その上、各家庭には武器弾薬が蓄えられていて、いざ、という時は国民全員が武器を手にするそうです。世界に対して「永世中立」を宣言しているスイスでさえ、こうです。況んや、イスラエルに於いておや。

 10日余り観光バスで旅した限りでは、イスラエルの至る所の景色は自然そのものであり、軍事施設らしきものは、全く、見かけませんでした。ところが今、緑に覆われた山肌が割れ、無数のミサイルがそこから飛び立ち、ガザで炸裂し、ハマスの戦闘員を含めて、幼気な子供たちまで巻き添えにしています。イスラエルの軍事施設は地上には出ていないのでした。すべて、地中深くに存在しているのでした。その点ではスイスと同じです。否、スイスより巧妙な隠し方をしているかも知れません。  

 国連のグテーレス事務総長までイスラエル批判に回り始めた昨今、ユーチューブでもそのような論調が目立ち始めています。その中にあって、歴史的事実に言及し、依って来たる所以を正確に、極めて事実に基づいて解説しているのが、高原牧師、中川牧師、松本牧師さん達であります。お三方とも、イスラエルには数十回脚を運んでいます。キリスト者ですから、そうなるのも当然でしょうが、歴史的史実を正確に捉えて言及しているところに意味があります。日本の新聞や雑誌のような「可哀想」的な、皮相的な見方では無いところに価値があります。

 是非、お目を通していただきたいものです。                       

2023年11月5日    冷凍透明人間                                           学歴は無くても総理にまで上り詰めた田中角栄の娘・田中真紀子は、当時、首相候補であった石破茂を「納豆餅」、菅よしひでを「問屋の番頭」、岸田文雄を「冷凍透明人間」とあだ名しました。その、岸田文雄の支持率は、現在、29%まで下落しています。それでも、本人は全く意にかいせず、精力的に飛び回っています。

 早稲田出の政治家は実に多い。何故なら、早稲田には政治家の子孫だけで組織されているクラブが二つもあるからです。その一つ、「雄飛会」は余りにも有名です。石橋湛山、竹下登、森喜朗、海部俊樹、小渕恵三、そして岸田文雄、、、、校舎から少し離れた甘泉園の池の畔で、ぼろ手拭いを腰にぶら下げ、「ワレワレは、、、」と、演説練習でガナリ立てているのが常でした。その直ぐ横が、男声合唱団「グリークラブ」の練習場でした。単位を取るため、理工学部裏の相撲部に入れて貰ったのはいいけれど、余りに練習が過酷のため、逃げ出して、そのグリークラブへ入れて貰いましたが、アルバイトと両立しませんでした。

 いま、岸田文雄の支持率は最低です。しかしこれは、岸田が悪いのでは無くて、世界の趨勢の結果であると、私は思います。よしんば交代したところで、一体、誰がいるでしょうか?慶応出の納豆餅、石破茂でしょうか? いま、円安のお陰で、日本各地は海外からの旅行者で溢れかえっています。皆さん、日本の良さを堪能してお帰り遊ばしています。辛いのは、海外へ出る場合です。日本円の価値が思いのほか下がっているからです。しかし、それもまたご愛敬では無いでしょうか。

2023年11月4日     苦い水                                          私の仕事場の机の片隅に、液体の入った小さな壜が置いてあります。密閉されているにも拘わらず、液体は底の方に僅かな量が溜まっています。今日、その壜を手に取り、蓋を開けて、ほんの少々、口に含みました。形容しがたい塩辛さと苦みが口いっぱいに広がりました。

 この水は、かれこれ4年前にイスラエルへ旅したとき採取して、隠れ持ってきた「死海」の水です。何かあるとき、口に含んでは、その困難と対面してきました。イスラエル唯一のヨルダン川は北のはずれ、ガリラヤ湖に端を発し、死海に注ぎます。その高低差、約400メートル。死海にたどり着いた水はその先がありません。お日様による蒸発を待つばかりとなります。そして数千年、いや、数万年。その水を今日、口に含んだのです。

 今日の朝日新聞一面の大見出しは「ガザ市包囲網”完了”」「イスラエル軍新たな重要局面」とあり、中東総局長の武石英四郎が「報復の果てに平和はない」と論陣を張っています。今や、世界の世論は、「イスラエルの報復はやり過ぎである」、「パレスチナ人が可哀想だ」になっています。2000年前からのユダや人とアラブ人との歴史を顧みれば、単なる同情論では済ますことの出来ない現実があることをなおざりにするから、そういうことになるのです。更に、深く掘り下げれば、アラブ人はユダヤ人をこの世から抹殺したい、ユダヤ教、キリスト教を葬りたい、全中東をイスラム教の世界にしたい、という根深い願望を2000年も前から持ち続けています。単純な同情論を超える根深い双方の主張が内在しているのです。

 ジャニヨッテ、双方の苦しみの一端を共有するため、死海の苦い水を含んだのです。

2023年11月3日     文化の日                                         毎年、そうであるように、今日のお天気は快晴です。雲一つ無い青空です。この青空に向かって一人の漫画家が昇天しました。泉昭二さんです。10月29日、91歳でした。泉さんは1969年から今年の3月まで50年以上ににわたって、わが「朝日小学生新聞」に「ジャンケンポン」という漫画を書き続けて下さいました。私が同社の社長であった5年間、恐らくその後も続いたでしょうが毎年、泉さんに感謝する会を持ってきました。退社後も年賀状のやり取りは続いてましたが、この一、二年ご返事がありませんでした。温厚な方でした。「継続は力なり」といいますが、どこにそんな力があったのでしょうか。

 毎日の朝日小学生新聞に彩りを添えた漫画に、尼子騒兵衛さんの「落第忍者乱太郎」があります。尼子さんは女性です。大阪在住です。1986年から2019年までのものが、朝日から出版されています。65巻もあります。ジャンケンポンよりこちらの方が人気がありました。今でもNHKテレビに顔を出しています。

 どういう事情だったのか、在任中、大阪支社長と連れだって彼女にお礼に伺おうとしてのに、そのときはお逢いできませんでした。

 今、世界中で日本のアニメがもて囃され、大ブームとなっています。宮崎駿の作品など世界中でヒッパリダコです。文化の担い手は漫画ではないか、と言えるくらいの世界的な普及です。

 早稲田の学生最後の年、朝日新聞社業務部門の入社試験がありました。450人余りが大教室で筆記試験を受けました。小論文がありました。私は長谷川町子の「サザエさん」の漫画と読者との関連を論じました。後で一次試験は32番だったことが分りました。漫画を論じたことが影響したのでしょう。

 今日は文化の日。文化の担い手の一つは漫画でもあるのでしょう。

2023年11月2日     新しい病院                                         都営地下鉄線の終着駅「光が丘」は大きな団地で、高層ビルが林立していますが、そこは自宅から車で10分の距離です。大きなスーパが三つもあって重宝していますが、その一角に光が丘病院がありました。古ぼけた病院で、設備も貧相でしたが、いつも混雑していました。ほとんどの人は、そこを避けて西武線の高野台駅前の「順天堂病院」へ行くのが当たり前になっていました。従って、そこは大混雑していました。ひと頃、私も順天堂の呼吸器科へ通っていた時期がありました。寄る年波のせいもあって、息切れを覚えるようになり、順天堂の呼吸器科へ予約を入れたところ、今月末の30日以外に予約が取れませんでした。それではあんまりなので、古ぼけ病院を承知で「光が丘病院」へお伺いしたところ、即時に、今日の午前中の予約が取れました。

 車で出かけたところ、元の位置の病院は閉鎖中になっていました。病院は昨年、新しいところへ移った、とのこと。そこへ行って驚きました。宏大な敷地に大きな真新しい、10階建ての病院がそそり立っていました。「オドロキ、モモノキ」でした。受付が済むやいなや、当方は歩けるのに、専属の女性によって無理矢理に車椅子に乗せられ、血液採取、X線、CT,呼吸機能検査、と回り、男性医師から丁寧な診察を受けました。順天堂のような大混雑は無く、患者数もまばらな、静かな、綺麗な病院に様変わりしていました。

 そして思いました。いままで世話になってきた、女子医大、国立感染症治療病院、順天堂とはおさらばして、死ぬまでこの病院の世話になろうと。

2023年11月1日     献花の大行列                                     心臓麻痺で急死した、とされる中国元首相・李克強は明日2日に荼毘に付されます。ユーチューヴを見て驚きました。中国のほとんどの市や町で、住民が行列を作ってまで献花している姿がありました。しかも、大行列です。献花は山と積まれています。今まで、聞いたことも、見たことも無い献花の数です。いやー、驚きました。これは何だろう? 本人はそれほど市民に慕われていたのだろうか? そんなに期待されていた人物だったのだろうか? 私はこれこそ、現習近平政権に対する、人民の、人民による、人民のための無言の抵抗だ、と思えてならないのです。「一党独裁」、「共産党の、共産党による、共産党の政治」の現況に対する人々の不満の、やるせないはけ口が、恐らく「仕掛け」によって殺されたに違いない李克強への同情と、習近平の居座りに対する無言の抵抗を、市民は献花によって示したのではないでしょうか。

2023年10月31日     赤富士会                                 昨夕5時から、有楽町駅近くのレストランで、毎年恒例だった「朝日新聞赤富士の会」が4年ぶりに開催されました。優秀な成績を収め、赤富士賞に輝いた販売店所長と、本社外勤社員との懇親を目的とした年一回の会合です。前回は日比谷のプレスセンター9階のアラスカで開催され、会の終わりには私がピアノを弾いて、「朝日若人の歌」を大合唱するのを常としてきました。それが、コロナ禍のため3年のブランクをへて、今回から再開となったのです。約60人余り、その内10人は古参担当社員です。懐かしい面々と久しぶりに会えて歓談が出来ました。

 気がつくと、私が最古参の一人になっていたではありませんか。そのため、私が会の「締め」を仰せつかっていました。全員にお立ちいただき、ピアノがないので「アカペラ」で「朝日若人の歌」の一番だけを合唱して貰いました。60人の歌声が会場一杯に広がりました。そして三三七拍子の手締めです。久しぶりに高揚した気分になりました。その気持ちのまま有楽町からタクシーに乗って帰宅しました。

2023年10月30日     命 日                         今日は生涯の友だった宮沢恭人君の、確か11年目の祥月命日です。その十日程前に、有明の病院へ彼を見舞いに行き、ショパンコンクールのためポーランドのワルシャワに向けて出発しました。膀胱ガンの末期で肺に水がたまり始めていましたが、まだ、元気そのもので、握手して分かれましたが、病院を臨む高架の有明のホームから、「彼を助けて上げて下さい」と真剣に祈ったことが、昨日のように思い出されます。

 不思議なことに、彼は、私を待っていたかのように、私が帰国した三〇日の朝、みまかりました。急ぎ、駒場のご自宅に伺い、冷たくなった彼に会いました。爾来、10年余り、井の頭線の東大前駅直ぐ下の浄土真宗の寺へ詣でて、地下の彼との会話を続けてきました。スマホをオンにして、長野の仲間、内山君にも彼に語りかけて貰ってもきました。

 同じ長野高校を出て、彼は東大、私は早稲田でしたが、朝日新聞社の同じ職場で巡り会い、同じ仕事に精魂を傾け、860万部という朝日新聞最高部数を達成し、九州小倉の西部本社の営業局長を彼から引き継ぎ、書道会までも引き継ぎ、彼は名古屋本社代表取締役、私は朝日学生新聞社社長を最後に現役を去りました。その後は、六本木の書道塾に週一回通い、終わると飲みながら歓談を繰り返してきました。彼は明るい性格で、思えば、一度たりとも喧嘩したことも、嫌な思いをしたこともありませんでした。

 一週間ほど前、彼の奥様から電話がありました。届いたカボスのお礼でした。彼は、絞ったカボスの汁を熱いご飯にかけて、掻き込むのが好きだったようです。今年もそうして上げました、との電話でした。

2023年10月29日  女流棋士・藤沢里菜                    今日、昼のNHK囲碁棋戦で、ただ一人女流棋士として残っていた藤沢里菜さんが、強敵の男性棋士を破って二回戦を突破しました。際どい半目勝負でした。それにしても目出度い、目出度い、お目出度う。彼女は希代の勝負士・藤沢秀行の孫に当たります。父親は藤沢一就。

 藤沢秀行さんと知り合いになれたのは、新宿の歌舞伎町のバーでした。「樽屋」、「鎧屋」というバーのカウンターで行く度に彼は飲んだくれて酔い潰れていました。その上、銀座に碁盤を置いて囲碁を打たせるクラブを彼の彼女にやらせてもいました。日本棋院が発刊する「週間碁」の取り扱いを巡って読売新聞との奪い合いになったとき、担当者となっていた藤沢一就さんにはそこで何度か打っていただきました。その銀座のクラブで、時々、ちょろちょろしていたのが、可愛らしい少女の里菜ちゃん。その少女が大勢の男性棋士の中でタダ一人の女性棋士として二回戦を、今日、突破して三回戦に進んだのです。既にあの世から見守っている秀行さんの喜びはいかばかりでしょうか。

 その力のある彼女も、中国、韓国戦となるとベタ負けです。男性とて同じです。一度として日本の棋士団が韓国、中国に勝ったことがありません。それはそうでしょう、中国も韓国も、「日本に負けるな」の合い言葉のもと、国家が金を出して若手棋士を養成しているのですから。

 「それはならじ」とばかり、棋聖の一力遼と藤沢里菜が、未だ、十代の関航太郎と仲邑菫を加えて四人の勉強会を作ってはいます。それをしてさえも日本にいては、どうも限界があるようです。このほど、大きな発表がありました。仲邑菫が韓国へ行って彼の国の国営囲碁学校へ移籍する、との発表がありました。何も、そこまでしなくても、と素人は思うのですが、その意気や良し、でありましょう。

2023年10月28日       中国・李克 強死す                  かねて、中国の首相であり、習近平政治を支えてきた李克強がプールで心臓麻痺で死亡した、と中国の赤旗新聞が伝え、世界的に大きな話題になっています。68歳。このニュースを聞いた世界のほとんどの人は、単なる心臓麻痺による突然死ではなく、心臓麻痺を起こさせる何らかの薬物によって暗殺されたのではないか? 思っているでしょう。習近平は年齢制限の慣例を破って居座り、新たに任命された七人の最高幹部も、不祥事が発覚して三人も入れ替わり、更に軍部の司令官達も次々に更迭されるなど、政権は不安定な状況を続けていました。加えて、不動産業界の不祥事は更に悪化し、国内に張り巡らされた高速鉄道は赤字続き、鳴り物入りで囃し立てた「一帯一路」も世界的規模の不評続きで、中国国内での「習近平交代」の機運は、想像以上に高まりつつあるのです。そこへもってきての「政敵・李克強」の突然死です。

 私は、これを契機にして、中国には暴動が起きると予想しています。天安門事件と理屈は同じです。民衆が立ち上がったのです。そうしなければならない理由が今の中国にはあるのです。いずれ、共産党政権は崩壊する運命にあります。一党独裁政治はすべての歴史のなかで埋没させられてきています。中国とてそれを忌避することは出来ないはずです。

 

2023年10月27日          時 差                                 誰でもそうでしょうが、私はとりわけ「眠り」には敏感な体質です。よく眠り、爽やかな朝を迎えること、これが私の大切な生活信条にもなっています。それが覆されるとき、それは、約一二時間の時差があるアメリカやヨーロッパへ行ったときです。昼と夜が全く逆になるのです。両地区では眠いのに起きて行動しなければなりません。寝よう、寝ようと努力しても、身体がその気になってくれません。アメリカの新聞社の販売部門全体の行事である、「ICMA]に招かれ、日本新聞協会派遣団体の団長として参加したときも、二四時間以上眠りにつけず、しどろもどろになりながら、それでも英語の挨拶文を読み上げました。新聞奨学生五〇人を引率してユーヨークヘ行ったときも、ホテルにお願いして往診を頼みました。時差が厄介なのは、一週間近くを経過し、「ヤットなれた」と思ったらそのときは帰国です。日本へ戻ってきても身体が言うことをきいてはくれません。

 時差がほとんど無いところ、それはオーストラリア、インドネシア、東南アジアでありました。タイ・チェンマイでの時差は二時間。この程度なら支障はありません。だから、度々、出かける所以でもあります。

 本当は、人生最後のヨーロッパ旅行をしてみたいのです。フランスで生きの良い「フォアグラ」を堪能したいのです。何度目かのルーブルへ脚を運びたいのです。パリの街角で、通行人を眺めながら、ワインを飲みたいのです。それもこれも「時差が無ければ」の話ですが、、、

2023年10月26日     子供の情景                     明日は今月3回目のピアノレッスン日です。最近は、指の速さに支障が出始め、専ら、かってやった曲の復習ばかりやってきました。シューベルトの前奏曲集の一番と四番をやり終えたので、新曲に挑むことにしました。そして、シューマンの「子供の情景」全13曲をやることにしました。新曲とはいっても第一曲目と、有名な「トロイメライ」はかつてやったことがありました。いざ、やってみるとこれがなかなか手強い。指の速さと、それなりの情感が必要です。野原を駆け回る子供、おねだりする子供、安らかに眠る子供、そして、最終曲の「詩人の心」。簡単そうであっても、難曲の連続です。加えて、寄る年波のせいで、指の動きが鈍くなっています。ミスタッチが多くなりました。楽譜読み専用の眼鏡を掛けていても、音符がボケます。いやはや、これははや、でありまする。でも、負けてなるモノか!教室の一二月デジタル発表会までには、なんとか、完成させねばなりません。

 大昔、宣伝部長当時、サントリーホールでの83歳のホロヴィッツのの演奏会に行ったことがあります。ミスだらけの演奏でした。「壊れた骨董品」と揶揄されました。ミスしたくなくても、指が言うことをきいてくれない。一緒になって「揶揄」した私、、、、、反省しきりです。既に私も彼より三つも年上です。

2023年10月25日     夜行列車                  昔、と言ってもそんなに旧い昔ではありません。その頃、夜の新宿駅中央線のホームは登山姿の乗客で賑わっていました。23時55分発の夜行列車に乗って松本方面に向かうためです。席がとれなかった者は、通路に新聞紙を引いて寝始めます。明け方、松本駅に着くと上高地方面へ向かう客がどっと降ります。更に、大糸線に乗り換え、白馬岳方面へ向かう者も大勢いました。登山が大ブームとなっていた頃の話です。今はどうでしょう? 夜行列車はすでに無く、新宿駅を含めて、登山客の姿はほとんど見かけなくなりました。学生の頃、一度だけ、その夜行列車で松本から上高地へ向かったことがあります。とても、車内では眠れたモノではありません。ふらふらの状態で穂高へ登りました。それに懲りて、山へ登るときは十分な睡眠をとるため、現地の駅前の安宿に泊るようになりました。

 そのときは、信濃大町の駅前旅館に泊り、一番のバスで扇沢へ行き、針ノ木岳と蓮華岳の間の雪渓を登り始めました。同行者は東大生の白井さん、教育大生の池永さん、そして、早稲田生の私の三人です。学生組は立山室堂で、宇奈月から黑部の桟道を通って、道なき道の剣沢をよじ登ってくる大人グループと落ち合う手はずなっていました。

 この件については、何度もこの欄で書いているのではしょりますが、書き忘れていたことを思い出したので触れさせていただきます。

 それは八人で剣岳へ登ったあとの小休止の時です。私は背負っていたリックから四個のリンゴを取り出しました。皆さん、目を丸くしました。川口味噌会社の社長大熊さんが「君は、こんなところまでリンゴを背負ってきてくれたの!」感に堪えない奇声を発しました。

 リンゴの重さからやっと解放されたことも大きな喜びでしたが、皆さんがビックリしながら、半分のリンゴに武者ぶりついている姿をみて「やったー!」という気持ちになりました。

2023年10月24日     川場の道の駅                  再び、谷川インターから関越高速に乗り、月夜の次の沼田で降りると、道は二つに分かれます。真っ直ぐ登れば尾瀬。左へ折れれば川場です。その先は武尊岳、麓は大きなスキー場になっています。尾瀬へ行く手前の道を川沿いに右折すれば、日光に通じます。秋には道の両側にキノコ店がところ狭し、と並んでいました。昔は、そこでしこたまキノコを仕入れ、日光に出て東北自動車道で帰ってきたこともありました。しかし、福島双葉の原発事故以来、13年にもなるのに「キノコは採ってはならぬ、食べてはならぬ」とのお触れが出ています。従って、キノコを売っている店も、屋台も、道の駅にもありません。恨めしいのは放射能とやらでありまする。

 川場の道の駅はかなり広い敷地であるにも拘わらず、この日は、芋を洗うような大混雑でした。何と、観光バスが八台も来て止まっていたのです。勿論、駐車場も満車です。人混みをかき分け、都内と値段が変わらないゴーヤーと、ヨーグルトの大瓶を買い、早々に退散しました。そして思いました。観光バスが乗り入れるようになっては、もう、二度と来ることはないだろう、と。

2023年10月23日     ロープウエイ                久しぶりの関越高速道路の直進です。空は澄み渡り、風もなく、絶好の日和です。時速80キロを維持しながら、高崎を超えると今までの三車線が二車線になります。途中、昭和ヒュッテで一息入れ、谷川連峰を一望すると、既に、うっすらと冠雪しているのが分かりました。谷川で降り、水上駅前に向かうと、人通りはなく、商店もほとんど閉まっていて、相変わらず、うらぶれた町になっていました。

 一時代前、この水上温泉郷を含めて、鬼怒川、熱海、箱根湯本などの行楽地は大賑わいでした。温泉宿に泊るのが掛け替えのない「憩い」とされていました。新聞もうなぎ登り増えている時代でした。新聞休刊日には各新聞社の新聞従業員がこれらの温泉地で、一泊するのが恒例となっていました。ホテルの玄関から紙社旗を飾り、半ば、貸し切り状態でオダを上げていました。一般の事業会社も同じことをやっていました。その結果、歓楽地ではホテルの数が増えに増えました。何時の頃からかか、その風潮が廃れました。いま、鬼怒川温泉郷は廃墟です。水上とて同じこと。替わって、リゾートマンションが雨後の竹の子のように林立し始めましたが、今は、人影もまばらです。水上とて同じこと。清水トンネルの向こう側、越後湯沢などひどいモノです。

 さて、湯桧曽川を遡り、土合駅を過ぎ、懐かしい場所でしばし憩ったあと、いよいよロープウエイです。真っ盛りの紅葉を眼下に見て、次はリフトで天神平頂上へ向かいます。初雪がすでにあったようで、所々に雪の吹きだまりがありました。そして、とうとう夢に描いていた谷川岳と向き合いました。頂上付近には僅かに雲が流れているほか、谷川連山の万太郎岳、西の外れの平票山、東の茂倉岳まで対面することが出来ました。今年も、こういう機会を持てたことを心から感謝しました。

 ダウンを羽織っていても寒くなったので、再びリフトに乗り、下山しました。それでも、三台に一台は、登ってくる人に出会いました。

2023年10月22日     上越国境             大    家の近くの目白通りから関越高速道路に乗り、四〇分も走れば群馬県の高崎・前橋、更に、一時間弱で上越国境です。水上で降りて湯桧曽川沿いを走れば、もうそこは、谷川岳の麓、土合です。更にケーブルカーとロープウエイで登れば、そこは西黒尾根の頂上の天神平です。目の前にそそり立っているのが谷川岳です。肩の小屋まで丸見えです。左手には谷川連峰の平票山(たいらっぴょう)から始まって、千の倉岳、茂倉山まで指呼の間です。

 若葉の頃はタラの芽を採りに、秋の始まりにはキノコを目当てに今まで何度行ったことでしょう。ほとんど、毎年の恒例行事にしていました。でも、今年は鼠径ヘルニヤの痛みと手術のため、春は行けませんでした。そして、秋を迎えようとしています。脚の痛みもすでになくなりました。実行するなら今です。

 定宿にしていた湯桧曽川沿いの「湯の陣ホテル」は今月三一日まで満室でした。幸い、水上一の「聚楽ホテル」に空きがありました。一泊するのは、翌日、渋川で降りて、川場村の道の駅でヨーグルトを仕入れるためです。絶品なのです。

 明日、出かけます。運転には十分注意し、終始、左車線のみを80キロ以下で走る積もりです。

2023年10月21日     子供達の苦しみ             大人達が戦争を始めたばっかりに、もだえ苦しんでいるのは当事国の子供達ではないでしょうか。特にウクライナ、イスラエル、パレスチナロシアの子供達の苦しみを思うと、やりきれない想いに駆られます。

 日本人の私もそれをつぶさに経験しました。太平洋戦争の末期、日本の敗色が鮮明となり、連日のようにアメリカ空軍のB29編隊の東京空襲がありました。「敵、B29の編隊が房総半島より本土に近接しつつあり。空襲警報発令、空襲警報発!」と、ラジオが叫びます。電灯を黒い布で覆い、息を殺していると、爆弾の炸裂音が聞こえ始めます。次はここか、と気がきではありません。学童集団疎開が始まりました。福島県の浜通り一帯が中野区の生徒に割り当てられた疎開先です。二年生の私は、食い入るように私を見つめ、中野駅まで送ってくれた母と別れ、浜通りの富岡駅前旅館「大東館」へ行きました。途端に、シラミだらけになり、何度、母が恋しくて、人影で泣いたことでしょう。

 いま、どれだけの戦時下の子供達が苦しみの最中にいることか!特にパレスチナの子供達が悲惨です。住み慣れたところを追われるのです。その苦しみを思うと胸が張り裂けそうになります。ウクライナの戦争は独裁者プーチンが仕掛けたものです。イスラエルではテロ組織ハマスが先に手を出しました。両者とも、それによる子供の苦しみなど眼中にありませんでした。大人とは、なんと勝手な生きものなのでしょうか!

2023年10月20日     街宣デモ                         山本太郎率いる「令和新撰組」の街宣デモを見に行きました。集合場所は日比谷公園、、銀座通りを行進するとの触れ込みでした。日比谷公園入り口、帝国ホテル前で待機していると街宣車が二台通り過ぎ、晴海通りを左折していきました。後を付けていくと、更に桜田門を左折し、霞門を左折し、プレスセンター前の日比谷公会堂広場に群衆が集まっていました。パトカーと警官がウヨウヨいました。二台の街宣車の後ろに群衆がついてデモが出発しました。先頭には黒服の山本太郎がヒュプレヒコールします「増税反対!」群衆が呼応します。二台の街宣車の後ろについた群衆は凡そ500人。かなりの数です。内幸町の交差点を直進し、東電前からガードをくぐり電通通りを左折し、数寄屋橋交差点に向かいます。歩道よりの車道には赤い三角の標識が置かれていて、車の進入禁止です。その標識がなくなったのは東京駅近くの永福交差点辺りでした。群衆はそこから思い思いの方向に散っていきました。その人たちを伺うと、「何かをやった!」という顔色です。

 自民党一人天下の日本政治の中でも、数々の野党が存在します。それらの野党の中で、直接、民衆に語りかける政党があるでしょうか?その意味でも「令和新撰組」の存在は異色です。今後の推移に目が離せません。

2023年10月19日     風向きが変わった                         イスラエルのガザ地区で開催中の音楽会に押し入り、人質を取り、イスラエル側に攻撃を仕掛けたテロ組織「ハマス」に対して、空爆で応じたイスラエルの行動には世界の同情の声が集まり、世界の体勢はイスラエル擁護の声が満ちあふれていました。それがどうでしょう、今や、イスラエルヘの怨嗟の声が世界中に満ちあふれ始めています。何故か? それは、イスラエル側がガザ地区への空爆の上に地上作戦を展開するとの声明を発したことに由来します。一般市民は四八時間以内にガザを離れて安全な場所へ避難せよ、との過酷な声明に由来します。それと同時に、イスラエル側はガザ地区への電気、水道、食料入荷などを停止しました。ガザ地区に住むパレスチナ人の数は200万人とも400万人とも言われています。これだけの住人が四八時間以内に安全な場所へ避難せよ、とは過酷極まりない難題でありましょう。世界はこの無慈悲なイスラエル側の措置に怒りました。弱者への同情が高まりを見せ始めました。弱者への同情、これは何時の時代でも同じ、と言えます。

 更に昨日、ガザの病院で爆発が起き、471人が巻き添えになって死亡しました。イスラエル側の空爆による誤射か、それとも、ハマス側の自作自演なのか、今のところハッキリしませんが、世界の世論は一気にイスラエル批判に替わりました。時恰も、バイデン大統領がイスラエルに着き、ネタニヤフ首相と会見しているタイミングでの出来事でした。

 この病院爆破は世界に更なる衝撃を与えました。一気に、イスラエル批判に傾いたのです。私としてはハマス側の世論操作を狙った自作自演に違いないと推論しているのですが、世界の世論は単純です。いつも弱者の味方です。

 世界の世論の替わりように一番驚いているのはイスラエルの人々ではないでしょうか。そのせいもあってか、ガザへの地上部隊投入は、未だ行われないでいます。

2023年10月18日     桜が咲いた                         長野県の上田公園で、季節外れの桜が咲いたそうです。茨城県の日立では紫陽花が咲いたそうです。一方、南アメリカのアマゾン川の一部では水の一部が干上がって、ピラニアが日干しになっているそうです。知地球の反対側、アルゼンチンでは大規模な山火事が起き、住民は総出でバケツリレーをやっているようですが、とても、間に合わないそうです。今年は、中国でも5号台風の急襲で、天安門広場まで水に浸かりました。未曾有の被害を受けたようですが、共産党の隠蔽体質により、被害の状況の公式発表はありません。

 四月、南アフリカで豪雨、洪水が起き、540人が死亡しました。同じく四月、フィリピンで台風により440人が死亡しました。五月、ブラジルで大雨が降り、地滑りが伴い430人が死亡しました。九月、パキスタンで大雨が降り、4510人が死亡しました。ヨーロッパでも、ニューヨークでも、都市機能が麻痺するほどの大雨被害がありました、、、、

 すべての被害の原因は、人間が空気中にひり出した炭酸ガス、窒素化合物のせいです。温暖化が原因なのです。今年の温暖化現象は更に過酷となり、特に新潟県ではその影響が甚だしく、連日の猛暑のためか、魚沼産の特選米「こしひかり」のほとんどが、従来の特選米から二等米に格下げとなりました。食べられないわけではありませんが、米粒は色が不揃いで色が悪く、光沢がありません。

 昨日は空の雲も秋のたたずまいを見せ、気温も25度前後で凌ぎやすかったのに、今日の空は夏の盛りの入道雲。気温はグンと上がって私の仕事部屋は30度。私も気候変動の被害者の1人です。

2023年10月17日     権謀術数                          政治家の中には、「頑張ってくれ」と言いたい政治家もいれば「いい加減にしてくれ」と声を大にして言いたい者もいます。その中でも「早く引っ込め」と言いたい一人が、衆議院議長の細田博之でありました。統一教会とズブズブの関係で在りながら、それを世間から激しく糾弾されながらも、「どこ吹く風」とばかり居座り続けています。彼もまた島根県選出の二世議員。東大法学部から通産官僚になった切れ者でもあります。最大の手柄は、それは自民党にとっての利益であり、野党にとっての悲劇になった選挙制度改革でありました。中選挙区制を小選挙区制に替えてしまったのです。彼が選挙制度改革の責任者であった時にです。中選挙区制であれば、与党も野党も複数当選出来ていました。小選挙区制では、多くは一名のみ当選となります。自民が必然的に過半数をとるのは当たり前ではありませんか! 国民の多くは疑問視しましたが、いつの間にか、巧妙に、その法案を成立させてしまいました。

 頭のいい彼は目立った動きには極力加わりません。隠然たる動きの中で、いつの間にか、自民党の最大派閥の領袖となりました。その上での衆議院議長です。統一教会とは最も深い関係でありながら、ぬらりくらりとやり過ごしています。

 政治を支配するセオリーは、ある意味、権謀術数です。裏技に優れたやつが居座り続けるのです。その、最たる者こそ、細田博之だ、と言ったら言い過ぎでしょうか?

2023年10月16日      マラソン                                 パリ五輪への代表をかけて、昨日、国立競技場発着でグランドチャンピオンシップが行われました。過去のオリンピック・マラソンでの日本選手の活躍は目覚ましく、固唾を飲んで見守りました。男子は小山直城(27)、二時間八分五七秒、女子は、今大会最年少の鈴木優花が、二時間二四分九秒で代表に内定しました。天候も良くなかったせいもあってか、タイムはそれほど良くはありませんでした。歴代、名を馳せた埼玉県の川内優輝は四位、日本記録保持者の鈴木健吾は10キロ過ぎに棄権しました。選手の中には日本に帰化した黒人選手も、男女を問わず大勢いました。もし、彼らが日本代表になったとしたら、、、国民は心から応援出来るでしょうか? 

 世界の陸上競技での女子の黒人選手の台頭は目覚ましい限りで、アングロサクソン系も、黄色系も「形無し」に追い込まれています。先日も世界選手権の録画をユーチューブで見ましたが、それが如実に表れていました。女子5千メートル競技でしたが、先頭集団の3人は背の高い美人のアングロサクソン系でした。さして、背の高くない黒人女子二人はその三人の後にくっついて走っていました。ところが、最終コーナーにさしかかった、と見るや、二人の黒人女子選手が猛ダッシュで先頭に立ちました。どこに、そんな力が残っていたのでしょう、あれよ、あれよという間に、アングロサクソン3人を追い抜き、50メートルほどの間隔を空けて黒人二人がゴールしました。黒人の底力を見せつけられました。こういうことは、他の国際競技でも見せつけられています。やがては、オリンピックも黒人に乗っ取られるのではないでしょうか?

 不思議なことに、水泳の国際競技で黒人選手を見ることがありません。何故なのでしょう?

2023年10月15日      喧 嘩                               比較的穏やかな性格を自認している私でも、身体を張っての大喧嘩をしたことが二度ほどあります。一度目は東京の家を空襲で焼け出され、長野市の三輪小学校へ転入していた4年生の時です。私には沢山のあだ名が付いていました。「東京の坊ちゃん」、「英語の坊ちゃん」、英語のロゴの入ったセーターを着ていたからです。「種牛の一等品」「イースト菌」などなど。ある日、学校の裏庭に呼び出されました。4,5人の「校内の悪」に因縁を付けられ、小突かれ始めました。大塚という6年生のボスと、取っ組み合いになりました。夢中で戦いました。先生が呼ばれ、二人とも職員室でお説教されました。中学一年の時です。鈴木君というボスに因縁を付けられ、校庭で殴り合いとなりました。私も身体は大きいが彼も大きい。でも、引き倒して馬乗りになり、ぼかぼかやっていると先生が呼ばれてきました。その頃、中学校ではバレーボールが盛んでした。三年の時、長野市内中学校対抗バレーボール大会がありました。私が前衛のセンター、喧嘩した鈴木君がライト、レフトは善光寺住職・淵の坊の息子若麻績で、市内優勝を果たしました。

 大人の喧嘩はまだしも、国同士の喧嘩は殺し合いです。その、のっぴきならない喧嘩がイスラエルで始まっています。ハマスの奇襲攻撃に対抗して、封鎖されているガザ地区へイスラエルは連日ミサイルを打ち込んでいますが、3,4日前に警告を発しました。近々、地上部隊を投入するから、パレスチナ人は安全な場所へ避難してくれ、という警告です。それに対してイランが反応しました。もし、イスラエルが地上軍をガザに侵攻させれば、イランは黙ってはいない、対抗処置をとる、との公式声明を発したのです。ハマスの後ろ盾にイランがいることは世界の周知の事実です。何故、イランが動いたか? それは、イランの宿敵であるサウジアラビアとイスラエルが国交を結ぶいう動きを阻止するためです。イランとサウジは同じイスラム圏でも宗派が違って、大昔から犬猿の仲なのです。

 これは大変なことです。イランがイスラエル・ハマス紛争に介入すれば、終始イスラエルの肩を持ち続けるアメリカが、黙っているでしょうか? もし、アメリカが加われば、イランの肩を持ち続けている中国はどう出るでしょうか? 事態はのっぴきならない方向に動きつつあります。身体を張って争いならまだしも、仕舞いには「核」が飛び出さない保証はないのです。エラいことになりつつあります。

2023年10月14日      オスロ合意                        今から三〇年前の八月二十日、イスラエルとパレスチナ解放機構はノルウエーのオスロで合意文書を交わし合いました。イスラエルはラビン首相、PLO代表はアラファト議長、立会人はアメリカのクリントン大統領でした。合意されたのは「イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として相互に承認に、世界に発表する」、というものでした。それが守られずに今日に至っているのです。

 コロナ禍になる前年、チェンマイ日本語教会所属の四人は、シンガポール教会の松本牧師率いる「9日間のイスラエル旅行」に加えていただきました。メインテーマは、関西の中川牧師一行ほか、四団体がエルサレムのホテルに集合し、イスラエルで増え続けている「メシアニック・ジュウ」いわゆるユダヤ教からキリスト教に改宗する流れを、更に助長するにはどうしたらよいか?、現地の大学教授を含めてのセミナーが目的でした。嬉しいことに、大学の卒論のテーマにした「死海の書」の発掘現場も行くことが出来ました。

 この宗教心の厚いイスラエル人とパレスチナ人との殺し合いが、今、正に始まってしまっているのです。(写真はそのときに撮ったものの一部です)

2023年10月13日   エゼキエル戦争(2)                      アメリカの航空母艦が、イスラエル沖に到着しました。事態の推移を見守っています。イスラエルはシリアの軍事空港を爆破しました。何故なら、シリアからも攻撃があったからです。シリアは今もってアサド政権です。それを支えているのがロシアです。シリアにはロシアの巨大な軍港が在り、その権益を守るための介入でもありました。四〇〇万人を越える難民が発生しました。その大量の難民はヨーロッパ、特にイギリスを目指しました。何故なら、EUの一員としてのイギリスは難民の受け入れに寛大だったからです。イギリスは医療費がタダの国です。シリア難民はそれに肖ろうとしたのです。国内に難民受け入れの反対運動が起きました。国民投票が何度も行われ、とうとうイギリスはEUを脱退する事態に追い込まれました。その原因となったのが、ロシアのアサド政権擁護です。ロシアがシリアに介入しなければ、こうはならなかったでしょう。

 シリアがイスラエル攻撃にちょっかいを出したのは、レバノンや、イエメンなど、との連帯を示したからに他なりません。その結果、イスラエルからの甚大な報復を受けました。ロシアがそれを黙って見過ごすでしょうか? ロシアとて反ユダヤ主義を掲げる国です。幸いというか、残念と言うべきか、今のロシアはそれどころではありません。ウクライナとNATO諸国を相手にした戦いで、疲弊しきっているからです。しかし、否定は出来ません。両面作戦にでる可能性はゼロではありません。

 そうなったときは、、、、聖書の予言通りの「エゼキエル戦争」の勃発です。イスラエル沖に停泊中のアメリカの空母も始動するでしょう。世界戦争の勃発です。その恐るべき事態が垣間見えているのが今回のイスラエル・ハマスの戦争です。

 3000年の昔から、地球上で戦争のなかった時代はありませんでした。人間は、あらゆる人種を含めて、ただなんとなく生きていることに満足しない生き物なのでしょう。聖書の予言通りのエゼキエル戦争は、もしかすると、私がこの世に生きている内に起きるかも知れません。・ン

2023年10月12日   エゼキエル戦争(1)                     今から二六〇〇年前に書かれた旧約聖書の中に「エゼキエル書」というものがあり、その中の三八章に「人の子よ、メシェクとトバルの大君であるマゴクの地のゴブが、イスラエルの殲滅を図って襲来する」との予言があります。続いてゴブとはエルサレムから真北に当たる国だ、と記されています。エルサレムから北極点に真っ直ぐな線を引くと、モスクワの上空を通過します。ゴブに従うメシエクとトバルとはどこか?現代の解釈ではイランとトルコ、と解釈されています。

 イスラエルという国の国民であるユダヤ人は、世界史の中では世界中から虐げられてきました。ナチスによって、六〇〇万人も殺されもしました。しかし、1945年、世界中に離散していたユダヤ人がイスラエルに結集し、国家の成立を宣言し、国連で承認されました。隣国のシリアや、レバノンからの弾圧を乗り越えての独立でした。そして、荒廃した土地に住みつき、食料の自給率も90%を越え、繁栄を謳歌してきています。敵対するアラブ諸国との関係も修復し、関係改善を計りました。ハイテク産業が発達し経済が急成長しました。ガス田が発見され、エネルギー輸出国となりました。世界で最も先進的なミサイル防衛システムである「アイアンドーム」を持ち、軍事力も強大な国となっています。

 さて、聖書に予言されているエゼキエル戦争の現代版。聖書に寄れば侵入した国に対して天災地変が起き、たちどころに全滅するとあります。果たして、そうなるでしょうか?

2023年10月11日   幽霊屋敷・築地場外市場                    野暮用が出来て、車で有楽町・銀座界隈に向かいました。大きな、新しいビルが林立していて、人、人、人で溢れかえっていました。車は、自然に築地方面に向かいました。古巣だった朝日の新社屋を見て、昔、馴染みだった「江戸銀」「千代田鮨」へ寄ろう、と思ったからです。日劇と並んで建っていた朝日社屋が築地に移り、丸の内線の銀座から、東銀座まで一駅を乗り換え、料亭の「金田中」と癌研病院の脇を通って、築地の新社屋へ何年通ったことでしょう。60歳定年後も「朝日学生新聞社」の責任者として5年間在籍したので、築地界隈の「ツウ」を自認していました。

 料亭「新喜楽」の脇に車を置き、向かい側の築地場外を見ると、何としたことか、表通りの店は全部閉まっています。今日は祭日でも日曜日でもありません。表はダメでも中通りは開いているだろう、と道路を横断して中へ入りました。馴染みだった「江戸銀」も「八千代鮨」もなくなっていました。それでも、1,2の店は開いていましたが、人が入っていません。そこで、ハタと思い当たりました。築地の魚河岸市場が豊洲に移って以来、場内は更地になり、いまはそうなっていましたが、場外市場も、いずれ、取り壊され更地になる、ということを、です。

 それでも一軒の鮨屋が開いていました。汚らしい店でした。板場を覗いても、新鮮なネタではありません。値段表を見るとほとんどが3000円から5000円です。紛れ込んだ外人客からボッタくる店なのが分りました。一番安い、1000円の穴子鮨を頼みました。二きれのヨレヨレの一件が出てきました。味も素っ気もありませんでした。

 再び表へ出て、古巣の15階建ての朝日新聞を見上げました。手前の癌研は輝いていましたが、古巣のビルはくすんでいました。おまけに、いつもはためいていた屋上の社旗が翻っていませんでした。(写真は昔の築地場外市場)

2023年10月10日     ユダヤ人とパレスチナ人                 

 世界史的に見ても、ユダヤ人という民族は、何故か、優秀な業績を成し遂げた偉人を輩出しています。科学でも、天文学、物理学でも音楽界でも優れた人物はユダヤ人が多数、その名を歴史に残しています。一方、パレスチナ人で歴史上名を残した偉人はいるでしょうか。私は寡聞にして思い出すことが出来ません。

 はるか昔、大英帝国で一度だけユダヤ人が首相になったことがあります。デズレリイです。たまたま、ロスチャイルドと一緒にいるとき、世界のあちこちに点在しているロスチャイルドの親族から貴重な情報が入りました。エジプト政府がスエズ運河を四〇〇万ポンドで売りに出したというニュースです。それを聞いたデズレリイは即座に「買った!」と叫び、即金での支払いをロスチャイルドに申し入れました。イギリス議会の承認の前に独断で買おう、としたのです。ロスチャイルドは言いました「即金でお貸しいたしましょう、して、その質草は?」デズレリイは言いました。「質草は大英帝国!」

 オランダ、ポルトガルの次に東洋との貿易に参入したイギリスは、アフリカの喜望峰を回って、東洋に達していました。それが、地中海に入り、スエズ運河を通過して紅海から東洋に至る道が開けたのです。イギリス繁栄の始まりです。と同時に、アジアのルネッサンスの幕開けです。日本の最初の鉄道、新橋から横浜までの蒸気機関車も、イギリスからスエズ運河を通って運ばれてきました。

 三年前、イスラエルへ行ったとき、エルサレムにある歴史博物館に行きました。地下深くから、天上に伸びる大きな金の円柱がありました。アウシュビッツその他で毒殺された六〇〇万人のユダヤ人の名前が、その円柱に刻まれていました。庭には杉浦千畝を記念して植えられた木が大きく成長していました。ユダヤ人迫害の最中、国外へ逃れようとする多数のユダヤ人に、独断でビザを発行したことで知られています。

 そういえば、ウクライナの大統領ゼレンスキーもユダヤ系の血を引いています。神様はユダヤ人に試練を与えながらも、殊の外、気に掛けておいでになるようです。(写真は在りし日の杉浦千畝)

2023年10月9日     無益な殺し合い                 

 痛ましくもおぞましい戦争が、またまた始まりました。イスラエルのユダヤ人とイスラエル領内のガザ地区に居住するパレスチナ人との殺し合いです。既に、双方の死者は千人を超え、戦闘は苛烈さを極めています。三年前、シンガポール教会の松本牧師主催の「イスラエルの旅」で、九日間、イスラエルに滞在しましたが、隣接するパレスチナ自治区である「ガザ」には、遠くから「区域境の壁」を見るだけで、内部には入れてもらえませんでした。イランをはじめとする中東諸国は、パレスチナ人を追い出し、世界中に散っていたユダヤ人がイスラエルに集まり、建国を成し遂げた1945年の国連承認以来、イスラエルに恨みを持ち続けています。何となれば、パレスチナ人が平和に暮らしていた土地にユダヤ人が押しかけてきて、彼らをガザ地区に封じ込めたからです。以来、双方の小競り合いは何度も起きました。そのためもあってか、イスラエルのユダヤ人は全員が武装しています。物々しく武装した女性兵士が町中を歩いています。子供とて例外ではありません。一方、パレスチナ自治区でも同様です。ハマスという強力な抵抗組織が出来ています。イランをはじめとするイスラエルを良く思わない中東諸国は、ハマスに武器弾薬などを送り続けています。

 一方、イスラエルは二千年前にイエス・キリストが生まれ33歳で十字架にかけられ昇天したところです。「嘆きの壁」広場には宗派を問わず、祈りを捧げる人々でごった返しています。確か、毎週の金曜日はイスラム教徒、土曜日はユダヤ教徒、日曜日はキリスト教徒で賑わいます。いずれの信者であっても殺し合いは御法度であるにも拘わらず、凄惨な殺し合いがご当地で始まってしまっているのです。

 イスラエルのネタニヤフ首相は、「今回こそは徹底的に戦う」と宣言しました。ガザ地区のパレスチナ人のほとんどはイスラム教徒です。イスラエル人のほとんどはキリスト教徒かユダヤ教徒です。いわば、宗教戦争でもあるのです。イエス・キリストと、ムハンマドは天上で苦い顔をしていることでしょう。

2023年10月8日     ヒジャブ                 

 イランの女性活動家が今年のノーベル平和賞を受賞しました。51歳の彼女は獄中でその知らせを受けました。受賞者はナルゲス・モハンマデイさんです。イスラム教徒の女性に科せられている「髪を隠すヒジャプ運動」に反対の立場をとり続けていることで知られています。ノーベル委員会の今回の「粋な決定」に、世界中の女性は「快哉」を叫んだに違いありません。

 しばらく前に福島あかり著「イスラム教の論理」という角川新書が発刊されました。イスラム圏に実際に住んでみての体験を元にした名著でありました。夢中で読みました。世界的に見て、キリスト教徒は次第に減っているのに、イスラム教徒は日ごとに二万人ずつ増えている事実をその本で知りました。確かに、東南アジアを歩いてみても、ヒジャプの女性は数多く見られました。特に、マレーシアとイスラエルでの数が多かったと思います。アラブ首長国連邦のドバイへ行ったときは、ヒジャプはおろか、全身、黒ずくめの女性が多かったように思います。そのとき、あるレストランでアベックの隣の席になったことがあります。男性は髭ずら、女性は目ばかり光らせた全身黒ずくめです。口元の黒い布を僅かにずらし、フォークでつまんだ食べ物を、器用に口に入れ、素早く、黒布を元のように下ろしました。その速さ一秒以下。一方では、家庭にあっては服装は自由です。男性は四人まで妻を同時にもっていい、とコーランにあります。何という女性蔑視の宗教でしょうか!

 さて、このたびの思いがけないノーベル平和賞。イランの指導者達はどう捉えるでしょうか? 興味津津です。

2023年10月7日     汽車に乗る                 

 タイ・チェンマイの森の中の一軒家を根城に、行く度にヤマハのキーボードを担いで行って、畏友堀田さんの案内で、タイの少数民族の学校や教会へ寄付していた頃です。それは今も続いているのですが、いっそのこと、日本のアプライトピアノを数台、船便で持ち込んだらどうなるか、関税はどのくらいか? 学校からの寄付証があったらそれが免れるモノなのか、バンコクの税関へ直接行って調べることにしました。飛行機なら一時間の距離ですが、チェンマイーバンコク間の汽車にしました。乗ってみたかったのです。夜行の個室寝台車をとりました。一〇両編成の列車は二台のジーゼル車に牽引され、八時頃でも未だ明るいチェンマイ駅を出て、山道をとったら、とったら登っていきます。一般車はファラオ(外国人観光客)でほぼ満員です。夜半過ぎ、列車は下りになり速度が速くなりました。車内は大揺れです。いつ脱線するか、気がきではありません。とても寝られたモノではありませんでした。明け方、大きなたたずまいのバンコク駅に着きました。おんぼろ列車に懲りて帰りは長距離バスにしました。どういうモノか、タイは道路が広く整備されています。六時間余りでチェンマイに着きました。

 ところでバンコク税関での首尾ですが、関税は15%であり、減免処置はどんなに学校の証明があろうと通用しないことが分りました。船便運賃もべらぼうな高さでした。

 一方、バンコックーチェンマイ間の鉄道高速化ですが、タイ政府の要請により日本が受注しました。既に出来上がっている中国昆明ービエンチャンの延長路線、ビエンチャンーバンコク間の高速化は中国が受注しています。日本側は調査を開始しました。そしていま、この計画は暗礁に乗り上げています。何故なら、タイの大原野を高速で走っても、途中にさしたる町もなく、ペイするだけの客足が見込めないことが分ったからです。当然の成り行きでありましょう。

 私ならこうします。現在の路線を整備して安全性を確保し、電化して観光列車を走らせます。勿論、食堂車付きにします。そして、高速でなく低速で走るのです。飛行機で一飛びするより、タイ料理を食べながら高原のチェンマイへ着く。穏やかな国民性のタイ国に、高速鉄道など全く必要がありません。

2023年10月6日     ラオスの悲劇                 

 タイ国の最北端はゴールデントライアングル、俗に「魔の三角地帯」と呼ばれるところです。雄大な流れのメコン川を挟んでミャンマーとタイとラオスの三国が国境を接しています。奥へ行く道はなく、その先には少数民族がいて、麻薬を栽培して生活を立ているようでした。10年ほど前、私が最初にそこへ行ったときは、タイ側にも、ミャンマー側にも、ラオスにも大きなビルがそれぞれ一つずつ建っていました。賭博場でした。その頃は、30バーツ払えば向こう岸のラオスへ入ることが出来ていました。大きなマーケットがあり、恐らく、偽物でしょうが海外のブランド品が格安の値段で売られていました。今年3月、畏友堀田さんの車でそこへ行きました。何と、ミャンマー側の大きなビルも、タイ側のビルも跡形もなくなっていましたが、驚いたのは、ラオス側には大きなビルが7つも8つも建っていて、都市らしきものに変容していたことです。勿論ラオスへの船もなくなっていました。あの貧しいラオ側が何でこんなに繁栄しているのか?大きな疑問が生まれました。

 その貧しいラオスに高速鉄道が走り始めました。二年前2021年からです。中国昆明とラオスの首都ビエンチャンの間の1035キロ間です。ほとんどが中国資本によってです。貧しいラオスにそんな金はありません。駅舎も中国風建物です。ハード面もソフト面もすべて中国風です。ラオスの現金は使えません。中国の電子マネーだけが使えます。乗客のほとんどは中国人です。お陰で観光地であるの北部のルアンパバーンは大賑わいです。そこへは、私もタイ・チェンマイからプロペラ機で行ったことがあります。メコン川流域のいい町でした。裏通りには朝早くから市が立っていました。朝焼けの頃、オレンジの僧服を纏った少年僧の行列がありました。町の人たちは同じく行列を作って、朝ご飯を一匙ずつ入れてやっていました。メコン川の上流には古代の遺跡もありました。なぜか、フランスパンが美味しいところでした。フランスの植民地であったその名残でしょうか。

 いま、その素朴な町が中国人で溢れかえっているようです。ラオス人がほとんど乗っていない、中国人で満載の鉄道のせいです。私は思います。ラオスへ行って見て思いました。ラオスに高速鉄道などいらないのです。ラオスの人々は望んではいないのです。すべて中国のせいなのです。一帯一路のせいなのです。中国の発展だけが目的なのです。

 中国の高速鉄道の計画は、ラオスのビエンチャンからタイのバンコックまでです。既に入札を終えているようです。その次は、バンコックから半島を突き抜けシンガポールまでだそうです。

 私は思います。仏教に帰依している人の多いアジアには高速鉄道など必要ない、と。中国の口車に乗ってはならないと。本当にそう思います。

2023年10月5日     ガンジス川                 

 インドの人口は中国を抜いて世界第一となりました。15億人に迫る勢いです。行って、この目でシカと確かめたい欲求は強いのですが、その第一はガンジス川の現況をこの目で見てみたいからです。世界で最も不潔な川と言われるガンジス川は、全長2525キロ、流域面積は173平方キロ、日本の国土の5倍の広さ、大きさです。インドの国教であるヒンズー教の女神が祭られているといわれ、その名はインドの最大の偉人ガンジーに由来しているそうです。この川が世界で最も汚いと言われる所以は、生活排水、糞尿、あらゆる工業廃水などが、何の処理もされずそのまま川に流されていることに発します。遺体は岸辺で火葬されてから骨と灰をを流すのが掟になってはいても、それをせず、遺体そのものが流れてくる場合もあるそうです。その川に入り、その泥水で口をそそぎ、全身を浸かって祈ることを持って、インド人は最高の幸せと考えているのです。その有様をこの目でみたいではありませんか!

 しかし、ユーチューブで見る限り、「行ってはならない世界で最も危険な国」の一つに数え上げられています。それらの国は、ベネゼーラ、エジプト、南アフリカ、メキシコ、スリランカ、そしてインドです。

 残り少ない命、何とかガンジス川の流域に立つ日を夢見ています。

2023年10月4日     大阪・関西万博                 

 人類は、狩猟社会から始まって、農耕社会、工業社会、情報化社会を経て進歩を続けてきた。次の5番目に来る社会は何だろうか? それは、ICTを最大限に利用した「超スマート社会」である。それを予測し、その実現の一歩となるのが2025年に大阪の「夢の島」で開催される「大阪・関西万国博覧会」である。とか、何とか、理屈を付けて始まったのが三年前。未だに開催の是非を巡ってスッタモンダしています。加えて、開催参加を申し込んできた国はたったの数カ国。予算規模も膨らみ続けているようです。最初の予算では国400億、大阪市400億、経済界400億、収入50億の1250億でした。それが今では倍近くの2350億に膨らんでいます。更に加えて、「万博はいらない」という庶民の声が、特に関西市民の声が大きくなっています。

 数十年前、やはり大阪の千里ニュータウンで万博がありました。そのときの象徴となった岡本太郎作「太陽の塔」が残っていて、今でも辺りを睥睨しています。展示品の目玉は「月から持ち帰った石」でした。行列に押しつぶされそうになりながら、「その石を見た」記憶が鮮明に残っています。万博はそれなりに意義も在り、見に行く価値があったのでした。

 次に開催された名古屋での「愛知万博」にも行った経験がありますが、何を見たか、今では想い出せません。

 さて、二年後の万博です。テレビやパソコン、スマホが身近にあって、いつでも、何でも見れる今の時代、大阪の人工島まで行って何か新しいものでも見られるのでしょうか? 火星から持ち帰った石でもあれば別でしょうが、、、、 

 今回の万博は、私には、関西人の欲の突っ張り合いのように思えて仕方がありません。今からでも遅くないから、中止にしてらどうなのでしょう?最も、二年後の私は89歳。大阪へ行って会場を一回りする脚力は既に失われているはずです。

2023年10月3日     人、人、人                 

 3日前の土曜日、所用があって渋谷まで車で行きました。環状7号線を走り、駒場の辺りからの近道を通って、漸く、道玄坂上にたどり着いたものの車は既にのろのろ運転です。歩道は人、人、人で溢れかえっています。漸く、ハチ公前スクランブル交差点にたどり着きました。身動きがままならないほどの大群衆で埋まっています。見上げれば、宮益坂上まで人の波です。「うへー」と唸ってしまいました。「なんでこんなに人がいるのか?」

 学生の頃、等々力の親戚に通うのに駅前からバスに乗り、駒沢で左折し深沢で降りていました。従弟の靖輝君の家で家庭教師をしていた頃です。時にはラーメン横丁で中華蕎麦をいただきました。NHKまで行って高校時代から親友であった、佐々木潤君(当時NHK組合の副組長)と渋谷の居酒屋で痛飲もしました。その頃は、スクランブル交差点も閑散としていました。15年ほど前から渋谷の再開発が始まりました。副都心線が開通しました。東横線が西武線、東上線と接続しました。今では、練馬から横浜中華街まで乗り換えなしで行ってしまいます。東横デパートもなくなり巨大ビルになりました。地下道が網の目のように張り巡らされました。それに伴って、渋谷の町全体が一大変身を遂げたのです。

 しばらく、車を置いて、昔懐かしい道を歩いてみました。外国人の多いこと、昼間から酒を浴びて、道路に寝転がっている人が、何と多いこと、それも、外国人がほとんどであること、道路が汚れに汚れていること、ラーメン横丁では人が大行列していること、歩き回った限り、昔の上品なこの町のかけらも見いだすことが出来ませんでした。あきれ果て、失意のうちに、再び渋滞の環7道路を運転して帰ってきました。

2023年10月2日                      

 私は、どういうものか髭を生やした男が好きになれないでいます。何故か、昔からそうなのです。「俺は功成り名遂げた人間なのだよ」とと、蓄えた髭に語らせているようで、イヤなのです。どんな偉業を成し遂げようと人生に完成などないからです。一方、女性は髭男を好むようなのです。セクシアルな面ではそうなのかも知れませんが、一度、女性になって髭男と接してみたいものです。

 アラブ首長国連邦のドバイに行ったときは、驚きました。男という男が髭ずらだったからです。この国の唯一の鉄道は日本の日立が作った高架鉄道です。しかも、運転手のいない無人自動運転の六両編成が10分間隔で走っていました。ふと、慌てて乗ったら、男がいません。女性専用車であることに気づきました。ほとんどが黒衣を纏い、目だけ出した女性ばかりでしたが、中には派手な衣装のすこぶる付き美人もいました。慌てて、次の駅で車両を移りましたが、そこは髭ずらの男ばかりで満員状態。よくよく観察しましたが、年少者を除いて髭ずらでない者は1人もいませんでした。

 概して中東の人々は彫りの深い顔立ちをしています。そのため、髭がよく似合います。日本を含むアジア系人種の顔立ちは、いささかのっぺらぼうです。目は小さく鼻は低く、顔立ちは平面的です。そこへ髭を蓄えるとあご髭であれ、ちょび髭であれ、それだけが目立ちます。

 私自身、毎日髭が生えてきます。昔は黒かったが、今は真っ白です。毎朝、カミソリでアタルのも面倒になっているので、いっそ、そのままにしてみようかなあ、とも考えています。そうなった場合、どんな顔立ちになるのやら、好奇心が頭をもたげています。

23年10月1日       ベトナム余話               

 来し方を顧みて、いろいろな国へ行くたびに、最初に行くのは決まってその土地のマーケット、あるいは市場です。ベトナムのホーチミンでも、フエでも、ハノイでもそうでした。大きな市場全体が生鮮食料品の匂いで溢れかえっていました。売り子は決まってその国のおばさん達で小父さんはほとんどいませんでした。思えば、沖縄も同じでおばさん達が働き、男たちは家にいて「泡盛」を飲みながら三線を弾いているのでした。つまり、東南アジアでは女性達が働き、男達を養っているかに見えました。ホーチミンの宏大なマーケットの入り口出口には、決まって数多くの歩道にはみ出した、名物の「フオー」の店があり、人々が群がっていました。私もその仲間入りして熱々のフォーを食べました。美味でした。なんどでも食べたい味でした。ああ、私も東洋人の1人だなあ、とシミジミ思ったことです。夥しい衣料品が山となって売られていました。たった今まで生きていたと思われる生肉が売られていました。これはベトナムではなく、台湾の宏大な市場でのことですが、この市場の一隅に脚を縛られた動物たちが転がっていました。順番待ちをして解体され売られていきました。これも台湾の「エンカン」という市場でのこと。大きな蛇がその場で料理されたべられていました。大きな袋に入った蛇の一匹を器用に取り出し、天上からつる下げると、起用に皮を剥ぎ、ぶつ切りにして鍋に放り込みます。「清汁」というその一件を待っていた唇の赤いお姉さん方が美味しそうにすすり込むのでした。     ホーチミンでは、丁度、学期の切れ目であったためでしょうか、古来からのベトナムのお寺は、卒業期の学生達で溢れていました。なぜ、お寺に集まるの疑問でしたが、記念写真を撮り終えると、帽子を空高く放り投げていました。イギリス習慣を真似しているのでした。

 ホーチミンとハノイの中間に位置するフエは、メコン川沿いにあり、ベトナム戦争では激戦が行われたところです。建物のほとんどが破壊されたところですが、立派な中国風のホテルがありました。メインルームにはお泊まりになった天皇陛下ご夫妻の皇太子時代の写真が大きく飾られていました。その真下にヤマハのグランドピアノが置かれていて、自由に弾くことが出来ていました。なんと言っても、山海の珍味の揃ったバイキングが四六時中利用可能でした。中でも、世界中のチーズがそろえられていて、チーズ好きの私には堪らない魅力でした。

 一方、戦火の跡をたどるツアーにも参加しました。遺跡の数々は見る影もなく壊され、そのままになっていました。地下の塹壕も見ました。多くの民間人が生き埋めになったようでした。

 いま、日本には数多くのベトナム人が働きに来ています。中国人の次に多いそうです。日本もベトナムも戦争によって国土が破壊され、そこから復興を試みてきたのは、全く同じです。両国は戦火の苦しみの上にたって、ここまで復興を遂げているのです。日本が共に手を取りあって行きたい国の一つ、それはベトナムではないでしょうか。

2023年9月30日    ベトナムの地下鉄 (2)               北のハノイ、南のホーチミン、両都市には路面電車も地下鉄もありません。交通手段は車とバイクと自転車だけです。余りの混雑を見かねてベトナム政府が公共交通機関を作ろうと決めたのが今から10年ほど前のことです。ハノイの地下鉄は中国が受注しました。ホーチミンは日本が受注しました。日本は「日本工営」を中心に住友建設などが携わり工事が始まりました。車両は勿論、日立製です。中国が受け持ったハノイの方は全部高架で12駅。9兆ドンの予算が18兆円に膨れ上がりましたが2021年に完成し、一編成960人乗りの緑色の車体が走り始めています。ところが、乗っているお客の数は少なく、一編成60人ぐらいの乗車率だそうです。つまり、中国製は評判がいまいちなのです。

 日本が受注したホーチミンの方は、遅れに遅れ、今年の10月に営業開始されます。距離は19,7キロ。ハノイと違って地下駅が四カ所もあります。遅れた理由は中心部の地下掘削に時間と費用が嵩んだせいです。23兆ドンの予算が42兆ドンまで膨れ上がりました。大きな違いは、ハノイの中国製は、機材も、労働者も中国から持ち込まれましたが、ホーチミンでは鉄道の技術を日本が教え、機材もベトナムのモノを使い、運転・保守点検その他の技術をベトナム人に教えながら工事に励んだことです。車両は日立製で色はブルーに統一されています。座席もプラスチックスですがブルーです。ハノイの地下鉄は現金のみですが、ホーチミンではカードが使えます。最も力を入れたのは、ホーチミンの銀座とも言える繁華街の地下駅の建設だったようです。地下鉄の将来の延長を考慮に入れた膨大な地下駅を作り上げています。

 さて、この10月末、ホーチミン地下鉄の開業です。ホーチミンの市民の皆さんに、果たして好評に内に受け入れられるか、どうなるのか?悪評とはいわないまでも、乗車率の悪いハノイの中国製と同じ運命になるのかどうか? 興味津々でその日を待っています。

2023年9月29日    ベトナムの地下鉄 (1)               ベトナム は南シナ海の沿岸に横たわる細長い国です。                                                             北の端の首都ハノイから南外れの経済都市ホーチミンまで、距離は1650キロ。日本の青森から下関までの距離とほぼ同じです。唯一の鉄道は両都市間を結ぶ単線鉄道があるだけ。おんぼろ車両をジーゼル車が牽引してのろのろ走っているだけです。その貧しい国に戦争が起きました。いわゆるベトナム戦争です。国土は完全に破壊されました。南側に加勢した米国は負けました。南の経済都市は北の将軍の偉業を讃え、ホーチミン市となりました。彼の遺体は記念公園に安置され、連日、観光客で賑わっています。その公園の一隅には彼の書斎が再現されていて、机上横には日本の人形「弁慶」が、昔そうであったように飾られていました。戦争記念館もありました。捕虜収容所も再現されていました。いかにむごたらしい戦争であったか! イヤと言うほど見てきました。

 ベトナムへ行ったのはタイチェンマイからでした。バンコックからプロペラ機でホーチミンへ行き、おんぼろ鉄道は敬遠して、途中のフエまで飛び、二日間滞在し、再びフエからハノイに飛び、三日間いてバンコックからチェンマイに戻ってきました。

 最も驚いたのは、道路を走るバイクの数の多さです。交差点で青信号になると走り出すエンジン音のものすごさです。鼓膜が破れそうな轟音です。何故なら、ハノイにもホーチミンにも公共鉄道が全く無いのでした。自転車も見かけましたが危なくて乗ってられないでしょう。歩道はバイクの駐車スペースになっていました。

2023年9月28日       アルマーニ                                                                                 洋服ダンスを整理していたら、大昔、若い頃着ていたアルマーニの背広が出てきました。イタリアのもので、当時は垂涎の一着でした。それと同時に、当時はやっていた小話も思い出しました。その小話に尾ひれを付けて昔作った「ジョーク集」に載せていたことも思い出しました。

      「ねえ、アルマーニって知ってる?」

      「知ってるさ、勿論、イタリアの高級ブランドだろ」

      「じゃあ、キルトーニは?」

      「キルトーニー??? 知らないなあ、、、、」

      「なら、オッジサンガーニは知ってるでしょう!」

      「オランダのブランドだったかなあーーー」

      「もう一つ、ワカガエルッテイは?」

      「確か、イギリスのブランドだった筈だが、、、」

      「これが最後よ、ホントカーニーは?」

      「?????」

 「最初から言うとこうなるの。「アルマーニ、着るトーニー、小父さんガーニ、若返るって、ホンとカーニ」

2023年9月27日       紅 葉                                                                                さしもの猛暑もこのところ朝夕は陰を潜め、山岳地帯では紅葉が始まっているでしょう。8月の終わり、立山・剣岳に登ったとき、剣沢池の周りでは、既に紅葉が始まっていました。剣岳の勇姿と紅葉が池の面に映し出され、時を忘れて見入っていた記憶が鮮明です。若いときから旅ガラスの身であったので、全国各地の紅葉を見る機会は、人一倍恵まれました。青森の奥入瀬渓谷、福島磐越東線沿いの夏井川渓谷、仙台と山形を結ぶ仙山線沿いの渓谷などなど、今もって脳裏に焼き付いています。

 ところで、紅葉もさることながら、私が最も好きな高山にしか咲いていない花があります。それは「こまくさ」です。葉はクローバーに似ていて、花はチューリップを小柄にした桃色の花で、岩陰にひっそりと咲きます。高山といえども、滅多にお目にかかれません。出会えたときは狂喜乱舞です。「こまくさ、こまくさ、汝は見目麗しき乙女かな、、」という詩が山日記に記されて残っているほどです。

 12月23日の冬至に向かって、日照時間が短くなるにつれ、紅葉は東日本から西に向かって進んでいきます。最も美事な紅葉は何時か?それは12月中旬から下旬にかけての、京都ではないでしょうか?至る所の寺院の紅葉が絶頂期を迎えます。大河内山荘の頂から眺める梓川流域の全山が朱に染まった景観!! 一般的には清水寺から眺める紅葉の海!

 そのほか、紅葉の名所の寺院を上げれば、永観堂、二尊院、三千院、勝持寺、神護寺、光明寺、清涼寺、金閣寺、高山寺、光悦寺、などなど、いずれも美事な紅葉に満ちあふれます。

 そうだ、京都だ、矢っ張り京都へ行こう!

2023年9月26日       新たな詐欺電話                                                                              今朝10時頃、東京医大の耳鼻科の医師と名乗る男から電話がかかってきました。「たった今、次男の雄大さんの喉のポリーブ除去施術が終わりました。放っておくとガンに進行する恐れのあるモノでした。お電話したわけは、ご両親、ご兄弟、ご親戚に咽喉ガンの方がいらしたかどうか、それを伺いたくてお電話した次第です。」続いて雄大本人と称する男から電話がありました。通常とは似ても似つかないしわがれ声でした。

 次男の嫁さんの真弓さんに電話しました。「主人はいつものように出社していきました。そんなこと驚きです」しわ柄声で雄大を名乗る男から再び電話がありました。「実は手術の際、携帯と財布を貴重品入れに入れたのに、気が動転していて、鍵をかけるのを忘れたらしく、気がついたら無いんだよ、済まないが、支払いの金、00口座に振り込んでくれないか」とのことです。そうこうしているうちに、本人本人から電話がありました。聞き慣れた声で「俺は元気だよ、いつものように仕事している!」

 これは詐欺だ、高齢者向けの新手の詐欺と分りました。練馬警察に電話を入れ、事の次第を述べました。係官は、うんざりした声で、最近は練馬の向山町一帯に新手の詐欺が増えているのです。くれぐれもご注意下さいと言いました。高齢者の皆様、くれぐれもご注意下さい。

2023年9月25日     賠償問題                                                             三年半近くに亘って、世界中の人間を苦しめているいわゆる「コロナ禍」の発祥地が、中国の武漢の「ウイルス研究所」であったことは、今や、定説になっています。どれだけの人間が死に、数多くの人間がその後遺症で苦しんでいるか、それは、計り知れません。問題はこれにより甚大な損害を受けた世界各国が、中国に対して賠償を請求出来るかどうかです。いま、世界の世論は、賠償請求できる、するべきだ、というものと、いや、出来ない、という言論で大きく二つに割れているようです。 しばらく前、オーストラリアが中国に対して単独で高額の賠償請求しました。中国は怒り狂い、オーストラリアとの貿易を停止しました。国連は今年も開かれましたが、この賠償問題は議題に上がりませんでした。何故なのでしょう?どうやら、ことは複雑極まりないようなのです。国際法に疎い私には理解できない何かがあるのでしょうか?

 三年半ほど前の3月5日、タイ・チェンマイ滞在の最後の日、市内の大きな中華飯店へ行きました。舞台もある円形の大きな専門店でした。ところが、お客がいません。我々の他、一組があっただけです。悪い噂が飛び交っていました。「中国で悪い伝染病がはやりだした、注意しろ」という風評が流れていたのでした。その翌日、我々はタイ航空で帰朝できましたが、その一週間後、畏友堀田さんは空港で足止めをくらい、日本へ来れたのはその三週間後でした。それ以後、世界は混乱の坩堝となり、まず、中国人が団体を組んで好んで行っていたイタリアでコロナが爆発しました。そして、瞬く間にヨーロッパ中に広がりました。どれだけのヨーロッパ人が中国に恨みを抱きながら死んでいったことでしょうか? 

 不肖私にもコロナ禍は及んでいます。三回目のワクチンを打って貰った途端、身体に異変が起きました。副反応の一つ「息切れ」です。それは突然現われました。年齢のせいもあるのでしょうが、余りにも突然だったので狼狽しました。私自身「どうしてくれる?」と中国政府に向かって賠償請求したい思いでいるのです。

2023年9月24日       12万円と12億円                                                  家の半地下のピアノ室には、ヤマハのC3のグランドピアノの他にいろいろな楽器が眠っています。沖縄の三線(さんしん)があります。台湾の胡弓があります。雅楽で使われる笙があります。福島会津の山奥・檜枝岐村で平家の落人の末裔が歌舞伎で使っていた、と称される古代三味線もあります。バイオリンもありました。これは17年前に72歳で没したつれ合いが使っていたもので、当時12万円で購入した一件です。

 つれ合いはバイオリン曲が大好きで、付き合い始めた当初から、手回しの蓄音機で、暇さえあればシベリウスのバイオリン協奏曲を聴いていました。

 既に12歳になった天才バイオリニスト吉村妃鞠が、いま、使っているのは12億円のストラデバリウスです。世界に600丁しか現存しない名器の一つです。その内40丁が日本人に所有されています。(以前この欄で600丁の内400丁が日本にある、と書きましたが、40丁の誤りでした)このバイオリンは前沢雄作というにわか成金が所有しているもので、財団を作って吉村妃鞠に貸し与えているのだそうです。

 12万円と12億円、同じバイオリンでこれほどの差が生じているのは全くの驚きです。12万円のモノでも何の曲でも演奏できるのに、です。ただ、問題はそのバイオリンが醸し出す音色なのでした。

 吉村妃鞠の演奏に魅せられた私は、ユーチューヴを駆使してこの少女のあらゆる演奏を引っ張りだし、聴いてみました。聴けば聴くほど、類い希な感動に襲われました。この世の音とは思えない神がかりな音色が響いてくるのです。演奏技術も飛び抜けています。作為が全くありません。天上から響いてくる類いの演奏です。音色です。恐らく、成金者の前沢氏も彼女の演奏に感銘を受けたのでしょう。彼は、実にいいことをしていると言えるでしょう。

2023年9月23日        渡り鳥                                             「蝶々が一匹 韃靼海峡を渡っていった」たったこれだけの一行詩があります。そこはかとない詩情がが漂う名詩でありましょう。

 九州小倉へ単身赴任しているとき、暇に任せ、また、運動をかねて、裏山である八幡山の門司側の突端まで登ったことがあります。すると、関門海峡が見渡せる山間で小鳥たちが大騒ぎしているではありませんか、そのかず数千羽。見るともなく観察していると、大騒ぎしている小鳥たちが、それとなく編隊を組んで、逐次、大空の彼方へ消えて行くではありませんか。どこを目指して飛び立っていくのか、皆目、分りませんでしたが、数十羽ずつ群れをなして、大空の彼方へ飛び立ち、消えていくのです。実に壮観な眺めでした。我を忘れて見入ってしまいました。と同時に大いなる疑問を持ちました。小鳥たちが飛び立っていく訳は、まもなく訪れる冬の寒さを回避するのであれば南に向かうはずです。関門海峡から離れて南に向かうのであれば、宮崎、鹿児島、奄美大島、沖縄諸島です。北へ向かうとすれば、朝鮮半島から大陸です。いずれにしても大変な距離です。洋上では偏西風があるとは言え、その小さな身体で持ちこたえられるのでしょうか?難問を反芻しながら、対岸の下関に町明かりが付くまで、八幡山の頂上にたたずんでいました。

2023年9月22日         くるま                       

 今年の5月、かれこれ20年以上乗っている「ホンダのフィット」が車検の時期となり、この車を20年以上前に購入した「中村橋ホンダ」へ持って行き、代車をお借りしました。その新しい車を畏友堀田さんが運転して、タイ・チェンマイからの女性客人お二人をお乗せし、富士山麓まで一泊旅行をしました。出発日は雨模様でしたが、翌日はまたとない快晴に恵まれ、富士山の五合目まで行き、山麓の景色を堪能してきました。何よりも驚いたのは、風景もさることながら、お借りした車の性能が、私の旧車と段違いに良かったことです。第一、エンジン音がしません。車内は至って静かです。精密なナビが備わっていました。音響も申し分ありません。私のフィットと何たる違いか! すんでの事にこの新車に買い換えようか、と思ったことです。お金はないわけではありません。         しかし、しかしです。いまは、何とか運転に支障はないものの、近々、免許証を返納しなければならなくなるはずです。事故を起こしてからでは遅すぎます。「それまでの間、今の車で十分ではないか!」エンジン音が五月蠅かろうと、車は走ってくれればいいのです。そして、そこへ神の声が聞こえてきます。何よりも先に免許を返納したあとのことを考えなさい!と。

 それもそうだと、不本意ながら納得し、次の車をどうするか? と思うと、当然ながら「車椅子」に考えが及びます。それも、電動車椅子です。いずれご厄介になることを想定しながら、「未来の車」について調べて見ました。その結果、新しい機能が付いた最新式の電動車椅子が50万円前後で買えることを知りました。

 その車に乗って歩道を移動する未来の私の姿を想像すると、、、、ああ、イヤダ、イヤダ、そんなのイヤダ。今のぼろ車でいいから死ぬまで運転していたい、と思うのです。

2023年9月21日         ゴルフ                       

 ゴルフから遠ざかって、もう、何年になるだろう。最後のプレーは千葉の浜野ゴルフクラブでのプレーで、販売担当の小林君と両角さんらとのプレーでした。台風が千葉県に上陸する前日で、強風に翻弄された散散のゴルフでした。我々のプレーの後、このゴルフ場は台風の被害を受け、復旧のため、数ヶ月を要した、と聴き及びます。最も懐かしいのは、名門小金井ゴルフ場でのプレーです。宣伝部へ出入りしていた業者の小倉さんのお陰で、一月に一度は誘われていました。名門であるだけにマナーは厳しく、洗面所では使った後、水しずくを拭き取って出なければならないほどでした。このゴルフ場の欠点は功成り名遂げた年配者が多く、プレーは緩慢を極めたことです。カートの使用は許されていないため、年配者は自分用の三脚を持参し、疲れると、コースの真ん中で、ヤッコラショと腰を下ろすのです。後ろの組は文句も言わず、それに耐えるのでした。たまたま、田中角栄と小佐野賢治がプレーするその後の組になったことがありました。ギャラリーが見守る中、角栄さんがおもむろにクラブを振りかざし、初球を打ちました。チョロでした。OBではありませんでしたが、ラフです。すかさず、お付きの者が素早く別の球をセットアップしました。幾分、悪びれた顔の角栄さんでしたが、白球は美事に飛びました。ギャラリーは大拍手。角栄さんは帽子を取ってギャラリーの声援にこたえました。このコースの三番ホールはショートです。既にオンした老人三人組は、手を上げて我々の後続組に合図を送ってきました。私が打ちました。手前のバンカー入りです。失意しながらバンカーショットです。第一打、空振りです。第二打、再びバンカーです。焦りました。5打目にやっとグリーンに載りました。帽子を取ってお三方にお詫びしました。「いい練習になりましたね」と声を掛けていただきました。後で伺ったら、三人のご老人は、三菱重工相談役、三菱商事顧問、三菱銀行会長であったとのこと。

 もう一度、コースにでて、思い切りクラブを振ることが夢です。ゴルフは1人でやっても面白くありません。誰としようか?見回してみても昔のゴルフ仲間は、すでに、あちらの国です。「呼び戻すことができるなら、ボクは何を惜しむだろう(小椋佳のうた)」

2023年9月20日         カボス                       

 例年にない暑さは未だ続いていますが、朝夕はメッキリ涼しくなりました。猫額のベランダから見上げる大空のたたずまいも、積乱雲から秋の特徴の一つ「筋雲」が現れ始めています。カボスの季節の到来です。毎年、この時期になると、大分県の山香農協に贈ってもらいたい名簿をファックスで送って、親戚、知人に四キロの重さの段ボール入ったカボスを送付して貰ってきました。それを始めたのが、私が九州小倉の西部本社に単身赴任していた時からですから、かれこれ、30年続いています。きっかけは、九州新聞社の責任者会で、大分の山の中でゴルフをやったときに始まります。ゴルフを上がって、売店を物色していると、大きな網に入った20個ばかりのカボスが、金500円で売られていました。これを、東京の皆さんに贈ったら喜ばれるだろうな、とひらめいたのが最初です。早速、60カ所ほどの名簿を送付して、四キロ入れの段ボール入りのカボスを、山香農協に頼んで送ってもらいました。案の定、皆さんには大変喜ばれました。そうなると、止めるわけにはいかなくなりました。その翌年も、その翌翌年も、、、続きに続き、今年で約30年間、それを続けてきました。ご主人がお亡くなりになっても、奥様宛てに送り続けました。数は減りました。それでも今年は25カ所ほど。今日、その名簿をファックスで、依頼書と共に山香農協に送ります。秋の訪れの詰まったカボスを段ボール箱から取り出しながら、「おお、中沢は未だ生きている!」と一瞬でも私のことを思い出してもらえるだけで「幸せだなー」と思うのです。

2023年9月19日          上海蟹                       

 一つ年下の従弟「靖輝」が亡くなって17年が経過しました。上海在住の中国人「具」さんとの取引が盛大に行われ、中国製品が日本の文化センターに卸され、商売は絶頂の頃でした。そんな時、上海の高級飯店で上海蟹をむさぼり食らう会がありました。彼が行きつけの去るクラブの女性4人も同席しました。茹でたて上海蟹が1人一匹、あてがわれました。旨い、旨い、この上もない美味です。ところが、隣の女性は脚だけ数本食べて、残りをナプキンに包んで、カバンの中に入れました。家族へのお土産にするそうでした。上海蟹は中国でも高価です。滅多に庶民の口には入りません。それを見た従弟は、四人の女性に一匹ずつをお土産に持たせるから、それは自分で食べなさい、と即しました。ドウテイ湖から上がる蟹、それは貴重なものだったのです。

 上海蟹はひと頃、日本にも入ってきていました。私自身、それを見つけると、多少高価であっても、生来の蟹好きのため買って帰っていました。ところがその上海蟹が、最近、放射能まみれであることが分かり、一騒動になっています。8月24日始まった日本の処理水の海への放出に反対する中国は、日本の海産物の輸入の全面禁止を打ち出しました。と同時に、自国の川や海から上がる海産物の放射能測定も同時に行い始めたのです。なんと、上海蟹を含めて黄河や揚子江の下流から上がる海産物が、莫大な量の放射能に汚染されていることが分ったのです。慌てた中国政府は、そのことをヒタ隠しにしようとしていますが、この事実は隠しようもありません。「やぶへび」とはこのことを言うのでしょう。

2023年9月18日     敬老の日                    

 今日は敬老の日だそうですが、昔から余りピンの来ていません。3人の息子がいるのですが、それでも、一昔前は気を使ってくれていました。最も、長男は63歳、次男も60に近く、彼らも敬老の域に達しているからでしょう。「40にして惑わず」どころか、「40にして窓際」の心境でありましょう。三男に至っては、未だに親の金を無心してくる始末。いやはやです。「子を持って知る親の恩」どころか「子を持って知る親の損」でありまする。

 古語に「中年老いやすく学なり難し」とありますが、私の場合、すでに、身体も心も「中年老いやすくガクガクになりやすし」の状態です。だから、「老いては子に従え」ならぬ「老いては碁にしたまえ」によって、囲碁に夢中になっています。加えて、「老いて益々盛ん」といいたいところ「老いて益々アカン」そのものです。

 この際、3人の息子達に言っておきましょう。「親孝行したいときには親はなし」と。

2023年9月17日     小 話                    

 小話があります。ある日、アメリカのバイデンと中国の習近平とロシアのプーチンの3人が、神様のところへ行って質問ました。「神様、アメリカの財政赤字は何時になったら改善されるのでしょうか?」神様が答えました。「お前の生きている間はとても無理だ」バイデンは泣き出しました。習近平が質問しました。

 「神様、中国はいま未曾有の経済危機に見舞われています。何時になったらこの危機から立ち直れるのでしょうか?」神様曰く「お前が生きている間は到底ダメダ」習近平も泣き出しました。最後にプーチンが質問しました。「神様、ロシア経済は何時になったら良くなるのでしょうか?」今度は神様が泣き出しました「ワシが生きている間はとてもダメだ」

 このところ、中国経済の不調が世界的話題になっているのは承知の通りです。不動産バブルの未曾有の崩壊、中国に進出していた世界の企業の一斉の撤退、それに伴っての若年層の就職難。加えて未曾有の天災、習近平の慣例を破っての独裁ぶりに対する非難は人民の間でウズをまいています。同じような独裁者非難はロシア国民の間でも、「燎原の火」のように燃えさかり始めています。ロシア国民は「何のためウクライナ戦争」なのか、今更のように問い始めています。天然ガスも、石油も、穀物も流通が止まり、世界中の人々がその苦しみに直面しています。日本とて例外ではありません。その現れの一つがガソリンの値上がりです。物価の上昇です、。影響を受けているのは世界の人々同様、私自身もそうなのです。

 そこで私も神様のところへ行って質問しました。「神様、私自身もウクライナ・ロシア戦争のあおりを受けて困っています。何とかなりませんか?」神様、答えて曰く。「その訴えはわしのところへ津波のように押し寄せている。だが、しばらく待て。プーチンは間違いなくロシア国民の総意によって引きずり下ろされる運命にある。その日は近い」と言いながら神様は大あくびをしました。

2023年9月16日     旅 心                    

 芭蕉が「奥の細道」へ向かって江戸を出たのは確か1689年の5月です。山形の山寺では「しずけさや岩にしみ入る蝉の声」、岩手では「五月雨の降り残してや光堂」、「夏草や兵どもの夢のあと」、新潟へ来て「荒海や佐渡に横たふ天の川」、近畿へ戻って「蛤のふたみに分れ行く秋ぞ」などと唱いました。

 猛暑もようやく収まりはじめ、と同時に、旅心が頭をもたげ始めました。「どこかへ行きたい!」、「旅に出たい!」。来年の2月から3月にかけて、タイ・チェンマイへ、キーボードを担いで行くことは予定に入っているのですが、その前にどこへ行こうか? 京都が第一候補なのですが、連日のニュースで見る限り、外国人観光客でごった返しています。恐らく、大河内山荘も人で溢れているでしょう。国内がダメなら、外国はどうか? ベトナム、カンボジア、ラオス、マレーシア、シンガポール、ミャンマー、インドネシア、台湾、中国、アラブ首長国連邦、イスラエル、すべて行っています。ヨーロッパでも、ドイツ、フランス、スイス、イギリス、デンマーク、オーストリア、イタリア、ハンガリー、オランダ、ポーランド、チエコ、スロバキア、加えて、オーストラリアとアメリカ。脚を踏み入れてないのは、南米大陸とアフリカ大陸だけです。ならば、アマゾン川を遡ってみるか? アフリカのセレンゲッテイ動物保護区か?

 大向こうから「歳を考えなさい」という声が聞こえてきます。つらつらオモン見るに、いずれも、この年では無理というものでしょう。

 そうだ、沖縄の石垣島のそば、小浜島のヤマハリゾートがあった!あそこは何度行っても楽しい! 園内はカートで移動する、音楽室がある、クジャクと戯れ遊べる、食事は24時間バイキング、、、、 

 早速、予約を申し入れました。「年内満員!」「うへー!」

2023年9月15日     ナベツネ                

 ナベツネこと読売の渡辺恒雄は、今なお97歳で生きています。しかも、読売新聞の代表権を持ち、主筆を務めています。先代の務台光雄が高齢になっても、代表権を譲らず、居座っていることに猛烈な批判を浴びせたその張本人が、同じことをやっているのです。新聞の退潮現象は全国の新聞社に及び、読売とて同じこと、部数は激減しています。それなのにしがみついているのです。

 昨日、プロ野球で阪神が優勝しました。しかも、読売巨人軍を破っての優勝でした。道頓堀界隈は大賑わい、禁止境界線を破って川に飛び込み、喜びを爆発させる人々も数知れず、社会現象になっています。これを見るナベツネの胸中はいかばかりでしょうか? 若い人にバトンタッチせず、自分が、自分がを押し通してきているナベツネの存在がこの現象を招いたことに、気づかないのでしょうか?常勝巨人軍の凋落が、自分がいつまでも居座り続け、若い人にバトンタッチしなかったせいだ、と思わないのでしょうか? 

 そうでなくても、新聞の部数は減り続けています。毎日新聞はとうに消滅し、読売も我が朝日も、その上、経済紙の日経でさえ、部数を激減させています。況んや、地方紙やブロック紙に於いておや。電車に乗れば、乗客の10人が10人ともスマホに見入っています。10両編成の電車の中で新聞を読んでいるのは私だけです。それほど、社会の情報に対するニーズは変化しているのです。ナベツネの時代は、既に、15年前に終わっているのです。

 いまや、哀れな存在というべきでしょう。読売新聞社内にナベツネの退位を進言する者がいない現実。大昔、巨人軍で大活躍した長嶋茂雄が退位するとき「巨人軍は永遠に不滅です」と曰いました。時代は刻一刻と変わっているのです。私は敢えて言いたい。ナベツネが巨人軍を差配している限り、この先、優勝はないでしょう、と。

 ところで、ナベツネは無類の愛煙家です。パイプ煙草を離しませんでした。今も愛煙しているのか、それとも既に禁煙しているのか、これは私の関心事です。調べて見ましょう。

2023年9月14日     人の寿命                 

  鎌倉時代の武将北条重時(1198~1261)に「極楽寺殿御消息」という100箇条の教訓書があります。その中に「さて、60ともなれば、何事をもうち捨ててひたすら後生を願って念仏せよ。例え子孫が滅びようとも、この世に心をとどめることなく、そのことを信仰を深める助けとして、自分はもはやこの世にないものと、覚悟すべきである」と述べています。

 今の世、60歳人間はゴロゴロいます。一応、その年まで生き長らえて来たことに感謝し、還暦を祝います。次は古希です、70歳。続いて77歳の喜寿、88歳の米寿、そして90歳の卒寿。まだまだ続きます。99歳の白寿、百という数字の一を引いた字が白だからです。そして百寿。今、日本国全体で100歳の人は7万人もいるそうです。北条重時が今生きていたら、ビックリ仰天して卒倒するでしょう。

 さて、百寿の上は何でしょう。111歳の皇寿です。その上は120歳の太寿です。日本ではただ1人、泉重千代さんが太寿になりました。また、世界でただ1人、122まで生きた女性がいます。フランスのカルマニさんでした。伝説上では、神武天皇は126歳、旧約聖書に出てくるモーゼは120歳まで生きた、と伝えられています。

 さて、私こと、来年は87歳です。米寿88歳も直ぐそばです。神様は私の寿命を「何歳?」と定めておいて下さっているのでしょうか?

2023年9月13日     住みやすいところ                   関東をかすめた台風が、茨城の日立などに被害を与えながら、洋上に抜け、空の雲のたたずまいが秋の気配を漂わせ始めたな、と思いきや、再び猛暑の連続の毎日。余りの暑さで、新潟産の「こしひかり」も田んぼの中で「焼き米」になったり、各地の野菜も甚大な被害を受けている、というニュースが飛び交っています。収入があてに出来なくなった農家の皆さんの嘆きはいかばかりでしょうか、同情を禁じ得ません。そんな昨今、年間を通じて気温較差が余りない、住みやすいところとして、千葉の勝浦市、茨城の大津港市の存在がクローズアップされています。両市とも太平洋に面していますが、年間の温度変化が余りないところです。恐らく、海流の関係でしょうが、大津港では岡倉天心がそれに目を付け、海岸の絶壁に六角堂を作ったり、瀟洒な居宅を作って移り住んでいました。どうでもいいことですが、岡倉天心の孫の徹志君が、我が早稲田時代の同級生でした。毎日新聞の記者になりました、この社の没落により、金沢大学に職を得て移住しました。早稲田の同級会を彼が幹事で、金沢で開催したこともありました。

 今年の日本の夏の異常な気温もさることながら、その異常さは世界各国に及んでいるようです。北京の含む中国の内陸部で、広範囲な水害が発生しました。香港までもがその被害地となりました。滅多に雨が降らない内モンゴル自治区でさえ、水害被害を受けました。ヨーロッパの内陸部でも都市の水害被害がありました。加えて地震です。アフリカの地中海の出口モロッコで起きた地震は強烈そのものでした。

 恐らく、地球は今、怒っているのでしょう。人類の野放図な生き方に対して警告を発しているのでしょう。そうとしか思えません。

2023年9月12日        美は照応にあり                      

 私の小学校5年、6年時代を受け持っていただいた長野市三輪小学校での上野雄二先生は、美術にも造詣の深い方でした。金原省吾先生に私淑され、ジャンクリストフを訳された片山敏彦さんとも友達でした。柳原のご自宅に伺って、奥様の手料理をいただきながら、どれだけ課外授業を受けさせていただいたか、計り知れません。忘れられないのは「美は照応にあり」という言葉です。長ずるに及んで、古来の焼き物の持つ美に心が奪われる機会が多くなりました。

 韓国ソウルには二回行きましたが、その度に、国立博物館で長時間を過ごしました。古来の焼きモノで溢れていました。白磁、青磁、三彩、五彩などなど、焼き物による「美」が溢れていました。明洞の雑踏と、半地下の貧民街と全く相容れない朝鮮の偉大な歴史がそこにありました。

 中国上海にも大きな博物館がありました。習近平が市長を務めた市庁舎ビルの近くだったと思います。流石は焼き物の発祥地だけあって、美事な焼き物で溢れていました。景徳鎮、龍泉窯、官窯、吉野窯、建窯などなど。ただ、多くの人でごった返しており、立ち止まることが許されませんでした。立ち止まって鑑賞出来ないのは、台湾の故宮博物館でもそうでした。台湾へ行くたびに、心の故郷へ行くような思いで訪れていました。恐らく10回は下らないでしょう。あるとき、「美は照応に在り」ではないが、ビビッときた、緑色の小皿がありました。その美しさに打たれました。その後、その小皿に逢いに故宮へ行ったのですが、展示の都合だったのでしょうか、逢えずじまいになりました。何とか、その緑の小皿が展示されている時に、故宮に行きたいものです。

2023年9月11日   ミトコンドリア                    

 ミトコンドリアとは、ほとんどすべての生物の細胞内に存在する「細胞小器官」の一つです。極小の物質で、一細胞内に300個から400個存在しているそうです。全体重に占める割合は約1割だそうです。

 物の本を読んでいたら、このミトコンドリアこそが生物の寿命に著しく関係していることを知りました。何故なら、ミトコンドリアは車に例えればエンジンに相当します。ガソリンは食物です。ガソリンは補給されてもエンジンがおかしくなっていれば、その個体は消滅します。

 ミトコンドリアにも寿命があって、補給してやらなければその個体の活動は抑制されます。どんどん補給してやればエンジンは酸素と結合して活発化します。長生きが保証されます。従って、長生きするためにはミトコンドリアが欲する栄養素を、絶えず、送り込んでやることが必要です。やはり、長生きのためには食べ物が関係しているのでした。それも、ミトコンドリアが欲する食べ物を、です。

 調べて見ました。ミトコンドリアが欲する栄養素は次の八つです。ビタミンD、葉酸、ビタミンB6、ビタミンB12,亜鉛、タウリン、鉄分、コエンザイムQ10、つまり、これらの栄養素が豊富に含まれている食べ物を選んで、毎日、食卓に上げていれば、長生きが保証される、と言うわけです。

 数日前の当欄に、長生きのための10の食べ物について書きましたが、不足していた成分がありました。それはミトコンドリアが好んで欲するタウリンです。タウリンは主としてイカ、タコ、貝類に含まれます。良質の肉類にも多量に含まれているそうです。

 家の近くに、新潟出雲崎港から直行で送られてくる鮮魚市場があります。早速,行って、それらを仕入れてまいりましょう。

2023年9月10日   どうした?習近平                    

 一度も欠席したことのないG20に欠席しました。隣の国インドで開催されているというのにです。確かに、中国はいま、多くの問題を抱えています。5月に新たに任命された腹心7名の内の外相が更迭され、前任の王維に替わりました。軍部のトップも大幅に入れ替えとなりました。不動産バブルがはじけ、宏大集団をはじめ、不動産業界は多額の不良債権を抱え、その処理に大わらわです。大わらわであっても、政府として適切な処理が出来ずにいます。日本をはじめ、諸外国の中国工場が中国から去り始めています。深刻な失業問題が起き、職につけない学生が巷に溢れています。鳴り物入りで建設に励んだ国中の高速鉄道は、ほとんどが赤字で、存続が危ぶまれています。

 最も大きな誤算は、習近平が大上段に構えて世界に発表した「一帯一路」です。終着駅と目されたイタリアさえもが離脱を申し入れています。実態は悪評サクサクなのです。なぜか? 参加を申し出た低開発国に対し、港湾、その他の整備に多額の元を貸し付けます。あれよ、あれよ、という間に、その近代設備は出来上がります。ところが、それを作る労働者は中国から来ます。資材も中国からです。地元の利益には結びつきません。おまけに、貸し付けた資金の返済は「ドル建て」と決められています。仮にも返済が出来ない場合は、そこは中国の租界地となるのです。その実態が明るみに出るに及んで、参加国が続々と離脱を申し入れています。

 内憂外患とは、正に、今の中国を指すのではないでしょうか? だから、習近平は外に出られないのではないでしょうか? 今年の5月、彼は強引に、規則を変えてまで、居座りを続けました。それがいま、災いとなっているように、私には思えます。「天の配剤」とはよく言ったものです。今後の出方が見ものでありましょう。

2023年9月9日      世界地図                       

 極く最近、中国政府(中国自然科学省)は世界地図の中で、自国領土を主張する地図を独善的に発表しました。それを見た、中国と国境を接する国々は、怒り心頭を発しています。まず、台湾が中国の色に塗り替えられていました。台湾が怒るまいことか!南シナ海全域が中国の色になっていました。ベトナム、マレーシア、フィリピンなどが血相を変えて怒り狂っています。かねてより中国はインドとの国境紛争を抱えています。あろうことかその部分が中国色になっていました。インド側の怒りが爆発しています。このたび、インドで行われる「世界20カ国大会」議長国はインドのモデイ首相です。手ぐすねを引いて、習近平を待ってます。それを察してか、習近平は欠席するようです。まだ、あります。ロシアと国境を接する川の中州の領有権問題です。揉めているのに、今回の地図では中国領になっています。ただ、今のロシアは、それに文句を付ける余裕はないようです。

 何故、中国はこのように独善的なのか? そこには地図の持つ歴史的背景があります。領有権を主張するには「古文書」がものを言います。一日でも古い地図があれば、国際的にその正当性が認められるのです。それが世界の掟でもあるようです。中国はそれを狙っているのです。今は反対されても、数十年、あるいは数百年後に、それが公に出された事実があるから認めざるを得ない、という後世の判断を期待しているのでしよう。

 誠に持って、中国はずる賢い国、と言わざるを得ません。

2023年9月8日   倒 錯                    

 87歳で死んだジャニー喜多川の父親は「諦道」と名乗る高野山真言宗の僧侶でした。それなのに彼は、女性に興味を示さない性欲者になりました。三島由紀夫もそうでした。画家の娘と結婚し、二人の子供が出来ましたが、女性と交わるときは、そこに、男性自身を想定してことに及ぶそうです。名著「禁色」にそれは明らかにされています。三島と交わった素人の美少年がことの経緯を詳しく綴った「赤いバラ」という秘本があります。無邪気な三島の本姓が余すところなく描かれていて興味は尽きませんでした。

 性倒錯者は至る所に存在している、と言っていいのではないでしょうか?かく申す私も、それに遭遇したことがあります。中学一年生の時です。長野市公民館が募集する小学生を世話するアルバイトに採用されたことがあります。ある日、松浦という主任の運転するバイクに乗せられて、善光寺の裏山に連れ込まれたことがあります。「研究のためだ、真っ裸になって欲しい」と言われ、そうしました。いろいろな部位を巻き尺で測り始めました。おちんちんの長さも測りました。仕舞いには、今朝食べたものを、苦しいだろうが吐き戻してくれぬか、と言われ、そうしました。そうした途端、彼は股間をもみながら奇声を発して倒れ込みました。恐ろしかった記憶が鮮明です。

 ジャニー喜多川に下腹部を欲しいままにされたタレントの数は数百人を下らないそうです。新会社の社長になった東山さんが、今後、どんな運営をするか、これは見ものでありましょう。願って起きたいのは、性被害に遭ったタレント達が、その被害内容を殊更に公にして、慰謝料を取ることだけは止めて貰いたい、と言うことです。人間の性嗜好は色々あるのです。それは神様の取りこぼしでもあるのです。公にしてはならない部分なのです。

2023年9月7日   ド文                    

 毎日曜日の朝は、7時半の長年続いているTBSテレビ番組で、進藤晶子司会者の明るい笑顔を見て、関口宏のサンデーモーニングに移るのが恒例になっています。昔は、辛口の評論家・佐高信などが出ていましたが、今は、長野県野沢高校から慶大、そして共同通信の記者になった青木理ぐらいで、最近ではTBS報道記者の松原耕二に替わることが多くなりました。それに伴い、番組全体の論調も、至極、穏やかになりました。

 一方、松原耕二はユーチューブでも番組を持っていて、ウクライナ問題でも、朝日の駒木論説委員などと、戦況の分析などに力を注いでいます。最近も、先月24日から始まった処理水放出にも触れ、独自の見解を述べたところ、それに噛みついた、同じユーチューバー男がいます。

 東大理学部数学科専攻で、大蔵官僚でもあった高橋洋一です。「何をほざくか、このド文めが!」と、公然と罵ったのです。「ド文」とは、文系を専攻している、あるいはしてきた学生に全般に対する 理系専攻学生の優位を現す、軽蔑を伴う言葉です。その、禁じされている言葉を、高橋洋一官僚は、公の場で使ったのです。思えば私も「ド文」の一人です。松原耕二も山口県の修猷館校から早稲田政経をでた「ド文」であります。世間には「ド文」人間の何と多いことか! 世間はド文で持っているのです。高橋洋一よ、いつか貴様の高慢な鼻をへし折ってやるから覚悟しておけ!

2023年9月6日   京都法曹界を嗤う                    

 思い出すだけでも虫唾が走る嫌な事件があります。京都のアニメ会社にガソリンが撒かれ、火が放たれ、36人が焼死し、36人が何らかの傷を負った忌まわしい事件です。犯人は即座に逮捕されましたが、心神耗弱を理由に4年にも亘って病院で手厚く看護され、漸く、裁判が行われ、来年の1月25日、結審の予定です。弁護側の主張は、犯人の精神鑑定の結果を基に、これは異常人格の人間が犯した行為で在り、責任の能力の無い人間が犯した行為で在り、従って、罪に問えない、無罪である、という主張です。本人は法廷で、「こんなにも多くの人が死ぬとは思わなかった。やり過ぎた」と陳述はしたものの、一切の謝罪の言葉も発しませんでした。少なくとも謝罪の言葉を期待した遺族の胸中は察するに余りあります。

 私は声を大にして叫びたい。「京都の法曹界は甘すぎる!」と。即刻、死刑にすべき犯人を、四年間も病院へ入れて手厚く面倒を見、更に、国選弁護団を使って陳述書をまとめ上げ、その上、無罪を勝ち取るためのあらゆる手を尽くすとは! すべて、税金ですぞ! 京都市民が納めた税金を使って居るのですぞ! 焼け死んだ36人の若者とその親族の胸中を考えたことがあるのですか! 焼死は免れたものの、心に深く傷を負った者の辛さに想いを馳せたことがあるのですか!

2023年9月5日   辺野古埋め立て                    

 沖縄本島の北のはずれ辺野古の海が埋め立てられ、そこを普天間飛行場の代替え地としての工事が進められていました。ところが、その北側に軟弱地盤が見つかり、新たな工事が必要となりました。何故、沖縄ばかりが米軍基地となるのか、玉城デニー沖縄県知事は異議を申し立てていましたが、最高裁は昨日、それを却下しました。

 沖縄本島の北のはずれに名護という町があります。そのまた奥に辺野古があります。かつて、私も何度か訪れましたが、珊瑚礁が広がる風光明媚なところです。玉城デニーさんの主張は、なんで米軍基地が沖縄ばかりに集中するのか、全国で分かち合うべきではないのか、というのが、その主張の根底にあります。もっともな主張です。でも、来たるべき中国とアメリカとの仲違いを念頭に置けば、基地としての重要性は沖縄列島をおいて他にはない、と言えるでしょう。一方、移転が予想される普天間飛行場は町の真ん中に位置します。何度か行きましたが、飛行場周辺の人々は日夜、軍用機の離発着の騒音で悩まされ続けています。その騒音は聞きしに勝るものでした。

 確かに日本という国は、アメリカに占領されて以来、アメリカの言うなりになり、その負担の大部分を沖縄に押しつけてきました。国内にある米軍基地は横田、岩国、三沢位のものです。今後予想される紛争の中心・台湾からの距離は余りに離れすぎです。

 台湾を巡ってのアメリカ・中国との争いが起きないことを願うばかりです。

2023年9月4日     椀子蕎麦                    

 何と今、ニューヨークでは盛岡祭りが行われ、「椀子蕎麦早食い大会」で盛り上がっているそうではありませんか。一分間で何杯食べられるか、それぞれ3人ずつ壇上に上がって9人ワングループで競うのです、黒山の人だかりでした。小さな子供まで参加していました。優勝は年配者で一分間に21杯。3秒で一杯の蕎麦をすすり込んだ計算になります。

 昔、東北担当の部長だったころ、東北・信越の担当員全員が盛岡で懇親会を開き、翌日、椀子蕎麦店に集合して早食い競争に挑戦したことがありました。そのとき、優勝は若い部員でしたが、私も上位に入賞出来ました。早食いにはコツがあって、蕎麦を噛んではいけないのです。口に入ったら直ぐ、飲み込むのですそばつゆと一緒に。胃袋は驚くでしょうが、仕方なしに消化に励んでくれるようです。

 なぜいま、ニューヨクで盛大な盛岡祭りなのか? それはあのニューヨクタイムズが「今、世界で行った方がいい都市・30カ所」の二番目に日本の盛岡市を挙げたからです。一番はロンドンでした。これには今、大活躍中の大谷翔平の影響もありありでしょう。彼が野球をやっていたのが盛岡の隣町、花巻東高校だったからです。

 私は、この選定を下したニューヨクタイムスの記者の目が高いことに驚きを隠せません。何故なら、私も大谷翔平の存在に拘わらず、盛岡が大好きな都市の一つだったからです。都市にはそれぞれが発する波長があります。匂いがあります、色が存在しています。私にとって最も波長の合わなかった都市はどこか?それは茨城の土浦市でありました。

 ともあれ、ニューヨークにおける盛岡祭り、嬉しいことこの上もありません。

2023年9月3日     アプライトピアノ                    

 道路に面して二つある車庫の一つは、物置になっていて、一番奥にはカワイのアプライトピアノが鎮座しています。月に三回レッスンに通っているピアノ教室の先生が、今日、そのピアノを見に来る、というのです。ピアノのない子が欲しがっている、というのです。早速、ほこりを払い、電気を付け、から拭きをして、先生のお出でを待ちました。

 10年ほど前、タイ・チェンマイへ行くようになってから、その度に、ヤマハのキーボードを抱えていって、タイ山奥の少数民族の学校や、教会に寄付するのを恒例にしていました。その度に喜ばれるので、本物のアプライとピアノを持って行ったら、更に喜ばれる筈だとの思いから、余り深く考えずに仕入れたのが車庫にあるピアノなのです。四国の金光教教会から仕入れたのはいいが、輸送費に7万円もかかりました。しかも、これをキーボードのように抱えて飛行機に乗るわけにはいきません。船便の輸送費を調べました。更に、陸揚げに伴い、関税がかかることも知りました。バンコックに陸揚げされてもそこからタイ山奥の辺境地に運ぶ輸送費も馬鹿になりません。タイの学校からの減免措置も検討しましたが無理なことも分りました。結局、諦めとなり、くだんのピアノは依然として我が家に鎮座しているのです。

 ピアノの身になってみれば、誰かに弾いて貰いたくてウズウズしているでしょう。先生が、いいもらい手を探してくれることを祈るや、切です。

2023年9月2日     家族葬                    

 今日は、午後から多磨霊園の正覚寺というお寺での家族葬に行ってきました。施設に入っていた従妹の久美子が75歳で亡くなったのです。生涯、独身でした。ボーイフレンドはいたようでしたが、東京で再婚した私の母親の連れ合いが亡くなってからは、ずっと、母親と二人で清瀬の団地に住んでいました。その母親も10年前に亡くなり、彼女自身も4年前に乳がんの手術を受けてからは、施設の世話になっていました。

 久美子の弟の秀樹夫妻には5人の子供がいます。皆、成人し、それぞれ職業に就いていました。長野の慶楽寺にある「中沢家代々の墓」は今は秀樹が背負っているのですが、次は、この5人の中の一人が負うことになるでしょう。5人もいれば将来は安泰です。

 花に包まれ、賛美歌の合唱で送られた久美子の棺は、真っ暗なガス室の中に入っていきました。そして数十分のち、白い骨になって出てきました。同じ道を、やがては私自身もたどることになるわけで、中は熱いだろうな、どのくらい熱いのかなあ、などと想像を巡らしましたが、、所詮、避けられぬこととは分ってはいても、なんとかならないものか、と考え込んでしまいました。

 死は終わりではない、形を変えるだけだ、と良く言われます。「事実はどうなるのか」それをつぶさに知るときが、私の場合も迫ってきているのを思わないわけにはいきませんでした。

2023年9月1日    次はいつ?                  

 今日、9月1日は関東大震災が起きて丁度100年目に当たります。その頃、私の祖先は江東区深川に住んでいました。長野松代藩に仕えた中沢愛之進の孫中沢丙三は、私の祖父ですが、鹿児島薩摩の出水からでて大阪で事業に失敗し、長野へ来て成功した出水周助の孫娘きよと結婚し、5人の娘をなし、浅草橋で小さな鉄工所を持っていました。私の母親志津は当時8歳でした。

 もし、この震災で母親が8歳で亡くなっていたら、当然、今の私は存在していないわけで、運命のいたずらをシミジミ思ってしまいます。家を失った一家は、その後、丙三の故郷である長野市に移り住みますが、5人の娘達は長ずるに及んで、それぞれの家庭を持ちました。従って私には15人の従弟姉妹がいます。

 ところで、最近、東京では地震がありません。かなりの頻度で揺れていた時期もありましたが、このところ、揺れを感じません。と言うことは、たまりに堪ったエネルギーの放出が必ずあるわけで、東京に住む者は、第二の関東大震災が起きる必然の成り行きを思わないわけにはいかないでしょう。

 2023年8月31日      ストライキ             

 今日31日は、池袋西武百貨店で24時間ストライキが行われています。ストライキとは、今時、珍しい現象です。理由は、池袋百貨店が外資企業に売却されるのを反対するためだそうです。なぜなら、西武グループは4年連続の赤字経営だそうで、負債総額は約400億円! 驚くべき数字です。

 戦後まもなく、電鉄グループはその沿線の開発にしのぎを削っていました。東急グループの創始者五島慶太は、渋谷の東急デパートから始まって、箱根一帯の観光開発に血道を上げました。西武グループでは堤康次郎一族が、プロ野球まで手を広げ、西武園球場まで作ってしまいました。中間に位置する所沢市は一大都市にまで大きくなっています。更に、軽井沢開発にも手を染め、72ゴルフ場は栄えに栄えています。更に経営権が次男の清二に移った頃、百貨店経営は栄えに栄え、西武デパートの書籍売り場には、詩人でもあった清二の書籍推薦コーナーまでありました。

 子供の頃は、デパートへ連れて行ってもらうのが無上の楽しみでした。日本橋三越の屋上で遊具の遊びに時を忘れ、食堂へ降りてきてオムライスをいただきました。ケチャップライスの上にオムレツが乗り、小さな日の丸の旗が着いていました。

 庶民の憧れであったデパート経営が、しばらく前から退潮気味になったのか、何故なのか? となると、有楽町の朝日新聞社跡地にある西武デパートも安閑としてはいられなくなりそうです。築地に移転する前、跡地を借りたのが西武グループでありました。かなりの地代が朝日の経営を支えているはずです。それも、怪しくなるとしたら、、、、、ゆゆしき問題です。

2023年8月30日   フィンランド             

 フィンランドは、ロシアと国境を接する小国です。人口は僅かの550万人。しかし、軍事大国として世界に知られています。戰車、装甲車、戦闘機などの製造では飛び抜けていて、世界中からの注文を受け、輸出している軍事大国でもあります。僅かな人口での国ではあっても、徴兵制を引いていて、18歳以上の男子には兵役義務が課されます。陸軍16000人、海軍3500人、空軍2700人、、、何よりも凄いのは、優秀で世界に冠たる武器を作り全世界に輸出していることです。それもこれも、ロシアを意識している結果でありましょう。恐らく、核兵器も所持しているはずです。

 そのフィンランドが、かねてより申請していたNATOへの加盟が許されました。一国でも反対すればダメだったのですが、全会一致の加盟だったようです。早速、航空機を含む武器をウクライナに供与することになりました。ロシアにとっては新たな脅威が加わったわけです。

 大昔、ローマ帝国で権勢を欲しいままにした暴君ネロが反乱に遭い、その中に腹心と思っていた仲間がいたことに驚き、「ブルータス、お前もか!」といいながら処刑されていった有名な故事があります。現代に於いて悪名高いロシアのプーチンも、同じ言葉をつぶやいたに違いありません。

 「フィンランドよ、お前もか!」、、(フィンランドの首相は女性です)

2023年8月29日   雲は知っている             

 一昨昨日は、車の渋滞を避けるため、朝早く起きて、浅草のホテルに滞在中のタイ・チェンマイからの客人お二人を迎えに行き、常磐高速の六号線に乗りました。ホテル近くの駒形から乗れると思っていたのは勘違いで、向島まで行って合流できました。六号高速は三郷インターまでかなりの高度のところを走り抜けていきます。圧巻は、大空一杯に広がる夏の雲でした。西の地平線から東の果てまで、様々な形をした白い雲が、時には光を反射しながら、東京の西側一杯に覆い被さっていました。雲と雲の合間には、青い空があくまでも蒼く広がりを見せていました。余りにも美事な雲の群れで、私の車は、車ごと吸い込まれるのではないかと、錯覚を覚えるほどでした。三郷から千葉県に入ると、六号線は柏の辺りは地下道です。我孫子を過ぎ利根川を渡ると茨城県に入ります。入って直ぐの守谷の休憩所で朝食を摂ろうとしましたが、生憎、土曜日のためか混雑していて、やむなく、次の友部まで行って朝食にありつきました。

 思えば浅草を含む江東六区から始まって千葉県、茨城県、福島県は、私が仕事上、沢山の関わりを持った地域です。朝日新聞の販売網強化のためにどれだけの心血を注いできたか計り知れません。千葉県の助手1年半をはじめに、江東六区を2年、福島県を5年、茨城県を2年、更に、千葉県を3年、朝日新聞の部数伸張のため心血を注いできました。入社したときは朝日の部数は400万部足らずでしたが、在社の最後の時には860万部まで伸びました。そして今は、、、、「紙」による伝達手段は「光」のお陰で青息、吐息の状態です。

 今回の福島行き、私にとっては懐旧の時でもありました。

2023年8月27、28日    月見れば            

 「月見れば ちじにものこそかなしけれ 我が身一つの秋にはあらねど」という歌があります。猫額のベランダから夜空を見上げ、いま、感慨に浸っているところです。26日朝、タイ・チェンマイからお出でになったお二人を我がぼろ車にお乗せし、常磐高速をひた走り、福島・泉の「翼の教会」の施設のお世話になり、日曜日には礼拝に出て、午後は二時からの避難解除になったばかりの大熊町の「大野教会」の礼拝にも参加させて貰ってきました。半年ぶりにお逢いする佐藤彰牧師は、相変わらずお元気そのもので、参会者もかなりの数になっていました。

 しばらく前に、避難解除になったばかりの大熊町全体は、一部には新しい動きが見られるモノの、町自体の復興は、一向にはかどってはいませんでした。それでも、午後二時からの礼拝にはかなりの参列者があり、佐藤牧師の並々ならずお働きが伺われ、改めて、ビックリさせられました。そして、相変わらず、常磐線の駅舎だけが目立っていました。放射能の傷跡の深さが改めて思いやられ、二四日から始まった汚染水の海洋投棄とあいまって、事態の深刻さに思いをいたいました。世評では、汚染水の海洋投棄に反対する中国人からの日本人に対する個別電話が、津波のように押し寄せてきているそうではありませんか!

 帰路、小名浜漁港を皮切りに、勿来の海岸から、大津港漁場の有様を見てきました。その寂れようと言ったら、小名浜漁港以上のものすごさがありました。集落はあっても、人がいないのです。正に、幽霊屋敷そのものになっていたのでした。私がかって担当していた頃の小名浜、勿来、大津港などの漁港は、漁船の出入りが激しく、栄えに栄えていました。改めて、福島原発の甚大な影響の大きさと、この先、ここの人たちの行方の哀しみを思い、暗澹たる思いを抱きながら、常磐高速をひた走り、帰ってきました。

2023年8月26日    汚染水            

 福島原発汚染水の海中放棄が始まりました。ストロンチウム90、これがまた厄介な代物です。他の放射能物質の半減期はさして長くはないのに、この厄介な代物は異常に長く、しかも、人類の生存にとって悪さをします。

 中国は今日、日本からの海産物全品の輸入禁止を発令しました。日本に対する嫌がらせの最たるモノです。でも、困るのは中国の方ではないでしょうか?15年ほど前になるでしょうか、従弟の靖輝君が健在の時、数えて十回以上、上海へ行きました。その頃、一番はやっていたのが、生きた魚を店頭に放し飼いし、客の求めに応じて、魚を捕らえて調理して供する、こんな商売が流行にはやっていました。魚のほとんどが日本からの輸入ではなかったか?と記憶します。日本でも一時、もて囃されていたことを覚えています。

 さて、双葉原発から日夜を問わず垂れ流される汚染水「ストロンチウム90」は原発の当該原子炉が廃炉にならない限り、永久にこの厄介な元素を排出します。海は広大で在り、それに比べれば汚染水は涙の一滴でありましょう。中国や韓国の輸入規制は嫌がらせ以外の何ものでもありません。漁獲量の全面輸入禁止で困るのは、かえって中国や韓国民でありましょう。

 だからといって、汚染水海中垂れ流しが永久に許されるでしょうか?問題は日本国そのものが、放射能物質を半永久的に閉じ込める国土を持っていないことなのです。フィンランドでは放射能汚染物質を、国土の一部400メートル地下の岩盤に閉じ込めています。日本では青森の百里基地のせいぜい100メートルです。けたが違います。

 歴代総理の中で小泉純一郎だけは、それをつぶさに見学し、どこを掘っても水が出てくる日本国土は原発は向かない、と悟り、爾来、熱烈な原発導入反対者になったのです。

 海は広大です。汚染水は涙の一滴でありましょう。だからといって、このまま海へ放出しつづけていいものでしょうか?母なる海に甘えてはいけません。これは日本国が抱える大問題なのであります。

 2023年8月25日    殺人鬼・プーチン         

 元、プーチンの盟友・プリゴジン他ワグネル幹部10人が乗ったプリゴジン所有のジエット機が、モスクワからサンクトベルグへ高度8500メートル、時速950キロで向かう途中、ロシア軍の防空部隊により撃墜され、乗員全員が死亡する、というニュースが飛び込んで来ました。明らかにプーチンの命令で行われた!プーチン、またやったか! とロシアの国民は元より、今回の戦争の行方を固唾を飲んで見守っている全世界の人々の共通の思いではないでしょうか。

 2006年、プーチンと同じスパイ仲間であったリトビネンコはポロニウム入り緑茶を飲まされ、殺されました。同じ元スパイであったセルゲイ・スクリパリも娘と共に、神経剤ノビチョクで殺されました。最大の政敵であった野党指導者ネムツオフもモスクワで射殺されました。プーチンの最初の大統領選挙を支えたベレゾフスキーも首をくくった状態で殺されました。かてて加えて、ウクライナ侵攻以来、8人の反対派が自殺や事故に見せかけられて死亡しています。

 昔からの盟友であり、心を許しあったプリゴジンが、プーチンに反旗を翻したように見えたのは、この戦争が無意味であり、NATO諸国が加わればロシアに勝ち目がないことを、それとなく悟らせるように行動を起こしたことは、世界が認めるところであり、それが分らず、敢えて盟友を殺害したところに、プーチンの殺人鬼たる所以が見え隠れしています。

 一日でも早い停戦が望まれます。それにもまして、殺人鬼プーチンに天罰が下ることを、世界は切望しています。

2023年8月24日    ストラデバリウス         

 吉村妃鞠の演奏が余りに凄いので、デヴューした7歳から現在12歳までの演奏を聴いてみました。改めて感動しました。殊にバイオリンの音色がずば抜けていい。世界の頂点に位置するストラデバリウスを使っているせいもあるでしょう。とにかく音色が凄い。

 このバイオリン作者のアントニオ・ストラデバリウスは1630年、イタリアで生まれています。彼の作った弦楽器は凡そ700丁。内訳はバイオリン600丁、ビオラ8丁、チエロ63丁、、、、高値は高値を呼び、数が少なかったビオラは、現在、1挺45億円もしているそうです。

 現存しているバイオリン600丁のうち400丁は日本人が所有しているそうです。日本人も捨てたモノではありません。主な所有者は、辻久子、千住真理子、徳永二男、海野義雄らで、あとのバイオリニストは財団から貸与されているそうです。財団も色々あって、中にはカレーで有名な「ここいち」もあるようです。前沢雄作とかいう「にわか金持ち」その筋の財団を持っているようで、妃鞠ちゃんのストラデバリウスも、そのどちらかから借り受けているようです。それはそうでしょう。音楽一家とはいえ吉村家に子供に二億円超えるバイオリンを買い与えることなど無理というモノです。

 でも、もし、世の中の誰かが、妃鞠ちゃんにストラデバリを所有して貰うための募金活動を始めたら、、、、、私は真っ先に参加するつもりです。

2023年8月23日  寿命を延ばす         

 何気なくIPADを見ていたら、「寿命を延ばす食品10選」がありました。参考になるので記しておきましよう。先ず、鶏の胸肉だそうです。ボデイビルダーが好んで食べていますが、イミダゾールペプチドという抗酸化物質が豊富に含まれているそうです。続いて、オリーブオイル。偽物が多く、本物でなければなりません。そして鶏卵、毎日一個。納豆、毎日1パック。コーヒーも入っていました。毎日3杯飲む人は死亡リスクが下がるそうです。以外だったのはアーモンド。栄養価が高い上にポリフェノールが豊富だそうです。野菜は何でもいいそうですが、特筆されるのがブロッコリー。酪酸菌が多く、毎日食べていれば、ガンに罹らないそうです。続いて緑茶。言わずもがなでありましょう。8番目は青魚。イワシ、サンマ、何でもいいそうですが、お勧めはサバ缶だそうです。オメガスリーというものが豊富だそうです。そして最後はブルーベリー。アントシアミン、カテキンが豊富で、人の寿命を延ばす最強の果物だそうです。以上10食品。

 私が毎日食べているゴーヤーは何故か入っていませんが、ゴーヤーはブロッコリーと同じ緑野菜です。それに、この10選の中にチーズとヨーグルトが入っていないのが不服でもありました。

 早速、車を飛ばして近くのスーパーへ行きました。ワンパック458円のブルーベリーを、しこたま買い込みました。鶏の胸肉も買いました。

 人間とは浅ましい生き物でもあります。

2023年8月22日   明日は決勝戦        

 昨日、準決勝が行われた甲子園は、今日は休養日です。西側はすべて退き、東側同士の対戦となりました。昨年優勝校の仙台育英と、神奈川代表の慶応との対戦です。茨城代表の土浦日大は惜敗でした。現役時代、2年間担当した井茨城県に勝って欲しかったのですが残念でした。慶応高校の決勝進出は103年ぶりだそうで、全国にゴマンと散っている慶応関係者の喜びは言わずもがなで、明日の決勝戦を固唾を飲んで見守ることでしょう。

 一方、仙台育英が勝てば二年連続の優勝です。深紅の優勝旗は、再び白河の関を越えることになります。前代未聞の事件となるでしょう。さて、私はどちらを応援したモノか? 自分でも分らなくなりました。 

  昨日の試合で、明らかに甲子園球場の雰囲気が、ガラッと変わった場面がありました。それは、六回の慶応の攻撃場面で代打に清原の息子が登場したときです。ご承知のように清原は大阪のPL学園で大活躍し、プロの転向してもその活躍ぶりが衰えなかった清原和博の二人の息子の内の一人勝児です。雰囲気というモノは恐ろしい。球場全体が彼の代打登場によって、慶応びいきに替わったようなのでした。

 古い話ですが、私はプロゴルファーに転向した清原選手に主催者代表として、優勝した彼に朝日新聞社賞として「銀のパター」を手渡し、握手したことがあります。その頃は未だ優雅な時代で、九州の海添えのゴルフ場でのコンペを主催していたのでした。西部本社代表の奥尾さんが出られなくなり、私が代わりに出向いたのでした。試合中、清原選手に付いて歩き、彼の300ヤードは優に越すドライヴァーを目の当たりにして、目を丸くした記憶が鮮明に残っています。

2023年8月21日   オープンリール        

 自宅の半地下になっている10畳ほどのピアノ室の壁際には、音響装置がところ狭しと置かれています。次男が手作りした大型の左右のスピーカー。アンプ、音盤、夥しい昔のレコード、CD、DVDなどなど。その中に一度だけしか使わなかったオープン・リールがあります。必要に迫られ、宣伝部長時代、8万円で購入したモノです。今日、音響製品の買い取り業者が自宅に現われました。付けた値段が、なんと、オープンリールが3000円、アンプが2000円、音盤が1000円!

 宣伝部在籍の頃、販売店新年総会のための出し物を検討中、千葉時代の私の助手を務めてくれた大久保宣伝課長から、「情報発信基地としての朝日販売店」を映像化しよう、という案が飛び出し、宣伝部揚げてその問題に取り組みました。苦心に苦心を重ねた映像は出来上がりました。ところが、会場に問い合わせてみると、スクリーンはあっても映写機は使えず、唯一可能なのは、オープンリールで投写することだ、ということが分りました。オープンリールは社内にもありません。会場側にもありません。エーイ、それならば、と私は自費を投じてオープンリールを購入したのです。

 幸い、映像は好感を持って迎え入れられましたが、時代の流れは映像どうりにはなりませんでした。紙を媒体とする情報伝達手段は、日々退潮し、販売店はおろか、情報発信基地の新聞社まで、今や、存続が危ぶまれています。

 いま、音楽はパソコンやIPADから自由に聴くことが出来ます。ベッドに寝転がって聴くことも出来ています。音響の質もそんなに遜色がありません。それに私自身、質の良い音と、それを再生する音の環境を求める意欲が、とうに、無くなっていることに気付かされています。

2023年8月20日   日本、弱し        

 今月の3日から6日まで、世界囲碁オープン戦が中国の河南省鄭州市で行われ世界から64名の各国代表が終結し、覇を競い合いました。64名の内11名は日本代表選手でした、井山裕太、一力遼、芝野虎丸、山下敬吾、許家元、大西竜平、余正基、本木克也、伊田篤史、そして女流の藤沢里菜、上野愛佐美の11人。日本は最強メンバーで臨んだのでしょうが、なんと、二回戦までに11名が全員、負けてしまいました。第一位から第八位までを独占したのは中国勢でありました。その次が韓国。過去数十年、日本は中国、韓国にあらゆる棋戦で負け続けています。不名誉な記録ばかりが並んでいます。

 なぜ、こうなっているのでしょうか? 半世紀前までは中国、韓国の囲碁のレベルは低く、日本人棋士が両国に教えに行っていました。藤沢里菜のおじいさん、藤沢秀行などがその急先鋒でした。ところが両国は、このままではならじ、と国家を揚げて囲碁棋士の育成強化に取り組みはじめます。国家がお金を出して、国家の事業として、囲碁の普及強化に乗り出したのです。その狙いは当然ながら、「日本に勝つ」ためでありました。この学校に入れば、授業料は免除されます。棋戦に勝てば賞金は自分のモノです。中国の人口は約14億人。日本の10倍以上です。才能が発掘され、専門の授業で技が磨かれ、棋戦に登場してくる中国人棋士に、趣味の段階から入った日本の棋士たちとの相違は、言わずもがな、でありましょう。

 ところで、日本の囲碁は、中国や韓国に負けっぱなしでいいのでしょうか?余りにふがいないではありませんか! 加えて、囲碁のための唯一の新聞「週間碁」も近々廃刊になるとか! そうなれば、日本の囲碁は中国と韓国との差を益々広げることとなるでしょう。政治家の皆さん、それでいいのでしょうか? 残念なのはことの重大さが分る政治家が日本にいないことです。競馬やゴルフに狂っていても、頭の回転が勝負となる囲碁は、日本の政治家の皆さんには、とっつきにくいモノだからでありましょう。

2023年8月19日    何ための共産党か?          

 中国不動産会社最大手の恒大グループが、アメリカで破産申請をしたことが報じられました。このグループが抱える負債総額は、昨年末時点で2兆4374億元、日本円にして約49兆円と言われています。中国では一時、投資のためにマンションを借金をしてでも買い込む風潮が蔓延していました。ところが、買ったはいいが、マンション工事は資金不足のため工事がストップしたままになっているのです。そういう不良工事のマンションが、中国の至る所に点在しているのです。それに対して中国共産党は手を打ったでしょうか? 人民に損害を与えないための政令を発したでしょうか?困っているのは一般市民なのです。呆れたことに、ただただ、成り行きに任せているだけなのです。

 7月中旬、中国の内陸部で台風5号が猛威を振るい、前代未聞の水害が発生しました。家も車も濁流に押し流され、天安門広場や紫禁城まで冠水しました。人々は停電と断水と食糧不足に苦しみました。その時、中国の軍隊は何をしていたのでしょうか? 水や、救急食料をもって、ボートで人民の間に駆けつけたでしょうか? 何もしませんでした。また、中国共産党の幹部はどうしていたのでしょうか? 被害状況の視察に現地に急行したでしょうか? 習近平はどこで何をしていたのでしょうか?

 日本の三陸沖で起きた3・11の災害の時は、日本の自衛隊は真っ先に飛び込んでいって、八面六臂の大活躍をしました。政治は民衆の幸福と安寧のために存在するのです。中国の共産党の政治は中国民衆のため、と言うより、中国共産党員の利益のためにだけ存在する政治だ、と断じざるを得ません。

2023年8月18日    甲子園 8強決まる          

 熱戦が繰り広げられている甲子園は、8強が決まったところで、今日18日は休養日です。驚くのは、8強のうち5校が東側であることです。その5校とは、青森の八戸学院光星、ここのキャプテンは中沢です。続いて岩手の花巻東。言わずと知れた、今をときめく大谷翔平の母校です。続いて茨城の土浦日大。そして、前年度優勝校の仙台育英、と神奈川の慶応です。続いて、西側は常連の沖縄尚学、鹿児島の神村学園、岡山のおかやま山陽の三校だけで、近畿勢は一校も入っていません。

 準決勝の組み合わせは、皮肉にも、仙台育英と花巻東が当たります。岩手県と宮城県、お隣同士の対決です。土浦日大も青森の八戸学院光星との対戦です。西側も鹿児島と岡山の対戦です。

 と言うことは、決勝戦で、東同士が覇を競い合う場合もあるわけで、ことによれば青森と盛岡が戦う、なんていうこともあり得ます。そうなれば前代未聞の決勝戦になるでしょう。それにしても岩手の花巻東の奮闘ぶりは美事です。大谷翔平の活躍ぶりが良い刺激となっているのでしょう。明日19日再開される準々決勝4試合は、波瀾万丈の戦いになること必定です。

2023年8月17日      線状降水帯        

 台風7号は紀伊半島に上陸し、近畿地区に大雨を降らせ、鳥取から日本海に抜けていきましたが、鳥取の一部を除いて、さしたる被害もありませんでした。その中で大きな問題となったのは新幹線の全面運休でした。折からお盆の時期と重なり、民族大移動の最中でした。大方の人は15日を避けて、台風が過ぎ去った16日を移動の日にしたようですが、その安全とされた日に、新幹線は全面運休となったのです。原因は三島と静岡の間に起きた、線状降水帯が原因と目される大雨のせいです。新幹線のこの区間で刹那的に大雨が降りました。その降水量は、新幹線の運行が許される規定を遙かに超えた、と言われます。列車の運行を全面的に止めて、路面の調査をしなければなりません。何故なら、列車の運航規程の中にハッキリと書かれているからです。安全確認のために新幹線は全面運行停止となりました。16日は大丈夫だろうと、当てにしてきた乗客は面食らいました。各駅はごった返しの状態となったようです。幸い、10時間後には安全が確認され、運行開始となりました。大勢の人々は「ホット」胸を撫で下ろしたことでしょう。

 それにしてもニックキは線状降水帯と称する新たな代物です。ゲリラ豪雨という言い方は昔からありましたが、特定の地域に、あるとき突然、大雨が降るというのは紛れもなく最近の気象現象です。これも、留まるところを知らない地球温暖化現象の一つなのでしょうか?

2023年8月16日   黒部の源流        

 朝刊の一面全部を使って、北アルプスの黒部川の源流に至る、「伊東新道」が30年ぶりに開通した、という記事と写真が掲載されていました。高校時代所属していた清水さん主催の「どんどん講」は、その夏、北アルプス一週間の山旅を行いましたが、水晶岳や三ツ股蓮華岳などの黒部の源流に至る道は整備が不完全と言うことで、持ち越しされ、今に至っているのでした。

 その年の夏休み、東大生の白井さん、教育大生の池辺さん、長野高校生の私の三人は、信濃大町の宿から一番バスで扇沢に行き、針ノ木雪渓を登り始めました。雪が残っていて、雪崩の危険がありましたが、闇雲に登り、稜線に出るや、今度は800メートルの下りです。登りより下りの方が脚に負担がかかります。漸く、水しぶきを上げて雄大に流れる黒部の吊り橋にたどり着き、吊り橋脇の黒部小屋に一泊。夕方、釣り竿を借りて、源流の深みに釣り糸を垂らしてみましたが、釣果はゼロ。翌日、三人は阿弥陀が原から立山別山を登り、立山山荘で大人の本隊に合流しました。その晩は剣沢池畔にテントを張り、夜の更けるまで歌を唱い歓談しました。大人四人組は清水さんと経済大学同級生だった、直江津駅前旅館主「いか屋」さん。川口味噌屋社長の大熊さん。それに善光寺住職の若麻績さん。この四人は宇奈月温泉からトロッコで欅平まで来て、そこからは関西電力が黒部ダム調査のために作った「桟道」(崖に針金で固定された材木二本の道)を遡り、十字峡でテントを張り、白竜峡を通過して、蔵ノ介平という、道なき道をよじ登って剣沢に到達していたのでした。

 翌日は全員で剱岳に登り、下山を開始しました。「君らも行った方がいい」と勧められ。学生三人組は、欅平でみんなと別れ、関西電力が調査のために作った桟道にへばりつきました。7,80メートル下では黒部川が水しぶきを上げています。しばしば、背負っているザックが針金に絡みます。生きた心地がしませんでした。3時間後、漸く、針ノ木沢と剣沢の出合いの十字峡に到達しました。誰もいません。テントを張り、野営の準備をして、空身で三人は十字峡の奥の白竜峡に向かいました。そこは大きな洞窟になっていて、黒部の激流がそこでは神秘的な色を湛える「淵」になっていました。試しに、「やっほー」と声を出して見ると、声は四方や、天井にコダマし、跳ね返ってきました。

 この白竜峡も、十字峡も、今は黑部ダムの底に沈んでいます。もはや再び見ることは出来ません。せめて、今日の朝刊で報じられた伊東新道を遡って、黑部の源流をこの目にしたい、と思うばかりです。

2023年8月15日   敗戦の日        

 昭和20年の今日、日本が真珠湾攻撃の奇襲をもって始めた太平洋戦争が、日本の敗戦で終結した日です。5月25日の東京大空襲で新井薬師の家が焼け、会津の野沢という山奥に集団疎開していた国民学校2年生の私を、母親が迎えに来て、長野の東鶴賀の祖母の実家に転がり込んでいたところ、この日を迎えたのでした。天皇陛下の玉音放送があるというので、全員が中庭に出て正座し、廊下に置かれた古風なラジオから流れる昭和天皇の直の声を聴きました。私には何を言っているのか、皆目、分りませんでしたが、母親が身をよじって、草をむしり、身も世もなく泣き崩れる様を見て、ことの重大さを悟りました。何故か私は、うめき声と泣き声に満ちる中庭を離れて、物置小屋の近くヘ抜けだし、空を見上げました。正午の青空に白い入道雲の群れが浮いていました。自然に笑みがこぼれて来るのを感じながら、何故か心の底から力が湧いて来るのを意識しました。

 その後、母と私は善光寺下駅の近くの二間の家に越し、母は専ら洋裁をして暮らしを立てましたが、そこへ母の一番下の妹が転がり込んできて、結婚するや子供も出来て手狭になり、動物園下の市営住宅に移りました。中学・高校時代の弁当は、専ら、その妹の「チイちゃん」が作ってくれました。大きなアルミの弁当箱の中身は麦飯と野菜の天ぷらと北信名物「茹でいか」と決まっていました。栄養学的には申し分なく、お陰でガタイだけは人並以上となりました。今日は、終戦記念日のため、つい、昔の話が出てきてしまいました。今後の課題はあと何回、終戦記念日が迎えられるか? です。

2023年8月14日   中国とアメリカへの警告          

 水によって大被害を受けたのが、中国内陸部の北京周辺ですが、山火事が発生したお陰で、島全体が丸焼けになってしまったアメリカ領土があります。ハワイ列島の中のハワイ島です。発生した山火事を消しきれずにいたところ、火は瞬く間に麓の町に飛び火し、あれよあれよ、という間に町全体が丸焼けになってしまいました。

 突然の火によって我が家が丸焼けになり、住むところを失ったハワイ島に住むアメリカ人。4メートル超える濁流のため、家に住むこともならず、車さえも流されてしまって、途方に暮れている中国人。いずれも何の罪もない普通の人たちです。しかし、両国の政府は世界における覇権争いに血道を上げている国同士でもあります。その両国の間に何が起きたのでしょう。水による大災害と火による大災害です。期せずして同じ時期に起きました。

 私は、これは「神様からの両国に対する警告」ではないかと、と捉えているところです。決して偶然の出来事ではないのです。神様からの思いあまっての「お叱り」なのです。

 願わくは、両国の為政者がこの類い希な事件を「単なる偶然」と捉えることなく、自分達の行為の違法性を認識して、覇権主義を捨て、「人民の、人民による、人民のための政治」に立ち返ってもらいたい、と、切に願うモノです。

2023年8月13日     北京の大水害            

 今、日本列島を襲いつつある台風7号と、沖縄で足踏みを繰り返した6号の情報は詳らかですが、既に消息を絶っていた5号については不明でした。ところがこの台風は中国で猛威を振るっていたのでした。承知のように、中国は自国にとって不利になる報道は公にしません。ところが、ユーチューブではその詳細が余すところなく伝えられていたのでした。驚きました。7月21日から22日にかけて、北京市周辺に大雨が降り、道路のすべてが濁流になり、車は流され、北京市160万人が被災していたのでした。死者は79人。1万6000棟の家屋が倒壊し、天安門広場まで水没していたのでした。更に、習近平の肝いりで創られた新市街にまで被害は及んだそうです。これによる経済的損失は116億元、1950億円だそうでした。

 水については、中国は、もう一つ、重大な問題を抱えています。言わずと知れた「三峡ダム決壊」の予兆です。世界最大のダムではではありますが、衛星写真で見る限り、最近のダムは明らかに「ひずみ」が露呈し始めました。それが大きくなればダムの決壊は免れ得ません。すると激流が下流の都市を襲います。武漢、南京、上海などの大都市に激流が押し寄せます。約4億人に被害が及ぶ、と予測されています。これは、中国にとってのアキレス腱でありましょう。中国は、うかうかと戦争になど出来ません。開戦と同時に、衛星やドローンによって、真っ先に三峡ダムが狙われるからです。だからといって、戦争にならなくても、三峡ダムは老朽化し、やがてはその耐用年数を越えていくでしょう。中国は難問を抱えているのです。

2023年8月12日     台風7号            

 猫額のベランダに出て、見上げる空は積乱雲が渦巻いてはいても、大きな動きは今のところありません。大型の台風7号が、いま、父島の上空辺りにいて、「さて、上陸地点はどこにしようか」と思案中です。このまま進めば紀伊半島から上陸が開始され、京阪神が、少し右寄りになれば名古屋が、大きく右に舵が切られれば、関東への直撃となるでしょう。折から日本列島は「お盆休み」の最中で、鉄道も、空路も、道路も大混雑です。マスクの着用が自由意志となったため、押さえ付けられていたエネルギーが爆発しているのです。無理もない現象です。それなのに、非情な台風は人々の喜びの爆発に水を掛けようとしているのです。

 幸いというか、その元気もなくなったと言うべきか、私にはお盆休みなどは昔のことで、今は毎日がお盆休みです。台風が来ようと来まいと、仕事部屋でパソコンと向き合い、疲れるとベランダに出て雲と語り合う毎日です。

 最も、月末にはチェンマイから二人の客人がお出でになるので、福島・泉の翼の教会へ2泊3日でご案内する予定があります。佐藤牧師ご一家にお会いできるので、楽しみです。お孫さんの「まひるちゃん」も大きくなったことでしょう。デズニーランドの入場券四枚を私の長男を介して仕入れ、持参する予定になっています。今回は車ではなく、上野からの「特急日立」にして、現地で車を借りる予定です。

 あと二日すると8月14日です。一ヶ月前の7月14日早朝、あれほど苦しんだで右足の痛みがウソのようになくなった日です。既に一ヶ月、今もって何の痛みもありません。月末の日曜日は佐藤牧師の「泉の翼教会」の礼拝に出て感謝の気持ちを捧げる積もりです。

2023年8月11日      円 安         

 円安が加速しています。物価は上がり続け、中でも、ガソリン代の値上げは留まるところを知りません。つい最近まで115円前後だったのに、今は180円を超えています。驚くべき高騰です。原因はロシアのウクライナ侵攻により、原油、穀物の相場が跳ね上がったことに寄ります。加えて、日本の低金利政策と、アメリカの高金利政策との差異拡大がその原因の一つでもあります。更に日本のパンデミック発生後の国内総生産、いわゆるGDPの成長率が極端に低いこともその原因となっています。すなわち、岸田政権の無能さの表れでもあるでしょう。

 円安を喜び、享受しているのは外国からやってくる人たちです。加えて、来月から中国が日本への渡航禁止を解除しました。中国人の大群が日本へ雪崩れ込んできます。かつての爆買いが始まるはずです。

 ドルに対しての円が一番廉かったのは1990年の1ドル160円の時でした。それ以来円相場は、ドルに対して78円~148円と変動してきましたが、予測では年内に150円を超えるだろうとの見方が有力です。

 ドルが78円の時、私たち夫婦は三男の語学留学のため、オーストラリア・メルボルンへ三回行きました。そのときのオーストラリアドルは76円でした。何でも買えました。日本の円のありがたみを享受いたしました。高級ワインをたらふく飲み、高級チーズをスーツケースに詰め込んで帰京出来ました。今のドル相場はそのときの倍。困るのは、タイをはじめとする東南アジアの通貨がドルに呼応して上がっていることです。一万円の価値がどんどん下がっていることです。

 以上の現象を俯瞰すれば、日本の価値が相対的に下落していることを意味するのではないでしょうか? かてて加えて、現政権にはこれを跳ね返す力があるとは到底思えません。困ったモノです。

2023年8月10日     軽井沢         

 連日、36度の猛暑の中にいると、軽井沢の涼しさが、懐かしく思い起こされてなりません。とうとう、軽井沢に別荘を構えるほどの有名人にはなれませんでしたが、しばらく、春と夏と秋には軽井沢の西武のコテッジに泊ってゴルフに興じる機会には恵まれてきました。長野高校を同期に卒業した、信濃毎日新聞の内山貢君、日本経済新聞の山崎憲三君、そして朝日新聞の宮沢恭人君と私の4人です。奇ぜずして四人は同じ販売畑担当。同業ですから話は弾みます。ゴルフも必死です。各々のクラブはあらかじめ軽井沢の「晴山ゴルフ」や「西武ゴルフに送り、四人が軽井沢に到着するや、決戦の開始です。ドラコン、ニアピンは元より、一打毎に金を掛けているため、戦いは必死となります。終わるとカートで案内されてコテジに泊ります。談論風発の内に夜半更けていきます。軽井沢の涼しさと、疲れのため、熟睡が訪れます。翌朝、再び決戦が始まります。ラウンドを戦いきり、クラブを宅急便で処理した後、金の計算です。何時の時も山崎君が多額納税者で、私と内山君がどっこいどっこい、宮沢君のみが高額収入者でした。それが春・夏・秋と何年も続きました。宮沢君が清里へ別荘を持ってからは、ゴルフの場所は清里の「清春カントリー」に替わりました。そこに移ってからも多額納税者は山崎君でした。

 宮沢君は、ひょんなことから山梨県が売り出した清里別荘地を抽選で当たり、山荘を建てたのでした。夜は宮沢君が蕎麦を打ち、内山君は専ら飲み、山崎君はボーズのスピーカーで音楽を聴き、私は料理作りに勢だしました。この山荘のお陰で、冬にも楽しみが出来ました。ほんの近くに「サンメドウ」というスキー場があったからです。

 冬の宮沢君はそのスキー場のパスポートを買い、入り浸っていました。その宮沢君が7年前に幽明境を異にし、山崎君も3年前に宮沢君のところへ行ってしまいました。残るは私と内山君。内山君も歩くのがおぼつかなくなっているとか、、、遠からず、彼も私も既に二人の行っているところへ行くはずです。そうなれば、再び4人のゴルフの再開です。楽しみです。

 

2023年8月9日    小倉の幸運・長崎の悲劇       

 広島に落とされた原爆の1・5倍の威力を持つファットマンを積んだB29・スウイニー号が小倉上空に達したのは10時15分頃、生憎というか、小倉にとっては幸運にも視界は雲が垂れ込め、目標の八幡製鉄が目視出来ません。おまけに気づいた日本軍の高射砲が炸裂し始めました。10時30分、視界良好との無線が入った長崎に向かいます。10時58分長崎上空に到達。9000メートル上空からファットマンを手動投下しました。長崎市民24万人のうち、7万人が即死しました。小倉市民に替わって長崎市民が死んだのです。長崎の方々にとっては降ってわいた悲劇となったのです。

 思わぬ時間を浪費したスウエニー号はテニアン島に戻るだけの燃料がありません。沖縄の読谷空港に緊急着陸を余儀なくされました。その時の燃料の残量は僅か26リットル。神は、何故、原爆投下号を救い賜ったのか、今もって不可解です。それにもまして、小倉は幸運でした。

 その数十年後、私は小倉の西部本社に単身赴任し、仕事で、何度も長崎を訪れました。長崎には美味しいモノが沢山ありました。小倉の夜の町は賑やかでした。戦争の悲劇を感じさせるモノは、既に、何もなく申し訳ない気持ちでした。 

2023年8月8日   横浜山手通り    

 昨日、この欄で千昌夫さんについて書きましたら、「彼は今、横浜の山手通りの一等地に住んでいる。私の祖父、祖母もその近くに住んでいた。懐かしい」と、古くからの友人からのメールが入りました。横浜中華街、元町、外人墓地を抜けたところに位置する山手通り一帯は、豪壮な住宅が建ち並んでいます。その一角、中でも広い敷地の中に建てられた住居兼ホールに、べーリック・ホールがあります。その100人から入るホールで、五大路子さん率いる「横浜夢座」の朗読劇「真昼の夕焼け」が上演されました。

 作者で、「日本詩人の会」会長の筧慎二さんが、実際に遭遇した横浜大空襲で逃げに逃げ惑ったその顛末を、克明に綴った手記です。制作は私こと「N・N工房」、発行部数は400部。連日、パソコンとプリンターと格闘し作り上げました。どういうものか、私には、モノを作り上げることに熱中するのを苦労を苦労と思わない性質があるようなのです。

 筧さんの第一作目は詩集「一字の夏」。これは更科源蔵文学賞を受賞しました。これに気をよくした筧さんが二作目を依頼してきたのでした。べーリックホールでの朗読劇は大成功でした。筧さんの奥様と、テレビ朝日の丸山さんと、新橋魚福の女将愛子さんと私の4人が壇上に呼ばれ、五大さんに握手してもらい、大きな花束をそれぞれ貰いました。その後、私のところN・N工房に「真昼の夕焼け」の追加注文が殺到しました。1冊として残っていませんでした。何故なら、この本が完成して一ヶ月後に筧さんはお亡くなりになっていたのです。心臓が悪かったのでした。お亡くなりになる数日前、筧さんから電話がありました。弱々しい声で「私の本はすべて絶版にして下さい」とおっしゃいました。

 私はそれを厳格に守り、パソコンからもすべての痕跡を削除いたしました。本も一冊もありません。残っているのは表紙の写真だけです。

2023年8月7日    千 昌夫

 何気なくテレビを付けたら、徹子の部屋に千昌夫がゲストとして出演していました。趣味として彼が飼っているオウムや、小鳥たちとの共演でした。彼は1947年の生まれですから既に76歳。大らかな、いいおじいさんになっていることに、先ず、感心しました。彼には昔から写真の趣味がありましたが、飛行機の操縦免許も取得し、大空を駆け巡っているとのこと、これは驚きでした。

 私が宣伝部長で、次長が松信君(現有隣堂書店社長)だった頃、恒例の全販売店新年合同総会の出し物についての知恵を求めて、德閒コウカイ社長を新橋の社屋に尋ねました。そのころ、德閒さんは廃刊寸前の日刊紙「東京タイムズ」の経営権を買い取り、朝日新聞の販売網構成の一員でもありました。德閒さんの社長室に入るやいなや、そこはドクダミの匂いで溢れていました。部屋の一角には「ドクダミ茶」がウズ高く積まれていました。話は先ず、ドクダミの効用から始まりました。そこへ千昌夫さんが現れました。新年会の会場は帝国劇場、鏡割りには、横綱の千代の富士、千昌夫さんが3曲、新人の女性歌手(名を忘れました)が一曲歌うことで話が纏まりました。条件が出されました。德閒ジャパンが売り出しを狙っている青森金木村出身の「吉幾三」という新人がいる。「協力してくれ」という条件が出されました。松信君と二人で頭を絞りました。その結果、「朝日販売人の歌」を創ろう、歌詞を一般募集しよう、作曲を千昌夫にして、吉幾三に歌って貰おう、と決まりました。

 爾来幾星霜、吉幾三は有名になりましたが、朝日販売人の歌は、今は歌うモノはおりません。ドクダミの効用を説いていた、德閒さんも意外に早くお亡くなりになりました。

2023年8月6日    甲子園高校野球始まる

 8月6日午前9時、甲子園球場にて恒例の全国高校野球が始まりました。それぞれの県での優勝旗を先頭に、各校20人の選手が隊列を組み入場してきます。先頭は北海道代表、しんがりはいつも沖縄県。苦難の末に栄冠を勝ち得た選手達の行進ぶりは様々であっても、どれほど、誇らしい気持ちであるか、は行進の際の腕の投げ下ろしからも窺えます。今回は全員が飲料水を携帯していました。プラカードを持った各校先頭の女子高生達もスカートから水筒を取り出し、一斉に飲んでいました。男子高生が「栄冠は君に輝く」をアカペラで歌い上げました。選手宣誓も美事でした。朝日社長の挨拶の時は席を外しました。週刊朝日を廃刊にしてしまったこの社長に、私は少なからぬ違和感を抱いているからでありました。

 第一試合は茨城の土浦日大と我が古里・長野上田西との対戦です。上田西にはかつて六大学野球で明治大学を優勝に導いた丸山清光くんという敏腕投手がいました。明治は島岡監督の時代です。その丸山君がひょうんなことから、朝日新聞販売局に入社してきて茨城県を担当していた私の助手となったのです。販売時代の私には数えて11人の助手が付きました。局内最多とも言えました。最初の助手は福島担当時代の植田君、彼はその後、私を追い越し、東京販売局長、常務取締役販売担当、西部本社代表、熊本朝日テレビ社長になり、現在は北九州で画廊の主になり、ゴルフ三昧の毎日だそうです。閑話休題。 

2023年8月5日     エノラゲイ

 8月6日0時37分、気象観測用のB29が3機、それぞれ広島、小倉、長崎に向かってテニアン島を離陸しました。ストレートフラッシュ号は広島へ、ジャビット3世号は小倉へ、フルハウス号は長崎へ。テニアン島から広島までは7時間。続いて飛び立ったエノラゲイ号は8時9分、広島上空に到達しました。高度は9632メートル。投下目標は太田川の相生橋。8時15分17秒、投下。原爆はスピンしながら落下し、43秒後、高度600メートルで核分裂爆発。広島市民11万人が即死しました。

 14時37分、エノラゲイ号はテニアン島に帰還。盛大な歓迎を受け、乗組員全員に勲章が授与され、盛大なパーテイは深夜から明け方まで続いたそうです。一方、広島では即死出来なかった数万人が火傷の傷と痛みに絶えながら、水を求めてさまよい歩き、挙げ句の果てに野垂れ死にしていきました。その数も、数万人と言われています。

2023年8月4日      繰り替えし                                                         日大のアメフト部の寮で、またしても大麻と薬物が発見され、事件となっています。丁度一年前、同じ事件で田中日大理事長が辞め、OBでもあった作家の林真理子が後任の理事長になりました。全員が男性だった24人の理事も、新体制では8人の女性理事が選出され、改革に乗り出したばかりの新体制にとっては、降ってわいた忌まわしい事件です。調べが進んで見なければ分らないことですが、あれだけ世間を騒がせた事件であったにも拘わらず、日大アメフト部の選手達は、再び薬物を使っていたのでしょうか? それほどまでに、日大のアメフト選手は薬物依存症の連中だったのでしょうか?

 私には解せません。どうやらこの事件は、私には、仕組まれたもの、新体制に異議を唱える「故意による事件」のように思えてなりません。つまり、林理事長以下の新体制に反対する勢力が、イトをひいているように思えてなりません。世の中には、つまらんことを画策する人間がゴマンといるのです。ましてや、作家のくせに理事長となって改革を気取っている林真理子に対する反発は、ゴマンといる日大関係者に中に、かなりいるのではないか?と想像されます。さて、林真理子にとっては降ってわいたような事件。どんな対応をするかが見ものです。 (理事長殺すに刃物はいらぬ寮に大麻を置けばいい)

2023年8月3日         ユーミン                                                 ふと、テレビを付けたらユーミンのデヴィユー50周年の映像が飛び込んで来ました。そういえば、19歳でスターダムに乗り上げたユーミンも、既に御年69歳。これほど息の長い歌手も希なのではないでしょうか? 荒井由実の頃は、まだ、幼い感じがありましたが、アレンジャーの松任谷正隆と結婚して以来、大人の鑑賞に耐える名曲を次々に発表するようになりました。その曲集を2冊、私は持っていて、ひと頃はそれに狂っていました。その中に「アップタウンは火ともし頃」という家出娘の歌があります。女性の孤独と情感を讃えた名曲で、松任谷正隆のピアノ伴奏の和音が斬新で光っていました。

 歌と音楽は、それだけを単純に楽しめばいいのに、何故か、全国の会場での舞台装置は豪華絢爛です。50人からの人間が舞台装置を作り上げ、終わるとすぐさま取り壊し、次の会場へ運び入れます。テレビでそれを視ているだけで草臥れました。「何も、そんなにしなくていいのに」というのが率直な感想です。何故なら、情感の籠った彼女の歌声は、それだけで十分であり、付属物などいらない、という思いがするからです。

 それにしても、50年にも亘って、人々からその歌声を愛された松任谷由実は何と幸せな歌手であったことか! 松任谷夫妻に、改めておめでとう、と言わせて貰いましょう。

 

 2023年8月2日          猛暑と野菜                                                 私の朝食の定番は、スライスしたゴーヤのツナ缶炒めと、納豆と、目玉焼き二個と、ヨーグルトなのですが、夏が本場のゴーヤは今は一本100円前後で手に入ります。スーパーを覗いてみると、ゴーヤーを除くすべての野菜が品薄になり、しかも、高値になっています。それもこれも、連日の猛暑のためのようです。7月に入って、36度以下の日が無かったほど暑さが続きました。噂によれば、ブドウの産地山梨では、木にぶら下がっていたブドウが、そのまま「干しブドウ」になっていたとか? 八ヶ岳山麓では、トウモロコシが、雨の後、そのまま茹で上がっていて、食べることができた、とか? 西瓜が暑さのため勝手に割れてしまい、売り物にならなくなったとか? 珍談、奇談は枚挙にいとまがありません。

 この気候変動は、どうやら世界的現象のようです。北京ですら大洪水に見舞われました。カナダでは大規模な山火事が起き、その火は人家のある平野部にまで広がってます。アフリカでは数ヶ月に亘って雨が降らず、草食動物は、草を求めてサバンナを必死に探し歩いています。加えて、いま、風速60メートルの大型台風が沖縄列島を襲っています。

 私も西部本社へ単身赴任中、鹿児島で風速63メートルの台風に遭いました。投宿したホテルのダイニングルームの大きな窓ガラスが割れ、次は私の部屋の窓ガラスかも知れない、との思いから、バスルームの湯船の中に身を潜めていました。

 どうやら、このところの異常気象は日本だけのモノではなく、地球規模のようです。「戦争なんかしている場合じゃないよ」と神様が言っているように私には思えてなりません。

2023年8月1日        ウクライナの子供の人権                                                  いま、国際刑事裁判所は、ロシアのプーチン大統領、マリアリボワエワ大統領全権代表に対して、逮捕状を発行しています。理由は、4万人にもなるウクライナ人の子供を不当に拉致し、ロシア領に連れ去り監禁していることによるモノです。その理由はウクライナ人としてのアイデンテテイを消し去るのが目的だそうです。同じようなことは中国の奥地でも行われました。習近平の命により、ウイグル自治区の妙齢の女性達全員に、不妊手術が行われました。ウイグル人を抹殺し、漢民族化するためだそうです。おまけにウイグル人は中国人高官のための臓器提供者になってます。古に遡れば、ドイツのナチもアーリアン民族繁栄のため、民族浄化を宣言し、ユダヤ人600万人をガス室に送り込みました。いずれも、忌まわしい出来事と言わねばなりません。

 ヒトラーも、習近平も、プーチンもいずれも独裁者であります。だからといって、自民族の繁栄のためなら何をやっても許されるのでしょうか!親元を無理矢理離され、ロシア人化するための教育を受けさせられている、数万人のウクライナの子供達のことを思うと、泣けてきてしまいます。この、事実だけをとってみてもプーチンの行為を、私は、許すわけにはいきません。一日でも早く、子供達がウクライナの親元に帰れる日が来ることを願っています。

 2023年7月31日   隅田川の花火                                               一昨日は隅田川の花火大会が4年ぶりに行われ、浅草界隈は、人、人、人で溢れかえりました。人は何で花火が好きなのでしょうか? かく言う私も花火大好き人間の1人ですが、、、旅ガラスの職業であったため、全国各地の花火を見る機会が数多くあり、懐かしく思い返されてなりません。長野に住んでいた頃は「えびす講の花火」がありました。入社して3年目、江東六区の担当を命ぜられた時は、文字通り、隅田川の花火を目の当たりにしたことがあります。墨田川にかかる言問橋の袂の「料亭魚さい」の大広間を借り切って、朝日会の皆さんと大宴会を開いたこともありました。秋田の大曲の花火も目の当たりにしました。ここで行われる花火は、全国の花火師がその技を競い合うモノで、それはそれは見応えがありました。新潟担当の時は、長岡で、信濃川に上がる三尺玉の大花火の打ち上げも見ました。

 花火は、タイ・チェンマイにもありました。チェンマイ唯一の「ピン川」のほとりのホテルに陣取り、その河川敷の草むらから上がる花火をウエから見下ろすこともしました。チェンマイには「ロイカトーン」という珍しい「気球祭り」もありました。和紙とと竹ひごで創った大きな気球の中にろうそくを灯し、中の酸素がなくなると、丸い大きな球が、ひとりでに大空に舞い上がっていくのです。それが何百ともなく夜空に漂うさまは、実に壮観でした。この風景は台湾にもありましたが、何故か、日本にはありません。

 10年ほど前までは豊島園の花火が夏の終末、毎週土曜日の30分間、ありました。私の家は豊島園の直ぐ裏手に位置しているため、ベランダに出れば手に取るように見ることが出来たのです。その度に、家の前の道路は花火を見る人で一杯になりました。その花火もいつの間にか終わってしまいました。豊島園が終焉になってしまったからです。寂しい限りです。その豊島園跡地が今後どうなっていくのか、今のところ、定かではありません。少なくとも、花火の復活は期待できないでしょう。

2023年7月30日   停戦はまだか?                                         

 ユーチューヴを見る限り、ロシア、ウクライナの戦争の状況が、刻々と入ってきています。それによれば、NATO諸国からの軍需物資や、新兵器の贈与を受けているウクライナ軍の勢いは留まることなく、一方、ロシアの方は旧式な戰車を持ち出すほどに追い込まれ、かてて加えて、ロシア軍内部での造反や命令違反が伝えられ、考えられないほどの劣勢のようです。それに輪を掛けて、ロシア国内では100万人を越える若者達が、徴兵を嫌って国外脱出しています。それなのにプーチン政権は、その現実を直視せず、あくまでも強気の姿勢を貫こうとしています。一方、トルコやイランや中国までもがロシアに対してドローンや、武器・弾薬の供与を強めています。とても、停戦どころではない現状が、ユーチューヴで見る限り窺い知ることが出来ます。

 一方、日本では元外務省主席分析官だった、佐藤優が相変わらずロシアに同情的な論調を展開し、論客の間で顰蹙をかっています。彼は元々、同志社大学の神学部を卒業してクリスチャンです。私がかねてより敬愛して止まない、大阪の東住吉教会の高原剛一郎牧師など、佐藤優を痛烈に、名指しで非難しています。

 そこにどんな理屈があろうとも、人間同士が殺し合いに明け暮れていていいものでしょうか? 2000年を超える世界歴史が、戦争の歴史であったとしても、何故、人間は、殺し合いの無意味さを悟らないのでしょうか?

 報道によれば、経済が半ば破綻した中国が、人民の目をそらすために、台湾侵攻を画策中とのこと。慌てた日本は、宮古島や、石垣島に核シエルター創ることを決め、工事にかかり始めたそうです。中国共産党を率いる習近平も、毛沢東同様、独裁者になりました。プーチンも独裁者として最たる存在です。日本にもそういう時代がありました。軍部の独裁です。

 折から、地球は未曾有の温暖化の最中にあります。40度ならまだしも、50度を超えるところも続出しています。人間が戦うべきは人間ではありません。自らがひり出した温暖化の原因こそが戦う相手なのです。

 それにしても今日も暑い。私の仕事部屋はクーラーを作動させていても30度です。

2023年7月29日 上原ひろみと角野隼斗                                         

 一週間の入院中、無聊を託つ私を支えてくれたのは、この2人のピアノ演奏でもありました。イギリスのBBC交響楽団全員のいる前で、ザンばら髪、ズック靴で登場した上原ひろみは、あらゆるピアノの技法を駆使した即興演奏を披露し、ヤンヤの喝采を浴びました。楽団員全員が惜しみない拍手を贈っていました。アメリカに居を置くひろみは、3000人は入っている野外ステージで、例のドラマーとベースの黒人とのトリオ演奏をし、全員のスタンでイングオーベーション受けました。最近では、弦楽四重奏との共演が目立ちます。ジャズともクラシックともつかぬ、新しいジャンルの音楽に挑戦しています。

 いずれの場合も彼女は楽譜を見ません。全部、頭に入っているのです。それなのに、音の擦りも、ミスタッチなど一つも無いのです。呆れてものも言えません。元はと言えば、彼女は静岡は浜松の出身。ヤマハ音楽教室が生んだ天才ピアニストなのです。そのせいもあってか、彼女が使うピアノはヤマハオンリーです。ヤマハは彼女のために専属の調律士を帯同させています。ヤマハが生んだ、日本の宝とも言えるピアニストでありましょう。

 もう1人、「日本の宝」といえるピアニストがいます。何度もこの欄に登場している角野隼斗(通称かていん)です。最近の佐渡裕指揮のラフマニノフ2番は圧巻中の圧巻でした。彼もまた楽譜を見ません。全部、頭の中に入っているのです。それでいて、音の擦りもミスタッチも皆無です。それでいて東大工学部卒であるため、電子工学にも造詣が深いと言うから驚きです。

 前回のショパンコンクールで2位となった反田恭平は、ロシア人だった妻を離婚し、ごく最近、4位だった小林愛美と結婚しました。2人の演奏など、どんなに優れていても聴く気が起きません。乳繰り合った手で奏でるピアノなど聴く気が起きないからです。

 2023年7月28日  天才ヴァイオリニスト                                         

 一週間の入院中、専らお世話になったのはIPADによる音楽番組でした。中でも驚きを持って聞き惚れたのは、まだ、幼気な少女・吉村妃鞠(ひまり)の演奏でした。彼女は今は12歳ですが、7歳の頃から世界のオーケストラと共演しています。その歳で、難曲中の難曲「パガニーニー」のヴァイオリン協奏曲を演奏し、ぶっちぎりの第一位を得ています。以後、30ほどのオーケストラとの共演を果たしていますが、すべて優勝。世界中を驚嘆させました。彼女の早熟ぶりは未だあります。4歳で漢字検定試験に合格しました。英語検定も3級です。その上、空手も級位保持者です。学校は慶應幼稚舎。

 この早熟な天才がどんな家庭で育ったのか、調べて見ました。父親は作曲家の吉村龍太、母親はヴァイオリニストの吉村恭子。取り立てるほどの音楽家ではありません。でも、この両親のストイックな育て方によって、希代の天才少女が生まれたのでしょう。

 暇に任せて、7歳から12歳までの彼女のオーケストラとの共演を、ユーチューヴで検索して聴いてみました。そして、改めて驚かされました。すべての演奏に、音の擦りや、ミスタッチなど一つとして無かったことです。大人顔負けの情感をたたえた美事な演奏でありました。彼女が使っているヴァイオリンは、普通の大人が使っている大きさより一回り小ぶりのモノですが、音量は劣っていません。恐らく、ストラデバリかアマテイのバイオリンでしょうが、実に、惚れ惚れする音色の楽器です。聴くところによれば、ある財団から借り受けている楽器のようでした。言うまでも無く、弦楽器は年が経つほど音色が変化します。100年、200年前にイタリアの名工達が創った弦楽器が、いま、世界中でいい音色で輝いているのです。一丁、数億単位で現在取引されています。幸い、日本にもそういう財団がありました。でも、詳しいことは分りません。いずれ、深く調べて見るつもりですが、まずは、天才ヴァイオリニスト「ひまり」の今後の活躍を見守りましょう。

 2023年7月27日    独房生活一週間                                       

 今月の十日頃、右足の痛みが猛烈で、歩くことも、座ることも出来なかったため、往診にきてくれた池内整形外科の院長を通じて、練馬高野台リハビリ病院ヘの紹介状を書いて貰いました。ところが、数日経った十四日、奇跡的に痛みは嘘のように無くなり、パソコンの前に座ることも、普通に歩くことも出来るようになりました。だからといって、二〇日に予定されていた入院を今更キャンセルすることは出来ません。もしかすると将来、この病院にお世話にならないとも限りません。「ま、いいか、数日いて、退院させて貰おう」という軽い気持ちで、一緒にいて貰っている畏友堀田さん運転の車で入院いたしました。

 ところがです。行ったそうそう、PCR検査があり、陰性だったにも拘わらず個室病室に放り込まれ、三日間、監禁状態に置かれました。部屋を一歩たりとも出ることが叶わなくなったのです。四日目からリハビリ運動が始まりました。指導は韓国籍の妙齢のお嬢さん。病室も4人部屋になり、付き添い付きで一階のセブン売店まで行けるようになりました。三度の食事の内容はまあまあ、一日ごとに風呂にも入らせて貰いました。ベトナムから来ている若い女性が世話してくれました。ベトナムのかっての激戦地だったフエから日本に来ている女性で、私もフエに行ったことがあるので、話が弾みました。下界は猛暑の最中、なら、まあいいか、と自分を納得させ、規定の一週間を過ごし、今日、堀田さんの運転する車で懐かしい我が家に戻ることが出来ました。やがては私自身、この病院のお世話に再びなるのでは、という予感を胸にしながらの帰宅でした。 

 やっとパソコンの前に座れた喜びは例えようもありません。病院への支払いは総計六万一千円。しかし、入院保険に入っているため、一日一万二千円が保証されるので、おつりが出ます。ひょんなことから、新しい経験をさせて貰った一週間でした。(写真はベトナム・フエ)

2023年7月19日   博多の山笠                                           

 7月中旬の深夜から明け方にかけて、博多の男達が狂いに狂う奇妙な祭りがあります。青森のねぶたまがいの山車を大勢の男達が引っ張って、櫛田神社の狭い広場に乗り入れ、大きくカーブして出てくるまでのタイムを町内毎に競い合う奇しくも珍しい神事です。ある意味で命がけの神事でもあります。今まで事故は無かったものの、今年は、ついに死者が出てしまいました。しかし、この神事にたづさわりながら死ぬことは、願ってもない幸せ、とされているから、益々持って奇妙な祭り、と言えるようです。

 小倉の西部本社の業務局長だったころ、本社代表の奥尾さんから二枚の桟敷席の招待券をいただき、羽原編集局長と2人で、新幹線の最終便に乗り込み博多に向かいました。明け方の3時まで車内で仮眠し、時刻を見計らって櫛田神社の桟敷席に着きました。境内は人、人、人で溢れていました。号砲一発、最初の組の櫛田神社入りです。入ってから、大きくカーヴし、出るまでのタイムは凡そ30秒前後。一秒でも早く駆け抜けようと、山車を引っ張る男達の形相は必死の面持ちです。一二,三組の櫛田神社入りが終わった頃、東の空が明るくなってきます。終わりを告げる歌声が、街角から聞こえてきます。

「♫めでた、めでたの若松様よ、枝も茂るし葉も茂る、エイショウエ、エイショウエ、ショウエ、ショウエ アレワサエー ションガイナー♫」そして、手締めが終わると、男達は家に戻り、何事もなかったかのように、日常の仕事に戻ります。その変わり身の早さが、女達にとっての魅力の一つ、となっているようです。

2023年7月18日   長野の丸茄子                                           

 7月の第二土曜日は、これまで、毎年、長野高校同窓会「北七会」が長野市の「ホテル犀北館」で行われていました。集まる人数は、年々、少なくなってきてはいたものの、それでも毎回、50人は数えていました。その同窓会を85歳を期にお仕舞いにする、という通知が2年前に舞い込みました。

 私は反対の狼煙を上げました。会報の発行や、慶弔通知など、煩わしいことは止めるにしても、毎年、生き長らえている者同士が集まって、談笑する機会は、最後の1人になるまで持ち続けようではないか、と提案したのでしたが、受け入れられませんでした。

 北陸新幹線が長野新幹線と結合以来、長野までは1時間半あれば着いてしまいます。昔は準急でも4時間半かかりました。軽井沢-横川間のアブト式トンネルで1時間半を要したからです。その当日、長野駅に着くと、先ず、生花を買い求めて、長野高校下に位置する慶楽寺に向かいます。中沢家代々の墓と、その向かい出水家代々の墓に手を合わせます。出水家は私にとってはお婆さんの実家で、薩摩の出水家から長野で商売に成功した出水周助までが墓誌銘に刻まれています。と言うことは、私の中には薩摩の血が僅かながら流れているのです。そして、同窓会が行われる県町の犀北館に向かいます。宴が果てると長野駅前の東急デパートの地下の生鮮食料品売り場へ行って、長野県の北信地区でなければ見ることの出来ない「長野の丸茄子」を持てるだけ買い込んで帰京します。同時に善光寺味噌も仕入れ、翌朝から丸茄子の味噌汁です。旨いのなんの! 昨年は東急デパートから宅急便で送ってもらいました。今年もそうする積もりです。

2023年7月17日   秋田で記録的豪雨                                           

 一昨日、秋田県全域で、半日で一ヶ月分の雨が降り、河川は氾濫し、土砂災害は各地で起こり、甚大な被害を被ったようです。秋田は文化座を率いる佐々木愛さんの故郷です。旧知の丸山さんに誘われ、何度か秋田公演に参加させて貰い、ついには佐々木愛さんの「舞台生活50年!」という伝記を400部まで、我がNN工房で作り上げてしまうほど入れあげてしまいました。

 現役の東北担当部長時代は、秋田に泊れる日を密かな楽しみにしていました。川端の料理屋できりたんぽと秋田の美酒でオダを上げた後、一人で場末のバーに向かいました。薄暗い片隅にピアノが鎮座していました。しかも、ベーゼンドルファーのグランドピアノが!

 昨日の集中豪雨では秋田県内のほとんどの河川が氾濫しています。市内した町の料亭街も川に面しています。恐らく、被害を被ったことでしょう。一方、能代や男鹿半島はどうだったのでしょうか? そして北の外れの白神山地は?今回の災害では壱千個近い家屋が床上浸水を受けました。深くご同情を禁じ得ないのですが、何、秋田の皆さんは陽気な人たちです。秋田音頭を歌いながらこの災難を乗り越えて行くことでしょう。

23年7月16日   甲子園全国高校野球                                           

 連日の新聞のスポーツ面は、全国高校野球県大会予選の記事で満杯です。それぞれの県毎に勝ち残った、ただ一校のみが県代表として甲子園に進むことが出来るのです。県毎の野球場は、この時期、朝日新聞の社旗が球場の至る所にはためき、紙旗までも飾られ、その県毎の朝日新聞支局長と県高野連会長が挨拶し、観客は少ないけれども、選手達は、堂々の入場行進をします。その県毎の結果が翌日の朝日新聞のスポーツ面を満載にします。これを見るのは実に楽しく、担当した県の贔屓の高校が勝ったりしていると、嬉しくなります。ちなみに私の母校は長野高校なのですが、いままで、ただの一度も県代表になったことがありません。

 甲子園球場へは、たった一度だけ行ったことがあります。団体を引率して行ったのですが、集まった観客の熱気には圧倒されました。今までテレビで視るだけだった開会式の選手入場行進には、ただただ圧倒され、涙さえ滲んできたことが思い出されます。当時の朝日新聞社長は渡辺正規さんで、美事な挨拶をしたことが記憶に残っています。その日は朝から暑く、名物の「かち割り氷」をむさぼったり、首に巻き付けたりしました。

 この大会の県予選は、7月の今頃がたけなわなのですが、丁度、梅雨の時期と重なるため、県予選が順調に進まず、あるときは8月上旬まで雪崩れ込んだ年もありました。今年は、連日快晴が続いています。県大会も順調に進んでいることが新聞の結果発表を見れば分るというものです。

 願わくは、あちらの国に呼ばれる前に、もう一度「甲子園の開会式」に臨みたい、というのが、目下の夢です。

 

2023年7月15日   ユーチューブ                                            

 足の痛み絶えかねて、ひねもすベットに寝転がっている私にとっての、唯一の慰めは、IPADでした。ユーチューブをヒットすると、ロシアとウクライナの戦争の状況が、刻々、入ってきていました。今のところウクライナの攻勢が続いているようですが、私の関心は、戦場で殺される兵士、傷ついて保護される両国の兵士達の上にありました。ひと思いに殺されるならまだしも、傷ついて痛みに絶えながらベッドに転がっている兵士達ヘの同情でありました。中には片足を切断しなければならなくなった兵士もいるはずです。その痛みは、想像を絶するものであるはずです。痛みに耐えかねて、「殺してくれ」と叫ぶ兵士も数多いることでしょう。

 戦争とは殺し合いです。互いの命を奪い、傷つけ合う闘争です。一体、今度の両国の戦争にはどういう意味があるのでしょうか? やむにやまれぬ大義がロシア側にあった、と言えるのでのでしょうか? 私にはプーチンという独裁者の独りよがりの結果であるとしか思えないのです。ロシア国民にも落ち度があります。秘密警察上がりのプーチンを祭り上げ、20年以上も大統領にしてしまったことです。対するヨーロッパの国々は民主主義、自由主義を標榜する国々です。なぜ、ロシアの国民も、それに歩調を合わせなかったのでしょう。気がついたときには、プーチンは、その動きをする者を、暗殺・毒殺していました。どれだけ多くの心ある人が殺されたことか! 

 ユーチューブによれば、ロシア国内の至る所でプーチンの戦争に対する抵抗運動が起こっています。ワグネルのプリゴジンの乱などが、その典型です。恐らく、ロシアは、遠からず内部崩壊するのではないでしょうか。何故なら、今回のNATOの会議で、ウクライナの加入は受け入れられなかったものの、NATO諸国からの武器弾薬援助は戦争終結まで続く見通しだからです。

 戦争のお陰で、体に傷を負い、痛みに苦しんでいる者は、両陣営で何万、何十万人といるはずです。何の大義あっての苦しみなのでしょう? 願わくは、両国民力を合わせてプーチンを失脚させ、塗炭の苦しみを100日間与えて、葬り去ることです。それにつきます。

2023年7月14日   パリ祭                                            

 今日7月14日は、パリ祭ではなかったでしょうか? 6月26日の朝、突然起こった、右足太ももの痛みは、強烈で、以来、歩くことも、パソコンの前に座ることも出来なかったのですが、昨晩、死ぬほどの痛みに襲われながら、熟睡した今朝、足全体の痛みは、ウソのようになくなっていて、歩くことも、パソコンの前に座ることも、出来るようになりました。この喜びは例えようもありません。心の底から、神様に感謝しました。

 調べて見ると、鼠径ヘルニア手術の後に襲われる後遺症の一種、「CPIP]というモノだそうで、術後、かなりの頻度で罹る代物だそうでした。それにしても「痛み」は人間の存在を破壊する厄介なモノです。漸く、それを乗り越え、普段の生活が出来るようになった喜びは、例えようもなく、ただただ、神に感謝しているところです。

 今を去る数十年前の7月14日、大学受験に失敗し、浪人生活を送っていた私は、あることでミスを犯し、「人生これまで、明日は死のう」と心に決めて銀座をうろついていました。そして、「今生の別れ」のつもりで銀座4丁目裏の映画館に入りました。「モンマルトルの丘」というフランス映画で、コラボケールや、イブ・モンタンが歌っていました。見終わって、映画館を出てきた時は「なにクソ、死んで堪るか、生き抜いて、生き抜いてやる」と考え方が180度変わっていました。イブ・モンタンは「兵士が戦場へ行くとき」を歌っていました。爾来、この曲は私の「十八番」となり、今もって、何かあると私はソラで弾いています。フランス語でも歌っています。

 奇しくもその7月14日、私は、足の痛みから解放され、再び歩けるようになりました。何という偶然でしょうか!ただただ、感謝あるのみです。

2023年6月25、26、27日   健康保険証                                                 

  一昔前の健康保険証はかなり大判でしたが、何時の頃からか名刺の大きさになり、その代わり印字が小さく、読み辛くなりました。負担率1割の時もありましたが、今は2割です。マイナンバーカードの申込書も来ているようですが、こちらの方は封を切る気がしません。何故なら、マイナンバーは、こちとらにとってどんな利益があるのでしょうか。どう考えても、マイナンバーは行政の利益のためにあるように思えるからです。だから、一緒にしようと政府は躍起になっているのでしょう。

 行政担当相に任命された河野太郎は、どす黒い顔を更に黒くしながら、いま、躍起となってこの一体化に取り組んでします。彼の顔が黒いのは、二つある自分の腎臓の一つを、生体移植で、父親の河野洋平に提供したためでもあります。とんでもなく無理な仕事を押しつけられて、これも、ライバルを殺すという岸田総理の狙いでしょうが、私は、彼の今後が心配でなりません。

 恐らく、マイナンバーと保険証の一体化を喜ぶ国民は行政関係者以外、ほとんどいないのではないでしょうか? 小さな紙一枚であっても、国民は健康保険証を大切に、大切にしながら使ってきたのです。紙一枚であっても国民の愛着が籠っている懐かしい紙切れなのです。河野太郎は貧乏くじを引いてしまいました。国民からの憎まれ役になっているのです。残念で堪りません。

 (*26日朝、いつもなら手術後の右足の鈍痛は消えているのに、起床するやいなや、右足全体に異様な痛みが走りました。歩くのも容易ではありません。貰っていた痛み止めを飲んでも効きません。自己流ながら色々調べて見ると、「PDA]という老年者に起きやすい血流異常だ、と分りました。今日、去る13日に鼠径ヘルニア手術をして貰った、国立総合医療研究センター病院へ行きました。生憎、担当の医師との予約は明日になっていて、今日は痛み止めを貰ってくるに留まりました。明日、2時、再び病院です。そんなわけで、記事は三日分が重なりました。ご容赦。)

2023年6月24日   天皇ご夫妻ご帰国                                                 

  ンドネシアへ公式訪問されていた天皇ご夫妻が、無事にその勤めを終えられてご帰国されました。案じられていた雅子様の体調もよく、その微笑みはご当地の人気をさらったようです。元々、外交官志望であった雅子さまは、語学は堪能でいらしたから、20年ぶりの公務は、ご本人にとって、昔取った杵柄でありましたでしょう。お身体を案じて、予定されていなかった行事にも自ら申し出て陛下に同道されていました。お見事! と申し上げたい気持ちで一杯です。ジョコ大統領夫妻も、インドネシア当局も、精一杯のおもてなしをして下さっていました。ジョコ大統領が運転するカートにご夫妻四人が立ち席のまま相乗りして、施設を巡る写真など、微笑ましく見させていただきました。加えて、インドネシアの国民も大歓迎でした。街頭で両国の国旗を打ち振る群衆の姿は、何ものにも代えがたい微笑ましいモノでした。

 期待していたバリ島ご静養は、残念ながら無かったようです。それはそうでしょう、公式訪問であった以上、個人的な色彩のあるバリ訪問は、考えてみれば、あってはならぬことです。なら、個人的にご夫妻はバリ島へ行ってご静養することが出来るでしょうか? 皇室は国費でまかなわれています。いわば税金です。と言うことは、税金を使って遊びに行くことを、たとえ、国民は許しても、制度として許されるでしょうか? 否、だと思います。と言うことは、天皇ご夫妻は、永遠にバリ島ご清遊が出来ない、、、、、という推理が成り立ちます。いやはや、皇室というモノは不便極まりないものよのう、と慨嘆せざるを得ません。いずれにしても、ご立派にご公務をやり遂げ、ご帰国されたことを、国民の1人として、おめでとうございました、と心から言わせていただきましょう。

2023年6月24日   慰霊の日                                                                 

 昨日は沖縄玉砕の慰霊の日でした。毎年、この日、沖縄南部の平和記念公園で総理大臣出席の下、慰霊祭が行われてきました。日本軍人8万人、アメリカ軍人2万人、一般市民22万人の、霊を慰める日でもあります。亡くなられてすべての人のお名前は石碑に刻まれていて、涙ナクしてその前を通り過ぎることは出来ません。私自身、何度、そこへ行っては、崖下に連なる蒼い海と空の向かって号泣したことでしょうか。

 この式典では、毎回、年少者の詩が朗読されてきました。昨年は、小学3年生の女の子が自作の詩が朗読されました。今年は男の高校生でした。毎回、このホームページに再録させて貰っているので、ご記憶の方もいらっしゃるかも知れません。今年も、ここに再録させていただきます。かなり、長い詩ですが御寛容下さい。

          今、平和は問いかける

 夏6月 溶けかけたアイスを手に走り出す 緑萌ゆる昼下がり昼下がり 碑に刻まれた「兄」に まるであの日のように そっと触れるおばあの涙は 陽炎が登る摩文仁の丘に ただはてしなく広がってゆく その涙は体を包み込み 私を「あの日」へといざなう 限りないこの空は 何を覚えているのだろう 涙に満ちたおばあの瞳は 何を語りかけているのだろう 78年前のあの日あの時 かけがえのない たった一つの命が 憎しみと哀しみの中で 散っていった   名も無き赤子の 微かな 微かな泣き声は 震える母の手によって 震える母の手によって 冷たく光のないガマの中で 儚くきえていった   幾多もの砲弾が 紺碧の海を黒く染める鉄の嵐となって この島に降り注いだ 戦争が起きる前 そこには日常があった 私たちと同じように 原っぱを駆け回り 友達とおしゃべりをする みんなで暖かいご飯をたべた 時には泣き

時には笑い 時には「ありがとう」を伝える そんな今と変わらない日常が平和がそこにあった 平和は不確かで 脆く崩れやすい いつもすぐそばにあるのに いつの間にか消えてゆく おばあの涙は 摩文仁の丘に永遠に灯る平和の火は 今 私たちに問いかける 平和とは何かを 私たちに出来ることは何かを 私は過去から学び そして未来へと語り継いでいきたい おばあの涙を 沖縄の想いを かけがえのない人たちを 決して失いたくないから 今日も時はすぎていく いつもと変わらずに 先人達が紡いできた平和を 次は私たちが紡いでいこう そして世界に届けていきたい 平和を創り 守っていく この沖縄の「チムグクル」を

2023年6月23日   貧乏揺すり                                                                 

 今朝、何気なくテレ朝の「モーニングショウ」をみていましたら、高齢者が抱える足の痛みの対処療法が話題になっていました。ご多分に漏れず、2,3ヶ月前から私もその悩みを抱える1人になっています。鼠径ヘルニアの影響かな、と思っていたのですが、術後もその痛みは消えません。しかし、手術を受けて2,3日はその痛みは消えていたのですが、十日経ったのに、痛みは復活しているのです。でも、朝起きたときは、痛みは雲散霧消しているから不思議です。

 テレビ曰く、痛みの対処療法は「貧乏揺すり」だというのです。時間を決めて、せっこせっこと貧乏揺すりをしなさい、と言うのです。貧乏揺すりは足の末梢神経の血流の改善に繋がる、と言うのです。なるほど、と思いました。痛いからこそ、そこの部位を刺激して血流の改善を図る、、、確かに理に叶っています。小さいとき、貧乏揺すりをしようモノなら、直ちに「止めなさい」と叱責されました。今は、それを積極的にしなさい、、、とは。年はとりたくないモノだ、思いましたが、早速、実行に移すことにしました。パソコンの前に座って3分、途中で3分、離れるとき3分、、、、そうと決めました。

 思えば、馬齢を重ねるごとに、体力が衰えるのは決まっているのに、健康を維持するための運動は何もやっていません。ジムに通いプールで泳ぎ、ジャズ体操までやっていた時代が夢のようです。いま、運動といったら、階段の上り下りとピアノを弾きパソコンを叩く指の運動だけです。

 自力更生、これに尽きることに、いま、ヤット気がつきました。薬にも湿布にも頼りません。貧乏揺すりに精出しながら、自力で痛みと戦う所存です。

2023年6月22日   ブータンの私                                                                 

 しばらく前、と言っても私の白髪頭に黒髪が残っていた頃ですから、かなりの昔です。友達の1人が「お前がここにいる」と言って一枚のブータンのお祭りの写真を送ってくれました。見ると、群衆の写真の前の方に、紛れもない私がいるではありませんか!

 ブータンは中国、インド、パングラデッシュなどに囲まれた山岳地帯の小国です。人口は僅か867、775人。王制の国でワンチュク国王が治めています。首都はテンプー。この国の空港は世界一着陸が難しいそうです。しかし、この国は世界一幸せな国として世界に知られています。その国に、私とそっくりの顔立ちの男がいるなんて!!!

 ユーチューブでブータンを調べて見ました。先ず、お隣のパングラデッシュとは及びもつかない清潔な国です。住民は日本の着物を短くした両開きの布を纏っています。髪型は、日本の江戸時代のもの、そっくりです。山岳地帯を耕し米を作っています。食事も箸を使っています。穏やかに笑みをたたえ、人々のすべてが幸せそうにしています。

 行ってみたくなりました。どこの空港を経由すれば行けるのか、調べることにしました。ブータンの人々は私を見て、外国人とは思わないでしょう。仲間として歓迎してくれるでしょう。なぜなら、私と同じ顔立ちの男がブータンにいるのですから。

2023年6月21日      デイトレーダー                                                             

 私が朝日新聞東京本社の宣伝部長として3年目を迎えようとしたとき、当時の局長から、販売局の子会社「朝日新聞コミューニテイ」(通称アコス)の社長に出向してくれぬか、と声が掛かりました。折り込みも扱う年商40億の会社でしたが、そこの会社の社長が不祥事を起こし、しかも、その社長が局長の義兄でもあったため、問題が明るみに出る前に局長は処置したかったのでしょう。宣伝部長に未練はありましたが、そこはそれ、快諾して新天地に飛び込みました。40人余りの子会社でしたが、社業は順調、暇で仕方がありません。株式のデイトレードを始めました。経済の勉強と称して。

 早稲田大学の成人向けセミナーにも通い、株価チャートの見方、「もうは未だなり、未だはもうなり」の格言を習い、家でも会社でも四六時中パソコンと向き合う日々となりました。当時の日経平均は1万2000円前後。落ち込んだときは8000円を下回りました。現在の日経平均は36000円に達していますから、ずっと続けていたらどれだけの利益が転がり込んだか、、、、それでも苦労のし甲斐があって400万円ほどの利ざやが生まれました。

 二年後、本社に呼び戻され、第六部長となりました。東北六県、信越、富山を管轄する、切った張ったの部長ですから、デイトレーダーをする余裕など全くありません。その後は千葉埼玉の大県を受け持つ第三部長、外勤担当局次長、九州本社の営業局長になるに及んで、パソコンで株価の上下に一喜一憂することは全く無くなりました。しかし、いまは暇を持て余しています。野村證券、マネックス証券その他に端株も残っています。でも、暗証番号など既に空の彼方ですが、その気になれば、いつでも再開可能です。さて、どうしたモノでしょう?

2023年6月20日      電動機付き自転車                                                               

 今、買って乗ってみたいものに電動機付き自転車があります。普通なら、降りて、押して登らねばならない坂道を、子供を乗せた母親が息を弾ませることなく、すいすいと登っていくのをみて、ありゃら、といつもビックリしているのです。自転車屋でみたら、10万か20万で買えるのですが、歩道を走れないのが難点です。車を運転していて、いつも邪魔だなあ、と思っているのが車道すれすれに走る自転車ですから、自分がその当事者になるのは、一方では考え物です。買おうか止めようか、今は複雑な心境です。

 家にはバイクがいつもありました。次男専用でした。国立東京農工大学に合格した彼は、府中の学校までバイク通学をしていました。今はサンユウコンサルタント会社の東京支社の責任者になっている彼は、四年間、バイク通学を押し通したのです。余勢をかって、バイクで東北一周、確か北海道まで行ったと記憶しています。よく事故を起こさなかったものです。

 余談ですが、朝日の論説委員だった白井健作さんは、バイク好きの方でした。あるとき、筑波の朝日販売店の前で、転倒事故を起こしました。かなりのお年なのに、バイクを乗り回しての事故でした。丁度、居合わせた私と所長とでお世話して差し上げ、感謝されました。しかし、我が次男は、一度として事故を起こしたことがありません。大したものです。

 今私は、自転車屋さんの前を、行きつ戻りつしながら、買おうか、買うまいか迷いに迷っています。次男にこの話をしたら、「親父さん、絶対止めろ」と言うに決まっています。正に、ハムレットの心境です。

2023年6月19日       帯状疱疹                                                              

 バリ島から戻って数日後のことです。首から胸に掛けて赤い湿疹が無数に現れと共に、倦怠感が全身を襲い始めました。歩くのさえ大義になってきたのです。折から、中国の子供新聞発行の「国営中国少年報社」から副社長始め、前年、我々が中国へ行ったとき、つききりでお世話してくれた女性社員の馬衛東さんともう1人、3人をお連れして、新幹線で京都見物へお供しなければなりません。

 中国にも子供の新聞を発行する会社は全土で135社もあり、国営はこの会社一社だけでした。朝日学生新聞社の前社長海野さんの時から、日中交流書道展が始められていて、中国の応募作品を日本が審査し、日本の作品を中国側が評価し、それぞれの国で表彰式を行い、賞品を贈り、併せて、3人ずつの社員訪問を行ってきました。前年は、私と佐藤編集長、遠藤副編集長が北京入りし、子供会館で表彰式が行われました。そのとき私は覚え立ての北京語を入れて挨拶したところ、発音がおかしかったのでしょう、会場は笑いに包まれました。北京では小学校を見学させて貰いました。子供達はブラスバンドで迎えてくれました。感心したのは、パソコン室があって、50台を越えるコンピューターの前に子供達が達者に操作していたことでした。恐るべし中国!と思いました。そのとき、北京を皮切りに、西安、上海へ案内されたのですが、上海の子供新聞社では、子供達だけで1ページを好きなように編集していました。

 中国の子供達の上位入賞作品は、毎年、築地朝日新聞社の一階ロビーに展示されてきました。それでも足りず、一階の講堂を使わせて貰っていました。ところが、この得がたかった企画も、私の後の社長山本博になってお仕舞いになりました。彼はリクルート事件の掘り起こしで有名になった敏腕記者でしたが、大の中国嫌いであったようでした。今となっては、彼に先を見る目があったと、言うべきでしょう。

 ところで帯状疱疹! お三方を新幹線にお乗せしたまでは良かったけれど、どうにもならなくなり、その後の京都案内は学生新聞大阪支社長にお願いしました。それと同時に、私は朝日新聞大阪本社の医務室にかけ込みました。嘱託医宣わく「この病気は紫外線に当たりすぎても発症しますよ」

 それだ!それだ!と納得しました。バリ島の海へ入ったり、プールで泳いだり一日中裸でいたので、どれだけの紫外線を浴びたか、計り知れません。

 「楽あれば苦あり」の格言を反芻しながら、新幹線の片隅に寝転帰って帰ってきました。

2023年6月18日   バリ島余話                                                             

 私の仕事場には、バリ島から持ち帰った三つのモノが私の仕事を絶えず見守っています。一つは恐ろしい形相をした木彫りの鬼の面。奇妙奇天烈な模様の額絵、そして木製の縦笛です。縦笛は鳴らしてみても我々が使い慣れている7音階は出来ません。典型的な5音階です。沖縄の三線音階も5音階ですが、それとも違う独特の音階です。この島の大きな特徴は、至る所に寺院や墓地があり、そこにはいつも花が手向けられていて、線香の煙に絶え間がないことです。この傾向はタイでも同じです。どの家の敷地の中にも石作の祭壇があり、四六時中花が手向けられています。祭壇は家の中ではなく、敷地の一隅にあることが大きな特徴でありました。

 ラオスのルアンパバーンへ行ったとき、朝早く起きて表通りに出てみると、大勢の町の人たちがそれぞれ食べ物を入れた容器を抱え、行列を作って何者かを待ち構えていました。その暗がりの中へ、突如、オレンジ色の僧服を纏った裸足の若い僧の行列が現れます。全員がタクハチを抱えていて人々の前を順繰りに歩きます。住民は、一さじずつ自分が持参した食べ物を入れて上げます。若い僧達は、小腰をかがめてお礼の仕草をします。なんとも言えない清々しい光景でした。同じ光景は、バリ島でも見られるとのことでしたが、バリの夜は思いのほか楽しく、朝早く起きることなど出来ませんでした。

 西洋の12音階と全く違う5音階で成り立っているガムラン音楽は、それはそれで独特の旋律や響きを持っていて、聴くモノの心を和ませます。そこへ美女と野獣と怪物が現れ、舞台狭しと暴れまくるのですから、つい、時を忘れて見入ってしまいます。

 天皇皇后両陛下は昨日、ジャカルタに無事お着きになり、公式行事にご参列下さっているようですが、どうか、一刻も早くバリ島にお出向かれて、奇妙な音楽と踊りをご鑑賞遊ばしますよう、心から願っています。

2023年6月17日   インドネシア・バリ島                                                             

 先頃、天皇皇后両陛下がインドネシアに公式訪問される、という発表がありました。ジャカルターバンドン間の高速鉄道を日本が受注し、着工寸前であったのに、中国がそこへ割り込み、日本の計画書を横取りし、価格の安さに売り物にし、ジョコ大統領始め、要人達ににあの手この手を使い、結局、中国に横取りされる、という苦い経験があります。ジャカルタ市内の地下鉄については日本が建造したにも拘わらず、ジョコ大統領の命により、日本製であることを極力隠す、という仕打ちまで受けているそのインドネシアに、何故、天皇ご夫妻が同国へ行って、戦没者の供養までしなければならないのか?理解に苦しみますが、それには理由があります。インドネシアには日本が必要とする資源が豊富です。鉱物資源の輸入額は飛び抜けています。仲良くしていかねばならない国です。政府は、そこのところを慮って天皇ご夫妻の公式訪問を願い出たのでしょう。あるいは、天皇自らが、両国間の現状を憂いて、申し出たのかもしれません。

 バリ島はジャカルタの空港からひとっ飛びです。常夏の楽園です。その島へ今から17年前に故人となった妻と2人で、二回、行った経験があります。海辺に連なる超高級ホテルに陣取り、昼は波と戯れ、夜はガムラン音楽に興じ、珍味をいただき幸せな時を過ごしました。これを聴いて刺激された長男の妻は、その後、バリ島狂いになりました。長男は国立大学を卒業し、私の勧めでデズニーランドを受験させたところ、14人の幹部候補生の1人となり、運営部長まで上り詰め、その後、400人の身障者を扱う関連会社の社長になり、現在は相談役になっています。彼が見習いの頃、ある職場で、アルバイトの女性を見初めました。結婚式は当然、デズニーランドのホテルで行われました。彼女の父親は下町に住む著名な落語家で、式には大勢の下町衆が「木遣り音頭」を披露してくれました。その長男の嫁がバリ島に夢中になりました。生まれたばかりの娘を両親に預け、何度、バリ島へ行って海に潜ったことか。

 バリ島と言えば、苦いが嬉しい思い出があります。ジャカルタ空港でふとしたことで財布を落としました。20メートルほど歩いたところで、後ろから来た人に肩を叩かれました。バリの料理屋で財布を置き忘れました。次の店に行って財布がないことに気づき、慌てて戻ると、女将が笑顔で返してくれました。だから、財布はボロボロになっているのに、今も使っているのです。

 天皇皇后におかれましては、今回の公式訪問後に、是非ともバリ島まで足を伸ばして、ご静養願いたい。あの、真っ青な海と空の間に身を置いて、何もしない時間を、是非、お取りいただきたい。そう願っているのは私だけではないはずです。

詳細はこちらへ

2023年6月16日    佐藤優の論理                                                             

 先週号の週刊現代に、今起きている戦争についての彼の論理が大きく取り上げられています。一読して、「何を言うか」、再読して「なるほど」と思い、三読して「いかにも」と思うようになりました。彼は福島県三春の生まれで、父親が沖縄に出稼ぎに行った際、離島の娘と恋に落ち、彼が生まれています。同志社大学神学部出身で外務省に入り、分析官となりましたが、ロシア一辺倒の鈴木宗男に肩入れする余り、領域を越え、豚箱生活を525日送っています。当然、外務省にはいられなくなり、評論活動に入ります。希代の読書家で書評を担当し、それなりの評価を得ている得がたい人物でもあります。

 いやしくも、独立国のウクライナに対して領土拡充のための戦争を仕掛けたプーチンが悪いに決まっていても、そこには同情すべき理由もある、と言うのが彼の論理の根底にはあるのですが、この戦争がアメリカによる管理された戦争になっていることに彼の問題提起の根底が潜んでいます。その論理とは、ウクライナに勝たせなくない、長引けば長引くほどアメリカが得をする、というものです。ドイツはメルケル時代に完成した天然ガス長距離輸送管ノルドストリームが爆破され、ヨーロッパ諸国はアメリカから天然ガスや石油を大量に買わなければならなくなりました。更に、用無しになった旧い武器や、戰車、装甲車などがウクライナに供与されるに及んで、アメリカやヨーロッパ軍事産業はホクホクとなっています。

 更に、アメリカはロシアとことを構えたくないという事情もあります。ロシアは北極経由はおろか、南極経由でアメリカ本土を攻撃できるほどの長距離ミサイルを保持しています。

 佐藤優は先ず双方が武器を納め、停戦することだ、と結論づけ、領土問題は、その後の住民投票できめればいい、としています。私もそれに賛成です。ただ、その仲立ちは世界の誰が出来るでしょうか?それこそが大問題です。佐藤優はそれには言及できないでいます。

2023年6月12,13、14、15日入院生活                                                             12日午前10時、国立総合医療研究センター病院の10階の病室に案内されました。4人部屋の一般病棟でしたが、何と、日当たりの良い窓際のベッドです。高所恐怖症の私は「うへー」となりましたが、新宿の高層ビル群を始め、若松町、神楽坂、飯田橋が一望出来ました。母校だった早稲田の校舎の果てに、スカイツリーの点滅まで見えます。そして、その上に大空が広がります。雲は、ひっきりなしにその形を変えていきます。見据えていて飽きることがありません。いつの間にか恐怖は吹き飛び、この天空に近いベッドが与えられたことに感謝しました。

 この病院は恐ろしく大きい。4階が手術室ばかりでしたが、各階ごとに入室は厳重を極め、全部を見学しようと歩き回りましたが、その度に誰何されました。特筆すべきは、大勢いる医師、検査員、看護師達が、皆、若い人たちであることでした。白髪交じりの者など1人としていないのです。

 不思議に思い、聴いてみると、医学を志す若い男女はそれぞれの学校を出ると、この病院で実技研修を一定期間受け、それぞれの公的機関の病院へ配属される、とのことでした。それで分りました。全員が全員とも若い訳が。つまりこの病院に入院することは、医学に志す若い人たちのためのモルモットになることを意味します。そこで悟りました。これからは、順天堂病院も、女子医大病院も、都立大久保病院もおさらばして、死ぬまでこの病院のお世話になろう、と。若い人たちのお役に立って死ねるなんて嬉しいことではありませんか。

 翌13日は朝から禁食です。水もあてがわれたモノしか飲むことが出来ません。夕方四時、手術着に着替え、パンツ一枚で4階の手術室に運ばれました。数えて8人の男女の若者が迎えてくれました。「よろしくお願いします」と叫んでしまいました。一年前の3月、膀胱結石除去の時は全身麻酔でしたが、今回は、麻酔医が私の間質性肺炎の兆候を鑑み、下半身麻酔で行われます。つまり自力呼吸、心臓の動きも器械に移動せず、意識もそのままで手術が行われます。右下腹の、咳の度に飛び出る嫌いのある腸を、強力なフィルムを貼って押さえる手術です。腹筋の衰えた年配者のほとんどが罹る「鼠径ヘルニア」いわゆる「脱腸」の治療です。

 脊柱の脊髄に麻酔注射が始まりました。「痛いですか?ここはどうですか?」何度も聞いてきます。その内に、下半身の感覚が喪失してきました。実に、実に変な感じです。心臓と肺の下部分が私ではなくなった感じです。生まれて初めて経験する感覚です。しかし、心臓は動いています。呼吸も出来ています。下半身だけがあの世へ行った感じです。後で気がつくと、この間に私のパンツは脱がされ、おちんちんには管が入れられ新しいパンツが履かされていました。どのくらいの時間が経ったでしょうか、「終わりました」の声と共に手術台の電気が消されました。「お世話になりました。ありがとうございました」と叫んでいました。

 その晩、傷口が痛くて堪りません。夜勤担当の看護婦さんに2回も痛み止めの錠剤を処方して貰いました。その看護婦さんは「外間(ほかま)」さんという沖縄出身の方でした。ひとしきり、沖縄の話をして気を紛らわしました。

 翌朝、回診がありました。10人を越える若い一隊を率いての大名行列です。10人が10人とも傷口をのぞき込んで去って行きました。前日は三食が禁食だったので、朝飯の旨かったこと。不思議なことに、院内を歩き回っても痛みは傷口だけで、足の痛みはなくなっていました。晴れ晴れとした気持ちで、10階からの景色を眺めながらその日は終わり、そして、今日の退院です。支払いは2割負担で4万円ちょっと。入院保険に入っているので、おつりがきます。こうやって、再び、パソコンに向かう喜びに浸れるのも、ご心配をおかけした皆様の祈りのおかげです。改めて、衷心から御礼申し上げます。

20 23年6月11日   山動く?                                                            

 今日の最新の情報によると、モスクワ市内で「戦争反対」、「プーチン辞めろ」のスローガンを掲げる街頭デモが起きたそうです。ユーチューヴの速報ですが、事実とすればエラいことです。一部ではあっても、ロシア国民が動き出したのです。山が動き始めたのです。

 数日前にウクライナの大きなダムが破壊され、甚大な被害がその流域に及びました。ダムを破壊するのはそれに付随するインフラを壊すことにもなるので、国際法では堅く禁じられています。未だに、どちらの勢力がやったか、判然としていません。お人好しの日本は7億円をお見舞いとして贈ると岸田総理が曰いました。

 一方、唯一と言っていいほどロシアに従順の、ベラルーシのルカシエンコ大統領が、モスクワ訪問中体調に異常を来し、急遽、帰国しました。本物の急病か、プーチンに従いたくないための、カモフラジーとしての仮病かは、ハッキリしませんが、ロシアは腹心の友を失いつつあります。更に、ロシア軍はプーチンの命令により、総指揮官の交代です。

 こういう状況はこの先、いい方へ替るでしょうか? ロシア好転の兆しなど、サッパリ見えてきません。しかし、もしもロシアが核のボタンを押せば一瞬にして事態は変わるでしょう。と同時に、世界はロシアという国を抹殺する行動に出るでしょう。

 一年四ヶ月続いているこの不毛な戦争は、いま、重大な岐路にさしかかっています。

20 23年6月10日   ナット                                                          ナットと言ってもあの納豆のことでありません。モノとモノとをつなぎ合わせるに必要な、あのネジ釘のことをいいます。例えば新幹線の一台の車両。使われているネジ釘は約2万本だそうです。例えば航空機一機。3万本のネジ釘が使われているそうです。船一艘は? 原発一基では? 

 もし、このネジ釘が老化して緩んできたらどうなるか?当然、事故に繋がります。東京タワーの鉄骨が風雪に堪えかねて崩落するかも知れません。

 絶対に緩まない老化しないネジ釘なんてあるのだろうか?あれば世紀の発明ではないだろうか?

 それがあるんです。日本国の僅か80人の会社がそれを生産して、世界の国々に売っているんです。名付けて「ハードロックナット」特殊な構造になっています。発明者の若林さんは、悩みに悩んだ末、神社の鳥居を見て、天啓を受けました。つまり、楔を内蔵したナットなのです。新幹線のすべての車両も、航空機も、船も、原発もこのハードロックナットが使われています。東京のスカイツリーは3月11日の三陸地震の時、前後左右、六メートルも揺れました。でも、無事でした。接続ナットの緩みも全く無かったのだそうです。

 このハードロックナット、日本以外の国では作ることが出来ません。世界の国々は争って買い求め、順番待ちの勢いだそうです。日本の隠れた底力の一つです。

20 23年6月9日   トマト談義                                                          トマトは私の好きなものの一つです。ほとんど食卓から欠かしたことがないほどです。しかし、何故か、最近のトマトは味が薄くなり、美味しくなくなってきています。「桃太郎」などという品種がその筆頭です。何故か? それは大量生産のため、土壌ではなく、水耕栽培が主流になってきたため、といわれています。ところが、最近、埼玉県のある農家が栽培に成功した「おとこ気」というトマトが脚光を浴び始めています。栽培方法は特殊で、極力、水をやらない、のだそうです。その苦しみに打ち勝ったトマトだからこそ、味が豊かで美味しいのだそうです。

 スパゲッティは、私は、なにをおいてもトマトソースオンリーです。大昔、新宿のタカノフルーツパーラの7階に、スパゲッテイだけの専門店がありました。イタリア直輸入の、瓶詰めの細長いトマトだけを使っていました。それが、良くて、良くて、、、日本では余り見かけない、その瓶詰めがタイ・チェンマイのスーパーに山とありました。しかも、廉価で。嬉しかったですね。

 トマトを水を余りやらないで育てる。水に対して、絶えず、飢餓の状態で育てる、、、すると美味しいトマトになる。この原理は人間にも当てはまるようです。教育に対していつも飢餓の状態に置いてやる、、、すると自発的に勉強に励む、、、、

 近々、この銘柄のトマトを買ってきて齧りついてみる積もりです。

20 23年6月8日      卑弥呼のお墓                                                       古代の日本には邪馬台国という国が在り、その国を卑弥呼という女帝が治めていた、とは日本の教科書に載っているお話です。その邪馬台国は日本列島のどこにあったか? 九州佐賀の吉野ヶ里にあった、という説と、近畿圏内の畝傍山周辺に存在した、という説が真っ向から対立していて、東大の歴史学者は九州、京大の歴史学者は近畿説を採り、真っ向から対立しています。

 ここへ来て新しいニュースが飛び込んできました。佐賀・吉野ヶ里に古くからあった、神社が近くにところ替えすることになり、立ち退いたところ、高貴な方を祭ったに違いない墳墓が現れた、と言うのです。

 もしも、この墳墓が女王卑弥呼の奥津城であったとしたら、邪馬台国は吉野ヶ里に有ったことになり、現在に続いている論争は東大側の勝ち、となるでしょう。この墳墓が発見されて、まだ、幾日も経っていません。やがて、大騒ぎとなる予兆を感じています。

 7,8年前になりますか、羽田から空路で佐賀空港、北上して唐津。唐津から壱岐ノ島へ渡り、戻って、フランシスコ・ザビエルの教会で礼拝して、佐世保から佐賀へ戻り、空路、帰京したことがあります。その折り、佐賀の吉野ヶ里遺跡へ立ち寄りました。高床式住居跡をつぶさに観察しましたが、私には、ここに卑弥呼がいて統治した、とは思えませんでした。余りに殺風景だったからです。

 もし、新たに発見された墳墓から、卑弥呼のものと思われる確実な遺品が出てきたとしたらどうでしょう? すなわち、邪馬台国は近畿ではなく九州にあったのです。日本史の書き換えが行われるでしょう。さて、どうなりますか。      興味津津です。

20 23年6月7日      縄張り争い                                                     近所の眼科医院の待合室に、大きな熱帯魚の水槽が置いてあります。見るとはなしに観察していると、全部で12匹いる魚が、それぞれ自分のテリトリー、いわば縄張り持っていることに気づきます。例え、小さな身体であっても、縄張りに入ってくる大きな魚に向かって憤然として突っかかり、追い出しに務めます。その勇気には感心しながら、人間とて同じだなあ、と妙に納得した次第です。同じように、古代ローマ帝国は地中海一帯を掌中に収めました。アレキサンダー大王は中東一帯を掌中にしました。古代蒙古はフビライ汗の時代、ウラル山脈を越えてロシアを制圧しました。お陰で、250年間、ロシアという国はなくなりました。近代ではドイツのナチスがアーリアン民族の縄張りを広げる行動に出ました。日本とて同じ。大東亜共栄圏の旗印のもと、軍部の台頭著しく、近隣諸国を苦しめました。いずれもその根底にあるのは縄張り争いでした。

 縄張り争いの例は日本の古代、中世史に明らかです。源氏と平家、鎌倉幕府、桶狭間の戦い、東軍と西軍による関ヶ原の戦い。そして、薩長土肥と江戸幕府の戦い、、、、枚挙にいとまがありません。この繰り返しの中で確実に言えることが一つ。それは、権力を握った者は、おしなべて、自分が支配できる領域の拡大に血道を上げる、というセオリーです。ロシアのプーチンはその典型でありましょう。折から、ウクライナの方は、NATO諸国からの新兵器を供与され、ロシアに対し、一大攻勢を仕掛けようとしています。

 翻って、中国はどうでしょう? 毛沢東と蒋介石との戦いは蒋介石が台湾に籠ったまま、未だ、決着がついた訳ではありません。習近平独裁政権が台湾併合に動き出すのは時間の問題、と捉えることが出来るでしょう。それは、いわば、歴史の必然と言えるのではないでしょうか?

20 23年6月6日      仲間割れ                                                     ついに、ロシア軍のなかから、プーチン政権を倒せという旗印のもと、祖国とロシア人に戦いを挑む集団が現れました。それが二つも。「ロシア義勇軍集団」と「自由ロシア軍」の二つの集団です。目的は「独裁政権からロシアを解放しろ」、「プーチンは降伏して諦めろ」、そして「国際司法裁判所へ行け」です。更に、モスクワのクレムリンや、プーチンの家までドローン攻撃がありましたが、どうやら、これはこの集団の仕業だと言われ始めています。当然、プーチンは怒り狂っていますが、ロシア人の中には、この軍団への賛同者が多く、寄付金や食料などの搬入が引きも切らないようです。

 古今東西の例を引くまでもなく、戦争は仲間割れした方が負け、となります。言ってみればロシア軍が仲間割れをした以上、ことが拡大しないうちに、ロシアは停戦か敗戦に持ち込まねば、歴史の法則に背くことになるでしょう。恐らく、プーチンの側近達もそう思っているに違いなかろう、と推測出来るのですが、プーチンの仕打ちが恐ろしくて言い出し得ないのではないでしょうか? 諜報員上がりのプーチンをして、巧妙に作り上げられた22年に亘る独裁政治を許した報いが、現状を招いたと言えるのではないでしょうか?

 一方、トルコではエルドアンが再選されました。ロシアに対して休戦を持ちかけられるのは今や彼だけです。ロシア国内には誰もいません。居ても、既に毒殺されるか幽閉されるかしています。しかし、しかしです。ロシアにも心ある人間は確実に存在します。プーチンを怖れず、進言する側近も必ず居るはずです。それを信じて待ちましょう。

20 23年6月5日     通貨スワップ                                                    世界の基軸通貨は、アメリカのドルとEUのユーロの二つです。世界のどこへ行ってもこの通貨で支払いが出来ます。有り難いことに日本の円も第三の基軸通貨として認められ始めています。何故なら、日本には世界の人々にとって買いたいものが色々あるからです。一方、お隣の韓国のウオンはどこの国でもその支払いが拒否されます。何故なら、持っていても使いようがないからです。

 韓国は文在寅の時から、莫大な量の石油をイランから輸入しています。イランはその支払いを、ウオンではなくドルで要求しています。ところが、韓国にはウオンがあっても手持ちのドルがありません。アメリカのイラン制裁の指示に従っているまでだ、とかなんとか屁理屈を付けて未だ支払いに応じていません。

 一方、日本には幸いにも多額のドルの備蓄があります。韓国にとって喉から手がでるドルを日本は「貸してやってもいい」ほど持っているのです。ウオンの代わりにドルにして貸して上げることを「通貨スワップ」と言います。韓国とのスワップはかなり以前に一度行われました。麻生財務相当時、二度目の来日がありました。そのときの韓国側の台詞が振るっていました。「そんなにおっしゃるなら借りて上げてもいいですよ」憤然として麻生相はその席を蹴った、というのは有名な話です。

 ごく最近、EUの財務相が韓国へ行きました。ふと、ユーロとのスワップの話が出たそうです。単なるお話であったにも拘わらず、韓国のマスコミは、「基軸通貨の一つであるユーロとのスワップが実現する」と、大々的に報じました。ユーロ側が応じたわけでもないのに、大騒ぎになったのです。仮に実現しても、ユーロ側はウオンの使い道に困り果てるでしょう。元より、ユーロ側に、韓国を助けなければならない義理などありません。

 さあ、どうなるのでしょうか?

 私の古ぼけた財布の中には、今まで行ったことのあるすべての国々の少額紙幣が今も入っています。今では貴重な、中国の昔の「人民元」もあります。時々、取り出しては眺めながら、通貨とは面白い物よのう、と感慨にふけっています。

20 23年6月4日     お別れ                                                  発刊から101年続いた週刊朝日も今週号で最終となりました。いつものように終面の「山藤章二似顔絵塾」から目を通し始めました。しばらく前までは山藤さんの体調が思わしくなく、休みがちでありましたが、最終号では渾身の力みなぎる終面となっていました。宣伝部長だった当時、ある表彰式で、山藤さんと控え室でも、式場でも隣り合わせとなり、彼の飄々とした人柄に接し、一遍にファンとなりました。

 あらゆる雑誌が廉価で読めるネット利用しているのですが、最終号だけは現物を入手しようと売店へ行きましたが、どこも売り切れでした。でも、この先10年は生きる補償でもあれば別ですが、老い先の短いことを考え、深入りすることを止めました。

 私が入社してまもなくの頃、週刊朝日の人気は凄まじく、毎日新聞の「サンデー毎日」、読売の「週刊読売」を抜いて第一位の売り上げを誇っていました。読売はすでになく、サンデー毎日だけは細々と発行されていますが、毎日新聞の本体は何時倒れてもおかしくない現状です。つまり、毎日新聞の販売網が既に、全国的に瓦解しているのです。販売網とは、その系統の新聞雑誌その他を、町中から、村から、山間部まで、日夜配達する網の目の組織のことを言います。これの弱い新聞社は潰れ、強い販売網を持つ新聞社は生き残ります。つまり、販売網とは、いわば、社会的文化遺産のようなものなのです。(販売網を崩壊させるな、という拙著があります) 

 朝日本社は週刊朝日は休刊、と言葉を濁していますが、紛れもない廃刊でしょう。「紙の文化の終焉の一つ」と真剣に捉えねばなりません。時代はその経過と共に様々の形で変貌していくのです。もしかすると、ネットで復刊してくるかも知れません。しかし、山藤章二の似顔絵塾をスマホの狭い画面で見たくはありません。

20 23年6月3日     線状降水帯                                                  昨日の我が日本列島の天気図を見てビックリしました。四つの島がスッカリ雨マークで覆われていたのです。その上、所々に、線状降水帯のマークが、かなりの数、見受けられたでありませんか。新幹線も東京名古屋間が運休となりました。かなりの地方の鉄道も運休です。沖縄列島は四五メートルの風が吹き荒れたそうです。細長い日本列島ですから、雨降りのところと快晴のところがあるのが普通でした。それが、全島すべてが雨に見舞われるなんて、こんなこと、今までにあったでしょうか?

 朝から雨だったので、指定された時間に国立国際治療研究センター病院へは車で行きました。雨の中、渋滞に巻き込まれました。各種検査が待っていました。心電図、問診、体力測定、視力検査までやらされました。何でこんなに検査、検査なんだ、辟易しながら、それでも終わって外へ出ると、猛烈な風。戸山が原の木々は大揺れに揺れていました。雨はその日一日中降り止まず、夜通し続きました。ヒョツトすると、日本列島は水没するのではないかと、心配になったほどです。そして、今朝八時頃になって漸く雨は止み、青空が所々出始め、眩しい光が戻ってきました。と同時に爽やかな風も戻ってきました。やれやれでした。

 異常気象が話題に上がって久しいですが、この二日間は、その典型ではなかったでしょうか? 世界中の人間がひり出す炭素、窒素化合物が地球全体の気候を狂わしている現在、昨日今日の珍しい出来事は、今後、益々、頻繁に起きるのではないでしょうか? 願わくは、もう一度生まれ変わって、この世に現れたい、という望みも、影が薄くなってきました。

 

20 23年6月2日     大偉業                                               今日の朝日の紙面は、藤井、藤井で溢れんばかりです。何故なら朝日が主催する将棋の名人戦で、若干20歳7ヶ月の藤井聡太が信州山田温泉の名門旅館「藤井荘」で、渡辺明名人を破り、初の名人位に輝いたからです。これにより藤井聡太名人は7冠位の保持者となりました。これは前代未聞の快挙であります。敗れた渡辺明名人は無冠となりました。悔しさはいかばかりでありましょうか。

 将棋の名人戦は、元々、毎日新聞の主催でしたが、我が恩人、常務取締役業務局長であった永井大三さんが、升田幸三華やかなりし時、毎日新聞から苦労してむしり取った、曰く付きの将棋の棋戦でありました。私が入社したての頃でしたから、かれこれ、60年昔の出来事でありました。

 藤井荘は長野駅から電車で須坂か小布施で降り、山道を上りつめたところに位置する名湯「山田温泉」にあります。その奥には、お湯の色が五つに変化する五色温泉があります。更に、その奥には秘湯中の秘湯、七色温泉があります。そこは笠岳や横手山の登り口になっていて、藤井荘は我々「どんどん講の定宿にもなっていました。その後、何度か建て替えられたようですが、この旅館は深い渓流の上に建てられたいるため、紅葉の時期の眺めは正に絶景で、印象に残る旅館の一つです。今は新緑の時期ですが、恐らく、藤井、渡辺の両棋士も新緑を眺めて目を休めたことでしょう。

 それにしても、藤井聡太7冠達成は物凄い偉業です。朝日新聞の一面全部がこの記事ばかりとなったのは前代未聞です。嬉しさの余り、広島の生口島に眠る永井大三さんは、小躍りしながら蘇って来るかもしれません。

23年6月1日  信州安曇野の水                                               私はよく水を飲みます。十数年前に尿管結石で痛い思いをしたとき、美人の看護婦さんから、出来れば、一日2リットルの水を飲んでください、と言われましたが、それ以前から、それくらいの水は飲んでいました。寝室の枕元には「信州安曇野の天然水」の2リットル瓶が絶えずあって、トイレに起きる度に補給を怠りません。旅ガラスの身であったので、全国各地の水のお世話になってきました。それぞれ、匂いと味に癖があって、「水も色々だなあ」としきりに思うこの頃です。一番イヤだったのは茨城県土浦市近辺の水道水です。霞ヶ浦の水を浄化して使っているのですが、泥臭い匂いが残っていて辟易しました。タイ・チェンマイの水もよくありません。浄化装置を使ってもそのままは飲めません。煮炊きオンリーです。中国もダメです。それとは知らず、水割りのウイスキーにそれを使って、5日間、トイレ探しに苦労しました。そのときの旅は、従弟の靖輝一家と、私の母親も一緒の大人数の上海旅行でしたが、水に当たったのは、幸いにも私だけでした。

 若いときから北アルプス、南アルプス、八ヶ岳、黒姫、飯綱、妙高、谷川連峰などなど、登ってきましたが、水は一番の必需品でした。そのまま水筒に詰めて登るのですが、汗水垂らして山の稜線に出たとき、谷風に汗を拭わしながら水筒の水を飲む、その快感! 水の味はそれぞれ違うのです。湧き水だけが旨いとは限りません。川の水にもそれぞれ癖と味があるのです。穂高へ登って上高地へ降りてきたとき、朝、飯盒で炊いた残りメシに、梓川の水を入れて、水メシにして掻き込みました。誰かが昆布の佃煮を回してよこしました。旨かったの何の!!!。

 東京の水道水も以前に比べると、大分良くなってきています。でも、同じ飲むなら天然水に限ります。微量ながら天然水には、マグネシウム、ナトリウムなどのミネラルが含まれています。信州穂高の広大なわさび畑を潤している「信州安曇野の天然水」飲むならこれに限ります。

2023年5月31日  新しい病院                                              今日は、持病の鼠径ヘルニアについて新しい病院の門を叩きに行きました。「国立国際医療研究センター」という女子医大の近くの病院です。ネットでこの私の疾患について調べたところ、実に詳細な記述があったからです。九段坂病院より、遙かに規模は大きく、設備も行き届いていて、はじめからここにすればよかった、と思ったほどです。四時間ほど掛けて、心電図、血液検査、呼吸器肺活量、X線、などの基礎検査が終わり、手術の日も6月の12日一泊入院となりました。やれやれ、と安堵して帰宅したところ、病院から知らせがありました。心臓の再検査が必要である、その理由は、心臓の血管に細いところがある、血液検査では、若干の糖が出ている、というものでした。そうかそうか、やっぱり同じだったか、と妙に納得しました。理由は九段坂病院のと同じ診断だったからです。しかし、肺活量については及第点を貰いました。コロナワクチンを4回打って以来、息切れがひどくなっていましたが、それについての疑義がなかったことはせめてもの幸いでした。

 病院側としても、87歳の高齢者の全身麻酔による手術は、より、慎重にならざるを得ないのでしょう。はて、再検査を受けて結果がどうなるか?不安よりも興味津々です。月曜日の朝9時までに、再び病院へ出頭します。楽しみです。

2023年5月30日    不潔な都市                                          たまたま、ある写真集を見ていたら、世界の不潔極まりない都市の写真がありました。驚きを持ってページをくくりました。その都市はパングラデッシュの首都、ダッカです。ミヤンマーの隣です。世界一汚く、不潔な都市だそうです。数年前、隣のミャンマーの首都・ヤンゴンへ行きましたが、決して清潔とは言えませんでした。海へ続く川岸にはゴミの山が築かれ、おんぼろ山手線の敷地内には、列車の運行に差し支えない程度に、不燃物や電化製品の山が築かれていました。でも、日常の家庭から出る可燃物の処理は定期的に回収され、下水もホテルは水洗でした。

 ところが、ダッカでは可燃物も不燃物もそのまま垂れ流しだそうです。川も道路も何百年も前からの汚物で埋まっているそうです。その上、ダッカは靴やカバンの原料となる「動物の皮」の生産地でもあります。皮を剥がされ、肉は食われ、骨だけとなった哀れな動物たちの亡骸が、そのまま、処理されずに捨てられます。何百年前からの動物の腐臭、人間のひり出した汚物、その中で人々は生きているのです。行政はあっても、一切かまわないそうです。

 販売局の外勤社員に成り立ての頃、先輩の東大出の原充(はらみつる)さんという先輩が急死して、私がその地区の後任に大抜擢をされ、江東6区を担当したことがあります。中に「吾嬬」という地域がありました。その地区の販売店に近寄ると、辺りに異様な匂いが立ちこめていました。靴やカバンを作る「皮革なめし」の集合地区だったのです。自然に足が遠のいて行きました。

 人間のひり出したあらゆる汚物を、そのまま川や海辺リに投げ捨て、汚染された空気の中で過ごすことに慣れたしまったダッカの人たちは、この先もこのままでいるのでしょうか?

 翻って思うとき、我が日本は何と清潔な国なのでしょうか! 可燃物、不燃物の差はあっても、行政が定期的に回収にきてくれています。町中は清潔そのもの、チリ一つ落ちていません。ヨーロッパの国々を別にすれば、こんな国、世界にまたとあるでしょうか! 改めて、日本人が、きれい好きな国民であることを誇りに思います。

2023年5月29日         ユーチューブの弱点                                  私はいま、第9世代のIPADを使っています。既に3回目の買い換えしたのですが、今以上の利便性は必要がないでしょう。全く気に入っています。ベッドへ入るときも、目覚めた時も、IPADは常に私の傍らにいます。音楽も聴き放題。ユーチューヴからカテイン、カチヤブニアステビリ、上原ひろみ、小野リサなどにダイアルを合わせます。朝起きると直ぐ、毎日替るナンプレと詰碁、詰め将棋に合わせます。

 ユーチューブに合わせれば、時宜を得たニュース解説や、高原剛一郎牧師のお説教を聴くことができるし、「中川牧師の書斎から」もあります。お気に入りはフィーフィーさんの番組です。エジプト人の彼女は流ちょうな日本語で時を得た時事解説をします。また、中国関係に詳しい「妙佛」のコーナーも実に参考になります。

 ところが最近、「ユーチューヴ」に「お話」が沢山現れ始めました。そのほとんどが現実にありそうな美談です。病院の売店で売り子をやっていた男が、運び込まれた瀕死の患者をメスを持って助けた話。不治の病で寝たきりの息子の側を離れがたく、売り子になって見守っていたのでした、、、、。これに合い似た話が散見するようになったのです。すべて、ハッピーエンドで話は終わります。そこで、ハタと気がつきました。すべて、広告収入を充てにして投稿した創作ものではないか? と。それに気がついてユーチューブを端から端まで見回してみると、あるはあるは、美談のオンパレートです。人は皆、美談に弱い。そして、それらが広告料稼ぎの作られた美談であっても、納得してしまう。私も昔、ユーチューヴに写真を投稿したことがあります。カンボジアの湖上生活者の写真す。今でも検索すれば誰でも見ることが出来ます。操作は複雑ですが、公序良俗に反しない限り、誰でも投稿掲載が可能なのです。ここに、ユーチューヴの盲点があるのではないでしょうか? 「美談を創作して投稿し広告料を稼ぐ」こういう悪辣な手段を阻止することができないところに、ユーチューヴの盲点があることを、知っておかねばなりません。

2023年5月28日          休刊?廃刊!                                発行してから100年近くは続いた週刊朝日が、今週号を最後に市場から消えることになりました。部数が落ち込み、採算がとれなくなったのが原因です。そういえば、紙の新聞は元より、電車の車内で週刊誌を読んでいる人はほとんどいません。コンビニにも沢山の週刊誌が売られていますが、買っている人はほとんどいません。電車の乗客は10人が10人ともスマホです。あの、小さな画面を夢中になってのぞき込んでいます。ましてや、新聞に於いておや。紙の新聞では、重大な案件は大きく、それほどでもない事件は小さく扱います。スマホの画面はご承知のように極く小さい。重大事件も、軽い事件もスペースは一緒です。これで、ナニが分ろうというのでしょう。糞味噌一緒なのがスマホの画面です。ああ、それなのに、それなのに、人のほとんどはスマホに夢中です。新聞社発行の週刊誌は言うに及ばず、雑誌社発行の週刊誌も売れ行きは芳しくありません。各社とも意地で発行しているように見えます。35年も前のことながら、私が販売局次長のとき、出版局次長も兼務させられていました。アサヒカメラ、アサヒグラフ廃刊の時でした。躍起となって週刊雑誌の部数伸張に取り組みました。今は、夢物語です。

 時を同じくして日本棋院が発行している「週間碁」も廃刊となります。発刊するに当たって、日本棋院側では読売の販売網に載せるか、朝日にするか、迷いに迷っていましたが、共に棋力四段の宮沢部長、中沢宣伝部長の必死の努力で、読売を蹴散らすことに成功しました。廃刊の原因は部数の低迷で採算がとれなくなったらしいのです。でも、囲碁の報道こそ大きな画面が必要です。スマホ画面は適切ではありません。棋院の上層部はナニを考えているのでしょうか? 旧知の小林覚理事長! 私なら囲碁愛好家が経営トップの会社と広告契約を交わし、廉価で販売します。将棋人口にもまして、囲碁人口は飛躍的に伸びているんですぞ! 折角作り上げた朝日の販売網を末永く使わない手はありません。囲碁は今後世界的なゲームになっていくのですぞ! 

 いま、紙を媒体とする企業のほとんどは、縮小均衡を迫られています。朝日新聞とて同じです。中村社長は先人が積み上げた苦難の歴史を、いとも簡単に切り捨てようとしています。捨てることなら誰でも出来るのです。週刊朝日といい、週間碁といい、これの構築に汗水垂らして築き上げた先輩の達の努力を何と思っているのですか!!!

2023年5月27日   信州、信濃の大恥さらし                           長野県北部の善光寺平を、長野電鉄で志賀高原に向かって行く途中に信州中野という市があります。その市の市会議長の息子の青木某が、二人の女性を刺し殺し、駆けつけた警察官に銃を向けて発砲し、二人を銃殺した上、自宅に立てこもり、逮捕されるという事件が起きました。何とも悍ましい事件です。

 しばらく前にはこんな事件がありました。南信の塩尻の大きな酒造会社の息子が自分の妻を夜陰に乗じて刺し殺す、という事件です。この男は慶応大学卒業後、親の七光りのもと、県会議員になり、その日は長野市にいたにも拘わらず、夜陰に乗じて塩尻の自宅に戻り、妻を絞殺した後、何食わぬ顔で長野市に戻っていました。何とも悍ましい事件です。

 長野県は、一昔前は、教育県と言われていました。信濃教育会という他県にない組織があり、立派な先生方が「人の生きる道」を教えていました。しかし、こんな事件が二つも起きては、教育のあり方が問われても当然でありましょう。進学率を競うあまり、最も基本的な「人の命の大切さ」、「善悪の判断力」についてなど、生きる上での基本的な教育がなおざりにされてきた結果がこの恥さらしな殺人事件に繋がった、と見ていいのではないでしょうか!

 この二つの事件の発生は、長野県の教育が、人が生きる最も基本的な原理原則を教えてこなかったことに由来するのではないでしょうか。長野県は大恥を全国に向けて晒しました。せめてもの願いは、4人を殺した市会議長の息子が、我が母校長野高校の卒業生ではないことです。とはいえ、私は今、全国民向かって恥ずかしい気持ちで一杯です。

2023年5月26日    松本牧師のこと                                    タイ・チェンマイに滞在中のこと、イスラエルへの団体旅行に参加しないか? という呼びかけがシンガポール日本語教会からありました。私を含めて4人が参加を申し出、費用一人20万円を振り込み、深夜のテレアビブ行きのイスラエル機にバンコクから乗り込み、25人の団体に合流しました。そのとき始めて松本善彰・正子牧師夫妻にお目にかかりました。と同時に、日本各地からの教会団体がエルサレムのホテルに集まり、会議が開かれました。会議の中心は関西地区で有名な中川牧師でした。主な議題は「メシアニック・ジュウ」についてでした。

     エルサレムの「嘆きの壁」前の広場に集まる人々は曜日によって違います。金曜日がイスラム教徒、土曜日がユダヤ教徒、日曜日がキリスト教徒です。ユダヤ教徒は原始キリスト教の流れをくみながら、経典は聖書ではありません。紀元350年頃に作られた「タルムード」が経典です。ところが、近年、ユダヤ教徒がキリスト教徒に改宗するユダヤ人が多くなりました。この人々を称して「メシアニック・ジュウ」と呼びます。ホテルでの会議の主題は、このメシアニック・ジュウに関する現状分析と展望でした。 

 中川牧師の講演のあとが、松本牧師でした。美事な分析と将来の展望でした。約10日間、イスラエル中をバスで移動しましたが、要所、要所で松本牧師の講義がありました。その松本牧師の蘊蓄の深さには心を打たれました。

 その松本牧師は帰国後、日本各地を講演していたのでしたが、激務がたったのでしょうか、脳内出血で倒れてしまいました。夫人の正子さんの嘆きはいかばかりであったでしょう。何しろお二人は、鴛鴦夫婦のように、どこでもご一緒でしたから。イスラエルで10日間ご一緒させてもらい、牧師としての松本先生の人となりにはいたく感激した者の一人として、先生の一日も早いご快癒を祈るばかりです。

2023年5月25日    少子高齢化                                    今日の新聞報道にによると、国の少子高齢化対策で、思い切った議案を政府は国会に計るそうです。それは、従来の児童手当を増額して、高校生まで広げる、というものです。生まれた月に始まって、高校卒業の3月まで毎月1万円、国からもらえる、と言うのです。概算すれば、一年で12万円、高校卒業は18歳ですから合計すると216万円。いやはや、大変な数字です。しかし、思い切った施策でもあります。

  児童手当を支給している国は、世界では限られています。イギリス、フランス、ドイツ、スエーデン、イタリア、スペイン、カナダ、シンガポール、そして、韓国が(8歳まで)入ります。世界には180以上の国がありますが、ほとんどの国には児童手当はありません。超大国であるアメリカ、中国、ロシア、インドなど影も形もありません。それだけに、今回の決定は「思い切った施策」と言えるでしょう。大きな財政負担を国は強いられるでしょうが、日本は高齢化が進んでいる上に、子供の数が激減している国なのです。時宜を得た施策と言えるでしょう。もしこれが通れば現政権への支持は確実に上がるでしょう。岸田政権を国民は見直すこと必定でしょう。

 2023年5月24日    コシアブラ                                 4月から5月にかけて、東北地方の市場では山菜が山と積まれます。その種類は多く、いかに山菜好きの私でも、未だ、賞味していないものも沢山あるようです。秋田の市場へ行ったときは驚きました。採れたての山菜が、各売り場に山と積まれていました。ふきのとう、こごみ、タラの芽、野蒜、行者ニンニク、わらび、ゼンマイ、草ソテツ、ヤマウルシ、クレソン、そして、山菜の女王といわれるコシアブラ、、、、それに忘れてはならないのが、山菜の分類には入らないかも知れませんが、タケノコ。それも京都の錦小路でしか手に入らない小倉山の白タケノコ。小柄だけども飛びきり味がいい。これを求めるためにだけで錦へ行ったこともありました。

 故宮沢君の山荘が山梨県清里にあったころ、二人してそこのゴルフ場の会員でもあったので、春先には頻繁に行っては、帰りには「コシアブラ」抱えて帰京していました。熱いご飯と共に食べると、タラの芽以上の美味でした。長野高校を同期に出て新聞社の販売局に入った四人、日経新聞の山崎、信濃毎日の内山、そして朝日の宮沢、中沢。どれだけの回数、清里ゴルフ場で戦ったでしょうか。その宮沢君も物故、続いて3年前には山崎君もあの世へ。内山、中沢はまだ生きていますが、二人ともラウンドする脚力はもうありません。

 しかし、いま、清里へ行けば、コシアブラは昔と変わらず、山をなして売られていることでしょう。ああ、コシアブラに会いたい。

2023年5月23日   語学の大切さ                                   広島でのG7サミットは、さしたる事故や問題もなく終了し、各国首脳はそれぞれ帰国し、今は静けさが支配しています。中国とロシアを除く、世界の国々の首脳が日本に集まり、それぞれ、相手の顔を見ながら議論談笑しあったのは、開闢以来、初めてのことではないでしょうか。接待役の岸田総理は、終始和やかに、どの国に対しても分け隔てなくホスト役を務めました。

 田中真紀子元外相が、かつて、彼に付けたあだ名が「冷凍透明人間」。確とした人間性が感じられないからでありましょう。そして、石破茂を「納豆餅」としました。もし、今の総理が石破茂であったなら、この大きな会合がこのような成果を上げ得たでしょうか? ましてや菅義偉に於いておや。二人とも英語がからっきしです。僅かに河野太郎なら、この大役をこなし得たでしょう。何故なら、岸田と同じく、河野も2年間の留学経験があるからです。

 今回の会合を通じて、我々日本人のすべてが痛切に分ったことの一つは、これからの政治家は語学が出来なければダメダ!ということではないでしょうか? いまや、日本は、世界の中でも指導的な立場に置かれる国になっているのです。大国の仲間入りをしつつあるのです。いつまで経っても通訳を介して意志の疎通を図るのでは、困ってしまうのです。

 そういう観点から、今の若手の政治家、次のリーダーになって欲しい自民党の政治家を見渡してみると、誰もいそうもないことに気がつきます。ましてや野党に於いておや。その点、天皇家は優れています。昭和天皇も、上皇様も、今上天皇も、お若い時にイギリス留学をなさっています。政治家たるもの、利権争いはいい加減にして、語学習得に精を出して貰いたいものです。

2023年5月22日   我が愛車                                             ホンダデイーラーから、一週間ぶりに「車検が終わりました」という連絡があったので、代車に乗って我が愛車を受け取りに行きました。この間、乗り回したフィットは実に優れた車で、先ず、第一にエンジン音がしない、全く静か、危険が少しでも近寄ると自分で回避しようとする、精密なナビを備えている、音響設備も完備している、ETC、、、スッカリ気に入ってしまった末の我が愛車との対面でした。いっそのこと買い換えようか、いやいや、それでは申し訳ない、と思いながらも、フィットの値段を聞きました。約170万円。中古でも5,60万円。買えない値段ではありません。とすると、我が愛車はどうなるか? 恐らく廃車になるでしょう。鉄くず屋に二束三文で売られるでしょう。数々の思い出につまった私の分身が、粉々にされてこの世から姿を消すのです。

 私にそれが堪えられるでしょうか?堪えられそうもない私がいます。性能がいいからといって、古いものを捨て、新しいものに乗り換える気には到底なれないでいるのです。エンジン音が大きくたっていいではないか、性能が古くてもそれはそれで希少価値ではないか、車は走ってさえくれればいいではないか! 思えば私の運転寿命もあと数年。あと10年生きるならともかく、ここで性能の良い車に買い換えてどうするんだ!

 自分で自分を無理に納得させながら、愛車のハンドルを握って戻ってきました。

2023年5月21日   ゼレンスキー(2)                                             気にしていたゼレンスキーさんの服装ですが、背広にネクタイではなく、いつものシャツまがいの服装でした。ただし、襟がついていたので、かろうじて非難を免れるでしょう。昔、去る名門ゴルフクラブのダイニングへ襟なしのシャツ姿のまま入ろうとしたら、マネージャーに咎められ、ナフキンでエリを作らされ、「なるほど」となったことを思い出します。

 彼は精力的に、しかし、緊張した面持ちで各国首脳と会談を重ねています。念願の戦闘機の供与も、イギリスがOKを出したようです。集まった各国首脳が堰を切ったように援助を申し出ている様子、今回の3日間のGサミットはウクライナにとっても絶好のチャンスとなりました。恐らく、彼も原爆資料館へ行くでしょう。そして、核攻撃の実際の悲劇を目の当たりにするでしょう。ロシアのプーチンが苦し紛れに核のボタンを押した場合の、キーフの惨状を脳裏に描くでしょう。相手をそこまで追い込んではならない、と悟るでしょう。

 国民学校2年生の時、母親と共に長野の母親の実家にお世話になっていた8月の始め、広島と長崎に新型爆弾が落とされ、街中の人が、皆、死んだ、これで日本もお仕舞いだ、という、大人達のヒソヒソ話を小耳に挟みました。あれから80年、世界の核保有国は年々、数を増やしています。北朝鮮はおろか、ミャンマーまで所有している噂があります。

 その意味で、今回、世界の大きな集まりが広島で行われた意義は、計り知れないぐらい大きい、と私も思います。聞くと見るとでは大違いです。各国の要人が原爆資料館を訪れ、その実際を目にしながら、互いの協調を心に留め、そして政治を行えば、やがては、ロシアも、中国も同調してくるでしょう。

 各国の要人の寝食をお世話をした皆さん、警護にあったった皆さん、そして町を挙げて要人達を迎え入れた広島の皆さん、本当にお疲れ様でした。ありがとう。

 

2023年5月20日   ゼレンスキー                                             昨日から開催されている広島のG7サミットは、今日が中日です。新聞を始め、あらゆる報道はこのニュースで持ちきりです。今日の一面は原爆ドーム前の平和記念公園での女性二人を含む9人が献上した花輪と共に、一列に並んだ写真が大きく掲載されています。感無量を覚えたのは私だけではないでしよう。加えて、ウクライナのゼレンスキー大統領が来日し、この会合に直接参加する、との発表もありました。当初はオンライン参加とありましたのに、直接来日することになったのです。世界中からのどよめきが聞こえるようです。

 ゼレンスキーさんはキエフから60キロ離れたクルヴィーイ・リーフの生まれで父親はドネック貿易研究所の研究者、母親はエンジニアというIT関係者の家に生まれています。キエフ国立経済大学を卒業後、彼は、何故か、コメデアンヘの道を選びます。一介の役者が大統領になるコメデイを演じて国民の大喝采を浴びます。そして、それが現実になったのです。家に戻れば、二人の息子と娘の父親でもあります。一方、彼の一族はユダヤの血を引いているとも言われています。

 さて、下世話な興味は、彼がどんな服装でこの会議に臨むか?です。背広にネクタイの普通の写真も出回っていますが、戦時中であるにも拘わらず、彼は黒いシャツ一枚の姿で飛び回っています。常人には考えられない服装です。もし、黒シャツ姿で会議に臨むとしたら、それは非礼に当たるでしょうか?興味津々で見守っているところです。

2023年5月19日   ドリアン                                             「果物の中でナニが一番好き?」と、問われたら、私は即座に「ドリアン」と答えます。何故か、日本の市場には出回っていません。台湾、タイなどが本場です。強烈な匂いを発するため、ホテルへの持ち込みは禁止されています。タイの路傍には屋台が出ていて、立ち食いすらできるのに、何故か、日本では千疋屋以外では売られていません。不可思議千万です。不思議なことに、ドリアンはアルコールとの併食を嫌います。それを知らずに、あるとき、ワインを飲みながらドリアンを食べました。しばらくして、強烈な違和感が体中を駆け巡り始めたではありませんか! 救急車でバンコク病院へ護送されました。2泊3日、看護されました。確か8万バーツ請求されましたが、海外保険に入っていたのと、日本の保険との両方からお金は戻ってきました。

 台湾へ行ったとき、ドリアン一個を厳重に包んで、スーツケースに忍ばせ持ち帰ったことがあります。馴染みの新橋の飲み屋さんへ持って行って、丸山さんを囲んでみんなで食べようと目論んでいたのでしたが、あらかじめ電話をすると皆さんが迷惑するから止めてくれ、とのつれない返事。仕方なく、大宮の次男一家のところへ持って行きました。2人の男女の孫を喜ばせようと思ったのですが、次男が包丁を入れるや、強烈な匂いが立ちこめました。孫の2人は「臭い!」と言って自室へ逃げていってしまいました。

 今日、そのドリアンを食べながら午後のお茶をいただきました。タイからの客人のお土産です。それは生のドリアンではなく、袋に入ったカリカリの乾燥ドリアンです。生のものには及びもつかないが、それでもドリアンはドリアンです。有り難くいただきました。

2023年5月18日   プーチンの頭の中                                             今日は久しぶりに有楽町へ出ました。古巣のあったマリオン11階の朝日ホールで開かれる朝日新聞社旧友会総会に出席するためです。時間を30分取り違えたため、会場へ入ったときは中村社長の社業説明の時でした。前の渡辺社長は、どちらかと言えばおっとり型でしたが、中村社長は敏腕型で、余り、好感は持てないけれど、紙による情報伝達手段が、日に日に退潮している昨今、なかなかやるなあ、という印象を受けました。そして、またしても新聞代の値上げです。ただ、朝日新聞の強みは全国に不動産を持っていることでしょうか。全国に自社ビルを所有する傍ら、有楽町のマリオンも西武に貸しています。大阪も、博多も、名古屋も、北海道そうです。また、全国に社有店舗も沢山持っています。先人から受け継いだ賜でありましょう。しかし、紙による情報手段の衰退は、この先、留まるところがないでしょう。どこまで持ちこたえられるか? 思えば、私は、紙文化の絶頂の時に在社させて貰ったのでした。

 続いて、「ウクライナ危機を考える」として、論説委員の駒木明義さんの講演と質疑応答がありました。彼は元モスクワ支局長で、テレビなどで引っ張りだこの人材です。大型スクリーンによる図解で説明されました。焦点はプーチンの言動の推移を時系列で捉えた解説でした。

 彼にとって、ウクライナは自国領以外の何者でもなかったのです。確かに、ソ連邦時代はその通りでした。そのウクライナがゼレンスキーに替るや、西欧諸国に色目を使い出し、NATO諸国の一員になろうとし始めたのです。NATOとはロシアの脅威を意識して結成された組織です。その時点から、プーチンの言動が替わり始めます。駒木講師はその変化を、彼の言動の中から巧みにあぶる出していきます。事実関係だけを中心に話は進められ、いいのか、悪いのか、今後どうなるか、どうなるべきか、などについては一切触れませんでした。事実のみを正確に捉えることのみに重きを置いた、ある意味では新聞記者らしい講演でした。ロシアの敗北を願っていたに違いない朝日の旧友諸氏にとっては、拍子抜けの講演であったでしょう。

 いつもなら、この後は立食形式で懇談会があるのですが、既に、コロナ禍で三年が経過しているのにそれもなし。拍子抜けして帰路につきました。

2023年5月17日   韓国の教科書                                             韓国人の日本に対する怨念は1000年続くと言われています。反日運動を国を挙げて展開した朴ウネ女性大統領、文在寅大統領の10年は正にそれでした。ユンソンニョル現大統領になって、漸く、その弊害に気づき、なんとか復元しようと躍起ですが、国民のほとんどは、それに同調する気配を見せていません。何故でしょうか? その大きな原因の一つが韓国の国定教科書にある、と私は推測します。

 調べて見ました。韓国の教科書の現代史は1945年からの約70年間の記述に遡ります。日本に関する記述は数ページのものもあれば、数十ページに亘るものもありましたが、記述の中心は日韓基本条約、慰安婦問題、独島問題の三つです。植民地時代に、日本が行ったインフラ整備、つまり、電気、水道、下水処理、道路、都市計画など、全くといいほど触れられていません。加えて、韓国のお寺の仏像を、日本が盗んでいったものを、最近、取り返したといういわば下世話な記述までもが、大真面目に取り扱われている始末。

 ああ、これでは日本との関係は100年経っても変わらない、日本憎し、とすり込まれた感情は、1000年経っても変わらない、変わるはずがない、と深いため息をつきました。

 最近の10年、韓国は嫌日運動を国家ぐるみで展開し、アメリカと日本から離れ、北朝鮮と中国にすり寄る姿勢を貫きました。しかし、北朝鮮は相手せず、中国も経済悪化により、韓国を助けるどころではなくなりました。日本自体も「あ、そう、なら勝手にすれば」と突き放しました。「其れではならじ」と、立ち上がったのが現ユンソウニョル政権です。でも、この政権は不評です。国民の多くの支持が得られず苦戦を強いられているのです。

 私は思います。韓国の生きる道は、アメリカとも北朝鮮とも中国とも、とりわけ日本とも、仲良くしていく両面作戦で行くべきだ、と。それには先ず、真っ先にやらねばならないのが、広い視野を持つ教科書に改訂することから始めるべき、だと。

2023年5月16日    富士山(その2)                                    朝起きて、カーテンを開けてビックリ、山中湖の向こうに富士山がその全貌を現しているではありませんか。空は抜けるような青空、山頂から三分の一ほど、既に雪化粧しています。雲一つありません。慌てて展望室へ行って、写真に収めました。今日の計画は5合目まで車で登り、その後、芝桜が咲き乱れるお花畑へ行くのです。有料道路周辺は緑の大洪水です。2合目、3合目になるにつれ、緑は芽吹きの状態になります。ジグザグの道を上りきった5合目辺りが森林限界のようでした。

 朝日へ入社したての頃、時の局長(陸士出)の肝いりで、富士自衛隊に体験入隊させられて、富士山へ登ったことがあります。雨の中の強行登山でしたから、すべて、視界不良で、辛かった記憶だけが残っています。

 有料道路終点の5合目は、観光バスなどで大賑わいでした。ほとんどがそれと分る外国人。しかし、眺望は絶景そのもので、南アルプスの薬師三山、北岳など、指呼の間。右手に八ヶ岳連峰。そして、遙か奥手に北アルプスが見えました。山の名前までは確認できませんでした。機会があれば、もう一度登りたいものだ、と思いはしても、少しの距離を歩くにも、息切れを覚えるザマでは無理というものでしょう。

 再び、緑の中を下って途中から左折し、富士桜ゴルフ場の脇から芝桜が咲き乱れる公園へ向かいました。このゴルフ場は山本富士子・山本武晴夫妻が会員でした。2人は近くの別荘に移り住んで、ゴルフ三昧の日々を送っていましたが今はどうなっているでしょう。  

 芝桜公園も観光客で大賑わいでした。ここから見る富士山も格好が良く、歩き回るのをやめて、一時間あまり、富士山と睨めっこしていました。時々、雲がかかっても、直ぐに消えてしまう動きを、明かず眺めていました。実に、実に、幸せな時でした。

 富士吉田へ降りてきて、「回転ずし」を探し当て入店しました。客人は、召し上がるは、召し上がるは、勧め上手な私につられて、空の皿がうずたかく積まれました。回転ずしで1万1千円払ったのは後にも先にもはじめてでした。

2023年5月15日    富士山(その1)              

 丁度、車検の時期とぶつかり、旧車を預けると共に、代替えの新車で、今日から一泊二日の予定で富士山麓へ向かいました。運転は畏友堀田さん。タイ・チェンマイをお出でになり、12日から家の二階にお泊まりいただいている51歳と29歳の親子娘、たっての希望の富士山行きです。彼女たちは13日はデズニーランド、14日は渋谷、浅草、スカイツリー、17日には仙台、そして青森、その次は堀田さんの弟さんがいる函館、そして札幌からチェンマイに戻る予定だそうで、富士山はこの日本の旅のハイライトにもなるはずです。

 ところが生憎のお天気。雨模様でおまけに寒い。大月分岐から富士吉田へ入っても、富士山は姿を現しません。町に入り、スマホのマップを頼りに住宅街の外れの小高い丘に案内されました。大きな駐車場があり、100台以上の車が留まっています。見るとほとんどの車が「わ」印。レンタカーです。降りてくる人たちはみな外国人。堀田さんの説明によれば、この小高い丘の神社から見る対面の富士山が見応えがある上、お札を貰うと霊験があらたかになる、と海外の案内書にあるそうで、世界的に有名になっているそうでした。住宅街の狭い道路は車、車、車で、ここの住民は「こんなはずじゃなかった」と嘆いているかも知れません。

 山中湖畔のホテル「秀山荘」の夕食はなかなかの品ぞろえでしたが、タイからの客人は、日本間で過ごせることを、殊の外、喜こびました。

2023年5月14日    広島サミット              

 いよいよ、19日から三日間、世界の首脳が広島に集まります。岸田総理は昨日、足早に広島入りし、各会場をみて歩きました。準備は万端のようです。

 イタリアからはメローニ、カナダはトルドー、フランスはマクロン、アメリカはバイデン、イギリスはスナク、ドイツはショルツ、そして日本の岸田。唯一の女性はイタリアのメローニです。ただ、そのほかにEUの女性代表がいます。ミッシエルとライアンです。ただ、今回は招待客が多い。オーストラリア、ブラジル、アフリカ連合、インド、インドネシア、韓国、ベトナムなどです。会場のグランド・プリンスホテルは大賑わいとなるでしょう。そして、全員が全員とも、広島原爆資料館へ行くでしょう。生々しい傷跡が、観る者の心を揺さぶるでしょう。

 九州小倉の西部本社に赴任しているとき、持ち回り責任者会が広島で行われグランドホテルに泊まってそこへ訪れたことがあります。涙、涙でぐしょぐしょになって出てきました。堪えられるものではありませんでした。出てきて、物陰に隠れて、思い切り泣いた記憶が鮮明です。

 折から、ロシア・ウクライナの戦況はロシア劣勢の気配が伺われます。もしかすると、プーチンは核のボタンを押すかも知れません。だから、G7の皆様に申し上げたい。今からでも遅くないから、ロシアのプーチンをオブザーバーとして呼んで欲しい、と。原爆資料館を見せて欲しい、と。ウクライナの首都キーウが広島になる前にそうして欲しい、と。(写真手前が原爆ドーム。その左がグランドホテル)

2023年5月13日    人の顔              

 人は皆、この世に生を受けるときは実にいい顔をして生まれてきます。その天真爛漫な顔が時間が経つにつれ変化していきます。関西吉本のお笑い・松本人志もデヴユーの頃は素直ないい顔をしていました。朝日新聞社が彼についての単行本を2冊も出したほどです。ところが今はどうでしょう。色の悪い顔はしわだらけ、おまけに髭を生やし、目をぎょろつかせ、ヤクザの親分そのものです。相方で今はプレバトの名司会者、浜田の方がマシになりました。キット吉本の親分を気取りだしているのでしょう。親分気取りといえば、吉本の旧い漫才師カフス・ボタンのコンビもそうでした。晩年は堪えられない嫌な顔になっていました。逆に、歳を重ねるにつれいい顔になっていく例も沢山あります。さしずめ、加山雄三などその典型でしょうが、数は極めて少ないといえます。

 一方、学者や芸術家の場合は目白押しです。世間の評判や思惑など、一切、眼中になく、自分の思うままに生き抜いた人間の顔には何かしらの威厳が伴います。古今東西、東洋西洋、どれだけ多くの「いい顔」の人々が存在したでしょうか!

 ところで、今現在、「いい顔の典型」は野球の大谷翔平ではないでしょうか。いつ見ても、実に清々しい顔をしています。世界的に有名になっているのに、それに奢ることなく、実に淡々と球団関係者やファンと接しています。その人間性をファンは讃え、更なる人気を呼んでいるのです。相変わらず、グランドのゴミを拾い、子供達へのサインを嫌な顔ヒトツぜず、せっせと淡々と繰り返しているのです。同じ日本人の1人として誇らしい気持ちで彼を見据えています。

2023年5月12日    バラが咲いた           

 バラの最盛期は6月、と思っていたら、あちこちの垣根のバラが満開です。ということは、神代植物園のバラも最盛期を迎えているのではないでしょうか。一昨年、コロナ禍の最中、ネットで申し込み、番号を貰って入園しました。そして、広大なバラ園の中に入り浸って、素敵な時を過ごしました。あらゆる種類のバラが咲き誇っていました。中には青いバラもありました。栽培不可能と言われた新種だそうでした。神代植物園へは、上井草から吉祥寺へ出て井の頭通りを直進すれば直ぐです。それなのに、行こう、行きたいと思いながら今日に至っています。バラ園の一角には売店がありました。ミニバラを含めて鉢植えを購入し、ベランダに置いたまでは良かったが、植物への思いやりが欠けている私のせいで、冬を越すことが出来ませんでした。そういえば、神代植物園の一角に、ソメイヨシノの古木が9本、それはそれは美事な花を咲かせるそうです。今年こそ行こう、と思っている内に葉桜を迎えてしまいました。思い立ったが吉日という古語が、私の場合通用しないのでしょうか。

 2023年5月11日     3兆円           

 売り上げが3兆円でも驚きですが、営業利益だけで3兆円を越す日本の会社が出現しました。日本の会社の歴史始まって以来の出来事であり、快挙です。その会社は、今年の売り上げ33兆円見込む自動車の「トヨタ」です。トヨタは名古屋の豊田佐吉が興した自動織機の会社から始まりました。泉下の佐吉さんもここまで伸びるとは想像だにしなかったでありましょう。

 30代の始めに免許を取り、最初の車は日産ローレルでしたが、トヨペットに替えたこともあります。家族5人で出かけるには丁度良い座席の広さでした。その後、再び日産に戻りましたが、30年前からホンダ一辺倒です。今のフィットは25年前のものです。一度として故障したことはなく、また、駐車違反を除いて事故を起こしたこともありません。

 しかし、私も来年は87歳。池袋で重大事故を起こした会計検査院の院長と同じ歳です、今年の1月、免許の更新には通りましたが、そろそろ返納の時が迫っているのを自覚しています。そこで問題になってくるのが自動運転車です。アクセルとブレーキの踏み間違いはないでしょう。最も、器械を信用しての話ですが。世間の噂によれば、この自動運転車についてはトヨタが一歩先んじているとか。とすれば、今のホンダ・フィットからトヨタに乗り換える日も間近に迫っているのでしょうか?

2023 年 5 月10日   戦争記念日        

 昨日は、ロシアにあってはナチスドイツに勝利した戦争記念日でした。「誰が悪を撃退し、欧州の人々のために命を惜しまなかったかを忘れている」と、プーチンは自賛し、ロシアへの敬意を要求しました。徹底した弾圧でウクライナ侵攻への反対を封じ込めるだけでなく、響きの良い言葉で、愛国心を盾に反論を許さない政権の姿勢を示したのです。

 顧みれば80年前の日本も同じでした。軍部が台頭し、神国日本を標榜し、大東亜共栄圏の旗印のもと、アジアの周辺諸国を苦しめました。強大な軍事力のもと、日本はアメリカに屈しましたが、日本に打ち勝ったその日をアメリカが記念日にしているでしょうか? 更に言えば、ヒットラーナチスドイツを壊滅させたのは、アメリカ、イギリス、フランスなどの連合軍です。当時のソ連は、日本の敗色が濃厚となった8月1日、日本との相互不可侵条約を一方的に破り、一万の大軍で日本の支配下にあった満州に攻め入り、略奪の限り尽くしたのみならず、千島、樺太、北方四島を占領し、何度も返還交渉があったのに、今もってそのままです。

 翻って考えるとき、当時の日本国民は戦争を望んだでしょうか? ロシア国民にとって、ウクライナ侵攻は、それを欲していたでしょうか? 否です。断じて否でしょう。国土の拡大など、日本国民も、ロシア国民も望んでいなかったでしょう。それにも拘わらず、戦争を抑止出来なかったのは、国民が声を上げなかったからです。軍部の台頭を許したからです。プーチンの独裁政権を22年間も放置してきたからです。日本国民はそのことを肝に銘じて、平和な民主主義国家を作り上げました。今度はロシア国民の番です。窮したプーチンが核のボタンに触れる前に、NATO諸国が大攻勢に転ずる前に、ロシア国民は自分たちの国をなんとかしなければなりません。

2023 年 5 月9日  立ち食い寿司      

 5月も10日近くとなり、東京は晴天が続いていますが、東北では雪が舞っているところもあり、気候は乱調気味のようです。今日は、滞在中の畏友堀田さんを伴い、阿佐ヶ谷駅改札口側の「立ち食寿司千代田」へ行って、目の前で握って貰い、堪能してきました。思えば、学生時代は貧乏そのもので、100グラム30円の豚肉に手当たり次第の野菜をぶち込んで、炒めて口に運ぶ生活でしたから、寿司などは全くの高嶺の花で、口にすることなどほとんどありませんでした。それがどうでしょう。有楽町の朝日新聞に入社し、外勤担当社員になるや、毎晩のように寿司にありつけるようになったのです。銀座四丁目からかちどき橋に続く晴海通りを挟んで、朝日の社屋と日劇の向かいがニュートーキョウのビルです。その横町に「花柳」という寿司屋がありました。そこの一室が何時からそうなっていたのか、朝日の販売外勤担当社員のたまり場になっていました。しかも、ナニを飲んでもナニを食べてもサイン一つで店を出てきていいのでした。部の次長が部費で払ってくれるのでした。ただ、古参の先輩のご託宣を聴かねばならない苦痛も同居していました。

 社屋が築地に移ってからは、そこは寿司屋が目白押しです。市場の場内・場外、寿司屋だらけです。「江戸銀」という寿司屋を贔屓にさせて貰いましたが、会合費は既に割り当制になり、野放図に使うわけにはいかなくなっていました。その代わり、東日本各地の名代の寿司やを訪れる機会に恵まれました。

 感動したのは岩手県の前沢で食べた前沢牛のトロずしでしょうか。そして、山口県長府のフグずし、博多吉岡のハタずし。熊本の馬肉のトロずしも絶品の一つです。長年に亘って、ヨーロッパ、オーストラリア、アメリカ東南アジアを旅してきましたが、日本の寿司のような食べ物にありつくことはありませんでした。今日もその幸せを噛みしめながら「日本ならではの味覚」を堪能させて貰ってきました。

2023 年 5 月8日  シャトル外交      

 この連休中、岸田首相はアフリカ諸国を歴訪していました。何でまた、不毛のところへ日本の金をばらまきにいくのだろうと、不快な思いでいたところ、彼は最後に韓国へ行き、ユンソンニョル大統領と固い握手をかわし、今後の交流を誓い合いました。かつ、今月開催されるG7への招待を明確にし、揃って広島の韓国人墓地へ詣でることを決めました。これは評価されていいでしょう。何せ、12年ぶりの快挙であります。前々女性大統領だった朴槿恵は、日本の悪口を世界中に広めて歩きました。「告げ口外」と揶揄されました。次の文在寅は国を挙げて嫌日運動を展開しました。彼の古里は今は北朝鮮の領土内にあります。北朝鮮とも歩み寄り、アメリカを排除し、中国寄りの政策を採り続けました。日韓の交流は途絶え、日本女性は、あれほど熱を上げていた韓流から冷めてしまいました。日本全体が「勝手にすれば」と、韓国を見限ったのです。韓国経済は泥沼と化しました。日本の協力がなければ国が立ちゆかなくなることを、改めて、痛烈に知ったのです。その結果の政権交代です。朴槿恵・文在寅の10年間は一体何だったのでしょう? 世界各地の慰安婦像は、撤去されつつあります。それぞれの団体の金儲けの実態が次第に明るみに出るにつれ、韓国の民衆の気持ちも変わってきたようです。10年ほど前にある韓国の学者が書いた「嫌日種族主義」という日本でベストセラーになった本は、韓国では酷評されましたが、いま、韓国でも多くの人に読まれ始めているようです。

 時が移り、憎み合っていてはナニも生まれないこと知ったい以上、両国民は昔以上の交流をしたいものです。そして、軍備一辺倒の北朝鮮を、戦争ではなく、政治の力で普通の国に戻し、南北が一緒の大韓民国になることをアメリカ、日本、韓国が協力して作り上げて行きたいものです。岸田総理の今回の訪韓をその第一歩としたいものです。

2023 年 5 月7   戴 冠 式      

 昨夜の7時頃から、地球儀で見れば日本の裏側のイギリスで、チャールズ国王、カミラ王妃の戴冠式が行われました。未だに王制が引かれている国は世界でも希で、世界各国の要人が参列し、日本からも天皇名代として秋篠宮・紀子妃が出席しました。戴冠式とは国王に即位するその象徴としての王冠をかぶる儀式です。その王冠は2800個のダイヤの他、アメジスト、サファイヤ、ガーネット、トッパーズ、トルマリンで彩られた、かなり重いものだそうです。一方、カミラ王妃のかぶる王冠も重さは少し軽いだけで、世界の宝石に彩られているのは一緒のようです。

 チャールズ国王とカミラ王妃、王冠をかぶったときの気持ちはどんなでしょうか。二人のなれそめは20台前半。女性の方が積極的だったのは何時の世でも同じです。しかし、チャールズはダイアナ妃と結婚し、カミラは陸軍大尉と結婚し、それぞれ二人の子供を授かります。が、しかしです。チャールズの方がカミラに執着します。ダイアナは悩みに悩みます。1995年チャールズはダイアナと離婚します。カミラも翌年、二人の子供がいるのに陸軍大尉と離婚します。おまけに離婚したダイアナは世界的人気を独占しながら、パパラッチに追われ地下道で自動車事故死します。チャールズとカミラの交流が激しくなりました。エリザベス女王はそれを嫌いました。二人の結婚式に出席しなかったのはそのためです。しかし、時が経つに連れ、エリザベスのカミラに対する気持ちも緩み始めます。臨終の床で「チャールズを頼む」との言葉を残したとも伝えられています。

 何はともあれ、英国王室の不倫の恋の結末が今回の戴冠式に繋がった、という歴史的に見ても希有な出来事が、今回の式典なのです。全世界の不倫実行中の皆さん、この出来事を見習って、決して諦めてはなりませんぞえ。

2023 年 5 月6日    美 人      

 近頃、東京で地殻の揺れを感じていないなあ、と思っていたら、昨日、能登半島近辺を震源とする震度6強の地震がありました。石川県から富山県の皆さんは驚いたことでしょう。震源がもう少し富山県寄りであったら、そこは、日本列島を両断しかねない巨大な破砕帯があって、大事件となっていたかも。数年前、羽田から小松空港へ飛んで、金沢へ行き、近江町市場の真ん前のホテルに投宿し、紅ズワイガニ三昧の数日を過ごしたことがあります。一日、観光バスで能登半島を一周しました。七尾から輪島に入り、太平洋側とは全く異なる越前の奥深い文化に触れることが出来ました。現役の部長で秋田、山形、新潟、富山を担当したときも感じたことですが、日本の文化は太平洋側と、日本海側では大きな、大きな違いがあることです。何故か、人間そのものの質が違うように私には思えました。気候風土の明らかな違いが長い時間を掛けて影響しているのでしょうが、太平洋側の人間は、概して開けっぴろげで、ガサツです。反対に、日本海側の人々は、控えめで、温和しく、ある意味で奥ゆかしい。下世話を承知で言わせて貰えば、日本海側の列車に乗れば、一車両に一人はすこぶる付き美人がいるのに、太平洋側では、8両編成の列車の端から端まで歩いても、一人として見つけることが出来ませんでした。これは旅ガラスであった私の偽りない実感であります。加えて、食べ物の種類の多さ、その味わいの深さ、についても日本海側に軍配が上がるでしょう。なにせ、種類が豊富です。秋田の比内鶏ときりたんぽ、そしてジュンサイ。新潟の甘エビ。富山のホタルイカ、白エビ、そして寒ブリ。越前のずわい蟹とノドグロ。近江町市場は日本一の広さを誇っている上に、そこにないものはありません。

 地震の神様に申し上げたい。願わくは、日本海沿岸の方々をこれ以上苦しめないでもらいたい。だからといって、次の順番は東京にしてもらっても困ります。しかし、しかしです。このところ東京で地震を感じなくなったからといって、直下型地震の可能性が消えたわけではありません。災害は、忘れた頃にやってくるのです。

2023 年 5 月5日     端午の節句     

 今日は「こどもの日」。昔流に言えば「端午の節句」です。男の子のいる家では、「鯉のぼり」を掲げます。緋鯉に真鯉に子供の鯉が、青空にはためきます。猫額のベランダから見渡しても、いま、そんな家は一軒もありません。かなりの田舎へ行かなければ見られない光景となりました。

 遙か昔のこと、男の子の生まれた家に「鍾馗さま」の人形を贈ろうと、問屋がひしめいている浅草橋まで買いに行ったことがあります。当時、テレビで盛んに宣伝していた「人形の久月」へ入りました。大きな店のため、まごついていると、和服に身を固めた当店の女将らしき人が近寄ってきて、何くれとなく世話をやき始めました。とびきり派手な色合いの和服の上に、近寄ってくると上等なフランス香水の香りが漂います。おまけに指にはあっと驚く大きさの翡翠の指輪を嵌めています。紛れもない本物の色をたたえた見たこともない大きさの翡翠です。

 翡翠の指輪と言えば、沖縄那覇の国際通りの宝石店を思い出します。朝日新聞への入社を前にした3月末、アルバイトで得た金を携え、鹿児島まで陸路、そこからは船で、沖縄那覇へ渡りました。使える通貨はB円のドル。乏しい財布から35ドルはたいて翡翠の指輪を買いました。惚れ惚れするいい色の翡翠でした。コザ市の料亭「浦島」に人が集まりました。主賓は沖縄タイムス社長の上地一史さん。宴の仕舞いには全員が立ち上がって踊り出しました。カチャアシとい古式だそうでした。

 そのとき以来、翡翠という宝石に関心が深まり、新潟担当の時は、日本翡翠の名所「糸魚川」で翡翠漁りもしました。それだけに「人形の久月」の女将だろう女性がこれ見よがしにしている飛びきり大きな翡翠に驚くと同時に、お客の前で宝石をひけらかす女将の不見識に腹が立ちました。そそくさと店を後にしたことは言うまでもありません。

2023 年 5 月 4 日  大賑わい     

 家の近くを走る目白道りは、連休に入ってから大渋滞の日々が続いています。関越高速道に乗るための車の大行列です。椎名町の環状六号、練馬の環七辺りから続いているから、恐れ入ったものです。行楽地はどこも、堰を切ったような車と人の群れ。中でも幕張メッセや、有明の国際展示場など、人が入りきれないほど賑わっています。そこに加えて、大勢の外国人が、さながら津波のように日本観光に訪れています。京都、奈良は言うに及ばず、彼らは新幹線に乗って岩手県盛岡へ行くそうです。なんで、盛岡なのか? それはニューヨークタイムズが「今年行くべき世界の都市」でロンドンの次に日本の盛岡を選んだからです。盛岡の隣、花巻はいま大活躍中の大谷翔平の出生地です。「彼が生まれ、育ったところを見てみたい」という願望もあるように思えます。

 いずれにしても国内の観光地は人、人、人で溢れかえっています。3年余に亘るコロナ禍から漸く解き放たれ始めた人の波がそうさせるのでしょうが、それにしても異常です。でも、喜ばしい現象でもあります。

 タイ・チェンマイの畏友堀田さんが、いま、我が家にお出でいただいていますが、旬日ならずして、チェンマイから女性お二人がおいでくださいます。富士山の五合目まで行ったり、デズニーランドで遊ぶことが予定されています。コロナから解き放たれ、喜びを爆発させている人の波の中に、私も入れて貰う積もりです。

2023 年 5 月 3 日   白州次郎    

 今日は憲法記念日。世論調査によれば、憲法改正に賛成する数字が年々、高くなってきているところに、大きな特徴があります。しかし、世界にはそれぞれの国ごとに憲法が存在しますが「戦争放棄」を謳ったものは日本国憲法だけです。そして、当時の首相・吉田茂とアメリカ・占領軍の間に立って奔走したのが、イギリスへの留学経験もあり、語学の達者な白洲次郎でありました。彼の細君はかの有名な白州正子。二人は昔でいう華族の出ではあります。正子は数々の名随筆をものす傍ら、古美術に対しても並外れた審美眼を持ち、小林秀雄らとの交流もありました。ついには、両家に婚姻関係まで生じています。

 彼らが戦時中から住んでいたのは、小田急線鶴川駅から歩いて10分ほどの小高い丘の上の農家です。わら屋根の家です。今は記念館になっていて、入場料を払えば中を見ることが出来ます。正子の書斎は北側の崖に面していて沈思黙考するにはお誂えの場所にありました。蔵書が廊下まで溢れかえっていました。正子は才人ではあっても、料理だけは不得手だったらしく、来客があると、供されるのは決まって重箱に入った「お稲荷さん」だけだったようで、来客はそれを「肴」に酒を飲んだようです。

 新憲法の起草に当たって、日本側が最後まで苦しんだのが「9条」の戦争の放棄の条項だったようです。当然、白洲次郎は家に帰って正子にも持ちかけたでしょう。女性はすべからく戦争を好みません。「戦争の放棄」という大きな決断の後ろには正子の支えもあった、と考えるのが自然でしょう。

 憲法で戦争の放棄を謳いながら、日本は嫡々を軍備を整えてきてしまいました。いまや、その軍事力は世界で7番目に位置しています。残念なことに、永い世界史の中で、戦争のなかった時代はありません。ロシアとウクライナは言うに及ばず、アフリカのスーダンでも権力闘争が激化しています。どうして人間は、かくも戦うことの好きな生き物なのでしょうか。

2023 年 5 月 2 日    銀行破綻 

 アメリカの大銀行「ファーストリパブリック」が破綻した、と今日の朝刊の一面でが伝えています。リーマンショック以来の、最大の金融破綻だそうです。金融機関の破綻はアメリカのみならず、中国でも韓国でも伝えられています。スイスの「クレデイ」までも、そんな噂の禍中にあるようで、いわんや、日本に於いておや、でありましょう。思えば、若いときから銀行融資のお世話になってきました。22坪の建て売り住宅から始まり、角地の78坪を手に入れ、それを二分してアパートを二回、母屋を二回立て替え、立て替え出来たのも昔の大和銀行、今のリソナ銀行のお陰でした。

 今の暮らしは、厚生年金と企業年金のお陰で間に合っているのですが、海外旅行の場合には、定期預金の一部を普通預金に振り替えて貰うため、年に数回、りそな銀行へ行きます。その度に驚くのは銀行を訪れる人が少なくなっていること、行員の数が激減していること、閑古鳥が鳴いているか、と思わせるほど行内が閑散としていることです。更に驚くのは定期預金の利子の低さです。超低金利を主導した日銀の黒田総裁の政策のせいもあるでしょうが、銀行はナニによって食べているのか?大きな疑問でした。

 一方中国では、不動産業界がむやみやたらに作り出した高層建築のアパートを、住民は争って買い込んだのはいいが、元金はおろか、金利までもが張り込みできず、銀行が悲鳴を上げています。韓国でも同じです。彼の国では、結婚して所帯を持つなら、一軒のマンションを所有するのが条件です。加えて、文在寅の脱アメリカ、脱日本の政策のお陰で、企業の収益は極端に悪くなり、韓国社会は就職難で喘いでいます。ということは、銀行も商売になっていない、ことを意味します。金融業界の低迷は、どうやら、世界的現象のようです。

 最近、家の近くのUFJ東京銀行がいつの間にかなくなって、更地になっていました。

2023 年 5 月 1 日    大谷翔平人気 

 凄まじいまでの大谷人気です。テレビを付ければ大谷ばかり。今朝のテレ朝の番組もそうでした。それより、何より、アメリカの子供たちに大人気です。群がってサインを求める子供たちに、彼は気さくに応じています。嫌な顔一つ見せません。ボールにサインして貰った少年の嬉しそうな顔。爽やかです、実に爽やかです。見ていてこちらまで嬉しくなります。

 大人の世界では、いま、大谷の移籍問題が取り沙汰されています。破格の値段を用意して迎えたがっている球団が目白押しとか。それも何百億円単位であるとか。しかし、大谷が属するエンゼルス球団や地元の人々は彼の残留を切望しているようです。昨年度、彼は各種の賞に輝きその度ごとに賞金を手にしました。ところが彼は、その賞金を自分の懐に入れず、球団の関係者や下働きの人々に差し出したのです。そんなことをした選手は、これまでいませんでした。彼の人気が、いやがうえにも上がった所以です。

 この先、アメリカの各球団は彼の前に破格の札束を用意して、招致合戦を繰り広げるでしょう。この先、どんな展開になるのでしょうか?

 私は彼がこのままエンゼルスに在籍して、リーグ優勝に貢献して貰いたい、と思う1人です。金に目がくらんではなりません。培われた地元球団との間柄を大切にして生きていった貰いたい、と思うのです。金よりも情に生きて欲しいと思うのです。彼の属するエンゼルスは、もともと弱小球団でしたが、彼の入団のお陰で頭角を現し始めたのです。その絆を大切にして欲しいのです。間違ってもヤンキースなどへ行かないでください。どんなに大金を積まれてもです。

2023 年 4 月 30 日    治 安 

 今、ニューヨークやロスアンゼェルスの地下鉄の治安が、最悪になっているという情報がアメリカの大きな話題になっています。ホームや列車の中の至る所に落書きがあり、糞尿は垂れ流しされ、その立ちこめる悪臭たるや、我慢できないほどだそうです。そのにもかまわず、行き所のなくなった黒人やヒスパニック系が寝泊まりしているそうです。一方、アメリカの北部の都市デトロイドは、昔、自動車生産都市として大いに栄えていました。大型で燃費の悪い車が大量生産され、世界が争って買い求めた時代がありました。そこへ、ドイツや日本からの小型ではあっても燃費の良い車が雪崩れ込みます。アメリカ車は売れなくなりました。デトロイトは衰退し始めました。そして今は? 町中のほとんどが廃墟になっています。家はあっても人が住んでいないのです。

 3億6000万の人口を誇るアメリカは、今も世界のリーダーとして君臨し続けています。民主主義とグローバル経済を標榜し、地球上に起きるあらゆる紛争には、正義の御旗を掲げて介入を惜しみません。そのアメリカが、です。治安の悪い、地獄のような地下鉄の存在を、何故そのまま放置しているのでしょうか? 理解に苦しみます。一方、このような事態を招いた原因は何だったのでしょうか? 私は思います。今でこそ制限はありますが、人間平等の精神のもと、過去にアフリカ系黒人や、ヒスパニックを無制限に入国させたことによる、と。彼らにとってみれば、幸い入国はできたものの、教育の機会は与えてもらえない、ろくな仕事しか与えてもらえない、表には決して出ないけれど、「差別が厳然と存在する社会」であってみれば、居心地の悪さは例えようもなかったでありましょう。

 私は思います。「アメリカの欺瞞が、いま、剥がれつつあるのだ」と。そして言いたいです。世界の紛争に頭を突っ込むより、自分の足下のニューヨークやロスの地下鉄の正常化にこそ取り組んで貰いたい、と。

2023 年 4 月 2 9 日    タスマニアデビル

 今日からゴールデンウイークが始まります。と言っても、毎日が日曜日の私にとって、特別な感慨はありませんが、その時々の記憶だけは鮮明に残っています。あれは三男が、オーストラリアのメルボルンに語学留学していたときです。連れ合いと母親の3人で、このゴールデンウイークを使ってメルボルンまで行きました。成田で一泊し、シドニーで国内線に乗り換え、メルボルンについたのは12時間後でした。幸い、時差は2時間ほどです。フェアリーペンギンが群生する海岸へ行って、海から上がってエッチラオッチラ崖の中の巣へ戻るパレードを見たり、町中を走るレストラン付き市内電車に乗ったり、紅葉が始まっている山の中を観光トロッコに乗ったり、豪華な中華料理を4人で堪能したりしました。何故か、ご当地には中華風以外、これといった美味しい料理はありませんでした。ほとんどが、茹でたり蒸したりした肉や野菜にドレッシング掛けて食べるものばかりでした。なぜ、ご当地にはフランス料理のような手の込んだ食べ方が普及していないのか、大いなる疑問でした。ただ、ワインとチーズだけはいいものが格安な値段で手に入りました。

 最も印象に残っているのは、4人で一日かけて遊んだ動物園です。母親もつれ合いも、コアラに夢中になりました。三男はカンガルーに見とれていました。私はタスマニアデビルでした。メルボルンの南極寄りにタスマニアという小さな島があります。この島の生き物の王者が、一見、狸のようだが、凶暴この上もない生き物だというのです。見るからに凶暴そうな顔つきです。しかも、タスマニヤだけに生息している悪魔のごとき生き物だそうでした。

ゴールデンウイークになると、決まって脳中に去来する懐かしい思い出です。

2023 年 4 月 28日    京王線

 今日は、久しぶりに練馬から大江戸線で新宿へ出て、京王線に乗り換え、東府中の「谷崎循環器クリニック」へ行きました。通い始めた「九段坂病院」の診断についてご意見を伺うためでした。30年ほど前、女子医大に隣接されていた榊原心臓外科で、私は谷崎医師の執刀のもと、不整脈のアブレーション手術を受けたのでした。先生から色々ご助言をいただきましたが、先生は最後におっしゃいました。「いま、罹っている医者を信じなさい!」と。「なるほど」と思わされました。

今日書きたかったのは、実は、そのことではありません。 電車についてです。 電車の騒音についてです。 京王線は明大前辺りまでは、高架線や地下を走っているので騒音は左程ではないかも知れません。 しかし、八幡山から調布辺りまでは密集した人家の中を走ります。 手を伸ばせば民家の屋根に届きそうな中を、京王線は特急・快速・普通の10両連結が、およそ、2分間隔で、轟音を立てて走り抜けています。 しかも、朝早くから夜遅くまで、休日だからといって電車は休んではくれません。 線路の周辺の人たちは、どれほどの迷惑を受けていることか! その上、電車の往来は2分間隔ですから、踏切など、年中、「開かずの踏切」でしょう。 跨線橋も目にしませんから、人々や車両は、恐らく、遠回りを余儀なくされているはずです。 その上、沿線の人々は、2分置きに10両連結の電車の通過する轟音に悩まされているのです。 普通の人より「音」に敏感な私だったら、悲鳴を上げるところです。

一方、調布駅は地下となりました。 使い勝手の良さそうな瀟洒な地下駅に様変わりしました。 騒音は地下に埋没しました。 他の駅もこうありたいものです。 しかし、一方、線路を地下にしたところで、京王電鉄本体は収益が増えるわけでもありません。 その上、莫大な費用が予想されます。 京王電鉄一者で出来るわけもないでしょう。 なら、どうすればいいのでしょう? 私もよく分りません。 ただ、言えることは、そこに住んでいる人々にとって、電車の騒音が消えたらどんなに幸せだろう、ということです。 国と東京都の出番であることだけは確実でしょう。

2023 年 4 月 27日    電話会談

 「ウクライナのゼレンスキー大統領と、中国の習近平国家主席の間で、長い時間に亘る電話会談が行われた」と今日の朝日新聞が伝えています。これは、初めてでも在り、画期的な出来事でもありましよう。その中で、習近平は「責任ある大国として、対岸の火事だと傍観することも、火に油を注ぐこともない」と言い切ったそうです。その上で「核戦争に勝者はいない。各国は冷静さと自制心を持つべきだ」とロシアを念頭に核使用に反対す姿勢を示したしたそうです。更に「中国は一刻も早い停戦と平和の回復のために努力する」と積極的に関与していく姿勢を示し、「各国と意思疎通を図る」とも述べたそうです。

 これは予想外の画期的出来事ではないでしょうか? 一ヶ月ほど前に習近平はモスクワに赴き、プーチンと何やら話し合いをしていましたが、その内容は皆目、分りませんでした。あまりのプーチンの強硬姿勢に驚き、諫めるのに苦労したとの報道も伝わっていますが、ここへきて、中国の姿勢がハッキリし出したのです。

 一方、ロシア国内では「軍事会社ワグネル」の創始者が戦場に赴き、NATO諸国から送られてくる新兵器によって、ワグネルの兵隊がバタバタと死んでいる実態をつぶさに見て、停戦を呼びかけているロシア国内のニュースも飛び交っています。恐らくプーチンは勝利のために核の使用を念頭に置いているはずですが、その目論見は、昨日のウクライナー中国の指導者同士の会談の結果、もし、使えば、ロシアが世界中から袋だたきになることがハッキリしてしまいました。

 いろいろな情報を総合すると、どうも、8月には停戦になるだろうと、まことしやかに囁かれています。はて、どうなるか? (写真はウクライナ首都キーウの地下鉄、世界一深いところに掘っています)

 2023 年 4 月 26日     安全性

朝の通勤時間帯や、昼下がりの地下鉄の中で、小学生と思われる低学年の子供達が、1人、もしくは2,3人で乗っている姿を、今まで、度々目撃してきました。 当然、のように思えていたのですが、外国人から見ると、これはまた「世界の奇跡」と写っているようです。

ユーチューヴを見ていたら、あるアメリカ人夫婦が「こんなこと考えられない。安全性に付いては日本は世界一ではないか?」 とオドロキを隠しきれずにいました。 言われてみれば、その通りかも知れません。 中国上海へ行ったときは、登校、下校の時間帯になると、校門の前は通学のための車や、自転車でごった返していました。 市内の公共交通網が整っていないせいもあるでしょうが、中国では子供の人さらいが頻繁に起きているからです。 泣き叫ぶ子供を車で遠隔地に連れて行って、子供を欲しがっている家に高額で売り渡すのです。 これがいまだ規制されていないそうですから、オドロキです。 思えば、タイ・チェンマイも同じでした。 住んでいたドッケオという森の道路を挟んで小学校がありましたが、公共交通機関は全く通じていませんでした。 通学・下校時になると、車、バイク、自転車で辺りは混雑を極めていました。 ただ、中国のような子供の売買の噂は全くありませんでした。

思えば、子供の通学における安全性については、「我々は大人は当然」であっても、外国人、特にアメリカ人にとっては「奇跡」のように思えるのかも知れません。 日本新聞協会派遣の団体でロスアンジエルス行ったとき、ある道路の先に行ってはならぬ、歩道は車道近くを歩いてはならぬ、ひったくりがあるからだ、胸ポケットに100ドル札を入れておけ、いざというときは、それを両手を挙げながら指し示せ、と言われました。 なるほど、町のある一角からはそこは貧者のたまり場になっているらしく、至る所の路上に人が寝ていました。

2023 年 4 月 25日     電動自転車

車を運転していて、何より気を使うのは、同じ方向で車道の端を走行している自転車です。 歩道はがら空きなのに、そこは自転車で走ってはいけないらしく、車はギリギリの間隔を開けて走り抜けます。 特に子供を乗せたご婦人の自転車の場合は、緊張しながら追い抜きます。 練馬区の場合は、幹線道路はともかく、道の整備が十分に出来ていません。 出来ているのは光が丘団地内だけで、そこは「自転車専用」の青い区分がされています。 しかし、最近は自転車専用の補助モーターが付いているものが流行だしていて、中には、車と平行して走る子供を乗せた自転車も出回り出しました。 驚いたのは、高齢者専用の電動自転車の出現です。 小型バイクのような乗り物です。 これと平行して走る機会が度々あるのですが、全くの冷や汗ものです。 しばらく前、西武バスの運転手さんと話をする機会があったのですが、彼らも、車道を並行して走る自転車には、ほとほと、困り果てていました。 自転車を仮にも引っかけたら、100%バス側の過失だそうでした。

練馬区議会議員が新しく決まりました。 彼らに望むのは、遅れている道路整備を早急にやって貰いたい、ということです。 主な道路は歩道が広くとってあるのだから、その一部を削って、自転車専用にすればいいだけです。 練馬区を貫通している目白道路など、歩道は10人が肩を組んで並んでも歩ける広さになっています。 それを早急にやってくれなければ、高い練馬区民税など納めませんぞ。

2023 年 4 月 24日      女性礼賛

昨日は地方自治体の選挙投票日でした。 私のところの練馬区議会議員の投票所に行って、清き一票を投じてきました。 思えば選挙権を持って以来、今日まで、自由民主党に入れたことは一度足りともありません。 何時の時も、革新政党でした。 古くは社会党、民主党、共産党、、、。 マルクス、レーニンがもて囃された頃の共産党はかなりの勢いがありましたが、今は、全くダメになっています。 党名を替えなかぎり、衰退の一途をたどるでしょう。

昔と大いに変わってきているのは、女性候補者が多くなってきていることでしょうか。 これは、大いに喜ぶべき現象です。 地方行政は、いわば家庭の台所に相当します。 使い勝手のよい台所であるためには、男性より女性の方が適任です。 従って今回も、清き一票を女性候補者に投じました。 速報で、当選したことを知りました。 活躍を期待しましょう。

女性の政治参加は、このところの世界現象でもあるようです。 アメリカの副大統領も女性なら、フィンランド、スエーデンの首相も女性です。 アメリカ下院議会の女性議長は、台湾へ乗り込んでも行きましたし、そういえば台湾の総統も女性です。 イギリスのサッチャー、ドイツのメルケル、ミャンマーのスーチーさん、いずれの女性も立派に国を治めました。 日本もそうなったらどうなるでしょうか? 見渡したところ、それらしい女性政治家が見当たらないのが残念です。 もしもです。 中国の国家主席とアメリカの大統領が女性になったら、台湾の取り合いで戦争になるでしょうか?

折からアフリカのスーダンでは、男同士の権力闘争が果てしない殺し合いにまで発展しています。 男というものは、誠に困ったもので、縄張り争いに血道を上げることに生き甲斐を感じる生き物なのです。 女性はその反対で、縄張りなどどうでも良く、日々の暮らしが平和であればそれでよしとするのです。

 もし、ロシアの国民が次の大統領選挙で女性を選び、ウクライナでもゼレンスキーの後任が女性、となったなら、戦争はたちどころにお仕舞いになるでしょう。

2023 年 4 月 23日   法隆寺の蛙                                                                                               奈良のお寺に取り憑かれていた頃、今日は一日法隆寺で過ごそう、と開門したばかりの南大門をくぐりました。そのとき、ふと、気がついたのは、門をくぐる前の石畳の中に大きな黒い敷石があったことです、その形が魚の「鯛」そっくり。何でこんなところに、と疑問がわきました。伽藍内には本堂、講堂、経堂を結ぶ廻廊があります。当然ながらすべて国宝です。その優雅な出来映えを見て回っている内に、恐ろしく不揃いな横木があることを発見しました。法隆寺は聖徳太子の時代、640年頃の建立とされています。その後、一度焼けて再建されたらしいのですが、それにしても世界最古の木造建築です。カンナのような道具はまだなく、「チョウナ」と呼ばれる道具で表面をなめらかにしたらしいのですが、私が発見した「国宝・回廊」の横木の数本は不揃いで、いかにもやっつけ仕事のようでした。有名な宮大工に宮本甞一がいます。この、宮大工さんの本は、実に蘊蓄のあるものでしたが、なぜ、不揃いな横木をそのままにしておくのか、聴いてみたいところでした。不思議だったのは、一日かけて隅から隅まで覗いてみたのに、どこにも蜘蛛の巣が張っていなかったことです。法隆寺の蛙は片目がないそうですが、発見できませんでした。

 休憩所にたどり着き、休みながら「柿」を食べていると鐘が鳴りました、、、なんて、これはウソです。しかし、休憩所には無料のお茶が沸いて飲み放題でした。その煎茶はとびきり上等で、さすがは法隆寺、と感じ入りました。

2023 年 4 月 22日     若葉の頃                                                                                               「奈良はいつ来ても良いが、特に若葉の頃が良い」で始まる亀井勝一郎の本があります。20代の頃、この本を小脇に抱えて、法隆寺、大仏殿、二月堂、三月堂、中宮寺、薬師寺、唐招提寺など、足にまかせて歩き回っていたことがあります。法隆寺の場合など、丸一日かけて端から端まで見て回りました。本堂が、不心得者のお陰で、火が入った直後でしたが、百済観音の前では時を忘れて見入っていました。二月堂の日光・月光菩薩には特に魅せられて、真夜中、たいまつを振りかざす儀式まで見に行きました。薬師寺から唐招提寺に続く道が好きで、秋には道の両側は萩の花が咲き乱れていました。畝傍、耳成、香具山まで足をのばしたこともありました。奈良での定宿は、亀井勝一郎が好んで泊まった小さな旅籠でした。

 この懐旧趣味が、いつの間にか奈良から京都へと替わり始めました。年二回の販売局担当員の懇親会が、ほとんど京都で行われたことにもよるでしょう。その日は東京を早くたって、京都でレンタカーを借ります。翌日もその車を走らせます。お陰で嵐山から北山から、東山から比叡山、南の騒動のあった池田屋近辺まで、行ってないところはない、と言えるほど京都の神社仏閣には詳しくなりました。薩長土肥と戦った幕府側の会津藩士のお墓など、ほとんどの人は知らないでしょうが、去るお寺の裏側にひっそりと存在してました。

 京都へ行くたびに、必ず訪れているのが、あまり人には知られていない嵐山の大河内山荘です。山の中腹の茶室と庭だけの山荘ですが、歩き回るだけで、心が落ち着き、気力が沸いてくる不思議なところです。桂川の清流が見渡せる嵐山の頂上からの景観は抜群で、時あたかも若葉の頃。旅心が動いてなりません。

2023 年 4 月 21 日   躑躅(つつじ)                                                                                               千川通りの桜も、光が丘の桜も、すでに、葉桜となり、桜前線は北上中です。あと一週間もすると青森の弘前城公園が満開となるでしょう。津軽の人々は、この日を待ち焦がれながら、津軽三味線の手入れに余念がないことでしょう。練馬はいま、つつじが満開です。どうしたことか、幹線道路の街路樹の下にも沢山の躑躅が咲き誇っています。殊に、練馬駅に隣接する文化センター前の「久留米躑躅(つつじ)公園」は美事です。下の写真は、今回はこの公園のつつじたちにしました。

 思い出すのは、このつつじの花をむしって無我夢中で食べた記憶です。ところは福島浜通りの富岡駅前旅館「大東館」。中野区上高田国民学校の生徒40人が学童集団疎開で寄宿していました。授業などはほとんどなく、弁当箱持参で放り出されます。弁当の中身は僅かな麦飯と少量の納豆。ひもじくてなりません。無数に咲いているつつじの花をむしっては口に入れました。僅かな甘みが口に残ります。それが、よくて、よくて、、、、

 ある日、母親が富岡まで面会に来てくれました。50コばかりの小さな菓子パン持参で。全員が食堂に正座して、「中沢さん、ありがとう」のかけ声の下、一口、二口で食べました。その後、アメリカ軍の艦砲射撃が始まり、学童疎開の全員は、会津の山の中へ移りました。5月25日の大空襲で、中野新井薬師の家が焼け、母は私を迎えに会津・野沢の奥まで私を引き取りに来てくれて、母の実家の長野市へ向かいました。二人で山を下りるとき、野沢の奥はつつじの盛りでした。母と二人切りの時間、これからも一緒にいられる、、、、どんなに嬉しかったことか! 今日もこれから練馬つつじ公園へ行ってつつじの中に身を置く積もりです。

2023 年 4 月 20 日     冷凍食品                                                                                           昨日は雨模様のぐずついたお天気でしたが、今日は快晴の上天気。おまけに気温は30度。西日本、関東はもとより、信越、東北も30度だそうですから、これは全く異常気象と言えるでしょう。山沿いでは、恐らく表層雪崩が続発しているはずです。

 二階の窓を開けると、目の前は生まれたばかりの緑が一杯。特にキウイの伸び方は凄まじく、新芽が窓の中まで飛び込んで来ている始末。平素、使っていない部屋なので、窓を開けっぱなしにして、緑の侵入をそのままにして、楽しんでいます。それにしても、春の初めに気温30度とは、余りにも変です。ユーチューヴを見ると、世界の各地で洪水被害が出たり、アメリカのテキサスではとてつもない大きさのトルネードが発生して甚大な被害が出たり、南極や北極では大規模な氷壁が崩れ落ちたり、と色々です。中国での河川の氾濫は農作物の生育にとって大きな妨げ、となっています。小麦の最大の生産地、ウクライナは戦争の真っ最中ですから、農業どころではありません。ということは、この先、食料の価格が異常に跳ね上がることが予想されます。

 それを見越してといいましょうか、最近、大型の冷凍庫を購入しました。スーパーへ行って驚くのは、冷凍食品のコーナーへ行くと、あらゆる冷凍ものが驚くべき廉さで売られていることです。過日のオリンピックで選手達に大人気だった、冷凍餃子など、一パック188円で売られています。(以前は168円でした)これを利用しない手はないな、との考えから大型の冷凍庫を購入したのです。ナニ、解凍方法を間違えなければ、冷凍であろうとも、美味しくいただけるのです。冷凍食品は、不精者にはうってつけの有り難い食べ物であることに、漸く気がつきました。

2023 年 4 月 19 日    ミステリーその2                                                                                         宮古島には、勿論、空港はありますが、滑走路は2000メートルクラスの小さな民間空港です。ところが、直ぐ近くの下地島には3000メートル級の空港が存在します。その島の住人は僅か95名。専ら、パイロットの訓練場として使われてきました。台湾有事が喫緊の問題になってきた現在、この空港の存在がにわかに脚光を浴びだしたようです。勿論、アメリカからの強い要請があってのことでしょうが、この空港を、アメリカ軍、日本の航空自衛隊が目を付け始めたのは、当然の成り行きでしょう。何故ならこの空港が軍事基地となれば、台湾に最も近い空港になるからです。

 新任の師団長を乗せた10人乗りヘリは、この空港の視察に行ったのではないか?それを事前に察知し、もし、軍港になった場合、この空港を含めて宮古島が戦火の嵐に見舞われることは目に見えています。それを怖れた宮古島住人のある勢力が、「そうはさせじ」と抵抗を試みたのではなかろうか?との推論が成り立ちます。つまり、宮古島の住民の抵抗運動が、今回の自衛隊ヘリの墜落に繋がったのではなかろうか?

 との推論が成り立ちます。いかがでしょうか?

2023 年 4 月 18 日    ミステリー                                                                                          宮古島の海底100メートルに沈んだ10人乗りヘリコプターの引き上げ作業は今日も行われています。問題は、「何故、この事故が起きたのか?」という原因の解明です。聖書の解説に詳しく、世界状勢についても、その都度、的確な判断を投げかけてくれる東住吉教会の高原剛一郎牧師も、この問題についてはて困り果てています。

 考えられる原因の一つは中国からの電磁波攻撃です。これは全くの新兵器でこれからの戦争ではしきりに使われるようです。二つ目は中国系のスパイが闇夜に乗じて、ヘリコプターの重要機材に時限爆破装置を仕掛けた、という疑いです。この場合は、中国系スパイではなく、日本人、あるいは宮古島の住人である場合も考えられます。琉球列島が、再び、戦場と化すことに危惧を抱いているのは他ならぬ沖縄県民です。三つ目は、新任の師団長の就任に良からぬ思いを持っている内部の反乱です。そして、四つ目は単なる操縦ミスあったかも知れません。いずれにしても、100メートルを超える深海に沈んだ機体の引き上げを待たねば断定できない問題です。ことによると、引き上げられ、子細に点検されても原因が特定できないことも考えられます。美しい緑の海の100メートルを越す海底に沈んだ自衛隊の10人乗りの大型ヘリコプター。この引き上げは困難をきわめることでしょう。でも、この事件をミステリーのままで放置することは許されません。日本の国力の鼎の軽重が問われる事件だからです。

2023 年 4 月 17 日    血の色の魚                                                                                          琉球列島の海は今日も美しく輝いていることでしょう。宮古島海域で消息を絶った10人の命を乗せたヘリコプターが100メートルの深海で発見され、今日から飽和潜水という技法を使って、先ず、乗組員の引き上げから始めるようです。思えばこの海域でどれだけの血が流されたことか!

 沖縄本島の南部に位置する「平和の礎」公園には、この戦争で亡くなったすべての人々のお名前が刻まれた石碑が、ところ狭しとばかり、林立しています。その数、およそ24万人! 日本兵9万人、アメリカ兵1万5000人、台湾、朝鮮兵士9000人、あとは沖縄市民です。その公園の近くの戦争記念館に行けば、万座毛という崖の上から、子供を抱えて次から次へと海に飛び込んでいく女性の姿を捉えたフィルムが見られます。涙なくして見つめることは出来ません。なぜ、これほどの人間が死んでいったのか?それは、時の日本の軍司令部が、白旗をを掲げて降伏することを許さなかったからです。一方、沖縄には無数に点在する「ガマ」いわれる洞窟に潜んでいた住民が、その苦痛に耐えかねて、白旗を掲げて出てくると、アメリカ軍は、火炎放射器を浴びせて一般市民を虫けらのように殺しました。

 一方、琉球列島から遠く離れたパラオ諸島などに避難していた沖縄市民は、戦争が終わると、アメリカ軍の軍艦に乗せられ、手厚く持てなされ、一面焼け野原の沖縄本島に戻りました。沖縄復興はその人たちが懸命に働いたお陰でもありました。

 遙か昔、沖縄泊港から、義弟と漁船を借り切って海釣りに出たことがあります。義弟は沖縄の地唄の名手で、無形文化財保持者でもありました。海は荒れていました。二人とも船酔いになり、釣りどころではなくなりました。ところが魚はよく釣れるのです。それも、全身が血の色の赤く染まった魚ばかり。

 太平洋戦争という、何が目的なのかサッパリ分らない戦争の犠牲になった多くの人間の血が、いまは、魚になって生きているのだなあ、と深いため息をつきました。

 

 2023 年 4 月 16 日    ブラームス                                                                                          一昨日、ピアノのレッスンに行ったら、先生から「7月の合同発表会にはお出になりますか?」と問われました。「勿論!」と答えはしましたが、最近の衰え方を鑑みると不安でもあります。一昨年はドボルザークのスラヴ舞曲の連弾を先生と一緒にやりました。昨年はスクリヤーヴィンのエチュード・2-1でした。勿論、新曲に挑戦する積もりですが、余り自信がありません。先生からブラームスの「インテルメッゾ」などはいかがですか? と、楽譜をお借りしてきました。ユーチューヴを参考にして聴いてみましたが、どうもピンと来ません。緩やかな曲であってもメリハリがありません。独特の和音構成です。

 遙か昔、ウイーンの72番の路面電車に乗って市民墓地へ行きました。楽聖達のお墓に詣でるためです。広大な市民墓地には案内板はありましたが、こちとら、さっぱり読めません。途方に暮れていると、通りかかったご婦人が親切にも案内してくれました。ベートウベン、モーツアルト、シューベルトのお墓が隣り合わせで建っていました。皆さんのおかげで有意義なピアノによる音楽の楽しみをいただいていることに、心からの感謝の誠を捧げました。ふと、辺りを見回すと、少し離れたところからこちらを羨ましそうに見ている椅子に座った石像があるではありませんか。仲間に入れてもらえないのを僻んでいるようにも見えました。ブラームスでした。

 発表会まであと二ヶ月。ブラームスの複雑な和音構成を再現する自信はないようです。去年の12月までやった、フォーレの「シチリアーノ」か、チャイコフスキーの「12月に」のどちらかにする積もりです。まず、ミスタッチなしに弾くことを第一目標にしています。

2023 年 4 月 15 日    タラの芽                                                                                          近くの群馬県農産物直売所で、粒の揃った栽培ものでないタラの芽を見つけました。早速、購入して、軽く湯がき、醤油を垂らし、熱いご飯の上にのせて掻き込みました。旨いのなんの、春の息吹が体中を駆け巡りました。珍味そのものでありました。スーパーなどで見かける一件は、ほとんどが栽培ものです。味は天然物と比べて極端に違います。世間では、よく、天ぷらにしていますが、人工栽培ものはそれも仕方がないでしょうが、私に言わせれば邪道な食べ方です。

 しばらく前までは、この時期になると天然物を取りに、秩父の山の中、谷川岳の麓まで、車を駆して採りに行っていました。毎年、お目当てにしているタラの木の群生地があり、それは秘密の場所でもありました。とは言っても、既に、誰かに先を越されていたことも何度かありました。そのときの悔しさ、といったら、、、、関越高速道で高崎、渋川を越え、水上で降り、湯桧曽川沿いに土合に向かう右側の、有刺鉄線が張られた立ち入り禁止の奥が、タラの芽の群生地なのでした。

 青森では、弘前城の桜が満開になる4月下旬過ぎがタラの芽の最盛期になります。第六部長のころ、青森の陸奥新報社の招きでお祝いの席に呼ばれた翌日、日刊スポーツ部長の久保田君と、青森担当の船越君と、金木町遺跡を観がてら、津軽半島の末端まで車を走らせたことがありました。13湖のほとりの茶屋で名物「しじみ汁」を味わいながら、タラの芽の在りかについて尋ねると、そこら辺一杯に生えているわ、との何気ない一言。行ってみて驚いたのなんの。道路から海へ続く林の中は、生まれたてのタラの芽の群生地!あるはあるは、三人で無我夢中で採りまくったら、車のトランクが一杯!祝杯を挙げた弘前の料理屋さんにもお裾分けして、三人はタラの目の大きな包みを背負って帰京しました。

 2023 年 4 月 14 日 チャットGPT・続きの続き                                                                                            今、盛んに喧伝されている「チャットGPT」とは何者なのか?文筆する上で役に立つものなのか? インターネットでログインを試みました。出来たてホヤホヤのせいか、説明書きのほとんどが英語です。やむなく、日頃お世話になっているPCデポの専門家に頼みました。ところが、彼らもまた大いに戸惑っています。分ったことは、これを日常使う場合、かなりの課金が発生すること、初心者には扱いが複雑であること、かなりの習熟度合いが要求されること、などでありました。一応、インストールには成功しましたが、使い方に付いては全くのチンプン・カンプンでありまする。

 信州大学の学長が、入学式の挨拶で、「間違っても卒業論文をこれを使って書くな」と訓示しています。顧みれば、私も卒論では苦労しました。イスラエルの洞窟で発見され、世界的にその真贋が論争された「死海の書」について論じたのでしたが、仕舞いには自分でも分らなくなってシッチャカ・メッチャカの結論となりました。担当教授の家にウイスキーの角瓶を持ち込んで事なきを得ましたが、もし、不可となっていれば朝日への入社も出来ていなかったでしょう。

 三年前の2月初旬、当時、シンガーポール教会の松本牧師に引率され、イスラエルの「死海の書」の発掘現場へ行きました。「百聞は一見に如かず」の諺どうり、この文書を所蔵したエッセ派の存在そのものが「ガセ」臭いことを突き止めることができました。実物を目の当たりすることが出来ましたが、じずらから見て、それを判断することさえ出来ました。

 暫くの時間をもらって、チャットGPTに精通出来るようになったら、「死海の書」について改めて勉強するつもりです。それにしても、この新しき新兵器の操作は想像以上に難しい。

 2023 年 4 月 13 日     チャットGPT・続き                                                                                            今、盛んにもて囃やされている「チャットGTP」ですが、大きな問題が浮上しています。それは、著作権に関する問題です。東西古今をを問わず、世間に流布している文学作品、音楽、学術文書、などなど、無断に使用することは禁じられています。それなりの対価を支払わなければ、法律によって罰せられます。しかし、30年だったか、25年だったか経過しているものは、自由に利用することが、一方では認められています。それがまた、この件を複雑にする所以でもあるようです。違反するとどうなるか? 莫大な金額が請求されます。

 例えば、日本では、音楽の著作権を管理する「JASRAC」という組織があります。作者、作曲者が死後50年を経過すれば、自由に使えるのですが、そうでない場合は、しかるべき金額を納入しなければなりません。音楽のみならず、あらゆる分野において、この原則が適用されます。NHK並びにテレビ局は莫大な金額を支払っていると聴き及びます。この著作権問題は音楽の分野のみならず、あらゆる分野に適応されているやに聴き及びます。実に厄介な代物です。文化の発展を阻害していると言ってもいいかもしれません。

 例えば、チャットGPTによっ華麗な文学作品を書いたとします。素人裸足の音楽家が斬新な作品を発表したとします。そこに、故人の模倣があったとしたら、、、、一体、どうなるのでしょう?

 2023 年 4 月 12 日     チャットGPT                                                                                            今、巷で大きな話題になっているのが進化したAI、すなわち「チャット・GPT」です。質問を投げかければ直ちに答えを返してくれる、しかも、どんな難問に対しても応じてくれる、というから、これは全く「オドロキ、モモノキ、サンショノキ」です。更に、詩でも、短歌でも、俳句でも小説でも、たちどころに作ってくれるそうですから、天地がヒックリ返ってしまいます。東大の去る教授がその権威だそうで、彼の解説書を、アマゾンに注文しました。数日中に到着したら、丹念に読み、私も「チャット・GPT」の恩恵に預かる積りです。

 私の近代電子兵器との取り組みはかなり早く、朝日学生新聞の社長となった60歳台前半から始まっています。日本語のタイプライターから始まって、初期のパソコンに精通し「自分でも本が作れる」ことを実感し、日ごとのエッセイをパソコンに打ち込み、印刷、製本して悦に入っていました。おまけに、人様の本まで作り始める始末。10冊近い自分のエッセイ集のほかに、どれだけの数の人様の本をパソコンとプリンターで作ったか。「ものつくり」に熱中する、時を忘れて懸命に取り組む、実に幸せな時間でありました。

 顧みれば、定年後20年近く楽しい時間を持てたのは、近代電子兵器たる、パソコンとプリンターのお陰でした。そこへ持ってきて「チャット・GPT」の新たな登場です。どんな変化がこれから起きるのでしょうか。全く予想が付きませんが、世の中が「ガラリ」と変わること、必定でしょう。取り寄せる解説書の到来が待たれます。

 

 2023 年 4 月 11 日    爽やか計画                                        現役で朝日新聞の部数拡大にしのぎを削っていた頃、その年ごとに各部それぞれ作戦計画を立案して、実行に移していました。中には「燎原作戦」というのもありました。これは不評でした。焼き尽くしてしまう意味もあったからです。成功したのは全局で取り上げた「爽やか計画」「爽やか作戦」でした。

 いま、大活躍中の大谷翔平が日本はおろか、アメリカを越えて全世界で賞賛されているのは、彼の爽やかさ、でありましょう。嫌な顔一つ見せたことがありません。誰に対しても笑顔で接しています。持って生まれた天性が、そうさせているのでしょうが、こんな野球選手、いままでにいたでしょうか?

 使い切れないお金が入ってきても、彼の日常は質素そのものです。卵は一日に10コほど、ブロッコリーと山盛りのご飯と一緒に食べるようですが、アルコール類は摂らないと聞き及びます。そして、日常の身体を動かす運動も欠かしていません。ストイックなまでに続けているそうです。

 いやはや、美事な選手が誕生したものです。日本の誇りでもあります。なかんずく、岩手県の皆さんの喜びはいかばかりでありましょうか!古くは南部藩であった岩手県。新渡戸稲造、宮沢賢治ら、そうそうたる歴史上の人物の生誕地でもあります。盛岡市郊外にある「岩手県偉人館」には100人を超す歴史上の偉人が奉られていますが、大谷翔平もやがてはその殿堂入りを果たすでしょう。願わくは、彼の身辺に何事も起きないことです。アメリカはとにかく、誰でも銃を持つことが許されている特異な国です。身辺警護については、当局も神経をとがらせているでしょうが、是非、是非、事故が起きないように守って貰いたい、と衷心から願っています。何故なら、大谷翔平は100年に一人、でるかでないかの逸材なのですから。

2023 年 4 月 10 日      サイゼリア           

  タイ・チェンマイの目抜き通りの一角に、センタンフェステヴァルと呼ばれて大賑わいしていた古い雑居ビルがあります。スーパーあり、マッサージ店あり、屋台食堂ありで、昼夜を問わず賑わっていました。その中に、チエーンレストラン・サイゼリアがあり、そこはいつ行ってもバイキング料理が、安い値段で食べられるので、重宝にしていました。 ところが、今年行ってみると、古い大きなビル全体が空室になっていて、辺り一面、閑散としていました。どんな景色に生まれ変わるのか、楽しみでもあります。

 今日は、錦糸町で毎月開かれる囲碁の会がありました。終わって、いつものように飲み会の場所を探しました。昔から、勝手知ったる錦糸町なのに、いまだに、これは、というところがなく、うろついているのでした。駅近くのビル二階のサイゼリアに入りました。若い人たちで大混雑です。おじさん達ち、いや、おじいさん達ちは、どうにか席に収まりましたが、若い人たちの話し声が室内にコダマし、その五月蠅いことといったら、、、しかし、メニューは値段が廉い。殊にワインが廉い。ボトルで注文しました。大瓶が運ばれてきました。余ったらお持ち帰り自由だそうでした。一口、飲んでビックリ。これがワインか?といえる代物でした。昔、サントリーがブドウの入っていない「赤玉ポートワイン」を売り出し大もうけしましたが、それに類するものでした。驚ろいたのは、ほとんどのテーブル上にワインが置かれていたことです。何故ならこの店のメニューにあるアルコール類は、ビールとワインだけだからです。焼酎も、日本酒もなかったのです。

 一体、こういう商法は許されるのでしょうか? でも、何故、店内は大入り満員なのでしょうか? 

2023 年 4 月 9 日    透明度           

  世界の海は、陸地に住む人間がひり出した汚物を受け入れてくれる、実に有り難い浄化装置でもあります。香港に着陸するとき驚いたのは、海の色が、一面、緑色に変わっていたことでした。ベトナムのフエに近づくにつれ、海は不気味な色に替っていました。地中海も本来の海の色ではありませんでした。ドバイの海の色も変でした。まして、日本近海に於いておや。

 「海」本来の美しい色を保っている海域はどこか? 私は琉球列島の宮古島、石垣島、西表島の海域ではないか、と独り頷いています。とにかく海の色が美しい。透明度は恐らく50メートル以上はあるでしょう。その上、砂浜は真っ白です。珊瑚のかけらさえも手にすることも出来ました。同じ太平洋上の孤島でも、パラオ諸島の海の色はどす黒かった記憶があります。何故か?

 地図帳を広げてみると、日本列島から、奄美大島、沖縄本島、宮古島、石垣島、西表島、そして、台湾へ続く海域は、遠浅の海で繋がっているいるのを知ることが出来ます。更に、石垣島の周辺には、竹富島、小浜島、黒島、新城島、波照間島などが点在しています。つまり、この海域は、遠浅の海の繋がりが特徴となっているのでした。その上、島に住んでいる人は僅かで、生活排水など微々たるものでしょう。

 昔、小浜島の海岸に続く林の空間で、恐らく数千羽に近い蝶が群がり、相手を求めて狂気乱舞する光景を見たことがあります。この世のものとは思えない幻想的な瞬間でした。

 あちらの世界はへ行く前の残された時間を使って、行ってみたい候補地の一つは、ここもそうではないか、と思うようになりました。

2023 年 4 月 8 日    地図帳           

  仕事場の座右に2冊の地図帳があります。世界地図と日本地図です。地下室には地球儀もあります。仕事場のベッドにごろっとなって、地図帳をひっくり返すのも楽しみの一つです。作家の椎名誠の最近の動静は分りませんが、彼もまた出歩くのがスキで、南極、北極の近くまで歩き回っていました。彼の著作は、地球のあちこち歩き回った、ただ、それだけの記録ですが、妙に魅力的でありました。いつも不眠症で苦しんでいた彼、、、、その後、お元気ならいいのですが、、、、

 コロナが始まる前、シベリア鉄道でモスクワ・レニングラードへ行く計画を本気で立てていたことがあります。先ず、日本海対岸のウラジオストックへ行きます。そこから、ヤブロイノ山脈を越え、イルクーツクからシベリア鉄道でモスクワに向かい、最終目的地をレニングラードとしました。エルミタージュ美術館へ行きたいからです。本気になってウラジオストックのホテルまで調べているうちに、コロナ禍となり、この計画は頓挫してしまいましたが、さて、この大計画を再び俎上ににあげてもいいものかどうか?

 ところで、世界には行きたいところが無数にあります。ヨーロッパとアジアのほとんどには足を踏み入れましたが、南米大陸とアフリカ大陸には行けていません。というか、余り魅力を感じないせいでもあります。。ただ、アマゾン川を遡る企画には乗ってみたいですね。もし、行けたとしたら、人食い魚「ピラニア」の餌食になってもいいくらいです。火葬場で火に焼かれるより、魅力的な死に方であるかも知れません。

2023 年 4 月 7 日    荒れる空、吠える海           

  琉球列島・宮古島で陸上自衛隊の師団長が乗った10人乗りヘリコプターが墜落しました。残骸が回収されましたから、生存の見込みは、どうも、なさそうです。天候が悪かったようですが、新任の師団長の視察飛行ですから中止できなかったのでしょう。誠に、お気の毒です。この時期、沖縄本島から宮古島、西表島、石垣島の海域は、海も空も天候は不安定極まりないのは常識とされています。

 新聞社入社を前にしての3月下旬、那覇の泊港から石垣島まで夜の船で渡ったことがあります。若葉丸という小さな船でした。海は荒れに荒れました。板敷きの船室をアッチにゴロゴロ、コッチにゴロゴロ。おまけに海水まで入ってきます。もうダメか、という瞬間が何度もありました。石垣島の寿司屋で、太平洋の黒潮に乗って遡上する前の、鰹の稚魚の寿司をいただきました。極上の味で、海の藻屑にならなかったことを喜び合いました。

 帰りの船は八潮丸といってかなりの大型船でした。雑魚寝の客室で隣り合わせた男性から、泡盛をしつこく付き合わされ、ベロベロになって、那覇泊港に着きました。数日後、東京へ向かうときも、やはり、船でしたが、乗客の中に学生服を着て早稲田のエリバッチを付けた男がいます。何と、4月から私と同じ朝日新聞の社員になるそうではありませんか。それが、栗原達男君。既に名の知れたカメラマンでした。

 宮古島海域での10人乗りのヘリコプター事故。何とも痛ましくてなりませんが、「もう、この海域での戦争はいらないよ」と海の神が言っているように思えてなりません。

2023 年 4 月 6 日    永井事件           

  今でこそ情報の伝達手段は「紙」から「電波」に替って久しいのですが、私が入社したは頃は新聞の部数は面白いように増えていました。二年間の社内研修を終えて販売局に配属された頃の朝日新聞全社の販売部数は400万部ほどでしたが、その後、830万部まで伸びました。時の責任者は永井大三常務取締役業務局長。読売の務台、毎日新聞の梅島の三人が業界ボスとして君臨していました。そこへ、突如として、販売店の本社への納金拒否運動が起きます。社主・村山長挙の娘婿が病院経営を願い出て、朝日新聞が社として病院を経営する議案が株主総会に持ち出されたのです。新聞社は、多角経営をするべきでない、と大反対したのが永井常務です。社主は永井さんを馘首しました。それに怒ったのが全国の販売店です。永井さんを慕う東京が急先鋒でしたが、本社に納める新聞原価の本社納付を拒否し始めたのです。波紋は全国に広がり始めました。大問題となりました。

 そのときの私は販売局員で千葉担当の海野さんの助手でしたが、極秘裏に社内情報を、逐次、都立大の永井さん宅へ報告に行きました。結局この話はご破算になり、村山社長は退任し、編集担当の広岡さんが社長になりました。永井さんの復帰を望む声も圧倒的でしたが、最後に、永井さん宅に伺ったとき、或筋からの「道路公団総裁就任の要請書」を見せて貰いました。と同時に、広島の生口島でまだご健在だった彼のお父さんからの「大三、男は二度でるでない」という諫めの手紙を見せて貰いました。

 永井大三さんは、奥様のいね子さんの後を追うように、その後しばらくしてお亡くなりになりました。85歳でした。一人息子の謙さんの消息は不明ですが、ガンを患っていましたから、今はお三方ご一緒でしょう。

 九州小倉の西部本社の業務局長で単身赴任しているとき、小倉から新幹線で三好まで行き、船で生口島に渡り、小高い丘に位置し、出船、入り船が眼下に見渡せる寺「成徳寺」へ行ってお参りしたのが今のところ最初で最後になっているのですが、願いは一つ、あちらの世界へ行ってお会いする前に、墓前に花を捧げる時を持ちたい、その思いを今日も持ち続けています。

2023 年 4 月 5 日    将棋名人戦           

  丁度この時間、目白の椿山荘で世紀の一戦、将棋の名人戦7番勝負の第1局が始まりました。対するは名人位を持つ、どこまでが顔でどこからが頭か分らないほどに禿げ上がった38歳の渡辺明名人と、髪ふさふさの若干20歳の藤井聡太との対戦です。。この7番勝負で渡辺名人が負ければ彼は無冠となり、藤井挑戦者が勝てば既に獲得している六冠と併せて七冠となり、大偉業達成となります。朝日新聞紙面は、連日、この報道で一杯です。何故なら、この名人戦の報道権利を、私が朝日に入社した頃、無理に無理を重ねて毎日新聞から奪い取った歴史があるからです。立役者は、当時、常務取締役業務局長だった永井大三さん。彼は五段の腕前で、升田幸三さんなどと親密な関係にありました。長野の清水さんの姉のキヨさんが、永井さんの奥さんの稲子さんの弟・石塚さんと結婚して、学芸大学に住んでいたことから、私はしばしばその家にお邪魔してピアノを弾かせて貰っていました。永井さんと稲子さんの一人息子の謙さんは慶大生。清水さんが主催する山行きのグループ「どんどん講」で度々一緒になるうちに、親しくなり、都立大の永井さんの家に伺って将棋を打たせて貰っていました。当時は清水さんと永井さんの力を得て朝日へ入ることなど、夢にも想像していませんでした。

 永井さんの力でもぎ取った名人戦が始まると、有楽町の本社前に大盤解説のための将棋盤が組まれ、黒山の人だかりとなりました。はしごを使って大盤解説盤の駒を動かすのは下役の勤めです。いつも、その役目は往年の名人・加藤一二三初段の役目でした。彼らの控え室が販売部の私の席の真後ろの会議室でした。野次馬が集まり、余りに五月蠅いのでその時期になると社に寄りつかないようにした記憶が鮮明です。

 希に見る名人戦が、この時間、始まりました。20歳の藤井が勝てば七冠独占です。渡辺明は無冠に転落です。全国の将棋ファンは固唾を飲んでこの勝負の行方を見守っていることでしょう。

 勿論、この棋戦を朝日に導いた、永井大三五段も、生まれ故郷の生口島の成徳寺の墓の中から起き上がって、ことの成り行きに目を細めているはずです。

2023 年 4 月 4 日    悪辣な選挙制度           

  4月から5月にかけて、地方公共団体の選挙が行われます。県会議員、市町村議会議員、知事、市長など盛りだくさんです。加えて国会の解散総選挙まで取り沙汰されています。しかし、選挙制度は1994年、中選挙区制から小選挙区制プラス比例代表制に替えられました。自民党の策謀によるものです。中選挙区制ならば同一選挙区内で与党・野党の候補者が複数当選出来ていました。小選挙区制では当選者は上位一名に限ります。比例代表制がカヴァーしているではではないか、というのは単なるまやかしで、爾来、自民党の独裁政治が続くことになりました。これをやったのが、衆議院議長の細田でありました。

 自民党に替って野党党首が総理になった時代もありました。鳩山、管、野田、、、いずれも短期政権で終わりました。新党が現れ始めました、国民民主、立憲、維新、そして令和などです。ですが、一人区の選挙区ばかりですから勝てる訳もありません。かくて、日本の政治は世襲制を許した自民独裁政治が連綿と続いているのです。

 「選挙制度を小選挙区制から中選挙区制に戻す」!

 これ以外に日本の再生はない、と私はつねづね思っています。

2023 年 4 月 3 日  ソンクラン          

  4月になるとタイの国は「水掛祭り」で民衆は沸きに沸きます。中でもチェンマイのものは規模が大きく、市民全員参加とも言えるほどです。何のことはない、バケツの水を柄杓でかけ合ったり、相手めがけて、誰彼なく水鉄砲を使ったり、誠に無邪気なものなのですが、チェンマイの人たちはこの季節が来るのを、実に楽しみにしているようです。この祭りは、タイ語では「ソンクラン」と呼ばれています。

 チェンマイ日本語キリスト教会の重鎮で、日大芸術学部出の梶原さんは、既に、頭のはげ上がったおじさんですが、高性能の水鉄砲用意して、いつもこの時がくるのを待ち構えていました。問題は水です。町中を流れる「ピン川」の水は常に濁っています。城郭都市であったチェンマイはお堀に囲まれた古都でもあったのですが、そのお堀の水はお世辞にも綺麗ではありません。アオコが生え、濁りに濁っています。水をかけられる方は、堪ったものではありません。それでも、市民は狂気のように水をかけ合っては喜びを爆発させているのです。

 時期を同じくして、チェンマイの街路樹は「ゴールデン・シャワー」に替ります。日本の藤の花に似た植物ですが、色は、全くの黄金色です街中が金色に輝きます。加えて、果物の王様といわれるドリアンの登場です。匂いは強烈ですが味は絶品です。しかも、格安な値段で屋台で食べられるのです。他にも、ゴールデン・フルーツ、マンゴスチン、パパイヤなどなど、、、ああ、向こうへ行きたくなりました。

2023 年 4 月  2 日  天晴れ、山梨学園!          

  春の選抜高校野球で、何と山梨学園が優勝しました。しかも、甲子園での優勝回数を誇る報徳学園を7対3で破っての、山梨県勢としては初勝利です。山梨県民の喜びはいかばかりでありましょう!!

 山梨県は南アルプスと八ヶ岳山系に囲まれた小さな県です。野球が出来る平地は甲府盆地以外にありません。冬は雪に埋もれ、夏は盆地ゆえの酷暑に見舞われ、野外スポーツにとっては劣悪の環境です。その環境の中で猛練習に励んだ努力が、ここへ来て花開いたのです。甲斐の武将武田信玄も、扇をを開いて「者ども、天晴れ!」と喜んでいることでしょう。

 この快挙に驚き、大いなる刺激を受けたのは山梨県と境を接する、我が長野県ではありますまいか。夏の大会に選手を送り出してはいるものの、一度として決勝戦はおろか、準決戦戦にまで残ったことがありません。県内の高校にはそれぞれ野球部はあります。私が長野高校に在学中、野球部は広岡監督のもと、夕闇迫るまで練習に練習を重ねていました。それでも、県代表として甲子園へ行けたのは遙か昔も大昔、たった一回だけです。山梨県勢の今回の優勝は、長野県にとって驚き以外のなにもでもなく、大変な刺激となったのではないでしょうか?

 まずは山梨県の皆さん、先を越されましたが、誠に、誠におめでとうございました。

2023 年 4 月  1 日  中坊公平さんの偉業           

  平成の鬼平とまで言われ、市民派弁護士であり、日弁連会長でもあった故中坊公平さんが私財を投じて建てた「プロボノセンター」が、死後10年を経て、閉鎖されることになったと報じられました。プロボノとはラテン語で、仕事で培った知識や経験を生かし、ボラン活動で社会貢献する、という意味です。弁護活動には話を聞く場所が必要です。その場所を彼は提供したのでした。「弁護士は他人の不幸で飯を食う仕事。社会にお返ししなければいけませんねん」これが彼の持論でした。

 私は彼の著作が好きで、一時、私淑していた時期がありました。戦後最大の詐欺事件と言われた「豊田商法」に関する彼の活躍ぶりは胸のすくものでした。今でも語り草になっている事件でした。どれだけの人々がこの施設のご厄介なったでしょうか? 恐らく、数え切れないでしょう。中坊さんは、死んでも尚、社会に貢献してきたのです。

 今日は4月1日。エイプリルフールでもあります。家族が大勢いたころ、ウソの言い合いをして楽しんだことが夢のようです。二階の窓を開ければ、目の前にキウイの新芽が一杯。朝と晩ではその大きさが違います。目覚ましい成長ぶりです。猫額のベランダの向こうは、洋梨の大木に白い花が一杯。日に日に数と輝きを加えています。おまけに、今日は快晴。麗しい春の輝きを今年も賜ったことに、心から感謝しています。

2023 年 3 月 3  1 日  複雑怪奇、飯田橋界隈            

  一昔前、早稲田での授業が終わると、早稲田から都電に乗って茅場町の日本経済新聞社へ行って、発送部の仕事をしては、最終の茅場町発の都電で帰ってくる、アルバイト生活を送っていました。途中駅の飯田橋は、唯一、中央線の普通電車の停車駅でした。最終の都電に乗って高田馬場に着き、西武線の上井草の自宅に戻る生活でしたが、電車に揺られながら、本を読みふける私にとっては都電が読書室でもありました。

 その飯田橋駅が、いまは東京の重要な乗換駅に替わり、新宿や渋谷に劣らぬ巨大駅に変わっていたことに、今日、改めて気づき、仰天してしまいました。ほとんどの路線がここに結集し、地下通路が縦横に伸び、新宿や渋谷に劣らないマンモス駅になっていたのです。中央線、総武線以外、有楽町線、大江戸線、東西線などが地下深くで繋がる巨大駅にになっていたのです。ということは、乗り換えるためには地下通路のかなりの距離を歩かさせられます。今日は、それを、イヤというほど強いられました。

 鼠径ヘル二ヤの手術をお願いした九段坂病院から、それに堪えうる心臓機能かどうかの検査を飯田橋駅近くの「心臓画像クリニック」へ行ってMRA検査をして貰うように、と言われたのでありました。教えられた地図どうりに歩きましたが、なかなか、見つかりません。

 昔、学生の頃、長野のカシオ印刷の東京出張所員として、専務の清水栄一さんの従兄弟の聡さんと同居して走り使いをしていた頃は、出版社のほとんどは飯田橋近辺にあって、この界隈の地図には精通していたのですが、それも、遙か昔。懐かしい名前を挙げてみると、角川、新潮社、新教出版、講談社、サエラ書房、理想社、理論社、エトセトラ、、特に懐かしいのは新教出版です。社長の秋山さんの中井のご実家の二階が、柏与印刷の出張所にさせていただいたこともありました。

 血管に造影剤を注入してのMRA検査は約5分で終わりました。所見によると、かなり、細い血管もあるようです。思い返してみれば、不整脈によるアブレーション手術を谷崎医師の手によって、女子医大で受けたのは、はるか、30年前です。今も、谷崎医師が開業している東調布の「谷崎循環器クリニック」へ半年に一回通って、心臓の動きのお墨付きを貰っています。さて、今回はどうなるか? 面白い成り行きとなりました。人の身体は何時までも頑強であることは希というものです。年とともに衰えることは覚悟しなければなりません。思えば、86歳まで、よくも生き長らえてくることが出来ました。感謝、感謝以外にありません。よしんば、心臓機能に不安があって、九段坂病院での鼠径ヘルニア手術が拒否されても、なーに、下腹部にテープでも貼り付けて、脱腸を抑え、生きていきましょう。人生はこれからです。

2023 年 3 月 3  0 日   桜、桜、桜            

  今日は、ひょんなことから千鳥が淵と、靖国の桜を観ることができました。馬齢を重ねるにつれ、右下腹部に異常を感ずることが多くなりました。運動不足と加齢のため、腹筋が弱くなり、腸が飛び出る現象です。俗に言う脱腸、学名では鼠径ヘルニヤといいます。少し、飛び出したかな、と思うときは、押し戻してやれば元に戻るのですが、念のため、日帰りで治してくれるという、新宿の外科クリニックを訪れました。しかし、年が年ですから二、三日入院させてくれる病院はないか、と尋ねたところ、九段下の「九段坂病院」への紹介状を書いてくれました。今日はそこへ行ってきたのです。武道館脇のお堀に面した瀟洒な病院でした。窓の外は桜が満開で、その上、皇居の緑が青空に映えていました。練馬の順天堂病院のような混雑は無く、看護師さん達も親切で、「ここならいい」と嬉しくなりました。血液検査、X線、肺活量などなど、あらゆる検査を受けさせられました。手術日も一週間後の3日間入院と決まりました。

 脱腸は腹筋が弱くなる高齢者に発生する、「よくある現象」です。牧師のアーサーホーランドさんもなりました。彼は大きな十字架を担いでアメリカ大陸を横断しました。日本列島も縦断しました。それだけ歩いているのに罹ったのです。私も高校時代は北アルプス、南アルプスに入り浸りました。大学時代は力仕事にも精出しました。社員になってからは重いカバンをぶら下げて、東北、関東を歩きに歩きました。ところが、馬齢を重ねるにつれ、歩かなくなりました。長距離歩くと息が上がるようになりました。腹筋が脆弱になったのはその報いといっていいでしょう。お陰で、病院の支払いを済ませてから、千鳥が淵、靖国神社の桜を愛でながら、歩かせていただきました。

2023 年 3 月 2  9 日   軍国主義            

  齢86歳になっても、時折、脳裏に去来するのは6,7歳の頃に覚えた軍歌や国民歌謡です。沢山あるのに、そのほとんどを覚えていて歌えるから不思議です。例えば「♫ 我が御君に召されたる、命栄えある朝ぼらけ、讃えて送る一億の、歓呼は高く天を衝く、いざ行け、強者、日本男児!♫」、「♫進め! 少国民! 溌剌と元気よく、胸を張り大手を振って前進だ♫ 遮る者なく、唇キリリリと、我慢だ、強いぞ、いざ進め!進め。進め少国民♫」、「恩賜の煙草をいただいて、明日は死ぬぞと決めた夜は、荒野の風は生臭く、ぐっと睨んだ敵空に、星が瞬く二つ、三つ♫」、「♫今日、増産の帰り道、みんなで摘んだ花束を、英霊室に供えたら、次は君だぞ、分ったか、シッカリやれよ、と空高く、胸に刻んだ神の声♫」。

 昨日の報道で、ミャンマーの軍事政権の親玉ミン・アウン・フラインが、アウンサンスーさんを幽閉している上に、所属する民主党を抹殺した、存在を否定した、と報じられました。民衆のほとんどがスーチーさんを愛し、民主政治の回復を乞い願っているにも拘わらずの暴挙を断行したのです。すべて、中国の差し金でしょう。ミャンマーを中国の属国とし、領土拡大を図ろうとする独裁政治の陰謀です。

 数年前にチェンマイからプロペラ機で一時間のミヤンマー首都・ヤンゴンへ行きましたが、街中に日本の中古車が溢れる貧しい国でした。しかし至る所に寺院や仏像があって、人々は、質素で穏やかに、そして平和に暮らしていました。軍国主義には最も遠い国であるはずでした。民衆はスーチーさんを慕い、愛し続けていました。私は、中国の策略に乗って軍事政権にしたミン・アウン・フラインを憎みますが、一方、未来の日本と中国との関係はどうなるのでしょう。

 岸田政権は急激に軍事防衛費を4兆円に増額し、宮古島や、石垣島に軍事基地を作リ始めました。アメリカと韓国と日本で台湾有事に対応しようというものです。憲法改正の動きまで出てきました。果たしてそれでいいのでしょうか?   

 長野高校在学時代、校内の弁論大会で「向米一辺倒を排せよ」と弁論した者がいましたが、今、正にそれが問われているのではないでしょうか? 今週の「週刊現代」に、河野太郎の父洋平さんが寄稿しています。「向米一辺倒を排せよ」と。

2023 年 3 月 2 8 日   もの申す            

  もの申すなどとは穏やかではありませんが、申したい相手は日本郵便です。海外へ送る小包の送り方です。今までは、送り状は手書きで良かったのに、半年以上前から、手書きは一切受け付けなくなり、パソコン入力でなければ受理してもらえなくなりました。それも、一切、英語入力が必須です。品名、重量、個数、生産地、値段など、英語入力しなければなりません。かねてより、海苔、あごだし、花鰹、煮干し、煎餅などを箱入れして同送してきたのですが、あごだしは英語で何というのか、いちいち辞書に頼らねばなりません。しかし、最も厄介なのがパソコン入力です。一度は練馬郵便局へ行ってIPADによる教えを受けてきましたが、直ぐ、忘れます。記載不備で、近所の郵便局へ四往復したときもあります。そして、今回も、たった、二品贈るだけなのに、一回目、はねられました。怒り心頭を発しましたが、我慢してパソコンに向かって打ち直し、これから持って行きます。問題は書式が複雑過ぎることです。パソコンにはかなり精通している私でさえ、理解不能となる送り状の複雑さ、難解さです。郵便局員に聴けば、こうなったのはアメリカの影響だそうです。しかも、ロシア・ウクライナ戦争のため航空便の値段は三割方上がっています。

 過日のタイ・チェンマイから帰国の際、畏友堀田さん宅にあづかって貰っていた荷物を、船便で日本に送りました。このときも、英語による明細な送り状が必要でした。幸い、メグさんのところで働いている日本人社員のお陰で、段ボール三個は近々到着するでしょう。値段は合計で7400バーツ。600バーツをチップにして8000バーツ支払いました。

 我が家の車庫には、タイの少数民族の学校へ送るつもりで仕入れたアプライトピアノがまだ、そのままになっています。運賃値上がりの作今、これをどうするかがこれからの課題です。しかし、送り状は簡単です。「ピアノ一台」とだけ。

2023 年 3 月 2 7 日      彼 女            

  角野隼斗(カテイン)が韓国へ行きました。音楽学校の生徒数人が2台のグランドピアノの前に待ち受けていて、次々にポピュラーな曲を弾き始めました。カテインは直ぐそれに応じて連弾に応じます。打ち合わせも何もありません。即興演奏です。韓国の学生はたまげます。ミス一つ、音の擦り一つありません。韓国の学生の驚きようは尋常ではありませんでした。即興の掛け合い演奏は日本でもしばしば行われています。ジャズピアノの名手「菊池」や、ユーチューブでチェンネルを持っている「よみい」などが相手です。いずれの場合でもカテインは美事な演奏でそれらに応じています。何よりも驚くのは、ミスタッチ一つ、音の擦り一つないことです。しかも、カテインは東大の理工学部出身です。彼の頭の中は、一体どうなっているのでしょうか?

 去年のショパンコンクールに出場した彼は、三次予選で敗退しましたが、一位になった、カナダのブルース・リュウや二位の反田恭平、五位の小林愛美などより、音感では優れてる、と私は思い続けています。それは何故か? 彼らはなるほど音を美しく表現してはいるが、ただ楽譜どうりに弾いてはいるに過ぎない。角野隼斗の場合は「音に意味を持たせて語らせている」と私は感じているのです。世界的に有名になった日本の盲目のピアニス辻井伸之の音も綺麗ですが、ただ綺麗なだけです。盲目のゆえ万象に触れることが出来ないため、深みのある音が出せないでいるのです。

 さて、我が敬愛する角野隼斗さんも28歳。噂に寄れば、東大で「ミス東大」になった森章彩子さんとの付き合いがあるらしいのですが、詳しいことは分りません。朗報を待ちましょう。

0 2 3 年 3 月 2 6 日      決 意       

  かつては女流名ピアニストとして名を馳せた、90歳になる彼女の演奏をユーチュヴで聴いたことがあります。大勢の聴衆を前にして、両脇を抱えられ、ヤットこサットこピアノにたどり着き、おもむろにショパンのワルツを弾き始めたのはいいが、聴くに堪えない演奏でした。それでも聴衆は万雷の拍手を浴びせていました。

 83歳になった希代の名ピアニスト・ホロヴィッツの演奏を、大枚35000円払ってサントリーホールで聴いたことがあります。ミスだらけの痛ましい演奏でした。「壊れた骨董品」とまで揶揄されました。調子に乗って、同じ感想を音楽雑誌「音楽の友」に投稿しましたら、採用され掲載されたこともあります。

 さて、私の場合はどうか? 三週間余りタイ・チェンマイにいて帰国しましたが、何故か、ピアノに向かう元気が出ません。出国前は毎日、4,50分弾くことを日課にしていて、厳格にその掟を守ってきたにも拘わらず、ピアノに向かう元気がなくなっていたのです。自分の技量の衰えに怯えた結果でしょうか? 半月が経過しました。これではいけない、このままではこのままになってしまう、と痛く反省し、思い切ってピアノに向かったのですが、案の定、指が素早く動いてくれません。ミスタッチの連続です。スラスラ出来ていた、ドヴィッシーの「アラベスク一番」、「パスピエ」、「月の光」などミスタッチの連続です。自分ながら嫌気がさしてしまい、86歳の自分の加齢を呪い、つくずく情けなくなり泣きたくなりました。

 しかし、しかしです。人生はこれからです。4月からは改めて月三回のピアノの先生のところへ通い、7月の発表会の曲を今から準備を始めようと、重い腰を上げることを決めました。

0 2 3 年 3 月 2 5 日         必勝しゃもじ

  岸田総理は、インドのモデイ首相を5月のサミットに招待するため、インドにいたと思ったら、特別機でポーランド・ワルシャワに飛び、列車でウクライナ・キーウへ行き、ゼレンスキー大統領と会っていました。元外務大臣であったからでしょうが、この腰の軽さは賞賛されていいでしょう。ウクライナに対しては約40億円分の武器でない支援物資を送ることを約束しました。5月のサミットは日本の広島で行われます。岸田総理のお膝元です。議長国は議長の欲する国々をこのサミットに呼ぶことができます。ゼレンスキー大統領のオンライン参加を呼びかけ、それに成功しました。

 そこまではまともで良かったけれど、勢い余って、ゼレンスキー大統領に広島名物「必勝しゃもじ」と「千羽鶴の縁起物」を個人的お土産として献上したのです。けったいな贈り物を目の当たりにした大統領は、さぞ、面食らったことでしょう。しかし、「必勝しゃもじ」は広島でこそ通用してもウクライナで通用するかどうか? しかも、ロシアとウクライナは、毎日、死闘を繰り広げているのです。そこへお伽の世界の奇天烈なしゃもじをお土産にするとは、何たる不見識か! 日本の国会は鬼の首でも取ったように、いま、そのことで揉めに揉めています。

 私もそう思います。何故、総理はお土産について回りと相談しなかったのか? 独断の発想を、何故、回りの者達が止められなかったのか、残念至極です。しゃもじ土産は、岸田総理の「きゅうじんのこう」を一気に欠いてしまいました。

 0 2 3 年 3 月 2 4 日          黄 砂

  中国の奥地のタクラマカン砂漠などで発生した黄砂が、北京などを汚染し、かつ、偏西風に乗って日本海を渡り、日本列島に飛来する季節となりました。毎年のことながら、この厄介者は花粉以上の嫌われものです。一つ年下の従兄弟の靖輝君が存命の頃、何度も上海へ行きましたが、大陸が近づくにつれ空の色が変わってきます。大陸が吐き出す粉塵に黄砂が入り交じって視界不良となっていくのです。あるときは紅橋空港に到着しました。視界不良の上、高速道路は大渋滞です。中心部に位置する定宿にしていたホテルまで四時間かかったこともありました。車の窓を開ければ尋常でない匂いと共に、砂粒が舞い込んで来ることもありました。

 今年の黄砂は例年にない規模だそうです。北京の上空も黄色に染まっているそうです。当然、西安、上海も悩まされていることでしょう。

 一昨日は晴天が訪れたので、お花見、としゃれ込みまた。いずれのところも7、8分咲きでしたが、「今年も晴天下に咲き誇る桜に出会えた。ありがとう」と、心から感謝しました。願わくは、あと4,5年、よろしくお願いいたします。

2023年3月2 3 日     ヌートバーの母親   

 家の近くの関越道路に乗って30分ほど走るとそこは埼玉県東松山市です。森林公園もあり、その隣に中沢家の墓地もあります。遠からず、そこは私の永遠の居住地になるでしょう。その東松山市がWBCの野球で大活躍した一選手のポスターや看板を掲げて大賑わいしています。そのポスターは今回の野球で絶えず一番打者を務めた日系人のヌートバーです。何故なら、彼の母親、久美子さんは埼玉県立東松山女子高を卒業した日本人女性だったのです。小柄な久美子さんは実に大柄なアメリカ人男性と結婚しました。どういう経緯でそうなったかはいずれ詳らかになっていくでしょうが、とにかく、小柄な日本人女性は大男と結婚し、父親似のヌートバーを出産、野球選手に育て上げたのです。大変なご苦労があったはずです。でも、報われました。世界に冠たる野球選手になったのですから。東松山市が市を上げて久美子さん一家を褒め称え、偉大な選手ヌートバーを祭り上げているのは、何とも微笑ましい限りでした。  

 *たまたま、3時のお茶の時、テレビを付けたら、日本選手団を乗せたマイアミからの日航特別機が到着したところでした。選手団の先頭は栗山監督でしたが、大谷、ヌートバー、ダルヴィッシュ、佐々木などのメジャー組の姿がありません。「そうか、シーズン中なので凱旋帰国が叶わなかったか」と落胆してしまいました。せめて、一週間の休暇を与える度量がアメリカにあったならなあ、とアメリカメージャーに対する恨みは骨髄に達してしまいました。

2023年3月2 2 日      薄氷の勝利   

 WBCの準決勝は対メキシコ戦。9回裏、日本は4対5で負けています。多くの日本人は「もはやこれまで」と思ったのではないでしょうか。ところがです。この最終回に劇的場面が繰り広げられました。先ず、先頭のヌートヴァが倒れましたが、二番手の大谷が出塁しました。三番手も続きました。そして四番打者の村上。彼は鳴り物入りで侍ジャパンに加えられた若手ナンバーワンの選手ですが、このところ、三振の山を築いていました。それでも栗山監督は彼を信じて送り出したのです。その彼が、最後のところで2塁打を放ち、二人が生還し、6X対5で勝利したのです。勝ちを疑わなかったメキシコの落胆ぶりはどんなだったでしょう。逆に日本国中が喜びに溢れました。最後の最後に二塁打を放って日本の勝利を導いた村上は、全員からもみくちゃにされていました。ここは不調の彼を最後まで使った栗山監督の慧眼を讃えるべきでしょう。

 この文章を書き終わった頃、日本時間午前8時から始まったアメリカとの決勝戦で日本が3対2で勝利した、というニュースが飛び込んできました。侍ジャパンが世界一となったのです。嬉しいではありませんか。世界に冠たるアメリカの野球を日本が破ったのです。嬉しい、嬉しい、嬉しい、、、、、。

2023年3月21日      極秘会談   

 中国の国家主席習近平がロシアを訪問し、プーチンと極秘会談を重ねています。停戦か、それとも戦線拡大か、核の使用が始まるのか? 世界は固唾を飲んで二人の動向を見守っています。ヨーロッパのほとんどの国がNATOに加盟し、兄弟同様だっウクライナにもロシアに敵対する勢力が生まれ、その結果、孤立化するロシアの心情を思えば、戦争の開始も分らなくはありません。しかし、戦争は人間同士の果てしない殺し合いです。どれだけ、無辜な人間が歯がみしながら死んでいったことか! その責任は20年以上に亘って独裁者で在り続ける元秘密警察員あがりのプーチンのせいでもあります。

 恐らく習近平はそのすべてを承知した上でのモスクワ訪問であるでしょう。まかり間違っても、中国からロシアへ武器弾薬その他を贈る約束などしないで貰いたい。ウクライナのゼレンスキー大統領ともネット会談をするそうですが、いきり立って殺し合いをしている両国を宥め、双方の言い分をそれぞれ斟酌しながら、停戦協定にまで進むことができたなら、世界は習近平を賞賛するでしょう。中国の株が一挙にあがること請け合いです。さてさて、どうなりますか。

2023年3月20日      半 目   

 昨日のNHK杯争奪囲碁決勝戦は、希に見る美事な戦いでした。連続して選手権者である一力遼と、若手の関航太郎との息詰まるような熱戦でした。結果は航太郎の半目勝ち。一力遼は3年間守ってきた座を明け渡しました。航太郎はまだ21歳の若者。実に精悍な顔をしています。太い眉毛、顔の真ん中に胡座を描いたような大きな鼻。女流の第一任者藤沢里菜と10代の天才仲邑菫、そして一力遼と関航太郎の四人は、四人だけの研究会を持ち、研鑽に励んでいます。目的は国際戦で「中国と韓国に勝つ」ためです。その効果が図らずもNHK杯で現れた、のです。囲碁の最高峰・棋聖戦の覇者として、連覇を成し遂げ、週間碁の一面見出しに「一力時代来たる」と書かれた一力遼は、関航太郎に半目負けを喫しましたが、悔しさ半分、嬉しさ半分ではなかったでしょうか。

 一時間半の勝負は手に汗する名勝負でした。従来の常識では計れない奇手の連続が盤面を飛び交いました。AIは終始関側に得点を与えていましたが、ある時点で一力80,関20となる瞬間も捉えていました。一力の不覚はその場面を捉えきれなかったことです。

 今日はこれから錦糸町で行われる仲間同士の囲碁の会へ行きます。従来にない斬新な手が打てるよう、気持ちを新たにして盤に向かう積もりです。帰りには大型書店によって、探しに探し求めている、「余りにロシア的な・亀山郁夫著」求めてきます。果たして新刊書欄にあるかどうか、、、、

 2023年3月1 9日     桜咲く   

 昨日は大雨でしたが、今日は快晴。桜が咲き始めました。千川通りの桜も、光が丘の桜も、練馬中学校門の三本の老木も、石神井川の数十本の桜も三部咲きです。馴染みの公園の愛する桜も、今日は青空の下、輝いていました。今年も桜を観ることができた幸せを噛みしめ、感謝の祈りを捧げました。猫額のベランダから毎日観ている洋梨の枝先も心なしか膨らんで来ています。猫額の玄関脇の庭のキウイの枝先も膨らんでいます。日本ならでは春の到来です。

 ハワイと同じ緯度上に位置するタイ・チェンマイではこういった季節上の変化はありません。乾期と雨期があるだけです。冬の間滞在していた森の中の一軒家にはベランダがあって、朝、そこに出ていると、木の間隠れに太陽が昇ってきます。それも、7色の光線を放ちながら厳かに上ってくるのです。飽きずに眺めていました。一年を通じて半袖いられるところと、四季が如実に存在する国と、どちらがいいか?答えに窮する問題です。

 「願わくは花ノ元にて春死なんこのモチ月の如月の頃」西行法師

   2023年3月18日     煉瓦亭   

 銀座四丁目角の和光の裏に煉瓦亭という旧い洋食屋があります。独特のオムライスを出すことでも有名な老舗です。この店の息子が読売新聞の販売局員で、我々と同じ外勤の担当員でした。一緒の区域を担当していた頃、各社の担当社員の定期的会合で、しばしばこのお店を使わせて貰うことがありました。一般の食堂の二階には旧い調度品に囲まれた会議室などもありました。噂に寄れば、親父の死後、この店を引き継ぐためにくだんの彼は、読売を退社したそうです。

 韓国の大統領ユンソンニョルさんが、奥さん共々初来日しました。懸案だった徴用工問題について、日本には負担をかけず、韓国財界からの寄付金でなんとかする、という新しい考え方を携えての来日です。岸田総理との初会合が開かれました。その夜、岸田総理は二軒目の食事処にこの煉瓦亭を選びました。そしてオムライスを注文し、二人仲良く召し上がったそうです。なんとなれば、彼の大好物がオムライスであることを聞き及んでいたからでありました。

 韓国前大統領の文在寅の、支持率を上げるための大がかりな嫌日運動は、今なお、韓国中にくすぶり続けています。日本の植民地であった頃の日本の悪政については学校の教科書にも書かれていて、若者達は日本について悪感情を抱きながら育っています。怨念の「怨」という字はこれから千年、韓国国民の感情の底流で在り続けるかも知れません。しかし、新大統領が現状の打開のため、奥さんを同伴して来日してのです。韓国経済の現実は、聞きしに勝る危機の中にあるようです。今度は日本の総理が韓国へ行く番です。現状を打開するための何らかの施策を日本側から韓国に提示する番です。岸田総理の英断を期待いたしましょう。

2023年 3 月17 日    時 差

 侍ジャパンの大活躍で日本中が沸き返っています。とうとう、イタリアを破って準決勝まで進みました。あと、2勝すれば世界一となります。その2試合は東京ドームで行われるとばかり思っていたら、違いました。アメリカのマイアミで行われるそうです。東京とマイアミ、約12時間の時差があります。昼と夜が逆になります。どんなに頑強な体力の持ち主でも体力に狂いが生じます。なぜ、準決勝、決勝の試合を日本で連続してできなかったのでしょうか? 会場の変更は、それを狙ったアメリカの策謀の匂いがフンプンとしています。

 時差ほど苦しいものはありません。アメリカへは二度行きましたが、その度に時差に苦しみました。一度目は日本新聞協会加盟新聞社派遣のアメリカICBMの総会に参加するため、8名の団長としてニューヨークへ行きました。ニューヨークタイムズ社を表敬訪問し、寝不足のまま、しどろもどろで英語で挨拶をしました。どうしても眠れず、ホリデイインのフロントで医者を呼んで貰い、薬を処方して貰いました。

 二度目は新聞奨学生40名を連れてのニューヨク、ワシントン、マイアミでした。あらかじめ、ハルシオンという薬を持参し、お世話になりました。アメリカのみならずヨーロッパの時も時差に苦しみました。イタリア、ドイツ、オーストリア、フランス、ポーランド、、、、、

 快進撃を続けてきた「侍ジャパン」の選手諸君も、キット時差に苦しめられるでしょう。時差のため、快進撃もこれまで、となるような気がしてなりません。

2023年 3 月1 6 日    マスク

 近くのコンビニへ固定資産税の納付に行ったところ、入り口に大書されていた「マスクを着用して入店してください」の張り紙がなくなっていました。でも、長い間の習慣で、着用して入店しました。思えばタイチェンマイではマスクをしている人はマレでした。空港でも機内でもマレでした。漸く、我が国でも数日前からマスクの着用義務がとかれ、自由となりました。世界を見回しても、最も遅い国になったようです。

 今日の天声人語にはマスク解禁についての、数々の短歌が引き合いに出されていました。面白かったので再録させていただきましょう。

  「去年今年出会い人にまだ顔の下半分は見せてはいない」

  「せめてもの口紅だけが武器だったコロナ禍のわれ丸腰でござる」

  「焼香はなく礼拝のみ故人だけがマスクを付けず写真に笑まう」

  「使い捨てマスクなれども丁寧に洗ひ青葉の風に干したり」

   「人類はパンツをはいた猿でありマスクをつけた猿ともなった」

 さて、私はどうするか?マスクを付けた猿の一匹で在り続けます。i

 (道行く人々が、ほとんどの人々がマスクを付けています。忘れていました。今、正に花粉症の季節だからです。今年のスギ花粉は異常に舞っているようです)

2023年 3 月1 5 日    大江健三郎

 大江健三郎さんが死去しました。享年88歳。私と同時代の作家、文学者でありました。更に、ノーベル賞まで受賞している高名な方でありましたが、何故か、この人の作品を一冊を除いて読んだことがありません。理由は、文体が難解で、読み返し、読み返ししても頭に入ってこないからでもありました。彼の奥さんのゆかりさんは映画監督として名を馳せた伊丹十三の妹。伊丹十三は、ある日、ビルの高層階から飛び降りて自殺を遂げています。その血を受け継いだせいか、一人息子の光さんは障害児でもありました。唯一、音楽に秀で、現在も作曲家として活躍中であるとか。父親の彼に対する溺愛ぶりは尋常では無く、彼について書くエッセイは私をして痛く感動させました。娘さんも二人いて、幸い、普通の人として会社勤めをしているようです。

 難解な文体で知られる文学者に埴谷雄高がいます。私の書庫には彼の全集が揃っています。その横には三島由紀夫のほとんどの作品が並んでいます。なぜか、大江健三郎の著作はありません。読んだ一冊はどこかに紛れ込んでいるでしょう。と言うことは、大江健三郎は私の理解を遙かに超える作家・文学者であったのでしょう。でなければ、ノーベル賞を貰うはずはありません。今からでも読もうか? 残念ながらその気力はもうありません。偉大な作家・文学者であった大江健三郎は、私にとって障害児光さんの父親としてのみ存在して、幽明境を異にしてしまいました。ご冥福を祈ります。

2023年 3 月1 4日     検 疫

 2月16日羽田発0時20分のバンコック行きに搭乗する際、コロナの検疫は何も無く、バンコクでもチェンマイでも素通りできました。ところが帰りの場合は厳格でした。チェンマイでのチェックインの時、英文で書かれたワクチン接種証明書の提示を求められました。練馬区役所に二日に亘って通い、発行して貰い手提げバックに大事に入れたその書類が出てきません。焦りました。それがなければチェックインはできない、とカウンターの女性係員は厳然と言うのです。大勢の人が後ろから冷ややかに見ています。列を離れ、スーツケースを開けて探しました。見つかりません。ところが、私の手提げバックを探っていた堀田さんが「あった!」と言って取り出してくれました。ビニールの袋に入れたくだんの書類は、袋が必要となりむき出しのままになっていたのでした。私はビニールの袋に入っているものと、堅く信じていたことによる錯覚でした。歳はとりたくないなあ、とシミジミ思いました。もし、堀田さんが見つけてくれなければ、エラいことになっていたでしょう。

 バンコックを40分遅れで出発したタイ航空は11時を回って羽田に到着しました。長い通路を歩かされていると、スマホをかざした係員が1メートルおきに50人余り、乗客に向かって何やら叫んでいます。「あれだな」と思いました。幸いなことに堀田さんの指示により、我がスマホには接種証明があらかじめ入れてあります。無事通過しました。堀田さんのお陰でした。ところが預けたスーツケースがなかなか出てきません。ヤット出てきて税関を通る頃、場内に人影は無く、掃除の人たちが入ってきていました。最後の10人の乗客の一人となって、ヤット解放されたはいいが、リムジンバスはもうありません。電車もありません。大勢の列に並んでタクシーで自宅まで帰ってきました。14000円余りのタクシー代はタイ航空に請求するつもりです。

2023年 3 月1 3日     一力遼時代来たる

 東北宮城県の「河北新報」は、碁会で今をときめく一力遼の曾祖父一力次郎が興した日刊新聞です。孫の一力一夫が、社長を引き継いでいますが、弟の一力英夫は朝日新聞販売局で二年上の先輩でした。彼が販売部長の時、次長で仕えたこともあります。彼が亡くなったとき、彼の引きで朝日に中途入社した宮内繁さんと、宮沢恭人君と三人が発起人となり、盛大な「偲ぶ会」をプレスセンターで挙行しました。宮沢君と私は日本棋院四段の腕前で、一力さんは囲碁には関心がなかったものの、甥っ子の一力遼君については、関心が深く、「面倒を見てやってくれ」といつも言われ続けていました。

 その一力遼君が今回の棋聖戦7番勝負で芝野虎丸に四勝し、防衛を果たした、と報じられました。週間碁の一面は「一力時代来たる!」の大見出しとなっていました。ついに囲碁界の頂点に立ったのです。地下に眠るおじいさんも、英夫さんも、キット、泣いて喜んでいるいることでしょう。私自身も、「一力家には何かがある」と思わせられてきましたが、囲碁の世界でそれが現れるとは、思ってもみませんでした。

 賞金は4500万円。二期連続ですから9000万円。そのほか、河北新報社の新聞記者も兼務していますから、26歳の彼の収入は既に一億を越えるでしょう。それはさておき、囲碁界における一力時代を更に築き上げていって貰いたいものだ、と願っています。

 2023年 3 月 12日    チェンマイ雜景 

2023年3月11日    ダルビッシュ有

 大阪生まれのダルビッシュ有はイラン人の父親と日本人の母親とのの間に生まれた混血児です。36歳。侍ジャパンの中では最年長です。ここの投手の快投のお陰で、問題の韓国戦は14対3で快勝することができました。韓国の悔しがりようと言ったら目も当てられないほどでした。何となれば、日本にだけは負けたくない、という韓国の国民性の然らしめる所以のせいでありましょう。

 前大統領だった文在寅は、北朝鮮や中国との懐柔政策を勝手に取極めめ、脱アメリカを図り、ノージャパン運動を国を挙げて展開させましたた。その名残は今も根強く残っていて、その結果、経済は極端に落ち込み現政権はアップアップの状態です。

 何故、韓国ではノージャパン運動が盛んなのか?それは、ねつ造された、事実とは大違いの小学校、中学校の教科書のせいでもあるでしょうう。確かに大昔、韓国をさげすむ風潮がありました。一方、韓国のインフラの整備は日本がしました。しかし、今の日本の風潮は「それほど日本が嫌いならば、どうぞお構いなく」と突き放している感じです。

 一昔前、日本の女性という女性は韓国製の「冬のソナタ」のような恋愛ものに首ったけとなり、ソウルの明洞が日本人女性で溢れかえっていました。懐かしい限りです。

2023年3月10日    大谷翔平

 WBCが始まりました。緒戦は中国戦です。8対1で日本は快勝しました。大谷翔平が大活躍したお陰です。中国は野球は強くはない相手ではありますが、それにしても大谷翔平の投打における活躍は美事でした。

 今日の相手は韓国。日本には歯をむき出して全力でかかってくる相手です。死に物狂いの戦いとなるでしょう。今日の投手はかの有名なダルビッシュ有。大谷に負けず劣らずの戦いが予想されますが、決して油断はできません。壮烈な試合展開になること必須です。日本中が固唾を飲んで見守ることでしょう。

 明日の3月11日は三陸沖の大地震・大津波の記念日。今もって尚、大勢の行方不明者がいるのです。それにしても、東京の昨日今日の暖かさはどうでしょう。玄関脇の梅の木は既に満開を通り越して散りかけています。この分では桜の開花を間近かかもしれません。そう思って馴染みの公園の桜を見に行きました。しかし、蕾みも膨らんでいず、まだまだの感じでした。

 一方、困ったのは帰郷と同時に始まった目の痒みです。花粉症の季節の到来です。今年は例年にない量の花粉が飛び交う、というご託宣です。タイ・チェンマイでは樹木が生い茂ってはいても、杉の木は一本もありませんでした。従って、花粉症は皆無。来年は、できることなら2月から5月末まで、向こうに滞在しようか、と考えているところです。すると、桜の季節に会えずじまいになってしまいます。はて、どうしたものでしょう。

2023年3月6日    チェンマイ・コロナ事情

 2月16日の夜行便でバンコックへ着きました。国内便に乗り換えるため、だだっ広いスワンナブーム空港の端から端まで歩かさせられましたが、行き交う人々のほとんどはファラン(ヨーロッパ人)で、全員が全員ともマスクをしていません。一時間ほどでチェンマイ空港に降り立ちました。賑わう空港でも、マスクをしている人をほとんど見かけません。山岳民族の学校へ行きました。生徒は誰一人としてマスクをしていません。人、人、人で賑わう夜のバザールでも、マスクを付けている人はまばらです。なぜだろう?と考え込んでしまいました。

 思えば三年前の3月6日、中国で、質の悪い伝染病が流行りだした、という噂が立ったころ、家財を整理して、森の中の一軒家を返上し、帰京しましたが、それから旬日ならずして、チェンマイは出ることも入ることもできなくなったのでした。

 思うに、この三年の間に、ほとんどのチェンマイの人々はコロナに罹り、回復したが故に、昔の賑わいが戻ったのではありますまいか?温暖この上もない気候のご当地であってみれば、一家で一人でも感染者がでれば、家族全員が罹ってしまうのは家庭環境から考えて,極く自然な成り行きです。そうだ、それに違いない、と思うことにしました。

 不思議だったのは、町ゆく人々の中で、中国人を見かけることが稀だったことです。

 幸い、私自身は、4回のワクチンを接種したおかげでしょうか、今日までご当地での滞在は三週間目を迎えていますが、体調に異常はありません。滞在しているホテルは、旅行会社も経営する妙齢の婦人メグさんの長期滞在型のホテルですが、5階の窓の外は、鬱蒼とした緑が広がり、木々の梢ではリスが飛び回り、名も知れぬ鳥たちが飛び交っています。気温は毎日26度前後、ホテルの前は飲食店や、スーパートップスがあって、衣食に不自由はありません。朝から晩まで半袖暮らし。毎日、「ここは天国」と感じながら、異次元の世界を楽しんできました。それも明日で終わり。明後日8日は帰国の日です。下の写真は、三週間滞在したダメグさんが経営するホテル「愛」の5階のベランダからの写真です。朝食バイキング付きで合計金額は12000バーツ。約5万円。一泊当たり、何と2400円! 

2023年3月3日  キーボードとピアニカと      

 今日は東京から重い思いをして運び込んだヤマハのキーボードと、三年前に来たとき小さな子供に約束したピアニカを、車に積んで、山また山を堀田さんの運転で乗り越え、少数民族・カレン族の学校へ届けに行きました。子供の母親は村役場に勤める若い母親で、すでに、三歳の可愛い女の子も生まれていました。きっと、この子も、ピアニカに慣れ親しむでしょう。彼女はチェンマイにご夫婦で長期う滞在している順子さんという女性に日本語を習っているおかげで、日本語は達者です。教えている順子さんは月に2,3回、ソンテウに乗ってこの山奥まで来て日本語を教えているというからこれもまた美談であります。

 キーボードは堀田さんによってが綺麗に包まれ、タイと日本の国旗が飾られていました。学校側の受取人は美人の先生でしたが、キーボードはできますか、と聞いたら、できます、というので、包みを開いて、キーボードを組み立て、さあ、弾いてみてください、と言ったら、彼女は鍵盤に触れながら「ドの音はどれですか?」というので「ぎゃふん」となりました。それでは、と私がキーボードの前に座って2,3曲弾きました。先生方は唖然としていました。はるばると東京から持参したキーボード、これからどんな運命をたどるのでしょうか?少数民族であるカレン族の子供たちの音楽への関心が高まってくれることを、心から祈りました。

 昼食はピアニカを差し上げた彼女の母親の家に用意されていました。車座になって珍しいカレン族の食べ物をいただきました。彼女の母親が、ふと、讃美歌を口ずさみました。讃美歌は世界共通です。そこへ、大柄なカレン族の長老が讃美歌集をもって加わりました。私が低音を受け持ち、期せずして讃美歌の大合唱となりました。聞けば、このカレン族の集落には教会が二つもあるとのこと。驚きでした。

 

 

2023年3月1日    植物園と蜂蜜と      

 今日はチェンマイ植物園へ行って、東京から持参した奇妙な植物の死骸を埋葬する日です。三年前に植物園で出会い、その面白さゆえにその三つを購入し、スーツケースの底に忍ばせて持ち帰り、練馬の我が家の二階の軒につるし、朝夕、慣れ親しんできました。軒に吊り下げただけで生きていたのでしたが、やがて息をしなくなってしまいました。東京のごみ箱に捨てるに忍びず、チェンマイの植物園の土に戻してやろう、スーツケースに入れてきました。今日が土に戻すその日なのです。

 ところが、堀田さん運転の車は、チェンマイの街を北上してゆきます。王室植物園はチェンマイの南外れに位置します。たまりかねてそれを言うと、何と、堀田さんは南の王室植物園を知らなかったのです。

 同じチェンマイの土なのだから勘弁してもらおう、と同じ王室の王女が建てた「シリキット王女森林公園」の頂上付近の水場の芝生の土の中に彼らを埋葬しました。彼らの深いため息を聞いたように思いました。

 山を降り、ふもと近くの「はちみつ屋」に寄りました。チェンマイでは有名なお店で、来るたびの寄らせてもらってきました。蜂蜜は偽物が多いといわれています。東京のスーパーで売られている蜂蜜は、そのすべてが不純物だと言ってよいそうです。チェンマイは花の街です。年がら年中花が咲いています。蜂たちにとっての天国でしょう。偽物が横行する道理はありません。

 東京での私の朝食には、メープルシロップ、蜂蜜入りのR1ヨーグルトが欠かせません。ならば、この時とばかり一万円分の蜂蜜を購入してしまいました。中には、巣に入ったものまで買ってしまいました。

 

 

 2023年2月28日   続・魔の三角地帯      

 (悪戦苦闘の末、どうやら、入力と保存ができるようになりました)22日は、いよいよ山奥の少数民族(モン族)の小学校へ向かいました。ビルマの奥から流れてきて、メコン川に注ぐオン川沿いに山道を遡るのです。途中、実弾射撃場がありました。ピストルとライフルが置いてありました。近くの的を狙って引き金を引くのですが、ドデカい音と強烈な反動はあっても、的に命中しません。何度やっても同じこと。自分には兵隊は無理だ、と悟りました。道は、その辺までが人家の限界となり、その後は急峻の上り下り、一歩、間違えば遥か下を流れるオン川に転落です。対向車があるとヒア汗ものでした。最終の人家から一時間ほど経ったころ、突然辺りが開けました。モン族の小学校です。教頭先生他、生徒たちが迎えてくれました。モン族の部落はこの先の谷合に点在している、とのことでした。

 生徒数約300人、先生の数30人。今日は埼玉県の慈善団体が寄付した数百万円を使って古びた学校の設備を新しくすることができた、その感謝の会が催されるのでした。その一切を、タイにいて取り仕切ったのが畏友堀田さん。今日はその堀田さんのお陰で、私は埼玉県の慈善団体の会長さん代理で、一言、挨拶させられるのです。

 埼玉県の慈善団体とタイの少数民族の学校とは、数十年前から深いつながりができていて、パイの小学校に校舎を寄付したり、運動場を作ってやったり、優秀な生徒には奨学金を出したり、日本の大学留学を支援したりしています。堀田さんはその団体の現地駐在員として、八面六臂の活躍をしているのです。つられて私も、日本からキーボードを担いできて、小学校や教会に差し上げることを始めてしまいました。今回も担いできたキーボードを寄贈することになっています。堀田さんの日程によれば、その日は3月4日とのこと。

 さて、校内の一角には100人余りの生徒がコンクリートの床に座って我々を待ち受けていました。恰幅の良い校長先生のあいさつの後、堀田さんが日本の地図を持ち出し、日本国をひとしきり説明した後、私の番になりました。彼らは日本語も英語もわかりません。私もタイ語はしゃべれません。幸い、堀田さんがタイ語で通訳してくれます。

 開口一番、自己紹介しました。そして、とっさに「私の名前はドラえもん、日本のドラえもんです。私の奥さんの名前はシズカちゃん。そして、カメラを撮っていた、堀田さんの知り合いの同乗者の女性を指さしました。女性は驚いた顔をしてくれました。会場全体が笑いに包まれました。

 数人の生徒との座談会がありました。困っていることに洗濯機のことが出てきました。寄宿者が大勢いるのに電気洗濯機は3台しかなく、一台は先生専用、一台は故障して使い物にならない、最後の一台を奪い合って使っているとのこと。校内を回ってみると、二段ベットの女子生徒専用の粗末な部屋が四つも五つもありました。

 帰り道、考えました。故障した洗濯機を、もし、ドラえもんが見たらどうするだろうか?と。私はこの日、ふとした思い付きで会場の笑いを取ろうとドラえもんを名乗った。ならば、私は生徒たちにとってドラえもんでなければならない、、、、、

 車はチェンライの街に戻りました。夕暮れが迫るなか、車を大型電気店につけてもらいました。旧式ではありましたが、超大型の乾燥機付き洗濯機を8000バーツで購入しました。洗濯機のわきにドラえもんのシールを張り付けてもらい、この洗濯機は明日3月1日、山奥の学校に運ばれます。

2023年2月24日   魔の三角地帯      

 21日朝、畏友堀田さんがチャーターした6人乗りの車に4人が乗って、チェンマイの姉妹都市チェンライに向かいました。そのチェンライから更に北上すると、そこはタイ国の行きどまりで、雄大なメコン川を境に、向こう岸はラオス、左側はミャンマーです。その先は行きどまりで、わずかに少数民族が住んでいて「ケシ」の花を栽培し、それによって生計を立てていました。俗に「魔の三角地帯」と呼ばれ、更に、10年ほど前に来たときは、それぞれの国ごとに巨大なビルが建っていて、ルーレットなどの博打場になっていました。また、遊覧船に乗って向こう岸のラオスに渡ることができ、そこにはテント張りのマーケットがあって、おそらく、偽物でありましょうがブランド品など、珍しい買い物ができました。でも、今回びっくりしたのは、タイのビルはすでになく、ミャンマーのビルは赤い屋根の普通の家屋に変わっていました。向かい岸のラオスだけに数十のビルが林立し、都会の様相を示していました。変わらないのはメコンの流れで、不透明な水が音を立てて流れていました。

 この日はメコン川の遊覧船に乗り、恐らく今生の最後となるだろう景観を存分にマナコに焼き付けた後、ミャンマーと国境を接して栄えて栄えているメイサイへ向かいました。相変わらず国境に架かる橋の周辺はごった返ししていました。途中、三車線の道路の両脇に木立に囲まれ、ひろびろとした 屋敷が立ち並ぶ一角を通りました。「ならば、すぐ住みたい、天国のようなところだ」と、前回、感想文に記したところです。いやー、懐かしかったところです。この日はチェンライのホテルに宿をとりました。(ここまで書いたところで、またまた、不具合が生じ、継続が不可能となりました。書いた文章の保存が効かなくなったのです。土日をやリ過ごして、月曜日一番に東京に電話を入れ、お助け女神の松坂さんのお声に接しました。何のことはない「保存」の欄は別のところに現れていました。

 ところが、またまたの不具合発生! 

023年2月20日   パソコン(2)      

 やっと、パソコンにウインドウズ10を入れることができましたが、まだ、本格稼働ができずにいます。

2023年2月15日   パソコン      

 海外も含めて旅に出るときは、小型のパソコンを持ち歩いているのですが、コロナ禍のため、3年間使わずにいたら、「ウインドウ・セブン」は使い物にならなくなっていました。いつものPCデポに持ち込んだのでしたが、多数の不備が指摘され修復不能と言われたのです。それならチェンマイの電気街へ持って行ってやってもらうことにし、スーツケースに入れました。もし、向こうでも新しいバージョンが入らなかったら、「私のホームページ」は3月8日まで休業とさせていただきます。向こうで待っている畏友堀田さんは、パソコンを含めて何事にも造詣の深い方なので期待しています。では。

2023年2月14日    奇妙な植物      

 タイ・チェンマイには、それはそれは美事な植物園があります。ありとあらゆるランが咲き乱れる一角があるかと思えば、熱帯でなければ存在できない奇妙奇天烈な植物のコーナーもあります。園内を一周する乗り合いバスに乗って、気に入ったところで止まってもらい、心ゆくまで花や植物と時を過ごすのですが、ある一角で奇妙な植物を見つけました。空中に銀色の根を生やして,丸い松ぼっくりの親戚のような実を養っているのです。土も水も肥料もいらないようなのです。同じようなものは沖縄にもありましたが、タイのそれは、似てはいるものの違っていました。同じものが園内の売店でも売られていたではありませんか。一つ15バーツ。三つ買い求めて、密かにスーツケースにしのばせ、東京へ持ってきました。二階の仕事場の軒につるして、朝夕眺めていました。奇妙に心が安まりました。<♫あれは三年前♫>日本の寒さに耐えられなくなったのか、次第に全体が色あせ、とうとう息をしなくなったようです。

 今回、三つの植物の遺体を軒から外し、タイ・チェンマイへ持って行くスーツケースに忍ばせました。あの植物園へ持って行って、ふるさとの土に戻してやるつもりです。

 2023年2月13日   キーボード     

 タイ・チェンマイへ行く日が迫ってきました。今まで、行く度ごとにチェンマイの奥地で、ひっそりと暮らしている少数民族の小学校や教会へ、日本のキーボードを持参して寄贈してきました。訪問する学校の選択は、現地で活躍中の畏友堀田さんに任せ、かねて購入した日産マーチに積み込んで運びました。少数民族の学校では大歓迎され、幼気な小学生の群舞で迎えられたり、生徒が育てた野菜や鶏の卵を貰ったりしてきました。純朴な少数民族の子供達は珍しいキーボードの音色にいたく関心を示し、喜んで貰えました。子供達の喜びは私たちの喜びでもあります。取るに足りないこととはいえ、この無償の行為は病みつきにもなりました。

 さて、出発が明後日に迫った今回はどうするか?寄る年波のゆえか、億劫になりつつもありました。しかし、あるところでヤマハの優れたキーボードが格安の値段で売られていました。これを逃してなるものか、ごく自然に買ってしまいました。また、コロナ禍が始まった頃の3年前、僻地の少女に「今度来るときはピアニカを持ってくるからね」と約束したことも脳裏をかすめました。約束は果たさねばなりません。「アマゾン」から質の良い新品を求め、スーツケースへ入れました。

 それもこれも、日本を出てタイ・少数民族の子供達の日本留学に骨身を惜しまず尽力している畏友堀田さんなかりせば、起きなかったことです。明後日の15日は池袋メトロポリタンホテルからのリムジンで、羽田真夜中発のタイ航空でヤマハのキーボードとピアニカと共にタイ・チェンマイに向かいます。

 2023年2月12日     紀元節   

 そういえば昨日11日は昔の紀元節の旗日でした。紀元節の歌、今でも忘れずに歌うことができます。「♫雲に聳ゆる高千穂の高嶺下ろしに草も木もなびき伏しけん大御代を仰ぐけふこそ楽しけれ♫」

 男性はカーキ色の国民服を着、戦闘帽をかぶり、足にはゲートルを巻き付け、至るところで敬礼を強要されていました。女性はモンペをはき、割烹着を着て、化粧は御法度、口紅でも付けようものなら、非国民呼ばわりされていました。天長節も国旗掲揚を強いられました。「♫今日の良き日は大儀見の生まれ賜いし良き日なり♫」昭和一六年一二月八日に勃発した太平洋戦争は、次第に敗色が濃厚を極め「♫海ゆかば、水付く屍、山行かば、草むす屍♫」となり「オオギミノ辺にこそ死なめ顧みはせじ♫」で敗戦となりました。よくよく歴史を回顧すれば、強国ロシアを相手に戦って勝利した日露戦争に端を発しています。乃木希典提督をいただいてバルチック艦隊を殲滅させました。富国強兵が叫ばれ神の国日本は八紘一宇、大東亜共栄圏を旗印にして近隣諸国に迷惑をかけました。その、事の起こりが2月11日の紀元節にあったのです。

 いまの日本国は雑誌も新聞もそのことに触れようとはしません。ロシアのウクライナ侵攻に劣らない身勝手な戦争を多としてきたのが、我々の国「日本」なのです。この気持ちは、幼少期を通じて戦争のつらさ、疎ましさのただ中にあった我々の世代が持ち続けてきたものではあっても、日本国民たる者すべてが、日本という国はアジアの近隣諸国に多大の損害と迷惑をかけた国であることを思い起こさねばなりません。その日が昨日であったことを改めて思い起こしましょう。

 2023年2月11日     日銀総裁   

 昨日は朝から雪もよいで、銀世界が広がっていましたが、夕方からは雨になりました。光が丘まで車で買い物に出ましたが、道路はぐしゃぐしゃ、これが凍ったらエライ騒ぎになるだろうな、と思いながら今朝起きてみてビックリ仰天、道路にも、屋根にも雪のかけらもないのです。夕べの内に蒸発してしまったようなのです。そして、雲一つない青空が広がり、朝日が燦々と輝いているのです。天候の素早い変化にはスッカリ驚いてしまいました。

 今朝の一面トップは日銀総裁の人事でした。辞めない、と固執していた黒田総裁の交代です。後任は現在共立大学教授の植田和男(71歳)です。この方は元日銀の審議委員ではありましたが学者です。これまでの歴史の中で学者が日銀総裁になったことがあったでしょうか?ありませんでした。この人事は画期的なものと言わざるを得ません。

 前任の黒田総裁は「安倍のミックス」という超低金利政策を頑なにまで採り続けてきました。お陰で、銀行は利息による収入の道が閉ざされました。加えて、高齢化が進んでいる日本では銀行からお金を借りて新しい事業をしようという活力が、既になくなっていました。貸し出し金利の道を閉ざされた日本の銀行は青息、吐息状態になりました。銀行は単なる金銭の出し入れの場だけの存在となりました。私が家やアパートを建てるためにお世話になった練馬のリソナ銀行は、当時の賑わいは全く失せ、人員も減り、いつ行っても女子行員が手持ち無沙汰の状態でした。その上、円安が加速され、外国人観光客で日本は賑わっても、外国へ行く人々にとってはエライ迷惑な話です。願わくは、新任の植田総裁におかれましては「くろだより上だ」という政策をとって貰いたいものです。

2023年2月10日      雪が降る

 いま、雪が降っています。朝起きたときは、粉雪が舞う程度でしたが今は屋根に2センチほど積もり始めています。恐らく、関東平野全域が雪に見舞われているでしょう。日本列島の半分は豪雪、半分は晴天という天の配剤の不公平さを嘆いているに違いない北国の人たちの胸の内も、少しは収まるのではないでしょうか?

 粉雪が牡丹雪に変わりはじめました。新聞による積雪予想では、東京は3センチとありましたが、どうなるのでしょう?

 今の天気、全国的にはどうなっているか、調べてみました。雪の降っているところは仙台、東京、大阪、広島です。札幌、釧路は気温はマイナスですが快晴です。名古屋、福岡、高知は気温は高いが雨。那覇も22度で雨。福島・浜通りはどうなっているでしょう。予報では今日の夜から中通り、浜通りが大雪の見込み、となっています。果たして、浜通り海沿いに位置する双葉原発の上にも雪が積もるのでしょうか?

2023年2月9日      フィリピンとオレオレ詐欺

 これまで海外旅行にしばしば行かせて貰ってきましたが、近隣諸国で行ってないのはフィリピンです。数十年前、海外旅行が流行し始め、朝日新聞もそれに乗じて「朝日旅行」という子会社を設立し、販売局の傘下となり、先輩の柳沢さんが社長に出向し、海外団体旅行を鳴り物入りで宣伝し始めました。目玉はフィリピンのゼブ島でしたが、その企画は大当たりして、押すな押すなの盛況となりました。中沢もどうだ?と柳沢さんから勧められもしましたが、なぜか、私はフィリピンには行きたいとは思わなかったのです。時、あたかもマルコス夫妻の全盛期で、千足の婦人靴を見せびらかすマルコス夫人と、ゴミ捨て場に群がる極貧の庶民との格差が余りにアンバランスでありすぎ、興味が失せていたのです。庶民の間に蔓延していた麻薬については、ドテルテ大統領が大ナタを振るはしましたが、今もって興味は失せています。

 その、フィリピンの収容所に収監されていた日本人の4人の罪人が日本に帰ってきました。オレオレ詐欺や、強盗殺人事件を収容所に収監されていながら数多くのスマホや携帯電話を使って、貧しい日本人の若者を操り、約60億の不当利得を得ていた犯人達が次々に成田空港に降り立ったのです。テレビはその一部始終をこれでもか、とばかり放映しています。いずれも髭を生やし、丸々と太っていて、教養のかけらも無いような顔つきです。「その顔、もう見たくない」と思っても、テレビはどのチャンネルでもしつこく放映しています。ふてぶてしい嫌な顔です。

 オレオレ詐欺で奪われた高齢者達の虎の子の金、併せて60億余り、元のところに果たして戻るのでしょうか?それだけが興味津々です。

2023年2月8日      トルコ・シリア大地震

 10年前に日本の三陸沖で起きたのと同程度の大地震が、トルコとシリア国境付近で起きました。建物は崩壊し、五千人を超える人々が亡くなり。今なお瓦礫の下には犠牲者がいるそうです。トルコは昔から親日国で知られています。大昔、トルコの船が紀州灘で遭難したとき紀州の人々が死に物狂いで遭難救助に当たったことが、トルコ中に知れ渡り、爾来、トルコは親日国になりました。数年前、佐々木愛さん率い文化座がトルコ・イスタンブールに行って、公演したくらいです。悲報が入るやいなや、日本政府は救援隊を組織し、本日、現地に向けて出発します。何たる素早さでしょうか!

 地震の震源地はトルコのシリア寄り、カフラマンマラッシュ県だそうで気温は零下四度、かなりの積雪があるそうです。建物の崩壊は激しく、瓦礫の下にはかなりの生存者が寒さに震えているそうです。一刻も早い救援活動が望まれます。何しろ、瓦礫の下で飲まず食わずで生存できる限度は72時間までだ、と聞いたことがあります。

 震源地のカフラマンマラッシュの位置を確認するため地球儀を見ました。そして、ウヒャと驚きました。丁度、反対側に日本が位置しているのです。しかも太平洋紀州灘、昔、トルコの船が遭難した当たりがです。災害は連続して起きます。日本も南海トラフ地震の備えを急がなければならないでしょう。

2023年2月7日      驚天動地                                         恐らく、日本全国の今日の新聞の第一面はそうでしょう。僅か13歳10ヶ月の幼気な少女が、女流囲碁のタイトル戦に登場し、今を時めく上野阿佐美タイトル保持者に二勝一敗で勝ち越し勝利し、タイトルを奪取したことを報じているのです。朝日新聞にいたっては、社会面までこの仲邑菫ちゃんの関連記事で一杯です。これは前代未聞の快挙で在り、全国の囲碁ファンは驚きを隠せないでいるのではないでしょうか?

 この少女棋士については、この欄でも度々取り上げていますが、一力遼、藤沢玲奈、10代の少年棋士関航太郎の四人で開いている勉強会が実を結んだ、と言っていいでしょう。この4人の目的は、実は日本のタイトルを手中に収めるのが目的ではありません。国際線で中国、韓国に勝利することを目指しているのです。中国は強い、韓国も手強い。当初は日本の棋士藤沢秀行などが教えに行ったにも拘わらず、中国も韓国も国家的規模の囲碁学校を作り、才能ある者を国家が養成し、日本に立ち向かわせるようになったのです。したがって、いま、中国・韓国には天才的強者がゴロゴロしています。国際棋戦では、日本はいつも「出ると負け」を喫しているのです。その悔しさのあまり、一力、藤沢は若手の育成に力を入れだしたのです。その志の一端が仲邑菫をしてタイトル保持者に導いたのでしょう。陰ながら力を入れていた一力遼、藤沢玲奈のお陰でありましょう。二人にも拍手を送りましょう。

2023年2月6日      女性の進出                                          毎朝、朝日新聞が届くと、第一面の天声人語から読み始めるのが長い間の習慣です。学生時代からですから、かれこれ70年間ほどになるでしょう。今朝、読み始めてビックリしました。題材は政府の少子化対策に対する批判記事でしたが、明らかに「筆者は女性」と分る内容の捉え方と筆の運びでした。とうとう、ここまで来たか、と感慨無量でした。

 旧くは荒垣秀雄、入江徳郎、疋田桂一郎、深代淳郎、辰野和男、白井健作。最近は小池民男、高橋郁男、富永格、、、、いずれも視点の捉え方や、文章力には定評がありました。特に白井健作さんバイク乗りがお得意で、運転にも定評があったのですが、とあるとき,筑波山の近くの朝日販売店の前で事故を起こしました。たまたま、そこに居合わせた私は色々お手伝いして感謝されたことがあります。

 明らかに、この文章は女性が書いたものだ、と分る天声人語!時代は変わってきているのだなあ、と感慨無量となりました。紙を媒体とする情報伝達手段は、廃れに廃れつつあるのが現状です。今に、新聞社や雑誌社は女性ばかりになるような気がしてなりません。

2023年2月5日      値上がり                                          この3、4日、パソコンにかじり付いて、タイ・チェンマイ行きの航空券の検索をしていました。もう3年前になりますか、コロナ禍が始まった頃、1月の下旬から3月の上旬にかけて行きましたが、そのときの航空券は往復で7万円程度でした。勿論、タイ国の国営「タイ航空」のチケットです。バンコックまで約5時間、国内便に乗り換えて1時間弱でチェンマイ到着です。チェンマイはハワイと同じ緯度上に位置しているため、洗面所に入って半袖シャツに着替えたものです。

 いろいろ探しまくりましたがどこの航空会社のチケットも物凄い値上がりです。従来の倍近くの値段です。比較的廉かったのはキャセイパシフィックでしたが、、行き帰り香港に寄って6時間以上待たされます。しかも、空港は成田発着です。悪戦苦闘の末、タイ航空の夜行便を見つけました。羽田0時20発、バンコック乗り換えでチェンマイ午前7時到着。帰りはチェンマイ発午前11時、羽田着午後10時。その日のうちに自宅へ戻れます。値段は12万5000円也。昔に比べて倍近い値上がりです。それもこれも戦争の影響でしょう。ロシアからの原油が入らなくなったためのようです。戦争とは何たる迷惑の代物であることよ! 飛行機に乗る楽しみは、窓から眺める雲の動きと時々見え隠れする洋上の船舶、それに島影です。奄美大島から沖縄本島、宮古島、石垣、西表を眼下に見ながら、台湾を通過し、青島を見ながらベトナムのフエから大陸です。決まってフエの上空を通るのは航路になっているからでしょうか。大陸に入ると、途端に雲の形が違い始めます。夏の積乱雲になるのです。バンコックが近くなると掘り割りや、沼地が多くなり、やがてスワンナ・ブーム空港に着陸です。今回は夜行便なので、窓の外は暗闇。残念至極です。

2023年2月4日    書いた?書けん!                                    今はもう、お亡くなりになって久しいですが、本名が「書いた?書けん!」という作家がいました。開高健さんです。この人の文章が面白くて、一時、著作集めに凝ったことがあります。ジョークにも優れていて、奥様の牧よう子さんとのジョーク集が在り、私が作った「ジョーク集」にも、沢山、登場させて貰いました。この作家の傑作はなんといっても、アラスカまで出かけて行って「いとう」という大魚を釣った、そのときの紀行文集「オーパ」でしょうか。大判の書物で、今も書庫に眠っています。この作家の正しい呼び方は「カイコウタケシ」ですが「カイコウケン」が通り相場になっています。このご夫妻がサントリーで巡り会った頃、サントリーは「ダルマウイスキー」で一世を風靡していました。そうなったのはご夫妻が巡り会った「ザ・サントリー宣伝部」の法外な力に寄るものでした。黒い壜に入ったそのウイスキーの原料は沖縄のサトウキビの廃糖蜜からアルコールを造り、カルメラで色を付け、少量の原酒を加えて売り出した代物でした。そのダルマが夜の巷で飛ぶように消費されたのは、「ザ・サントリー宣伝部」の「水で割ったらアメリカン」というフレーズを作り出した、いわゆる宣伝部の宣伝力によるものでした。このフレーズ作りに開高夫妻は関係していたのです。

 しかし、ウソモノは次第にバレます。ウイスキーに疎かった日本男性もスカッチのシングルモルトやジャックダニエルなどのアメリカもの、カンデアンクラブなどの味を知るようになり、日本ウイスキーの需要は激減します。サントリーは明治の終わり頃、ワインで間違いを犯しました。ブドウの入っていないワインを、宣伝力だけで売り出したのです。つまり、サントリーは2度、過ちを犯したのです。しかし、この会社は出直しを図ります。関西の山崎というところは水が良いことで有名です。サントリーは世界中から樽を集め始めます。長期間の熟成を開始します。この会社は本物作りに目覚めたのです。そして30年、50年の月日が流れました。いま、サントリーのウイスキーは、世界中の金持ちの垂涎の的になっています。べらぼうな値段で売られています。とても、我々庶民が入手することができません。つまり、もう、サントリー宣伝部は用無しになったのです。開祖・開高御夫妻の嘆き節が聞こえるようです。

2023年2月3日       節 分                                    今日は節分、豆まきの日です。物心ついた頃からこの日を楽しみにしていました。炒った大豆を升に入れて、「福は内、福は内!」と三回唱えながら座敷や台所に撒き、ガラス戸を開け放って、「鬼は外!」と一握りの豆を暗闇に向かって解き放つ。家人は「ご尤も、ご尤も」と唱えながらぞろぞろ狭い家の中を付いて歩く、、、翌日、撒かれた豆を自分の年の数だけ拾って食べる、、、、子供の頃からのこの非日常性が嬉しく、一家を構えてからも続いていました。

 秋田ではこの頃、「なまはげ」という鬼が各家庭を回って大暴れします。たまたま、秋田市の川端にある「濵野屋」という料亭で5,6人の宴会をやっている時、この「なまはげ」がうなり声をあげて座敷に乗り込んできました。大人でも、一瞬、「怖い」とたじろいだほどですから、ましてや子供が泣き出すのも宜なるかな、と思いました。なにがしかの金子を包んでご退散願いました。

 名物・きりたんぽには、鶏肉は比内鶏であるのは勿論ですが、味の決め手は「ささがき牛蒡」と「せり」にあることを教わりました。そして肝心のきりたんぽは、翌朝、食べた方が味が浸みていて美味しい、とも教わりました。”ああ、なまはげに会いたい、きりたんぽ食べたい”

2023年2月2日       上原ひろみ                                    アメリカの野外劇場で2000人を超える聴衆が、たった三人の演奏に聴き惚れています。一曲終わるごとに万雷の拍手を浴びせています。舞台の両袖には巨大なスクリーンがあって、小柄なピアニストの鍵盤上の魔術的な動きを、余すところなく映し出しています。彼女は自分の身体を少しは大きく見せたいのか、不釣り合いな髪の纏め方をしています。舞台の三人とは、大柄な黒人のベイシスト、白髪頭の白人のドラマー、そして日本人ピアニスの上原ひろみ。彼女は浜松の生まれでヤマハ音楽教室育ち。法政大学法学部に入りましたが、アメリカに留学しバークレイ音楽大学を首席で卒業します。彼女の才能を最初に発見したのはチックコリアです。二台のピアノのための曲は山ほど在り、二人は全米を駆け抜け、大反響を呼びました。チックコリアも既に亡くなり、今、上原ひろみは彼を超えるジャズ・ピアニストとして全米の人気を独り占めしています。

 ユーチューヴには彼女の演奏がしばしば登場します。その度にチャンネルを合わせて聞き惚れます。その回数200回は越えているでしょう。驚くのはミスタッチは一度たりともなく、音の擦りすらないのです。しかも、彼女はヤマハのピアノ以外使わないのです。専属の調律師がついていて、何時の時も、最高の状態のヤマハにして使っているのです。まだ20代かなあ、と思っていた上原ひろみも、何と、すでに39歳とのこと。一度、結婚したようですが、離婚状態であるとか、ないとか、、、ピアニストの寿命は50歳までです。年寄りのピアノなど聴きたくありません。死ぬまでに一度、上原ひろみの生演奏を聴きたい、というのが私の最大の望みです。

2023年2月1日     ミヤンマー軍政の罪                                      決して豊かな国ではないタイの隣国ミャンマーが、軍部のクーデターによりアウンサン・スーチーさんが軟禁され、小柄で小太りのミン・アウンフラインがこの国を軍政にして、今日で丁度2年が経ちました。相変わらず国は貧しいままで、こともあろうに、スーチーさんの罪状は更に重くなり、禁固33年となりました。70歳を超えているスーチーさんにとって過酷この上もありません。数年前、タイ・チェンマイからプロペラ機で一時間、ヤンゴンへ行って一週間逗留しました。その際、軟禁されているスーチーさんのご自宅までタクシーで行きました。勿論、扉は閉ざされたままでしたが、その替わり、アウンサン一家が、昔、住んでいて、いまは博物館兼レストランになっている小高い丘の上の建物へ行きました。アウンサン将軍に抱かれるスーチーさんの可愛らしい写真がありました。ヤンゴンで痛切に感じたのはこの国の貧しさでした。ドルの支払いでなければ泊まれないホテルへの道の両側は、路上マーケットでした。半ば腐りかけた海産物や、とても売り物にはならないだろう得体の知れないものが並んでいました。走っている車もバスも日本の中古車でした。中には日本語の標識をそのままを付けたバスが走っていました。「渋谷行きー青山回り」

 竹山道雄の「ビルマの竪琴」はかつての名作中の名作です。何度読み返したことでしょう「オーイ水島、日本へ帰ろう!」何度、迫る嗚咽を堪えたことでしょう。ヤンゴンは寺院の街です。至る所に仏像がおわして、人々は床にひざまずき、ひたすらな思いを込めて仏像を見上げていました。そんな国をいま、軍部が牛耳っているのです。この軍部は中国によって作られた傀儡政権です。中国にとってスーチーさんの民主政治は邪魔なのでした。やがて、ミャンマーの少数民族ロヒンギャは壊滅させられ、そこからパイプラインが中国まで引かれ中東の石油が陸揚げされるでしょう。中国はそれを狙ってミンアウン・フラインを懐柔したのです。

 このところ日本の尖閣列島海域を中国船が我が物顔で航行しています。海上自衛隊が警告を発すると、「ここは中国の固有の領土、領海である。お前らこそ下がれ」と公然とやるそうです。

2023年1月31日      宗教と政治(ロシア正教)                                  1月18日から19日にかけて、ロシア正教会の信者には奇妙な習慣があります。凍てついた川や湖の氷を割り、沐浴するのです。何故なら2000年前のこの日、イエス・キリストが洗礼を受けた日だからです。スターリン時代、ロシアにはロシア正教の教会が四万カ所もありました。しかし、マルクス・レーニン主義は宗教を否定します。スターリンはこの教会すべてを閉鎖します。その後、独ソ戦争が勃発します。ドイツが雪崩を打ってソ連に攻め込みます。スターリンは国民の団結を呼び戻すために、ロシア正教の教会を復活させます。その数二万カ所あまり。ロシア国民の団結によりドイツ軍は撤退を余儀なくされました。

 ロシアのプーチンが尊敬するのはこのスターリンです。自由主義化したゴルヴァチョフはプーチンが最も嫌う政治家で、葬儀にも参列しませんでした。

 宗教を国教としている国は数多くあります。キプロスがそうです。ギリシャもギリシャ正教です。フィンランド正教会もあります。ロシアのモスクワ宗司教はアレクシス2世でしたが、ロシア正教会はあくまでも政局を超越した存在でありつづけようとしてきました。ところがどうでしょう、現在の「キリル総司教」は何と、ロシアの諜報活動のカーゲーべー出身です。彼が就任するときプーチンは花束をもって臨んでいます。そして今、ロシア正教は「ウクライナの民族主義から祖国を守るための戦いである」として、プーチン政策を全面的に支持しています。

 日本でも同じことがありました。軍部が台頭し、神国日本を唱え始めました。鳥居と神社が日本国中に建てられ、「八紘一宇」「大東亜共栄圏」の文字が国中に溢れました。どれだけの近隣諸国が迷惑を被ったことでしょう。ロシアのことを言えない日本であったことを忘れてはなりません。

2023年1月30日      若さ                                  降り続く雪の金沢で、昨日、将棋の王将戦第3局が行われました。王将位は若干20歳の藤井聡太が持っていて、挑戦者はかつての七冠王として一世を風靡した羽生善治9段です。二日目の再開の模様がテレビ中継されました。将棋盤を挟んでお二人ともマスク姿ではありますが和服姿です。片側には記録係を含めて20人余りの男性が詰めていて、合図と共に一斉に頭を下げ合います。両対局者は勿論、全員、なかなか頭を上げません。先に頭を上げた者が負けとでもなるのでしょうか、儀礼とはいえ、このお辞儀から勝負が始まったようです。将棋の駒の動かし方も面白い。優しく駒を動かしてからその背中を軽くトントンと叩きます。まるで、シッカリやってくれよ、とでも言い含めるみたいな所作です。第三局は20歳の藤井聡太が奇手を放って勝利しました。全国の将棋ファンは「神の手が放たれた」といささか興奮気味です。

 一方、囲碁の方でも女流のプロ戦で10台の女の子が正式棋戦で活躍中です。上野阿佐美タイトル保持者に挑む、若干13歳のプロ・仲邑菫です。3番勝負のこの棋戦、互いに一勝一敗となりました。もし、次の手合いで菫ちゃんが勝てば、史上初の10台のタイトル保持者の出現です。若くして棋聖となった一力遼と、女性の第一人者藤沢里菜は、10代の後輩、仲邑菫と関航太郞とで4人の会を作り、日夜研鑽に励んでいます。やがては、自分の地位が奪われることを承知で後輩の育成に努める、実に清々しい行為と言わねばならないでしょう。

2023年1月29日      桜咲く                                  日本列島はいま、寒さに震えています。青森の酸ヶ湯では3メートルを超える積雪で苦しんでいます。新潟の十日町では「♫花の咲くまじゃ小半年、、、」と、耐えに耐えています。

 でも、日本列島には、いま、桜が満開のところがあるのです。そこでは今月の15日頃から開花します。そしていま、満開の見頃を迎えています。それは沖縄です。本部八重岳、名護城趾、南部の八重瀬公園などなど、ただ、桜の種類が違っていて、ほとんどが赤い八重桜です。純白のソメイヨシノを見かけることはありません。本部の八重岳は小さな山ですが、だらだら坂を登る道の両側が桜並木になっていて、それはそれは美事なもので、全山が400本を超える桜で朱に染まります。ここで玉砕した兵士達の血潮を思わせもする、不気味でもある赤い桜です。

 桜はタイ・チェンマイにも咲いていました。チェンマイ大学から7曲がりの山道を登り始め、観光客で賑わう寺院群を右に見ながら、更に行くとタイ王朝の離宮があります。瀟洒なお花畑が広がります。そこから先は単線の山道です。対向車があると、谷すれすれまで寄って交差しあいます。そして、そして行き着いた小さな谷間の集落。全村が満開の赤い八重桜で埋まっていました。それはそれは美事な桜でした。不思議なことにどの家にも雨戸や窓ガラスがありません。家の中が丸見えです。不心得者などここにはいないのでしょう。「こういうところもあるんだ、ここは天国だ」と思いました。観光客用に「絵はがき」が売っていました。その一枚は今も私の仕事場に張ってあって、私の仕事ぶりを見ています。

2023年1月28日      女性天皇陛下                                  たまたまIPADを見ていたら、昨年成人された愛子様の記者会見の模様が出てきました。成人になられた愛子様の皇室人としての心構えや、どう生きてゆくか、かなり長々とした画像が映し出されました。興味深く見入り、そして、改めて感動を覚えました。「このお方はいい。既に天皇としての風格を備えている。見識も豊かだ。女性としても立派だ、既に一流の人間にまで成長している。」映像越しではありましたが、愛子様の人となりに深く感銘いたしました。そして国民のすべてが愛子様を女性天皇として仰ぐ日まで生きていたいものだ、とシミジミ思いました。男系を継承してきた日本の天皇制はこれからも継承されるでしょう。幸い、次男の秋篠宮家には高校生の君が控えています。将来に問題はない、といえばそう言えるのですが、問題は雅子様の小和田家と、紀子様の川島家との違いです。現天皇は外務省で働く雅子様に一目惚れしました。特ダネをとったのは朝日新聞の松山記者です。小和田家が立派だったのは、爾来、ご両親はオランダへ行き、ご兄弟、ご親戚一同、なりを潜め、マスコミの話題になるなど一切ありませんでした。

 秋篠宮は学習院で同学年の紀子様に一目惚れし、目白駅前の田中屋でデートしていました。川島教授の娘で学内の教員宿舎の四畳半が彼女の城でした。紀子様の魅力的笑顔は誰もが認めるところですが、彼女の実弟が余り良くない。その上、ICU時代の長女に弁護士志望の恋人ができていま、ニューヨーク住まいです。この男の叔父がどうやら良からぬ素性のようです。問題がおきるたびに宮内庁はもみ消しに苦労しているようですが、秋篠宮の一族には小和田家のそれのような清々しさがありません。愛子様に象徴される「気高さ・気品」がないのです。

「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」

2023年1月27日      三たび、戦車のこと                                  ウクライナから痛切な要望のあったドイツ製の戦車「レオポルド2」の供給は、前回のNATO諸国の集まりでは意見の一致は見られず、ロシアを刺激しないため、先送りになったにも拘わらず、ここへ来て急転直下、アメリカはイラク戦争で実績のある「エイブラムス」戦車を、そしてNATO諸国は「レオポルド2」をウクライナに供与することが決まりました。言い出しっぺはポーランドであったようですが、ドイツ製のこの優れものはヨーロッパに2000台は出回っているようで、もし、このほとんどがウクライナに集結すれば、ロシアの旧式戦車では太刀打ちできないでしょう。この「レオポルド2」の戦車は夜間戦闘能力に優れているようで、その能力を習熟するためには2,3ヶ月が必要とされています。恐らくロシアはその間隙をぬって、総攻撃をかけてくるでしょうが、ウクライナにそれを持ちこたえる力があるかどうか、が勝負の分かれ目になるでしょう。と言うことは、この戦争は一年を経過したにも拘わらず停戦の機運は既に去り、これからが食うか食われるかの激戦になることを意味しています。この不幸な戦争の終結はどんな形で押し寄せるのでしょうか。世界に散っているウクライナ難民、地元に留まって戦っている人たち、嫌々かり出されて戦地に赴いているロシアの少数民族の人々、そして退役軍人達。お互いの国の政治家の独断と偏見により命を失ってゆく者が続出している現状を、心から憂います。

2023年1月26日      立ち往生                                  長唄や歌舞伎の「勧進帳」に、弁慶が言動に詰まって立ち往生する場面があります。昨日、午後から深夜にかけて、降りしきる予想外の積雪のため、京都周辺を走る福知山線、京都線などの電車が軒並みストップを余儀なくされ、乗客のほとんどが列車内に十時間余り閉じ込められ、病人が出るほどになりました。その上、「列車をお降りになりたい方は、自己責任でお願いします」というアナウンスが車内に流れたものだから、それも問題となり、JRの責任者は朝からテレビで謝り続けています。すべての原因は、降り続く雪のため、レールのポイントが作動しなくなったためです。雪国の鉄道では、列車のポイントごとに融雪装置が作動するようになっていて、かなりの豪雪でも列車は動きました。生憎、京都近郊の列車レールにはその備えがありませんでした。関西地区での豪雪は10年に一度の現象のようですが、気候変動はこれから一層激しさを増すでしょうから、雪への備えは、全国的に必要不可欠になるでしょう。

 降りしきる雪に、そこへ風が加わると雪は凶暴な正体を現します。視界すべてが真っ白に変化します。自分の立ち位置が分らなくなります。冬山登山で何度もそれを経験しましたが、一番の方法は、身体を低くしてじっとしていることです。動かないことです。そうはいかない場合もあります。福島担当の時の正月、会津若松で従業員も集まっての新年会がありました。猛吹雪の日で、郡山からの磐越西線は不通です。やむなくタクシーで向かいました。普通なら一時間で着くところ、猪苗代湖畔でホワイトアウトに遭遇しました。進むことも退くことも、右も左も分りません。運転手さんも途方に暮れています。そこへ運良く除雪車が通りかかりました。除雪車に先を走ってもらって、漸く会津若松の会場に着きました。会も既に終わり近くになっていましたが、用意した記念品やお酒の2合瓶をお一人お一人に声をかけてお渡しすることができました。

2023年1月25日      細田博之                                  統一教会とズブズブの関係に在りながら、未だに衆議院議長を辞職しようともしない細田博之が、説明会をごく内輪に行いました。世間の誰もが「不十分」としているにも拘わらず、責任を感じて議長を辞める様子など微塵もありません。彼は1944年生まれの80歳。東大法学部出身の島根県の秀才ではありますが、岸、安倍家の統一教会との関係をそのまま引き継ぎ、選挙のたびに統一教会の大量の票を差配し、庶民からの献金の実態に目をつぶり、あまつさえ、この悪辣な韓国系エセキリスト教会の日本での活動を陰では擁護している始末。一方、故安倍首相のために公然と偽証を繰り返し、政調会長の座を利用して、公然と台湾へ出かけるなど、反省の色などおくびにも出さず、居座り続けている萩生田光一というしたたか者も自民にはいます。「恥を知らない人間」が自民党には何と多いことか! 

 「50、60花ならつぼみ、70、80働き盛り、90になって迎えが来たら100まで待てと追い返せ」というザレ歌がありますが、私は国会議員や地方議員も含めて定年制を設けるべきだ、とかねがね思っています。中国でさえ68歳の定年制が存在しているではありませんか。習近平が破りはしましたが、、、、日本国の衰退現象を招来させたのは年寄りどもがわんさかいる国会並びに地方議会議員のロートル化にある、と言えるのではないでしょうか?

2023年1月24日     運転免許証                                     練馬から都営地下鉄で六本木方面に向かいます。大門浜松町で降り京成電車に乗り換え、品川駅から京浜急行の普通電車に乗り、北品川、青物横丁、新馬場、そして鮫洲駅で下車。歩いて8分。警視庁の運転試験所。運転免許の書き換えには、どうしても三年ごとにここへ来て、認知機能試験を受けねばなりません。30歳台で免許を取ってから50年余り、この役所のご厄介になってきました。昔のここは、正に掘っ立て小屋みたいなところでしたが、今はどうして、どうして四階建ての巨大なビルで、中には食堂や喫茶室まであります。

 名前を呼ばれて1時半から試験が始まりました。ロートルばかりの2,30人、神妙に筆記試験に向かいます。先ず、スクリーンに四種類ずつの写真が現れます。それが四回続きます。合計16個。それを記憶し時間の最後に紙に書きます。太鼓、戦車、ステレオ、金槌、万年筆、コート、百合の花、だるまさん、飛行機、タンス、、、後は忘れました。乱数表の中から、特定の数字だけを見つけてチェックする問題もありました。3年前の試験では最高点から2番目の成績で合格したのでしたが、今はスッカリ変わっていて「認知症ある、なし」だけの判定になっていました。さて、次は実技試験です。これにも合格して石神井警察署へ行かなければ免許証は交付されません。近くの教習所はすべて満員。やむなく、清瀬の教習所へ行って実技試験を受けます。それが31日の午後2時。

2023年1月23日     週刊朝日廃刊                                      ここ30年余り、毎日の生活で切り離せなくなっているのはパソコンとスマホとIPADではないでしょうか。殊にIPADは優れもので、重宝この上もありません。その一つが、すべての雑誌が自由に読めることです。週刊誌であれ、趣味の雑誌であれ、何でもござれ、確か月額数百円で読めてしまうのです。従って、現物を買うことなど一度もしたことがありません。その煽りでしょうか、100年は続いてきた週刊朝日の廃刊が報ぜられました。毎週愛読していた、名だたる週刊朝日が、今年の5月以降、もう、読めなくなるのです。

 思えば、現役で販売局次長を任命されていたとき、出版局次長も兼務させられていて、出版物の部数の下落を食い止めるため、必死の努力をしたことがあります。しかし、時の流れには逆らえず、朝日カメラ、朝日ジャーナル、アサヒグラフが廃刊に追い込まれました。アサヒグラフに連載されていた団伊久磨の「パイプのけむり」は私の大のお気に入りで、毎日のホームページは、これに触発されて始めたものです。

 紙媒体による情報の伝達手段の衰えは目に余るものがあります。でも、IPADで見る限り、新しい雑誌が次々に出現しているようにも思えます。一旦、休刊に追い込まれたアエラも復刊したではありませんか。新聞社そのものがおかしくなった毎日新聞の「サンデー毎日」でさえ、細々と発行しているではありませんか。朝日新聞の現社長の中村さんに申し上げたい。どうか、しばらく様子を見た上で、「週刊朝日」を復刊して貰いたい、と。必死になって繋いできた朝日販売陣のこれまでの努力を無にして貰いたくない、と。

2023年1月22日     再び戦車のこと                                  下に揚げた戦車の写真は「レオパルド1A2」というドイツ製ではありますがウクライナに供給されている旧式戦車です。しかし、今、ウクライナが欲しがっているのは同じくドイツ製の「レオパルド2A7V」という最新式の戦車です。この戦車をドイツから購入した国はNATOの諸国の中にも数多くあります。だが、この戦車をウクライナに供給できるかどうかの権限はドイツが持っています。一方、ロシアは旧式ながらも戦車の保有数にかけては欧州一です。春にかけてウクライナへの大攻撃が予想されます。戦車を操っているのはロシアの軍事会社「ワグネル」です。ワグネルは戦争を商売とするプーチン直属の組織です。プーチンに逆ら者の暗殺、毒殺を請け負ってきました。

 NATO諸国が集まりました。ウクライナが欲しがっているレオパルド1A2を許可するかどうかの審議です。物別れになりました。ロシアをこれ以上刺激したくない、と言うのが結論となりました。失望したのはウクライナです。「我々は、この戦車の供給を受けるまで戦わねばならない」との悲痛な叫びを発しました。この戦車の製造元であるドイツは、ロシアから天然ガスの供給を受けています。このパイプラインはウクライナを通っています。だから、ドイツはロシアを刺激したくないのです。もし、NATO諸国がウクライナに最新式戦車を供給して、地上戦で勝利したらどうなるでしょう?ロシアは核攻撃に走るのではないでしょうか?キエフが広島・長崎となることでしょう。つまり、第三次世界大戦が待ち受けているのです。あらゆる戦争は「拡大する宿命」を持っているのは歴史の示す掟です。開戦してやがて一年が経過します。何とか停戦に持ち込む手立てはないものでしょうか?

  2023年1月21日      春 節                                  旧暦の暦を使っている中国全土では、今日が大晦日で明日が新年となります。新しい年を迎えるに当たっての人々の気持ちに分け隔てはありません。今晩は家族が集まって爆竹を鳴らし、花火を打ち上げ、ご馳走を前にして家族の再会を祝い、新たな年への意気込みを語り合うでしょう。ただ、14億の人間がそれぞれの故郷へ移動するのです。すると、コロナのオミクロン株も一緒に動くのです。人が動けば感染も拡大するでしょう。どの位の感染拡大が予想されるのか?全く未知数です。未知の領域です。加えて、共産党政府は規制を撤廃して好きなようにさせるようなのです。

 いいじゃありませんか!家族と再会して乾杯し、喜びのうちに感染し、何も死ぬと限ってはいないのだから、十分に看病し合ってコロナを乗り切っていく、、、、、是非、そうあってほしいものです。

 問題の一つは、中国とタイ国が隣り合っていることです、春節での中国人の移動は、延べ21億人と予測されているので、大勢の中国人がタイへなだれ込むでしょう。チェンマイは中国人にとっては人気の都市です。恐らくチェンマイでも爆発的な感染が予想されるのではないでしょうか?そこへ日本から飛び込んでゆくのは、、、、とも、考えてしまいます。

2023年1月20日     寒 波                                1月下旬から2月上旬にかけて、日本国中が最も寒くなる時節です。その上、10年に一度という寒波の襲来が見込まれているそうです。コロナ禍になる3年前までは、この寒さを避けるため、タイ・チェンマイに避難できていました。10時30分の羽田発のタイ航空に乗ると5時間後にはバンコックです。一時間の待ち合わせで国内航空に乗り換えると50分でチェンマイです。心地よい風の中、半袖に着替えて地元ビールで乾杯、、、、コロナ禍になる3年前までは、こういう幸せな時を持つことが出来ていました。行くときはいつも東京からキーボード・ピアニカなどをを手荷物にしてチェンマイに持ち込んでいました。それらを畏友堀田さんの案内で、少数民族の小学校や教会へ持って行って寄贈してきました。そのためには車が必要となり日産マーチを購入しました。そのお陰で、ゴールデン・トライアングルやミャンマーとの国境、首長族の集落などへ行くことができました。複雑で、大渋滞のチェンマイの繁華街での運転も、恐れ気もなくできるようになりました。

 でも、何事にも限りあります。丁度、足かけ3年前、得体の知れない伝染病が中国で流行り出した、という情報が乱れ飛ぶ中、借りていた森の中の一軒家を返上し、家財道具や荷物の処分を畏友堀田さんにお願いし、3月6日に帰国したのでした。正に間一髪、数日後には国境が閉鎖され、タイ国に入ることも出ることもできなくなりました。

 このチェンマイへ2月の中旬から3月の上旬にかけて出かけようと思っています。

2023年1月19日     二審判決                           双葉原発のメルトダウンを引き起こした14メートルを超える津波について、東電経営陣の責任を追求する二審判決の結果が出ました。驚くなかれ、予測は不能であり、よって経営陣に罪なし、とする無罪判決です。原発が双葉に出来た故に、10メートルを超える津波が原発の電源を破壊し、炉心の冷却装置が壊れ、原子炉が高熱を発して爆発し、双葉町に隣接する浪江、小高、大熊、夜ノ森、富岡の住民に放射能被害をもたらし、今もって居住不可能の町を作り出したその責任は東電にない、という判決なのです。では一体誰の責任なのでしょうか?誰の責任でもない、自然のしからしむところだ、とでも言うのでしょうか?

 私が福島県を担当していた頃、原発誘致の議論が福島県中でかしましく行われていました。言いだっしっぺは読売新聞社主の正力松太郎。彼は政府組織の電源開発の総裁も兼務していて、「日本の電気は水力から原子力へ」とする運動の最先端でした。電通と協力して二兆4000万円の金を政府から引き出し、反対する地方紙、地方テレビに広告料としてばらまき、国中に40カ所を超える原発を建設させました。

 双葉原発は太平洋の海岸に面して四基作られていて、その内の一基に津波の海水が乱入し、冷却する水道の電源が切れて作動せず、炉心が高熱を発して爆発を起こし、放射能を空中にまき散らしたのです。放射能の半減期は数千年です。それほど危険なものを海岸に作るからには、あらゆる事故を予測してメルトダウンを起こさない頑丈な設備を創り上げることが東電の、そして、経営者のやるべきことではなかったのでしょうか?それを放置し、14メトルを超える津波は「想定外」だった、とはよくも言えたものです。到底、納得の出来ない二審判決です。福島の人たちは、皆、怒り心頭を発しているはずです。

2023年1月18日   何と、盛岡市が!                       ニューヨークタイムズが、今年ゆくべき世界の都市52カ所を発表しました。第一位はイギリスのロンドンでした。そして第二位は?

 何と日本の盛岡市が選ばれました。更に第19位に福岡市が入っています。更にアジアでいえば12位にブータン、36位に台北が入っていますが、中国の都市は一つも入っていないようです。

 何で盛岡市なのか?今を時めく野球の大谷翔平の故郷が盛岡市に繋がる花巻であることも影響しているかもしれません。選考理由の一つが、歩いて観光できる穏やかなたたずまいの都市であること。美味しいコーヒー店が至る所にあること、「椀子蕎麦」が珍しい上に美味であることを上げています。

 仕事柄、東北六県・信越、北関東、首都圏、それに九州全域を歩き回った私も、言われてみれば、盛岡市は好きな都市の最上位であったかなあ、と今回の発表にうなずきを隠せないでいます。椀子蕎麦はともかく、冬の「冷麺」がとびきり美味しかった記憶があります。

 それに盛岡市郊外に建つ、瀟洒な建物の「先人記念館」。130人余りの歴史上の人物が顕彰されています。筆頭は「武士道」の新渡戸稲造、原敬、米内光政、石川啄木、宮沢賢治、金田一京助、、、やがては大谷翔平もこの建物の仲間入りするでしょう。

2023年1月17日   運命の日                       28年前のこの日の朝、僅かな地震の揺れを感じて目を覚ましました。博多のホテルの一室でした。テレビを付けると阪神淡路大震災が報じられていました。が、テレビは同じ場面の繰り返し写真ばかりで一向に要領を得ません。前夜、朝日の販売担当とサシで酒を飲み、2月から朝日学生新聞社の専務取締役として出向するように、申し渡されていたのでした。悔しさで「眠れなかった」ものの、専務の後は代表取締役社長として現海野社長の後を継いでくれとも言われました。海野さんは私が外勤社員になった時の親分でもあります。「俺の後は中沢に」という話が既に内々あったようでした。しかし、朝日での人生も営業局長で終わりか、という悔しさもあって、その日の眠りは浅かったようです。そこに加えて大震災の映像です。高速道路の落下や、逃げ惑う人々の姿は、これが大災害であることを知らせていました。生きていられるだけでも幸せなんだ。今後に仕事が与えてもらえたことだけでも幸せなんだ、「よーし、今まで以上の「朝日小学生新聞」、「朝日中学生ウイークリー」「朝日進学情報」を創り上げてやろうじゃないか、と心に決めた日、それが28年前の今日「1月17日」だったのです。

2023年1月16日     奇々怪々                     金子みすずの詩に「鰯」を謳った詩があります。          「大漁だ、大漁だ、大羽鰯の大漁だ、朝焼け小焼けで大漁だ、浜は祭りのようだけど、海の中では何万の、鰯の弔いするだろう」

 この何万もの鰯が、いや、何千万、何億匹の鰯がいま、北海道の海岸に打ち寄せられたり、あるいは死んで津軽海峡を漂って、本州の海岸にも打ち寄せられているようなのです。原因は定かではないようですが、海水の水温に関係している、と言われています。つまり、鰯が好む海水温度は10度から20度ほどだそうで、それ以下になると生息出来ないらしいのです。ここにも地球温暖化並びに異常気象の影響が及んでいると言わざるをえません。

 鰯の大量死の原因が海水温度の低温化にあるとしたら、何故、そうなるのでしょうか? 思い当たるのは、地球温暖化により、北極の氷が日夜轟音を立てて溶け出している事実です。その冷たい海水がオホーツク海から日本海、太平洋に流れ込んで来たせいではないでしょうか? いずれにしても、鰯の大量死は人間の仕業であると言わねばなりません。日本人を始め人類は、自分達の所業が何の罪もない鰯を大量死に追い込んでいる事実を、しっかりと見つめ弔いをしなければなりません。

2023年1月15日     アルバム                                   手元に一冊の写真アルバムがあります。片方から開くと、誕生以来の私の写真が、もう片方には父母や母方の親戚、従兄弟姉妹の写真が丁寧に貼り付けられています。このアルバムは、母が柳行李の底に偲ばせて、集団学童疎開で福島へ行く私に持たせてくれました。浜通り富岡駅前の大東館で体中シラミに食われながら、母と東京が恋しくて何度このアルバムを開いたことでしょう。そしてこのアルバムは長野から東京へ。でも、アルバムに写真を貼り付けていたのは高校前期までで、その後、写真が追加添付されることはありませんでした。生活に忙しく、そんな余裕がなかったせいもあります。時代は進み、一眼レフのカメラが普及されるに及んで、写真はパソコンに保管されるようになりました。おびただしい数の写真がパソコンの「ピクチュアー」に保管されているのですが、シミジミ鑑賞する気など起きません。その点、一枚ずつの写真は、遙かに重みが加わります。下の写真は、母が持たせてくれて、今まで何とか持ちこたえてきたアルバムの第一ページの写真です。そして、今日の15日が86回目の誕生日。この世に生を受けて始めて撮られた写真。おちんちん丸出しで好奇心に満ちた顔つき。アルバムの第一ページにこの写真を載せてくれた母に心からありがとう、と言いたい気持ちで一杯です。

2023年1月14日      雪 崩                              1月も中旬になりましたが、日本海側を中心に豪雪が続いた後、急に気温が上がって、この数日、雪崩注意報が出されています。大雪の後の気温上昇は思わぬ災害を引き起こします。雪崩は気温が上がる春先に多いのですが、注意報が1月出されたのです。ということは温暖化のせいで気象状況が荒れているからでしょう。テレビに水上町の雪の状態が映し出されました。意外に積雪がないのが驚きでした。直ぐ奥の藤原村、宝台樹温泉などは豪雪地帯ですが、ここも積雪が左程でなくビックリでした。

 昔、この谷川で危うく雪崩に巻き込まれそうになったことがあります。四万温泉から平票山に登り、千の倉岳、谷川岳を経て茂倉山の雪渓、芝倉沢を降りてきた時のことです。5月とはいえ、沢には雪が残っていて、一人一人持っているピッケルを上手に使って、靴のまま雪渓を滑り降りるのです。グリー制動といいます。もうすぐ下界かな、と思ったその時です。「危ない!雪崩だ!よけろ!」という絶叫が上から聞こえました。咄嗟に身を伏せたとき、雪の大きな塊が身体の横を通過して行きました。巻き込まれていたら、、、、どうなっていたでしょう。下界は緑に溢れていました。湯桧曽川の流れに沿って歩き、上越線の土合の駅にたどり着きました。

2023年1月13日      戦 車                              厳冬期に入ったロシアとウクライナの戦争は、新年に入って更に激しさを加え続けています。その主役を務めているのが戦車です。戦車は車と違ってカタビラがついているので凍土を走ることが出来ます。ロシアの戦車が旧型であるのに対し、ウクライナの戦車はアメリカ、ドイツ、イギリスから付与された新型車両であるため、性能ではウクライナに軍配が上がっているでしょう。

 戦車といえば、思い起こされるのが作家で不滅の人気を誇る司馬遼太郎です。彼は太平洋戦争末期の頃、戦車隊の一員として栃木県佐野で戦車に乗っていました。本土防衛のための戦闘員だったのです。しかし、彼が乗っていた戦車は小型で、室内は絶えず粉塵が立ちこめ、極悪な匂いに苦しめられ、それが夢にまで現れたそうです。同じ頃、作家として名を上げた井上靖も兵隊でした。純文学として名を上げた井上靖に対して、司馬遼太郎はどちらかと言えば大衆小説です。司馬は井上が軍隊時代どんな役職であったか聞き出します。そして井上が輜重輸卒の兵隊であったことを探り出し、溜飲を下げます。何故なら「輜重輸卒が兵隊ならば、チョウチョ、トンボも鳥のうち」というザレ歌があったからです。司馬遼太郎といえども大人げない時代があったようでした。    彼の作品のほとんどは私の書庫に在り、折に触れ読み返していますが、その度に血湧き肉躍るのが「坂の上の雲」です。また、「菜の花の沖」も捨てがたい作品です。

 大正12年(1923年)生まれの福田定一は、今、生きていれば丁度100歳。産経新聞の記者として京都支局に赴任し金閣寺の焼き討ち事件などを取材します。処女作「梟の城」で直木賞を受賞し、同僚だったみどりさんと再婚します。残された膨大な書籍と文献などみどりさんが運営する資料館に保管展示されているそうです。どうしても一度、訪れなければなりません。

2023年1月12日       スキー                        スキーに行きたいと思う。山スキーでなくてもいいから、スキー場の斜面を豪快なシュプールを描きながら滑り降りたいと思う。この歳になっても、何とかもう一度、雪の斜面に立って「どけー」と叫びながら滑り降りたい、と痛切に願っているこの頃です。小学生の頃、善光寺の裏山の坂道が格好のスキー場でした。当時は竹スキー。月明かりの中でも夢中で滑っていました。中学・高校時代は、本格的なスキーを買って貰って今度は山スキー。シールというアザラシの皮をスキーに履かせて戸隠、飯縄、黒姫、岩菅、志賀の笠岳などの頂上に登り、道なき道を器用に下まで滑り降りてきました。その豪快さは例えようもなく、密かに、ゲレンデで滑っている人たちを見下していました。

 最後のスキーは宮沢君の清里山荘近くの「サン・メドウ」スキー場でした。宮沢君の滑りが余りに格好よかったので、負けてナルものか、とスキー教室に入り、先生の合図で頂上から滑り降り始めた途端、図体の大きな初心者が後ろからぶつかってきました。二人とも斜面に投げ出され5,60メートルは流されました。後頭部に痛みが走りました。雪上救急車が呼ばれ、更に救急車が来て麓の大きな病院へ運ばれました。大きなギブスを首に巻いて帰京ました。宮沢君はずっと、ずっと付き添ってくれました。スキー場での損傷事故は、保険の対象外であることを、そのとき始めて知りました。                            それ以来スキーから遠ざかっているのです。宮沢君が亡くなる2年前のことですから、もうかれこれ8年になるでしょうか。もう一つの問題は、「スキーに行くぞ」といくら力んで見ても、「よし、分った」と言って一緒に行ってくれそうな友人がいなくなっていることです。スキーがどんなに魅力があっても、一人では面白さも半減です。やっぱり、もう、無理なのでしょうか?

2023年1月11日    おめでたい ?                        昨年のショパンコンクールで第一位のカナダ人ブリュースリューに次いで第二位となった日本人反田恭平が小林愛美と結婚し、既に彼女が身ごもっていることが明るみに出ました。小林愛美は第四位でした。彼女が挑んだショパンのプレリュード25曲の全曲演奏が評価されたようでした。同時に出場し、ファイナルまではいけなかった日本の秀才ピアニストに角野隼斗がいます。私は彼こそファイナルに相応しいと思っていたのですが、残念な結果となりました。

 反田と小林は小澤征爾と同じ桐朋の出です。しかも二人は同時に桐朋が主催する「子供のための音楽教室」に通っていました。小林愛美はその当時から反田恭平に惹かれていたようですが、反田はモスクワ音楽院に留学し、そこでロシア人の女性と結婚します。そして、二人はポーランドのワルシャワに来て、ピアノ以外の音楽活動を始めます。多くの審査員も彼の活動と関係が深かったようです。憧れの外国の地で幼なじみの男女が、同じ目的のために励まし合えば、そこはそれ、そうなることは目に見えていた、と言っていいでしょう。ロシア人の彼の奥さんも、よく、離婚を承知したものです。恐らく莫大な慰謝料を約束させられたでしょう。

 世界的に有名なショパンコンクールで、2位と4位になった二人のこれまでの努力を讃えこそすれ、私は二人の演奏が好きではありません。日本で最高のピアニストは角野隼斗だ、という思いは今もこれからも変わらないでしょう。思うに、ピアニストというものはどこか孤高で神秘性を湛えていて貰いたいものです。幼なじみとはいえ、男と女の睦み合う姿を想像しながら、演奏を聴きたいとは思いません。それは私一人の思いかもしれませんが。

2023年1月10日         XBB1.5(えっくすびーびーいちてんご)                    またまた、コロナの変異種の登場です。しばらく前に変異して世界中を荒らし回ったオミクロン株が、今度はXBB1.5という恐ろしく専門的な名前の株に変異して密かに蔓延し始めたそうです。しかも、この株は中国でも発見されたそうですから、12月に入ってからの爆発的な中国の感染状況を見れば、この変異株のせいではないとは言い切れないでしょう。

 中国はコロナの発症の源であったが故に、外国製のワクチンの導入を一切排除してきました。メンツにかけても外国製を使うわけにはいかなかったのでしょう。厳重な隔離政策をとり、感染者数と死亡者数の少なさをWBCに報告し、世界中における感染拡大を横目で見続けてきました。そして、結果的に住民の反対デモを招き、そこで極端な緩和政策に舵を切りました。その結果、驚くべき数の死者が出る感染状況を招いてしまいました。その原因の一つがXBB1.5という変異種のお陰だ、としたら、、、この変異種に対するワクチンはまだ、世界中で開発されていないのですから恐るべき結果が待ち受けている、と予測しないわけにはいきません。大変な事態になってきました。しかも中国では春節とい民族大移動の時期と重なります。少なくとも日本は、否日本国は、当分の間中国人の入国を水際で食い止めねばならないでしょう。

2023年1月9日         早大ラグビーの不名誉                   昨日行われた大学ラグビー決勝戦で、早稲田は帝京に73ー20の53点差で破れました。これは物凄い記録で73得点、53点差、いずれも新記録であります。名門早稲田のラグビーにとって誠に不名誉な記録であり、歴代の早稲田のラガーマンはたちの怒りと嘆きはいかばかりでしょうか。

 私が販売第六部の部長の時、宮城県を担当していたのが、後に早稲田ラグビー部の監督になる小林正幸君でした。北関東担当部長の時、次長を務めてくれたのが同じく早稲田ラグビーの名選手石山君でした。小林正幸君は仙台の市内の若い販売所長と諍いを起こし、その顛末が週刊文春に取り上げられました。結局、販売原価代金の未払いを正当化しようとした販売所長側の敗訴になったのですが、週刊誌にのったことの責任から私は始末書を書かせられる羽目になりました。今はそんなことはありませんが、週刊文春は朝日のあることないことを取り上げていました。朝日について書くとその号の売れ行きが違ったそうでした。今は何を書いてもサッパリ売れないそうです。閑話休題。

 名門早稲田のラグビー部が、帝京大学に天文学的な数字を献上して大敗を喫したこと、その嘆きが節が昨日から今日にかけて日本列島を覆っているように思えてなりません。

 

2023年1月8日           大間のまぐろ                   青森県の下北半島の突端に「大間」という小さな町があります。下北半島は、丁度、斧のような形をしていますがその斧の刃のあたりが大間です。近くには「イタコ」もあります。神秘的な色の水を湛える湖の周りに巫女さんが大勢いて参拝者の人生を占ってくれます。

 東北担当の部長の時、その下北半島の突端まで、当時青森県を担当していた船越君が運転する車で行ったことがあります。途中、横浜という部落があって、名物のホタテ貝を堪能しました。大間の販売店主さんは、大の朝日びいきで大歓迎してくれました。美味しいマグロのトロのどんぶりをご馳走になりました。マグロにも色々あってインド洋で捕れるもの、大西洋で捕れるもの、いろいろあるようですが、築地市場では大間で捕れたマグロが最上とされています。かつて一匹2億円の値がついたこともありました。そのマグロは大きさが3メートル、重さが440キロだったそうです。

 近年、日本人が大好きなマグロがだんだん口に入らなくなりました。まして、マグロのマグロたる大トロ、中トロが店頭に並ばなくなりました。並ぶことがあっても目の玉が飛び出るほどの高値です。一体、どうしたのでしょう?それは、中国人が買い占めてしまうからだ、と言われています。中国人はマグロの赤身はどうでもよく、大トロ、中トロだけを狙って、いくら高くても買い占めてしまうそうです。中国と商売をしていた従弟の靖輝君が生きていた頃、上海の海産物料理店へ何度も行きました。大きな生け簀から魚を釣り上げて目の前で調理してくれる店があちこちにありました。日本にも昔ありました。それらの店がマグロの中トロ、大トロを扱うようになったのです。人間の口は日本人も中国人も同じです。いま、中国人の懐が肥えて高価なマグロをむさぼるように食べ始めたのです。弱ったものです。

2023年1月7日     七草粥                         

 いつの間にか今日は七草。毎年恒例にしている七草粥を作り、シミジミした思いでいただきました。七草はいまはセットになって売られているので、便利この上もありません。せり、なずな(ぺんぺん草)、ごぎょう(母子草)、はこべら(ハコベ)、仏の座(コ鬼タビラコ)、なずな(蕪)、すずしろ(大根)春の七草。

 いま、新潟県を含む日本海側の皆さんは、降り止まない雪に悩まされていることでしょう。私が新潟県全県を担当する数年前、サンパチ豪雪といって上越線が全線にわたってストップしたことがありました。当時は新聞は梱包されて上越線の新聞列車に積み込まれ、谷川岳の下を貫通する清水トンネルを抜けて新潟県全県に運ばれていました。その列車が豪雪のため越後川口で動けなくなったのです。応援にかり出され、何とか新聞梱包を列車からトラックに積み替え事なきを得ましたが、その際、朝日の担当員が定宿にしていた長岡の長岡館から七草粥の差し入れがありました。大鍋のコシヒカリの粥の中で、緑の春の七草が浮いていました。美味でした。生涯忘れることの出来ない美味しさでした。

2023年1月6日     福 袋                     

 年明け早々デパートや専門店は外国人客で賑わっています。いずれも新年に売り出されている福袋が目当てのようで、中には、100万円単位で大量に購入して故国へ持ち帰える人もいます。確かに、福袋には価格以上のものが入っていて割安ではあっても、必要でもないものまで買わされるので、結局は割高につくはずです。でも、その買い物の意外性が面白くもあります

 一昔前、長男夫婦と女の子の孫、次男夫婦と男女の孫、それに母親と、一緒に暮らす従妹の大勢が、練馬の我が家の座敷に集まって新年を寿ぐのが恒例になっていました。予定されたその日までに、私はデパートへ行って三つの福袋を用意し、みんなでそれを開けて品物の意外性を楽しみました。その、恒例となっていた新年の集まりもいつの間にか母親も亡くなり、孫達も成人してそれぞれの人生を歩み始めてからはなくなってしまいました。思えば、福袋を買い込んで中身を開け、意外性を楽しんでいるうちが人生の花の時期だったような気がします。

2023年1月5日   中国の劇的変容                              

 中国で人々が白い紙を掲げて街頭に立ち、政府の厳重なコロナ隔離政策を非難したのは去年十一月の二十日頃のことです。その運動は瞬く間に中国全土に広がりつづけ、やむなく、共産党の習近平政権は隔離政策を削除しました。するとどうでしょう、感染は物凄い勢いで中国全土に広がり、まだ、一ヶ月足らずしか経っていないというのに、死体の山が出来はじめ、全国の火葬場は焼却を待つ長い行列が出来る始末。僅か、一ヶ月足らずの間に、こんなにも変わるものか、と半ば仰天しながらテレビ画面に釘付けになっているところです。考えられるのは、中国人のほとんどがワクチン接種をしていないか、していても中国製のワクチンでは効果がなかったのか、いずれにしても驚くべき変化です。しかも中国ではまもなく春節が始まります。コロナの発端は武漢で始まったコロナ患者が、春節の時期に大多数でヨーロッパに旅行したことに起因しています。

 自国の不手際によって世界に漏洩したコロナ菌、それを隠そうとして感染者数を過小に発表してきた中国政府。人民の不満が爆発しただけで、大幅な緩和策をとり、収拾のつかないまでの感染者数の増大を招来してしまった中国共産党・習近平政権! 何とも劇的な変化であります。

 いずれにしても、中国人民の政府に対する信頼は大きく揺らいでいるようです。その証拠に、中国の富裕層は中国を捨て、世界各国に移住し始めました。東北や北海道の地味の良いところが彼らの狙いで、大量に買われているそうです。入国制限や外国人土地購入禁止令を出さなければ、今に日本は中国人で溢れかえるようにならないとも限りません。

2023年1月4日         苦瓜(ゴーヤー)                     

 スライスしたゴーヤーのオリーブ油炒めを朝食の定番にして、7、8年が経過しました。一本を三回に分けて納豆、目玉焼きとともに食しているのですが、納豆と卵はいつでも店頭にあってもゴーヤーはそうはいきません。季節を選ぶ品種だからです。今は水耕栽培が出来るようになって、キュウリ、トマト。茄子など一年中店頭を賑わしていますが、ゴーヤーはそうはなっていないようです。新年の入荷を期待して光が丘のスーパー三店を見て回りましたが、入荷はありませんでした。そうなると、意地でも探したくなリます。やっと、古ぼけたスーパーで去年からそこにあったような5~6本を見つけ、やれ嬉しや、とその全部を買い求めて来ました。

 夏の盛の頃、一本100円のゴーヤーをしこたま買い込んできてスライスし、天日干しにしたものがかなりあります。これを水で戻して炒めて食べる、、、、このときが来るのを密かな楽しみにしています。

  2023年1月3日        青学どうした!                      

 今、時計は午前11時。復路の箱根駅伝は平塚のあたりを通過中です。トップは依然として駒沢大。2位が中央大。異変が起きたのは3位だった青山学院です。3位から8位に大きく転落しました。他に順位を下げたのは順天堂大と東京国際大です。逆に上げたのは創価大と法政大と早稲田です。往年の覇者早稲田は5位から3位になりましたが、國學院に抜かれて今は4位。

 解せないのは3位から8位に転落した青学です。箱根山の下りで順位を落としているのです。原監督の選手起用の見誤りだったのでしょうか。世間に広く知られているように青学の競走部は、神奈川の淵野辺に合宿所を持ち、選手、原監督の家族もろとも共同生活をしています。ここ数年、それが奏功し、青学の競走部は一躍世間の耳目を集めました。その青学が3位から8位に転落とは!5人に抜かれたのですぞ! 何とも情けない!

 一昔前、早稲田の競走部も青学同様、気を吐いていました。その頃の競走部のマネージャーは私の小学校時代の恩師・上野雄二先生の孫息子の雄也君。献身的な活動をして早稲田競走部の名を高からしめました。

 あと数時間すると選手達が大手町の読売本社前に張られたゴールに飛び込んで来るでしょう。果たして、駒沢が1位のままゴールできるのか?それとも番狂わせが起きるのか? 青学の復活劇はあるのか、ないのか? 今日も昨日に続く穏やかな晴天。目が離せません。

2023年1月2日       ニューイヤーコンサート                

 恒例のニューイヤーコンサートが、ウイーンの楽友協会大ホールから、ウエザーメストの指揮で全世界に放映されました。今年はウイーン少年合唱団と少女合唱団が特別出演しました。新年を迎えるたびに、ほとんど毎年これを楽しみにして聴いているので、曲目のほとんどは馴染みのものばかりとなっています。小澤征爾が指揮をした年もありました。彼がウイーンに住み、ウインフィルの楽友協会の役職に就いていた頃です。演奏最後の曲目「ラデッキー行進曲」の時、後ろを振り向いて聴衆に拍手を即すときの仕草が、従来と変わっていたことを思い出します。

 遙か20年ほど前、このウイーンに三日ほど滞在し、楽友協会の扉を開けて中を覗いたことがあります。さして広くないホールで、天井から大きなシャンデリアが三つ。これと同じ形のシャンデリアが六本木のサントリーホールでも見られるのは何ともご愛敬です。このとき、ウイーンの72番の路面電車に乗って市民墓地まで行きました。楽聖達のお墓にお参りをするためです。電車を降りたはいいが、案内所も何もありません。幸い、通りかかったご婦人が親切にも案内してくれました。ベートウヴェン、シューベルト、モーツアルトのお墓が並んでいました。少し離れて、椅子に座ったブラームスがこちらの三人を羨ましそうに見ていました。その後10年ほどして再び市民墓地を訪ねる機会があったのですが、そのときお墓の位置関係がやたらに観光地化されていて興ざめでした。ブラームスの羨ましそうな素振りのお墓もなぜかなくなっていました。

 2023年1月1日           新年の抱負                

 新年明けましておめでとうございます。今日の東京の空は雲一つなく、太陽が燦々と輝き、風一つありません。降り積る雪に閉ざされ、曇天の中での生活を余儀なくされている北国の人たちには、全く、申し訳ない次第です。この輝かしい年の初めに当たって願うのは、先ず第一に「コロナには何としても感染しない」ことです。今、5回目のワクチン接種の通知が来ていますが、時期を見て接種して貰うつもりです。巷では、ワクチンの薬害が叫ばれ、接種拒否の人々が増えているようですが、私の場合、この3年余り感染から遠ざかってこれたのはワクチンのお陰でありましょう。少なくとも私はそう思っています。

 二番目に今年からやろう、と思うのは身辺整理です。私の母親が生きた93歳まで命を長らえることが目標ですが、1937年1月15日生まれの私は86歳になります。お陰様でここまで生きてくることが出来ました。この上は、何時お召しがきても良いように身辺を整えておきましょう。書籍、楽器、CD、DVD、家財、衣類、、、、沖縄のオバアのように、枕元に死に装束だけを残して別れを告げたいものです。

 そのためにも、近々、タイ・チェンマイへ行っ異友堀田さんに預けてある車の処分をしてこなければなりません。タイも日本と同じ交通ルールですが、国際免許は再発行してもらっても、彼の地で運転はしないつもりです。事故を起こしては台無しになってしまいます。

 そんなわけで今年はやることが一杯です。そうそう、今年の課題はピアノにもあります。12月末、フォーレの「シチリアーノ」をひっさげてヴィデオ発表会に臨みなしたが、1月からはベートウベンの106番ソナタ「ハンマークラヴィア」の第三楽章の「アダージオ」と取り組む積もりです。ロマンロランが愛してやまなかった曲です。彼の大作「ジャンクリストフ」の読み返しも、今年の目標に入れましょう。高校時代、受験勉強そっちのけで図書室に籠って読みふけったものです。

2022年12月21日    新潟大雪・交通麻痺                         まだ、秋あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゃゆゅよらりるれろわ・を・んアイウエオカキクケコサシスセソタチツテトナニヌネノハヒフヘホマミムメモヤャユュヨララリルレロワ・ヲ・ン

2022年12月20日    新潟大雪・交通麻痺                         まだ、秋の終わりの気配が漂っているのに、新潟では、県内のほとんどが60センチを超す大雪に見舞われ、交通機関や国道が麻痺状態に置かれるという異常事態になっています。新潟を二年間担当した私にとって、これは人ごとではあり得ず、心がキリキリと痛みます。私が担当していた頃の新潟は、豪雪に見舞われるのは上越の高田、中越の十日町、越後湯沢、小出、六日町などに決まっていて、新潟市や柏崎、三条などの海岸線の街での降雪は、ほとんどありませんでした。それがどうでしょう、今回は新潟県内の街のほとんどが60センチを超す大雪に見舞われているのです。正に、異常気象というほかありません。新潟県は富山県境の市振から山形県境の府屋まで、400キロに及ぶ細長い県です。そこを、国道と高速道路が走っています。その道路が大雪のため除雪が叶わず、車の大渋滞ができ、人々は車のガソリンの消耗を心配しながら閉じ込められているのです。脇道に出ようにも除雪が出来ていないからそれも叶いません。おなかも空くでしょう。寒さに震えていることでしょう。新潟県は自衛隊の出動も要請したようですが、県内すべての国道が通行不能になるなんて、新潟県始まって以来の出来事ではないでしょうか。

 願わくは、国道沿いにお住まいの住民の皆様、動きたくても動けないでいる車の皆さんを助けてやってください。食料を届けてやってください。暖房器具を持ち寄って暖めてやってください。お願いします。

 2022年12月19日    命 日                        今日は母親の祥月命日です。16年前の12月19日の明け方、清瀬の複十字病院で亡くなりました。93歳でした。最晩年は食欲も衰え、流動食以外は受け付けなくなり、医師の勧めで「胃瘻」という手術を受けたその明け方のことでした。前日の手術に立ち会い、手術は成功しました、の報を聞いて、やれやれと自宅に戻った数時間後、母親は亡くなったのです。明らかに医療ミスであるでしょう。それ以外に考えられません。知らせを受け、急いで清瀬の複十字病院へ駆けつけると、担当した医師と看護婦は、私に向かって深々と頭を下げました。怒り心頭を発し、担当者を怒鳴り上げ、医療ミスだとして大問題にすることも出来たでしょうが、何故か、冷静さが支配しました。甘んじて受け入れてしまいました。理由は、一度死んだものは二度と戻らないことを知っていたからでありましょう。裁判に持ち込んだからといって、医師に勝てる事例は極めて希なことを知っていたからでありましょう。加えて、93歳まで生きればトシに不足はないだろう、との思いもありました。

 思えば、母親の93年の生涯は波瀾万丈であったと言えるでしょう。私を育てるために一生懸命だった93年ではなかったでしょうか。

 今日は快晴の空。関越道路を東松山で降り、森林公園に連なる墓地へ行き、花を手向け、線香を灯し、沖縄のオバアの墓ではクリスチャンだったオバアのために主の祈りをずし、真ん中の連れ合いの姉夫婦の墓では般若心経を唱え、母親と連れ合いが眠る三つ目の墓では念仏を心ゆくまで唱えてきました。

 2022年12月18日    寒 さ                          小学校3年から高校時代まで長野にいたので、冬の寒さには慣れている積もりですが、同じ冬でもロシアやウクライナの寒さは、ちょっと、違うようです。意地の悪いロシアは、ウクライナの発電所や変電所などを狙い撃ちにしたため、多くの一般市民は暗がりの中で、寒さに震えながらこの冬をやり過ごさねばなりません。水も食料も不足し、その上、暖房もない生活を余儀なくされる人々が日に日に増えていることを、戦争を起こした者達は何と思っているのでしょうか。

 厳冬期の北アルプスの唐松岳に登ったのは高校2年の真冬でした。八方尾根まではリフトで上がり、その先はスキーにアザラシの皮を履かせジグザグに上りました。冷泉小屋に一泊し、翌朝、快晴の中を、右手に白馬三山を見ながら頂上を目指します。尾根に出た途端、強風が吹き荒れるなか、スキーをデポし、8本爪のアイゼンに履き替えます。そして、頂上制覇。外気温度は恐らくマイナス20度を超えていたでしょうが、身体を動かしているため、寒さを感じませんでした。その帰りの下山途中です。スキーもろとも雪の吹きだまりの中につ込んだ途端、右足のスキーが折れてしまいました。さあ、そこからは片足スキーです。片足だけで滑るのは何とも難しいものでしたが、麓の細野部落に明かりが点る頃、何とか下山出来ました。懐かしい思い出の一コマです。

2022年12月17日    N・S・S                       昨日の閣議で、日本の今後の防衛にとって最も重要な問題が、いとも簡単に変更されました。それは国家安全保障戦略についてです。俗にNSSと呼ばれる「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言葉を替えて、相手の領域内を直接攻撃できるようにしたことです。これは、日本の戦後から続いてきた安全保障体制の大いなる転換、と言っていいでしょう。しかも、その上、今後の5年間で防衛費を1・5倍にすることまで閣議決定されました。誠に、あれよ、あれよという間の出来事です。

 私が生きている間に起こりうるかどうかは別にしても、日本がこれから立ち向かわねばならない脅威は、言わずと知れた中国であり、北朝鮮であり、最近はその上、ロシアまでもが加わりました。日本はウクライナ同様、ロシアと国境線を同じにしています。その上、彼の国とは平和条約を締結しておりません。何せ、太平洋戦争の時には、ソ連は相互不可侵条約を一方的に破って、一万の大軍をもって満州国に押し入り、おびただしい捕虜を極寒のシベリアへ送り込んだ国です。

 この三国の脅威については、太平洋戦争を生き抜いてきた年寄りたちは元より、若い人たちにとっても共通の問題として捉えられ、しかも、最近は、その脅威が現実味を帯びてきているので、大昔の「安保反対!」とはならないような気がします。それにしても将来日本を背負って立つ若者達の無関心ぶりはどうでしょう、まだ、始まったばかりだから、理解するのに旬日を要すのかもしれませんが、それにしても、日本の将来に関する決定が、いとも簡単に閣議決定されてゆく現行の政治体制を憂います。

2022年12月16日    気候の不公平                       北海道は猛吹雪に襲われている、というのに今日の東京は快晴の空が広がっています。気候変動の著しい現象は世界的な規模で広がっているようですが、驚いたのは、地球の反対側のブラジルで大洪水が起きていることです。見渡す限りの平地が家の高さまで水に埋まっていました。原因は森林の乱獲だそうです。ブラジルは国の政策として森林を潰して、農地化する政策を推し進めていますが、それがアダになりました。森林の貯水力を甘く見た結果でしょう。

 日本もこれからが気候との戦いです。太平洋側は、連日、カラカラの天気だというのに、日本海側は雪もよいの曇天の連続です。新潟県を二年間担当して、日本海側と太平洋側の冬の気候の余りの不公平極まりない現実を、いやというほど知りました。

 その太平洋側のまっただ中、福島の浜通りに一週間後、二泊三日で出かけてきます。久しぶりの泉、平、富岡、大野、小高です。佐藤彰牧師にお会いし、「翼の教会」のクリスマス礼拝にも参加します。

 車の免許更新が来年2月に迫っていますが、返上する積もりは今のところありません。視力も、反射力も、衰えを感じません。しかし、少しでも異常を感じれば返上する積もりでいます。事故を起こしてからでは取り返しがつきません。安全運転を終始心がけて行ってきます。

2022年12月15日    ク エ                       寒さがつのって来るにつれ、ナベ料理が恋しくなってきました。青森の「しょっつる」秋田の「きりたんぽ」茨城の「アンコウ鍋」と色々ですが、その美味しさおいて飛び抜けているのが、北九州のフグ鍋、博多のクエ鍋ではないでしょうか。中でも「クエ」は今や幻の魚と化し、滅多にお目にかかれません。今から三〇年ほど前、九州小倉に単身赴任していた頃は、冬の宴会はいつも「フグ刺し」「フグ鍋」が定番で、「クエ」は滅多なことでは膳に上りませんでした。幸いなことに、博多では「よしおか」というスタンド割烹を前任者から引き継ぎ、目の前のガラスケースに横たわる「クエ」を見ながら、刺身や、鍋をいただくことが出来ました。当時は、小倉本社にも、博多駅前の朝日ビル内にも「営業局長室」があり、重宝にさせていただきました。「クエ」は深海の岩場を根城にする怪魚の一種です。大きなものは1メートル以上にもなります。あるとき、スタンド割烹「よしおか」の目の前のガラスケース一杯に「クエ」が横たわっていてビックリしたことがありました。

 フグ鍋も勿論ですが、それ以上に上品で味わい深いのが「クエ」ではないでしょうか? 私は現役で福島県を担当していた頃、ふぐ毒に当たって死にそうになったことがあります。12月の末の頃で選挙号外のため、福島支局に詰めていました。近くの「マンセイ」という料理屋で、徹夜になるので力を付けておこうと食べたフグ鍋に当たり、支局前の大原病院に担ぎ込まれ、お花畑を見るまでなりましたが、幸い命をとりとめ、30日の有楽町本社での打ち上げ会に間に合い、拍手で迎えられました。以来、フグには近づいておりません。専らクエを探し回るのですが、もはや、世間では幻の魚になってしまっています。何とか、もう一度「クエ」にお世話になってから「あちらへ行きたい」ものです。

2022年12月14日  軍事予算1兆円増額                       岸田総理が国防費1兆円を増額する、まず、現行の災害復興予算をそれに充て、たばこ税、所得税などを順次当てはめていく、とのたまいました。驚いたのは閣内から「総理の真意が計りかねる」「いかにも唐突である」などという異論が噴出していることです。9月の国葬決定もそうでしたが、岸田総理は独断専行型の人間なのでしょうか、少なくとも閣内に計って、そこで反対があろうとも異論があろうとも、私が総理である以上、これで行くと断行してこその総理大臣なのであるのに、閣内の意見の集約もとらずに、最も大事な案件をいとも軽々と決定しようとするところに、岸田文雄という人間の軽さが見え隠れします。

 日本の自衛隊の規模はかなり大きく、世界で7番目だったと記憶します。しかし、大きな足かせがあって、それは攻撃してくる相手国にこちらから攻撃をしてはならない、ということです。「防戦だけの存在としての軍隊」それが日本の憲法に明記されている国防の実態なのです。従って、極く普通の軍隊になるためには憲法を改正しなければなりません。

 かりそめにも私は早稲田大学第一文学部史学科の西洋史専攻に籍を置き、戦争のなかった時代はなかったことを学びました。と言うことは、いずれ、中国共産党は台湾併合に舵を切るのは必須と思われ、当然、アメリカとの軍事衝突は避けられません。とすれば、日本はある意味でアメリカの属国ですから中国からの攻撃対象となるでしょう。両国の軍事費から見れば、日本が増額する一兆円など微々たるものであるでしょう。でも、備えあれば憂いなしの例えのように、軍事予算にケチは付けられません。国の死活に関わってくるからです。その意味で軍事予算の増額はやむを得ないことなのです。ただ、岸田総理のやり方が稚拙極まりないという事実が露見した、ということなのです。誠に思慮の少々不足している国会議員を我々は総理として仰いでいるのです。

2022年12月13日  ロシアとウクライナ問題                       スイスのジュネーブに永住している知人から、ロシアとウクライナ問題に対するメールが届きました。3人のお仲間とのオンラインによるやり取りだったようですが、傾聴に値する部分もあるので、ご本人に断り無く、ここに再録させて貰いました。 

 「昨日は在欧の旧同僚と忘年会を開催しました。と言ってもそれぞれ英国 オランダに住みついている二人とのトリオです。本年の回顧がテーマ。」

 当然のようにウクライナ問題が筆頭に上り口角泡を飛ばした次第です。相手は二人とも「主権国家を勝手に侵攻した悪者はプーチン。自国防衛をするウクライナには武器提供も含めて援助するのが当然。旧ソ連と左程変わらないロシアは 民主主義の価値を理解していない。」との一点張。カフェでだったら 掴み合いしたいぐらい だという意見も出て来て わらいました。

 自分達が 絶対に正しい。と主張するだけで 妥協とか 話し合いの道をまず探そうとしない限り 犠牲者は増える一方だと 私は思っています。ウクライナもロシアも最初は一つの国だった。古代ルーシの首都はキエフだった。つい最近までは 歴史も共有していた。少しでもロシア語ができて ロシア文学に描写されるロシア人に親しみを感じるならばもっと別の見方ができる筈だと 密かに信じています。現在の施政者がどれほど悪者であっても。日本が真珠湾攻撃をして無闇矢鱈にアジアで暴れ回っていても 日本語の美しさとか 日本文化の美を愛おしく思う欧米人も少数ながらいた筈。もう一つのテーマは「日本との絆でした。この春 母親をなくしてから 日本との絆がぷっつり切れてしまって 大海の波に揉まれる漂流物みたいな気分だけれど あなたたちは どうですか と尋ねられました。オランダ在住の友人は 読書も9割方 非日本語系だし 地球市民になりかかっている模様。私一人が 日本語にしがみつき 望郷の念にもかられているようでした。両親との乳離れは早くからあったし 日本を離れた経緯も他の二人とは異なるので 親の存在とはほぼ無関係な絆が 私にはあります。心を割って話せる友人も日本にはいる。スイスには一人いる程度。(後略)

2022年12月12日   世間は賑わっていた                     昨日は一ヶ月ぶりに西武線に乗り、池袋から地下鉄銀座線でお茶の水で降り、総武線で錦糸町まで行きました。昔の江東楽天地は既に瀟洒なビルになっているのですが、そこを通り抜けて仲間の待つ碁会所へ到達しました。どこもかしこも人の流れは尋常でなく、全員が全員ともマスク姿であることを除けば疫病コロナの気配は全く無く、穏やかで平和な人々の生活がそこにありました。しかし、東京では毎日1万人以上の感染者が新たに報告され、昨日は医師会の尾身会長までが感染したことが報じられました。当然ワクチンを打っていたでしょうが、それでもコロナは人を選ばないのです。と言うことは、ワクチン四回接種の私も感染を免れることが出来ない現実があることを意味します。    だから、たとえ5回目を打ったところで感染する確率はゼロではないことが分ります。

 一億人を超す日本人全員が感染するまでコロナ禍は続く!のではないでしょうか? 自宅待機を強いられ、激しい苦しみから生還したら、2度とは感染しないのでしょうか? 

 囲碁の会が終わって近くの居酒屋へ直行し、お互いの無事を祝しながら酒宴が始まりました。久しぶりなので、酒量が上がり今日は二日酔い気味です。ことに寄ったら、コロナ菌は私の体内で活動を開始し始めたかもしれません。

2022年12月11日   天才は双葉より                     昨日は目白の椿山荘で、朝日新聞が主催する囲碁名人戦での勝者を讃える式典が行われました。中村史郎朝日新聞社長から允許状が芝野虎丸9段に手渡されました。最終局は正に死闘で、井山裕太本因坊の白石が盤上をのたうち回り、最後は殺されました。まれに見る激闘でした。一週間前のNHKの囲碁番組で芝野虎丸と関太郎の若手同士の一騎打ちがありましたが、22歳と19歳の死闘です。AIを駆使した次元の違う碁が打たれました。もう、囲碁の世界でも年寄りは既にお呼びでなくなっていることを知らされました。ところで明日は久しぶりに錦糸町まで出かけます。囲碁の会が昼からあるからです。電車の乗るのは正に一ヶ月ぶりです。まして、碁石を握るのは何ヶ月ぶりでしょうか。棋力の衰えを感じて落胆しながら帰って来るかもしれません。

 ところで、若手の快進撃と言えば女流の囲碁の世界でも同じです。藤沢里菜、上野愛咲美の時代を脅かしているのが、僅か13歳の仲邑菫です。今日の週間碁の紙面は日頃、藤沢に教えを受けている13歳が、恩師にタイトル戦で勝ったことが報じられています。

 一方、音楽の世界でも若手が活躍しています。バイオリンの村田秋保、御年11歳の小さな女の子です。オーケストラを率いて堂々たるソロを弾きこなしています。出身は茨城県の水戸だそうですが、茨城に天才を生み出す力があったのかどうか、甚だ疑問です。13歳と11歳の女の子同士。今後の活躍が見ものです。

2022年12月10日    整理しよう             

 朝刊をいつものようにパラパラやっていましたら、音響製品の高価買い取りの広告が出ていました。アンプやオープンリール、スピーカー、楽器、、、そういえば家の地下室には、久しく使っていないそれらのものが眠っています。おびただしい数のレコード、CD。それのためのターンテーブル、アンプ、大型スピーカー2基、バイオリン、三味線などなど。

 「そうだ、この際、整理しよう。私もトシだ」と何やら啓示らしきものを受けました。整理しなければならないものに本もあります。「日本の名著・全巻」大佛次郎「天皇の世紀・全巻」「埴谷雄高集・全巻」「三島由紀夫全巻・初版本10冊ほど」、、、、、 

 どれもこれも、若いときから集めてきたものでそれぞれに愛着があるのですが、これから渡らねばならなくなる「三途の川」を担いでいくわけにもいかないでしょう。だからといって、子供や孫どもに残したからといって宝の持ち腐れになること必定です。

 そこで思い起こすのは沖縄の「オバー」の死に方です。自分の持ち物一切を近親者に与え、枕元に死に装束だけを置いて死んでゆきます。今際のサイ、「オバー、水飲まんね」と問いかけると「いらん、途中で粗相してはいかんから、」 私も自分自身の死に方を考えなければなりません。

2022年12月9日      防衛費増額       

 共産党一党支配の中国の国防予算は、年々膨らみ続けています。呼応してアメリカの国防費も増額の一途をたどっています。日本はどうでしょう?ヤット重い腰を上げました。増税を図り、一兆円の増額が決まりました。ただし、増税は来年以降に持ち越されます。軍事国防費に巨大な予算をつぎ込んでいるのは、アメリカです。その次が中国です。中国の軍事予算の膨張ぶりには驚くべきものがあります。その狙いは、言わずと知れた、南沙諸島、尖閣諸島の領有化と台湾です。それをさせじ、と踏ん張っているのが民主主義の国アメリカです。中国が台湾支配に動き出せば、民主主義の危機ですからアメリカが対応に乗り出すでしょう。すると、日本のアメリカ軍基地が中国の攻撃目標になること必定です。沖縄、横須賀、横田、十和田などにミサイルの雨が降るでしょう。かりそめにも日本領土が攻撃された場合、日本は黙っておれるでしょうか? かくて、好むと好まざるに拘わらず、日本は中国との全面戦争に巻き込まれていくのです。すると、防衛費はいくらあっても足りなくなります。それを予測しての、このたびの1兆円の増額です。税金でまかなうのです。増税は再来年から始まるそうです。恐らく年金の減額にも繋がっていくでしょう。

 ここ2000年の世界史を見ても、戦争のなかった時代はありませんでした。今も、厳冬期の東ヨーロッパでロシアとウクライナが戦火を交えています。明日の日本がそこに見え隠れしています。

2022年12月8日      戦争勃発の日       

 今から77年前の今日、大日本帝国は世界の強国を相手に戦争を始めました。アメリカ、フランス、イギリス、オランダ、そして中国共産党と中華民国がその相手です。なぜ、無謀とも言える戦争を日本は始めたのか?日華事変で勝ちを占めた軍部のおごりがありました。「神国日本」に対する幻想がそこにありました。そして、77年前の今日、ハワイの真珠湾奇襲攻撃で戦果を納め、軍部の独裁のもとに、国民に多大の犠牲を払わせ、おまけに原子爆弾まで落とされて20年8月15日、日本は降伏したのです。戦犯となって拘留された33人の軍人達の裁判が行われました。いわゆる東京裁判です。全員が全員とも「私は上官の命令に従ったまでで、私に罪はありません」と陳述しました。(丸山真男著・現代政治の思想と行動参照)

 この日、臨時ニュースを聞いた母親は、青い顔をしながら私を連れて吉祥寺の「パン屋」へ走りました。当時、井の頭公園近くに住んでいたのです。パンはすべて売り切れていました。売れ残っていた菓子パンをしこた買い込みました。そのときの母親の切羽詰まった青い顔を今でも鮮明に思い出すことが出来ます。その後、新井薬師の門構えの家に移って、上高田国民学校の一年生になるのですが、直ぐに福島の浜通り富岡へ学童疎開させられます。5月25日の山の手空襲で家は焼かれ、命だけは助かった母親が福島の私を連れて長野の母の実家にお世話になります。軍部の独裁によって引き起こされた悲惨な戦争、そこに何らかの価値があった、と言えるでしょうか?

 同じ苦しみと哀しみを、地球の反対側で、ウクライナの人たちが、いま、受けているのです。 

2022年12月7日      NHK会長人事       

 期待していた前川喜平さんのNHK会長人事は、水泡に期してしまいました。稲葉延雄という元官僚が割り込んできたのです。静岡県出身、東大経済から日銀入社。総裁選に打って出るも、黒田氏に破れ、退社。リコーの経済研究所の所長。72歳の高齢。かくて、前川喜平さんを押す四万五千票の署名は水泡に帰してしまいました。どうして、時の政治は一般民衆の声を無視するのでしょうか? NHKの改革は誰が見ても必要なのに、またまた時の政治によって蔑ろにされました。恐らく、前川さんを放擲した、前菅官房長官の意向が働いたのでしょう。岸田総理がそれに反対して、前川会長を実現させていれば、岸田の株も上がっただろうに、岸田の懐の浅さを憂いたい思いです。

 麻生、二階、細田などの老害が今もってはびこっている自民党に限界は来ないのでしょうか? それにしても、NHKの内部事情に誰よりも詳しい、NHKOB会の皆さんが前川さんを望んだのに、それを無視して再び官僚出身者をそれも高齢者を選ぶとはな何事でしょうか!

2022年12月6日      学園都市茨城       

 昨日は茨城県の悪口を書きましたが、この県の大きな特徴は、太平洋に面して平野が続く起伏の少ない土地柄だと、いうことです。筑波山がありますが、小さなコブのようなものです。気候は温暖極まりなく、土地が肥沃なため、作物の生育には最も適した土地柄ゆえ、人々の生活は豊かです。生活するためだけなら、茨城にいれば苦労がありません。日本海寄りの県の人たち、および、東北六県の人たちは、半年は雪に埋もれた生活を強いられます。生活を維持するためにはのんびりとしては居られません。知恵を働かせて生きてゆかねばなりません。その差が県民性に表れるのではないでしょうか?

 筑波山の麓近く、笠間観音の隣に「美野里町」という小さな集落があります。最も温暖な気候と肥沃な土地柄に長年恵まれて来た結果、町中が豊かさに満ちていました。貧しさのかけらも見られない特異なところでした。定年後はここに居を構えて晩年を過ごそうか、と真剣に思ったくらいです。

 近年、筑波山麓の肥沃な南茨城めがけて、東京都心からあらゆる研究機関が押し寄せてきました。学園都市がそれです。私が担当し終わった頃からその動きは顕著になり、都心の日暮里から学園都市まで高速鉄道が出来てしまいました。ここ数十年で見違える変化を遂げているのが茨城県南部です。

 「担当した中で、最もガサツな県、それは茨城」などと言っておれなくなりました。

お気軽に
お問合せください

お電話でのお問合せ・相談予約

03-3998-4086