2020年10月18日 聖書を書き換える中国
中国全土には沢山の職業訓練校があります。同じ教科書を一律に使っています。その教科書の中に聖書ヨハネ伝の一節が出てきます。姦淫の罪を犯した女性が群衆の中でイエスの前に引き出されます。イエスの裁断を仰ぐためです。「自分は罪を犯したことのないと思う者は、この女に石を投げよ」と群衆に問いかけます。誰一人としていません。「女よ、立ち去りなさい。そして二度と罪を犯すでない」とイエスがいいます。女性は喜びの涙ながらにイエスの前にひれ伏し、去って行きます。有名な罪の許しの場面です。
中国の教科書ではこの部分を書き換えて掲載しています。群衆が去った後イエスは石を振り上げてこの女性を殺した、と聖書の事実を曲げ<聖書にはこうある>としているのです。共産党の法と秩序こそ絶対で、それを犯す者は死に値する、それが聖書からの引用だ、としているのです。そこには愛も、赦しのかけらもありません。しかも、多くのカトリックの教会には、幼子イエスと母マリヤの肖像画が掲げられていますが、当局から指令でそれらの撤去が命令され、替わりに習近平の写真を、入り口には中国国旗を掲載するよう強制しています。この事実はカトリックのメッカ・バチカンにも既に伝わっていますが、今のところバチカンは無言を貫いています。新疆ウイグル自治区のイスラムモスクを破壊し、国内のキリスト教会に習近平の写真掲載を強要する中国共産党!世界は黙っていていいのでしょうか?
2020年10月17日 レッスン開始
どうせ習うなら、良く鳴るグランド・ピアノが置いてあるところに限る、と三つ、四つのヤマハ音楽教室を覗いてみました。練馬駅近くにそれがありました。先生は宮沢さんとおっしゃって、ご主人は同郷長野の上田ご出身とか。バスに乗れば二つ目ですが、今のところ行きも帰りも歩いて通おう、と意気込んでいるところです。
楽譜は、現在折に触れ弾いているショパンや、ドビッシーを持っていって、まず、復習から始める積もりです。中学1年の時、母親に勧められてピアノをバイエルから始めました。当時、<男がピアノなんて>という風潮があり、バイエル教則本を胸のジャケットにそれとなく押し込み、両手を空にして何食わぬ顔で通ったことを思い出します。中学校のピアノを遅くまで使うことが出来ていたので、中学三年頃には作曲までする始末。そうして出来た「ロンドハ短調」が信州大学主催の作曲コンクールで一位入選し、長野放送局から自作・自演しました。長野高校の音楽室にはグランドとアプライトの両方が置いてありました。二年先輩に小林昇さんというピアノの名手がいて、リストのハンガリアン狂詩曲や、ショパンのエチュードなどを軽々と弾いていました。てっきり東京芸大に行くだろう、と思っていましたが新潟大学の音楽部へ行きました。私が当時弾いていた、ベートーベンのソナタを聴いて、お前の指使いはダメだ、と酷評されたことを昨日のように覚えています。毎年あった文化祭ではトルコ行進曲付のきのケッフェル303番を全曲演奏したり、先輩や同級生の歌の伴奏を引き受けたりしました。小島さんという先輩がシューマンの「蓮の花」を原語で歌ったり、生徒会長だった佐々木潤君のイタリア民謡の伴奏もしました。
私のピアノはそこまでで途絶えます。進学準備と、仕送りナシの苦学生そのものの東京での生活のためピアノどころではなくなったのです。再開されたのは社会人になって練馬に建て売り住宅を求め、ヤマハのアプライトピアノが四畳半に入ってからです。その後、家は二度建て替えましたが、今のような地下音楽室にヤマハのグランドが入ったのはいまから40年程前でした。
今の私のピアノの技量は? 残念ながら昔の中学生程度しかありません。それなのに何でこの歳で、この技量で、レッスンを再開するのか、自分でも不可解ですが、つまるところ、私はピアノと共にある時間が無性に好きなのでありましょう。
母親が息子の部屋へ行った
「さあ、早く起きなさい 学校に遅れるわよ」
「いやだ 行きたくない」
「行きたくない理由を言いなさい」
「生徒はボクを嫌っているし先生達までそうなんだ」
「そんなの理由にならないわよ」
「なら、学校へ行かなきゃならない理由を言ってよ」
「あなたはいま50才でしょ それに校長先生でしょ」
2020年10月16日 汚染水海放棄
今年は新コロナのため、行っていませんが、福島浜通りには毎年春、訪れています。その度に気になっていたのが、野積みになっている大きな汚染物質の入った黒い袋の山と、汚染水の入ったドラム缶の山です。去年行ったときは、富岡駅の浜に山と積まれていた黒い袋がなくなり、瀟洒な富岡駅が出来ていたことです。その前年は小高の駅が開通していて、ヒョンなことから小高の駅長さんと南相馬市長さんと、小高駅前広場の自動車屋台でコーヒーを飲みました。今年は、夜の森町の除染も済み、500本の桜見物も解禁になったとのこと。とはいえ、最大の問題は一日140トンも溜る原子炉汚染水です。山の上からしか見えませんが原子炉周辺には青い大きなドラム缶が山積みになっています。その数量120万トン!
放射能はいずれは消える物質ではあります。能力が半分になるのを半減期と呼称しています。原子炉が放出する放射能物質が半減期を迎えるまでの年月はいろいろで、トリチウム、コバルト、モリブデン、ヨウ素などは数日で消えます。しかし、セシウム134は3年、セシウム137は31年、ストロンチウムも29年。そして驚なかれプルトニウム239は2万4000年、ウラン235は7億年、ウラン238は45億年です。
政府は今日、関係者と協議したすえ、「汚染水は二次処理をして海洋に流す」ことを決定しました。漁業組合の大反対は目に見えています。韓国など近隣諸国も反対の狼煙を上げるでしょう。世界的問題になるのは必定でしょう。私は、私としての考えは「これもやむを得ない」と思います。なぜなら双葉原発を廃炉にするまではあと40年かかるそうではありませんか。その間汚染水は貯まりに貯まるのですぞ。
いま、原子炉操作で出てくる廃棄物は青森県下北半島の六ヶ所村で処理しています。重度の汚染ものは300メートルの地下へ、軽度のものは60メートルの地下へ、いずれもガラスで固めて密閉格納しています。でも、そこは海辺近くですから、いつ何時地震で露出しないという保証はありません。北欧フィンランドの汚染物質は堅い岩盤の奥深く400メートル地下へ格納しています。10万年は大丈夫だそうです。それを実際に見学した小泉純一郎総理は、日本にはこういう地形はない、だから、原発は日本には地形的に不向きである、と痛く感動し、原発反対を大声で唱えるようになりました。河野行革相も同意見だとか。
日本に53機ある原発の核のゴミは、青森の六ヶ所村では処理出来なくなりました。全国的に公募したところ、北海道の最果ての村が二ヶ所名乗りを上げています。フィンランドのような層の堅いところでしょうか?いえ、日本にはそんなところはありません。ただ、90億円の給付金が欲しいだけのようです。
「この魚、顔つきが
イカツクテ気に入らないわ」
「奥さん 魚を顔や姿で選ぶのは
金魚や 鯉だけにしておくんなさい」
2020年10月15日 囲碁棋士・菫ちゃん
「鉄は熱いうちに叩け」という格言があります。囲碁一家に生まれ、現在11才の仲邑菫(なかむらすみれ)は3才の時から碁石をオモチャにして育ち、今やプロの腕前に育ち、大活躍中です。囲碁における英才教育は韓国の方が盛んです。仲邑一家は関西からソウルに移住し、切磋琢磨されました。そのため彼女の大好物は焼き肉とキムチだとか。そして今度は一家は関西から東京へ移住してきます。東京の日本棋院に所属し腕を磨くためです。
囲碁でも将棋でも、遡って古来をみても女性の活躍は見られません。ところが近年、女性はあらゆる分野で活躍しはじめ、競輪、競艇の選手や競馬の騎手としても大活躍しています。しかし、囲碁の世界では女性のレベルは遙かに低く、未だかつて名人戦、棋聖戦、王将戦、本因坊戦などのリーグ入りを果たした女性は皆無です。女性は本来、勝負事には向かないのかも知れませんが、ここへ来てその期待が一気に高まっているのが仲邑菫ちゃんの活躍です。なぜなら、それほど11才の彼女は強いのです。彼女と対戦した男性プロ棋士は、率直に彼女の強さを認め、舌を巻いています。素人ながら、私もその一人です。
最近、日本棋院が全国ネットで発行している囲碁専門紙「週刊碁」一面に彼女の無邪気な写真が載りました。この「週刊碁」の創刊にあたって、その販売網を巡ぐり読売と朝日が熾烈な争奪戦を繰り広げました。首尾良く、読売を退けることに成功しましたが、その時の朝日の担当者代表が、当時販売局次長の私でした。それだけにこの週刊紙に対する愛着は強く、今でも宅配して貰っています。
まだ11才の彼女の強さが並みではないと分っていても、リーグ入りは猛烈に高い壁です。私が彼岸へ行く前に、どうかリーグ入りを果たして下さい。心からの願いです。
ピアノは繊細な楽器で、指を立てて叩く奏法では本当の音は出ない、平手にして指の重さだけ触れてやると、ピアノは喜んで最良の音で鳴る、とは基礎知識ではあっても、とうとう習得出来ず齢を重ねて来てしまいました。だから、自分には出来ないのでその奏法の第一人者「ウラジミール・ホロビッツ」の演奏を改めて聴いています。
ホロビッツは大男で実に大きな手の持ち主です。手のひらを鍵盤上にそのまま置くと指の先端は鍵盤の根元に届いています。何とホロビッツはそのままの位置でシューベルトの前奏曲集を弾くのです。決して指を立てません。黒鍵と黒鍵の間の狭い場所を太い指が行き来するのです。そしてそれがまた、自然ないい音になって跳ね返ってくるのです。ホロビッツが亡くなって既に久しいのですが、彼は矢張りピアニストとして第一人者であったな、と今更ながら思います。
翻って私の奏法はどうか? 平手奏法への切り替えは今もって出来ていません。それより何より、右手の中指が言うことをきかなくなりました。スケールを弾く場合、中指だけが鍵盤を引っ掻くようになったのです。だから、音がそこだけ微妙にズレるのです。お灸をやってみました。鍼を打ってもみました。治りませんでした。そんなこんなで、ピアノに向かう頻度が極端に少なくなりました。加えてコロナ禍です。
昨日、改めてホロビッツのシューベルト3番を聴きながら「オレはこのままでではイカン、指が完全に駄目になるまでピアノに励もう」と何やら天啓のように悟りました。20年前、そうであったように、ピアノ教室に通おう、と決心しました。今日はヤマハの教室を詮索しているところです。
川の岸辺に ひっそりと咲いている
あの可憐な小さな花は
きっと 乙女の唇から芽を吹いた
溜息だ
たとえ 一茎でも蔑んではならぬ
踏みしだいては なりませぬ
その昔 16才で川辺に散った
優しい乙女の 化身!
2020年10月13日 筒美京平さん
私たちが学校で習ってきた音楽の基礎をなす音階は、12音階です。一オクターブの間を等分に12の音に分けた、いわゆる西洋音階で音楽を習ってきました。しかし、世界の音階にもいろいろあって、例えば沖縄地方では琉球音階が使われています。「ドレミファソラシド」の7音のうちレとラを除いた音階です。これがイランやトルコの中東になるとミとラがない「ドレファソド」だけの音で音楽を創ります。独特の余韻が生まれます。日本のいわゆる演歌も5音階です。4度と7度の音を抜いて創られるので「ヨナヌキ調」と言われています。この「ヨナヌキ演歌」が流行りにはやった時代を私たちは経験しています。
この陰々滅々たる演歌をぶち壊したのが、作曲家・筒美京平ではなかったでしょうか。12音音階を巧みに使いながら、独特の世界を創りあげました。ほとんどの歌手は彼の曲のお蔭で世に出て、今も廃れることなく歌われ続けています。その数、3000曲!中でもクラシックどっぷりの私を唸らせたのは、1979年のレコード大賞に輝いたジュデイオングの「魅せられて」です。歌詞の意味はよく分らなくても「女は海のように広い」ことだけは分かり、曲の導入部分や終り方も独特で、オケもこの曲にピッタリでした。ほとんどの歌手は彼の手による曲によって世に出ています。その筒見京平さんが昨日、誤嚥性肺炎でお亡くなりになりました。80才でした。彼が作った曲によって世に出た歌手達や、関係者たちの歎きはいかばかりでしようか。
2020年10月12日 若月俊一先生
長野と名古屋を結ぶ中央線の長野県側に姨捨(おばすて)という駅があります。昔の農民はいたって貧しく、食い扶持を稼ぐために、老人を山の中に放置して死なせていました。母親を背負って山の中に分け入ったものの、どうしても捨てられなかった話が今でも伝わっています。
老人医療を根本から変えてしまった医師、それが若月俊一です。東大医学部を出た1910年生まれの先生は外科医として長野県の佐久病院に乗り込みます。96才でお亡くなりになるまで、地域医療に昼夜を分かたず取り組みます。その根本は「予防は治療に勝る」でありました。医療従事者は病院で患者を待っていてはいけない、進んで地域に出かけて行き、病気にならないよう、日頃の習慣を改善させることこそが医療従事者の仕事である、と医師や看護師に教え込みました。医師は病院で患者を待っていてはならない、病院に来ないようにするのが医師の役目であると、檄を飛ばしたのです。
信州人は塩辛いものが好きです。野沢菜の「お葉漬け」何処の家にもあります。高齢者は塩分を控えるべし、との合い言葉のもと、こんな組織も出来ました。塩分測量隊です。女性二人が一組になり家庭を一軒一軒周り、その家庭の味噌汁の濃度を測って回ります。赤いジャンパーを着て歩き回っていたので、確か「赤じゃん隊」とか呼ばれていたはずです。そのお蔭もあってか、佐久、岩村田周辺一帯の医療費は年ごとに減少し始めました。寿命も延び始めました。医療費の少なさと長寿にかけては今や全国屈指の地域になっているはずです。沖縄と並んで、長野県が長寿県になって久しいのは、この若月俊一の遺訓が今も受け継がれているからでありましょう。
3年程前、清里からの帰り、佐久から軽井沢をまわりました。名物の「鯉こく」を頂きながら、佐久総合病院を訪ねました。万事が行き届いた大きくて立派な病院でした。ただ、先生亡き後、経営権を巡って紛争が起きているとも漏れ伝わっていました。先生には俊子さんとおっしゃるお嬢さんがいらっしゃいます。渦中の人だった方です。昨日、私の親友からのメールの中に、その俊子さんと長話をした、とありました。ビックリしました。幼いときからの私の無二の親友が、あの偉大な方のお嬢さんと長話をする間柄であったとは!「信州の風の色」など、多くの著作のある若月先生、急に身近に感じられてなりません。
2020年10月11日 ウイグル族迫害の理由
日本は海に囲まれた島国で、昔は金、銀、銅、鉄、石炭などの鉱物資源が採れましたが、既に掘り尽くしてしまったようです。おまけに石油の埋蔵もないので、大型コンテナが毎日イラン周辺と行き来しています。天然資源が無いのに栄えている国の筆頭が日本国でありましょう。
日本の人口の10分の1にも満たない新疆ウイグル自治区はどうでしょう? 驚くなかれ、世界でも類を見ないほどの地下資源に恵まれている国なのです。何がどのくらい埋蔵されているか調べて見ました。何と、石油291億トン、天然ガス10兆立方メートル、石炭5000億トン、鉄鉱石778億トン、銅・亜鉛5,202万トン、金3932トン、クロム2630万トン、カリウム2,5億トン、ニッケル1757万トン、その他、原子炉に必要なウラン鉱石が至る所に眠っています。
中国共産党は1952年以来、この事実を握り、ウイグル人1,100万人をこの地上から抹殺、もしくは漢民族と同化させ、これらの天然資源を14億5000万人のものにしようとしているのではないでしょうか。ウイグル人弾圧の理由が分ってきました。
2020年10月10日 コーカロイドとモンゴロイド
スウエイン・ヘデインに「さまよえる湖」という名著があります。椎名誠はこの本魅せられて、タクラマカン砂漠の廃墟「楼蘭」へ行きました。この両方の紀行文を私はかつて夢中になって読みました。二人の補給基地は新疆ウイグル自治区のカシュガルやウルムチでした。ここには約1,100万人ほどのウイグル人が住んでいますが、人種的には中国人、いわゆる漢民族とは全く異なります。一般にモンゴル、中国、韓国、 日本人を総称してモンゴロイドと呼びますが、ロシア人、ウクライナ人、トルコ人などはコーカロイド と総称されています。
少数民族のウイグル人は、何とか独立を保ってきたものの、1949年、毛沢東時代に中国共産党に併合されてしまいました。共産党は宗教が嫌いです。ウイグル人は熱心なイスラム教徒達です。共産党の弾圧が始まりました。イスラムのモスクが破壊され始めました。2003年にはウイグル語の使用が禁止となりました。美人のウイグル人と不細工な漢人との強制結婚が始まりました。ウイグル人の住む街には二万台の監視カメラが設置されました。怪しい動きがあると強制収容所送りです。既に100万人のウイグル人が強制収容所で過酷な労働を強いられているようです。体力に問題が発生すると、別の施設に送られ、そこで臓器が生きたまま抜き取られ、待っている患者に移植されます。アメリカに比べればほぼ10分の1の値段だそうですが、その収益は共産党幹部の懐入りです。
世界はこの事実を薄々知りながら、中国と事を構えることによる不利益をオモンパカリ、公然とは問題視してきていません。ところがコロナを契機として風向きが変りました。先ずアメリカが香港、台湾、南沙諸島、尖閣諸島、の糾弾の中に新疆ウイグル弾圧をやり玉に挙げました。続いてオーストラリアです。巨額な関税追加をものともせず、共産党によるウイグル弾圧をやり玉に挙げました。続いてイギリスです。ドイツのメルケルさんもやっと動き出しました。 動きがないのは、、、、それは日本です。
2020年10月9日 呆れた人間
半年以上前、池袋・サンシャインビル近くで車による重大事故が起きました。交差点で母親と3才の女の子を跳ね飛ばして死なせ、9人に怪我を負わせ、車など物損事故を起しました。犯人は89才の飯塚幸三・元通産省工業技術院院長です。本人も骨折したため、逮捕も収監もされず、やっと、裁判が開始されました。アクセルとブレーキを踏み間違えた事故だと、誰もが思うのに、本人及び弁護団は、車の構造上の欠陥により生じた事故、だとして無罪を主張しています。
世間は呆れました。私とて同様、悲憤慷慨ここに至れりとの思いです。両手に杖を持ち、ヨチヨチ歩きで現場検証に立ち会っているこの男を見たとき、よくもまあ、車の欠陥のセイだと言えるなあ、と本人の意識を疑うと同時に、何故、即刻逮捕、収監しなかったのか、彼が高等国民であるため、というお上の力は本当にあるのだなあ、と思ってしまいました。
私ならどうするか、考え込んでしまいました。例え、弁護団が勧めても、車の欠陥だなどという、空々しい理屈は並べ立てず、自己過信による運転ミスであったと認め、自分の財産すべてを被害全員に投げ出し、刑に服するでしょう。10年の刑務所暮らしでも軽いくらいです。裸一貫になって自殺してお詫びするかも知れません。それなのに、この東大卒の元官僚は無罪を主張するのです。
私自身も既に83才。この事故は人ごとではありません。運転に過信は禁物です。少しでも運転に違和感を感じたら、その時が免許返納の時だと、自分に言い聞かせています。問題は自分自身でその判断ができるかどうかでしょう。飯塚幸三の二の舞だけは絶対にしたくありません。
秋の いちじるしさは
空の碧を つんざいて
横に流れる 白い雲だ
なにを 語っているのか
語るものは なにもないのか
わからないのは 私だけなのか
それにしても
りんりんと
かなしい 静かな雲だ
2020年10月8日 一方の問題点
日本学術会議の任命拒否問題は、今や大きなウネリとなって政権を揺るがす勢いにまでなっています。任命拒否された6人の方々は、発言を控えていますが当事者より外野の方が囂しい昨今です。
翻って考えたいのはこの学術会議と中国との関係です。調べて見ました。平成27年9月27日、大西隆日本学術会議会長は北京に赴き、韓啓徳中国科学技術協会長と会い、協定書を交わしています。互いに技術協力し合いましょう、という趣旨で結ばれたのでしょうが、これを境に日本の科学技術が次々と中国へ渡り、中国の軍事に使われ出したようです。結果的に日本学術会議は、中国の軍事転用可能な技術に協力する、日本の科学者の窓口になっていったようです。
これが事実だとすれば、話は大きく変ってきます。アメリカに替わって世界の覇者たらんとする中国共産党の軍備増強に、日本学術会議はこれまでずっと協力者であった!とまで言えるのではないでしょうか。
コロナを契機として中国に対する世界の潮目が変りだした今、政府内部に学術会議の存在意義に疑問が出され、任命拒否を皮切りに、敢えて内閣府が問題提起に踏み切ったのではないでしょうか? 問題は世論がそれに気づいて、学術会議そのものの存在意義を認めるかどうか、でしょう。つまり、中国共産党に利用されっぱなしのこの会議をどうするか、まで議論が及ばなけれがならないでしょう。
余談ながら、学術会員になると終身年金(年額250万円)が貰えるそうです。一般庶民からすれば、日本政府の年金貰って、中国共産党の利益に与していりゃ、世話ねーや、でありましょう。
海の中で潜水艦と出会ったイワシの親子
「ママ あれ 怖い! 」
「坊や 怖いことなんかないのよ
あれは 人間の缶詰なのだから」
2020年10月7日 歯 痛
人の歯の数は上顎16本、下顎16本、合計32本が普通です。80才になって20本以上残っていれば上々、と言われています。8020運動というキャンペーンがあるくらいです。幸いなことに、私の歯は26本が現役です。小さい頃から母親に「カルシウム、カルシウム」と気を配って貰っていたお蔭、と今更ながら感謝しています。
それでも、4,5年に一回は歯痛が起きて歯科医に駆け込みます。幸いなことに歩いて2,3分のところに長男の同級生が歯科医院を開業しているのでご厄介になってきました。ところが、今回、歯茎が腫れてきたのでお願いの電話をしたところ、コロナのため当分休業とのこと、それでは、とこれも2,3分のところの新しい医院のお世話になりました。行ってみると若い看護婦さんが3人もいる万事清潔な医院でした。消毒関係も万全のようで安心でした。直ぐにX線がとられ患部から膿が抜き取られ、明後日は三回目の治療となります。しかし、痛みが去ったわけではありません。ズキズキする痛みのため、寒気すら起きます。もしかするとコロナに感染したかな、と思いながら治療日を心待ちしています。
私が最初に建売住宅を買った当時の練馬は、緑溢れる田園地区でした。それこそ練馬大根の畑が広がり、人影もまばらでした。それがどうでしょう、畑も空き地も無くなり、住宅が密集し始めました。大根畑など何処にも見かけなくなりました。残された空き地や公園には子どもたちの歓声で溢れていました。公園は若いお母さん達のたまり場でした。
あれから50年、いま、道路を歩いているのはヨチヨチ歩きのお年寄りばかり!なんでこんなに年寄りが多いのか、恐れ入るほどです。しかも、住宅は空き家が多くなり、無人の館の周りは草ボウボウです。
二年前まで、京王線・南大沢の飯田先生の教会に通っていました。多摩センターを始め、あの沿線にはマンションが林立しています。そして住民も若い。電車内も若さで溢れています。年寄りなど、ほとんど見かけません。でも、50年経ったら、、、、、、ここも年寄りの街になるのでしょうか?
いま、女性が4人集まると、一人は必ず70才以上、といわれています。それだけ日本全体が高齢化しているのです。すなわち、練馬化してきたのです。その現実を直視し、対策を講じてこそ政治というものです。学術会議で揉めているようでは話になりません。
神は たった6日間で
ぼくらの世界を創ってしまった
というのだから
居心地が悪いのも無理はない
おまけに気まぐれで神経質な神は
七日目に その手を
休めてしまったのだから
かわりに ぼくたちは
働かなければ ならないのさ
でも 神は
もう一度 造り直す気は
ないだろうなあ
2020年10月6日 レムデシベルとアビガン
トランプ大統領夫妻と、お付きの若い女性秘書のコロナ感染が判明してアメリカ中が大騒ぎとなりました。ヘリで陸軍病院へ搬送されたと思ったら、もう、退院してきました。その間、約五日。投与されたらしい薬はレムデシベルとアビガン。
レムデシベルはアメリカのギリアド・サイエンスが開発したエボラ出血熱の特効薬です。最近になって新コロナの治療薬として承認されました。日本の富士フィルム・サイエンスが開発したアビガンは、未だ承認されていませんが日本では頻繁に使われ、それなりの効果が出ているようです。
世界中が躍起となって開発にしのぎを削っている新薬には、次のようなモノがあります。当然インフルエンザの治療薬、タミフル、リレンザ、イナビルなども含まれます。名前を挙げれば、クロロキン、ヒドロキシ・クロロキン、イベルメクチン、シクレソニド、ナファモスタッド、カモスタッド、トシリズマブ、、、、、、
今後、遙かに優れた治療薬は必ず現れるでしょうが、74才のトランプを5日間で生還させたのが「レムデシベル」であった、ということです。問題は価格ですが、エボラ出血熱の特効薬として市販されているようなので、目の玉が飛び出る値段ではないでしょう。もしも、万が一、私が感染したら、、、レムデシベルとアビガンを投与して貰いましょう。この薬が私に効くか効かないかは、神さまにお任せです。とすれば半年余りの蟄居状態を、少しは緩和してもいいのではないでしょうか。少しだけ世の中が 明るくなってきたようです。
彼はフランス語の猛勉強を始めた 一年後には
フランスへ語学留学するつもりである
勉強するにつれ 古フランス語とプロバンス語への
理解が必要なことが分った すると ラテン語を自由に
操る必要を生じた それにはサンスクリット語への
理解が不可欠だ
そのためには 古代イラン語をやらねばならない
彼は フランス語を学ぶために イランへ行った
2020年10月5日 カボス(臭橙)
昨日、大分県の山香農協からカボスが4キロ入った箱が届きました。「果汁の豊富なものを」、と頼んでいた甲斐あって、満足できるものでした。これなら送られた皆さんには喜んで貰えるでしょう。
小倉に単身赴任しているときです。大分の山の中でゴルフ会があり、売店にカボスが大きな網の袋に入って500円で売られていました。買って帰って、一つ一つ絞り、製氷皿に入れて保存し、料理する度に使いました。<これはいい、お世話になっっている皆さんに差し上げたら喜ばれる違いない> と60件ほどの住所を書き出し、山香農協から送って貰いました。4キロの箱入りで送料込みで2500円ほどだったと記憶しています。東日本ではカボスは余り出回っていません。案の定、皆さんには大変、喜ばれました。礼状が舞い込みました。そうなると、翌年も送らないわけにはいきません。翌年も、また翌年も、、、、東京に戻ってからも毎年、毎年、、、、
爾来、数えてみると今年で25年続いたことになります。ご主人がお亡くなりになっても、奥様宛に送りました。ご両親がお亡くなりになっても、しばらくはご家族へ、、、そして今年は、当初の60件から大分減りましたが、それでも26ヶ所への送付となりました。この奇妙な習慣はいつまで続くか? 恐らく、私がこの世から居なくなる時まで続くでしょう。
紙風船
落ちてきたら
今度は もっと高く
もっと もっと高く
何度でも 打ち上げよう
美しい 願いごとのように
2020年10月4日 日本学術会議
日本国が国として行なう科学政策や世論の啓発に対し、提言を行なう科学者、学者の会があります。日本学術会議です。会員数は210名。三年ごとに半数が入れ替わります。今年はその入れ替えの年に当たり105名の新たな名簿が内閣府に提示されました。ところが、そのうち6名が否認され、その理由が示されないため、いま、大揉めに揉めています。6人は安保法制や、共謀罪に対して声高に反対してきた学者さん達であります。ならば、現在の学術会議の 210名はこれまでの安保法制や共謀罪に賛成する人達ばかりでしょうか? 賛成者はごく僅かで、ほとんどの会員は反対の立場ではないでしょうか? それなのに何で今更、内閣府は世間の物議を醸す挙にでたのでしょうか? 全く理解に苦しみます。私は新総理の菅義偉にこの決断があったとは思えません。文科省はこの件に関係ないとはいえ萩小田光一文科相 当たりが立ち回ったと睨んでいます。 もし、この決断が新総理自らが下したのなら、図らずも学歴コンプレックスの表れであり、新総理の初の汚点だと私は思います。明治の御代の五ヶ条ご誓文に「広く会議を起し万機公論に決すべし」とあるではありませんか。反対意見こそを大切に摂り扱ってこその国家なのです。
何とも狭い了見の内閣府の今回の決定に、私はガッカリしているところです。ちなみに6人の方々は次の通り。
芦名定道・京大教授(宗教学)、宇野重規・東大教授(政治思想史)、岡田政則・早大教授(行政法学)、小沢隆一・慈恵医大教授(憲法学)、加藤陽子・東大教授(日本近代史)、松宮孝明・立命館大教授(刑事法学)
少子化の影響で大学経営が危機となった
研究費の削減が行なわれた
数学科と哲学科だけが残った
予算計上は
紙と鉛筆とゴミ箱だった
2020年10月3日 ホランさん
人の発する声は、実に様々です。心の底に響き、何時までも聞いていたい声もあれば、キンキン声でまくし立て、「ああ、嫌だなあ」と、こちらの心までささくれ経ってしまう声もあります。特に女性のリポーターに多く、その時は直ぐにテレビを切ってしまいます。一方、この人の声なら何時までも聞いていたい、聞いているだけで心が名和んでくる声もあります。それが、毎日午後四時から始まるTBSの番組の司会者・ホラン千秋さんの声です。彼女はスコットランド人の父、日本人の母の混血です。32才、未だ独身のようです。多摩で生まれ青山学院英文科を卒業しています。コンビニの店員をしていたときもあったようですが、ベストドレッサー賞に輝いた頃から女優の仕事が舞い込み始め、今ではTBSの夕方の顔になりました。彼女は声もさることながら容姿も端麗で、毎日違った装いで現れます。常連の気象予報士を「森田さーん」と呼びかけ、五分間のやりとりを始めます。笑いを伴った気象通報は、彼女の出現に寄るところが大きいでしょう。
2020年10月2日 取引停止
昨日、東京証券取引所で機器の事故があり、終日取引が停止となりました。前代未聞の出来事です。コロナのお蔭で経済全体が低迷しているのに、株式市場だけは活発に動いていた矢先の重大事故です。事故原因が取り沙汰されていますが、私は中国ハッカーの仕業、と睨んでいます。取引所としては、例えそうであっても、表だっては言えないでしょう。単なる部品の交換が遅れた、と言葉を濁しています。
実は今、私は再び株式取引に手を出そうか、出すまいかで悩んでいます。いまを去るウン十年前、宣伝部長から朝日の子会社「アコス」の社長に出向した時です。経済に疎かった私は、この時とばかり経済学全般の勉強を始めました。株式のデイトレードを同時に始めたのです。パソコンが普及し始めた頃です。グラフの推移を毎日眺めながら、「もうはまだなり、まだはもうなり」の格言のもと、株式売買や新発の銘柄を買ったり売ったりしました。早稲田の夏期セミナーに参加して経済の勉強もしました。
お蔭で、手持ちの資金が倍以上になりました。10日間のヨーロッパ旅行、数回のバリ島、オーストラリアなどへ行くことが出来ました。ところがそこへリーマンショックです。地合が極端に悪くなりました。塩漬けになった株が出はじめ、売り損なった株は今でも多少残っています。
昨年暮れから始まった新コロナは、日本のみならず世界の経済を停滞させているのに、株式だけは異様な値上がりを続けています。実態がないのに何故そうなるのか? それは株式取引が「博打」と同じだからだ、と私は思います。壺の中にサイコロを投げ込み「さーあ、どっちもどっちも」と、オアニーさんが声を張り上げる、あれと同じではないでしょうか。多少の理屈は付いても、原理は全く同じだ、と私は思います。
とは言いながら、デイトレードにうつつを抜かしていた頃の毎日の緊張感が懐かしく思い出されます。コマはないわけではありません。しばらく悩んで見ようと思います。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにするな
自ら水やりを怠っておいて
駄目なことの一切を
時代のせいにするな
僅かに残る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
2020年10月1日 ストリート・ピアノ
東京都庁の何階かに都民ホールがあって、派手に彩色されたグランドピアノが置かれ、誰でも弾けるようになっているそうです。同じように小田急線の新百合ヶ丘駅にも、噂に寄れば品川駅構内にも「誰でもピアノ」が置いてあるそうです。この傾向は、どうやら世界的風潮らしく、ユーチューヴで見ると、世界各国の一種の流行になっています。音大生らしき者が、ザックを背負ったままショパンの難曲を弾いたり、子どもが、これも難曲の幻想即興曲を弾いたり、雑踏の中で音を響かせています。中には音の狂ったアプライトピアノもあって、興ざめする場面も多々あります。
「喧騒の中でピアノを弾く」、このことをピアノ自身は喜んでいるでしょうか? 私はピアノがつくづく可哀想だと思うのです。なぜなら、ピアノの音は微妙で、人混みの中ではその本領を発揮できないからです。限られた静謐の空間の中で、せいぜい五,六〇人を相手にしてこそ、ピアノはその本来の音を奏でます。なぜなら、構造的にそうできているのです。従って、人混みの中で、単に技量をひけらかしたいだけの人々に無造作に扱われては、ピアノはキッと内心悲鳴を上げているでしょう。だから私は、このところ無造作に置かれ出したストリートピアノ現象を、「ああ、何と嘆かわしい風潮か!」と芯から嘆いているのです。
過日、谷川岳へ行った際、土合駅近くの湯桧曽川温泉のあるホテルへ寄りました。そのホールの片隅にグランドピアノが一台、埃を被って鎮座していました。なんと、スタインウエイピアノではありませんか! 恐る恐る触らせて貰いました。音が出ません。ハンマーが滅茶苦茶に壊れています。弦もさび付いています。恐らく100年は経っているでしょう。フロントへ「このピアノを譲って貰うにはどうしたらいいか」申し入れました。本部でなければ何ともいえないとのこと。その本部の電話番号を教えて貰いました。恐らく、すべての弦もハンマーも替えねばならないでしょう。東京浜松町のスタインウエイ日本総代理店に依頼しても、本国ドイツでなければ修理は出来ないでしょう。それには莫大な費用がかかリます。せめて、東京のヤマハ修理工場に持ち込んで、ヤマハのハンマーや弦を使うことも考えられます。それでいこうか、と今は考えています。ツラツラ思うと、私がなりたかった職業は職人です。何かを作り出す仕事です。嗚呼、サラリーマンになどになりたくはなかった! ピアノ調律学校へ片足は踏み込んだものの、挫折したことを今でも悔いています。でも、神さまのお蔭でまだ、しばしの余命がありそうです。何としてもスタインウエイを自分のものにしたい、そして心ゆくまでそれを弾いていたい、、、、、、問い合わせ先の電話番号を見ながら夢を膨らませています。
日本の部品メーカーは世界で最も優秀である
アメリカから注文書が届いた
「10000個を発注する
不良品は3個までとする」
製品が送られた
「9997個を送ります 3個は貴国の
業者に依頼ください」
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