最近のエッセイ(73)

2021年10月1日         八丈島

 大型の台風が太平洋を北上しています。幸い、というべきか、日本列島への直撃コースからは僅かに外れ、房総半島をかすめる進路をとっていますが、八丈島は大荒れのようです。一度だけ、八丈島へ行ったことがあります。長男、次男が小学生、三男がヨチヨチ歩きの頃です。ジェット機が就航して、間もないころで子供らは目を輝かして窓に張り付いていました。

 なぜ、行ったか? それは團伊久磨の八丈島の仕事部屋を見に行くためでありました。アサヒグラフ連載の彼の「パイプのけむり」には、海に面した崖の上に建てた木造の家での生活がしばしば出てきていました。ビン詰めの「ウルカ」に当って全身に湿疹ができ、原因を確かめるため、もう一度「ウルカ」を食べたり、しばら留守にしていて、家の扉を開けた途端に、白アリの羽化で家じゅうが真っ白だったり、仕事部屋を建てた崖は、昔、牛の死骸の捨て場だったため、幽霊が本当に出た話など、私は彼の大ファンであったため、家族づれで実地検分に行った、という次第なのでした。

 團伊久磨の葉山の住まいを見に行ったこともありました。「子産み石」というバス停で降り、坂道を上り、200段はあろうかという石段を息を弾ませながら登り切り、更に曲がりくねった道をの果てに、円形の造りの豪華なご実家がありました。日当たりのよい斜面は、植物好きだった彼が「猫額の庭」と称していたのでしたが、沢山の珍しい植物が植わってました。主がいなくなって手入れする者もいないのでしょう、荒れ放題になっていました。團伊久磨の葬儀は東京の護国寺でおこなわれました。二人の息子さんが長いお礼の言葉を述べました。小泉総理も目をつぶってそれを聴いていました。会葬者全員に「パイプの煙・最終巻」が渡されました。私の書架には「パイプの煙」の全巻、そのほかの著書全部、彼のCD、歌曲集の楽譜、すべてが揃っています。ただ、残念なのはいま、團伊久磨を話題にする人がいなくなっていることです。でも、彼は私が憧れに憧れた人です。

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                  團伊久磨

            (1924〜2001)

2021年9月30日          ノクターン

 ユーチューブを見ていましたら、84歳の女流ピアニストの演奏がありました。大勢が見守るなか、介添え人に支えられながらピアノの前に座ると、震える手で演奏が始まりました。簡単なショパンのワルツなのに、音は乱れ、ミスタッチも頻繁で、聴くに堪えない演奏でした。それでも、聴衆は盛大な拍手を送っていました。このピアニストの全盛時代を知っていて、高齢になってもピアノに向う、この女性の闘魂を讃えたのでしょう。

 一昔前、83歳の世界的ピアニスト・ウラジミール・ホロビッツの演奏をサントリーホールで聴いたことがあります。時差の関係もあったのでしょうが、その演奏はミスの連発で「壊れた骨董品」と揶揄されました。私が書いた「3万5000円返せ」という感想文が雑誌「音楽の友」に掲載されました。その時以来、楽器演奏は「若い人のものに限る」というセオリーを私は持論にしています。

 翻ってわが身。取り組んでいるショパン・ノクターンOP32はそろそろ上がりに近づいています。8月、9月はこればっかり、恐らく100回は繰り返し弾いてきたでしょう。お陰で、どうやらミスも少なくなり、次は何をやろうか?とノクターンを全曲を聴いたり、楽譜を眺めたりしながら思案しています。聴けば聴くほどショパンの凄さが分かり始め、改めてその偉大さに圧倒されています。学生時代はベートーヴェンにのめり込み「悲愴」を弾きこなし、107番の第三楽章と「月光ソナタ」の第四楽章が最終目標になっていましたが、いまはベートーヴェンには弾く気は起きず、ショパン一辺倒になっているのはなぜなのだろう、と自問しています。すなわち、ショパンの音の構成が、天国の音の甘美さに一番近いのではないかと思えるからかもしれません。何とか今年中には、ノクターンの中での難曲中の一つ、そして私がもっとも好きな15番を上げること目標としています。

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      「壊れた骨董品」と揶揄された 83歳のホロヴィッツ
           サントリーホールでの演奏会
                 (1903〜1989)

 

2021年9月29日           楊貴妃

 今からウン10年前、清里の宮沢山荘で、長野高校新聞四人組(内山・信毎、山崎・日経、宮沢・中沢・朝日)が連日ゴルフをし、夜は一杯きこしめしながら中国問題について激論を交わしたことがあります。発端は山崎君が筆字でものした「長恨歌」にありました。玄宗皇帝と楊貴妃について述べたもので、彼の全文模写は宮沢、中沢の筆をはるかに超えるものでした。話題は「蘭亭の序」にも及びました。この時を機に、私は「蘭亭・・」集めに熱中しました。7種類まで集めましたが、どれが本物なのか、全く理解不可能になりました。本物は既にこの世にないのかもしれません。

 玄宗皇帝と楊貴妃に話が及びました。玄宗が妃にまでにして寵愛した楊貴妃がどのくらい奇麗だったか、話は止まりませんでした。楊貴妃の本名は楊玉環。719年に生まれて奸計に遭い38歳で死んでいます。彼女は琵琶の名手で、玄宗は詩人でもあったので、二人は作詞作曲を繰り返していたといわれます。

 当時、日本は古事記や日本書記の時代。遣唐使が送られ漢字をはじめとする文化が日本に入ってきました。また、仏教も数々の経典と共にやってきました。唐招提寺の鑑真和上がその先例です。故に、日本文化の発生は、ほとんどすべてが中国大陸を起源としていることを、私たちは忘れてはなりません。

 現在の中国は、毛沢東の共産革命により大きく変質し、あまつさえ、現在の習近平の「共同富裕」政策ににより、大きな革命が起きようとしていますが、私たちが忘れてならないことがあります。それは、中国を起点とする文化が余りにも多い、どれだけ、中国のお世話になったかあい知れないという歴史的事実です。いま、世界から総スカンを食っている中国ですが、必ず軌道修正して、新たな文化の担い手になっていくでしょう。私はそれを信じています。 

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 楊貴妃が好んで食べていた

    木の実が 「ライチー」

    早馬で毎日故郷から取り

    寄せていたといわれます



2021年9月28日       生まれ変わったら

 第69代横綱白鵬が引退を表明しました。43回の優勝を誇る稀代の横綱でありました。時には横綱らしからぬ奇策で勝つため、{横綱は堂々と受けて立たねばならぬ}と、非難を浴びたり、怪我のため休場が多かったりもしましたが、何人も認める勝負師でありました。モンゴル出身の彼の本名は「ムフンバッテーン・ダワージャルガル」、父親の「ジグジトウ・ムンフバト」はメキシコオリンピックで蒙古代表としてレスリングで銀メダルを獲得した有名人です。一時期、大相撲は人材が払底し、蒙古から流入が盛んでしたが、彼もその時の一人です。ただ、その時の白鵬の身体は身長175センチ、体重68キロ(学生時代の私とほぼ同じ)であったため、どこからも受け手がなく、かろうじて、弱小部屋に引き取られたようです。

 身体が小さくても横綱を張った力士に千代の富士がいます。ある年の全販売店に集まってもらう新年総会に、当時、無類の強さを発揮していた千代の富士を呼んで「鏡割り」をしてもらおう、となりました。使者は私になりました。同僚に産経新聞から朝日に移籍した高橋湛(しずか)君がいました。彼の父親は九州大学の教授で、横綱審議会委員の高橋義孝さんです。紹介状を書いてもらい、相撲協会に渡りをつけ、九重部屋へ出かけました。あっさり承諾してもらいました。当日、ホテルニューオータニにベンツでいらした千代の富士さんを控室にご案内し、出番迄のお話し相手に社主の上野淳一さんをお願いしました。上野さんはかなりのお年です。何を話したらいいのか、沈黙のみが支配するお二人には、ハラハラしましたが、鏡割りになって千代の富士が現れると、会場は割れんばかりの拍手となりました。成功したのです。思えば、早稲田在学時代、体育の単位を取るために相撲を選びました。ガタイの大きさを認められ、早稲田相撲部に入部を勧められ、笠置山の指導の下、ほとんど毎日土俵に上がった時期があります。当時の身長174、体重70キロ、思えば白鵬と同じガタイだったのです。もし、大学相撲からプロになっていたら、、、、今度生まれ変わってきたら、そうするつもりです。

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2021年9月27日         汽車ポッポ

 まだ、国民学校へ上がる前 目蒲線の西小山に住んでいた頃です。洗足幼稚園の学芸会で、私は「汽車」の歌を独唱することになりました。「汽車、汽車、ポッポ、ポッポ、シュッポ シュッポ、シュポッポ」と歌いだしたはいいが、心配そうに見ている母親と目が合いました。途端に「ウワーン」と舞台上で泣き出してしまいました。泣きじゃくりながら、舞台を降りてくると「もっと泣け、もっと泣け」と囃す仲間がいました。その憎々しげな顔!今でもハッキリ覚えています。

 新幹線に初めて乗ったのは朝日新聞400万部達成の全国祝賀会が名古屋で開催された時です。新横浜を出て200キロを超える速力が出た時、車両中がその速さに驚き、車両中が「ウオー」と、どよめきました。

 まだ、コロナ禍が起きる前、熱海へ行くので、新幹線の一番前の車両にいました。小田原では後続列車をやり過ごすため、しばし停車します。ホームに出て運転席を覗きました。小さな可愛いお嬢さんが一人チョコンと運転席に座っていました。心の中で「ウオー」と叫びました。日本の鉄道技術はお嬢さんでも運転可能となっているのを知りました。

 いま、イギリスから800両の909型の車両の発注が日立車両に舞い込んでいます。やがて大英帝国中を走る車両は、全部日本製にになるでしょう。イギリスは鉄道発祥の国です。明治時代、新橋から横浜まで走る蒸気鉄道はイギリスによってもたらされたものです。ベトナムのホーチミン市の地下鉄は日本製です。まもなく完成します。反対にハノイの地下鉄は中国です。いまだに揉めています。ホーチミン市の皆さんは「それみたことか」と中国製にしたハノイを嘲笑しているようです。インドネシア・ジャカルタの地下鉄は日本製で市民はその快適性を喜んでします。逆況にあるのはバンドンまでの新幹線を、ある日、突然、中国に変更したジョコ大統領一派です。そこには客家同士のなれ合いがあったのでしょう。大量の賄賂の存在が噂されました。でも、工事は一向に進捗していません。

 世界の国々は、いま、日本の鉄道技術を称賛しています。世界の国々は列車の15分の遅れを遅れとみなさず、定時としています。日本では30秒の遅れでも許されません。全部の列車にそれを修正する機器が搭載されているそうです。世界に冠たる素晴らしい日本の鉄道技術です。

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大英帝国全土を走る列車の先頭表面は、
何故か、黄色の色が使われています。
    なぜなのでしょう?

  

2021年9月26日          著作権

 ベッドの友として、毎晩枕元に置いて戯れているAPADには沢山の宝物が詰まっています。音楽然り、ゲーム然り、ユーチューヴ然り、聖書然り、、、、中でも有難いのは「青空文庫」でしょうか。クリック一発で、東西古今の文学作品がズラズラズラと現れるので、重宝することこの上なしです。日本書記、古事記、万葉集、古今和歌集、土佐日記、、、、奥の細道、藤村詩集、ハイネ詩集、与謝野晶子、宮沢賢治、、、、すべて、その全著作が読めてしまいます。実に、実に有難い。この「青空文庫」は、ある篤志家が始めたもので、訳注はボランテアの方々による労作だそうですが、ただ一つの欠陥は、最近の作家、小説家、詩人のものが収録されていないことです。理由は著作権にあります。一般に著作権は50年と定めれれていますが、中には70年のものもあります。つまり、定められた金を払わなければ公にすることが出来ないのです。もとより、ボランテア団体にはそんな金があるとも思えません。従って、三島由紀夫も、司馬遼太郎も、團伊久磨も、埴谷雄高も、どこをどう探しても現れてきません。何とかならないものかなあ、とIPADを括るたびに思ってしまいます。司馬遼太郎の「菜の花の沖」を寝床で読みたいではありませんか! 三島の「禁色」を括りながら夢心地になりたいではありませんか! こちとら、老い先は短いのです。活字の本が無いわけではありません。三島も司馬も本棚には全部揃っています。でも、IPADは軽く、クリック一発で次のページが表れます。偉大な作家の著作を眠り薬にするなど、とんでもないことではありますが、便利さには代えられない部分もあるのです。かといって、ベッドへ入って重い本もしばしば読んではいます。波多野精一の「時と永遠」がそれです。大学の卒論の時に購入したので、本全体が黒光りしています。これは青空文庫にも収録されています。でも、この本に限ってはIPADで読もうとはしません。難解なフレーズの意味を噛みしめながら、同時に、学生時代の理解と解釈と、現在の私の解釈との相違を反復しながら、読み進めているのです。この「時と永遠」は著者が昭和16年に上梓したものです。「アガペ」の愛が突然出てくるので学生時代と同じように面食らっているところです。     

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波多野精一(1877~1950)長野県出身・東大     西田幾多郎と並ぶ哲学者
   教え子に安倍能成 田中美知太郎 三木 清

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2021年9月25日     野党四党テレビ出演

 一昨日、羽鳥慎一モーニングショウは、野党4党の代表を出演させました。コロナの話題ばかりだった昨近、新鮮な企画でありました。立憲民主党は江田憲司、共産党は志位和夫、維新の党は片山虎之助、国民民主は玉木雄一郎。それぞれが持論を展開し、玉川徹が鋭い質問を浴びせていました。コロナと、次期総理候補ばかりの話題ばかりだったところなので、視聴者には好評の企画だった、と仄聞します。

 「なぜ、野党は共闘出来ないのか?、共闘しようとしないのか、なぜ、大同団結を嫌うのか」この鋭い質問に対して、各代表はそれぞれ、その用意はあると言いながら、小異を捨てて大同に付いた場合、誰が大代表になるかの話になると、途端にトーンがダウンしました。玉木雄一郎はポット出の出たがり屋のお坊ちゃん、虎之助は、もう引っ込んでもいい年ごろなのに、まだまだ色気たっぷり(だから、橋下徹の出番がないのでしょう)。共産党は世界では中国以外共産党の文字は消えているのに、この名前を消すことを嫌がります。口では野党共闘を言いながら、内実は「俺が俺が」である底流が垣間見え、「ああ、日本にはアメリカのような二大政党時代は無理なのだ」と、つくづく思わされました。いろいろあっても、革新の民主党と保守の共和党が政権交代する国が、羨ましく思えてなりませんでした。

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2021年9月24日          カボス

 カボスは九州大分県の特産品です。ふとしたことから、このカボス4キロ入りのボール箱を、世話になった方々に送り始めました。九州小倉の西部本社に赴任したのが57歳の時、その時以来ですから27年間余りになります。よよくもまあ、と自分でも呆れています。

 九州の地方の新聞社の販売責任者の会は毎月持ち回りで行われますが、大分合同新聞社主催で、大分の山香で行われた時、そこのゴルフ場の売店に大量のカボスが網の袋に入って500円で売られていました。もしこれを、東京各地でお世話になった方々にお送りしたら喜ばれるだろうな、と閃きました。それが発端です。多い時は70箱を超えて、毎年住所録をファックスで送ってお願いしてきました。山香農協の帆足さんとおっしゃる方がづっと担当してくれていました。ご主人がお亡くなりになっても、仏壇に供えてくださいと申し上げて、継続してきました。故宮沢恭人君は、カボスを搾って熱いご飯にかけ「うまい、うまい」と啜りこむのが好きだったようです。カボスを始めとし、ユズ、レモン、生姜、山葵、九条ネギ、そしてシャンツアイなどなど、、食事に色どりを添える大切な脇役です。

 さて、送り始めて28年目の今年、改めて名簿をを書き換えて今日、ファックスで大分の山香農協に発送します。何と21件にまでに減ってしまいました。つまり、50件余りのご家庭がご両親とも既にお隠れになっているのでした。この先、21件が先に亡くなるか、それとも、私が亡くなって終了するのか、奇妙な勝負はこれからも続きます。

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2021年9月23日         習近平の大改革?

 33兆円(3010億ドル)の負債を抱え、従業員賃金の支払いもままならぬ、しかも「金返せ」と本社に詰め寄る一般庶民の大群衆の写真が世界中に広がりを見せ始めたため、世界中の市場で株価が下落の一途をたどっています。中国恒大グループの惨状の影響は、世界同時株安を招きそうな勢いです。

 なぜ、こうなったのか? いろいろ調べてみました。原因は中国共産党大会で習近平が新たに提唱した「繁栄の共有」政策が原因、と分かってきました。◎2049年までに完全に発展した裕福かつ強力な国家を造り上げる、◎過度に高い収入に対する合理的な規制を行い、高収入の人々や企業には、社会に還元する分を増やすように促す、◎そのためには、教育制度を見直し、児童の映像画面と接する時間を一日1時間以内とする、などなど、かつての毛沢東が発した「文化大革命」に匹敵するほどの改革案を、過日の共産党大会で、高らかに宣言されていたのでした。

 林立するマンションは住むためのものであり、値上がりを想定して借金して買い込む、つまり、投機の対象にしては相ならぬ、これに寄る大規模な失業者がでようと、あい構わぬ、一時的混乱は覚悟の上だ、と国家が人民に訴えたのです。

 中国の現状は、富裕層はますます豊かになり、月収6万円で生活している庶民の生活は一向に改善されていない、中国14億の国民が等しく繁栄を謳歌し、豊かさを共有する中国でなければならない、としたのでありました。コロナ禍のため、世界はこの習近平の大演説を指して大きく報道しませんでしたが、中国恒大グループの破綻が目に見えるようになって、慌てふためきだしたのです。さて、この先どうなるか? ここで棺桶に入るわけにはいきません。

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2021年9月22日        今が、その時

 ワクチン接種も50%を超え、新規感染者が激減し始めています。非常事態宣言も今月末で「蔓延防止」に転換しそうな安堵感が、日本全体に漂い始めています。果たして、このまま推移していくでしょうか?そうは思えません。これから年末にかけて、必ず、第6波の感染拡大が始まるでしょう。完全収束に至るまでには、あと4,5年はかかるはずです。それほど「コロナ」は厄介な伝染病です。

 この小康状態の時にこそ、国家は国を挙げて長期戦略を推し進めなければなりません。それは、コロナ専用病棟の拡大です。医療設備の充実です。病床不足による自宅待機者の根絶です。病院はゴマンとあるのに、感染者を厄介者として入院を拒絶している病院の傲慢を、法律によって断ち切ることです。識者に寄れば、そういう法律は既に日本に存在してるそうではありませんか!厚労省の弱腰の影響で、その法律の施行がままならない、しかも、マスコミもそれに触れたがらない、異様な雰囲気が人知れず存在しているように仄聞します。なぜでしょう?そこに妙な利権が絡んでいるからです。

 菅内閣では官邸も厚労省も医療関係者の団体と相談しながら対策を講じてきています。だから、だから、病院に受け入れられず、自宅療養を強いられた感染者が2万人を超えたのです。低開発国ならいざ知らず、文明国の日本で、「病院で治療を受けられない」事態を招いたことは、為政者の失敗以外何物でもありません。政治は病院側に忖度する必要はありません。法律を改正強化し、命令を発すればよいのです。マスコミももっとそこのところを、公の大問題として盛んに特筆大書すべきです。いま、内閣府はあって無き状態です。厚労大臣も右往左往するばかり。しかし、政治の端境期を長引かせてはなりません。新総理は強力な厚労大臣を任命し、医学会や医師連盟と一大決戦をするつもりで、体制を整えなければなりません。今の小康状態は「神が与えてくれている恩寵」の時でありましょう。

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2021年9月21日         星 空

 数日前、奇跡的に晴れ渡った夜空に名月が輝きましたが、いつも近くに見えるはずの星三つは、一つだけであとの二つが見えませんでした。それだけ、東京の空は汚れているのでしょう。若い時から山登りをしていたので、満天に輝く星空を見上げる機会は限りなくありました。北アルプス、八ヶ岳、谷川連峰、富士山などなど、見上げる夜空の星は私に生きる勇気を与えてくれました。でも、最も感動を与えてくれた夜空の星はどこだったろう、と思いを巡らすと、それは南海の孤島パラオのの海上から眺めた星空でしょうか。パラオは古くは日本の統治下にあったので、お年寄りの多くは日本語を話しました。昔馴染みの赤いポストもありました。小さな議事堂もアパートのような刑務所もありました。信号機のある交差点は、ただ、一か所だけありました。「海上レストランで星空を見ながら豪華なお食事を」という宣伝文句につられて、ある夜、参加してみました。何のことは無い、漁船に折詰弁当を詰め込んで食べるだけのツアーでした。しかし、その時、私はこの世のものとは思われぬものを見ました。満天に輝き、手を伸ばせば届きそうな星の群れです。水平線の端から端まで、星、星、星が輝いていました。いくつもの天の川も指呼の間にありました。

 色の黒い、大柄な船長がギターを片手に歌いだしました。「カルキム、ナイニム、ナイニム、ナイニム、サバルリコー、ルンバガトーア、ルンバガトーア、トーリー、タウワラキー、サバニガ、サバニガ、テマロニセ、、、、マロ、レンマイ、レンマイ、レンマイ、エーラカサンチーベ、パンダーリーア、ヨナネ、、、、、」 私も一緒に歌いだしました。なぜなら、おぼろげに知っている歌だったからです。戦時中パラオのコロール島で戦火を避けて暮らしていた義母が、いつも口ずさんでいたので、記憶に残っていたのです。船長や、船員たちが驚くまいことか。大声を出すと、星空は一層身近に感じられます。満天の星たちが一緒に歌ってくれているように感じられました。  

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2021年9月20日          敬老の日

 今日は敬老の日。猫額の2階ベランダに出て、雲の動きを眺めていると、下を通るのはほとんどが高齢者。日増しにヨチヨチ歩きが多くなってます。練馬の大根畑が宅地化され、働き盛りの人々に争って買われ、その人たちがいま、高齢化しているのです。私もその一人。幸いというか、執念深いというべきか、いまのところ、これという身体の障害は出ていません。でも、60代の頃、女子医大病院で不整脈手術を受け、都立大久保病院で胆嚢摘出手術、埼玉済生会病院で尿管結石除去手術を二度もしてもらった身体です。それにしても、よくぞ、85歳の今日まで生きながらえて来たものだ、と我ながら呆れます。

 日本の65歳以上の高齢者の数は、前年より22万人増えて、何と、3640万人!70歳以上の人口は2852万人で、総人口の22%です。この3640万人の高齢者率は29.1%で世界最高です。二位のイタリア(23.6%)、三位のポルトガル(23.1%)を大きく引き離しています。更に、ベビーブームに沸いた団塊の世代が加わると35.3%に跳ね上がるようです。いやはや、これははや、であります。

 私は、何のために生きているか? 毎日が「ゴクツブシ」の生活であっていいのか? 少しは人様のお役にたっているか? 真剣に考えてしまいます。一方では「お前は65歳まで、社会のため、人のために一生懸命働いてきたではないか。余生を自分のためだけに生きようとしたからといって、咎めだてされる理由はない」という考えも去来します。さて、今日はそれを考えるために与えられている日。

 幸い、台風一過の青天の日です。大空には雲一つありません。また、数日前は中秋の名月を雲間に見ることが出来ました。生きているとは何と素晴らしいことなのでしょう!

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月見れば ちじにものこそ
           哀しけれ
  わが身一つの 秋にはあらねど

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 2021年9月19日        筆字はタイを表す

 昨日、日比谷のプレスセンターで自民党総裁候補者の4人が集まり、記者会見がありました。様々な質問が乱れ飛んだようですが、新聞写真では、四人の候補それぞれの自筆の色紙を掲げた写真が載りました。筆字はその人の人柄 を表します。

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 先ず、野田聖子の「愛」は言葉の選びとしては及第です。政治の基調は愛でなけらばなりません。ただ、名前に比べて愛の字が小さすぎた。自分への愛を強調しているようにも見えてしまいます。高市早苗の「崇高雄洋」は彼女が国粋主義者であることを表しています。当選したら真っ先に靖国参拝をするそうです。それにしても名前が主題に比べて大きすぎです。自己顕示欲の強さが表れています。岸田文夫の「天衣無縫」は、彼が田中真紀子に「冷凍透明人間」と呼ばれるわけが分かる言葉です。間違って総裁になって、「何事も良きに計らえ」と無縫ぶりを発揮されてもらっても困るじゃないですか。しかし、筆字には勢いがありますが、名前を含めてバランスを欠いています。さて、期待の河野太郎ですが、何ですかこの字は!しかも名前を右に書いている。字面も小学生並みです。私が期待している太郎さんが、こんな野暮い字を書く人だったなんて、、トホホホ、、、でありまする。 

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2021年9月18日          後日談

 春のある朝7時、長野の山上君から電話です。「上野先生の葬儀が今日の11時からだそうだ。俺も今知ったばかりだ!」

 「すわっ!」とばかり、30分で喪服に着かえ、家を飛び出しました。上野駅から乗った新幹線は1時間チヨットで長野駅に着いてしまいました。お斎の席は山上君と堀内さんの三人はご遺族の前でした。お孫さんは三人いらして、長男の達也君は早稲田の4年生で早稲田駅伝のマネージャー、次男の智也君は東京農大の2年生でした。ほかに可愛い女の子が一人。先生の息子さんは電機大学を出て日立系の会社に勤め、成城学園にお住まいでした。

 達也君の就職の話になりました。マスコミ志望だったので、朝日と日経を受けることになりました。私は八方に手を尽くし始めました。日経新聞社の専務になっている友人・菊池君に逢ってもらいました。同期入社で朝日の常務である大野君にも会ってもらいました。(いずれも、デズニーランドの運営部長の長男から無料券を取り寄せ袖の下にしました) 日経の合格通知が舞い込みました。朝日も面接結果待ち、となりました。ところが、達也君から両方キャンセルさせてもらって、博報堂の子会社の「インターナショナル・・・社」へ行きたい、というのです。理由は早稲田の競走部の先輩が、どうしても、ここにしろ、と譲らないからだ、というのです。その上、お爺さんのお墓に詣でて、了解してもらった、というのです。私は寝られない数日を過ごしました。

 しばらくして、達也君のお母さんから度々電話が来るようになりました。就職したはいいが、競走部の先輩の「シゴキ」は余りに酷で、達也は精神をおかしくしている、富士山の樹海へ行ったり、駅のホームでふらついて駅員の世話になったりしているというのです。奥さんは度々私の家にも訪ねてきました。帰宅する私を待って家の前に佇んでいたこともありました。泣きながらの長い電話も度々でした。私と同期の大阪入社の中尾広告局長に頼んで、博報堂子会社の彼を先輩から離すよう、頼んでももらいました。一方、次男の智也君は東京農大だったので、秋葉原の日本農業新聞社へ紹介しました。農業新聞は全国どこでも朝日の販売店が扱っています。同社の社員研修で私が講師になったこともあります。いま、智也君は日本農業振興のために全国を飛び回っているようです。その証拠に、盆暮れになると彼は、その土地の特産品を贈ってくれています。その品々をいただきながら、少しは、上野先生へのご恩返しができたかな、と思っています。

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上野雄二先生の直筆

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2021年9月17日         詩集の出版 

 私を訪ねて、築地迄お出で下さった先生を、2階のアラスカレストランにお通しして お話を伺うと、分厚い自作の詩集をお持ちになり、何とかならないかと、おっしゃいます。出版局に見てもらいましたが、ダメでした。もともと朝日は 詩集はダメでした。そこで、詩集出版には定評のある思潮社へ持ち込みました。作品は褒めてもらいましたが、80%買取の自費出版ならしてあげる、とのこと。どんな形であれ、思潮社から出してもらえるなら、願ってもありません。ついでに巻頭言や、帯を、当時朝日新聞一面の「折々のうた」で大人気であった大岡信さんに頼むことも了承してもらいました。私と山上君、堀内さん、宮崎さんの四人で、吉祥寺の大岡信さんのお宅へ、直接お願いしに行きました。稿料5万円と先生が好物だと伺ったウイスキーのジャックダニエル半ダースを持っていきました。私たち教え子の熱意にほだされたのか、素晴らしい序文を書いていただきました。その上、ウイスキーだけで十分と、5万円は送り返してくださいました。思潮社の名前の入った立派な詩集が出来上がりました。先生の詩に同じ教え子だった音楽大学教授の高森君が曲を付けてくれました。その譜面を別印刷して付録としました。

 かくして、秋のある日、長野市の公会堂に先生の教え子300人余りが集まり、「上野雄二詩集「教師とくさめ」の出版記念会が挙行されました。東京から、先生ご指名の藤原なにがし様の記念講演もありました。記念会の初めから終わりまで先生は本当に嬉しそうでした。そして、会の最後に、先生は一人一人にお礼を言いながら自筆の色紙を一枚ずつ全員に渡されました。なんと、全部の色紙に河童の絵が描いてあり、「詩韻生動」の文字が入っていました。

 先生のあだ名は昔から「河童」。ご自分でも、河童と呼ばれていることを御承知だったのでしょう。その色紙の一枚は、いまも私の仕事場の壁に張られています。既に変色して黒ずんでいますが、いまはの際には、私の棺桶に入れてもらう積りです。

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     これは、数十年前、長野市「あぶらや」というソバ屋
  で開かれた、同級会の時のものです。かなり、お身体も
  弱っておいででした。先生がお若い時は、もっと河童に   
似ていました。でも、やっぱり、どこまでがお顔で、
どこから頭なのか判別できなくなっています。

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2021年9月16日                ロマン・ロラン 

 いま。書店に寄って、硬派の雑誌を見ても、評論集を見ても、ロマンロラン(1876~1944)が語られているページを見ることはありません。激動のこの世の中にあって、ロランの唱えた平和主義が、もはや、陳腐なものになっているからでしょうか?

 当時、長野高校の図書室には、ロランの著作のほとんどが置いてありました。私は、受験勉強そっちのけで、入り浸って、片っ端から読み漁っていました。「ジャン・クリフトフ」、「魅せられたる魂」、「ミケランジェロの生涯」、などなど。また、ロランが愛してやまなかったベートーベンのピアノソナタ・27番に聞き惚れていました。

 なぜ、ロランに傾倒したかといえば、小学校4年から6年まで受け持っていただいた上野雄二先生のお陰です。千曲川に近い柳原に新婚家庭を持たれた先生は、夥しい蔵書に囲まれていました。大学は法政であったようですが、金原省吾先生と、ロランの名訳で知られる片山敏彦先生に私淑しておいででした。当時、片山先生は荻窪にお住まいでした。上野先生の課外授業のお陰で、高校生の私は「ジャンクリストフ」を夢中で読みました。豊嶋与士雄訳にも目を通しましたが、片山先生の訳は段違いにずば抜けていました。クリストフとアーダが離れ島に置き去りになり、黄金の時を過ごす描写の素晴らしさは、今でも暗記しているほどです。

 その後、同級会は毎年ありましたが、社会人になり仕事が忙しくなるにつれ、疎遠になっていきました。ところが、私が北関東担当の次長をしている時、上野先生がひょっこり、築地の朝日新聞社へ私を訪ねておいでになりました。(明日に続く)

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2021年9月15日        中国・巨大産業の崩壊    

 下に掲げた写真は、中国・シンセンに本拠を置き、1996年に許家印を創業者とする恒心大グループが作り上げ、現在も所有しているマンション群です。パリの公園に似せて作ったようですが、現在、ほとんど、誰も住んでいません。ゴーストタウンの典型です。

 中国は曲がりなりにも共産主義の国ですから、土地所有はできません。土地は国家のものです。業者は国と借地契約を結んでマンションを建てます。農村から都市に流入してきた農民が、そこを買って住んでくれればいいが、農民にそんな財力はありません。勢い、マンションは投機の対象と化します。住民は、甘い汁を求めて、銀行から金を借り、マンションを購入します。やがて限界が訪れます。

 約20万人の社員を庸する恒心大グループは、いま、3010億ドル(33兆円)の負債を抱え、経営破綻の危機に瀕しています。同じような不動産売買を主とするグループに「海航集団」、「北大方正(北京大学方正集団)」があります。いずれも経営難に陥っています。加えて、中国にもコロナ禍は蔓延しています。ほとんどの都市は水害に浸され、北京300キロの地点で地震まで起きています。とても、不動産売買に係わる余裕などないでしょう。

 幽霊マンションの存在は韓国にもあります。飛行機で日本海を渡ってソウルの空港に近ずくにつれ、眼下の景色は林立する高層マンションだらけとなりました。上海へ行って海浜ゴルフ場への道すがらに巨大なゴーストマンションがありました。シンセンへ行ったときでしょうか、緑の樹木に覆われた高層マンションがありました。緑一色に覆われていましたから、さぞや、住民は快適だろうなと思いましたが、いまに至るまで無人だというのです。購入したはいいが、窓を開けると蚊の大軍に襲われるそうです。緑のマンションは蚊や虫たちの高級ねぐらになっていたのです。

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