エッセイ

2016年11月21日        流れる星

 藤原正彦さんへの賛同記事を書いた数日後、新聞の死亡欄に藤原ていさんが98歳で死亡された記事が出ました。夫で気象庁役人の新田次郎より先に男の子三人連れて満州より引き上げてきた辛酸の日々を、彼女は「流れる星は生きている」という手記に纏めました。これが当時の大ベストセラーになりました。その後引き上げてきた新田次郎は気象庁の役人である傍ら、富士山頂の気象観測所の顛末記を書き、次々に山岳小説を発表します。一躍、夫婦は時の人になりました。その夫婦の次男が藤原正彦さんです。数学者である一方、人格識見に優れた独特のものの見方は多くの人の共感を今なお得ています。数学の道に進む人間は得てして偏った見方をしがち、と思うのですが、彼は全く違います。極めて常識的ながら、絶えずキラリとしたものを宿します。そのせいもあって、藤原正彦の著作は全て書庫にあります。数学者なのに、実に文章が上手い。そこに数学者ならではのものの見方が加わります。

 彼の母親が98歳まで生きて大往生を遂げたことを知り、お悔やみを申し上げるとともに、ここまで母親に生きて貰えてなんて、幸せでしたね、と声を掛けたい思いです。

 

2016年11月17日        藤原正彦の説

 この一週間、新聞はもとより、週刊誌、雑誌、その他に目を通し、トランプ現象について見てきました。中でも御茶ノ水大の名誉教授で数学者の藤原正彦の論評が一番スッキリしていて、成程と思うところが多々ありました。

 彼はトランプ現象とイギリスのEU離脱とは同じ根っこだと断じます。彼はグローバリズムとPC現象(差別化への反対)への民衆の抵抗だ、と言うのです。グローバリズムとは「人,モノ、金」の自由化です。国境をなくし、関税を撤廃し、通貨を自由化する傾向は2000年初めから一段と強化されました。結果、持てる者と持てないものとの差が一段と顕著になりました。富は富める者に集中し、持てないものはどんなに足掻いても持てないままです。PCとは、人種差別など人間の尊厳に立ち返ろうという運動です。その結果、アラブやアフリカの難民が、大手を振ってヨーロッパ先進諸国になだれ込み培われた秩序を破壊しています。アメリカにも南米諸国特にメキシコからの移民が怒涛のように押し寄せ、「壁を作る」というトランプ発言となりました。「壁を作るものはキリスト者にあらず」とローマ法王がノタマイました。

 自分の生活が一向に良くならず、周りを見れば得体のしれないアラブ人や黒人が溢れ、一日5回の礼拝をメッカに向かって祈っている、それは既得権益者から見れば、自分の存在を脅かす者にしか見えません。だから、差別撤廃という綺麗ごとをいっておれなくなったのです。変化を望んだのです。エゴを丸出しにし始めたのです。良識が良識たりえなくなったのです。

 この傾向はヨーロッパ各国に波及しはじめていると言います。来年はフランスの大統領選挙があります。オランドはグローバリズムの提唱者でありますから、既に人気がありません。ルペンという極右の女性党首が当選を果たすかもしれません。ルペンは日本でいうなら、あの美人にして頑なな右翼的思考で凝り固まった桜井よしこのような人です。ドイツでもメルケルさんが危なくなりかけました。

 世界の潮流はここへきて極端に自己中心的に変化し始めた、と言えるように思えます。プーチン然り、習金平然り、トルコのエルドアン、フィリピンのドウテルテ、そうして極め付けがトランプ!

 世界歴史の一つの曲がり角にわれわれは遭遇している、そのことだけは確かです。

 

2016年11月15日        アメリカの良識(2)

 世界中がトランプショックに陥って6日間が経過しました。株価は1000以上下がり、円高に触れた、と思ったら今度は1000円以上上げ、106円までの円安になりました。世界中の指導者たちがトランプに祝電を送り、争って面会の日を求め、日本の安倍も17日に会うようです。

 いわゆる良識が通用しなくなったのです。その証拠にトランプの長男、次男、長女そして長女の夫が政界の要職につきます。トランプ家族がアメリカの政治に関与し始めるのです。これではまるで部族国家ではありませんか。素人集団による、行き当たりばったり政治がこれから始まろう、としているのです。

 一体、アメリカの良識はどうなるのでしょうか? ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、ニューズウイークに代表されるアメリカの良識に対し、一般大衆は「もう沢山だ」、と意志表示したに等しい、のが今回の選挙結果です。資本主義、商業主義の断末魔の叫びがそこにあるように私は思います。

 ある意味で、これからが面白くなってきました。       

 

2016年11月9日         アメリカの良識(1)

 大統領選挙は昨日が投票日で今日から開票が始まります。いままで数々の大統領選挙をみてきましたが、今回ほど次元の低いアメリカの選挙はなかったのではないでしょうか。相手を誹謗するばかりで問題点を捉え議論を尽くす場面などなかったように思えます。それが約1年間続いたのですから…いやはや、これははやでありました。全く。クリントンにも人間の品位が感じられませんでした。まして、トランプにおいておや。卑しくも大統領たるもの、人間の品位、品性が高潔でなければ就任してはなりません。民主党にも、共和党にも相応しい候補者はいましたが、振い落されてしまいました。その意味で、高潔にして世界に冠たるアメリカの凋落が顕著になっているのを感じてしまいます。改めて「国家の興亡は存外早い」というトインビーのセオリーの意味を、今更のように感じざるを得ないでいます。

 開票が始まりましたが、はて、どうなるのでしょうか?

 もし、トランプが勝つようなら私はアメリカの良識を疑います。少なくともアメリカだけはポピュリストに勝利してもらいたくないのです。

 

2016年11月2日         意志と石

 私は、自分では意志の強い人間だと思っているのですが、私の腎臓と膀胱の間に出来ている「尿管結石」も、持ち主に似て意志が強いらしく、中々、出て来ません。痛みに耐えかねて、先々週の土曜日、大久保病院の救急外来へ行きました。私のCT撮影写真を見た

若い女医さんは、「即刻、入院」を宣言しました。

 仕事もあり、雑用もありで何とか月曜の朝一での入院にしてもらい、またまた、ベッドにくぎずけになりました。いままで、尿管の脇に控えていたものが、成長して尿管を塞ぎ始めたのです。翌日、主治医の白川先生と石剛丘先生の二人による手術です。腎臓の働きを維持するため、石の脇を通るバイパスカテーテルが挿入されました。石の除去は次の段階、と説明を受けました。もう全く痛くも痒くもないのに、病院は解放してくれません。8日目の一昨日、やっと、娑婆に戻り、ほっとしているところです。

 想い起せば、私の父親が東京から長野に向かう満員の列車の中で、尿道から消毒されたカテーテルを尿道に差込み、母親の手を借りながら尿をデッキに流している光景を見たことがあります。小学生の私もそれを手伝い風呂敷でその作業を周りに見えないように手伝った強烈な思い出があります。私の腹違いの兄は画家、音楽家の上に多摩芸術学園の理事長、武蔵野美術大学の理事でありましたが、数年前に腎盂膀胱癌で死にました。つまり、私の身体的弱点が腎臓からの下部機構にあるようなのは、父親の血統を継いでいるからでありましょう。

 来週の月曜日、バイパスは出来たが依然として鎮座している石をどういう方法で体外に排出させるか、外から音波刺激を加えて粉砕するか、今は新兵器が出来ていて、削岩機付カテーテルでいくか、その相談に行きます。

 石のお蔭で、このページの更新もままならず、書きたいことは山ほどあるのに、誠に、誠に弱ったものです。

 

2016年10月21日         異様な光景

 タイのプミポン国王が亡くなって一週間が経ちました。国中半旗が翻り、国民は黒一色の衣服です。シャツも黒ければいいので、持っていない者のために、街角には染屋が出ていて無料でやってくれているようです。テレビもカラーではなく、白黒のみになっているとのこと。

 何しろ、在位70年、88歳の国王はタイ国民の総まとめ役でもありました。国中どこへ行っても、等身の3倍はある肖像写真が飾られ、祭壇まであります。ホテルはどこのホテルでも祭壇が設えられています。お酒を嗜まない国王に順じて昼間は、一切のアルコールを買うことが出来ません。コンビニすら酒売り場は5時まで鍵が架けてあります。喪服の無いものには無料で支給するとオフレが出たようであります。

 数年前の12月5日午後7時、滞在していたチェンマイ・フラマホテルの従業員全員がそれぞれ松明を掲げながらロービーに集まり出しました。何ごとならん、と見ているとプミポン国王がテレビ画面に写りだされ、短い演説をしました。12月5日は国王の誕生日だったのです。私も従業員さんに加わりタイ国歌を歌いました。誰かが松明を持たせてくれました。弱ったのはアルコールを、コンビニはおろかレストランでも売ってくれなかったことです。お蔭で爽やかな朝となりました。

 その国王が2年前に胆嚢の摘出手術を受けています。私と同じです。国王の術後の経過は決して良好とは言えず、入退院を繰り返したようです。私も7月に6時間に亘る開腹手術を受けました。経過は?というと、実は決して良好ではありません。重苦しい雰囲気が時として下腹部を襲います。国王もこれに苦しんだんだなあ、と同病相哀れみ、来週火曜日には退院以来3か月振りに大久保病院へ参ります。

 国王は術後二年は生きながらえたのですから、それに倣えば私もあと2年は寿命があるでしょう。せいぜい、充実した2年間を送る積りです。

 それにしても、バンコックの王宮広場を埋め尽くした大群衆が、国王の死を悲しんで大泣きに泣いているテレビ画面は異様な光景でした。心優しい国民の集まり、それがタイです。

 

2016年10月18日         ゴルフ

 13日は北七春秋会のゴルフに参加しました。参加者は減りに減って男性は7人だけ、となりました。常連の長沢君は100メートル歩くのがヤットになり、池田君も歩行困難で入院中、花岡君はパーキンソン、長野からわざわざ参加していた剣持君はガンで闘病中、広岡君は残念ながら物故、そして宮沢君まであちらへ行ってしまいました。

 7人の参加者もそれぞれ凶状もちです。石坂ゴルフクラブの紹介者大久保君は緑内障で視野が十分ではなく、徳永君も心臓アブレーションをしたばかり、海野君も清水君もガンと闘っています。会長の北村君もメマイを連発、そして私も胆嚢摘出手術の病み上がり。元気なのは幹事役の倉石君だけという始末。

 果たして皆に迷惑を掛けずにワンラウンド出来るのか、その時は途中棄権も止むをえまい、私は悲痛な覚悟をもって臨みました。

 どんよりと雲が立ち込めるうすら寒い日でしたが、どうしたことか、前半、なんと47で回ってくることができました。50を切ったのは何年ぶりでしょうか。身体を労わるために力を抜いてクラブを振ったおかげでしょう。昼食のとき、優勝はまた中沢だ、と囃し立てられ、生ビールを呑んでしまったのが祟ったのでしょう、午後のラウンドでは50は切れませんでした。残念ながら第4位になってしまいました。

 ゴルフがワンラウンド出来たこと、それだけで嬉しい一日となりました。

 

2016年10月9日          Nコン

 毎年、心待ちにしているNHK合唱コンクールが始まりました。今日はその小学校の部。全部で11校が地区代表として金賞1校、銀賞1校、銅賞2校を目指しました。大きな特徴は小学校では男子生徒の数が極端に減って、30名のうち4、5人、或いは2,3人に減ったことです。そして指揮者も伴奏者も女性ばかり。これは一体どうしたことでしょうか!

 毎年、聴くだけではつまらないので、出場校の優劣を採点しています。殆ど当たらないので「審査員の耳はどこについているんだ!」、と一人憤慨するのが常でしたが、どうしたことか、今年は全て当たってしまいました。ちなみに私の採点と結果を記しておきましょう。

    千葉県代表船橋市立三山小学校・・・・・・・・・ 1点

    鹿児島大学付属小学校・・・・・・・・・・・・・ 3点

    札幌市立幌西小学校・・・・・・・・・・・・・・ 3点

    岩手県北上市立黒沢尻小学校・・・・・・・・・・ 1点

    東京都港区立白金小学校・・・・・・・・・・・・ 4点    銀賞

    郡山市立大島小学校・・・・・・・・・・・・・・ 3点    銅賞

    名古屋市立滝の水小学校・・・・・・・・・・・・ 2点

    日野市立七生緑小学校・・・・・・・・・・・・・ 5点    金賞

    愛媛新居浜市立小学校・・・・・・・・・・・・・ 3点

    神戸市立桂木小学校・・・・・・・・・・・・・・ 3点

    下関市立勝山小学校・・・・・・・・・・・・・・ 4点    銅賞

 珍しく採点は当たりましたが、課題曲はあまり面白くなく、歌詞にも新鮮味と和音の面白さがありませんでした。司会も下手で、かつてに比べればはるかに低調です。常連校だった、青森の根上小学校、中学、郡山の麻賀小学校、神奈川の中沢小学校など、姿を消してしまっています。このところ4連覇している七生緑小学校は指導者が素晴らしい。女の先生ですが、矢張り指導者に恵まれないと勝てない、というのは、合唱の世界もスポーツと同じなのでしょうか。明日は中学校の部です。楽しみです。

 

2016年10月8日          ワルシャワ

 昨年の10月ポーランドのワルシャワへ行きました。クラクフからアイシュヴィッツまで行きました。この4,5年の間に、海外旅行はスイス、ドバイ、ミャンマー、ベトナム、カンボジア、ラオス、と色々でしたが、最も強い印象を受け、折に触れその光景が脳裏に蘇ってくるのは、何と言ってもワルシャワでした。5年に一度開催されるショパンコンクールを目当てに行ったのでしたが、このコンクールは私の中ではどうでもいいものになりました。中国、韓国に独占された感のあるこの催しには、もう、魅力はありません。

 1位から6位までの入賞者の凱旋演奏がありました。5位までの入賞者は会場に既に置かれているヤマハのピアノを使いました。ところが、第一位になった韓国人のファイナリストは、わざわざ、ピアノをスタインウエイに替えさせました。日本製のピアノなど使いたくなかったのでしょう。反吐が出そうになりました。それに日本人の出演者は本命だった小林愛美を始めミスを連発しました。鍵盤を走る手と指の動きにムダな動作が多いせいでしょうか。とにかく情けない結果に終わりました。まして、中国の選手はこれ見よがしのオーバーな動きをするのには、興が削がれました。

 ショパンの思い出が一杯詰まった紅葉真っ盛りの公園。ノボテルという高層ホテルに宿をとったのですが、毎晩、雲一つない中天にかかる中秋の名月。アイシュビッツの入り口にある「働け、そうすれば自由になれる」という当時そのままの看板。沢山の煙突がそのままのガス室。人間の絶望を見ていたに違いない樹齢を経た木立。そして、教会の中の柱に埋葬されたショパン。その前に佇み涙を流し続けた私というもの。20万人が殺されたと言われるユダヤ人のゲットー跡。それの記念碑。

 ベトナムでもカンボジアでも、無残な人間殺戮跡を見てきましたが、何故か、ポーランドこそがその悲劇の頂点にあるように思われるのは何故でしょう。自分でも不思議でなりません。

 

2016年10月4日          小沢 征爾

 10月1日、サントリーホール30周年の記念コンサートがありました。2日に行われる宮沢君の一周忌法要で皆さんにお配りする「追想・宮沢恭人」の最後の手入れをしながら、実況中継をFMで聴きました。どんなに行きたかったか!

 オーケストラはウインフィルです。指揮者は83歳の小沢征爾と80歳のズービン・メーター、ヴァイオリンはアンネ・ゾフィ・ムター。ウインフィルと50年の付き合いのある小沢はシューベルトの「未完成」と武満徹のノスタルジーを指揮しました。

 圧巻でした。特にノスタルジーでのムターのヴァイオリンの多彩な音色には痺れました。この曲に最初に出会ったのは松本で毎年行われる「斎藤記念コンサート」でした。武満がまだ健在で、指揮者の小沢に呼ばれ、二人は檀上で固い握手をしました。その時のメインはチャイコフスキーの「悲壮」でした。第三楽章を嵐の様なテンポ演奏しました。それがまたピッタリで唸ってしまいました。

 「斎藤記念」は信毎新聞社の内山君がプラチナチケットを入手してくれたお蔭で、毎年行っていました。あの長大なバッハのマタイ受難曲を、彼はスコアを譜面台に置いたまま暗譜で指揮しました。オペラさえも暗譜でした。恐るべき記憶力です。その彼が食道がんを発症します。

 上海へ行った時、市庁舎の隣のホールで彼の10日間の演奏が、彼の病気のためすべて中止になっているのを知りました。上海の空から彼の快癒を真剣に祈ったのは、何年前のことでしょうか。

 一時、危篤が伝えられた彼ががんを克服し、再び「未完成」と「武満」を指揮するとは! 喜び以外の何ものでもありません。

 礼服着用のこのコンサートは2日の日曜日も行われました。恐らくホール前のカラヤン広場は着飾った人たちで、前代未聞の賑わいであったでしょう。

 行きたかったなあ、そして、小沢征爾にひと目会いたかったなあ。

 

2016年9月30日          プーチン、怖るべし

 500万人以上の難民を発生させているシリアのアサド政権。アメリカはこの政権を壊滅させようと動きましたが、何せ、空爆が主体ですから、さして効果がありません。その間隙をついてロシアがアサド側に加担しました。シリアの一郭を租借してロシアは軍港を持っています。それよりもアサドの父親とロシアとの付き合いが長かったことも影響しているのでしょう、強力な武器援助を得て、アサドは復活しました。一方、オバマ政権はシリアへの攻撃をイランにやらせようと、イランの核軍縮を緩和します。それが裏目に出ました。ロシアとイランは戦火を交えるほどの敵対関係にはありません。

 中東の制空権は、かくしてロシアが握ってしまいました。「世界の警察であることを止める」と宣言したオバマの弱腰が原因なのは言うまでもないでしょう。アフガニスタン、イラクからアメリカは手を引く、という公約で大統領になったオバマです。しかも、もうすぐ任期切れです。その上、大統領候補のトランプは「アメリカはアメリカのことだけで沢山だ」という孤立主義で人気を集めています。

 ロシアはこの機を逃さず、クリントンに不利な情報操作に余念がありませんでした。メール問題などの暗躍はロシアの最も得意とする分野でしょう。

 これをやってのけているのがロシアのプーチンです。ソ連を崩壊に導いたのはアメリカです。でも、ロシアは豊富な油を武器にして国民総生産を16年前の約6倍にします。青息吐息だったロシアを復活させたのはプーチンです。だから、絶大な人気を持って政権が16年間も続いているのです。

 そのプーチンが来日しそうです。山口県で安倍と会談するとか、専らの噂です。プーチンの手土産は歯舞、色丹返還です。国後、択捉は永久に返還しないという約束の取り付けに来日するのです。そして、講和条約を締結し、日本資本のロシア導入を図ります。もし、アメリカの大統領にトランプがなったら、アメリカは日本を突き放します。

 正に、歴史の転換をわれわれは目の当たりにするのです。落ち目のアメリカ、台頭するロシア。ここ半年、世界政治に目が離せません。

 

2016年9月25日          田中角栄

 テレビを見ていたら、大正、昭和時代の所謂偉人のランキングがありました。何と、その第一位が田中角栄とあるではありませんか! どうしたことか、角栄の伝記を含めてその業績を賞賛する書籍が10種類以上出廻っています。世相は角栄礼賛になっているようなのです。石原慎太郎の角栄の一代記がベストセラーになっています。驚いたものです。

 私が新潟県を担当している時、角栄の政治母体である「越山会」の活動は活発でした。西山町の田中新聞店を訪問した時、彼の生家を垣間見ました。何の変哲もない農家でした。高等小学校しか出ていない彼は一時在籍した「工学校」の肩書で選挙に打って出ます。大蔵大臣から総理にまで上り詰めます。「日本列島改造論」を出版します。買って読みましたが成程と思うところは多々ありました。全国津々浦々に高速鉄道網、高速道路を張り巡らすという構想は、卓見でした。なぜなら、その構想は今なお着々と実行されているからです。先見の明があったと言えるでしょう。その原点は上越線にありました。

 新潟へ入るには当時の特急「とき」に乗るのですが、新潟、群馬の国境に連なる三国峠を越えねばならず、ループ式でのろのろ運転となります。新潟まで4時間を要する時代でした。谷川岳のどてっぱらに穴を開け高速列車を通したい、そうすれば首都圏と新潟が近くなる、これが彼の切実な願望であったのでしょう、その通りになりました。今は1時間半しかかかりません。昨年からは金沢まで新幹線は延長されました。これなど角栄さんのお蔭と言えるでしょう。

 学歴はなくても、記憶力が抜群でした。人の顔と名前とその人の肩書とその歴史を苦も無く覚えることができたようです。自分が所管する省庁の役人の名前からその略歴まで暗記が出来ていたと云われます。それと、金を儲ける悪智慧にも長けていました。横に長い新潟県を貫通する信濃川の両岸の砂地を、ある時買い占めます。洪水対策で信濃川にコンクリートの堤防を作ることになりました。地権者をあたります。400億になったと云われています。その金を遇う人ごとにばら撒きます。名前を覚えられ、金まで貰っては、人はその人に靡きます。

 50年間無事故の日本の新幹線技術は、いまや、世界的規模にまでなりました。数年前イギリスとフランスのドーバー海峡の海底トンネルで異常寒波のために事故が起きました。フランスのTGVは寒波とトンネル内の高温に耐えられず電気系統がショートしてしまい、三編成の救援列車まで立ち往生してしまいました。その時、併用して運転されていた日本の日立製の新幹線945が、同じショートすることなく全員を助け出すことに成功しました。日本の技術力の高さがヨーロッパを唸らせました。現在日立は、イギリスから300両以上の新幹線列車の受注を受けています。角栄の余波はこんなところにもあるのです。

 その角栄さんのゴルフを、偶然、次の組になったお蔭でつぶさに見たことがあります。ところは名門小金井ゴルフクラブ。当方のメンバーは会員のKさんと出版のS君と宮沢、中沢。角栄さんの組はあの国債興業の小佐野賢治とその弟の三人。アウトの一番、角栄さんがおもむろにセットアップします。白い帽子を被り、入念に素振りを繰り返します。緊張の一瞬です。打ちました。角栄さんが悲鳴を上げます。ボールは無残にもソケットしてOB。すかさず付き人が新しいボールをセットアップします。今度は前に飛びました。完全なマナー違反ですが、流石だと思ったのはまわりの観客を一顧だにしなかったことです。アウトの三番は小金井の名物ホールです。ショートですがグリーン手前に大きなバンカーが口を開けています。私はこのホールで、打つたびにバンカーに入れてしまい、都合6回目にやっとのったことがあります。前の組の一人から笑いながら「いい練習をしたね」と云われました。キャデイさんによると三菱重工の社長さんだったそうです。

 その名物ホール。前の三人組はエチケット通り、グリーンを空けて待機してくれています。幸い、私の球はワンオンしました。角栄さんを含む三人は作法通り拍手してくれました。最も印象に残ったのは角栄さんを含む三人組の足が速かったことです。とにかく、せっかちでした。何事かをものす人というのはゴルフも仕事も早いなあ、ということでした。

 

2016年9月20日          修養会

 チェンマイ滞在中は、日曜日にはチェンマイ日本語キリスト教会の礼拝に欠かさず出席します。もうかれこれ4年が経過しました。

 牧師の野尻孝篤先生ご夫妻は共に早稲田の後輩で、異国の地で公私にわたって会員の面倒を視ておいでです。全く、頭が下がります。先生からは「中沢さんも早く洗礼を受けなさい」と仰っていただいているのですが、私の優柔不断ぶりには手を焼いておられるようです。

 高校時代に始まる私の聖書との付き合いは、かれこれ50年は経過しました。勉強することと、信仰を深めることとは全く別のものだ、とは理解するものの、いまだに啓示を待つ身であることに、私は私の罪の深さに自分自身辟易しています。

 「イスラエルへ行けば」、そしてそこで決断が行なわれるに違いない、というのが兼ねてよりの私の願望です。来年こそはイスラエル行きを実行に移す積りです。

 8月24、25日教会の研修会が、チェンマイ郊外の温泉地サンカンペーンで、一泊で行われました。この写真が全員の集合写真です。牧師ご夫妻は向かって右側のお二人です。いつも親しくさせていただいている高田さんご夫妻、従軍看護婦長だった名辺谷さんはそのお隣。そして、教会の経理担当の牧さん、渡辺さんの奥さん。右端は教会の広報担当梶原さん、そして林純子さんに私。熱心なクリスチャンである松村さんご夫妻は山梨清里の別荘を売ってチェンマイに移住してきました。もう、日本には帰らないそうです。そして韓国籍の若いお二人、アメリカ人のビル。大坪さん、福田さんはそれぞれマンション住まいです。日大芸術学部ご卒業の梶原さんは毎週金曜日に、高田さん宅で映画会を開いて下さいます。7.8人がその恩恵に与ります。梶原さんの映画に関する薀蓄は超一流です。毎回、色刷りのシオリを皆さんに配ります。

 チェンマイというところは、常夏の島ハワイと同じ緯度に位置しているせいで、夏は軽井沢と同じに涼しく、冬も温暖です。日本にいるとチェンマイが思われるのは、気候もさることながら、教会員の皆さんとの温かい交流が懐かしいからでありましょう。

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 野尻先生は、旧約の「始めに言葉ありき」から「イエスキリストの再臨」と「終末」に至る時空を、分かりやすい絵解きにして問題提起されました。全員に感想文の発表が求められました。私は「美は照応にあり」になぞらえ「愛は照応にあり」「照応とは祈りである」 と、少々面映ゆいことを述べました。

 

 意義のある二日間でした。

 

2016年9月19日           香 港

 10日前の9月9日、チェンマイ発11時30分のドラゴンエアーを香港で乗り換え帰朝しました。インドシナ半島上空はよく晴れていたので、ベトナムのハノイやフエが良く見えました。洋上に出ると視界は真っ白になりました。有難いことに、香港に近づくにつれ、雲が切れ、香港の全貌が現れました。機体は香港上空を半円を描きながら着陸態勢を取り始めます。100万㌦の夜景はあの辺だなあ、と想像逞しくしながら飽かず眺めました。とにかく、高層建築ばかりの風景の連続です。ここに住め、と言われたら、どんなに高級料理があろうとも、どんなに住まいが豪華であろうとも、私は御免蒙りたいなあ。例え料理は貧しく、美味しいものなどさしてないチェンマイの素朴な暮らしの方がどんなにいいか、とつらつら思ったことです。

 昔の香港空港はビルの谷間にありました。高層ビルの谷間を縫って飛行機は離発着していました。繁華街に近く便利でしたが、いつもヒヤヒヤものでした。今の空港は広大極まりありません。キャセイ航空の子会社であるドラゴンエアーは空港の突端にあるものですから、トランジットの客は2~30分歩かねばなりません。バンコックの新空港もそうですが、空港が広大になるのはいいとしても、乗客にとっては不利益が発生します。香港ー羽田間は双発のボーイング最新機種でした。満員でした。      

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2016年9月18日           責 任

 筑地市場の豊洲移転問題で、世間が揺れています。あらゆる番組がこの問題を扱い、責任の所在を突き止めようとしています。全敷地に盛り土を行い、その上に建物を建てるという安全委員会の勧告が、いかなるセクションの判断によるのか、無視された上にコンクリートの空間が出来、そこに汚水が溜まっているのです。かつての責任者は現在副知事になっていますが、詳らかにししようとしません。石原元知事が出てきて「私は良く知らなかった。騙されたに等しい。精査するにつれ黒い霧の部分が明るみに出るだろう」と言いました。まるで、当事者ではなかったような言いぐさです。

 呆れてしまいました。仮にも最高責任者であったものが、「知らなかった」などと言ってはいけません。よしんば本当に知らなかったとしても、世間に対して謝る姿勢をとるべきです。それが責任者としての務めです。責任者というものは部下の行為に対して責任をとってこその責任者です。

 尖閣列島問題で横槍を入れた石原の行為によって、中国との関係が悪化しました。どれだけの国益が損なわれているか、計り知れません。その責任も取ってもらいたいものです。

 私は現役時代、二度出向し子会社の社長を務めました。最初の朝日コミューニテイでは20億の年商を2年で60億にまでしました。朝日学生新聞社では専務2年、社長を4年務めましたが、無借金経営を更に伸ばし、含み資産20億を25億までにしました。不祥事が多々ありました。その都度、頭を下げました。どれだけ、謝りに行ったことでしょう。

 責任者とは責任を取るために存在しているのです。石原元知事を見損ないました。

 

2016年9月14日           ガラケー

 ガラケーとは、言いえて妙です。ガラパゴス携帯、つまり、前世期的遺物を指します。相手と通話が出来ればそれでいいのですから、私はガラケーを重宝して使っていました。ところが、ひょんなことでヤマダ電機の係員に捕まり、あれよあれよという間に、Yモバイルに加入させられ、続いて自宅テレビ、電話、インターネットをソフトバンクに変更させられてしまいました。すべてを含んだ料金が5800円を超えない、という甘言にのせられてしまったからです。いままでのNTTは、平均9500円ほどでした。その前は練馬の地デジで13000円でした。その差はバカになりません。

 先ず、Yモバイルを使い始めました。画面は細かな文字や記号で一杯です。皆目、分かりません。説明書を見ても、当方はあまりやる気がないから、頭に入りません。やれやれ、面倒なことになったわい、とため息が出るばかりです。でも、どうやらこうやら通話とラインだけは出来るようになりました。ソフトバンクからは無線ランの器械が送られて来ていて、連絡せよとあります。

 しかし、今のところ「丸紅テレコム」でインターネットは安定しているのでもう暫くはこのままです。

 

2016年9月12日          戻りました

 北海道、東北、関東を襲った台風の間を縫って、9日の夜遅く舞い戻って来ました。日本に着陸できず、再びバンコックへ引き返した便もあったといいますから、幸運でした。ただ、到着が遅れて11時を過ぎました。最終の京浜急行で大門から大江戸線に乗り換えました。時刻は午前1時近くです。乗客の半分以上女性です。驚きました。

 案の定、電話もインターネットも通じませんでした。料金は納めているのに手抜かりがあったからかもしれません。確認しようにも、ネット会社は土日はお休みです。NTT回線を利用する「丸紅テレコム」から4月分の7,095円が未納のため切断した、という文書が届いていました。今朝、いの一番に確認作業しました。

 料金は入金されていました。明らかなプロバイダー側のミスであることが分かりました。再手続を説明した女性係員は会社のミスであることが分かっても、シレっとして誤りもしません。怒り心頭を発しました。電話もネットも出来ないということはこのネット社会では身動きできません。その上、大勢の友人、知人に「あいつは音信が途絶えた、どうなってしまったのだ?」と余計な心配をかけたことになります。

 丸紅テレコムの社長宛てに抗議文を書き、先ほど投函してきました。気持ちが治まらなかったからです。

 音信不通になった私についてご心配くださった皆様に、改めて事情の説明と、これからも以前のようによろしく、と伏してお願い申し上げます。

 お蔭で、宮沢君の追悼集は、今日までの三日間、遮二無二頑張ることが出来ました。今日は10月2日の彼の一周忌に集まる25人の方にお渡しする分の、前小口を水道橋の工房へ行って切断してもらってきました。製本作業はこれからが佳境に入ります。

 

2016年8月14日        至福の時

 6日にオリンピックが始まり、7日からは甲子園高校野球です。テレビのチャンネルを替えながら至福の時を過ごしています。嬉しいのは、日本選手団の活躍がいつにもまして勢いのあることです。それはお家芸の体操に始まり、柔道に引き継がれ、水泳の躍進を促しました。中でも柔道は全階級でメダルを獲りました。4年前の惨めな結果と何たる違いでしょうか。ひとえに、監督の力量の差がもたらしたもの、と断じて良さそうです。井上康生監督は世界の格闘技の技を積極的に取り入れ、選手を親身になって指導しました。そして選手と一緒に喜びの涙を流していました。感動しました。

 前監督だった馬ずら顔の篠原監督は、いま、お笑いタレントです。人物を見誤まった報いの責任を柔道連盟は謝罪して当然です。

 柔道も凄いが体操も凄かった。個人総合での内村航平選手とウクライナの選手との一騎打ちは見ごたえがありました。彼はいま、三才と一才の娘の父親です。家庭生活に幸あれ、と祈るや切です。男子の体操に比べて、女子の体操はパットしませんでした。昔活躍した塚原一族が女子の体操界を今もって牛耳っている弊害が現れているのでしょう。伝説になっているチエコ代表のチャスラフスカ、そしてコマネチ。そこに成熟した女性美がありました。あの時代に比べると、今の女子選手はジャリです。4年後を期待しましょう。それにしても利権の巣窟になっているらしい、女子体操界の綱紀粛正が急がれます。オリンピックが面白いと、高校野球が色あせます。昨年は一喜一憂していたのに、今年はサッパリです。現金なものだ、と自分に呆れています。

 ところで、明日15日から9月9日まで、今年3度目のチェンマイです。オリンピックのテレビは向こうでも2時間の時差で同じように観られるので、これは有難いです。ただ、折角仕入れたマウスコンピューターを次男にやってしまったので、ホームページの更新が暫く出来なくなります。

 追悼集製本のメドも一応ついたので、安心して向こうでは健康管理のために時間を使ってきます。そして、何とかあと4年間寿命を延ばし、4年後の東京オリンピックを観戦しまくる積りでいます。

 

2016年8月10日         東京都庁

 車の国際免許の更新で東京都庁へ行きました。迂闊にもEチケット、パスポートが必要なことを失念しました。明日は祭日なので官庁はお休み、金曜日出直して来なければなりません。やれやれです。

 何時来ても、都庁の威容には圧倒されます。地上34階、地下三階、同じような建物が2棟建っていて、辺りを睥睨しています。設計は丹下健三、建築費は当時でも2000億に近かったと記憶しています。

 出来上がった当時、朝日新聞の4コマ漫画でサトウサンペイが揶揄してました。

 一コマ目 大群衆が庁舎を見上げている。サンペイが問いかける。

 二コマ目 誰かここへ来たことある?  群衆「ない、ない、ない!」

 三コマ目 ここへ来る用事ある? 群衆「ない、ない、ない!」

 四コマ目 一生の内で一度ぐらい? 群衆「決して、ない、ない、ない! 

 私は、幸いにも去年と今年、ここへ来る用事がありました。どの階にも、係員が腐るほどいました。ここにいる都庁職員は18200人です。毎日、空と雲を見上げ高給を貰っています。恐らく、仕事のための仕事をしているのでしょう。どう考えても伏魔殿です。鳥越さんにメスを入れて欲しかったのですが、それも叶わず、せめて、小池百合子知事のお手並みを拝見するとしましょう。 

 

2016年8月5日          女性の進出

  内閣改造人事で中谷防衛相が代わりました。こともあろうに女性の登場です。靖国参拝を当然とする右翼中の右翼、稲田朋美です。私としては中谷さんはよくやっているので、よもや交替するとは思ってもみなかっただけに、驚きました。折り目正しい銀髪の御当人は記者会見で男泣きしていました。

 稲田は早稲田の法学部出身です。「ア法学部」と我々は揶揄していました。政経学部と理工学部のみがキャンパスを大股に歩いていました。いくら阿呆学部でも安倍の成蹊大学とは違います。しかも、稲田は早くから司法試験を受かっています。安倍の懐刀と言われる所以です。

 安倍は今回の改造でオリンピック担当相に三人目の女性丸川珠代を起用しました。小池新都知事が官邸に挨拶に現れた際、「キツイ一本をとられた」と交しながら、4年後のオリンピックを二人の女性に託したのでありました。この変化は一体誰が予測できたでしょうか。

 更に、民進党の党首に、あの蓮舫が立候補いたします。民主党は小沢、鳩山、管がダメにしましたが、彼女の行革相だけは光っていました。「京」の予算削りのとき「二番ではダメなんですか?」と逆質問した彼女の凛とした声は、今でも耳の底に残っています。

 女性リーダーの矢継早な実現は、このところの世界的風潮です。面白いので調べてみました。ドイツーアンゲラ・メルケル、ポーランドーベアダ・シドウウオ、ノルウエーーエルナ・ソルベルグ、クロアチアーシエイク・ハシナ、マーシャル群島ーヒルダ・ハイネ、パングラデッシューシエイク・ハシナ、ミヤンマーーアウンサン・スーチー、台湾ー蔡英文、韓国ー朴クネ、リベリアーエレナ・ジョンソン・サーリーフ、イギリスーテリーザ・メイ、リトアニアーダリア・グリバウスカイテ、チリーミッチエル・バチュレ、そして、恐らくアメリカーヒラリー・クリントン。アメリカには既に大物の女性リーダーが二人います。IMF専務理事のクリステイー・ラガルド、そして、FRBの議長ジャネット・イエレン。特筆すべきは、今日から始まったオリンピックの開催国ブラジルの大統領がジルマ・ルセフという女性であることでしょう。

 女性の進出には世界的に目覚ましいものがあるなあ、と思いながら、今日は朝からブラジルリオデジャネイロのオリンピック開会式をテレビで視ていました。そして気付きました。改めて驚きました。男性の選手より女性の選手の数の方が多くなったのではないか、という新しい発見です。オリンピックを含め競技人口に占める女性の割合は、この50年間で鰻登りに増えているのではないでしょうか。やがては、女性ばかりになってしまうのでは……

 

2016年8月3日         胸の痛み

 今年の5月に発表された世界の平均寿命で、日本は世界一になりました。女性が86.3歳、男性が80、5歳、男女平均が83、2歳です。来年1月15日で私も80歳になります。思えば、よくぞここまで生きて来られたものだ、と感慨も一入です。

 7月11日に長野高校の同期会「「北七」がありました。昨年は物故者追悼も兼ねたので75人が集い盛大でした。今年の出席は43人とか。ドタキャンが多く、私もその一人でした。ピアニストの有賀敏文君もドタキャンだったらしく、校歌はピアノ伴奏なしだったとか。旧友の殆どは何らかの病気と共にあり、薬と治療の御厄介になっているのが現状です。私もご多聞にもれず、胸の痛みと闘っています。

 私にとっての胸の痛みとは、青春時代を含めて精神的なモノばかりでしたが、今回ばかりは正真正銘の肉体の痛みです。先月15日に「外科的には卒業したので、もう来なくてよろしい」と言われ退院したのに、胸に刻まれた手術跡が疼いて、寝たり起きたり、立ったり座ったりに難渋しているのです。その内に治るだろう、と高をくくり毎日のノルマを忠実にこなしているのですが、痛みは治まらず、食欲も無くなってきました。

 予定では8月15日から9月9日まで再びタイ・チェンマイです。飛行機の座席に長時間座ることができるかどうか、心配になってきました。 

 

2016年7月31日        都知事選挙

 都知事選挙で共産党を含む野党4党が、鳥越俊太郎を担ぎ上げました。4つの癌と闘いながら、命がけで都政刷新に臨もうとする76歳に、私は快哉を叫び早くから彼に投票しようと決めていました。ところが、選挙選の只中に彼の若き日のスキャンダルが週刊誌に載りました。しかも、ご丁寧に文春と新潮の両方に載りました。恐らく内部告発か、それらしい政権内部の組織的陰謀に違いないのでしょうが、よくもまあ、絶好のタイミングで告発したものだ、と呆れました。そして「これで鳥越はダメ」になった、と惜しみました。

 小池百合子は神戸芦屋の裕福な貿易商の娘です。甲南女学院から関西学院大学へ進み、アラビア語を学ぶためにエジプトカイロ大に留学し、卒業しています。読売テレビのキャスターを務めますが、「熊本の殿様」細川護煕の新進党のころ、比例区から政界入りします。そして、政界を渡り歩きます。彼女の家庭はどうなっているのでしょう?結婚しているのでしょうか?子供はどうなっているのでしょう? ガードが固いためか全く分かりません。しかし、彼女が21歳のとき、エジプトカイロで留学生と結婚した、という前歴はあります。エジプトピラミッドのテッペンで緋毛氈を張り、お茶をたてた、という武勇伝も伝わっています。

 しかし、彼女が政党を歩き回って身に着けた政治手法は、巨大都市東京を向こうに回して一つの一里塚を築くことができるでしょうか。もっと悪く言わせてもらえば、神戸芦屋出のお嬢さんに東京都の政治が出来るでしょうか?

 ああ、それなのに、殆どの報道機関の世論調査は小池百合子独走態勢を伝えています。女性票の殆どは小池百合子に投じられるらしいのです。確かに都政の一部には女性の目線で捉えねばならない諸問題は山積しています。しかし、それはほんの一部でしかありません。大ナタを振りかざさねばならない問題が都政にはあるのです。

 女子有権者の皆さんには、そこのところが今一なのです。ムードとして小池一辺倒になってしまっているらしいのです。

 世界を見回すと女性リーダーが続々と生まれていることに気付かされます。ミャンマーもスーチーさんです。パングラデッシュも、台湾も女性です。イギリスもメイさんになりました。もしかするとアメリカもヒラリーさんです。女性リーダーがドイツのメルケルさんみたいだったら大歓迎なのですが、果たしてどうなるでしょう? 

 

2016年7月28日          おポンポン

 6月11日から7月15日までの病院生活は、何せ、初めてのことだけに、面白い経験が沢山ありました。

 先ず、痛みの原因が特定できず、病名がなかなか決まらなかったことです。女子医大での2日間は寄ってたかっての検査、検査の明け暮れでしたが、病名を特定してくれませんでした。「恐らく内臓からくるものでしょう」としてベッドに空きがないから、という理由で都立大久保病院に回されました。この病院の当直医師はやはり女医さんで、呼吸器が専門でした。「感染性胸膜炎」と診断されました。2,3日して今度は外科に回されます。腹部エコーとMRI検査により、どうやら胆嚢ではないか? ということで、15日から点滴だけの禁食生活を強いられます。

 二つの大病院での初診の特徴は、患者をベッドの横たえての、所謂、触診がなかったことです。若い女医さんたちでしたが、恐らく、汚い爺さんのお腹を触りたくなどなかったのでしょうか、いきなりパソコンの打ち込みを開始しました。

 私の子ども時代、目黒区洗足池の近くに住んでいました。「市橋さん」という病院が罹りつけでした。身体の弱かった私は母に連れられて何度も通いました。その度に「市橋さん」は「坊ちゃん、おポンポンはいかがですか?」と言いながら入念に身体のあちこちを触診してくれました。懐かしい思い出です。

 私は医術の原点は触診にあり、と思っています。最初に経験豊富な医師の触診があれば、入院期間がこんなにも延びることはなかったでしょう。

 次に、初めて全身麻酔を経験しました。手術着に着替え、T字帯をつけ、「まな板の鯉」になりました。腹腔鏡で2時間余りと聞いていたのに、開腹を余儀なくされ6時間後に蘇生しました。「死とはこんなもの」なのだ、「怖くはない」と実感しました。辛かったのは手術後のICU病棟での24時間でした。身動きできない、咳すると傷が痛い、脚には圧搾空気による血栓止めが装置されていて眠れない、水も飲めない。翌日、病棟に戻された時はホッとしましたが、自力では立ち上がれません。随分、看護士の世話になりました。どの看護士も、明るく笑顔でキビキビと接触してくれました。ただ、欠点は一日に4回、検温、血圧測定、血液採取、血糖検査などがあることです。血液採取はその度に静脈を探して針を入れます。両腕は穴だらけになっているものですから、一回ではなかなか針が通りません。8回失敗して9回目に出来た美人の看護士もいました。

 手術後、腹部、上胸部の痛みは無くなりましたが、傷口は痛みます。鏡に映してみると痛々しい傷跡です。自分の身体にこんなにも大きな手術跡が出来るなんて二か月前までは予想できませんでした。ただ、不幸中の幸いは、女子医大、大久保病院のあらゆる近代設備が使われ、身体の隅々までの検査が出来たことでしょうか。どの部位にもガンはありませんでした。(今のところだけでしょうが)心臓も、一か所の要注意箇所を除いて正常でした。胃カメラをのんだので食道がん、胃ガンもパスしました。肺も大丈夫でした。絶食のお蔭でおよそ8キロ痩せ、PSA数値もヘモグロビンA1Cの数値も閾値以内になりました。二か月前には女子医大で頭のMRIを撮ってもらって、無罪放免されています。ということは、「私という身体」は大事に扱えばまだまだ使えることが分かりました。どうやら80歳の坂は登ることができたようなのです。それがせめてもの収穫でしょうか。

 15日に退院し、傷口の痛みに耐えながらも宮沢君の追悼集の製作に追われています。どうやら編集を終え、神田の竹尾で90キロの書籍用紙を買い整え、一日に5冊の印刷をノルマとし、一週間が経過しました。35冊、刷り上がりました。写真が多い追悼集であるためインクの消耗が激しく、キャノンを恨みつつ単調な作業を繰り返しています。      

 

2016年7月23日       イギリスの凋落

イギリスが国民投票を実施し、僅差でEU離脱を決めたのは一か月前の今日23日です。世界は驚愕し、株価は1300円以上下げ、円も100円を割り込みました。当然、ポンドも下げ、盤石といわれていたイギリス国債の格付けも2段階レベルダウンしました。

 しかし、変化はそこまでで、一か月後の今は、株価は戻り、通貨は円安に振れ、大方の予想に反して「波静か」の状態が続いています。大騒ぎの割にしては平穏な状態が維持されています。こんなものなのでしょうか?

 「EU離脱か残留か?」を国民投票に導いたのはキャメロン首相です。「国民投票」という重要案件を彼は軽く考えたキライがあります。「残留が当然」とタカをくくっていた向きがあります。何事にも賭けを持ち込むイギリスでは、当然のように「脱退か、残留か」が賭けの対象になり、投票前日まで残留に振れていました。

 離脱に向けて大仰な旗振り役を演じたのは前ロンドン市長のボリス・ジョンソンです。典型的なポピュリストです。大量のシリア難民の受け入れを余儀なくされ、仕事が奪われ始めたこと、漁獲量が制限され、イギリス人好物の「フィッシュあんどチップス」が食べられなくなったことなど、EUのグローバル化に反対する狼煙を上げました。彼が金髪を振り乱しながら熱弁を振るう姿は、さながらアメリカのトランプ候補とウリ二つでありました。

 投票の結果が僅差で「脱退に振れた」ことに一番驚いたのは、ボリス・ジョンソン自身ではなかったでしょうか。予想される困難を察した彼は逃げ仕度を始めます。「そうはさせじ」と次期女性宰相のメイさんは、彼を掴まえ外相に起用しました。

 ヨーロッパの5億人は互いの国境をなくし、通貨を同じくし、関税を撤廃し援けあおうという崇高な精神の元に、グローバル化を図り、EUを設立しました。その精神に背を向け「EUは利益にならないから、オラーいやだよ。抜けるよ」という最初の国にイギリスはなったのです。

 確かにヨーロッパ全体を被い始めた難民問題は深刻です。しかし、良く考えてみて下さい。難民は誰のせいで発生したのでしょうか?

 時を同じうして、イギリスではキャメロン首相の前のブレア首相の政治の総括が行われました。論文が発表されています。そこには、「アメリカのブッシュ大統領に加担し、アフガニスタンを侵攻し、余勢をかってイラクのフセイン政治を倒すために武力行使に踏み切ったのはブレア首相の独断と偏見であり、間違いであった」とあります。

 アメリカのCIA情報によれば、イラクは化学兵器を持ち、核兵器さえ秘密裡に開発している、だから両国は一致してイラクを滅ぼし、民主主義と自由主義を持ち込まねばならない、という大義のための武力行使であったものが、実際には何もなかった。核兵器は見つからなかった、アメリカの情報はでっち上げだった、それに加担したイギリスのブレア政治は間違っていたとしているのです。しかも、フセイン政権を支えたイラクの残党がイスラム国を非公式に樹立し、世界中を相手にテロ攻撃を仕掛けるようになったのも、アメリカブッシュ政治に加担したイギリスブレアの政治の失敗に他ならない、つまり、ヨーロッパの難民問題はアメリカを中心とするヨーロッパ勢力が招いた「身から出たサビなのだ」と結論ずけているのです。

 この点については、私も全く同感です。あの忌まわしい9・11を捉えてブッシュという血のめぐりの悪い大統領は、イスラム教の部族国家に民主主義と商業経済を持ち込むため、不必用な戦争を仕掛けました。パンドラの函を開けてしまったのです。今更後悔しても遅いのです。ヨーロッパは難民問題の上に、テロに怯えなければならなくなったのです。身から出たサビでなくて何でしょう。

 イギリスは今後、大きなしっぺ返しを受けることになります。

 中世以降、ポルトガル、オランダ、スペインに始まり、世界の未開発国を植民地化する動きは急速に高まりました。中でもフランスとイギリスは群を抜きました。それは、世界の道路事情を見れば分かります。フランスに支配された国は右側通行です。イギリスの支配濃厚であった国は左側通行です。日本は江戸末期から明治初期にかけてフランス支配が濃厚でした。その後、蒸気機関を含めてイギリスに傾斜し始めます。従ってイギリスと同じ左側通行です。ベトナムはフランスでしたから右側です。タイやミヤンマーは左側です。面白いものです。

 7月5日の胆嚢全摘手術のため、点滴だけによる絶食状態でベッドに寝転がっていると、いろいろなことを考えます。つらつら思ったのは、「大英帝国の瓦解がすでに始まったな」と云うことです。元々、英国はウエールズ、スコットランド、アイルランド、ブリテンからなる寄合国家です。中でもスコットランドはEU離脱には大反対です。そのため独立運動は増々盛んになるでしょう。世界の金融を牛耳ってきたのはロンドン市場ですが、やがて、語り草になっていくのは必定でしょう。

 その原因は、「自分の国だけ良ければよい」という姿勢にあります。イギリスは身勝手な中国を非難出来る国ではなくなってしまったのです。一年以内に現在の平穏を脅かす事態が英国に発生する、と私は断言して憚りません。 

 

2016年7月15日       予期せぬ出来事

 予想もつかないことが、人生には時たまあるようです。今回の急病は恐らくその一つでしょうか。先月7日朝に発症し、一旦は小康を得たものの、11日の朝、救急車で東京女子医大に搬送され、夕方、再び新宿の大久保病院に強制入院させられ、今日まで約1か月余、ベッド生活を余儀なくされました。10日前の7月5日、腹腔鏡手術では手に負えぬということで、大がかりな開腹手術となって、傷んでいたらしい胆嚢が摘出されました。

 そして今日、退院することができ、こうして再びパソコンに向きあえるよになりました。本当に、本当にありがたいことです。娑婆を離れて一か月余なのに、世の中は眼まぐるしいほどに替わりました。ホームページの題材は溢れんばかりです。ご期待下さい。10人を超える人々から「どうかしたのか?」というメールやお電話を頂きました。改めてお詫びと御礼を申し上げます。

 

2016年6月6日        歪んだ政治 

 アメリカ合衆国の出生率はアングロサクソン系が7%、黒人、ヒスパニック系が93%で白人の人口比率は驚くべき速さで減少しています。しかも、富の比率は年を重ねるごとに格差が助長されています。 共和党の大統領候補者は大言壮語するトランプが指名権を獲得したものの、 その言動が従来の常識を超えているため、果たしてこれで行けるのか、心あるアメリカ人は固唾を呑んで見守っています。 

 かつてのアメリカには立身出世物語がありました。靴磨きの黒人少年が稀代の大金持ちになることも出来ました。努力すれば這い上がれるそういう社会構造でありました。今はどうでしょう? 貧困家庭はどんない足掻いても貧困のままです。加えて社会構造も変化しました。自動車産業の街デトロイトではアメリカの車が売れないため、ゴーストタウン化しています。

 地方都市から富裕層はこぞって逃げ出し、自分たちだけのコロニーを造り始めています。街に対して税金を払ったところで、それに見合う見返りがほとんどなく、貧困対策に使われてしまうからだといいます。そのため、公共施設が使えなくなる例があちこちで見られるようになりました。図書館が閉鎖されました。催し物会場が使えなくなりました。 街は汚くなりました。水道管が壊れても修理されないままだそうです。

 教会だけは賑わっているようで、沢山のジャズ楽器を入れて踊り狂い、トランス状態になるそうです。それが唯一の慰めらしいのです。こういうキリスト教の一派をペンテコステと言います。アングロサクソン系は決してその中へは入らないようです。

 いま、アメリカの社会構造は崩れ始めました。世界の警察を自認し朝鮮半島、ベトナム、アフガニスタン、イラク、と自国の兵の血を流すことを厭わなかったのに、いま、ISISとの戦いをイランに肩代わりさせ、シリアはロシアの思うようにさせています。

 あまつさえ、従来なら泡沫候補でしかないだろうトランプに、大多数が期待をかけ始めました。「ヒスパニックを入れないためメキシコ国境に壁を作る」「日本、韓国に駐留するアメリカ軍についてそれぞれ応分の負担をしてもらう。そうでなければ引き上げる。アメリカ兵の血を流してまで両国を守る必要はない」「何なら、日本も韓国も核兵器を持ったらいい」「アメリカはアメリカ国内のことだけで沢山だ」

 あの、自由にして大らかなアメリカはどこへ行ってしまったのでしょうか?

 一方、中国は機を見るに敏です。アメリカの変化を見透かしたように、高飛車に構え始めました。殆どが国営企業で莫大な負債を抱え、経済は危機的状況になっているのに、アメリカ、西欧諸国、それに日本などの民主主義国からの昔の恩を忘れ 、居丈高に構え始めました。

 日本は中国に莫大な借款を与えました。経済交流が活発に行われました。日本やアメリカの技術が中国を根底から助けました。庶民の30年前の平均所得は1万円ほどでした。北京も上海も自転車の洪水でした。日中合弁企業のお蔭で、所得は3万円になりました。8万円になりました。いまは、20万円になっているようです。当時、日中友好協会の活動が盛んで、音楽、芸術、囲碁、など交流が盛んでした。ここ5.6年その火は消えたままです。

 一体、中国は今の曲がりなりにもの繁栄を、誰のお蔭で築けた、と思っているのでしょう。中国の生産物を買ってあげたのは、日本他の民主主義国ではなかったのですか。恩知らずも甚だしいといわねばなりません。

 諸悪の根源は、共産党という一党独裁制度にあることは自明の理です。しかも、共産党内の常任委員会は従来の9人から7人になりましたが、この7人の中での勢力争いは醜いほどです。習金平と首相の李克強の仲たがい振りは尋常ではありません。

 日本を仮想敵国に祭り上げ、世論の力を殊更に呼び込もうとしています。ナチスのヒトラーと同じやり口です。あまつさえ、アメリカに対し、面と向かって楯突こうという有様です。

 冗談ではない、危機的状況が共産党国と民主主義陣営との間に生まれつつあります。時間の問題だと認識できるほど、二つの陣営の衝突が起こり得る可能性の中に世界はあります。

 私は早稲田大学で文学部史学科西洋史に、曲がりなりにも在籍しました。キリスト教を中心とする戦乱を主に勉強しましたが、確実に言えることは、「世界から戦争は無くならない」という歴史上の厳然たるセオリーです。

 悲しいかな、このセオリーはやがて証明されるでしょう。

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