最近のエッセイ(76)

2021年11月23日       魑魅魍魎

 昨日、日比谷のプレスセンターで立憲民衆党の代表選挙に臨む、4人の候補者による討論会が開かれました。四人の名前は逢坂誠二、小川淳也、泉健太、西村智奈美さんです。恒例により、自分の信条を大きな紙に書いて掲げました。首相選の時は色紙への筆字でしたが、今回は紙は大きくなったものの、マジックで書かれました。だが、マジックであろうとも字はその人間を表します。総じて、バランスの取れた「いい字」を書いたものが一人もいなかったので、ガッカリしてしまいました。

 一番ダメだったのは白髪頭の逢坂誠二です。「人への投資で希望と安心のある社会」と書いたのですが、バランスを欠いためちゃくちゃな字です。4人の中では一番表現力が劣ります。小川淳也は「対話型の政治が創る持続可能な社会」と書きましたが上下のバランスを欠きすぎています。泉健太は「普通の安心が得られる社会、公正な政治行政」と三段書きをしましたが、字ズラはまあまあであっても、「余りに普通」すぎます。西村智奈美は「多様性を力に理不尽を許さない社会」。バランスはまあまあでしたが多様性とは何なのか?意味不明です。「あぁーあ、、この程度の人間が立憲民主党の親玉になるのか、、、」と正直なところガッカリしてしまいました。

 一方、小池百合子率いる都民ファーストの会の女性議員が4,5回に及ぶ無免許運転で議員辞職となりました。おまけに親玉の小池知事は肺疾患で一か月の休養でした。政治の世界は魑魅魍魎の様相を呈しています。

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2021年11月22日        三ノ輪浄閑寺

 いま、都内に残っている都電、いわゆる路面電車は早稲田-三ノ輪間のただ一本だけです。早稲田の学生だった頃の後期2年間は茅場町の日経新聞社でアルバイトをしていた関係で早稲田-茅場町間は毎日利用していました。早稲田-三ノ輪間は残念ながら一度も乗ったことがありません。学習院下から大塚、巣鴨を抜け、町屋へ出て終点三ノ輪になるのですが、乗りたいと思いながら果たせないでいる路線です。三ノ輪へ行きたい大きな理由は、そこに浄閑寺があるからです。浄閑寺は江戸時代から吉原遊女の投げ込み寺として有名です。恐らく、数千、数万の遊女がこの寺に葬られています。また、東京大空襲の時の不幸な遺体も祭られている、といいます。

 25,6歳の頃、江東6区の正担当になり、下町全店の区域を自転車で見て回りました。その時、三ノ輪の所長の菊池さんの案内で浄閑寺に足を踏み入れました。当時の浄閑寺は荒れ果てていて、大きなコンクリートの穴倉の中に骨壺や、むき出しの骨が山と積まれていました。断腸亭日乗の永井荷風は、この墓に三日にあげず通っていた、という話を聴きました。次にこの寺を訪れたのはその後30年ほど経ってからでしょうか。すっかり観光寺になっていて、むき出しの地下室は見れなくなっていました。荷風の墓はここにはなく歌碑が建っていました。「生まれては苦界、死しては浄閑寺」、、、、、近々、早稲田から都電に乗って三ノ輪へ行き、3度目の寺詣でをしようと思っています。

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2021年11月21日         運 転

 警察から一通の封書が届きました。別に悪いことはしていないのに何だろう、と訝りながら開けてみると、鮫洲の運転試験所へ行って検査を受けるように、という勧告書でした。ははあ、豊洲・有明へ車で行った時、Uターン禁止を知らずに犯した6000円の罰金によるものだな、と推測出来ました。つい、数日前にも高齢者のアクセル・ブレーキの踏み違えによる重大事故が関西で起きています。私の場合はどうだろうか、とつらつら慮って、客観的に自分の運転を顧みるに、それらしい兆候は全くありません。20年は乗り続けている我が愛車であるホンダのフィットは私の身体の一部のようになって、忠実に走り続けてくれています。もとより、私には車の趣味は全くありません。今の車を買ったホンダのデーラーからは新車に替えたらという宣伝が度々きますが、数々の電子機器を備えた近代装備の車を見ても、触手が動きません。見かけは不細工で、あっちこっち傷だらけでも、本田宗一郎さんのお陰で、エンジンはますます快調です。車は故障せずに走ってくれれば、それで事足りるのです。ただ、車には全く関心がなくても、これがピアノになると違ってきます。

 長年愛用しているヤマハのC3#であっても、スタインウエイや最近出回り始めたイタリアのファチオリで毎日弾きたいなあ、と思うのです。車は走ってくれればそれでいいが、ピアノは鳴ってくれればいいが、とはいかないのです。音の質が問題なのです。今ここに、ベンツが買えるお金が転がり込んで来たら、私は間違いなくピアノを買い替えるでしょう。

 ともあれ、近日中に警察署からの通知をもって、鮫洲の運転試験所へ行ってきます。運転継続が可能であることを客観的に検査してもらって、わが、愛すべきホンダの車を運転させてもらう積りです。  

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2021年11月20日         おめでとう

 昔の花巻はいま、奥州市になっていますが、この市の職員のほぼ全員の200人が、揃いのエンジェルスの背番号17の紅いユニーホームを着て、講堂に集まり、今か、今か、とその時を待っていました。そこへ、大谷翔平のMVPの受賞の知らせ。しかも、満票での受賞。200人の市の職員は躍り上がって喜びを分かち合いました。奥州市役所ばかりではありません。花巻東高校の現役生徒も、卒業生も、否、それのみならず、岩手県民全員が、そして一億2600万人の日本国民のほとんどがこの朗報を聞いて喜びあいました。

 彼のエンゼルスでの活躍は、勿論、記録的にも前人未踏の領域に迫っていますが、彼をして人を引き付けてやまない魅力は、彼の謙虚な人柄と爽やかな人間性にあると思います。プレーの最中、グランドに落ちているゴミを拾って、それが極く当然のようにズボンのポケットに入れたり、小さな子供の応援にも手を振って応えることなど、有名選手となれば、なかなか出来ることではありません。

 野球選手として前人未踏の領域に達したことも讃えられて然るべきながら、今回のMVP受賞は、アメリカ合衆国民の大谷翔平の爽やかな人間性への賞賛でありました。本当に、おめでとう。  

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2021年11月19日          尿素水

 今、韓国では尿素水を買うために、いたるところで大行列が出来ているようです。尿素とはおしっこ構成しているあれです。ジーゼル車を動かすには、排出される窒素酸化物を中和するため、尿素水を積んでいなければなりません。その尿素水が韓国全体で枯渇しているのです。理由は中国が輸出を禁じたためです。原料の石炭が中国で不足し、輸出する余裕がなくなったからです。なぜ、中国で石炭が不足しているのか?オーストラリアが石炭の中国輸出を止めたからです。昨年来、オーストラリアはコロナの原因は中国にあり、と声高に叫びました。そんなに言うならオーストラリアのワインや乳製品を買ってやらないぞ、と中国は叫びました。構うものか、こっちも石炭を売ってやらないから、と売り言葉に買い言葉になりました。結果、中国は石炭不足になり、電力を含めて尿素水迄品薄になり、今日の騒ぎになっているのです。基礎産業に必要なものは、万一に備えて、自国での生産体制を整えておくべきなのに、韓国はそれをしていませんでした。「人のもので済まそう」というお国柄が招いた結果なのでしよう。加えて、文政権になって以来、大掛かりな日本製品不買運動を展開していますから、尿素水は日本には有り余っていても、大義名分上、買うことが出来ません。いま、韓国中の至る所で大型ジーゼル車が尿素水がないために走ること叶わず、物流に多大の影響が出ているようです。政治姿勢を誤ると、影響を受けるのが国民自身であることを如実に示した「事件」でありましょう。

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2021年11月18日     岩手県人畏るべし

 いま、アメリカの大リーガーで活躍する大谷翔平、菊池雄星選手は、共に岩手県花巻東高校の出身です。半年近くは雪に埋もれ、野球どころではない地域性のあるところで、どうして野球の異才が育ったのか、誰もが抱く疑問が、今日解けました。野球部監督の「佐々木洋」さんの指導力の賜物であったことが分かったのです。

 朝日の記者高久潤君の質問に答える形で、佐々木監督の指導要領の全貌が明らかになりました。「本人の適性に合わせたカスタムが必要だが、それを見極め手助けを惜しまない」「大谷や菊池の才能を常識では支配せず、本人の意識の変革を行い開花させる」などなど、一面全部を使って佐々木監督は、自分の思うところ、やって来たことなどを赤裸々に述べていました。野球の門外漢である私をしても、成程、成程と思うばかりで、改めてこの監督あっての大谷・菊池であることを改めて知りました。彼もまた岩手県人です。国士舘大へ進み大学野球をやったそうですが、6大学の野球部でなかったところに、その特異性があったのでしょう。変な伝統に捕らわれることなく、自分の思うように野球が出来たからこそ、の一面があったかもしれません。

 今日の朝日新聞の「異才は育てられる」という見出しの佐々木監督の談話は、野球をする者にとって必読ものだと、私は思いました。改めて、「岩手県人畏るべし」との感を深くしました。

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2021年11月17日         老朋友(ラオポンユウ)

 昨日バイデン大統領と習近平のオンライン会談があり、その時間は3時間半にも及んだそうです。冒頭、習近平はバイデンに対し、ラオポンユウと呼びかけたそうです。懐かしく親しい友よという親愛の言葉です。なぜなら、バイデンがオバマ時代の副大統領の時、当時副主席だった習近平に幾度となく会っていたからです。その上バイデンの息子は習近平の肩入れで投資会社を設立し、莫大な利益を得させてもらっていました。これは事件となり、トランプと争った大統領選で大問題となりましたが、いつの間にか立ち消えになっています。

 二人が画面で見つめ合いながら話し合った時間は、何と3時間半!何をどのように話し合ったか、その詳細はいずれその全貌が明らかになるでしょうが、何はともあれ、お互い、顔を突き合わせながら、思いのたけをぶつけ合ったわけで、これはこれで快挙でありましょう。バイデンは会談の冒頭「競争が衝突に変わらないようにすることが、両国のリーダーである我々の責任だ」と述べ、習近平も「対話チャンネルを使い、大統領と協力して共通認識を形成し、中米関係を前向きな発展に導きたい」と意欲を示しました。

 会談の中でバイデンは「我々は自国民だけでなく世界に責任がある」と述べ「習近平は「人類は地球という同じ村に住んでいる」としながらも、台湾問題では抜き差しならぬ対立が浮き彫りになり、ウイグル自治区の人権問題や香港についても両国の対立の根底があからさまになりましたが、両国の首脳同士のオンライン会談は今後も折に触れ行われることが約束されました。問題が起こりそうになったら、互いに相手の目を見ながら話し合いができる、、、、、こんなこと、今まであったでしょうか。世界74億の人間にとっての一つの朗報であることは、間違いのないところでありましょう。

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   習近平 会談冒頭に曰く
     老朋友の姿が見られ、声が聴けて嬉しい

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2021年11月16日         爽やか

 人の顔は、どんなに繕っても品性が現れます。どんなに美形であっても卑しさが滲み出ている顔もあれば、貧しくとも心根の美しさが滲み出ている顔もあります。今、あらゆる日本人を見渡して、最も爽やかな顔立ちをしている者は誰か?と問われれば、ほとんどの日本人は「それは大谷翔平」と答えるのではないでしょうか。私もその一人です。シーズンが終わって、彼はいま、つかの間の休息を故郷岩手で過ごしていますが、近々、MVPの投票が行われるのでアメリカへ戻るでしょう。昔、イチローさんがMVPを取りました。日本中が湧きました。今年は3人の候補者が競っていますが、オッズから言えば大谷翔平がダントツです。1,02倍ですから受賞は確実でしょう。

 彼の生まれは岩手県の花巻。何で、東北の外れの片田舎から彼のような人物が現れるのでしょう。全国いたるところ野球は盛んで、優秀な選手はゴマンといます。南国では雪は降りませんから一年中野球ができます。しかし、岩手の花巻では半年はグラウンドが雪に埋もれます。そんな劣悪な野球環境なのに、なんで大谷翔平のような人物が生まれてくるのか? 思うに、それはやっぱり岩手県という歴史的にみて多くの偉人を排出している地域性にあるように思います。盛岡市の外れにある「先人記念館」へ行けばそこに南部藩以来の偉人が顕彰されています。余りの人数の多さにビックリします。また、活躍した、また、現在活躍中の知名人の名前を見ても驚きの連続です。こんなところは東北五県、北関東三県、千葉、埼玉を見回してもありません。私には、大谷翔平に岩手県の優れたところ全部が結晶して、現れているように思えてなりません。好漢の今後の活躍祈るや切です。

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 大谷翔平の実家 普通の家です

 

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2021年11月15日     「筆ぐるめ」の不思議

 11月も半ばとなり、喪中のハガキが舞い込み始めました。今年初めにパソコンを大型に切り替えた際、ずっと使っていた「筆ぐるめ」ソフトを移動してくれるように頼んだのでしたが、どうしたわけか、本体がなくなっていて起動しません。圧縮に圧縮を重ねて260ほどになった住所録がどこへ消えたのか、心配しながらアマゾンから本体と称するソフトを新たに買い求めました。「筆ぐるめ29ー2200円也」。   

 もしも、住所録が消えていたらエライことだなあ、と思いながら恐る恐る、送られてきたDVDをパソコンに差し込みました。画面はインストールを開始します、となりはしたものの一向に作動しません。思い余って電話を入れました。混みあっていて通じません。半ば諦めて一時間ほどして戻ってみると「インストールは完了しました」という表示になっていてデスクトップに筆ぐるめのアイコンが出ていました。やれ、嬉しや、と急いでクリックしてみると、過去の年賀状がズラズラと現れたではありませんか!胸を弾ませながら、住所録をクリックすると、260ものそれが、これもズラズラと出て来たではありませんか!狐に掴まれたような感覚になりました。近代の電子機器は凄い!やっぱり、紙の時代ではないなあ、と改めて悟らされました。

 さて、年賀状を作れる態勢は整いましたが出すか、止めるかは別の問題です。多くの友人知人から、「今年をもって、、、、」というハガキが舞い込んでいます。60代前半の頃は取引先を含めて2、600通余りを出していたのが最高で、その後圧縮を重ねて260通までになっています。つらつら思うに、私としては死ぬまで出し続けたい、、、、、なぜなら、年賀状作りが楽しいからです。絵柄や字ズラと考え、在りし日のその人との交流を思い出しながら一筆を添えることが、何物にも代えがたい時間であるからです。さて、来年の年賀状にはどんな写真使おうか、考えることが楽しくてなりません。

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2021年11月14日        武相荘(ぶあいそう)

 小田急線を鶴川駅で降り、少し歩くと小高い丘の上に大きな農家があります。敷地は広く、二階建ての納屋まであります。この農家が白洲正子と白洲次郎が住んでいた屋敷です。お二人が亡き後、この農家は解放されて誰でも入れて(但し入場料1100円)在りし日のお二人を偲ぶことが出来ます。正子の書斎は北側に面した薄暗い部屋で、窓を開けても、上の農家の石垣が見えるだけで実に殺風景です。廊下にまで溢れた夥しい蔵書に埋もれながら、正子は執筆に励み、数々の名著を上梓したのです。大きな家の廊下の隅々には、それとなく一輪挿しが置かれていて、正子は野の花を挿していたといいます。高い天井から自在鉤がぶら下がっている囲炉裏のある部屋には年代物の和式テーブルがあり、何故か沢山の重箱が置かれています。来客があると正子は決まって「いなり寿司」を作ったそうです。それ以外は作らなかった、作れなかった、とも言われています。

 白洲次郎はイギリス留学していたので語学が堪能、戦後の吉田茂の片腕となり、日本国の憲法草案に大きく係わった人物です。「葬式無用!戒名無用!」と遺言しました。その通りに実行されたそうです。歴史上に残るいなせな男と稀に見る才女とが、どんなところで、どんな暮らしをしていたか、いま、後世の私たちは「武相荘」に訪れることによって知ることが出来ます。

 私は思います。99歳でお亡くなりになった寂聴さんがお住まいになった嵯峨野の「寂庵」も、武相荘に劣らぬ記念館として後世に残して欲しい、と。寂聴さんの書斎、寝室、そして居間のすべてを、やがて、一般公開にして欲しい、と。寂聴さんはそれだけの値打ちのある人だからです。

 5年ほど前、ベトナムへ行った時、革命の戦士ホーチーミンの廟がありました。棺の周りをぞろぞろ歩きましたが、何ら感慨はありませんでした。それより彼が日常寝起きした居間と書斎が展示されていて、そこに日本の歌舞伎人形が飾られているのを見た時、こみ上げてくるものがありました。不思議な感覚でした。

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2021年11月13日         どうする?

 寂聴さんの死去に伴い、地下室の書棚から十数冊の著書を取り出し、改めてところどころ読み返してみました。何故か、源氏物語の現代語訳は入手してはいません。岡本かの子を書いた「かの子錯乱」は学生時代に夢中で読んだ記憶が鮮明です。彼女は、51歳の時岩手県の中尊寺で天台宗の僧侶として得度しています。同じ作家で天台宗の僧侶であった今東光が介添えしました。得度に当ってこんな会話が交わされたようです。「髪はどうする?」「落とします」「下半身はどうする?」「絶ちます」。すると、東光の独り言「別に断たなくてもいいのに、、、」90歳を超えての本人の述懐によれば、それは本当に守られたようです。

 徳島市の三谷仏壇屋に生まれた彼女は、東京女子大の国文科に学びますが21歳の時、見合い結婚させられ女の子を出産します。一時三人で北京で生活しますが、帰国した25歳の時、夫の教え子と不倫します。そして、離婚。恋多き女性として浮名を流し、それが文章となって巷に溢れだします。そして、巷の文学賞を総ざらいするほどの作家になってゆくのです。数々の経験を踏まえた自分の想いを、時々、岩手県二戸の自寺で、法話として人々に語り掛けます。それが人気を呼び、お寺の境内は老若男女で一杯になります。たまたま、岩手のその辺を仕事で回っていた時、その法話があるというので、二戸の所長さんと行ってみました。大群衆を前に、マイクから流れる、心の底から迸る言葉の数々は、群衆を魅了し、流石、と感動させられました。

 最近では、週刊朝日に寂聴さんと横尾忠則さんとの往復書簡が載っていました。雑誌を開くたび、何よりも先に見ていたのですが、このところ寂聴さんのお世話をする「まなほ」さんの代筆が多く、何かあるなと思っていたら、一昨日の99歳の訃報です。「やっと死ねた、嬉しい!」とご本人は思っているのではないでしょうか。先に逝った多くの恋人たちと再会し、「さてさて、誰とから始めようか」と思い悩んでいるのではないでしょうか。

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2021年11月12日         曼荼羅山寂庵

 山陰線嵯峨野駅を降り、小さな商店街を小倉山に向って歩き始めます。賑やかな通りに出たら左折し、渡月橋に向って右側が天龍寺です。拝顔料を払って見事な庭を見て、裏門から竹林の続くだらだら坂を登ります。上がりきったところが大河内山荘です。邸内の頂上から桂川を見下ろし、お茶をいただいてから右側下にトロッコ駅を見て、次は常寂光寺です。続いて、二尊院。どちらかの寺には、昔、,新橋芸者だった照葉さんが得度し、祭られています。続いて田んぼの中の小さな芭蕉の落柿舎、去来の墓が続きます。そして祇王寺。この辺から大昔の罪人死体埋葬地帯で、今でも、夜はうめき声が聞こえ、掘れば骨が出るそうです。その只中に「曼陀羅山寂庵」があります。そう、一昨日お亡くなりになった瀬戸内晴美・寂聴さんのお住まいです。300坪はありそうな結構なお屋敷で、その昔、毎日新聞の出版局次長さんがお庭番をしていました。

 私の足はそこから清涼寺に向い、奥の院で般若心経の写経をし、お寺の前の食堂で「あんかけうどん」を食べるのを常としていました。茹でたうどんの上にとろみの付いた「あん」と称するものが、ただ載っているだけの代物なのですが、それが旨くて旨くて、、、、。

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奥嵯峨・曼荼羅山寂庵

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2021年11月11日         鍋の季節

 紅葉が始まり、肌寒くなるにつれ、鍋が恋しくなってきます。仕事が旅がらすであったので、北海道、東北、それに九州の美味しい鍋にありつくことが出来ました。北海道の石狩鍋、青森のしょっつる、秋田のキリタンポ、、、これは、比内鶏でなければその味が出ません。茨城のアンコウ鍋、博多のクエ、山口のフグ、、山陰のベニズワイガニ、、、熊本の桜鍋、、、枚挙にいとまがありません。最高は、と問われれば、、、山口のマツタケ鍋だったでしょうか。

 その日、山口新聞社の社長さんの招きで、部長の田中君と伊藤君の三人は山登りの服装で山深くへ入りました。厳重に管理されたマツタケ山です。採れるは採れるは、直ぐに持っていたビク一杯になりました。マツタケは、ちょっと見ただけではどこに生えているかわかりません。それらしい木の根元の枯葉を除けると、まだ傘が開き初めの大きなものが群生して現れるのです。教わったように、菌を残しながらやさしく採るのです。山小屋に持ち帰りそこで宴会です。黒毛和牛と一緒に大鍋にマツタケを放り込み、冷酒を呷りながら夢中で食べました。その旨さと言ったら、、、、、。

 幸せを堪能し、社長さんにお礼を述べてて帰る段になったら、自分の採ったマツタケは持ち帰っていいというのです。その上、あらかじめ用意してあったマツタケの一籠をお土産にしてくれたではありませんか!中ぐらいの段ボール箱にマツタケがぎっしり。小倉へ戻ってきたのが午後3時頃。さてどうしたものか、と思案に暮れました。そうだ、子供らだ、、、、小倉駅から新幹線に飛び乗り、福岡空港から羽田行の飛行機にも飛び乗りました、、段ボール一杯のマツタケを抱えて、、、、。不意の帰宅に子供らが喜ぶまいことか。電話してあらかじめ用意させておいた牛肉と一緒に、子供らは美味しいね、美味しいねと言いながら食べてくれました。それでも余ったので、ご近所にお裾分けしました。翌朝、一番でとんぼ返りをし、10時には何食わぬ顔で仕事を始めていました。良き時代でありました。いま、山口の松林は松喰い虫にやられ、マツタケはほとんど採れないそうです。 

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2021年11月10日         電車の轟音        

 コロナも小康状態になり、人々は紅葉を求めて近郊に繰り出しています。手ごろな行楽地・高尾山が大人気です。新宿から京王線の特急に乗れば、瞬く間に高尾山口に着いてしまいます。今日はその特急に乗り府中東迄行きました。改めて驚いたのは列車の頻度です。ほぼ、5分おきに、特急・急行・準急・普通の10両編成が轟音を上げて走っています。線路は、ほぼ、直線ですから列車の速度は110キロから120キロのスピードです。改めて思ったのは、線路の脇に密集している人家の皆さんにとって、列車の轟音はさぞ、煩かろう、と思ったことです。京王線は調布周辺は地下に潜りましたから、やれやれ、でしょうが、明大前から、烏山、八幡山、高井戸のあたりは人家の密集地帯を通過します。朝早くから、夜遅くまで、しかも、5分おきに騒音をたてられて住んでいる皆さんのお苦しみはいかばかりか、と深く同情してしまいました。新たにできた副都心線は小竹町から池袋を抜け渋谷まで全部地下です。京浜急行は川崎まで高架で踏切は一つもありません。東急もほとんど高架です。最も遅れているのが小田急と、京王と、西部ではないでしょうか。

 今日は20年以上前に女子医大で私に不整脈の手術をしてくださった谷崎先生が新たに開業している東府中の病院へ行ってきました。奥様と二人で瀟洒な医院を始められていました。先生のお陰で85歳まで生きてこられたことに、心からのお礼を申し上げるとともに、心電図など撮ってもらい、診察してもらいました。多少の不整脈はあっても、心配するほどではない、次回は来年2月にいらっしゃい、とのことでした。晴れ晴れとした気持ちで、京王線の特急に乗って帰ってきました。

 数日前 車内で放火事件が起きました。調布駅で窓から人々が飛び降りています

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2021年11月9日           採点表発表

 過日行われたショパンコンクールの審査員採点表が発表され、いろいろ物議が醸し出されています。中には、極端に恣意的な採点もあり、「なんだこれ!」と思うものもあります。総じて、カナダ国籍ブルース・リューの演奏は、どうやら文句なしの第一位演奏だったようです。という事で、彼の演奏を改めて聴いてみました。彼の師匠はベトナム人のダン・タイソン。顔つきは東洋人そのものです。使用するピアノはかの「ファチオリ」。彼の両手は大きく、決して完全な平手演奏ではありません。高音では小林愛実同様、指がとんがります。しかし、絶妙な音を出していました。それは弱音ペダルの多用にありました。ピアノには普通二つのペダルが付いています。音を伸ばしたいときは右ペダルを使います。音を小さくしたいときは左ペダルです。同時に踏むとどうなるか?絶妙にして神秘的な音が生まれます。彼の演奏の大きな特徴は、弱音ペダルの多用にありました。ショパンのピアノ曲のほとんどは大きな音の軽業的連続表現より、カソけき、霊的な音の再現にその魅力があります。それを多用した彼の演奏は、ある意味で東洋的色彩を醸し出すことに成功したのでしょう。

 新しく出現したファチオリののピアノもそれに応えていました。音音痴の私でも分かる色彩豊かな、ある意味で東洋的音の構築に、彼は成功したといっていいでしょう。新しく出現した「ファチオリ」の魅力を最大限に引き出した彼の演奏は、讃えられて然るべきだと、納得がいきました。

 尚、平手演奏が完璧でない小林愛実が、なぜ、4位に入ったかというと、課題曲であるショパンの24の全曲演奏が高い評価を受けた結果、ということも分かりました。5、6曲は私も弾いてはいますが、全曲をミスなくこなすのは至難の業です。遅ればせながら、おめでとう、と言っておきましょう。私が期待していた角野隼斗と古海行子には、5年後の次回を期待してやみません。

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2021年11月8日        存在が許せない

 温厚を持って鳴る私にも、存在を許せない男が3人います。一人は、武力をもってアウンサンスーチーさんを陥れ、反対する一般市民にまで銃を向けて殺しまくっているミャンマーのミンアウンフライン。そして、日産自動車の立て直しをカサに着て、私腹を肥やし、法を逃れて楽器ケースに潜んで日本を不法脱出し、レバノンに逃れ、豪奢な生活をしているカルロス・ゴーン。そしてすぐお隣のシリアの二世大統領アサド。この三人です。今朝の朝日新聞はシリアの内戦で始まった権力闘争の中で「いかに拷問がおこなわれ、その実態が酷いものか」第一面を使って報じています。

 今から11年前、エジプトを起点とする「アラブの春」の名の元の民主化運動は、瞬く間に中東各国に広がりを見せ始めました。民主化運動はチニジアに始まり、エジプト、リビアに拡大し、独裁政権は次々に倒れました。それに抗ったのがシリアのアサドです。前独裁者の息子です。難民が発生しました。400万人以上が国外に脱出しました。国民が国を捨てることなど何とも意に解しないところが、二世のお坊ちゃんたる所以です。しかも、独裁政権に反対する者は捉えられ拷問にかけられました。その拷問がいかに苛烈なものなのか、第一面が伝えています。

 国民あっての国家であり、国家は国民で成り立っているのに、自分の権力維持のためには国民を殺してまで、その野望を遂げようとする、これが、いつまでも続く道理であるはずがないと思いながらも、その後一向に好転の兆しがないことに苛立ちを覚えます。

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2021年11月7日          廃 墟

 栃木県の鬼怒川温泉へ行った友人から「ビックリした、ほとんどのホテルや旅館が閉まっている、昔の面影は全くない、廃墟だよ」と、嘆き節を聴きましたのでユーチューヴを括って現状を見てみました。成程、鬼怒川沿いのホテルのほとんどが廃業していました。団体を組んで温泉に行き、雑魚寝をすることが休養だとする風潮は既に薄れ、人々の休養の取り方が変わった結果でありましょう。

 廃墟と言えば北海道の夕張があります。この都市は炭鉱で栄えました。人口が12万を超えたところで、石炭が採れなくなり、市は財政で困窮します。かなりの資金を投入して市が経営主体の遊園地を造ります。お役所仕事はいずれ破綻します。中国人がスキー場を造りましたが、それも一時的なもの、市全体が廃墟となりました。人口は12万人から7000人に激減。どこへもゆく当てのない人々が、寂しく住んでいるようです。

 アジアの廃墟の典型はタクラマカン砂漠で栄えた楼蘭(ローラン)でしょうか。立派な都があり、多くの人が幸せに暮らしていたそうです。結局、廃墟の原因は水でした。探検家ヘデインの大著「さまよえる湖」に詳しく書かれています。ローランへ入るにはウイグル自治区のウルムチから入るのですが、どんなに行きたいからと言って、自分のこの年ではもう無理です。思えば、今は繁栄を謳歌している東京も日本も、そしてアジアも、4大大陸といえども廃墟にならないという保証はありません。

 生きている一瞬一瞬を大切に、その喜びを存分に噛みしめて残りを過ごそうと思う所以です。

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2021年11月6日         芥屋ゴルフ

北九州の玄界灘に面した芥屋(ケヤ)という小さな町に、海に面して立派なゴルフ場があり、朝日新聞社が主催するプロゴルフ大会が、毎年、そこで行われていました。今朝のテレビでプロゴルファーの青木功が芥屋を訪れ、馴染みの日本旅館の女将からもてなしを受けたり、はたまた、博多随一の寿司屋「やまなか」へ行って滅多に上がらない「クエ」の握りを食べたり、とその健在ぶりを示しました。彼ももう80過ぎ。それにしては健啖で元気そのものでした。

 しばらく前まで、と言っても、私が西部本社に赴任していた頃ですから、遥か昔でしょうか。本社はプロゴルフ大会を主催していました。会場は昔から決まっていて、玄界灘沿いの「芥屋ゴルフ場」。 その年の大会当日、出席するはずの奥尾西部本社代表から、急用が出来たから君が出てくれとの緊急電話。奥尾さんの書いた主催者挨拶原稿を携え、社用車で芥屋に向いました。試合中はギャラリーと一緒に選手について回りました。弾道の高さと速さには驚きました。プロというのは凄いものだと今更のように思いました。閉会式になり、私は閉会の辞を原稿など見ずに述べ優勝トロフィーと黄金のパターを、優勝者の尾崎將司さんに渡し、握手しました。大きな分厚い手でした。

 当時、ゴルフは実に盛んでした。西部本社でも月に一度は社内コンペが開かれていました。更によかったのは西部本社業務局長には小倉の隣の門司にある「門司ゴルフ」の会員権が付いていたことです。考えられない良き時代でした。

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2021年11月5日               アンゲラ・メルケル

 広く世界を見渡しても、一国の首相が女性であった試は、ごく稀です。僅かに、イギリスに「鉄の女・サッチャー」さんがいましたが、それほど、長期政権ではありませんでした。統一ドイツで、東ドイツから現れたメルケルさんは15年以上も首相を務め、数々の業績を残し、この程、惜しまれつつ引退します。1954年の生まれですから、まだ、60台半ば。80を超えて権力にしがみ付いている世界の政治家は見習うべきです。その功績によりフランスのマクロン首相は、フランス最高の「レジョン・ド・ヌール勲章」を贈りました。

 メルケルさんのお父さんはポーランド系の東ドイツの牧師さんです。母親は学校の教師。一度結婚しますが、別れ、物理学者と再婚しました。お子さんがどうなっているか、調べればわかるのでしょうが、彼女の大きな功績は、EUというヨーロッパ共同体を作り上げ、関税を廃止し、人の行き来を自由にしたことです。中東で起きたシリア紛争の際、400万人を超える難民がヨーロッパに押し寄せましたが、彼女は臆せず、各国を説得して受け入れさせました。唯一、イギリスが異議を唱え、EUを脱退しましたが、「余りにも身勝手であった」、と、いま悔やんでいるようです。いくら難民が押し寄せてきても、ドイツはイギリスの様に、その是非を問う国民投票などやりませんでした。例えイスラム教徒であろうとも、困っている人間に手を差し伸べるのはキリスト教徒の掟です。父親が牧師のメルケルさんはそれを実行したにすぎません。大英帝国の国教徒はそれをしなかったがために、いま、仲間外れにされて苦しんでいるのです。それに、ドイツにはナチスとい負い目があります。それもメルケルさんによって大分払拭された気がします。

 メルケルさん時代の問題は、ドイツのベンツやフォルクスワーゲンを売るために中国と仲良くなったこと、天然ガス輸入のためにロシアからのパイプラインを設置したこと、これらが、どう変わってくかにあります。メルケルさんの時代が終わるに当たって、つくずく、日本の政界を見渡してしまい、そして、深い溜息をついてしまいます。

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2021年11月4日        高梨沙羅

 冬季オリンピックの開催予定は来年二月、中国に於いてです。余すところ3っか月もありません。果たして開催されるでしょうか? そうでなくても、中国では北京を中心にコロナの感染が、再び、広がりつつあります。

 日本が万難を排して開催した以上、メンツを重んずる中国が開催を返上するなど考えられません。女子スキージャンプの高梨沙羅が今回はどんな活躍を見せてくれるか、大きな楽しみでもあります。1996年生まれの彼女も、もう25歳を過ぎました。最近の写真を見ると、全く顔かたちが変わっています。まだ、あどけなかった顔立ちが、すっかり女らしくなりました。既に、恋人もいるのではないでしょうか?整形をしたかもしれません。予想だにしなかった美人になっているのです。

 それにしても彼女のジャンプの才能はとびぬけています。表彰台に上がった数の合計は、何と109回!前人未到の数字です。恐らく、今度もその数を伸ばすことでしょう。楽しみでなりません。 

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2021年11月3日         叙 勲

 今日は秋晴れ、文化の日。いつの年もこの日は快晴になるのが不思議です。朝刊は立憲・枝野の辞任で持ちきりですが、一方秋の叙勲の4000名の氏名も発表されました。見ると、ほとんどが大学の名誉教授たちです。消防団長や、町会長の名前もチラホラですが、マスコミの、新聞社、出版社、テレビ局の名前は見当たりません。銀行や、電力会社はあっても、マスコミは皆無なのです。教育はある意味で文化です。なぜ、大学の名誉教授はあっても、小学、中学、高校の先生の名前がないのでしょうか? ボランティア活動の権化・大分の尾畑春夫さんの名前がないのでしょうか?

 調べてみると、叙勲に当っては、その組織団体からの推薦が必要です。大学にはそれがあって、次はだれだれ、と順番が決まっているそうです。小中高にはそれがありません。ましてや、マスコミには、そんなこと、気恥ずかしくて出来るわけがありません。言ってみれば、この叙勲制度と言うものは、形骸化された代物だ、ということが出来そうです。その点、文化勲章や文化功労章は、あくまでも、個人の業績の評価で成り立っています。推薦人は世論そのものでありましょう。今回の9名の受賞者はいずれも個人の業績が評価されての受賞であり、納得がいくものでありました。洋舞の牧さんは数日前に87歳でお亡くなりになりましたが、いいお土産を携えて三途の河を渡ったことでしょう。  

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   都内、阿佐ヶ谷生まれ 母は橘秋子、父はインドで   1970年客死、1971年母秋子死去 1991年現役を   引退 橘バレイ学校校長 文化勲章受章の知らせは
   死去する前日に伝えられたという

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2021年11月2日         激 減

 このところ、コロナ感染者の数が激減しています。昨日の感染者は、全国で86人でした。連日三桁であった東京は9人、大阪は8人です。新規感染者ゼロの県が21県!驚くべき減りようです。何故か? どうしてなのか?

 専門家でも分からないでいます。感染対策が徹底され、人の流れが減り、ワクチン効果もあがり、その上、天候が作用している、などの理由が上がっていますが、どれも憶測でしかありません。その中にウイルス自壊説も飛び交っています。何らかの作用でコロナウイルスが繁殖、伝播を妨げられ、自然消滅しつつある、というのです。それも、変異したデルタ株に多く見られる、というのです。

 理由が分からぬまま、日本国中は羽目を外された子供の様に、かつての日常を取り戻しています。盛り場も、酒場も、観光地も大賑わいです。果たして、このまま推移していくでしょうか? 第6波と言われる感染拡大は起きない、と言えるのでしょうか? 誰もが、次に来る大波を予測出来ぬまま、浮かれ出した!これを許していいのでしょうか?、もし、この状況がウイルス自壊説によるものであったら、有難いのですが、学会では疑問符が付いています。真相究明が待たれます。

 オーケストラにも第一楽章~第四楽章の間に休止符があります。コロナの第6楽章が始まる前の、しばしの休息期間。神様は粋な計らいをなさるものです。

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2021年11月1日         投票率

 昨日の衆議院選挙の結果が、新聞やテレビで報道されています。気になるのは投票率ですが、前回の53%を超え55%代にはなりましたが、それでも有権者のうち45%は権利はあるのにそれを放棄しています。何故だろう、と考えてしまいます。そして、大昔、自分が20歳になり投票権を得たのに、投票に行っただろうか、と考えると、選挙など全く眼中になく、日々の暮らしに追い回されていたことに、思い至ります。なぜなら、投票用紙は下宿先には来ず、長野の実家に来ていたからです。同じことは、現代の学生にも当てはまるのではないでしょうか?わざわざ投票するために実家に帰る学生は、ほとんど、稀でありましょう。とすれば、学生の居留先に投票用紙を送ることが出来たら、、、、ことによったら、自民独裁の現行のあり方が崩れるでしょう。 「選挙に学生も参加させる」、そうなれば選挙結果は大きく変わるのではないでしょうか。

 今回の選挙では自民は単独過半数は取れず、公明党の力を借りなければ政治運営が出来なくなっているのは、情けなくも、前回と一緒です。しかも、老害と言われる和歌山の二階や、北九州の麻生が再選しています。旧民主党で総理になった野田や菅も居座りました。一度総理を経験した者は「引っ込め!」と言いたいです。岩手の小沢一郎は落選でした。岩手の良識が勝ったにも係わらず、比例で当選です。比例は功罪相半ばするのではないでしょうか。相対的に立憲は振るいませんでしたが、維新の躍進が目立ちます。関西のほとんどが維新です。私の予想では山本太郎の「令和」が台風の目になれば、と期待していたのに、野党共闘というお題目のために、地域ごとの立候補が潰され、比例で僅か3人!気の毒でした。

 僅かに溜飲を下げたのは、私の所属する9区から立候補の元朝日新聞記者山岸一生が立憲で当選したことです。また、同じ朝日の記者で、団扇事件で辞任に追い込まれた松島みどりが再選を果たしたことです。総じて言えることは、日本の小選挙区制では革新政党の躍進が、今も、今後も望めないという事実です。何よりも中選挙区制に戻さなければ、永久に今のまんまでしょう。

    * 今日渋谷警察へ行ってきました。渋谷の、迷路のような地下道を通って

      やっと着き、懐かしい我がスマホを手にしました。お礼状や、金品を送ろうと

      拾った方の住所や、お名前を聞き出そうとしましたが、その方はお礼も、礼状も

      いらないから、と言って立ち去ったそうです。「こういう人もいたんだ」と感無量に

      なりました。ありがとう、ありがとう、ありがとう。

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 渋谷警察署  
  何でこんな高い建物が必要なんだ?

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