最近のエッセイ(55)

2020年11月18日         新聞今昔

 学生時代の後半、二年間は茅場町の日本経済新聞の発送部でアルバイトをしていました。学校が終わると早稲田から都電に乗り、終点の茅場町に着くと、作業服に着替え、新聞の梱包紙に駅符を貼る仕事に従事します。法政大学院の佐藤栄一さん、明治大学の曽雌君の三人が担当でした。11時の都電で茅場町から高田馬場へ戻り、西武線で上井草の自宅。都電の車内が私の読書室でした。その頃、海外へ日経新聞を送る業務が異常に増えてきました。日経発送部の千田さんを中心に、朝日新聞も巻き込んで「海外新聞普及株式会社」が設立されました。余りに羽振りがいいので、私はその会社に入ろうと思い、朝日新聞常務取締役営業局長であった永井大三さんの自宅へ頼みに行きました。「君、あれは朝日と日経の子会社だ、朝日を受けなさい」の一言で受験となりました。筆記試験は450人中32番で、運良くその年の業務部門8人の中に入ることが出来ました。海外新聞普及会社は、その後、躍進に躍進を続け、大きく成長しましたが、IT産業の勃興により、新聞の現地印刷が始まりました。読売も朝日もニューヨーク、シンガポール、イギリスなどで現地印刷を始めます。その影響で海外新聞への依存度は激減します。私の6番目の助手を務めた慶応出の大久保英一君が現地印刷では大活躍しました。ある日、彼から「この販売の仕事は私には向かない。どうしたらいいか?」と相談されたのです。私は「何も販売だけが仕事じゃない」と言って、社内を工作して現地印刷担当者に仕向けました。水を得た魚のように彼は留学経験もある英語を使って大活躍します。彼のお蔭で現地印刷は盛り上がりましたが、時代はまたもや変化します。パソコンの普及と共に紙を媒体とする情報伝達手段は衰退に衰退を重ね始めます。そして今は昔の面影は、全くありません。

 「時代は変るモノ」と、納得出来てはいても、まさか新聞本体までが風前の灯火になろうとは、予測すら出来ませんでした。とうとう、電車の中で新聞を持ち込んで読んでいるのは、ほとんど、私一人だけになってしまいました。

     授業 参観日 父兄が教室の後ろで見守っている

   父兄が驚いたのは 先生が質問する度に

   生徒全員が手を挙げることだった

   しかも 全員が正解だった

   父兄は満足して帰っていった

   「凄かったわね すべての質問に全員が

   答えるなんて!」

   「わけないさ 出来る子は右手を 出来ない子は

    左手を挙げたんだ

    先生は 右手を選んで回答させたっていう

    それだけのこと」
 

2020年11月17日        新聞の衰退がもたらした罪    

 紙を媒体にして情報を伝達する産業の衰退は、25年程前からアメリカを起点として世界的に広がりを見せています。アメリカの都市ごとに存在していた地方新聞社は次々に閉鎖に追い込まれ、アメリカで最も権威のあった三大新聞・ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、ウオールストリートジャーナルなど、今や部数も落ち、読者も激減して、過日の面影は全くありません。部数や広告収入がままなく無くなれば、新聞社の取材能力は必然的に弱くなリます。正確な取材による正しい報道を繰り広げ、読者をして考えるチャンスを与える、新聞本来のあるべき姿勢が保てなくなるのです。そのせいもあってか、今回の選挙報道の不正疑惑部分については、三大新聞とも沈黙を続けました。正確な事実に迫る取材能力の欠如がもはや常態化してしまったからです。

 新聞紙面は大事な記事は大きく扱い解説を伴って読者に考える機会を与えます。小さなスマホの画面でコトの大きさの判断がつくでしょうか? またテレビの画面はコトの本質に迫ることをしません。

 ところで、今回の選挙の結果、今後は兎も角、勝利したバイデンに対し世界各国首脳は争って祝辞を贈りました。日本の新総理もご多分に漏れていません。しかし、なぜか中国とロシアは今もってやっていません。ロシアは兎も角、中国はなぜ沈黙を守り続けるのでしょうか? 疚しいことがあるからではないでしょうか?

 ユーチューブの「中川牧師の書斎から」に寄ればバイデンが関係している財団に中国から莫大な資金提供があったそうです。同時に数々の不正疑惑に中国の手が入っているそうです。もはや、アメリカの有力紙にそれらの疑惑を正確に取材する能力がないことを憂います。

        いま 11月の空がいい

       戦いすんで 日が昇り

           ぽっかり 雲までが充電中だ

           手中にした栄冠の

           もっとも 見栄えのする季節だ

           見たまえ

           11月の底抜けの青い空

           これまで どれだけの苦労があったろう

           それらをすべて 輝きに替えて

           私を包んでくれる 11月の青い空

 

2020年11月16日       中国の実態への疑問

 今日現在、人口3億6000万人のアメリカの感染者・死者は10,903,890人と245,598人です。それに対して人口14億5000万人の中国では感染者86,338人と4、638人です。これが世界に公表されている数字です。余りの数の違いに驚いてしまいます。 最近、中国へ仕事で亘って帰ってきた人の話によると、中国入国時の検査は厳重を極めたそうです。入国と同時に隔離施設へ運ばれ14日間身動きがならなかったそうです。ところが、日本へ帰ってくるとPCR検査で陰性が判明すると、自由に帰宅でき、毎日の健康状態を報告するだけで良かった、そうです。

 中国は感染者数をごまかして報告しているのではないか、という疑問は前から噂になっていました。「数字を自分の都合の良いように改竄する」これが中国共産党の常套手段だからです。でも、中国の報告数字が実体そのものであったら? 世界は中国の厳格な規制措置を見習わねばならないのではないでしょうか?

 一方、中国には老人養護施設に320万人、刑務所に160万人、臨時病院に180万人がいます。これらの内部の感染者数は全く隠蔽されています。死者の死因は原因不明としてカウントされているようです。恐るべき国、それが中国です。 

 

       25年前 外国人は日本を評して言った

   日本は経済は一流だが 政治は三流だね

   いま 同じ外国人が言う

   日本の経済は 濁流だ

   政治は漂流しているだけだね

 

2020年11月15日                517万人にとっての国家

 517万人!これは現在の日本における失業者の総数です。率にして11.3%。かつてのリーマンショック時の355万人を超える驚くべき数です。すべて、コロナのお蔭です。家賃も払えず、食事もままならず、新しい仕事も見つからず、毎日、悶々としている働き盛りの人達が517万人もいるのです。そうでなくても日本は世界一の老齢人口を抱える超長寿国です。ああ、それなのに、それなのに、政治はどうすることも出来ないでいます。せいぜい、「ゴーツートラベル」や「ゴーツーイート」でお茶を濁しています。そして、これがまたコロナ感染増加の原因にもなっています。

 我が家の三男も、いま、同様に苦しんでいます。3年前から夜の仕事に就いていて30万を超える収入を得ていました。夜の客は激減し、収入は半額以下になりました。「親父さん、、、」と暗い声で電話がかかってきます。その度に、なにがしかの金を振り込んでやります。言ってみれば、私とてコロナ禍の被害者なのです。ニックキは中国共産党!これだけの被害を全世界はおろか、私奴にも与えながら、謝りもせず、保証もせず、香港や、台湾を我が物にしようと行動を開始している習近平!

 517万の失業者にとっての「親父さん、、、、」は言わずと知れた国家です。政治の決断です。日銀はお金を刷りに刷って、ある部分は無償、ある部分は有償とする大規模な財政出動をすべきではないでしょうか。健全な国家であれば、緊急事態になればなるほど問われるのは弱者の救済です。たまたま、社会の底辺にいようとも人間の尊厳には少しも替わりもありません。観光業や飲食業、旅行業も大事ではありましょう。それより、「明日どうやって生きるか」という切実な若者たちの救済の方が優先されるべきではないでしょうか。観光業界の大ボス「二階幹事長」にいいように掻き回されているからこういう為体になっているのです。学術会議問題より自殺者が増えている現実を国家は問題にすべきです。 

      山道に散ったカルタは 何の札

        金と赤と落ち葉の札に

              虫食い流の筆のあと

      山路に散ったカルタは 誰が読む

      黒い小鳥が 黒い尾をはねて

      チチッ チチッ と鳴いている

      山路に散ったカルタは

      誰がとる

      むべ山ならぬ この山風が

      さっと一度に さらってく

               ー金子みすゞー

 

2020年11月14日           最後の言葉

 フランス革命でギロチンに登らされたマリー・アントワネットは、誤って死刑執行人の足を踏んでしまう。「ごめんなさい。でも、わざとやったわけじゃないのよ」のことばを残し首を切り落とされた(38才)。

 ドストエフスキーは、「アーニャ、僕はもう3時間も考えていたんだが、今日、僕は死ぬよ。君を残して逝くのがとても心配だ。これから生きていくのがどんなに苦しかろう」と言いつつ妻の腕の中で事切れた(60才)。

 ゴツホは麦畑の中で絵を描きながら自分の胸をピストルで撃った。弟らが駆けつけると「泣かないでくれ、皆が幸せになるようにと思って、こんなことをしたんだ」(37才)生前に売れた絵は一枚だけだった。

 キュリー夫人は自分が発見したラジウムの放射能のために白血病で死んだ。医者の注射を「嫌です。ほっといて下さい」と言い、16時間後に死んだ(67才)

 ワーグナーはベニスのホテルに長期滞在中、机の前で苦しみ始めた。妻のコジマが駆けつけクスリを飲ませたが効き目がなかった。「私の時計を、、、」と言いつつ妻の腕の中で事切れた(70才)。

 イプセンは72歳の時に脳卒中で右半身不随となった。5年後から衰弱が激しくなり、看護婦や家人が少しはよくなられましたかと言うと、「とんでもない」と言って死んだ(78才)。

 チャーチルは「私は随分、沢山のことをやってきたが、結局、何も出来なかった。何もかもウンザリしちゃったよ」と言って死んだ(91才)。

 エフゲニー・オネーギンの著者プーシキンは数々の決闘をした。いつも相手に最初に撃たせたという。そして最後の決闘で倒れたという。「もう、命はお終いだ。息をするのが苦しい。何かが僕を粉砕する」と叫んで死んだ(38才)

 作曲家フォーレは「私は出来るだけのことはやったのだ、、、後は、、神よ、裁きを与え給え」と言って死んだ(79才)。

 ショパンの死の床には姉のルドヴィカ、チャルトリスカ公爵夫人、クレサンジュ夫妻、弟子のグートマン、友人のアルブレヒト、それにポーランドから来たカトリック司祭が集まっていた。ジョルジュ・サンドはいなかった。ショパンは「土の中では窒息してしまう。生きたまま葬られないよう、身体は外へ出しっぱなしにしておいて下さい」と言い翌日、息を引き取った(39才)。

 *その後、ショパンの遺体から心臓だけが取り出され、ポーランド・ワルシャワの聖十字架教会の柱の中に安置されました。4年前、私はそこへ行って花束を捧げました。写真はその時のモノです。 

2020年11月13日           一振りの日本刀

 私の仕事場には一振りの日本刀があります。壁に立てかけているのでパソコン越しに始終私の仕事を見守っています。刃は落とされていますが葵の紋が付いている、かなりの名工の作のようです。遙か以前、バンコックに住んでいた亡妻の兄を訪ねた時に入手しました。タイ人と結婚して一人娘ともに、川魚の養殖を生業にしていた義兄のところには、日本軍人がサーベルにしていた日本刀が2,30本ありました。ビルマ戦線で敗軍となった日本兵の多くは、タイに越境してきて事切れた、と伝えられています。遺体は埋められても所持品の刀は残ります。刀は日本人の魂でもあります。軍人だった義兄は敗戦後、故郷の沖縄が廃墟になっているため、還るわけにもいかず、そのまま、タイに居残り、片手間に日本刀を集め出したのです。

 30本余りの中には惚れ惚れする逸品も散見できました。すべてを譲り受けて日本に持って帰ろう、と私は決心しました。試しに一本だけを貰って、スーツケースに忍ばせました。当時はケースを開けて中を見せるだけの通関でした。お咎めなく、通過しました。その後直ぐ、X線透視が採用され、銃、刀剣所持は厳罰となります。日本へ持ち込む計画は水泡に帰してしまいました。義兄夫妻は何度か来日しましたが、その都度、奥様の純金ネックレスなど金製品を割高で買ってあげることはしましたが、しばらくして夫妻は亡くなり、刀の在処は不明となりました。ことによると一人娘のところにまだあるかも知れません。

 いま、ミャンマーのアウンサン・スーチーさんが所有する日本刀が、日本へ来て研ぎに出されています。名刀のようです。当然ながらこの刀の所有者はビルマ戦線で散った軍人のモノでしょう。5,6年前チェンマイからヤンゴンへ行ったとき(プロペラ機で1時間余の距離)スーチーさんが育った家や(今はレストランになっている)、現在のお住まいを訪れました。大金持ちなのだから、お持ちの名刀を研ぎに出した後、日本の国立博物館に寄贈すればいいのになあ、と思いました。ということは私の場合にも言えるでしょう。単なる年金生活者であっても、日本軍人の魂であったものをカネに替えてはならないでしょう。いずれ、研ぎに出して立派な一振りになったら国の施設へ寄付する積もりです。

         胸を叩いて 奮い立たせても

    寄る辺ない  この大空の下

    いくら飲んでも 気持ちが沈んでゆく時

    土から生まれて 土に入って行くのから

    いっそのこと

    土の上のことは思わずに

    土の中のことだけを 考えよう

 

 

2020年11月12日       東久留米市介護福祉課

 従妹・久美子が団地住まいを引き払い、近くの施設に入居しましたが、それに伴い数々の疑問が生じましたので、市役所へ直接行って問題に付いて相談しに行きました。市役所は7階建ての立派な建物でした。介護福祉課は確かに一階の目立つところにありました。ところが、応対に出てきた女性は指摘した問題毎に奥へ引っ込みます。上司にお伺いを立てるのでしょう、中々戻ってきません。室内を見渡すと約100人近くの職員が手持ち無沙汰で仲間と談笑しています。「なぜ、ぶつけた疑問に即答できる職員を応対係に置かないのか?」、私のイライラは次第に怒りに替わってしまいました。結局、何一つとしてこちらの疑問への回答は得られませんでした。

 投げかける疑問に対して、いちいち奥へ行って相談して、しかも、長い時間をかけて戻ってきても当たり障りのない回答しか得られない久留米市役所の介護福祉課!人ばかり多くて、なにをするでもなく、ただ、座っているだけにしか見えない100人以上の介護福祉課! 呆れに呆れてしまいました。かくなる上は自力で突破する以外に選択肢はありません。車を駆使して問題が発生した会社へ直接乗り込みました。請求金額を半額することに成功しました。見積もり金額を30%減額させることも出来ました。「足で稼ぐ」、とは習い覚えた知恵であります。

 一つ言えることは、高齢化する社会をいいことに、福祉という大義名分のもと、莫大な公金が行政に流れ始めているという事実です。私の年金からもかなりの金額の介護保険料、高齢者医療費が毎月とられています。それをいいことにして、悪徳業者がこの分野に跳梁跋扈している事実。それを野放しにしている福祉行政。今日は、  つぶそれを知る日となりました。

       獣医師の資格を持つ国会議員の

        発言中に、ヤジが飛んだ

  「お前に何が出来るか 獣医師のくせに!」

  「あなたを診察いたしましょう 

                明日おいで下さい」    

 

2020年11月11日         死んだ人間

 あれは、福島担当時代の12月26日の夜です。議員選挙の速報号外が東京から陸送されてくるので、福島支局に朝方まで詰めて対応しなければなりません。力をつけておこうと思って支局近くの「万世」という料理屋でフグ鍋を食べました。二時間もしないうちに身体に変化が起きました。足腰が立たなくなったのです。救急車で支局前の大原病院に担ぎ込まれました。明け方、お花畑が現れました。せせらぎに沿って深い森に続く一本の小道に後ろ姿の女性がいて、付いてこいという仕草で私を招きます。またとない幸せな気持ちで付いていきました。ふと、我に返った途端、女性の姿は消え、せせらぎが音をたてて流れだし、お花畑がそよぎ出しました。地元の民友新聞に私の記事が載り、料理店は営業停止となりました。当時、福島県は大分県と共に素人が免許無しでフグを調理できる県であったのです。その後、私にフグを供した料理人は自分で捌いたフグで亡くなりました。

 なぜ、こんな過去の話を持ち出すか、というと、私は一度死んでいるのです。いまは全くの余白の人生なのです。余白も余白、ほとんどの親友は死んでいるのに、私だけは今も生きながらえさせて貰っているのです。だから、と言ってはなんですが、 私の従妹・久美子のように老後施設のご厄介なりたいとは思いません。あくまで自分のことは自分自身で処理しながらこの世を去るのです。

 一度死んだ人間は、既に死が恐れでも苦痛でもないことを経験しています。恐らく、脳内から特殊なアドレナリンが放出されて、死の苦しみが緩和されるのだ、と思われます。一方、私は洗礼は受けてはいませんが、高校生の頃から聖書と共にあります。「我もはや生きるにあらず、、、、」でやってきました。一日一日を感謝しながら送るのみです。

                 最後の言葉

    ドクターA 「脈はまだ動いている・・動いている・

           あっ・・・ 止まった」

    カラヤン  「タクトを振れ タクトを・・フ・・レ・・」 

    ビビアン・リー 「風と共に、去って逝くのね・・・」

    石川五右衛門 「いい湯だな・・は・は・ん・・」

    夏目漱石 「猫や・ ノラや・・ 野良猫や・・・」

    ベートーベン 「この・耳が・・・聞こえる・国へ・・」

                      中沢信男 「ああ、面白かった!」

 

 

2020年11月10日        廃棄処分に30万円

 14年前に亡くなった私の母親と、東久留米の団地で暮らしていた72才になる私の従妹・久美子の認知症が酷くなり、この11月1日にヘルパーさんや介護マネージャーのご協力もあって、団地を引き払い、近くの介護施設に移りました。その手続きやら引っ越しやらで、このところ3日に挙げず施設へ通っています。

 まず、驚いたのは介護・養護施設が雨後の竹の子のように、あちこちに出来ているのを知ったことです。思えば、最初に施設へ足を踏み入れたのは3年ほど前、チェンマイでお世話になった野尻孝篤牧師夫妻が入居された埼玉熊谷の「幸福苑」という施設でした。至れり尽くせりの設備が整ってました。私の家にあったローランドのキーボードをピアノ好きの奥様のために「お使い下さい」と提供して差し上げました。ご夫妻の居室は一部屋でしたが、音が漏れる心配がなかったので、それが可能だったのです。この度、従妹に宛がわれた部屋は、狭いけれど使い勝手の良い部屋でした。ベッドは可動式で、呼び鈴は枕元、トイレもベッドの傍ら、ヘルパーさんが来て足を洗ったり身体を拭いてくれます。食事も三食運んできてくれます。歩けなくなった従妹にはそれがどんなに望ましいことか、有り難さが身に沁みました。月々の費用は私の母親が用意してくれていた月々の年金に、私が10年ほど前に財務管理をして銀行に預けてある定期預金を少しずつ使っていけば7,8年は大丈夫でしょう。

 驚いたのは団地の家財道具を処理するのに30万を超える出費があることです。東久留米市から紹介された廃品業社二社に見積もって貰ったところ、いずれも30万を超えました。家具や衣類・CD・書籍などなど、処理するのに金がかかる、とは始めて知った現実でありました。

じゅねーぶ9IMG_4030.JPG

     資本主義が 崩壊しそうだって?

     貨幣 土地 労働を 商品化した罪だ

     社会主義も人気がない

     土地 労働 資本を商品化できなかった罪だ

     結局 ヒト モノ カネじゃないか

     我が家の悩みと おんなじだ

 

 

2020年11月9日          時差の恐怖

 アメリカにもヨーロッパにも、日本から見て約12時間の時差があります。私にとってはこれが問題で、一週間ほどいて、やっと時差になれた、と思って日本に帰ってくると、再び12時間の時差が待っています。

 当時、アメリカには全土の新聞発行社の販売責任者で組織される「ICMA(インターナショナル・サーキュレーション・マネージャー・アソシエーション)」という団体がありました。日本の新聞協会もオブザーバーとして参加していて、毎年、加盟新聞社の販売責任者が10人ほど、アメリカの総会にオブザーバーとして参加させて貰っていました。

 その年は朝日から2名、読売、毎日、日経、産経、信濃毎日、河北、京都、山陽、西日本の11名の販売局次長が参加しました。世話役は新聞協会の勝叉さん、現地駐在の佐藤さんでした。どうしたことか、私が団長でした。時差を克服するには機上で眠らないこと、と言われていたので、ビジネスクラスの我々は、専ら、銘酒に酔いしれてニューヨークのケネデイ空港へ着きました。ホリデイインに案内され、さて、寝ようとしても全く眠れません。まんじりともしないうちに朝です。朦朧としながらニューヨークタイムズ社へ行き歓迎のセレモニーに出席し、団長としてのメッセージを読み上げました。不眠は三日間続き、ホテルから医者を呼んでもらい、300ドル取られました。処方された睡眠薬によってようやく我に返りました。

 二度目は70人の新聞奨学生の卒業旅行を引率してニューヨークへ行ったときです。ワシントンからフロリダへ飛びサンフランシスコから戻ってきたのですが、この時も同行者が持っていたハルシオンというクスリに助けられました。

 いずれの時も、昼を夜に、夜を昼にすることに成功した、と思った途端日本への帰国です。ヨーロッパもアメリカも、時差がなかったらどんなに良いだろうか、と何時の時も思います。その点、オーストラリアは素晴らしい。ほとんど時差がないからです。だから、コロナ禍が終焉したら、もう一度行きたいのはアメリカではありません。オーストラリアです

        さむいね  ああさむいね

    虫がないているね ああ ないているね

    もうすぐ 土の中だね

    土の中は いやだね

    痩せたね

    君もずいぶん痩せたね

    どこがこんなに切ないんだろうね

    腹だろうかね

    腹とったら 死ぬだろうね

    死にたかあないね

    さむいね

    ああ 虫がないてるね

        

 

2020年11月8日        前代未聞の不正選挙

 アメリカの2大政党は、共和党が保守で民主党が革新です。共和党のトランプの前はオバマ大統領・バイデン副大統領の時代が8年続きました。革新でありますから同じ革新である中国共産党には融和政策を採り続けました。バイデンに取り入るため中国はバイデンの息子を取り込み、利益供与を惜しみなく与えました。「將を得んとすれば馬を射よ」の例えの通りです。

 一方、トランプは中国共産党を「米国の覇権を脅かす存在」として、はっきり名指しで非難しています。台湾・尖閣・南沙諸島など、いざとなれば軍備を持ち出すとまで公言しています。従って、中国はバイデンになって貰わねば困るのです。そこで、あらゆる手を弄して選挙に介入したのです。

 3000票を超えるトランプの票が人知れず捨てられていました。投票所のボールペンに細工が施されていて、トランプと書いた票は読み取り機を白票で通過しました。古い名簿が敢えて使われ、死人や、転居者がバイデンと投票しました。無宿者の票が金で買われバイデンと書かされました。これらは民主党の内部告発者によっても明らかにされています。

 選挙人を270名とった方が勝利するのですが、あちこちの選挙区で再集計が始まっています。上院・下院がどうでるか、これが12月の大問題となるでしょう。当然、トランプ側は訴訟に持ち込みます。ついには、最高裁まで行くかも知れません。新大統領に交代するのは1月20日です。それまで決着するのかどうなのか?

 世界のクリスチャンのほとんどはトランプを望んでいました。なぜなら中東のイスラエルを巡る国交正常化が3カ国まで行った現実を、トランプの力だと見ているからです。ならばサウジアラビア、イランとも結んで欲しいからです。私が敬愛する日本の高原牧師、中川牧師、そしてシンガポールの松本牧師もそうでした。

 問題は内部告発まである、中国が絡んだ選挙の不正に対して、アメリカの司法が何処まで食い下がれるか、でありましょう。その点、目が離せません。

          なんと  快い日和だろう

     寒くもなく 暑くもない

     涼風は 花の塵を払い

     キンモクセイの香りが漂う

     鳥たちが しきりに鳴いている

     酒を飲め  酒を飲め

   

 2020年11月7日        車と自転車

 車の運転は、いつも、細心の注意を払っています。万が一事故でも起せばー高齢者の運転ーとして新聞種になってしまうでしょう。それは私の矜持が赦しません。とは言っても、最近「アワや」という場面が二度ありました。いずれも自転車とでした。

 光が丘のかなり広い交差点で左折するときでした。人々が渡りきったのを見て横断歩道の端まで徐行を始めた時です。一台の自転車が矢のようにすっ飛んできて目の前を横切りました。若い女の子でした。確かに女の子が交差点に入ったときはそちらの信号は青が点滅していました。猛スピートなら渡れると思って突っ込んで来たのでしょう。でも、私の車は既に横断歩道の端まで来ています。加速しようとした時、目の前に何かが飛び込んだ気配がしたのです。とっさにブレーキを踏みました。0,1秒遅れたら、、、、 それを思うとゾッとします。

 最近、往来でよく見かけるのが食べ物の宅配の自転車です。コロナのお蔭でこういう仕事が増えてきているのでしょう。同情を禁じ得ませんが、何せ往来を自転車で走ることに慣れていない若者達です。しかも、大きな荷物を背負っています。急ぐせいか、車道をはみ出して自転車を飛ばします。そうでなくても、練馬区内は道路の道幅が狭い。彼らは必死で届け先の住所を探します。道の真ん中でスマホを片手に持ちます。自動車など彼らの眼中にないのでしょう。その時はそのうちの一人を轢きそうにになりました。自分の非を認めた彼は車内の私に向かって頭を下げ苦笑いしましたが、どんな場合でも車の方が悪い、というのが道交法です。

 「二度あることは三度ある」と古来から言われています。私は細心の注意を払って車を運転しなければなりません。

   腰曲がる 背筋はかがむ 皺が寄る

   髪白くなる 頭テカテカ

   目はかすむ 耳は聞こえず 歯は抜ける

   足はよろける 口はフガフガ

   聞きたがる しゃしゃり出たがる 寂しがる

   出しゃばりたがる 世話焼きたがる

   朝クスリ 昼もクスリで 夜クスリ

   病院通いが 生きる楽しみ

   身の周り 湯たんぽ 膏薬 老眼鏡

   尿瓶 襟巻き 入れ歯のケース

 

2020年11月6日          九条ネギ
 秋から冬にかけてネギの季節がやってきます。中でも私が好きなのは京都の9条ネギです。適当に細くて長くて、独特の粘りと香りがあり、一般に売られているネギとは全く違います。京都の鴨川べりのお番菜屋さんで伏見のお酒のつまみとして以来、病みつきになりました。
 昨日、友人から贈られてきた珍しい食べ物、「島原の納豆味噌」、「小豆島の生海苔」、「長野の杏ジャム」に混じって「9条のネギ味噌」がありました。早速、熱いご飯に載せてネギ味噌をいただきました。得も言われぬ美味でありました。ネギを味噌と共に発酵させていただく。戦乱の時代から伝わる京都人のチエの結晶のように思われました。名物の千枚漬け、柴漬けなども保存食としての発酵食品ですが、9条ネギにも発酵させて保存食にする古来の人の知恵には改めて、納得させられました。
 私が好きなネギはもう一つあります。群馬県でとれる下仁田ネギです。これは9条ネギの優美な姿とは似ても似つかぬ、ゴ太い、丈の短いネギです。見てくれは悪いが鍋でいただくと主賓の牛肉より美味しいぐらいです。残念なのは、9条ネギも、下仁田ネギも、東京のスーパーなどの店頭に出てきません。普通のネギ(例えば深谷ネギ)などは何処ででも手に入りますが、九条ネギや下仁田ネギの味を知ってしまうと買う気が起きません。困ったものです。 

NO9IMG_4237.JPG    雨にも負けず 風にも負けず
  雪にも夏の暑さに負けぬ 丈夫な身体をもって
  生きた後は 小さな茅葺きの小屋にいて
  医者にもヘルパーの世話にもならず
  玄米4合と味噌と少しの野菜を食べた後
  横になった途端に自分でも気がつかないうちに
  死んでいる そういうものに私はなりたい

 

 

 

2020年11月5日          蝶々が一匹
 朝、仕事場のガラス戸を開けると、右側の白い壁に蝶々が一匹、頭を下向きにして止まっていました。人の気配があるのに、ピクリともしません。赤いようなまだらの羽が特徴で、夏の間、家の周りを飛び回っていた馴染みの蝶々です。猫額の庭には洋梨、梅、桃梅、キウイ、銀杏のほか名も知らぬ花々が咲き乱れます。この蝶々はほとんど毎日、同じ順序でそれらの間を素晴らしい速さで飛び回っていました。今朝はどうしたことか、私が目の前にいるのに、少しも動こうとしません。今はもう秋です。夜は寒くなりました。夏を謳歌した生き物たちにとって、命の終焉の始まりです。「ははあ、私に別れを告げに来たんだなあ」 私は微動もしないこの命の仲間を見続けました。
 翻って、アメリカの大統領選挙の狂乱振りはどうでしょう。郵便投票をはじめ、組織的な外国勢力の陰謀もあるでしょう。しかし、それらを検証しない限り投票結果を認めないというトランプ側の主張はいかがなモノでしょう。
 一方、ここまで選挙に熱狂できるアメリカ国民が羨ましくもあります。自民党の陰謀により日本の選挙制度は中選挙区制から小選挙区制に変えられてしまいました。これにより革新勢力はその出方を完全に封じ込められました。この制度の改革がないかぎり、日本には二大政党制は生まれません。ある意味で、日本人は不幸な国民だ、と言えるでしょう。
じゅねーう゛8IMG_3993.JPG


           
蝶々が一匹
        韃靼海峡を渡って行った

お気軽に
お問合せください

お電話でのお問合せ・相談予約

03-3998-4086