最近のエッセイ

2016年3月30日      過密ダイヤ

 海外航空券を買う時は、なるべく羽田発着を選ぶようにしています。成田は遠いし羽田に比べて運賃が高いからです。日暮里からスカイライナーに乗れば35分で着くのですが、自宅から成田まで3000円かかります。帰りは荷物が重いので空港バスで池袋まで来て、タクシーを使うのですが、運賃の合計は一万円を超えます。羽田だと、行きは450円、帰りは140円で済みます。エライ違いです。なぜか。それは一年ごと更新の都営メトロ、すべてのバスの無料券を持っているからです。東京都が発行する高齢者優遇措置によるものです。年間20500円払えば、大江戸線などの都営メトロが無料です。しかも、浜松町で京浜急行に乗り換えるのですが改札がありません。泉岳寺ー羽田間450円払えばOKとなります。帰りは140円の切符を買って乗込めば自宅まで無料で来てしまいます。310円のキセル乗車ではありますが、改札が無いことの方が問題でしよう。京浜急行の終点三崎口、逗子、横須賀、横浜へ行っても帰りは140円です。最近は月に一度川崎で行われる囲碁の会へ行くのですが、これも帰りは140円にさせてもらっています。

 そんな訳で、このところ京浜急行に乗る頻度が高いのですが、ここで問題にしたいのは京浜急行の過密ダイヤのことです。電車は次から次へと到着するのです。殆ど待つことがありません。しかも、ラッシュ時以外は座ることが出来ます。もう一つ特筆したいのは運行速度が速いことです。その原因はJRや私鉄各線のレールが狭軌であるのに対し、この電車は広軌です。120キロ前後で飛ばします。最近、品川から空港特別快速が出来ました。途中のすべての駅をすっ飛ばし、あっという間に羽田です。日暮里ー成田間の35分も早いが運賃がベラ高です。大体、京成電鉄の北総線はキロ当たり運賃が高過ぎです。京浜急行を見習うべきでしょう。

 その京浜急行の運転司令室がテレビで放映されました。一元管理をしているのですが、大きな特徴はコンピューターに頼らず、人間力で万事処理していることです。ポイントの切り替えも人間力でやっていました。二重、三重の確認作業をしながら、人間が指差呼称していました。コンピューターは信用ならないというのですから、これは驚きでした。

 この路線に比べれば、私が子供の時からお世話になっている西武新宿線、西武池袋線など幼稚なものです。運転間隔は空きすぎ、満員にならないと発車しない、路線の高架化が遅々として進んでいない、開かずの踏切が沢山ある、西武線は今もって田舎の鉄道の域を出ていません。小学生の時は新井薬師、大学の時は上井草、勤め出して椎名町、家を作って中村橋。私の生涯は西部沿線から出ることはありませんでした。せめて、一度でいいから京浜急行沿線に住んでみたかったなあ。

 

2016年3月28日      日本の車と鉄道車両

 今年の一月、アラブ首長国連邦のドバイへ行ったとき、何気なくメトロに乗っていましたが、このモノレールは日本の日立が作った車両であることを、今になって知りました。5分間隔で運行され6両編成のこの車両は、全体で300両ほどドバイを走っているそうですが、はるばる日本から、その形のままで運ばれて来たものだったのです。そうと知っていれば、もっと、シミジミ乗るのでした。日本から大型貨物船で陸揚げされても、交通規制があって、車両基地まで運べません。苦労に苦労を重ねてようやく運行できるようになったらしいです。

 インドネシアにも、日本の中古車両が運ばれて大活躍しています。タイにも、ミヤンマーにも大量の日本の中古車輌が運ばれ、大活躍し始めています。日本で使われていた行く先表示などの看板が消されずに、そのまま残されて走っているのがご愛嬌です。ベトナム、カンボジア、ラオス、タイでもそうでした。つまり、それが一種のステイタスになっているようでした。

 日本の中古鉄道車両、中古乗用車、貨物車が東南アジアで、我が物顔で走っている数は何と多いことか。流石に、ドイツの車も多いですが、アメリカ車、韓国車、中国などは、ほとんど見かけなくなりました。ミヤンマーのヤンゴンへ行ったとき数えてみたのですが、10台の内8台が日本車でした。ミヤンマーで英語の分かる現地の人と話をしました。「日本製の車は中古であっても性能がいい、燃費がいい、運転が楽だ、長持ちする、故障しない」とのことでした。実に誇らしい気持ちになりました。

 新幹線を主体とする日本の鉄道技術が、にわかに脚光を浴びだしました。世界に例のない定時運行ができていること、一分刻みのタイムテーブルが厳格に守られていること、新幹線は開業以来重大事故がないこと、しかも、乗り心地がよいことなどなど。観光に来た外国人は一様に驚きを隠せないでいます。外国人観光客はこのところ鰻登りに増え、新幹線の中も外国人だらけです。東京銀座も、京都も外国人で埋まっています。過密ダイヤなのに定時運行されている日本の鉄道に驚嘆し、その感動を母国に持ち帰り喧伝します。彼らに言わせれば、日本の鉄道技術は世界一だそうです。外国人が大挙して押し寄せるに及んで、われわれ日本人にとっては極く普通であることが、世界的に持てはやされだしているのです。

 円安の効果がこんなところにも及んでいるのだなあ、と鉄道技術世界一の日本を改めて誇らしく思います。

 

2016年3月26日          ゴルフ

 毎年3月31日前後に、川崎国際生田緑地ゴルフ場でプレーするのが恒例になっていました。メンバーは宮沢、前島、原山のお三方と私。プレーが終わると談話室で囲碁の対戦。このメンバーによるゴーゴー作戦は清里の北の杜カントリーでも、しばしば一泊で行われていました。しかし、今年からは宮沢君が永久欠場です。替わりに囲碁メンバーの畑尾くんが入って23日にやりました。

 桜は一分咲きです。遇えるのを楽しみにしていたミモザの黄色い花は満開でした。コブシも咲き乱れていました。花粉が舞い踊っている以外、シチュエーションは申し分なかったのに、スコアだけはゴルフ人生最低となりました。

 球が上がらない… バンカーで5つも叩く… スリーパットの連続… おまけに足腰に痛みが走る… 歩き回るのが苦痛にさえなってくる…

 考えてみれば、10月の北七秋のゴルフで優勝して以来のゴルフではありました。12月には私のメンバーコース「埼玉ロイヤル生越コース」で2回はやることになっていたのに、長沢、北村両君の体調が悪く、場が立たなかったのも影響しているでしょう。練習場へも行かず、体調を整える運動もせず、いきなり半年振りにクラブを握ったのでは、ゴルフの神さまの怒りを買うのも当然だったかもしれません。

 なぜ、そうなったのか?、つらつら考えると、長い間一緒にゴルフをやってきた仲間が一人消え、二人消え、そして最大のライバルだった宮沢君までもがあちらへ逝ってしまい、気が付いてみると私しか残っていない、という現実がありました。

 軽井沢の晴山ゴルフ場を皮きりに、四季折々に行われた自称新聞四天王による激烈な戦いも、既に、山崎、内山君が戦線を離脱し、リーダーの宮沢君までもが居なくなってしまったのです。

 考え方を変えることにしました。ゴルフが出来ることだけで有難いのだ、と思うことにしました。山野を跋渉するだけで、それでいいのだ、スコアなどどうでもいいのだ、と思うことにしました。

 次回は5月19日の北七春秋ゴルフです。前回優勝している私としては、今回のような無様はゴルフは出来ません。近くの練習場に日参し、練習プロについて一から鍛え直す積りでいます。願わくは、85歳までクラブを振っていたいものです。日々、軽い運動を飽きずに取りいれながら、その日を迎える積りです。

 

2016年3月22日          イ キ       

 (18日から今日の午前6時まで、このホームページのプロバイダーが大がかりなメインテナンスに入り、書き込みが出来なくなっていました)

 これをいいことにした訳ではありませんが、予てから再訪したいと思っていた九州は佐賀唐津、壹岐島、平戸、佐世保へ行ってきました。阪急交通社主催の39名による団体旅行への参加です。2泊3日で43000円。

 2年間の西部本社営業局長の時、唐津へ入っています。料亭で白魚の踊り食いを経験しました。どんぶりの中で泳いでいる白魚を小網で掬いとり、酢醤油と共に喉へ流し込むのです。ピチピチ跳ね回る喉越しの感触が堪らない、というのですが、旨くも何ともありませんでした。でも、もう一度挑戦したかったのですが、団体旅行なのでその機会はありませんでした。

 もう一つの目的は国内最高級魚「クエ」でした。ハタ科の大形魚で玄海灘の岩場にのみ生息する怪魚です。1メートルほどの大きさで価格は何と10万円を超えます。博多の有名料理屋で最初に食べた時は驚きでした。刺身と鍋でしたが、何とトラフグより美味いのです。中州の吉岡という小料理屋のカウンターには、いつ行ってもその怪魚がねそべっていました。コースで15000円を超えたと思います。かれこれ20年ほど前のことです。唐津のロイヤルホテルのフロントでクエを食べさせてくれる店を当たってもらいました。一軒だけありました。生簀で泳いでいるというのです。でも、小人数の客ではオロスわけにはいかない、と断られましたが当然でしょう。

 もう一つはアゴです。トビウオの子どもです。強力なダシがとれます。日常使っているのは〈博多のやまや〉から取り寄せる粉末のアゴダシですが、小魚一匹か二匹の方が純粋で上等です。空のバックを紙袋に入れて持参しました。唐津の魚市場、平戸の土産物店、佐世保の道の駅などで仕入れました。バックは一杯になりました。

 帰ってきてやったことは、大鍋にアゴを大量に入れてさっと煮て一番ダシをとり、製氷皿に入れて凍らせます。続いてよく煮て2番ダシを取り凍らせます。そして冷凍保存しました。この方法は単身赴任時代、小倉のマンションでもやりました。大分名物のカボスが1個30円になった時、大量に買ってきて圧搾機でシルを搾りだし、製氷皿で凍らせ保管しておきます。面倒な作業ですが、朝の雑炊に一件を入れるだけで幸せな気分になれました。

 唐津から壹岐島へはフェリーで1時間40分ほどです。本州の最西端ですが、気候も温暖で熱帯性樹木も繁茂し、生活も豊かそうで桃源郷を思わせました。一昨年は伊豆の大島、昨年は佐渡島へ行きましたが、住んでみたいな、と思わせたのはこの壹岐島です。縄文、弥生の遺跡があり、蒙古来襲の古戦場あり、平戸には日本最初のフランシスコザビエルの教会が小高い丘の上にあり、歴史を髣髴とさせました。

 団体旅行であったのに、食事もそれなりに満足できました。ヒラメ、イカ、サザエ、アマエビの刺身、佐賀牛の鍋、5島うどん、佐世保雑煮などなど。この旅の感想文を書けというので、名前は書かずに次のざれ歌だけ書いてあげました。

 イキへ来て イキなガイド(さん)とイキが合い 今日もイキイキ明日もイキイキ

 

2016年3月16日     ミヤンマーのスーチーさん

 昨年11月の総選挙で大勝した、スーチーさん率いる国民民主連盟による政権が、この4月から始まります。ミャンマーは当時ビルマと呼ばれ英国の植民地でした。独立運動を起こし、英国に勝利したのが1948年、立役者はスーチーさんの父アウンサン将軍でした。ところが、1962年軍部によるクーデターが起き、ネウイン将軍が実権を握ります。以来、54年間に亘って軍政が続きます。スーチーさんは半ば監禁状態に置かれていました。軍部はとんでもない憲法を作ります。「身内に外国籍の者がいる人間は大統領になれない」という法律です。スーチーさんの亡夫と息子はイギリス籍であることを意識したものです。

 そのため、選挙で大勝した国民民主連盟の党首であるスーチさんは大統領になることが出来ません。側近中の側近ティンチョーさんが指名されました。ヤンゴン高校ではスーチーさんの一年後輩で、どちらかと言えば学究肌の人物です。

 二年前、私はタイから「エアーバガン」のプロペラ機でミャンマーの首都ヤンゴンへ行きました。草茫々のヤンゴン空港に着いて両替をし、ネオンも街灯もない街をタクシーに乗ってホテルへ行きました。ホテルで日本語が出来るカリヤさんという女性ガイドに二日間、案内を頼みました。スーチーさんのお宅を外から伺いました。スーチーさんが過ごしたアウンサン家は小高い丘にあって、レストランになっているのですが、そこも案内してもらいました。時速30キロ以上で走ると恐らく脱線するオンボロ山手線にも乗りました。墓地も二箇所尋ねました。立派な墓地公園は英国人のものでした。粗末ではあっても日本式の墓石が林立する墓地も探し当て、祈りを捧げました。

 ビルマは激戦のあったところです。20万以上の日本兵がこの地でイノチを落としています。竹山道雄著「ビルマの竪琴」は私の少年時代の座右の書でした。ミャンマーの誰もが付けているロンジンというものを買い、ホテルの従業員に付け方を教えて貰って、夜の街を歩いてもみました。自分の先祖はもしかしてビルマ人ではなかったか、と思いました。沢山のパゴタがあって、絶えず敬虔な祈りを捧げているミャンマーの人たちは実にいい顔をしています。特に笑顔がいいのです。佛教が生活の中に溶け込んでいるせいもあるでしょう。しかし、ミヤンマーは東南アジアでは最貧国なのです。

 それなのに、50年続いた軍事政権は北朝鮮を通じて核武装してしまいました。北朝鮮もミャンマーも、国民を貧困に追いやりながら異常な国になっているのです。

 スーチーさんがここのところをどうするか、核武装放棄に踏み込めるか、どうなのか。これが新政権の最大課題でありましょう。

 一方、日本はミャンマーの安い労働力に予てから目を向けています。ヤンゴンに巨大な工業団地を確保し、円借款による工場を稼働させています。オンボロ山手線をせめて50キロ速度で走らせるべく、鉄道関係者を駐留させています。全日空は一日一便、ビジネスクラス専用機を就航させています。満員だそうです。

 これからは、せめて、一年に一度はヤンゴンへ行って、陰ながらスーチーさんを励まそう、と思っています。 

 

2016年3月9日      「なでしこ」凋落の原因

 あと北朝鮮との一戦を残すのみの「なでしこ」が、何故、あんな無様な負け方をしたか? 気になったので調べてみました。

 1、選手の高齢化 栄光を勝ち取った時の選手が半分以上現役を続行しているが、1983年〜85年生まれがほとんどで、30歳前後である。スタミナの持続が困難になっていた。中国選手一人を5人で囲みながら、終盤の疲れで棒立ちになり防御できなかった。

 2、若手の選手たちとの意思の疎通に欠けていた。栄光を背負った者と、これから背負おうとする者との意識のギャップが試合運びに顕著に試合に現れた。

 3、佐々木監督に対する全国からの講演依頼が殺到し、監督はそれを引き受け、忙殺されていた。講演料は一回100万円であったらしい。「ああ、また、今日も講演か…」 練習に現れない監督に対する不満がチーム内に満ちていた。今季で任期が切れる監督にしてみれば、稼げる時に稼ぎたいのは人情である。年収は4〜5000万を超えた。

 4、選手の年収は3〜400万であった。憧れてチームに入ったのに、アルバイトを続けなければならないのがチームの現況であったらしい。

 5、沢穂希選手へのヤッカミがチームに蔓延していた。力もあったろうが勝利は全員で勝ち取ったものである。なぜ、沢選手だけがあれほど脚光を浴びるのか。しかも、結婚して、幸せそうにしている。許せない。私たちは一体何なの、という冷めた空気が一方にあった。

 6、次期監督に対する不安  なでしこジャパンの次期監督には、現在U20ジャパンの高倉麻子(45)監督が有力視されている。すると、選手の若返りは確実に実行される。栄光を担った選手たちは、生活の不安を抱えながら退団を余儀なくされる。試合に集中できるわけがない。

 言ってみれば、なでしこジャパンは〈燃え尽き症候群〉の塊であった、と言えるのではないでしょうか。「奢れるもの久しからず、猛きものもついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ」 平家物語の一節が浮びます。 

 

2016年3月8日         武器の墓場

 広大なアメリカ合衆国にも、砂漠地帯があります。ネバタ州のモハーベ砂漠などが典型でしょう。その砂漠の中に忽然と現れるのが、もはや、使われなくなった武器の数々です。一万機を超える昔の戦闘機、爆撃機が整然と並んでいます、戦車、装甲車、高射砲、上陸用舟艇など、数十万がただただ静かに並んでいます。この写真を見たときは仰天しました。心の底が震えました。

 都市を破壊し、人を殺す武器は絶えずその性能が進化します。膨大な数の人間が従事するアメリカの軍需産業は日進月歩を遂げています。そして、同盟国に高値で売り付けます。時の政権に対して戦争まで売りつけます。武器が消費されなければ軍需産業が干上がるからです。ある意味では、ベトナム戦争も、アフガン戦争も、イラク戦争も、イデオロギーというより、武器の消費を狙うユダヤ系ロビーストの突き上げによるもの、と言っていいでしょう。

 日本の今年度の防衛予算が5兆円を超えました。戦後70年の最大の予算です。中国は17兆円の規模ですが、世界で6番目の規模です。一体、5兆円は何に使われるのか。その使途の殆どはアメリカからの武器の購入費なのです。当然アメリカ軍が駐留している普天間、岩国、三沢、横田などの費用も含まれます。

 つまり日本国は敗戦から70年も経つのに、戦勝国であるアメリカから武器を売ってもらい、莫大なお金を払ってアメリカ軍に駐留してもらっているのです。しかもアメリカは日本に売り付けるのは旧式な武器ばかりです。いいようにお古を売りつけられているのです。垂直離陸が出来るオスプレイヘリコプターなど、その典型でしょう。一機300億を超える値段なのですぞ。安倍晋三はこれを17機買う約束をして、その見返りにアメリカ議会での演説にあり付けました。

 今週の週刊朝日の記事は、このあたりのことを詳しくレポートしています。一見の価値があります。 

 

2016年3月6日         堕ちたアメリカ

 アメリカ大統領選の予備選挙は、今や狂乱状態です。ここまでやる必要があるのかどうか。しかし、伝統だから仕方ありません。日本の小選挙区制で勝ち抜いた党の領袖が、国民の意思とは関係なく首相になるのとは、エライ違いです。

 アメリカほど加熱する必要は全くありませんが、日本も自分の国の首相ぐらい直接選挙に依って選びたいものです。人格、教養、識見、品格を備えた、いわゆる全うな人間に日本国の舵取りを任せたい、と思うのは私だけでしょうか。

 経済界の成り上がり者、赤ら顔で、時には鬼の形相のトランプは、全く異質の候補者ですが、私は、彼はバカではない、と踏んでいます。大言壮語はしても、法に触れる発言は、一切、していません。アメリカ国民の不満にクリントンより精通しています。

 メキシコとの国境に壁を作って、不法移民を締め出す、と言いました。これに対し、ローマ法王は「橋を作らず、壁をつくるのはキリスト者にあらず」と非難しました。現大統領オバマも、「彼はホワイトハウスの適任者ではない」と断じました。

 しかし、私の予測はクリントン夫人ではなく、この八方破れのトランプです。

 いま、アメリカは病んでいます。貧富の格差は驚くべき速さで進んでいます。例えば、ハーバート大学の年間授業料は400万円です。能力はあるのに、金がないために諦めている若者がどれだけいるか。富裕層は自分たちだけのコロニーを作って、貧困層を救うための税金の拠出をしなくなりました。国民皆保険もないのに、何で世界の警察を気取って、日本や韓国を救ってやれなねばならないのか。これも、もっともです。更に、中東の紛争など勝手にやらせておけばいい、アメリカの知ったことではない、という冷めた議論がアメリカに蔓延しつつあるのを、彼は読み取っています。

 こういう現状認識に今のアメリカは舵を切り始めました。爛熟した資本主義の断末魔の喘ぎを、誰もが認識し始め、世論をして改革を欲し始めたのです。

 10年ほど前までは、アメリカは世界の警察官を自認していました。尖閣列島でモメ事が起こったら、日本はアメリカが何とかしてくれるもの、と信じてきました。韓国とアメリカはいま、従来にない最強の軍事訓練をしていますが、もし、北朝鮮が韓国に攻め入った場合、アメリカも血を流す覚悟でいるか、というと、それも無くなりつつあると言えるのではないでしょうか。

 資本主義断末魔のアメリカの喘ぎを、私たちはつぶさに知る必要があります。問題の根底にあるのは、今はこれしかないとしている自由主義、資本主義です。ただ、共産主義、社会主義があえなく潰れ、唯一中国にそれは残っていますが、商業主義の弊害が中国社会を根底から揺さぶっています。社会主義国であっても、世襲、独裁国家の北朝鮮は論外です。

 私の持論は、次の社会制度は「数量統制経済社会」です。自由主義ではあっても富の偏重を抑え、限りある資源を計画的に分けあい、富める者を排し、貧しき者にもそれなりの富が配分される社会です。

 トランプ氏が、それの先駆者になるような気がしてなりません。

 

2016年3月4日         なでしこジャパン

 いま、7時半です。これからなでしこジャパンと中国の一戦が始まります。オーストラリア、北朝鮮、中国、韓国、日本、ベトナムの内、上位2チームしかオリンピックに出場できません。日本はオーストラリアに3−1で負け、韓国とは引き分けています。今日負ければそれでお仕舞となります。大事な一戦です。前回の立役者沢穂希が駆けつけて今日の試合の解説です。

 テレビカメラはグランドへ出る前の選手たちを写し出しました。子供たちの手を握り、グラウンドへ出る前のタイミングでの映像です。

 「ああ、これはダメだ。負ける」と直感しました。どの選手の目も虚ろで、緊張感が漲っていないように見えたからです。大野忍、大儀見優香、川澄奈穂美、岩清水梓などの名選手でさえ、何処か浮足立っているように見えました。ガムを噛んでいる者、子供と戯れている者、それはいいとしても、ほとんど全員が重圧に押しつぶされているように見えました。あまつさえ、佐々木監督も必死の形相です。

 「継続は力なり」と言われますが、名選手といえども加齢には勝てません。栄光を手にした選手と新人選手とのギャップが、このチームの弱点になっているように思えてなりません。その現実が、沢穂希をして「必死に食らいついている選手が、果たして何人いるのか」と言わせてしまっているように思えます。

 本来は佐々木監督も交代して当然なのです。勝負とは厳しいものです。はて、今日の試合はどうなりますか?

 これからテレビに齧りついて、私も必死に応援させてもらいます。

 やっぱり、というか、私の予感は当たってしまいました。2−1で敗れました。点の取られ方が良くありません。中国選手一人に対し、5〜6人でゴールをガードしているのに、全員金縛りあったように、棒立ちでした。惨めでした。

 

2016年3月2日          ネギの皮

 私はネギが好きです。特に群馬県下仁田の特産である太くて丈の短い「下仁田ネギ」が大好きです。スーパーで売られている最近のネギは泥付の皮を剥いで売られているのが普通ですが、これは本来のネギの味がしません。ネギは、どんなネギでもドロ付に限ります。

 汚れた外皮を剥ぎながら、「お前さんは自分の身を犠牲にして、中の皆さんを守っているのだね、大したものだね」、と褒めてやりながら、特別に買ってきた上等の牛肉と共に、今日、初めて使う鉄鍋で一人鍋を作りました。

 鉄なべは、かの有名な岩手の南部鉄です。昨日の、京都のお茶屋「白梅」での朝日同期会に欠席した岩手の老舗の御曹司である及川君が、出席者全員に記念品として用意してくれたものです。今日、お礼の電話をしたのですが、97歳の母上と認知症の奥さんを抱えて身動きならないとのこと。彼の好意が身に沁みました。

 四条の「白梅」は、幹事である大阪の中尾君が現役時代から懇意にしている元お茶屋さんの料理屋さんでした。舞妓さんは現れませんでしたが、これ以上ないと思われる京料理が供されました。若女将は立命館大学出身で全日空のCAだった美人。大阪販売の山崎君の後輩でした。山崎君は20年ほど前にガンを患い、食道、声帯、胃袋を切除し、持参の黒板で筆談する猛者です。食べ物は持参の攪拌機で流動化し、直接流し込んでいました。しかし、元気そのもので、盛んに会話に加わりました。東京の広告局長から電通と並ぶ最大手の「大広」の社長をやった中尾君が幹事です。九州大学で同級だった奥さまを連れての参加です。訊けばこの「白梅」で最近金婚式を挙げたとのこと。50年間、財布は別々だったとのこと。恐らく、葬式の費用も別々になるらしく、笑ってしまいました。

 懐かしかったのは、広告局に配属されながら、名古屋時代に上司と揉めて朝日を退職した高岡君が現れたことです。二度目の奥さん手作りのケーキをお土産に配ってくれました。朝日を離れたあと、文化財保護の活動をする名古屋の名士になっていました。穏やかないい顔の持ち主になっていました。

 その日は、朝日新聞入社試験を一番でクリアーした、君島夫妻と一緒に、彼が会員である「鷹峰リゾート」に泊まりました。豪華な部屋で彼と囲碁を打ちました。私は将棋はカラッキシなので、彼は囲碁にしてくれたのです。将棋なら彼は6段、プロの腕前です。

 目が覚めると、外は雪景色でした。次の宿泊地有馬に向かう君島夫妻にお礼を言って別れ、私は小雪舞う京都の街を歩き始めました。佛教大学前から千本仲立ち売りまではバスに乗りました。佛教大学はいま熟読している「牧師が読み解く般若心経」の著者で京都教会の牧師さんである大和昌平さんが卒業した大学です。校内を見て回りました。千本仲立ち売りでは、昔、アルバイト生であったころ、同じアルバイトでTBSラジオで仕事をしていた小山雄二君と一泊のお世話になった喫茶店跡を訪ねました。寂れた店になっていました。回想に耽りながら、山陰本線の二条駅まで歩きました。小さなお寺が軒を連ねていました。行きかう人はあまりありません。街全体が異様に沈滞し、物悲しい雰囲気でした。そういえば、バスの乗客もお年寄や、身体ご不自由な方ばかり。そして、観光客で賑わうのは四条界隈や観光寺ばかり。

 二条から嵐山嵯峨野へ電車で来てみると、そこは何と、中国人観光客の大行列でした。小雪舞う天龍寺から大河内山荘へ登る竹林の道は、中国人で溢れかえっているではありませんか。「うへー」となってしまいました。時間貸しの衣装で着物姿で歩くアベックもいます。竹林を背景に自撮り写真に夢中の女性群もいます。日本人はほとんどいないのです。目指す大河内山荘は雪化粧をして、いつものように静かな佇まいでした。観光コースから外れているらしく、しみじみと抹茶をいただくことが出来ました。

 京都へ来ると必ずここへ来るのが、永年の習慣です。「今年もここへ来ることができた、有難いなあ」 とシミジミするのが、習わしです。しかも、今回は淡雪の中の茶室です。万歩計を覗くと、既に今日だけで13000歩を超えていました。この日のために、10年越しに新しく買ったリーガルの靴のせいで、軽い靴擦れが起きています。

 同じ仲間と過ごすことができた「傘寿を祝う会」の楽しさを胸にしながら帰途に就きました。

 

2016年2月27日      追悼 宮沢恭人君(同窓会誌「北七」依頼原稿)

 小板橋和治君のことを覚えておいでですか? 牟礼の奥から来た、幾分、赤ら顔で前歯が欠けた…… 彼は群馬大学医学部を出て千葉県松戸市で開業します。小板橋病院と、それに併設された特別擁護老人ホーム「緑風苑」です。その彼から電話があって、職員、看護師の研修会を開くので朝日新聞の宮沢、中沢で、「ためになる話」をしてくれぬか、というのです。行ってみると病院には講堂もあって舞台裾にはグランドピアノもありました。老人ホームは少し離れたところでしたが、三階建ての堂々たる建物で、アプライトピアノを置いたホールもありました。彼の病院経営の特異なところは、松戸市の医師会に所属せず、治療費は「ないものからはとらない」方針に徹していたことです。現代の「赤ひげ」先生だったのです。

 研修会当日、二人で行ってみると講堂には50人を超える人が集まっていました。東大で心理学を専攻した宮沢恭人君は、朝日新聞卒業後カウンセラーの資格を取ります。認知症患者や痴呆症患者への接し方をユーモア交えて説きました。私は効果的音楽療法の話をしました。終了後、小板橋君は10万円づつ包んでくれましたが、「同級生から金を取れるか」と突っ返しました。本当は、1万円でも貰えればと思っていたのですが、ヤセ我慢をしてしまいました。

 それからです。宮沢君は月に1、2回老人ホーム通うようになります。30人ほどの集まりの中で、シエーカーを振ってカクテルを作り、患者さんたちに童謡や戦時歌謡を唄わせるのです。スピーカー、アンプなどの音響装置やCDは私が寄贈しました。30冊の歌集も作りました。インク、紙代で2000円ほどかかりましたが、これも寄付です。5回に1回は私も行って宮沢君の助手を務めました。

 小板橋君は9年前に亡くなり、ご子息が跡を継いでいますが、彼の「シエーカー振り」は昨年の6月まで続きました。彼が貰ったのは松戸駅から病院までのタクシー券だけです。赤ヒゲ医師に徹した小板橋君にも頭が下がりますが、宮沢君の奉仕の精神も並みではありません。「北高健児ここにあり」とはこのことでしょうか。

 そうそう、こんなこともありました。病院の患者さんの間に「和太鼓の会」が出来ていて、小板橋君が「誰か太鼓の曲を作ってくれる人」を探してくれ、というのです。有賀敏文君を紹介しました。彼は芸術祭参加作品のような曲を作りました。「お礼はどのくらい包めばいい?」 と小板橋君から電話です。「そうだなあ、彼の奥さんは重病で寝込んだままなんだ。そこのところよろしく」と返事しました。まとまった金が渡されたようです。有賀君が驚いて 「どうしたらいい?」 というので宮沢君と相談し、「いいから、貰っておけ」となりました。池袋で有賀君に御馳走になりました。

 宮沢君は1960年朝日新聞に入社し、販売局長、取締役名古屋代表、監査役を歴任します。1年遅れて私の入社です。爾来50年余、二人の「変な関係」が始まります。課長、次長、部長、局次長を引き継ぎ、西部本社の営業局長までも引き継ぎ、おまけに小倉の社内書道会まで引き継ぎました。昨年の6月まで2人は六本木の書道塾へ月に3回通いました。2人の作品は昨年9月、上野の都美術館に展示されました。囲碁も私が2段になると彼は3段です。頑張って3段になると彼は4段になっています。ナニクソと4段になると彼は5段です… ゴルフも彼とは数百回合いまみえていますが、一度として私に勝ちを譲ったことがありません。もっと変なのは、昨年10月中旬、病床の彼を見舞って、私はポーランドのワルシャワで5年に一度行われる「ショパンコンクール」へ旅立ちました。何かあったら即刻、戻る積りでした。彼が息を引き取ったのは私が戻った翌朝でした。

 1月30日、朝日新聞関係者による、「偲ぶ会」が日比谷のプレスセンターで行われました。倉石君に幹事を頼み、東京の「ゴルフの会」「柳川先生を囲む囲碁の会」のメンバーに案内を出したところ、19人の諸君にお集まりいただきました。プレスセンター内に別室をとり、倉石君の司会で会は盛り上がり、3時間を超える集まりになったことをご報告させていただきます。

 

2016年2月26日        議員資格認定試験制度

 安倍政権の最大の欠陥は、日本が老人大国になっている現状から遊離した政策を、これ見よがし行なっていることです。一億総活躍担当大臣を置くなど、そのいい例です。女性大臣を多数登用しましたが、議員資格に欠けているため失言の連発です。弁護士に司法試験があるように、議員にも、資格試験を適用すべきだ、と私は思います。極端な右傾化も大問題ですが、デフレ傾向脱却のため、株価高騰と円安誘導に禁じ手を使うなど、あるまじき財政政策を始めました。それが2月16日から始まったマイナス金利政策です。0,01%とはいえ銀行が日銀に金を預けると損をする仕組みです。狙いは、だから、銀行は積極的に企業に貸し出しをしろ、経済を活性化させろ、というものです。

 ところが、企業は金利はバカ安でも、金を借りて設備投資や新規事業を始めたがりません。売れる見込みがないからです。企業に活力が無くなっているからです。シャープペンシルから始まった早川電気のシャープは、こともあろうに、台湾企業の傘下に入りました。7000億の資金調達が国内でできなかったのです。思えばシャープの電気製品は時代の花形でした。大所帯になったのに、時代に即応できず人件費が嵩み外国企業に敗れたのです。東芝も同じです。あろうことか5年に亘って、経営者は粉飾決算をしていました。日立もそうです。私は現役時代茨城を担当しました。日立市は街中が日立一色で大賑わいでした。最近はすべての火が消えています。

 「国家の興亡は意外に早い」 と言われますが、政権は日本国が既に活力の失せた老大国になっていることを自覚すべきなのです。政権はそこのところに目をつぶり、いたずらに、威勢のよさそうなことを、囃し立てているだけ、といわざるを得ません。

 昔の企業戦士が躍起となって貯めたお金は、いま、金融資産として銀行にあります。その額は1300兆円を超えます。日本国の借金1100兆円を凌駕しています。この現実があるからこそ、どうやらこうやら国が成り立っているのです。

 政治の要は、国民が貯めこんでいる1300兆円を有効に使わせることにあります。それをしてこその政治です。

 それなのに、安倍政権は株価の高騰を狙う余り、すべての国民の資産である「日本年金機構」の金を株式投資に使おうとしているではありませんか! 立法化を狙い始めたではありませんか! 年金機構の残高は莫大ですから、多分、株価の高騰に役立つでしょう。しかし、状況が変わり、損をしたらどうするのですか? 未来の年金が無くなってしまうのですぞ。株は、どんな言いぐさがあろうとも、バクチです。ユダヤ資本にいいようにされているのが、世界の株式市場です。安倍政権は発狂寸前と言っていいでしょう。

 日本の政治は円安や株高を狙う、場当たり的な政治であってはなりません。マイナス金利などもってのほか、です。

 国会議員にも、資格認定試験を適用し、優れた人間集団による政治にしなければ日本国は持たない、と私は思います。試験によって真っ先にふるい落とされるのが安倍晋三はじめ、ほとんどの現職大臣だ、と私は断言します。

 

2016年2月25日          ボ ケ

 一昔前までは、老人はボケるもの、と言われてきましたが、これが認知症というレッキとした病気であることが分かってきました。認知症にもいろいろあって、「アルツハイマー型」、「脳血管障害型」、「レピー障害型」、「前頭側頭型」、「パーキンソン型」といろいろ分類されます。「アルツハイマー型」は脳細胞が減少します。脳梗塞、脳内出血によって、脳細胞が壊死していくのが「脳血管障害型」、レピー小体という細胞が増えて脳神経を侵食するのが「レピー小体型」、前頭葉側頭が萎縮してゆくのが「前頭側頭型」、全身の筋肉が弛緩し、それが脳に及ぶのが「パーキンソン型」です。

 日本の人口は1億2500万人です。その内、3379万人が65歳以上です。65歳以上の人口が、全人口の四分の一を占めるのは日本だけです。世界最初の国です。認知症患者の数は現在は460万人です。しかも、軽度の予備軍が400万人いるそうです。つまり、65歳以上の4人に1人が認知症患者、と言えるそうです。つまり、高齢化に比例して患者数が増加するのです。

 認知症増加は何も日本だけではなく、世界保健機構機構の推計によれば20年後には現在の患者数3500万が一億人を突破するそうです。

 人間、ボケるほど辛いものはありません。人間であることを司っている脳細胞が委縮し、あるいは失われていくのです。それこそ「人間失格」が始まります。もし、私にそれが始まったら私はどうするでしょう。「人間これまで」と自覚できないほど、神経が劣化するそうですから困ったものです。

 脳の異変は、今は有難いことに、治療薬はなくても現状を進行させない薬がエーザイから発売されています。つまり、早期発見が最善の予防策と言っていいでしょう。

 私は20年このかた、毎年暮れになると、女子医大で脳のMRIを撮ってもらっています。脳神経内科の宇野先生から、「今年も最初の写真と同じね」 言われてはきました。「単なる物忘れ」はしばしば起きますが、「これはおかしい」と自覚したことはついぞありません。そのいい例が車の運転でしょうか。有難いことに、若い時と同じような運転が出来ています。昨年、孫の高校生の萌ちゃんが「これ、必ず付けてね」と言って「枯葉マーク」を車に張っていきました。気遣いだけは有難くいただきましたが、即刻、はがしてしまいました。でも、「これは、もしかすると」と感じたときは、即刻、免許は返上しようと思います。その日がいつになるのか? 私の場合、多分死ぬまで来ない、と思います。なぜなら、毎日の生活の中で、「年だなあ」と思うことがないからです。年を取っていく気がしないからです。これは不思議な感覚です。

 そうはいっても、MRIによる脳内検査は欠かせません。昨年末、撮影予約日をすっぽかしてしまいました。今度は4月4日が診察日です。MRIの予約を入れてもらう積りです。

 

2016年2月24日          私というもの

 先月9日の日曜日、チェンマイの日本語キリスト教会で、たまたま視察でおいでになっていた、日本キリスト教大学元学長さんの説教に接しました。長野市のご出身で中学は東部中学、私は隣りの柳町中学ということで話が弾みました。同じ大学の教授で大和昌平さんという方もいらしていて、その方がお書きになった『牧師の読み解く般若心経』 を買わせていただきました。京都教会の牧師さんで、佛教大学まで卒業しておいでの方です。

 旅行の間中、カバンから取り出しては読みました。帰って来てからは枕元に置いて熟読を始めました。読んでは考え、考えては読みました。

 仏教の経典の集大成である「般若心経」は「空」の思想で充ちています。「色不異空、空不異色、色則是空 空則是色」「未来は一瞬の内に現在になり、現在は一瞬の内に過去になる」、だから、この世にある色彩のあるもの「色」も、人が目鼻舌耳、及び身体で感じる感覚としての「受」も、ものごとの本質を見極めようとする認識としての「識」も、イメージを思い浮かべる働きとしての「想」も、何かを行おうとする「行」も、この5つを五蘊(ごうん)とすれば、「五蘊皆空」(ごうんかいくう)、つまり、すべてが「空」であるというのです。逆に、空なるものが人間であり、世界である、と説いています。これを悟ることが叡智であり、究極の涅槃がそこにあるというのです。

 キリスト教ではどうでしょうか? 空は空でも、「自分というものを空にしなさい」と迫られます。「自分を去りなさい」、「五蘊皆空であっても、自分のすべてを創造主である神の慈しみ、そして、その愛の受け皿になりなさい」と迫ります。取税人であったパウロはイエスに遇って、イエスこそが神の愛の具現者であることを心の底から悟り、迫害をものともせず、世界に向かって布教を開始します。ローマ人に宛てた手紙「ロマ書」にはこうあります。「もはや、我、生きるに非ず。キリスト我が内にありて生きるなり」

 一体、私という存在は誰の力に寄るものでしょうか? 生物学的には両親の結果によるものですが、果たしてそれだけでしょうか? 宇宙飛行士は壮大な宇宙空間を飛行しながら、「創造主の存在を感じる」、とよくいわれます。私もまた、彼らの心と同じように、「創造主の意思、慈しみ、愛の結果として私の存在がある」という意識を持つことが出来ています。創造主と私を仲立ちしてくれたのがイエス・キリストです。処女懐胎や復活、手を触れるだけで病人を癒すことなど、いわゆる現代科学ではありえない超自然現象も、多分あったのでしょう。この奇跡を信じない限りクリスチャンにはなれない、と言われますが、本質にはあまり関係しません。

 高校生の時から聖書を読み、教会に通い、自己を認識したからの数十年、私は自分の存在というものを問い続けてきました。そして、「私は私であっても私にあらず、創造主あっての私である」という想いをいまさらのように強くしています。生きる苦しみも、悲しみも、貧乏も、不幸も、あらゆることは、結局、喜び以外の何物でもない、と思えるようになりました。私に残された時間は、恐らく、あと僅かでしょうが、私という器から出来る限り「私」を去り、創造主である神が、イエス・キリストに託されたアガペの愛を心として、その光の受け皿としての人生でありたいと思います。そして、いまわの際の私の言葉はこうなる筈です。

 「ああ、面白かった、神さまありがとう」

 一方、生物学的に言えば、私を含め私の親族のDNAは、私の息子や孫たちに引き継がれています。親鸞の「教行信証」の最近の解釈によれば、「人の生まれ変わり」に触れています。生物学者中村圭子の著書では、末代に亘って引き継がれていく生物のDNAは、その組み合わせにおいて過去のDNAとそっくり同じDNAをもった人間の出現を否定していません。

 何十年か、何百年か後に、私ソックリの人間がこの地球上に現れるかもしれないのです。私が生まれ変わってこの世に出現するのです。痛快、極まりないではありませんか。その時こそ私は、はなから自分というものを捨て、神によるキリストの愛で器を満たす真のキリスト者になろう、と思います。

 

2016年2月22日          梅一輪

 猫額の庭の梅の木が、今朝、一輪の花を咲かせました。ようやく春の到来です。昨年の12月、次男一家が総出で家の周りの樹木の剪定をしてくれたお蔭で、ほとんど空間になっている庭に咲く一輪は、目立ちます。残っている梅の枝にも蕾がたわわです。

 そして今日、今年初めて沈丁花の匂に接しました。大好きな香りです。愛犬チュラを散歩に連れ出す時は、この時期、沈丁花を目当てに歩きました。今は写真になっている愛犬を思い出しながら散歩に出ようと思います。

 一昨日のライブは、これが「今生最後の演奏会だ」 との思いで弾きました。何とかうまくいきました。バンマスの大久保君から、「本番には強いですね」と褒めてもらえました。(お酒のせいもあってか)会場も盛り上がり、「聖者が町にやってくる」では手拍子が起こり、最後の「栄冠は君に輝く」は全員の大合唱となりました。

 次に控えているのは、29日に京都・祇園で開催される同期会です。来年の傘寿を前にして、東京5人、大阪3人の朝日同期入社の8人が祇園のお茶屋さんに上がります。中には奥さんを同道する仲間もいるようです。「よくここまで、生きて来れたなあ」と讃えあうのです。ただ、お酒をいただくだけでは面白くありません。座興として昔覚えた三味線を弾きながら「岸の柳」のサワリ部分だけでもやろうかなあ、と考えるものの、私の三味線は皮が破れていて練習になりません。ならば、「お伊勢詣り」の唄だけ歌おうかと目下、思案中です。

 29日は朝早く出て、嵐山の大河内山荘、天龍寺、寂光院を回り、出来れば瀬戸内寂聴さんの寂庵を遠目に見て、四条へ向かう積りです。

 

2016年2月19日          ライブ演奏

 明日は2時から、麻布のコージーコーナーで〈朝日ハンバイOBバンド〉のライブです。毎年の販売OB会で演奏していましたが、独立してライブに取り組み、昨年の11月に続き、今回が二回目です。 ベース奏者でバンドマスターの大久保君は、定年後もプロとして毎週ライブ出演している猛者です。麻布高校から慶応大学を経て朝日販売局に入り、私の助手になりました。ピアノも巧く、親分は形無しです。リード楽器に、尺八とハーモニカが入りました。元取締役販売担当の久富さんは尺八歴50年、名だたる山本邦山の高弟です。ハーモニカの元朝日旅行社長の堀口君は早稲田のラグビー出身、いい音色を醸し出します。御堀端のイギリス大使館の隣に豪邸を構える崎川君はドラムです。一ツ橋出身の鈴木君がチエロです。ボーカルは紅一点の高比良さんです。プロ顔負けの艶のある声量です。

 約40分の第一ステージがあって、中休みをとり、再び第二ステージとなります。入場料は3000円、お酒は呑み放題。そのため出演者は自宅のワインを持参します。練習は12月と、2月13日の二回行われましたが、何しろ、ピアノは出ずっぱりなので疲れます。アンサンブルなので、いかにピアノの音を控えめにして全体の調和を図るか、が課題です。それと、つまらないミスタッチをしないこと。最盛期の五分の一の力量しかなくなった私です。終わるとクタクタになります。

 しかし、みんなと一緒に音楽を作り上げていくのは、実に楽しいものです。先ほど、暖房の無い音楽室で最後の仕上げをやりました。第二部の冒頭で弾くピアノソロは、ショパンの「雨だれ」ですが、まだ、納得のいく演奏になりません。困ったものです。     

 

2016年2月18日         キーボード寄贈(2)

 前回9月に、同じく手荷物にして持ち込んだ、ヤマハのクラビノーバPF100があります。ジモテイを検索していたら、新品なら25万円はするこの名器を25000円で譲る、というのです。はるばる愛知県の一宮から運ばれてきました。これは、型は古いが大型で30キロ近くあります。超過料金を払わされましたが、いい音が出る名器です。ところが、チェンマイへ着いてから試してみると、一か所、音の故障が見つかりました。幸い、やっと見つけたエアーポートプラザのヤマハ店で修理してもらいました。旧い型なので部品を見つけるのに苦労したとのこと。修理代は1万円程かかりました。

 さて、このクラビノーバを寄贈する先は、女子高校生ばかりが50人ほど共同生活をしている女子寮です。彼女たちはタイ北部の山奥に暮らす、少数民族ワシ族・カレン族の子どもたちです。貧しい暮らしを余儀なくされている彼らには、子供たちを都会の高校に通わせる余裕などありません。欧米のキリスト教団体がその全額を支援しています。全く、頭が下がります。

 パイの学校でやったように、Hさんがこの楽器に贈呈用の紅白のリボンをつけました。歓声と拍手が沸き起こりました。

 「皆さん、この楽器を使って、お一人お一人が音楽に慣れ親しんで下さい。遊んで下さい。教則本を5冊用意しました。コピーして全員がお持ちください。音が煩い時もありますから、その時はレシーバーを使って下さい。一年後、私たちが来るときには全員が何らかの曲を弾けるように頑張ってください」

 と挨拶しました。そして私は、おもむろにクラビノーバに向かい、タイ国歌を弾きはじ

めました。全員が歌い出しました。お返しに彼女たちはギター伴奏で讃美歌を歌ってくれまし。それが次の動画です。

 「パイの学校の女の校長先生は、自分のお金まで使って、必死に学校を守り、自然の中で、子供たちを伸び伸びと教育している。女子寮の寮長さんも日曜日には全員を教会に連れて行き、神の名のもとに高校生たちを育てている。良い指導者に恵まれているのは、ある意味では、日本の子どもたちより幸せかもしれませんね。今回のことで、私たちはいろいろ教えられましたね」

 これは、熱心なクリスチャンであるSさんの感想です。私も同感です。 

 

2016年2月16日         キーボードを寄贈(1)

 昨年の一月、チェンマイから車で約4時間の距離にある、パイという小さな町の学校へ行きました。カレン族という少数民族が暮らしています。埼玉県のある団体が、その学校へ校舎の一部を寄贈しました。その仲立ちをしたのが日本人のHさんです。教会友のSさんと三人で行きました。Hさんは、チェンマイの、同じく少数民族の女子寮で、無償で日本語を教えるなど、頭の下がる活動をしておいでです。

 幼稚園から中学まで約150人はいる学校内を見学させてもらい、校長先生はじめ先生方と昼食を共にさせてもらいました。ドラえもんの話で盛り上がりました。何とドラえもんそっくりの顔立ちをした先生がいるではありませんか。シズカちゃんもいました、ノビタもいました。仲良くなったついでに「ここにピアノや、鍵盤楽器がありますか?」と問うと「そんなもの、生徒たちは見たことも触ったことも聴いたこともない」という返事です。

 約束してしまいました。今度来るときはピアノかキーボードを持ってくると。

 そのピアノはいま、自宅の車庫にあります。送料を入れて11万で仕入れました。地下音楽室にある、ほとんど使わないローランドのグランド型電子ピアノと共に、コンテナ輸送をしようと見積もりを取りました。引っ越しのサカイでは99万円、日通は53万円でした。一寸、法外です。イマハの際までには送る積りですが、今回は手荷物扱いで無料で機内に持ち込めるヤマハの小型のキーボードにしました。小さいとはいえ、ジモテイで仕入れたこのヤマハEZ-J25は実に優れもので、あらゆる機能を搭載しています。スピーカを繋げば、日本のアニメソングなど25曲が大音響で聴けるのです。ドラえもんのテーマソングが入っているのも魅力でした。子どもたち一人ひとりが触って遊んでほしいので、教則本も用意しました。

 一年越しの約束を果たすため、1月7日、再び三人でパイの学校へ向かいました。行きの運転は私がやりました。助手席のHさんが指導教官です。4つほどの山越えをし、何とか無事に辿り着きました。

 着いてビックリ、私たちを迎える準備が出来ているではありませんか。講堂には昼食の仕度が整い、着飾った園児たちが、ダンスを踊ってくれたではありませんか。

 ノビタと、シズカちゃんと、ドラえもん先生に、「優れもののキーボード」の取り扱いを教えました。分厚い取扱い説明書は、生憎、タイ語ではなく日本語で書かれています。日本語の分かる人を探し、要点を訳してもらうよう頼みました。女の校長先生は片手ながら音階が弾けました。「今度、皆さんが来る時までには、全員が弾けるようにしておきましよう」と約束してくれました。

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 お土産は刺繍の入った布と沢山の生卵です。Sさんは、放し飼いになっている鶏舎に入ることを許され、温めている鶏を除けて卵を取り出しました。その晩、高田さん宅で梶原さん主催の映画会がありました。卵は、集まった皆さんに貰われていきました。「美味しかった」という感想が寄せられました。

 

2016年年2月15日        動画のかずかず

      メトロ・ドバイ・モール駅からモールへ続く動く歩道

            メトロの乗客

            ゴールド・スーク アメ横の10倍の規模

            砂漠をバギー車で疾走 夕日が沈む

            紺碧のペルシャ湾 対岸はイラン

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