2023年1月6日     福 袋                     

 年明け早々デパートや専門店は外国人客で賑わっています。いずれも新年に売り出されている福袋が目当てのようで、中には、100万円単位で大量に購入して故国へ持ち帰える人もいます。確かに、福袋には価格以上のものが入っていて割安ではあっても、必要でもないものまで買わされるので、結局は割高につくはずです。でも、その買い物の意外性が面白くもあります

 一昔前、長男夫婦と女の子の孫、次男夫婦と男女の孫、それに母親と、一緒に暮らす従妹の大勢が、練馬の我が家の座敷に集まって新年を寿ぐのが恒例になっていました。予定されたその日までに、私はデパートへ行って三つの福袋を用意し、みんなでそれを開けて品物の意外性を楽しみました。その、恒例となっていた新年の集まりもいつの間にか母親も亡くなり、孫達も成人してそれぞれの人生を歩み始めてからはなくなってしまいました。思えば、福袋を買い込んで中身を開け、意外性を楽しんでいるうちが人生の花の時期だったような気がします。

2023年1月5日   中国の劇的変容                              

 中国で人々が白い紙を掲げて街頭に立ち、政府の厳重なコロナ隔離政策を非難したのは去年十一月の二十日頃のことです。その運動は瞬く間に中国全土に広がりつづけ、やむなく、共産党の習近平政権は隔離政策を削除しました。するとどうでしょう、感染は物凄い勢いで中国全土に広がり、まだ、一ヶ月足らずしか経っていないというのに、死体の山が出来はじめ、全国の火葬場は焼却を待つ長い行列が出来る始末。僅か、一ヶ月足らずの間に、こんなにも変わるものか、と半ば仰天しながらテレビ画面に釘付けになっているところです。考えられるのは、中国人のほとんどがワクチン接種をしていないか、していても中国製のワクチンでは効果がなかったのか、いずれにしても驚くべき変化です。しかも中国ではまもなく春節が始まります。コロナの発端は武漢で始まったコロナ患者が、春節の時期に大多数でヨーロッパに旅行したことに起因しています。

 自国の不手際によって世界に漏洩したコロナ菌、それを隠そうとして感染者数を過小に発表してきた中国政府。人民の不満が爆発しただけで、大幅な緩和策をとり、収拾のつかないまでの感染者数の増大を招来してしまった中国共産党・習近平政権! 何とも劇的な変化であります。

 いずれにしても、中国人民の政府に対する信頼は大きく揺らいでいるようです。その証拠に、中国の富裕層は中国を捨て、世界各国に移住し始めました。東北や北海道の地味の良いところが彼らの狙いで、大量に買われているそうです。入国制限や外国人土地購入禁止令を出さなければ、今に日本は中国人で溢れかえるようにならないとも限りません。

2023年1月4日         苦瓜(ゴーヤー)                     

 スライスしたゴーヤーのオリーブ油炒めを朝食の定番にして、7、8年が経過しました。一本を三回に分けて納豆、目玉焼きとともに食しているのですが、納豆と卵はいつでも店頭にあってもゴーヤーはそうはいきません。季節を選ぶ品種だからです。今は水耕栽培が出来るようになって、キュウリ、トマト。茄子など一年中店頭を賑わしていますが、ゴーヤーはそうはなっていないようです。新年の入荷を期待して光が丘のスーパー三店を見て回りましたが、入荷はありませんでした。そうなると、意地でも探したくなリます。やっと、古ぼけたスーパーで去年からそこにあったような5~6本を見つけ、やれ嬉しや、とその全部を買い求めて来ました。

 夏の盛の頃、一本100円のゴーヤーをしこたま買い込んできてスライスし、天日干しにしたものがかなりあります。これを水で戻して炒めて食べる、、、、このときが来るのを密かな楽しみにしています。

  2023年1月3日        青学どうした!                      

 今、時計は午前11時。復路の箱根駅伝は平塚のあたりを通過中です。トップは依然として駒沢大。2位が中央大。異変が起きたのは3位だった青山学院です。3位から8位に大きく転落しました。他に順位を下げたのは順天堂大と東京国際大です。逆に上げたのは創価大と法政大と早稲田です。往年の覇者早稲田は5位から3位になりましたが、國學院に抜かれて今は4位。

 解せないのは3位から8位に転落した青学です。箱根山の下りで順位を落としているのです。原監督の選手起用の見誤りだったのでしょうか。世間に広く知られているように青学の競走部は、神奈川の淵野辺に合宿所を持ち、選手、原監督の家族もろとも共同生活をしています。ここ数年、それが奏功し、青学の競走部は一躍世間の耳目を集めました。その青学が3位から8位に転落とは!5人に抜かれたのですぞ! 何とも情けない!

 一昔前、早稲田の競走部も青学同様、気を吐いていました。その頃の競走部のマネージャーは私の小学校時代の恩師・上野雄二先生の孫息子の雄也君。献身的な活動をして早稲田競走部の名を高からしめました。

 あと数時間すると選手達が大手町の読売本社前に張られたゴールに飛び込んで来るでしょう。果たして、駒沢が1位のままゴールできるのか?それとも番狂わせが起きるのか? 青学の復活劇はあるのか、ないのか? 今日も昨日に続く穏やかな晴天。目が離せません。

2023年1月2日       ニューイヤーコンサート                

 恒例のニューイヤーコンサートが、ウイーンの楽友協会大ホールから、ウエザーメストの指揮で全世界に放映されました。今年はウイーン少年合唱団と少女合唱団が特別出演しました。新年を迎えるたびに、ほとんど毎年これを楽しみにして聴いているので、曲目のほとんどは馴染みのものばかりとなっています。小澤征爾が指揮をした年もありました。彼がウイーンに住み、ウインフィルの楽友協会の役職に就いていた頃です。演奏最後の曲目「ラデッキー行進曲」の時、後ろを振り向いて聴衆に拍手を即すときの仕草が、従来と変わっていたことを思い出します。

 遙か20年ほど前、このウイーンに三日ほど滞在し、楽友協会の扉を開けて中を覗いたことがあります。さして広くないホールで、天井から大きなシャンデリアが三つ。これと同じ形のシャンデリアが六本木のサントリーホールでも見られるのは何ともご愛敬です。このとき、ウイーンの72番の路面電車に乗って市民墓地まで行きました。楽聖達のお墓にお参りをするためです。電車を降りたはいいが、案内所も何もありません。幸い、通りかかったご婦人が親切にも案内してくれました。ベートウヴェン、シューベルト、モーツアルトのお墓が並んでいました。少し離れて、椅子に座ったブラームスがこちらの三人を羨ましそうに見ていました。その後10年ほどして再び市民墓地を訪ねる機会があったのですが、そのときお墓の位置関係がやたらに観光地化されていて興ざめでした。ブラームスの羨ましそうな素振りのお墓もなぜかなくなっていました。

 2023年1月1日           新年の抱負                

 新年明けましておめでとうございます。今日の東京の空は雲一つなく、太陽が燦々と輝き、風一つありません。降り積る雪に閉ざされ、曇天の中での生活を余儀なくされている北国の人たちには、全く、申し訳ない次第です。この輝かしい年の初めに当たって願うのは、先ず第一に「コロナには何としても感染しない」ことです。今、5回目のワクチン接種の通知が来ていますが、時期を見て接種して貰うつもりです。巷では、ワクチンの薬害が叫ばれ、接種拒否の人々が増えているようですが、私の場合、この3年余り感染から遠ざかってこれたのはワクチンのお陰でありましょう。少なくとも私はそう思っています。

 二番目に今年からやろう、と思うのは身辺整理です。私の母親が生きた93歳まで命を長らえることが目標ですが、1937年1月15日生まれの私は86歳になります。お陰様でここまで生きてくることが出来ました。この上は、何時お召しがきても良いように身辺を整えておきましょう。書籍、楽器、CD、DVD、家財、衣類、、、、沖縄のオバアのように、枕元に死に装束だけを残して別れを告げたいものです。

 そのためにも、近々、タイ・チェンマイへ行っ異友堀田さんに預けてある車の処分をしてこなければなりません。タイも日本と同じ交通ルールですが、国際免許は再発行してもらっても、彼の地で運転はしないつもりです。事故を起こしては台無しになってしまいます。

 そんなわけで今年はやることが一杯です。そうそう、今年の課題はピアノにもあります。12月末、フォーレの「シチリアーノ」をひっさげてヴィデオ発表会に臨みなしたが、1月からはベートウベンの106番ソナタ「ハンマークラヴィア」の第三楽章の「アダージオ」と取り組む積もりです。ロマンロランが愛してやまなかった曲です。彼の大作「ジャンクリストフ」の読み返しも、今年の目標に入れましょう。高校時代、受験勉強そっちのけで図書室に籠って読みふけったものです。

   2022年12月31日        防寒具                

 今年も今日一日となりました。寒さも厳しくなりました。数日前には日本海側はまれに見る大雪と寒さに襲われました。日本も寒いけれど、それ以上に寒いのがウクライナとロシアです。日によっては零下40度にもなるそうです。その中で両国は戦争をしているのです。人間同士が殺し合いをしているのです。寒さとの戦いでもある以上、兵士達には体温を逃がさない防寒具が必要です。ウクライナにはイギリスやドイツから上等の防寒具が大量に贈られていて、兵士達はそれを着て、意気軒昂のようです。一方、ロシア軍にはろくな防寒具しか兵士に配られていないようです。そのため、兵士達の意気はサッパリ上がっていない、と外伝が伝えています。

 歴史的にみても、ロシアと戦ったナポレオンも寒さにやられ、敗走を余儀なくされています。ナチスも同じ過ちを犯し、ロシアから敗退しています。

 NATO加盟国から贈られた上等の防寒具に身を包んだウクライナの兵士達の意気が、いやが上にも上がるのは当然と言えるでしょう。なぜ、ロシアはそれ以上の防寒具を兵士達に配れないのか? これからの向こう3ヶ月、戦争の趨勢は、両国の兵士が着る防寒具の出来如何によるのではないでしょうか。

 それにしても、年の瀬にに当たり、戦争の冷酷な無意味さをひしと感じます。一日でも早く休戦が訪れるのを心から願うのみです。

2022年12月30日     ロシア国民             

 昨日は近くの豊島園映画プラザで「ラーゲリより愛を込めて」という映画を見てきました。昭和20年8月1日、ポツダム宣言の受託か否かで日本軍部が迷っているのをいいことに、ロシアが日本との不可侵条約を一方的に破って、満州国の日本人に攻め込みます。満を持して攻め込んできたロシア軍に叶うわけもありません。男は捕虜となってラーゲリという収容所に送られます。シベリアは冬はマイナス40度にもなる極寒の地です。その中で日本人は強制労働させられます。食事は黒パンのみ。栄養失調で多くの日本人が死んでいきました。戦争が終わったのだから、中国、満州、朝鮮に住んでいた日本人は次々に帰国します。日本海側の舞鶴はその帰国船の出迎えで大賑わいでした。しかし、中国や韓国からの帰国者で賑わっても、何故か、満州からの帰国者は女子供を除いてありません。男性は皆、捕虜として極寒のシベリアで強制労働させられているのです。日本が降伏してから5年経ちました。今度は捕虜全員がラーゲリからハバロフスクへ送られます。その収容所内で、日本人捕虜として唯一ロシア語を話す山本一等兵が肺結核に罹り、寿命残り3ヶ月、と宣告されます。捕虜仲間は彼に遺書を書くことを勧めます。その遺書を仲間は一ページづつ暗記します。何故なら、紙に書かれたものを日本に持ち込むことが出来ないからです      そして終戦から11年後、日本とロシアは国交を回復し、捕虜の全員が帰国しました。何と11年も彼らは極寒のハバロフスクに取り置かれたのです。

 山本一等兵と最愛の妻との間には5人の子供がいました。ある日、妻と子供が暮らす家に一人の男が訪れます。そして、暗記していた山本一等兵の遺書の一部を、皆の前で読み上げます。また、山本と一緒に捕虜だった男が現われて、記憶していた彼の遺書を彼の家族の前で読み上げます。そして、またひとり、、、また一人、、、、映画を見ていて泣けました。

 この映画の出演者達に名だたるタレントは名を連ねていませんでした。ほとんどが素人の一般人のようでした。しかし、脚本がしっかりしていると演技も冴える、としたものです。

 映画を見終わってつくづく思いました。今年の2月から始まったロシアのウクライナ侵攻を終わらせるのは、NATOから送られる武器弾薬、ミサイルでもない、いわんや、プーチンでもない、それはロシア国民だ、と。ロシア国民がその気にならなければ戦争の終結にはならない、と。

2022年12月29日    パトリオット・ミサイル           

 今年も驚くべきニュースが沢山ありましたが、12月21日にも大きなニュースがありました。ウクライナのゼレンスキー大統領が、電撃的にアメリカを訪れ、バイデン大統領と会談し、議会でも演説したのです。しかも、相変わらずのシャツ姿で。そして、今までの支援に感謝を述べると共に、一層の支援を要請しました。この電撃訪問は実に意義のあるものだったと、私は思います。なぜなら 「ウクライナ疲れ」というものが世界に充ち始めていたからです。NATO諸国といえども、長期に亘る支援は願い下げであるでしょう。その点を考えると、ゼレンスキーさんは、いいタイミングでアメリカ入りをしたのではないでしょうか。この訪問によりアメリカは、高性能のパトリオットミサイル一機を含む18万5000ドル(2450億円)の追加支援を発表しました。累計すると212億ドル(2兆8000億円)に及びます。これを見たNATO諸国は、黙っているわけにはいかないでしょう。何らかの追加支援をするはずです。噂に依れば、ゼレンスキーはアメリカの議会で英語で演説し、ユーモアを連発し議会を沸かせたそうです。何とも腹の据わったユダヤ人だ、と言わねばならないでしょう。一方、今世界中の人たちは両国の停戦を心から願っています。どこかの国が両者の中に入って、一時停戦にしてくれたらいいのになあ、と願うのは私一人ではないはずです。

2022年12月28日    年賀状           

 いつもの年なら、26日頃には年賀状が出来上がって、投函されているのに、今年はどうしたことか、まだ、宛名印刷の段階です。一人一人の懐かしいお顔を思い浮かべながら、一言書き添えていくのは、楽しい作業でもあります。現役の頃(朝日学生新聞社長)は取引先の販売店もあって、2600枚ほどでしたが、今は減りに減ったものの、それでも230枚ほどあります。今日、明日にかけて印刷し終え、一言書き添えて投函です。恐らく元日には配達されないでしょうが、仕方がありません。

 作業が遅れた原因の一つは、毎年使っている年賀状ソフト「筆ぐるめ」のせいもあります。毎年、バージョンアップしているにも拘わらず、今年は全く新しい「筆ぐるめ30」が出てきました。「体験版」を元に住所録を更改し、印刷しようとしましたら、体験版では住所印刷は一件ごとで、連続印刷が出来ないことが分りました。やむなく、アマゾンで「筆ぐるめ30」を購入しましたが、インストール版だったの、その作業に手こずりました。しかも、その手順はとても年寄りの手におえるものではなく、PCデポのエキスパートに頼み込む始末。余計な出費が重なりました。筆ぐるめを出している会社「富士ソフト」も同じソフトを毎年使われていたのでは商売にならないのでしょう。だから、年々複雑にして新しいソフトを買わせるように仕向けるのでしょう。

 年賀状制作が遅れたのは、ソフト会社の陰謀の末でもあるようです。

2022年12月27日    常磐特急「ひたち号」                  

 23日の午後4時、上野駅のホームで特急日立の入線を待ってると、品川発仙台行きの新型特急車両が入線してきました。仙台行きの10両連結ですが、車内はガラガラです。三河島の急カーブを速度を落として曲がりきり、我孫子あたりから速度を110キロから120キロに上げ始めました。茨城の入り口取手も通過です。龍ケ崎も、土浦も通過です。石岡も友部も止まらず、何と最初の停車駅が水戸でした。しかも出発してから60分後。水戸までノンストップとは!こういう特急が一時間に一本、常磐線を走り始めていたとは!この列車の停車駅を調べて見ると、福島県に入ると停車駅が俄然、多くなります。原発の放射能漏れの被害に遭った、富岡、夜ノ森、大野、双葉、浪江に止まっていくのです。漸く除染されたとはいえ、人の住んでいない町の、常磐線の駅舎だけは新装になった、荒涼としたところを、10両編成の豪華な列車が一時間に一本、止まっては通過していくのです。

 放射能汚染地区の除染は、ほぼ、終わった、と伝えられています。しかし、汚染水が貯まったタンクは増え続けています。半減期まで数百年の放射能はまだまだ、勢力が保ったままです。先ず、「交通網の整備から」との合い言葉の元、走り出したのが一時間一本の品川発仙台行きの特急列車なのではないでしょうか。明らかに国の施策によるものでしょう。

 25日のクリスマスの日曜日、双葉原発の隣町・大野の「バプテスマ教会」で12年ぶりに「祈りの会」が開かれました。この教会の牧師であった佐藤彰牧師は40人の信徒を連れて大野を脱出し山形へ逃げました。その苦しみの状況が世界の同情を呼び、寄付金が寄せられ、汚染を免れた同じ浜通りの「泉」に「翼の教会」が建立されました。この件については何度もこの欄で取り上げているので省かせていただきますが、この日、聖歌隊も入り、喜びの感謝の会となりました。NHKのテレビ取材も入いりました。2月ごろ、放映されるそうです。大野からの帰りは、佐藤ご夫妻の車に便乗させもらい、泉の教会に戻り、再び水戸から上野までノンストップの特急日立のお世話になって戻ってきました。

2022年12月23日    老いては子に従え                            

 今日は夕方5時頃の上野発の特急で、福島浜通りに向かいます。常磐線に乗るのは実に久しぶりです。20台の後半、5年間福島県を担当しましたので、月のうち半分は東北線か常磐線を利用しました。次の新潟担当の時は同じ上野からの上越線、その次の茨城担当の時は専ら常磐線。上野駅には随分お世話になりました。その後、60台になってからの25年余り、どこへ出かけるにも車を使うようになって、上野駅のお世話になったのは、極く希でした。福島浜道リに行くのも常磐自動車道でした。

 今回も車を使う予定だったのですが、生憎、今朝早くの出発予定だったのが、今日の午後、「外せないヤボ用」が出来てしまい、予定が狂ったのです。常磐湯本のホテルは既に予約済みです。夜の運転はなるべく避けねばなりません。そうでなくても次男の雄大からは「頼むから電車で行ってくれ」と懇願されています。「老いては子に従え」の通りにする、と彼にメールしましたら喜んでいました。そんなわけで、明日、明後日はパソコンから離れますので、お休みとさせていただくのをお許しください。常磐線の車窓からの景色を十分に楽しんできます。

2022年12月22日    オリンピック解体論                               

 1年4ヶ月前に行われた東京オリンピックで、国が負担した金額が1兆7千億円だったことが発表されました。そのほかにも道路整備や地震対策などの関連経費として1兆3000億円が392事業団体に支出されたので、総額3兆円を超える大会経費であったことが分りました。一方、選手村では食べられなかった莫大な量の料理が捨てられたり、ボランテアに配るべき弁当が廃棄されたり、コロナ対策で用意された医療用消耗品の大分部が未使用のまま、廃棄されたりしました。恐るべき金額がドブに捨てられた、とも言えるでしょう。

 これだけの金額を使いながら、我々はオリンピックに熱狂したでしょうか?ドーハの世界サッカーの方が遙かに面白かったのではないでしょうか?しかも、サッカーの方はお金がかかっていません。だから、オリンピックの黒幕で私服を肥やした高橋某のような電通OBらも、出る幕はなかったでしょう。

 そこで、提案です。オリンピックを解体し、各く種目別の世界大会に置き換えたらどうでしょう。一部の種目は既に世界大会になっているようですが、、オリンピックに莫大な国家予算を投じないで済む一つの方法ではないでしょうか?   (写真は味の素社の冷凍餃子で、選手食堂で最も人気があったそうです。価格は10個入りで168円)

2022年12月21日    マクロンの売名行為                            

 ところで新潟の交通麻痺状態は、今日の午前8時には解除されました。女性一人が一酸化炭素中毒で死亡したようですが、、物流の滞りがあったものの、さしたる被害がなかったようです。

 サッカーの決勝戦はアルゼンチンがフランスを破って優勝しました。ドイツとスペインを破った日本も大健闘でした。四年後が楽しみです。何とか頑張って生き長らえて観戦しようと思います。決勝戦もまた見応えがありました。勝負がつかず、結局、PK戦に持ち込まれたのですが、メッシの大活躍によりアルゼンチンの勝利となりました。そのときです。健闘むなしく、打ちひしがれているフランス選手の中へ、フランスの大統領が観客席から降りてきて、選手一人一人を抱きかかえ、肩を叩く挙に出ました。茫然自失の選手達は誰も反応しません。どれだけ大きな哀しみの中にいるか、その表情と動作を見れば分ります。よしんば、大統領が慰めてくれても目にも、耳にも入らないでしょう。それだけ大きな失意の中に選手達が陥っていることが、大統領たるもの分らなかったのでしょうか? 私はこの行為を見て、マクロンが一遍に嫌いになりました。何故なら、選手を借りた彼の売名行為と、写ったからです。全く思慮のかけらもないやり方でした。案の定、翌日のフランスの新聞は大統領を一斉に責めました。恐らく、大多数の国民も同じ気持ちだったでしょう。

2022年12月20日    新潟大雪・交通麻痺                         まだ、秋の終わりの気配が漂っているのに、新潟では、県内のほとんどが60センチを超す大雪に見舞われ、交通機関や国道が麻痺状態に置かれるという異常事態になっています。新潟を二年間担当した私にとって、これは人ごとではあり得ず、心がキリキリと痛みます。私が担当していた頃の新潟は、豪雪に見舞われるのは上越の高田、中越の十日町、越後湯沢、小出、六日町などに決まっていて、新潟市や柏崎、三条などの海岸線の街での降雪は、ほとんどありませんでした。それがどうでしょう、今回は新潟県内の街のほとんどが60センチを超す大雪に見舞われているのです。正に、異常気象というほかありません。新潟県は富山県境の市振から山形県境の府屋まで、400キロに及ぶ細長い県です。そこを、国道と高速道路が走っています。その道路が大雪のため除雪が叶わず、車の大渋滞ができ、人々は車のガソリンの消耗を心配しながら閉じ込められているのです。脇道に出ようにも除雪が出来ていないからそれも叶いません。おなかも空くでしょう。寒さに震えていることでしょう。新潟県は自衛隊の出動も要請したようですが、県内すべての国道が通行不能になるなんて、新潟県始まって以来の出来事ではないでしょうか。

 願わくは、国道沿いにお住まいの住民の皆様、動きたくても動けないでいる車の皆さんを助けてやってください。食料を届けてやってください。暖房器具を持ち寄って暖めてやってください。お願いします。

 2022年12月19日    命 日                        今日は母親の祥月命日です。16年前の12月19日の明け方、清瀬の複十字病院で亡くなりました。93歳でした。最晩年は食欲も衰え、流動食以外は受け付けなくなり、医師の勧めで「胃瘻」という手術を受けたその明け方のことでした。前日の手術に立ち会い、手術は成功しました、の報を聞いて、やれやれと自宅に戻った数時間後、母親は亡くなったのです。明らかに医療ミスであるでしょう。それ以外に考えられません。知らせを受け、急いで清瀬の複十字病院へ駆けつけると、担当した医師と看護婦は、私に向かって深々と頭を下げました。怒り心頭を発し、担当者を怒鳴り上げ、医療ミスだとして大問題にすることも出来たでしょうが、何故か、冷静さが支配しました。甘んじて受け入れてしまいました。理由は、一度死んだものは二度と戻らないことを知っていたからでありましょう。裁判に持ち込んだからといって、医師に勝てる事例は極めて希なことを知っていたからでありましょう。加えて、93歳まで生きればトシに不足はないだろう、との思いもありました。

 思えば、母親の93年の生涯は波瀾万丈であったと言えるでしょう。私を育てるために一生懸命だった93年ではなかったでしょうか。

 今日は快晴の空。関越道路を東松山で降り、森林公園に連なる墓地へ行き、花を手向け、線香を灯し、沖縄のオバアの墓ではクリスチャンだったオバアのために主の祈りをずし、真ん中の連れ合いの姉夫婦の墓では般若心経を唱え、母親と連れ合いが眠る三つ目の墓では念仏を心ゆくまで唱えてきました。

 2022年12月18日    寒 さ                          小学校3年から高校時代まで長野にいたので、冬の寒さには慣れている積もりですが、同じ冬でもロシアやウクライナの寒さは、ちょっと、違うようです。意地の悪いロシアは、ウクライナの発電所や変電所などを狙い撃ちにしたため、多くの一般市民は暗がりの中で、寒さに震えながらこの冬をやり過ごさねばなりません。水も食料も不足し、その上、暖房もない生活を余儀なくされる人々が日に日に増えていることを、戦争を起こした者達は何と思っているのでしょうか。

 厳冬期の北アルプスの唐松岳に登ったのは高校2年の真冬でした。八方尾根まではリフトで上がり、その先はスキーにアザラシの皮を履かせジグザグに上りました。冷泉小屋に一泊し、翌朝、快晴の中を、右手に白馬三山を見ながら頂上を目指します。尾根に出た途端、強風が吹き荒れるなか、スキーをデポし、8本爪のアイゼンに履き替えます。そして、頂上制覇。外気温度は恐らくマイナス20度を超えていたでしょうが、身体を動かしているため、寒さを感じませんでした。その帰りの下山途中です。スキーもろとも雪の吹きだまりの中につ込んだ途端、右足のスキーが折れてしまいました。さあ、そこからは片足スキーです。片足だけで滑るのは何とも難しいものでしたが、麓の細野部落に明かりが点る頃、何とか下山出来ました。懐かしい思い出の一コマです。

2022年12月17日    N・S・S                       昨日の閣議で、日本の今後の防衛にとって最も重要な問題が、いとも簡単に変更されました。それは国家安全保障戦略についてです。俗にNSSと呼ばれる「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言葉を替えて、相手の領域内を直接攻撃できるようにしたことです。これは、日本の戦後から続いてきた安全保障体制の大いなる転換、と言っていいでしょう。しかも、その上、今後の5年間で防衛費を1・5倍にすることまで閣議決定されました。誠に、あれよ、あれよという間の出来事です。

 私が生きている間に起こりうるかどうかは別にしても、日本がこれから立ち向かわねばならない脅威は、言わずと知れた中国であり、北朝鮮であり、最近はその上、ロシアまでもが加わりました。日本はウクライナ同様、ロシアと国境線を同じにしています。その上、彼の国とは平和条約を締結しておりません。何せ、太平洋戦争の時には、ソ連は相互不可侵条約を一方的に破って、一万の大軍をもって満州国に押し入り、おびただしい捕虜を極寒のシベリアへ送り込んだ国です。

 この三国の脅威については、太平洋戦争を生き抜いてきた年寄りたちは元より、若い人たちにとっても共通の問題として捉えられ、しかも、最近は、その脅威が現実味を帯びてきているので、大昔の「安保反対!」とはならないような気がします。それにしても将来日本を背負って立つ若者達の無関心ぶりはどうでしょう、まだ、始まったばかりだから、理解するのに旬日を要すのかもしれませんが、それにしても、日本の将来に関する決定が、いとも簡単に閣議決定されてゆく現行の政治体制を憂います。

2022年12月16日    気候の不公平                       北海道は猛吹雪に襲われている、というのに今日の東京は快晴の空が広がっています。気候変動の著しい現象は世界的な規模で広がっているようですが、驚いたのは、地球の反対側のブラジルで大洪水が起きていることです。見渡す限りの平地が家の高さまで水に埋まっていました。原因は森林の乱獲だそうです。ブラジルは国の政策として森林を潰して、農地化する政策を推し進めていますが、それがアダになりました。森林の貯水力を甘く見た結果でしょう。

 日本もこれからが気候との戦いです。太平洋側は、連日、カラカラの天気だというのに、日本海側は雪もよいの曇天の連続です。新潟県を二年間担当して、日本海側と太平洋側の冬の気候の余りの不公平極まりない現実を、いやというほど知りました。

 その太平洋側のまっただ中、福島の浜通りに一週間後、二泊三日で出かけてきます。久しぶりの泉、平、富岡、大野、小高です。佐藤彰牧師にお会いし、「翼の教会」のクリスマス礼拝にも参加します。

 車の免許更新が来年2月に迫っていますが、返上する積もりは今のところありません。視力も、反射力も、衰えを感じません。しかし、少しでも異常を感じれば返上する積もりでいます。事故を起こしてからでは取り返しがつきません。安全運転を終始心がけて行ってきます。

2022年12月15日    ク エ                       寒さがつのって来るにつれ、ナベ料理が恋しくなってきました。青森の「しょっつる」秋田の「きりたんぽ」茨城の「アンコウ鍋」と色々ですが、その美味しさおいて飛び抜けているのが、北九州のフグ鍋、博多のクエ鍋ではないでしょうか。中でも「クエ」は今や幻の魚と化し、滅多にお目にかかれません。今から三〇年ほど前、九州小倉に単身赴任していた頃は、冬の宴会はいつも「フグ刺し」「フグ鍋」が定番で、「クエ」は滅多なことでは膳に上りませんでした。幸いなことに、博多では「よしおか」というスタンド割烹を前任者から引き継ぎ、目の前のガラスケースに横たわる「クエ」を見ながら、刺身や、鍋をいただくことが出来ました。当時は、小倉本社にも、博多駅前の朝日ビル内にも「営業局長室」があり、重宝にさせていただきました。「クエ」は深海の岩場を根城にする怪魚の一種です。大きなものは1メートル以上にもなります。あるとき、スタンド割烹「よしおか」の目の前のガラスケース一杯に「クエ」が横たわっていてビックリしたことがありました。

 フグ鍋も勿論ですが、それ以上に上品で味わい深いのが「クエ」ではないでしょうか? 私は現役で福島県を担当していた頃、ふぐ毒に当たって死にそうになったことがあります。12月の末の頃で選挙号外のため、福島支局に詰めていました。近くの「マンセイ」という料理屋で、徹夜になるので力を付けておこうと食べたフグ鍋に当たり、支局前の大原病院に担ぎ込まれ、お花畑を見るまでなりましたが、幸い命をとりとめ、30日の有楽町本社での打ち上げ会に間に合い、拍手で迎えられました。以来、フグには近づいておりません。専らクエを探し回るのですが、もはや、世間では幻の魚になってしまっています。何とか、もう一度「クエ」にお世話になってから「あちらへ行きたい」ものです。

2022年12月14日  軍事予算1兆円増額                       岸田総理が国防費1兆円を増額する、まず、現行の災害復興予算をそれに充て、たばこ税、所得税などを順次当てはめていく、とのたまいました。驚いたのは閣内から「総理の真意が計りかねる」「いかにも唐突である」などという異論が噴出していることです。9月の国葬決定もそうでしたが、岸田総理は独断専行型の人間なのでしょうか、少なくとも閣内に計って、そこで反対があろうとも異論があろうとも、私が総理である以上、これで行くと断行してこその総理大臣なのであるのに、閣内の意見の集約もとらずに、最も大事な案件をいとも軽々と決定しようとするところに、岸田文雄という人間の軽さが見え隠れします。

 日本の自衛隊の規模はかなり大きく、世界で7番目だったと記憶します。しかし、大きな足かせがあって、それは攻撃してくる相手国にこちらから攻撃をしてはならない、ということです。「防戦だけの存在としての軍隊」それが日本の憲法に明記されている国防の実態なのです。従って、極く普通の軍隊になるためには憲法を改正しなければなりません。

 かりそめにも私は早稲田大学第一文学部史学科の西洋史専攻に籍を置き、戦争のなかった時代はなかったことを学びました。と言うことは、いずれ、中国共産党は台湾併合に舵を切るのは必須と思われ、当然、アメリカとの軍事衝突は避けられません。とすれば、日本はある意味でアメリカの属国ですから中国からの攻撃対象となるでしょう。両国の軍事費から見れば、日本が増額する一兆円など微々たるものであるでしょう。でも、備えあれば憂いなしの例えのように、軍事予算にケチは付けられません。国の死活に関わってくるからです。その意味で軍事予算の増額はやむを得ないことなのです。ただ、岸田総理のやり方が稚拙極まりないという事実が露見した、ということなのです。誠に思慮の少々不足している国会議員を我々は総理として仰いでいるのです。

2022年12月13日  ロシアとウクライナ問題                       スイスのジュネーブに永住している知人から、ロシアとウクライナ問題に対するメールが届きました。3人のお仲間とのオンラインによるやり取りだったようですが、傾聴に値する部分もあるので、ご本人に断り無く、ここに再録させて貰いました。 

 「昨日は在欧の旧同僚と忘年会を開催しました。と言ってもそれぞれ英国 オランダに住みついている二人とのトリオです。本年の回顧がテーマ。」

 当然のようにウクライナ問題が筆頭に上り口角泡を飛ばした次第です。相手は二人とも「主権国家を勝手に侵攻した悪者はプーチン。自国防衛をするウクライナには武器提供も含めて援助するのが当然。旧ソ連と左程変わらないロシアは 民主主義の価値を理解していない。」との一点張。カフェでだったら 掴み合いしたいぐらい だという意見も出て来て わらいました。

 自分達が 絶対に正しい。と主張するだけで 妥協とか 話し合いの道をまず探そうとしない限り 犠牲者は増える一方だと 私は思っています。ウクライナもロシアも最初は一つの国だった。古代ルーシの首都はキエフだった。つい最近までは 歴史も共有していた。少しでもロシア語ができて ロシア文学に描写されるロシア人に親しみを感じるならばもっと別の見方ができる筈だと 密かに信じています。現在の施政者がどれほど悪者であっても。日本が真珠湾攻撃をして無闇矢鱈にアジアで暴れ回っていても 日本語の美しさとか 日本文化の美を愛おしく思う欧米人も少数ながらいた筈。もう一つのテーマは「日本との絆でした。この春 母親をなくしてから 日本との絆がぷっつり切れてしまって 大海の波に揉まれる漂流物みたいな気分だけれど あなたたちは どうですか と尋ねられました。オランダ在住の友人は 読書も9割方 非日本語系だし 地球市民になりかかっている模様。私一人が 日本語にしがみつき 望郷の念にもかられているようでした。両親との乳離れは早くからあったし 日本を離れた経緯も他の二人とは異なるので 親の存在とはほぼ無関係な絆が 私にはあります。心を割って話せる友人も日本にはいる。スイスには一人いる程度。(後略)

2022年12月12日   世間は賑わっていた                     昨日は一ヶ月ぶりに西武線に乗り、池袋から地下鉄銀座線でお茶の水で降り、総武線で錦糸町まで行きました。昔の江東楽天地は既に瀟洒なビルになっているのですが、そこを通り抜けて仲間の待つ碁会所へ到達しました。どこもかしこも人の流れは尋常でなく、全員が全員ともマスク姿であることを除けば疫病コロナの気配は全く無く、穏やかで平和な人々の生活がそこにありました。しかし、東京では毎日1万人以上の感染者が新たに報告され、昨日は医師会の尾身会長までが感染したことが報じられました。当然ワクチンを打っていたでしょうが、それでもコロナは人を選ばないのです。と言うことは、ワクチン四回接種の私も感染を免れることが出来ない現実があることを意味します。    だから、たとえ5回目を打ったところで感染する確率はゼロではないことが分ります。

 一億人を超す日本人全員が感染するまでコロナ禍は続く!のではないでしょうか? 自宅待機を強いられ、激しい苦しみから生還したら、2度とは感染しないのでしょうか? 

 囲碁の会が終わって近くの居酒屋へ直行し、お互いの無事を祝しながら酒宴が始まりました。久しぶりなので、酒量が上がり今日は二日酔い気味です。ことに寄ったら、コロナ菌は私の体内で活動を開始し始めたかもしれません。

2022年12月11日   天才は双葉より                     昨日は目白の椿山荘で、朝日新聞が主催する囲碁名人戦での勝者を讃える式典が行われました。中村史郎朝日新聞社長から允許状が芝野虎丸9段に手渡されました。最終局は正に死闘で、井山裕太本因坊の白石が盤上をのたうち回り、最後は殺されました。まれに見る激闘でした。一週間前のNHKの囲碁番組で芝野虎丸と関太郎の若手同士の一騎打ちがありましたが、22歳と19歳の死闘です。AIを駆使した次元の違う碁が打たれました。もう、囲碁の世界でも年寄りは既にお呼びでなくなっていることを知らされました。ところで明日は久しぶりに錦糸町まで出かけます。囲碁の会が昼からあるからです。電車の乗るのは正に一ヶ月ぶりです。まして、碁石を握るのは何ヶ月ぶりでしょうか。棋力の衰えを感じて落胆しながら帰って来るかもしれません。

 ところで、若手の快進撃と言えば女流の囲碁の世界でも同じです。藤沢里菜、上野愛咲美の時代を脅かしているのが、僅か13歳の仲邑菫です。今日の週間碁の紙面は日頃、藤沢に教えを受けている13歳が、恩師にタイトル戦で勝ったことが報じられています。

 一方、音楽の世界でも若手が活躍しています。バイオリンの村田秋保、御年11歳の小さな女の子です。オーケストラを率いて堂々たるソロを弾きこなしています。出身は茨城県の水戸だそうですが、茨城に天才を生み出す力があったのかどうか、甚だ疑問です。13歳と11歳の女の子同士。今後の活躍が見ものです。

2022年12月10日    整理しよう             

 朝刊をいつものようにパラパラやっていましたら、音響製品の高価買い取りの広告が出ていました。アンプやオープンリール、スピーカー、楽器、、、そういえば家の地下室には、久しく使っていないそれらのものが眠っています。おびただしい数のレコード、CD。それのためのターンテーブル、アンプ、大型スピーカー2基、バイオリン、三味線などなど。

 「そうだ、この際、整理しよう。私もトシだ」と何やら啓示らしきものを受けました。整理しなければならないものに本もあります。「日本の名著・全巻」大佛次郎「天皇の世紀・全巻」「埴谷雄高集・全巻」「三島由紀夫全巻・初版本10冊ほど」、、、、、 

 どれもこれも、若いときから集めてきたものでそれぞれに愛着があるのですが、これから渡らねばならなくなる「三途の川」を担いでいくわけにもいかないでしょう。だからといって、子供や孫どもに残したからといって宝の持ち腐れになること必定です。

 そこで思い起こすのは沖縄の「オバー」の死に方です。自分の持ち物一切を近親者に与え、枕元に死に装束だけを置いて死んでゆきます。今際のサイ、「オバー、水飲まんね」と問いかけると「いらん、途中で粗相してはいかんから、」 私も自分自身の死に方を考えなければなりません。

2022年12月9日      防衛費増額       

 共産党一党支配の中国の国防予算は、年々膨らみ続けています。呼応してアメリカの国防費も増額の一途をたどっています。日本はどうでしょう?ヤット重い腰を上げました。増税を図り、一兆円の増額が決まりました。ただし、増税は来年以降に持ち越されます。軍事国防費に巨大な予算をつぎ込んでいるのは、アメリカです。その次が中国です。中国の軍事予算の膨張ぶりには驚くべきものがあります。その狙いは、言わずと知れた、南沙諸島、尖閣諸島の領有化と台湾です。それをさせじ、と踏ん張っているのが民主主義の国アメリカです。中国が台湾支配に動き出せば、民主主義の危機ですからアメリカが対応に乗り出すでしょう。すると、日本のアメリカ軍基地が中国の攻撃目標になること必定です。沖縄、横須賀、横田、十和田などにミサイルの雨が降るでしょう。かりそめにも日本領土が攻撃された場合、日本は黙っておれるでしょうか? かくて、好むと好まざるに拘わらず、日本は中国との全面戦争に巻き込まれていくのです。すると、防衛費はいくらあっても足りなくなります。それを予測しての、このたびの1兆円の増額です。税金でまかなうのです。増税は再来年から始まるそうです。恐らく年金の減額にも繋がっていくでしょう。

 ここ2000年の世界史を見ても、戦争のなかった時代はありませんでした。今も、厳冬期の東ヨーロッパでロシアとウクライナが戦火を交えています。明日の日本がそこに見え隠れしています。

2022年12月8日      戦争勃発の日       

 今から77年前の今日、大日本帝国は世界の強国を相手に戦争を始めました。アメリカ、フランス、イギリス、オランダ、そして中国共産党と中華民国がその相手です。なぜ、無謀とも言える戦争を日本は始めたのか?日華事変で勝ちを占めた軍部のおごりがありました。「神国日本」に対する幻想がそこにありました。そして、77年前の今日、ハワイの真珠湾奇襲攻撃で戦果を納め、軍部の独裁のもとに、国民に多大の犠牲を払わせ、おまけに原子爆弾まで落とされて20年8月15日、日本は降伏したのです。戦犯となって拘留された33人の軍人達の裁判が行われました。いわゆる東京裁判です。全員が全員とも「私は上官の命令に従ったまでで、私に罪はありません」と陳述しました。(丸山真男著・現代政治の思想と行動参照)

 この日、臨時ニュースを聞いた母親は、青い顔をしながら私を連れて吉祥寺の「パン屋」へ走りました。当時、井の頭公園近くに住んでいたのです。パンはすべて売り切れていました。売れ残っていた菓子パンをしこた買い込みました。そのときの母親の切羽詰まった青い顔を今でも鮮明に思い出すことが出来ます。その後、新井薬師の門構えの家に移って、上高田国民学校の一年生になるのですが、直ぐに福島の浜通り富岡へ学童疎開させられます。5月25日の山の手空襲で家は焼かれ、命だけは助かった母親が福島の私を連れて長野の母の実家にお世話になります。軍部の独裁によって引き起こされた悲惨な戦争、そこに何らかの価値があった、と言えるでしょうか?

 同じ苦しみと哀しみを、地球の反対側で、ウクライナの人たちが、いま、受けているのです。 

2022年12月7日      NHK会長人事       

 期待していた前川喜平さんのNHK会長人事は、水泡に期してしまいました。稲葉延雄という元官僚が割り込んできたのです。静岡県出身、東大経済から日銀入社。総裁選に打って出るも、黒田氏に破れ、退社。リコーの経済研究所の所長。72歳の高齢。かくて、前川喜平さんを押す四万五千票の署名は水泡に帰してしまいました。どうして、時の政治は一般民衆の声を無視するのでしょうか? NHKの改革は誰が見ても必要なのに、またまた時の政治によって蔑ろにされました。恐らく、前川さんを放擲した、前菅官房長官の意向が働いたのでしょう。岸田総理がそれに反対して、前川会長を実現させていれば、岸田の株も上がっただろうに、岸田の懐の浅さを憂いたい思いです。

 麻生、二階、細田などの老害が今もってはびこっている自民党に限界は来ないのでしょうか? それにしても、NHKの内部事情に誰よりも詳しい、NHKOB会の皆さんが前川さんを望んだのに、それを無視して再び官僚出身者をそれも高齢者を選ぶとはな何事でしょうか!

2022年12月6日      学園都市茨城       

 昨日は茨城県の悪口を書きましたが、この県の大きな特徴は、太平洋に面して平野が続く起伏の少ない土地柄だと、いうことです。筑波山がありますが、小さなコブのようなものです。気候は温暖極まりなく、土地が肥沃なため、作物の生育には最も適した土地柄ゆえ、人々の生活は豊かです。生活するためだけなら、茨城にいれば苦労がありません。日本海寄りの県の人たち、および、東北六県の人たちは、半年は雪に埋もれた生活を強いられます。生活を維持するためにはのんびりとしては居られません。知恵を働かせて生きてゆかねばなりません。その差が県民性に表れるのではないでしょうか?

 筑波山の麓近く、笠間観音の隣に「美野里町」という小さな集落があります。最も温暖な気候と肥沃な土地柄に長年恵まれて来た結果、町中が豊かさに満ちていました。貧しさのかけらも見られない特異なところでした。定年後はここに居を構えて晩年を過ごそうか、と真剣に思ったくらいです。

 近年、筑波山麓の肥沃な南茨城めがけて、東京都心からあらゆる研究機関が押し寄せてきました。学園都市がそれです。私が担当し終わった頃からその動きは顕著になり、都心の日暮里から学園都市まで高速鉄道が出来てしまいました。ここ数十年で見違える変化を遂げているのが茨城県南部です。

 「担当した中で、最もガサツな県、それは茨城」などと言っておれなくなりました。

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