最近のエッセイ

2014年11月9日             存在が思惟を決定する

 存在は思惟が決める、とはヘーゲル哲学の命題ですが、平らったく言えば、体調が悪いと文章も書けなくなる、ということです。先月の13日に始まった咳を伴う風邪の具合は、一向に良くなる気配がありません。おまけに、一昨日からぎっくり腰も加わりました。何かの拍子に「骨が動いた」という感覚があって、それから立ち居振る舞いが痛みを伴うものになってしまいました。

 昨日は、恒例の販売OB会でした。有楽町のニュー東京の9階のホール「ステラ」で行われました。我が友宮沢君が会長になって以来、各人の趣味を披露するという、かつてないアイデアが受け、OB会員の書画、作陶、手芸品などが所せましと置かれました。中には、お茶をたてて供する会友もいました。私も10冊ほどの自作の本を300〜500円で売りつけ、その上がりを会に寄付することをしてきました。一昨年は「トーヤイバル」、昨年は「ジョーク集」、今年は出来上がったばかりの「ショパンシリーズエッセイ集」でした。

 三年前からオヤジバンドが加わりました。バンマスはベースの大久保、ギターは崎川、チエロが鈴木、ハーモニカが堀口、尺八が山本邦三の高弟の久富、ボーカルが紅一点の高比良、そしてピアノが私、という7人編成のバンドです。今年も三曲やらせてもらいました。一曲は「想い出のサンフランシスコ」でした。

 朝日新聞四面楚歌の今日、歌舞音曲は控えるべしとの意見もあったのですが、「こういう時期だからこそ、やるべし」という宮沢会長の決断で、専務取締役東京代表の飯田君ら現役幹部のいる前で、堂々と演奏したのでありました。

 本当は、欠席したかったのであります。でも、私が休んだらピアノはどうなるでしょう。腰に痛み止めのロキソニンをべたべた張り、喉元にはカイロを貼り付け、10冊の本と楽譜を持って、そぞろ歩きしながら行ったのでありました。演奏が終わり、注いでもらったビールの旨かったこと。打ち上げの二次会の頃には酒の勢いもあって腰の痛みは無くなっていました。咳も出なくなった気がしました。バンド全員の意気が上がり、来年の5月にはライブハウスで演奏会を行うことが決まってしまいました。

 その反動が今日来ました。明日は東京女子医大へ行きます。

 


2014年10月30日              イスラーム

 いま、「イスラム国」が世界を相手に戦いを挑んでいます。外人部隊まで組織され、日本からも参加しようとして逮捕された事件がありました。彼らを突き動かしているものは何か?イスラムの経典に他なりません。その経典はコーランでありましょう。少し、勉強してみよう、それには、コーランを読むことだ、と思い立って、アマゾンを探ってみました。無いのです。日本語訳のコーランは全くないのです。大昔に岩波が刊行した井筒の三巻の解説書はあります。これなら、わが書斎にもあります。しかし、原典に当たってみたいではありませんか。意外なことが分かりました。「コーランはアラビア語以外で読んではならん」という掟の存在でした。英語もドイツ語も、フランス語にも翻訳されたコーランは、世界中にないのでありました。まして日本語においておやです。

 この排他性は何なのでしょうか。あの、ヘビがのたうちまわっているような文字に精通しない限りコーランは読めないのです。恐らく、世界中から「イスラム国」に集まってくる多くの若者は英語は話せても、アラビア語まで話せて読めるかどうか、これは疑問です。それなのになぜ志願していくのか? ますます疑問です。つまり、イスラームの経典であるコーランを読んで、共感を覚えてイスラームに改宗し、その大儀のためにテロであろうとも戦う、という当然と思われる図式が成り立っていない、と言えるのです。

 私の仕事場のベットに、一冊の古いアサヒグラフが置いてあります。1999年のもので、建国100年のサウジアラビアを撮った写真が満載されています。撮影者は野町和嘉。彼はイスラム教に改宗して入国を果たしました。サウジ王国では異教徒はオフリミットだからです。メッカのカヴァア神殿を中央にしていっぺんに100万人が祈っている一枚があります。圧巻です。毎年、200万人を超える巡礼者がやってくるその有様を寫したものもあります。湧き出でる石油の富によって、限りなく贅を尽くした建造物がメッカやメジナには乱立しています。どれほど、行って見たいと願ってもイスラーム教徒以外、入国禁止です。ならば、イスラームを勉強しようとしても、日本語訳のコーランは皆無なのです。

 極端に排他的なイスラームという世界。その教徒が一日に二万人づつ増えているというではありませんか。 勉強しようにも出来ない、行きたくても行くことが出来ないイスラームという世界。どうすればいいか、どなたか教えてくれませんか。

 


2014年10月25日             「赤富士の会」での挨拶

 朝日新聞の販売に「赤富士の会」があります。25年以上販売店経営をし、しかも、成績が優秀なお店に、新年祝賀会で毎年「赤富士の額絵」が贈られています。その受賞者一同が、現役、退役を問わず集まって旧交を温める、いわばロートル同志の会です。昨日、銀座東武ホテルで開催されました。私は毎年のその会の最後に、全員が歌う「朝日若人の歌」のピアノ伴奏をしてきたのですが、今年は挨拶を頼まれました。取締役販売担当以下本社幹部、協力紙代表など約100名を前にして、次のような挨拶をしました。体調は相変わらず悪かったのですが、そんなことは言っておられません。しかし、何とか無事にその役割を果たすことができました。頭の中で纏めた挨拶内容を、後日のために、また、忘れないうちに、ここに記しておきます。

 「えぇー、今日はこの席に元取締役の宮沢さんが見えておりません。風邪で38度の発熱があり、くれぐれも皆さんによろしくとの電話がありました。お伝えしておきます。ところで、これからお話することは、差しさわりのあることばかりなので、小さな声でやるようにします。業界紙の皆さんが、今日は四社もおいでのようですが、どうか私の話はお見逃し下さいますように。秘密保護法で訴えるようなことがないよう、事務局の加藤さん、よろしくお願いします。

 皆さん、30年ほど前のことを思い出してください。目標達成のご褒美旅行、朝日会、支部会の団体旅行などが華やかだったころのことです。私たちは何処へ行ったでしょうか。韓国や台湾でしたね。その頃、韓国ではキーセンパーテイが盛んで、両国とも、売春禁止法は施行されていませんでした。日東航空の吉田さんが仕切る飛行機に乗って台湾に着くと、まず、それらしいところへ連れて行かれます。ガラス越しに、並んでいる女性を番号で選らび、免税店を回ってホテルへ到着すると、その女性たちがすでに来て待っていました。どこからともなく、赤羽の犬養さんが現れてその首尾を見ていましたね。この経験はあとを引き、特に千葉県では成田が近いためか、国内旅行と偽って台湾へ飛ぶ猛者が現れました、中には、妻を離縁して、台湾女性を向かえ入れた例もありました。皆さんのお仲間の一人が、北海道旅行の筈なのに、なぜか韓国で死亡し、当該部長がもらい下げに行った、などということもありました。

 この傾向は、何も朝日だけに限りませんでした。読売も、毎日も産経も同じでした。新聞業界のみならず、ほとんどの企業が、台湾、韓国旅行を、頻繁に行っていました。

 この実態を、月刊文芸春秋に内部告発した朝日の記者がいます。しかも朝日の社旗を掲げた団体全員の写真付です。松井やよりという女性記者です。東京外語大学英語専攻A組出身の才媛です。私と同期入社の紅一点、しかも、美人でした。社内の大問題になりました。海外団体旅行は、即、禁止となりました。そして、しばらくして、韓国でも台湾でも、売春禁止法が施行されます。

 一躍、脚光を浴びた松井やよりは、止せばいいのに、戦時中の慰安婦問題に手を染めます。戦時下での韓国女性の性的虐待をとりあげました。彼女は、社会部から立川支局長、編集委員などを務め、64歳で死亡するのですが、10冊ほどの著書があります。全部が女性の性的虐待に関するものばかりです。何故か。

 それは、彼女の生い立ちに関係します。彼女は東京の山手教会の牧師の娘でありました。「汝、姦淫することなかれ」と、幼児の頃から刷り込まれていたのです。

 東京の松井やよりに対抗するように、大阪方が慰安婦問題で狼煙を上げます。韓国に一年間語学留学をし、韓国人を妻に迎えた大阪社会部の若い記者が、吉田証言なるものを検証することなしに記事にします。女子挺身隊20万人が強制的に収容され売春を強要された、というものです。女子挺身隊という組織は確かに存在しました。しかし、強制労働は課せられたものの、全員が売春を強要された、となるとこれはいささか疑問です。物的証拠はないのです。

 一般に、歴史はその陰の部分を隠ぺいします。人類の歴史はある意味では戦争の歴史です。略奪、強姦は十字軍の昔からありました。戦争の裏面は女性の性的虐待であった、と言っていいでしょう。その部分を国家管理にしたのは、日本の軍隊と、ドイツのナチだけです。戦争当時、兵隊の給与は24円でした。軍隊に付属するピー屋と呼ばれるその場所は一回5円でした。将校は8円。行列ができて、「おい、早くしろ」と、尻をド突かれたそうであります。強制もあったでしょうが、中には金を貯めこんだ者もいたそうです。1000円で家が一軒買える時代に32000円、つまり30軒以上買える金を貯めこんだ女性もいたそうであります。しかし、そのすべては伝聞証拠以外の何物でもないのです。敗戦と同時に、物的証拠や記録は全て破棄されたのは言うまでもありません。吉田証言を検証する委員会が、最近、遅ればせながら組織されましたが、一体、どうやって検証する積りなのでしょうか。

 検証することなしに、記事にしてしまった福島原発の吉田調書も、同じ過ちを犯しました。特報部の暴走と言っていいでしょう。調査報道は、リクルートの例を見るまでもなく、地道な努力がその底流になければなりません。

 ところで、福島県が原発を導入するかどうか、大きく意見が分かれている頃、私は福島県を担当していました。御承知のように、原子力発電の推進役を務めたのは読売新聞社主の正力松太郎です。電源開発の総裁まで勤めました。福島では、読売とその傘下の県紙福島民友が、導入賛成の論陣を張りました。朝日と毎日が慎重姿勢でした。ところが、毎日の傘下の福島民報が毎日の意向を無視して、賛成の論陣を張りました。何故か。それは、莫大な量の広告を電力会社からもらっていたからであります。その仕組みを作ったのは、電源開発と電力会社、そして、電通と読売新聞でした。地方紙は原子力発電がいかに有益で安全なのか、というおためごかしの意見広告を頻繁に掲載したのであります。全国の地方紙は莫大な金額の広告を貰う以上、〈原発導入は反対〉という論陣を張れなくなったのであります。最近、「広告と地方紙」という本が出ました。それによると、地方紙が掲載した原発の広告は、金額に換算すると、何と、1兆3800億円に上るそうであります。この金の出所は、我々の電気料金です。したがって、読売は、今も原発再稼働に賛成の論陣を張っています。つまり、福島をダメにしたのは読売である、と極論することが出来ます。火山列島である日本の原発が再稼働し、再び事故が起きれば日本はどうなるのでしょう。その元凶は読売なのであります。

 その読売が、朝日の今回の事件を〈もっけの幸い〉とばかりに、「A社作戦」を展開しています。パンフレットの全戸配布、傘下の中央公論を使っての朝日誹謗の本の出版、電話会社を使っての電話拡張、などなど。あまりの過激さに、非難の声がでるほどです。いまのところ、朝日の固定読者の落ちは10万部ほどのようですが、この責任をとって社長が辞任する年末には、更なる落ちがでるでしょう。

 皆さん、我々はもはや、棺桶に片足を突っ込んでいる高齢者ばかりでありますが、この事態をただ、傍観しているだけでいいのでしょうか。突っ込んだ片足を棺桶から引き抜いて、再び現場に出ようではありませんか! 萎縮している販売店従業員を励まして歩こう、ではありませんか! 読者の理解を求めて、説得に回ろうではありませんか! 我々をここまでにしてくれた、朝日のために、読売と戦おうではありませんか!

 いま、新聞は急速に衰退しています。雑誌、書籍を含めて、紙媒体は日々後退を重ねています。「新聞は取らない、読まない、触らない」時代になっているのです。若者などは「タダでもいらない」と言う始末です。10年前には微々たるものであったネット広告は、いまや、全新聞広告料を凌駕し、1.5倍になろうとしています。それなのに新聞はメンツにこだわり、売れない、つまり宅配されない部数まで印刷しています。8年ほど前、日本の全新聞発行部数は5300万部でした。そのうち、800万部は梱包を解かれることなく、中国へ輸出されていました。中国シンセンではそれを電気製品のダンボールにしてました。今、全国の発行部数は4800万部にはなりましたけれども、宅配されない率は依然として同じです。発行部数1000万を悲願とする読売新聞の覇権主義が、その元凶であります。どれだけの森林資源が浪費されているか、老いぼれて、よちよち歩きをしながら権力にしがみ付いている、読売のナベツネにはそれが分らないのです。

 新聞はもう、部数が多いの、少ないのと言っているときではありません。どの系統の新聞を問わず、販売網が崩れかけて来たではありませんか。優秀な販売人が、この業界を去って行っているではありませんか。新聞社も販売店も、縮小均衡経営に舵を切らねばならない時代なのです。紙媒体の衰退は世界的傾向であり、止める術はないのです。敵も味方も協力しあって、販売網を維持していく時期になっているのです。

 その意味では、今回の事件は天から与えられたチャンスであります。見かけの部数に拘らない、正しい商売を取り戻す、絶好の機会でもあるのです。

 現役の皆さんに申し上げます。僅か十数年前までは、販売店に残紙があることは恥でした。僅かの残紙が発覚して、取引停止となった例は、沢山ありました。いまはどうですか。売れない紙があるのを知りながら「何とか維持してくれ」と哀願して回っている有様ではありませんか。読売も同じです。紙を切ろうとしません。地方紙とて同じです。札束で販売店主の頬を叩いて、売れない新聞を持ちこたえさせているのが現状です。正しいことが言えない、出来ないでいる若い現役の皆さんの無念のお気持ち、お察しいたします。

 販売担当取締役の細見さんの父君は、西部本社の名だたる営業局長でした。その時代に西部本社に余り紙はあったでしょうか。ここは、細見さん、踏ん張りどころです。身体を張って、昔の正しい販売を取り戻してください。注文部数は割り当て部数ではなく、販売店からの自主注文にしてください。思い切って朝日の余計な部数を切って下さい。恐らくあなたは責任を取らされるでしょうが、いいじゃありませんか。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もありです。どうか、今回の朝日新聞の危機を、チャンスに変えてください。心からそれを願っています。御静聴、有難うございました。 

 

2014年10月19日              体調不良 

 先週の土曜日のことです。インフルエンザの予防接種の通知が来ていたので、早めが良かろう、と思い、罹りつけのクリニックでやってもらいました。ところが、その翌日から、悪寒、咳、怠さが襲ってきました。慌てました。潜伏していた風邪のビールスが、インフルエンザビールスの加勢を受け、発症したものと、解釈することにしました。食事の支度以外は起き上がらない生活に切り替えました。何をするのも億劫になりました。当然、このブログのことも等閑になりました。

 82キロのガタイであるにもかかわらず、どういうものか、私は気管支系統が弱いのです。体調は回復しても咳が残る、という傾向に苦しんで来ました。咳は体力を消耗させます。何時もだと、二月から三月にかけて、丁度、花粉症の時期に重ねて苦しむのですが、何故か、今年は10月からになってしまいました。

 特に気をつけねばならないのは、肺炎への移行です。それに、間質性肺炎です。気管支喘息も要注意でしょう。年齢が進むにつれ、気温の変化に付いていけない体になっていることを、十分自覚して、必要以上の注意が必要です。困ったものです。

 体調をかばいながらも、本作りは快調です。「ショパンシリーズエッセイ集NO.5ショパンのワルツ」は今日で35冊の印刷を終了しました。ベトナム、カンボジアのカラー写真がふんだんに使った、自分にしては最高の出来栄えの本が出来上がりつつあります。とりあえず、50冊を目標にしています。

 自己満足以外の何物でもないのですが、自分にとって、好きなことをやるために、生きながらえているのですから、仕方ありません。何もせずに、無為に暮らすことは、私には耐えがたいのです。


2014年10月9日               一国二制度

 香港の市庁舎や目貫通りで、香港の学生が座り込みを続けています。街の機能が麻痺するほどの大規模な座り込みです。

 ことの発端は、香港の最高統治者を選挙で決めるに当たって、民主主義的な選挙は、一応実施するものの、被選挙人は、中国の全人代が選んだ者に限る、としたことによります。中国や北朝鮮以外の民主主義国では、選挙に当たっては、誰でも立候補して被選挙人たりうることができます。つまり、民主主義においては選挙制度こそが根幹であり、その原則は、侵してはならないものなのです。

 香港がイギリスから中国に返還された折、中国は世界に向けて、「一国二制度を50年に亘って認める」と公約しました。ところが、返還されてから13年にしかならないのに、中国はその約束を反古にしようとしているのです。

 返還時の香港の中国本土に対する経済的影響力は、16%を超えていました。ところが、その後の中国経済の躍進は目覚ましく、昨年の影響指数は3%に落ち込んでいます。それを背景にして、13億4500万人の中国が僅か700万人の香港に圧力をかけ始めたのです。50年間は香港の民主主義を認めるという、一国二制度を否定し始め、選挙制度を形骸化する一般教書を発表したのでした。

 若者たちが反発したのも当然です。「中国人である前に、我々は香港人であり、自由選挙は死守しなければならない」 というのが彼らの主張です。

 アメリカを始め、世界のほとんどの国が、学生支持に回り、中国政府を非難しています。殊にイギリスの首相などは「返還時の約束はどうしたのか!」 と真っ赤になって怒っています。ところが、中国の外相は「香港学生支持の表明は、明らかな内政干渉である」 と一歩も引きません。

 実に、面白いことになってきました。民主主義対共産主義の根本的対立が、香港で勃発したのです。ウイグル自治区や、チベット問題を抱えた中国は、一歩も引くわけにはいかないでしょう。どんな妥協案を示したところで、学生たちも引くわけにはいかないでしょう。もしかすると、天安門事件のように、軍部が学生に向けて発砲することもありうるかもしれません。なぜなら、自由選挙を認めることは、自国の制度の否定に繋がるからです。

 民衆の一部が、学生たちの排除に一役買って出ていますが、これは経済機能が麻痺しているからであって、根本の考え方は学生たちと同じであるようです。ただ、〈長いものには巻かれろ〉 という致し方ない智慧の発露が垣間見えます。大人には学生たちの純粋さが無くなってきている結果でしょう。

 今後、どうなるのか。落としどころはあるのか。

 私は、この騒動に落としどころはない、と思います。「香港の自治は、中国政府が授けてやっているのだ」、という思い上がりが、今度の一般教書に盛られている以上、中国側が妥協するとは考えられません。世界の世論を無視しても、強行突破するのではないでしょうか。血を見るのは明らかでしょう。

 香港の動静から目を離せません。

 

2014年10月6日              高円宮様のこと

 昨日、高円宮様の次女典子さま(26歳)が、出雲大社の宮司さん(41歳)と華燭の典をあげられました。泉下の宮様はどんなに喜んでおいででしょうか。

 当時、朝日新聞宣伝部が主催する音楽会に、高円宮家の御家族全員がお出でになる、という知らせが飛び込んできた時は、緊張しました。音楽好きの私の発案で、朝日新聞読者による「朝日友の会」という組織をこしらえ上げ、銀座の梶本音楽事務所や、榊原音楽事務所と組んで、さまざまなクラシック音楽会を開催していたのでした。読者に毎月配る一枚紙のカレンダーの裏に、友の会主催の出し物の告知をすることを考え出したのも私でした。朝日の読者で会員登録があれば、料金が二割引きされるため、音楽会は直ぐに満杯になりました。

 その一連の音楽会の一つに、高円宮様ご一家がお出でになったのです。昭和女子大講堂で行われた当日、正装してお迎えいたしました。ご夫妻のほか、三人の小さな女の子をお連れです。次女の典子さまは小学生ぐらいであったでしょうか。さして音楽には興味なさそうなご様子でした。

 私は高円宮さまの横に座って、ご下問にお答えします。休憩時間には控室にご案内して、紅茶とケーキを召し上がっていただきました。厳選したケーキであったためか、三人のお子さん方はペロリと平らげてしまわれました。お三方とも、子どもとしての愛くるしさはあったものの、さして美人でもなく、大きくなったらどうなるだろうなあ、といらぬ心配をしてしまいました。その半年後、高円宮妃がお一人で音楽会にお出でになったこともありました。確か、高円宮の秘書をしておいでになった方だそうで、もともと庶民的であられたのです。

 数年して、まだお若くていらした高円宮さまが、スカッシュのプレイの最中に心臓麻痺でお亡くなりになる、という報に接したときは本当に吃驚しました。気さくで、素晴らしい笑顔を振りまく方でありました。

 宮家のお相手といえば、こんなこともありました。やはり、朝日新聞社が名義主催している、「全国社交ダンスコンテスト」が後楽園ホールで行われたときです。主催者側は夫婦同伴で出席しなければなりませんでした。しかも、主催者代表ですから最上席です。嫌がる妻を何とか説得して出席いたしました。そこへ、社交ダンス協会の名誉総裁でおいでになる高松宮様がお出でになったではありませんか。そして、奇しくも妻の横へお座りになったではありませんか。 なお且つ、気さくに妻に話しかけるではありませんか。 元より妻は、その方がどなたか知りません。迂闊にも、私まで宮様がお出でになることなど露知らず、まさか、隣りの妻に耳打ちするのもままならず、慌てましたねえ。知らないとは怖いもので、妻は、どこかの小父さんと話すように、物おじせず、受け答えしていました。何度か宮様は笑い声をたてられました。後でお隣が、天皇陛下の弟君だと知った妻は、一瞬あっけにとられ、「失礼なこと言わなかったかしら」 と青くなっていました。

 おすべらかしという髪型で、古式床しく神前に臨んだ26歳の典子様には、音楽会でケーキをぱくついていた面影は、もうそこにありません。父君の面影を宿した一人の女性でした。幸せを願わずにおられません。

 

2014年10月3日              物価が上がる

 自分の口を自分で糊している身にとって、食料品の値段には敏感にならざるを得ません。断捨離を実行している私にとって、耐久消費財や衣料品の値上げなどは、全くの他人ごとですが、食料品になるとそうもいきません。厚生年金、企業年金の他に、木造アパート三所帯分の家賃収入があるお蔭で、財布の底を気にしないで居られるのですが、給料の増額がままならないでいる一般家庭では、そうも言っておられないでしょう。

 元凶は円安に尽きる、と私は思っています。1ドル100円のレートが、僅か1か月の間に110円になってしまいました。第二次安陪政権の初めごろは、1ドルは90円前後で推移していました。一か月前までは100円で推移していました。それが一挙に110円前後になったのです。日本の輸出産業にとっては、海外での競争力が強まるので、歓迎されるかもしれませんが、一方、石油を含めて、原材料や食料品のほとんどを輸入に頼っている日本では、そのまま物価の高騰を招来してしまいます。輸入大豆に頼っている豆腐など、真っ先に直撃を受けるでしょう。そば粉、小麦粉などもそうです。パンが値上がりしているのもそのせいでしょう。スーパーで売られているほとんどの製品は、原材料を輸入に頼っているので、利益を圧縮しない限り、価格を上げざるを得ない状況に、当然なってしまいます。

 中には、便乗値上げもありそうです。スーパーには、「生鮮食料が値上がりしています」と張り紙がしてあるのですが、今日見たら、大根一本が256円になっていました。去年、道の駅で3本200円で売られていた大根が、です。100円前後だった水菜が178円。100円もしなかった梨が150円。なぜか、モヤシだけは安くて20円。

 円安は日本経済にとって、プラスに作用するのか、それとも、マイナスなのか? これは議論の分かれるところでありましょう。つまり、デフレがいいのか、インフレがいいのかという問題です。私たち年金生活者にとっては、デフレがいいに決まっています。収入が限られている以上、物価が安くなることは願ったり叶ったりでありましょう。しかし、問題は一般企業労働者にとってどうなのか、ということです。残念ながら、物価上昇に見合う以上の給与の上昇の恩恵を受けているとは、到底、言えないのが現実です。

 加えて、日本は4人に1人が65歳以上、8人に1人が75歳以上という、恐ろしいまでの老人大国になってしまっています。かつてのような活力は、とうに失われてしまっている、盛りを過ぎた国になっているのです。

 老大国はヨーロッパにも沢山あります。しかし、それらの国々は、ユーロ圏という共同体を築くことにより防衛を始めているではありませんか。そうやって、自分たちの活力の無さをカヴァーしているではありませんか。共同戦線を張って自国の衰退を防衛しているではありませんか。ひとりイギリスだけは、老大国であるのに虚勢を張ってポンド高を維持していますが、いつまで維持できるかどうか…… 日本は既に、イギリス以上の老大国になっているのですから、ここは思案のしどころだと私は思います。

 やはり、円高の政策で行くべきなのだ、と私は思います。かつての活力を取り戻そうとしても、人口の四分の一が国家の生産性の向上から疎外された状態におかれているのですから、政治は実態を直視して舵取りをすべきなのです。安陪政権の舵取りは、余りに現実を無視したものと言わざるを得ません。

 

2014年9月25日            大変な騒ぎ

 世間ではいま、朝日のことで持ち切りです。会う人ごとに「朝日は大変だね」と言われます。孫にまで、言われてしまいました。今日発売の「文春」「新潮」は、朝日があたかも再起不能に陥ったかのような記事で埋め尽くされています。なぜなら、朝日問題を書けば雑誌が売れるからです。

 今や、幼稚園児を除いた国民のすべてが、朝日を話題にしているといっていいでしょう。

 一方、同情論も出てきました。読売の、この時とばかりの新聞拡張戦略、フジ産経系のエゲツナイ執拗な攻撃に対する批判です。今のマスコミは政府発表だけを報道する御用機関ではないか、人のことが言えた義理か、というものです。作用があれば反作用も同時に起きる、という面白い現象です。

 10月の24日に、朝日の販売のOBが集まる恒例の会が開かれます。現役を退いた販売店、販売社員、それに本社現役幹部が集まって、やあやあ、と言い合う会合です。社長が出てきたこともありました。その会の最後では全員が歌を唄います。「朝日若人の歌」という勇ましい歌です。

 私はいつもその歌の歌唱指導をし、ピアノ伴奏をしてきました。その会へ案内状が今年も届きました。私は欠席通知を出しました。何となれば、こういう雰囲気の中では、歌もくそも無いからです。だいち、何の罪もない販売店の皆さんに、元社員であっても、申し訳なくて、合わせる顔が無いからです。主催者から電話がありました。何としても出席してくれ、ついでに挨拶も頼む、というのです。

 一晩考え、出席をOKしました。

「老いたりといえども、我々にはまだまだ力がある。こういう時こそ、一致結束して現場に出ようではないか。現役の皆さんのお役に立とうではではないか。萎縮している従業員を励まして歩こうではないか。読売の攻撃を撥ね返そうではないか。一人ひとりの読者に購読を続けてください、と説得して回ろうではないか、今こそ立ち上がる時ではあるまいか」

 という檄を飛ばすことにしました。自分で言うのもなんですが、現役の時の私の挨拶は人気がありました。笑いやくすぐりを入れ、思っていることを率直に語りかけたからでしょう。

 今回もそれをやります。原稿は推敲に推敲を重ね、当日はそれを読みません。

 現状に対する、せめてもの私の抵抗です。

 

2014年9月21日             凶

 7月末、小倉でおみくじを引いたら凶と出た話は、既に書きました。おみくじは、正に、当たりました。私を含め、私の周囲が凶になったのです。

 そのため、このブログを書く気力も失せ、鬱状態のまま、約二週間が経過しました。その原因は朝日新聞にあります。我が古巣に起こった不祥事です。

 発端は、8月5、6両日の紙面で、朝日新聞が22年前に紙面に掲載した、慰安婦問題における「吉田証言」を取り消したことに始まります。20万人に及ぶ韓国人性奴隷の強制連行があったとする、大阪版の記事を、検証不十分であった、として取り消したのです。しかし、謝罪の文字がありませんでした。遅きに失したという言い訳はあったものの、これによって生じた「国益を損なった」という点についての謝罪はありませんでした。片手落ちの謝罪です。何となれば、大量強制連行は確認せきなかったものの、韓国人による慰安婦は存在していた事実は否定されえない、とする認識があったからでしょう。「国益を損なった、ドウシテクレル」という声が出てきたのも、当然です。

 謝るという行為は、メンツを捨てることです。韓国人も中国人も、メンツを命より大切にします。朝日の首脳部も、それだけはできなかったのでしょう。

 ところが、福島原発の責任者「吉田調書」の事件が起きます。この、マル秘文書を明るみに出しただけでも、評価されていいのですが、「所員の大半が命令違反を侵し、安全な所へ避難した」 という事実とはかなり異なる報道をしてしまいました。実地検証をせずに、単なる思い込みで記事にしてしまったのです。

 更に、「新聞ななめ読み」の連載をしている池上彰の「朝日は謝れ」という文章を不採用にするという、不祥事まで起こりました。更に、任天堂の社長の記事が訪問していないのに、あたかも訪問して収録したかのように書かれたことも、明るみに出てしまいました。

 朝日バッシングが始まりました。「朝日不祥事」をとりあげない新聞、雑誌、テレビ、はありません。芸能雑誌や、カストリ新聞まで、ここぞとばかり、朝日を叩いています。

 木村伊量社長と清水編集担当が記者会見して、深々と陳謝したことも、これに輪をかけました。読売の記者がぬけぬけと質問しました。「御社はすでに自浄能力が失われているのではないか」とまで言い放ちました。ナベツネの言いなりになって、政府の御用新聞に成り下がっている読売が、そう言ったのです。しかも、読売は、「慰安婦問題における朝日の大罪」というパンフレットまで大量に作って販売店から全戸配布させ始めました。拡張員と販売従業員を総動員して、朝日殲滅作戦を展開中です。

 問題はここからです。このことにより、朝日の購読を止めるという読者が日を追って増えて来ている、という何とも言いようのない情けない現実があります。今のところ、2000部の扱い店で15軒程度の電話による中止が報告されていますが、今月の集金時には50軒は超えるかも知れません。

 販売店の貴重な財産である固定読者が、編集部門の不手際に依って、減少を余儀なくされるのです。そうでなくても、販売店は読者の新聞離れで苦しんでいるのです。

 更に、私が問題にしたいのは、朝日の編集、販売を問わず、この局面打開に向けての方針が打ち出せず、ほとんどが右往左往しているだけ、という哀しい現実があることです。あらゆる方面からの情報を総合して、そう判断せざるを得ないのです。

 哀しいかな、我が古巣の「炉心溶融」が始まっている、と言っていいのかもしれません。

 これが、おみくじの凶でなくて何でしょうか。

 この10日間余り、私は鬱状態に陥っています。この、降って湧いたわが古巣の出来事は、私を完全に打ちのめしました。朝日新聞を定年になって何を今更、と思うかもしれません。しかし、私の一生は朝日と共にありました。部数伸長のために身体を張ってきました。だから、いたたまれないのです。

 一連の事件の原因は、私は朝日新聞記者の質の低下にあり、と思っています。IT産業の隆盛に伴い、優秀な学生はマスコミに見切りをつけ、そちらへ行ってしまう、という現実があります。

 調査報道は、記者の思い込みだけで書いてはいけないのです。あらゆる角度からの検証を経て記事にするべきなのです。吉田調書はそれをしませんでした。吉田証言でも、それを等閑にしてしまいました。加えて、最近は記事に署名させています。功名を焦る記者が出てくるのは、自明の理です。加えて、地方支局における若手記者の教育訓練がおざなりになっている、という現実があります。

 朝日新聞には、かって、優秀な記者が大勢いました。今回の事件を、どんなに悲しんでいることでしょう。とても、私の比ではない筈です。

 

 

2014年9月9日            300人のブラス

 日曜日、次男家族と大宮駅で待ち合わせました。新幹線に並行して走る新都市交通に、約22分乗って、埼玉県立伊奈総合学園高校へ行きました。その高校の一年生になった孫娘の萌ちゃんの学校祭です。

 新都市交通は6両編成で、新幹線の橋梁を利用して、コンクリートの軌条を走る電気自動車です。横揺れを防ぐための工夫はされていますが、道路を走る自動車並みの振動はありました。沿線は住宅が密集し、大宮市がこの新交通のお蔭で、目覚ましい発展を遂げていることが、良く分かりました。

 終点の内宿の一つ手前で降りて、5,6分歩くと、広大な敷地に三階建ての瀟洒な校舎が林立する伊奈高校へ着きました。何せ、一学年800人、全員で2400人の上に中学校もあるのですから、驚きです。その家族が学校祭に来ているのですから、校内は人、人、人で溢れかえっていす。凄まじい、若いエネルギーに圧倒されました。

 萌ちゃんの教室は、忍者屋敷に変身していました。順番待ちの長い行列が出来ていて、入ることが出来ません。きっと、人気のイヴェントになっているのでしょう。受け持ちの若い先生に挨拶することができました。「中沢君が中心になって纏めてくれた。感謝している」 と言われました。ほとんどのイラストは彼女が描いたようで、幼いころに芽生えた絵心が生かされたようです。

 講堂へ行くと、1500人ほどがダンスを見ていました。ダンスといっても社交ダンスではありません。群舞です。ブロードウエイに端を発した群舞は、劇団四季を経由して、瞬く間に全国に広がりました。いまや、どの学校にもダンス部があり、全国規模のコンクールが賑わいを見せています。息の合った群舞は、観る者の目をそば立たせ、そのエネルギーに圧倒されます。

 圧倒されると言えば、ブラスバンドもそうです。これは、朝日新聞が主催して甲子園並のコンクールが、小学校、中学、高校、とあるのですが、大人顔負けの演奏が披露されます。全国大会高校の部で、この伊奈学園高校が、しばしば金賞をとっていることを知りました。

 会場は30分前には満員となりました。私は一番前の席に移動し、演奏の準備段階からカメラを向けました。先ず、今年、コンクールで金賞をとった高校生220人の演奏です。中学生80人の演奏家が隅に控えています。

トランペット30、トロンボーン20、オーボエ20、サキソフォーン20、チューバ10、バスーン10、コントラバス10、クラリネット30、フルート20、オーボエ20、パーカッション20、ハープ2……

 驚異の大編成です。チューニングが始まりました。天地が振動するほどの大音量です。これほどの音を私は聴いたことがありません。それが、ピタリと止んで小柄な指揮者が登場します。いきなり、「ラフマニノフの主題による変奏曲」 という難曲を始めたではありませんか!

 武者震いが出ました。悪寒が走りました。涙が溢れてきました。77年の生涯で初めて接した大編成による音の洪水です。世界にはこういう音もあったのか! 幸福感が私を襲いました。

 演奏者は指揮者を見ているものの、殆どの生徒は譜面を見ていません。だいち、譜面台を置いているのはほんの数人です。練習の成果故か、この大曲を暗譜しているらしいのです。若さとは恐ろしいものです。

 続いてマーチングブラスの演奏があったり、飛び入りの5歳の女の子に指揮棒を振らせる余興があったり、アニメ音楽があったり、1時間の演奏会は拍手が鳴りやみませんでした。殊に、中学生80人が入っての合同演奏は、正に圧巻でした。

 埼玉県には、浦和高校という名だたる進学校があります。その対極にあるのが、伊奈学園高校だ、と納得できました。人間の将来に対して、どちらの高校が影響を持つか、と言えば、私は伊奈学園に軍配を上げます。

 

2014年9月6日             女性大臣は果たして?

 今月3日に、内閣の改造があり、5名の女性大臣が誕生しました。天皇拝謁の際の記念撮影では、中央の安陪晋三を5人の女性が囲んでいます。政治指導者の女性登用は世界ではニカラグアが突出しています。10人の内6人の割合です。フランスもスエーデンも半数以上が女性です。日本は割合で言えば、3割にはならないものの、27%を超えました。エライことです。

 日本の官僚機構は、極端と言っていいほどの男性社会です。明治維新以後の政府には女性は一人もいませんでした。太平洋戦争で敗北するまで、一人として女性は登用されていません。だから負けたのだ、と言ってしまえばそれまでですが、女性大臣の出現は戦後に始まります。それも極く最近の傾向です。小泉内閣の時5人の女性が登用され、耳目を集めましたが、この内閣の後期には2人になっています。

 今回の、5人の女性の大臣登用を、快挙と言うべきか、それとも、単なる人気取り政策というべきか、甚だ意見の分かれるところであります。

 イギリスのサッチャー首相、ドイツのメルケル首相、共に女性ではありますが、優れた指導者であるのは世界が認めるところでありましょう。韓国の朴ウネ大統領も女性ですが、この女性については評価が分かれるところがあります。アメリカのオバマ大統領のあと、クリントン夫人が大統領になる可能性がなし、と言えない雰囲気がありますが、女性尊重の国アメリカといえども、それを許すでしょうか?

 社会的に見て、家庭が女性によって守られているいることに、異議を述べる気はありません。国家といえども、家庭の延長と捉えるならば、女性によって守られた方が、冗費は省かれ、男性では遠く及ばない些細なところまで目が届くに違いない、というのも、実に頷けます。国家財政を女性の目で見て、その膨大な冗費にメスを入れ、そうでなくても肥大化して破産寸前の現状を打開してもらえたとすれば、今回の女性登用は快挙、と言わざるをえないでしょう。

 果たして、今回の女性大臣にそれを期待していいでしょうか? 私は無理だと思います。

 なぜなら、官僚機構というものは、官学閥で固まった、いわば、硬直した男性社会です。明治以来連綿と続いている女人禁制社会なのです。女性大臣がどんなに声を荒げてみても、変化の糸口さえ掴めないのではないでしょうか。官僚機構の面従腹背が目に見えるようです。

 従って、今回の女性大臣大量登用は、安陪晋三個人の人気取り政策以外の何物でもない、と結論します。

 ただ、方向としては、間違っていない、と一方では思います。ナマジッカの男性より優れた女性はゴロゴロいます。国家財政は女性に任せた方が、家庭と同様、健全化に舵を切ってもらえる筈です。それには、男性の官学出身者一辺倒の官僚機構を、少なくとも、三分の一以上の女性採用を国是として欲しい、と思います。

 

 

2014年9月1日              胸のすく快挙

 高校軟式野球で歴史に残る快挙がありました。私が函館へ飛び立った28日、広島代表の崇徳と、愛知代表中京との試合は9回まで決着が付かず、延長戦となり15回まで戦いましたが引き分けになりました。試合時間は2時間59分です。翌29日、レンタカーで大沼公園へ行き、昔、二日間に亘ってゴルフをした思い出の大沼レイクゴルフ場を再訪し、ホテルへ戻ってきて、結果を見ると、お互い無得点のまま15回を闘い終え、再再試合になっていました。試合時間は3時間24分です。中京の松井、崇徳の石岡両投手が続投していました。

 これだけでも凄いことです。

 翌日、函館の朝市を見たり、トラピスト修道院、トラピニスト修道院など回って、戻ってくると、またまた15回闘って決着がつかず、再々々試合になっているではありませんか! 試合時間は3時間2分です。しかも、松井、石岡の両投手は続投しています。

 31日、函館から舞い戻って来て、すぐさまインターネットで検索すると、やっと決着がついていました。始めから50イニング目に中京が3点を入れ、二時間半後に行われた決勝戦でも、三浦学院を2対0で破り、優勝していました。松井投手は4日間で786球を投げました。

 今朝の朝日新聞の一面には、両チームが互いの健闘を讃えあっている写真が大きく出ていました。社会面にも、スポーツ面にも、50イニングに及ぶ0の行進が掲載されていました。

 感動しました。写真を見ながら、涙が滲んでくるのを抑えられませんでした。高校野球の神髄に触れた思いがしました。歴史に残る名勝負を作り上げた、両校の選手、監督、応援団の皆さんに絶大な拍手を送りたいです。

 函館へ行って帰ってくる28日、29,30、31日の四日間に、期せずして、こういう劇的な勝負が行われていたのでした。 

 

2014年8月26日           辞めていく新聞従業員

 私の家の周囲を担当している朝日新聞従業員は、張君という若者です。中国人です。もう5年は経っているでしょう。なかなか朗らかな若者で、集金の時など話し込んで行きます。三回に一回はビールやジュースや貰い物などを彼に貰ってもらって、励ましてきました。盆や暮れには少し高価なものを奮発しました。

 今日の集金のとき、張君は「お世話になりました。今月で辞めることになりました」 「5年間頑張りましたが、もう限界です」 と言うのです。給料は毎月20万そこそこで、少しも上がらず、この8月はいつももらっていたボーナスが無く、その上、仕事が余計になりきつくなりました。それでどうするの、と問うと 「一旦、中国に戻り、しばらくしてから再び日本へ来て、別の仕事を探します」
という答えが返ってきました。

 「兎に角、どうやっても、新聞は増えないよ。特に若者は新聞に見向きもしないね」 張君は吐き捨てるように言いました。

 そうだろうなぁ、と私まで暗い気持ちになりました。売れない新聞を抱え、折込広告も一向に増える気配もなく、従業員にボーナスを払いたくても、払えない現状にある販売所長の気持ちを思うと、同情を超えて暗澹たる想いになりました。

 日本がバブル景気に沸く頃、新聞従業員が払底したため、新聞業界は、中国の若者を積極的雇用し始めました。中国の平均給与が8万円ほどでしたから、15万ほどででも彼らは飛びついて来たのでした。しかし、今、バブルは中国へ移ってしまいました。20万以上稼ぐ若者の存在は今や中国では当たり前になりつつあるようです。

 張君とは「ツアイチエン」と握手して別れましたが、社会的文化遺産とも言うべき「新聞販売網」に向かっても「ツアイチエン」と言わねばならない日が、直ぐそこまで来ているように感じられてなりません。  

 

 

2014年8月23日           格好いいぞ、加山雄三

 今日は、加山雄三が武道館でライブコンサートをする日です。行って見たくて仕方がないのですが、一人で行くのも何となく気が引けます。陰ながら成功を祈る、としましょう。今年77歳の彼は私と同じ昭和12年生まれです。私が四苦八苦しながら、早稲田へ通っていた頃、慶応法学部の彼は、映画「若大将シリーズ」で活躍していました。このシリーズは18巻まで続くのですが、、最後の方は、始めのものに比べると二番煎じが多くなりました。

 自由闊達にして底抜けに明るい彼の人柄は、当時、石原裕次郎と人気を分かち合っていました。岩谷時子の詩に彼が曲を付け、ギターを抱えて自分で歌います。殆どの曲は長調で構成され、短調を主体とする、演歌的で、陰鬱な曲など一つもありません。性格が明るく、絶えず前向きな姿勢を崩さない彼の持ち味が、歌に生かされていました。シンガーソングライターの草分けであったでしょう。

 水上スキーや、ヨット、カヤック、サーフィンなど、海の遊びは加山雄三を持って草分けとする、と言っていいでしょう。それほど彼は海に魅せられた男なのでした。驚くのは、77歳の彼が、クルージングする豪華船「飛鳥Ⅱ」の船長もこなしていることです。人寄せパンダの役目ではなく、実際に船長の仕事をしている、というから恐れ入ったものです。彼が船長を務める航路は、乗船客が満杯になるそうです。大勢のクルーと一緒にデッキでお客さんを迎え入れ、着飾った人々とデイナーを共にし、時には船内でライブもやる、という八面六臂の活躍をしています。多忙極まりないその仕事のギャラはどの位だろう、と下司の勘繰りをしてしまいそうです。

 二枚目俳優上原謙と、美容痩身トレーナーの草分け小桜葉子との間に彼は生まれます。上原謙が72歳にして、他の女性に子供を産ませたという事件は、当時、話題になりました。上原謙の仕事が無くなるにつれ、加山雄三の生活環境は傾きかけます。しかも、事業で失敗した7億もの負債が彼にのしかかります。加山雄三もこれまで、と世間が彼を見放した時期が、確かにありました。ところが、彼は家族に節約を強い、窮乏生活を凌ぎ、借金を完済し、見事に復活を果たすのです。そして彼の喜寿を祝う武道館ライブまでやってのけるのです。

 彼の寝室の枕元には、ギターとIPODが置いてあるそうです。夢の中で曲想が浮かぶと、起き上がってギターを取り、IPODのスイッチを入れ録音するそうです。何とも羨ましい生きる姿勢ではありませんか。

 彼の元気の源は肉食だそうです。ヒレ肉を朝から400グラム近く、モリモリ食べるそうです。酒は呑まず、夕食は極く少量にするそうです。しかも、食事はすべて自分で作っています。

 食事のすべてを自分で作るのは私とて同じですが、務めて野菜中心の食事を心がける点、そしてコップ一杯の焼酎に一日の喜びを噛みしめている点では、彼とは真逆であります。そうかぁ、もっと肉を食べねばダメかぁ、酒は止めねばならないかぁ、と思い始めているところです。

 彼がいま熱中しているのは、エコシップを作ることだそうです。海水を真水にする装置を船に積み、浸透圧現象によって発生するエネルギーを船の動力に置き換える、という壮大なものです。三井造船が後ろに付いているそうですから、夢物語ではありません。あと3年、80歳までには完成させたいと意気込んでいます。

 「加山雄三、格好いいぞ」 と私はいつも思っています。

 

2014年8月22日           イヤな感じ、桜井よし子

 新潟高校出身の桜井よし子は、典型的な新潟美人でありました。その美形が衰えるにつれ、言うことは、益々、国粋的、右翼的になってきました。議員連盟での演説で「朝日新聞は廃刊せよ」 とまで、ノタマイました。それを、産経新聞やフジテレビ系が大々的にとりあげ、いまや、ほとんどの雑誌が囃し立て、朝日新聞不買運動にまで発展しそうな勢いになっています。

 ことの発端は、朝日新聞が二日間に亘って、過去の慰安婦問題での記事の一部取り下げ、訂正を、編集局長名で行ったことに始まります。

 慰安婦について最初に記事にしたのは、松井やよりという女性記者です。昭和36年、私と同期入社の紅一点です。当時、韓国や台湾への団体旅行が頻繁に行われていました。表向きは観光でも、実態は買春団体旅行であり、松井やよりはその内部告発を月刊文芸春秋にレポートします。社会問題となり、ほとんどの業界は両国への団体旅行を禁止します。やがて、台湾、韓国でも、日本と同じように売春禁止法が施行されます。

 一躍、有名になった松井やよりは、止せばいいのに、戦争中にあった軍隊の慰安婦問題に手を染めます。慰安婦とは、あらゆる戦争に付き物の戦争の恥部です。それは十字軍の昔からありました。ナチスにもありました。ユダヤ人の若い女性が犠牲になりました。日本の戦国時代にもありました。10万、20万の兵隊の後ろには、常に女性の犠牲がついてまわりました。戦争というものには、どの戦争においても悍ましい部分が存在する以上、それはタブーの領域として、歴史はその記述を避けてきています。

 松井やよりは、敢てそれに挑んだのでした。大阪本社の記者までもが、それに追随し、韓国人女性の強制連行があったとする歴史的証人らしき人物の言うことを、正確に検証することなしに、記事にしたのでした。当時、売春とは関係なく、女子挺身隊という強制労働組織があり、その組織を慰安婦と取り違えて記事にしたのです。大阪には、それを制御する編集幹部は、残念ながらいませんでした。22年前の出来事です。挺身隊と慰安婦組織は全く別物であったのは、正しく検証すれば、当時はそれに付いて詳しく知る人は、数多く存命していたのですから、簡単に出来たはずなのに、それを放置したところに、朝日新聞の責任はあります。

 韓国側の異常な反応に驚いた当時の村山内閣は、河野官房長官の、いわゆる「河野談話」を発表し、更に、見舞金を添えましたので、一件は落着した筈なのでありました。

 ところが、韓国にはそれでは不十分だ、とする勢力が時の政権を揺さぶります。そして、慰安婦問題を、いまや国際問題にまで発展させ、韓国が日本を攻撃する格好の材料にされています。

 松井やよりは、生きていれば77歳ですが、自身が手掛けた慰安婦という歴史のタブーが、あたかも生き物のように日韓の政治の駆け引きに使われようとは、想像出来たでしょうか。

 時の政権に異議を唱え、右寄りだとすれば左に戻すのが新聞の役目です。第一次安陪内閣の時から、朝日新聞は安陪晋三に批判的です。実に仲が悪い。集団的自衛権の閣議決定は世論的にはマイナスに揺れているいま、朝日新聞はなぜ、いま、慰安婦問題について特集記事を組んでまでして、記事の訂正削除をしたのでしょうか。まるで、利敵行為ではありませんか。

 検証せずに記事にした朝日の姿勢はよくありませんでした。何時かは記事の取り消しをし、謝らねばならなかったでしょう。しかし、それにはタイミングというものがあります。実に拙い時期を選んだように私には見えます。

 それに、昔からそうなのですが、どうして、朝日は自虐行為が好きなのでしょうか。なぜ、読売のように厚顔無恥でいられないのでしょうか。バカ正直にもホドがある、と私は思います。マスコミ他社はここぞとばかり朝日攻撃を展開しています。この現象は販売にとって、部数維持にとって大いなるマイナスです。各社からの攻撃により、付和雷同する、いわば定見を持たずに朝日を読んでいる読者の朝日離れを即することにもなるからです。平たく言えば読者が減ってしまうのです。

 私たち販売関係者が努力を重ね、営々として築いてきた朝日読者が、編集の自虐行為のために減ってゆくことは、何としても我慢なりません。

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