エッセイ集

2013年8月27日             イヤだなあー

 新聞、雑誌、テレビ、インターネットなどのメデイアが氾濫する中で、「イヤだなあー」、と思うことが多々あります。列記してみましょう。

 1) シリアの内戦が激化する中で、毒ガスが使われたことです。国内の権力闘争なのに、何で国民に対して禁止兵器を使ったのか? 国民あっての国家ではありませんか! 日本でも権力闘争での殺し合いがありました。戦国時代です。でも、一般民衆にまで刃を向けることはありませんでした。しかし、日本軍国主義は、中国の一般民衆に刃を向けました。南京虐殺は、シリアに劣らぬ汚点でありましょう。アメリカとて同じです。日本本土への無差別爆撃、広島へ長崎への原爆投下、南京どころではない、一般民衆無差別殺戮です。そのアメリカがシリアに対して禁止兵器を使ったかどで、宣戦布告するようです。イスラエルに唆されているのでしょう。私は、国民に対して毒ガスを使い出したシリアの大統領の、ぬけぬけとしたお坊ちゃん顔を見る度に、反吐の出る思いがします。

 2) 潘基文国連事務総長が、「日本は正しい歴史認識の上に立たねばならない」と遠回しながら、最近の日本の右傾化を非難しました。いらぬお世話です。職権乱用です。公平性を欠く発言は、国連のトップだからといって許されるものではありません。

 3) 韓国の女性大統領が、中国を訪問した際、習近平国家主席に中国に阿った発言をしました。曰く、伊藤博文を暗殺した安重根の銅像をパルピンに建てさせてほしいと。韓国で英雄視されていようとも、日本からすれば、暗殺者です。国内に建てるなら、文句の付けようはありませんが、中国領のハルピンに建ててくれ、というのです。これほど、日本人の神経を逆なでする発言もありません。朝鮮戦争で北朝鮮に加担した国はどこだったのですか?中国ではなかったのですか?世界の権力構造が変わりつつあるいま、強大な軍事力を誇りつつある中国への〈阿り〉以外のなんでしょう。見苦しい強者への擦り寄り発言です。彼女の父親が大統領であった時代は、日韓は友好的に推移していました。父親から距離をおきたいのでしょうが、この発言で日韓関係のムードは更に悪くなったように見受けられます。彼女が5年の任期を務めたとしたら、関係修復に5年以上の歳月が必要となるでしょう。

 4) 中沢啓治著「はだしのゲン」を教育上有害であるとして、島根県松江市の教育委員会が、図書館から撤去させた事件です。市議会では否決されたのに、独断で実行しました。それを、内閣府では松江市教育委員会の措置は極めて妥当である、と支持しました。ところが、日本国中の反対を浴び、松江市教育委員会は手続き上問題があったとして、措置を撤回しました。ところが、内閣官房長官はいまのところそれに触れていません。撤回したのは、極めて妥当である、と、なぜ言わないのですか? 「手続き上問題があった」とは何たる言いぐさでしょうか! 判断の誤りを認めたくないのでありましょう。実に卑怯は幕引きです。裏に遺族会の暗躍があったと聞き及びます。戦争は戦争として、虐殺や慰安婦などの恥部の部分を、歴史上なかったことにしようというオゾマシサが垣間見えてなりません。中沢啓治さん、私はあなたと同姓であることを、誇りに思います。

 5) 福島原発で地下水が汚染されて、海に流れ出ている問題です。汚染水処理が廃炉に移行するための最大の課題である、とはガンで亡くなった吉田所長が最初から言っていたことです。汲み上げて貯蔵するタンクの数は日を追って増え続けます。悪くすれば、福島県全域が汚水タンクで埋まりかねない勢いです。名案はないのです。これこそが、原発を推進してきた日本国への罰なのです。諸外国は口には出さないけれど、敏感に反応しています。東京は2020年のオリンピック誘致にお祭り騒ぎですが、放射能汚染がますます深刻化するのは目に見えているのですから、オリンピック委員会は安全策をとるでしょう。

 ことの重大さに今更のように気付いた識者たちは、「もう、東電には任しておけない、国がやるべきだ」と異口同音に言い出しました。ならば、伺います。国のどこがやるのですか?東電以上の設備と技術を持った組織が日本にあるのですか? 見渡した限り、そんなものは日本に存在していません。やはり、東電が死にもの狂いでやる以外に道はないのです。「東電はダメだ。国がやれ!」、イヤだなあーと思います。

 6) NHKの朝のテレビ小説「あまちゃん」がフィーバーしています。筋書はAKB48にあやかった喜劇ですが、内容はともかく、この番組にチャンネルを合わせることはありません。イヤだなあーと感じるのは、最初に流れる番組のテーマ音楽です。浅草のジンタ風であり、チンドン屋が無理に可笑しがってるようなリズムであります。率直に言って下品です。視聴率が取れればいい、というものではありません。ただし、これは、私だけの感覚であることをお断りいたしておきましょう。 

 

 

 

2013年8月25日              筧慎二さんのこと

 待望社刊の『筧慎二全詩集』をお送りくださいまして、誠に、ありがとうございました。厚さが4センチにも及ぶ上製本であることに、まず、驚きました。〈風雅にして粋人、筧慎二は反米、反骨、反権力、その生き方に一つのぶれもなかった〉、と本の帯に、中村不二夫さんが書いておいでです。誠にその通りだ、と改めて思うと同時に、日本詩人の会の会長も務められた筧慎二さんの、77歳の早すぎる死が惜しまれてなりません。

 思えば五年前、私のNN工房は、筧さんの短編小説集〈真昼の夕焼け〉の製作刊行をさせていただきました。その一年前には詩集〈一字の夏〉をやらせていただきました。この詩集は更科源蔵文学賞を受賞し、ご夫妻はそろって北海道の授賞式に列席されました。誠に嬉しい出来事でありました。

 〈真昼の夕焼け〉は戦争中の横浜大空襲の記録でもあります。その時の米軍の爆撃機である「B29の写真」が、朝日新聞にないか、探してくれないか、というご下問があり、社の資料室で探してもらいました。二枚ありました。筧さんは築地の朝日新聞まで来られて、写真を複製してもらい、満足してお帰りになりました。

 すべての原稿をパソコンに打ち込み、印刷製本を開始したのが一月末です。四月十日が第一回納本の締切でした。ところが、どうしたわけか、一回目の150部は3月31日に出来上がりました。翌日、宅急便でお送りしました。筧さんは、あちらこちらへの納本を、嬉々としてなさっていたそうであります。奥さまから伺いました。

 4月6日、筧さんに御馳走になる日です。〈10部は無料、ただし、居酒屋で一杯いただくこと〉が、わがNN工房のきまりです。筧さんご夫妻、丸山一昭さん、筧さんとは横須賀で隣組の新橋の居酒屋「魚福」のヒロミさんの5人、桜木町駅で待ち合わせしました。杖をつかれている筧さんの歩調に合わせ、筧さんお馴染みの居酒屋へ向かいました。

 途中、弁慶橋の桜が満開でした。橋の欄干にもたれながら、筧さんは長いこと桜を凝視していました。〈おやっ〉と思われるほど長い時間でした。その時の筧さんの後ろ姿を、私は、終生忘れないでしょう。

 楽しい宴会でした。奥さまが習われている新内の温習会が27日にあるとのこと、「私も行きますがね」と筧さんは目を細めながらおっしゃいました。私たちは興に乗ったあまり、奥さまにサワリのところを唄わせてしまいました。

 その四日後の朝です。筧さんの訃報を知らせる電話が、隣組のヒロミさんからあったのは!

 戦時中の横浜大空襲が主題になっている〈真昼の夕焼け〉は、横浜を中心として活躍している五大路子さんの劇団「夢」が朗読劇として上演してくれました。会場は外人墓地近くのベーリックホールでした。奥さま、ヒロミさん、丸山さんの四人で出かけました。「良い本を作って下さった」、と銘々に五大路子さんは花束を用意してくれていました。筧さんも泉下で喜んだに違いありません。

 不思議なことがあります。昨年の今頃、〈真昼の夕焼け〉を10部欲しいという電話がありました。その後も7部欲しいという人も、メールで申し込んできました。ところがです。〈真昼の夕焼け〉の原稿はおろか、表紙も帯も写真も、私のパソコンにないのです。パソコンのごみ箱を探しても、検索しても、影も形も見当たらないのです。こんなことってあるのでしょうか?止む無く、お断りいたしました。自分jが一生懸命に作ったものなのに、その全部が消えてしまった! 奇奇怪怪とはこのことでありましょう。

 そうだ、筧さんが持っていったんだ、あちらの世界へお持ちになったのだ、そうに違いない、私はそう思って自分を納得させています。

 〈筧慎二全詩集〉は600ページを超える大作です。定価8000円もする本を刊行された奥さまの英断には心からの敬意を表します。また、編集に携わられた山脈会の皆さまのご苦労は、いかばかりであったでしょう。奥さまを始めとするお仲間のみなさんの、筧さんへの深い愛情が、この全詩集に結晶したのでありましょう。この詩集には〈反米、反骨、反権力〉を貫きながら、生きることを愛した筧さんのすべてが、詳らかになっているでしょう。私の座右の書にさせていただきます。ありがとうございました。

 

 

2013年8月19日                 上手い文章

 ベッドに入って、ひとしきり「IPAD」を弄んだあと、決まって本を読みます。いま、読みかけの本が五冊あって気分に合わせて本を選びます。早坂真紀〈空の青、海の碧〉、〈海の向こうの104日〉、角田光代〈世界で迷子になって〉、神田錬蔵の〈アマゾン河〉、波多野精一〈時と永遠〉がそれです。

 早坂真紀は、推理作家内田康夫の細君で、子どものいない二人は軽井沢に住んでいます。いままで一度も海外にでたことのなかった早坂真紀は、ひょんなことから、「飛鳥」のロイヤルスイート(一人1500万円)で世界一周のクルージングに旅立ちます。その旅行記が〈空の青、海の碧〉です。その三年後、今度は「ぱしふぃっくびーなす」で再び104日の航海に旅立ちます。この二冊の旅行記が飛び切り面白い。何度読み返してもそのたびに笑ってしまう。実は、今度が四回目の読み返しであります。目に飛び込んでくる世界の事象に感じたままの驚きを、率直に文章にしてしまっている。夫君の内田康夫が〈あとがき〉で述べています。「ぐいぐいと人を惹きつけるこの文章の巧みさには舌をまく。恐らくこの種の旅行記の決定版であろう」と。私も同感です。

 神田錬蔵の「アマゾン河」はその対極に位置する文章です。医師であり、寄生虫の研究者でもある著者はアマゾンの奥地マナウスより更に奥地で七年間、インデオの治療に当たります。いわば、日本版シュバイツアーです。科学者の目で観察した事象を、自分の感想など一切述べることなく、事実だけを書いてゆきます。それが読者を惹きこむ所以です。人の喉に張り付いて取れないヒル、水に入っただけで身体を食い破って侵入する人食いどじょう、人間の体に蛆を産みつけてとれないハエ。アマゾンの水をそのまま飲んでいるインデオに蔓延する風土病、馬をも丸のみする巨大な水蛇、身の毛もよだつ事実だけが記述されています。アマゾンに憧れている私ですが、いま、この本を読んでいて、絶対に行きたくないと思ってしまいました。

 角田光代は、のろまで、方向音痴で、さしてお金があるわけでもないのに、行きたいと思った世界のいたるところへ一人で出かけてゆきます。でも、その過程の中で、作家ならではのキラリと光るものを垣間見せます。この本の終わりの部分は、日常エッセイばかりになるのですが、一切の気取りを排除した文章にはさすが、と思われるものがあります。この本は、旅行記として面白いと推薦されていたので買ったのでしたが、思惑は外れてしまいました。でも、文章は巧みです。

 波多野精一の〈時と永遠〉は恐ろしく難解な哲学書です。一行を理解するために、数行先から読み直すことがしょっちゅうです。ヘーゲルやカント、スピノザの哲学をある程度齧っていないと、全くのチンプンカンプンです。この本の特徴は、何の脈絡もないまま「愛」という言葉が突然現れてくることです。愛は宗教的理解の範疇では神の愛でありますが、この本における愛の概念はそれとも違うように思えます。例えば、キリスト教における愛は、エロスの愛、アガペの愛とに区別されますが、それとも違うようなのです。時と永遠の果てにあるらしい「愛」に迫りたいというのが、私の生来の願望でもあります。

 難解な文章といえば、その筆頭に埴谷雄高が挙げられます。家の地下音楽室の書架に埴谷の著作集があるのですが、死ぬまでに読めるのかどうか?、著作集といえば、若いとき夢中になった三島由紀夫のものがあります。著作の全部が、ただ、飾ってあります。文章の巧みさ、流麗さにおいて、この先、三島を超える作家は恐らく出現しないだろう、と思っている一人であるのですが、何故、彼の作品には感動が伴わないのか?

 本には人生の深淵が隠されています。『いとおかし』が、垣間見えない本は、私は願い下げです

 


2013年8月14日        「最近、心の忘れ物が多いぞ、人間!」

 またまた、8月15日が巡って来ました。昭和20年5月、東京新井薬師の家がB29の爆撃で焼かれ、学童疎開で福島会津の山の中で団体生活をしていた国民学校一年生の私を、母が迎えに来てくれ、長野市鶴賀の本家に身を寄せました。天皇陛下の玉音放送を、全員が中庭に土下座し、廊下に置かれたラジオで聞きました。母は地面を掻き毟り、身をよじって泣きました。時刻は正午、青空に浮かぶ、その時の白い雲の形が、今でも鮮明に脳裏に浮かびます。

 どれだけの人間の犠牲の上に成り立っている、現在の平和でしょうか?

 死んでいった人々が生き返れない以上、せめて、その人々の上に思いを馳せ、哀悼の誠を捧げるのが、この8月のならいではなかったでしょうか?

 この数日、オバマ大統領は夏休みと称してゴルフ三昧の日を送っています。それを真似するかのように、安倍総理までゴルフをやっています。この8月にです。100万人ではきかない罪のない人たちが死んだ8月にです。

 ゴルフをやって悪いとは言いません。どんどんやって構いません。しかし、最高責任者になったら、その任にある間だけは、ゴルフなどやって欲しくありません。特に、8月という月には、です。

 「心の忘れ物をしているよ、ご両人」、と言ってやりたい気持ちで一杯です。

 柳田国男の〈遠野物語〉によると、遠野の人たちは8月になると死者を迎えるために、家の前に高さ5メートルはある大きな幟を立て、戻ってくる魂が迷わないように、目印を作ります。遠野の人たちが心の忘れ物をしていないという所以です。

 死んでしまえば「ハイ、ソレマデヨ」、と私は思っていません。焼かれた私の灰は野に撒かれ、水分は蒸発して地球を駆け巡り、また、新たな生き物となって甦りるものと信じています。いつの日か、〈私〉は再びこの世に生を受け、〈私〉を生きると信じます。それまでの間、私の心は、私が愛したものの周りをいつも漂い、見守っているに違いない、と思うことにしています。

 とすれば、8月こそ、この世をさまよっている沢山の心に思いを致し、その魂の安からんことを願って、祈りを捧げる時ではないでしょうか?

 


2013年8月12日              崩壊の予兆

 アメリカの自動車で栄えた都市デトロイトが、多額の債務を抱えて崩壊した、というニュースは驚き以外の何物でもありません。負債の総額は1兆8000億円。そのほとんどは年金、退職金、高齢者医療保険だったそうです。かつては、市民の20万人が自動車関係従業員でしたが、今はその十分の一。市民の86%はアフリカ系黒人だそうです。市街はさながら廃墟に近く、下水、ゴミなどの処理などの都市機能は、ほとんど機能不全に陥っているそうです。

 オバマ政策の基本は、お金を有り余るほど刷り、市中に流すというものです。同じことをいま、安倍政権は日本でやっています。その効果により、景気は一見回復したように見えていますが、実態は驚くべき格差の助長でしかないようです。アメリカの全所帯の所得は前年に比べて2.3%増えましたが、内実は、所得上位1%の富裕所帯が、全所帯の所得増加分の98%を我が物にした、という実態が浮き彫りされています。

 何のための景気回復策なのか? 増加した所得は、全体の1%にしか過ぎない金持ち所帯に殆ど全部が流れてしまっている、という恐るべき実態が、詳らかになっているのです。

 あれほど自動車で栄えた都市デトロイトは、殆どが廃墟になり、職のないアフリカ・アメリカンが横行しています。無論、一人でなど歩けない。警察は殺人以外は手を出さない。身ぐるみ剥がれても事件として扱ってもらえない。「一人で歩くのが悪い」と警察が言うそうです。

 アメリカの治安の悪化は、いまに始まったことではないにしても、そのよって来る所以は、所得格差でしょうか? 富める者はますます富裕に、貧しいものは、どんなに足掻いても職にありつけない。それが、どうやらアメリカの現実らしいのです。

 私はアメリカへ三回行っていますが、その度に注意されました。歩道はビル側を歩くな、車道側を歩け。何となればビル側から手が伸びてくるから。100ドルを胸ポケットに入れておけ、何となれば命だけは助かる。足を踏み入れてはいけない道路の境界線がある。何となればそこから先は警察も来ない。

 これらはいまから30年前の教訓でした。いま、実態は恐るべき速さで悪化してしまいました。アフリカ・アメリカン、ヒスパニックの増加がそれを助長しているやに、聞き及びます。

 アメリカの負債総額は16兆7000億ドル、日本円に直せば1670兆円です。

 日本だってアメリカのことを言っておられません。国家の負債は1000兆円を超えました。それなのに、安倍総理をはじめとする自民党の政策は、アメリカをそっくり真似するお金の垂れ流しです。お金というものは、国家が意図すればいくらでも印刷することが出来ます。その時だけはいいかもしれません。やがて、恐るべき仕返しがやってきます。国家そのものが国際間で値切られるのです。信用が失墜していくのです。それは国債の利回りに如実に現れます。

 私は、デトロイトの破綻を、資本主義破綻の前触れだと考えます。それほどの重大事件である、と認識を新たにしています。アメリカの追従でしかないアベノミックス、そう遠くないうちに挫折するでしょう。

 68万人しかいない陸の孤島「ブータン」を見習いたいものです。「自分は幸福であるか」、これが国家の基準である国です。

 


2013年8月3日                舌  禍

 麻生副総理兼財務大臣が、あるシンポジウムで「憲法改正は大騒ぎせずに、ドイツのワイマール憲法が知らぬ間にナチス憲法に替ったようにやったらよい」と発言したことが、問題となっています。朝日新聞は社説でとりあげ、解説でとりあげ、天声人語までこの問題に言及しました。そこで、詳細を調べてみました。

 発言のあったシンポジウムは、国家基本問題研究所が主催した月例会でした。この研究所の理事長は、越後は新潟高校出身の才媛桜井よしこであります。なかなかの美人でありますが、なぜか、硬派中の硬派であります。当日の司会はその桜井よしこが務めています。その模様を彼女は産経新聞に寄稿しています。それによると、麻生副総理は憲法改正にはあまり熱心ではなく、彼女の思惑とはかなりかけ離れた考え方の持ち主であり〈失望を隠せなかった〉としています。〈大騒ぎは好きではない。だから、ワイマール憲法が知らぬ間にナチス憲法に替ったようにやればよい。見本になる〉と、ものの喩えとして、つまり大騒ぎを慎む例としてのドイツ憲法を引き合いに出した、ということのようでした。

 もとより、麻生副総理が歴史的事実を誤認しているのは、言うまでもないでしょう。ナチスが台頭してきてもワイマール憲法はナチス終焉までドイツ憲法でありました。ナチスの掟はヒトラーによって作られはしましたが、あくまでも場合の処置であり、憲法といえるものではなかったのです。生半可な歴史的知識しか持ち合わせなかった不幸が悔やまれますが、彼を弁護するとすれば、〈ナチス憲法の内容を見習え〉とは決して言ってないのであります。

 朝日新聞の一連の報道は、少しばかりヒステリックすぎたのではないか? 私はそう思えてなりません。朝日の報道には世界が呼応します。「その発言は、歴史的事実とは異なる勇み足ですぞ」位にしてもらいたかった、と私は思います。何となれば、このところの日本の右傾化に、世界が関心を寄せているからです。周辺諸国の神経を逆なでするような報道は、国益として控えるべきです。

 一体、朝日新聞記者は、桜井よしこ司会者のそのシンポジウムに出席していたのでしょうか? また聴きであったり、録音テープの巻き戻しであったとすれば、問題です。比喩としての言葉のニュアンスが違ってしまうからです。世界には、ただ単純に〈日本はナチス憲法を目指している〉と受け取られるのが落ちだからです。

 それにしても、麻生副総理は、単純にして軽薄は失言が多すぎます。例え、比喩であろうとも、誤解を招きやすい発言は、政治家である以上あってはなりません。針小棒大な報道をした朝日も朝日だなあ、とOBとしては悔やまれますが、舌禍事件になってしまった以上、麻生副総理は潔く野に下るべきでしょう。

 


2013年7月29日             ワサビとトウガラシ

 本マグロの中トロは、おろしたての本ワサビと、香高いお醤油が欠かせません。名代の蕎麦屋では、サメ皮の小さなおろし金にワサビが付いてきます。丸く輪を描くようにワサビを摩り下ろしていると、ワサビの独特の刺激臭が食欲を駆り立てます。日本人でよかったな、とシミジミ思う時です。

 韓国では、殆どの料理がトウガラシがまぶされて出てきます。トウガラシが入っていない料理をメニューから探し出すことは殆ど不可能に近い。余りの辛さに辟易しながら、汗を流し、口中をヤケドしながら武者振り食べる。実にホットであります。

 辛いことを、英語ではホットと言います。研究社の分厚い辞書を引くと、ホットにはいろいろな意味があることが分かります。 1、辛い、熱い。 2、 強烈な、激しい。  3、扱いにくい、好色な。  4、不愉快な、演技が上手い。

 同じ辛さでも、ワサビは汗をかいたり、涙を流すほどの辛さではありません。むしろ、香りの方が主体です。しかも、ワサビには鎮静作用がありますから、ワサビを食べていると、身体に涼しさを覚えます。同じ辛さでも、ワサビはクールな辛さを持っていると言っていいでしょう。クールを辞書で引くと、1、冷たい、涼しい。 2、熱のない、冷淡な。 3、冷静、弱い。 4、図々しい、とあります。

 私は韓国人の体質をトウガラシ、日本人の体質をワサビに例えてみたいのです。もともと、日本人のルーツは、いまのモンゴル、ブータン、中国に始まり、朝鮮半島を経由して、日本列島に渡来し、南方系民族、あるいは土着のアイヌなどの民族と融合して始まった、と言われています。言語や文化も同じ経路をたどって日本にたどり着き、年月を経て、日本独自の文化を開花させたのです。しかし、韓国人と日本人は、世界的視野に立てば、ほぼ同一民族だ、と言っていいのではないでしょうか。顔立ちも、姿かたちも殆ど見分けがつきません。それなのに、なぜ、対立を深め合うのか?

 トウガラシが朝鮮半島にもたらされたのは17世紀後半です。日本にも、ポルトガルから輸入されました。トウガラシの利点は、どんな荒地であろうとも育つことでした。ところが、韓国では爆発的に広まったのに、日本ではかえりみられませんでした。理由の一つは気候でしょうか。韓国は日本より平均気温が低い。日本はどちらかと言えば湿気があって暑い。ホットな辛さより、鎮静作用のあるクールな辛さの方が好まれたのでしょう。

 ちなみに、日本の懐石料理にトウガラシが使われるためしは、殆どありません。逆に韓国料理にワサビが使われるのは極く稀です。韓国料理店の影響もあって、日本でのトウガラシの使用量は高まってきていますが、これは歓迎すべき現象です。できれば、韓国でも、日本の安曇野にあるようなワサビ栽培をもっと広めてみてはどうでしょう。体質が鎮静化されること請け合いです。すると、韓国人と日本人はますます見分けがつかなくなるはずです。懸案事項はおのずと自然に解決されてゆくでしょう。両国は好むと好まざるとを問わず、これから何千年も、お隣同士であり続けるのですから。 

 


2013年7月23日                 ガラケー

 今回の参議院選挙から、インターネットを使って選挙活動が出来るようになりました。紙媒体に液晶画面が加わったのです。個人の意見や質問などを、直接、候補者にぶつけることができ、候補者が個人に対して直かにメールすることも可能になりました。これは、実に画期的な出来事と言っていいでしょう。

 世はまさに、スマホ時代。電車に乗ると、座っている人も、立っている人も、スマホに熱中しています。歩きながらメールを打っている人までいます。ほんの少し前までは、親指を使って携帯のボタン操作をしていました。いまは、タッチパネルです。いかようにも操作できます。技術の進歩には驚くよりも、呆れます。

 スマホを持たず、以前の携帯のままの人を何と呼ぶか知っていますか? 〈ガラケー〉と呼ぶのだそうです。つまり、ガラパゴス的古代人扱いなのです。言いえて妙ではありますが、そこには時代の驕りがあるのではないでしょうか?

 私の携帯は、ドコモの一番古い、しかも定額料金が最も安い一件です。通話、外出時のメール、万歩計、写真撮影にだけ使っています。それと、アップルが売り出した最初のIPADを持っています。音楽、書籍、雑誌、ゲーム、囲碁対局、ユーチューブなどに使います。これは実に優れもので、専ら、ベットで使います。音楽好きの私は、パソコンで取り込んだものをIPADに同期して、好きな時に好きな音楽を聴きます。映画にも使えるので、世界の最高傑作「ローマの休日」「モダンタイムス」などを、折に触れ、繰り返し見ています。本業の本制作はパソコンです。もう、始めてから10年は経つので、あらゆる技術はマスターしている積りです。それでも、分からないことが起きます。その時は〈レスキューミー〉へ一報を入れ解決の方法を教えてもらいます。月額3000円を今も払い続けています。

 この他一体、何が必要でしょうか? スマホなど私にとっては糞くらえであります。良くしたもので、最近号のアエラで、ガラケー人種を持ち上げる記事が取り上げられていました。スマホからガラケーに戻る人々が増えているとか…  もっとも、スマホは小さな画面の上にタッチが複雑怪奇なので、年配者に不向きな面も確かにあります。IPADとガラケーの中間ぐらいの大きさのものが、これからの主流になるように思います。

 それにしても、IPADは驚きです。WI−FIという無線環境が整ったところであれば、世界のどこにいても使えます。バンコックでも、チェンマイでも、上海でも、台北でも、ヤンゴンでも、スイスでも、私は私のホームページを見ることができました。殆ど無料で接続できたのですが、ホテルの中には時間制で金をとるところもありました。紙媒体や、DVDや、印画紙による写真は有料ですが、いまや、あらゆる情報が液晶画面に無料で取り込めるようになっています。

 その意味では、選挙活動のインターネット解禁は、遅すぎるきらいがありました。

 


2013年7月18日               女性の進出

 一般企業の管理職の中で、女性が占めている割合は7.9%、官公庁では3.8%だそうです。この割合を高めて行こう、数値目標を30%にしよう、それを立法化しよう、という動きが出ています。

 社会のあらゆる分野において、近年、女性は目覚ましい活躍を遂げています。6月の朝日新聞社の株主総会で女性の役員が2人誕生しました。私の古巣、朝日学生新聞社の常務取締役はしばらく前から女性です。韓国の大統領も、今度、赴任してくるアメリカの駐日大使も、ケネデイ大統領の愛娘キャロラインさんです。

 今は夏、それも、ものすごい暑さの夏。六本木を闊歩している若い女性の服装は、極めて大胆で、かつ、ファッショナブルです。胸元を大きく開け、殊更に丈の短いワンピースを着て、脚の長さを競い合い、さながらベビードール見本市です。アラサー、アラフォーと思われる女性までもが、子供返りしているのですから、目のやり場に困ります。

 若い男性は、というと、どいつもこいつもTシャツに短パン、そして申し合わせたようにサンダル履き。ダサいのが男の見栄、と心得ているのかもしれませんが、見苦しいことこの上なしです。ちなみに女性対象のファッション雑誌は山のようにあるのに、男性のものは数えるほどです。最近の若い男性は去勢されてしまったのでしょうか? 女性が肉食系、男性が草食系に転化している、との見方は、あながち間違っているとは思われません。今回の芥川賞、直木賞の受賞者は、またもや女性でした。

 かつての受賞者である綿谷りさの受賞作品を読んだことがあります。異次元の性描写に反吐が出そうになりました。爾来、水木洋子以外の女性作家の作品には触れないようにしています。もっとも、私が今読んでいるのは白洲正子です。作家であり、美の追求者であり、白洲次郎の妻であり、二児の母でもありました。全14巻の全集を残しています。どの巻を読んでも知性と教養と深い洞察力が躍動しています。

 ベビドールの服装で、盛り場を闊歩している若い女性の、せめて何人かには、白洲正子になってもらいものだ、と思うのは、私が時代遅れの堅物だからでしょうか? 知性と教養が備わらない美しさは、単なる白痴美に過ぎないのだよ、と私は彼女らに言いたいのです。

 しかし、これからの時代は、間違いなく女性の進出を受け入れていくでしょう。それだけに、若い男性諸君の奮起を促したい。安保闘争、砂川闘争、そして大学紛争などなど、私たちは男子は若いエネルギーを持て余しながら、自分自身を高める努力をしてきました。日本はいま、四面楚歌の状態にあるのに、若い男子諸君は自分には関係ない素振りです。しかも、短パンに素足サンダルのダサい恰好で、得意げに歩き回っている。少しは女性のファッション感覚を見習え、と言ってやりたいです。

 


2013年7月17日              参議院選

  世界的に権威のあるアメリカの世論調査会社「ビュー研究所」が、最近の世論調査結果を発表しました。

 日本国民の96%、韓国国民の91%以上が、中国の軍事力に脅威と恐れを抱き、好感を持っていません。

 中国に対して好意を持つか?の質問に対して韓国では46%が好意的、50%が好意的でありません。

 それに対し、日本は好意的が5%で、好意的でないが93%でありました。

 領土問題については、日本人の82%が深刻な問題と、捉えています。

  今日もまた、尖閣諸島海域で、中国の軍艦が領海侵犯をしました。地下資源の採掘のため、海域ぎりぎりのところに、大規模な工事を開始しています。一方、今週の週刊文春は、「韓国よ、いい加減にしろ」という特集記事を掲載しています。慰安婦問題を逆手にとって、言いたい放題、やりたい放題をする韓国に対し、怒りを爆発させています。

 旅行会社の募集広告に、いままでは無数にあった中国への企画が皆無に近くなりました。韓国についても激減しています。

 民意というものは恐ろしい。いま、日本人で中国に好意的である人は5%になっているのですから。好意を持つという5%は恐らく中国と商業上の取引がある人々に限られているのでしょう。

 日中友好協会という団体が飯田橋にあります。團伊玖磨に代表される、いわゆる知識人たちが、それこそ命がけで日中の絆を強める活動を、互いの全精力を掛けて活動してきました。ところがいま、この協会は火が消えたありさまです。先達のご苦労は一体なんだったのでしょう。

 私は政治の在り方を憎みます。中国も韓国もやり過ぎですが、日本も日本です。どうして、柔軟な姿勢がとれないのでしょう? かつて、 登小平と田中角栄が「尖閣は棚上げ」とした大人の解決方法がどうして俎上にあがってこないのでしょう? 「領土問題は存在しない」と自民党はなぜ頑ななのでしょう? なぜ、そういう自民党が明後日の参議院選挙で過半数を獲得するのでしょう?

 この悲しい現実を前に、明後日の選挙で、私の一票はどの政党の誰に入れたらいいのか、悩んでいます。

 


2013年7月15日               過剰サーヴィス

 東京都民は70歳を越えると、都内を走るすべてのバスと、都営地下鉄が、年間2万500円を払うと、カードが貰えて無料になります。六本木の書道塾へ月に三回、河田町の東京女子医大へは月に一回以上通う身であってみれば、この恩恵は有り難いのですが、嫌で、嫌で堪らないこともあります。それは地下鉄構内に流れている音です。

 練馬駅も六本木駅も、都営地下鉄大江戸線の駅は、大深度地下にあります。練馬駅の50メートルは超える地下に入っていくと、いつも、小鳥の声がします。何やら種類の分からない「チッチチッチ、チイ」と声が聞こえてきます。その音は絶え間なく繰り返されます。大江戸線の他の駅でも、同じ鳴き声を聞くことがありますから、これはもう、組織的なものなのでしょう。

 何で、大深度地下で小鳥の声を聞かねばならないのでしょうか?!それも、ただ一種類の小鳥の鳴き声の、単調な四拍子の繰り返し。せめて、森の中を連想させる、数多くの小鳥の鳴き声ならまだしも…

 もう一つ、嫌な音が聞こえる駅があります。六本木駅です。大深度地下からエスカレーターで登って行くと、大音響のアナウンスが聞こえ始めます。

 「トイレはこちらです。向って右が男子トイレ、誰でもトイレ、女子トイレの順です……」

 このアナウンスが果断なく繰り返されているのです。しかも、大音響でです。日本の駅で、トイレの位置をアナウンスする例は極めて稀です。改札口に詰めているニ、三人の駅員は、この絶え間ない大音響をうっとおしく思わないのでしょうか?感覚を疑います。私は聞くたびに 「オェー」 となります。

 もう一つ、駅側はサーヴィスの積りでしょうが、乗客にとって、少なくとも私にとって有難迷惑なものに、駅ごとの列車の発車音があります。新幹線のアナウンスもテーマ音から始まります。各駅は、それぞれ趣向を凝らした発車音を聞かせるのですが、どれもこれも陳腐で、とってつけたようで、俗悪で、品がなく、正直に言ってイヤな音です。中でも最低なのは、山手線の駒込駅です。あの優雅な「さくら、さくら」を四倍の速さで鳴らします。反吐が出ます。

 外国でははどうでしょうか? 少なくともヨーロッパでは、列車はアナウンスもなく、発車ベルもなく、気が付いたら動いています。個人の静寂を破るような公共の過剰サーヴィスはありません。無さすぎると言っていいくらいです。流石です。日本の駅ごとの過剰サーヴィスを、ドイツやフランスや、オーストリアに持っていったら、人々は怒り出すのではないでしょうか?

 私は、不必要な音は聞きたくありません。私自身の静寂を破ってもらいたくありません。

 公共機関の音の過剰サーヴィスは「公害」だ、と私は断言します。恐らく、多くの苦情が寄せられているのでしょうが、廃止に動き出す機運は、いまのところ無いようです。音に関する限り、日本は、まだ、文化国家の仲間入りを果たしているとは言えません。ああ、やんぬるかな。 

 


2013年7月15日           パクチーパーテイ     

 先月29日、パクチーパーテイなるものに出席してきました。恐らく日本でただ一軒の、東京は経堂にあるパクチー料理専門店と、池袋の〈養老の滝〉が共同で開催したパクチーのシンポジウム付パーテイでした。京都大学の大学院まで出ながら、東南アジアを50か国を旅するうちに、パクチーに執りつかれ、専門料理店を開いてしまった佐谷 恭さんの講演から始まりました。パクチーはタイ語で、中国ではシャンツアイ、日本では香菜、英語ではコリアンダー、あの強烈な匂いを発する一件です。

 〈養老の滝〉の経営者も、パクチーに執り付かれた人らしく、別室で始まったパーテイ料理のすべてにパクチーが使われていました。好奇心を丸出しにして、出ている全ての料理にパクつきました。人参と牛蒡とパクチーの天ぷら、パクチーだけの天ぷらパクテン、カブとパクチーの冷製スープ、ジャスミンとパクチーで炊き上げたパクライス、スパゲッテイや蕎麦にパクチーを練りこんだパクスパに、パク蕎麦などなど。

 一通り食べてみて分かったことは、パクチーは、同じく強烈な匂いを発する食材と相性がいい、ということでした。大学で習った哲学では、二つの相異なった意見が昇華される現象を、ドイツ語でアウフヘーベンといいますが、それと同じことが、パクチーにも通用するのです。

 家に帰ってから実際に試してみました。クサヤの干物とパクチー、チーズのゴルゴンゾーラとパクチー、沖縄から土産にもらったトウフヨウ(臭豆腐)とパクチー……すなわち

 臭い × 臭い = 極上の美味

という法則が成立するという、言い換えると、味にもアウフヘーベンが行われるという不思議の発見です。こうなると、ぜひ試してみたくなる食材があります。ドリアンとパクチー、中国の臭豆腐とパクチー、韓国のアンモニア料理太刀魚の熟れずしとパクチー、スカンジナビア半島の〈シュールストレミング〉とパクチー……

 私の今日の朝めしは溶き卵二個に、擂り潰したスイスのチーズと、微塵切りにしたパクチーを入れたスクランブルエッグでした。

 


2013年7月14日             長野の丸茄子 

 7月13日は長野高校同窓会「北7会」に出席しました。墓参も兼ねていました。長野駅に着くと、東急デパートで仏花を求め、ついでに、丸茄子と茄子のオヤキも買いました。明日は宮沢君を見舞う予定にしているので、この二つをお見舞い品にする積りです。丸茄子は東京では滅多にお目にかかりません。独特の風味は茄子の王様に近い、と思っているのですが、それは、長野県人も北信地区の人たちの、思い上がりかもしれません。宮沢君も、人一倍茄子好きです。

 63人の出席者は禿げと白髪のオンパレート。そして、私もその一人。誰もが何らかの病気を抱え、クスリのご厄介になっています。相変わらず、そんな話ばかり……

 390人の卒業生の内、鬼籍に入ったのは約2割。昨年は4人、一昨年は2人、意外にみんな生きながらえています。もっとも、長野県の男性が長寿にかけては日本一であります。何故か?それは、佐久総合病院長であった若月俊一の「医療とは、医者が病院で患者を待つものではない。地域に出向き、ひざを交えて病気にならぬように全力を尽くせ」、という思想と実践活動が、全県に浸透した結果でありましょう。

 毎年、会の冒頭で物故者への黙祷を捧げるのですが、少なくとも来年、私が黙祷されるのだけは避けたい、と心から願うのでありました。

 今日、北7会の会報と、囲碁の新聞と、丸茄子と茄子のオヤキと、仲間の申し合わせで決まった僅かばかりの見舞金を持って、お台場の有明病院へ行きました。血色の極めてよい宮沢君が現れました。膀胱と前立腺を除去したので、腎臓から排出される尿は体外のビニール袋に溜まります。3時間ごとにトイレへ行って捨てるとのこと。彼はパンツを降ろしてその部分を見せてくれました。医学とは凄いことをやるものだ、とつくづくその部分に見惚れました。膀胱以外、転移は一切なかったので、抗がん剤は使わないでよろしいとのこと、これは実に凄いことで、彼は今後10年の命が保障されたようなものです。共に喜び合いました。

 そこへ、3日間沖縄へ遊びに行っていた奥さんが来たので、話は、この有明病院が、いかに優秀で凄い病院なのか、になりました。病人をほったらかして沖縄へ行く奥さんも奥さんなら、行かせる旦那も旦那です。道理で自宅の電話が3日間とも通じなかったわけです。

 思わぬ長居をしてしまった私を、夫妻は通用口まで来て送り出してくれました。病院の前がゆりかもめの駅です。この大きな有明病院に、どれだけ感謝してもしきれない気持ちになりました。病院に向かって「ありがとう」と深々を頭を下げました。

 


2013年7月4日             身体の中の同志たちへ

 私は、自分の身体の中について、いつも考えていることがあります。胃も腸も、肺も心臓も、よくもまあ、真っ暗な中で、毎日毎日、私のために働いてくれているな、と。何の楽しみがあるでなし、ただただ、私という命を支えるために、片時も休むことなく動いてくれているな、と。彼らが動きを止めるときは、私という命が尽きるとき。地獄の釜の中で業火に焼かれて灰になっていく存在……有り難くも、申し訳ない気持ちで一杯になります。

 それだけに、真っ暗な中で頑張り続けている彼らが愛しい。76年もの間、私のために、私を生かすために頑張っている同志たち。神の愛とも言うべき摂理が、ここにも厳然として存在しているのだなあ、とつくづく思います。

 親友の宮沢君が、ガンに犯された膀胱摘出のオペを受け、有明病院に入院中です。10年前に片肺切除のオペを東京医大で受け、それは完治したものの、今度は膀胱が侵されました。自宅近くの東邦医大で、掻き出しオペを数回受けたようでしたが、今回は摘出を勧められました。

 身体にメスを入れるのは出来るだけ避けよ、と言われています。ガン治療には勝れた放射線照射療法も、いまは、格段の進歩を遂げています。「セカンドオピニオンを受けに行きたまえ」と、私は躍起になって彼を説得しました。日本で5本の指に入る、有明ガンセンターの泌尿器科の福井教授の診断を受けることが出来るようになりました。しかし、診断結果は摘出オペでした。オペは6月20日に行われました。その後、腸閉塞、感染症などを併発しましたが、何とか乗り越えたようです。しかし、まだ、何本かのカテーテルが繋がっているため、面会は謝絶です。ただ、携帯メールだけは許されているようなので、送ってみたところ、彼から返事がきました。嬉しかったですねぇ。

 宮沢君は長野高校の同期生です。私が早稲田を出て朝日新聞社の販売局に入ったところ、一年前に東大を卒業した宮沢君が同じ職場にいました。爾来、五十有余年、私と彼は共にありました。私は西部本社の営業局長を最後に、朝日学生新聞社の社長に転出しましたが、彼は取締役名古屋本社代表や、監査役を歴任しました。今は二人して、六本木の書道塾へ、月に三回通っています。女性も、それもお婆さんの多い教室でオダを上げた後、近くの飲み屋へ行って、二人でダべリングの時を持ちます。あることないこと、歯に衣を着せず喋りまくります。考えてみると、それは、実に貴重な時間であることに、今さらのように気づいています。お喋りは、女には欠かせないが、男にも必要なのです。彼が一時休暇のため、一人淋しく六本木へ行くと、先生たち相手に漫才も出来ません。そのことをメールに書いてやりました。彼の返事は「ザマアミロ!」

  この歳になると、同期生や同僚だった友人たちが、次々に病に倒れていく報に接することが多くなりました。会報などの死亡欄を見て、「あの人も!」「この人もか!」と、慨嘆することが多くなりました。

 次は間違いなく自分の番になるのでしょうが、男性の平均寿命である79歳までは、何としても頑張りたい、と私の身体の中の、心臓や、肺や腸や、胃や脳みそ君らに語りかけている毎日であります。

 


2013年6月27日                悪化の一途

 二月に就任した韓国の朴大統領は、日本には就任の挨拶なしに、中国へ行ってしまいました。国賓として遇され、習近金主席と共同声明を出しました。「北朝鮮の核武装には反対する」「歴史認識を正しく認めるべきである」。日本とは名指しこそしませんでしたが、二国は日本と敵対して共同戦線を張る合意をしたのです。一方、アメリカは、尖閣問題で「日本を刺激するな」とオバマ、習会談で釘をさしてこそいますが、この問題で中国とコトを構える気がないことも次第に明らかになっています。

 いったい、何時からこうなってしまったのでしょう。返す返すも、民主党政権時代の外交政策での優柔不断が悔やまれます。

 一方、安倍政権は極端に走り過ぎます。中国へ政権交代の挨拶もせず、韓国との外交ルートも断絶のままです。参議院選挙で勝利した勢いで憲法改正に向かって突き進むでしょう。世界に対して、日本が武力を保持することを謳うのです。

 この変化が及ぼす影響は、海外へ出てみると痛いほど分かります。中国からの日本への団体旅行客は極端に減りました。成田空港は以前にも増して閑散としています。日本の旅行社の中国や韓国へのツアー企画は見かけなくなりました。ところが、台湾へ行くと中国本土からの団体が溢れんばかりです。タイも、ヨーロッパも中国、韓国の旅行者で一杯です。バンコックのスワンナブーム空港は恐らく、世界一の賑わいではないでしょうか。日本のオバちゃんによる韓流ブームも下火です。新大久保も普通の駅並みになってしまいました。「そんなにいいなら、ソウルへ行け、このババア!」と 若者から罵声を浴びせられるそうです。

 思うに、日本人の大部分が、心の底では、中国、韓国に対して怒りを感じ始めたのではないでしょうか? でなければ、憲法改正の世論調査で、あれほどの多数が「その必要がある」と回答する蓋然性がありません。

 ちっぽけな島の領土問題。それがために、莫大な経済的損失をお互いが蒙っているこの現実。古来からお隣同士は仲が悪いもの、と決まっていますが、それにしても、ここまで悪化してしまうとは……

 


2013年6月26日              臭いが旨い

 大昔、京都の友人から、琵琶湖の鮒ずしを送って貰いました。臭いが漏れるため、厳重に包装されていました。それでも、その包は異様な臭いがしました。恐る恐る開けてビックリ、強烈な悪臭が立ち込めました。「こんなものが食えるのか!」 ところが、箸でつまんで口に入れ噛みしめるや、その旨さに仰天しました。異次元の美味でした。お茶漬けでも味わいました。「世の中に、こんな旨いものがあったんだ!」

 いま、琵琶湖では鮒が取れません。釣り人が放したブラックバスが、鮒を食べてしまったからだ、といいます。地元ではブラックバスの熟れ寿司を売り出しているようですが、そんな悪者を食べる気は全くしません。

 神津島へ行ったときです。クサヤの干物の製造所へ行きました。どぶ泥よりなお臭い液体の中に、サバの開きが浸かっていました。その悪臭たるや……当時、真空包装などありませんでしたから、厳重に包んでもらって持ち帰りました。弱火で焼くと、いたたまれない臭いが立ち込めます。悪臭なのか、それとも芳香というべきか…… その、クサヤ、私の亡くなった母親が好きでしたね……

 沖縄に、豆腐を発酵させたトウフヨウがあります。爪楊枝でつまんで、ほんの少々を口に入れ、泡盛の古酒で流し込みます。昭和36年、初めて沖縄へ行った時からからのならいです。中国の四川に臭豆腐があります。奇妙奇天烈な臭いと味を持っていました。

ミャンマーの朝市を物色して歩いていた時、強烈な悪臭が立ち込める一角がありました。魚介類の干物売り場でした。もはや、腐敗臭なのか、発酵臭なのか区別がつきません。

 私は食べ物の旨さの極致は、発酵食品にあり、と断言してはばかりません。一般の納豆や、粘り気のない大徳寺納豆なども、発酵食ではありませんか。

 ただ、これだけは御免蒙りたいという発酵食が一つあります。韓国の釜山あたりで有り難がられている太刀魚のなれ鮓です。強烈なアンモニア臭を発するので、汗をかき、涙を流しながら食べるそうです。宴会での必需品だそうで、これを目当てに人が集まるそうです。しかし、アンモニア臭を愛するなんて世間は広いですなあ。

 世界で最も強烈な発酵食品は、スカンジナビア半島にだけ存在する、〈シュールストレミング〉 という缶詰です。ニシンを缶詰に封じ込め、発酵を待ちます。缶は、高まった内圧で膨れて、まんまるになります。その缶詰は屋内では決して開けません。強烈な匂いがあたり一面に飛び散るからです。旨さの極限が凝縮されているそうです。死ぬまでには食べずにおらりょうか、との思いでいっぱいです。

 私の昨夜の晩酌のお供は、瓶詰のクサヤと、カツオの内臓の発酵物である酒盗と、チーズでした。そういえば、チーズこそ乳酸発酵の極致をゆく発酵食品でした。忘れていました。

 


2013年6月25日              トンネル

 スイスは武装中立国です。航空機や戦車、武器、弾薬は、一体どこにあるのでしよう? 平地ではそれらしき格納庫など、全く見かけることがありません。すべて、山のどてっぱらをくり貫いたトンネルの中だそうです。

 日本は長野県の松代で、広大な地下空間に入ったことがあります。戦争の時、万一を慮って天皇の安置所、並びに大本営にする積りだったようです。その一部が観光コースになっているので、つぶさに見ることが出来ました。その大きさには呆れました。今は、地震研究所になっています。

 地下鉄の桜田門、永田町の地下駅のそのまた下に、広大な地下空間があるのをご存じでしょうか? 巨大なシエルターが東京にもあるのです。

 中国の政治の中心は中南海です。天安門広場から5,6キロ離れています。その両者を結んでいるのが巨大なトンネルです。二両編成の秘密の電車が走っているといいます。軍隊も移動できます。天安門事件の時、群衆に分からず軍隊が天安門城壁に到着し、民衆に向けて発砲しました。このトンネルを使ったそうです。

 良いトンネルもあります。信濃大町の扇沢から破砕帯の難関を乗り越え、黒部の倉之助平に通ずる関西電力のトンネルです。トロリーバスが観光客を運んでいます。ところが、もっと大きな地下空間がそこから広がっていました。トロッコに乗り換え2キロほど進むと、巨大なエレベーターが待っています。500メートルほど降りると、そこは、地下発電所でした。特別な許可を貰っての見学でした。供された昼飯は特製の幕の内弁当でした。格別の味がしました。人間というものは、ドエライことをしでかすものだ、と驚嘆しました。でも、黒部の揚水地下発電所は、いま、存在価値が低くなっているそうです。

 ベトナム戦争は、アメリカがあれほどの大作戦をとったのに、負けてしまいました。ホチーミン側の勝因はなんだったのでしょう? トンネルが勝利を導いたという説が有力です。北側は網の目のようにトンネルを掘ったのです。そこに、兵士が潜んでいて奇襲攻撃を仕掛けた、と言われています。

 映画「大脱走」も、鍵を握ったのは、トンネルでした。

 私はそのトンネルが見たくてたまりません。かてて加えて、ベトナム戦争とはなんだったのでしょう?戦後三十年余り、いま、ホーチーミンとハノイはどうなっているのでしょう? 戦火に痛めつけられた市民達の生活は、どんな塩梅になっているのでしょう?

 11月21日から一週間、ベトナムの両市へ行って参ります。余りにも無益だった戦争の傷跡を見てきたいと思います。すでに、予約航空券の払込を済ませました。

 


2013年6月23日                

 ピアニストにとって、手は最も大事な商売道具です。一般にショパンを弾く場合は手のひらと指は平行に、ジャズを弾く場合には、指を立てて弾くことが多いです。ピアノの鍵盤は指に圧力を加えれば音は出るのですが、指に加える力加減によって、音の質が微妙に違ってきます。ピアニストはそれをタッチの差と呼んで、最良の音を求めてしのぎを削ります。不必要な力を排除して、腕と手のひらと指の重さだけで弾くのが最良とされます。すると、ピアノ自らが、最も良い音質で鳴ってくれるのです。

 小山美智恵、仲道育代などは、当代一流の女流ピアニストですが、残念なことに、フォルテシモの部分で指を立てて弾いています。すると、音質が違ってしまいます。昔のコルトーやホロビッツ、それにポリーニなどには、そういうことはありません。最初から最後まで、指の形は同じです。だから、音質も一定していて、聴いていて心地よいのです。

 ひょんなことから、ユーチューブで盲目のピアニスト辻井伸行のピアノテクニックを、一時間余にわたって見ることが出来ました。指揮者との練習風景で、ショパンの一番とラフマニノフの二番の全曲リハーサルです。舌を巻いてしまいました。余りにピアノタッチが凄かったからです。さして大きくない手のひらと指が、鍵盤上を奇蹟のように舞い踊ります。決して余分な力などかけません。指を立てて弾く場面など、一度もありませんでした。音質は安定し、スタインウエイピアノの本来持っている音が鳴り響きます。更に驚異だったのは、二曲弾く間に、ミスタッチは一つもなく、音のカスリさえなかったことです。しかも、彼は盲目なのです。鍵盤は見えないのです。演奏の間中、彼は首を前後左右に回し続けます。それだけは見苦しいのですが、なに、音さえよければ恰好などどうでもいいでしょう。

 彼は産婦人科の父と、テレビアナウンサーの母との間に生まれました。不幸なことに、生まれた時から目が全く見えません。二歳の時、母親が歌うジングルベルを卓上ピアノで伴奏しました。母親が唄う歌は即座に覚えてピアノで再現したといいます。10歳の時にピアノコンクールで優勝しました。母親は彼を連れて、ウイーンまで行って、同じく盲目のピアニストで一世を風靡した梯(カケハシ)宅を訪れ、指導を仰いでいます。更に、ピアニスト横山幸雄が6年間、彼を指導します。余談ながら、彼の奥さんは元日本フィルの事務社員で、私の大学時代の友人の後輩です。私が宣伝部長の時、何度か仕事上でのお付き合いをしました。築地のすし屋に二人を連れて行ったとき、横山幸雄に見初められた話を聞きました。点字の楽譜があるとはいえ、辻井信行が今日あるのは、横山幸雄の指導があったからだ、と私は思います。横山幸雄を褒めたい気持ちです。

 20歳のとき、つまり昨年、彼はバンクライバンコンクールで優勝します。日本人では初の快挙です。予選ではリストの「ラ・カンパネラ」を弾きました。聴いてみると、ニ、三か所の音のカスリがありましたかね。しかし、聴衆の大喝采を浴びました。そして本番。ショパンとラフマニノフです。優勝の瞬間、彼の母親は一瞬呆気にとられ、次の瞬間、泣き崩れました。彼も勿論凄いが、母親も凄い。思わずグッときてしまいました。

 ピアニストというものは、他のスポーツ選手と同じで、腕と手のひらと指の運動家です。スポーツ選手が40歳前後には引退するのと同様、身体機能は衰えるのですから、退け時を悟って、ソロの演奏活動から徐々に退くのが本当の姿です。昔、来日した80歳のホロビッツを聴きに行ったことがありましたが、30箇所ではきかないミスタッチがありました。吉田秀和が「壊れた骨董品」と揶揄しました。「チケット代に値しない」、という私のホロビッツ評が音楽雑誌に掲載されたことがありました。爾来、どんなに有名でも高年齢の演奏家の音楽会は敬遠することにしています。

 辻井伸行はいま若干21歳、これからの20年が楽しみです。人生の陰影が彼の音楽にどんな影響を与えるようになるのか、見守っていきたい思いです。

 私は、いまを境に、盲目のピアニスト辻井伸行の追っかけファンになります。

 

 

2013年6月21日          言わずもがな

 スイスの旅のエッセイをお読みいただき、ありがとうございました。ただ、時系列が反対になっているので、読みづらい点があります。順列を替えればいいのですが、大変面倒なので、このままにしておきます。申し訳ありません。旅をしている最中、日本では維新の会の橋下共同代表の発言が、問題になっていました。戦時中の慰安婦についての一連の発言です。

 朝日新聞記者に松井やよりという女性記者がいました。昭和36年入社は私と同じで、紅一点でした。なかなかの美人で注目を浴びていました。販売店所長の韓国、台湾への団体旅行が、買春旅行であると月刊文芸春秋ですっぱ抜き、当時、大問題になりました。それからというもの、彼女は女性問題の専門家を気取り始め、止せばいいのに、朝鮮人による慰安婦問題を綿密に取材し、紙面で取り上げさせました。松井やよりはすでに死亡していますが、慰安婦問題は、いまでも韓国と日本のわだかまりになっているのは周知の通りです。

 慰安婦という軍隊の恥部は、十字軍の昔に始まり、世界中の軍隊がその内部に抱えていた問題です。歴史がそれを証明しています。ただし、恥部は恥部であって、決して公にはならない、また、公にしてはいけない、いわばタブーとして語り継がれてきました。ところが、松井やよりのおかげで、朝日新聞は、タブーの領域に踏み込んでしまったのでした。人間蔑視の、人権無視の歴史的事実は、世界に共通する戦争の汚点であるだけに、何も、改まって言う必要はなかったのでした。松井やよりと、当時の朝日新聞編集幹部はタブーの領域に踏み込んだのです。

 維新の会の橋下は、政治家でありたいならば、タブーへの領域への発言は厳に慎むべきでした。いかに、発言そのものが正論のように見えても、「言わずもがな」なのであります。

 惜しい、つくづく惜しい、と私は思います。あたら有能な政治家が、ものの見事に失墜してしまいました。

 しかし、私は、今度の選挙では維新の会に投票しよう、と思っています。橋下はダメでも、新しい政治への動きは、確実に維新の会にあります。この舌禍事件を乗り越えていくエネルギーは、維新の会の下部機構に存在しているに違いない、と私は見ています。そして、10年後、、世間がこの事件を忘れたころ、橋下が復活を果たす、という夢を見ています。

 

 

2013年6月14日              親切

 ヘッドライト

 日本の車がヘッドライトを点けるのは、夕暮れからと決まっていていますが、スイスでは真昼間でも点灯したまま走っています。どうやら車の点灯は交通ルールのようでありました。山間部の殆どは日光のイロハ坂など問題にならないカーブの連続です。その上、霧が発生しやすく、お天気は猫の目のように変わります。対向車がヘッドライトを点灯していると、運転上、非常に安心なことが理解できました。

 ワイン

 スイス国産のワインは、殆ど世界市場に出回っていません。スイス人が自家消費してしまうからです。コープでは、廉いものでボトル一本800円程度、高いもので2500円前後。殆どが白ワインです。5,6種類を買って飲み比べてみましたが、ドイツのワインのようなフルーテイなものは少なく、ドメステックで、重いものが多かったようです。昼の時も、夜の食事の時も、「お飲み物は?」と聞かれるので、スイスのワインだけを注文しました。ぶどう畑はいたるところの斜面にありました。南側急斜面が活用されていました。まさに芽吹きが始まったころで、それが、雪に覆われているのをあちこちで見ました。それはいじましい光景でした。

 大柄

 オランダ航空のCAさんは、皆大柄です。通路一杯になってのサーヴィスです。トイレへいくためのすれ違いなど、殆ど不可能です。アムステルダムのスキポール空港へ着いて驚きました。税関も、検査官も、お店の店員さんの男も女も、みんな大きいのです。圧倒されました。東洋人も歩いていますが、まるで子供のようです。聞けば、ヨーロッパ人種の中で飛びぬけて大きいのがオランダ人とか。何で?と聞くと曖昧な返事しか返ってきません。

 親切

 スキポール空港に着いて、ジュネーブ行きに乗り換える際、これからの8日間のベット酒にしようと、ジャックダニエルを一ビン免税店で買いました。小瓶だったので18ユーロ払い、受け取ったビニール袋を左手に持ち替える際、落としてしまいました。鈍い音がして、あたり一面ウイスキーの匂いが立ち込めました。どうしよう、これは自分の不注意だから買いなおそう、と思った矢先、店の小父さんはその一件を受け取り、奥へ入ってモップを持った女店員を呼び、拭き掃除をさせながら、新しいビンを棚から取り、再び包んで笑いながら差し出してくれたではありませんか! 嬉しかったですね…… 帰りにはまたここへ寄って、何がしかのお土産を渡し、チーズなど大量に買ってあげよう、と心に決めました。

 ところが、帰りは、広大なスキポール空港中から、おじさんの店を探し出すことが出来ず、100ユーロのチーズを他の店で買ってしまいました。小父さんに借りが出来ました。日本のささやかなお土産を持って、再び、スキポール空港へ行くことが出来るのか、どうなのか……

 

 

2013年6月13日                神の音  

 680万の人口のうち、60万人が住むチューリッヒは大都会です。首都のベルンやジュネーブより活気のある商業都市です。始めの計画は、東京からここまでの航空券を買い、ここのホテルに滞在して電車でスイスのあちこちへ出かけようというものでした。自分の好き勝手に旅を作ろう、と思ったからです。でも、途中で思い直し、JTBの小人数のツアーに切り替えました。結果的にはそれが正解で、お蔭で、キメの細かな変化に富んだ旅になりました。若いときなら、四苦八苦しながら自分なりの旅も造れたでしょうが、この歳では、切符を買ったり、地図と睨めっこしたりするのが億劫になっています。だいいち英語は片言しかしゃべれず、大学ではフランス語はやったのですが、「ボンジュール」、「メルシボークー」位しか記憶になく、ドイツ語に至っては「イッヒ、リーベ、デッヒ」しか言えないのですから……

 チューリッヒの中心街には、三つの大きな教会がありました。それぞれ趣があって、キリスト教がいかに住民と深い拘わりをもっているかを、改めて知りました。三つ目の教会堂に入ったとき、パイプオルガンが鳴っていました。演奏会のためのリハーサルらしかったのは、時々弾き直しをすることから、それが分かりました。バッハやヘンデルや讃美歌の類ではなく、それは前衛音楽に近い今まで耳にしたことのない音の配列でした。聞きほれました。身体中に戦慄が走りだしました。私には妙な性癖があって、良い音、良いフレーズを耳にすると、身体が震えてくるのです。いま、まさにそれが始まりました。同行者の時間のことなどすべて忘れて、ひたすら、音の洪水の中にわが身を投げ出していました。

 その音は、日本に帰ってきてからも、耳の底にこびりついていて離れません。「あれは神の音楽だ。私を招く音だ」 と思うようにしています。高校時代は長野教会に通い、小原福治先生、藤沢一二三先生の薫陶を受けました。どれだけキリスト教の本を読んだことでしょう。波多野精一の宗教哲学と「死海の書」が私の卒業論文でした。でも、今もって、キリスト者になり得ていません。こちらから向こうまで、崖を飛び越えることが出来ないでいるのです。ロマ書の中でパウロが言っています。「もはや、我生きるに在らず、キリスト我が内に在りて生きるなり」 私はどんなにそうなりたいと思っていることでしょう。

 

 

2013年6月12日                黒い箱

 ツエルマットで泊まったホテルに入る四つ角に、人の背丈ほどもある黒い箱が並んでいました。新聞や雑誌の絵が描かれたもの、ダンボールの絵のあるもの、字は読めませんでしたが、恐らく、生ごみとプラスチックと書いてあるんでしょう、大きな箱が並んでいました。

 ルツエルンの街の広場にもそれがありました。折からゴミ収集車が来てその黒い箱を、車の後部に取り付けると箱はスルスルと登って行き、斜めになったかと思うと、蓋が開いて箱は180度回転し、中のゴミが車の中に空けられます。そしてまた同じ道を通って、その大きな箱は道路に戻り、カラカラと滑車の音を立てて広場の一角に戻ります。その間20秒足らず。面白いので、しばらく、収集車に付いて歩きました。

 その気になって見ると、街の目立たない至る所に、四つの箱が置いてあります。なるほど、観光立国だけあるなあ、と痛く感心しました。

 一月に行ったミャンマーのヤンゴンはどうだったでしょう。空き地はゴミだらけ、オンボロ山手線の敷地内は、50年前からのゴミがが山積み。一日何万人も利用するに違いない連絡船の船着き桟橋の下は、悪臭フンプンの下水が流れ放題。イタリアのローマの公園もそうでした。散歩道路も空き地も犬の糞だらけ。ローマは犬の糞まで遺跡にする積りか?と憤ったものでした。

 一般に、生活ゴミに対する考え方が、その国民の民度を測る基準になるのではないか? と思えてなりません。日本もかってはひどかったですが、分別収集が始まってからは、プラスチックス袋に入れて、定められた日に出す、という習慣が定着し、文明国の仲間入りをしました。でも、観光地はスイス方式を学ぶべきです。ミャンマーや東南アジア諸国は、公徳心の教育に力を入れることから始めなければならないでしょう。その点、小さな国ですが、シンガポールがお手本です。道でつばを吐いても罰金です。タバコの吸い殻投げ捨ては禁固刑です。犬の糞なら死刑でしょう。

 ルツエルンでは湖水から流れ出る川に、二つの木造の橋が架かっていました。川を境に新市街と旧市街とが分かれるとのことですが、なぜ、二つの橋が曲がりくねって建てられているのか?きっとへそ曲がりが建てたに違いない、と思うことにしました。 

 

 

2013年6月11日              三度目のアイガー

 翌朝、外は猛吹雪です。「こりゃ、ダメダ」と観念しました。激しい交通渋滞が予想され、積雪のため、登山電車は動けないに違いない、勝手に想像逞しくしていました。迎えの車に乗り込むと、吹雪はこの山一帯だけで、下界は一面の緑でした。やれやれ、と胸をなでおろしました。

 ローターブルンネンからお馴染みの登山電車です。終点のクライネシャイデックで乗り換え、今度は反対側のグリンデルワルトへ降りてきます。つまり、ユングフラウ三山の麓を一周できることになります。途中、グリンデルワルトと共に有名なベングワルトに停車しました。長期滞在型のレストランホテルがこれ見よがしに林立しています。

 なぜか、私は、スイスに住みたいとは思いません。ホテルのほとんどが高所の傾斜地に立っているし、物価は高いし、チーズとパンの他、美味しいものはないし、人はどこかよそよそしいし、観光客でごった返しているし…… スイスは丁度、京都のよそよそしさに似ているのではないでしょうか。

 若い時なら、登山やトレッキングに時を忘れもしましょうが、いまや、山はただ見るだけの存在……おまけに、血中の酸素濃度が低いから、2700メートルまでが限度だよ、診断されてしまっているのです。登り電車の終点のクライネシャイデック(2061メートル)へ着きましたが、アイガーのドテッパラを突き抜けてユングフラウの傍(3451メートル)まで行ける電車には乗れずじまいになりました。その代り、二時間たっぷり、時々、その頂上が雲に遮られるアイガーと対峙することができました。さすがに、いまの季節、北壁にへばり付いているクライマーはいません。

 アイガーからの氷河が、いつも見られるグリンデルワルトは穏やかないい街です。歩いて10分ほどの教会へ行きました。教会裏の斜面には無数のお墓があり、花が咲き乱れています。こんなお墓に埋葬されたいな、でも、冬は寒いだろうな、と思いました。クライネシャイデックには「日本の作家ここに眠る」新田次郎の墓があります。始めて来て、この墓を見たときは感激しましたが、今回も雪をかき分けて墓まで登り、積もった雪を払いのけてあげましたが、何やらキザったらしく、興ざめしました。

 自動扉になっていて、誰でも入れる教会堂に入ると、アプライトのピアノがありました。私たちの他、誰もいなかったので、シューマンの「麗しき5月」を弾きました。続いて「サンライズ・サンセット」「兵士が戦場へ行くとき」などなど。良い音が鳴り響きました。きっと、冥途の土産になることでしょう。讃美歌をやりたかったのですが歌集がありませんでした。献金箱がありましたので、小銭をジャラジャラと入れました。小奇麗なカフェで本物のカモミールのお茶とケーキをいただきました。至福の時が過ぎてゆきました。

 次はルツエルン、チューリッヒと旅は続きます。

 

 

2013年6月10日                 歌うドライバー

 8時45分、ツエルマット発サンモリッツ行きの氷河特急は、ツエルマットを発車しました。馬力のありそうな電気機関車に牽引された10両の客車は、天井までガラス張りです。四人掛けテーブルにはすでにランチョンマットやワイングラスが置かれ、頼めば食事が供されます。1604メートルのツエルマットから658メートルのフィスブまで約1000メートルの勾配を下って行きます。絶景の連続です。氷河もあり、壮絶な山崩れの現場を横目で見ながら、ジグザグにユックリ、ユックリ下って行きます。特急どころか鈍行以下です。

 両側の山の急斜面に家が立ち並んで、集落を作っています。中心らしき所に教会が見えます。畑もなく、樹木もまばら、恐らく、牛や羊の放牧だけで生計を立てているのでしょうが、よく、あんな斜面で生活ができるものだと思います。仮に、寝ぼけて、転がり落ちでもしたら500メートルは転落です。

 やっと、平地にたどり着きました。フィスブからブリークへ。列車はようやく特急らしくなりました。ところが、また、速度が極端に落ちます。アンデルマットまで1000メートルの勾配を登りはじめたのです。私たちは、出発してから3時間後のアンデルマットで降りましたが、この氷河特急は2013メートルのオーバーアルプまで行って、今度は1500メートル下ってクールを経て、また、1200メートル登って、ダボスを経て、サンモリッツまで行きます。何ともご苦労なことですが、恐らく、こんな急勾配を上がったり下がったりする鉄道の旅は、ここ、スイス以外にないのではないでしょうか?

 寂れた田舎町アンデルマットで下車し、昼食をいただくと、インターラーケンに向かう車が待っていました。ドライバーは中年の紳士です。シンギングドライバーという縫込みのあるチョッキを着ていました。グリンデルワルトに住む、ヨーデルの歌い手で、この地方では知らぬ者がいないという名士だそうでした。会うやいなや、他の日本人団体がいる前で、すかさずヨーデルを披露し、喝采を浴びました。インターラーケンへの道すがら、寄り道にはなりますが、と言って自分の親のお墓のある教会へ連れて行ってくれました。そして、歌いだしました。ヨーデルを、です。残響のある教会堂だけにその効果は抜群です。彼は自分は4オクターブ出ると言いましたが、勿論、裏声も含みますが、並みの歌手に出来ることではありません。普通の人間は1オクターブ半、訓練して2オクターブ、プロでさへ2オクターブ半です。彼は、地元のヨーデル大会で優勝を総なめしているそうですが、さもありなんです。大きな特徴は、彼には絶対音感がある、ということでした。教会で三曲歌ってくれましたが、一音たりとも音程を外しませんでした。舌を巻きました。音楽的にあまりに褒めたせいか、彼は、私たちを彼が行き付けの喫茶店に案内し、ご馳走してくれました。おまけに、そこの名物のお菓子までお土産に……

 私たちを気に入ってくれたのか、彼は自分の生家にまで案内してくれました。二本の滑走路のある軍事施設の近くでした。彼が通った小学校も見せてくれました。片側の300メートルはある崖には滝がありましたが、その近くまで行って、滑走路に続く道を指さし、「この崖の中には戦闘機が75機隠されている」と打ち明けてくれました。そうなのです。スイスの平地は滑走路だらけなのです。高速道路さえ滑走路に早変わりする国なのです。

 別れるとき、彼のCDを25フランで買ってあげました。チップも多めに渡しました。翌日、グリンデルワルトの街の土産物屋で、彼のCDが山と積まれ、32フランで売られているのを知りました。

 車はトゥーン湖を右に見ながら、インターラーケンの街を迂回し、アイガー(3970メートル)、メンヒ(4107メートル)、ユングフラウ(4158メートル)を一望できる山の中腹の瀟洒なホテルに到着しました。500メートル下はブリエンツ湖です。私は過去二回インターラーケンに来ているのですが、一回目はただ、インターラーケンの駅だけ、二回目は夜中到着の早朝出発だったので、この街が、二つの湖水に挟まれた極く小さな街であることを見落としていました。

 ホテルの部屋のベランダに出ると、生憎、お目当ての三山は雲に隠れていましたが、目の前の雪を頂く峰が夕日に照らされて、一瞬、輝いたり、湖水が霧に包まれたかと思うと、いつの間にかその全貌を現わしたり、目まぐるしく変化する景色は、見ていて飽きることがありませんでした。

 明日こそ、この旅のクライマックスであるアイガー北壁との対面です。お天気だったらいいなあ、と願わずにはおられません。

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