最近のエッセイ

2017年5月25日          役人の中にも人間はいた

 朝日の特ダネの「加計学園」文書について、前川前事務次官が記者会見し、「この一連の文書は確実に存在した。存在しているものを無かったということはできない」と爆弾発言しました。

 昨日から今日にかけて、熱海泊まりでの長野高校同級生の囲碁の会の帰路、この記者会見を知りました。

 「この文書は怪文書の類である」と大上段に反論した内閣府は、一体、どう言訳出来るのでしょうか。「存在したものを無かったとは言えない。自分が読んだものを、読まなかったとは言えない」と前事務次官は言い放ちました。

 一連の件をテレビで見ながら、私は手を打って「快哉」を叫びました。朝日の報道を捏造と言い放った菅官房長官、そこに不正があれば私は総理大臣を辞職すると大見得を切った安倍晋三、あなた達の奢りは一人の人間の真実の声によって終止符が打たれたのですよ。久しぶりに私は愉快になりました。

 昨夜から今日にかけて、嬉しいことが重なりました。東大卒で早大名誉教授の桜井君、そして90歳にして矍鑠とした碁を打つ元長野高校ドイツ語教師だった柳川先生、高校時代、相撲をとった慶応から伊藤忠へ行った山本君ら7人が、熱海のしおみや旅館に集い楽しい一夜を過ごすことができたこと。お互い別れがたく昼近くまでダべリングしたこと、そしてこの嬉しいニュース。

 生きているっていいことだなあ、と改めて思っています。

 

2017年5月22日                お米 フェチ

 お米は毎日お世話になるものだからして、その銘柄に関しては、随分、気を使ってきました。現役の時は、月の内半分近くが外食でしたから、東日本全域、小倉に単身赴任の時は九州のお米の御厄介になってきました。ここ5,6年はタイを中心とする東南アジアのお米の世話になっています。

 食生活が豊かになり、お米の需要が減少するにつれ、米の品種改良が盛んに行われたらしく、昔では考えられないおいしいお米が市場に出回るようになりました。確かに、新潟魚沼地区の「コシヒカリ」は旨いが、この銘柄は全国で作られるようになり、ありふれた米になってしまいました。コシヒカリに対抗する銘柄米として登場してきたのが、宮城のササニシキ、山形のハエヌキ、ツヤ姫、長野のミルキークイン、北海道のナナツボシ、ユメピリカ、青森の「青天の霹靂」などです。最近では「幻のお米」なる銘柄米が登場しています。

 いまは専ら、北海道のユメピリカばかりを愛用していますが、その前はツヤ姫でした。その前がミルキークイン。何で北海道でこういう美味しいお米が採れるのか不思議でなりません。思うに、寒暖の差が激しいところに育つ米にこそ、味わいが深くなるのではないでしょうか? その点は人間と同じでしょうか。苦労せず育った人間は味わいがありません。

 タイ・チェンマイを中心に、東南アジアに長期滞在するようになって、不便を感じるのは美味しいインジカ米がないことです。当地の高級スーパー「リンピン」には「日本のお米」と表示された一件が売られているのですが、どうもピンときませでした。3月30日に行ったときは北海道産「ユメピリカ5キロ」をスーツケースに入れていきました。そして、教会のお仲間に分けてあげました。「美味しい、美味しい」と喜ばれたのは言うまでもありません。今度は10キロ持参する積りです。

 タイ米は細長い上にパサパサしているのですが、もち米を加えて炊くと、滋味と香りが加わります。ナンプラーやオイスターソースで炒め、ライムやレモンを滴らせると極上のチャーハンの出来上がりです。更に良いのは、お米の値段が安いことです。日本円に直して300円も買えば、半月は持ちます。青空市場へ行けば野菜類は30円、50円の世界です。日本では200円はするシャンツアイは10バーツ(30円)です。東南アジアは質素な生活が保障されるところでしょうか。もし、日本のお米、インデイカ米が出回るようになれば、これはもう天国です。

 なぜ、今日お米のことを書き始めたかというと、日本のコメのインチキ性についてなのです。それは5キロの米を買ったのはいいけれど、半分ほどは確かに美味しいユメピリカでありましたが、袋の残り半分はユメピリカとは似ても似つかないくず米であったことです。普通の人なら分からず仕舞いでしょうが、こちとら米にはチト煩い人間です。米を磨ぐ時の肌触り、水加減、そして香り…こういう騙されは今までにも数回ありました。業者に文句を言いたかったのですが、それも厄介です。仕方が無いのでホームページに書いて腹の虫を収めているところです。

 

2017年5月21日            福島浜通り「夜ノ森の桜」

 昭和19年秋、中野区上高田国民学校1年生だった私は、中野駅から学童集団疎開特別列車に乗せられて、福島県浜通りへ向かいます。若かった母は私を食入るように見つめていました。富岡駅前の大東館が割り当てられた宿舎でした。着いた翌日から、下着はシラミだらけになりました。空腹の余り野草を毟って食べました。ツツジの花は酸っぱかったが御馳走でした。毎朝5時、上野行きの普通列車が罐炊きを始めます。目の前の富岡駅から乗る人もなくゴトゴトと出ていきます。どんなに飛び乗って母の元へ帰りたかったか!

 20年5月25日の東京大空襲で家が焼け、生き残った母が私を迎えに来てくれ、郷里の長野へ向かいます。8月15日、終戦の玉音放送は全員が庭に出て土下座して聞きました。母は庭の草を掻き毟り、身を捩って泣きました。

 それから70年、私は折に触れては富岡駅前の大東館へ行きました。穏やかな海と平和がそこにありました。ところが6年前の3月11日、津波が襲います。続いて放射能が追い打ちをかけます。常磐線は不通となり、駅も大東館も廃墟となりました。避難区域に指定された富岡町に人影はなくなりました。でも、廃墟ではあっても存在していました。

 今年春、行ってみて驚きました。富岡駅も、大東館も、それに続く駅前通りの建物もすべて撤去されていて、黒一色になっていました。汚染物質を入れた袋が敷き詰められていたのです。隣町の夜ノ森の名物、数百本の桜だけは、見る人影もなく見事に咲いていました。(朝日新聞投稿原稿)

 

2017年5月13日            サイバー攻撃

 ウインドウズメールには、毎日沢山の迷惑メールが入ってきます。危険と思われるメールは「ノートン」が予め識別して呉れているものの、今回、危険を知らせるノートンからの通知が入ってきました。もし、そのメールを開けていたら大変なことになっていたかもしれません。

 ウインドウズだけを狙った世界的な規模のサイバー攻撃が今日行われたらしいのです。ノートンが警告を発したメールを不幸にも開けてしまったとしたら、コンピュータは即時使用不能になります。ビットコインを入手し、指定されたところへ振り込まない限り、コンピュータは使用不能になるところでした。

 今晩7時のNHKニュースで、このサイバー攻撃が世界的規模で行われていることを知りました。世界のほとんどの国がこの被害にあっているのです。

 驚き、モモノキ、サンショノキでありました。一体、何処の国の、どういう組織がこのように大規模な犯罪を世界的な規模で行えるのか? 実に、実に興味が湧いてきました。たまたま、私のパソコンはノートンのお蔭で被害に逢わずに済みましたが、ランケーブルで繋がっている会社や組織などは、この攻撃のお蔭で仕事が出来なくなっているのではありますまいか。

 ビットコインでの収入を図るため、このような犯罪を世界的規模で仕掛ける組織とは、一体どこの国のどういう連中なのか? 実に、実に興味が湧いてきました。

 

2017年5月9日            諸悪の根源

 安倍首相が国会答弁の中で、「私の言いたいことは、全部、読売新聞に書いてある。読売新聞をお読みください」と、ノタマイました。世間はいま唖然としています。フェースブックなどではこのことが取り上げられ、騒然としています。

 実に、実に呆れ果てた答弁であります。卑しくも一国の代表者であるなら、自分の考えを述べるべきであって、一商業新聞の名を上げて自分の考えとするなど、言語道断でありましょう。こういう首相を替えられずにいる日本国の現状を心から憂います。

 この答弁に、秘かにほくそ笑んだのは渡辺恒雄ことナベツネでありましょう。憲法改正を目論むナベツネは今もって読売新聞の主筆を手放さず、読売新聞をして安倍内閣の御用新聞としての社論を展開させているのは、世間周知の事実であります。

 その辺のカラクリが次第に世間は分かってきて、読売新聞不買運動にまで発展しそうな勢いになってきました。現在、180万部を超える印刷はするが、売れない新聞を販売店に押し付けている不当行為はさらに助長されるに違いありません。

 全国の新聞社は、いずれの社をとっても青息吐息であります。スマホの普及に反比例して人は新聞を見向きもしなくなりました。新聞はとらない、読まない、触らない。部屋が汚れるからタダでもいらないという傾向が加速しているのです。加えて広告が無くなりました。紙を媒体とする広告効果より、ネット広告の方が遥かに効率が良くなっているのです。いまや、ネット広告は新聞、テレビ、雑誌の総広告量を凌駕している始末です。

 時代は明らかに替わりつつあるのです。それなのに読売ナベツネは相変わらずの覇権主義に捕らわれていて、金で販売店の横面を引っ叩き、売れない紙を押し付けているのです。日本の各港から膨大な量の読まれない新聞が中国に渡り、段ボールにカタチを替えている事実は15年も前に私のブログで詳らかにしましたが、現在も改まってはいません。すべての責任はナベツネ読売の覇権主義にあります。

 一方、日本に原発が出来たのも読売新聞のせいです。正力松太郎が社主で電源開発の総裁であった頃、電力会社などから1兆3800億の金を引出し、電通を介して地方紙の広告料としてばら撒きました。その結果、地方紙は原発反対の論調を張ることが出来なくなりました。

 このブログで何度も繰り返していますが、福島をダメにしたのは読売新聞なのであります。

 その読売新聞を読め、と一国の総理が一商業新聞の肩を持つ発言していいものでしょうか。

 怒り、心頭を発しています。

 

2017年5月5日             捨てる

 チェンマイから戻って一週間が過ぎました。何かやったか、と云われれば、ただ、ボーとしていました、と答えざるをえません。誠に情けない限りです。その原因は下腹部の不調にもあるかもしれません。1日は女子医大腎臓センターで健診してもらいました。次回は5月15日です。果たしてどんな宣告をされるか? 

 3日、次男夫妻が来て、引っ越しについての相談をしました。お互いの家の居住を交換する大仕事をこれから半年をメドに実行するのです。同居している三男は隣りのアパートの一室へ、私は次男の住んでいる大宮へ、そして次男の家族4人は私の家へ。正に民族大移動に匹敵する大事業です。

 次男の嫁で、この大移動の指揮者である真弓さんから申し渡されました。

 「お父さん、これから毎日ゴミ袋2つずつ捨ててください」「はい、分かりました」と言ったものの、いざ、これをどうしよう、と考えると、それにまつわる過去の出来事が脳裡に去来し、迷いに迷ってしまいます。モノを捨てることは、過去の自分と家族の歴史のある部分を捨てることに等しい、と分かってきました。実に実に難儀であることが分かってきました。だから、遅々として進まないのです。

 たまたま、宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩が想い起されました。

雨にも負けず 風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な身体を持ち

欲はなく 決していからず

いつも静かに笑っている

一日に玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを 自分を勘定に入れずに

良く見聞きし分かり そして忘れづ

野原の松の林の陰の 小さな茅葺の小屋にいて

東に病気の子どもあれば 行って看病してやり

西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいいといい 

北に喧嘩や訴訟があれば 行ってつまらないからやめろといい 

日照りのときは涙をながし、寒さの夏はオロオロ歩き

みんなにデクノボウと呼ばれ

ほめられもせず 苦にもされず

そういうものに 私はなりたい 

 この詩は、この後に念仏が続くのですが省略します。何故、この詩を引用したか? それは仏教であれキリスト教であれ、私が希求する「私もかくありたい」という理想がこの詩の中にあるからです。

 ならば、断捨離など簡単ではではないか、と理屈では分かってはいるものの、「いざ、そのもの」を捨てるかどうかの決断を迫られると、心はチジに乱れるのです。

いやはや、弱ったものです。 

 

2017年4月30日           「なかざわ のぶお」死す

 4月23日、中沢のぶおさんが死去しました。結腸癌による腸閉塞でした。葬儀は一昨昨日青山葬儀所で行われました。

 朝日新聞社が有楽町の日劇の隣にあった頃、道路を挟んで向かいの不二家の隣、「みずほ銀行」に私の口座がありました。地方から纏まった金をその口座に送金しました。出張から戻ってその金を下しに銀行へ行ったところ口座残高が合いません。青くなって銀行へ確認に行きました。金は確かに送金されていて「なかざわのぶお」の口座へ入っていました。ただし、別の「なかざわのぶお」の口座でした。銀行は平謝りでした。しばらくして「なかざわのぶお」さんから電話がありました。

 三遊亭歌奴改め三遊亭円歌さんでした。彼の本名もまた「なかざわのぶお」だったのです。そこはそれ落語家ですから「そのうち一杯やろう」となりましたが、つまりはそれっきりです。

 下町生まれの彼は岩倉鉄道学校へ入り、新大久保の駅員になります。生来「どもり」、つまり吃音者であった彼はそれを克服するため落語家を志します。二代目円歌に弟子入りし「授業中」という新作落語で売り出します。後年、宮中で天皇陛下ご一家に呼ばれた時も、その「授業中」を演じました。その中でも「なかざわのぶお」君が登場します。当時、ラジオからそれが流れたときはビックリしました。

 彼は四人兄妹の三番目であったのにご両親は彼との同居を選びます。不幸なことに奥さんを早くに亡くします。奥さんのご両親がそこへ加わります。年寄が四人になりました。彼は伊豆長岡の旅館の女将と再婚します。女将の両親も同居となりました。年寄が六人になりました。どういう経緯かはわかりませんが、彼は麹町六番町の旧有島武生邸に住んでいます。隣りは泉鏡花の屋敷です。六人がばらばらにならないよう、紐を持たせて散歩に出かけます。その件を彼は新作落語「中沢家の人々」で売り出します。聞くに堪えない老人イジメが題材です。

 一方、彼は日蓮宗に帰依します。毎朝水を被り、念仏を唱え修行に励みます。円法という法名を得ます。以後、中沢のぶおは中沢円法となりました。六人の年寄を次々にあの世へ送り、とうとう本人の番になりました。八五歳でした。落語家協会会長は五年前に明け渡し、落語家協会最高顧問の肩書で青山葬儀場から火葬場へ行きました。最後の二年間は上野の鈴本演芸場に近い湯島のマンション住まいでありました。

 〈註〉 4月28日、タイ・チェンマイから、無事、戻ってきました。留守中いろいろご迷惑をおかけいたしました。ノートパソコンを持参したのでしたが、画面が小さく思うように書き込みが出来ませんでした。連休中は追加注文のあった宮沢恭人君の追悼集の製作にかかります。

 

2017年4月19日           政府発表のうそ

 IPADやノートパソコンのおかげで、タイ・チェンマイの森の中の一軒家にいても世界や日本のあらゆるニュースから疎外されてはいません。その上、日本のあらゆるチャンネルの生放送や録画が見られる便利なテレビもあるので、ややもすれば情報過多になってしまうほどです。

 今朝の産経新聞一面には驚くべき記事がありました。アメリカの空母カール・ビンソンは北朝鮮海域にすでに到達したものと思っていたら、まだ、マレーシア沖にウロウロしていてオーストラリアとの合同演習に参加していると言うではありませんか。

 日本政府の発表はこうでした。「北朝鮮が核実験、または大陸間弾道ミサイルを発射すれば、即座にアメリカは攻撃をする。空母カールビンソン、ミッドウエイとその護衛の駆逐艦、それに潜水艦艦隊は北朝鮮近くの海域に集結しつつある。状況は一触即発である。そのため有事に備え、半島の邦人保護のため韓国大使を帰任させる」

 この発表により、折から国会はじめ世間で白熱していた「森友学園」「加計学園」「アツキード」事件は、一気に鳴りを顰めました。それはそうでしょう、戦争が始まるかもしれない時に何で国内の「忖度事件」に関わっておられましょう。

 しかし、アメリカの空母艦隊は北上していなかったのです! 動いていなかったのです!

 これは政府による巧妙な情報操作ではありませんか。卑劣極まりない安倍官邸の振る舞いではありませんか。情報を誇大に解釈して民心をあらぬ方向に向けさせる、という手は古来から歴史の中で見え隠れしています。80年前、日華事変を捏造したあげく、太平洋戦争に突入した苦い経験を日本は持っています。仮想敵国をつくり、殊更に敵愾心を煽り、あえて危機が迫っていることを誇大に祭り上げ、権力を維持しようとするやり口は、時の権力者の常套手段でありますが、まさか、安倍政権がそれをやろうとは!

 思えば安倍内閣の閣僚は、大臣というより人間失格者ばかりです。復興大臣は何の落ち度もない福島の被爆者に向かって「自己責任」を押し付けました。石井法相は「共謀法案」について自力で答弁する知識も教養も持ち合わせていません。文科相は全国の学芸員はその存在がガンであり、一掃しなければならない、ととんでもない発言をしました。稲田防衛大臣はこの危機を横目に、外遊しようとしています。

 なぜ、こうも劣化した安倍内閣が存続できているのか?

 いわずと知れた読売新聞と日本テレビのお陰です。ヨチヨチ歩きをしながら「94歳までやる」と豪語し、憲法改正を安倍によって成就させようとする渡辺恒雄の存在です。180万部の残紙を販売店に押し付け、今なお覇権主義に取り付かれているナベツネの存在!

 もしかすると今日、ナベツネは安倍を呼びつけ策を授けているやも知れません。

 

2017年4月15日       数千のランを褥の昼寝かな

 

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2017年4月13日          スーパーコンピュータ「京」

 理化学研究所へは、三宮からシャトル電車に乗って終点の神戸国際空港の一つ手前で降ります。幹事の平野さんの計らいで見学のための係員が付いてくれました。階段式ホールは映写室になっていて、スクリーンを開くと目の前に200台はあろうかという大型コンピュータがめまぐるしく作動していました。世界の超高速コンピュータは、第一位と二位が中国、続いてアメリカの二台、ドイツがあって日本の「京」は第6位とのこと。これではならじ、と「第二京」が予算折衝に入っているようですが、総額1100億だそうです。それでも中国には及ばないそうです。理論的には単体のコンピュータの数を多くして並列させれば性能はアップされるそうですが、それほどアップさせて何に使うのか、そちらの方が問題だそうでした。理研の職員は347名。よほど頭の良い奴でない限り扱えないでしょう。そちらの方が問題だと説明がありました。聞けば中国には頭の良い奴がゴロゴロいるとか。残念なことです。

 見学が終わって神戸空港の中の、すこぶる付きすし屋へ案内されました。明石のタコ、旬のアナゴは流石に旨かったですなあ。雑談の席上、読売の三角さんから読売の現状が吐露されました。800万を超える部数でありながら、180万の売れない新聞を抱えているというのです。発行部数の2割から3割の売れていない新聞を販売店に押し込んでいる現状は、地方紙ブロック紙を含めて同列なのを全員が認めるのに吝かではありませんでした。時代は恐ろしい勢いで変わってしまっているのでした。「新聞の良い時代にわれわれは仕事をすることができて幸いだったなぁ」と皆で頷きあい、会はお開きとなりました。 

 

2017年4月8日            巡航ミサイルトマホーク

 タイ・チェンマイへ来て10日経ちました。ノートパソコンを携行してきたのはいいけれど、不具合の連続でした。困り果てた末の接続です。

 ハワイと同じ気候の中で、ノンビリ無聊を囲っていたら世界が凍りつく出来事が、昨日ありました。シリアの空軍基地に対し、アメリカが巡航ミサイルトマホーク59発を打ち込んだのです。しかも、その時刻が折からアメリカ訪問中の習金平夫妻との晩餐会の最中だった、というから正に劇的効果を狙ったものでした。

「習さんよ、驚いたかい? 俺は今までのオバマとは違う大統領なんだ。やるといったらやる男なのだよ。次が北朝鮮なのは分かっているだろ。お前さんが何とかしなかったら、おれがやっちまうぜ。早く何とかしろよ、習さんよ」

 ある意味では、中国の北朝鮮に対する優柔不断な姿勢に対する恫喝でもあります。中国はどんな姿勢をとるでしょうか。今回の訪問は相手の出方だけを見よう、という中国の思惑は完全に外された嫌いがあります。

 地中海に待機していた駆逐艦から発射された巡航ミサイルトマホークとは、どんなものなのでしょうか?

 長さ 5.56m  直径 0.52m   時速 880km     航続距離 3000km  命中誤差 6m

 今回の59発はすべてシリアの空軍基地に向けて発射されました。なぜなら、そこに猛毒サリンの製造貯蔵基地でもあったからです。二日前、サダト大統領はまたしてもサリンを使った爆撃を、こともあろうに自国民に対して行いました。2回目です。毒ガス空爆が行われたことはアメリカのみならず、トルコを含む周辺諸国が確認しました。シリアのサダトのお坊ちゃん顔を見るのは、世界の誰もが「嫌だ」と思っているのではないでしょうか。ただ、シリアを応援しているロシアがどんな報復をしてくるか、中東情勢は、新たな危機を迎えてしまいました。

 同じような差し迫った危機はアメリカ、中国、北朝鮮、韓国、日本にもあります。習金平に向かってトランプは「お前さんが北朝鮮を何とかしなければ、俺が単独でやるぜ」と啖呵を切ったからです。愚かな日本の安倍はいち早くトランプに賛意を示しました。そして韓国大使をソウルへ帰任させました。もはや、慰安婦像どころではなくなったからでしょう。折から、韓国軍とアメリカ軍の合同演習が行われています。演習は今月中旬まで続くようですが、アメリカは空母をおめおめと帰還させるでしょうか? トランプという向こう見ずの男は勇み肌のお坊ちゃんでもあります。

 つまり、今月が危ない。戦争になるかもしれない。

 すると、韓国の次期大統領候補が北朝鮮寄りで民族統一を標榜していても、アメリカに逆らうわけには行かない。否応なく休戦協定の破棄に追い込まれます。北朝鮮のミサイルは38度線一キロごとに配備されているといいます。アメリカの攻撃と同時にソウルは火の海となるのは明らかです。

 問題は北朝鮮のミサイルが、日本の米軍基地のすべてに標準が合わせてあるらしいことです。となると、ミサイルの飛び交う中、帰国が適わなくなるでしょう。

 どちらにしても、アメリカはトランプという厄介な男を大統領にしてしまいました。

 

2017年3月28日           嵯峨野はシャンゼリゼ通り

 三宮で新聞各社の皆さんと別れたのが午後一時、京都で途中下車することにしました。嵐山の大河内山荘だけが目的です。京都で山陰本線に乗り換えました。月曜日なのに電車は超満員です。嵐山嵯峨野駅でゴソっと降りました。亀山行の電車はほぼガラガラになりました。世界各国からの観光客は行列になって天龍寺界隈を起点とする嵯峨野散策を目指します。以前は中国系の団体客ばかりでしたが、今回、目立ったのはアラブ系、ヨーロッパ系の人々です。男は紋付羽織、女性は振袖の貸衣装に身をやつし、竹林を背景に自撮りカメラに夢中になっています。振袖、紋付袴の下はどた靴なのが何ともご愛嬌です。中国人20人あまりが派手な振袖姿に変身し、キャアキャアやっていたのは見ものでした。このグループは全員白足袋に草履でした。おまけに襟巻までしていました。

 天竜寺の横から大河内山荘へ向かう鬱蒼とした竹林に覆われた小道はごった返していました。恐らく9割がたが外国人です。自撮りカメラに熱中するのでしばしの立ち止まりを余儀なくされます。嵯峨野の散策は、いまやシャンゼリゼ通りに匹敵する国際通りになってます。

 まさか、大河内山荘は大丈夫だろうな、との期待はむなしく、中国人団体こそいなかったものの、外国人のアベック、家族連れ20組ほどが入っていました。数時間、たった一人で邸内を歩き回れた十数年前が懐かしく、早々に退散することにしました。

 初めてここへ来たのは学生時代です。いまの入園料1000円は昔は300円で、桜餅付の抹茶を緋毛氈に正座をしていただきました。寂光寺、二尊院、落柿舎、清涼院… 足に任せて散策しました。あれから60年。痛い腰をかばいながら、何とか背筋を伸ばし、駅までの往復を歩きました。夥しい外国人に囲まれながら…

 嵯峨野の散策は、日本人ならずとも心に染入る経験となる筈です。日本の古来の文化に触れる機会となる筈です。嵯峨野が外国人観光客のメッカになってしまったことは、始めは鬱陶しかったけれど、今は違います。もっともっと来てください、日本を知ってください、そして日本を好きになってください、と思うようになりました。

 但し、私は60年続いた大河内山荘を始めとする嵯峨野散策は、今回を持って打ち切りましょう。あと何年生きられるかは別として、私流の、私好みの、京都らしい京都探しを始めます。 

 

2017年3月24日             銀座を歩く

 新館15階のレセプションルームには、今回初めて足を踏み入れました。名物記者で販売にも籍を置いたこともある柴田鉄治さんは、真っ白な口髭を生やし、翁さながらの風情で現れました。福島支局長の時、敏腕を振るった大野出穂さんは、よれよれしながらの出席です。香月さん、下山さん、出版の岡村さんら20名が席に付き、旧友会次期会長選考会が始まりました。

 私は今年は中江利忠さん他副会長が下りて、秋山前社長に交代すると思っていたのですが、事務局から示された案では、旧体制の続投でした。拍子抜けしました。顔色の良くない中江さんの登場です。ぼそぼそと自分の病気のことを話し、全員が拍手し、食堂特製の箱弁当が配られました。

 中江元社長はこよなく歌が好きです。帝国ホテルでのオール販売店の新春祝賀会に出演してもらったことがあります。早稲田グリークラブとの協演でした。リハーサルは早稲田でやりました。当時、専務取締役だった中江さんのお伴をして、会社の車の助手席に乗りました。交渉の一切は元グリークラブに籍を置いたこともある私がやりました。早稲田へは確か20万円と、当時、新聞の拡材で湯水のように溢れていたビール500枚を上げました。先輩、先輩と持ち上げられました。帝国ホテルでの中江さんと早稲田とのの競演は好評で、しばらくして中江さんは社長になります。そんな繋がりがあって、朝日学生新聞社長になった私を筑地の料亭に呼んでくれました。直ぐ、カラオケになって、私が一曲、中江さんは10曲歌いました。アリとキリギリスだと思いました。新聞はその頃から下降線を描き出します。

 帝国ホテルでの新年会では出し物には苦労しました。フラメンコの長峰やす子を呼んだことがあります。彼女は福島の猪苗代で猫50匹を飼っていました。横綱の千代の富士に来てもらったこともあります。横綱審議委員の高橋義孝さんの息子の湛君が同僚にいたから出来たことでもありました。九重部屋へは私が交渉に行きました。

 会場が余りにダダッ広く、声が通らないためか、お通夜のような会議となりました。社勢はこんなところにも影響するのか、と遅ればせながら出てきたビールやワインやおつまみを頂きながら、隣りに座った同期入社で出版広告に配属された君島君と昔を懐かしみました。

 終わって歩き出しました。通いなれた新橋演舞場前の通りから新装なった時事通信ビルを見て、新歌舞伎座の威容を仰ぎ見、銀座の1丁目から7丁目まで歩きました。ヤマハに入りピアノ売り場で試弾もさせてもらいました。私の家の地下室にあるヤマハC3のグランドは当時70万だったのですが今は270万になっていました。ドイツのべーゼンドルファーも置いてあって、何と1千万!

 松坂屋は完全に壊され、巨大な共同ビルに変身していました。そして、歩いているのはほとんどが中国人と思しき団体客です。昔の銀座には並木通りがあって柳が芽吹いていました。森繁のうたではないけれど「銀座のスズメ」も飛び交っていました。面白くも何ともない銀座でした。 

 

2017年3月23日             立て込む日程

 このところ、日々の予定が詰まっています。今日は大学に合格した双子の孫息子孫娘が二人だけで挨拶にやってきます。少なからぬ祝い金を渡すと同時に、7月に予定している家の同時引っ越しについて意見を戦わせます。彼ら一家が私の家に、私は彼らの住んでいる大宮の家に、どうやったらスムーズな移転を成就できるか、皆んなで考えるのです。この家のリニューアル計画も一緒に討論します。幸い、孫娘はムサビに合格するほどの美的センスの持ち主です。築25年は経っていますが、道路に面した二台の車庫と、音楽室としての地下室と、頑丈なコンクリートの上に10部屋を持つ三井ホームの注文建築です。上手に使えば孫の彼らの代まで使えるかもしれません。加えて彼らの母親の真弓さんは整理魔、片づけ魔です。時々、家に来てそれをやってくれるのですが、そのセンスの良さには舌を巻いてしまいます。孫娘の美的センスは、きっと、母親譲りかもしれません。

 自分達がこれから住む家の内装を、自分たちのセンスを駆使して夢のような空間にリニューアルする、それには自分が率先して仕事をする以外にはありません。業者に任せるのは自分には出来ないところだけ、とする気構えが必要です。美しいもの、心休まるものはそれを創り出していく過程に喜びがあります。無論、その材料費は爺さんに用意させてもらいますが、その心は「こんなにも変わった!」と喜びたいからです。

 24日の明日は古巣の朝日新聞社で会議です。旧友会の役員選考会に呼ばれています。販売局代表として次期旧友会会長副会長の選考に与ります。ここ20年来日比谷の松本楼で豪華なフルコースを頂きながらの会議でしたが、今回は予算節約のため社内で行われます。ならば止めようかとも思うのですが、今回は永年会長であった中江利忠さんが離任して新たな会長を選任することになりそうなので、そうもいきません。昨今、朝日新聞に限らず新聞各社の退潮ぶりは目を覆いたくなるほどです。14,5年前にホームページで予測したようになりました。会議とはいえ古巣に足を向けるのは、誠に辛い。

 25、26日は沖縄から亡妻の妹夫婦が来京して「おばぁ」の25回忌法要を行います。お墓は森林公園の証大寺の私たちの墓の隣にあります。この「おばぁ」に私たちはどれだけ世話になったか、計り知れません。朝日新聞社入社三年目にして22坪の建売住宅に住むことが出来たのも、「おばぁ」から360万円貰ったからです。それを売り、角地の76坪を買い、アパートと母屋を建てられたのも「おばぁ」あってのことでした。沖縄の義弟は三線の無形文化財保持者です。義妹は琴の師匠で、最近、童話を出版しました。この二人を交えての25回忌法要を泉下の「おばぁ」はどんなに喜ぶことか。

 26日の法要を終えると、私は新幹線に飛び乗って神戸三宮へ向かいます。22年前、日本新聞協会派遣のアメリカICMA視察団の、恐らく最後になるだろう毎年恒例の同窓会です。大阪毎日新聞の平野さんの設営で、新聞協会の勝又さん、読売新聞の三角さん、河北新報の森田さん、京都新聞の太田さん、信濃毎日の宮沢さんが集まります。残念なのは山陽新聞の田中さんが病魔に侵されていることです。日経の斉藤さん、西日本の永利さん、朝日の金子さん、それにアメリカ駐在で世話役だった新聞協会の佐藤さんは物故しました。新聞華やかなりし頃、年次ごとに続いた派遣団毎の同窓会で今もって続いてきたのは我々のクラスだけです。新聞協会を途中退社して、自由が丘の隣駅奥沢で小さなレストランを開いている猪又さんが居なかったら、ここまで続かなかったでしょう。

 皆さんにお会いできるのも楽しみですが、27日に神戸の理化学研究所へ行って超高速コンピューター「京」を見学するのも大いなる期待です。余りに膨大な予算を必要とするため、当時の民主党の蓮舫大臣から「二番ではダメなのですか」言われた設備です。そして30日から4月27日までチェンマイを予定しています。中古のノートパソコンを仕入れましたので、ホームページの更新は可能となります。 

 

2017年3月21日            自宅映画館(4)

 「スタジオジブリ」製作の「ハウルの動く城」「耳をすませば」「平成狸合戦ポンポコ」を見ました。「狸合戦ポンポコ」は宮崎さんの弟子と思しき人の監督でした。しかも、読売新聞社が表に出てきていました。何という愚劣な作品でしょうか。多摩丘陵の土地開発とそこを根城にしていたらしい狸との戦いが主題になっているかに見えはしたものの、ただただ、オドロオドロしいだけの、主題も狙いもない愚劣極まる作品でした。「となりのトトロ」の対極に位置する見るに堪えない映像でした。「耳を澄ませば」は清純な中学生の初恋物語です。徳間康快さんの名前が大きく出ていましたから、これはご自分の青春時代の投影にしたかったのでありましょう。それなり感動を呼ぶ真面な作品でした。しかし、それ以上の何ものでもありません。

 「ハウルの動く城」は魔法の世界の物語です。あまりに飛躍が多すぎました。主人公が老婆になったり、現実に戻ったり、荒唐無稽の極致を行く作品です。そこには何の主題も主張もありません。ただただ、度胆をぬくだけの作品でした。

 つたやから借りてきたジブリの作品では「こくりこ坂から」がありますが、正直言ってもう沢山という気持ちです。

 一昔前、アニメ映画は原画を作り、それを少しずつ移動させるという、一枚一枚の作成に莫大な労力が必要でした。今はコンピューターのお蔭で省力化されているようですが、それでも作り上げるまでの作業量は天文学的でしょう。大いに敬意を表したいものです。

 総じて言えることは、ジブリ作品の中ではやはり、「となりのトトロ」に止めを刺すのではないでしょうか。もう一度この作品を見て、改めて「宮崎駿」さんに感謝の言葉を捧げることとします。

 余談ですが、DVDを「つたや」から借り出したのはいいけれど、一週間を超えるとベラボウな料金を取られます。一巻一週間100円なのに、超過すると一日300円の追加料金を取られます。うっかりしていたお蔭で、今日は5000円を超える追加料金を取られてしまいました。自分の不注意が悔しいやら情けないやら。 

 

2017年3月19日            山葵と唐辛子

 日本は海に囲まれ魚が豊富です。刺身が無ければ宴会になりません。刺身には山葵が付き物です。辛いけれども風味があり、それなりに奥ゆかしい辛さです。韓国では殆どの料理に唐辛子がまぶされて出て来ます。辛くない料理を探すのがほねです。

 この辛さへの違いが、日本人と韓国人の心根の相違に通じるものがあるようです。檄しやすい上に怨念を抱きやすい。怨念を持たれたら「恨」となって100年は続く。

 朴ウネ大統領は就任後日本を白眼視しました。専ら、中国に擦り寄りました。習金平に愁眉を送りました。でも、それを咎めたアメリカが北朝鮮に対抗するためとして、迎撃ミサイル「サーズ」の設置を認めました。それはロッテゴルフ場に設置されました。位置的には中国北京を狙える距離です。中国がそれを咎めます。「擦り寄ってきたのに、今更なんだ!」

 日本人が減少している上に、中国人の旅行者まで制限が加えられ、半減しています。弾劾裁判を受けた朴大統領は有罪となり家庭人となりました。場合によると刑務所行です。

 唐辛子の影響でしょうか、歴代の大統領の末路はいずれも尋常ではありません。暗殺か刑務所か自殺でした。山葵の国日本では考えられません。

 5月には大統領選挙が行われるのですが、今のところ、前回の選挙で僅差で朴ウネに負けた文在寅が有力と云われています。世論調査では39%前後で独走しています。この人もポピュリストで反日です。朝鮮統一を旗印に掲げ、反アメリカ、親中国です。米韓日の同盟の絆はことに依ったら崩れるかも知れません。設置されているアメリカ軍の「サーズ」を放り投げるかも知れません。すると、韓国、北朝鮮、中国が組んで日米同盟に刃向ってくるかも知れません。それもこれも唐辛子を好む朝鮮半島の人々の激しい気性に由来します。

 今年は困ったことが始まりそうな予感がします。 

 

2017年3月15日      歓迎 サウジアラビア・サルマン国王御一行様

 サウジアラビアの現国王が40機の航空機に約1000人のお伴を従えて来日しました。四日間の日程を終えて昨日、一行は北京に向かいましたが、生憎、4日間とも日本のお天気は悪く、気の毒しました。

 昨年の一月、アラビア半島の首長国連邦の首都であるドバイへ行きました、頭から白い布を被った男ども、目ばかり出し、全身黒装束女性たちで溢れていました。アラビア半島では男性と女性に厳しい掟があって、同一の席に付くことはありません。結婚式も別々に行われ、学校も共学ではありません。それ故、今回の1000人の随行者に女性が交じっていたかどうか? 恐らく皆無だったのではないでしょうか。世界にはおかしな国もあるものです。

 では、アラビア半島の女性は蔑視されているか、というとそうでもないようです。女性は家庭内では絶大な権力を持ち、母親が最高権力を握っているようです。四人まで妻帯が許されているのも奇異ですが、アラビア半島では女性が職業を持つことは許されません。せいぜい女性だけの学校の先生か、病院の看護婦に限られているようです。

 オイルマネーで成り立っているサウジアラビア国では、税金がありません。医療費も教育費もタダだそうです。だが、最近オイルが下落し、思った以上に国家収入が入らなくなっています。そのため、オイル依存だけでは国の将来が怪しくなる、企業誘致をしてオイルマネー国家から脱したい、今度の新国王は考え、アジア各国歴訪という今回の大名行列になったようです。

 ドバイのさる高級なレストランで、恋人同士が向かい合って座っています。女性は元より目ばかり出した黒装束、男性も白装束です。女性がどうやって食事をするのか、食事の時ぐらい黒装束の顔の部分を露わにするに違いない、と私はそれとなく好奇のまなざしを向けていました。なんと、彼女は皿の肉片を右手のホークに刺すや、左手で顔の前面を覆っている黒布を心持上げると、素早く口に肉片を放り込み、直ぐに黒布を垂らしました。その間、0・5秒。飲み物の時はもう少し時間がかかりましたが、一瞬たりとも顔を露出しないのです。ガッカリでした。

 ドバイには世界一大きいと言われるモールがあります。日本の日立製の高架電車を降りて動く歩道を3キロほど歩きます。ドキモを抜かれる大きさです。そのモールの中心は世界一高いビルになっていました。

 モールの一郭に黒服の女性たちが争って品定めに余念のない服飾店がありました。ケバケバしい色合いのドレスを彼女たちは争って買い求めています。どこで着るんだろう、それを着て街の中は歩けないだろうに、と意外でした。つまり、彼女たちは家の中だけで着るための、更にいえば、旦那さまだけに見せるために、ドレスを争って買おうとしているのです。何ともいじましい女心というか、哀れというか、ああ、世界は様々だ、と思いました。

 サウジアラビアは観光客を寄せ付けません。イスラム教徒以外は入国出来ません。その上、厳重な審査があるそうです。イスラムにもそれぞれ教派があって、サウジは少数派であるスンニ派です。お隣のイランは多数派のシーア派です。同じモスレムなのに両国は実に仲が悪い。つい最近、サウジは国内のシーア派の指導者を含む42人の処刑を断行しました。怒り心頭を発したのがイランです。双方領事館をひき上げました。国交断絶まがいの状況は現在も続いています。開戦一歩手前だそうですから、もし、そうなったとすれば油の通路が閉ざされ日本は多大の影響を蒙るでしょう。そうでなくてもイランはイスラム教の聖地メッカ、メジナにあるカヴァ神殿がサウジにあることを快く思っていません。カヴァ神殿には年間200万人以上の巡礼者が訪れます。余りの混雑で1500人を超える巡礼者が圧死するという事件がありました。イランはこの事故を重く見て、サウジに圧力をかけ続けているのです。

 世界人口の16億人がイスラム教徒と言われています。今のところキリスト教徒の方が多いようですが、毎日2万人余りがイスラム教徒に改宗しているのです。ということはキリスト教徒は世界的に減少傾向にあります。

 キリスト教国の殆どは自由主義、商業主義、民主主義国家です。それに反し、中東のイスラム教国は、宗教的部族国家です。アメリカは「アラブの春」をいいことに、そこへ民主主義を持ち込もうとしました。イラク、シリア、アフガニスタンで戦争を仕掛けました。それは、パンドラの函を開けたに等しい乱暴な行為でした。中東は混乱の坩堝と化しました。アメリカが懲りて手を引いても、混乱はテロを呼び内戦は激化しました。シリアが標的となり、およそ1000万人が難民としてヨーロッパEU諸国に流入します。初めは、新たな労働力として重用されたものの、今は邪魔者扱いになりました。グローバリズムの弊害として、移民拒否を鮮明にしたのはイギリスでした。国民投票でEUを脱退します。その傾向はEU諸国に伝播し、今や、オランダが、そして次はフランスが移民拒否を根底にしてEU脱退に舵を切ろうとしています。(註、オランダは辛うじて極右にはなりませんでした)アメリカのトランプ大統領も移民排斥に舵を切りました。その原則はイスラム教徒の排斥です。次はフランスとドイツです。極右のルペン女史がフランスの大統領になる確率は、今、五分五分です。両手を広げて移民を受け入れたドイツのメルケル女史は、極端に評判を落としています。移民阻止、イスラム教徒の入国拒否、格差の拡大、グローバリズムの崩壊、それがいまや今世紀の大問題になっています。

 そんな中でのサウジのお殿様ご一行のご爾来。実に、実に考えさせられました。

 余談ながら、サウジアラビアを中心とする航空会社はエミレーツ航空といいます。昨年、バンコック~ドバイの往復で搭乗しました。エコノミーではあっても、座席のスペースはゆったりとし、加えて、今は殆どやっていない食事のメニューが配られました。機内食は実に品数が豊富で、そのどれもが美味でした。加えてキャビンアテンダントが美人揃いでした。世界の美人を金にあかせて集めた、と云われています。敢て比較すれば、オランダ航空、オーストリア航空、フランス航空、スイス航空の機内食もアテンダントの美人度も、エミレーツに遥かに及びません。

 問題は、この美人揃いのアテンダントが国王御一行様の40機に同乗していたのかどうか?   何とか調べる手だてはないものでしょうか?   

 

2017年3月13日             マイナンバー

 確定申告の締切日が二日後に迫ってきました。申告用紙には「マイナンバーの記載が必要になります」と今年のものは記載されています。多くの人と同じように、マイナンバーは官僚の利便性のためにだけ作られたものだから、絶対に申告なぞしてやるものか、と力みかえっていました。練馬東税務署に訊いてみました。マイナンバーを記載しなければ申告は出来ないのかと。そんなことはない、という返事をもらったので安心していました。

 たまたま、遺産相続の登記で印鑑証明と住民票が必要になりました。ついでだと思って住民票を一枚余計にもらっておきました。驚いたのは自分では登録してないにも拘らず、住民票には既に私のナンバーが記載されていたことです。

 出来上がった申告書を持って税務署へ行きました。例年と違うのは税務署の前の広場は申告に来た人で黒山のようになっていました。200人以上はいたでしょうか。寒風のなか、イライラした人々の顔は尋常ではありません。「ウヘー」となって、出直そうかと思い係員に訊いてみました。すると「マイナンバーをお持ちの方はあちらへどうぞ」というのです。再び「ウヘー」となりました。その窓口は待ち人が誰もいなかったからです。持って行った住民票の写しから自分のナンバーを申告書に記載すると書類はスンナリ通り、「有難うございました」とまで言われました。

 官僚たちはあの手この手を使って、マイナンバーを普及させようとしているのでしょう。こういう姑息な手段を使ってまで目的を遂げようとしているのです。しかし、いくら自分は登録しないぞ、と力んではみても、住民票には既にナンバーが記載されてしまっているのをご存じでしょうか?

 忌み嫌っていたナンバーを持って行ったお蔭で、今日は二時間以上の時間の得をしました。

 

2017年3月12日         廃炉作業は東電だけでいいのか? 

 テレビも新聞も、6年前の災害に焦点を合わせた記事で賑わっています。6年前のホームページを読み返してみました。毎日、毎日、哭きながら、歯噛みしながら書いていました。その結果「もう、沢山だ、新聞は読まない、テレビも見ない」と宣言し、自分が出来る何かを模索し始めました。罹災した販売店への募金活動の原稿を作り販売局長に送りつけたりもしました。親を亡くし孤児になった子供を引き取って面倒を見よう、と実際に行動を起こしもしました。

 何かしてあげたい、自分に出来ることをして差し上げたい、という思いは、今も6年前と変わりありませんが、何せ、年が年のため、思いは空回りしているだけです。

 災害直後に組織された「福島原発行動隊」の隊員になったのはいいけれど、一向にお呼びがかからず、ただ名前だけで6年が経過しました。「危険区域に若いものが入るのは偲び難い、先の短い俺たち年寄に任せろ」という趣旨で1200人余りの組織になったのでしたが、東電や政府から「年寄は引っ込め」と云われ続けているのが現状です。

 いま、原発の廃炉作業や除染作業に従事している作業員の数は、およそ750人と聞いています。しかし高濃度の放射能汚染のある建屋内部には、いまだ入れず、ロボットも作動できず、作業は遅々として進んでいないと仄聞します。今年行ってみて変わったのは至る所に黒い袋が積み上げられていることでした。富岡の駅前は昨年までは建物がありました。私が集団疎開で寝起きした駅前の旅館「大東館」も惨めな姿を晒していました。今回行ってみて驚いたのは、大東館始め富岡駅前の民家のすべてが撤去され、海岸までの東京ドーム三個分はあろうかという空間が黒い大きな袋で埋まっていることでした。視界一面が真っ黒。それは壮大な眺めでしたが、鬼気迫るものを感じました。

 加えて水処理。汚染された地下水を6年もの間溜めておくことは出来ないでしょう。秘かに太平洋に流されているのではないでしょうか。関係者はそれを知っても黙認してるのではないでしょうか。 それより何より、遅々として進まぬ廃炉作業を東電のみに任せておいていいものでしょうか。 今回、足を踏み入れてみてそれを強く感じました。 

 

2017年3月11日           福島浜通り小高教会に輝く十字架

 今日は双葉原発がメルトダウンして6年目に当たります。罹災した人々の暮らしは一向に改善された気配はなく、ただただ、ご同情申し上げる他はありませんが、降りかかった災難を見事なまでに乗り越え、大勢の福島浜通りのキリスト教徒の心の支えになっている佐藤彰ご夫妻について今日は触れることにします。

 何度かこのホームページでとりあげてはいますが、佐藤牧師夫妻は原発のある双葉町の隣、大熊町のバプテスト教会の牧師でありました。原発メルトダウンという未曽有の大事故のため、佐藤さんは信徒40人余りを伴いご自分の故郷である山形へ避難しました。続いて奥多摩へ移るのですが、食事の世話から寝る場所まで、それはそれは大変だったようです。三年後、夫妻は磐城湯本泉地区に教会を建立します。翼を広げ、大熊町に立ち向かうように設計された大きな教会です。世界中の教会から同情と支援と献金があったようですが、強烈な意志がなければできないことです。

 今年一月の第二日曜日を中心にしてその「翼の教会」へ行ってきました。目的は今まで避難地域だった浪江町の隣で南相馬市の入り口「小高」が昨年11月に避難解除になったためです。小さな町ですが佐藤牧師はそこにも教会を建てました。そして教会の尖塔に夜でも光る十字架を輝かせました。その十字架を仰ぎに行きたくて堪らなくなったのです。同行のSさんは一時大熊町に住み佐藤牧師から直々に洗礼を受けています。かつ、佐藤牧師を大熊町教会に推薦した小高に住む半谷さんに一方ならぬお世話を頂いたようです。小高には「半谷さん」の一族が大勢います。私が早稲田の一年生の夏休み、伊勢丹デパート立川店でアルバイトしたのですが、それの世話をしてくれたのが店長で小高出身の半谷さんでした。私と同居して成蹊大学に行っていた長野の清水さんの従弟、清水聡さんの姉さんが半谷さんの奥さんという関係でした。

 常磐高速を飛ばし広野インターで下りました。広野町でただ一つの病院「高野病院」を探しました。高台には沢山の避難住宅がありました。その一角に大きな病院がありました。高齢者が中心の、かなりの入院患者がいるようでした。この病院の院長である高野さんはつい最近お亡くなりになりました。火事による焼死です。80歳を超える高齢ゆえ、自宅に帰ることなく病院裏の小屋で寝泊まりし、昼も夜も入院患者に張り付いていたそうです。病院の事務局長がその小屋に案内してくれました。ベッド一つの粗末な小屋です。ベットの周辺だけが焼けただれていました。小屋の前には大きな犬が飼われていて、その夜は大声で鳴いたそうです。一つの崇高な魂の終焉に対し、深く、深く頭を垂れました。

 国道6号線をそのまま突き抜けて行ってもいいのですが、双葉、浪江を抜けるのも気が進まず、富岡で左折し常磐高速を目指しました。放射線量計は今までにない「3,9」を指しています。クルマ一台、人ッ子一人会いません。すべてが静かな、死の世界のようなところを約20キロ走りました。辿り着いた常磐高速もガラガラです。これから何十年もここはこのままなのかと、やり切れない思いで南相馬インターで下り、小高へ向かいました。

 小高は今回が三回目です。僅かながら人影がありました。駅前広場に小型のバンが止まり、その前にベンチが置いてあります。コーヒーを売っていました。一杯300円。売っていたのは今日は休みだという南相馬市の職員さんと、いすに座っていたのは南相馬市市長さんでした。そこへ小高駅長さんも加わりました。新地ー小高間の常磐線が開通したからです。ひとしきり談笑が弾みました。近所の小母さんが紙コップに雑煮を入れてきて、7人全員に振る舞ってくれました。美味かったなあ。

 その広場から小さな小高教会の尖塔の十字架が仰げました。その教会の隣の瀟洒な平屋の表札は「半谷」となっていました。夜になればこの十字架は光を発するそうです。やがては大勢の信者がこの十字架の元に集い、故郷再生に力を尽くすようになるでしょう。

 「佐藤牧師は凄いことをやるものだ」と改めて思いました。

 

2017年3月10日             自宅映画館(3)

 外は強烈な花粉の嵐、「風立ちぬ」を見ました。堀辰雄の小説に同名のものがありますが、これは、戦争中に戦闘機「隼」、「0戦」を設計し、その性能の良さで世界中を唸らせた堀越次郎の伝記アニメでした。アニメながら関東大震災から終戦近くまでの時代考証も正確で感心しました。なほこという初恋の女性はいわゆる「肺病病み」で「風たちぬ」が連想されました。それにしてもタバコを吸う場面が多く、時代を感じさせました。徳間康快さんの名前が大きくでていたのが印象的でした。それ相当の肩入れをしたのでしょう。 

 続いて「千と千尋の神隠し」。これは傑作です。圧倒的な面白さで見るものを引き付けます。江戸時代の吉原を模した巨大な遊郭に、化け物たちが湯浴みにやってくるという、奇想天外な発想です。両親が豚に変身させられ、千尋だけが千となって遊郭で働きます。小まめに働きながら数々の試練を乗り越え成長していきます。その健気な姿が共感を呼びます。一本筋が通っている作品といっていいでしょう。興行収入日本一になったのも頷ける作品です。でも、ただ文句なしに面白い、それだけの作品です。

 「風の谷のナウシカ」。人間と動物と自然が共存できるか、というテーマなのでしょうが、すべてが空回りしたオドロオドロしいでだけの作品でした。

 

2017年3月7日              自宅映画館(2)

 今日は雨模様のうすら寒い日です。花粉の飛散は少なそうですが、買い物以外、戸外にでるのは止めて午前中は「魔女の宅急便」を見ました。魔女と人間社会の関わり合いがすんなりとしていて好感の持てる作品になっていました。続いて見たのが「もののけ姫」。驚きました。これは駄作であり愚作です。何を言いたいのかサッパリ分からない。ただ、オドロオドロしいだけで、面白くも何ともない。そのくせ、スタッフ紹介では従来の3倍もあろうかという名前が延々と続きました。その中には電通、読売テレビ、読売新聞社もありました。徳間康快さんの名前はすでにありません。徳間書店の数人が紹介されているだけです。「隣りのトトロ」の評判に肖ろうとして、皆で寄ってたかってこの作品を作ったのではないでしょうか。「船頭多くして舟山に登る」を地で行った極め付けの作品がこれです。とにかく、テーマがハッキリしないのです。どれが善でどれが惡かハッキリしないのです。ただただ、オドロオドロシイだけの映像の羅列です。いやはや驚きました。一連のジブリの作品は宮崎駿さんが監督であるうえに、彼は原作、脚本まで手がけていました。この作品での彼の役割は「監督」だけになっていました。だから、彼の持ち味である「優雅さ」「詩情」「分かりやすさ」が影を潜めてしまったのでしょう。                                                                               

 兎に角、「もののけ姫」は時間だけを浪費する駄作、愚作だ、と私は極めつけて憚りません。 

 

2017年3月5日                 自宅映画館(1)

 この時期,チョット外へ出ただけでも花粉のお蔭で目がムズムズします。幸い、差し迫った製本の仕事もありませんので、この忌々しい3月は読書と映像鑑賞を専らにしよう、と決めました。

 以前からしたかったのは宮崎駿「スタジオジブリ」の全作品の鑑賞です。近所の「つたや」へ行き会員になりました。貸出し料は一巻一週間100円です。何と安いこと!

 昨日は「紅の豚」「天空の城ジュピタ」「崖の上のポニョ」を一気に見てしまいました。どれも初めてです。いずれも面白かったけれど、「紅の豚」の飛行艇製作の場面は秀逸でした。「ジュピタ」はあまりに荒唐無稽すぎました。「ポニョ」には詩情がありますが深さが欠落しています。映像にしろ、文章にしろ、表現活動には鉄則があります。それは「難しいことを易しく、易しいことを面白く、面白いことを深く」です。

 さて、今日借り出してきたのは「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「もののけ姫」です。

 やっぱり「トトロ」はいい。改めて感動を覚えました。どの画面も詩情に溢れています。人間の親子と田舎の景色とその生活と、そして「モノノケ」とが一緒になって見る人の心の琴線を擽ります。まだ、全部を見てないので何とも言えないのですが、恐らく「トトロ」に勝る作品はないのではないでしょうか。

  スタジオジブリで思い出すのは、製作した徳間書店の徳間康快さんのことです。当時経営が思わしくなかった「東京タイムス」という朝日新聞系列の新聞社を彼は買収しました。新聞経営をやりたかったのだと思います。しかし、その後やっぱり東京タイムスは廃刊になりました。

 ある日、販売局次長の私と宣伝部長の松信裕君(現有隣堂書店社長)と二人で徳間康快さんの社長室へ頼みに行きました。新年恒例の帝国ホテルで行われる祝賀会の出し物に、徳間グループが抱える歌手の「センマサオ」を呼びたい、彼に「朝日販売人の歌」を作って貰い、朝日販売でその歌を広めたい、というものでした。センマサオは承諾してもらいました。ただし、販売人の歌は吉幾三にしたい、彼は作詞作曲が得意である、将来性があるので朝日としても彼を応援して欲しい、となりました。吉幾三作曲の「朝日販売人の歌」はニ曲作られ帝国ホテルで披露されました。作詞は一般公募でした。この歌は今でもカセットに残っていてしばしば歌われましたが、いつの間にかしりつぼみになりました。代わりに吉幾三はすっかり有名になってしまいました。お土産に「ドクダミ茶」をもらいました。長生きの素だというのです。お茶の効用は余りなかったのか、徳間康快さんはしばらくして亡くなりましたが、スタジオジブリを立ち上げ初期の製作費を出したのは、まぎれもなく徳間康快さんです。人間は思わぬところで社会貢献をするものです。

 

2017年3月2日                                      刷 り こ み

 韓国釜山市の日本領事館前に建てられた慰安婦像を、他へ移すという条件で一昨年の12月、日本は韓国に対し10億円を払い「是を持ってこの件はむしかえさない」と両国の外相同士が握手をしました。ところが、慰安婦像はいまだ撤去されないばかりか、10億円も返って来ません。撤去できない理由は学生団体が像の周りに張り込んでいて、激しい抵抗をするからだそうです。

 韓国の反日教育は幼稚園から始まります。小学校には「独島クラブ」というものがあって何故竹島が韓国領なのか、を研究させます。

 反日教育の流れは、この20年位前の中国に止めを指します。中国全土に建てられた戦争記念博物館は、中国の小学生が必ず訪れなければならないところです。30万人の南京虐殺の模様が凄まじいまでに誇張され、展示されています。尖閣列島問題で「愛国無罪」を叫び、日本の施設を破壊しそれを全国的規模にまで拡大したのは胡錦濤時代の共産党の指令によるものでした。

 幼年期に刷りこまれた「反日」は成人しても消えるものではありません。いま、慰安婦像運動を展開しているのは徹底した反日教育を受けた学生たちです。韓国内に34か所、アメリカを含む海外に4か所、やがて竹島にも彼らは建てるそうです。実は、韓国の大人たちはこの凄まじい学生の流れに辟易し出しています。韓国のソウル、釜山から大使、領事を本国に召還させ、スワップ交渉まで日本は打ち切ってしまいました。大人が仕掛けた反日教育によって成長した学生たちの行動に、身から出た錆びとは言いながら、こうまで拡大してしまっている現実に手を焼き始めているのです。

 刷りこみとは怖いものです。

 慰安婦問題を世上に上げたのは、私と同期入社の松井やよりです。彼女は山手キリスト教会の牧師の娘でした。13年前に亡くなりましたが、こんなにまでなってしまったことに「こんな筈じゃなかった!」と嘆いていることでしょう。これに呼応し、大阪の社会部記者の植松某は、韓国特派員の時、慰安婦を親戚に持つ韓国人と結婚し、裏を取ることなく、聴いたままを記事にしてしまいました。ごく最近、訂正記事を朝日として発表し、大顰蹙を浴びたのは周知のとおりです。慰安婦問題の原因が朝日新聞であったことは言うまでもなく、私は胸を張って表を歩けない思いで一杯です。

 婦女暴行は世界史の戦争歴史の中では付き物でありました。十字軍の昔からありました。それに管理体制を持ち込んだのはドイツのナチスと日本軍だけです。ベトナム戦争の時、連合軍の一員であった韓国軍はベトナム女性を激しく暴行しました。ベトナムは韓国を恨んでいますが問題視しないできました。お蔭で、刷りこみが無いから韓国の学生たちはこの事実を知りません。

 国同士の約束を反故にする韓国に対し、日本はいま、強硬姿勢を持って臨もうとしていますが、学生団体が相手だけに、日本の学生運動がそうであったように、時の流れを見るより仕方が無いのではないでしょうか。

 いま、日本でも刷りこみが表ざたになり、安倍晋三が窮地に追い込まれています。森友学園と称する学校法人の名誉校長に安倍夫人が就任していたことからこの事態は始まりました。この学校法人は幼稚園児に「五箇条の御誓文」を丸暗記させ、日本の軍歌を歌わせています。幼稚園児をして「安倍総理頑張れ」「安保法制が通ってよかったですね」「日本はとよ葦原のみずほの国」とことあるごとに合唱させています。この異常なまでの学校法人の名誉校長が安倍明恵夫人でした。しかも、この学校法人は小学校建設のため国有地を法外な値段で払い下げを受けています。

 この件はいま国会審議の真っ最中ですが、安倍を操る日本会議の存在が明るみに出るにつれ安倍内閣の存在が脅かされ、窮地に立たされています。これは見ものです。

 

2017年3月1日            花 粉 症

 遥か昔の3月末、秩父は長瀞カントリークラブでゴルフをしたことがあります。風の強い日でもありました。視界一面、白く霞んでいます。春霞かと思いきや、ゴルフ場全体がスギ花粉で覆われていたのです。目は痛くなる、クシャミは連発する、鼻水はでる……ペットボトルの水で目を洗いながらの、散々なゴルフをしました。スコアは当然ながら良くありません。悔しかったので花粉を蓄えている杉の木から葉をもぎ取って「食べてやる、コン畜生!」と口の中で噛み砕き嚥下しました。

 その晩の苦しみようといったら……ところがです。その翌年、花粉症の症状は全くと言っていいほど出ませんでした。不思議でした。ワクチンと同じ効果があったのだろうと思います。3月の声を聞くのは嬉しいけれど、またまた、花粉との戦いです。飲み薬、目薬、鼻スプレー、既に2回も病院から処方されています。 

 茨城県筑波山の麓に突如として学園都市が生まれました。それを記念して筑波万博が開催されました。当時、宣伝部長だった私はある計画を立案し、実行しました。「筑波山に植樹しよう。ヒノキ一本千円、あなたのお名前が刻まれた石碑を建て、あなたの植樹を永遠に記念する」というものでした。

 数万人のお名前が刻まれた石碑は建立されましたが、植樹の方はどうなったかというと、はかばかしくありませんでした。業半ばで、私は出向を命ぜられ「朝日コミュニテイ」という子会社の社長に転出しました。そのため、宣伝部が手掛けていた植樹その他の業務一切は、集まった寄付金と共に「朝日森林文化協会」に委嘱されました。常日頃、立派な仕事をしているこの協会でしたが、担当者に恵まれなかったのでしょうか、植樹業者に騙されてしまいました。植樹はヒノキに限るとしたのに杉になってしまいました。本数も限られた敷地にのみ植えられました。誰にも分からないからです。苦い思い出です。

 そんな訳で、私は、自分が発案して植樹したヒノキ変じて杉となった花粉に苦しんでいるのです。自業自得とはこのことです。

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