2023 年 4 月 21 日   躑躅(つつじ)                                                                                               千川通りの桜も、光が丘の桜も、すでに、葉桜となり、桜前線は北上中です。あと一週間もすると青森の弘前城公園が満開となるでしょう。津軽の人々は、この日を待ち焦がれながら、津軽三味線の手入れに余念がないことでしょう。練馬はいま、つつじが満開です。どうしたことか、幹線道路の街路樹の下にも沢山の躑躅が咲き誇っています。殊に、練馬駅に隣接する文化センター前の「久留米躑躅(つつじ)公園」は美事です。下の写真は、今回はこの公園のつつじたちにしました。

 思い出すのは、このつつじの花をむしって無我夢中で食べた記憶です。ところは福島浜通りの富岡駅前旅館「大東館」。中野区上高田国民学校の生徒40人が学童集団疎開で寄宿していました。授業などはほとんどなく、弁当箱持参で放り出されます。弁当の中身は僅かな麦飯と少量の納豆。ひもじくてなりません。無数に咲いているつつじの花をむしっては口に入れました。僅かな甘みが口に残ります。それが、よくて、よくて、、、、

 ある日、母親が富岡まで面会に来てくれました。50コばかりの小さな菓子パン持参で。全員が食堂に正座して、「中沢さん、ありがとう」のかけ声の下、一口、二口で食べました。その後、アメリカ軍の艦砲射撃が始まり、学童疎開の全員は、会津の山の中へ移りました。5月25日の大空襲で、中野新井薬師の家が焼け、母は私を迎えに会津・野沢の奥まで私を引き取りに来てくれて、母の実家の長野市へ向かいました。二人で山を下りるとき、野沢の奥はつつじの盛りでした。母と二人切りの時間、これからも一緒にいられる、、、、どんなに嬉しかったことか! 今日もこれから練馬つつじ公園へ行ってつつじの中に身を置く積もりです。

2023 年 4 月 20 日     冷凍食品                                                                                           昨日は雨模様のぐずついたお天気でしたが、今日は快晴の上天気。おまけに気温は30度。西日本、関東はもとより、信越、東北も30度だそうですから、これは全く異常気象と言えるでしょう。山沿いでは、恐らく表層雪崩が続発しているはずです。

 二階の窓を開けると、目の前は生まれたばかりの緑が一杯。特にキウイの伸び方は凄まじく、新芽が窓の中まで飛び込んで来ている始末。平素、使っていない部屋なので、窓を開けっぱなしにして、緑の侵入をそのままにして、楽しんでいます。それにしても、春の初めに気温30度とは、余りにも変です。ユーチューヴを見ると、世界の各地で洪水被害が出たり、アメリカのテキサスではとてつもない大きさのトルネードが発生して甚大な被害が出たり、南極や北極では大規模な氷壁が崩れ落ちたり、と色々です。中国での河川の氾濫は農作物の生育にとって大きな妨げ、となっています。小麦の最大の生産地、ウクライナは戦争の真っ最中ですから、農業どころではありません。ということは、この先、食料の価格が異常に跳ね上がることが予想されます。

 それを見越してといいましょうか、最近、大型の冷凍庫を購入しました。スーパーへ行って驚くのは、冷凍食品のコーナーへ行くと、あらゆる冷凍ものが驚くべき廉さで売られていることです。過日のオリンピックで選手達に大人気だった、冷凍餃子など、一パック188円で売られています。(以前は168円でした)これを利用しない手はないな、との考えから大型の冷凍庫を購入したのです。ナニ、解凍方法を間違えなければ、冷凍であろうとも、美味しくいただけるのです。冷凍食品は、不精者にはうってつけの有り難い食べ物であることに、漸く気がつきました。

2023 年 4 月 19 日    ミステリーその2                                                                                         宮古島には、勿論、空港はありますが、滑走路は2000メートルクラスの小さな民間空港です。ところが、直ぐ近くの下地島には3000メートル級の空港が存在します。その島の住人は僅か95名。専ら、パイロットの訓練場として使われてきました。台湾有事が喫緊の問題になってきた現在、この空港の存在がにわかに脚光を浴びだしたようです。勿論、アメリカからの強い要請があってのことでしょうが、この空港を、アメリカ軍、日本の航空自衛隊が目を付け始めたのは、当然の成り行きでしょう。何故ならこの空港が軍事基地となれば、台湾に最も近い空港になるからです。

 新任の師団長を乗せた10人乗りヘリは、この空港の視察に行ったのではないか?それを事前に察知し、もし、軍港になった場合、この空港を含めて宮古島が戦火の嵐に見舞われることは目に見えています。それを怖れた宮古島住人のある勢力が、「そうはさせじ」と抵抗を試みたのではなかろうか?との推論が成り立ちます。つまり、宮古島の住民の抵抗運動が、今回の自衛隊ヘリの墜落に繋がったのではなかろうか?

 との推論が成り立ちます。いかがでしょうか?

2023 年 4 月 18 日    ミステリー                                                                                          宮古島の海底100メートルに沈んだ10人乗りヘリコプターの引き上げ作業は今日も行われています。問題は、「何故、この事故が起きたのか?」という原因の解明です。聖書の解説に詳しく、世界状勢についても、その都度、的確な判断を投げかけてくれる東住吉教会の高原剛一郎牧師も、この問題についてはて困り果てています。

 考えられる原因の一つは中国からの電磁波攻撃です。これは全くの新兵器でこれからの戦争ではしきりに使われるようです。二つ目は中国系のスパイが闇夜に乗じて、ヘリコプターの重要機材に時限爆破装置を仕掛けた、という疑いです。この場合は、中国系スパイではなく、日本人、あるいは宮古島の住人である場合も考えられます。琉球列島が、再び、戦場と化すことに危惧を抱いているのは他ならぬ沖縄県民です。三つ目は、新任の師団長の就任に良からぬ思いを持っている内部の反乱です。そして、四つ目は単なる操縦ミスあったかも知れません。いずれにしても、100メートルを超える深海に沈んだ機体の引き上げを待たねば断定できない問題です。ことによると、引き上げられ、子細に点検されても原因が特定できないことも考えられます。美しい緑の海の100メートルを越す海底に沈んだ自衛隊の10人乗りの大型ヘリコプター。この引き上げは困難をきわめることでしょう。でも、この事件をミステリーのままで放置することは許されません。日本の国力の鼎の軽重が問われる事件だからです。

2023 年 4 月 17 日    血の色の魚                                                                                          琉球列島の海は今日も美しく輝いていることでしょう。宮古島海域で消息を絶った10人の命を乗せたヘリコプターが100メートルの深海で発見され、今日から飽和潜水という技法を使って、先ず、乗組員の引き上げから始めるようです。思えばこの海域でどれだけの血が流されたことか!

 沖縄本島の南部に位置する「平和の礎」公園には、この戦争で亡くなったすべての人々のお名前が刻まれた石碑が、ところ狭しとばかり、林立しています。その数、およそ24万人! 日本兵9万人、アメリカ兵1万5000人、台湾、朝鮮兵士9000人、あとは沖縄市民です。その公園の近くの戦争記念館に行けば、万座毛という崖の上から、子供を抱えて次から次へと海に飛び込んでいく女性の姿を捉えたフィルムが見られます。涙なくして見つめることは出来ません。なぜ、これほどの人間が死んでいったのか?それは、時の日本の軍司令部が、白旗をを掲げて降伏することを許さなかったからです。一方、沖縄には無数に点在する「ガマ」いわれる洞窟に潜んでいた住民が、その苦痛に耐えかねて、白旗を掲げて出てくると、アメリカ軍は、火炎放射器を浴びせて一般市民を虫けらのように殺しました。

 一方、琉球列島から遠く離れたパラオ諸島などに避難していた沖縄市民は、戦争が終わると、アメリカ軍の軍艦に乗せられ、手厚く持てなされ、一面焼け野原の沖縄本島に戻りました。沖縄復興はその人たちが懸命に働いたお陰でもありました。

 遙か昔、沖縄泊港から、義弟と漁船を借り切って海釣りに出たことがあります。義弟は沖縄の地唄の名手で、無形文化財保持者でもありました。海は荒れていました。二人とも船酔いになり、釣りどころではなくなりました。ところが魚はよく釣れるのです。それも、全身が血の色の赤く染まった魚ばかり。

 太平洋戦争という、何が目的なのかサッパリ分らない戦争の犠牲になった多くの人間の血が、いまは、魚になって生きているのだなあ、と深いため息をつきました。

 

 2023 年 4 月 16 日    ブラームス                                                                                          一昨日、ピアノのレッスンに行ったら、先生から「7月の合同発表会にはお出になりますか?」と問われました。「勿論!」と答えはしましたが、最近の衰え方を鑑みると不安でもあります。一昨年はドボルザークのスラヴ舞曲の連弾を先生と一緒にやりました。昨年はスクリヤーヴィンのエチュード・2-1でした。勿論、新曲に挑戦する積もりですが、余り自信がありません。先生からブラームスの「インテルメッゾ」などはいかがですか? と、楽譜をお借りしてきました。ユーチューヴを参考にして聴いてみましたが、どうもピンと来ません。緩やかな曲であってもメリハリがありません。独特の和音構成です。

 遙か昔、ウイーンの72番の路面電車に乗って市民墓地へ行きました。楽聖達のお墓に詣でるためです。広大な市民墓地には案内板はありましたが、こちとら、さっぱり読めません。途方に暮れていると、通りかかったご婦人が親切にも案内してくれました。ベートウベン、モーツアルト、シューベルトのお墓が隣り合わせで建っていました。皆さんのおかげで有意義なピアノによる音楽の楽しみをいただいていることに、心からの感謝の誠を捧げました。ふと、辺りを見回すと、少し離れたところからこちらを羨ましそうに見ている椅子に座った石像があるではありませんか。仲間に入れてもらえないのを僻んでいるようにも見えました。ブラームスでした。

 発表会まであと二ヶ月。ブラームスの複雑な和音構成を再現する自信はないようです。去年の12月までやった、フォーレの「シチリアーノ」か、チャイコフスキーの「12月に」のどちらかにする積もりです。まず、ミスタッチなしに弾くことを第一目標にしています。

2023 年 4 月 15 日    タラの芽                                                                                          近くの群馬県農産物直売所で、粒の揃った栽培ものでないタラの芽を見つけました。早速、購入して、軽く湯がき、醤油を垂らし、熱いご飯の上にのせて掻き込みました。旨いのなんの、春の息吹が体中を駆け巡りました。珍味そのものでありました。スーパーなどで見かける一件は、ほとんどが栽培ものです。味は天然物と比べて極端に違います。世間では、よく、天ぷらにしていますが、人工栽培ものはそれも仕方がないでしょうが、私に言わせれば邪道な食べ方です。

 しばらく前までは、この時期になると天然物を取りに、秩父の山の中、谷川岳の麓まで、車を駆して採りに行っていました。毎年、お目当てにしているタラの木の群生地があり、それは秘密の場所でもありました。とは言っても、既に、誰かに先を越されていたことも何度かありました。そのときの悔しさ、といったら、、、、関越高速道で高崎、渋川を越え、水上で降り、湯桧曽川沿いに土合に向かう右側の、有刺鉄線が張られた立ち入り禁止の奥が、タラの芽の群生地なのでした。

 青森では、弘前城の桜が満開になる4月下旬過ぎがタラの芽の最盛期になります。第六部長のころ、青森の陸奥新報社の招きでお祝いの席に呼ばれた翌日、日刊スポーツ部長の久保田君と、青森担当の船越君と、金木町遺跡を観がてら、津軽半島の末端まで車を走らせたことがありました。13湖のほとりの茶屋で名物「しじみ汁」を味わいながら、タラの芽の在りかについて尋ねると、そこら辺一杯に生えているわ、との何気ない一言。行ってみて驚いたのなんの。道路から海へ続く林の中は、生まれたてのタラの芽の群生地!あるはあるは、三人で無我夢中で採りまくったら、車のトランクが一杯!祝杯を挙げた弘前の料理屋さんにもお裾分けして、三人はタラの目の大きな包みを背負って帰京しました。

 2023 年 4 月 14 日 チャットGPT・続きの続き                                                                                            今、盛んに喧伝されている「チャットGPT」とは何者なのか?文筆する上で役に立つものなのか? インターネットでログインを試みました。出来たてホヤホヤのせいか、説明書きのほとんどが英語です。やむなく、日頃お世話になっているPCデポの専門家に頼みました。ところが、彼らもまた大いに戸惑っています。分ったことは、これを日常使う場合、かなりの課金が発生すること、初心者には扱いが複雑であること、かなりの習熟度合いが要求されること、などでありました。一応、インストールには成功しましたが、使い方に付いては全くのチンプン・カンプンでありまする。

 信州大学の学長が、入学式の挨拶で、「間違っても卒業論文をこれを使って書くな」と訓示しています。顧みれば、私も卒論では苦労しました。イスラエルの洞窟で発見され、世界的にその真贋が論争された「死海の書」について論じたのでしたが、仕舞いには自分でも分らなくなってシッチャカ・メッチャカの結論となりました。担当教授の家にウイスキーの角瓶を持ち込んで事なきを得ましたが、もし、不可となっていれば朝日への入社も出来ていなかったでしょう。

 三年前の2月初旬、当時、シンガーポール教会の松本牧師に引率され、イスラエルの「死海の書」の発掘現場へ行きました。「百聞は一見に如かず」の諺どうり、この文書を所蔵したエッセ派の存在そのものが「ガセ」臭いことを突き止めることができました。実物を目の当たりすることが出来ましたが、じずらから見て、それを判断することさえ出来ました。

 暫くの時間をもらって、チャットGPTに精通出来るようになったら、「死海の書」について改めて勉強するつもりです。それにしても、この新しき新兵器の操作は想像以上に難しい。

 2023 年 4 月 13 日     チャットGPT・続き                                                                                            今、盛んにもて囃やされている「チャットGTP」ですが、大きな問題が浮上しています。それは、著作権に関する問題です。東西古今をを問わず、世間に流布している文学作品、音楽、学術文書、などなど、無断に使用することは禁じられています。それなりの対価を支払わなければ、法律によって罰せられます。しかし、30年だったか、25年だったか経過しているものは、自由に利用することが、一方では認められています。それがまた、この件を複雑にする所以でもあるようです。違反するとどうなるか? 莫大な金額が請求されます。

 例えば、日本では、音楽の著作権を管理する「JASRAC」という組織があります。作者、作曲者が死後50年を経過すれば、自由に使えるのですが、そうでない場合は、しかるべき金額を納入しなければなりません。音楽のみならず、あらゆる分野において、この原則が適用されます。NHK並びにテレビ局は莫大な金額を支払っていると聴き及びます。この著作権問題は音楽の分野のみならず、あらゆる分野に適応されているやに聴き及びます。実に厄介な代物です。文化の発展を阻害していると言ってもいいかもしれません。

 例えば、チャットGPTによっ華麗な文学作品を書いたとします。素人裸足の音楽家が斬新な作品を発表したとします。そこに、故人の模倣があったとしたら、、、、一体、どうなるのでしょう?

 2023 年 4 月 12 日     チャットGPT                                                                                            今、巷で大きな話題になっているのが進化したAI、すなわち「チャット・GPT」です。質問を投げかければ直ちに答えを返してくれる、しかも、どんな難問に対しても応じてくれる、というから、これは全く「オドロキ、モモノキ、サンショノキ」です。更に、詩でも、短歌でも、俳句でも小説でも、たちどころに作ってくれるそうですから、天地がヒックリ返ってしまいます。東大の去る教授がその権威だそうで、彼の解説書を、アマゾンに注文しました。数日中に到着したら、丹念に読み、私も「チャット・GPT」の恩恵に預かる積りです。

 私の近代電子兵器との取り組みはかなり早く、朝日学生新聞の社長となった60歳台前半から始まっています。日本語のタイプライターから始まって、初期のパソコンに精通し「自分でも本が作れる」ことを実感し、日ごとのエッセイをパソコンに打ち込み、印刷、製本して悦に入っていました。おまけに、人様の本まで作り始める始末。10冊近い自分のエッセイ集のほかに、どれだけの数の人様の本をパソコンとプリンターで作ったか。「ものつくり」に熱中する、時を忘れて懸命に取り組む、実に幸せな時間でありました。

 顧みれば、定年後20年近く楽しい時間を持てたのは、近代電子兵器たる、パソコンとプリンターのお陰でした。そこへ持ってきて「チャット・GPT」の新たな登場です。どんな変化がこれから起きるのでしょうか。全く予想が付きませんが、世の中が「ガラリ」と変わること、必定でしょう。取り寄せる解説書の到来が待たれます。

 

 2023 年 4 月 11 日    爽やか計画                                        現役で朝日新聞の部数拡大にしのぎを削っていた頃、その年ごとに各部それぞれ作戦計画を立案して、実行に移していました。中には「燎原作戦」というのもありました。これは不評でした。焼き尽くしてしまう意味もあったからです。成功したのは全局で取り上げた「爽やか計画」「爽やか作戦」でした。

 いま、大活躍中の大谷翔平が日本はおろか、アメリカを越えて全世界で賞賛されているのは、彼の爽やかさ、でありましょう。嫌な顔一つ見せたことがありません。誰に対しても笑顔で接しています。持って生まれた天性が、そうさせているのでしょうが、こんな野球選手、いままでにいたでしょうか?

 使い切れないお金が入ってきても、彼の日常は質素そのものです。卵は一日に10コほど、ブロッコリーと山盛りのご飯と一緒に食べるようですが、アルコール類は摂らないと聞き及びます。そして、日常の身体を動かす運動も欠かしていません。ストイックなまでに続けているそうです。

 いやはや、美事な選手が誕生したものです。日本の誇りでもあります。なかんずく、岩手県の皆さんの喜びはいかばかりでありましょうか!古くは南部藩であった岩手県。新渡戸稲造、宮沢賢治ら、そうそうたる歴史上の人物の生誕地でもあります。盛岡市郊外にある「岩手県偉人館」には100人を超す歴史上の偉人が奉られていますが、大谷翔平もやがてはその殿堂入りを果たすでしょう。願わくは、彼の身辺に何事も起きないことです。アメリカはとにかく、誰でも銃を持つことが許されている特異な国です。身辺警護については、当局も神経をとがらせているでしょうが、是非、是非、事故が起きないように守って貰いたい、と衷心から願っています。何故なら、大谷翔平は100年に一人、でるかでないかの逸材なのですから。

2023 年 4 月 10 日      サイゼリア           

  タイ・チェンマイの目抜き通りの一角に、センタンフェステヴァルと呼ばれて大賑わいしていた古い雑居ビルがあります。スーパーあり、マッサージ店あり、屋台食堂ありで、昼夜を問わず賑わっていました。その中に、チエーンレストラン・サイゼリアがあり、そこはいつ行ってもバイキング料理が、安い値段で食べられるので、重宝にしていました。 ところが、今年行ってみると、古い大きなビル全体が空室になっていて、辺り一面、閑散としていました。どんな景色に生まれ変わるのか、楽しみでもあります。

 今日は、錦糸町で毎月開かれる囲碁の会がありました。終わって、いつものように飲み会の場所を探しました。昔から、勝手知ったる錦糸町なのに、いまだに、これは、というところがなく、うろついているのでした。駅近くのビル二階のサイゼリアに入りました。若い人たちで大混雑です。おじさん達ち、いや、おじいさん達ちは、どうにか席に収まりましたが、若い人たちの話し声が室内にコダマし、その五月蠅いことといったら、、、しかし、メニューは値段が廉い。殊にワインが廉い。ボトルで注文しました。大瓶が運ばれてきました。余ったらお持ち帰り自由だそうでした。一口、飲んでビックリ。これがワインか?といえる代物でした。昔、サントリーがブドウの入っていない「赤玉ポートワイン」を売り出し大もうけしましたが、それに類するものでした。驚ろいたのは、ほとんどのテーブル上にワインが置かれていたことです。何故ならこの店のメニューにあるアルコール類は、ビールとワインだけだからです。焼酎も、日本酒もなかったのです。

 一体、こういう商法は許されるのでしょうか? でも、何故、店内は大入り満員なのでしょうか? 

2023 年 4 月 9 日    透明度           

  世界の海は、陸地に住む人間がひり出した汚物を受け入れてくれる、実に有り難い浄化装置でもあります。香港に着陸するとき驚いたのは、海の色が、一面、緑色に変わっていたことでした。ベトナムのフエに近づくにつれ、海は不気味な色に替っていました。地中海も本来の海の色ではありませんでした。ドバイの海の色も変でした。まして、日本近海に於いておや。

 「海」本来の美しい色を保っている海域はどこか? 私は琉球列島の宮古島、石垣島、西表島の海域ではないか、と独り頷いています。とにかく海の色が美しい。透明度は恐らく50メートル以上はあるでしょう。その上、砂浜は真っ白です。珊瑚のかけらさえも手にすることも出来ました。同じ太平洋上の孤島でも、パラオ諸島の海の色はどす黒かった記憶があります。何故か?

 地図帳を広げてみると、日本列島から、奄美大島、沖縄本島、宮古島、石垣島、西表島、そして、台湾へ続く海域は、遠浅の海で繋がっているいるのを知ることが出来ます。更に、石垣島の周辺には、竹富島、小浜島、黒島、新城島、波照間島などが点在しています。つまり、この海域は、遠浅の海の繋がりが特徴となっているのでした。その上、島に住んでいる人は僅かで、生活排水など微々たるものでしょう。

 昔、小浜島の海岸に続く林の空間で、恐らく数千羽に近い蝶が群がり、相手を求めて狂気乱舞する光景を見たことがあります。この世のものとは思えない幻想的な瞬間でした。

 あちらの世界はへ行く前の残された時間を使って、行ってみたい候補地の一つは、ここもそうではないか、と思うようになりました。

2023 年 4 月 8 日    地図帳           

  仕事場の座右に2冊の地図帳があります。世界地図と日本地図です。地下室には地球儀もあります。仕事場のベッドにごろっとなって、地図帳をひっくり返すのも楽しみの一つです。作家の椎名誠の最近の動静は分りませんが、彼もまた出歩くのがスキで、南極、北極の近くまで歩き回っていました。彼の著作は、地球のあちこち歩き回った、ただ、それだけの記録ですが、妙に魅力的でありました。いつも不眠症で苦しんでいた彼、、、、その後、お元気ならいいのですが、、、、

 コロナが始まる前、シベリア鉄道でモスクワ・レニングラードへ行く計画を本気で立てていたことがあります。先ず、日本海対岸のウラジオストックへ行きます。そこから、ヤブロイノ山脈を越え、イルクーツクからシベリア鉄道でモスクワに向かい、最終目的地をレニングラードとしました。エルミタージュ美術館へ行きたいからです。本気になってウラジオストックのホテルまで調べているうちに、コロナ禍となり、この計画は頓挫してしまいましたが、さて、この大計画を再び俎上ににあげてもいいものかどうか?

 ところで、世界には行きたいところが無数にあります。ヨーロッパとアジアのほとんどには足を踏み入れましたが、南米大陸とアフリカ大陸には行けていません。というか、余り魅力を感じないせいでもあります。。ただ、アマゾン川を遡る企画には乗ってみたいですね。もし、行けたとしたら、人食い魚「ピラニア」の餌食になってもいいくらいです。火葬場で火に焼かれるより、魅力的な死に方であるかも知れません。

2023 年 4 月 7 日    荒れる空、吠える海           

  琉球列島・宮古島で陸上自衛隊の師団長が乗った10人乗りヘリコプターが墜落しました。残骸が回収されましたから、生存の見込みは、どうも、なさそうです。天候が悪かったようですが、新任の師団長の視察飛行ですから中止できなかったのでしょう。誠に、お気の毒です。この時期、沖縄本島から宮古島、西表島、石垣島の海域は、海も空も天候は不安定極まりないのは常識とされています。

 新聞社入社を前にしての3月下旬、那覇の泊港から石垣島まで夜の船で渡ったことがあります。若葉丸という小さな船でした。海は荒れに荒れました。板敷きの船室をアッチにゴロゴロ、コッチにゴロゴロ。おまけに海水まで入ってきます。もうダメか、という瞬間が何度もありました。石垣島の寿司屋で、太平洋の黒潮に乗って遡上する前の、鰹の稚魚の寿司をいただきました。極上の味で、海の藻屑にならなかったことを喜び合いました。

 帰りの船は八潮丸といってかなりの大型船でした。雑魚寝の客室で隣り合わせた男性から、泡盛をしつこく付き合わされ、ベロベロになって、那覇泊港に着きました。数日後、東京へ向かうときも、やはり、船でしたが、乗客の中に学生服を着て早稲田のエリバッチを付けた男がいます。何と、4月から私と同じ朝日新聞の社員になるそうではありませんか。それが、栗原達男君。既に名の知れたカメラマンでした。

 宮古島海域での10人乗りのヘリコプター事故。何とも痛ましくてなりませんが、「もう、この海域での戦争はいらないよ」と海の神が言っているように思えてなりません。

2023 年 4 月 6 日    永井事件           

  今でこそ情報の伝達手段は「紙」から「電波」に替って久しいのですが、私が入社したは頃は新聞の部数は面白いように増えていました。二年間の社内研修を終えて販売局に配属された頃の朝日新聞全社の販売部数は400万部ほどでしたが、その後、830万部まで伸びました。時の責任者は永井大三常務取締役業務局長。読売の務台、毎日新聞の梅島の三人が業界ボスとして君臨していました。そこへ、突如として、販売店の本社への納金拒否運動が起きます。社主・村山長挙の娘婿が病院経営を願い出て、朝日新聞が社として病院を経営する議案が株主総会に持ち出されたのです。新聞社は、多角経営をするべきでない、と大反対したのが永井常務です。社主は永井さんを馘首しました。それに怒ったのが全国の販売店です。永井さんを慕う東京が急先鋒でしたが、本社に納める新聞原価の本社納付を拒否し始めたのです。波紋は全国に広がり始めました。大問題となりました。

 そのときの私は販売局員で千葉担当の海野さんの助手でしたが、極秘裏に社内情報を、逐次、都立大の永井さん宅へ報告に行きました。結局この話はご破算になり、村山社長は退任し、編集担当の広岡さんが社長になりました。永井さんの復帰を望む声も圧倒的でしたが、最後に、永井さん宅に伺ったとき、或筋からの「道路公団総裁就任の要請書」を見せて貰いました。と同時に、広島の生口島でまだご健在だった彼のお父さんからの「大三、男は二度でるでない」という諫めの手紙を見せて貰いました。

 永井大三さんは、奥様のいね子さんの後を追うように、その後しばらくしてお亡くなりになりました。85歳でした。一人息子の謙さんの消息は不明ですが、ガンを患っていましたから、今はお三方ご一緒でしょう。

 九州小倉の西部本社の業務局長で単身赴任しているとき、小倉から新幹線で三好まで行き、船で生口島に渡り、小高い丘に位置し、出船、入り船が眼下に見渡せる寺「成徳寺」へ行ってお参りしたのが今のところ最初で最後になっているのですが、願いは一つ、あちらの世界へ行ってお会いする前に、墓前に花を捧げる時を持ちたい、その思いを今日も持ち続けています。

2023 年 4 月 5 日    将棋名人戦           

  丁度この時間、目白の椿山荘で世紀の一戦、将棋の名人戦7番勝負の第1局が始まりました。対するは名人位を持つ、どこまでが顔でどこからが頭か分らないほどに禿げ上がった38歳の渡辺明名人と、髪ふさふさの若干20歳の藤井聡太との対戦です。。この7番勝負で渡辺名人が負ければ彼は無冠となり、藤井挑戦者が勝てば既に獲得している六冠と併せて七冠となり、大偉業達成となります。朝日新聞紙面は、連日、この報道で一杯です。何故なら、この名人戦の報道権利を、私が朝日に入社した頃、無理に無理を重ねて毎日新聞から奪い取った歴史があるからです。立役者は、当時、常務取締役業務局長だった永井大三さん。彼は五段の腕前で、升田幸三さんなどと親密な関係にありました。長野の清水さんの姉のキヨさんが、永井さんの奥さんの稲子さんの弟・石塚さんと結婚して、学芸大学に住んでいたことから、私はしばしばその家にお邪魔してピアノを弾かせて貰っていました。永井さんと稲子さんの一人息子の謙さんは慶大生。清水さんが主催する山行きのグループ「どんどん講」で度々一緒になるうちに、親しくなり、都立大の永井さんの家に伺って将棋を打たせて貰っていました。当時は清水さんと永井さんの力を得て朝日へ入ることなど、夢にも想像していませんでした。

 永井さんの力でもぎ取った名人戦が始まると、有楽町の本社前に大盤解説のための将棋盤が組まれ、黒山の人だかりとなりました。はしごを使って大盤解説盤の駒を動かすのは下役の勤めです。いつも、その役目は往年の名人・加藤一二三初段の役目でした。彼らの控え室が販売部の私の席の真後ろの会議室でした。野次馬が集まり、余りに五月蠅いのでその時期になると社に寄りつかないようにした記憶が鮮明です。

 希に見る名人戦が、この時間、始まりました。20歳の藤井が勝てば七冠独占です。渡辺明は無冠に転落です。全国の将棋ファンは固唾を飲んでこの勝負の行方を見守っていることでしょう。

 勿論、この棋戦を朝日に導いた、永井大三五段も、生まれ故郷の生口島の成徳寺の墓の中から起き上がって、ことの成り行きに目を細めているはずです。

2023 年 4 月 4 日    悪辣な選挙制度           

  4月から5月にかけて、地方公共団体の選挙が行われます。県会議員、市町村議会議員、知事、市長など盛りだくさんです。加えて国会の解散総選挙まで取り沙汰されています。しかし、選挙制度は1994年、中選挙区制から小選挙区制プラス比例代表制に替えられました。自民党の策謀によるものです。中選挙区制ならば同一選挙区内で与党・野党の候補者が複数当選出来ていました。小選挙区制では当選者は上位一名に限ります。比例代表制がカヴァーしているではではないか、というのは単なるまやかしで、爾来、自民党の独裁政治が続くことになりました。これをやったのが、衆議院議長の細田でありました。

 自民党に替って野党党首が総理になった時代もありました。鳩山、管、野田、、、いずれも短期政権で終わりました。新党が現れ始めました、国民民主、立憲、維新、そして令和などです。ですが、一人区の選挙区ばかりですから勝てる訳もありません。かくて、日本の政治は世襲制を許した自民独裁政治が連綿と続いているのです。

 「選挙制度を小選挙区制から中選挙区制に戻す」!

 これ以外に日本の再生はない、と私はつねづね思っています。

2023 年 4 月 3 日  ソンクラン          

  4月になるとタイの国は「水掛祭り」で民衆は沸きに沸きます。中でもチェンマイのものは規模が大きく、市民全員参加とも言えるほどです。何のことはない、バケツの水を柄杓でかけ合ったり、相手めがけて、誰彼なく水鉄砲を使ったり、誠に無邪気なものなのですが、チェンマイの人たちはこの季節が来るのを、実に楽しみにしているようです。この祭りは、タイ語では「ソンクラン」と呼ばれています。

 チェンマイ日本語キリスト教会の重鎮で、日大芸術学部出の梶原さんは、既に、頭のはげ上がったおじさんですが、高性能の水鉄砲用意して、いつもこの時がくるのを待ち構えていました。問題は水です。町中を流れる「ピン川」の水は常に濁っています。城郭都市であったチェンマイはお堀に囲まれた古都でもあったのですが、そのお堀の水はお世辞にも綺麗ではありません。アオコが生え、濁りに濁っています。水をかけられる方は、堪ったものではありません。それでも、市民は狂気のように水をかけ合っては喜びを爆発させているのです。

 時期を同じくして、チェンマイの街路樹は「ゴールデン・シャワー」に替ります。日本の藤の花に似た植物ですが、色は、全くの黄金色です街中が金色に輝きます。加えて、果物の王様といわれるドリアンの登場です。匂いは強烈ですが味は絶品です。しかも、格安な値段で屋台で食べられるのです。他にも、ゴールデン・フルーツ、マンゴスチン、パパイヤなどなど、、、ああ、向こうへ行きたくなりました。

2023 年 4 月  2 日  天晴れ、山梨学園!          

  春の選抜高校野球で、何と山梨学園が優勝しました。しかも、甲子園での優勝回数を誇る報徳学園を7対3で破っての、山梨県勢としては初勝利です。山梨県民の喜びはいかばかりでありましょう!!

 山梨県は南アルプスと八ヶ岳山系に囲まれた小さな県です。野球が出来る平地は甲府盆地以外にありません。冬は雪に埋もれ、夏は盆地ゆえの酷暑に見舞われ、野外スポーツにとっては劣悪の環境です。その環境の中で猛練習に励んだ努力が、ここへ来て花開いたのです。甲斐の武将武田信玄も、扇をを開いて「者ども、天晴れ!」と喜んでいることでしょう。

 この快挙に驚き、大いなる刺激を受けたのは山梨県と境を接する、我が長野県ではありますまいか。夏の大会に選手を送り出してはいるものの、一度として決勝戦はおろか、準決戦戦にまで残ったことがありません。県内の高校にはそれぞれ野球部はあります。私が長野高校に在学中、野球部は広岡監督のもと、夕闇迫るまで練習に練習を重ねていました。それでも、県代表として甲子園へ行けたのは遙か昔も大昔、たった一回だけです。山梨県勢の今回の優勝は、長野県にとって驚き以外のなにもでもなく、大変な刺激となったのではないでしょうか?

 まずは山梨県の皆さん、先を越されましたが、誠に、誠におめでとうございました。

2023 年 4 月  1 日  中坊公平さんの偉業           

  平成の鬼平とまで言われ、市民派弁護士であり、日弁連会長でもあった故中坊公平さんが私財を投じて建てた「プロボノセンター」が、死後10年を経て、閉鎖されることになったと報じられました。プロボノとはラテン語で、仕事で培った知識や経験を生かし、ボラン活動で社会貢献する、という意味です。弁護活動には話を聞く場所が必要です。その場所を彼は提供したのでした。「弁護士は他人の不幸で飯を食う仕事。社会にお返ししなければいけませんねん」これが彼の持論でした。

 私は彼の著作が好きで、一時、私淑していた時期がありました。戦後最大の詐欺事件と言われた「豊田商法」に関する彼の活躍ぶりは胸のすくものでした。今でも語り草になっている事件でした。どれだけの人々がこの施設のご厄介なったでしょうか? 恐らく、数え切れないでしょう。中坊さんは、死んでも尚、社会に貢献してきたのです。

 今日は4月1日。エイプリルフールでもあります。家族が大勢いたころ、ウソの言い合いをして楽しんだことが夢のようです。二階の窓を開ければ、目の前にキウイの新芽が一杯。朝と晩ではその大きさが違います。目覚ましい成長ぶりです。猫額のベランダの向こうは、洋梨の大木に白い花が一杯。日に日に数と輝きを加えています。おまけに、今日は快晴。麗しい春の輝きを今年も賜ったことに、心から感謝しています。

2023 年 3 月 3  1 日  複雑怪奇、飯田橋界隈            

  一昔前、早稲田での授業が終わると、早稲田から都電に乗って茅場町の日本経済新聞社へ行って、発送部の仕事をしては、最終の茅場町発の都電で帰ってくる、アルバイト生活を送っていました。途中駅の飯田橋は、唯一、中央線の普通電車の停車駅でした。最終の都電に乗って高田馬場に着き、西武線の上井草の自宅に戻る生活でしたが、電車に揺られながら、本を読みふける私にとっては都電が読書室でもありました。

 その飯田橋駅が、いまは東京の重要な乗換駅に替わり、新宿や渋谷に劣らぬ巨大駅に変わっていたことに、今日、改めて気づき、仰天してしまいました。ほとんどの路線がここに結集し、地下通路が縦横に伸び、新宿や渋谷に劣らないマンモス駅になっていたのです。中央線、総武線以外、有楽町線、大江戸線、東西線などが地下深くで繋がる巨大駅にになっていたのです。ということは、乗り換えるためには地下通路のかなりの距離を歩かさせられます。今日は、それを、イヤというほど強いられました。

 鼠径ヘル二ヤの手術をお願いした九段坂病院から、それに堪えうる心臓機能かどうかの検査を飯田橋駅近くの「心臓画像クリニック」へ行ってMRA検査をして貰うように、と言われたのでありました。教えられた地図どうりに歩きましたが、なかなか、見つかりません。

 昔、学生の頃、長野のカシオ印刷の東京出張所員として、専務の清水栄一さんの従兄弟の聡さんと同居して走り使いをしていた頃は、出版社のほとんどは飯田橋近辺にあって、この界隈の地図には精通していたのですが、それも、遙か昔。懐かしい名前を挙げてみると、角川、新潮社、新教出版、講談社、サエラ書房、理想社、理論社、エトセトラ、、特に懐かしいのは新教出版です。社長の秋山さんの中井のご実家の二階が、柏与印刷の出張所にさせていただいたこともありました。

 血管に造影剤を注入してのMRA検査は約5分で終わりました。所見によると、かなり、細い血管もあるようです。思い返してみれば、不整脈によるアブレーション手術を谷崎医師の手によって、女子医大で受けたのは、はるか、30年前です。今も、谷崎医師が開業している東調布の「谷崎循環器クリニック」へ半年に一回通って、心臓の動きのお墨付きを貰っています。さて、今回はどうなるか? 面白い成り行きとなりました。人の身体は何時までも頑強であることは希というものです。年とともに衰えることは覚悟しなければなりません。思えば、86歳まで、よくも生き長らえてくることが出来ました。感謝、感謝以外にありません。よしんば、心臓機能に不安があって、九段坂病院での鼠径ヘルニア手術が拒否されても、なーに、下腹部にテープでも貼り付けて、脱腸を抑え、生きていきましょう。人生はこれからです。

2023 年 3 月 3  0 日   桜、桜、桜            

  今日は、ひょんなことから千鳥が淵と、靖国の桜を観ることができました。馬齢を重ねるにつれ、右下腹部に異常を感ずることが多くなりました。運動不足と加齢のため、腹筋が弱くなり、腸が飛び出る現象です。俗に言う脱腸、学名では鼠径ヘルニヤといいます。少し、飛び出したかな、と思うときは、押し戻してやれば元に戻るのですが、念のため、日帰りで治してくれるという、新宿の外科クリニックを訪れました。しかし、年が年ですから二、三日入院させてくれる病院はないか、と尋ねたところ、九段下の「九段坂病院」への紹介状を書いてくれました。今日はそこへ行ってきたのです。武道館脇のお堀に面した瀟洒な病院でした。窓の外は桜が満開で、その上、皇居の緑が青空に映えていました。練馬の順天堂病院のような混雑は無く、看護師さん達も親切で、「ここならいい」と嬉しくなりました。血液検査、X線、肺活量などなど、あらゆる検査を受けさせられました。手術日も一週間後の3日間入院と決まりました。

 脱腸は腹筋が弱くなる高齢者に発生する、「よくある現象」です。牧師のアーサーホーランドさんもなりました。彼は大きな十字架を担いでアメリカ大陸を横断しました。日本列島も縦断しました。それだけ歩いているのに罹ったのです。私も高校時代は北アルプス、南アルプスに入り浸りました。大学時代は力仕事にも精出しました。社員になってからは重いカバンをぶら下げて、東北、関東を歩きに歩きました。ところが、馬齢を重ねるにつれ、歩かなくなりました。長距離歩くと息が上がるようになりました。腹筋が脆弱になったのはその報いといっていいでしょう。お陰で、病院の支払いを済ませてから、千鳥が淵、靖国神社の桜を愛でながら、歩かせていただきました。

2023 年 3 月 2  9 日   軍国主義            

  齢86歳になっても、時折、脳裏に去来するのは6,7歳の頃に覚えた軍歌や国民歌謡です。沢山あるのに、そのほとんどを覚えていて歌えるから不思議です。例えば「♫ 我が御君に召されたる、命栄えある朝ぼらけ、讃えて送る一億の、歓呼は高く天を衝く、いざ行け、強者、日本男児!♫」、「♫進め! 少国民! 溌剌と元気よく、胸を張り大手を振って前進だ♫ 遮る者なく、唇キリリリと、我慢だ、強いぞ、いざ進め!進め。進め少国民♫」、「恩賜の煙草をいただいて、明日は死ぬぞと決めた夜は、荒野の風は生臭く、ぐっと睨んだ敵空に、星が瞬く二つ、三つ♫」、「♫今日、増産の帰り道、みんなで摘んだ花束を、英霊室に供えたら、次は君だぞ、分ったか、シッカリやれよ、と空高く、胸に刻んだ神の声♫」。

 昨日の報道で、ミャンマーの軍事政権の親玉ミン・アウン・フラインが、アウンサンスーさんを幽閉している上に、所属する民主党を抹殺した、存在を否定した、と報じられました。民衆のほとんどがスーチーさんを愛し、民主政治の回復を乞い願っているにも拘わらずの暴挙を断行したのです。すべて、中国の差し金でしょう。ミャンマーを中国の属国とし、領土拡大を図ろうとする独裁政治の陰謀です。

 数年前にチェンマイからプロペラ機で一時間のミヤンマー首都・ヤンゴンへ行きましたが、街中に日本の中古車が溢れる貧しい国でした。しかし至る所に寺院や仏像があって、人々は、質素で穏やかに、そして平和に暮らしていました。軍国主義には最も遠い国であるはずでした。民衆はスーチーさんを慕い、愛し続けていました。私は、中国の策略に乗って軍事政権にしたミン・アウン・フラインを憎みますが、一方、未来の日本と中国との関係はどうなるのでしょう。

 岸田政権は急激に軍事防衛費を4兆円に増額し、宮古島や、石垣島に軍事基地を作リ始めました。アメリカと韓国と日本で台湾有事に対応しようというものです。憲法改正の動きまで出てきました。果たしてそれでいいのでしょうか?   

 長野高校在学時代、校内の弁論大会で「向米一辺倒を排せよ」と弁論した者がいましたが、今、正にそれが問われているのではないでしょうか? 今週の「週刊現代」に、河野太郎の父洋平さんが寄稿しています。「向米一辺倒を排せよ」と。

2023 年 3 月 2 8 日   もの申す            

  もの申すなどとは穏やかではありませんが、申したい相手は日本郵便です。海外へ送る小包の送り方です。今までは、送り状は手書きで良かったのに、半年以上前から、手書きは一切受け付けなくなり、パソコン入力でなければ受理してもらえなくなりました。それも、一切、英語入力が必須です。品名、重量、個数、生産地、値段など、英語入力しなければなりません。かねてより、海苔、あごだし、花鰹、煮干し、煎餅などを箱入れして同送してきたのですが、あごだしは英語で何というのか、いちいち辞書に頼らねばなりません。しかし、最も厄介なのがパソコン入力です。一度は練馬郵便局へ行ってIPADによる教えを受けてきましたが、直ぐ、忘れます。記載不備で、近所の郵便局へ四往復したときもあります。そして、今回も、たった、二品贈るだけなのに、一回目、はねられました。怒り心頭を発しましたが、我慢してパソコンに向かって打ち直し、これから持って行きます。問題は書式が複雑過ぎることです。パソコンにはかなり精通している私でさえ、理解不能となる送り状の複雑さ、難解さです。郵便局員に聴けば、こうなったのはアメリカの影響だそうです。しかも、ロシア・ウクライナ戦争のため航空便の値段は三割方上がっています。

 過日のタイ・チェンマイから帰国の際、畏友堀田さん宅にあづかって貰っていた荷物を、船便で日本に送りました。このときも、英語による明細な送り状が必要でした。幸い、メグさんのところで働いている日本人社員のお陰で、段ボール三個は近々到着するでしょう。値段は合計で7400バーツ。600バーツをチップにして8000バーツ支払いました。

 我が家の車庫には、タイの少数民族の学校へ送るつもりで仕入れたアプライトピアノがまだ、そのままになっています。運賃値上がりの作今、これをどうするかがこれからの課題です。しかし、送り状は簡単です。「ピアノ一台」とだけ。

2023 年 3 月 2 7 日      彼 女            

  角野隼斗(カテイン)が韓国へ行きました。音楽学校の生徒数人が2台のグランドピアノの前に待ち受けていて、次々にポピュラーな曲を弾き始めました。カテインは直ぐそれに応じて連弾に応じます。打ち合わせも何もありません。即興演奏です。韓国の学生はたまげます。ミス一つ、音の擦り一つありません。韓国の学生の驚きようは尋常ではありませんでした。即興の掛け合い演奏は日本でもしばしば行われています。ジャズピアノの名手「菊池」や、ユーチューブでチェンネルを持っている「よみい」などが相手です。いずれの場合でもカテインは美事な演奏でそれらに応じています。何よりも驚くのは、ミスタッチ一つ、音の擦り一つないことです。しかも、カテインは東大の理工学部出身です。彼の頭の中は、一体どうなっているのでしょうか?

 去年のショパンコンクールに出場した彼は、三次予選で敗退しましたが、一位になった、カナダのブルース・リュウや二位の反田恭平、五位の小林愛美などより、音感では優れてる、と私は思い続けています。それは何故か? 彼らはなるほど音を美しく表現してはいるが、ただ楽譜どうりに弾いてはいるに過ぎない。角野隼斗の場合は「音に意味を持たせて語らせている」と私は感じているのです。世界的に有名になった日本の盲目のピアニス辻井伸之の音も綺麗ですが、ただ綺麗なだけです。盲目のゆえ万象に触れることが出来ないため、深みのある音が出せないでいるのです。

 さて、我が敬愛する角野隼斗さんも28歳。噂に寄れば、東大で「ミス東大」になった森章彩子さんとの付き合いがあるらしいのですが、詳しいことは分りません。朗報を待ちましょう。

0 2 3 年 3 月 2 6 日      決 意       

  かつては女流名ピアニストとして名を馳せた、90歳になる彼女の演奏をユーチュヴで聴いたことがあります。大勢の聴衆を前にして、両脇を抱えられ、ヤットこサットこピアノにたどり着き、おもむろにショパンのワルツを弾き始めたのはいいが、聴くに堪えない演奏でした。それでも聴衆は万雷の拍手を浴びせていました。

 83歳になった希代の名ピアニスト・ホロヴィッツの演奏を、大枚35000円払ってサントリーホールで聴いたことがあります。ミスだらけの痛ましい演奏でした。「壊れた骨董品」とまで揶揄されました。調子に乗って、同じ感想を音楽雑誌「音楽の友」に投稿しましたら、採用され掲載されたこともあります。

 さて、私の場合はどうか? 三週間余りタイ・チェンマイにいて帰国しましたが、何故か、ピアノに向かう元気が出ません。出国前は毎日、4,50分弾くことを日課にしていて、厳格にその掟を守ってきたにも拘わらず、ピアノに向かう元気がなくなっていたのです。自分の技量の衰えに怯えた結果でしょうか? 半月が経過しました。これではいけない、このままではこのままになってしまう、と痛く反省し、思い切ってピアノに向かったのですが、案の定、指が素早く動いてくれません。ミスタッチの連続です。スラスラ出来ていた、ドヴィッシーの「アラベスク一番」、「パスピエ」、「月の光」などミスタッチの連続です。自分ながら嫌気がさしてしまい、86歳の自分の加齢を呪い、つくずく情けなくなり泣きたくなりました。

 しかし、しかしです。人生はこれからです。4月からは改めて月三回のピアノの先生のところへ通い、7月の発表会の曲を今から準備を始めようと、重い腰を上げることを決めました。

0 2 3 年 3 月 2 5 日         必勝しゃもじ

  岸田総理は、インドのモデイ首相を5月のサミットに招待するため、インドにいたと思ったら、特別機でポーランド・ワルシャワに飛び、列車でウクライナ・キーウへ行き、ゼレンスキー大統領と会っていました。元外務大臣であったからでしょうが、この腰の軽さは賞賛されていいでしょう。ウクライナに対しては約40億円分の武器でない支援物資を送ることを約束しました。5月のサミットは日本の広島で行われます。岸田総理のお膝元です。議長国は議長の欲する国々をこのサミットに呼ぶことができます。ゼレンスキー大統領のオンライン参加を呼びかけ、それに成功しました。

 そこまではまともで良かったけれど、勢い余って、ゼレンスキー大統領に広島名物「必勝しゃもじ」と「千羽鶴の縁起物」を個人的お土産として献上したのです。けったいな贈り物を目の当たりにした大統領は、さぞ、面食らったことでしょう。しかし、「必勝しゃもじ」は広島でこそ通用してもウクライナで通用するかどうか? しかも、ロシアとウクライナは、毎日、死闘を繰り広げているのです。そこへお伽の世界の奇天烈なしゃもじをお土産にするとは、何たる不見識か! 日本の国会は鬼の首でも取ったように、いま、そのことで揉めに揉めています。

 私もそう思います。何故、総理はお土産について回りと相談しなかったのか? 独断の発想を、何故、回りの者達が止められなかったのか、残念至極です。しゃもじ土産は、岸田総理の「きゅうじんのこう」を一気に欠いてしまいました。

 0 2 3 年 3 月 2 4 日          黄 砂

  中国の奥地のタクラマカン砂漠などで発生した黄砂が、北京などを汚染し、かつ、偏西風に乗って日本海を渡り、日本列島に飛来する季節となりました。毎年のことながら、この厄介者は花粉以上の嫌われものです。一つ年下の従兄弟の靖輝君が存命の頃、何度も上海へ行きましたが、大陸が近づくにつれ空の色が変わってきます。大陸が吐き出す粉塵に黄砂が入り交じって視界不良となっていくのです。あるときは紅橋空港に到着しました。視界不良の上、高速道路は大渋滞です。中心部に位置する定宿にしていたホテルまで四時間かかったこともありました。車の窓を開ければ尋常でない匂いと共に、砂粒が舞い込んで来ることもありました。

 今年の黄砂は例年にない規模だそうです。北京の上空も黄色に染まっているそうです。当然、西安、上海も悩まされていることでしょう。

 一昨日は晴天が訪れたので、お花見、としゃれ込みまた。いずれのところも7、8分咲きでしたが、「今年も晴天下に咲き誇る桜に出会えた。ありがとう」と、心から感謝しました。願わくは、あと4,5年、よろしくお願いいたします。

2023年3月2 3 日     ヌートバーの母親   

 家の近くの関越道路に乗って30分ほど走るとそこは埼玉県東松山市です。森林公園もあり、その隣に中沢家の墓地もあります。遠からず、そこは私の永遠の居住地になるでしょう。その東松山市がWBCの野球で大活躍した一選手のポスターや看板を掲げて大賑わいしています。そのポスターは今回の野球で絶えず一番打者を務めた日系人のヌートバーです。何故なら、彼の母親、久美子さんは埼玉県立東松山女子高を卒業した日本人女性だったのです。小柄な久美子さんは実に大柄なアメリカ人男性と結婚しました。どういう経緯でそうなったかはいずれ詳らかになっていくでしょうが、とにかく、小柄な日本人女性は大男と結婚し、父親似のヌートバーを出産、野球選手に育て上げたのです。大変なご苦労があったはずです。でも、報われました。世界に冠たる野球選手になったのですから。東松山市が市を上げて久美子さん一家を褒め称え、偉大な選手ヌートバーを祭り上げているのは、何とも微笑ましい限りでした。  

 *たまたま、3時のお茶の時、テレビを付けたら、日本選手団を乗せたマイアミからの日航特別機が到着したところでした。選手団の先頭は栗山監督でしたが、大谷、ヌートバー、ダルヴィッシュ、佐々木などのメジャー組の姿がありません。「そうか、シーズン中なので凱旋帰国が叶わなかったか」と落胆してしまいました。せめて、一週間の休暇を与える度量がアメリカにあったならなあ、とアメリカメージャーに対する恨みは骨髄に達してしまいました。

2023年3月2 2 日      薄氷の勝利   

 WBCの準決勝は対メキシコ戦。9回裏、日本は4対5で負けています。多くの日本人は「もはやこれまで」と思ったのではないでしょうか。ところがです。この最終回に劇的場面が繰り広げられました。先ず、先頭のヌートヴァが倒れましたが、二番手の大谷が出塁しました。三番手も続きました。そして四番打者の村上。彼は鳴り物入りで侍ジャパンに加えられた若手ナンバーワンの選手ですが、このところ、三振の山を築いていました。それでも栗山監督は彼を信じて送り出したのです。その彼が、最後のところで2塁打を放ち、二人が生還し、6X対5で勝利したのです。勝ちを疑わなかったメキシコの落胆ぶりはどんなだったでしょう。逆に日本国中が喜びに溢れました。最後の最後に二塁打を放って日本の勝利を導いた村上は、全員からもみくちゃにされていました。ここは不調の彼を最後まで使った栗山監督の慧眼を讃えるべきでしょう。

 この文章を書き終わった頃、日本時間午前8時から始まったアメリカとの決勝戦で日本が3対2で勝利した、というニュースが飛び込んできました。侍ジャパンが世界一となったのです。嬉しいではありませんか。世界に冠たるアメリカの野球を日本が破ったのです。嬉しい、嬉しい、嬉しい、、、、、。

2023年3月21日      極秘会談   

 中国の国家主席習近平がロシアを訪問し、プーチンと極秘会談を重ねています。停戦か、それとも戦線拡大か、核の使用が始まるのか? 世界は固唾を飲んで二人の動向を見守っています。ヨーロッパのほとんどの国がNATOに加盟し、兄弟同様だっウクライナにもロシアに敵対する勢力が生まれ、その結果、孤立化するロシアの心情を思えば、戦争の開始も分らなくはありません。しかし、戦争は人間同士の果てしない殺し合いです。どれだけ、無辜な人間が歯がみしながら死んでいったことか! その責任は20年以上に亘って独裁者で在り続ける元秘密警察員あがりのプーチンのせいでもあります。

 恐らく習近平はそのすべてを承知した上でのモスクワ訪問であるでしょう。まかり間違っても、中国からロシアへ武器弾薬その他を贈る約束などしないで貰いたい。ウクライナのゼレンスキー大統領ともネット会談をするそうですが、いきり立って殺し合いをしている両国を宥め、双方の言い分をそれぞれ斟酌しながら、停戦協定にまで進むことができたなら、世界は習近平を賞賛するでしょう。中国の株が一挙にあがること請け合いです。さてさて、どうなりますか。

2023年3月20日      半 目   

 昨日のNHK杯争奪囲碁決勝戦は、希に見る美事な戦いでした。連続して選手権者である一力遼と、若手の関航太郎との息詰まるような熱戦でした。結果は航太郎の半目勝ち。一力遼は3年間守ってきた座を明け渡しました。航太郎はまだ21歳の若者。実に精悍な顔をしています。太い眉毛、顔の真ん中に胡座を描いたような大きな鼻。女流の第一任者藤沢里菜と10代の天才仲邑菫、そして一力遼と関航太郎の四人は、四人だけの研究会を持ち、研鑽に励んでいます。目的は国際戦で「中国と韓国に勝つ」ためです。その効果が図らずもNHK杯で現れた、のです。囲碁の最高峰・棋聖戦の覇者として、連覇を成し遂げ、週間碁の一面見出しに「一力時代来たる」と書かれた一力遼は、関航太郎に半目負けを喫しましたが、悔しさ半分、嬉しさ半分ではなかったでしょうか。

 一時間半の勝負は手に汗する名勝負でした。従来の常識では計れない奇手の連続が盤面を飛び交いました。AIは終始関側に得点を与えていましたが、ある時点で一力80,関20となる瞬間も捉えていました。一力の不覚はその場面を捉えきれなかったことです。

 今日はこれから錦糸町で行われる仲間同士の囲碁の会へ行きます。従来にない斬新な手が打てるよう、気持ちを新たにして盤に向かう積もりです。帰りには大型書店によって、探しに探し求めている、「余りにロシア的な・亀山郁夫著」求めてきます。果たして新刊書欄にあるかどうか、、、、

 2023年3月1 9日     桜咲く   

 昨日は大雨でしたが、今日は快晴。桜が咲き始めました。千川通りの桜も、光が丘の桜も、練馬中学校門の三本の老木も、石神井川の数十本の桜も三部咲きです。馴染みの公園の愛する桜も、今日は青空の下、輝いていました。今年も桜を観ることができた幸せを噛みしめ、感謝の祈りを捧げました。猫額のベランダから毎日観ている洋梨の枝先も心なしか膨らんで来ています。猫額の玄関脇の庭のキウイの枝先も膨らんでいます。日本ならでは春の到来です。

 ハワイと同じ緯度上に位置するタイ・チェンマイではこういった季節上の変化はありません。乾期と雨期があるだけです。冬の間滞在していた森の中の一軒家にはベランダがあって、朝、そこに出ていると、木の間隠れに太陽が昇ってきます。それも、7色の光線を放ちながら厳かに上ってくるのです。飽きずに眺めていました。一年を通じて半袖いられるところと、四季が如実に存在する国と、どちらがいいか?答えに窮する問題です。

 「願わくは花ノ元にて春死なんこのモチ月の如月の頃」西行法師

   2023年3月18日     煉瓦亭   

 銀座四丁目角の和光の裏に煉瓦亭という旧い洋食屋があります。独特のオムライスを出すことでも有名な老舗です。この店の息子が読売新聞の販売局員で、我々と同じ外勤の担当員でした。一緒の区域を担当していた頃、各社の担当社員の定期的会合で、しばしばこのお店を使わせて貰うことがありました。一般の食堂の二階には旧い調度品に囲まれた会議室などもありました。噂に寄れば、親父の死後、この店を引き継ぐためにくだんの彼は、読売を退社したそうです。

 韓国の大統領ユンソンニョルさんが、奥さん共々初来日しました。懸案だった徴用工問題について、日本には負担をかけず、韓国財界からの寄付金でなんとかする、という新しい考え方を携えての来日です。岸田総理との初会合が開かれました。その夜、岸田総理は二軒目の食事処にこの煉瓦亭を選びました。そしてオムライスを注文し、二人仲良く召し上がったそうです。なんとなれば、彼の大好物がオムライスであることを聞き及んでいたからでありました。

 韓国前大統領の文在寅の、支持率を上げるための大がかりな嫌日運動は、今なお、韓国中にくすぶり続けています。日本の植民地であった頃の日本の悪政については学校の教科書にも書かれていて、若者達は日本について悪感情を抱きながら育っています。怨念の「怨」という字はこれから千年、韓国国民の感情の底流で在り続けるかも知れません。しかし、新大統領が現状の打開のため、奥さんを同伴して来日してのです。韓国経済の現実は、聞きしに勝る危機の中にあるようです。今度は日本の総理が韓国へ行く番です。現状を打開するための何らかの施策を日本側から韓国に提示する番です。岸田総理の英断を期待いたしましょう。

2023年 3 月17 日    時 差

 侍ジャパンの大活躍で日本中が沸き返っています。とうとう、イタリアを破って準決勝まで進みました。あと、2勝すれば世界一となります。その2試合は東京ドームで行われるとばかり思っていたら、違いました。アメリカのマイアミで行われるそうです。東京とマイアミ、約12時間の時差があります。昼と夜が逆になります。どんなに頑強な体力の持ち主でも体力に狂いが生じます。なぜ、準決勝、決勝の試合を日本で連続してできなかったのでしょうか? 会場の変更は、それを狙ったアメリカの策謀の匂いがフンプンとしています。

 時差ほど苦しいものはありません。アメリカへは二度行きましたが、その度に時差に苦しみました。一度目は日本新聞協会加盟新聞社派遣のアメリカICBMの総会に参加するため、8名の団長としてニューヨークへ行きました。ニューヨークタイムズ社を表敬訪問し、寝不足のまま、しどろもどろで英語で挨拶をしました。どうしても眠れず、ホリデイインのフロントで医者を呼んで貰い、薬を処方して貰いました。

 二度目は新聞奨学生40名を連れてのニューヨク、ワシントン、マイアミでした。あらかじめ、ハルシオンという薬を持参し、お世話になりました。アメリカのみならずヨーロッパの時も時差に苦しみました。イタリア、ドイツ、オーストリア、フランス、ポーランド、、、、、

 快進撃を続けてきた「侍ジャパン」の選手諸君も、キット時差に苦しめられるでしょう。時差のため、快進撃もこれまで、となるような気がしてなりません。

2023年 3 月1 6 日    マスク

 近くのコンビニへ固定資産税の納付に行ったところ、入り口に大書されていた「マスクを着用して入店してください」の張り紙がなくなっていました。でも、長い間の習慣で、着用して入店しました。思えばタイチェンマイではマスクをしている人はマレでした。空港でも機内でもマレでした。漸く、我が国でも数日前からマスクの着用義務がとかれ、自由となりました。世界を見回しても、最も遅い国になったようです。

 今日の天声人語にはマスク解禁についての、数々の短歌が引き合いに出されていました。面白かったので再録させていただきましょう。

  「去年今年出会い人にまだ顔の下半分は見せてはいない」

  「せめてもの口紅だけが武器だったコロナ禍のわれ丸腰でござる」

  「焼香はなく礼拝のみ故人だけがマスクを付けず写真に笑まう」

  「使い捨てマスクなれども丁寧に洗ひ青葉の風に干したり」

   「人類はパンツをはいた猿でありマスクをつけた猿ともなった」

 さて、私はどうするか?マスクを付けた猿の一匹で在り続けます。i

 (道行く人々が、ほとんどの人々がマスクを付けています。忘れていました。今、正に花粉症の季節だからです。今年のスギ花粉は異常に舞っているようです)

2023年 3 月1 5 日    大江健三郎

 大江健三郎さんが死去しました。享年88歳。私と同時代の作家、文学者でありました。更に、ノーベル賞まで受賞している高名な方でありましたが、何故か、この人の作品を一冊を除いて読んだことがありません。理由は、文体が難解で、読み返し、読み返ししても頭に入ってこないからでもありました。彼の奥さんのゆかりさんは映画監督として名を馳せた伊丹十三の妹。伊丹十三は、ある日、ビルの高層階から飛び降りて自殺を遂げています。その血を受け継いだせいか、一人息子の光さんは障害児でもありました。唯一、音楽に秀で、現在も作曲家として活躍中であるとか。父親の彼に対する溺愛ぶりは尋常では無く、彼について書くエッセイは私をして痛く感動させました。娘さんも二人いて、幸い、普通の人として会社勤めをしているようです。

 難解な文体で知られる文学者に埴谷雄高がいます。私の書庫には彼の全集が揃っています。その横には三島由紀夫のほとんどの作品が並んでいます。なぜか、大江健三郎の著作はありません。読んだ一冊はどこかに紛れ込んでいるでしょう。と言うことは、大江健三郎は私の理解を遙かに超える作家・文学者であったのでしょう。でなければ、ノーベル賞を貰うはずはありません。今からでも読もうか? 残念ながらその気力はもうありません。偉大な作家・文学者であった大江健三郎は、私にとって障害児光さんの父親としてのみ存在して、幽明境を異にしてしまいました。ご冥福を祈ります。

2023年 3 月1 4日     検 疫

 2月16日羽田発0時20分のバンコック行きに搭乗する際、コロナの検疫は何も無く、バンコクでもチェンマイでも素通りできました。ところが帰りの場合は厳格でした。チェンマイでのチェックインの時、英文で書かれたワクチン接種証明書の提示を求められました。練馬区役所に二日に亘って通い、発行して貰い手提げバックに大事に入れたその書類が出てきません。焦りました。それがなければチェックインはできない、とカウンターの女性係員は厳然と言うのです。大勢の人が後ろから冷ややかに見ています。列を離れ、スーツケースを開けて探しました。見つかりません。ところが、私の手提げバックを探っていた堀田さんが「あった!」と言って取り出してくれました。ビニールの袋に入れたくだんの書類は、袋が必要となりむき出しのままになっていたのでした。私はビニールの袋に入っているものと、堅く信じていたことによる錯覚でした。歳はとりたくないなあ、とシミジミ思いました。もし、堀田さんが見つけてくれなければ、エラいことになっていたでしょう。

 バンコックを40分遅れで出発したタイ航空は11時を回って羽田に到着しました。長い通路を歩かされていると、スマホをかざした係員が1メートルおきに50人余り、乗客に向かって何やら叫んでいます。「あれだな」と思いました。幸いなことに堀田さんの指示により、我がスマホには接種証明があらかじめ入れてあります。無事通過しました。堀田さんのお陰でした。ところが預けたスーツケースがなかなか出てきません。ヤット出てきて税関を通る頃、場内に人影は無く、掃除の人たちが入ってきていました。最後の10人の乗客の一人となって、ヤット解放されたはいいが、リムジンバスはもうありません。電車もありません。大勢の列に並んでタクシーで自宅まで帰ってきました。14000円余りのタクシー代はタイ航空に請求するつもりです。

2023年 3 月1 3日     一力遼時代来たる

 東北宮城県の「河北新報」は、碁会で今をときめく一力遼の曾祖父一力次郎が興した日刊新聞です。孫の一力一夫が、社長を引き継いでいますが、弟の一力英夫は朝日新聞販売局で二年上の先輩でした。彼が販売部長の時、次長で仕えたこともあります。彼が亡くなったとき、彼の引きで朝日に中途入社した宮内繁さんと、宮沢恭人君と三人が発起人となり、盛大な「偲ぶ会」をプレスセンターで挙行しました。宮沢君と私は日本棋院四段の腕前で、一力さんは囲碁には関心がなかったものの、甥っ子の一力遼君については、関心が深く、「面倒を見てやってくれ」といつも言われ続けていました。

 その一力遼君が今回の棋聖戦7番勝負で芝野虎丸に四勝し、防衛を果たした、と報じられました。週間碁の一面は「一力時代来たる!」の大見出しとなっていました。ついに囲碁界の頂点に立ったのです。地下に眠るおじいさんも、英夫さんも、キット、泣いて喜んでいるいることでしょう。私自身も、「一力家には何かがある」と思わせられてきましたが、囲碁の世界でそれが現れるとは、思ってもみませんでした。

 賞金は4500万円。二期連続ですから9000万円。そのほか、河北新報社の新聞記者も兼務していますから、26歳の彼の収入は既に一億を越えるでしょう。それはさておき、囲碁界における一力時代を更に築き上げていって貰いたいものだ、と願っています。

 2023年 3 月 12日    チェンマイ雜景 

2023年3月11日    ダルビッシュ有

 大阪生まれのダルビッシュ有はイラン人の父親と日本人の母親とのの間に生まれた混血児です。36歳。侍ジャパンの中では最年長です。ここの投手の快投のお陰で、問題の韓国戦は14対3で快勝することができました。韓国の悔しがりようと言ったら目も当てられないほどでした。何となれば、日本にだけは負けたくない、という韓国の国民性の然らしめる所以のせいでありましょう。

 前大統領だった文在寅は、北朝鮮や中国との懐柔政策を勝手に取極めめ、脱アメリカを図り、ノージャパン運動を国を挙げて展開させましたた。その名残は今も根強く残っていて、その結果、経済は極端に落ち込み現政権はアップアップの状態です。

 何故、韓国ではノージャパン運動が盛んなのか?それは、ねつ造された、事実とは大違いの小学校、中学校の教科書のせいでもあるでしょうう。確かに大昔、韓国をさげすむ風潮がありました。一方、韓国のインフラの整備は日本がしました。しかし、今の日本の風潮は「それほど日本が嫌いならば、どうぞお構いなく」と突き放している感じです。

 一昔前、日本の女性という女性は韓国製の「冬のソナタ」のような恋愛ものに首ったけとなり、ソウルの明洞が日本人女性で溢れかえっていました。懐かしい限りです。

2023年3月10日    大谷翔平

 WBCが始まりました。緒戦は中国戦です。8対1で日本は快勝しました。大谷翔平が大活躍したお陰です。中国は野球は強くはない相手ではありますが、それにしても大谷翔平の投打における活躍は美事でした。

 今日の相手は韓国。日本には歯をむき出して全力でかかってくる相手です。死に物狂いの戦いとなるでしょう。今日の投手はかの有名なダルビッシュ有。大谷に負けず劣らずの戦いが予想されますが、決して油断はできません。壮烈な試合展開になること必須です。日本中が固唾を飲んで見守ることでしょう。

 明日の3月11日は三陸沖の大地震・大津波の記念日。今もって尚、大勢の行方不明者がいるのです。それにしても、東京の昨日今日の暖かさはどうでしょう。玄関脇の梅の木は既に満開を通り越して散りかけています。この分では桜の開花を間近かかもしれません。そう思って馴染みの公園の桜を見に行きました。しかし、蕾みも膨らんでいず、まだまだの感じでした。

 一方、困ったのは帰郷と同時に始まった目の痒みです。花粉症の季節の到来です。今年は例年にない量の花粉が飛び交う、というご託宣です。タイ・チェンマイでは樹木が生い茂ってはいても、杉の木は一本もありませんでした。従って、花粉症は皆無。来年は、できることなら2月から5月末まで、向こうに滞在しようか、と考えているところです。すると、桜の季節に会えずじまいになってしまいます。はて、どうしたものでしょう。

2023年3月6日    チェンマイ・コロナ事情

 2月16日の夜行便でバンコックへ着きました。国内便に乗り換えるため、だだっ広いスワンナブーム空港の端から端まで歩かさせられましたが、行き交う人々のほとんどはファラン(ヨーロッパ人)で、全員が全員ともマスクをしていません。一時間ほどでチェンマイ空港に降り立ちました。賑わう空港でも、マスクをしている人をほとんど見かけません。山岳民族の学校へ行きました。生徒は誰一人としてマスクをしていません。人、人、人で賑わう夜のバザールでも、マスクを付けている人はまばらです。なぜだろう?と考え込んでしまいました。

 思えば三年前の3月6日、中国で、質の悪い伝染病が流行りだした、という噂が立ったころ、家財を整理して、森の中の一軒家を返上し、帰京しましたが、それから旬日ならずして、チェンマイは出ることも入ることもできなくなったのでした。

 思うに、この三年の間に、ほとんどのチェンマイの人々はコロナに罹り、回復したが故に、昔の賑わいが戻ったのではありますまいか?温暖この上もない気候のご当地であってみれば、一家で一人でも感染者がでれば、家族全員が罹ってしまうのは家庭環境から考えて,極く自然な成り行きです。そうだ、それに違いない、と思うことにしました。

 不思議だったのは、町ゆく人々の中で、中国人を見かけることが稀だったことです。

 幸い、私自身は、4回のワクチンを接種したおかげでしょうか、今日までご当地での滞在は三週間目を迎えていますが、体調に異常はありません。滞在しているホテルは、旅行会社も経営する妙齢の婦人メグさんの長期滞在型のホテルですが、5階の窓の外は、鬱蒼とした緑が広がり、木々の梢ではリスが飛び回り、名も知れぬ鳥たちが飛び交っています。気温は毎日26度前後、ホテルの前は飲食店や、スーパートップスがあって、衣食に不自由はありません。朝から晩まで半袖暮らし。毎日、「ここは天国」と感じながら、異次元の世界を楽しんできました。それも明日で終わり。明後日8日は帰国の日です。下の写真は、三週間滞在したダメグさんが経営するホテル「愛」の5階のベランダからの写真です。朝食バイキング付きで合計金額は12000バーツ。約5万円。一泊当たり、何と2400円! 

2023年3月3日  キーボードとピアニカと      

 今日は東京から重い思いをして運び込んだヤマハのキーボードと、三年前に来たとき小さな子供に約束したピアニカを、車に積んで、山また山を堀田さんの運転で乗り越え、少数民族・カレン族の学校へ届けに行きました。子供の母親は村役場に勤める若い母親で、すでに、三歳の可愛い女の子も生まれていました。きっと、この子も、ピアニカに慣れ親しむでしょう。彼女はチェンマイにご夫婦で長期う滞在している順子さんという女性に日本語を習っているおかげで、日本語は達者です。教えている順子さんは月に2,3回、ソンテウに乗ってこの山奥まで来て日本語を教えているというからこれもまた美談であります。

 キーボードは堀田さんによってが綺麗に包まれ、タイと日本の国旗が飾られていました。学校側の受取人は美人の先生でしたが、キーボードはできますか、と聞いたら、できます、というので、包みを開いて、キーボードを組み立て、さあ、弾いてみてください、と言ったら、彼女は鍵盤に触れながら「ドの音はどれですか?」というので「ぎゃふん」となりました。それでは、と私がキーボードの前に座って2,3曲弾きました。先生方は唖然としていました。はるばると東京から持参したキーボード、これからどんな運命をたどるのでしょうか?少数民族であるカレン族の子供たちの音楽への関心が高まってくれることを、心から祈りました。

 昼食はピアニカを差し上げた彼女の母親の家に用意されていました。車座になって珍しいカレン族の食べ物をいただきました。彼女の母親が、ふと、讃美歌を口ずさみました。讃美歌は世界共通です。そこへ、大柄なカレン族の長老が讃美歌集をもって加わりました。私が低音を受け持ち、期せずして讃美歌の大合唱となりました。聞けば、このカレン族の集落には教会が二つもあるとのこと。驚きでした。

 

 

2023年3月1日    植物園と蜂蜜と      

 今日はチェンマイ植物園へ行って、東京から持参した奇妙な植物の死骸を埋葬する日です。三年前に植物園で出会い、その面白さゆえにその三つを購入し、スーツケースの底に忍ばせて持ち帰り、練馬の我が家の二階の軒につるし、朝夕、慣れ親しんできました。軒に吊り下げただけで生きていたのでしたが、やがて息をしなくなってしまいました。東京のごみ箱に捨てるに忍びず、チェンマイの植物園の土に戻してやろう、スーツケースに入れてきました。今日が土に戻すその日なのです。

 ところが、堀田さん運転の車は、チェンマイの街を北上してゆきます。王室植物園はチェンマイの南外れに位置します。たまりかねてそれを言うと、何と、堀田さんは南の王室植物園を知らなかったのです。

 同じチェンマイの土なのだから勘弁してもらおう、と同じ王室の王女が建てた「シリキット王女森林公園」の頂上付近の水場の芝生の土の中に彼らを埋葬しました。彼らの深いため息を聞いたように思いました。

 山を降り、ふもと近くの「はちみつ屋」に寄りました。チェンマイでは有名なお店で、来るたびの寄らせてもらってきました。蜂蜜は偽物が多いといわれています。東京のスーパーで売られている蜂蜜は、そのすべてが不純物だと言ってよいそうです。チェンマイは花の街です。年がら年中花が咲いています。蜂たちにとっての天国でしょう。偽物が横行する道理はありません。

 東京での私の朝食には、メープルシロップ、蜂蜜入りのR1ヨーグルトが欠かせません。ならば、この時とばかり一万円分の蜂蜜を購入してしまいました。中には、巣に入ったものまで買ってしまいました。

 

 

 2023年2月28日   続・魔の三角地帯      

 (悪戦苦闘の末、どうやら、入力と保存ができるようになりました)22日は、いよいよ山奥の少数民族(モン族)の小学校へ向かいました。ビルマの奥から流れてきて、メコン川に注ぐオン川沿いに山道を遡るのです。途中、実弾射撃場がありました。ピストルとライフルが置いてありました。近くの的を狙って引き金を引くのですが、ドデカい音と強烈な反動はあっても、的に命中しません。何度やっても同じこと。自分には兵隊は無理だ、と悟りました。道は、その辺までが人家の限界となり、その後は急峻の上り下り、一歩、間違えば遥か下を流れるオン川に転落です。対向車があるとヒア汗ものでした。最終の人家から一時間ほど経ったころ、突然辺りが開けました。モン族の小学校です。教頭先生他、生徒たちが迎えてくれました。モン族の部落はこの先の谷合に点在している、とのことでした。

 生徒数約300人、先生の数30人。今日は埼玉県の慈善団体が寄付した数百万円を使って古びた学校の設備を新しくすることができた、その感謝の会が催されるのでした。その一切を、タイにいて取り仕切ったのが畏友堀田さん。今日はその堀田さんのお陰で、私は埼玉県の慈善団体の会長さん代理で、一言、挨拶させられるのです。

 埼玉県の慈善団体とタイの少数民族の学校とは、数十年前から深いつながりができていて、パイの小学校に校舎を寄付したり、運動場を作ってやったり、優秀な生徒には奨学金を出したり、日本の大学留学を支援したりしています。堀田さんはその団体の現地駐在員として、八面六臂の活躍をしているのです。つられて私も、日本からキーボードを担いできて、小学校や教会に差し上げることを始めてしまいました。今回も担いできたキーボードを寄贈することになっています。堀田さんの日程によれば、その日は3月4日とのこと。

 さて、校内の一角には100人余りの生徒がコンクリートの床に座って我々を待ち受けていました。恰幅の良い校長先生のあいさつの後、堀田さんが日本の地図を持ち出し、日本国をひとしきり説明した後、私の番になりました。彼らは日本語も英語もわかりません。私もタイ語はしゃべれません。幸い、堀田さんがタイ語で通訳してくれます。

 開口一番、自己紹介しました。そして、とっさに「私の名前はドラえもん、日本のドラえもんです。私の奥さんの名前はシズカちゃん。そして、カメラを撮っていた、堀田さんの知り合いの同乗者の女性を指さしました。女性は驚いた顔をしてくれました。会場全体が笑いに包まれました。

 数人の生徒との座談会がありました。困っていることに洗濯機のことが出てきました。寄宿者が大勢いるのに電気洗濯機は3台しかなく、一台は先生専用、一台は故障して使い物にならない、最後の一台を奪い合って使っているとのこと。校内を回ってみると、二段ベットの女子生徒専用の粗末な部屋が四つも五つもありました。

 帰り道、考えました。故障した洗濯機を、もし、ドラえもんが見たらどうするだろうか?と。私はこの日、ふとした思い付きで会場の笑いを取ろうとドラえもんを名乗った。ならば、私は生徒たちにとってドラえもんでなければならない、、、、、

 車はチェンライの街に戻りました。夕暮れが迫るなか、車を大型電気店につけてもらいました。旧式ではありましたが、超大型の乾燥機付き洗濯機を8000バーツで購入しました。洗濯機のわきにドラえもんのシールを張り付けてもらい、この洗濯機は明日3月1日、山奥の学校に運ばれます。

2023年2月24日   魔の三角地帯      

 21日朝、畏友堀田さんがチャーターした6人乗りの車に4人が乗って、チェンマイの姉妹都市チェンライに向かいました。そのチェンライから更に北上すると、そこはタイ国の行きどまりで、雄大なメコン川を境に、向こう岸はラオス、左側はミャンマーです。その先は行きどまりで、わずかに少数民族が住んでいて「ケシ」の花を栽培し、それによって生計を立てていました。俗に「魔の三角地帯」と呼ばれ、更に、10年ほど前に来たときは、それぞれの国ごとに巨大なビルが建っていて、ルーレットなどの博打場になっていました。また、遊覧船に乗って向こう岸のラオスに渡ることができ、そこにはテント張りのマーケットがあって、おそらく、偽物でありましょうがブランド品など、珍しい買い物ができました。でも、今回びっくりしたのは、タイのビルはすでになく、ミャンマーのビルは赤い屋根の普通の家屋に変わっていました。向かい岸のラオスだけに数十のビルが林立し、都会の様相を示していました。変わらないのはメコンの流れで、不透明な水が音を立てて流れていました。

 この日はメコン川の遊覧船に乗り、恐らく今生の最後となるだろう景観を存分にマナコに焼き付けた後、ミャンマーと国境を接して栄えて栄えているメイサイへ向かいました。相変わらず国境に架かる橋の周辺はごった返ししていました。途中、三車線の道路の両脇に木立に囲まれ、ひろびろとした 屋敷が立ち並ぶ一角を通りました。「ならば、すぐ住みたい、天国のようなところだ」と、前回、感想文に記したところです。いやー、懐かしかったところです。この日はチェンライのホテルに宿をとりました。(ここまで書いたところで、またまた、不具合が生じ、継続が不可能となりました。書いた文章の保存が効かなくなったのです。土日をやリ過ごして、月曜日一番に東京に電話を入れ、お助け女神の松坂さんのお声に接しました。何のことはない「保存」の欄は別のところに現れていました。

 ところが、またまたの不具合発生! 

023年2月20日   パソコン(2)      

 やっと、パソコンにウインドウズ10を入れることができましたが、まだ、本格稼働ができずにいます。

2023年2月15日   パソコン      

 海外も含めて旅に出るときは、小型のパソコンを持ち歩いているのですが、コロナ禍のため、3年間使わずにいたら、「ウインドウ・セブン」は使い物にならなくなっていました。いつものPCデポに持ち込んだのでしたが、多数の不備が指摘され修復不能と言われたのです。それならチェンマイの電気街へ持って行ってやってもらうことにし、スーツケースに入れました。もし、向こうでも新しいバージョンが入らなかったら、「私のホームページ」は3月8日まで休業とさせていただきます。向こうで待っている畏友堀田さんは、パソコンを含めて何事にも造詣の深い方なので期待しています。では。

2023年2月14日    奇妙な植物      

 タイ・チェンマイには、それはそれは美事な植物園があります。ありとあらゆるランが咲き乱れる一角があるかと思えば、熱帯でなければ存在できない奇妙奇天烈な植物のコーナーもあります。園内を一周する乗り合いバスに乗って、気に入ったところで止まってもらい、心ゆくまで花や植物と時を過ごすのですが、ある一角で奇妙な植物を見つけました。空中に銀色の根を生やして,丸い松ぼっくりの親戚のような実を養っているのです。土も水も肥料もいらないようなのです。同じようなものは沖縄にもありましたが、タイのそれは、似てはいるものの違っていました。同じものが園内の売店でも売られていたではありませんか。一つ15バーツ。三つ買い求めて、密かにスーツケースにしのばせ、東京へ持ってきました。二階の仕事場の軒につるして、朝夕眺めていました。奇妙に心が安まりました。<♫あれは三年前♫>日本の寒さに耐えられなくなったのか、次第に全体が色あせ、とうとう息をしなくなったようです。

 今回、三つの植物の遺体を軒から外し、タイ・チェンマイへ持って行くスーツケースに忍ばせました。あの植物園へ持って行って、ふるさとの土に戻してやるつもりです。

 2023年2月13日   キーボード     

 タイ・チェンマイへ行く日が迫ってきました。今まで、行く度ごとにチェンマイの奥地で、ひっそりと暮らしている少数民族の小学校や教会へ、日本のキーボードを持参して寄贈してきました。訪問する学校の選択は、現地で活躍中の畏友堀田さんに任せ、かねて購入した日産マーチに積み込んで運びました。少数民族の学校では大歓迎され、幼気な小学生の群舞で迎えられたり、生徒が育てた野菜や鶏の卵を貰ったりしてきました。純朴な少数民族の子供達は珍しいキーボードの音色にいたく関心を示し、喜んで貰えました。子供達の喜びは私たちの喜びでもあります。取るに足りないこととはいえ、この無償の行為は病みつきにもなりました。

 さて、出発が明後日に迫った今回はどうするか?寄る年波のゆえか、億劫になりつつもありました。しかし、あるところでヤマハの優れたキーボードが格安の値段で売られていました。これを逃してなるものか、ごく自然に買ってしまいました。また、コロナ禍が始まった頃の3年前、僻地の少女に「今度来るときはピアニカを持ってくるからね」と約束したことも脳裏をかすめました。約束は果たさねばなりません。「アマゾン」から質の良い新品を求め、スーツケースへ入れました。

 それもこれも、日本を出てタイ・少数民族の子供達の日本留学に骨身を惜しまず尽力している畏友堀田さんなかりせば、起きなかったことです。明後日の15日は池袋メトロポリタンホテルからのリムジンで、羽田真夜中発のタイ航空でヤマハのキーボードとピアニカと共にタイ・チェンマイに向かいます。

 2023年2月12日     紀元節   

 そういえば昨日11日は昔の紀元節の旗日でした。紀元節の歌、今でも忘れずに歌うことができます。「♫雲に聳ゆる高千穂の高嶺下ろしに草も木もなびき伏しけん大御代を仰ぐけふこそ楽しけれ♫」

 男性はカーキ色の国民服を着、戦闘帽をかぶり、足にはゲートルを巻き付け、至るところで敬礼を強要されていました。女性はモンペをはき、割烹着を着て、化粧は御法度、口紅でも付けようものなら、非国民呼ばわりされていました。天長節も国旗掲揚を強いられました。「♫今日の良き日は大儀見の生まれ賜いし良き日なり♫」昭和一六年一二月八日に勃発した太平洋戦争は、次第に敗色が濃厚を極め「♫海ゆかば、水付く屍、山行かば、草むす屍♫」となり「オオギミノ辺にこそ死なめ顧みはせじ♫」で敗戦となりました。よくよく歴史を回顧すれば、強国ロシアを相手に戦って勝利した日露戦争に端を発しています。乃木希典提督をいただいてバルチック艦隊を殲滅させました。富国強兵が叫ばれ神の国日本は八紘一宇、大東亜共栄圏を旗印にして近隣諸国に迷惑をかけました。その、事の起こりが2月11日の紀元節にあったのです。

 いまの日本国は雑誌も新聞もそのことに触れようとはしません。ロシアのウクライナ侵攻に劣らない身勝手な戦争を多としてきたのが、我々の国「日本」なのです。この気持ちは、幼少期を通じて戦争のつらさ、疎ましさのただ中にあった我々の世代が持ち続けてきたものではあっても、日本国民たる者すべてが、日本という国はアジアの近隣諸国に多大の損害と迷惑をかけた国であることを思い起こさねばなりません。その日が昨日であったことを改めて思い起こしましょう。

 2023年2月11日     日銀総裁   

 昨日は朝から雪もよいで、銀世界が広がっていましたが、夕方からは雨になりました。光が丘まで車で買い物に出ましたが、道路はぐしゃぐしゃ、これが凍ったらエライ騒ぎになるだろうな、と思いながら今朝起きてみてビックリ仰天、道路にも、屋根にも雪のかけらもないのです。夕べの内に蒸発してしまったようなのです。そして、雲一つない青空が広がり、朝日が燦々と輝いているのです。天候の素早い変化にはスッカリ驚いてしまいました。

 今朝の一面トップは日銀総裁の人事でした。辞めない、と固執していた黒田総裁の交代です。後任は現在共立大学教授の植田和男(71歳)です。この方は元日銀の審議委員ではありましたが学者です。これまでの歴史の中で学者が日銀総裁になったことがあったでしょうか?ありませんでした。この人事は画期的なものと言わざるを得ません。

 前任の黒田総裁は「安倍のミックス」という超低金利政策を頑なにまで採り続けてきました。お陰で、銀行は利息による収入の道が閉ざされました。加えて、高齢化が進んでいる日本では銀行からお金を借りて新しい事業をしようという活力が、既になくなっていました。貸し出し金利の道を閉ざされた日本の銀行は青息、吐息状態になりました。銀行は単なる金銭の出し入れの場だけの存在となりました。私が家やアパートを建てるためにお世話になった練馬のリソナ銀行は、当時の賑わいは全く失せ、人員も減り、いつ行っても女子行員が手持ち無沙汰の状態でした。その上、円安が加速され、外国人観光客で日本は賑わっても、外国へ行く人々にとってはエライ迷惑な話です。願わくは、新任の植田総裁におかれましては「くろだより上だ」という政策をとって貰いたいものです。

2023年2月10日      雪が降る

 いま、雪が降っています。朝起きたときは、粉雪が舞う程度でしたが今は屋根に2センチほど積もり始めています。恐らく、関東平野全域が雪に見舞われているでしょう。日本列島の半分は豪雪、半分は晴天という天の配剤の不公平さを嘆いているに違いない北国の人たちの胸の内も、少しは収まるのではないでしょうか?

 粉雪が牡丹雪に変わりはじめました。新聞による積雪予想では、東京は3センチとありましたが、どうなるのでしょう?

 今の天気、全国的にはどうなっているか、調べてみました。雪の降っているところは仙台、東京、大阪、広島です。札幌、釧路は気温はマイナスですが快晴です。名古屋、福岡、高知は気温は高いが雨。那覇も22度で雨。福島・浜通りはどうなっているでしょう。予報では今日の夜から中通り、浜通りが大雪の見込み、となっています。果たして、浜通り海沿いに位置する双葉原発の上にも雪が積もるのでしょうか?

2023年2月9日      フィリピンとオレオレ詐欺

 これまで海外旅行にしばしば行かせて貰ってきましたが、近隣諸国で行ってないのはフィリピンです。数十年前、海外旅行が流行し始め、朝日新聞もそれに乗じて「朝日旅行」という子会社を設立し、販売局の傘下となり、先輩の柳沢さんが社長に出向し、海外団体旅行を鳴り物入りで宣伝し始めました。目玉はフィリピンのゼブ島でしたが、その企画は大当たりして、押すな押すなの盛況となりました。中沢もどうだ?と柳沢さんから勧められもしましたが、なぜか、私はフィリピンには行きたいとは思わなかったのです。時、あたかもマルコス夫妻の全盛期で、千足の婦人靴を見せびらかすマルコス夫人と、ゴミ捨て場に群がる極貧の庶民との格差が余りにアンバランスでありすぎ、興味が失せていたのです。庶民の間に蔓延していた麻薬については、ドテルテ大統領が大ナタを振るはしましたが、今もって興味は失せています。

 その、フィリピンの収容所に収監されていた日本人の4人の罪人が日本に帰ってきました。オレオレ詐欺や、強盗殺人事件を収容所に収監されていながら数多くのスマホや携帯電話を使って、貧しい日本人の若者を操り、約60億の不当利得を得ていた犯人達が次々に成田空港に降り立ったのです。テレビはその一部始終をこれでもか、とばかり放映しています。いずれも髭を生やし、丸々と太っていて、教養のかけらも無いような顔つきです。「その顔、もう見たくない」と思っても、テレビはどのチャンネルでもしつこく放映しています。ふてぶてしい嫌な顔です。

 オレオレ詐欺で奪われた高齢者達の虎の子の金、併せて60億余り、元のところに果たして戻るのでしょうか?それだけが興味津々です。

2023年2月8日      トルコ・シリア大地震

 10年前に日本の三陸沖で起きたのと同程度の大地震が、トルコとシリア国境付近で起きました。建物は崩壊し、五千人を超える人々が亡くなり。今なお瓦礫の下には犠牲者がいるそうです。トルコは昔から親日国で知られています。大昔、トルコの船が紀州灘で遭難したとき紀州の人々が死に物狂いで遭難救助に当たったことが、トルコ中に知れ渡り、爾来、トルコは親日国になりました。数年前、佐々木愛さん率い文化座がトルコ・イスタンブールに行って、公演したくらいです。悲報が入るやいなや、日本政府は救援隊を組織し、本日、現地に向けて出発します。何たる素早さでしょうか!

 地震の震源地はトルコのシリア寄り、カフラマンマラッシュ県だそうで気温は零下四度、かなりの積雪があるそうです。建物の崩壊は激しく、瓦礫の下にはかなりの生存者が寒さに震えているそうです。一刻も早い救援活動が望まれます。何しろ、瓦礫の下で飲まず食わずで生存できる限度は72時間までだ、と聞いたことがあります。

 震源地のカフラマンマラッシュの位置を確認するため地球儀を見ました。そして、ウヒャと驚きました。丁度、反対側に日本が位置しているのです。しかも太平洋紀州灘、昔、トルコの船が遭難した当たりがです。災害は連続して起きます。日本も南海トラフ地震の備えを急がなければならないでしょう。

2023年2月7日      驚天動地                                         恐らく、日本全国の今日の新聞の第一面はそうでしょう。僅か13歳10ヶ月の幼気な少女が、女流囲碁のタイトル戦に登場し、今を時めく上野阿佐美タイトル保持者に二勝一敗で勝ち越し勝利し、タイトルを奪取したことを報じているのです。朝日新聞にいたっては、社会面までこの仲邑菫ちゃんの関連記事で一杯です。これは前代未聞の快挙で在り、全国の囲碁ファンは驚きを隠せないでいるのではないでしょうか?

 この少女棋士については、この欄でも度々取り上げていますが、一力遼、藤沢玲奈、10代の少年棋士関航太郎の四人で開いている勉強会が実を結んだ、と言っていいでしょう。この4人の目的は、実は日本のタイトルを手中に収めるのが目的ではありません。国際線で中国、韓国に勝利することを目指しているのです。中国は強い、韓国も手強い。当初は日本の棋士藤沢秀行などが教えに行ったにも拘わらず、中国も韓国も国家的規模の囲碁学校を作り、才能ある者を国家が養成し、日本に立ち向かわせるようになったのです。したがって、いま、中国・韓国には天才的強者がゴロゴロしています。国際棋戦では、日本はいつも「出ると負け」を喫しているのです。その悔しさのあまり、一力、藤沢は若手の育成に力を入れだしたのです。その志の一端が仲邑菫をしてタイトル保持者に導いたのでしょう。陰ながら力を入れていた一力遼、藤沢玲奈のお陰でありましょう。二人にも拍手を送りましょう。

2023年2月6日      女性の進出                                          毎朝、朝日新聞が届くと、第一面の天声人語から読み始めるのが長い間の習慣です。学生時代からですから、かれこれ70年間ほどになるでしょう。今朝、読み始めてビックリしました。題材は政府の少子化対策に対する批判記事でしたが、明らかに「筆者は女性」と分る内容の捉え方と筆の運びでした。とうとう、ここまで来たか、と感慨無量でした。

 旧くは荒垣秀雄、入江徳郎、疋田桂一郎、深代淳郎、辰野和男、白井健作。最近は小池民男、高橋郁男、富永格、、、、いずれも視点の捉え方や、文章力には定評がありました。特に白井健作さんバイク乗りがお得意で、運転にも定評があったのですが、とあるとき,筑波山の近くの朝日販売店の前で事故を起こしました。たまたま、そこに居合わせた私は色々お手伝いして感謝されたことがあります。

 明らかに、この文章は女性が書いたものだ、と分る天声人語!時代は変わってきているのだなあ、と感慨無量となりました。紙を媒体とする情報伝達手段は、廃れに廃れつつあるのが現状です。今に、新聞社や雑誌社は女性ばかりになるような気がしてなりません。

2023年2月5日      値上がり                                          この3、4日、パソコンにかじり付いて、タイ・チェンマイ行きの航空券の検索をしていました。もう3年前になりますか、コロナ禍が始まった頃、1月の下旬から3月の上旬にかけて行きましたが、そのときの航空券は往復で7万円程度でした。勿論、タイ国の国営「タイ航空」のチケットです。バンコックまで約5時間、国内便に乗り換えて1時間弱でチェンマイ到着です。チェンマイはハワイと同じ緯度上に位置しているため、洗面所に入って半袖シャツに着替えたものです。

 いろいろ探しまくりましたがどこの航空会社のチケットも物凄い値上がりです。従来の倍近くの値段です。比較的廉かったのはキャセイパシフィックでしたが、、行き帰り香港に寄って6時間以上待たされます。しかも、空港は成田発着です。悪戦苦闘の末、タイ航空の夜行便を見つけました。羽田0時20発、バンコック乗り換えでチェンマイ午前7時到着。帰りはチェンマイ発午前11時、羽田着午後10時。その日のうちに自宅へ戻れます。値段は12万5000円也。昔に比べて倍近い値上がりです。それもこれも戦争の影響でしょう。ロシアからの原油が入らなくなったためのようです。戦争とは何たる迷惑の代物であることよ! 飛行機に乗る楽しみは、窓から眺める雲の動きと時々見え隠れする洋上の船舶、それに島影です。奄美大島から沖縄本島、宮古島、石垣、西表を眼下に見ながら、台湾を通過し、青島を見ながらベトナムのフエから大陸です。決まってフエの上空を通るのは航路になっているからでしょうか。大陸に入ると、途端に雲の形が違い始めます。夏の積乱雲になるのです。バンコックが近くなると掘り割りや、沼地が多くなり、やがてスワンナ・ブーム空港に着陸です。今回は夜行便なので、窓の外は暗闇。残念至極です。

2023年2月4日    書いた?書けん!                                    今はもう、お亡くなりになって久しいですが、本名が「書いた?書けん!」という作家がいました。開高健さんです。この人の文章が面白くて、一時、著作集めに凝ったことがあります。ジョークにも優れていて、奥様の牧よう子さんとのジョーク集が在り、私が作った「ジョーク集」にも、沢山、登場させて貰いました。この作家の傑作はなんといっても、アラスカまで出かけて行って「いとう」という大魚を釣った、そのときの紀行文集「オーパ」でしょうか。大判の書物で、今も書庫に眠っています。この作家の正しい呼び方は「カイコウタケシ」ですが「カイコウケン」が通り相場になっています。このご夫妻がサントリーで巡り会った頃、サントリーは「ダルマウイスキー」で一世を風靡していました。そうなったのはご夫妻が巡り会った「ザ・サントリー宣伝部」の法外な力に寄るものでした。黒い壜に入ったそのウイスキーの原料は沖縄のサトウキビの廃糖蜜からアルコールを造り、カルメラで色を付け、少量の原酒を加えて売り出した代物でした。そのダルマが夜の巷で飛ぶように消費されたのは、「ザ・サントリー宣伝部」の「水で割ったらアメリカン」というフレーズを作り出した、いわゆる宣伝部の宣伝力によるものでした。このフレーズ作りに開高夫妻は関係していたのです。

 しかし、ウソモノは次第にバレます。ウイスキーに疎かった日本男性もスカッチのシングルモルトやジャックダニエルなどのアメリカもの、カンデアンクラブなどの味を知るようになり、日本ウイスキーの需要は激減します。サントリーは明治の終わり頃、ワインで間違いを犯しました。ブドウの入っていないワインを、宣伝力だけで売り出したのです。つまり、サントリーは2度、過ちを犯したのです。しかし、この会社は出直しを図ります。関西の山崎というところは水が良いことで有名です。サントリーは世界中から樽を集め始めます。長期間の熟成を開始します。この会社は本物作りに目覚めたのです。そして30年、50年の月日が流れました。いま、サントリーのウイスキーは、世界中の金持ちの垂涎の的になっています。べらぼうな値段で売られています。とても、我々庶民が入手することができません。つまり、もう、サントリー宣伝部は用無しになったのです。開祖・開高御夫妻の嘆き節が聞こえるようです。

2023年2月3日       節 分                                    今日は節分、豆まきの日です。物心ついた頃からこの日を楽しみにしていました。炒った大豆を升に入れて、「福は内、福は内!」と三回唱えながら座敷や台所に撒き、ガラス戸を開け放って、「鬼は外!」と一握りの豆を暗闇に向かって解き放つ。家人は「ご尤も、ご尤も」と唱えながらぞろぞろ狭い家の中を付いて歩く、、、翌日、撒かれた豆を自分の年の数だけ拾って食べる、、、、子供の頃からのこの非日常性が嬉しく、一家を構えてからも続いていました。

 秋田ではこの頃、「なまはげ」という鬼が各家庭を回って大暴れします。たまたま、秋田市の川端にある「濵野屋」という料亭で5,6人の宴会をやっている時、この「なまはげ」がうなり声をあげて座敷に乗り込んできました。大人でも、一瞬、「怖い」とたじろいだほどですから、ましてや子供が泣き出すのも宜なるかな、と思いました。なにがしかの金子を包んでご退散願いました。

 名物・きりたんぽには、鶏肉は比内鶏であるのは勿論ですが、味の決め手は「ささがき牛蒡」と「せり」にあることを教わりました。そして肝心のきりたんぽは、翌朝、食べた方が味が浸みていて美味しい、とも教わりました。”ああ、なまはげに会いたい、きりたんぽ食べたい”

2023年2月2日       上原ひろみ                                    アメリカの野外劇場で2000人を超える聴衆が、たった三人の演奏に聴き惚れています。一曲終わるごとに万雷の拍手を浴びせています。舞台の両袖には巨大なスクリーンがあって、小柄なピアニストの鍵盤上の魔術的な動きを、余すところなく映し出しています。彼女は自分の身体を少しは大きく見せたいのか、不釣り合いな髪の纏め方をしています。舞台の三人とは、大柄な黒人のベイシスト、白髪頭の白人のドラマー、そして日本人ピアニスの上原ひろみ。彼女は浜松の生まれでヤマハ音楽教室育ち。法政大学法学部に入りましたが、アメリカに留学しバークレイ音楽大学を首席で卒業します。彼女の才能を最初に発見したのはチックコリアです。二台のピアノのための曲は山ほど在り、二人は全米を駆け抜け、大反響を呼びました。チックコリアも既に亡くなり、今、上原ひろみは彼を超えるジャズ・ピアニストとして全米の人気を独り占めしています。

 ユーチューヴには彼女の演奏がしばしば登場します。その度にチャンネルを合わせて聞き惚れます。その回数200回は越えているでしょう。驚くのはミスタッチは一度たりともなく、音の擦りすらないのです。しかも、彼女はヤマハのピアノ以外使わないのです。専属の調律師がついていて、何時の時も、最高の状態のヤマハにして使っているのです。まだ20代かなあ、と思っていた上原ひろみも、何と、すでに39歳とのこと。一度、結婚したようですが、離婚状態であるとか、ないとか、、、ピアニストの寿命は50歳までです。年寄りのピアノなど聴きたくありません。死ぬまでに一度、上原ひろみの生演奏を聴きたい、というのが私の最大の望みです。

2023年2月1日     ミヤンマー軍政の罪                                      決して豊かな国ではないタイの隣国ミャンマーが、軍部のクーデターによりアウンサン・スーチーさんが軟禁され、小柄で小太りのミン・アウンフラインがこの国を軍政にして、今日で丁度2年が経ちました。相変わらず国は貧しいままで、こともあろうに、スーチーさんの罪状は更に重くなり、禁固33年となりました。70歳を超えているスーチーさんにとって過酷この上もありません。数年前、タイ・チェンマイからプロペラ機で一時間、ヤンゴンへ行って一週間逗留しました。その際、軟禁されているスーチーさんのご自宅までタクシーで行きました。勿論、扉は閉ざされたままでしたが、その替わり、アウンサン一家が、昔、住んでいて、いまは博物館兼レストランになっている小高い丘の上の建物へ行きました。アウンサン将軍に抱かれるスーチーさんの可愛らしい写真がありました。ヤンゴンで痛切に感じたのはこの国の貧しさでした。ドルの支払いでなければ泊まれないホテルへの道の両側は、路上マーケットでした。半ば腐りかけた海産物や、とても売り物にはならないだろう得体の知れないものが並んでいました。走っている車もバスも日本の中古車でした。中には日本語の標識をそのままを付けたバスが走っていました。「渋谷行きー青山回り」

 竹山道雄の「ビルマの竪琴」はかつての名作中の名作です。何度読み返したことでしょう「オーイ水島、日本へ帰ろう!」何度、迫る嗚咽を堪えたことでしょう。ヤンゴンは寺院の街です。至る所に仏像がおわして、人々は床にひざまずき、ひたすらな思いを込めて仏像を見上げていました。そんな国をいま、軍部が牛耳っているのです。この軍部は中国によって作られた傀儡政権です。中国にとってスーチーさんの民主政治は邪魔なのでした。やがて、ミャンマーの少数民族ロヒンギャは壊滅させられ、そこからパイプラインが中国まで引かれ中東の石油が陸揚げされるでしょう。中国はそれを狙ってミンアウン・フラインを懐柔したのです。

 このところ日本の尖閣列島海域を中国船が我が物顔で航行しています。海上自衛隊が警告を発すると、「ここは中国の固有の領土、領海である。お前らこそ下がれ」と公然とやるそうです。

2023年1月31日      宗教と政治(ロシア正教)                                  1月18日から19日にかけて、ロシア正教会の信者には奇妙な習慣があります。凍てついた川や湖の氷を割り、沐浴するのです。何故なら2000年前のこの日、イエス・キリストが洗礼を受けた日だからです。スターリン時代、ロシアにはロシア正教の教会が四万カ所もありました。しかし、マルクス・レーニン主義は宗教を否定します。スターリンはこの教会すべてを閉鎖します。その後、独ソ戦争が勃発します。ドイツが雪崩を打ってソ連に攻め込みます。スターリンは国民の団結を呼び戻すために、ロシア正教の教会を復活させます。その数二万カ所あまり。ロシア国民の団結によりドイツ軍は撤退を余儀なくされました。

 ロシアのプーチンが尊敬するのはこのスターリンです。自由主義化したゴルヴァチョフはプーチンが最も嫌う政治家で、葬儀にも参列しませんでした。

 宗教を国教としている国は数多くあります。キプロスがそうです。ギリシャもギリシャ正教です。フィンランド正教会もあります。ロシアのモスクワ宗司教はアレクシス2世でしたが、ロシア正教会はあくまでも政局を超越した存在でありつづけようとしてきました。ところがどうでしょう、現在の「キリル総司教」は何と、ロシアの諜報活動のカーゲーべー出身です。彼が就任するときプーチンは花束をもって臨んでいます。そして今、ロシア正教は「ウクライナの民族主義から祖国を守るための戦いである」として、プーチン政策を全面的に支持しています。

 日本でも同じことがありました。軍部が台頭し、神国日本を唱え始めました。鳥居と神社が日本国中に建てられ、「八紘一宇」「大東亜共栄圏」の文字が国中に溢れました。どれだけの近隣諸国が迷惑を被ったことでしょう。ロシアのことを言えない日本であったことを忘れてはなりません。

2023年1月30日      若さ                                  降り続く雪の金沢で、昨日、将棋の王将戦第3局が行われました。王将位は若干20歳の藤井聡太が持っていて、挑戦者はかつての七冠王として一世を風靡した羽生善治9段です。二日目の再開の模様がテレビ中継されました。将棋盤を挟んでお二人ともマスク姿ではありますが和服姿です。片側には記録係を含めて20人余りの男性が詰めていて、合図と共に一斉に頭を下げ合います。両対局者は勿論、全員、なかなか頭を上げません。先に頭を上げた者が負けとでもなるのでしょうか、儀礼とはいえ、このお辞儀から勝負が始まったようです。将棋の駒の動かし方も面白い。優しく駒を動かしてからその背中を軽くトントンと叩きます。まるで、シッカリやってくれよ、とでも言い含めるみたいな所作です。第三局は20歳の藤井聡太が奇手を放って勝利しました。全国の将棋ファンは「神の手が放たれた」といささか興奮気味です。

 一方、囲碁の方でも女流のプロ戦で10台の女の子が正式棋戦で活躍中です。上野阿佐美タイトル保持者に挑む、若干13歳のプロ・仲邑菫です。3番勝負のこの棋戦、互いに一勝一敗となりました。もし、次の手合いで菫ちゃんが勝てば、史上初の10台のタイトル保持者の出現です。若くして棋聖となった一力遼と、女性の第一人者藤沢里菜は、10代の後輩、仲邑菫と関航太郞とで4人の会を作り、日夜研鑽に励んでいます。やがては、自分の地位が奪われることを承知で後輩の育成に努める、実に清々しい行為と言わねばならないでしょう。

2023年1月29日      桜咲く                                  日本列島はいま、寒さに震えています。青森の酸ヶ湯では3メートルを超える積雪で苦しんでいます。新潟の十日町では「♫花の咲くまじゃ小半年、、、」と、耐えに耐えています。

 でも、日本列島には、いま、桜が満開のところがあるのです。そこでは今月の15日頃から開花します。そしていま、満開の見頃を迎えています。それは沖縄です。本部八重岳、名護城趾、南部の八重瀬公園などなど、ただ、桜の種類が違っていて、ほとんどが赤い八重桜です。純白のソメイヨシノを見かけることはありません。本部の八重岳は小さな山ですが、だらだら坂を登る道の両側が桜並木になっていて、それはそれは美事なもので、全山が400本を超える桜で朱に染まります。ここで玉砕した兵士達の血潮を思わせもする、不気味でもある赤い桜です。

 桜はタイ・チェンマイにも咲いていました。チェンマイ大学から7曲がりの山道を登り始め、観光客で賑わう寺院群を右に見ながら、更に行くとタイ王朝の離宮があります。瀟洒なお花畑が広がります。そこから先は単線の山道です。対向車があると、谷すれすれまで寄って交差しあいます。そして、そして行き着いた小さな谷間の集落。全村が満開の赤い八重桜で埋まっていました。それはそれは美事な桜でした。不思議なことにどの家にも雨戸や窓ガラスがありません。家の中が丸見えです。不心得者などここにはいないのでしょう。「こういうところもあるんだ、ここは天国だ」と思いました。観光客用に「絵はがき」が売っていました。その一枚は今も私の仕事場に張ってあって、私の仕事ぶりを見ています。

2023年1月28日      女性天皇陛下                                  たまたまIPADを見ていたら、昨年成人された愛子様の記者会見の模様が出てきました。成人になられた愛子様の皇室人としての心構えや、どう生きてゆくか、かなり長々とした画像が映し出されました。興味深く見入り、そして、改めて感動を覚えました。「このお方はいい。既に天皇としての風格を備えている。見識も豊かだ。女性としても立派だ、既に一流の人間にまで成長している。」映像越しではありましたが、愛子様の人となりに深く感銘いたしました。そして国民のすべてが愛子様を女性天皇として仰ぐ日まで生きていたいものだ、とシミジミ思いました。男系を継承してきた日本の天皇制はこれからも継承されるでしょう。幸い、次男の秋篠宮家には高校生の君が控えています。将来に問題はない、といえばそう言えるのですが、問題は雅子様の小和田家と、紀子様の川島家との違いです。現天皇は外務省で働く雅子様に一目惚れしました。特ダネをとったのは朝日新聞の松山記者です。小和田家が立派だったのは、爾来、ご両親はオランダへ行き、ご兄弟、ご親戚一同、なりを潜め、マスコミの話題になるなど一切ありませんでした。

 秋篠宮は学習院で同学年の紀子様に一目惚れし、目白駅前の田中屋でデートしていました。川島教授の娘で学内の教員宿舎の四畳半が彼女の城でした。紀子様の魅力的笑顔は誰もが認めるところですが、彼女の実弟が余り良くない。その上、ICU時代の長女に弁護士志望の恋人ができていま、ニューヨーク住まいです。この男の叔父がどうやら良からぬ素性のようです。問題がおきるたびに宮内庁はもみ消しに苦労しているようですが、秋篠宮の一族には小和田家のそれのような清々しさがありません。愛子様に象徴される「気高さ・気品」がないのです。

「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」

2023年1月27日      三たび、戦車のこと                                  ウクライナから痛切な要望のあったドイツ製の戦車「レオポルド2」の供給は、前回のNATO諸国の集まりでは意見の一致は見られず、ロシアを刺激しないため、先送りになったにも拘わらず、ここへ来て急転直下、アメリカはイラク戦争で実績のある「エイブラムス」戦車を、そしてNATO諸国は「レオポルド2」をウクライナに供与することが決まりました。言い出しっぺはポーランドであったようですが、ドイツ製のこの優れものはヨーロッパに2000台は出回っているようで、もし、このほとんどがウクライナに集結すれば、ロシアの旧式戦車では太刀打ちできないでしょう。この「レオポルド2」の戦車は夜間戦闘能力に優れているようで、その能力を習熟するためには2,3ヶ月が必要とされています。恐らくロシアはその間隙をぬって、総攻撃をかけてくるでしょうが、ウクライナにそれを持ちこたえる力があるかどうか、が勝負の分かれ目になるでしょう。と言うことは、この戦争は一年を経過したにも拘わらず停戦の機運は既に去り、これからが食うか食われるかの激戦になることを意味しています。この不幸な戦争の終結はどんな形で押し寄せるのでしょうか。世界に散っているウクライナ難民、地元に留まって戦っている人たち、嫌々かり出されて戦地に赴いているロシアの少数民族の人々、そして退役軍人達。お互いの国の政治家の独断と偏見により命を失ってゆく者が続出している現状を、心から憂います。

2023年1月26日      立ち往生                                  長唄や歌舞伎の「勧進帳」に、弁慶が言動に詰まって立ち往生する場面があります。昨日、午後から深夜にかけて、降りしきる予想外の積雪のため、京都周辺を走る福知山線、京都線などの電車が軒並みストップを余儀なくされ、乗客のほとんどが列車内に十時間余り閉じ込められ、病人が出るほどになりました。その上、「列車をお降りになりたい方は、自己責任でお願いします」というアナウンスが車内に流れたものだから、それも問題となり、JRの責任者は朝からテレビで謝り続けています。すべての原因は、降り続く雪のため、レールのポイントが作動しなくなったためです。雪国の鉄道では、列車のポイントごとに融雪装置が作動するようになっていて、かなりの豪雪でも列車は動きました。生憎、京都近郊の列車レールにはその備えがありませんでした。関西地区での豪雪は10年に一度の現象のようですが、気候変動はこれから一層激しさを増すでしょうから、雪への備えは、全国的に必要不可欠になるでしょう。

 降りしきる雪に、そこへ風が加わると雪は凶暴な正体を現します。視界すべてが真っ白に変化します。自分の立ち位置が分らなくなります。冬山登山で何度もそれを経験しましたが、一番の方法は、身体を低くしてじっとしていることです。動かないことです。そうはいかない場合もあります。福島担当の時の正月、会津若松で従業員も集まっての新年会がありました。猛吹雪の日で、郡山からの磐越西線は不通です。やむなくタクシーで向かいました。普通なら一時間で着くところ、猪苗代湖畔でホワイトアウトに遭遇しました。進むことも退くことも、右も左も分りません。運転手さんも途方に暮れています。そこへ運良く除雪車が通りかかりました。除雪車に先を走ってもらって、漸く会津若松の会場に着きました。会も既に終わり近くになっていましたが、用意した記念品やお酒の2合瓶をお一人お一人に声をかけてお渡しすることができました。

2023年1月25日      細田博之                                  統一教会とズブズブの関係に在りながら、未だに衆議院議長を辞職しようともしない細田博之が、説明会をごく内輪に行いました。世間の誰もが「不十分」としているにも拘わらず、責任を感じて議長を辞める様子など微塵もありません。彼は1944年生まれの80歳。東大法学部出身の島根県の秀才ではありますが、岸、安倍家の統一教会との関係をそのまま引き継ぎ、選挙のたびに統一教会の大量の票を差配し、庶民からの献金の実態に目をつぶり、あまつさえ、この悪辣な韓国系エセキリスト教会の日本での活動を陰では擁護している始末。一方、故安倍首相のために公然と偽証を繰り返し、政調会長の座を利用して、公然と台湾へ出かけるなど、反省の色などおくびにも出さず、居座り続けている萩生田光一というしたたか者も自民にはいます。「恥を知らない人間」が自民党には何と多いことか! 

 「50、60花ならつぼみ、70、80働き盛り、90になって迎えが来たら100まで待てと追い返せ」というザレ歌がありますが、私は国会議員や地方議員も含めて定年制を設けるべきだ、とかねがね思っています。中国でさえ68歳の定年制が存在しているではありませんか。習近平が破りはしましたが、、、、日本国の衰退現象を招来させたのは年寄りどもがわんさかいる国会並びに地方議会議員のロートル化にある、と言えるのではないでしょうか?

2023年1月24日     運転免許証                                     練馬から都営地下鉄で六本木方面に向かいます。大門浜松町で降り京成電車に乗り換え、品川駅から京浜急行の普通電車に乗り、北品川、青物横丁、新馬場、そして鮫洲駅で下車。歩いて8分。警視庁の運転試験所。運転免許の書き換えには、どうしても三年ごとにここへ来て、認知機能試験を受けねばなりません。30歳台で免許を取ってから50年余り、この役所のご厄介になってきました。昔のここは、正に掘っ立て小屋みたいなところでしたが、今はどうして、どうして四階建ての巨大なビルで、中には食堂や喫茶室まであります。

 名前を呼ばれて1時半から試験が始まりました。ロートルばかりの2,30人、神妙に筆記試験に向かいます。先ず、スクリーンに四種類ずつの写真が現れます。それが四回続きます。合計16個。それを記憶し時間の最後に紙に書きます。太鼓、戦車、ステレオ、金槌、万年筆、コート、百合の花、だるまさん、飛行機、タンス、、、後は忘れました。乱数表の中から、特定の数字だけを見つけてチェックする問題もありました。3年前の試験では最高点から2番目の成績で合格したのでしたが、今はスッカリ変わっていて「認知症ある、なし」だけの判定になっていました。さて、次は実技試験です。これにも合格して石神井警察署へ行かなければ免許証は交付されません。近くの教習所はすべて満員。やむなく、清瀬の教習所へ行って実技試験を受けます。それが31日の午後2時。

2023年1月23日     週刊朝日廃刊                                      ここ30年余り、毎日の生活で切り離せなくなっているのはパソコンとスマホとIPADではないでしょうか。殊にIPADは優れもので、重宝この上もありません。その一つが、すべての雑誌が自由に読めることです。週刊誌であれ、趣味の雑誌であれ、何でもござれ、確か月額数百円で読めてしまうのです。従って、現物を買うことなど一度もしたことがありません。その煽りでしょうか、100年は続いてきた週刊朝日の廃刊が報ぜられました。毎週愛読していた、名だたる週刊朝日が、今年の5月以降、もう、読めなくなるのです。

 思えば、現役で販売局次長を任命されていたとき、出版局次長も兼務させられていて、出版物の部数の下落を食い止めるため、必死の努力をしたことがあります。しかし、時の流れには逆らえず、朝日カメラ、朝日ジャーナル、アサヒグラフが廃刊に追い込まれました。アサヒグラフに連載されていた団伊久磨の「パイプのけむり」は私の大のお気に入りで、毎日のホームページは、これに触発されて始めたものです。

 紙媒体による情報の伝達手段の衰えは目に余るものがあります。でも、IPADで見る限り、新しい雑誌が次々に出現しているようにも思えます。一旦、休刊に追い込まれたアエラも復刊したではありませんか。新聞社そのものがおかしくなった毎日新聞の「サンデー毎日」でさえ、細々と発行しているではありませんか。朝日新聞の現社長の中村さんに申し上げたい。どうか、しばらく様子を見た上で、「週刊朝日」を復刊して貰いたい、と。必死になって繋いできた朝日販売陣のこれまでの努力を無にして貰いたくない、と。

2023年1月22日     再び戦車のこと                                  下に揚げた戦車の写真は「レオパルド1A2」というドイツ製ではありますがウクライナに供給されている旧式戦車です。しかし、今、ウクライナが欲しがっているのは同じくドイツ製の「レオパルド2A7V」という最新式の戦車です。この戦車をドイツから購入した国はNATOの諸国の中にも数多くあります。だが、この戦車をウクライナに供給できるかどうかの権限はドイツが持っています。一方、ロシアは旧式ながらも戦車の保有数にかけては欧州一です。春にかけてウクライナへの大攻撃が予想されます。戦車を操っているのはロシアの軍事会社「ワグネル」です。ワグネルは戦争を商売とするプーチン直属の組織です。プーチンに逆ら者の暗殺、毒殺を請け負ってきました。

 NATO諸国が集まりました。ウクライナが欲しがっているレオパルド1A2を許可するかどうかの審議です。物別れになりました。ロシアをこれ以上刺激したくない、と言うのが結論となりました。失望したのはウクライナです。「我々は、この戦車の供給を受けるまで戦わねばならない」との悲痛な叫びを発しました。この戦車の製造元であるドイツは、ロシアから天然ガスの供給を受けています。このパイプラインはウクライナを通っています。だから、ドイツはロシアを刺激したくないのです。もし、NATO諸国がウクライナに最新式戦車を供給して、地上戦で勝利したらどうなるでしょう?ロシアは核攻撃に走るのではないでしょうか?キエフが広島・長崎となることでしょう。つまり、第三次世界大戦が待ち受けているのです。あらゆる戦争は「拡大する宿命」を持っているのは歴史の示す掟です。開戦してやがて一年が経過します。何とか停戦に持ち込む手立てはないものでしょうか?

  2023年1月21日      春 節                                  旧暦の暦を使っている中国全土では、今日が大晦日で明日が新年となります。新しい年を迎えるに当たっての人々の気持ちに分け隔てはありません。今晩は家族が集まって爆竹を鳴らし、花火を打ち上げ、ご馳走を前にして家族の再会を祝い、新たな年への意気込みを語り合うでしょう。ただ、14億の人間がそれぞれの故郷へ移動するのです。すると、コロナのオミクロン株も一緒に動くのです。人が動けば感染も拡大するでしょう。どの位の感染拡大が予想されるのか?全く未知数です。未知の領域です。加えて、共産党政府は規制を撤廃して好きなようにさせるようなのです。

 いいじゃありませんか!家族と再会して乾杯し、喜びのうちに感染し、何も死ぬと限ってはいないのだから、十分に看病し合ってコロナを乗り切っていく、、、、、是非、そうあってほしいものです。

 問題の一つは、中国とタイ国が隣り合っていることです、春節での中国人の移動は、延べ21億人と予測されているので、大勢の中国人がタイへなだれ込むでしょう。チェンマイは中国人にとっては人気の都市です。恐らくチェンマイでも爆発的な感染が予想されるのではないでしょうか?そこへ日本から飛び込んでゆくのは、、、、とも、考えてしまいます。

2023年1月20日     寒 波                                1月下旬から2月上旬にかけて、日本国中が最も寒くなる時節です。その上、10年に一度という寒波の襲来が見込まれているそうです。コロナ禍になる3年前までは、この寒さを避けるため、タイ・チェンマイに避難できていました。10時30分の羽田発のタイ航空に乗ると5時間後にはバンコックです。一時間の待ち合わせで国内航空に乗り換えると50分でチェンマイです。心地よい風の中、半袖に着替えて地元ビールで乾杯、、、、コロナ禍になる3年前までは、こういう幸せな時を持つことが出来ていました。行くときはいつも東京からキーボード・ピアニカなどをを手荷物にしてチェンマイに持ち込んでいました。それらを畏友堀田さんの案内で、少数民族の小学校や教会へ持って行って寄贈してきました。そのためには車が必要となり日産マーチを購入しました。そのお陰で、ゴールデン・トライアングルやミャンマーとの国境、首長族の集落などへ行くことができました。複雑で、大渋滞のチェンマイの繁華街での運転も、恐れ気もなくできるようになりました。

 でも、何事にも限りあります。丁度、足かけ3年前、得体の知れない伝染病が中国で流行り出した、という情報が乱れ飛ぶ中、借りていた森の中の一軒家を返上し、家財道具や荷物の処分を畏友堀田さんにお願いし、3月6日に帰国したのでした。正に間一髪、数日後には国境が閉鎖され、タイ国に入ることも出ることもできなくなりました。

 このチェンマイへ2月の中旬から3月の上旬にかけて出かけようと思っています。

2023年1月19日     二審判決                           双葉原発のメルトダウンを引き起こした14メートルを超える津波について、東電経営陣の責任を追求する二審判決の結果が出ました。驚くなかれ、予測は不能であり、よって経営陣に罪なし、とする無罪判決です。原発が双葉に出来た故に、10メートルを超える津波が原発の電源を破壊し、炉心の冷却装置が壊れ、原子炉が高熱を発して爆発し、双葉町に隣接する浪江、小高、大熊、夜ノ森、富岡の住民に放射能被害をもたらし、今もって居住不可能の町を作り出したその責任は東電にない、という判決なのです。では一体誰の責任なのでしょうか?誰の責任でもない、自然のしからしむところだ、とでも言うのでしょうか?

 私が福島県を担当していた頃、原発誘致の議論が福島県中でかしましく行われていました。言いだっしっぺは読売新聞社主の正力松太郎。彼は政府組織の電源開発の総裁も兼務していて、「日本の電気は水力から原子力へ」とする運動の最先端でした。電通と協力して二兆4000万円の金を政府から引き出し、反対する地方紙、地方テレビに広告料としてばらまき、国中に40カ所を超える原発を建設させました。

 双葉原発は太平洋の海岸に面して四基作られていて、その内の一基に津波の海水が乱入し、冷却する水道の電源が切れて作動せず、炉心が高熱を発して爆発を起こし、放射能を空中にまき散らしたのです。放射能の半減期は数千年です。それほど危険なものを海岸に作るからには、あらゆる事故を予測してメルトダウンを起こさない頑丈な設備を創り上げることが東電の、そして、経営者のやるべきことではなかったのでしょうか?それを放置し、14メトルを超える津波は「想定外」だった、とはよくも言えたものです。到底、納得の出来ない二審判決です。福島の人たちは、皆、怒り心頭を発しているはずです。

2023年1月18日   何と、盛岡市が!                       ニューヨークタイムズが、今年ゆくべき世界の都市52カ所を発表しました。第一位はイギリスのロンドンでした。そして第二位は?

 何と日本の盛岡市が選ばれました。更に第19位に福岡市が入っています。更にアジアでいえば12位にブータン、36位に台北が入っていますが、中国の都市は一つも入っていないようです。

 何で盛岡市なのか?今を時めく野球の大谷翔平の故郷が盛岡市に繋がる花巻であることも影響しているかもしれません。選考理由の一つが、歩いて観光できる穏やかなたたずまいの都市であること。美味しいコーヒー店が至る所にあること、「椀子蕎麦」が珍しい上に美味であることを上げています。

 仕事柄、東北六県・信越、北関東、首都圏、それに九州全域を歩き回った私も、言われてみれば、盛岡市は好きな都市の最上位であったかなあ、と今回の発表にうなずきを隠せないでいます。椀子蕎麦はともかく、冬の「冷麺」がとびきり美味しかった記憶があります。

 それに盛岡市郊外に建つ、瀟洒な建物の「先人記念館」。130人余りの歴史上の人物が顕彰されています。筆頭は「武士道」の新渡戸稲造、原敬、米内光政、石川啄木、宮沢賢治、金田一京助、、、やがては大谷翔平もこの建物の仲間入りするでしょう。

2023年1月17日   運命の日                       28年前のこの日の朝、僅かな地震の揺れを感じて目を覚ましました。博多のホテルの一室でした。テレビを付けると阪神淡路大震災が報じられていました。が、テレビは同じ場面の繰り返し写真ばかりで一向に要領を得ません。前夜、朝日の販売担当とサシで酒を飲み、2月から朝日学生新聞社の専務取締役として出向するように、申し渡されていたのでした。悔しさで「眠れなかった」ものの、専務の後は代表取締役社長として現海野社長の後を継いでくれとも言われました。海野さんは私が外勤社員になった時の親分でもあります。「俺の後は中沢に」という話が既に内々あったようでした。しかし、朝日での人生も営業局長で終わりか、という悔しさもあって、その日の眠りは浅かったようです。そこに加えて大震災の映像です。高速道路の落下や、逃げ惑う人々の姿は、これが大災害であることを知らせていました。生きていられるだけでも幸せなんだ。今後に仕事が与えてもらえたことだけでも幸せなんだ、「よーし、今まで以上の「朝日小学生新聞」、「朝日中学生ウイークリー」「朝日進学情報」を創り上げてやろうじゃないか、と心に決めた日、それが28年前の今日「1月17日」だったのです。

2023年1月16日     奇々怪々                     金子みすずの詩に「鰯」を謳った詩があります。          「大漁だ、大漁だ、大羽鰯の大漁だ、朝焼け小焼けで大漁だ、浜は祭りのようだけど、海の中では何万の、鰯の弔いするだろう」

 この何万もの鰯が、いや、何千万、何億匹の鰯がいま、北海道の海岸に打ち寄せられたり、あるいは死んで津軽海峡を漂って、本州の海岸にも打ち寄せられているようなのです。原因は定かではないようですが、海水の水温に関係している、と言われています。つまり、鰯が好む海水温度は10度から20度ほどだそうで、それ以下になると生息出来ないらしいのです。ここにも地球温暖化並びに異常気象の影響が及んでいると言わざるをえません。

 鰯の大量死の原因が海水温度の低温化にあるとしたら、何故、そうなるのでしょうか? 思い当たるのは、地球温暖化により、北極の氷が日夜轟音を立てて溶け出している事実です。その冷たい海水がオホーツク海から日本海、太平洋に流れ込んで来たせいではないでしょうか? いずれにしても、鰯の大量死は人間の仕業であると言わねばなりません。日本人を始め人類は、自分達の所業が何の罪もない鰯を大量死に追い込んでいる事実を、しっかりと見つめ弔いをしなければなりません。

2023年1月15日     アルバム                                   手元に一冊の写真アルバムがあります。片方から開くと、誕生以来の私の写真が、もう片方には父母や母方の親戚、従兄弟姉妹の写真が丁寧に貼り付けられています。このアルバムは、母が柳行李の底に偲ばせて、集団学童疎開で福島へ行く私に持たせてくれました。浜通り富岡駅前の大東館で体中シラミに食われながら、母と東京が恋しくて何度このアルバムを開いたことでしょう。そしてこのアルバムは長野から東京へ。でも、アルバムに写真を貼り付けていたのは高校前期までで、その後、写真が追加添付されることはありませんでした。生活に忙しく、そんな余裕がなかったせいもあります。時代は進み、一眼レフのカメラが普及されるに及んで、写真はパソコンに保管されるようになりました。おびただしい数の写真がパソコンの「ピクチュアー」に保管されているのですが、シミジミ鑑賞する気など起きません。その点、一枚ずつの写真は、遙かに重みが加わります。下の写真は、母が持たせてくれて、今まで何とか持ちこたえてきたアルバムの第一ページの写真です。そして、今日の15日が86回目の誕生日。この世に生を受けて始めて撮られた写真。おちんちん丸出しで好奇心に満ちた顔つき。アルバムの第一ページにこの写真を載せてくれた母に心からありがとう、と言いたい気持ちで一杯です。

2023年1月14日      雪 崩                              1月も中旬になりましたが、日本海側を中心に豪雪が続いた後、急に気温が上がって、この数日、雪崩注意報が出されています。大雪の後の気温上昇は思わぬ災害を引き起こします。雪崩は気温が上がる春先に多いのですが、注意報が1月出されたのです。ということは温暖化のせいで気象状況が荒れているからでしょう。テレビに水上町の雪の状態が映し出されました。意外に積雪がないのが驚きでした。直ぐ奥の藤原村、宝台樹温泉などは豪雪地帯ですが、ここも積雪が左程でなくビックリでした。

 昔、この谷川で危うく雪崩に巻き込まれそうになったことがあります。四万温泉から平票山に登り、千の倉岳、谷川岳を経て茂倉山の雪渓、芝倉沢を降りてきた時のことです。5月とはいえ、沢には雪が残っていて、一人一人持っているピッケルを上手に使って、靴のまま雪渓を滑り降りるのです。グリー制動といいます。もうすぐ下界かな、と思ったその時です。「危ない!雪崩だ!よけろ!」という絶叫が上から聞こえました。咄嗟に身を伏せたとき、雪の大きな塊が身体の横を通過して行きました。巻き込まれていたら、、、、どうなっていたでしょう。下界は緑に溢れていました。湯桧曽川の流れに沿って歩き、上越線の土合の駅にたどり着きました。

2023年1月13日      戦 車                              厳冬期に入ったロシアとウクライナの戦争は、新年に入って更に激しさを加え続けています。その主役を務めているのが戦車です。戦車は車と違ってカタビラがついているので凍土を走ることが出来ます。ロシアの戦車が旧型であるのに対し、ウクライナの戦車はアメリカ、ドイツ、イギリスから付与された新型車両であるため、性能ではウクライナに軍配が上がっているでしょう。

 戦車といえば、思い起こされるのが作家で不滅の人気を誇る司馬遼太郎です。彼は太平洋戦争末期の頃、戦車隊の一員として栃木県佐野で戦車に乗っていました。本土防衛のための戦闘員だったのです。しかし、彼が乗っていた戦車は小型で、室内は絶えず粉塵が立ちこめ、極悪な匂いに苦しめられ、それが夢にまで現れたそうです。同じ頃、作家として名を上げた井上靖も兵隊でした。純文学として名を上げた井上靖に対して、司馬遼太郎はどちらかと言えば大衆小説です。司馬は井上が軍隊時代どんな役職であったか聞き出します。そして井上が輜重輸卒の兵隊であったことを探り出し、溜飲を下げます。何故なら「輜重輸卒が兵隊ならば、チョウチョ、トンボも鳥のうち」というザレ歌があったからです。司馬遼太郎といえども大人げない時代があったようでした。    彼の作品のほとんどは私の書庫に在り、折に触れ読み返していますが、その度に血湧き肉躍るのが「坂の上の雲」です。また、「菜の花の沖」も捨てがたい作品です。

 大正12年(1923年)生まれの福田定一は、今、生きていれば丁度100歳。産経新聞の記者として京都支局に赴任し金閣寺の焼き討ち事件などを取材します。処女作「梟の城」で直木賞を受賞し、同僚だったみどりさんと再婚します。残された膨大な書籍と文献などみどりさんが運営する資料館に保管展示されているそうです。どうしても一度、訪れなければなりません。

2023年1月12日       スキー                        スキーに行きたいと思う。山スキーでなくてもいいから、スキー場の斜面を豪快なシュプールを描きながら滑り降りたいと思う。この歳になっても、何とかもう一度、雪の斜面に立って「どけー」と叫びながら滑り降りたい、と痛切に願っているこの頃です。小学生の頃、善光寺の裏山の坂道が格好のスキー場でした。当時は竹スキー。月明かりの中でも夢中で滑っていました。中学・高校時代は、本格的なスキーを買って貰って今度は山スキー。シールというアザラシの皮をスキーに履かせて戸隠、飯縄、黒姫、岩菅、志賀の笠岳などの頂上に登り、道なき道を器用に下まで滑り降りてきました。その豪快さは例えようもなく、密かに、ゲレンデで滑っている人たちを見下していました。

 最後のスキーは宮沢君の清里山荘近くの「サン・メドウ」スキー場でした。宮沢君の滑りが余りに格好よかったので、負けてナルものか、とスキー教室に入り、先生の合図で頂上から滑り降り始めた途端、図体の大きな初心者が後ろからぶつかってきました。二人とも斜面に投げ出され5,60メートルは流されました。後頭部に痛みが走りました。雪上救急車が呼ばれ、更に救急車が来て麓の大きな病院へ運ばれました。大きなギブスを首に巻いて帰京ました。宮沢君はずっと、ずっと付き添ってくれました。スキー場での損傷事故は、保険の対象外であることを、そのとき始めて知りました。                            それ以来スキーから遠ざかっているのです。宮沢君が亡くなる2年前のことですから、もうかれこれ8年になるでしょうか。もう一つの問題は、「スキーに行くぞ」といくら力んで見ても、「よし、分った」と言って一緒に行ってくれそうな友人がいなくなっていることです。スキーがどんなに魅力があっても、一人では面白さも半減です。やっぱり、もう、無理なのでしょうか?

2023年1月11日    おめでたい ?                        昨年のショパンコンクールで第一位のカナダ人ブリュースリューに次いで第二位となった日本人反田恭平が小林愛美と結婚し、既に彼女が身ごもっていることが明るみに出ました。小林愛美は第四位でした。彼女が挑んだショパンのプレリュード25曲の全曲演奏が評価されたようでした。同時に出場し、ファイナルまではいけなかった日本の秀才ピアニストに角野隼斗がいます。私は彼こそファイナルに相応しいと思っていたのですが、残念な結果となりました。

 反田と小林は小澤征爾と同じ桐朋の出です。しかも二人は同時に桐朋が主催する「子供のための音楽教室」に通っていました。小林愛美はその当時から反田恭平に惹かれていたようですが、反田はモスクワ音楽院に留学し、そこでロシア人の女性と結婚します。そして、二人はポーランドのワルシャワに来て、ピアノ以外の音楽活動を始めます。多くの審査員も彼の活動と関係が深かったようです。憧れの外国の地で幼なじみの男女が、同じ目的のために励まし合えば、そこはそれ、そうなることは目に見えていた、と言っていいでしょう。ロシア人の彼の奥さんも、よく、離婚を承知したものです。恐らく莫大な慰謝料を約束させられたでしょう。

 世界的に有名なショパンコンクールで、2位と4位になった二人のこれまでの努力を讃えこそすれ、私は二人の演奏が好きではありません。日本で最高のピアニストは角野隼斗だ、という思いは今もこれからも変わらないでしょう。思うに、ピアニストというものはどこか孤高で神秘性を湛えていて貰いたいものです。幼なじみとはいえ、男と女の睦み合う姿を想像しながら、演奏を聴きたいとは思いません。それは私一人の思いかもしれませんが。

2023年1月10日         XBB1.5(えっくすびーびーいちてんご)                    またまた、コロナの変異種の登場です。しばらく前に変異して世界中を荒らし回ったオミクロン株が、今度はXBB1.5という恐ろしく専門的な名前の株に変異して密かに蔓延し始めたそうです。しかも、この株は中国でも発見されたそうですから、12月に入ってからの爆発的な中国の感染状況を見れば、この変異株のせいではないとは言い切れないでしょう。

 中国はコロナの発症の源であったが故に、外国製のワクチンの導入を一切排除してきました。メンツにかけても外国製を使うわけにはいかなかったのでしょう。厳重な隔離政策をとり、感染者数と死亡者数の少なさをWBCに報告し、世界中における感染拡大を横目で見続けてきました。そして、結果的に住民の反対デモを招き、そこで極端な緩和政策に舵を切りました。その結果、驚くべき数の死者が出る感染状況を招いてしまいました。その原因の一つがXBB1.5という変異種のお陰だ、としたら、、、この変異種に対するワクチンはまだ、世界中で開発されていないのですから恐るべき結果が待ち受けている、と予測しないわけにはいきません。大変な事態になってきました。しかも中国では春節とい民族大移動の時期と重なります。少なくとも日本は、否日本国は、当分の間中国人の入国を水際で食い止めねばならないでしょう。

2023年1月9日         早大ラグビーの不名誉                   昨日行われた大学ラグビー決勝戦で、早稲田は帝京に73ー20の53点差で破れました。これは物凄い記録で73得点、53点差、いずれも新記録であります。名門早稲田のラグビーにとって誠に不名誉な記録であり、歴代の早稲田のラガーマンはたちの怒りと嘆きはいかばかりでしょうか。

 私が販売第六部の部長の時、宮城県を担当していたのが、後に早稲田ラグビー部の監督になる小林正幸君でした。北関東担当部長の時、次長を務めてくれたのが同じく早稲田ラグビーの名選手石山君でした。小林正幸君は仙台の市内の若い販売所長と諍いを起こし、その顛末が週刊文春に取り上げられました。結局、販売原価代金の未払いを正当化しようとした販売所長側の敗訴になったのですが、週刊誌にのったことの責任から私は始末書を書かせられる羽目になりました。今はそんなことはありませんが、週刊文春は朝日のあることないことを取り上げていました。朝日について書くとその号の売れ行きが違ったそうでした。今は何を書いてもサッパリ売れないそうです。閑話休題。

 名門早稲田のラグビー部が、帝京大学に天文学的な数字を献上して大敗を喫したこと、その嘆きが節が昨日から今日にかけて日本列島を覆っているように思えてなりません。

 

2023年1月8日           大間のまぐろ                   青森県の下北半島の突端に「大間」という小さな町があります。下北半島は、丁度、斧のような形をしていますがその斧の刃のあたりが大間です。近くには「イタコ」もあります。神秘的な色の水を湛える湖の周りに巫女さんが大勢いて参拝者の人生を占ってくれます。

 東北担当の部長の時、その下北半島の突端まで、当時青森県を担当していた船越君が運転する車で行ったことがあります。途中、横浜という部落があって、名物のホタテ貝を堪能しました。大間の販売店主さんは、大の朝日びいきで大歓迎してくれました。美味しいマグロのトロのどんぶりをご馳走になりました。マグロにも色々あってインド洋で捕れるもの、大西洋で捕れるもの、いろいろあるようですが、築地市場では大間で捕れたマグロが最上とされています。かつて一匹2億円の値がついたこともありました。そのマグロは大きさが3メートル、重さが440キロだったそうです。

 近年、日本人が大好きなマグロがだんだん口に入らなくなりました。まして、マグロのマグロたる大トロ、中トロが店頭に並ばなくなりました。並ぶことがあっても目の玉が飛び出るほどの高値です。一体、どうしたのでしょう?それは、中国人が買い占めてしまうからだ、と言われています。中国人はマグロの赤身はどうでもよく、大トロ、中トロだけを狙って、いくら高くても買い占めてしまうそうです。中国と商売をしていた従弟の靖輝君が生きていた頃、上海の海産物料理店へ何度も行きました。大きな生け簀から魚を釣り上げて目の前で調理してくれる店があちこちにありました。日本にも昔ありました。それらの店がマグロの中トロ、大トロを扱うようになったのです。人間の口は日本人も中国人も同じです。いま、中国人の懐が肥えて高価なマグロをむさぼるように食べ始めたのです。弱ったものです。

2023年1月7日     七草粥                         

 いつの間にか今日は七草。毎年恒例にしている七草粥を作り、シミジミした思いでいただきました。七草はいまはセットになって売られているので、便利この上もありません。せり、なずな(ぺんぺん草)、ごぎょう(母子草)、はこべら(ハコベ)、仏の座(コ鬼タビラコ)、なずな(蕪)、すずしろ(大根)春の七草。

 いま、新潟県を含む日本海側の皆さんは、降り止まない雪に悩まされていることでしょう。私が新潟県全県を担当する数年前、サンパチ豪雪といって上越線が全線にわたってストップしたことがありました。当時は新聞は梱包されて上越線の新聞列車に積み込まれ、谷川岳の下を貫通する清水トンネルを抜けて新潟県全県に運ばれていました。その列車が豪雪のため越後川口で動けなくなったのです。応援にかり出され、何とか新聞梱包を列車からトラックに積み替え事なきを得ましたが、その際、朝日の担当員が定宿にしていた長岡の長岡館から七草粥の差し入れがありました。大鍋のコシヒカリの粥の中で、緑の春の七草が浮いていました。美味でした。生涯忘れることの出来ない美味しさでした。

2023年1月6日     福 袋                     

 年明け早々デパートや専門店は外国人客で賑わっています。いずれも新年に売り出されている福袋が目当てのようで、中には、100万円単位で大量に購入して故国へ持ち帰える人もいます。確かに、福袋には価格以上のものが入っていて割安ではあっても、必要でもないものまで買わされるので、結局は割高につくはずです。でも、その買い物の意外性が面白くもあります

 一昔前、長男夫婦と女の子の孫、次男夫婦と男女の孫、それに母親と、一緒に暮らす従妹の大勢が、練馬の我が家の座敷に集まって新年を寿ぐのが恒例になっていました。予定されたその日までに、私はデパートへ行って三つの福袋を用意し、みんなでそれを開けて品物の意外性を楽しみました。その、恒例となっていた新年の集まりもいつの間にか母親も亡くなり、孫達も成人してそれぞれの人生を歩み始めてからはなくなってしまいました。思えば、福袋を買い込んで中身を開け、意外性を楽しんでいるうちが人生の花の時期だったような気がします。

2023年1月5日   中国の劇的変容                              

 中国で人々が白い紙を掲げて街頭に立ち、政府の厳重なコロナ隔離政策を非難したのは去年十一月の二十日頃のことです。その運動は瞬く間に中国全土に広がりつづけ、やむなく、共産党の習近平政権は隔離政策を削除しました。するとどうでしょう、感染は物凄い勢いで中国全土に広がり、まだ、一ヶ月足らずしか経っていないというのに、死体の山が出来はじめ、全国の火葬場は焼却を待つ長い行列が出来る始末。僅か、一ヶ月足らずの間に、こんなにも変わるものか、と半ば仰天しながらテレビ画面に釘付けになっているところです。考えられるのは、中国人のほとんどがワクチン接種をしていないか、していても中国製のワクチンでは効果がなかったのか、いずれにしても驚くべき変化です。しかも中国ではまもなく春節が始まります。コロナの発端は武漢で始まったコロナ患者が、春節の時期に大多数でヨーロッパに旅行したことに起因しています。

 自国の不手際によって世界に漏洩したコロナ菌、それを隠そうとして感染者数を過小に発表してきた中国政府。人民の不満が爆発しただけで、大幅な緩和策をとり、収拾のつかないまでの感染者数の増大を招来してしまった中国共産党・習近平政権! 何とも劇的な変化であります。

 いずれにしても、中国人民の政府に対する信頼は大きく揺らいでいるようです。その証拠に、中国の富裕層は中国を捨て、世界各国に移住し始めました。東北や北海道の地味の良いところが彼らの狙いで、大量に買われているそうです。入国制限や外国人土地購入禁止令を出さなければ、今に日本は中国人で溢れかえるようにならないとも限りません。

2023年1月4日         苦瓜(ゴーヤー)                     

 スライスしたゴーヤーのオリーブ油炒めを朝食の定番にして、7、8年が経過しました。一本を三回に分けて納豆、目玉焼きとともに食しているのですが、納豆と卵はいつでも店頭にあってもゴーヤーはそうはいきません。季節を選ぶ品種だからです。今は水耕栽培が出来るようになって、キュウリ、トマト。茄子など一年中店頭を賑わしていますが、ゴーヤーはそうはなっていないようです。新年の入荷を期待して光が丘のスーパー三店を見て回りましたが、入荷はありませんでした。そうなると、意地でも探したくなリます。やっと、古ぼけたスーパーで去年からそこにあったような5~6本を見つけ、やれ嬉しや、とその全部を買い求めて来ました。

 夏の盛の頃、一本100円のゴーヤーをしこたま買い込んできてスライスし、天日干しにしたものがかなりあります。これを水で戻して炒めて食べる、、、、このときが来るのを密かな楽しみにしています。

  2023年1月3日        青学どうした!                      

 今、時計は午前11時。復路の箱根駅伝は平塚のあたりを通過中です。トップは依然として駒沢大。2位が中央大。異変が起きたのは3位だった青山学院です。3位から8位に大きく転落しました。他に順位を下げたのは順天堂大と東京国際大です。逆に上げたのは創価大と法政大と早稲田です。往年の覇者早稲田は5位から3位になりましたが、國學院に抜かれて今は4位。

 解せないのは3位から8位に転落した青学です。箱根山の下りで順位を落としているのです。原監督の選手起用の見誤りだったのでしょうか。世間に広く知られているように青学の競走部は、神奈川の淵野辺に合宿所を持ち、選手、原監督の家族もろとも共同生活をしています。ここ数年、それが奏功し、青学の競走部は一躍世間の耳目を集めました。その青学が3位から8位に転落とは!5人に抜かれたのですぞ! 何とも情けない!

 一昔前、早稲田の競走部も青学同様、気を吐いていました。その頃の競走部のマネージャーは私の小学校時代の恩師・上野雄二先生の孫息子の雄也君。献身的な活動をして早稲田競走部の名を高からしめました。

 あと数時間すると選手達が大手町の読売本社前に張られたゴールに飛び込んで来るでしょう。果たして、駒沢が1位のままゴールできるのか?それとも番狂わせが起きるのか? 青学の復活劇はあるのか、ないのか? 今日も昨日に続く穏やかな晴天。目が離せません。

2023年1月2日       ニューイヤーコンサート                

 恒例のニューイヤーコンサートが、ウイーンの楽友協会大ホールから、ウエザーメストの指揮で全世界に放映されました。今年はウイーン少年合唱団と少女合唱団が特別出演しました。新年を迎えるたびに、ほとんど毎年これを楽しみにして聴いているので、曲目のほとんどは馴染みのものばかりとなっています。小澤征爾が指揮をした年もありました。彼がウイーンに住み、ウインフィルの楽友協会の役職に就いていた頃です。演奏最後の曲目「ラデッキー行進曲」の時、後ろを振り向いて聴衆に拍手を即すときの仕草が、従来と変わっていたことを思い出します。

 遙か20年ほど前、このウイーンに三日ほど滞在し、楽友協会の扉を開けて中を覗いたことがあります。さして広くないホールで、天井から大きなシャンデリアが三つ。これと同じ形のシャンデリアが六本木のサントリーホールでも見られるのは何ともご愛敬です。このとき、ウイーンの72番の路面電車に乗って市民墓地まで行きました。楽聖達のお墓にお参りをするためです。電車を降りたはいいが、案内所も何もありません。幸い、通りかかったご婦人が親切にも案内してくれました。ベートウヴェン、シューベルト、モーツアルトのお墓が並んでいました。少し離れて、椅子に座ったブラームスがこちらの三人を羨ましそうに見ていました。その後10年ほどして再び市民墓地を訪ねる機会があったのですが、そのときお墓の位置関係がやたらに観光地化されていて興ざめでした。ブラームスの羨ましそうな素振りのお墓もなぜかなくなっていました。

 2023年1月1日           新年の抱負                

 新年明けましておめでとうございます。今日の東京の空は雲一つなく、太陽が燦々と輝き、風一つありません。降り積る雪に閉ざされ、曇天の中での生活を余儀なくされている北国の人たちには、全く、申し訳ない次第です。この輝かしい年の初めに当たって願うのは、先ず第一に「コロナには何としても感染しない」ことです。今、5回目のワクチン接種の通知が来ていますが、時期を見て接種して貰うつもりです。巷では、ワクチンの薬害が叫ばれ、接種拒否の人々が増えているようですが、私の場合、この3年余り感染から遠ざかってこれたのはワクチンのお陰でありましょう。少なくとも私はそう思っています。

 二番目に今年からやろう、と思うのは身辺整理です。私の母親が生きた93歳まで命を長らえることが目標ですが、1937年1月15日生まれの私は86歳になります。お陰様でここまで生きてくることが出来ました。この上は、何時お召しがきても良いように身辺を整えておきましょう。書籍、楽器、CD、DVD、家財、衣類、、、、沖縄のオバアのように、枕元に死に装束だけを残して別れを告げたいものです。

 そのためにも、近々、タイ・チェンマイへ行っ異友堀田さんに預けてある車の処分をしてこなければなりません。タイも日本と同じ交通ルールですが、国際免許は再発行してもらっても、彼の地で運転はしないつもりです。事故を起こしては台無しになってしまいます。

 そんなわけで今年はやることが一杯です。そうそう、今年の課題はピアノにもあります。12月末、フォーレの「シチリアーノ」をひっさげてヴィデオ発表会に臨みなしたが、1月からはベートウベンの106番ソナタ「ハンマークラヴィア」の第三楽章の「アダージオ」と取り組む積もりです。ロマンロランが愛してやまなかった曲です。彼の大作「ジャンクリストフ」の読み返しも、今年の目標に入れましょう。高校時代、受験勉強そっちのけで図書室に籠って読みふけったものです。

2022年12月21日    新潟大雪・交通麻痺                         まだ、秋あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゃゆゅよらりるれろわ・を・んアイウエオカキクケコサシスセソタチツテトナニヌネノハヒフヘホマミムメモヤャユュヨララリルレロワ・ヲ・ン

2022年12月20日    新潟大雪・交通麻痺                         まだ、秋の終わりの気配が漂っているのに、新潟では、県内のほとんどが60センチを超す大雪に見舞われ、交通機関や国道が麻痺状態に置かれるという異常事態になっています。新潟を二年間担当した私にとって、これは人ごとではあり得ず、心がキリキリと痛みます。私が担当していた頃の新潟は、豪雪に見舞われるのは上越の高田、中越の十日町、越後湯沢、小出、六日町などに決まっていて、新潟市や柏崎、三条などの海岸線の街での降雪は、ほとんどありませんでした。それがどうでしょう、今回は新潟県内の街のほとんどが60センチを超す大雪に見舞われているのです。正に、異常気象というほかありません。新潟県は富山県境の市振から山形県境の府屋まで、400キロに及ぶ細長い県です。そこを、国道と高速道路が走っています。その道路が大雪のため除雪が叶わず、車の大渋滞ができ、人々は車のガソリンの消耗を心配しながら閉じ込められているのです。脇道に出ようにも除雪が出来ていないからそれも叶いません。おなかも空くでしょう。寒さに震えていることでしょう。新潟県は自衛隊の出動も要請したようですが、県内すべての国道が通行不能になるなんて、新潟県始まって以来の出来事ではないでしょうか。

 願わくは、国道沿いにお住まいの住民の皆様、動きたくても動けないでいる車の皆さんを助けてやってください。食料を届けてやってください。暖房器具を持ち寄って暖めてやってください。お願いします。

 2022年12月19日    命 日                        今日は母親の祥月命日です。16年前の12月19日の明け方、清瀬の複十字病院で亡くなりました。93歳でした。最晩年は食欲も衰え、流動食以外は受け付けなくなり、医師の勧めで「胃瘻」という手術を受けたその明け方のことでした。前日の手術に立ち会い、手術は成功しました、の報を聞いて、やれやれと自宅に戻った数時間後、母親は亡くなったのです。明らかに医療ミスであるでしょう。それ以外に考えられません。知らせを受け、急いで清瀬の複十字病院へ駆けつけると、担当した医師と看護婦は、私に向かって深々と頭を下げました。怒り心頭を発し、担当者を怒鳴り上げ、医療ミスだとして大問題にすることも出来たでしょうが、何故か、冷静さが支配しました。甘んじて受け入れてしまいました。理由は、一度死んだものは二度と戻らないことを知っていたからでありましょう。裁判に持ち込んだからといって、医師に勝てる事例は極めて希なことを知っていたからでありましょう。加えて、93歳まで生きればトシに不足はないだろう、との思いもありました。

 思えば、母親の93年の生涯は波瀾万丈であったと言えるでしょう。私を育てるために一生懸命だった93年ではなかったでしょうか。

 今日は快晴の空。関越道路を東松山で降り、森林公園に連なる墓地へ行き、花を手向け、線香を灯し、沖縄のオバアの墓ではクリスチャンだったオバアのために主の祈りをずし、真ん中の連れ合いの姉夫婦の墓では般若心経を唱え、母親と連れ合いが眠る三つ目の墓では念仏を心ゆくまで唱えてきました。

 2022年12月18日    寒 さ                          小学校3年から高校時代まで長野にいたので、冬の寒さには慣れている積もりですが、同じ冬でもロシアやウクライナの寒さは、ちょっと、違うようです。意地の悪いロシアは、ウクライナの発電所や変電所などを狙い撃ちにしたため、多くの一般市民は暗がりの中で、寒さに震えながらこの冬をやり過ごさねばなりません。水も食料も不足し、その上、暖房もない生活を余儀なくされる人々が日に日に増えていることを、戦争を起こした者達は何と思っているのでしょうか。

 厳冬期の北アルプスの唐松岳に登ったのは高校2年の真冬でした。八方尾根まではリフトで上がり、その先はスキーにアザラシの皮を履かせジグザグに上りました。冷泉小屋に一泊し、翌朝、快晴の中を、右手に白馬三山を見ながら頂上を目指します。尾根に出た途端、強風が吹き荒れるなか、スキーをデポし、8本爪のアイゼンに履き替えます。そして、頂上制覇。外気温度は恐らくマイナス20度を超えていたでしょうが、身体を動かしているため、寒さを感じませんでした。その帰りの下山途中です。スキーもろとも雪の吹きだまりの中につ込んだ途端、右足のスキーが折れてしまいました。さあ、そこからは片足スキーです。片足だけで滑るのは何とも難しいものでしたが、麓の細野部落に明かりが点る頃、何とか下山出来ました。懐かしい思い出の一コマです。

2022年12月17日    N・S・S                       昨日の閣議で、日本の今後の防衛にとって最も重要な問題が、いとも簡単に変更されました。それは国家安全保障戦略についてです。俗にNSSと呼ばれる「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言葉を替えて、相手の領域内を直接攻撃できるようにしたことです。これは、日本の戦後から続いてきた安全保障体制の大いなる転換、と言っていいでしょう。しかも、その上、今後の5年間で防衛費を1・5倍にすることまで閣議決定されました。誠に、あれよ、あれよという間の出来事です。

 私が生きている間に起こりうるかどうかは別にしても、日本がこれから立ち向かわねばならない脅威は、言わずと知れた中国であり、北朝鮮であり、最近はその上、ロシアまでもが加わりました。日本はウクライナ同様、ロシアと国境線を同じにしています。その上、彼の国とは平和条約を締結しておりません。何せ、太平洋戦争の時には、ソ連は相互不可侵条約を一方的に破って、一万の大軍をもって満州国に押し入り、おびただしい捕虜を極寒のシベリアへ送り込んだ国です。

 この三国の脅威については、太平洋戦争を生き抜いてきた年寄りたちは元より、若い人たちにとっても共通の問題として捉えられ、しかも、最近は、その脅威が現実味を帯びてきているので、大昔の「安保反対!」とはならないような気がします。それにしても将来日本を背負って立つ若者達の無関心ぶりはどうでしょう、まだ、始まったばかりだから、理解するのに旬日を要すのかもしれませんが、それにしても、日本の将来に関する決定が、いとも簡単に閣議決定されてゆく現行の政治体制を憂います。

2022年12月16日    気候の不公平                       北海道は猛吹雪に襲われている、というのに今日の東京は快晴の空が広がっています。気候変動の著しい現象は世界的な規模で広がっているようですが、驚いたのは、地球の反対側のブラジルで大洪水が起きていることです。見渡す限りの平地が家の高さまで水に埋まっていました。原因は森林の乱獲だそうです。ブラジルは国の政策として森林を潰して、農地化する政策を推し進めていますが、それがアダになりました。森林の貯水力を甘く見た結果でしょう。

 日本もこれからが気候との戦いです。太平洋側は、連日、カラカラの天気だというのに、日本海側は雪もよいの曇天の連続です。新潟県を二年間担当して、日本海側と太平洋側の冬の気候の余りの不公平極まりない現実を、いやというほど知りました。

 その太平洋側のまっただ中、福島の浜通りに一週間後、二泊三日で出かけてきます。久しぶりの泉、平、富岡、大野、小高です。佐藤彰牧師にお会いし、「翼の教会」のクリスマス礼拝にも参加します。

 車の免許更新が来年2月に迫っていますが、返上する積もりは今のところありません。視力も、反射力も、衰えを感じません。しかし、少しでも異常を感じれば返上する積もりでいます。事故を起こしてからでは取り返しがつきません。安全運転を終始心がけて行ってきます。

2022年12月15日    ク エ                       寒さがつのって来るにつれ、ナベ料理が恋しくなってきました。青森の「しょっつる」秋田の「きりたんぽ」茨城の「アンコウ鍋」と色々ですが、その美味しさおいて飛び抜けているのが、北九州のフグ鍋、博多のクエ鍋ではないでしょうか。中でも「クエ」は今や幻の魚と化し、滅多にお目にかかれません。今から三〇年ほど前、九州小倉に単身赴任していた頃は、冬の宴会はいつも「フグ刺し」「フグ鍋」が定番で、「クエ」は滅多なことでは膳に上りませんでした。幸いなことに、博多では「よしおか」というスタンド割烹を前任者から引き継ぎ、目の前のガラスケースに横たわる「クエ」を見ながら、刺身や、鍋をいただくことが出来ました。当時は、小倉本社にも、博多駅前の朝日ビル内にも「営業局長室」があり、重宝にさせていただきました。「クエ」は深海の岩場を根城にする怪魚の一種です。大きなものは1メートル以上にもなります。あるとき、スタンド割烹「よしおか」の目の前のガラスケース一杯に「クエ」が横たわっていてビックリしたことがありました。

 フグ鍋も勿論ですが、それ以上に上品で味わい深いのが「クエ」ではないでしょうか? 私は現役で福島県を担当していた頃、ふぐ毒に当たって死にそうになったことがあります。12月の末の頃で選挙号外のため、福島支局に詰めていました。近くの「マンセイ」という料理屋で、徹夜になるので力を付けておこうと食べたフグ鍋に当たり、支局前の大原病院に担ぎ込まれ、お花畑を見るまでなりましたが、幸い命をとりとめ、30日の有楽町本社での打ち上げ会に間に合い、拍手で迎えられました。以来、フグには近づいておりません。専らクエを探し回るのですが、もはや、世間では幻の魚になってしまっています。何とか、もう一度「クエ」にお世話になってから「あちらへ行きたい」ものです。

2022年12月14日  軍事予算1兆円増額                       岸田総理が国防費1兆円を増額する、まず、現行の災害復興予算をそれに充て、たばこ税、所得税などを順次当てはめていく、とのたまいました。驚いたのは閣内から「総理の真意が計りかねる」「いかにも唐突である」などという異論が噴出していることです。9月の国葬決定もそうでしたが、岸田総理は独断専行型の人間なのでしょうか、少なくとも閣内に計って、そこで反対があろうとも異論があろうとも、私が総理である以上、これで行くと断行してこその総理大臣なのであるのに、閣内の意見の集約もとらずに、最も大事な案件をいとも軽々と決定しようとするところに、岸田文雄という人間の軽さが見え隠れします。

 日本の自衛隊の規模はかなり大きく、世界で7番目だったと記憶します。しかし、大きな足かせがあって、それは攻撃してくる相手国にこちらから攻撃をしてはならない、ということです。「防戦だけの存在としての軍隊」それが日本の憲法に明記されている国防の実態なのです。従って、極く普通の軍隊になるためには憲法を改正しなければなりません。

 かりそめにも私は早稲田大学第一文学部史学科の西洋史専攻に籍を置き、戦争のなかった時代はなかったことを学びました。と言うことは、いずれ、中国共産党は台湾併合に舵を切るのは必須と思われ、当然、アメリカとの軍事衝突は避けられません。とすれば、日本はある意味でアメリカの属国ですから中国からの攻撃対象となるでしょう。両国の軍事費から見れば、日本が増額する一兆円など微々たるものであるでしょう。でも、備えあれば憂いなしの例えのように、軍事予算にケチは付けられません。国の死活に関わってくるからです。その意味で軍事予算の増額はやむを得ないことなのです。ただ、岸田総理のやり方が稚拙極まりないという事実が露見した、ということなのです。誠に思慮の少々不足している国会議員を我々は総理として仰いでいるのです。

2022年12月13日  ロシアとウクライナ問題                       スイスのジュネーブに永住している知人から、ロシアとウクライナ問題に対するメールが届きました。3人のお仲間とのオンラインによるやり取りだったようですが、傾聴に値する部分もあるので、ご本人に断り無く、ここに再録させて貰いました。 

 「昨日は在欧の旧同僚と忘年会を開催しました。と言ってもそれぞれ英国 オランダに住みついている二人とのトリオです。本年の回顧がテーマ。」

 当然のようにウクライナ問題が筆頭に上り口角泡を飛ばした次第です。相手は二人とも「主権国家を勝手に侵攻した悪者はプーチン。自国防衛をするウクライナには武器提供も含めて援助するのが当然。旧ソ連と左程変わらないロシアは 民主主義の価値を理解していない。」との一点張。カフェでだったら 掴み合いしたいぐらい だという意見も出て来て わらいました。

 自分達が 絶対に正しい。と主張するだけで 妥協とか 話し合いの道をまず探そうとしない限り 犠牲者は増える一方だと 私は思っています。ウクライナもロシアも最初は一つの国だった。古代ルーシの首都はキエフだった。つい最近までは 歴史も共有していた。少しでもロシア語ができて ロシア文学に描写されるロシア人に親しみを感じるならばもっと別の見方ができる筈だと 密かに信じています。現在の施政者がどれほど悪者であっても。日本が真珠湾攻撃をして無闇矢鱈にアジアで暴れ回っていても 日本語の美しさとか 日本文化の美を愛おしく思う欧米人も少数ながらいた筈。もう一つのテーマは「日本との絆でした。この春 母親をなくしてから 日本との絆がぷっつり切れてしまって 大海の波に揉まれる漂流物みたいな気分だけれど あなたたちは どうですか と尋ねられました。オランダ在住の友人は 読書も9割方 非日本語系だし 地球市民になりかかっている模様。私一人が 日本語にしがみつき 望郷の念にもかられているようでした。両親との乳離れは早くからあったし 日本を離れた経緯も他の二人とは異なるので 親の存在とはほぼ無関係な絆が 私にはあります。心を割って話せる友人も日本にはいる。スイスには一人いる程度。(後略)

2022年12月12日   世間は賑わっていた                     昨日は一ヶ月ぶりに西武線に乗り、池袋から地下鉄銀座線でお茶の水で降り、総武線で錦糸町まで行きました。昔の江東楽天地は既に瀟洒なビルになっているのですが、そこを通り抜けて仲間の待つ碁会所へ到達しました。どこもかしこも人の流れは尋常でなく、全員が全員ともマスク姿であることを除けば疫病コロナの気配は全く無く、穏やかで平和な人々の生活がそこにありました。しかし、東京では毎日1万人以上の感染者が新たに報告され、昨日は医師会の尾身会長までが感染したことが報じられました。当然ワクチンを打っていたでしょうが、それでもコロナは人を選ばないのです。と言うことは、ワクチン四回接種の私も感染を免れることが出来ない現実があることを意味します。    だから、たとえ5回目を打ったところで感染する確率はゼロではないことが分ります。

 一億人を超す日本人全員が感染するまでコロナ禍は続く!のではないでしょうか? 自宅待機を強いられ、激しい苦しみから生還したら、2度とは感染しないのでしょうか? 

 囲碁の会が終わって近くの居酒屋へ直行し、お互いの無事を祝しながら酒宴が始まりました。久しぶりなので、酒量が上がり今日は二日酔い気味です。ことに寄ったら、コロナ菌は私の体内で活動を開始し始めたかもしれません。

2022年12月11日   天才は双葉より                     昨日は目白の椿山荘で、朝日新聞が主催する囲碁名人戦での勝者を讃える式典が行われました。中村史郎朝日新聞社長から允許状が芝野虎丸9段に手渡されました。最終局は正に死闘で、井山裕太本因坊の白石が盤上をのたうち回り、最後は殺されました。まれに見る激闘でした。一週間前のNHKの囲碁番組で芝野虎丸と関太郎の若手同士の一騎打ちがありましたが、22歳と19歳の死闘です。AIを駆使した次元の違う碁が打たれました。もう、囲碁の世界でも年寄りは既にお呼びでなくなっていることを知らされました。ところで明日は久しぶりに錦糸町まで出かけます。囲碁の会が昼からあるからです。電車の乗るのは正に一ヶ月ぶりです。まして、碁石を握るのは何ヶ月ぶりでしょうか。棋力の衰えを感じて落胆しながら帰って来るかもしれません。

 ところで、若手の快進撃と言えば女流の囲碁の世界でも同じです。藤沢里菜、上野愛咲美の時代を脅かしているのが、僅か13歳の仲邑菫です。今日の週間碁の紙面は日頃、藤沢に教えを受けている13歳が、恩師にタイトル戦で勝ったことが報じられています。

 一方、音楽の世界でも若手が活躍しています。バイオリンの村田秋保、御年11歳の小さな女の子です。オーケストラを率いて堂々たるソロを弾きこなしています。出身は茨城県の水戸だそうですが、茨城に天才を生み出す力があったのかどうか、甚だ疑問です。13歳と11歳の女の子同士。今後の活躍が見ものです。

2022年12月10日    整理しよう             

 朝刊をいつものようにパラパラやっていましたら、音響製品の高価買い取りの広告が出ていました。アンプやオープンリール、スピーカー、楽器、、、そういえば家の地下室には、久しく使っていないそれらのものが眠っています。おびただしい数のレコード、CD。それのためのターンテーブル、アンプ、大型スピーカー2基、バイオリン、三味線などなど。

 「そうだ、この際、整理しよう。私もトシだ」と何やら啓示らしきものを受けました。整理しなければならないものに本もあります。「日本の名著・全巻」大佛次郎「天皇の世紀・全巻」「埴谷雄高集・全巻」「三島由紀夫全巻・初版本10冊ほど」、、、、、 

 どれもこれも、若いときから集めてきたものでそれぞれに愛着があるのですが、これから渡らねばならなくなる「三途の川」を担いでいくわけにもいかないでしょう。だからといって、子供や孫どもに残したからといって宝の持ち腐れになること必定です。

 そこで思い起こすのは沖縄の「オバー」の死に方です。自分の持ち物一切を近親者に与え、枕元に死に装束だけを置いて死んでゆきます。今際のサイ、「オバー、水飲まんね」と問いかけると「いらん、途中で粗相してはいかんから、」 私も自分自身の死に方を考えなければなりません。

2022年12月9日      防衛費増額       

 共産党一党支配の中国の国防予算は、年々膨らみ続けています。呼応してアメリカの国防費も増額の一途をたどっています。日本はどうでしょう?ヤット重い腰を上げました。増税を図り、一兆円の増額が決まりました。ただし、増税は来年以降に持ち越されます。軍事国防費に巨大な予算をつぎ込んでいるのは、アメリカです。その次が中国です。中国の軍事予算の膨張ぶりには驚くべきものがあります。その狙いは、言わずと知れた、南沙諸島、尖閣諸島の領有化と台湾です。それをさせじ、と踏ん張っているのが民主主義の国アメリカです。中国が台湾支配に動き出せば、民主主義の危機ですからアメリカが対応に乗り出すでしょう。すると、日本のアメリカ軍基地が中国の攻撃目標になること必定です。沖縄、横須賀、横田、十和田などにミサイルの雨が降るでしょう。かりそめにも日本領土が攻撃された場合、日本は黙っておれるでしょうか? かくて、好むと好まざるに拘わらず、日本は中国との全面戦争に巻き込まれていくのです。すると、防衛費はいくらあっても足りなくなります。それを予測しての、このたびの1兆円の増額です。税金でまかなうのです。増税は再来年から始まるそうです。恐らく年金の減額にも繋がっていくでしょう。

 ここ2000年の世界史を見ても、戦争のなかった時代はありませんでした。今も、厳冬期の東ヨーロッパでロシアとウクライナが戦火を交えています。明日の日本がそこに見え隠れしています。

2022年12月8日      戦争勃発の日       

 今から77年前の今日、大日本帝国は世界の強国を相手に戦争を始めました。アメリカ、フランス、イギリス、オランダ、そして中国共産党と中華民国がその相手です。なぜ、無謀とも言える戦争を日本は始めたのか?日華事変で勝ちを占めた軍部のおごりがありました。「神国日本」に対する幻想がそこにありました。そして、77年前の今日、ハワイの真珠湾奇襲攻撃で戦果を納め、軍部の独裁のもとに、国民に多大の犠牲を払わせ、おまけに原子爆弾まで落とされて20年8月15日、日本は降伏したのです。戦犯となって拘留された33人の軍人達の裁判が行われました。いわゆる東京裁判です。全員が全員とも「私は上官の命令に従ったまでで、私に罪はありません」と陳述しました。(丸山真男著・現代政治の思想と行動参照)

 この日、臨時ニュースを聞いた母親は、青い顔をしながら私を連れて吉祥寺の「パン屋」へ走りました。当時、井の頭公園近くに住んでいたのです。パンはすべて売り切れていました。売れ残っていた菓子パンをしこた買い込みました。そのときの母親の切羽詰まった青い顔を今でも鮮明に思い出すことが出来ます。その後、新井薬師の門構えの家に移って、上高田国民学校の一年生になるのですが、直ぐに福島の浜通り富岡へ学童疎開させられます。5月25日の山の手空襲で家は焼かれ、命だけは助かった母親が福島の私を連れて長野の母の実家にお世話になります。軍部の独裁によって引き起こされた悲惨な戦争、そこに何らかの価値があった、と言えるでしょうか?

 同じ苦しみと哀しみを、地球の反対側で、ウクライナの人たちが、いま、受けているのです。 

2022年12月7日      NHK会長人事       

 期待していた前川喜平さんのNHK会長人事は、水泡に期してしまいました。稲葉延雄という元官僚が割り込んできたのです。静岡県出身、東大経済から日銀入社。総裁選に打って出るも、黒田氏に破れ、退社。リコーの経済研究所の所長。72歳の高齢。かくて、前川喜平さんを押す四万五千票の署名は水泡に帰してしまいました。どうして、時の政治は一般民衆の声を無視するのでしょうか? NHKの改革は誰が見ても必要なのに、またまた時の政治によって蔑ろにされました。恐らく、前川さんを放擲した、前菅官房長官の意向が働いたのでしょう。岸田総理がそれに反対して、前川会長を実現させていれば、岸田の株も上がっただろうに、岸田の懐の浅さを憂いたい思いです。

 麻生、二階、細田などの老害が今もってはびこっている自民党に限界は来ないのでしょうか? それにしても、NHKの内部事情に誰よりも詳しい、NHKOB会の皆さんが前川さんを望んだのに、それを無視して再び官僚出身者をそれも高齢者を選ぶとはな何事でしょうか!

2022年12月6日      学園都市茨城       

 昨日は茨城県の悪口を書きましたが、この県の大きな特徴は、太平洋に面して平野が続く起伏の少ない土地柄だと、いうことです。筑波山がありますが、小さなコブのようなものです。気候は温暖極まりなく、土地が肥沃なため、作物の生育には最も適した土地柄ゆえ、人々の生活は豊かです。生活するためだけなら、茨城にいれば苦労がありません。日本海寄りの県の人たち、および、東北六県の人たちは、半年は雪に埋もれた生活を強いられます。生活を維持するためにはのんびりとしては居られません。知恵を働かせて生きてゆかねばなりません。その差が県民性に表れるのではないでしょうか?

 筑波山の麓近く、笠間観音の隣に「美野里町」という小さな集落があります。最も温暖な気候と肥沃な土地柄に長年恵まれて来た結果、町中が豊かさに満ちていました。貧しさのかけらも見られない特異なところでした。定年後はここに居を構えて晩年を過ごそうか、と真剣に思ったくらいです。

 近年、筑波山麓の肥沃な南茨城めがけて、東京都心からあらゆる研究機関が押し寄せてきました。学園都市がそれです。私が担当し終わった頃からその動きは顕著になり、都心の日暮里から学園都市まで高速鉄道が出来てしまいました。ここ数十年で見違える変化を遂げているのが茨城県南部です。

 「担当した中で、最もガサツな県、それは茨城」などと言っておれなくなりました。

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