2025年6月 14・15日 中東戦争勃発か 「13日の金曜日」、、、、、悪いことは重なるようです。イスラエルがイランの核施設100カ所以上を狙って空爆しました。イランの多くの高官も巻き込まれて死亡したようです。すかさず、イランもイスラエルに向けて弾道ミサイル数百発を発射しました。とうとう両国は交戦状態になったのです。イスラエルのガザを根城に隆起したテロ組織「ハマス」、レバノンを根城にしたテロ組織「ヒズボラ」、これらの後ろ盾は言わずと知れたイランでした。とうとうイランとの直接対決の幕開けとなったのです。こうなってしまった以上、アメリカはどう出るでしょうか?かねてよりアメリカは、イランの核開発に否定的でした。いろいろな制裁を加えてきました。だからといって、今回のイランに対するイスラエルの空爆を肯定したのでしょうか?イスラエルは当然ながらアメリカに事前のお伺いを立てたでしょうが、アメリカのトランプは、それを積極的に支持したのでしょうか? 私にはそうは思えません。アメリカはかえって「迷惑」としているのではないでしょうか? 迷惑を承知の上での「ネタニヤフの決断」だったのではないでしょうか?
イラン側に立つ中東の国々がこの際結束してイラン側に立って、イスラエルと対峙したら、ユダヤ人の国は、どうなるでしょうか?一大事件の勃発です。このままで済むわけにはいかないでしょう。
2025年6月 13日 痛ましい事故 今日は金曜日、おまけに13日。最も縁起の悪い日です。案の定、インドで大きな事故が起きました。ニューデリーからロンドンに向けて飛び立った242人乗りの旅客機が、離陸直後に墜落炎上し、一人を除いて全員が死亡する、という痛ましい事故です。恐らく、地上の現場でも被害が出たでしょうが、それはまだ、伝わってきていません。何とも、やりきれない重大事故です。原因は何だったのでしょう? いま、インドは隣国のパキスタンと戦争状態にあります。そのパキスタンの仕業でしょうか? それとも単なるパイロットミスでしょうか? 機体の整備不良が原因でしょうか? それにしても、痛ましい事故です。やりきれない思いで一杯です。
2025年6月 12日 高校野球 6月下旬から7月一杯にかけて、全国高校野球の予選が始まります。現役の頃は、それぞれの県の野球場の整備や朝日の旗貼りなど、その地区の支局の指示の元、販売店と共に試合がスムーズに行われるよう協力してきました。あるときは、7月の長雨のため、その県の代表校がギリギリになっても決まらなくて、ハラハラした時もありました。
高野連からの新聞発表によると、今年からだそうですが、日中のカンカン照りの時は試合を中止し、夕方に行うとのこと。確かに、このところの日本の気候は春と秋が短くなり、夏と冬がハバをきかすように変化してきています。それも、夏は飛びきり暑い! その暑さの中で、「かち割り氷を口にしながら熱戦を観る」のが甲子園名物でしたが、選手の健康のためにはそうも言っていられないでしょう。高野連の「良い決断」ではないでしょうか?
長い間「朝日」と拘わっていながら、甲子園は行ったのは、恥ずかしながら二回しかありません。一度目は茨城県の販売店を引率して、もう一回は亡くなった家内と。いずれの時も「かち割り氷」が貴重品でした。その代わり、優勝・準優勝パレードには当事者として4回拘わっています。福島県の磐城高校が準優勝したとき、勿来の関から平の磐城高校まで、六号線優勝パレード。茨城県取手二高と常総学園のパレード。九州では佐賀商業の優勝パレード。
こう書きながら思うことは、ただ一つ。「もう一度甲子園へ行きたい」
2025年6月 11日 鰐淵晴子 何気なくテレビを付けたら、黒柳徹子の番組をやっていて、ゲストに鰐淵晴子が出ていました。あの、類い希な美しさを放っていた美少女・鰐淵晴子が、今や80歳!!!! 顔は異様に大きくなり、おまけに厚化粧、、、、、。
昔々、女優・原節子がお母さん役で、鰐淵晴子が少女役で主演する「のんちゃん雲に乗る」という映画がありました。駆け出しのバイオリニストだった鰐淵晴子の「無邪気さ」「美しさ」を存分に引き出した映画でしたが、当時、少年から青年になりかけていた私は、この映画に夢中になりました。何度、観たことでしょう。原節子が飼い犬の「ぽち」に餌をあげるときのセリフ「ぽちにはこれよ」という優しさに溢れたセリフの抑揚を今でも鮮明に覚えています。
この映画を再び見たくて、その後、懸命になって探しましたが、ついに入手することが叶いませんでした。しかし、諦めた訳ではありません。執念をもって探しまくります。しかし、何ですなあ、女性の顔と体型の変わり様は、凄まじいものがありますなあ、、、、、、。(写真の転載は拒否されました)
2025年6月 9・10日 天網恢恢 都内・八王子地区選出の衆議院・議員萩生田光一が逮捕されそうです。そこまで彼を追い詰めたのは、一般市民でユーチューバーの深田萌愛さんという、47歳の女性。立派なモノです。親しみを感じるのは、彼女が同学・早稲田大学の政経学部卒業でもあることです。学歴で差別する訳ではありませんが、一方の萩生田光一は明治大学の第二商学部。彼の来し方をオモン見れば、「狡猾な政治屋」そのもの。自民党の金の問題の時も、彼は逃げに逃げ回りました。2700万円の疑惑がありながら、うやむやを通してしまいました。モリカケ問題の時も、当事者であることを拒み続けました。
選挙民である八王子の人達も、彼女の出現によって、ようやく 萩生田光一の「狡猾さ」に気づいたのではないでしょうか。「頑張れ、頑張れ、深田萌愛!」
2025年6月 8日 囲 碁 今日は久しぶりに、NHKの昼の囲碁番組を見ました。対戦は高尾紳治9段と三谷哲也8段。高尾9段は中学校全国大会で優勝した強者。三谷8段は依田紀基9段の門下生。山梨清里の別荘地が、今のように寂れていない頃、宮沢君の別荘の数軒先に依田紀基さんの別荘もあって、三谷三段も同居していました。幸いのことに、清里の別荘地には大きな集会所があって、依田さんが主宰する囲碁会が毎日のように開かれていました。宮沢君も私も「日本棋院」から免状を貰っています。彼は5段、私は4段。その集会所で、私は三谷哲也プロに4石置いて打って貰っていました。
久々に見る三谷8段は、スッカリ小父さんになっていました。何局か打って頂いた三谷さんです。応援したのでしたが、高尾9段に惜敗してしまいました。このところ、NHK杯でも依田さんを見かけません。一方、清里高原も衰退の一途となっているようです。囲碁の対局で、大いにお世話になった碁盤が沢山置いてあった集会所はどうなっているでしょうか?
2025年6月 7日 歩け、歩け、歩け 家の「ホンダ」を車検切れにしてしまっている責任は、ひとえに私自身にあります。高年齢ではあっても、運転には自信があるので普段と変わらない車操作ができる、としても、「万が一」ということも考えられます。「ホンダ中村橋」から代車が来て、車検を通して貰う時まで、車の運転はしないことにしました。それ故、今日は久しぶりに近隣の店に歩いて行きました。丁度、ウイスキーが切れていたので、ジャック・ダニエルやチーズなどを購入しました。驚いたのは、このところ車ばっかりだったせいか、行きに一回、帰りに一回、途中で休みを入れてしまいました。歩行能力が極端に落ちていることを、イヤというほど、分らせられたのです。車に頼り切っていた生活! これではいけない! 毎日、少しでも歩こう!と改めて決心した次第です。
2025年6月 5・6日 車 検 家の「ホンダ・フィット」が2年前の車検の時、たまたま畏友堀田さんがチェンマイの女性親子をお連れして、我が家に逗留しました。車検毎にお世話になっている「練馬・中村橋ホンダ店」に車を預け、代車をお借りして、富士山へ出かけました。運転は行きも帰りも堀田さんにお願いしました。何故なら私は、鼠径ヘルニアで苦しんでいたからです。中央高速を大月から左にそれ、山中湖に入り、ほとりのホテルに投宿しました。その日は生憎の雨模様。翌日は快晴。山中湖に映る富士山の全景は、実に、実に圧巻でした。新緑のジグザグ道を五合目まで上り、チェンマイからの客人に富士山を堪能して貰ったあと、満開の「フジザクラ」が咲き誇る名所へ行きました。雲一つない富士山と、地平線から地平線まで満開の景色を堪能し、富士吉田で、これまた「回転ずし」を堪能して帰って来ました。その後、新宿の病院で鼠径ヘルニアの手術を受け、経過は快調に推移していますが、またまた車検の時季。それを気がつかずいたところ、チェンマイから堀田さんの御爾来となって大騒ぎ。再度の車検か、中古車の購入か、それとも、免許返納か?迷いに迷っている87歳のご老体の私。
2025年6月 4日 越権行為 前総理・安倍晋三の奥さん「昭恵さん」が、何を思ったか、単身、ロシアへ行って、単独でプーチンと会い、花束まで贈呈したことが、ヘンな話題になっています。彼女は、かつて大問題となった「モリカケ問題」を惹起した張本人でもあります。彼女がしゃしゃり出たばっかりに、忠実この上ない一人の国家公務員が自殺に追い込まれてしまいました。森永製菓の娘で、何不足無く育った自由奔放な娘のために世の中の常識が、一時、おかしくなりさえしました。
普通の感覚の持ち主であれば、戦争中の一方の領主を「花束を持って尋ねること」などしないでしょう。この日本の過去の人物とはいえ、総理夫人が、両方の陣営の領袖に花束を贈るならまだしも、一方に偏るとは何事でありますか! 何故、日本の政界はこの行為を阻止できなかったのでしょう!ウクライナやNATO諸国の人々は、この元総理夫人の独りよがりな行動をどう見ているでしょうか!
2025年6月 3日 長嶋茂雄逝く 希代の野球人長嶋茂雄の訃報が報ぜられました。私は彼と同じ歳なので感慨も一入です。彼は千葉県佐倉の出身。私が朝日社員となり、販売担当員として千葉県全域を受け持ち、海野親分の助手として仕え始めた頃、彼は立教で六大学の花形野球人として大活躍していました。佐倉の販売所長の小坂さんと、自転車に乗り、区域回りということで長嶋茂雄の生家を見せて貰ったこともありました。
その後、必要があって、「リハビリ」の道具を扱っている病院を訪ねました。新宿・初台の環状六号線沿いの細長いビルでした。何と、そのリハビリ室で訓練していたのが長嶋茂雄その人ではありませんか。逝去されたのもその病院ではありますまいか?
朝日新聞にとっては読売巨人軍は目の上のたんこぶでした。読売新聞にとっての巨人軍は、部数を伸ばす上でこの上ない宣伝材料であったでしょう。もし、巨人軍なかりせば、、、、、しかし、しかし、長嶋茂雄の一代記は立派なモノではなかったでしょうか。ご冥福を祈りましょう。
2025年6月 1・2日 チェンマイの奇習 世界の国々には、それぞれ、その国独特の奇妙な「祭り」がありますが、タイのチェンマイで行われる「水掛け祭り」もその内の一つでしょう。不意に水をかけられれば、誰だって怒り出しますが、この日はどんなに水を掛けられても怒ってはいけないのです。無蓋車の車に乗ったもの同士が、全身水浸しになりながら、相手に向かって水を無我夢中で掛け合う。それに見物人も巻き込まれて壮絶な「水の掛け合い」が繰り広げられる、、、、、どんなに水の不意打ちを食らっても怒ってはいけない、、、、誰もがその熱気を食らって吾を忘れていく、、、、、。無我夢中になっていく、、、
チェンマイ日本語教会にこの水掛祭りが無類に好きな初老の小父さんがいます。新兵器の水鉄砲を仕入れ、この時期、誰彼となく無差別に水を掛けまくっていました。出身は何と日大芸術学部。私も彼に水を掛けられたことがありました。油断したお陰です。
2025年5月 3 1日 臆 病 今日で麗しの5月も終わり、明日からは梅雨の6月入りです。3月23日、福島から帰ってきて、二階の六畳の仏間で転び、肋骨にヒビが入り、翌日、救急車で病院へ運ばれて以来、丸二ヶ月以上が経過しました。病院から貰った腰のコルセットは未だ付けてはいるものの、いまだ、立ち居振る舞い事には鈍痛が走ります。従って、単なる「動作」であっても「慎重」にならざるを得ません。と同時に、自分の行動に「臆病」になっていることに気づきます。その大きな証しが、3月23日以来、一度も半地下のピアノ室へ行ってピアノに触れていないのです。ピアノの先生から7月の発表会はどうする?といわれているのですが、レッスンに行く気が起きないのです。福島の泉教会へお土産にすると同時に野方へ行って買ったスイス・ジュネーヴへ贈る「金時煎餅」もそのままになっているのです。郵便局へ行って「難しい手続き」をやる気が起きないのです。身体の一部に痛みが残っていると、何で人は通常の行動が出来なくなるのでしょうか?反省頻りです。5月は今日で終わり。明日から6月。自分で自分を励まさなくては、、、、、、、。
2025年5月29・30日 アジアのお米 米の分配について、何がいけなかったのか、農水相が更迭されたばかりか、新任された大臣も、世間からヤイノヤイノいわれています。備蓄米放出を廻って、世間がカシマシイことこの上なしです。それだけ利権が絡んでいるからでしょうが、一方、中国では気候不順のため、穀類の不作が危機的状況にまで陥り、中国からの要請で、日本の政治家が間に立っているようでもあります。
お陰様でこの20年近く、アジア地区のほとんどの国に足を踏み入れることが出来ました。行ってないのはブルネイぐらいでしょうか? アジア人の主食はお米ですから、どこの国へ行ってお米のご厄介になってきましたが、日本のお米以上に美味しいお米はどこにも無かった、ことだけはハッキリ言えます。長い期間逗留したタイ・チェンマイでは、スーパーへ行くたびに日本米をあさるのでしたが、値段は飛びきり高く、見つけるのにも苦労しました。どうするかというと、そのままでは美味しくないので「焼きめし」にしました。粒が大きく、味が無くても、油で炒めれば何とかいけるのでした。ミヤンマーへ行ったときは、美味しくない外米も、神秘的とさえ言える「カレー・ルウ」の助けを借りて、夢中で掻き込むことが出来ました。
「始めちょろちょろなかパッパ、赤子泣くとも蓋とるな!」「ああ、日本のお米の美味しさよ。」
2025年5月28日 空襲を見る 太平洋戦争の末期、日本本土に敵B29の大編隊が押し寄せ、爆弾を落とし始めた頃です。国民学校一年生の私は、その日、母親に連れられて、浅草雷門から東武線に乗って栃木県佐野市田島の母の姉の家に向かっておりました。大きな農家の家には、武、和子、玲子、栄、治、博、6人のいとこ達が私を待ち構えていました。電車が館林に着いたとき、生憎、敵B29の大編隊の空襲がありました。舘林の隣町、太田飛行場を狙ったモノでした。高射砲が炸裂するのですが、少しも当たりません。その内、日本の飛行機が一機、飛行場から飛び立ったかと思うと、B29の一機に体当たりしました。日本機は直ぐに落ちて爆破しましたが、敵機は中々落ちません。その内、ヒラヒラと火を吹き始め、けたたましい音を立てて地上に落ちました。その一部始終を見ていた電車の乗客達は思わず思わず拍手しました。私もその一人でした。
2025年5月27日 次世代戦闘機 昨日、トランプ大統領から石破首相に直接の電話があって、USスチールの日本参加に軟化する姿勢を示すと共に、次世代型戦闘機「F47」が出来たので「見に来ないか」と言われたそうです。アメリカで新しい戦闘機が出来る度に、買わされてきた日本ゆえ、この度も、大金をアメリカに献上することになるのでしょう。断るわけにはいかない事情が存在している以上、言いなりにならざるを得ません。日本の悲しい現実ではあります。
第二次世界大戦中、航空機が最も脅威と言える武器でした。「東部軍管区情報、東部軍管区情報、敵B29爆撃機の大編隊が房総半島上空より本土に近接しつつあり。空襲警報発令、空襲警報発令!」やがて、爆弾炸裂する音が聞こえ出します。空が真っ赤になります。庭の隅に出来ている防空壕になだれ込みました。そのときのことを思うと、今は、全く夢のようです。有り難いことです。飛行機の一機や二機、どうでもいいや、とつい思ってしまいます。
2025年5月26日 停戦の問題点 仮にロシアとウクライナが停戦した、とします。すると、ウクライナの領土に散らばっていたロシア兵達が一斉にロシアへ帰還するでしょう。監獄や刑務所からかり出された囚人達も大勢いると言われています。その男達は再び収監されるのでしょうか。それとも、無罪放免されるのでしょうか? ロシア政府にとっては、大変、ヤヤコシイ問題です。それはつまり、簡単には停戦できないことを意味します。一方、ウクライナ側にとってはどうでしょうか?この国がNATO諸国から支援を受けているのは、兵力ではありません。人的資源以外の近代兵器です。兵力の支援は、どこの国からも無かったのではないでしょうか。それはつまり、停戦が容易な国と、面倒が発生する国との違いです。
いくらトランプが仲介に入っても、プーチンの態度はいまのところ頑なままです。北方四島の返還の際に見せたプーチンそのままです。彼は事態を楽しんでいるかのようです。希代の策士といっていいでしょう。
2025年5月25日 NATO諸国 ヨーロッパを中心に「北大西洋条約機構ーNATO」が存在します。ロシアの強大化と共産主義を恐れる余りに出来上がった組織です。そこへロシアが自分の弟分だと思っていたウクライナが加盟しようとしました。「そうはさせじ」プーチンが反発しました。「冗談言うな」とばかりに役者上がりのゼレンスキー大統領がプーチンに楯突きました。爾来、3年が経過しました。戦争は何時終わるのか、今のところ、まだ、予想がつきません。一人、ロシア側に戦争を楽しんでいる男がいるからです。
ベルギー、カナダ、デンマーク、フランス、アイスランド、イタリア、ルクセンブルグ、オランダ、ノルウエー、ポルトガル、イギリス、アメリカ、ギリシア、トルコ、ドイツ、スペイン、チエコ、ハンガリー、ポーランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア、クロアチア、(ウクライナ?)
2025年5月23・24日 大の里 明日は大相撲の千秋楽。今日は、しばらくぶりで、十両からの相撲中継を堪能しました。能登半島出身の「大の里」の全勝街道驀進を、「快哉」の気持ちで見続けました。学生時代、早稲田の相撲部に入って、面食らったのは、肌身に付ける「マワシ」は洗濯してはいけない、という「掟」でした。どうしたかというと、天日に干して、溜まった垢をナイフでこそぎ落とすのでした。この習慣は今もって、プロの間でも続いているようです。世間に知られれば、恐らく「ウヘー」と言われるでしょう。「相撲とりはマワシは洗わない」これは、多くの人が知らない角界の恥部です。だが、もう一つ土俵上で屈辱的な思い出がありました。それは、土俵上で仁王起ちになった先輩を、全力を上げて押し出しても、先輩は「くるっと向きを替えて」「まだまだ」と言うのです。すかさず向きを替えて、再び押し出しても「まだまだ」となるのです。精魂尽き果てて土俵に倒れ込んでも、先輩は私を足蹴にして「まだまだ」と言いました。
今場所、石川県能登半島出身の「大野里」が快進撃中です。今日も勝ち星でしたから、恐らく全勝優勝でしょう。控えめにして穏やかな力士です。久しぶりでモンゴルでない、生粋の日本人横綱が生れそうです。
2025年5月22日 五キロ4050円 人は、毎日、穀類を摂取しなくては生きてゆくことが出来ない。それは、今も、あの忌わしい太平洋戦争中も同じです。確か穀類は配給制でした。配られてきた玄米を、一升瓶に入れて上から棒でつき、精米していた記憶が鮮明に残っています。当然ながら、配給米では足りず、母親達は、自分たちの着物を持って郊外の農家を訪ね、「米」「麦」とブツブツ交換して命を繋いでいました。毎日の食料を確保するための女達の苦労は、筆舌に尽くしがたいモノがありました。伸び盛り、食べ盛りの頃、弁当はいつも麦飯でしたが、「野菜のかき揚げ天ぷら」と、「茹でイカ」がギッシリ詰まった一件でした。お陰で体格だけは人に負けぬ位に大きくなりました。
それにしても米の値段が依然として高止まりしているのは、何故なのでしょう?今までずっと、五キロ2050円で買っていた山形産「つや姫」が、昨日覗いて見たら、4050円になっているのです。依然として高止まりしているのです。元凶は全農でしょうか?農林省でしょうか?いずれにしても、良からぬ勢力が介在しているのは間違いないところです。この勢力の存在は、農林大臣が替ったところでどうにかなるモノでもなかろう、と私は踏んでいます。
2025年5月21日 お粗末「農水相」 依然として米の値段が廉くならない現実を前にして、責任当事者であるはずの農水相が「そっぽを向いた発言」をしたかどで更迭されました。その発言とは「私はお米はいつももらうばかりで 買ったことがないから分らない」
一向に廉くならない米の値段を前にして、当事者であり、責任者でもある農水相がこういう発言をしてどうするのですか?呆れてしまいます。と同時に、石破総理の「人を見る目の無さ」が天下に知れわたった、といっていいでしょう。後任は、何と若手も若手、小泉純一郎元総理の長男進次郎です。落ち目の三度傘の人気取り政策の匂いが、フンプンとしています。
2025年5月20日 紫陽花 桜の花が散り、躑躅がこの世の春を謳歌していると思っていたら、いつの間にか紫陽花の季節です。紫陽花は20年前に93歳で亡くなった母親が、一番大好きだった花でした。特に、箱根湯本から登山電車で強羅へ行く途中に咲き誇っている紫陽花の群生をこよなく愛していました。戦争が激しくならない前、何回か湯本から強羅の温泉に通った記憶が鮮明です。紫陽花はその頃から、登山電車の沿道に群生していました。朝日新聞に入社させて貰ったら、その頃は社員のための保養所が各地にありました。箱根にも小塚というところに保養所がありました。入社二年目の春、仕事は半人前なのに、恐れ気もなく、厚生部へ行って小塚山荘を申し込み、母と二人だけで箱根湯本から登山電車に乗りました。咲き乱れる紫陽花をかき分けて電車は山道を登りました。喜んだ母親の顔!今でも脳裏に焼き付いています。だから、この季節になると、紫陽花と共に母親の面影が浮かんでくるのです。私にとって、類い希な、素晴らしい母親でした。
2025年5月19日 王 鵬 今、大相撲がたけなわ。連日大入り満員。なんで、日本人は相撲が好きなのだろう、と思ってしまいます。ひと頃、週間朝日に執筆していた嵐山光三郎さんの姿が、何時も砂かぶり席に見えていたのに、このところサッパリお目にかかれていません。彼は父上が朝日の記者であったため、国立の朝日社宅に住んでいました。彼はまた、大の相撲ファンでもありました。
早稲田時代、体育の単位をとる必要もあって、工学部裏の早稲田相撲部に入部し、プロの笠置山の指導を受けました。新参者は土俵では押し一筋。押しに押して、土俵際に追い詰めると、くるっと向き直って「まだ、まだ!」疲れて倒れ込むと、足蹴にされて「まだ、まだ!」しかし、ちゃんこ鍋は存分に頂くことが出来ました。
ところで、私がいま、注目している力士がいます。貴闘力の息子で、大鵬の孫の「王鵬」です。本名納谷幸之助。今日の番付では負け越していますが、将来、キット大鵬を超える名横綱になってくれると信じています。
両国国技館は今日も満員です。なんで、日本人は、こう、相撲が好きなのでしょうか?
2025年5月18日 北口榛花 オリンピック女子やり投げの金メダリスト「北口榛花」が、最近行われた「セイコーゴールデン・グランプリ大会」でも64メートル16を投げて優勝しました。パリで優勝した65メートル58には及びませんでしたが、堂々たるモノです。身体もかなり引き締まり、以前のような「だぶだぶ感」はなくなっていました。和田アキ子から「トド」と呼ばれた面影はなくなっていたのです。
父親は旭川のホテルのパテシエ。母親はバトミントンの選手。兄弟がいると思ったら一人っ子でした。甘やかされて育ったから太りに太ったのでしょうが、今はそのダブダブ感がなくなっていました。もはや、トドと呼ぶことは出来ないでしょう。彼女はオリンピ後、チェコスロバキアに残り、コーチの指導を受けていたようですが、日本に戻って来て、その後どうするのか? 彼女のような、稀な人材は、次回のオリンピックにも出場して貰って、二連覇を達成して貰いたい、と願うのは私だけでしょうか?
2025年5月16・17日 歴代ロシアの指導者 ウクライナのゼレンスキーとロシアのプーチンの直接会談が期待されていましたが、またしても、プーチンの一方的な我が儘で潰されました。歴代のロシアの指導者は色々でしたが、現在の不幸は彼のような諜報員を指導者にしていること発しています。遙か昔、ニコライ一世が統治していた1825~1855年は日本の幕末の頃でしたが、ロシアは平和そのものでした。1855年から1917年はケレンスキーです。1917年から1923年はレーニンです。悪名高いスターリンは1924年から1953年。続いて、マレンコフ、フルシチョフ、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ、ゴルバチョフ、エリチン、と続いて、2000年からプーチン。既に25年が経過しています。
もしも、いまの大統領がプーチンでなく、ゴルバチョフだったら、、、、この戦争は起きていなかったのではないでしょうか? ロシアとウクライナの不幸は、スパイ上がりのプーチンを何時までも大統領にしていることにあるのではないでしょうか?
2025年5月14・15日 朝日新聞旧友会 間もなく午後3時。有楽町マリオンの11階、「朝日ホール」では、大勢の旧友達が、「いまか、いまか、」と久しぶりに開かれる旧友会総会の幕開けを見守っていることでしょう。長らく旧友会の代表を務められた中江社長は、その後車椅子とお聞きしていましたが、まだ、訃報には接していません。ご長寿を祈りたい思いです。替って中江さんの後釜に推挙されたのが販売出身の飯田君です。彼は私たちの四期後輩の早稲田出で、専務取締役を務めています。編集を差し置いて販売畑の出身者が「大旧友会」の会長を務めることなど、正に未曾有の出来事ではありました。彼の親分だった故大屋君は慶応ですが、飯田君のある意味での出しゃばりを、草葉の陰から「どう見ている」モノでしょうか。
さて、旧友会の目玉は、編集の有名記者による「時事解説」です。裏話が聞けるのでこの点では面白いのですが、もはや、昔の「本多勝一」のような名物男はいなくなって久しくなっています。その上、昔から親交のあった、記者や広告部の仲間達が、既にいなくなっていることです。平たく言えば、私一人がまだ、生き残っているのです。「やあ、やあ、」と言える仲間が既にいないのです。販売局にあっても同じ現象です。苦楽を共にした仲間がいないのです。ジャニヨッテ、有楽町まで行く元気が無くなっているのです。
2025年5月13日 凋落!ニッサン ニッサンが全従業員2万人の削減のリストラを発表しました。これは全従業員の15%に当たります。しかも最終赤字が6709億円です。そして、国内外の7工場を閉鎖するそうです。ニッサンはつい半年前に、ホンダとの合併を拒否したばかりです。58人もいるニッサンの役員の出した答えがこれだったのですか! 呆れたモノです。
ニッサンの凋落は組合幹部を役員に登用したことから始まります。技術革新より、従業員大事とする会社になったのです。加えて、ゴーンが悪政を引いて国外逃亡を図りました。無責任男のゴーンはいま、レバノンで優雅な生活を送っているようです。
いま、日本の車は世界で飛ぶように売れています。トヨタ、ホンダ、マツダ、そしてスズキの軽自動車、、、、、その中にあってのニッサン、、、この先、ニッサンの捲土重来はあるでしょうか?
2025年5月12日 今年は何か変だ 今年は何故か、春先に飛来する大陸からの黄砂がありませんでした。春一番も感じられませんでした。更に、例年だと今頃がたけなわの、「杉花粉症」がありません。鼻のスプレーや目薬を使わなくてすんでいます。おまけに、地震がありません。微震すらありません。一方、南海トラフ地震の噂は頂点に達しています。富士山が大噴火するのではないか?東京直下型地震が起きそうだ?マコトシヤカニ噂されています。確かに、何か変です。不気味です。一大事が起きそうな予感を持っているのは、キット、私だけではないはずです。
2025年5月11日 赤の広場 今日は、昨日述べたモスクワ「赤の広場」での、戦争記念日の式典の様子を、余すところなくユーチューブで観ました。実に壮観な見ものでした。プーチンと習近平は隣り合って座っていました。恐らく、兵士の数も、それを見守る観客の数も数万人を超えていたでしょう。余りの数の多さに驚くと共に、式典は恐らく3時間以上続くでしょうから、この人達のトイレの問題は、一体、どうなるのだろう、と下世話のことを考えてしまいました。
プーチンは特別席とは思えぬところに習近平と並んで座っていて、歯切れ良い演説をしました。新兵器と思われる武器のパレードが続きました。恐るべき新兵器も披露されました。
ウクライナを盾にしてのNATO諸国とロシアとの武力衝突。これは、簡単には終わるわけはない、と改めて感じ入った次第。
2025年5月10日 停戦はあり得ない 9日の昨日、午後4時からモスクワの赤の広場で、軍事パレードが行われ、ロシアに与する各国の要人と9000人以上の兵士が参加しました。同時に、70以上の兵器もお目見えしました。第二次世界大戦で、ソビエットがナチスドイツに勝利したことを祝う、ロシアにとっては大事な記念日でありました。プーチンが、今、行われているウクライナ・NATO諸国との戦いについて、改めて決意を語ったのは言うまでもありません。その演説の内容は、「この戦争は勝つまでやる!」と言う決意の表れでもありました。アメリカのトランプが何を言おうと、世界各国がどう反応しようと、この戦争に停戦などあり得ない、ことを如実に示したのでした。
そうなるとウクライナと・NATO諸国とアメリカはどうするでしょう?これらの国々は、既に3年目に入っているウクライナ支援に疲れを見せ始めています。「いつまで続くのか?」内心では辟易しているはずです。最大の支援国アメリカのトランプも支離滅裂になってきています。ゼレンスキーの孤軍奮闘がにわかに目立ってきています。ああやンヌルかな。
2025年5月9日 新ローマ教皇 レオ14世決まる コンクラーベに入っていたバチカンのシスチーナ礼拝堂の煙突から、ついに白い煙が上がり、14世ローマ教皇が決定しました。アメリカ出身のロバート・フランシス・プレボスト枢機卿(69歳)です。二〇年間は南米のペルーで活躍した経歴があるそうですが、アメリカ人ですからアメリカが喜ぶまいことか。彼はシカゴに生れ父親はイタリア人、母親は、スペインにルーツを持つとか。大学では、数学と哲学に興味を持ったとされています。
14世新ローマ教皇は、バルコニーから、大群衆に向かって、復活したイエスキリストが述べた言葉を復唱し、「私たちは対話と愛を必要とするすべての人を受け入れる教会となれるよう、共に努力しなければならない」と、訴えました。
2025年5月8日 池上彰と佐藤優の対談 いま、時代の移り替りのせいなのか、ユーチューブでの情報拡散が日の出の勢いです。「時の論調」を支配していた、雑誌の「世界」、「中央公論」、「文芸春秋」など、昔の勢いがありません。替って登場してきているのが、「ユーチューブ」です。どんなことを言っても、公序良俗に反しない限り、削除されることはありません。しかも、掲載は無料で、ことに寄れば、スポンサーがつきます。掲載料が入ってくるようです。従って、毎日毎晩、IPADを手元に置いているので、ユーチューブを開く回数が多くなっているのです。
今日は池上彰と佐藤優の長時間対談を堪能しました。久しぶり見る佐藤優は「大丈夫か?」と言いたくなるほど太っていました。しかし、二人の対話は傾聴に値する論旨で、なるほど、と思わせられることばかりでした。佐藤優は同志社大神学部から外務省ロシア分析官になったロシア通であったため、どちらかと言えばロシア寄りの論調でしたが、池上彰はと言えば、NATO寄りであるため、議論は激しさを増していましたが、両者ともトランプの予想もしなかった言動を捉えて「裸の王様」と呼ばわっていたのには共感」出来ました。
2025年5月7日 デイサーヴィス 去年の今頃、練馬区の高齢者支援センターと称するお役所から、村山菜摘さんという妙齢のケアマネージャーさんがおいでになって、「デイサーヴィス」はどうですか? と勧められ、それもいいかな思って、「なごみ桜台店」の会員になりました。週二回、水曜日と金曜日、朝8時半、6人乗り二台の車で集められた老人、老女達が、椅子に座ったままで指導員を真似て運動をするのです。12時までの3時間の間に休憩時間が二度もあり、お茶が配られます。その間、血圧、体温、酸素濃度などが計測され、異常が発見されると精密検査が待っています。我々高齢者にとって、至れリ、つくせりだなあ、と感心した次第。
去年の7月から年明けまでは、順調に週二回、通うことが出来ていました。1月に入り、疑似肺炎に罹り、3週間、欠席しました。更に3月23日、思わ自宅仏間での転倒で骨にヒビが入り、板橋総合病院へ救急車で運ばれ、入院10日間。その後も、身体の芯にドン痛があって、調子は決していいとは言えないのですが、今日、「このこのままではこのままで終わってしまう」と思い、参加してきたのです。多少の痛みはあったものの、何とかすべての運動をつつがなくこなすことができました。目出度し、目出度しでした。次は明後日の金曜日です。勿論、行くつもりです。
2025年5月4・5・6日 大阪万博 4月1日に見切り発車した大阪万博も、この連休中は「押すな押すな」の大混雑のようです。一日11万人の入場を予定しているそうですが、このところオーバーし続けているとか。日が経つにつれ、万博の良いところ、良くないところなどが、矢継ぎ早にあぶり出され、話題となっています。
大型連休の中で、何かと評判が入り乱れているこの大阪万博についての論陣を張ろうと、取材を続けていますが、結果を出すには、未だ、日が浅すぎます。今しばらくして、5月4・5・6日分として書かせて下さい。
2025年5月3日 米の値段 お米が尽きかけたので買いに行きました。いつも買っている山形の銘柄米「つや姫5キロ2050円!」お米はありました。しかし、値段は「5キロ4320円!」倍以上です。米騒動が起きて既に半年になろうというのに、、、備蓄米が放出されて、既に3ヶ月が経とうというのに、、、、
時の政府は弁解に大慌てです。しかし、世間はかしましい。曰く、流通が悪い、全農のセイだ。農水省のセイだ、、、、勢い余って「減反政策を採り続けてきた政府が悪い!」
確かにこの半世紀、日本は食の多様化に鑑み、米への需要が減少し、加えて農村の高齢化が進み、農業従事者が極端に減少しています。米の値段を高値に据え置いておけば、農業のやり手が戻ってくるかも知れません、そこまで先を読んでの高値据え置き政策ならば、我慢のしどころであるかも知れません。果たして何が真相なのでしょうか?
2025年5月2日 ゴールデンウイーク 4月末から5月初旬にかけての休日の連続は、山登りを愛する人間にとってはまたとない機会です。高校生の時、長野の清水社長が主宰する「どんどん講」の一員であった私は、その年、谷川連峰縦走の旅に参加しました。長野を出て、上越線の「月夜野」駅前旅館で最初の晩。翌朝、バスで平票山の麓から登山開始。日本海からの強風が吹き付ける平票山頂上の山小屋に一泊。翌日から縦走開始。千の倉岳、万太郎岳、そして谷川岳の「肩の小屋」泊まり。翌日、急峻なマチガサワ、一ノ倉沢を右に見下ろし、一番奥の茂倉岳。その一番なだらかな芝倉沢を、グリー制動を使って急降下。下界は緑に溢れていました。川沿いの道をのんびり歩いて、上越線「土合」の駅。
長野へ帰る列車を待っているそのとき、思いがけず「俺は必ず東京の大学へ行って勉強する」と武者震いしました。その結果、今があるのです。
2025年5月1日 麗しき5月 歌曲でも優れた才能を見せたシューマンにハイネの詩に曲を付けた「詩人の恋」があります。その中の「麗しの5月」は短いけれど余りにも有名です。たった四行の詩なのに、伴奏も実に優れています。何時の頃からか、私はピアノの前に座る時は、先ず、この短い曲の伴奏部分から弾き始めます。
麗しの5月 蕾みはじける頃 吾が心には 恋の芽生えぬ
麗しの5月 小鳥さえずる頃 吾打ち明けぬ 焦がれる想い
2025年4月30日 ミヤンマー大地震(2) ミヤンマーで起きた大地震は、隣国のタイ・バンコックにも影響がありました。何と、屋上にプールを持つホテルが半壊したそうでした。そのホテル、かつて私が泊ったことのあるホテルでした。当時、タイチェンマイへ行く度に、二メートル近いキーボードを手荷物にして、羽田で預け、チェンマイで受け取り、畏友堀田さんが指図する少数民族の学校や教会へ寄贈していました。ピアノはおろか、キーボードのある学校は全くといっていいほどありませんでした。ならば、日本では有り余っているアプライトピアノ本体を船積みし、必要とする学校へ寄付するとしたら、どれだけ金がいるだろう?という途方もない考えに取り憑かれ、わざわざチェンマイからバンコックへ来て、港の税関で詳しいことを聞き出したのでした。輸送費はそう高くはなかったのに、関税がべらぼうに掛かるようでした。しかも、学校への寄付行為だから免税にはならないかと尋ねても前例がないと、言われました。その上、陸揚げ費用もバカになりませんでした。
結果、そのとき集め出したアプライトピアノの最初の一台が、我が家の物置に今もって鎮座しています。値段4万円、輸送費7万円、都合11万円のシロモノです。
2025年4月29日 ミヤンマー大地震 ミヤンマーはタイに隣接する、至って貧しい国です。首都マンダレーとタイ・チェンマイとの間に定期便があったので、あるとき、それに便乗しました。プロペラ機で一時間で着きました。日本の中古車が滅多矢鱈に走っていました。日本語の行く先表示を付けたままのバスが、これ見よがしに走っていました。丁度、その頃は タイの独立を勝ち取ったアウンサン将軍の娘スーチーさんの支配が落ち目の頃で、軍を支配する、ミン・アウン・フライン将軍が国政を支配し始めた頃でした。
先月、降って涌いたようにミヤンマー中部で大地震が発生しました。被害はミャンマー全土に及びました。北部に位置する詐欺集団の集団居留地も例外ではありませんでした。奇っ怪なのは、地震が起きると隣国並びに友好国は、気ぞって援助を申し出るのに、今回のミャンマー地震ではそれが見られなかったことです。やはり、中国傀儡の軍政が影響したのでしょう、お座なりの援助の申し出があっただけです。もし、スーチーさんの時代だったら、世界は争って援助を申し出たでしょう。
ミャンマーの不幸は、中国の差し金にのって、民主主義のスーチーさんを廃し、ミンアウンフラインの軍事政治を選んだことです。
2025年4月28日 イタリア・アオスタ 今も継続されてはいるそうですが、昔、学生が朝日新聞販売店に住み込んで、朝刊の配達をしてから大学へ行く、それなりの給与と恩典が確立されていて、多くの苦学生が、この制度を利用していました。この制度が人気だったのは、四年間務めると、ご褒美に「洋上大学」という海外旅行が用意されている点でした。子会社の「朝日旅行社」が万事世話してくれました。
その年、40名の学生を連れてヨーロッパへ出発しました。添乗員の一人に私が選ばれていました。最初はスイス。チューリッヒへ着くと40人乗りのバスが待っていました。スイスは高速道路が完備されています。「いざ、戦い!」というときは、隠されていた飛行機がこの高速道路を使って飛び立つそうでした。エイグルと言うところから登山電車に乗り換え「レザン」のアメリカンスクールに到着です。お腹を空かせた学生たちが食べること、食べること、、、。
数日後、全員がパスポートを持ってバスに乗り込みました。国境を越えてイタリヤへ入りました。アオスタです。そこは古都と呼ばれるに相応しい綺麗な佇まいの街でした。学生達はスパゲッテイとピザを夢中で食べていました。何が言いたいかというと、私がイタリヤ入りしたのは、ツアーで二回、一瞬ではありましたがこれが一回。都合三回だったことです。
一行はその後ドイツからデンマークに入りそこの民宿でお世話になり、パリから帰国しました。思い出に残る、大成功のヨーロッパ旅行でした。今でも一行の同窓会が開かれていると言うから驚きです。
2025年4月27日 バチカン葬儀(2) 長い生涯に渡って、数々の映画に接してきましたが、最も好きな映画は何か?と問われれば、言下に「ローマの休日」と答えてはばかりません。そのローマへ、ツアーとはいえ二度も行けたのですから、幸運でありました。トレビの泉では泉に向かって投げ銭もしました。オードリーが恐る恐る手を差し入れた、ライオンの口でも試して見ました。今は撤退しているようですが、三越デパートのローマ支店も覗いて見ました。早朝の寺院にも入ってみました。人々が香を焚き、真剣に祈る姿を見て感銘を受けました。早朝の散歩は新しい印象ばかりでしたが、「ぎょつ」となった出来事もあります。何と、その一角の道路は、犬がひり出した糞で溢れたいたことです。干からびた糞も沢山です。恐らくローマ時代からそのままになっているのではないか?と思われるほどの「けったい」な道路でした。ローマの街角には、至る所「シュッテ」がありました。一枚100円ほどのピザを買って頬張りながら、犬の糞まで遺跡にしてしまうローマの訳を考えました。
2025年4月26日 バチカン葬儀 現地時間では4月26日の午前10時、日本時間では午後5時、地球の反対側、ローマのバチカンでローマ法王の葬儀が始まりました。ふと、ユーチューブを開いたら、その全貌が余すところなく中継されているのを知りました。実に大がかりで厳粛な葬儀です。アメリカのトランプも出席です。
イタリアへはツアーでしたが二度行っています。時差が丁度反対で苦労しましたが、二度とも葬儀が行われているサンピエトロ寺院では内部まで入っています。ただ、ただ広く、また、内部の装飾が豪華絢爛で驚きの連続でした。
古代キリスト教は偶像を否定し、格式張った儀式を否定してきましたが、マルチンルターの宗教改革以後、カソリック宗派はバチカンを中心に栄え、現在に及んでいます。各国から葬儀に集まった要人たちも、その儀式の大仰さに目を見張らされていることでしょう。
2025年4月25日 弘前城址公園の桜 あれほど、目を楽しませ、心を弾ませた関東の桜も、今は葉桜となって、それなりの風情を醸し出しています。約一ヶ月近く遅れていま満開の時を迎えている桜があります。青森県の弘前城趾公園の桜です。待ちに待った満開のときを 迎え、青森の人達は夜を徹して喜びを爆発させます。数十年前の話しですが、丁度その頃、地元の陸奥新報社に朝日新聞、日刊スポーツの現地印刷をお願いしていた案件がまとまり、ときの黒田局長、第六部担当部長の私、日刊スポーツの布施局長が出席して、弘前城内の料亭で「カタメの宴」が開かれました。 青森の人達にとって、待ちに待った時だったのでしょう、喜びの歌声は深夜まで続いていました。
ところで、日本列島の桜の開花は弘前が最後でしょうか? いえいえ、5月も初旬にならないと開花しない桜があるのです。一週間ほど遅れて咲く桜です。それは福島県の会津の奥、「檜枝岐」の桜です。大昔、尾瀬ヶ原を渡って福島県側に降りるとき、その数本の桜に出会いました。勿論ソメイヨシノではありません。山桜の一種でしょう。その気高く崇高な桜の木の佇まいは、今も脳裏に焼き付いています。
2025年4月24日 大谷家第一子誕生 大谷翔平・真美子夫妻の第一子が誕生し、日本のご家族、ご親族を始め、関係者は喜びに包まれています。男の子でなかったのは残念ですが、「イチヒメニタロウ」が世の習いです。真美子夫人はスポーツ選手でしたから、恐らく、身体は頑強で多産系でしょう。第二子が男の子であるよう願うのは、恐らく日本国民のすべてでありましょう。それにしても岩手のご両親の喜びはイカばかりでしょうか。また、飼い犬のデコピンがどんな態度に出るでしょうか?興味津津です。日本、アメリカのみならず、世界中の注目を浴びてこの世に生れて来たベビーも、そうは沢山いないでしょう。どんなレデイに成長するのか見守りたい想いですが、それには、神様にお願いして寿命を少しだけ延ばして貰わねばなりません。
神様、お願いです。彼女が成人して結婚するまでの命、とまでは申しません。小学校を卒業するのを見届けるまでの命をお与え下さい。
2025年4月23日 練馬のつつじ 昨日、練馬駅裏に続く文化センターの「平成つつじ公園」に車を止めて、つつじが咲き乱れる園内を歩きました。あらゆる種類のつつじが満開を迎えていてそれはそれは美事な眺めでした。つつじで思い出すのは、国民学校二年生の時、集団疎開で福島の富岡駅前の大東館に移らされ、毎日毎日お腹を空かせていて、折からつつじの季節、花をむしっては食べ、むしっては食べ、、、、花の底には「微かな甘み」があり、それが良くて、良くて、、、、、
つつじ公園のお隣は練馬文化センターです。毎年7月、ここでピアノ教室の合同発表会が行われます。今年はいつもの小ホールと違って大ホールで行われるとのこと。ピアノ教室に通い始めてかれこれ四年目になりますか。最初は先生との連弾で「スラブ舞曲」。昨年も連弾で、難曲のシューベルトの940.今年は何にするか? 先生との下相談では、スラブ舞曲にして私が高音、先生が低音。となっていますが、この一ヶ月間、一回もピアノに触れていません。丁度、一ヶ月前の今日、自分の家の仏間で転んで肋骨を痛めて以来、半地下のピアノ室に足を踏み入れていないのです。ピアノに触れたい、という気持ちにならないでいるのです。
「転ぶ」ということが、いかに問題を発生させるのか、イヤと言うほど思い知らされています。
2025年4月20 日 備蓄米 昨年来、日本中で米不足が報じられ、日本政府は価格の暴騰を押さえるため、備蓄米の放出を、昨年末決めました。やれやれ、とこの報道を喜んだものの、既に、4月も半ばを過ぎたのに、米の値段は高止まりしたままです。五キロ2000円で買っていた山形米「つや姫」は今も五キロ4000円を超えています。他の銘柄米も決して廉くなっていません。ほとんどが五キロ4000円前後です。つまり、政府の肝入れで、米不足と米価高騰を抑えるための施策が、全く機能していない、という体たらくなのです。何が米価の足を引っ張っているのでしょうか?
思い当たる原因の一つは、お隣の中国が未曾有の天候不良のため、14億の民が飢餓に苦しんでいる、ということです。そのため、中国は今、世界中の供物を密かに買い占め、自国に送っているという、黒い噂が広がっています。彼の国にとって、備蓄米の放出はまたとないチャンスです。仮に、備蓄米の値段が高額であっても、背に腹は代えられません。
農水省から下ろされた備蓄米は、一旦、全国の農協が買い受けるにしても、その直ぐ横から、中国が高値での取引を申し出ていれば、そちらの方になびいてしまうのは仕方のないことかも知れません。
今日、買い物に行って、ビックリしました。備蓄米と銘打って五キロ4,036円で売られていたのです。山形産「つや姫」の五キロ、いつもは2050円だったモノが4300円で売られていました。日本の農水省、何のためにあるのでしょうか?
2025年4月19 日 大阪万博 現在開催中の大阪万博は、雨漏りがするは、トイレが良くないは、などと悪評サクサクですが、万博の成功、不成功はそんなところにはありません。世界各国が持ち寄った新商品に、各国からどれだけの注文があるか、にかっているのです、注文が乱れ飛ぶようなら大成功と言えるでしょう。会場では、世界各国のバイヤーがたちが、しきりに暗躍しているはずです。
噂では、「空飛ぶ車」の出品が目玉とされていますが、興味は喚起されますが、果たして実用になるでしょうか?銀座や新宿では無理でしょうが、アフリカの草原でならその価値を発揮するかも知れません。
仮に、大阪万博は成功裏に終わったとします。問題はその跡地利用です。大阪の実行委員会は、その跡地を一大歓楽地にしようと目論んでいるようです。抜ケ目のない大阪人のやりそうなことですが、果たしてそれを神様はお許しになるでしょうか? カジノが出来上がったところで、地下のメタンを大爆発させ、木っ端微塵にして貰いたいモノです。
2025年4月18 日 欺しのテクニック パソコンやiPadは、毎日重宝に使わせて貰っているのですが、困るのは、このところ「偽メール」が多くなってきていることです。いわゆる「ダマシ」のメールです。特に多いのが「アマゾン」でした。ところが、今は、取引銀行からの偽メールが多くなっていて、往生しています。私が使用させて貰っているカード会社は、ダイナースクラブの「三菱・東京UFJ」、支払い専門の「リソナ」、年金の「住友」、カード支払い専門の「みずほ」ですが、敵はどうやって調べたのか、そのすべてから、偽メールが来ています。もしや、と思って当該銀行に問い合わせると「そんなこと絶対にありません。取り合わないで下さい」とのご返事。
恐らく、敵は私の年齢を調べて、与しやすいと思って攻勢をかけて来ているのでしょうが、余りにもその数が多くなってきているので、辟易しているところです。どうやったら、偽メールを入らないように出来るか?ご存じの方がいらしたら、是非、是非お教え下さい。
2025年4月17 日 関税交渉 ドナルド・トランプが発した関税宣言は、いま、世界を混乱の坩堝に落とし入れています。いち早く、日本は交渉団をアメリカに派遣しました。赤沢亮正経済再生相の一行です。会議の最中、予定に無かったトランプ大統領が現われ、加わりました。対日交渉の担当者はベンセント国務長官だそうですが、彼もまた、トランプの突然出現に驚いたようです。席上、トランプから「日本との協議が最優先だ」という発言がありました。 赤沢氏は今回の協議の中で、改めて今回のアメリカの関税措置について、「極めて遺憾」であると申し入れ、見直しを強く求めたそうですが、これについての大統領の返答はなかったそうです。関税とは、廉く入ってくる外国製品に、国が税金をかけて国民には高く売る仕組みです。「廉く買えていたものが高くなる」アメリカ国民にとっては迷惑な話です。しかし、「それがいやだったら、自ら働いて同じモノを作り出せ」という意味が込められています。国家が怠け者になった国民にカツを入れる、そういう側面が今回の関税問題の底辺にあることを知っておかねばなりません。
2025年4月16 日 タラの芽 いよいよ春、本番。山菜の季節です。タラの芽、行者ニンニク、ノビル、ワラビ、ゼンマイ、コシアブラ、、、、、。特に、栽培でない本物のタラの芽を、サッと湯がいて千切りにし、お醤油を垂らして、熱いご飯とともに掻き込む、、、、至福の境地です。時季は少しずれますが、「コシアブラ」。単なる樹の葉っぱですが、天ぷらにすると絶妙な味になります。更に、新タケノコ。評判につられて、京都の小倉山にしか出ない小さなタケノコを抱えて帰郷したこともありました。東京が梅雨入りする頃、秋田は山菜の真っ盛り。市場にはそれが溢れかえっていました。
市場には時とすると、タラの芽の栽培モノが売られています。本物と偽物と言ったら語弊があるでしょうが、味は全く違います。恐ろしいほどの違いです。ところで、タラの芽に関して、私には私しか知らないであろう秘密の場所があります。元気な頃は毎年そこへ行って大量に頂いてきていました。その場所とは、湯桧曽温泉の先、土合駅途中の右側の土手、有刺鉄線が張られているその中です。
今年はどうするか? 車を駆して行けないことはないのですが、転んだ後の回復は遅く、未だに、立ち居振る舞いに難儀しています。今月の23日が廻ってくると丸一ヶ月経つのですが、まだ、コルセットを外せないでいます。年はとりたくないモノだ、、、、、つくづく思っています。
2025年4月15 日 人生の面白さ 東京デズニーランドが開幕したのは、大昔の確か今日です。1983年の4月15日です。荒れに荒れた土地が埋め立てられ、あれよ、あれよという間に数々のパビリオンが出来、今や、東洋一の観光地となっています。パビリオンの出店は一業種一社となっていて、新聞界では朝日新聞社に白羽の矢が当たり、交渉が開始されていました。朝日側は宣伝部長だった私、ランド側はボブ・クンツさんという本社の重役。折から、私の長男が千葉大を卒業するにあたり、就職先を探していました。私は、知り合いのいた「森ビル」そして、デズニーランドを推薦していました。長男は首尾良くその年の幹部候補生として採用され、ゴミ拾い(カストーデアル)から始まって、全パビリオンの運営責任者・運営部長を務め、今は子会社の社長・相談役になっています。もし、パビリオンの話がなかったら、ボブ・クンツさんとも親しくなれなかったし、長男の入社もなかったでしょう。と言うことは、毎年の恒例になってしまっている「まひる」ちゃんに券を差し上げることも出来なかったでしょう。これだから、人生は面白いのではないでしょうか。
2025年4月14 日 マヒルちゃん かれこれ7,8年前のことです。当時は未だ常磐特急がなく、福島泉の教会へは車で行っていました。その帰り道、泉の佐藤先生のご自宅に寄る用が出来ました。ご自宅には女のお孫さんの幼稚園生「マヒルちゃん」がおいででした。そのマヒルちゃんが、初対面の私に向かって「おじちゃん、遊ぼう!」と言って積み木の玩具「すみっこ」を持ってきました。実に可愛らしい、無邪気な女の子でした。三〇分以上お相手したでしょうか、ふと、言葉の端にミッキーマウスが出ました。マヒルちゃんは、「行きたい、行きたい」と叫びました。
その時からです。デズニーランドの子会社の社長を務める長男を介して、大人招待券二枚、子供入場券一枚を手に入れ、毎年春先、マヒルちゃんにお送りするようになったのは。幼稚園児だったマヒルちゃんも既に中学生。弟君も生れたので、都合四枚、去年は2月23日でしたが、今年は4月3日をご所望。一段と綺麗になったマヒルちゃんに、3月22日、お渡しすることが出来ました。
ところがその翌日、自宅の二階の仏間で、大仰に転んで、その翌々日救急車で十日間の入院。思うことは、4月3日のお天気のことばかりでした。気がかりでなりませんでした。何と、2日も4日も晴だったのに、3日だけ雨降りだったではありませんか。お天道様の無情を恨みました。でも、「空いてて良かった」という情報が入ってきました。ヤレヤレでした。
2025年4月11 日 大阪万博 明後日の日曜日は、大阪万博の開会式だそうです。全部が仕上がってもいないのに、開会するのだそうです。この博覧会の会場は、御承知のように、大阪市民が捨てた「ゴミ」の山の上に建っています。従って、今でもメタンガスが発生し、ちょろちょろ燃えているそうです。そういう危険なところへ、明日は天皇・皇后両陛下がお出ましになり、祝辞を述べられるようです。くれぐれも、何事も起きないよう祈るのみです。万博が終了すると跡地はどうなるか?カジノが建設されるやに聴き及んでいます。大阪の目的はそれだったのです。
ウン10年前、大阪千里ニュータウンで大阪万博が開催されました。月から地球に持ち帰った「石」が目玉でした。「何じゃこりゃ」と思った岡本太郎作、「太陽の塔」はいまも残っていて、辺りを睥睨しています。思い出に残る万博ではなかったでしょうか? それに比べて今回は?
話しは替りますが、東京新橋の町外れに、後藤恵子さんという美人が経営する小さなサロンがありました。サロンの前が後藤さんが経営する酒店で、入会を許された客は、ウイスキーやブランデーをお店で買って、サロンに持ち込み、オダを上げていました。テレビ朝日の丸山さんの紹介で、そこの会員になったのですが、何と、岡本太郎さんもそこの会員でした。しばしば同席して蘊蓄のある話しを伺いました。彼はいつも杉浦さんという女性を伴い、ブランデーを舐めていました。彼は酔ってくると「芸術は爆発だ!」と怒鳴っていました。千里タウンに残る、彼の傑作「太陽の塔」は今も残る傑作!といっていいでしょう。果たして、今回の万博にそういうモノがあるでしょうか?
2025年4月10 日 関税合戦 (1) 日本が戦争に負け、アメリカ軍が日本に駐留するに及んで、アメリカ製のド派手な乗用車を、街角で見かけるようになりました。大型で、カラフルで、中にはオープンカーもありました。爾来半世紀以上、今や、アメリカ製の車を、見かけることは、全く無くなってしまっています。見かけるのは、ヨーロッパ産か、中国産か、日本車ばかり。この変わり様は、日本のみならず、アメリカでも起きているのです。否、世界中の現象にもなっているのです。
ドナルド・トランプ大統領は、ここに目を付けました。彼のスローガンは「強いアメリカの再構築」です。平たく言えば、再びアメ車の復活です。輸入品、輸入車の削除です。それを達成するため、彼は思い切った政策を打ち出します。輸入品すべての関税を大幅に値上げしたのです。特に中国製品には関税率を100%、150%と、大幅に踏み切ったのです。中国は驚きました。日本も同じです。特に自動車産業も大慌てです。
今、世界中がこのことで持ちきりです。詳しいことは明日の勉強で。
2025年4月9 日 ロコ・ソラーレ 数年前、北京で行われた冬季オリンピックで銀メダルに輝いた種目とチーム名はなんでしょう? ほとんどの人は覚えているでしょう。余りに強烈な印象だったからです。それは、女性の競技「カーリング」でした。チームの名は「ロコソラーレ」、立役者はすこぶる付き美人の「藤沢五月さん」。
北海道の北の果て北見市は、このチームを育てたことでも有名です。何と、市内にはカーリング競技場が6ケ所もあるそうです。一方、人口11万人のこの北見市は、現在、財政難で青息、吐息の状態のようです。その原因は、北見市の新庁舎を118億円かけて作ったこと、35億円をかけて図書館を作ったことにあるようです。何故、そんな大金を架けたのか?それは、北見市が周辺の町村を吸収合併したことに由来します。一大都市構想を描いたのはいいけれど、現実が伴わなかったいい例ではありますまいか?
それはそれとして、いま、カーリングのヒロイン「藤沢五月さん」どういう状況になっているのでしょうか?
2025年4月8 日 どうする、どうする? 仮に、ロシアとウクライナとの間で、停戦が実現した、とします。戦場の兵士たちは、「ヤレヤレ」の思いで故国に帰っていくでしょう。ところが、ロシアの兵士たちには問題が発生します。彼の国では兵士が足りなくなり、北朝鮮の兵士1万人を借り受けました。それでも足りず、ロシア中の監獄や刑務所を開放して、罪人たちを戦場に送り込みました。停戦、となれば、送り込まれた囚人たちが帰国します。仮にも国のために命を張った戦士たちです。その戦士たちをロシアは、国の問題としてどう扱うのでしょうか?
一方、両国の開戦が噂された段階で、いち早く、国外脱出を図った富豪、若者らがゴマンといます。停戦となれば、帰国してくるでしょう。となれば、この要領のいい富豪や若者たちを、国としてどう扱うべきでしょうか?
しかし、しかしです。どんな問題が横たわっていようとも、殺し合いの継続よりはマシです。停戦に優るものはありません。
2025年4月7 日 プーチン 10日間の入院中も「iPad」を友としていたので、ロシアーウクライナの状況も把握できていました。それにしてもロシアのプーチンの出方はどうでしょう?仲介に入ったトランプ提案を手玉に取り、正に、弄んでいるかのようです。プーチンの態度は、正に、北方四島返還問題の時と同じです。「ぬらりくらり」、、、、しびれを切らしたトランプは、とうとう悲鳴を上げました。同時に、NATO諸国もしびれを切らしました。スエーデンまでもが、戦線に加わりました。新たな補給がウクライナに投じ始められました。プーチンはそれを楽しんでいるかのようです。新たなドローン攻撃がモスクワを襲いました。ロシアの軍事施設が爆破されました。プーチンの乗用車も爆破されました。ロシア内部でも、プーチン反乱軍が行動を起しました。それでも、プーチンは動きません。つまり、再選されたトランプが、意気揚々と停戦の役目を買って出たのに、プーチンはそれを無視し続けているのです。敢えて言えば、楽しんでいるのです。それを知っているのは日本人だけだったのですが、今や、世界中の人々が知るようになりました。
東ドイツの諜報員から始まった彼の経歴。どれだけの政敵を密かに殺して今の地位にのし上がって来たのか?それを許してきたロシア国民!プーチンが死なない限り、この戦争は続くはずです。
2025年4月 6 日 病 院 食 「サイレンは鳴らさないで来て下さい」、とお願いしたのに、救急車は盛大にサイレンを鳴らし、自宅から板橋中央総合病院へ入りました。一室に運ばれ、待っていたのは太った女性看護師でした。厳重な検査を受けました。得体の知れない病原菌の侵入をおそれたのでしょう。パンツの中まで調べられました。運ばれたのは4階の看護師詰め所の前の大部屋のベッド。大勢の若い女性たちが右往左往していました。白い洋服が正式看護士、赤い洋服が見習い看護士、青い洋服がリハビリ指導員。その階には男性医師は一人しかいませんでした。 夕食が運ばれ来ました。お粥です。得体の知れないお茶です。小さなサバの半身の煮物です。一口で食べてしまえる野菜のごった煮です。それに小さなヨーグルト。全部食べ終えるのに、五分と掛かりませんでした。
驚いたのは、この「サバ・お粥」定食が連続して一週間つづいたことです。「普通食にして下さい」と頼み込んだのに、実現したのは退院二日前でした。食事は入院患者にとって大きな関心事です。楽しみでもあります。ああ、それなのに、それなのに、朝・昼・晩、同じサバ半身お粥定食とは!2回目のCTを撮って貰った結果、異常がないので退院の日が決まりました。請求書を見ると十日間で10万6千円。一日約1万円!ああ、やンヌルかな!
2025年4月5 日 桜、桜、桜 昨日、板橋中央総合病院から10日ぶりに娑婆に戻ってきたその足で、近くの高野台の石神井川の両岸に咲き誇る「桜並木」見に行きました。まだ、8分咲きでしたが、青空を背景に「凜と咲く」一枝を仰ぎ見ることが出来ました。「今年もまた、巡り会うことができた、、、、、」万感が胸に迫り、涙が滲んで来ました。今日は、先月九日から当家にご滞在して頂いていた鍋谷淑子さん(92歳)が大阪経由でタイ・チェンマイへお戻りになる日です。練馬まで車でお送りし、その足で、またまた桜見物です。豊島園に隣接する住宅地は、練馬でも一等地です。一軒毎に桜が植わっています。また、その種類が色々です。だから、見飽きることがありません。最後は千川通りの桜並木です。実に、実に圧巻でした。
先月の22日、23日、福島の泉教会へ4人で行きました。一年前の私の受洗の時も鍋谷さんは御一緒でした。車を運転し、上野駅の駐車場に預けました。翌日、礼拝に出て、午後から開かれる汚染の街大熊町の「大野教会」の礼拝に出る3人を残し、私だけ、帰京しました。順調に帰宅できました。ところがです、二階の6畳の仏間に入って、線香を灯そう、とした途端、足を滑らせて大きく転びました。打ちどころが悪かったのか、しばらく、起き上がれませんでした。仏罰を食らうほどの何か悪いことをしたでしょうか?思い当たりません。その夜、飼い猫の「ミータ」がベットに入ってきて、しきりにあちこち舐めて看病してくれました。翌日、三人が戻って救急車が呼ばれました。練馬には受け入れる病院が無く、板橋の中央総合病院へ護送されました。CT検査の結果、胸骨にヒビの入った処がある、という診断で10日間を過ごし、昨日退院した、のです。なんともはや、お粗末な結果となった次第。
2025年3月21 日 ガザで400人死亡 一昨昨日、イスラエルのハマスへの攻撃で、ガザのハマスとパレスチナ人の400人余が死亡しました。世界は、またか、休戦協定はどうなっているんだ、と呆れ顔ですが、それには訳があります。ハマスを支援しているイランとイエメンが休戦を許さないからです。ここで引いたのでは両国のメンツが丸つぶれだからです。中東のアラブ諸国はイランの支配下にあります。その目的はアラブからのユダヤ教・キリスト教の排除、ユダヤ人の殲滅にあるからです。大げさに言えば、イスラエルという国がこの世から消えるまで、いえ、消し去るまでこの紛争は続くはずです。とはいえ、今回のガザ猛爆の原因を作ったのは、ハマス側が人質を帰すという約束を破ったからです。それを指令したのがイランとイエメンです。
世界はまたまた、イスラエルを非難しました。イスラエルの蛮行を大げさに伝えました。日本の報道も同じでした。なぜ、いつもそうなるのでしょう。アラブ諸国がイランを中心に「イスラエルという国を地球上から亡くしたい」、「ユダヤ人をアラブから追い出したい」という根本原因について世界は触れないのでしょう。イスラエルの、ユダヤ人の苦しみについて理解しないのでしょう。日本の報道とて同じです。根本原因を等閑にして、ガザの苦しみだけを殊更に大きく扱っています。
この一連の現象について、正確に分析出来ているのは、日本では「飯山陽さん」だけのようです。東大教授たちといえども、根本分析が出来ていません。お寒い現況です。ところで、彼女はいま、どうなっているのでしょう?悪名高い「百田某」とくっついて以来、音沙汰がありません。ユーチューブからも遠ざかっています。飯山陽さんに向かって、「今こそ出でよ!」と叫びたい想いです。(調べて見たところ飯山陽さんは、脳疾患の病気で入院中とのこと)
2025年3月20 日 役 得 食べ物の話しが出たついでに、もう少ししゃべらせて貰います。東北六県信越富山を担当する部長になったときが、各地の名物にありつく最高の機会でした。先ず仙台は狸小路の地下にある「地雷屋」です。目の前で大きな「キンキ」を焼いてくれました。それを銘酒「浦霞」を呑みながら、、、青森では「しょっつる」です。七輪の上に大きな貝殻を置いて焼きながら頂くのです。秋田では「きりたんぽ」特別に放し飼いされた比内鶏でなければ、あの独特な味は出ないでしょう。山形では前沢牛。寿司にして貰って生肉を頬張る、、、富山では「ホタルイカ」、そして今の時期の「寒ブリ」。富山駅近くに「鮮」という店がありました。ここで食べた白エビと「アラ汁」の旨さは抜群でした。新潟では米の旨さが光ってはいたものの、さして、美味しいものはありませんでした。まして、長野県に置いておや。忘れてならないのは茨城県です。大津港や大洗に揚がる「鮟鱇アンコウ」です。ガタイが大きく、しかもグニャグニャしているので「吊るし切り」をします。この魚の肝は絶品と言っていいでしょう。とここまで書いて、もう一度振り返ってみるとまだまだありました。
秋田のいぶりガッコです。大根の古漬物の一種ですが絶妙な味わいです。山形の左沢地区で採れるサクランボ「佐藤錦」です。茨城県の一部の海岸でしか揚がらない魚「メヒカリ」です。秋田の湖水に群生する水草「ジュンサイ」です。急に思い出せないのが情けないですが、まだまだ沢山」あるのです。
2025年3月19 日 鰻 鰻は美味しい。しかし、高値なので、そういつも食べるわけにもいきません。スーパーで売っているのは2000円前後ですが、そのほとんどが中国製です。しかも、危険な保存料が使われているそうなので、敬遠してしまいます。朝日新聞に入社して、外勤専門の担当社員になった頃、江東6区の担当を命じられました。江東、墨田、足立、荒川、葛飾、江戸川の全店の50人余りが、月に一度、柴又の「川甚」か、「川千屋」の大広間に集まって全店会が開かれていました。決まってその後は宴会です。最後の締めは「鰻重」でした。
宣伝部長の後、販売局の子会社「アコス」の社長に出向します。会社は秋葉原にありました。鰻の専門店が二軒ありました。「土亀」と神田駅前の「中西」です。昼時になると、会社をそっと抜け出し、鰻にありついていました。社屋が築地に移ると近くに「竹葉亭」がありました。ここも鰻の専門店です。遠慮する来客を無理にお誘いしてそこへご案内しました。自分が食べたかったからでもあるでしょう。家から車で五分のところに鰻の専門店があります。タイチェンマイの日本語教会の牧師野尻孝篤さんご夫妻の他四名の方が我が家においで下さったことがあります。その鰻の専門店にご案内して喜ばれましたが、支払いは4万円を超えました。鹿児島のいつもイモ焼酎を送ってもらっている「財宝」から国産鰻のいいものが入った、買わないか、という電話があり、一万数千円を払って送ってもらったことがありましたが、油の載っていない若い鰻ばかりで辟易したこともあります。
鰻は美味しい。しかし、高値です。昔、現役の頃、福島の料理屋で食べた「フグの白子鍋」に当たって死にかけたことがありましたが、そのときが来たら、上質の蒲焼きを持てるだけ持って、三途の川を渡るつもりでいます。
2025年3月18 日 吠える赤鬼 1月20日に就任したばかりのアメリカのトランプは、大げさに言えば、世界を渦の中へ巻き込んでいます。先ず、大幅な関税のアップ。迷惑を被るのはアメリカへの輸出国です。報復として、隣国のカナダはそれに反対する狼煙を上げています。ウクライナとロシアの戦争の停戦の仲介を買って出ていますが、今のところ、さしたる効果は現われていません。それどころか、ロシアは極秘の新兵器を使いだし、停戦を願望するウクライナを痛めつけています。イスラエルについても、ガザの支配はアメリカへ、と言ったもんだから、大規模なイスラエルからのガザ攻撃が激化しています。それにしてもハマスは執念深い。後ろにいるイエメンやイランがそうさせているのでしょう。
古今東西、今までの歴史を振り返ってみても、一度起きた戦争を終結させるには、並大抵の努力が必要です。それを買って出ているアメリカではあるのですが、今のところ、成功しているとは全く言えない状況です。しかし、しかしです。二つの紛争を、仮にも調停に持ち込むように斡旋出来る国は、今のアメリカを置いて地球上にあるでしょうか?
私は早稲田大学の第一文学部史学科西洋史専攻に席を置いていました。だからといって特別な歴史観を持っている訳ではありませんが、確実に言えることは、人間の歴史の中で、戦争のなかった時代は無い、地球上に人間が生きている限り、人間同士の争いは、永久に絶えることはない、と言うセオリーでした。
2025年3月1 7 日 したたかプーチン 1月20日にトランプが活動を開始し、ロシアとウクライナに対し、30日間の停戦を提案しました。ウクライナを始め、NATO側は即座に賛成の意思表示をしましたが、ロシア側は今もって「ヌラリクラリ」を決め込んでいます。賛成の素振りを見せながら、いたずらに、月日の経過を遅らせています。正に、日本との4島返還交渉の時の、ロシアの態度と同じです。これがプーチンのプーチンたる所以でしょうか。恰も、プーチンはこの交渉を、楽しんでいるかようです。この強かさ、はプー-チン独特のものと言ってよいでしょう。
一体、ロシア国民はどう思っているのでしょか?サッパリ伝わってきていません。厳重な報道管制が引かれているからでしょう。ロシア国内にも、即時停戦に賛成する国民は大勢いるはずです。独裁国家というものは恐ろしい存在と言わざるを得ません。この際、世界の民主主義国家の人々は、ロシアの国民に向かって声をかけようではありませんか!「プーチンを葬れ!独裁国家を去れ!」と。
2025年3月1 6 日 納 豆 餅 女性にして外務大臣を務めた、田中角栄の娘田中真紀子は「毒舌」でも知られています。かつて、未来の総理大臣候補に挙げられた三人、菅義秀、岸田文雄、石破茂を称して、それぞれ「問屋の番頭」、「冷凍透明人間」、「納豆餅」と呼ばわりました。いま、その納豆餅が首相ですが、世間の評判は決して良くありません。先ず、食事の作法が出来ていない、箸の持ち方が尋常でない、食べ方が赤子じみている、更にマナーを知らない。トランプとの会談の時、その無礼さを世界中に見せつけてしまっています。国会答弁も、そのアダナの通り、ネチネチして明快ではありません。彼は島根だったか鳥取だったかの知事の息子です。更に、奥さんは名門女子学院の出です。どんな家庭教育を受けてきたのか、とんだ恥さらしです。
この度、自民党新人議員の数十人の会合で、お土産として全員に10万円を渡したことが、いま、問題となっています。首相官邸の金庫にはいつも数千万円が入っていて、総理ともあれば、それを自由に使えるそうです。領収書は要らないそうです。ただし、その使途は個人的なモノであってはいけないそうです。あくまでも、私的使用であってはならないようです。「自民党新人議員へのお土産としての10万円」これは公的でしょうか私的でしょうか?
私は、早稲田のライバル慶應の出であることはともかく、彼の赤ら顔にしてネチネチした態度には好感を持てないでいます。さりとて、自民党議員を見回してみて、「この人こそ」と思える自民党議員がいるでしょうか?
2025年3月1 5 日 軍国主義国家、日本 (2) 大東亜共栄圏を旗印に、アジア諸国に対し侵略の限りを尽くした日本は、軍部の強烈な支配の元、益々天皇を崇め、天皇のために戦って死んでいくことを、最上の美徳であることを知らしめるようになります。「海ゆかば」の歌がその良い例です。「♫海行かば水漬く屍、山行かば、草蒸す屍ね、大儀見の辺にこそ死なめ、顧りみはせじ♫」どれだけ多くの日本人が、この歌を唱いながら死んでいったことでしょうか!
タイ・チェンマイに滞在していたとき、隣のミヤンマー(昔のビルマ)へ行ったことがあります。プロペラ機で一時間でヤンゴンに着きました。先ず、日本軍人の墓参りをしようと、ホテルでガイドを付けて貰いましたが、案内されたのは美しい花々が咲き乱れる広大な墓地でしたが、日本人のものではありません。連合軍のものでした。仕方がないので、自分で探し、オンボロ山手線に乗って奥地へ行きました。ありました。日本式の墓石が林立していました。しかし、連合墓地のように献花はありません。みすぼらしさそのままの、寂れた奥津城でした。軍部に唆されて出征し、異国で果てた日本軍人たち、どれだけの軍人たちが、故国を想い、憤りを感じながら異国の地に眠っていることでしょう。献花に埋もれた国債墓地と、花一つない日本兵士の寂れた墓地を目の当たりにして、私は大きな憤りを感じて、不覚にも涙を流しました。
軍部に唆され、「天皇陛下の御為に」死んでいった兵士たちに対し、民主主義国になったととはいえ、日本国が、戦後、何一つとして報いていないこの現実!日本国を相手にビルマ諸外国の諸外国の兵士の墓には、献花が絶えていないのに、日本兵の墓には花一つなく、寂れに寂れているこの現実!しかも、この現実が世評に上がること無く、全く、忘れ去られている紛れもないこの事実!深い憤りを感じてなりません。
2025年3月1 4 日 軍国主義国家、日本(1) 今でこそ日本国は、平和を愛する国のように装っていますが、一昔前は軍国主義国家として、近隣諸国に多大の迷惑の限りを尽くした国であることを、忘れてはなりません。1868年の明治維新以来、「富国強兵」を国是としてきた結果、日本海開戦でロシアに勝利した勢いを持ってその傾向は益々強くなっていきました。ロシアのバルチック艦隊に勝利し、ロシアのステッセル将軍と「スイシエイ」で講和条約を結ぶクダリは歌にまでなっていていますが、これを契機に軍国主義国家に急成長していきます。その勢いは留まることを見せず、朝鮮半島を制圧します。半島のインフラ整備は日本が行ったのですが、半島の人から見れば、それは屈辱外交そのもので、その恨みは千年以上続くでしょう。勢いに乗った日本は、「軍国主義国日本」となって、満州事変、シナ事変を引き起こして行きます。日本が唱えたお題目は「大東亜共栄圏」でした。そしてついに勢い余って、アメリカを相手に「太平洋戦争」へ突入します。その結果広島、長崎への原爆投下です。「無条件降伏」です。つまり、日本の過去を振り返れば、他国のことを言えないのです。ロシアの悪口をいえないのです。日本人は、我々が犯した近隣諸国への悪行を、決して忘れてはならないのです。
2025年3月1 3 日 停戦合意 報道に依れば、ウクライナは30日間の停戦勧告を受け入れました。プーチン側の態度は、いまだ、ハッキリしませんが、恐らく、トランプの顔を潰すようなことにはならないでしょう。双方の高官がサウジアラビアに集まって、詳細の検討に入っているようですが、果たして、プーチンがどう出るか?世界は固唾を飲んで見守っています。言うまでもなく、戦争とは殺し合いです。ロシアとウクライナでどれだけの人間が殺されたか! 両国のみならず、そこに北朝鮮の兵士も加わりました。
戦争の被害は私も受けました。敵B29の大編隊が東京の下町を襲い、空全体が真っ赤に染まっている恐ろしい光景を、防空壕から這い出て、この目で見ました。その後、私自身は集団学童疎開で、会津の山奥に移り住まされていましたが、5月25日の東京山手の大空襲で新井薬師の家が焼け、命からがら、母親が迎えに来てくれ、長野の母の実家に身を寄せます。東京で、大勢の人が戦火に焼かれたというのに、それを一度も見ずに今日を迎えています。幸運意外の何ものでもなかった、と言えるでしょう。
ウクライナ各地に侵攻したロシアは、こともあろうに、幼気な子供たちを集団でウクライナからロシアに連れ去り、ロシアの教育を受けさせているという事実があります。その数千人。彼らはどんなにか両親の元へ帰りたがっているか!その子供たちのためにも休戦にして、ウクライナの親元に帰してやってほしいものです。戦争とは、実に無意味な争いです。その無意味さは歴史が証明しています。
2025年3月12 日 ロシアという国 東ドイツのポツダムで行われた、日本に対する無条件降伏の文書作成にはアメリカ、イギリス、中国、ロシアの首脳が集まりましたが、ロシアと日本は以前から「相互不可侵条約」結んでいました。にもかかわらず、ロシアは一方的にそれを破り、8月2日、大軍を持って、日本軍が支配していた満州国に攻め入ります。アメリカによって、二発の原爆が広島、長崎に落とされ、日本は8月15日過ぎ、この戦争の敗北を認めましたが、ロシアの攻撃は更に9月2日まで続きました。大勢の日本軍兵士は捕虜になり、シベリアに送られました。一般市民は略奪を受けながら故国へ向かって、命からがら逃げ惑いました。ナホトカから日本の舞鶴まで、引き揚げ船によって帰国できた日本人は、極く、僅かであったと伝えられています。一方、シベリアへ送られた日本兵たちには悲惨な状況が待っていました。何しろ「極寒の地」です。それに耐えられず、次々に死んでいきました。その状況を唱った流行歌は今でも私の脳裏にこびりついています。
「♫今日も暮れゆく異国の丘に、友よ辛かろ、せつなかろ、我慢だ、待ってろ、嵐が過ぎりゃ、帰る日も来る、春が来る♫」
思えば、同級生にも大勢の引き揚げ者がいました。早稲田の中央舞台で活躍した劇作家別役実君もそうです。彼の姉の咲枝さんは中学の同級生でした。彼らの母親は屋台の飲み屋さんをして彼らを養っていました。
ロシアという国、偉大な大国ではありますが、歴史的に見て日本との相性は決して良くはないのでは無いでしょうか?
2025年3月11 日 佐藤 優 今もってロシア領になっている北方4島について、その帰属を巡り人生が変わった、今は日本の優秀な論客になっている男がいます。元外務相主席分析官の佐藤優です。彼は福島県三春の生まれで、同志社大学神学部を卒業し、外務省ロシア担当主席分析官になった男です。彼の父親が沖縄の離島に働きに行っていたとき、その島の娘を見初め、彼が生れました。彼には沖縄の血が流れているのです。時、恰も北海道選出の鈴木宗男議員が、4島の帰属を巡り暗躍していました。彼は佐藤優に目を付け、タッグを組みます。しかし、返還の前に日本の企業、主として三井物産などを返還前の4島に利益誘導を犯したとして問題となり、佐藤優はその罪で豚箱入りとなります。時の外務大臣は田中真紀子でした。約500日余、刑務所入りした彼を待っていたのは、外務省罷免でした。彼はそれにくじけず、今は、日本の有数な論客になっています。膨大な書籍に埋もれ、週刊誌「週刊現代」に独自の書評欄を持っています。
この事件があって以来、日本における4島返還問題は急速に冷え込んでしまいました。森総理大臣の頃から、プーチンは甘い言葉をひさげて、何度も、何度も日本を訪れましたが、一つとして実行に移された事例はありません。それほど、プーチンという男は強かなのです。日本政府は、プーチンがいる限り無理だ、と既に悟っているからでしょうか?
2025年3月10 日 ポツダム宣言 太平洋戦争の末期、昭和20年7月の始め、敗色の濃い日本に対してポツダム宣言が発せられました。アメリカとイギリス、中国とロシアの首脳が集まり、無条件降伏の文書を日本に対して送ってきたのです。回答の期限は7月27日。日本は天皇を交えて、受託するかどうか、議論を重ねましたが、軍部はあくまで徹底抗戦を主張し受託しませんでした。8月2日、ソ連は、日本との不可侵条約を一方的に破り、当時日本が支配していた満州国に攻め入ります。戦闘は日本が降伏した8月15日を超えても続きました。ロシアは千島列島を始め北方4島を占領しました。満州では日本人10万人が殺され、20万人が捕虜となり、そのほとんどがシベリヤ抑留され、過酷な捕虜生活を強いられました。ポツダムは東ドイツに位置します。ドレスデンの近くです。湖水の脇の一軒家にトルーマン、チャーチル、蒋介石、スターリンが集まりました。
団体旅行で、一度、訪れたことがありますが、会場は湖水の脇の一軒家でした。何故かスターリンの部屋が豪華でした。チャーチルは急用ができて、そそくさと帰国したそうでした。
あれから何十年、日本は奇跡とも言える復興を成し遂げましたが、北方4島の帰属は今もってロシアです。その間、プーチンは何度も日本を訪れ、講道館で柔道をやったり、最大限の歓待を受けたりしていますが、結果は依然としてそのままです。
2025年3月9 日 怪僧 ラスプーチン プーチンで思い起すのは、日本の幕末から明治にかけて、ロシア王朝から絶大な信用を受けていた、グレゴリー・ラス・プーチンの存在です。貧しい農民の出であるにも拘わらず、ロシア正教のスコフツイ教派の指導者になり、神秘主義の流行を追い風に、皇帝ニコライ二世の息子のアレクセイ皇太子の病気を治したことから、王宮に深く食い込み、ロシア皇后アレクサンドラの寵愛を受けるまでになります。理由の一つは彼が30センチを超える巨根の持ち主である上に、絶大な精力の持ち主であったことが上げられています。そのお陰もあってか、当時の神秘主義の流行をいいことに、皇室の行政に深く食い込んでいきます。1869年、丁度、日本の明治維新の頃生れた彼は、1916年47歳の時、悪行が祟って殺されるのでが、青酸カリを飲ませても死なず、銃で心臓と肺を撃ち抜いても死なず、結局、川に深く沈めて殺した、と言われています。恐らく、今のプーチンも、彼に劣らぬ不死身ではありますまいか?
2025年3月8 日 優れた国 ロシア(1) いまでこそロシアは強大な力を持つ国になっていますが、1000年以上前は多民族国家であり、あろうことか、ローマ帝国の影響をうけつつ、モンゴルの支配下になっていました。15世紀末になってモンゴル帝国軍とモスクワ軍が衝突し、そして勝利し、当時のモスクワ大公が独立宣言をしたのち、17世紀になってロマノフ王朝が成立したのです。更に18世紀になってピヨトール大帝が西欧の技術や文化を取り入れ、新首都をサンクトペテルブルクにしたのでした。それを待ちかねたようにロシアには新しい文化が矢継ぎ早に芽生えます。文学の世界では「プーシキン」、「トルストイ」、「ツルゲーネフ」、「ゴーゴリ」、「ドストエフスキー」、などなど。音楽の世界では「チャイコフスキ-」、「リムスキー・コルサコフ」、「ボロジン」、「ムソルグスキー」、「ラフマニノフ」などなど。ロシアの黄金時代の幕開けです。だが、突如として現われたのが経済学のマルクス、エンゲルスです。彼らの著書「資本論」、「反デユーリング論」、「土地・労働・資本」などなど世界中を席巻し始めました。彼らの思想は世界中の資本家と労働者の対立を呼び起こしました。それは現代までも継続しています。この世界にも稀な優れた国家が、何故か独裁者の台頭を許す国になったのです。その渦中の人こそが現在のウラジミール、プーチンです。元々、プーチンは東ドイツに派遣されていた秘密諜報員の一員でした。自分に刃向かう者は容赦なく秘密裏に抹殺し、現在を築いている男です。どれだけの政敵を抹殺してきたことか! 40人は下らないようです。
2025年3月7 日 NATOとは? いま、世界で起きている紛争は主に二つです。その一つはロシアとウクライナの紛争です。その原因はウクライナがNATOに加盟したがり、ロシアがそれに抵抗したことに依ります。ウクライナは何故、NATOへの加盟を望んだのでしょうか?それはヨーロッパのほとんどの国が入っているからです。共産主義国ロシアの脅威への抵抗組織だからです。兄弟国と思っていたウクライナまでもが離反の素振りを見せたため戦火が炸裂したのです。
第二次大戦後、ソビエット連邦によるヨーロッパ共産化の波に呑まれるのを防ごうとする「集団防衛システム」それがNATOなのです。現在の加盟国30ヶ国、名前を挙げておきましょう。アイスランド、アメリカ、イタリア、イギリス、オランダ、カナダ、デンマーク、ノルウエイ、フランス、ベルギー、ポルトガル、ルクセンブルグ、ギリシア、トルコ、ドイツ、スペイン、チエコ、ハンガリー、ポーランド、エストニア、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、アルバニア、クロアチア、モンテネグロ、北マケドニア、以上の30ヶ国です。
当然、日本は入っていません。日本は日露戦争は別として、ロシアには大変な目に遭わされています。4島返還問題に置いてすら、日本はいい玩具にされています。プーチンはいいように日本を弄んで来ています。強かの権化、それがロシアのプーチンの生身の姿でありましょう。
2025年3月6 日 整 理 (2) 整理しなくてはならないのは、書籍、CD・DVDなどの他に三台のピアノあります。一台は今、使っているヤマハのグランドC3、二台目はカワイのアプラト。これはタイ・チェンマイの少数民族の学校へ寄贈するために、わざわざ、四国から購入したのでしたが、かなりの金額の輸送費、関税が掛かるため、諦めて、物置に眠っている一件です。三台目は、ローランドのグランド型キーボードです。九州小倉へ単身赴任したとき、現地の楽器店から120万円で購入しました。音はレシーバーで受けて、一人密かに無聊を慰めていた一件です。チェンマイの日本語キリスト教会牧師野尻孝篤御夫妻他、数人のお仲間が我が家においで願ったことがありました。近くのうなぎ屋にご招待して、皆さんに喜ばれましたが、その折、ご夫妻が埼玉の施設にお入りになっていて、明子奥様が10万円のキーボードを使って居る、と言うことを聴き及び、ならば、このローランドのグランド型キーボードをお使い下さい、と申しでました。その際、お使い下さいとは申しでましたが、差し上げます、とは言っていません。 あれから7,8年ほど経ちましたが、5年前に野尻牧師は、我々が熊谷の病院へお見舞いに伺ったその翌日、お亡くなりになりました。
さて、この120万円のキーボード、いずれはお返し頂いて、福島・泉の佐藤彰牧師の「翼の教会」へ寄贈するつもりでいます。先生のお孫さんの「マヒルちゃん」に貰ってもらうのが一番ですが、先生が主催する教会は、双葉原発の隣町の大熊街にもあります。小高にもあります。先生が苦心して建てられた夜ノ森教会は立派な建物ですが、汚染度が高く、無人のままです。パイプオルガンで賛美歌を演奏したい教会は、浜通りには沢山あるのです。
2025年3月5 日 整 理 家の半地下のピアノ室には、生涯を掛けて集めた書籍や、旧いレコード、DVDなどが無造作に置かれています。二階の仕事場の棚にも書籍が山積しています。いつかは整理しよう、整理に取りかかろう、と思うばかりで、実態は馬齢を重ねているだけです。学習研究社の親友・故竹内二郎君がモノした40巻の日本美術図鑑も片隅に置かれたままです。でも、半分は次男の孫娘に貰われて行きましたが、その後音沙汰なしです。彼女は画才に恵まれ、武蔵美大を卒業し、今はパソコンを駆使するデザイナーになっています。
若い頃、傾倒した三島由紀夫の全著作が、初版本を含めて眠っているのですが、行動を起そう、起そうと思いながらそのままです。同じく、埴谷雄高の全著作もそのままです。加えて、膨大な数のCD、DVDなどなど。
そこで決心しました。今年こそすべてを整理し、地下室はピアノだけにしよう、と。やがては、このピアノも整理の対象にしよう、と。土佐日記の紀貫之は、あらゆる未練を断ち切って、3尺四方のあばら屋に住み、「生きる」を完結させたではありませんか。西行法師も「願わくは、桜(ハナ)の元にて春死なんこの如月のもち月の頃」と言ってるではありませんか。一切を喜捨して死地に付く、私もその年頃になっているのを自覚しなければなりません。
2025年3月4 日 西武池袋線 清瀬 西武池袋線の所沢手前「清瀬」は病院の多い街です。何故なら、戦争中から戦後にかけて、結核や、不治の病とされる「ライ病」の隔離施設がこの町に集中していたその名残になっているからでしょう。その中に「複十字病院」があります。今日は、20年ぶりにその病院へ行って来ました。呼吸器では日本一と言われているこの病院は、相変わらず、賑わっていました。当時、私は、喘息の疑いでこの病院の呼吸器科に罹っていました。この病院の直ぐソバの久留米団地に従妹と二人で住んでいた母親もこの病院の常連でした。内科の副院長さんのお世話になっていましたが、93歳になってからは「食」がいよいよ細くなり、流動食も受けつけません。仕方なく医師の勧めにより「胃瘻」の手術を受けざるを得なくなりました。母親の体力が、過酷な手術を乗り越えることができるか?それが唯一の心配でしたが、当日、孫たちも病院へ駆けつけ、手術を見守りました。 手術は無事に成功しました。集まっていた10人余り、胸を撫で下ろして家路につきました。
その明け方です。けたたましい電話の音です。「お亡くなりになりました」という知らせです。病院に駆けつけると、執刀した医師と看護婦が病室の前でうなだれていました。怒り心頭を発しました。明らかな医療ミスでしょうから、病院と争うことも出来たでしょう。しかし、何故か、私は、このアクシデントをそのまま受け入れたのでした。
その病院へ、20年ぶりに今日行って来たのです。母親に宛がわれていた病室を覗いてもみました。母親が笑顔で迎えてくれた気もしました。
2025年3月3 日 初 雪 雪だ!雪だ!初雪だ! 朝から雨模様でしたが、午後から気温が下がり、雨が霙に変わったと思ったら、初雪になりました。テレビでは関東一円での降雪が報じられ、山沿いでは五センチ、都心では三センチになるとか。二階の仕事場から見ていると、今は、霙交じりだったものが、本格的な牡丹雪に変わってきています。やっと、東京で、いや、関東一円にも雪が降りました。恐らく、今年の豪雪に苦しんでいる雪国の人々は「もっと降れ、降れ!」と心の中で叫んでいることでしょう。
小学校3年から高校3年まで、長野で暮らした頃は雪は身近な存在でした。11月終わり頃から降り出した雪は、除雪されて道路脇にウズ高く積まれていましたが、そのまま、春まで溶けませんでした。道路はいつもぬかるんでいて、長靴ばかり履いていました。それだけに春の訪れが眩しく感じられ、嬉しさ、この上もありませんでした。
とここまで書いて、外の景色を伺うと、雪は霙に変わっているではありませんか! 拍子抜けしてしまいました。おまけに、それも止みそうな気配です。これでは、テレビが述べている予報と違うではありませんか。
お天気の神様、お願いだから、予報通り東京地区に3センチの積雪をお与え下さい。このままでは、雪国の人々の溜飲が収まらないではありませんか!
2025年3月2 日 吠えるトランプ まるで赤鬼だ。顔を真っ赤にして言いたい放題、あらゆることに口出し、アメリカの利益を優先しようとしている。前期のトランプとはうって変わった景色である。ロシアとウクライナの停戦に乗り出す国は、もはや、アメリカの役目にしても、余りに荒っぽい。アメリカを始め、NATO諸国が武器弾薬援助したお陰で、大国ロシアとの戦いが出来たのは、言うまでもないが、トランプはその代償をウクライナから求めようとしている。あからさまにウクライナの希少鉱物資源をよこせ、と打算的だ。停戦の交渉で先ず、ロシアの方から接触を開始したのは分る。しかし、その後の経緯を見ると、ロシアには穏やかで、ウクライナには荒っぽい。おまけに、ゼレンスキーの悪口をいい、アメリカに乗り込んだ彼と大喧嘩する始末。彼はコメデアンの出身で選挙をへて、大統領になった人物ではない、と酷評した。そこまで言われたゼレンスキーは怒り心頭を発したであろう。今後の推移が危ぶまれる景色が出現している。
2025年3月1 日 投機の対象 日本のお米 政府が米の需要に鑑み、備蓄米を放出する、おふれを出しているにも拘わらず、お米の値段は一向に廉くなっていません。従来、五キロ2050円で買えていた山形産「つや姫」が4560円に値上がりしていました。今回、買いに行きましたら、矢っ張り、4000円を超えていました。鳴り物入りで喧伝されている「備蓄米放出」の効果が、全く現われていないのです。何故でしょう? それは、投機筋が入っているからだ、という現実が次第に明らかになっていています。投機筋の大物、それは中国です。中国が日本の米を買い占めに掛かっているのです。何故か? 世界的な天候不良により、中国各地では主要な穀物、米、麦 トウモロコシなどの炭水化物の生育に支障が出ているからです。加えて、小麦の生産量では世界一のウクライナは戦いの禍中にあり、輸出どころではありません。アメリカのトウモロコシも関税が掛かり、割高です。中国は14億5000万人の人口を抱えています。飢えさせるわけにはいかないでしょう。ジャニヨッテ、日本の米が中国の投機筋に買い占められているのです。悪辣な業者の存在により、米価が下がらないのです。すべては「お天道様」のセイなのです。あと数ヶ月で田植えの季節。しかし、今の農家の状況は人手不足の上に、減反政策が災いしています。この際、政府が音頭をとって、高齢者呼びかけようではありませんか?「高齢者よ集まれ、日本国の危機だ、野良着を着て田植えに参加しろ!」と。
2025年2月28 日 桜の季節の到来 2月は今日で終わり、明日からは待望の3月、桜の季節の始まりです。気象庁が開花宣言をする靖国神社の目当ての桜一輪が咲くのは23日頃とか。あと3週間です。現役の頃は旅ガラスの身であったので、東日本各地の桜に浴する幸運に恵まれて来ました。中でも福島県は意外にも桜の王国であるのを知りました。福島県入り口の白河城趾、郡山の開成山、三春のしだれ桜の大木、本宮の蛇ノ鼻公園、二本松の霞が城、、、、双葉原発のあおりを受けた夜ノ森、この町は街路樹がすべて桜でした。福島市郊外では全山が桜で埋まっていました。。桜前線は更に北上し、青森の弘前城公園の開花は4月下旬頃、最も遅い桜は会津若松の奥地、檜枝岐で5月上旬です。
私が愛して止まない桜は、家の近くの公園の一本の老木の桜です。青空を背景にして輝く桜を観ていると時を忘れます。東京にも桜の名所は数々あります。中でも新井薬師哲学堂、千川通りの桜並木、そして、石神井川沿いの老木、三十本はあるでしょうか。米寿のトシになっても今年も桜を見れること、どんなに感謝してもしきれない思いでいます。(この記事は毎年重複しています。平にご容赦。)
2025年2月27 日 新会社 昨日の朝日の記事に依れば、私の晩年の古巣「朝日学生新聞社」と「学習研究社」とが子供たちのための新会社を設立したそうです。新会社の名は「朝日学研シンクエスト」。子供たちが自ら考える「THINKシンク」と、未来を探求する「QUESTクエスト」を目指すための新しい媒体を作ることが目的だそうです。紙面を作るのか、それともネットだけなのかは、まだ、詳らかではありません。いずれにしても、時代に即した新媒体の出現は歓迎して良いでしょう。
私は57歳の時、小倉の西部本社の営業局長で単身赴任しました。そこへひょくこり、私の親分の海野朝日学生新聞社長が小倉においでになりました。名物のフグをご馳走していると、私の後の社長をやってくれぬか、というお話。助手として仕えた親分からの話ゆえ、断るわけにも参りません。59歳で同社専務にになり、五年間社長を務めさせて頂きました。仕事熱心な海野社長の後の仕事は順調で、25億の利益を本社の連結決算に献上いたしました。私の後任の社長は、中江本社社長の計らいで、編集局の山本博さんがなりました。彼は横浜支局次長の時、リクルート事件を掘り起こしたことでも有名です。彼はどうしたことか、中国が大嫌い。海野さんが掘り起こした、日本と中国の小中学生による「日中書道展」も中国の国営「中国小年報社(チョウングワシネンネンパオ」社との毎年三名毎の社員交流もご破算にしてしまいました。社長室の隣が小さいながら私の会長室でした。どうしたことか、山本社長は年中咳をしうがいしていました。それが壁越しに伝わってきます。やがて、彼の死が報じられました。その後の社長は編集局に取られっぱなしです。
お陰様で、朝日小学生新聞の部数は順調のようですが、いずれにしても「紙」の媒体です。時代は様変わりし、ネットによる情報収集は小学生でもやっています。況んや、中学生においてや。朝日と学研による新会社が、ネット時代に即応した若年層に歓迎される新媒体になることを、願ってやみません。
2025年2月2 6 日 中国人のマナー 中国の人口は約14億人、日本の人口の10倍です。その膨大な人口が動く春節は終わったようですが、日本への旅行者は引きも切らず、各地で物議を醸しているようです。一例を挙げれば、各地に点在するホテル「アパマン」は中国の団体客の受け入れを拒否しているとか。何故なら、ホテルの備品を勝手に持ち出す被害が多発しているからのようです。奈良公園の放し飼いの鹿たちも中国旅行者からの心ないいたずらに悲鳴を上げ、京都の文化財も落書きなどされて、困惑しているようです。何故、そうなるのか? それは彼らの幼い頃からの「躾け」に問題あるからではないでしょうか。
従兄弟の靖輝君が上海の「虞」さんと商売していたことから、私自身、数十回上海へ行く機会に恵まれました。彼と私の母親は姉妹ゆえ、親族10人以上で上海から始まって中国各地を旅したこともありました。その度に、中国人の主として食事の時のマナーの悪さには呆れた記憶が鮮明に残っています。彼らはバイキングの場合、必要以上のものを取って来ます。食べられない骨、嫌いなもの、彼らは平気でテーブルや、テーブル下に積み上げます。そして残します。それをマナーと心得ているらしいので始末に負えません。しかも彼らは食事をしながら、辺り構わず大声でしゃべり合います。それを航空機の中や列車の中でやるものだから目も当てられません。こんな記事が新聞に載ったことがありました。彼らのグループが、あるとき、日本の地下鉄の中で食事を始めました。それを見た日本の小学五年生が「日本では乗り物の中で食事することは禁じられています」と注意したそうです。
一人一人の中国人は極めて優しい心根の人達ばかりです。それなのに団体旅行となると一変してしまうようなのです。困ったことです。
2025年2月2 5 日 魔の三角地帯(2) 昨日述べた魔の三角地帯でラオスとの国境になっているのはチャオプラヤ川です。ミヤンマーとの国境になっているのはモエイ川です。そのモエイ川に沿ってタイ側を見ながら更に北上すると、対岸に倉庫のような建物と住宅群が現われます。そこが中国系マフィアの国際詐欺拠点の一つ「泰昌園区1」です。窓がなく二階にまで有刺鉄線が張られた建物や、異様に高い塀に囲まれた家屋が林立しています。開発されたのは4年ほど前のことのようです。更に、山奥には一年ほど前から「泰昌園区2」か建設されました。残念ながらタイ側から直接内部を見ることは出来ないから、実態はヤミの中です。しかし、この両区には約1万人の外国人が集められて、特殊詐欺に加担させられているそうです。ここから脱出に成功したケニア人によると、その1万人の外国人の中には日本人も20人ほどいるとか。ごく最近生まれて来た中国人支配の違法詐欺行為を公然と行う集団の存在を、何故、ミャンマー政府は取り締まることが出来ていないのか?それが問題です。なぜ、国際的な違法行為を黙認しているのか?もし、政治の実権をアウンサンスーチーさんが握っていたら、この国際的詐欺集団の存在を許さなかったでしょう。然るに、今のミャンマーは軍政です。中国から多大の援助を受けている最高司令官ミン・アウン・フラインの存在です。だから、中国人を主体とする国際的詐欺集団の存在を無視しているのでしょう。
2025年2月2 4 日 魔の三角地帯(1) タイの首都バンコックから国内航空で約一時間北上すると、タイの国王の別荘があって賑わっているチェンマイがあります。更に車で三時間ほど北上するとチェンライの街があります。更に二時間北上を続けるとそこはタイの国の国境でその先へは行けません。チヤオプラヤー川が滔滔と流れ対岸はラオス、もう一方はミャンマーです。俗に魔の「三角地帯」と呼ばれる怪しげな場所です。更に奥地では麻薬の栽培が行われ、何故か、三つのビルがそれぞれの国側にあってカジノが行われているようでした。最初は、そこへツアーで行きました。二度目はモトイ君から42万円で譲り受けた車で行きました。三度目は畏友堀田さんの運転で行きました。最初の時は、長い艀で対岸のラオスへ行けました。マーケットがあって本物か偽物か分らないブランド品が売られていました。二度目、三度目の時は船でメコン川を行ったり来たりするだけで、対岸へは行けませんでした。何故か、それぞれの国に建っていたカジノのビルがなくなっていました。
いま、この魔の三角地帯のミャンマーの側が大問題となっています。2000人規模の世界中から集められた人種による「詐欺集団」のコロニーになっているからです。この集団の頭領は中国人。指令を出すのも中国人。日本人もそこで下働きしているようです。そのコロニーには最新の精密機材があって、主としてアジア地域で絶大な詐欺行為を働いているようです。勿論、違法ですが現在のミヤンマーは、ミン・アウンフラインによる軍政が引かれ、その軍政は中国から絶大な援助を受けているため、取り締まることができないでいるのです。世界的な詐欺集団の存在を「見て、見ぬ振りをしているミヤンマー」、そして中国、どれだけ多くのか弱い人々がこの集団の悪辣な行為の餌食になっていることか!
2025年2月2 3 日 寿 司 家の周りには、勿論、車で行ける範囲ですが回転寿司屋が五軒あります。光が丘団地に近いせいか、いずれの店も繁盛しています。いつも車のガソリンを入れに行くスタンドの隣が「浜ずし」。行くと必ず注文するのが「アオサの味噌汁」。「寿司ろう」と「くら寿司」は団地内に位置しているのでいつも混んでいます。駅へ行く途中にあるのが大きな店構えの「かっぱ寿司」。何時だったか、畏友堀田さんが、ご自分が東京での就職を斡旋したタイ・チェンマイの若い女性5人を我が家に連れてきました。地下のピアノ室でタイの国歌をみんなで唱ったあと、駅までの帰りがけに、途中の「かっぱ寿司」に寄りました。皆さん、喜んで食べるは、食べるは。おまけに、財布に残っていたタイの紙幣1000バーツずつ(4000円相当)をお土産に差し上げたものだから、喜んだの何の、、、、閑話休題。
回転の機能はあっても目の前で握ってくれるのが銚子丸。行くと最初に注文するのが「小鰭(こはだ)」。今日は何と「クエ」があるではありませんか?注文はしたものの、九州で食べた「クエ」味には届いていませんでした。矢っ張り「クエは内臓一緒の鍋」に勝るものない、と思いました。最後にずわい蟹の一貫ものを頂いておつもり。
2025年2月22日 不公平 予報によれば、今日も日本海側は大雪です。そして、太平洋側は気温は低くても快晴の連続。新潟の津南では4メートルを超える豪雪とか。谷川岳の麓、藤原では5メートルにも及んでいるとか。一方、太平洋側は連日の快晴!余りにも、余りにも不公平ではありませんか!福島を5年、新潟を2年、部長になって東北全県、信越、富山を2年、局次長になって東京管内全域、その後は九州小倉の西部本社の営業局長となり、九州全域及び山口県の販売を見るようになるのですが、いつも心にかけていたのは、その日の朝日新聞が無事に読者に届けられているか? にありました。既に現役を離れて30年近くにもなるのに、今でも心配で心配で堪らないのです。オカシナものです。
昔は、東京本社で刷られた朝日新聞は墨田操作場にすべて運ばれ、午後8時頃出発する新聞列車で東北、信越に運ばれていました。ところが、今は現地印刷です。仙台に印刷工場が出来、青森では陸奥新報社の好意で青森、秋田ヘの新聞が現地印刷され、新潟では新潟日報社の好意でそこで刷られ新潟、富山へと送られています。とは言っても、豪雪地帯ゆえ、道路事情がままならない場合はそれつきりです。しかし、新聞が無事に販売店へ到着しても、読者の家まで配達するのが一苦労です。どの家もうず高い雪に埋まっています。その上、いつ屋根から雪が滑り降りてくるか分りません。その点、新潟上越の高田市は「雁木」と呼ばれる歩道を保護する屋根が出来ていて、助かるのですが、郊外の住宅地にはありません。
しかし、もう2月の半ばを過ぎました。水戸の偕楽園では梅の花が全開とか。やがて日本海側でも雪解けが始まり、冬眠を余儀なくされていた木々が目覚め、麗しい春がやってくるでしょう。今年の豪雪が語り草になる日が、つい、そこまで来ているのです。
2025年2月21日 方 言 沖縄の三味線、つまり三線(サンシン)のことを触れたついでに、琉球地方の言語についても触れておきましょう。驚くのは日本の古代言語が数多く残っていることです。学生時代、沖縄の石垣島へ行ったとき、宿に風呂がなく、街の銭湯へ行きました。賑わっていた風呂の中で島の人達同士が話している言葉は全く理解不能でした。ビックリしたのは日本書紀や古事記に表われる古代語が日常会話の中でフンダンに使われていることでした。乙姫劇団という芝居小屋が現地にあります。方言のみのお芝居です。群衆が何故そこで爆笑するのか、全く、理解不能でした。
下世話な話しで恐縮ですが、埼玉県秩父の山の中に宝登山(ホトサン)神社があります。「宝登」とは女子のあそこの部分のことで、それを崇めている古来からの神社です。天照大神が岩屋にお隠れになり、その岩屋の前で女性の神が裸になって、神様をおびき出す神話が日本書記にありますが、そのホトという女性のあの部分の呼称が沖縄では今も生きているのでした。俗には「ホー」と使われいます。小さい女の子があそこ丸出しにしていると「ホーマー」となります。長野県の人が沖縄へ行くと大変です。長野県人は会話の中での相づちを「ホー、ホー」と打つからです。沖縄の人はその度に顔を赤らめます。
男性のあの部分のことを何と言うか? 何と「タニ」と言うのです。大きいあの部分のことをもしかすると「オオタニ」というのかも知れません。オオタニ翔平、エライ迷惑でしょう。閑話休題。
2025年2月20日 三味線と蛇皮線 日本三味線には太棹と細棹の違いがあっても、構造的には同じです。棹と称する長い部分は「紫檀」あるいは「紅木」が使われます。音締めは象牙です。そのトメガネの部分に金と使ったものは「金ぼそ」、銀を使うと「銀ぼそ」とされ、四角い箱の部分は「花梨の木」が使われ、皮は専ら猫の皮が使われます。犬の皮が使われ場合もありますが「犬皮(けんぴ)」と呼ばれ、猫より一段と低い評価を受けます。バチとコマは象牙。すべてが揃った三味線は、今では数百万円で取引されているようです。
一方、沖縄の三味線は構造的には内地と同じですが、箱を貼る皮は、猫や犬の皮ではなく蛇の皮です。名前はど忘れしましたが、大きな蛇の皮を使っています。それゆえ「三線(さんしん)」、あるいは「蛇皮線」と呼ばれているのです。
2025年2月19日 三年目 あと、五日経つと2月24日です。二年前のこの日、ロシアとウクライナの戦争が始まりました。ウクライナがNATOに加盟する兆しを見せたため、ロシアが自国の孤立化を恐れ、ウクライナに戦争を仕掛けた日です。二期目に入ったトランプはこの戦争の終結を目指し、割って入りました。いま、両国にアメリカの特使が入り双方の主張を聞き、落としどころを探っているところのようですが、問題はロシア側がウクライナのNATO加盟を絶対に認めないところにあるようです。難問であります。トランプの腕の見せ所でありましょう。翻って考えると、強大な軍事力を持つロシアが、弱小国であるウクライナに何故手こずってきたのか、それは、ウクライナに対して、アメリカを筆頭とするNATO諸国が武器弾薬を始め、近代兵器をそれとなく供与して来たからでありましょう。一方、巨大な軍事力持つと言われたロシアが、それほでもなく、兵力を失い、挙げ句の果ては、囚人や、少数民族まで頼りにし、切羽詰まって北朝鮮にまで援軍を求める始末。独裁者同士の取極めによってかり出された北朝鮮兵士一万人にとってもエライ迷惑。戦う意味も分らず、極寒の地で自滅するのみ。北朝鮮の残された家族たちの哀しみと苦しみは、いかばかりであろうか、と世界的に同情されている始末。
私は思います。戦争の終結に至る最良の方法は、ロシアの独裁者プーチンを密かに毒殺するしかない、と。彼の刀自は秘密警察でした。それ故、どれだけ多くの反対者をヤミに葬ってきたことか!そのため、彼は自身の毒殺を恐れ、厳重な警護体制をとっています。私はロシア国民に告げたい。「シッカリしろロシア国民!ロシアの不幸は何時までも秘密警察上がりの人殺しを大統領として存在させていることにある!」と。
2025年2月18日 廃れた三味線音楽 家の地下のピアノ室には、日本の三味線一挺、沖縄の三線、会津の山奥・檜枝岐で仕入れた平家の落人たちが使ったであろう古代三味線、雅楽で使われた「笙(しょう)」などが眠っています。学生時代、伯母が川崎で開いていた「杵屋弥奈登長唄塾」へ行っては、ついでに長唄を習いました。一番最初に習ったのは初心者用の小さな曲で今でも口を付いて出てくるから面白い。
「♫お風邪を引いたお人形は、お薬イヤやよと飲みません、マンマもイヤよと食べません♫ ほんとにこまった(間の手)チトセトトシャン、紙人形♫」 伯母の家に行くとご馳走になり、その度に泊ってきます。時間があるから練習に励みます。終いには長唄の6月の名曲「岸の柳」の全曲が弾けるようになりました。「♫筑波峰の、姿涼しき、夏衣♫、、、、、、、、」
長唄には数々の名曲があります。「松の緑」「綱館」「勧進帳」「秋の色草」などなど。問題はこれらの日本の古典音楽が、廃れに廃れてしまっていることです。時折、NHKの第二で歌舞伎の中継はあっても、民放では全くといいほど取り上げられていません。更に問題なのは、日本の誇る「芸大」の日本音楽関係の学部への志願者がほとんどいなくなってきていることです。巷でも同じです。昭和末期までは巷で唱われていた、都々逸、端唄、小唄、常磐津、などなど、今では全くといいほど廃れています。ただ、特筆すべきは、沖縄では今もって三線(さんしん)音楽は盛んです。テレビでも大いに取り上げられています。教習所も賑わっているいるようです。でも、どんなに流行っていても本土の三味線と沖縄の三線とは同じように見えても、根本的な違いがあります。それは音階がの違いです。本土の音階は7音階ですが、沖縄の音階は5音階なのです。今の状態が、もし、このまま続いていたら、50年後には日本の古典芸能の根幹である三味線音楽はこの世から姿を消してしまっているかも知れません。
2025年2月17日 タイの果物 昨日のこの欄で、タイ・チエンマイのイチゴは余り美味しくなかった、と書きましたが、タイにはイチゴを超える美味しい果物が沢山あります。中でもドリアンが筆頭でしょうが、日本には入ってきていない優れた、美味しい果物が目白押しです。まず、マンゴスチン、ランプータン、レイチ、バラミツ、タマリンド、そして、ドリアン! ドリアンはタイでは路上の屋台でも売られていて、立ち食いすらできる極く普通の果物になっているのに、何故か、日本では高級果物店でも、あまり、見かけることがありません。理由の一つは、ドリアンが独特の強烈な匂いを発散する果物なので、その臭い故に需要が無いのかも知れません。
タイ・チェンマイではお酒を飲みながらドリアンを食べてはいけない、と昔から言われています。それを知らずに、ある日、ワインを飲みながらドリアンを食べました。途端に、強烈ない違和感に襲われました。死にそうな感覚になったのです。バンコック病院から救急車が来ました。二泊三日、留め置かれ7万バーツ支払いしました。幸い、海外旅行疾病保険に入っていたので助かりました。その上、健康保険からも払い戻しがありました。つまり、7万バーツが二重に入って来たのでした。もう一度、チェンマイへ行ってワインと供にドリアンをたべようか、と思っています。
2025年2月16日 イチゴ 最近、開店されて愛用しているスーパに入ると、入り口付近に、これ見よがしの「真っ赤に熟れたイチゴ」のパックが山積みされていて、驚かされています。値段も手頃です。ガストやジョナサンに入ると、若い女性が大きなイチゴパフェを前にして、幸せそうにしています。もし、ケーキ屋さんにイチゴがなかったら今ほど繁盛していなかったでしょう。一昔前まではイチゴは高級な食材でした。主な生産地は栃木県に限られ、しかも、品薄だったからです。いまはどうでしょう、生産量の筆頭は相変わらず栃木県ですが、他の県もイチゴ生産に拍車がかかっています。栃木県の年間生産量24,400トンに対して熊本県11、700トン、長崎県10、300トン 静岡県10,400トン、、、、イチゴの交配も盛んに行われ、旧種のアマオウを元に新種が続々登場しています。例えば、スカイベリー、トチアリカ、マリヒメ、サカホノカなど、などなど。
問題は日本のイチゴを黙って横取りをし始めた国々が現われていることです。その筆頭は韓国のようです。タイもそのようです。10年ほど前になりますが、キーボードを担いでタイ・チェンマイへ行った時です。畏友堀田さんの案内でタイ奥地の小学校へそれを寄付しに行きました。女の校長先生は我々をご自分の車に乗せて小高い山間へ連れて行ってくれました。そこは山の斜面が一面イチゴ畑でした。イチゴは食べ放題でしたが、余り美味しいイチゴではありませんでした。やがて、中国やベトナム、カンボジアでもイチゴ栽培が盛んになるでしょう。
2025年2月15日 長寿県 一昔前まで、日本一の長寿県は男女とも沖縄県でありました。ところが、今は男の一位は滋賀県に替っています。82,73歳。女性は岡山県で88,29歳。一番低いのは男女とも青森県で男79,27歳。女は86,33歳。
沖縄の長寿の原因はその食べ物にあると言われてきました。その代表的だったものは「苦瓜」いわゆるゴーヤーです。それを知って以来、ゴーヤは私の朝食の定番になりました。ゴーヤーのワタを取り除き、ツナ缶とシラスを適度に加え、オリーブオイルでサッと炒めます。目玉焼き二個、納豆とキムチ、その後は、豆乳ヨーグルトをカナダ産のメイプルシロップで頂きます。お茶はガバ茶。88歳の米寿まで平均寿命を超えてまで生き長らえているのは、これら朝食の食べ物のせいではないでしょうか?
ところで苦瓜は暑い地方でなければ生育しない野菜です。冬期間は見つけることが困難なシロモノです。その場合、アマゾンに頼んで沖縄から直に取り寄せて貰って来ました。それも面倒です。ところが最近、沖縄産のゴーヤーがいつも店頭に並んでいるスーパーを見つけました。嬉しくなって売り場の主任にそのことを言うと、「分りました、いつも取り寄せておきましょう」というご返事。爾来、そのスーパーを愛用するようになっています。
2025年2月14日 破 談 (何と役員が68人もいる会社) 12月末から世間の話題となっていた、ニッサンとホンダの経営統合は両社の主張が一致せず、破談となりました。ニッサン側はあくまでも対等合併を主張したのに対し、ホンダ側はニッサンの膨大な赤字を理由に子会社化を主張して譲らなかったためのようです。もう一つ、台湾の精密機械工業で世界的に販路を広げ、膨大な利益を上げている「鴻海ホンハイ」がニッサンの買収を狙っているとの情報もあります。一方、合併に与するかどうかが話題となっていた軽乗用車の「スズキ」も経営統合を辞退しています。何故か?それはヨーロッパ各地で、スズキの軽自動車が売れに売れているからです。「車は安価で走れば良い」という風潮が世界的広まりつつあるのが原因のようです。「車はベンツのような高級車である必要はない、安全に走ってくれればいいのだ、という認識が世界的に広まりつつあります。確かに、見栄や外聞で高級車を乗り回す時代ではなくなっているようです。私自身、30年間近くお世話になっている「ホンダ・フィット」を廃車にして、今度は「スズキの軽自動車」にしようか、と一時期考えました。私の持論は「車は走ってくれればいい」ただ、それだけです。 今期のニッサンは4000億の赤字を抱えているやにあるそうです。3000人の社員に退職して貰わなければならない、と噂されています。
朝日新聞社の新社屋が築地に出来たころ、日産本社の前を通って通勤していました。何故か、組合が強く、時の経営陣は労働組合の幹部を経営陣に組み入れました。ニッサンの凋落はその時に端を発したと私は思っています。技術革新より、社員の優遇を第一とする会社、その結果役員が68人いる会社になってしまっっていたのです。
*反省 今日の「スキー場で怪我した記事」を読んで頂いた読者から、前にも同じことを2回書いているよ、とのご指摘がありました。確かにその通りでありました。汗顔の至りであります。ご指摘を真摯に受け止め、感受性の枯渇を憂いながらも、二度と繰り返さないようにいたします。
2025年2月13日 極 寒 いま、日本列島の日本海側は豪雪に苦しんでいますが、太平洋側は、雪の苦しみはなくても、厳しい寒さに見舞われ続けています。余りの気温の低下で青物野菜が軒並みその影響を受け、かなりの高値でスーパーの店頭に並んでいます。でも、もうすぐ春一番です。水戸の偕楽園では梅の花が咲き乱れているとか。すると、毎年恒例の杉花粉が吹き荒れ始めるでしょう。
高校時代まで長野市で育ったことから、寒さには驚かないものの、一番の寒さの経験は、冬期間に登った北アルプスの唐松岳でのことです。その次は、山梨清里でスキーを楽しんだ時のことです。当時の清里は大いに賑わっていて宮沢君の山荘に泊って、「サンメドウスキー場」で彼と滑りを楽しんでいました。宮沢君はこのスキー場の年間パスポートを持っていました。その折り、朝起きて寒暖計を見ると、家の中なのに気温はマイナス9度を示していました。水道が凍らないよう、夜中もチョロチョロさせていたのですがそれも凍り付いていました。朝食もそこそこに、スキー場に向かい滑り始めたのですが、生憎、講習中の初心者によって背後からぶつけられ、50メートルはゲレンデ上に投げ出されました。背後からの衝突ショックで首に激痛走りました。痛みで首が回らなくなりました。指導者が降りて誤りはしたものの、スキー場での衝突事故は傷害保険の適用にはならないことを、あとになって知りました。雪上救急車が来ました。救急車によって長坂の病院へ運ばれ、首全体にギブスが巻かれた状態で帰京しました。宮沢君はずっと側にいて面倒を見てくれました。これが、今のところ私の人生最後のスキーとなってしまっています。
「これではならじ」「もう一度、雪煙を上げて滑りたい」米寿になってしまった老人は、心から、切に、衷心からその日来ることを願っています。
2025年2月12日 政治家の器 政治家たるものに必要な資質は国の進むべき方向性をハッキリと示し、それに向けて、国民をしてその目的に向けて動かし、国全体を、昨日より今日、今日より明日へ、と飛躍させていくことにある、と私は思っています。その点ではアメリカのトランプは、独断、偏向、偏見ではあっても、アメリカ合衆国を一段と飛躍させようとする姿勢に満ち満ちています。しかるに、日本の石破総理においてはどうでしょうか? 彼が打ち出しているのは「楽しい日本」です。幼稚園児でも言いそうな寝言に近いスローガンです。これだけをとってみても、彼が一国のリーダーたる資格に欠如している、と思われても仕方がないでしょう。さりとて、自民党内を見回して、国の先頭に立って旗振りが出来る人物がいるでしょうか?余りにもプアーです。これはという人物が見当たらないのです。僅かに、私は河野太郎こそ、と思っていたのですが、岸田政権の策略でデジタル担当を振り向けられ、国民の人気を一気に失ってしまっています。野党にいないわけではありません。国民民主党を起した玉木雄一郎です。東大法学部からオックスフォードへ留学し、財務省に籍を置いたという、願ったり叶ったりの経歴を持ちながら、女性問題でミソを付けた今は謹慎中です。もう一人、立憲民主が政権を担当した時代に、建設大臣を務めた、京大法学部出で松下政経塾の卒業生前原誠司がいるのですが、今は野党内で埋もれています。しかし、政治家に対する私の認識がプアーゆえ、日本国を更に住みよい国にしていくことに命をかける政治家が、必ず現われて来ることを私は信じ、心待ちにしているのです。
2025年2月11日 紀元節 今日は休日です。一昔前までは、盛大な式典が行われた休日、天皇誕生をお祝いする日です。しかし、ほとんどの若者たちは、休日の意味が分らず、この日を享受していることでしょうが、今は、建国記念日と名前が替っているそうです。「♫今日の良き日は大儀見の生まれたまいし良き日なり♫」国民学校一年生頃に覚えた、この日を讃える歌が今もって口をついて出てきます。各学校の校庭には、「奉安殿」という小さな建物がありました。生徒たちが整列している校庭で、白手袋をした校長が、恭しくその扉を開けて、巻物を取り出し、震える声で読み上げていたのを、今でも思い出すことが出来ています。
思えば、太平洋戦争の悲惨さを知る、最後の生き証人になってしまっています。昭和20年3月25日、「敵、B29大編隊が房総半島より本土に近接しつつあり、空襲警報発令!空襲警報発令!」灯火管制の元、震えながら、このラジオが叫ぶのを聞いた思い出が今でも鮮明です。
もう一つ覚えてる歌があります。「雲に聳ゆる高千穂の、あかね下ろしに草も木も、なびき伏しけん大儀見を祝う今日こそ目出たけれ、、、、、、、」平和っていいものだなあ、とつくづく感じ入っています。
2025年2月10日 ニッサン自動車 経営不如意に落ち込んでいたらしい「日産自動車」が今や勢いに乗る「ホンダ」に対等合併を申し込んでいた件は、どうやら、不発となったようです。ホンダ側はニッサンの経営不振を見越して、吸収合併を主張したことが、ご破算になった原因のようでした。一昔前、日産の車は売れに売れていました。私が最初に購入したのもニッサンの車、「ニッサン・ローレル」です。全身黒と黄色の車体、水冷式ながらワンドアのスポーツタイプす。小学生だった子供たちが喜ぶまいことか、帰宅するのを待ちかねて、外出をねだりました。
ニッサンの歴史は古く、1911年に始まります。100年以上前です。英国の「オースチン」との合併を果たし、1933年にはプリンス自動車を吸収合併し、現在に至っていますが、つまずきの元は、当時、非常に強かった労働組合幹部を経営に参画させてことにありました。結果、社員の給与は水準を超えましたが、日ごとに変化する「技術革新」に遅れをとるようになり、フランスのルノーに協力を頼んだ結果、そこから派遣された、悪名高い「ゴーン」が社長に就任し、経営は更に悪化していきます。挙げ句の果て、ゴーンはコントラバスのケースに身を隠し密出国を果たします。本人はいま、レバノンで優雅な生活を送っているとか。結果、人々はニッサンの車を敬遠するようになりました。売れに売れはじめたのが、ホンダの車です。私の愛車も30年前から乗っている「ホンダ・フィット」です。
ニッサンのつまずきの元は、労働組合の幹部を経営に参画させたことに始まるのではないでしょうか? 結果、社員の給与や、退職金、年金が厚くなり、技術革新がおろそかになっしまったことにあるのではないでしょうか?その証拠に、私の友人に二人の元日産社員がいるのですが、二人が貰っている年金の額は法外です、悠々自適の生活を謳歌しています。経営とはむずかしいもののようです。(写真は初代ローレルです。色は黄色で屋根は黒でした)
2025年2月9日 日米会談 石破総理がトランプとの会談を終えて帰って来ました。何故か、アメリカ側は日本の「成り立ての総理」を暖かく迎え入れてくれていました。重要なパートナーであることを知らしめる訳もあったのでしょう。勿論、石破は英語は話せませんから、通訳付きであったのでしょうが、懸案のUSスチール買収の件も、「投資」と捉えることにより、OKへの兆しが見えてきました。会食もあったようですが、食事のマナーがなっていない石破ゆえ、粗相がなかったことを願いたい思いです。トランプと良好な関係を作り上げたのは、何と言っても安倍晋三でした。共通のゴルフの趣味を生かして、トランプの胸中に飛び込み、親密な関係を築くことに成功していました。その点、次の岸田はダメでした。あだ名の通りの「冷凍透明人間」であったため、可もなく不可でありました。
ところで、今になって「モリトモ」問題が再燃しています。赤木さんが自殺に追い込まれた正当性が確認されたのです。と言うことは、安倍晋三の奥さんの不正行為が立証されたことになります。赤木さんの奥さんの訴えの信憑性が勝訴したのです。とは言っても、今となっては世間は無反応に近い状態です。この先、安倍晋三の奥さんの収監はあるのでしょうか?
025年2月8日 お米の値段 米にはいろいろな種類があります。同じお米であっても微妙に味が違います。旅ガラスの身であったので、全国のお米の味に廻り遭って来ました。北海道の「七つ星」、「ゆめぴりか」、宮城の「ひと目ぼれ」、長野の「ミルキーウエイ」秋田の「アキタコマチ」、新潟の「コシヒカリ」、、、中でも、最も私が好きなのは山形産の「つや姫」です。近くのマツモトキヨシで、五キロ2050円でお願いしてきました。このつや姫が、今度、買いに行ったら、何と五キロで4580円!倍以上になっているのでした。原因を探ってみると、1)肥料や農機具の値段の高騰、2)昨年の夏に起きた令和の米騒動のあおり、3)米を確保しようとする問屋同士の奪い合い、、、、、どれもこれも、さしたる原因になっていません。
報道によれば、米の値段の高騰に鑑み、国は保有する備蓄米を放出することに踏み切ったようです。鳴り物入りで喧伝されましたが、その効果は一向に現われていません。
タイ・チェンマイにステイしていた時は、いわゆる外米のまずさに辟易していました。どんな日本米でも高値で売られていました。故にタイ人たちは、まずい米を揚げたり、炒めたり、煮込んだり、工夫していました。これまでに中国、台湾、韓国、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、シンガポール、マレーシア、ラオス、タイへ足を踏み入れてきましたが、総じて、お米の旨さでは日本に敵う国はなかった、と言えるように思います。
ならば、一番美味しいお米はどこにあるのか?それは意外にも沖縄産のお米です。名はは忘れましたが、私の未熟な経験では、沖縄産のある銘柄のお米が美味の極値をいくように思います。
2025年2月7日 ガザの復旧(2) 壊滅に近い被害を受けたガザの復興についてのトランプの提案は、世界の国々から非難の嵐を受けています。私自身も反対です。私の提案は、「ガザの復旧はパレスチナ国民に全面的に任せるべきだ」と言う考えです。これをチャンスと捉え、パレスチナ人は狭いながらも、ヨルダン川西居留地と供に、小さくてもいいから「パレスチナ国家の樹立」に舵をきる、その目的のために世界はパレスチナに対して資金援助を惜しまない。そのために設立された国連内の組織「アンルワ」がテロ組織ハマスにいいように利用されてしまった「前車の轍」を二度と繰り返さない世界の国々が協力する組織を新たに作る、、、、というものです。と言うことの狙いは、パレスチナ人の奮起をこの際、期待したいのです。裏を返せば、今回の事件をパレスチナ人は、自国の国家誕生へのまたとない機会にするチャンスではないか!と捉えるからです。
「パレスチナのことはパレスチナ人に任せる。そのために世界の国々は協力を惜しまない」となって欲しいのです。過去、パレスチナの独立チャンスは何度もありました。アラファト議長の頃、オスロ合意が出来ました。おまけに、立役者であったアラファトは殺されました。今度は、世界の国々が資金援助を惜しまず、小国とはいえどもパレスチナ国家の樹立のために協力するのです。そこで問題になるのは、生き残っているパレスチナ人にその意欲があるか、と言う問題です。最後のチャンスと言うべき今回の事件を捉え、パレスチナ人が独立への意欲をみなぎらせることができるか、どうかということです。国連内の出来た、パレスチナ支援の組織「アンルワ」をテロ組織「ハマス」や「ヒズボラ」に乗っ取られ、自分たちへの援助金がテロ集団奪われ、武器弾薬になってしまったことへの深い反省を、パレスチナ人が二度と繰り返さないことを国際的に約束出来るかどうか?そこに問題があるものの、今度の悲劇をパレスチナ人が乗り越え、でなければパレスチナは終わりだ、という覚悟がパレスチナ人にあるのかどうなのか? 世界はそこを見つめたいと思います。
2025年2月6日 ガザの復旧(1) イスラエルへ行ったのは、かれこれ4年ほど前になりますが、そのときは今話題の「ガザ」へは入れず、廻らされた城壁を見るだけでした。そのガザの地下には病院を含めて縦横無尽のトンエルが掘られていて、ハマスの軍事基地になていたことから、イスラエルの攻撃を受け、今は、無残な姿になっています。その復興はどんなカタチで行われるのか、世界的注目を浴びていますが、今月20日に就任したばかりのトランプ大統領から「ガザの復興はアメリカがやる、任せなさい」という発言が飛びだし、世界的な話題になっています。イスラエルの容赦ない攻撃により、ガザは瓦礫の山になっています。元より、パレスチナ人にはその力はありません。さりとて、アラブ連合が乗り出そうものなら、イスラエルが猛反対するでしょう。一方、アメリカの狙いも見え見えです。イランを総元締めとするアラブ連合の動きに対し、ガザを手中にして一糸報いたいのでしょう。この度のトランプ発言は、いま、世界的な話題を呼び、賛否両論の意見が飛び交っています。アラブ世界の総元締めは、言わずと知れたイランです。アメリカに敵対する国もイランです。当然、イランは猛反対の狼煙を上げるでしょう。だからといって、ガザの復旧をイランに負わせるわけにはいきません。イスラエルが猛反対するでしょう。さりとて、イスラエルに任せるのは、中東のアラブ諸国が大反対するでしょう。国連に任せるのが最善の策と思われるのですが、国連の組織アンルワはハマスに汚染されたままです。
戦争というものは、後のことは考えずに、勢いだけで勃発するのを常としています。どういう結論が導かれるのでしょうか?歴史的ミモノでありましょう。
2025年2月5日 記録的降雪 地球の季節を司る神様は、今年はどうかしているのではないでしょうか?日本海側は豪雪に見舞われているのに、太平洋側はいつにもまして上天気の連続!例年もそうですが、今年のそれは余りにも甚だしい。石川、新潟、富山、山形、秋田、青森の海沿いは1メートルを超える積雪。九州福岡でも50センチを超えています。それに反して太平洋側は、雲一つない晴天続き、、、、同じ日本列島なのに、この差は、余りに不公平ではありませんか!
加えて積雪があれば除雪しなければなりません。日常生活に差し障りが出るからです。公道や一般道の除雪のほとんどは公費で賄われます。費用が嵩み、青森県などは、早くも悲鳴を上げています。屋根に積もった雪下ろしは、公費に頼む訳にはいきません。屋根に上って一仕事するのは、毎年のこととはいえ、今年はその回数がうなぎ登りに増えているとか。誠に、誠にお気の毒です。
それを横目に見て、同情らしき素振りをしているのが太平洋側の人達です。連日、寒くはあっても晴天続きです。雪の気配は、時に、テレビで流れても、今のところその気配は全くありません。不公平を目の当たりにしている日本海側と太平洋側!やがて大きな不幸が太平洋側を襲うかも知れません。大地震・大津波とか富士山の大噴火とか!
2025年2月4日 UNRWA(アンルワ) 国連の中にUNRWAという組織があります。国連の組織としての「国連パレスチナ難民事業機関」の略称です。パレスチナ難民のための保険・教育・社会サービス保護を目的とする正式機関です。国連の機関であるため、各国は国連が割り当てる金額を毎年上納しています。莫大な金額になっているようです。これに目を付けたのが、中東の反イスラエル勢力です。イランを主とする勢力がこの資金の密かな乗っ取りが繰り広げました。それが、ハマスであり、ヒズボラというテロ組織でありました。難民支援を隠れ蓑にし、イスラエルのガザでは、病院の地下に武器貯蔵庫が出来、トンネルが掘られ、イスラエルに対する臨戦態勢を整えました。そして、1昨年の10月7日のテロ活動となり、イスラエルの民2700人を殺し、1400人を人質としました。イスラエルは報復に出ました。彼らのアジトである病院を爆破しました。無数に掘られた地下トンネルに攻撃を仕掛けました。当然、パレスチナ人の死者が出ました。病院を攻撃するとは何事か、とイスラエル非難の空気が世界中に巻き起こりました。世界の世論はイスラエルの残虐性の非難をし始めました。パレスチナ難民のために世界各国が資金援助しているのアンルワの莫大な金が、難民に使われず、ハマスやヒズボラに渡っていることを知らない振りををして、、、、。
その原因は、国連の組織であるアンルワの職員のほとんどが、いつの間にかテロ組織を支援する、言ってみれば、イスラエル憎しとする人間に置き換わっていたからです。世界から寄せられるパレスチナ難民のための基金が、テロ組織に渡っていることを是認する職員ばかりになっていることを是認する集団になっていたからです。
この恐るべき絡繰りを公然と報道する機関は世界的に見てほとんどありません。何故なら、その立証が困難だからです。日本においての報道も同様です。だが、タダ一人、ユーチューブでその恐るべき真相を述べている牧師がいます。高原剛一郎さんです。私は思います。日本にもイスラム学者は東大を始めとして大勢います。新聞もそうです。何故、アンルワの隠れた一面について言及しないのでしょうか?つまり、証拠がつかめないことに起因するのでしょうか?だとすれば、それを掴む努力を日本のマスコミにして貰いたいものです。ン
2025年2月3日 生成AI「デープスピーク」 あらゆる分野で「生成AI 」が使われだして久しいが、その端的な例はNHKの囲碁の番組においてです。囲碁は交互に打ち進めるのですが、相手が打った瞬間、次に打つべき最善手が盤面に緑の点で示されます。局面を分析し、勝ちにいたる最善手を対局者に分らない様に、視聴者の我々にだけ教えてくれるのです。東西古今の棋譜の中から最善手を瞬時に見つけ出し、盤面で示して教えてくれるのです。過去、打たれた囲碁対局は数千万局を数えるでしょう。生成AIはそれらすべての中から勝利に至る最善手選び、盤上に青い点を記して教えようとしてくれるのです。囲碁は韓国・中国・日本以外では普及していませんが、三国の間で打たれた対局は、恐らく、数千億回に上るでしょう。生成AIはその中から最善手を瞬時に選び出して画面に表示してくれるのです。いま、日本における最強棋士は、かの河北新報社の創業者一力次郎の曾孫一力遼です。彼は中国の最高棋士と勝負し、ほとんど、AIが示すところに石を置き勝ちました。
驚くべきは、ごく最近、生成AIを超えるシステムが中国で生まれて、今、話題になっています。それを作り上げたのは中国の若者、140人ばかりの若者だけの会社が創業されているそうです。生成AIを超えるシステム、それは「デープスピーク」と呼ばれ始めました。この新しい機能の詳細は次第に明らかになっていくでしょうが、当然のことながら中国の軍備の一環を担うことになるでしょう。詳細はまだ全く分りませんが、アメリカの軍事産業が慌てだしていることだけは確かなようです。
2025年2月2日 雪・雪・雪 予報では、「今日は東京でも雪が降る!」とあるのに、雨模様ではあっても一向に雪に替わる気配がありません。「雪が降る」ことを楽しみにしている、などとは雪に悩ませられている地方の方々には申し訳ない次第ですが、雪国・長野で育った男なので、お許し願いたいところです。現役で福島5年、新潟2年を担当したので雪に苦しんだことは度々ありました。その際たるものは福島担当の時です。ある年の1月中旬、会津若松のホテルで会津の全従業員を集めての新年会がありました。前日に会津若松入りをしておけばよかったのに、所用が重なって当日の入りとなってしまいました。郡山までは順調でしたが、その先、郡山ー若松間の磐越西線が、何と、雪のため普通となったのです。慌てました。郡山から若松に向かってタクシーで向かいました。磐梯熱海までは順調でした。峠を無事に走って、猪苗代湖畔に辿り着いた途端、そこは大吹雪となっていて、国道は雪に埋まっているのです。雪国では、国道脇に赤い標識が立っているのですが、それすら見えません。全くの視界不良で運転手も途方にくれています。会津若松市内での会合の時間は迫っています。どのくらい経ったでしょうか。そこへ運良く除雪車が通りかかりました。運転手は、降りていって訳を話しました。除雪車は快諾してくれました。除雪車に先導され、やっと、若松市内に辿り着きました。不思議だったのは、若松市内にはそれほどの降雪がなかったことです、会合は終わり頃でした。短いながら日頃の御労苦をねぎらう挨拶ができ、お一人お一人に記念品とお酒の二合壜をお渡しすることが出来ました。その後は、若松の所長さんたちと「料亭・梅屋敷」での宴会です。でも、明日のことが思いやられて、所長さんたちはそそくさと帰っていきました。懐かしい思い出です。
2025年2月1日 内戦激化、泥沼のミヤンマー ミヤンマーは昔はビルマといいました。先の大戦で日本軍が大敗し、ビルマに残った日本兵の捕虜の顛末を書いた、竹山道雄の「ビルマの竪琴」は余りにも有名です。そのミヤンマーが、いま、荒れに荒れています。民主化を推進し、国民から絶大な支持を集めていた、アウンサンスーチーさんは今もって幽閉され、国軍が国の実権を握っているのです。その国軍の最高指揮官はミン・アウンフラインという小柄な男。その国軍の後ろにいるのは? 言わずと知れた中国です。思惑があるからです。中国はミヤンマーを掌握し、中東から仕入れる石油をミヤンマーで陸揚げし、パイプラインを作って中国国内に運び入れたいのです。つまり、ミャンマーの混乱は中国がその原因を作っているのです。そうはさせない、軍政はまっぴらだ、民主化を取り戻したいという大きな動きが、いま、ミヤンマー奥地の民族間で大きなうねりとなっています。ミヤンマーの若者たちは「このままでは国の将来はない」と立ち上がり、進んで少数民族に加担し、国軍と戦い始めたのです。そうなって、既に5年が経過しましたが、その混乱は、収まるどころか、更に激しくなって来ているようです。今日の朝日新聞はその大混乱のさまを一面トップで伝えています。
6、7年前にタイのチェンマイからミヤンマーの首都ヤンゴンへ行き、一週間ほど滞在しました。プロペラ機で一時間で着きました。至る所に仏教寺院がありました。大きな涅槃仏の前で大勢の人々が仏像を見上げて瞑想にふけっていました。国民は争いを好まない善良な人だらけなのでした。そのときは既にスーチーさんは自宅に幽閉されていました。家は白壁に覆われ、無数の花が塀際に咲き乱れていました。アウンサン・マーケットで、大枚500円を投じ、タイ人が付けていると同じロンジンを買い、それをホテルの従業員によって腰に巻き付けてもらい、夜の街に繰り出した思い出があります。余りの心地よさに、我を忘れて歩き回りました。
いま、ミャンマーの若者たちは、国軍支配では国の将来はない、として、進んで少数民族に加わり、国軍を相手に武器を持って戦い始めているそうです。その若者たちに栄光あれ、と祈らずにはおられません。
2025年1月31日 「遙かな尾瀬」と「大河内山荘」 米寿になってしまった私にとって、恐らく無理でしょうが、どうしても行きたいところが二カ所あります。その第一は尾瀬沼です。至仏岳、燧山に囲まれた尾瀬ヶ原です。水芭蕉の咲き乱れる汀を歩きたいのです。「♫夏が来れば思い出す・・・遙かな尾瀬・・・野の旅よ♫・・水芭蕉の花が匂っている・・・♫夢見て咲いている・・・♫」 関越高速道路を沼田で降りて、白鳥峠までは何とか行けるでしょうが、そこから先は下りとはいえ徒歩です。若いときは東電小屋に泊り、水芭蕉の咲き乱れる桟道を突き抜け、福島側の檜枝岐へ降り、若松を経由して帰って来たものでした。至仏山の山頂を極めた時もありました。今はただ、髙木東六作曲の「遙かな尾瀬を」ピアノ弾きながら小声で唱うのみとなりました。
もう一つは、京都嵐山の大河内山荘です。山陰本線を嵯峨野で降り、歩いて天竜寺に至り、お庭を拝顔して裏門からダラダラ坂を登り始めます。道の両脇は名物の竹林です。上り詰めたところに山荘は位置します。既に25回は通い詰めたででしょうか。山荘といっても茶室と母屋があるだけであとは邸内を歩き回るだけです。ただ、山荘の展望台からの桂川の佇まいが素晴らしい。絶景そのものです。その景色を堪能すると、隣の祇王寺を皮切りに清涼寺に向かって嵯峨野歩きです。最近は寂庵が加わりました。
しかし、今は嵯峨野は外人客でごった返しているそうではありませんか!竹林のだらだら坂は押すな押すなの大行列だそうではありませか!その中に加わる勇気は到底沸いてきません。大好きだった京都は、「遠きにありて思うもの」になってしまっているのです。(いま、世界の国々が世論調査で、<世界で一番行ってみたい国はどこか?と尋ねると、ほとんどの国は、<それは日本・京都>となるようです。京都に25回以上も足を運んだ小生にとって、嬉しくはあっても、誠に困った現象そのものです)
2025年1月30日 團伊久磨さんのこと(2) 彼が残したエッセイ「パイプのけむり」の中に今でも忘れられない一編があります。それは「虱(シラミ)」という題名でした。戦争中、彼は招集を受け、戸山が原の陸軍軍楽隊に所属します。そこには同じ音楽家仲間の芥川也寸志もいました。出番はそういつもあるモノではありません。二人して無聊を託っていると、机の上を這っているシラミを見つけます。そこはそれ音楽家同士、音階名で唱いだします。「♫ソソラソラシラミ♫」すかさず返します「♫ドラドラシラミ♫」、そして二人でハモります。「ミレドミレドシラミ♫ シ、ラ、ミ♫!」
今の世の中、シラミを見かけることはほとんどありません。でも、戦争中は誰でもシラミと共存していました。一番ひどかったのは集団学童疎開のトキです。新しい下着で、ヤナギコオリ一つを持って福島県の浜道り富岡駅前の「大東旅館」に押し込められました。一夜にして体中がシラミだらけになりました。見つけて爪で潰すと「プチュン」と音がします。寝ていると彼らがもぞもぞと動き回ります。再び起きて、潰しにかかります。新井薬師の家を焼かれ、母親と一緒に長野市の母親の実家に移った頃もシラミは共存していました。今はどうでしょう? お目に掛かることは全くありません。それだけでも、平和の有難さが身に沁みます。
2025年1月29日 團伊久磨さんのこと(1) たまたま、ユーチューブで「日本の歌曲」を開いていたら、團伊久磨の有名な曲「花の街」に廻り合いました。懐かしさのあまり、聞き惚れてしまいました。彼は、今は廃刊になっている「アサヒグラフ」に同誌が休刊になるまでエッセイ「パイプのけむり」を掲載し、それが元で、私もこの拙いエッセイを連日書き続ける原動力になっているのでした。最初の出逢いは、朝日の社屋が有楽町にあったころ、流行のアタッシュケースをイキに持った彼が、正面受付で出版局ヘの案内を請うているところへ遭遇しました。旧社屋では出版局は五階にありました。それを期にアサヒグラフの巻末に彼のエッセイ「パイプのけむり」が始まります。アサヒグラフの休刊は今も続いていますが、「パイプのけむり」全27巻、私の書庫に収まっています。私淑する余り、彼の家を見に行ったこともありました。逗子駅からバスに乗り「子産み石」という停留場で降ります。100段近くの石段を登った先に、彼の瀟洒な円形の家がありました。日当たりのよい庭というか崖には、植物好きの彼ならではのあらゆる種類のものが、ところ狭しと植わっていました。宣伝部長のとき、朝日100年の記念式典が都内の去るホールで行われ、名前は失念しましたが、彼を指揮者とするオーケストラに出演をお願いしたこともありました。
当時は日本と中国との間は今のように「ギスギス」した関係ではなく、飯田橋には「日中友好協会」が設立されていおり、團さんは盛んに中国へ行ってオーケストラなるものを教えていました。挙げ句の果て、中国のホテルで客死します。お孫さんと「お土産何がいい?」と電話した直後でした。隣の部屋は去る歌舞伎俳優でした。葬儀は文京区の護国寺で行われました。総理大臣も見えていました。二人の息子さんがお礼の挨拶をしましたが、それが、長くて長くて、、、、
2025年1月28日 今後のフジテレビ 昨日のフジテレビの記者会見は午後四時から始まって、深夜の二時まで続いたそうです。産経新聞の立役者日枝相談役の出席がなかったことにおいても紛糾したそうでした。思えば、販売の面でも朝日と関わりがありました。旧い話しですが、朝日の部数が急成長する余り外勤社員の数が足りなくなり、産経新聞から四人のベテラン販売担当社員を移籍(つまり引き抜き)したことがあったのでした。高橋湛(しずか)、舘沢三男(ほか)、、、この高橋は、かの有名は九州大学教授高橋義孝の息子でありました。この高橋は私が千葉・埼玉を所管する第三部長のとき次長を務めてくれました。有能な男ゆえ、後に東京本社の販売局長まで務めますが、惜しくも早世しました。この件があってからのち、産経新聞は朝日・読売・毎日の販売競争の中で次第に力を失って行きます。いまや、産経新聞販売店の看板を見ることはほとんどなくなっています。危惧されるのはフジテレビの今後です。恐らく、新聞と同じ運命をたどるのではないか、、、、と。その原因はフジテレビ内における公然たる「風紀の紊乱」にあったと言えるのではないでしょうか?(写真は日枝相談役)
2025年1月27日 サンケイ(産径)の凋落 銀座四丁目を直進し、かちどき橋を渡ると右側に巨大なビルが見えて来ます。電波法によって割り当てられた産経新聞が主体のフジテレビの異様を誇る巨大ビルです。大勢の人が四時から始まる記者会見に臨むため並んで待っています。詳細はよく分りませんが、同社におけるタレント・女子社員を含む大がかりなセックス・スキャンダルに付いての説明が行われるとのこと。既に数多のスポンサーはフジテレビへの広告出稿を取りやめているため、同社にとって、のるかそるかの記者会見になること必定です。
遙か昔、電波法が改正となり、国営のNHK以外にも電波が解放され、県庁所在地には、朝日、読売、毎日、産径、日経を主体とするテレビ会社が雨後の竹の子のように出来ました。今もって存続しているのは朝日と読売だけですが、産径グループは衰退に衰退を重ね、新聞の販売網はすでに消失し、文化放送だけが「フジテレビ」として、最後の砦となっているところ、のるかそるかの事件が起き、同社のお偉方による説明会がこれから行われようとしているのです。世間は現金なもので、同テレビへの広告出稿を取りやめ、事態を見守っています。
2025年1月26日 日本列島改造論 たまたま、小金井ゴルフ場で田中角栄と小佐野賢治の組の次の次の組で回ることになった我々は、角栄さんのゴルフをつぶさに拝見する栄に浴したのですが、衆人が見守る中、角栄さんの第一打はチョロでした。すかさず、お付きの者が、ボールを拾いセットし直します。次打球は美事にフェアウエイでした。拍手が起きました。角栄さんは帽子をとって一礼しました。毀誉褒貶の多い角栄さんでしたが、何と言っても彼の功績の第一は「日本列島改造論」ではなかったでしょうか? 上越線は電化され特急「トキ」が走り始めました。続いて東京ー新大阪間の新幹線。今や、日本列島は新幹線で端から端まで結ばれるようになりました。田中角栄という政治家なかりせば、こうはならなかったのではないでしょうか。
政治家の役目は、国の未来を予測し、国民に希望を与え、国の予算を確保し、国民の幸福の実現に努力することにあります。トランプはそれを美事に実行しようとしています。日本の新総理石破茂においてはどうでしよう。彼の施政方針演説が、数日前にが新聞発表されましたが、全くの月並みで国民を奮起させる何ものもありませんでした。ただ、長々と曰っているに過ぎませんでした。トランプの演説があれだけアメリカ国民に訴えかけ、国民を熱狂させているのに比べて、雲泥の差があろうというものでした。早期退陣を求めざるをえないのではないでしょうか。
2025年1月25日 マナー ある日のこと、お腹を空かせた大谷翔平は、ロスアンゼルスの去る高級レストランへ、ぶらりと一人で入りました。服装はポロシャツ姿でした。それを見たウエイトレスは彼を、人目に付かない薄暗い席に案内しました。そして、チップは料金の20パーセントですよ、と申し渡しました。そのウエイトレスは、当然ながら、彼が有名人であることを知りません。従って、彼に対しての扱いは邪険そのものでした。しばらくして、その店の主任が、彼が、かの有名な大谷翔平であることに気づきます。途端に店の扱い方が変わりました。席替えとなりました。珍味が運ばれました。その店のオーナーが挨拶にやってきました。
こういう経験は私にもあります。かの有名な小金井のゴルフクラブや埼玉の霞ヶ浦クラブでのことです。背広を着用するか、襟の付いたシャツでなければレストランに入ってはマナー違反になるのでした。入れないのです。その両方が無かった場合は途方に暮れました。ナフキン二枚でエリのようなものを作り、難を免れたこともありました。小金井の場合は洗面所へ入っても水しずくを拭い取って、あとからの人のために綺麗にしておかねばなりませんでした。
宣伝部在籍の頃、車内吊広告を一手に扱っていた業者の菊池さんが小金井ゴルフクラブの会員でした。月に一度はお声が掛かってきていました。その度に私を含め社員三人は6万円の商品券を彼に渡して来ました。月に一度、三年間は続いた、と思います。お陰で、小金井ゴルフ場のコースの佇まいと、その風景を今でも鮮明に思い出すことが出来ています。そういえば、田中角栄と小佐野賢治がプレーするその後の組で回ったこともありました。懐かしい思い出です。
2025年1月24日 50万ドル 50万ドルーーーこれはロスアンゼルス市の大火災に対して、大谷翔平が申し出た第一回目の寄付金の額です。つられて、全米のスポーツ人、一般企業からの寄付金の申し出が、嵐のようにが起こりつつあるようです。大谷効果、と言っていいでしょう。今や世界的と言って良いほどの人気を得ている大谷という男は、金銭には余りに無頓着であるように思えます。岩手のご両親のお陰で、そういう育ち方をしているのでしょうが、余りにも特異です。加えて、生活も質素そのもののようです。妊娠半年の真美子夫人も、大谷に輪をかけたようなお金には頓着しない人柄です。二人からの生まれてくるベビイは、もしかすると、野球のボールか、バスケットのボールを握りながお腹から出てきたりして、、、、、
2025年1月23日 イチローの快挙 アメリカの野球殿堂は、21日、2025年の殿堂入りの表彰者を発表しました。何と、大リーグのマリナーズなどで活躍したイチロー(51歳)がアジア人として始めて選ばれました。彼は日米通算3089本の安打を記録しています。彼は既に日本の野球殿堂入りをしていて、これで日米双方の野球殿堂入りを果たしたことになります。誠に、誠にお目出度うございます。今は、ドジャースに入団した大谷翔平が耳目を一身に集めていますが、彼が現われる前はイチローでありました。野球音痴の私でさえ、日本の勝ちを決めたセンター前ヒットが、鮮やかに脳裏に焼き付いています。彼の偉業の詳細は以下の通りです。2019年に引退するまでの成績は、2653試合に出場、打率3割1分1厘、本塁打117本、打点780,盗塁509、、、、。
いま、彼の姿はコマーシャルで見ることが出来ます。何と薬屋さんのコマーシャルです。お金に困っているのでしょうか?
2025年1月22日 期待が持てる政治 就任初日にして、政策の大転換を国民に発表したトランプのやり方は、実に派手そのものです。しかし、国民の側からすれば、「ことによった、私の生活は、今より良くなるかも知れない」と感じているはずです。だから、アメリカ国民は、熱狂して彼を歓迎しているのです。来月からアメリカは関税を25%引き上げます。それによって、私もその恩恵を受け取れるかも知れない、と「皮算用」が出来るからトランプに期待をかけているのです。政治への関心が深まって行けるのです。翻って、日本の総理大臣にそういう芸当が出来た試しがあったでしょうか?石破茂の施政方針演説に国民を熱狂させる「何か」があったでしょうか?ここに、アメリカと日本の政治体制の違いが如実に表れている、と思われてなりません。誰がなっても50歩、100歩の自民党政治!
とは言っても、少なくとも韓国よりはマシです。よくよく調べて見ると、前代未聞の混乱は、結局、権力闘争であることがハッキリして来ています。次期大統領を狙う文在寅に似た名前の策士がいろいろ仕掛けているのです。アメリカの熱狂とは全く違う異次元の混乱ぶり。恐らく、トランプ政権は韓国を見捨てるのではないでしょうか?バイデンが維持してきた米・日・韓の秩序は、トランプは潰しにかかるでしょう。日本もその兆候を事前に捉えて、韓国と接しなければなりません。自民政治にそれが出来るかどうか?ましてや、石破茂においておや。
2025年1月21日 余りにも極端 トランプ政権が始動しました。その就任式は、余りにもお祭り騒ぎでありました。呆れるほどの熱狂ぶりでした。翻って、日本の石破総理の場合はどうだったでしょう?国民は熱狂とは言わないまでも、お祝いの気持ちを表したでしょうか?とんと、記憶にありません。日本とアメリカのこの差は、一体、何なのでしょうか? それは、両国の選挙制度の違いにあるようなのです。ご承知のようにアメリカは共和党と民主党の二大政党制。日本は、と言うと選挙制度が中選挙区制から、小選挙区制に改正されました。それをやったのは自民党の細田という男です。爾来、自民党の独裁政治が連綿と続くようになったのです。かてて加えて、日本の野党はまとまりがありません。立憲民主、国民民主、維新、共産など勝手気ままな動きをしています。大局を見ていないのです。コップの嵐をしているのです。ここに、日本の政治の後進性があるのではないでしょうか?アメリカのトランプへの期待もさることながら、何ら期待されることもなく、ただ、ただ、居座り始めている日本の石破首相。余りにもトランプと対照的ではありませんか。
2025年1月20日 水を飲んで下さい 二年ほど前まで、何か、というとお世話になってきた東京女子医大病院ですが、ある時、待合室で診察の順番を待っていると、年配の看護婦さんが数十人の患者の間を回りながらつぶやいていました。「皆さん、毎日毎晩、水を飲んで下さい。一日1リットル以上は飲んで下さい」、なるほど、とうなずける面もあったので、爾来、ベット脇にボトルを常備し、夜中のトイレに起きる度に水を飲むようになりました。
幸い、近所の「ウエルシア」には各種の天然水の2リットル入りのボトルが売られています。曰く「富士山の天然水」、サントリーの「南アルプス天然水」、愛用するようになったのは「北アルプス・安曇野の天然水」。分ったことは、天然水といえどもそれぞれ微妙に味が違う、と言うことです。その微妙な味故に、今は専ら安曇野一辺倒になっています。この天然水には微量のマグネシウム、リン、カリウムなどが含まれているようなのです。
6畳の寝室の枕元にはタイ・チェンマイから持って来た大きな「ポトス」の鉢が置かれています。彼らは水だけで緑の葉を生き生きと茂らせています。実に不思議な植物です。彼らにとってもマグネシウムなどの元素は必要ではないでしょうか。
2025年1月18~19日 東京女子医大病院 私が昔からお世話になってきた、新宿若松町の東京女子医大病院で、不祥事が起きました。同医大の校舎の増建設を廻って、創業家の岩本絹子同大元理事長が背任容疑で逮捕されたのです。凡そ1億2000万円の金が不当に業者に渡っていた、という不祥事です。
思えば、私にとって病院と言えばこの東京女子医大でした。どれだけお世話になって来たことか。50代の頃、不整脈の手術を、この病院に付属していた「榊原心臓外科」でやって貰いました。担当して頂いた谷崎先生は、今は、東調布で「循環器クリニック」を開業しておいでです。半年に一度はそこへ行って、お礼かたがた、今も診察して貰っています。
つい最近、と言っても、丁度、ウクライナとロシアが戦火を交えた三年前の2月24日のことです。この病院で私の膀胱に溜まっている結石を除去する手術をやって貰うことになりました。手術の前日、宛がわれた病室に入り、様々な検査を受けました。当日の朝になりました。泌尿器科の主治医が来て、「今日は手術が出来ない」とおっしゃるのです。理由は、麻酔医がコロナに感染して出勤できない。じゃによって、手術は3月に延期になる、今日はお金を払ってお帰り下さい、、、請求書を見ると、何と3万円余り。怒り心頭を発しました。冗談じゃない、病院側の都合で手術が出来なくなったのに、事前検査費用、部屋代をとるとは何事か!結局、お金を払わずに帰って来てしまいました。その後、何度か電話がありましたが、「おかしいではないか」と事情を話してきました。
爾来、東京女子医大へは一度も行っていません。膀胱結石除去の手術は板橋・大和町の泌尿器科専門病院に2日間入院し無事に摘出して貰いました。何か、身体に不都合が起きるとお世話になっていた「東京女子医大病院!」 女性のワンマン経営者が不祥事を起したこの病院!残念で溜まりません。
2025年1月17日 積 雪 現役で東北6県・信越・富山を担当する部長になっていた頃は、冬期間、各地の積雪が心配で堪りませんでした。第一に、その日刷られた新聞が、雪の中、無事にご当地に到着したかどうか? 積雪をものともせずその日の新聞が読者の手に、確実に渡されたかどうか?ちなみに国内積雪の多い地区は次の通りです。
第一位・青森・酸ヶ湯4メートル34センチ。ここは奥入瀬渓谷の温泉地。新聞読者は少人数です。続いて山形の肘折、438センチ。新潟津南225センチ。山形の大井沢、207センチ。新潟・湯沢167センチ。十日町140センチ、青森市130センチ、弘前市126センチ、福島猪苗代102センチ、長野飯山92センチ。続いて山形・米沢83秋田角館82,札幌33、会津若松30,新潟長岡29,函館24、、、 一方、太平洋側の積雪はどうか?福島では会津は大雪なのに浜通りの積雪は全くありませんでした。ことほど左様に、日本列島の冬期間のお天気は極端に別れます。実に、実に不公平です!
2025年1月16日 韓国の異常 今日の朝日の一面は、韓国の伊大統領が拘束されたことを報じています。「現職の大統領が拘束される!」とは、恐らく、韓国の歴史始まって以来の事件ではないでしょうか!これに対して大統領は「流血の事態を防ぐために、不法捜査ではあるが、出頭に応じることにした。」との談話を発表しています。
それにしても、年末から年始に続く韓国の政界の混迷ぶりは、サッパリ分らない。余りにも異常です。素人には「何が何だか良く分らない」恐らく、政治の玄人にも予測が付かない混迷ぶりではないでしょうか? 韓国は、いま、様々な問題を抱えています。イランから輸入している石油の代金二兆ドル以上を今もってイランに払っていません。アメリカ軍の韓国駐留費一兆ドル余り、これも払っていません。ひと頃は隆盛だった「サムスン」始め電子部品製造産業は、既に、台湾にやられっぱなしです。加えて、少子化、就職難、ドル資金不足など、政治の混乱・混迷ぶりは深刻です。加えて、「ドルを貸して欲しい」と日本に頼み込んできても、日本政府は「けんもほろろ」です。
つまり、韓国は四面楚歌でありながら、専ら政治的権力闘争に明け暮れているのです。ある意味で、末期的現象ではないでしょうか!
2025年1月15日 ベットから 改めて新年明けましておめでとうございます。年明け早々、正体不明のインフルエンサーに罹り、全身が倦怠感に襲われ、食欲もなく、咳と痰に苦しみながら伏せっておりました。全国の病院を満室にしているらしい今回の疾患の一つは、マイコ・プラズマ肺炎というのだそうですが、いずれにして何らかのインフルエンサー疾患であるのは間違いないところです。
この10日間余り、ベッドでiPadと新聞を見る限り、いろいろな出来事が去来しました。中でも、20日に就任するトランプの就任前の言辞が話題になっていました。曰く「グリーンランド」をアメリカ領に、、、、「パナマ運河をアメリカに」、「中国産品の大幅関税引き上げ」、「日本製鉄によるアメリカ製鉄会社の買収、、ダメ」、「難民の流入阻止、、」「ロシアーウクライナの停戦」、、、、、、後、五日でトランプの就任です。どんな変化が巻き起こるのでしょうか?
ところで、今日15日は私めの誕生日です。88歳の米寿に漸く辿り着いたことになります。皆様のおかげです。ありがとうございます。でも、目標は母親の生きた93歳です。これからです。
2025年1月4日 ベトナムの地下鉄 今日のブログへこれで行こう、と思った矢先、身体全体が違和感に襲われました。「なにもしたくない倦怠感」です。それに絶え間ない咳、痰の連続、、、、最近、各地で流行し始めている「XXX肺炎」に私も感染したのだな、と思いました。食欲もありません。頭の働きも鈍くなった感じです。加えて、年なのだから無理をするな、との声も聞こえます。
「ひたすら寝て、やり過ごす」ほかない、と思っています。今日は6日。発症して三日目です。ひたすらベットに転がって、APADを友としているところです。そんなわけで、「書き続ける意欲が起きるまで」この拙いブログはお休み、とさせて頂きます。悪しからず。
2025年1月3日 市場は面白い 今日の東京は、日本海側と同じような、どんよりとした曇り空で、おまけに、寒さも厳しい。新潟、秋田、富山、山形の皆さんは、さぞかし、溜飲を下げていることでしょう。一日、二日とお休み、となっていた車で五分のすーぱー「ベルク」へ行きました。夥しい商品がところ狭し、と並んでいました。人影も余りありません。「私を買って!」と言わんばかりに流し目を送ってくる食べ物を見ながら、歩き回るのは、実に楽しい時間です。旅ガラスの身であった私は、どこの県、どこの土地へ行っても、スーパーや市場を覗き回るのが一つの趣味みたいなものでした。春たけなわの秋田市内の市場。どの売り場にも山菜が山と積まれていました。タラの芽、ふきのとう、行者ニンニク、コシアブラ、こごみ、ゼンマイ、ワラビ、、、、秋田での仕事を終えて帰るときは、これらの山菜の他に、いぶりがっこ、比内鶏、きりたんぽが加わりました。
それぞれの地域の特色が溢れる市場を経巡るのは、私にとって趣味以上のものですが、最も感動した市場は金沢市の近江町市場ではないでしょうか。10年ほど前のズワイ蟹の季節、市場前のホテルに陣取って、蟹を堪能したのですが、その際、市場内を縦横斜め、すべてを歩いてみました。途中、屋台のおでん屋で何度か小休止しましたが、聞きしに勝る広さでした。京都の仲店通りも魅力的ですが、あれは一本道です。
2025年1月2日 不公平 今日の東京の空は、大晦日と元日と同じように、雲一つない晴天です。気温も暑くも寒くもなく、まるで春のようです。ところが、天気予報によると日本海側では雪もよいのようで、ところによっては吹雪いています。日本海側と太平洋側の天気の余りの違い、、、、不公平極まれリであります。このお天気格差を身をもって経験したのが、2年余りの新潟県担当の時です。大昔は清水トンネルを蒸気機関車の煙にむせながら新潟県へ入っていましたが、私が担当した頃は電化が進んでいて、特急「とき」が利用できていました。意外だったのは、湯沢から長岡までは雪景色の連続だったのに、三条、東三条、加茂市にはほとんど雪がなく、新潟市に至っては全く無かったことです。その代わり、お天気はいつもどんよりしていて雲が厚く垂れ込めていました。新潟を担当して勉強になったことは、海岸線に位置する街には降雪がほとんどない、山の麓に位置する村落に降雪が多い、という自然の理が存在することでした。上越の高田市などが雪に覆われるのは妙高山や焼岳、黒姫山のお陰かも知れません。ところで上越国境の谷川岳周辺で最も降雪量の多いところ、そこはどこでしょう。湯沢スキー場ではありません。水上を出て、湯桧曽の手前で右折し、湖水に沿って北上します。その終点の藤原町というところです。多いときは5メートルぐらい積もります。青森の酸ヶ湯に劣らない積雪量を誇っています。
2025年1月1日 バンコック空港 タイの首都バンコックの空港は実に広くて大きい。日本からタイ・チェンマイへ行くには、ここの空港で国内線に乗り換えます。その度にパスポートの提示と税関検査を受けねばなりませんでした。チェンマイへ行くときは、その都度、2メートル近いキーボを仕入れ、それを抱えて、羽田空港で預け、チェンマイ空港で受け取ってきました。そのキーボードは畏友・堀田さんが指定する少数民族や山岳民族の学校や教会に貰われて行きました。恐らく、都合10台は超えているでしょう。私の、ささやかな社会奉仕でありました。
一昨日、この懐かしいバンコック空港から飛び立った韓国機が、着陸操作を誤って爆発・炎上し、179名が死亡するという痛ましい事故が報じられました。原因は調査中とのことですが、着陸時に、鳥の群れがエンジンルームに飛び込み、油圧装置が効かなくなったとのことのようです。「鳥の群れによる大量殺人事件」と言えるのではないでしょうか! 思うに、事故を回避する方法は色々あった、と思えるのです。近くの空港へ一時避難する手もあったでしょう。爆竹を鳴らして鳥の群れを退散させる手もあったでしょう。いずれにしてもこの事故は、空港関係者の職務怠慢から生じたもの、と言わざるを得ません。179名の方、お気の毒です。ご冥福を祈ります。
2024年12月31日 ありがとう 今年最後の日となりました。間質性肺炎の持病を持ちながらも、来年の誕生日で88歳の米寿を迎えることができる、、、、、これ以上の喜びはありません。目標は母親の生きた93歳まで生かして貰うことです。今晩は久しぶりに紅白歌合戦を見て、除夜の鐘を聴くことに致しましょう。思い返せば、ある年の年末、全国放送のテレビに出たことが思い返されます。テレビ朝日が、NHKの紅白の向こうを張って同じような歌番組を放送したときです。朝日新聞社賞を授与するため、生番組に出演しました。出演前の控え室ではテレビ朝日賞を授与する女優さんと一緒でした。テレビ画面では、賞状を読み上げる私の全身と「朝日新聞社宣伝部長中沢信男」と大きく出たそうです。翌日、長野の友人から「お前を見たぞ」という電話がありました。
公共放送と言えば、TBSラジオの「子供電話相談室」の回答者を三ヶ月務めたことが思い出されます。この番組が経営不如意になり、朝日本社が400万円助成したところ、回答者も出して、という上層部同士の話になり、宣伝部長の私に白羽の矢が当たり、毎日曜日毎、三ヶ月間、赤坂に通いました。今でも忘れられない子供の質問は「水道の先はどうなっているのですか?」というものでした。司会者は回答を私に指名しました。私は、簡潔に面白く答えてあげました。そのときの司会者の満足げな笑顔は今でも脳裏に浮かびます。公共放送との関係は中学二年の時が始めです。信州大学が主催する作曲コンクールに「ピアノ曲・ロンドFモール」応募したところ、入選し、長野放送局からその曲を自演しました。ピアノ室は残響を防ぐためか、沢山の黒幕が張られていて、別天地での演奏でした。でも、ミスなく弾き終えたようでした。
さて、明日からは新しい年。鈍くなっている指の動きは、更に鈍くなるでしょう。それではならじ。毎日一定時間、ピアノと対峙すること、これを守り抜いていきましょう。
2024年12月30日 金子みすず 金子みすゞの本名は金子テル。1903年山口県長門市仙崎で生まれています。没したのは1930年。何と、26歳の若さでした。墓地は長門市の遍照寺にあります。私が行った時も沢山の花が添えられていました。大正15年、義父の経営する文英堂という本屋に入り、そこの番頭の宮本啓喜と結婚させられ娘一人を設けます。女癖の悪い男のために彼女は娘を残して26歳の若さで死亡しています。
2024年12月29日 身辺整理(3) 身辺整理のつもりで、仕事場兼書斎の整理を始めていたら、懐かしいものが出てきました。「金子みすゞ」の全詩の録音テープです。そうなると整理、掃除どころではありません。九州小倉に転勤して、山口県内が守備範囲に加わった頃、彼女の生家を訪ねたり、ゆかりの記念物に接したりしたことどもが改めて思い出されてなりませんでした。
彼女の詩はどれをとっても平凡そのもののようでありながら、キラリと光るものを持っています。例えばこれ。
「上の雪 さむかろな つめたい月がさしていて
下の雪 重かろな 何百人ものせていて
中の雪 さみしかろな 空も地面(じべた)もみえないで」
彼女は、その生涯をたどってみると、決して幸福であったとはいえないようです。旦那運にも恵まれませんでした。かえって、性病をうつされそれが元で不幸な死に方をしています。「言葉の持つ力」、彼女の詩を反芻しながら改めて感じているところです。
2024年12月28日 身辺整理(2) 日本の鎌倉時代、北条重時(1198~1261)という武将がいました。この武将が100箇条の教訓書を残しています。「極楽寺殿後消息」というものです。第一条には人として振る舞うべき次第。として20代までは学習と鍛錬の時、30から50代は社会的責任を果たす時、とし、「さて、60ともなれば何事をもうち捨てて、ひたすら後生を願って念仏せよ。その年齢となったならば、たとえ子供が死に、子孫が滅びようと、この世に心をとどめることなく、そのことを信仰を深める助けとして、自分はもはやこの世にないものと覚悟すべきである。われはこの世に既になき者と思い切り給うべし。
長寿時代の今日、この60という年齢にこだわることはないとしても、人間、どこかで今まで築いてきた地位や権力をさらりと捨て、全く別の価値観で生きるという転機が必要なのではないでしょうか。このけじめの一つが年賀状かもしれません。
「われ、 もはやこの世になき者と思い切り給うべし」
2024年12月27日 身辺整理(1) 去年去年の今頃は年賀状の作成で大忙しでした。「筆ぐるめ30」のお陰で確か273枚の賀状をパソコンで作り上げ、一枚一枚にコメントを手書きして投函してしていました。ところが、今年は未だ、何も出来ていません。煩わしいからではありません。年賀状の作成は私にとっては楽しい作業でもあるのです。お一人ずつのお顔を思い出しながら一筆したためるのは「えもいわれぬ」時間でもありました。それなのに、何故、今もって手つかずなのか? それは、身辺整理の一つに「賀状作成」を入れたからです。来年の1月、米寿を迎えるにあたって、順次、世間様とのお付き合いをご遠慮申し上げよう、と決めたからです。整理すべきものは多々あります。先ず、蔵書・数百冊。次にCD・DVDの類い。200以上はあるでしょう。先日、福島の教会へ行ったとき、毎年、デズニーランドの券4枚を差し上げているマヒルちゃんに「いらない?」と声をかけたのですが、まだ、返事は来ていません。さて、年賀状。頂いた賀状にはご返事させて頂く積もりです。思えば賀状の最盛期は、朝日学生新聞社時代の2600枚を作り上げていた頃でした。
2024年12月26日 哀れ、北朝鮮兵 ロシアとウクライナの戦争は、来年の2月24日で三年目に入ります。劣勢のロシアは、北朝鮮に武器弾薬の供与を要求した上に、兵士の援軍も頼み込みました。最終的には1万人規模の兵士がかり出されるようです。しかし、NATO諸国から供与されている近代兵器のために、数千人規模の北朝鮮の兵士が殺され、あるいは捕虜として捉えられているようです。哀れなのは北朝鮮の兵士たちです。極寒の地に放り込まれ、戦争の意味も分らず、ただただ、NATO諸国の近代兵器の前になすすべもなく、立ちすくんでいるのです。人権を無視した非人道的な行為そのものです。プーチンと金正恩、神をも怖れぬ悪行です。決して許されない世紀の振る舞いです。聞くところによれば、兵士一人につき数千ルーブルが支払われるようですが、それすら、兵士の家族に渡るのはその何分の一かだそうです。更に唾棄すべきは、北朝鮮が兵士派遣の対価として、ロシアが持っている原子力兵器の機密事項の供与を要求していることです。独裁者の悪行、これに勝るもの、皆無と言えるでしょう。
2024年12月25日 雪 雪 雪 長野の善光寺は小高い丘の頂上に位置していますが、その裏山が小さい頃の我々の格好のスキー場でした。滑る道具は竹スキー。ソリもありましたが、小学生の我々は「ドケー」と叫びながら何度も、何度も滑り降りていました。高校生になって、「どんどん講」の一員になってからは、スキーを担いでの「山スキー」。スキーにアザラシの皮で出来たシールを貼り付け、横手山、笠岳、乗鞍岳、果てはアイゼン持参での北アルプス・唐松岳、乗鞍岳、五竜岳、南アルプスの大天井岳、、、、。
最後のスキーは、宮沢君の清里の別荘上の「メドーサスキー場」そこでゲレンデで初心者が背後からぶつかってきて、50メートル流され、首の骨を痛め、雪上救急車のお世話になって病院へ。首にギブスを巻いて帰京。宮沢君は最後まで私の面倒を見てくれました。それがかれこれ10年ほど前の事件。以来、スキーとはご無沙汰の連続です。
雪で困ったのは新潟担当の頃。その年の初め、新潟の越後川口で新聞輸送列車がストップしてしまいました。たまたま、長岡にいたので、大雪をかき分け川口駅へ急行。独力で貨物列車から朝日新聞の梱包を輸送車に積み替え、陸送に切り替えました。大汗をかきました。
一番の思い出は、信濃四谷の八方尾根から唐松岳へ登った時です。冷水小屋に泊って、翌朝、唐松の頂上めがけて登攀を開始したのですが、頂上近くでスキーをデポし、8本爪のアイゼンに履き替え、頂上を制覇したまでは良かったのですが、アイゼンを脱いでスキーで下り始めた途端、誤って、雪の吹きだまりに突っ込み、スキーの片方を折ってしまいました。どんどん講の仲間は翌日の仕事があるので先を急ぎます。「今夜は信濃泊りなさい泊りなさい」と、高校生の私に宿賃を渡して行ってしまいました。片足スキーで、何とか八方尾根までたどり着きました。街明かりが見え始めました。麓から「おーい、おーい」と救助隊の声が聞こえました。
2024年12月24日 銀行の不祥事 銀行の信用がガタ落ちする事件が起きました。何と、銀行の貸金庫から現金が盗まれる事件です。犯人はその銀行の当事者の女性行員でした。その銀行は「東京三菱UFJ銀行練馬支店」なんと、私がこの銀行が合併する前の協和銀行支店として秋葉原駅近くにあった時代からお世話になっていた銀行です。宣伝部長だった時、販売局の子会社「アコス」の社長を命じられ、出向されられた時からお世話になっていた銀行です。数日前もこの練馬支店へ行ってある手続きを済ませてきました。ほとんどが女性行員ばかりで、この中に貸金庫を勝手にした女性犯人がいたと思うと、いまさらながら、ゾッとしているところです。
女房の母親のお陰で360万円で一戸建て住宅に住まわせて貰った頃の練馬は大根畑の連なりでした。その土地の所有者の多くは同族で、「本橋」、「林」、「関口」を名乗り、時代と共に「土地成金」になり、恐らく、銀行の貸金庫には現金や貴金属が唸るほど持ち込まれたに違いありません。それをいいことに、担当の女子行員が、、、、、どのくらいの不正行為があったか、これを立証していくことは至難の業ではないでしょうか?もし、私が貸金庫を使っていた当事者であったなら、法外な金が盗まれた、と言い張るでしょう。困った事件が身近で起きたものです。
2024年12月23日 特急・日立 21日の午後、上野から特急日立に乗りました。最初の停車駅が水戸、そして、勝田、大甕、日立、常陸多賀、福島に入って勿来、そして泉、そこで下車。タクシー5分で「泉・翼の教会」到着。所要時間約1時間半。従来は車でした。首都高速、常磐高速を5時間。車は便利でした。更に常磐高速を走って、懐かしい浜道りの街々、久ノ浜、富岡、夜ノ森、大野、小高、、、、、遙か昔、戦時中、学童集団疎開でご厄介になっていた、富岡駅前の大東旅館、、、しばらく前までは寂れた佇まいの駅だったのに今は見違えるような建物になっていた富岡駅、駅前広場、、、、原発の双葉駅の手前の大野駅。これも建て替えられて瀟洒な佇まい。
福島5年、茨城3年、千葉3年、都内東部2年。上野から始まって福島相馬まで、朝日新聞販売局外勤担当社員であった私の守備範囲でした。強い販売網を作り上げるためにどれだけ苦労したか!沿線の発展に呼応してどれだけ朝日読者を増やすことが出来たか!
自家用車だと前を見ているだけですが、特急では、絶えず外の景色眺めながら、昔のことどもを思い出しては懐かしむことが出来るのでした。上野から常磐・泉までの一昨日、そして昨日。それぞれの駅毎の思い出に我を忘れて耽溺した常磐線特急日立でした。
2024年12月21・22日 シャーム解放機構 シリアの首都ダマスカスは、「世界最古の都市」と言っていいほどの旧い都です。50年以上にも亘ってシリア市民を恐怖と抑圧で支配してきたアサド政権は、この12月8日、終焉を迎え、アサド一族はロシアに亡命しました。これをしたのがシリアに新たに起きた「「シャーム解放機構」という新組織です。俗に「HTS」と呼ばれていますが、欧米からはテロ組織に指定されています。指導者はアフマド・アッシャラア。勝利した彼らの組織は戦闘服から平服に着替え「三ヶ月以内に、法の支配と宗教、文化の多様性を尊重する民主的政権に移行する」と約束しています。しかし、この新たな政権が、世界を騒がせた「アルカイダ」の支部組織であったことは、否定できません。
ところでこの「シャーム解放戦線」のシャームとは何でしょうか?これはこの地に対するイスラム中世からの呼び名で、第一次世界大戦で四つに分割されたレバノン、ヨルダン、パレスチナ、そしてシリアの「大シリア」の総称です。つまり、今回の政変の目的は、単なるアサドの追放は第一段階であり、大シリアの構築を目指すところにあります。
もしも、もしもです。大シリアが出来上がったらイスラエルとの関係はどうなるでしょう。大シリアとイスラエルの対決!となるのは必定でしょう。長生きして、その結果を見届けたいものです。(22日のクリスマス礼拝のため21日、22日は福島・泉の「翼の教会」へ出かけていました。)
2024年12月20日 ナベツネ死す 読売のナベツネの死が報じられました。98歳だったようです。恐らく、読売の関係者は表面では悼む振りをしながら、内心では「ホット」しているのではないでしょうか? 何度も書いてきましたが、彼が専務の時の読売の社長は、販売出身の務台光雄でした。彼が高齢になっても権力にしがみついているのを、誰よりも激しく糾弾し、非難した人物、それが編集出身のナベツネでした、。当時、新聞界の三巨頭と言われていたのが、読売の務台、毎日の梅島、そして朝日の永井大三だったのです。にも拘わらず、ナベツネは自身がその身になると、98歳まで代表権を持ち続けたのです。余りに身勝手ではありませんか、ナベツネという男は!
思うに、ナベツネの死去に、ホット胸を撫で下ろしているのは、読売に連なるすべての人々ではありますまいか?10人が10人とも「やれよかった」と内心では喜んでいるでしょう。「大谷翔平の事件」でも、ナベツネの一声「たかが、選手ごときが」の発言のため、動こうにも動けなかった読売の関係者は「時至る!」と解決への道に突き進むのではないでしょうか? と言うことは、来年の三月、アメリカの開幕戦が日本で行われ、ドジャースとメッツになるようですが、その際、ドジャースと巨人との対戦も視野に入って来たことを意味します。ナベツネが生きていたら出来なかったカードです。この年末年始、固唾を飲んで事態の推移を見守っていた関係者一同、天の差配に喜びの声を上げているのではないでしょうか。
2024年12月19日 覚醒剤とシリア シリアのアサド政権を倒し、ロシアに亡命させたのは、シリア内に起きた新しい民主主義勢力でしょうか? そうだったら喜ばしいのですが、全然、違います。実情は覚醒剤製造の利権を争うもう一つの勢力です。よくよく調べて見るとシリアは世界でいちにを争う中東の麻薬製造・密売・輸出国のようです。イスラム教ではコーランでアルコールの摂取が禁止されています。20世紀初頭、睡眠不足の兵士達にとっては合成アンフェタミンや、メタンフェタミンは恐怖を和らげる、または睡眠不足を補う魅力的な薬でした。第二次大戦中のドイツ軍内ではペルセチンやベンゼトリンが盛んに使われていました。日本軍内でもそれらしい覚醒剤は密かに使われていたようです。
更に調べて見ると、シリアという国が、中東一の覚醒剤製造国、輸出国であることが分りました。アサド政権はカプタゴンの製造、密輸を支配し、年間数十億ドルを稼いでいました。今回、その利益の大半を持ってロシアに逃げたのです。シリアでのアンフェタミン・ビジネスにおける利益は年間100億ドルにも及ぶそうです。
色々調べてみたところ、今回のシリアでの政変が覚醒剤の製造、販売の利権争いに過ぎないことを知って、幻滅すると供に、中東の、多くのイスラム国の民主化など、遥かに、及ぶところでないことを知り、歴史の重さを、改めて感じている次第です。
2024年12月18日 ウイスキー 毎日の日課というか、掟にしているこの文章を書き上げると、私のささやかな楽しみの時間が訪れます。少量のウイスキーを口に含み、味を楽しむのです。今は専ら、バーボンのジョニーウオーカですが、かってはいろいろな銘柄のモルト・ウイスキーでした。若い頃は広告に釣られてサントリーの、いわゆる「ダルマ」でした。ところがこのウイスキーの嘘がばれます。何と、沖縄のサトウキビの廃糖蜜から作ったアルコールにカルメラで色を付けただけの偽ウイスキーだったからです。その元凶は「宣伝部」でした。開高健、牧よう子らが所属していた「ザ・サントリー宣伝部」の仕業でした。サントリーは、同じミスを大昔にもやらかしています。赤玉ポートワインです。本物のブドウが原料でない偽ワインでした。ダルマで評判を落としたサントリーは、今度は「本物」に挑みます。熟成させる樽を海外から取り寄せ、念入りに長年月寝かせました。それが「山崎」であり「白州」であり「余市」となりました。いま、これらは異常な高値です。一本4,5万円します。従って庶民には手が出ません。何故なら、この値打ちを知った世界の金持ちが買い占めてしまうからです。
顧みるとき、どれだけの銘柄のウイスキーのお世話になったことでしょう。「バレンタイン」「ホワイトホース」「グレンリベット」「ジョニーウオーカ-」「カナデアンクラブ」エトセトラ、、、、、感謝です。
2024年12月17日 カブが上がった 故安倍総理の夫人、昭恵さんが、再選を果たしたトランプ大統領夫妻の招きで、アメリカへ行き、私邸で歓談しました。トランプの「粋な計らい」と言わざるを得ません。安倍総理とトランプはそれぞれ一国の代表者でありますが、一方、ゴルフの良きパートナーでもあったようです。 昭恵さんにはまだ、決着の付いていない「モリ・カケ問題」つきまとっています。昭恵さんがいなかったらこの問題が世間を騒がせることもなかったかも知れません。森永製菓の社長の娘・昭恵さんと結婚したがために、彼女のお陰で晋三さんも苦労したのかもしれません。
それにしても、再選を果たしたトランプが、石破総理からの会見申し込みを断り、昭恵さんを自宅に呼び入れて昔を懐かしんだのは、トランプの粋な計らい、と言わざるを得ません。ほとんどの日本人は、これに好感を持ったのではないでしょうか? 日本におけるトランプの「株が上がった」と言っていいかもしれません。
2024年12月16日 シリア いま、シリア問題は世界の話題を一身に浴びています。しかし、その内情は実に複雑で分かりづらい。その理由の一つが、同国の存在が東西交通の十字路に位置しているからです。首都はダマスカス。北にトルコ、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエル。この国を世界史的視野から見ると、民主主義指数は世界で下から四番目、164位です。報道の自由度は下から7番目の174位です。公用語はアラビア語、総人口は約2000万人。国民の9割がイスラムのスンニ派です。しかし、キリスト教徒がいないわけではありません。新政権下のダマスカスで、キリスト教徒の礼拝が再開された、との情報もあります。親子二代に亘るアサド政権を倒した勢力とは、一体、どういうものなのか?詳しく知りたいところですが、今のところ詳らかではありません。アサドの息子一族の亡命を受け入れたロシアにとって、新政権がどんな態度をとるのか、ロシアはキガキではないでしょう。何故なら、海を持たないロシアにとって、シリアに借りている広大な軍港の帰趨が問題だからです。プーチンのアフリカ支援政策もこの港から発しているからです。
一方、アサド政権の弾圧によりヨーロッパ各地に散った400万を超える難民にとってこの政権の崩壊は実に喜ばしい出来事ではないでしょうか?当然、新政権は諸手を広げて彼らの帰国を迎えるでしょう。
2024年12月15日 恥 昨日の夜から今日の未明にかけて、大昔、赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入り、上野介の首を切って江戸市中を凱旋した日でもあります。彼らのお墓は地下鉄「泉岳寺」駅を降りてしばらく坂を登ったところにありました。いつ行っても、線香の煙が漂っていました。たまたま、OBによる囲碁の会が京成川崎駅付近の碁会所で毎月開かれていました。思い出しては、泉岳寺駅で下車していたのです。この希有な事件は、「恥をヨシとしない」日本古来の文化の真骨頂でもありました。
ところが、今、起きている韓国大統領にまつわる弾劾事件はどうでしょう?シリアのアサド二世のロシア亡命事件はどうでしょう。恥を恥とも思わない「忌まわしい事件」ではないでしょうか? 韓国国防相の北朝鮮軍に関する誤った情報を鵜呑みにしたユン大統領の思い違いだった面もあるようなのですが、これだけ、国内を騒がせておきながら、その責任はとらず、居座りを続けようとしています。アサドの息子に至っては、あれだけ悪政をひき、刑務所を満員にし、拷問を加えておきながら、自分は一家眷属をあげてロシアに亡命し、高級マンション暮らしを始めています。恥を恥とも思わない二人の為政者。迷惑しているのは、両国の国民ではないでしょうか?
2024年12月14日 トルコへ公式訪問 ボスポラス海峡トンネル工事で多大の貢献をした日本を代表して、このほど秋篠宮ご夫妻がトルコを公式訪問しました。国交樹立100年の節目でもあったからです。6日間の日程でしたが、ご夫妻はトルコ国民から熱烈な歓迎を受けました。なぜなら、トルコの国民は日本が大好きだからです。まして、国民のすべてが待ち望んでいた、ボスポラス海峡トンネルを完成させたのが日本だからです。ご夫妻としても、さぞ、鼻が高かったことでしょう。国と国との関係は、かくありたいものです。
2024年12月13日 ボスポラス海峡トンネル アジア大陸とヨーロッパ大陸が、海を隔てて、互いに向かい合っている海峡があります。それがトルコのボスポラス海峡です。橋は架かっていますが大渋滞です。渡し船は勿論ありますが時間の掛かり過ぎです。「海底トンネルが出来たらいいな」というのがトルコの人々の夢でした。10年ほど前、それに挑戦した日本企業があります。「沈埋工法」を掲げる大成建設でした。その難工事を指揮した二人の日本人の活躍ぶりがNHKで放映されました。「沈埋工法」とは、あらかじめ地上で作った鉄のトンネルを、海流と戦いながら海底に次々に沈め、それをつなぎ合わせて空洞化し、レールを作って列車を通すという難工事です。2013年、その工事が完成し、ウスクダル駅とシルケジ駅の間に鉄道がひかれました。トルコの人達の喜ぶまいことか!昔から、トルコの人達は日本に対して親近感を持っています。何故なら、江戸時代の昔、和歌山県沖で座礁した船のトルコ人を、和歌山の人達は救出して厚く持てなし、送り返したことを、忘れないでいてくれるからです。
余談になりますが、佐々木愛さんい率いる「文化座」が、文化交流として然るべき機関に望まれてトルコ公演に出かけたことがあります。理事の丸山さんと一緒に同行が出来たのでしたが、惜しい機会を逃しました。ところで、トルコはいま、脚光を浴び始めています。シリアの体制が変わり、ロシアとイランが弱体化し始め出したので、一躍、トルコの動向が注目し始めているのです。果たしてどうなっていくでしょう?
2024年12月12日 ハラルのこと 世界に顕在化している宗教には、それぞれ戒律が内在していることは承知していても、とりわけ「食」に関する「禁じ」には、それを知るに及んで驚かされます。例えばインドのジャイナ教。一切の魚・肉はそれにタマネギやニンニクなどの根菜類、食べてはいけないそうです。日本の仏教でも「なまぐさ」は嫌いますが、さして、厳格ではありません。それがイスラム教となると違います。豚肉を徹底的に排除します。「ハラル」というレッテル張られた肉だけは食べてよいそうです。従って、イスラム教徒は「こんがり揚がったトンカツ」の味を知りません。
トンカツと言えば、絶品のトンカツを供する店が福島・泉の「翼の教会」の近くにあります。肉質最上、油も最上、お店の佇まいも最上、、、、今度、今月の21日、22日とクリスマス礼拝に参加するため訪れる積もりなのですが、つくづく、イスラム教徒にならなくてよかった、と思う次第です。
アラブ首長国連邦のドバイ、そしてイスラエルなどなどイスラム教徒の生活を垣間見るに及んで、なぜ、食に関する「禁止項目」多いのか?ハラルに従うことがそれほど重要なことなのか?なぜ、女性は髪をネッカチーフで隠さねばならないのか?何故、男性は4人まで妻を持つことが出来るのか?あらゆる宗教にその宗教自体の戒律が、厳然としてハバをきかせているのは何故なのか? 新たな疑問がフツフツと沸いてきます。
2024年12月11日 被団協 今年のノーベル平和賞が、日本の「被爆者団体協議会」に決まり、昨日、ノルウエイで授賞式がありました。誠に、誠に意義深いことでノーベル委員会に敬意を表したい思いで一杯ですが、一方、受賞の栄に浴した被団協の受け止め方が、余りにもはしゃぎすぎで、好感を持てないでいます。被団協のメンバーは、年寄りばかりですから、仕方がないとはいえ、ノルウエイへの参加は3人までと限られているのに、我も、我もと膨らんで、結局10倍の30人がノルウエイに押しかけました。迎えるノルウエイの方も困ったことでしょう。そして、受賞の演説です。長たらしいことこの上ない超広告でした。それも、日本語でやったようです。意見するものは誰もいなかったのでしょうか? 「とんだ恥」を晒してしまったものだ、と感じたのは私だけでしょうか?
新聞に掲載された演説文は日本語です。しかも、くどくどとした、重複の多い内容です。年寄りの寄り集まりだからして、節度がなくなるのは致し方ないとしても、誰も、意見するものがいなかったのでしょうか? 私が、もし、日本側の担当者であったなら、演説が10分で収まる内容にして、その代わり、世界各国の言語にして世界中の記者に配ります。「核廃絶がいかに今の世に必要なのか」短い言葉にして、しかし、世界の隅々まで日本の叫びが届くように工夫したでしょう。
それはそれとして、ノルウエイの皆さん、この度は、日本の「被団協」に光を当てて頂き、誠に、誠にありがとうございました。
2024年12月10日 シリアのアサド 世界には顔を見るのも嫌な政治家がいます。私にとって、その一人がシリアのアサド二世でした。シリア内で内戦が起きました。若手のアサド二世は激しく弾圧しました。国民はいたたまれず国外への脱出を試みました。難民として400万人以上がヨーロッパへ逃げ込みました。目指すはイギリスだったようです。当時のイギリスは難民の受け入れに寛大でした。しかし、それにも限度があります。国内から反対の声が上がり、イギリスは国民投票を二回もして、EUを脱退しました。今ではそれを悔いているようですが、原因を作ったのがシリア難民であり、アサドです。何故、青二才のアサドが勝てたか? それはロシアのプーチンが応援したからです。港を持たないロシアはシリアに巨大な軍港を借りています。ロシアにとって体制が変わることは、極力避けたいのです。反体制派はロシアの介入によって、あえなく潰されてしまいました。
そして今、シリアは大きく替わり新しい勢力が台頭し始めました。通常ならロシアが助太刀に入るところ、ロシアは、いま、それどころではありません。アサドは命からがら親族を伴ってシリアを逃げ出しました。モスクワに亡命したのです。モスクワの最高級のマンションだそうです。どこまでも嫌な男です。アサドと言う奴は。
2024年12月9日 母の思い出 93歳の母親が清瀬の「複十字病院」で「胃瘻手術」失敗のため亡くなった12月19日が迫ってきました。前日、母親の病室の傍らにいる私を、食い入るように見つめていた母親の眼差しは、国民学校2年生の私が、上高田国民学校の集団疎開で福島へ行く私を、新井薬師から中野駅まで、そして列車に乗りこんだ私を見つめていた眼差しと同じでした。「今までで一番嬉しかった母親との思い出は何か?」と問われれば、即座にいえるのは、会津野沢の山の中に集団疎開していた2年生の私を、中野・新井薬師の家を空襲で焼け出され、母親の郷里の長野へ向かうため、会津の山奥まで私を迎えに来てくれた時のことです。5月25日の空襲でしたから、時は春、緑したたる山道を会津野沢駅に向かって 二人で歩きました。本当に、本当に嬉しかったですね。
十日後に迫った命日のため、今日、沢山の仏花を求めてきて供えました。数日中にお墓の掃除に行くつもりです。
2024年12月8日 開戦の日 昭和16年12月8日の今日、太戦争戦争(大戦争戦争)は開戦となりました。そして、昭和20年の8月15日、日本はアメリカに負け、無条件降伏しました。始まったのは私が5歳の時、終わったのが9歳の時です。もし、私が10年早く生まれていたら、戦争にかり出されていたでしょう。そして、確実に死んでいたでしょう。すなわち「不幸中の幸い」であったといえるようです。運命とはオカシナものです。更におかしいのは、戦争中の記憶が私の中に鮮明に残っていることです。空襲警報を告げるラジオからの悲痛な叫び「東部軍管区情報!敵B29大編隊が房総半島上空より本土に近接しつつあり、空襲警報発令!空襲警報発令!!」そして、下町で無数の爆弾・焼夷弾が炸裂する音!敵機が去って防空壕から出てみると、下町方向の空は真っ赤に染まっていました。どれだけの人々が犠牲になったことか!
その痛ましい記憶と供に残っているのが戦時中に唱われた軍歌、国民歌謡などです。ほとんど覚えているから我ながら不思議です。不幸にして戦火に倒れた人々の無念を反芻しながら、覚えている限りを思い出して歌ってみましょう。
「♫見よ東海の空明けて、旭日高く輝けば、天地の精気溌剌と、、、♫」 「♫守るも攻めるも黒金の、浮かべる城ぞ 類いなき、、、♫」「白地に赤く日の丸染めてああ美しやニホンの旗は、、、♫」「♫恩賜の煙草を頂いて明日は死ぬぞと決めた夜は♫、、、」「♫勝ってくるぞと勇ましくいさんで国を出たからは♫、、、」「♫ここは御国を何百里離れて遠き満州の♫」「♫勝ち抜くぼくら少国民天皇陛下の恩為に死ねと教えた父母の♫」「♫今日増産の帰り道みんなで摘んだ花束を英霊室に供えたら次は君らだ分ったかシッカリやれよと空高く胸に響いた神の声♫」
2024年12月7日 今夜は馬刺しで一杯 今は台所の片隅に放り投げられっぱなしですが、かつては、折に触れ、頻繁に使っていた中華鍋があります。テレビ朝日の午後の人気番組だった「おかずのクッキング」の出演者・土井勝さんから頂いたものです。「この鍋は最初の火入れが大事です」と言われて、そのようにしたので、いまでも持ちこたえているのでしょう。小倉の西部本社への転勤で、単身赴任の身となり、自炊生活になるに及んで、この鍋は実に重宝に使わせて貰って来ました。一匹30円の生きのいい鰯を、小倉のタンカ市場から大量に買ってきて、骨を抜き、叩いて、すりつぶし、団子にして「つみれ汁」を作り、小分けにして冷凍し、毎日と言っていいほど、「かぼす汁」と供に頂きました。
と、ここまで書いたところで、玄関のチャイムが鳴りました。何と、長野の旧友内山君から「名物・馬刺し」が届いたのです。馬刺し、馬刺し、私の大好物です。東京では滅多にお目にかかれません。九州でもそうでした。僅かに、熊本へ行くと対面することが出来はしました。早速内山君に電話を入れました。彼は元気そのもの。思い出すのは彼と軽井沢のゴルフ場で二人だけで「死闘」を繰り広げたことです。晩秋の72ゴルフ場でした。夕闇迫る頃、落ち葉をかき分けなが、二人の死闘は続きました。そのハーフの死闘は47:48の一打差で決着が付きました。どっちが勝ったのか? それは内緒にしておきましょう。
2024年12月6日 差別意識 24歳で朝日新聞社に入社させて貰い、朝日新聞販売網の強化のために、関東、東北、信越、富山を飛び回る仕事となり、更に、西部本社の営業局長として九州・小倉に単身赴任するに及んで、地域における人間生活の中に「曰く言いがたい差別」が存在することを知りました。その極端な例を二つ三つ挙げると、先ず、新潟県における佐渡の存在です。驚くまいことか、新潟の人々は、佐渡の人達をカゲでは「サドムジナ」と呼んでいました。東北の果て青森の津軽藩と、岩手の南部藩とは昔から犬猿の仲です。九州本社に転勤になり、山口県の酒飲みの会に出席したところ、彼らは福岡・大分・熊本など九州全体を「九州島の奴ら」と言っていました。更に、面白いのは、沖縄では何故か宮古島出身者を蔑みます。「ミヤーコ」と呼ばわっていたのです。
更に面白いのは京都の人々です。「天皇さん、いまは、たまたま東(あずま)に行ってはるけど、あんなところでのお暮らしは滅相もない。直に、お戻りにならはるのとチヤいますか」旅ガラスだったお陰で、人の世の底辺まで覗くことが出来ました。
2024年12月5日 世界遺産登録 今年、佐渡の相川にある「鶴子金銀山跡」が世界遺産として登録されました。盛大な式典が現地でありましたが、韓国政府は招待状を無視し、出席を拒否しました。何となれば、当時は、大勢の韓国人がそこで強制労働させられた、という事実があったからです。聞くところによれば、別に式典を行った様です。
販売局の担当社員として福島県を5年担当したあと、てっきり次は首都圏の担当に違いないと、思っていたのに、あに図らんや、次は新潟県でした。部数9万部、販売第三部一の大県ではありました。佐渡へは毎月一回、船で渡りました。7、8年前、その懐かしい新潟へ関越高速を車で飛ばして行きました。そして、新潟港から車を船積みして貰って、佐渡へ渡り、懐かしい佐渡を見て回りました。その際、今回世界遺産になった金山跡にも「潜り」ました。膨大な穴蔵でした。江戸時代から、囚人や、ならず者や、加えて異国人が半ば強制的に働かされたところです。韓国人もいたはずです。暗がりの中での過酷な労働であったはずです。仕事として佐渡を回っていた頃には、全く気づかなかったことどもを、改めて知るところとなり、感慨も一入でした。
2024年12月4日 戒厳令 昨未明、韓国のユン・ソンニョル大統領が、突然、戒厳令を発動しました。理由は、北朝鮮の勢力に同調する韓国内の動きを封じ込める、というものだそうですが、実のところは、打つ手がなくなった破れかぶれからではないか、という観測です。五時間後には解除されたようですが、その傷跡は大きい、と言わざるを得ないでしょう。戒厳令は戦前の日本にもありました。軍人の中の若手将校を中心とする兵隊が、大挙して決起した事件です。5-1-5事件、2-2-6事件がそれです。この事件を題材にした三島由紀夫の短編「切腹」は余りにも有名です。若手の将校が事件後、責任をとる形で、自宅に戻り、若妻を前にして、いわゆる切腹をする場面です。美事な筆致のため、若い頃これを、震えながら読んだ記憶が鮮明です。
いま、韓国は国として「喘いで」いるようです。前任者の文在寅の身勝手な反日政策の名残は今も残っていて、日本経済は韓国を相手にしていません。彼は反日・嫌日で国民の絶大な人気をとり、北の金主席とも板門店で会いました。極端な反米・反日政策をとりつづけ、中国、ソ連に近寄っていきました。結果、アメリカも日本も韓国には愛想が尽き、現大統領になって、困ったからとすり寄ってこられても、両国は韓国を突き放しています。韓国の戒厳令の原因となった文在寅は、いま、髭を生やし、隠居し、膨大な回想録を書いています。
今回の韓国の戒厳令発動の依って来たる遠因は、「この文在寅にあり」と私は断言してはばかりません。
2024年12月3日 新蕎麦 馥郁たる香りを放つ「新蕎麦」に遭えるのは、毎年、今頃です。今日、都内でも名だたる名店「田中屋」でその「蕎麦掻き」と「新蕎麦」を頂きました。美味しかったですね。戦争で家が焼かれ、母親の郷里の長野市に移り住んで、高校まで過ごしたのですが、当時は、蕎麦の味が分りませんでした。同じ蕎麦でも、生産地によって微妙に違う、と分ってきたのは成人して旅ガラスの身となり、東日本各地の蕎麦を頂くようになってからでした。長野の戸隠に負けない蕎麦の生産地が福島の会津の奥にありました。そこは会津若松と喜多方の間の「山都」というところで、その季節になると視界に入る限りが「蕎麦の白い花」となりました。新潟にもありました。十日町から松代・松の山にいたる見渡す限りが蕎麦畑でした。
社会人になり、最初に所帯を持ったのは目白道路沿いのアパートでした。近くに「翁」という名店がありました。店主の高橋某はいかに美味しく召し上がって頂くか、そのため、客に対して「早く食え」などと指図する変わり者でした。蕎麦を茹でるのに、いちいちストップウオッチを使うほどでした。近くに漫画家が大勢住んでいるアパートがあり、彼らもこの店を繁く使っていました。その後、彼は山梨の清里に店を出し、石臼で挽いた蕎麦を提供していました。いま、清里は繁栄していた昔の面影は全く無くなり荒れ放題です。高橋某店はどうなっているでしょうか?
2024年12月2日 早稲田のラグビー 私の古巣早稲田大学にとって、今年は記念すべき年となりました。関東大学対抗ラグビー戦は今年で100回目となりましたが、何と、早稲田のラグビーは宿敵明治を破り、全勝でこの対抗戦に勝利したのです。恐らく、早稲田でラグビーに関係した強者どもは全員、勝利の瞬間、秘宝の部歌「荒ぶる」を涙ながらに歌ったことでしょう。
何時の頃からか、我が朝日の販売局では東大・一橋卒に替わって運動部出身者が多くなりました。「頭より足」の時代になったからでもありましょう。明治大学を優勝に導いた怪腕投手丸山清光君などもその一人です。彼は、茨城県担当時代の私の助務を務めてくれました。また、私の第三部長時代の次長を務めてくれた石山君、同期入社の白根君、後に早稲田の監督を務める小林君などなど。この小林君は私が第六部の部長の時、宮城県担当の外勤社員でした。販売店と事件を起しました。本社に納めるべき原価を納付しないで、あることないこと、小林担当社員の悪口を週刊文春にたれ込んだのです。部長としては販売店も本社社員も大切です。両社を救い、且つ、朝日の名誉も損なうわけにはいきません。苦労しました。その小林君が、その後、早稲田ラグビー部の監督になったのです。今頃は彼も高らかに「荒ぶる」を唱っていることでしょう。
2024年12月1日 12月という月は 今日から12月です。私にとっては、今までに色々あった月です。よいことも悪いこともありました。心して過ごさねばなりません。
昭和16年の12月の8日。幼稚園生の私は、ただならぬ顔つきになった母親に連れられて、その頃住んでいた吉祥寺の街に買い出しに出かけました。食料の買い出しです。パン屋はすべて売り切れで菓子パンだけが残っていました。この日、大東亜戦争が勃発したのです。しばらくして中野の新井薬師の一軒家に移りましたが、戦況ははかばかしくなく、3年後の12月、学童疎開で母の元を離れ、福島・浜通り「富岡駅前の大東旅館」へ集団疎開しました。その母も、清瀬の団地で従妹と住んでいたのでしたが、12月19日、「胃瘻の手術の失敗」で東久留米の複十字病院で亡くなりました。93歳でした。朝日へ入社して半年目の12月10日、見習い社員の身分で結婚式を挙げました。入社が決まったその翌年の3月、沖縄へ行ったら、コザの「浦島」という料亭に大勢の人が集まり、披露宴となっていました。主賓は沖縄タイムス社長の上地一史さんです。女房となる女性の従兄です。宴が果てると、集まって下さったた人々は、「カチャアシ」という踊りを踊り狂いました。入社して、朝日の東北沢の独身寮にいたのですが、、春の終わり、婚約者の女房は上京して所在なげにしています。やむなく、同棲の末、12月の結婚式となったのです。永井大三さんの息子の謙さんが出席し、永井さんから銀製の写真立てを記念に頂きました。
そして、十数年経った12月26日、福島県を担当していた私は、その日行われた選挙号外手配で、福島支局に詰めて、夜通し差配しなければならず、力を付けておこうと支局近くの「萬世」という料理やで食べた「フグの白子鍋」に当たって、人事不省となり、支局前の「大原病院」へ担ぎ込まれ、死線を彷徨いました。お花畑を歩いていると、突然、木々や花々がそよぎ出しました。30日、販売局の打ち上げに出席すると、「中沢はフグで死んだ」との情報が流れていたようで、盛大な拍手で迎入れて貰いました。その、色々あった12月が今日からです。心して過ごさねばなりません。
2024年11月30日 中国ビザ解禁 今日、中国政府は、日本人の中国への短期ビザ免除措置を再開しました。明日からです。つまり、中国への渡航に際し、中国大使館へ行ってビザの申請をしなければ渡航が出来なかったのが、その必要が明日からなくなったのです。コロナ禍発生以来ですから5年の歳月を要しました。思えば、五年前の三月初旬、タイ・チェンマイにいて、去る大きな中華料理店に入りました。50組は入れる大きな劇場型料理店でしたが、お客は堀田さんを含む4人と、もう一組のグループがいるだけでした。そこで、奇病が中国で発生した、という噂を聞きました。運がよかったのです。その後直ぐ、入国も出国も禁止となったのですから。
思えば、中国へは何回足を運んだでしょうか? 最初は真冬・正月のツアーでした。長男が6年生、次男が5年生の時、それに夫婦の4人で西武観光の一週間のツアーに参加しました。参加費用は一人14万円でした。宿泊先の天安門近くの「建面飯店」は建て付けが悪く、隙間風が舞い込んできました。売店では古ぼけた林檎だけを売っていました。それでも名だたる「北京飯店」で噂の「北京ダック」を頂きました。長男・次男は「美味しいね、美味しいね」といいながら2度もお代わりをしました。それだけでも、参加した意義があったというものです。全員免税店で中国人と同じ「青い防寒コート」を買い、天安門広場に出かけました。そこには、何をするでもない同じ青いコートを着た千人は下らない人々が、ただただ、突っ立っていました。強烈なエネルギーをそこに感じました。万里の長城へも行きました。中国の底知れぬエネルギーを思いました。
従弟の靖輝君と、彼の商売相手「頄(ぐ)」さんのお陰で、その後何回上海へ行かせて貰いました。そのすべては「ビザなし」でありました。この度、再び昔に戻ったのです。喜ばしいことではありますが、さて、「我が身にとっては、、、、、」何とか、もう一度は中国の土を踏みたい、と心から願っています。
2024年11月29日 猛吹雪 中国の各地で、突如、猛吹雪が発生し、交通が麻痺し、人々は車の中に閉じ込められ、車がEVの為、放電してしまうと暖も取れず、食糧もなく、動くことも出来ず、大勢が多大の影響を被っている、というニュースがしきりに飛び込んで来ています。日本にもありました。日本海側の幹線道路が降り積もる雪のため、各地で麻痺状態となり、動くこともままならず、ドライバーは車の中で寒さに震えながら一夜を過ごす羽目になった、という痛ましい出来事がありました。それを大規模にした事件が中国各地で頻発していると言うのです。正に事故と言うより「事件」というべき規模の大きな出来事です。「ガソリン車から電気自動車に乗り換える」これを中国は国家的事業として推し進めています。排気ガスは気候変動の元凶もありますからして、中国のこの選択は正しいのですが、何せ、「EV車は寒さに弱い」のが欠点のようです。加えて電力を補給する施設が完備されていません。しかし、音もなく静かに走るEV車は羨望の的でもあります。25年近く乗り回して、今や満身創痍の私の車「ホンダフィット」は、高速道路を走ると大きなエンジン音に悩まされます。だからといって車を買い換える予定はありません。ソロソロ免許返納の時が迫ってきているからでもあります。でも、EV車には憧れを抱いています。エンジン音がほとんどなく、静粛な車の室内で、好きな音楽を聴きながら運転したい、と言う思いを捨て去ることは出来ないでいます。
2024年11月28日 停 戦 数年前の3月の始め、シンガポール教会の松本牧師率いる25人の団体に、タイチェンマイ教会の私を含む4人が加わり、イスラエルに十日間、滞在しました。レバノンの国境までも行きました。国中をバスで回りました。残念ながら、ガザへは入ることが出来ませんでしたが、動いた限り分ったことは、国中、どこを観ても軍事施設らしきものを見ることがなかったことです。荒涼たる砂漠の連続でした。草木の生えていない丘陵地帯でした。山の連なりでした。飲料にはほど遠い「死海」という塩辛い湖でした。
一体、どこに戦争を遂行する力が潜んでいるのだろう、と今もって不思議で不思議でなりません。草木の生い茂る山もなし、ヨルダン川という流れはあっても、細々としたせせらぎです。真水が流れる川はそれ一本だけです。それに比べれば、日本は天国です。はげ山など一つも存在していません。
その戦時下のイスラエル。昨日、朗報がありました。隣国のレバノンとの停戦が実現したのです。もっとも、レバノン自体と戦争していた訳ではありません。レバノンに巣くっていたテロ組織「ヒズボラ」がイスラエルに降伏したのです。朗報ではあります。それにしてもイスラエルとレバノンは対照的な国同士です。片や瓦礫と砂漠の国イスラエル。片や、緑溢れ、中東のスイス、とまでいわれているレバノン。両国は実に対照的な自然を抱える国同士です。まずは快哉。
翻って考えます。何故、アラブ諸国はイスラエルに辛く当たるのか?さして広くない、かつ、荒涼とした大地に楚々とて住んでいるユダヤ人に辛く当たるのか?この世からユダヤ人を抹殺しようと、企てているのか?これは世界史の中の最大の疑問です。
2024年11月27日 アマゾン あらゆる品物が揃っていて、注文すれば翌日には届いている、というアマゾンというサイトは、実に便利なシステムです。長年にわたって、重宝にさせて貰って来ているのですが、最近、「アマゾンを騙る偽メール」が頻繁に入るようになり、往生しています、どのメールも「あなたの支払い銀行口座に誤りが生じているので、改めて入力下さい」というものです。確認をとろうとしてアマゾンのトラブルセンターに問い合わせても人間の係員が応答してくれません。全部が全部音声だけです。これには弱りました。でも、必死で探した結果、漸く人間の声に接し、支払銀行口座は現行のままでいいことや、「あなたの口座はハッカーに狙われている」という確証を得ることが出来ました。もし、今回またしても騙されれば、「都合、三回やられた」ことになります。私自身、銀行口座は「三井住友」、「りそな」、「三菱UFJ]、「みずほ」と色々ですが、ネットでは絶対に口座名が分ってしまう支払いは徹底的に避けてきました。それでも、かつて、アマゾンでやられたことがあったのでした。
今日の朝日の一面は「アマゾン問題」が大きく載りました。優先表示と引き換えに出品者に値下げを強要するという、消費者に直接の関係はないものの、「公取」が立ち入り検査に入った、という記事です。当分の間、アマゾンから遠ざかり、車で五分のところに出来た「ベルク」という大型スーパーを利用する積もりです。
2024年11月26日 溢れる外国人観光客 ふと、冠雪した富士山を観たいな、箱根へ行こうかな、と思いはしても箱根全体が外国人観光客で「ごった返し」している有様を観ると尻込みしてしまいます。ましてや、京都の嵐山の大徳寺から大河内山荘へ続く、裏道の「竹林の登り道」など大行列です。更に、全国の観光地の駐車場も大入り満員の状態です。「何でこうなってしまったのか?」勿論、円安の影響もあるでしょうが、「世界で一番行きたい国はどこか?」「それは日本!」となってしまっているからでしょう。日本人にとっては「エライ迷惑な話し」ではあっても、「日本そのも良さ」が世界の人々に認識される絶好のチャンス、と思えば腹も立たないでしょう。
ちなみに、外国人観光客は何を目的として日本へ来るのか?それとなく調べて見ました。1)日本食が食べたい、2)ショッピングしたい、3)繁華街の街歩きをしたい、4)景勝地の観光をしたい、5)日本酒を飲みたい、6)日本の伝統、文化、歴史に触れたい、7)温泉に入りたい、8)美術館、博物館へ行きたい、9)デズニーランドなどのテーマパークへ行きたい、10)日本の日常生活を体験したい。
特に外国人に人気なのは「奈良公園の鹿」でしょうか。彼らは横断歩道手前に待っていて人間と一緒に渡ります。「鹿せんべい」欲しさに頭を何度も上げ下げします。確かにこんな現象は世界にまたとないでしょう。嬉しいのは、日本を訪れた外国人が「また、日本を訪れたい」と口々にいっていることでしょうか。ところで、私自身はどうするか?箱根山の紅葉が終わり、外国人がいなくなった頃、乗る人もまばらになった、ロープウェイで大涌谷へ登り、冠雪して目映い富士山の雄飛を仰ぎ見ることに致しましょう。
2024年11月25日 恥 ペルーで開かれた世界の首脳が集まる「APEC」での我が国の代表・石破茂首相のマナーの悪さが、いま、問題になっています。彼のところに挨拶に来た各国首脳と握手するのはいいが、首脳たちは立っているのに、彼は座って握手しました。これは相手を見下した失礼この上もないマナー違反です。習近平首相との握手は彼は両手を使いました。ある意味で失礼な行為です。会食の際、彼のフォークやナイフの使い方はマナー違反もいいところでした。ああ、情けない、情けない、、、、、
しばらく前に、彼の日常の食事での箸の持ち方や、その無作法な食べ方などについて、この欄で触れていますが、とうとう、彼のマナーの悪さは世界の人々の知るところとなってしまいました。食事のマナーすら躾けられてこなかった家庭に育った「鳥取の名家」出の慶応ボーイ、、、もはや何を言っても国民は聞く耳を持たないでしょう。ああ、情けない、情けない、、、、、、
2024年11月24日 囲 碁 日曜日のNHK第二チャンネル12時半から始まるプロ同士の囲碁対局は、毎回、楽しみにしている番組です。今日は、かつて、何回もNHK選手権者となった依田紀基9段と、名古屋本部の猛者伊田篤との対戦でした。解説は、これまた親しくして頂いていた石田秀芳9段。願ってもない組み合わせでした。何故なら、このお三方と私は打って頂いたことがあるからです。依田紀基九段は彼の師匠が山梨の別荘地・清里住まいであったことから、彼もそこに別荘を持っていました。宮沢君の別荘の直ぐ近くでした。宮沢君も名にし負う囲碁好き。朝日入社以来、私と彼との対局数は、有に1000局を超えているのではないでしょうか。その清里の集会所で、私は依田九段に五石を置いて打って貰いました。私も宮沢君も日本棋院から4段の認定書を貰っています。でも、負けました。
伊田篤9段は名古屋棋院の所属です。宮沢君が名古屋本社の取締役名古屋代表だったとき、名古屋の棋院で彼に五石置いて打って貰いました宮沢君も負けましたが、私も負かされました。石田秀芳さんは日本棋院の重鎮です。小田急線の下北沢にもご自分の囲碁クラブを持っていました。ところで、私の長男の嫁の親父は落語家の春風亭華柳と申します。大の囲碁キチで石田さんにはお世話になっていました。石田さんのお陰で市ヶ谷の日本棋院の大広間で、春風亭華柳の独演会をやったこともあります。勿論、囲碁関係の落語。
そんなこんなで、懐かしい囲碁の一時を持つことが出来ました。泉下の宮沢君に報告する積もりです。
2024年11月23日 超音速ミサイル 音は一秒間に340メートルの速さで伝わります。いま、世界では、その速さを超えるミサイルの開発に血眼になっているようです。昨日、ロシアはウクライナに向けて、新型の超音速ミサイル、名付けて「オレシュニク」を発射した、と発表しました。音速の10倍の速さで相手地に着弾する超音速兵器だという触れ込みです。音速の10倍ということは、一秒間に3400メートル進むことを意味します。それだけの速さで進むミサイルであるなら、いまのところ、それを迎撃することは不可能に近いでしょう。エライことになってきました。
一昔前の戦争では、兵隊さんは鉄砲を担ぎ、弾を込め、狙いを定めて引き金を引いていました。つまり、戦争のかたちが全く変わってしまっているのです。「迎撃されずに着弾する」そのためにはミサイルの速度が重要になるのは、いうまでもありません。
実は、ウクライナを支援しているアメリカ、NATO諸国にも音速を超えるミサイルはあるようです。日本にすら「ある」と聴き及びます。ロシアを刺激しないためにウクライナに供与しなかったのでしょう。来年の2月24日が来ると、この戦争は三年目に入ります。ロシアが新型ミサイルを使った以上、アメリカやNATO諸国は音速ミサイルの供与を拒むわけにはいかないでしょう。いよいよ、とんでもないことになって来ました。
2024年11月22日 快 哉 「岩手県奥州市出身で、ドジャースの大谷翔平が、満票でナ・リーグMVPに選ばれた。ア・リーグ時代に2度受賞しており、2年連続三度目の受賞。また、指名打者(DH)専任選手の受賞は史上初、という快挙だ。大谷選手は2023年9月に右肘を手術し、今季は打者に専念、史上初の「50本塁打、50盗塁」を達成し、54本塁打、130打点となり、リーグの2冠にも輝いた。」
以上はネットの速報の丸写しです。今日はアメリカでも、そして日本でも、この話題で持ちきりでしょう。否、世界中の話題になっているでしょう。特に、岩手県、特に花巻の人々の喜びはイカばかりでしょうか!、、、、お目出度う!お目出度う!お目出度う!
2024年11月21日 小沢記念のいま 小澤征爾さんがお亡くなりになって、既に数年が経ちました。しかし、松本を中心とする「小沢記念オーケストラの」活動は益々盛んなようです。ただ、大きく纏まるには、何か、求心力が欠けているようで、分化された活動の方が活発のようです。例えば「オーケストラ・ブラスアンサンブル」。2月13日の松本を皮切りに、14日岡山、15日広島、16日滋賀、18日川崎、19日東京、20日東海、22日徳島、24日水戸、、、、と続いています。ブラスは、小学校から高校まで、ほとんどの学校でのクラブ活動として盛んですから、もて囃されているのでしょう。斉藤英雄も小澤征爾も弦楽器には厳しかったが、管楽器には甘かった、とは私の感想ですが、確かに弦楽器は求めるには高額であり、管楽器は、比較的廉価で手に入れられる傾向があるからでしょう。
サイトウキネンを引き継いだ小澤征爾が、現役バリバリの頃、主催する信濃毎日新聞社の販売局次長の内山君を通じでプラチナ・チケットを入手してもらい、何回か車で松本へ行きました。5年連続で行かせて貰った、と記憶しています。その何回目かの時、演目はバッハの「マタイ受難曲全曲」譜面台が置いてあるにも拘わらず、小沢征爾は、一度として譜面を観ませんでした。全部、暗譜しているのでした。あの大曲をです。チャイコフスキーの「悲愴」の時も目の前の譜面を一回としてめくりませんでした。全部、暗譜しているのでした。小沢の演奏は弱音が物凄く綺麗で、悲愴の第二楽章では涙が溢れてきて困りました。
暫くの後、上海へ行ったとき、巨大な上海市庁舎の横のホールで小沢のオーケストラの演奏がありました。これ幸いとチケットを入手しようとしたところ小沢急病のため中止が発表されました。かなり前の上海での出来事です。
2024年11月20日 テーブルマナー G7の参加国はフランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダの7ヶ国ですが、G20になると更に次の国々が含まれます。トルコ、サウジアラビア、韓国、メキシコ、インドネシア、オーストラリア、アルゼンチン、ブラジル、ロシア、インド、中国、ヨーロッパ連合。このほど、このG20がブラジルで開かれ、石破総理はそそくさと出かけて行きました。途中、中国の習近平さんにもご挨拶したようです。二人並んだ写真を見ましたが、悪評サクサクの習近平さんであっても、貫禄が違いました。仮にも14億の民を治めている近平さんと、たまたま祭り上げられただけの我らの総理と、まず、貫禄が違いました。違いすぎました。何か、おどおどしていました。目が宙に浮いていました。
G20では、恐らく、全員での会食があるでしょうが、テーブルマナーの出来ていない我らの総理におかれましては、どうか、恥をかかないマナーであって欲しい、と祈るや切です。
2019年大阪で開催されたサミット20
2024年11月19日 至福の時 数年前の11月のある日、羽田から日本海側の小松空港へ飛びました。眼下に冠雪した富士山や南アルプスの全容が見渡せ、吾を忘れてシャッターを押しました。その写真がその年の年賀状になりました。小松から金沢へ出て、近江町市場の真ん前のホテルを陣取り、そそくさと市場へ行っては手頃な「ずわい蟹」を仕入れ、自室へ持ち込んでは武者ぶり食らいつきました。一緒に越前の銘酒もコップで頂く至福の時を持ちました。昔は、上海蟹が味では一番だ、と思っていましたが、公害が多いそうで、今では日本に来ていないようです。北海道では毛蟹を一匹まるごと頂いたときもありましたが、「蟹そのものの味」では「ずわい蟹」の方が勝っているように思いました。
一匹の「お蟹さま」を左手で押さえ、右手の道具を使って丁寧に分解しながら、有り難く口に運びます、、、、冷や酒を口に含みます、、、、ああ、行きたいな、食べたいな、、、、と思っても、ちょっと待った! 今年1月1日の予期せぬ地震・津波で、能登の人々は今なお、苦しみの最中にいるのです、、、、、そんな贅沢は言っておれません。罹災した人々の哀しみや苦しみが癒えた頃、行かせて貰いましょう。
果たして、来年になるか? 再来年か? それとも、、、、。
2024年11月18日 黒沢 明 またまた映画の話しですが、私が一番感銘を受けているのは何と言っても黒沢明作品です。彼は1910年生まれで1998年に88歳で亡くなっています。生涯、31作品をモノしていますが、記憶に残る作品を挙げてみると、「静かなる決闘」、「野良犬」、「生き物の記録」、「羅生門」、「蜘蛛の巣城」、「隠し砦の三悪人」、「悪い奴ほどよく眠る」、「天国と地獄」、「赤ひげ」、「用心棒」、「椿三十郎」、「七人の侍」、「生きる」、、、、、なかでも「生きる」は傑作中の傑作で、繰り返し観る度に、新たな気持ちにさせられます。志村喬演ずる市役所のしがない役人が、荒れ果てた街の一偶に小さな公園を作る話しですが、完成した雪の降りしきるその晩、ブランコに乗って「♫命短し、恋せよ乙女♫」とつぶやくように唱うしがない老官吏の姿、、、、、どれだけ心を揺さぶられたことでしょう。また、「7人の侍」での三船敏郎の存在とその活躍ぶり、、、、何度、繰り返し観ても飽きることがありません。
映画っていいものだなあと改めて思います。(左志村喬)、(右黒沢明)
2024年11月17日 独裁者 チャップリンの「独裁者」という映画を観ました。パソコンでアマゾンの「映画見放題」に登録しているので、ほとんどの映画が観られるので実に便利です。しかし、どんなに探しても観ることが出来ないものもあります。遥か昔、中学生の頃、団体で観に行った天然色ロシア映画「石ノ花」。鰐淵はる子、原節子主演の「のんチャン雲に乗る」イタリア映画「ヨーロッパの夜」これだけは、どこをどう探しても見つかりません。チャップリンの映画は「モダンタイムス」もありますが、何度見なおしてもその度に新しい発見があるから不思議です。
今の世で、問題になっている独裁者で表立っているのは、ロシアのプーチン、北朝鮮の金正恩、それに中国の習近平でしょうか。三人に共通しているのは、国民の命を虫けらのように思い、扱っていることです。プーチンはヨーロッパのほとんどの国がNATOに加盟しているのを恐れ、ウクライナに戦争を仕掛けました。戦況思わしくなくなったので、殊もあろうに独裁者の国北朝鮮に助けを求めました。一万人規模の北朝鮮兵士が「訳も分らず」戦線にかり出されたのです。独裁者といえどもやっていいことと、悪いことがあります。この事態はやっていけないことの典型です。神は両国に鉄槌を下すはずです。何故なら、ウクライナの後ろにはNATO諸国が控えているからです。いざとなれば、ヨーロッパの国中がロシアと戦うでしょう。世界の歴史は教えています。「独裁者の国はいずれ滅びる」と。
ところで、探しても探しても見つからないでいるイタリア映画「ヨーロッパの夜」どんなヒントでもいいから、心当たりのある方がいらしたら、是非、教えて下さい。小生の悲願です。
2024年11月16日 アンバランス 一昔前の朝早く、下町・浅草山谷の街頭には、その日の仕事にありつくための人、ひと、ヒト、いわゆる日雇い労働者でごった返していました。大阪・西成地区でもそうでした。それが、今はなくなっているようです。新宿駅西口から東京都庁へは甲州街道の地下にトンネルが出来ていて便利です。しかし、夜になるとどこからかヒトが集まってきて粗末な夜具を敷いて寝泊まりしていました。今は、ほとんど、誰一人としていません。収容施設に送り込まれるからでありましょう。
いま、それと同じことが中国の各地の至る所で見られるようです。巨大建設業者が資金不足に追い込まれ、中国各地に建設中の巨大ビルが仕事半ばで放置されたままになっています。その仕事をしたくても、業者にはその力がなくなっているのです。数百万人の男たちが路上に溢れた寝泊まりしている、、、、一方、共産党のお偉方たちは贅の限り尽くしながら、国外の景勝地の土地建物を我先に、と買いあさっている、、、、同じ中国人でありながら、仕事にありつけず、食うに困って路上に寝ているかと思えば、一方、贅の限りを尽くして優雅な生活をしている、、、驚くべきは、その差は共産党員であるか、ないかに依っているのです。
習近平が人民に語りかけたのは「共同富裕」という言葉でした。しかし、実態は「共産党員でなければヒトにあらず」という格差社会が生まれたのです。かてて加えて、中国各地は水害に襲われました。都市のみならず田畑も水没しました。水もなく、食べるものもなく、大勢民衆が「塗炭の苦しみ」の中にいるのに、共産党政府は、然るべき救助の手を差し伸べられないでいます。加えて、長江に建設された世界一の「三峡ダム」が今にも崩壊しそうです。上流の巨大都市・重慶は長江の水位が上がりぱなしになり、どうにかしてくれ、と叫んでいます。
2024年11月15日 キノコ街道 去年の今頃、関越道路を北上し、谷川岳の天神平へケーブルカーと、ロープウエイで登り、谷川岳、千の倉岳、平標山、茂倉岳と対面し、水上の聚楽ホテルに泊まり、翌日、関越道路を沼田で降り、名だたる「キノコ街道」へキノコを求めて寄り道したのでしたが、昔は街道の両側に目白押しに並んでいた「キノコ屋さん」が一軒も見当たりませんでした。理由は福島の双葉原発の放射能汚染が福島のみならず、栃木、群馬にも及んだとのことで、キノコの販売が法律で禁止されていたからでした。道の駅ではどうだろう? と川場村の大きな道の駅にも立ち寄りましたが、そこもダメでした。ならば、今年はどうなのでしょう?今が、キノコの最盛期なのですが、、、、
大昔、福島県を担当したとき、秋も深まったころ、会津の山奥の「檜枝岐の販売店を訪問することが楽しみでした。一年で2回ほどの頻度で尋ねるのでしたが、秋の訪問時は大鍋に「きのこ汁」を作って歓迎してくれました。余りの美味しさに「何というキノコですか?」と聴くと「なあに、雑キノコよ」とのことでした。大どんぶりで二杯お代わりした記憶が鮮明に残っています。
双葉原発のお陰で「美味の極値」とも言えるがキノコの売買禁止のお達しは、今年はどうなっているのでしょうか?
2024年11月14日 お役所 昨日は出来上がったマイナンバーカードを持って、新たな届け出をするため、練馬区役所の中を行ったり来たりしてしました。このお役所は本館と西館、東館の三つを持つ巨大ビルです。西館のほとんどは練馬区議会に使われていて、入館するのに誰何されました。届け出でをする部署は受付で聞いたものの、余りに巨大すぎて分らず、大汗をかきました。分ったことは、どこの階のどの部署にも職員さんが大勢いて、「うつむいて仕事らしきことをしている素振りをしている」ということです。「何でこんなにも人が必要なのか」という新たな疑問がふつふつと沸いてきてしまいました。お役所というものは我々の税金で成り立っています。足りなくなれば、金額を増やせばいいだけのはなしです。何の経営努力もしなくていいのです。つくづく思いました。役人にならなくてよかった、と。今思えば、早稲田の学生の時、地方公務員試験を受けて合格していたのでした。もし、山行きのグループ「どんどん講」の清水さんとのご縁がなければ、清水さんの親戚永井大三さんとの縁も生まれなかったはずで、朝日新聞への入社もなかったでしょう。さすれば、私はどこかの地の地方公務員であったかも知れないのです。
何をするでもなく、ただ、机にへばりついている練馬区役所の大勢の職員の群れを横目で見ながら、もしかすると、「これが私の姿で在ったかもしれないのだ」と思ったことです。
2024年11月13日 反省しきり 11月も半ばとなり、今年もあと45日で終わりを迎えます。米寿まで生き長らえて来れたことは感謝この上もないのですが、つらつら来し方を慮って見るに、「何ら、これは」という仕事、言ってみれば世の中に残るような仕事をしてこなかったことに改めて気がつき、内心、忸怩たる思いで、いたたまれない気持ちでいます。中学生の時、信州大学音楽部が募集した作曲コンクールに入賞し、NHK長野放送局からその曲を独奏したときは、音楽で生きようか、と意気込んだものの、すぐさま挫折しました。詩を書くようになってからは、「詩人で生きていこう」と思いました。「医者になろう」と励んだ時もありましたが、数学がダメで、しかも法外な金を要求されるため医学部を諦めました。結局、希望したもののすべてに見放され、一介のサラリーマンで生涯を閉じることになってしまいました。ただ、サラリーマンではあっても名だたる朝日新聞社に入社させて貰い、当時、350万部の発行部数でしかなかったのを、みんなと協力し合い、860万部まで押し上げたこと、これが唯一の語り草となりました。もう一つは、業務局長から朝日学生新聞社の社長になり、「朝日小学生新聞」、「朝日中学生ウイークリー」の部数を飛躍的に伸ばしたこと、自分の力ではないとしても、世のため、人のためになったのではないか。あの皇后美智子様が小学生の時、「朝日小学生新聞」の愛読者であり、当社の懸賞に大当たりし、賞品の自転車を乗り回しておいでになっていたこと、、、、、などなど。自分を無にして人のため世のために尽くす、、、少しはそれが出来たのではないか?と。でも、それは自分が本当にやりたかったことのなのか? 内心、忸怩たる思いで一杯です。
2024年11月12日 マイナンバーカード 仕事場の机の一隅には、今は使わなくなったカードや、病院の診察券など、五センチぐらいの高さで積み上がっています。財布には銀行カードや免許証などが約10枚。そこへ、またまた一枚のカードが加わりました。「マイナンバーカード」。一ヶ月前に手続きしたのが出来上がったから区役所まで取りに来い、とのお達し。練馬区役所の一階の部屋、かなり大勢の人に交じって、一時間後カードが手元へ、、、、一体、このカード何の利益があるのだろう、、、、せいぜい、住民証や戸籍謄本をとるときに利用できるくらいで、大部分は「お上が私めの情報を把握するのに使われるに過ぎない一方通行のカード!、、、、、ではなかろうか、、、、」
前回、自民党の総裁選争いで立候補して植田に敗れた河野太郎は、植田によってカード化を推進するための担当大臣にさせられてしまいます。悪評サクサクの担当部署。それでも河野太郎は一生懸命に職務を遂行します。そのお陰で、カード化に反対だった私めまでが、とうとう、巻き込まれてしまった!いやはや、これははや、でありまする。
2024年11月11日 4人の優れた女性 この度の衆議員選挙で松島みどりが再選を果たしました。彼女は有能な元朝日新聞記者でありましたが、退職して衆議院議員になりました。ところが選挙の時に「ウチワ」を配ったことが発覚し、公職選挙法違反で辞任に追い込まれていました。しかし、雌伏数年、今回、美事に復活を果たしたのです。優れた記者はもう一人いました。松井やよりです。山手教会の牧師の娘でしたが、慰安婦問題を取り上げ、それが大きなうねりとなり、両国間の大問題にまで発展してしまいました。しかし、何のゆえか若死にしてしまいます。もう一人は都知事選にまかり出た蓮舫です。当選して、伏魔殿と言われる都政の刷新を期待していたのですが、小池百合子に完敗してしまいました。その後、音沙汰はなく、今は家庭の主婦に収まっているのでしょうか?捲土重来を期待したい女性の一人です。最後の一人はイスラム学者の飯山陽さん。イスラム教を含めたアラブの現状分析について、彼女ほどの経験と学識を持った人は、日本には稀でありましょう。補欠選挙で東京都の麹町地区から立候補しましたが美事、落選です。彼女が組んだ相手が悪い。殊もあろうに「日本保守党」を立ち上げた、あの悪名高い百田某と組んだのです。男を見る目がなかったのです。百田は飯山を利用しようとしたのです。
松井やよりは亡くなって久しいけれど、残る三人は健在そのものです。今後の活躍をカゲながら願っている私です。
2024年11月10日 ニッサン ニッサン自動車が「社員9000名を整理する」というニュースが昨日報道されました。トヨタ自動車が史上空前の利益をあげ、ホンダもそこそこ頑張っているというのに、この落差は一体何でしょう?
朝日新聞社の社屋が有楽町から築地に移ったころ、私は毎日、築地の日産本社の前を通って通勤していました。池袋から地下鉄銀座で乗り換え、東銀座へ出て新橋演舞場と日産本社の角を曲がり、料亭「金田中」の看板を横目で見ながら、「癌研」の裏門に位置する新社屋へ通っていました。ニッサン本社前にはショウウインドウがあり、スポーツタイプのワンドアの車が展示されていました。その日産ローレルを免許取得と同時に購入したのです。小学校5年生の次男と6年生の長男、そしてまだ歩き始めて間もない三男らが喜ぶまいことか!私も運転訓練のためと称して、朝未明、目白道路の護国寺前から高速に乗り横浜まで行って、環状8号線で帰って来て、朝飯食べ出勤するという離れ業をやっていました。今思うと隔世の感があります。
ニッサンの不幸は組合の幹部が経営に参画した頃に始まります。それほどニッサンの労働組合は強かったのです。経営立て直しのため、提携していたルノーから役員が送り込まれました。それがゴーンです。そのゴーンは、ニッサンで勝手なことをし、経営を更に悪化させ、国外逃亡を図りました。楽器コントラバスの中に入り、税関をくぐり抜け、自家用機に収まって、彼の故郷レバノンに密入国します。今、彼は悠々自適の生活を送っているそうです。哀れなのはこの度、図らずも解雇される9000人の社員たちでありましょう。
一体何が悪くてこうなったのでしょう?私は思います。責任は解雇される9000人と供に、日進月歩する自動車産業に本気で挑戦せず、御身ご大切に仕事をしてきた社員全員の責任ではないか?と。写真は当時所有したものと同じ色のローレルです。
2024年11月9日 祝 電 アメリカの大統領の行方が、トランプに傾きかけた途端、世界の国々から大統領への祝電が殺到したそうです。世界184ヶ国の首脳からの祝電の嵐、、、、慣例とはいいながら、この習慣は人類が国毎に生存している以上、永遠に続くものと思われます。ちなみに、フランスのマクロンとの通話時間は25分だったそうです。英国のスターマーは15分。韓国のユンソンニョルは12分。日本の石破は?というとたったの5分。英語でやったのか日本語の通訳入りだったのかは詳らかではありません。習近平も、イスラエルのネタニヤフも、ウクライナのゼレンスキーも、ロシアのプーチンも祝電は入れたでしょう。何故なら国際的な儀礼だからでありましょう。仮に、もし、国民民主の玉木雄一郎が首相だッたらどうでしょう? 彼は東大法学部卒業後、財務省入りを果たしますが、その途中でハーバード大学へ留学しています。従って彼には通訳は必要ないでしょう。思うに、日本の政治を担う人間は少なくとも英語が話せる人でなければならない、と思うのです。前の岸田総理は留学経験がありました。頼みにしていた河野太郎は落選でしたが彼にも留学経験がありました。現在の石破には全くそれがありません。国際会議での微妙なやり取りは彼には出来ないのです。
たかが英語での会話というなかれ、今の世はされど英語なのです。
2024年11月8日 玉木雄一郎 いま、政界では国民民主党の動向に焦点が当てられています。何故なら過半数割れを起した自民党にとって、国民民主の28が喉から手が出るほど欲しいからです。「そうはさせじ」と踏ん張っているのが立憲民主他の野党です。つまり、与野党の間で、国民民主の28票の奪い合い現象が起きているのです。東大法学部を出て官僚になっていた彼が、政界に打って出たとき、立憲民主から入党の誘いをしきりに受けましたが、彼は肯んじませんでした。「ポット出のくせに生意気な」と私は以来、彼には好感情が持てないでいました。つまり「自己顕示欲の強いお坊ちゃんだ」と決めつけていたのです。
「時」が彼に幸運をもたらしました。与野党の両方から「引っ張りだこ」の現象が起きたのです。民主政治とは一面、数の政治でもあります。恐らく彼はこの現象を「好機」とみて、是々非々の態度をとるでしょう。その方向如何によって彼の存在価値が浮き沈みするはずです。
期せずして国民民主党の28票が国政を左右する目玉になってしまっているのです。この党の今後の出方が注目の的になることは必定です。
2024年11月7日 不法移民 アメリカ合衆国は、元々その成り立ちの歴史が極めて浅い国であります。詳しい年号は忘れましたが、スペイン人がアメリカ大陸を発見し、ヨーロッパ人が入国し、土着のインデアンを追いだし、建国に至った新興国であります。すなわち、移民によって成り立った国であります。その移民は現在も続いていて、大統領選挙でも争点の一つとなっていました。つまり、不法移民に対する対応です。バイデン政権下の四年間に延べ730万人の移民があったと言われています。最も、アメリカ国民の7割弱は「移民をよし」とする風潮にあります。すなわち、自分も元々は移民だったからでありましょう。逆に、第一期のトランプ大統領は正規の移民は認めても、不法移民については厳しい態度で臨みました。メキシコ国境との間に巨大な壁を創らせました。かねてより、バイデン政権下での不法移民に対する甘い対応に批判的でありました。再びトランプ政権になった以上、メキシコ国境にそびえ立つ巨大な壁は、更に頑丈なものになること必定でしょう。
一方、移民に対する日本国の対応はどうでしょう。至る所で東南アジア出身の労働者を見かけます。昨年の7月、鼠径ヘルニア手術の後遺症で近くのリハビリ病院に10日間入院しましたが、看護士さんたちのほとんどは韓国、ベトナム、マレーシア、タイの女性たちでした。不法移民は日本ではいまだ問題提起されてはいませんが、アメリカのようにならないことを願うばかりです。
2024年11月6日 大統領選挙 アメリカの大統領選挙の開票が、ただいま、続々と行われています。二度目のドナルド・トランプ対女性候補カマラ・ハリス。共和党と民主党の戦い。接戦です。アメリカの大統領選挙は、日本のような票数ではなく、人口に応じて各州に割り振られた選挙人の数で決まります。選挙人の数は538人。この過半数を獲得した者が次期大統領になるのです。アメリカのほとんどの州では、その州で過半数の票を得た候補者が選挙人全員を獲得できる仕組みであるため、全国的な得票数で勝っても、その候補者が勝つとは限らないのです。その点、複雑怪奇ではあっても、一面、なるほどと思わせる最良の選挙制度であるかも知れません。
ただいま、11月6日の午後5時。どうやら結果はトランプの返り咲きの気配が濃厚となっています。それにしても民主党の女性副大統領であったカマラ・ハリスの戦いぶりは美事でした。最も、アメリカの大統領は、二大政党制であるが故に、民主党の次は共和党となるのが常ではありました。「ガラッと政府が替わる」「政府の人間も替わる」!
日本のように「政府が替わっても役人はそのまま」ではないのです。役人も入れ替わるのです。そこにこの制度の良さがあるのではないでしょうか?
さあ、トランプさんのお出ましです。「待ってました!」と世界のある地域では歓迎ムードになっているでしょう。
2024年11月5日 箸の持ち方 何気なくユーチューブを見ていたら、この度、総理大臣になった石破茂の食事風景が映し出されていました。驚いたのは、彼の食事マナーが恐ろしく汚い。先ず、箸の持ち方が尋常でない。一本箸を平気で使う。迷い箸をする。行儀の悪い食べ方をする、、、、、とても見ていられない、、、どんな家庭教育を受けてきたのだろう、と調べて見るとこれも尋常でありません。彼は、元鳥取県知事石破二郎の息子だったのです。母親はクリスチヤンで学校の先生。父親は1981年に亡くなりますが、そのときの葬儀委員長が田中角栄。これ以上のものは無いのに、何故か箸の持ち方やその扱い方、仕草が下品で汚い。私は思います。どんなにエライ人であろうと、功なり名遂げた人であろうと、食事のマナーが汚い人は、どこかに欠点を持つ、と。人間的に見てもどこか信用がおけない、と。ということは、自民党受難のこの時、彼の力量ではそれを跳ね返せるか、甚だ疑問だ、と思えてなりません。たかが箸の持ち方!と言うなかれ、されど箸の持ち方なのです。
2024年11月4日 三峡ダム 今日も昨日に続く快晴。空は一片の雲もなく晴れ渡り、地には微風すらなく、気温は26度前後。こんな日は、そう滅多にあるものではありません。思えば、世界の各地で、豪雨による水害に襲われ、家をなくし、水や食料の援助を受けることなく、悲嘆にくれているに違いない多くの人々のことを思うと、申し訳ない気持ちで一杯になります。
1月1日の地震による被害を受けた能登半島では、その後の線状降水帯により、更なる被害を受けた皆さんのことを思うと、居ても立ってもいられない気持ちにさせられているのですが、更に大きな被害が中国で起きそうな気配です。それは、中国の長江の上流に位置する、世界一の規模の「三峡ダム崩壊近し」のニュースです。このダムは上流から流れてくる処理仕切れない土砂やゴミの類いを取り除く作業をしないため、イナ、出来ないでいるため、水位が上がり、上流の都市重慶を水浸し、今にも崩壊しそうな状況下にあります。その上、堤防には一万カ所以上の亀裂が見つかり、崩壊を免れない状況下にあるようです。
もし、一カ所でも崩壊したら、連鎖反応で全部が矢継ぎ早に崩壊するでしょう。すると、琵琶湖の三倍の水が下流を犯すでしょう。間違いなく、下流の多くの都市が水没し、最下流に位置する上海までも全市が犯されるそうです。約一億二千万人が罹災すると言われています。それが分っていながら、中国政府は何の対策もとれないでいます。
2024年11月3日 文化の日 今日は文化の日。お天気は雲一つない快晴。快晴でなかった文化の日は今まであったでしょうか? 新聞を開けば「秋の叙勲」。年々増える外国人受賞者を含めて4074人のお名前がずらり。大臣経験者、衆参両院の議員経験者、裁判所判事、検察庁検事、県議、市議、大学名誉教授、74歳だったか年齢は忘れましたが、名誉がつくと誰でももらえるそうです。一方、どんなに優れた教育者であっても高校の先生は該当しません。況んや、中学校、小学校の先生においておや。ぼんくら大学名誉教授と、命をすり減らして、教育ととり組んできた高校、中学、小学校の先生と、どちらが文化の日の叙勲に相応しいでしょうか。不可解なことはまだあります。新聞、テレビなどのマスコミ関係者の叙勲は極めてマレだ、という現実です。時の政府のことどもを日ごとあげつらっているマスコミ故に、当局から嫌われている、とは十分承知はしていても、片手落ちのそしりを免れないのではないでしょうか?
朝日新聞社では開闢以来、叙勲の栄に浴した者は、ただの一人もおりません。それは、読売新聞とて同じ。全国の新聞社とて同じ。同時に新聞系のテレビ会社も同じ。叙勲という片手落ちな制度。いっそのこと、80歳を過ぎても、元気に仕事をしている人全員を対象者にしては如何でしょう。
2024年11月2日 哀 れ つくづく哀れだと思うのは、ある日突然に、ウクライナ戦線に送り込まれ、生死の境を彷徨っている北朝鮮の兵隊さんたちです。自分が何のたロシアに運ばれてきたのか、何の目的があって戦いの最中に放り込まれるのか、説明もされず、その意義や目的も知らされず、気がついたら、直ぐにでも命が奪われかねない状況の最中にいる、、、、、これほど理不尽なことがあっていいものでしょうか? その意味で、私はプーチンと金正恩の二人の独裁者を恨みます。二人は人間の命の尊厳には一切触れず、自分の勝手な思いの成就のために、国民の命を我が物としているのです。勿論、こういう理不尽な国を作り出してしまった国民の側の責任も無視できませんが、今は全く無視されている、マルクス・エンゲルスの存在も影響しているでしょう。
独裁者のもう一人は中国の習近平です。そうでなくても、中国の現状は、河川の氾濫で大損害を受けて悲惨な状況です。その上、疫病が蔓延しだしているようです。田畑の水害により、農作物の栽培が出来ず、救助物資の搬入もままならず、住民は飢餓の状況にあるようです。更に状況を悪くしているのは、世界の企業が中国に見切りを付けて、続々と撤退を開始していることです。日本企業とて例外ではないようです。結果として巷に失業者が溢れます。大学卒業者の大多数が社会人になれずにいます。中国という国が、いま、未曾有の危機に瀕しているのに、独裁者習近平は、何ら行動をおこそうとはしていません。ロシア、北朝鮮、中国、この三つの国のこの先に目を離すことが出来ません。
2024年11月1日 ドジャース勝利 大谷翔平が属するドジャースが、ニューヨーク・ヤンキースを破ってアメリカ・ナンバーワンに輝きました。驚喜乱舞するロスアンゼル市民と共に選手同士のシャンパン・シャワーの模様が映し出され、大谷翔平や山本選手の無邪気な喜び様がテレビに映し出されました。見ているこちらまで嬉しくなりました。恐らく、日本中が沸いているでしょうが、岩手県、中でも花巻市民の皆さんの思いはイカばかりでしょうか!特にご両親、ご兄弟の喜びは最高でありましょう。誠に、お目出度うございました。
この先、彼は全米一の称号を貰って来春、日本へやって参ります。二月末、ドジャースとメッツの開幕戦が予定されています。恐らく、後楽園球場での緒戦でしょうが、当然、日本の球団との試合も予定されるでしょう。ジャイアンツとの対戦が自然な成り行きでしょうが、今のままではその可能性が見えていません。理由は、読売の代表権者、96歳のナベツネが、口をつぐんで謝罪はおろか、保障についてだんまりを決め込んでいるからです。今や心ある日本人のほとんどがナベツネが君臨する読売テレビ・読売グループに批判的です。新聞の部数にまで影響が及んでいると仄聞しています。ナベツネは曰いました「たかが選手が!」と。それに対して日本中には次の声が満ち満ちています。「老いぼれは速やかに去れ!」と。
2024年10月31日 松 茸 松茸で思い出すのは、九州小倉の西部本社へ営業局長として赴任していたときです。その年の秋の始め、山口県の県紙を発行する山口新聞の社長さんが、ご自身が契約している山の松茸狩りに呼んでくれました。山口新聞は朝日新聞で扱っており、その社長さんは折に触れ砂津の朝日本社へご機嫌伺いに来てくれていました。そのときは私と第一部長の田中時雄君がお呼ばれに預かりました。松茸はどういう地なりのところに群生するのか、菌を残して採取するにはどの指をどう使うか、講義を受けて山へ入りました。ブナの樹の根元の土が少しでも膨らんでいれば、そこには傘が開いていない美事な松茸が存在していました。夢中で山の斜面を這いずり回り、とうとう「ビク」が松茸で一杯になりました。同僚の田中君とて同様でした。山小屋では社長さんが大鍋に牛肉を入れて待っていました。そこへ採れたての松茸を放り込み、これも用意されていた日本酒と共にいただきました。いや、旨かったの何の!
至福の時間は瞬く間に過ぎましたが、自分で採った松茸は自分のものとしてお持ち帰りしていい、その上、あらかじめ用意されていた一籠分の松茸まで頂きました。松茸と牛肉で満腹になった上に、段ボール一杯の松茸を抱えて帰宅しました。さて、どうする?東京にいる息子たち三人と女房の顔が浮かびました。松茸がどっさり入った段ボールを抱え、新幹線に飛び乗り、博多空港から羽田へ向かいました。あらかじめ電話しておいたので、食卓には鍋が置かれ、牛肉も今や遅しと待っていました。余りに量が多く、女房はご近所にもお裾分けしていました。翌朝、一番で羽田へ向かい、10時には何食わぬ顔で砂津本社のデスクに座っていました。
2024年10月30日 上高地 紅葉たけなわの今日この頃、去年の谷川岳天神平へ再度、、、と思いつつも、いっそのこと北アルプスの麓、上高地まで行こうか、、、、、心は千路に乱れます。状況を知ろうとネットで調べ始めたところ、「ぎゃふん」となりました。穂高の麓「河童橋」付近が大混雑なのです。それもほとんどが外国人!!!恐れ入ってしまいました。京都・奈良が外国人で溢れかえっているとは聴いていましたが、どうやら最近は、日本の僻地にまで観光客が好んで押しかけているようなのです。これは、喜ぶべきか、それとも弱った現象とすべきか、千路に乱れます。
最初の上高地は高校時代でした。穂高に登り、降りてきて河童橋のほとりで、朝炊いた飯盒の残りメシを梓川の水で洗い、先輩の一人が回してくれた塩昆布と共に掻き込んだこと。旨かったの何の、、、、二度目は沖縄の夫婦の客人を乗せて吊り橋のソバの帝国ホテルで昼食をとり、その晩は信濃大町に泊まり、翌日は黒四ダムへ行ったこと。そのときは過労が祟り、目眩がしたので、慌てて運転を止め、デズニーランドで勤務中の長男を呼び、運転を交代して貰い、私は信濃大町病院へ入院しました。客人にモシモのことがあっては、と大事をとったのでありました。そのときの、信濃大町から黒四ダムへの途中の紅葉、それはそれは美事でした。途中、道端の出店で5000円で松茸を買いました。沖縄の客人は、それを大事そうに抱えて沖縄に帰って行きました。懐かしい思い出です。
2024年10月29日 選 挙 (3) 今回の選挙で、自民党の議席は公示前の247から191となりました。56議席の大幅減です。公明党も32から24となり8議席の減。両党あわせても215で、過半数の233を18議席も下回りました。裏金関与議員の48人に関しては28人が落選しています。非公認についても3人だけが当選です。その内の一人がウジ虫・萩生田光一です。
と言うことは、今後、自公が予算案や法案を可決するに当たって、自公だけでは出来ない、野党の協力が不可欠になったことを意味します。従来にはなかった現象が現われたのです。
大昔、まだ、社会党が健全であったころ、高校時代同級で、卒業後直ぐNHKに入社し、NHK組合の副委員長を務めていた佐々木潤君の紹介で当時の社会党の勝俣議員を議員会館へ尋ねたことがあります。議事堂の近くに衆議院・参議院のビルが並んでいました。議員一人一人に瀟洒な部屋が与えられ、一階には廉価の食堂がありました。そこで議員からご馳走になりました。そのとき隣の席に岩手の小沢一郎がいました。
今回の小沢は?と見ると、11万票余りで当選しています。彼はかれこれ50年近くこの議員会館に住み続けているのではないでしょうか?牢名主も同然です。
2024年10月28日 選 挙 (2) 衆議院選挙の結果が出ました。「自公過半数割れ」となりました。213対232です。実に際どい。しかし、大変な結果です。でも、国民民主党の27が寝返ればたちまち逆転です。一方、裏金関与がこの選挙の争点でしたが、関与した議員のうち下村氏を含む28人が落選しましたが、何と、悪名高い萩生田光一が当選してしまいました。79216票。二位は71683の有田芳生。有田芳生は評論家ではありますが、れっきとした見識を持つかなり名の知れた知識人です。政界の金魚の糞と言われる萩生田とは段違いの人間性の人物です。八王子の萩生田に入れた皆様にお尋ねいたします。彼はかつて、八王子のために何か有益なことをしたのでしょうか? 悪名高いのを承知の上で、今もって彼を支持するその理由は何なのでしょうか?命を張って八王子のために尽くした過去でもあるのでしょうか?
今回の選挙について、私自身は「劇的なことが起きる」と期待していたのでしたが、まあまあの結果となりました。それにしても投票率が低い。53%前後とのこと。と言うことは有権者の半数近くは「投票しなかった」「投票所に足を運ぶのが面倒くさかった」のです。何ということでしょうか!
2024年10月27日 選 挙 (1) 選挙の投票に行ってきました。投票所は近所の向山小学校の講堂です。この学校には長男、次男、三男がお世話になりました。考えてみれば、私は選挙権を得て以来、一度も自民党に投票したことがありません。今回も比例代表は「令和新撰組」と書きました。今回の選挙での見所は、金権まみれであった自民党が、どれだけ国民の怒りを買ったか! に尽きるようです。前にも述べましたが、もし、八王子選挙区で萩生田光一が当選したら、ここの選挙民の良識を疑うと同時に、日本の国民に愛想が尽きてしまうでしょう。それにしても面白い選挙になりそうです。再び立憲民主党の政治になるのか、かろうじて自民が踏ん張るのか、開票は8時から始まります。
2024年10月26日 時限爆弾 喧嘩には報復がつきものです。親しい友達同士の喧嘩や、夫婦げんかならいざ知らず、ヤクザ同士の喧嘩となるとそうはいきません。報復は報復を呼び、そのまた報復が続き、ことは次第に大きくなっていきます。その典型になろうとしているのが、今回のイスラエルによるイラン本土攻撃です。一ヶ月ほど前に、イスラエルはイラン本土から181発のミサイル攻撃を受けました。ハマスやヒズボラではなく、イランからの直接攻撃は初めてでした。その仕返しが行われたのです。ただし、攻撃対象は、石油精製施設や核施設などではなく、専らイランの軍事施設のみだったようです。イランは石油産出国です。石油掘削と精製で成り立っている国です。広大な面積を占めていますから、攻撃するには一番狙いやすいし、しかも効果は絶大です。敢えて、狙わなかったのは何故でしょう? それは石油施設が爆撃されてはイランの石油を当てにしている世界が困るからです。石油がストップされて困らない国は世界にあるでしょうか?と同時に世界の世論は「イスラエルは悪」に傾くでしょう。 しかし、今回はこの程度で済みましたが、イランとイスラエル同士の本土攻撃が激化した時、このままで済むでしょうか?世界は時限爆弾を抱えているようなものです。
2024年10月25日 パクチー 家から車で五分のところに巨大スーパーが出来て、かれこれ半年が経過しています。いつ行ってもガラガラ、その代わり品ぞろえは圧倒的多数。売れ残ったものは、その後、どうなるんだろう、と人ごとも思えず、つい、沢山買ってしまいます。食料品の買い物が好きな私にとって宝の山を見過ごす訳にはいかないからです。学生時代の一時期、上井草の四畳半に間借りして、自炊生活をしていた頃を思えば、今は天国にいるようなものです。今日はその野菜売り場の一隅に、沢山のパクチーが置いてあり、大きな束が一つ100円で売られていました。これ幸い、とばかり大枚300円を投じて三束買いました。パクチーは東南アジアではごくありふれた葉物野菜ですが、何故か、日本でははやっていません。小田急線の経堂にパクチー料理の専門店が出来た頃がありましたがいつの間にかなくなっていました。恐らく、強烈な匂いを放つ葉物は日本人の口には合わないのかも知れません。
しかし、この葉物野菜は東南アジアでは民衆の台所の必需品です。タイ・チェンマイの野外マーケットでは大きな束が15バーツ程度で売られていました。ミャンマーのホテルでカレーライスを注文したところ、山盛りのパクチーがカレーの上に載って出てきました。数多の香辛料を使ったカレーとパサパサのライスとパクチーは絶妙な味を作り出し、その旨さに感動を覚えながらたいらげた思い出があります。さて、今日仕入れてきた久しぶりのパクチー、鰹のお刺身と共にパクパクいただきます。
2024年10月24日 追 銭 衆議院選挙が三日後に迫りました。金の問題で追い詰められた自民党がどうなるかが今回の選挙の焦点ですが、国民の判断がどう出るか、興味津津です。中でも、2700万円もの裏金を懐に入れながら、審議会への出席を拒み、逃げに逃げ回っていた八王子選挙区の萩生田光一にどういう引導が渡されるか、興味津津です。噂によれば、非公認となっている萩生田に自民党本部から更に2000万円が流れた、とのこと。八王子の選挙民はこれを含めてどう捉えるでしょうか。仮にも彼が当選すれば全国の心ある人々は八王子の人達を軽蔑するのではないでしょうか。
彼こそいわゆる政治屋そのものです。政治家の足下にも及ばないクズ人間です。時の権力者の懐にたくみに取り入り、危なくなると逃げ回っていました。安倍晋三の「モリ・カケ」事件の時、テレビを前にして堂々と偽証すらしました。さあ、三日後、どうなるでしょうか?
2024年10月23日 AーI 毎週日曜日のNHKテレビ2ちゃんねる0時半から囲碁の番組が始まります。プロ棋士の対局がそのまま画面に映し出されます。つまり、棋士が繰り出す一手一手が分るのです。更に、面白いのは、最善手と思われる次の一手が、対局者には分らない様に画面の碁盤に「緑の点」となって視聴者にだけ知らせてくれるのです。何故、次に打つべき最善手が分るのか?どこの誰が最善手と決めて知らせてくれるのか?
それをするのが「AI」なのです。「AI」の懐には東西古今、何千、何万と打たれたすべての棋譜が内蔵されているそうなのです。そのため、それらを踏まえて、「この場面ではこの一手」を瞬時に選び出し、緑の点となって画面に現われるそうなのです。正に、どえらいことが囲碁の世界にも起きているのです。ただし、その緑の点は視聴者だけが解るようになっていて、対局者は、当然ながら、見ることが出来ません。優れた対局者であれば、一手毎に緑の点だけを狙って打ち進めるでしょう。実際、過日行われた朝日の名人戦決勝で対局した一力遼と芝野虎丸は、両人には知らされていないが、AIが最善手とする「緑の点」だけを狙って打ち進んだそうです。多くのプロの棋士たちは、その凄さに舌を巻いたそうです。
「AI」これを駆使することが出来たら、、、世界がもっと広がるのではないか、、、面白いことが起きるのではないか、、、何とかして採り入れる勉強が出来ないか、、、誰に教わればいいのか、、、教えて貰ったからといって私に使いこなす能力があるだろうか? 心は千路に乱れます。
2024年10月22日 笑顔の魅力 いつもの朝のように、羽鳥慎一モーニング・ショウにテレビをあわせていましたら、何と、やり投げ金メダルの北口榛花さんの出演です。羽鳥さんと一緒にテレ朝の屋上に行って実演まがいのことをしたりして、彼女の魅力を存分に引き出していました。一芸に秀でた人は、動作も魅力的だし、その笑顔も素敵でした。タレントとしての素質も十分です。女子ゴルファーで全英オープンで優勝した渋野日向子もそうですが、二人に共通するのは、その笑顔の素晴らしさです。その動作の屈託の無さです。そういう笑顔の持ち主は男性にもいました。昔のテレビ朝日の午後の番組、「おかずのクッキング」を長い間務めた料理研究家「土井勝」さんでした。何とも柔和な笑顔で、毎日テレビに登場していました。この笑顔とこの番組を何とか朝日新聞の進捗に役立てないものか、と当時宣伝部長だった私は考えに考え抜きました。たまたま、この番組のテキスト「おかずのクッキング」の月刊誌に気がつきました。当時、テレ朝の出版部長は、同じ長野の「北高校」3年先輩の丸山一昭さんでした。このテキストを何とか販売促進に使えないか、と考えに考えた末、月刊誌一冊のテキストを縮小して、何とか一冊30円で50万部下ろして貰うことに成功しました。販売店から朝日の読者へのサービス品としたのです。大好評でした。注文が殺到し、確か、毎月200万部にもなり、値段も20円になったと記憶します。
私の仕事場には土井優さんから頂いた色紙が飾ってあります。既に色あせていますが、達筆でただ一字「味」とだけ書かれています。北口榛花の屈託のない笑顔と、土井勝さんの柔和な笑顔が重なり、今朝の宝物になっています。
2024年10月21日 でかした大谷翔平 いま、ロスアンゼェルス中がお祭り騒ぎです。沸きに沸いています。何故なら、ナショナルリーグ優勝決定戦での7戦目、ドジャースが10対5でメッツを破り4勝3敗で勝ち名乗りを上げたからです。いよいよ、アメリカンリーグの優勝者ヤンキースとのワールドシリーズ7連戦の始まりです。先に四勝したほうがワールド・チャンピオンです。
それにしても大谷選手の活躍ぶりは驚異的です。全米が舌を巻いて賞賛しています。大変な人気ぶりです。それにもまして、彼の奥さん・真美子さんも大人気です。全米女性の憧れの的になっています。控えめで偉ぶらない。お金の使い方も質素です。更に、一家の飼い犬「デコピン」までもて囃されています。
これらすべて、日本人として嬉しいことばかりです。こんな嬉しい知らせはありません。日本中、なべて祝杯を挙げましょう
2024年10月20日 北朝鮮参戦 現在、北朝鮮の兵隊が、続々、ロシアに集結しつつあります。最終的には一万人規模の兵隊がウクライナ戦線でウクライナと対峙するだろうと予測されています。半年ほど前、ロシアのプーチンは北朝鮮を訪れました。そして懇願しました。弾丸を分けてくれ、と。兵隊をよこしてくれと。お互いに帝国主義打倒のために協力し逢おうではないか!と。
得体の知れない独裁者の国、北朝鮮を「当てにするロシア」!NATO連合に追い込まれて窮地に立たされているロシアが打った最後の手段なのでしょうか。それにしても、惨めなのはウクライナ戦線に投げ込まれる北朝鮮兵です。何のために戦うのか、その意味も分らず武器を持たされるのです。戦火の中に放り込まれるのです。そして、死地に赴くのです。二人の独裁者は人間の命を何と心得ているのでしょうか!悍ましい限りです。私は世界の人々に訴えたい。自分の権勢を維持するために、人の命を軽んずる行為をしてはならぬ、と。意味も分らず、異国の戦線に放り込まれて、虫けらのように殺される一人の人間のことを考えなさい!と。私は声を大にして言いたい。この地球上に独裁者の存在を許してはならぬ、と。
北朝鮮のウクライナ戦線参加!これは悪です。悍ましい限りです。二人の独裁者の身勝手な行動を、「天」は許さないでしょう。必ず、天罰が下るでしょう。私はそれを信じて疑いません。
2024年10月19日 女性宰相の欠点 地球上のすべての国の指導者が女性になれば、地球に戦争は起きないだろう、と私は既にこのホームページで主張してきています。ところが、女性宰相であったばかりに、とんでもないことが起きている例がヨーロッパに出現しています。それはドイツです。アンゲラ・メルケルさんの国です。彼女はドイツの車を買って貰いたくて、人口14億の国、中国に何度も何度も行って、ベンツやフォルクスワーゲンの売り込みを図りました。そして、それに成功しました。しかし、その後どうなっているでしょうか? 多くの車に関係するドイツの子会社が中国資本に買収され始めました。多くの中国人がドイツの車関係の会社に入り込み始めました。ドイツの国そのものが、中国人で溢れ始めました。つまり、ドイツが誇る車産業が中国資本に乗っ取られ始めているのです。メルケルさんにそこまでの自国の惨状を予見できていたいたでしょうか?
習近平が唱えた「一帯一路」構想は当時はもて囃されました。多くの低開発国が中国資本を貰って港湾の新設やインフラの整備に励みました。しかし、貰ったお金や資材はやがては返さなくてはなりません。しかも返済はドルでしなければなりません。返済が履行出来なければ、その港湾施設などは中国のものになります。その絡繰りに気づいた低開発国はこの制度を横目で見るようになりました。中国の野望に改めて気づいたからです。今や、一帯一路は世界的規模で悪評嘖々です。
共産党員でなければ人にあらず、とまではやされる中国では党員であるがゆえに富を蓄えた富裕層が、世界各地の土地を買いあさっています。習近平はしきりに「共同富裕」と唱えていますが、焼け石に水です。日本は、その富裕層の格好の餌食になりつつあるのです。日本の高層マンションは言うに及ばず、水の豊富な青森奥入瀬川周辺、北海道の土地その他、既に、中国人の所有となり始めています。阻止することは出来ません。それほど、日本はのんびりした国なのです。日本はドイツの惨状を「他山の石」とすべきです。
2024年10月18日 紅 葉(2) 既に10年を経過しましたが、その年の10月中旬、ポーランドのワルシャワへ行ったのは、五年ごとに開催される「ショパン・コンクール」へのチケットが、現地に行けば、何とか手に入るかもしれない、という淡い期待があったからです。案の定、チケットのすべては、中国・韓国の団体客に買い占められていて、コンクール会場を外から眺めるだけに終わりました。そのお陰もあってか、アウシュビッツヘ行くことが出来ました。ショパンの記念公園の散策が出来ました。公園内のベンチに座ると、ショパンのピアノ曲が流れました。横になったショパンの石像の脇から噴水が音に合わせて吹き上げていました。折から、記念公園は紅葉の真っ盛りで、落ち葉をかき分け、踏みしめ、ショパンを懐かしみました。結局、コンクールの全容は、投宿したノボテル・ワルシャワの部屋のテレビのご厄介になりました。何のことはない、東京と同じでした。美事な紅葉は、ユダヤ人が大勢毒殺されたアウシュビッツでも同じでした。 「働け、されば自由を得ん」とドイツ語で書かれた看板の両脇の樹木も紅葉していました。毒殺された600万人に及ぶユダヤ人!どんな気持ちで紅葉を眺めたことでしょう!泣けて、泣けて仕方がありませんでした。一週間をワルシャワで過ごし、10月30日、帰朝しました。私を待っていたかのように、親友・宮沢恭人君は前日の29日に亡くなりました。物言わぬ彼に向かって「おい、起きろ、頼むから起きてくれ!」半狂乱になって彼を揺り動かしましたが、ダメでした。
今年もその30日が迫ってきました。彼は井の頭線「東大前駅」の真下に位置する小さなお寺で、連日、彼の後輩である東大生の足音を聞きながら眠っています。
2024年10月17日 紅 葉 (1) 紅葉は8月下旬から始まります。と言っても巷の話しではなく、北アルプスの立山・剣岳の周辺からのことです。長野柏与印刷の清水さんが組織するで山行きクラブ「どんどん講」の学生組、東大生の白石さん、教育大生の山岸さんと、長野北高三年の小生の三人は、夏休み終わり頃、信濃大町から扇沢を登り、700メートル下って黑部川との出逢い「平の小屋」で一泊。翌日、立山別山を経て室堂に到達。剣沢源流の剣池で、剣沢を這い上がってきた大人四人組と無事合流、池の畔にテントを張りました。立山も剱岳の指呼の間でした。何と、驚いたのは池の回りの雑木が、既に紅葉していて、風に煽られ、落ち葉が舞っていたことでした。加えて3000メートルを超える剣岳の雄飛が池の面に映り、ここは、天国に一番近いところではないか、と思ったことでした。
昨年の10月下旬、関越道路を水上で降り、湯桧曽温泉に一泊しながら、ケーブルカーとロープウェイで天神平まで上がりました。谷川岳の肩の小屋が目の前です。左手に千の倉岳、平標山、右手に茂倉岳。遥か右手は上越の山々。奥に越後の八海山。全山、朱に染まっていました。行きも帰りも真っ盛りの紅葉を見下ろしながらの一時でした。
そのときの景観がまぶたに焼き付いていて、忘れがたく、あと何回も廻ってくる訳もないのだから、、、、思い切って、、、、思案の最中です。
2024年10月16日 女性候補者 今日のわが朝日新聞には驚きました。日本国中の選挙区毎の立候補者すべての名前が数ページに亘って、全員、漏れなく、掲載されていたからです。一つ間違えば、エライ騒ぎになるでしょう。全国に網羅されている朝日新聞支局の皆さん、本社五階の編集局の皆さんのご苦労はいかばかりであったでしょうか。それにしてもかなり大勢の皆さんが立候しています。中でも、女性候補者の林立が目立ちます。数えてみると戦後最多の314人。全候補者に占める割合は23,4%で戦後、最高を更新しています。ただし、政府が目標としている割合は35%で、その目標には届いていません。
翻って考えてみると、一家の台所を含むやりくりは主婦が握って居ます。国そのものを台所に例えれば、台所は主婦に任せるのが賢明です。男がしゃしゃり出るより、遥かに経済的に、有能に処理するでしょう。イギリスのサッチャー、ドイツのアンゲラ・メルケルを始め、世界には多くの女性宰相が国を有意義に治めてきました。
11月迫っているアメリカの大統領選挙。トランプが負けて、カマラハリスになったら、世界はどうなるでしょうか? 仮にもロシアのプーチンと、ウクライナのゼレンスキーが退き、両国とも女性首相が出現したら、戦争はどうなるでしょうか?同じことは、イスラエルとイランにも言えることです。ともあれ、今回の衆議院選、女性議員の多数の当選を期待いたしましょう。
2024年10月15日 選挙制度 アメリカの選挙制度は言わずと知れた、共和党と民主党だけの二大政党制です。1990年頃、日本もその制度を目指し、中選挙区制を廃止し小選挙区制を導入しました。時恰も、朝日のスクープによる「リクルート事件」が政界を揺るがす事件にまで発展した頃です。結果はどうなったでしょうか? 無残にも「一強他弱」となり、自民党の独裁政治が続いています。原因は政治家の世襲政治を許容する風土が根強く残っていること、自民党に対抗できる見識を持った政治家、政党が現われなかったことにつきます。中選挙区制を小選挙区制導入に舵を切った首謀者は選挙制度改革委員会を主宰した細田という老獪な議員です。一方、国民の側にも責任はあります。自民党ベッタリを許容する風土が、全国ここかしこにあったからです。
さて、自民党内部にはびこっていた金権体質を、国民がどう判断するか、が表沙汰になる選挙が間もなく始まります、ところが、どの地区を見ても反対勢力となりうる候補者が品薄です。相変わらず、世襲議員のお出ましです。この有様では、自民党議員の金権体質を許容している、と思われても仕方がありません。
その日、その日を何とか過ごして行ければそれでいいや、という国民性をイヤというほど感じているところです。
2024年10月14日 金メダルタルト パリオリンピックの「やり投げ」で、金メダルに輝いた北口榛花が帰国し、故郷の北海道旭川に凱旋しました。寂れつつある街「旭川」では重大事件で、四万8千人の市民が集まったそうです。ホテルで菓子職人を務める父親は、彼女のために、精魂込めて、お菓子を作りました。名付けて「金メダルタルト」。彼女は美味しそうに食べたそうです。彼女は小さいときから父親が創るお菓子を食べて育ちました。小太りなのはそのせいです。彼女はオリンピックで競技の出番を待つとき、寝転んで、カステラを食べていました。その姿を和田アキ子が「トドみたい」と揶揄する姿がテレビに流れました。騒動になりました。泣きながら謝る姿が放映されました。しかし、その後の経過はどうなっているのでしょう? ともあれ、北口榛花の出現は、寂れ行く都市「旭川」にとっては重大事件といってもいいでしょう。これを契機にして、この街が、復活を遂げていくようになってもらいたいものです。
2024年10月13日 Nコン 始まる 秋の名物、「NHK合唱コンクール」が始まりました。毎年、10月になると行われる、「全国・小学校、中学校、高校の部・合唱コンクール」を楽しみにしてきました。コロナ禍の為、中断を余儀なくされていましたが、今年から元に戻ったのです。今日は小学校の部、夢中で聴きました。例年のように、男子生徒の数はまばらでしたが、質の高い演奏が聴けました。小学校の部では日野市立小学校が常連校でしたが、程度の高い有力校も現われました。長野県の野沢市立小学校です。男子生徒も多く、服装はシャツ姿、声量十分の出演ぶりでした。長野県の常連校は長野市立旭小学校でしたが、このところカゲを潜めています。出場するかしないかは、どうやら、その学校の音楽担当の先生の熱意如何によるところが大きいようです。一昔前は、青森の根城中学校、福島の安積高等学校が常連校でした。
合唱は参加することが楽しい。みんなとハモり合うことが実に心地よい。私自身、早稲田の男性合唱団「グリークラブ」のアルト部門に参加していたことがあります。音叉による試験を突破して入部したのですが、アルバイトの時間と両立せず、短期間で終わりました。でも、入社して宣伝部長だったとき、ホテル・ニューオータニで行われた新春恒例の全販売店新年会の時、出し物として早稲田のグリークラブを選びました。後に、朝日の社長を長く務める、当時は専務取締役の中江利忠さんを、早稲田にお連れして、「マイウエイ」など練習して貰い、中江さんが二曲、グリークラブだけで二曲、演奏して貰いました。好評でした。お礼に、出演料の他にビール券をたんまり持たせてあげました。「先輩、ありがとう」と言われ悦にいったことがいい思い出になっています。
2024年10月12日 秋の日の、、、 今日は朝からまたとな秋晴れの日。空は晴れ渡り、風もなく、暑くも寒くもない穏やかな一日でありそうです。こんな日は、高校時代に暗誦までしていたヴェルレーヌの詩「落ち葉」を思い出します。上田敏の訳です。
秋の日の ビオロンの ためいきの 身に沁みて ひたぶるに うら悲し 鐘の音に 胸ふたぎ 色かえて 涙ぐむ 過ぎし日の 思い出や げに吾は うらぶれて ここかしこ さだめなく とび散らう 落ち葉かな。
この詩が、堀口大学の訳になるとこうなります。
秋風の ビオロンの 節ながき啜り泣き もの憂き哀しみに 我が魂を 痛ましむ 時の鐘 鳴りも出ずれば せつなくも胸せまり 思いぞ出づる 来し方に 涙は湧く 落ち葉ならね 身をば遣る われも かなたこなた 吹きまくれ 逆さ風よ。
ならば、もう一度高校時代に戻りたい。旺盛な好奇心を再び胸中にしたい。
2024年10月11日 ノーベル平和賞受賞 今日夕方、大きなニュースが飛び込んできました。何と、今年のノーベル平和賞に、日本の団体が選ばれたのです。受賞団体は「日本原水爆被害者団体協議会」!
唯一の被爆国である日本は、その悲惨さを世界に訴えるべく、長年に亘って地道な活動を継続してきています。その努力がノーベル選考委員会に認められ今回の受賞に至ったのでしょうが、ノーベル賞選考委員会も「粋な計らい」をするものです。何故なら、世界は今、二つの戦争に遭遇しています。言わずと知れたロシアとウクライナ、片やイスラエルとイラン。この四つの国は、表向きは無いことになっていますが、いよいよとなれば核兵器の使用に追い込まれかねません。特に問題になるのは敗色濃厚なロシアです。秘蔵している核兵器をウクライナのキーウ上空で炸裂させれば、形勢はたちどころに逆転するでしょう。同じことはイランとイスラエルについても言えるでしょう。
その緊迫している状況に鑑み、ノルウエーのノーベル賞選考委員会は先手を打ったのではないでしょうか。実に、時宜を得た偉大な判断だと私は思います。思えば、ノーベル平和賞は、日本は過去にも受賞しています。沖縄返還に尽力した、とされる時の総理佐藤栄作です。当時私は、沖縄コザ出身の彼女と交際しており、社会人になると同時に結婚し、男の子三人の父親になるのですが、私の方がよっぽど沖縄に貢献してきている、と思ったものです。
ともあれ、これは時宜を得た朗報です。日本は国を挙げてこの決定を喜び合おうではありませんか!
2024年 10月10 日 クルアーン(1) クルアーンとは、昔はコーランと呼ばれていたイスラム教の聖典です。隊商商人ムハンマドは、西暦610年ころ、迷うところがあって、しばしば、メッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想していたそうです。その瞑想中に突然、大天使ジブリールが彼のところに現われ、神から託された第一の啓示を与えたそうです。彼は、最初は魔神に化かされたものか、と思い怖れましたが、やがて、真に神から与えられた啓示と信じて、自ら、啓示を受け取って人々に伝える使徒としての役割を務めることを決意します。啓示はその後、何回にも下されたようです。
ところが、ムハンマド自身は文盲でした。故に、彼を通して伝えられた啓示は、ムハンマド使徒たちの暗記によって記憶され、口伝えで伝承され、また、書記によって記録され、伝承されました。ところが、啓示を暗唱した使徒たちの一部が、不届き者として惨殺されはじめます。これに対して危機感が抱かれ、632年から634年にかけて、ムハンマドの秘書を務めていたザイド・イブン・サビートによって、最初のクルアーンの編集が行われます。それを命じたのは第三代正統派カリフのアブーバクルの時のザイド・イブン・サビートでした。彼はムハンマドの秘書でもありました。(クルアーン2に続く)
2024年 10月 9 日 ムハンマド イスラム教の教祖、ムハンマドの一族は名門部族でありましたが、隊商商人でもありました。父親アブドッラーは彼の誕生前に死亡し、母親も彼が6歳の時に亡くなり、しばらくは祖父に育てられるが、その祖父も亡くなり、叔父の元で暮らすようになります。彼が25歳の時、隊商貿易の仕事の途中で知り合った裕福で美人ではありましたが40歳の女性ハデイーシャと恋に落ち結婚します。二人の間に三男・四女が生まれます。彼が瞑想している途中、何ものかの声を聴きます。声の主は、天使ガブリエルだったそうで、彼はこの瞬間から予言者になります。その啓示に従って、メジナとメッカの間に位置するバドルで、旧勢力との戦争が始まります。それは紀元630年のことです。軍事的勝利を収めたムハンマド軍はメッカに入場、カヴァー神殿に祭られたすべての偶像を破壊します。「真理がきて虚異は消えた」と高らかに宣言します。この間、どれだけの血が流れたことか!「右手に剣、左手にクラーン」これがイスラム教教祖の実像でありました。西暦632年、40歳で啓示を受けてから22年、ムハンマドは62年の生涯を閉じます。
つまり、「イスラム教の根本は、クラーンの実現の為なら血を流すことを厭わない」そういう宗教なのであります。アメリカのビルに飛行機ごと突っ込んで、多くの人間を殺害した9月11日の事件を英雄視する宗教なのであります。ガザで起きたテロ行為もレバノン・ヒズボラのテロ事件も、イスラム教徒からすれば、異教徒との戦いである以上、それは当然のことであり、当事者は英雄視されているのです。
一方、キリスト教の場合はどうか?33歳で十字架に架けられたイエスは、一度たりといえども武器を持ったことがあったでしょうか? 全くありませんでした。どんな迫害を受けても無抵抗でした。ましてや、人をあやめたことなど一度たりともありませんでした。血塗られた剣と共にあり、イエスの倍の人生を生きたムハンマドとそこが違いました。イエスの教えの根本は「愛」です。その愛にも「エロスの愛」と「アガペの愛」とありますが、イエスの生涯を記録した「旧約聖書」にも「新約聖書」でも、神の啓示の実現の為なら「人同士殺し合ってもよい」とは一言たりとも述べられていません。
そこが違うのです。だから、イスラム教ではテロ行為が啓示実現の手段として認められ、はやされ、当事者が英雄視されているのです。
イスラム以外の宗教は、すべて地球上から葬り去り、「神はアッラーのみ」の世界にすること、これこそがイスラミズムの目的であることを、我々は忘れてはなりません。
2024年 10月 8 日 二人の男の争い つらつらオモン見るに、中東で多くの人が死んでいる原因は、結局、二人の男の争いが、現在にまで続いていることに起因しているのではないか、と思えてなりません。その二人の男とはイエス・キリストと、ムハンマド・イブンです。イエスがゴルゴダの丘で十字架に架けられ、その後、632年を経て、ムハンマド・イブンが生まれました。彼の正式の名前は「ムハンマド・イブン=アブドウラーフ・イブン=アブドウラムッタブリ・マホメット」です。従って、しばらく前まではマホメットと呼ばれていました。騎馬隊を組織し、片手に剣、片手にコーランをかざし、抵抗する者を血祭りに上げながら砂漠の都市を征服して行きました。つまり、異教徒を亡き者にすることに、何ら抵抗を感じない、それが正しい行いであることを教義として内在させているのがイスラム教の根底にあるのでした。彼の教えは「クラーン(昔の呼び名はコーラン)」に詳らかですが、キリスト教でもそうであったように、多くの学者がしゃしゃり出て、年を経る毎に教義に教義が上乗せされ、複雑になっていったようです。一時期、イスラム教徒の自爆行為が世界中の話題をさらいましたが、教義には、それをする者は確実に天国へ行ける、と書かれているようです。従って、異教徒の殲滅は彼らの使命であり、目的でもあることを、我々は受け止めなければなりません。何しろムハンマド自身が、片手にクラーン、片手に剣を振りかざし、異教徒を「バッタ、バッタ」となぎ倒していたのですから、、、、
一方、キリスト教には「異教徒は殺してもいい」という教義はありません。教義の根本は「愛」です。「神の恩寵」です。そこが違います。
異教徒を殲滅させ、イスラム王国を建設することを教義として内在させているイスラム教というもの、地球上の人間は、仏教とも、フイフイ教とも、ゾロアスター教とも、根本理念が違うイスラム教の本質を見極め、対応していかねばならないのです。
2024年 10月 7 日 あれから一年 思い起こせば、あれから一年、一年前の今日、イスラエルに対するハマスのテロ活動が始まりました。無差別爆撃によってイスラエル人1200人が殺され、ガザで開かれていた音楽会の1400人が人質となりました。「ハマス」とは「イスラム抵抗運動の」の頭文字をとった略称です。1987年に発足したこの運動は、国家としてのイスラエルを一切認めず、武装闘争を掲げて自爆テロを行う一方、パレスチナ市民に対する福祉活動も行い、市民の支持を得てきました。パレスチナ側にも「ファタファ」という政治組織があり、2007年頃から一緒になりガザを実効支配してきました。
一方、国連にもパレスチナを支援する組織があり、世界各国からの莫大な支援金がパレスチナに贈られていて、その組織は「アンルワ」と呼ばれています。この組織には日本も加わっていて、かなりの金額が毎年寄付されていました。ハマスの目的はこの金にありました。いつのまにか、パレスチナ人民の為に使われなくなり、ハマスの為の武器弾薬、地下組織の拡大に使われていました。一部の金はハマスの要人のためのジエット機にもなりました。何故なら、アンルワの職員が国連の公平な職員であるべきところ、ハマスベッタリの人間に替えられていたからです。その巧妙な仕掛けにイスラエルも国連も気づかない訳はなかったにも拘わらず、一年前の今日、ハマスの最初の攻撃を受け、イスラエル人1400人が殺され、ガザで行われた音楽会の参加者1200人余りが人質となりました。その後、人質は捕虜交換で大部分が返されましたが、未だに400人ほどが拘束されているようです。
怒り心頭を発したネタニヤフ首相以下のイスラエルはハマスを殲滅し、最高指導者を屠り、余勢を駆って、もう一つのテロ組織、レバノンに居を構えるヒズボラに空爆を行いましたが、これに怒り発したテロ組織の親分イランがイスラエルに対して膨大な数のミサイルを浴びせました。
以上がこれまでの経緯です。ここ一年間の経緯です。問題はここからではないでしょうか? 世界史を紐解くまでもなく、一度起きた争いは、どちらかが倒れるまで続くのが常です。折から、アメリカの大統領選です。トランプはイランを昔から敵視しています。イスラエルはトランプの再登場を心待ちにしているはずです。
2024年 10月 6 日 マナーの悪さ 度重なる台風や、線状降水帯による集中豪雨によって、大きな被害を受けているのは、日本のみならず、中国においても同様のようです。特に、揚子江の上流の三峡ダムを中心とする周辺の都市の被害は甚大のようです。その被害をモロに受けているのが大都市「重慶」のようです。原因は大雨により土砂が下流に流れ、それがダムによってせき止められ、水位が更に上昇するからです。
一方、水害で大きな被害を受けているにも拘わらず、日本に来る観光客が日増しに増えているから不思議です。余程、中国の旅行会社の宣伝が上手いせいでしょうか。問題は、その中国人旅行者のマナーです。至る所で問題を起しているようです。旧聞に属しますが、靖国神社の石柱に落書きをしました。既に登山禁止になっている富士山に軽装で登り、雨風に祟られ、身動きが出来なくなり、救助隊が出動する事件がいくつも出ました。奈良公園の鹿と戯れるのもいいが、「鹿の角は高く売れる」そうで刃物で切り落とす暴挙に出ました。電車の中で食事をする、大声で話す、至る所にゴミを捨てる、、、食べ物を食い散らす、、、最近、京都でこんな事件が起きました。京都料理の名店に、確か名前は「上原」だったか、、、私も一度行ったことがあるのですが、、、、中国旅行社から30人分の予約が入りました。店側は心を込めて仕込みをし、用意万端整えて当日を待ちました。ところが、その当日、ドタキャンです。旅行者側は素知らぬ顔のようです。店側は怒り心頭を発しました。このままでは収まらぬ、裁判沙汰にしました。ところが、中国旅行社側はぬらりくらりだったそうです。でも、勝訴したそうです。
円安をいいことに、外国人旅行者が日本に雪崩れ込んできています。日本としては、嬉しい悲鳴ではありますが、お付き合いさせられている日本人は、彼らのマナーの悪さに辟易させられていることを、忘れてはなりません。
2024年 10月 5 日 ゴウちゃんねる 大阪東住吉教会のキリスト教伝道者高原剛一郎の「ゴウちゃんねる」は、私がユーチューブを開く度に、必ず、目を通している番組です。実に有益です。現在の世界情勢について、実に正確に、そして詳しく解説してくれています。その上、その現象が聖書の予言とどう関連するのか、その鋭い解説は、聴く度に「目から鱗」となるから不思議です。
1960年生まれの彼は今や64歳。大阪教育大卒業後、10年間商社に勤めていましたが、飽き足らず、牧師の資格を取りました。家は貧しく、少年の頃は産経新聞の配達をしていました。根っからの苦労人です。
ユーチューブに掲載されている「ゴウちゃんねる」は、既に何百回となっていますが、特筆すべきは、その折々の世界情勢に関する的確な情報の提供とその解説です。語学に堪能な彼は、英語、ドイツ語は、言うに及ばず、アラビア語にも精通していて、アルジャジーラ放送まで聞き分けているようです。彼の大いなる嘆きは、日本のアラブ、イスラム専門学者たちの、余りにも偏った解説、そして、不勉強ぶりです。東大の池内の息子など彼によればクソミソです。彼が唯一讃えているイスラム専門家は「女性の飯山陽さん」だけ。私と同意見ですから嬉しくなります。
最近、彼はヨーロッパへ行き。チェコに滞在していました。ポーランドのアウシュビッツへも行ったようです。ヨーロッパで感じたロシアとウクライナ戦争の生々しい解説、彼は、その経験を聖書との関連で捉えながら、母教会はそっちのけで、全国の講演旅行に飛び回っています。どの会場も大入り満員のようです。何故なら、彼の世界情勢の現在と預言書とも言える聖書との関連付けが、余りにも「時宜を得た」ものだからでしょう。
ところで明日は日曜日。10時半から始まる福島泉「翼の教会」の礼拝に、テレビのユーチューブで参加します。今年の3月31日、この教会の佐藤彰牧師によって、私は受洗させて貰っているからです。米寿になんなんとする老いぼれキリスト者になっているのです。
2024年 10月4日 ヒズボラ(2) 大昔、人類が毛皮を纏って暮らしていた頃、部族間での戦争はありました。武器は石器でした。次第に武器は鉄器に替り、戰車や飛行機、軍艦が登場し、今は専らミサイルです。10月1日午後7時半、イランから数十発の弾道ミサイルがイスラエルに向けて発射されました。イスラエルには独自の防衛システムがあり、そのほとんど撃墜された、と報じられています。それをしたのが、イランの最強軍団「革命防衛隊」です。G7の首脳は最も強い言葉で、激しくイランを非難しました。イランはそのお返しにホルムズ海峡を封鎖しました。加えて、イスラエルからの報復もまもなく始まるようです。狙いはイランの精油組織のはずです。いよいよ全面戦争の幕開けです。望まないまでも、アメリカはイスラエル側に付くでしょう。ロシアは昔からイラン側ですが、いまは、それどころではありません。敗色濃厚だからです。中国はイラン側ですが、習近平政権は、今や「青息・吐息」の状態です。
古来から、戦争というものは、次第に拡大してゆくのです。それが「歴史のセオリー」なのです。国土の大きいイランから見れば、イスラエルは芥子粒のような存在です。だからといって、世界はイスラエルを見捨てるでしょうか? アラブ世界の目的は、ユダヤ人の皆殺し、イスラエルという国のこの地上からの抹殺です。その急先鋒がイランです。そのアラブ世界の極究の目的の達成を、世界は黙視するでしょうか?そうは思えません。そうでなくてもイスラエルはキリスト教発祥の聖地です。今や、キリスト教徒は世界的に見て日ごとに2万人ほど減り、逆に、イスラム教徒が日に2万人ほど増えているとはいっても、世界のキリスト教徒はそれを許すでしょうか?
結局は、お互いの妥協しかないのです。共存しか道はないのです。ここへきた望まれるのは、アメリカの大統領選です。民主党のカマラ・ハリスに人気があるとは言っても、共和党のトランプの返り咲きでしょう。彼の娘婿はユダヤ人です。アメリカからの強力なイスラエル支援が待たれてなりません。
*10月1日から3日まで、お休みを頂きます
2024年 9月30日 ヒズボラ イスラエルのガザを根城に、テロ活動を続けているハマスと同じような対イスラエル攻撃を仕掛けている組織「ヒズボラ」はイスラエルの隣国レバノンを根城にしています。レバノンは風光明媚な国で「中東のスイス」と言われています。フランスの自動車会社「ルノー」から派遣され日産自動車で勝手なことをし、官憲に追われるや、コントラバスのケースに入って日本から密出国したゴーン社長が、今や、のうのうと暮らしている国です。三年前、イスラエルへ行った時、イスラエルとレバノンの国境まで行ったことがあります。緑が生い茂っていました。イスラエルにとっての問題はガザを根城にテロ活動をしている「ハマス」のように、ユダヤ人殲滅を目的とするテロ組織「ヒズボラ」がレバノンを根城にして、イスラエルに対するテロ活動を絶え間なく行っていることです。過去にも何度かの両国の戦争がありました。その度にイスラエルが勝利してきているのですが、イランその他から多額の援助を受けているヒズボラのイスラエルに対するテロ活動は、このところ苛烈を極めだしたのです。イスラエルの報復は容赦なありませんでした。そのひとつは、ヒズボラなどが所持しているスマートホーンなど一斉に爆破させたことです。多くの死者が出ました。ミサイルを撃ち込みヒズボラの最高位者の殺害に成功しました。当然ながらレバノンの一般市民にも多数の犠牲者が出ました。
あろうことか、世界はイスラエルのその行為を口を極めて非難し始めているのです。イスラエルにとっての自衛行為を「やり過ぎだ」と文句を付けているのです。アラブ諸国の目的は「ユダヤ人殲滅」「イスラエルという国を中東から排除すること」です。それを見落としているのです。敢えてそうしている「むき」もあるかも知れません。特に日本の中東問題を専門とするいわゆる学者たちの意見は浅薄そのものです。新聞や、雑誌報道も目先の残虐行動のみを取り上げすぎです。テロ行為に屈することは、イスラエルにとって国が奪われることなのです。
中東問題に対する深い洞察力を持つ「飯山陽さん」の数々の著作を日本のマスコミも、学者さんも改めて勉強すべきです。
2024年 9月29日 テレビ画面 ここ数日前から、テレビ画面が変化しています。画面に映る発言者の音声が画面に大きく表示されるようになったのです。写し出されては消え、写されては消え、そのめまぐるしいことといったら、仕舞には目がチラチラしてしまうほどです。NHKもそうです。TBSもそうです。テレビ朝日もそうです。さっきまで見ていたNHK2チャンネルの囲碁番組もそうなっていました。囲碁解説者の言葉が大写しになって画面一杯に広がるのです。囲碁番組では、見たいのは次々に打たれる白黒の石の置かれる場所であり、碁盤全体を俯瞰したいのであって、解説者の言葉などどうでもいいのです。
この画面変化は明らかに改悪です。その上、すべてのテレビ局の画面がこうなってしまっているのですから、何らかの新法律が施行されたに違いありません。恐らく、耳に障害を持つ団体が監督官庁に働きかけ、その結果としての変化でありましょう。そうでなければテレビ局の全部が同一歩調をとるわけもありません。
しかし、これは改悪です。いかに、弱者に対する思いやりだと主張されても、健常者の視界にとって目障りこの上もないことになってもいいのでしょうか? 恐らく、全国の囲碁フアンはテレビ画面に写される盤面の全部を見て形勢を判断したいのに、その画面を邪魔するように、解説者の言葉が大写しの吹き出しになって現われる事態に辟易したのではないでしょうか?
恐らく、テレビ局に対する苦情は殺到していることでしょう。耳に障害を持つ団体と、行政官庁との間に、どのような癒着があったのでしょうか?
2024年 9月28日 カボス さしもの猛暑も影を潜め、秋の気配が漂い始めました。九州大分県では名産の「かぼす」の穫り入れが始まるでしょう。例年のように、カボス4キロ入りの段ボール箱を友人知人に贈る依頼を、今日、その名簿を大分の山香農協の担当者にファックスしました。一番多いときは70箱でした。この妙な贈り物習慣が始まったのは、今から30年ほど前、私が九州西部本社の業務局長の時からでした。爾来、毎年、続けてきているのです。今回手配したのは合計で20箱。つまり、この30年の間に50人の友人知人が幽明境を異にしたことになります。この拙い贈り物を、毎年心待ちにしてくれていた親友がいました。同業だった宮沢恭人君でした。彼はカボスを絞って、そのジュースを炊きたてのご飯にかけて掻き込むのが好きだったようです。今も健在そのものの、長野・塩尻の内山貢君は専ら、焼酎のカボス割り、だそうです。ご主人がお隠れになっても、奥様宛に送り続けているのが一つの特徴でもあります。
この妙な習慣が始まったのは、九州各地の新聞社の責任者会のゴルフコンペが大分の山の中のゴルフ場で行われた時でした。プレーが終わって売店を覗くと、10個ほどのカボスが網に入って500円で売られていました。これを関東の人に贈ったら、珍しがられ、喜ばれるだろうな、と思ったのが運の尽き、年中行事の一つとして今年まで続いてきているのです。一方、考えようによっては、友人知人に対して「中沢は未だ生きているよ」という証しでもあるのです。出来れば、あと10年続けたいです。
2024年 9月27日 納豆餅 前々回だったかの自民党総裁選の時、立候補していた三人を評して、田中真紀子があだ名を付けていました。現総理の岸田を「冷凍透明人間」、前総理の菅を「「問屋の番頭」、そして、今回総理が確定した石破茂を「納豆餅」。それぞれの出身大学は法政、早稲田、慶応です。東大、一橋はいません。何故、いないのでしょう? 不思議でなりません。これから、赤ら顔でネチネチした納豆のようなしゃべり方をする石破の顔をテレビで見なければならないのか、と思うと、ゲンナリしてしまいます。
確かに透明人間ではありましたが、岸田はそれなりに職責を全うした、と言えるのではないでしょうか? よく人に会いました。連日掲載される彼の動静報告を見るまでもないでしょう。よく出歩きました。留学した経験がものをいったはずです。納豆餅にそれが出来るでしょうか?彼には留学経験がありません。それに、彼には仲間がいません。自分が中心となる人間集団を作れなかった一匹オオカミだったのです。故に、それなりに期待が持てます。ほとんどの自民党議員が恩恵に預かっていた、パーテイ券による不当利得、韓国の統一教会との腐れ縁からの脱却、、、、いわば、一匹オオカミ的存在だった彼は、この時期、総理になって辣腕を振るう、それが出来るとして、その場を与えられたことはある意味で天啓なのかも知れません。ゆめゆめ、政界のウジ虫「萩生田光一」などを要職に起用したりしてはなりませんぞえ。
2024年 9月26日 ピザ大好き 天候の不具合で、ひと頃、米騒動が起きかけましたが、どうやら、新米が出回るようになって、一段落したようです。一方、小麦はどうでしょう? 天候不順は世界的現象となっていて、作物の不作が伝えられています。中国のある地区では餓死者まで出ているとか。昔の中国の毛沢東時代、食糧不足で人々が苦しんだことがありました。問題はウクライナです。広大な土地が広がるウクライナは昔から小麦の産地として知られています。世界各地に小麦を輸出してきました。去年と今年、それが不可能となっています。ウクライナ全土が戦場と化したからです。ウクライナの農民の嘆きはいかばかりでしょうか。恩恵を受けていた国々も困っているでしょう。と言うことは、小麦の値段が世界的に跳ね上がっていることを意味します。
私は、小麦が主原料のピザが好きです。今日も近所の「ナポリの窯」からデリバリーして貰ったところです。ピザの旨さを知ったのは二回のイタリア旅行の時でした。イタリアでは街角毎にヒュッテがあり、一切れ100円ほどで食べられました。チーズがフンダンに使ってあり、旨かったの何の。現地入りして驚いたのは、イタリア人の健啖ぶりでした。肉や魚の主菜の前にピザやマカロニ料理を食べるのです。スパゲッテイをすするのでした。
私が心配しても仕方ありませんが、今年の秋から冬にかけての世界的な食糧不足です。集中豪雨による被害が世界の至る所で起きました。既に、食料の奪い合いが各地で起きています。中国では餓死者まで出ているとか。
ロシアとウクライナに申し上げます。食料生産をそっちのけして戦争などやってる場合でないのです。人間の生存権が侵されようとしているとき、お互いのメンツのため、殺し合いにいそしむなんて、贅沢というものです。
2024年 9月25日 大の里泰輝 日曜日の国技館は大入り満員の大盛況でした。結びの一番、大の里が勝ち名乗りを上げました。三日後、彼の所属する相撲部屋に使者がたち、大関昇進を伝えました。大の里泰輝、24歳、192センチ、182キロ、、、石川県出身です。思い起こせば、名横綱「輪島」も石川県でした。日大相撲部出身。私より三歳年下の従弟・桜井和輝も日大相撲部でした。輪島の付け人をやっていました。ところが、若年性糖尿病になり、就職が間組に決まっていたのに早世してしまいました。私が、早稲田の相撲部に一時席を置き、盛んに相撲の面白さを彼に吹聴したあげくの悲劇でした。彼の死は私の責任です。
何で相撲部に入ったか? 体育の単位を取るためでした。理工学部の裏に相撲部の土俵がありました。プロの笠置山が指導教官でした。始めはパンツの上からマワシを締めて、「押して、押して、押して」の繰り返しでした。ヤットの思いで先輩を土俵から追い出すと、くるっと回って「まだ、まだ」のくリ返しです。疲れて倒れ込んでも、「まだ!まだ!」でした。指導教官のプロの力士「笠置山」に見込まれて、早稲田相撲部に入部させられます。ちゃんこ鍋の食べ放題だけは魅力でしたが、仕送りなしの身でしたから、アルバイトの時間と両立せず自然に遠ざかってしまいました。
国技館の相撲は、かつて、モンゴル勢に乗っ取られたような一時期がありました。しかし、今回優横した大の里は間違いなく次の横綱になるでしょう。それだけの面構えとガタイの持ち主です。もう一人横綱候補がいます。王鵬です。彼は名横綱だった「大鵬の孫」です。横綱照ノ富士を最後に、モンゴル勢は近々いなくなるのではないでしょうか?
2024年 9月24日 ストラデバリウス 残り少ない私に残されている時間、やれやれ、とベッドに入って「くつろぐ」とき、先ず、手にするのはIPADです。そして、音楽番組を開きます。しばらく前はピアノの「カチアブニアステビリ」や「上原ひろみ」、でしたが、最近は専ら、ヴァイオリンの吉村妃鞠です。それも8歳の時に出場して最優秀賞を勝ち取った時の「チゴイネルワイゼン」の演奏です。会場中が賞賛の拍手が鳴り止まなかった類い希な演奏です。エミール・ブロン氏を含む三人の審査員は最高点を付けました。涙を流している聴衆もいました。
今は10歳を超えている彼女ですが、使っているヴァイオリンは、何と、世界に600挺しか残されていない、時価12億円のストラデバリウスです。名前は「レデイ・ブライト」。実業家の前沢雄作が財団を創ってこれを所有し、吉村妃鞠に貸与しているのです。前沢雄作も意外なところで思わぬ善行をしていたのですね。実は残された600挺のうち、半分近くは日本人が所有している様です。ちなみに千住真理子は3億円の「デユラテイ」、高嶋ちさ子でさえ2億円の「ルーシー」、、、、。ヴァイオリンは我が家も一挺所有していますが、これは25万円の鈴木バイオリン、、、、。
バイオリンのための名曲は色々ですが、私が最も気持ちが揺さぶられるのはシベリウス作曲の「バイオリン協奏曲」です。人間の生き様の深いところに迫る、涙なくしては聴けない類い希な曲です。これを妃鞠の演奏で聴きたいか?いいえ、いいえ、それはダメです。人生をこれから始めようとする人間の演奏など聴きたくありません。彼女がこれから成人し、人並の生きる苦しみを乗り越えた後に「この曲」を全身全霊で弾く、、、、、、、、、そのとき、私は墓石を押しのけて、演奏会場の片隅にいるでしょう。
2024年 9 月 23日 二度出るノダ 私を朝日に導いて下さった、朝日新聞社常務取締役業務局長永井大三さんが、いわゆる「永井事件」で野に下ったとき、つまり、村山社主家の娘婿が朝日として病院経営に乗り出してくれと言われて、村山社長がその議案を常務会に持ち出したとき、「新聞社は多角経営に乗り出すべきではない」と反対したのが永井常務で、怒り狂った村山一家は、株数にものをいわせて永井常務を解任に追い込みました。それに異を唱え反対運動を展開したのが全国の販売店です。新聞の売上代金を本社に納めず、供託し始めました。結局、村山社長は解任に追い込まれ、編集担当の広岡知男が社長となりました。永井さんには経団連から「道路公団総裁になってくれ」との要請書が届きました。同時に、瀬戸内海の生口島のご実家の永井さんの父親から「大三、男は二度でるでない」との手紙が届いていました。永井さんの都立大学のお宅に伺ったとき、その二つの手紙を実際、見せていただきました。永井さんは父親のいうとおりにしました。そして85歳で大往生を遂げました。
今日、立憲民主党の新しい代表が決まりました。元総理大臣であった野田が競争相手の三人を退けて、再び代表になったのです。「男は二度でるでない」の反対行動をとったのです。これは何を意味するか?つまり、自分が代表であったとき次の代表を育成することを怠った結果でなくて何でしょう。代表であったなら、その組織の将来のために後輩を育てることが義務です。それをしなかったのだから組織の長たる資格はないのです。しかも、民主党政権で総理までやった男が、、、、、、立憲民主党には幻滅しました。関西を中心とする維新党も万博を含めて黒星続きです。共産党、、、名前を替えない限りこの先存続し得ないでしょう。国民民主党、、、俺が俺がのお坊ちゃん党です。残るは令和新撰組、、、、まだまだ先の話です。
2024年 9 月 22日 天は無情 テレビに写し出される天気図を見ると、線状降水帯が能登半島の突端に集中して起きていることが分ります。凄まじい雨が降り注ぎ、至る所で土砂崩れが起き、河川が氾濫し、仮設住宅まで水が揚がって、もはや、住める状態では無くなっていることが分ります。能登半島の先端部分は正に壊滅状態です。輪島市、珠州市の皆さんの嘆きはいかばかりでしょうか! 今年1月1日の大地震、そして、今回の記録的な大雨、天は余りにも無情です。これでは、折角、気を取り直して、復旧作業に取り組んでいた住民の方々のたゆまない努力に水を差す結果ではありませんか。余りにも天の配剤は残酷です。無慈悲です。かくなる上は、国家は、一地方自治体の出来ごととせず、国家の仕事として、この地域の復旧に出来るだけの予算を計上し、住民の救済に当たるべきです。それが国家としての義務でもあるでしょう。無能な馳知事の石川県に任せておいてはならないのです。
政治はいま、端境期にあります。次期総理に9人が立候補しています。誰がなるのか見当も付きません。そこで、引退する植田総理に申し上げます。被災地の復旧を石川県に任せず、日本国の持っている予備費から1000億円を支出し、被災地復旧に当てる英断を下してください。そして、能登救済の為のプロジェクトチームを稼働させ、その金が有効に使われる組織を作って下さい。それを可及的速やかに進めて下さい。あなたは早稲田の出身です。それをやってこその早稲田精神です。お願いいたします。
*この拙いホームページをお読みいただいている皆様、改めて御礼申し上げます。適当なところで「最近のエッセイ96」を「最近のエッセイ97」に項を替えるべきところ、操作が複雑極まりないため、ずっと、そのまま来てしまっています。その結果、更新の度に時間が掛かるという弊害が生じています。この度、思い切ってその操作に挑戦し、新たな項目を新設いたしました。引き続き、お目をお通しいただければ、これに過ぎる喜びはありません。
2024年 9 月 21日 50-50 今朝の新聞は第一面、スポーツ面、社会面のすべてが大谷翔平の写真と記事で満載です。何故なら、ホームラン50本以上、盗塁50回以上を同時に達成するという、世界の野球人のすべてが、未だやったことのない偉業を達成したからです。大谷選手は談話を発表しています。「嬉しさと安堵の気持ちを味わっています。と同時に記録を作ってきた先輩達への尊敬(リスペクト)の気持ちも改めて味わっています。」実に謙虚な、いい談話ではありませんか!
この偉業を一番喜んでいるのは、岩手県花巻にお住まいの彼のご両親ではないでしょうか。彼のご両親は、いまだ、息子が稼いだお金を一切使おうとしません。息子は何十億、何百億と稼いでいるのだから、家を新築したり、のうのうと暮らしたり、世界旅行にも行けるのに、それをせず、母親は今もって飲食店で皿洗いのアルバイトををやっているそうではありませんか!「この母ありてこの子あり」花巻の人はみんなそれを知っていて、大谷家はいよいよ尊敬の念を集めているそうです。
一方、2月に結婚を披露した真美子さんは「実に品のある、しかも綺麗な人」です。その真美子さんも妊娠6ヶ月。愛犬のデコピンも、立派に始球式を務めました。残るのは新居報道に関する読売テレビの頑なな態度です。今もって権力にしがみついている96歳の「ナベツネ」の存在です。醜悪そのもののナベツネと爽やかな大谷の家族とその一家。読売の崩壊は既に始まっているようです。朝日の伸張に命を張ってきた私にとって実に喜ばしい現象です。
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