最近のエッセイ(64)

*最近のエッセイ<64>は満杯になりました。明日から<65>に移ります。

 

2021年5月4日         一隅を照らす

 今は丁度ゴールデンウイーク。思い出すのは数十年前、この連休中に大学の同級生三人で京都を3泊4日で走り回った時のことです。竹内二郎君は学習研究社の敏腕編集長、市川長年君は京都新聞の広告部長、私も販売部長だった時で、タクシーを借り切り、昼は「う雑炊」、夜は四条の「たん熊」で、真っ赤に焼けた鉄鍋の「すっぽん」をいただくなど、豪勢な三日間を過ごしました。比叡山の延暦寺へ行った時です。千日回峰行の行者と奇しくも邂逅しました。小走りで堂内に入ったかと思うと、すぐ出てきて、一般道ではなく茨が茂る小山を駆けあがっていきました。その時、お付きの屈強な若い僧侶が、熊手のような道具を使って行者の尻を押し上げるのをみました。両者の裂ぱくの気合が木霊しました。凄いものを見たと、三人は興奮を隠せませんでした。

 千日回峰行ほど過酷な修行は、世界広しと言えども、そうあるものではありません。毎朝、午前二時になると手っ甲脚絆を付けて比叡山中を駆け巡ります。一日平均30キロ。それが100日間続いた後は、京都市内に降りてきて小走りに要所、要所で祈ります。言葉を発してはダメ。途中で挫折した場合は自害することになっているそうです。約4万キロ、地球一周に相当する距離を歩き終わると、最大の難関「堂籠り」が待っています。7日間、不眠不休、、食べ物一切、水も飲まず、ただ只管、10万枚の護摩を焚き続けるそうです。余りの難行苦行であるがゆえに、大阿闍梨の称号を与えられた者は、戦後で14人、戦前を含めて51人しかいないそうです。

 東京でのある研修会にそのうちのお一人、酒井雄哉さんが講師として迎えられてことがあります。この方は、あろうことか2回も回峰行に挑まれ完遂された方でした。話し方は穏やかで、何とも言えない気品が漂っていました。

 延暦寺根本中堂の入り口に一本の柱が建っています。そこにはただ「一隅を照らす」とだけ書かれています。法然の言葉です。大阿闍梨酒井雄哉さんは、そこに存在しているだけで、一隅を照らしているなあ、と深く感じ入りました。

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      私は不思議でたまらない

       黒い雲から降る雨が

       銀にひかっていることが

       私は不思議でたまらない

       青い桑の葉たべている

       蚕が白くなることが  

       私は不思議でたまらない

       誰に聞いても笑ってて 当たり前だということが 

2021年5月3日         憲 法

 今日は憲法の日。朝刊一面に寄れば、改憲が必要45%、必要ないが44%、との世論調査の結果です。昨年は必要43%、必要ないが46%でしたから、大きな変化と言わねばなりません。なぜ、国民の意識が変わってきたのか? それは中国のこの一年間の得手勝手なやり口に脅威を感じ始めたからでありましょう。

 フィリピンやベトナムその他の領土と思われる南沙諸島に勝手に入り込み、孤島に盛り土をしてコンクリートで固め、滑走路まで作ってしまう中国共産党のやりたい放題に脅威を感じだしたからでありましょう。しっ切りなしに行われている中国のそこでの軍事訓練、さしものフィリピンのドテルテ大統領も業を煮やし、この6月その海域でアメリカとの共同軍事訓練を始めます。アメリカは三艘の原子力空母を振り向けます。それに呼応するように、イギリス、フランス、ドイツが艦隊を派遣して参加するとのこと。いやはや、大変なことになりました。もし、不測の事態が起これば実弾が飛び交う場面が起きないとも限りません。

 歴史を見るまでもなく、領土的野心はその国の為政者の国内の政治を収めるための必須条件です。軍部の台頭を許した日本軍国主義にそれが証明されています。台湾、韓国を統治し、満州国まで自国とした軍国日本の歴史がそれを如実に示しています。毛沢東は蒋介石を台湾に閉じ込め、登小平は香港を手中にしました。しかし、現在の習近平は領土的には何もやっていません。台湾が目標であるのは誰の目にも明らかです。南沙諸島や尖閣列島での横暴ぶりは、台湾を目的とする前哨戦であるのは間違いないところでしよう。

 戦争は、まず、些細な小競り合いに端を発します。メンツを保つために小競り合いが中競り合いになり、お互いのっぴきならなくなって大戦争に発展します。私は大学で西洋史を専攻しましたが、西暦が始まって以来、2000年に亘って地球上に戦争のなかった時代はなかったことを知りました。しかも、アメリカが絡む戦争は民主党が政権を取っている時代に起きている、という奇妙な法則を知りました。第二次世界大戦はルーズベルト、トルーマン、ベトナム戦争はケネデイ、湾岸戦争はカーター。そして今回のバイデン。すべて民主党です。

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          貴様と俺とは 同期の桜

     同じ兵学校の 庭に咲く

     咲いた花なら 散るのは覚悟

     みごと散りましょ 国のため

     貴様と俺とは 同期の桜

     同じ兵学校の 庭に咲く

     血肉分けたる 仲ではないが

     なぜか気が合うて 別れられぬ

     貴様と俺とは 同期の桜

     同じ航空隊の 庭に咲く

     仰いだ夕焼け 南の空に

     未だ還らぬ 一番機
 

2021年5月2日       金戒光明寺

 ミャンマーの内紛はますます激しさを加えています。国軍に反対する一般庶民への殺戮は700人を超えるまでになっています。国軍に反対するミャンマー周辺のカレン族などの少数民族が国民側に付き、空爆をものともせず、戦いを繰り広げています。政権を争う国民同士の殺し合い、これは何もミャンマーだけのことではありません。日本にもありました。1850年代の京都がその舞台でした。徳川幕府から京都守護職を命ぜられた会津藩、お抱えの新選組、それに立ち向かう薩長土肥、壮絶な殺し合いが繰り広げられました。「船中八策」と共に京都に乗り込んだ坂本竜馬は、京都・池田屋で今井信雄の刃にかかり殺されました。が、やがて京都は薩長土肥軍の勝利に終わり、官軍として錦の御旗を翳し、江戸へ攻め込み、勢いに追われた江戸幕府は勝海舟の進言により江戸城を無血で明け渡します。戦いの最終楽章は函館の五稜郭でした。1886年、日本は明治維新として新体制になり、「広く会議を起こし、万機公論に決すべし」などの5か条のご誓文が発布され、近代国家としての道を歩み始めます。

 一方、京都で幕府のために戦った会津藩士はどうなったでしょうか。逆賊の汚名を着せられ、自害せざるを得なかった会津武士の墓はあるのでしょうか?、あるのです。ある寺の奥の奥に秘かに存在しているのです。その寺の名が京都の金戒光明寺です。ある時のカバン会の翌日、この史実については馬鹿に詳しい私より2年入社が早い森さんの案内で、その秘かな会津藩士たちの墓地へ行きました。本堂の裏の細い道を何度も曲がり、ようやくその一隅に辿り着きました。そのあたり一帯はパット明るくなっていました。5月の花がどの墓にも供えられていたからです。

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   宮さん宮さん お馬の前に

    ヒラヒラするもの 何じゃいな

    トコトンヤレ トンヤレナ

    あれは朝敵 征伐せよとの

    錦の御旗じゃ 知らないか

    トコトンヤレ トンヤレナ

    一天万乗の 一天万乗の

    帝王に手向かい する奴を

    トコトンヤレ トンヤレナ

    狙い外さず 狙い外さづ

    どんどん撃ち出す 薩長土

    トコトンヤレ トンヤレナ

 

2021年5月1日         始まりました

 今日から5月、麗しき5月です。シューマン作曲の歌曲集の中に「麗しき5月」という小品があります。この曲のピアノ伴奏部分が、良くて、良くて、私がピアノを弾くときは、まず、この曲から始めます。何十年も続いている私の儀式です。

 現役時代、4月が決算月で5月から新年度が始まりました。すべてをやり終えてやれやれ、と思っているところに、「カバン会」の案内が回ってきます。一年中カバンをもって任地を駆けまわっていた販売局の担当社員の慰労会です。なぜか、京都でおこなわれるのが多く、沢山の思い出が残っています。名だたる料亭に約30人が、お膳を前にしてコの字型に座り、踊りを見ながら美酒を味わいました。一品ずつ運ばれてくる料理の中に、松坂牛の一切れがありました。過去食した牛の肉の中で最高でした。翌日はグループごとに分かれて散策です。私はいつも三千院のコースを選んでいました。院内の隠れたところに、日本の古楽器が集まっている小さな書院があります。そこでお茶をいただき、寂光院に向って歩き出します。表の道を歩かず、民家が密集していて曲がりくねった道を下っていくのです。どの家の庭にも草花が咲き乱れていて、さながら、あの世のお花畑を歩いているような錯覚を覚えました。

 次男の家族4人伴い京都へ行った時も、三千院から寂光院のダラダラ道を孫たちと一緒に歩きました。孫二人が、京都大好き人間になったきっかけは、あの道にあったかもしれません。さあ、麗しき5月の始まりです! 
 

      芙蓉の花の 咲くころにや

       芙蓉の紅い 花が咲く

       雀もお宿へ 帰る頃にや

       雀のお宿も 日が暮れる

       おれもこうして いるうちにや

       おれも日暮れて しまうだろう

                  ー野口雨情ー   

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2021年4月30日         出させてもらいます

 家の近くのピアノ教室へ10日ごとに通い始めて、3か月経ちました。たった今、ドビッシーのパスピエと連弾のスラブ舞曲を弾き終えて、戻ってきたところです。連弾は私が低音部、先生に高音をやってもらい、何とかミスなしで弾けるようになりました。二台のスタインウエイはグランドとアプライトですが、部屋いっぱいに音が広がりました。月に9000円の授業料を払う以上、疎かには出来ません。毎日4時から5時の一時間、ピアノに向うのを「掟」にしてきました。どうやら、その成果は出始めたようです。レッスンが終わって、先生から、7月に発表会をするが、出ないか、と申し出がありました。4っつのピアノ教室が練馬の文化会館の大ホールを貸し切りにして、一年間の成果を発表するというのです。出演が予定されるているのは約4,50人。その中の一人になれ、とおっしゃるのです。考え込んでしまいました。84歳のこちとら、勿論、最高齢の出場者でありましょう。もし、興奮のあまり、脳溢血でも起こしたら、、、、でも、自分の演奏を聴いてもらえる喜びは何モノにも代えがたい、、、、、どうしよう、、、どうしよう、、、、しばらく迷ったのち「出させて貰います」 と返事させてもらいました。コロナのお陰で、外に出ることが躊躇われる毎日、一つの目標を持つことは、例え、幼い子供たちと一緒であっても、過ぎてゆく時間が充実するからです。

 そうと決まれば何をやろうか? シューマンの「子供の情景」か、シューベルトの「前奏曲NO3」か、ショパンの「マズルカNO41」か、いろいろ迷います。そして今更のように気が付きました。「迷っている時間」そのものが有意義で、楽しいものであることが。 

        ふるさとは 遠きにありて思ふもの

    そして悲しくうたうもの

    よしや

    うらぶれて異土の乞食になるとても

    帰るところにあるまじや

    ひとり都のゆうふぐれに

    ふるさとおもひ涙ぐむ

    そのこころもて

    遠きみやこにかへらばや

    遠きみやこにかへらばや

                ー室生犀星ー

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2021年4月29日     コロナのこん畜生! 

 緊急事態宣言が出されて数日経ちました。また、今日は昔で言うなら天皇誕生日でもあります。気温が高めのせいか、見事な薔薇が勢いよく咲いているのを、あちこちで見かけます。府中の神代植物園では沢山の種類の薔薇が咲き乱れていることでしょう。でも、ずっと休園中ですから、愛でる人なしに咲いている薔薇たちはどんな思いでいることでしょうか。毎年のように訪れていましたから、どこに、どんな薔薇が咲いているか、どんな色で、どんな香りを放っているか、思い出せるほどになっています。つくずく、「コロナのこん畜生め!」と怒鳴りつけてやりたい気持ちで一杯です。

 ところで、車を駆していて困ることがあります。若い男たちが背中に黒い大きな荷物を背負って、車をものともせず、自転車をこぎまくっていることです。注文を受けた食べ物をデリバリーする新しい職業のようですが、これもコロナのお陰か、頻繁に遭遇するようになりました。職を失った若者たちが、日銭を稼ぐために、危険極まりないこの職業に群がっている、と仄聞しますが、交通ルールを守れない自転車運転も多く、先日など、危うく私の車と接触しそうになりました。つくずく「コロナのこん畜生め!」であります。昨日は食料品の買い物ついでに、歩いて行ける寿司屋へ寄りました。昼の一杯の生ビールはオツなものです。コハダを握ってもらいながら、注文しました。ところが「お酒類の提供は禁じられております」と、つれないお店の返事。またまた「コロナのこん畜生!」でありました。

    プロゴルファーの石川遼は 天国にもゴルフ場が

  あるかどうか 思い悩んでいた 

  バチカンのローマー法王にメールで聞いてみた

  「天国にもゴルフ場は無数にあり 楽しめます

   ナショナルオーガスタゴルフ場そっくりの

   名門コースもあって 年一回 往年の名選手が

   出場して 覇を競います

   お喜び下さい

   来年の出場選手の名前が 

   すでに発表されていて 目出たくも

   石川遼さん あなたも既に

   エントリーされています」

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021年4月28日         女の争い

 今朝のモーニングショーで、丸川珠代オリンピック担当大臣が 「この期になっても東京都から何も言ってこないので、国として動きようがない」と小池百合子知事の動きの遅さをアカラサマに批判しました。何も、表立って言うことではない、ことを荒立てるだけだ、と私は思いましたが、案の定、小池百合子は三白眼の目をギョロつかせながら、吐き捨てるように、何か一言いっただけでした。二人は選挙で戦った仲です。激しい互いの中傷合戦は記憶に残っています。女の戦いはオリンピックでも続いているのでしょう。もし、森喜朗がそのまま在任していればこうはなりません。彼は大きな仕事には不向きであっても、調整力には長けています。内輪の愚痴をテレビで公にすることなどなかったでありましょう。よしんば、川渕三郎になっていても同じでしょう。内輪で済ますべきものを、テレビで発言するなど男の社会では恥としたものです。

 「女性が加わると会議が長くなる」という言わずもがなの発言は、世間の糾弾を浴びましたが、彼の体調をおもんぱかれば「会議は短い方がいい」という切実な事情が彼にはあったのです。彼は肺の手術をしていて肺の片方がありません。また、人工透析を週に三回行っています。ガタイは大きくても内部はガタガタの83歳なのです。同じ早稲田のよしみで、庇うわけではありませんが、彼は捨て身でその任に当たっていたのです。「早稲田精神」が漲っていた、と私は彼を弁護いたします。

 しかし、オリンピック開催の是非をめぐる世論は、ここへきて一層否定的になりました。百合子対珠代の女の争いが表面化して、醜態をさらしだす前に、日本国として「一年延期」を世界に宣言すべきです。
 

      ああ 空しく馬齢を重ねてきたものよ

   まだまだと思っていたのに

   既に古希も過ぎてしまった 大空の利鎌が

   私の首を掻こう と待ちかねている

   痛ましや 助けてくれ

   望んだことが 一つも叶わず

   消えてゆくなんて あんまりだ

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2021年4月27日         翡翠の原石

 既に、人生の半ばに達している長男・次男が小学6年・5年生だった時の正月、四人で中国北京へ行ったことがあります。思った以上に寒く、慌てて、免税店で中国人が着ているのと同じ青い綿入れ外套を買い、ホテルとは名ばかりの建前飯店から天安門広場に向いました。僅かな街灯しかない薄暗い広場には数千人の中国人が群れていて、何するでもなく、ただ、突っ立ていました。故宮博物館にはおびただしい陶磁器が無造作に置かれていて、名品と思われるお茶の茶碗も手に取ってみることができました。中国は陶磁器を生んだ国なので、唐時代の長沙窯、柴窯から始まって、汝窯、定窯、鈞窯、官窯、そして景徳鎮窯、龍泉窯と続きます。唐三彩もその一つですが、本当に良いものは、ほとんど、外国に流失してしまっているといわれます。パリのルーブル、アメリカのメトロポリタンへ行ったときは驚いてしまいました。「これは!」という夥しい数の東洋の名品がそこにあったからです。その最たるものはロンドンの大英博物館でありましょうが、残念ながらまだ行っていません。

 意外だったのはソウルの韓国立博物館です。あの国は白磁・青磁で有名ですが、夥しい数の名品が、これでもかというほど陳列されていました。もう一度見たくなって翌日も出かけたことを、昨日のように覚えています。

 ところで、北京の故宮博物館には宝石類の展示もされていて、あろうことか翡翠の原石が無防備のまま転がっていました。当時、ヒスイに凝っていた私は、危うく手ごろな一つをポケットに入れたくなりました。監視カメラなどない時代です。もし、実行していたら、どこからか監視員が現れて国辱者になっていたでしょう。 

         ガラスは 空っぽのように

       透き通って 見える

       けれども たくさん重なると

       海のように青い

       文字は

       蟻のように 黒くて小さい

       けれども

       たくさん集まると

       黄金のお城の

       お話もできる

             ー金子みすゞ ー      

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2021年4月26日                 天目茶碗

 今までに台湾へは何度行ったでしょうか? 恐らく10回ではきかないでしょうが、そのたびに故宮博物館に訪れていました。蒋介石が大陸を追われた時、中国故宮の膨大な財宝を持って台湾へ逃れました。だから、いつの時も展示物が目新しいものになっていて興味は尽きませんでした。ある時、数ある展示物の中に「天目茶碗」を発見した時、余りの衝撃で、しばし、その場に釘付けになってしまいました。黒を主体とする茶碗の中に宇宙が投影されていたのです。暗黒のブラックホールの中で無数の星が光輝き、見る角度を変えると星が点滅し始めるのです。世界に4つしか残っていないものの一つ、と解説されていました。

 約1000年前、建窯という窯が鉄分を釉薬として使ったところ、保温にも優れた性質があることが分かり当時の流行になった、と解説されていました。それよりなにより、「美」そのものが顕在化していました。どれだけの時間、その前に立ちすくんでいたでしょうか。しかし、次に故宮へ行ったとき、それはもう展示されていませんでした。恐らく、もう一度見ることは叶わないでしょうが、目の奥底には「天目茶碗の美」は今でもしっかり焼き付いています。下の写真も天目茶碗の一つですが、その時のものではありません。しかし、その片鱗は伺えるのでご参考までに提示させていただきました。

玳玻(たいひ)天目碗       世界に4点しか存在しない耀変天目茶碗の神秘的美しさに迫る!

 

 

2021年4月25日           茶 碗

 毎朝、仏様たちにお茶を差し上げ、残ったお湯で抹茶を入れ、仕事場のガラス戸と一杯に開けて飲むときに使っているのは、九州への赴任時代に有田へ行ったとき、見よう見まねでひねり出した不細工な代物です。でも、何故か愛着があるのです。大事にしている茶碗は他にも三つ、四つあって、中でも福島県会津の本郷焼の茶碗が白眉でしょうか。福島会津地方には「鰊鉢」という風習があって、身欠鰊を白菜その他の野菜と共に漬け込んで、冬場の蛋白源としていました。山と積まれた鰊鉢の傍らに、「私をどうにかして」と叫んでいる全身が緑色の一件がありました。九州への赴任時代、佐賀県の唐津でもそういう経験があり、その茶碗も、また秘蔵しています。唐津は大陸に近いためか、窯業が実に盛んでした。

 私の出身校長野高校の三年先輩の池田満寿夫も、最後は焼き物でありました。熱海に居を定め、窯を作り、手ひねりを繰り返していました。池田満寿夫と同級性であったテレビ朝日の丸山さんのお陰で、彼にまつわる話は、イヤというほど聞かされました。彼は最初、ある女性作家の二階に居候します。続いて佐藤愛子の母親に言い寄りますが叶わず、信濃町で愛子と居を構えます。二人ともワインが好きで、丸山さんが尋ねたら、ガラステーブルの下は、開けたワインのコルク栓で一杯だったそうです。熱海には池田満寿夫記念館がありますが、入ってみて驚きました。バイオリニイスト佐藤愛子記念館でありました。入り口からずらりと等身大の舞台衣装が並べられていて、彼のものと言えば、愛用のカメラくらいでした。きっと、尻に敷かれっぱなしだったのでしょう。晩年の彼は作陶にのめり込んでいましたが、その作品が有楽町マリオンで、朝日主催で展示されたことがあります。行って観ましたが、向こうから語り掛けてくるような作品は一つもありませんでした。「美は照応にあり」と言われるように、陶磁器であろうが絵画、彫刻であろうが、美を宿した作品は向こうから語り掛けてくるものなのです。

 不幸なことに、彼は宅急便を受け取りに愛犬と共に外に出た時、倒れてしまいました。葬儀は熱海市葬となり市長の川口昭雄君が委員長を務めました。彼の父親も熱海市長でしたが、彼とは早稲田時代の同級生であり、囲碁6段の好敵手でもあったので、故人にまつわる秘話をいろいろ聞かされましたが、故人の名誉のため口を噤んでおきましょう。

 言いたいことはただ一つ、焼き物の世界は奥が深く、一時的感覚のひらめきを厳然と排除する、長い歴史が作り出す美の世界だ、ということです。 

 

             私は思想家として

        存在の無の そのきざはしを

        知ったと思う 万物流転の本質にも

        辿れたかもしれない

        しかし その賢さのすべてを

        私は蔑む  酔いの彼方には

        それ以上の 境地があった

 

 

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2021年4月24日        オリンピックは? 

 明日から、またまた緊急事態宣言です。これで三度目でしょうか。この春先は人の移動が激しかったので、特に関西では医療崩壊に陥っているようです。大きな特徴は関西での変異株の蔓延です。二重変異株の感染が特に懸念されています。4月から京都で仕事に就いている私の孫娘は大丈夫でしょうか? わがことのように心配でなりません。

  一方、7月下旬開催のオリンピックは国際オリンピック委員会も、日本政府も、組織委員会も開催の旗印を下ろそうとはしていません。だからと言って、関係者の誰もが、このままでは開催は無理だろうな、と思っているに違いありません。世論調査を見るまでもなく、日本人のほとんどは「開催は延期」となるだろう、と秘かに思っているのではないでしょうか? どんなに厳しい水際作戦をとっても、二重変異株が現れた以上、世界各国から日本に入国する選手や役員とともに、新たな変異株が日本に上陸しないという保証は皆無なのです。苦しむのは日本国民なのです。しかも、大阪、兵庫、名古屋は言うに及ばず、医療崩壊が始まっているのです。選手村で集団発生したらどうするのでしょう? 仮に日本に入国できる選手、役員はワクチン接種した者に限る、としても、二重変異株に対して既存のワクチンは効果がない、言われだしています。つまり、二重変異株の出現は、オリンピックの開催について、更に重大な影響を及ぼすのではないか? と言いたいのです。

        君に「黒」と言わせて見せよう

    よしきた やってみな 絶対に言わないから

    日本の国旗の色は? 赤と白だ

    フランスの国旗の色は?

    えーと 赤と白と青だ

    ほーれ 言った 黒と言った

    絶対に言ってない 黒だなんて、、、

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2021年4月23日          茶 席

 日本新聞協会に関係していた頃、京都新聞社の肝いりで、ある茶会に呼ばれたことがあります。ところは大徳寺内の茶室。京都新聞の社主に関係する白石さんはじめ読売、毎日、朝日の四人が控室で談笑していると、「整いました」と知らせが入ります。「兎に角、あなたの真似をさせていただきます」と白石さんに言いながら、草履を履いて飛び石伝いに茶室に向いました。狭い躙り口から身体を入れ、香の炊かれた茶室に入り、正座しました。小さな床の間には草書体の掛け軸がありました。作法によれば、掛け軸を褒めろとありますが、誰のものか、何と書いてあるのか、さっぱりです。お年を召した席亭主がおもむろに入ってきて茶事が始まりました。型どうりの茶事を始めながら、私たちが全くの素人であることを早くも見抜き、「そんなに畏まっていてはお茶の精神に反します。どうぞお気楽に、伸び伸びとした気持ちで味わって下さい」と言われ、座が和やかな雰囲気になりました。しかし、茶筅によって泡立った緑の液体を、作法によって唇の位置を替えながら回し飲みをするときは、流石に緊張しました。香りの高い緑色の、舌触りのよい液体だったことだけは、鮮明に覚えています。主客の白石さんにならって、床の間の掛け軸の由来を尋ね、お茶の茶碗の故事来歴に言及する頃には正座していた足が痺れ感覚がなくなっていました。席亭が退席し、正座を崩せたときは天にも昇る心地がしました。やがて、次々に懐石料理が運ばれてきました。どの皿にもそれぞれ曰くがあったのでしょうが、何しろ量が少なく、神妙に味わうそぶりをいたしましたが、今となると何が饗されたのか思い出せません。ただ、鮮明に残っている記憶は、茶室の小窓越しに見える庭の緑が別世界のように見えたことです。生きて、存在していることの得も言われぬ喜びを感じたことです。

              ああ 新緑の時

         雲は降りてきて チューリップに

         涙の口づけをする

         さあ 早く 酒を注いでくれたまえ

         さあ 早く 共に盃を干そうよ

         いま 君の眼を楽しませている

         青草や 鮮やかな花花は

         明日は

         君の亡骸から 生えてくる

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2021年4月22日         お茶二題

 しばらく前のことです。新聞協会の勝又さんのお陰で、毎年開かれているICMAの同窓会に、京都新聞の太田さんが飛び切り上等の、宇治の新茶を持って現れました。彼は京都と奈良のほぼ中間の宇治にお住まいで、家の周りは茶畑ばかりだ、とのこと。6,7人が和室に集まり彼の所作を見つめました。彼は、まず、正座して茶碗と急須に湯を注ぎ、温め始めました。頃合いを測り、おもむろにカバンから取り出した缶の中から、絶妙にちじれている、今まで出会ったことのない色合いの茶葉を、持参の小型計量器で量を測り急須に入れ、改めて別器で冷ましてあった湯を注ぎ入れました。ストッポチまで持参していました。頃合いを見て、急須から茶碗にお茶が注がれました。何とも神秘的な色合いの液体は、少量ずつ等分に注がれました。どうぞ、と言われ、口に含んだ瞬間、何とも言えない幸福感に充たされました。

 奈良の法隆寺を一人で訪れ、境内を隈なく歩き回った時のことです。いかに法隆寺に魅せられていたとはいえ、南大門から始まって金堂、五重塔、中門、回廊、大講堂、経堂、鐘楼と回り歩くのは容易ではありません。やっと、夢殿から東大門へ辿り着いたときは、もう、ヘトヘトでした。なんとそこに無料休憩所があったではありませんか!しかも、自動給茶機があって、ご自由にお飲みください、とあるではありませんか。実に、実に、実に美味しい緑茶でした。「流石、法隆寺だ、無料のお茶にまで神経を注いでいる」と、半ば呆れながら、何杯も、何杯もお代わりしました。

        君は大金持ちだからボクの持っているもので

    持っていないものはなにもない  「まあね」

    と思うのは金持ちの浅ましさ 君が絶対に

    持っていないものが一つある

    「ない、と思うよ5万円賭けてもいいよ」

    では、5万円寄こしたまえ

    君は僕が持っている生活保護証明書を

    もっているかい?

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2021年4月21日           お 茶

 三年ほど前、マレーシアへ行きました。赤道直下の国であっても、首都のクアラルンプールから3時間ほどで、1000メートルほどの高地キャメロン・ハイランドへ着きます。そこは避暑地として名高く、気温がいつも20℃前後でした。驚いたのは見渡す限りの山々が「お茶畑」であったことです。更に驚いたのは同じお茶の葉から作られるであろう、いわゆる日本茶がどの店にもなかったことです。ほとんどが紅茶や、ウーロン茶になってしまうようで、人々は紅茶と練乳を併せ飲む「テータリック」に夢中でした。その淹れ方には厳粛なパホーマンスがあって、日本の茶道よろしく儀式じみていたのには笑ってしまいました。

 台湾もお茶の産地です。桃園や花蓮など見渡す限りが茶畑です。最も有名なのが木柵地区の「鉄観音」でしょうか。すべて発酵茶であり中国茶、ウーロン茶などと呼ばれています。このお茶の入れ方にはマレーシアのテータリック同様、厳粛なパホーマンスがあります。儀式として発酵茶を有難くいただくのです。観光バスで連れていかれる免税店でも、入るやいなやお茶が振舞われますが、あれは略式で、実際は日本の茶道同様、面倒なものだそうです。両国に共通するのは唯一、日本茶が飲めないことでした。ウーロン茶も、紅茶も、中国茶も、日本茶も、同じ茶畑から生まれているのに何でこんなに国ごとに違うのか? お茶の歴史も中々だ、とふと思った次第。

 今日は光が丘のお茶屋さんへ行って、煎茶の藪北茶と小さな缶入りの抹茶を買ってきました。毎朝、仏壇の四人の女性にそれぞれの器でお茶を差し上げながら、話しかけ、そのあと仕事場のガラス戸を開け、目の前の洋ナシの若葉にも話しかけながら抹茶をいただくのが毎朝のひと時なのです。     

 

        わが部屋に 花挿すことを好まず

       まして庭の上にかざさん花をとどめず

       美しと思えども 頼りなく 危うきは

       花のさくころなり

       むしろ 苔生す庭樹の

       風なき時の姿の悲しさ

       老いたる顔 さしのぞくごとく

       その肌にたなごころ

       触れつつは いる

                 ー室生犀星ー

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2021年4月20日         私のオッパイ

 その女性は台東区で生まれ、千葉の松戸で育ちました。祖父はパイク・ブイという日本美術史家、父はフランス文学者、夫は週刊文春の表紙を40年間描き続けたイラストレーター。彼女は今74歳。若い時は下手なシャンソンを唱っていました。二人の息子のうち、一人の連れ合いは上野樹里です。おっちょこちょいといわれるほどの天性の明るさが持ち味の、この女性は誰でしょう?

 そう、平野レミです。いま、朝日新聞の「語る」で自分の来し方を回想中です。これがまた素っ頓狂で面白い。テレビにも出ていて独特の調理方法を披露する自称料理愛好家でもあります。夫の和田勉は一昨年急逝しましたが、生涯に亘ってあなた、と呼ばれることなく、「和田さん」で通されたそうです。ここにも、彼女の特異性が現れています。

 年子で生まれた子供が小さい時、お風呂に入れるのが和田さんの役目でした。ある時、お風呂の表面に黄色い固形物が浮きました。さすがの和田さんも目を背けましたが、レミさんは「これ全部、私のオッパイなの」と言って大事そうに掬ったとのこと。この天真爛漫な女性を残して、先に逝った和田さんはどんなに心残りであったことか、、、閑話休題

            薔薇の木に 薔薇の花咲く

      なにごと不思議なけれど

      薔薇の花

      なにごとの不思議なけれど

      照り極まれば 木よりこぼるる

      光り こぼるる

                ー北原白秋ー

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2021年4月19日         二重変異株 

 13億人の人口を抱えるインドでの感染者は1,478万人で死者は17万人にも上っています。インドの一日の感染者は今年の1月は1万人を割っていたのに、今年の3月は10万人となり、4月は20万人を超え始めたそうです。その原因として分かったのは<二重変異株>の新たな存在だそうです。

 通常のワクチンでは効かない変異株が、新たな脅威として世界中を混乱させているところへ、新たに、<二重変異株>が現れたのです!!!! 加えて、従来のワクチンではこの新種に対して、丸っきり効果がないそうです!!!!

   これは大変なことです。二重変異株が存在し始めた以上、三重・四重の変異株が現れる可能性を否定できないからです。その猛威を食い止めるには、変異に対応するワクチンの製造以外にありません。何しろ、今あるワクチンでは対応できなくなっているのですから。

 ところで、今から2600年前に書かれた「旧約聖書」にはこのことが予言されています。人類には艱難辛苦の時がやがて訪れ、疫病その他で三分の二が死に、生存者は三分の一になってしまう、と。エゼキエル書にハッキリ書かれています。ただ、その前に世界は一国の覇権国家に支配され、ロシアとトルコがイスラエルに攻め入り惨敗を喫したり、イエスキリストが再び降臨し、キリスト教徒全員を天上に引き上げる、などとの予言も書かれているのですが、それはさておき、世界的な人口減が二重変異種の登場によりにわかに現実味を帯びてきました。

 いま、確実に言えることは、インドに現れた二重変異種は、アメリカにも、ヨーロッパにも、ブラジルにも、南アメリカにも、そしてわが日本にも、いずれ現れるに違いないということです。

   陽炎も小鳥も みな

   地中深く捉えられた 青白い月の下

   エキスを吸い上げ

   いま 満開になっている

   私の咲く場所は  ここ

   私の散る場所は  ここ

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