最近のエッセイ(59)

2021年2月13日           横やり

 一昨日は、折角、商学部同士の禅譲が決まりかけたのに、世の中は「それは筋が違う」と反対の狼煙を上げました。「広く会議を起こし、万機公論に決すべし」、「密室での権限移譲はまかりならぬ」というのです。確かに言われてみればその通りです。商学部同士は84歳と83歳。いずれも功成り名遂げた人物です。そこに奢りがなかったとは言えなくもないでしょう。川渕83歳はすぐさま辞退してしまいました。

 政府筋は橋本聖子オリンピック相を当てたい意向のようです。女性蔑視発言で世界から顰蹙を買っしまった、その挽回策の積りでしょう。しかし、小池百合子と橋本聖子でこの難しい局面の打開ができるでしょうか。甚だ疑問です。

 私はつくずく思います。商学部二人がもう少し慎重に行動してくれていればなあ、と。報道関係者に一切触れることなく、密室の密室で禅譲を話し合ってくれていればなあ、と。おそらく、反対の急先鋒は「陸の亡者低能!」の奴らに違いないでしょう。

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         あったことも これからあることも

    すべて 天の書に記されている

    人の所業を書き入れるのは

    さぞ 草臥れることだろう

    定めは

    初めからきまっているのだから

    何になるのだろう

    喜んだり

    悲しんだりしたとて




2021年2月12日        早大第二商学部

 いま、日本中の人たちは外出を制限されているので、家に籠ってテレビばかり見ているようです。そのせいもあってか、森喜朗の女性に対する舌禍事件を、さも重大事件であるかのように仕立ててしまっています。耐えきれなくなった「シンキロウ」さんは辞任を余儀なくされ、自分の後任に川渕三郎を指名しています。

 1936年生まれの川淵三郎は大阪高槻市出身で二浪して早大第二商学部に入ります。一方、森喜朗は石川県能美市出身で一浪して早大第二商学部へ入ります。何と、二人とも早稲田の夜学生!でありました。一つの権力の譲渡がかつての商学部生同士で行われる、、、、偶然とはいえ面白いではありませんか! 夜学生でありましたから、おそらく昼間は何らかの仕事をしていたでしょう。早くから世間の荒波にもまれていたでしょう。その点では現総理の菅氏も法政大学の夜学に通い、昼間はアルバイトをしていました。学生時代から世間にもまれた人に共通するのは、調整能力において優れることです。確かに、この三人にはそれがあるようです。特に川渕三郎がサッカー協会を樹立し、プロリーグを作り上げた手腕は見事でありました。森喜朗も、首相時代、ソ連との人間関係を深めることに成功しています。他方、自分の能力のままに東大に現役で受かり、勉強一筋で卒業し、大企業に就職しても全く役に立たない例はゴマンとあります。

 日本のオリンピックにおける最高責任者が早稲田第二商学部に席を置いた者同士で行われる、、、、偶然とはいえ何とも喜ばしいではありませんか。苦労人ゆえ、今の日本にとって、最も望ましい選択をしてくれるに違いないと私は信じ、同学のよしみでエールを送ります。

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           寺院で燈明をあげ モスクで香を焚き

     極楽を願い 

     地獄の責め苦からのがれようと

     ひたすら努めて 何になる?

     天の書を見てごらん

     天地創造の主は

     この世の 最初の日に

     すべてを書き込んで

     しまっているのだぞ

 

2021年2月11日        神国日本

 今日は、昔で言えば紀元節。中野区上高田国民学校一年生だった私の幼かった脳裏には、未だに、ありありと当時のことが思いだされます。学校の一角には奉安殿という小さな建物があり、フロックコート姿の学校長が白手袋をはめ、中から教育勅語を恭しく取り出し、厳かに読み始める、、、新井薬師駅前から中野駅に通じる道を、兵隊さんが鉄砲を担ぎ、虚ろな目で、軍歌を歌いながら行進する、、、それを、モンペをはき、一様に白い割烹着姿で、日の丸の小旗を振りながら見送る夫人と子供、、、コメは配給制で、外食券がないと食堂へ入れない、、、夜は電灯を黒い布で覆って光が漏れないようにし、ラジオに耳を澄ますと、「東部軍管区情報、警戒警報発令、敵B29の大編隊が房総半島上空より本土に近接しつつあり。空襲警報発令!」、、、やがて聞こえてくる遠くで炸裂する爆弾の音。慌てて庭の防空壕へ飛び込み、息を殺して不安の時をやり過ごす、、、、

 3月10日夜中の0時、敵B29の300機編隊が、下町を襲い38万発(1700トン)の油脂焼夷弾を投下しました。10万人が死亡し、11万人が負傷しました。防空壕から出てみると下町方面の空は真っ赤で、思いなしか悲鳴が増幅して聞こえました。    そして3月25日の山の手一円の大空襲。新井薬師の我が家も焼けました。すべての始まりは日本を神国化しようとした紀元節ではなかったでしょうか。

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        雲に聳ゆる 高千穂の

     高嶺おろしに草も木も 

     なびき伏しけん大御世を

     仰ぐ今日こそ楽しけれ

     海原なせるはにやすの 

     池の表よりなお広き

     恵みの波に あみし世を

     仰ぐ今日こそ 楽しけれ

     空に輝く日の本の萬の国に類なき

     国の御柱たてし世を

     仰ぐ今日こそ 楽しけれ

                ー紀元節の歌ー

2021年2月10日         一人ゴルフ

 テレビを見ていたら、一人だけでプレーをさせてくれるゴルフ場あることを知りました。力の落ちた年配者にとっては、気兼ねなくプレーができるので、早速、私のメンバーコースに可能かどうか聞いてみる積りです。飛距離は落ち、足元もおぼつかなくなっている現状を鑑みると、メンバー4人で回るのは相手への気兼ねが先に立って一苦労だからです。振り返れば一昨年の9月8日、両角和雄さんのメンバーコース「浜野CC」で販売担当の小林剛君、旧友の藤本担君と回って以来、クラブを握っていません。

 一方、ゴルフは二人だけでやると、死に物狂いの熱戦になります。晴山会と称して軽井沢に宮沢恭人、山崎謙三、内山貢の長野高校の同窓生で新聞社の販売という同業者が春と秋集まって、数十年にわたってこれも熱戦と舌戦を繰り返してきましたが、ある時、内山君と二人だけで回ることがありました。軽井沢の落ち葉をかき分け踏み分け、激闘となりました。内山君はハーフ48、私は47で一打勝ちました。上がって飲んだビールの旨かったこと!

 デズニーランドに勤める長男貴史一家と沖縄へ行ったとき、長男と二人だけのゴルフをしました。例え親子であろうとも勝負は勝負です。飛距離のある長男も必死でしたが、親として負けるわけにはいきません。僅かに勝を制して奢らせたビールのこれまた旨かったこと。

 ゴルフは4人一組で回るのが原則です。場合によっては3人も許可されますが、2人、まして1人ではまず無理です。それなのに、一人ゴルフをさせるところが現れた、、、これは全くコロナのお陰でありましょう。この、恩恵にあずからずにはおられません。早速、わが埼玉奥のメンバーコースに問い合わせてみましょう。

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      うぐいす そなたも雪の中

     うぐいす そなたも悲しいか

     春の寒さに 音が細る

     こころ余れど 身が凍る

     うぐいす そなたも雪の中

              ー与謝野晶子ー

2021年2月9日           開催か、返上か

  全豪オープンで錦織圭が一回戦で敗退しました。善戦ではありましたが今までの活躍からすれば考えられないことです。彼は不幸にもコロナに感染しましたので、その後遺症が災いした、としか考えられません。一方、水泳の池谷瑠香子は二年前に白血病を発症し、厳しい試練に立ちながら8位ではありましたが、復活の兆しを見せています。いま、オリンピックへの出場を勝ちとった大勢の選手たちは、まじかにに迫った東京オリンピックが開催されるのか、それとも延期か、中止になるのか、固唾をのんで見守っていることでしょう。

 最近の世論調査によれば、国民の大多数はオリンピックの開催は無理だ、中止もやむを得ないとしています。ところが国際オリンピックのバッハ会長はじめ、日本国の総理も、東京都の小池知事も開催を一切否定していません。無観客でも決行する、というのです。しかし、いざ開催となれば、膨大な数のボランテアと医療スタッフを用意しなければなりません。観客同士の三蜜は避けられても、選手宿舎やボランテア同士の蜜は避けられそうにもありません。クラスターの発生は目に見えているのにです。つまり、開催しなければならない事情が横たわっているのです。

 それは莫大な放映権料です。これが予定どうり入ってこないと、国際オリンピックは運営できないのです。無観客であろうが、クラスターが発生しようが、開催すればテレビは放映するのですから収入は保証されます。だから、だから、国際オリンピックは中止の大号令を発することができないでいるのです。ここに、開催国の犠牲など一切お構いなしの国際オリンピック委員会の苦悩を見ることができます。

 世界各国が加盟している国際連合WHOもCCP(中国共産党)に牛耳られて無力化しています。おまけに中国はコロナの発生源であるにも関わらず、国内は人口比で世界では最低のコロナ感染者数を誇示し、オリンピックの開催には積極的です。一方、コロナ患者もイギリス型、南アメリカ型の新種が猛威を振るい始めました。オリンピック選手村のクラスターの発生は、目に見えています。ここに至って日本は、日本独自の判断で、オリンピックの返上を世界に向かって声を上げなければならないのではないでしょうか。

 

  高校生のモエちゃんは田舎のお婆ちゃんと

  温泉へ行った 「モエちゃん、アインシュタインという
          人知ってっぺ」  「知ってるわよ」

  「その人が言った相対性理論て なんだっぺ」

  「温泉に入るわよね 気持ちの良い温度だと

   10分浸かっても1分ぐらいにしか感じられないで  

   しょう 猛烈に熱いお湯だと1分浸かっても

   10分ぐらいに長く感じられるでしょう

   そういうことを言ったの」

  「へー そんなつまらないこと言って 有名に

   なるなんて たまげたねー」

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2021年2月8日           風呂の脅威 

 思い返せば、去年の昨日遅く、タイ・チェンマイの森の中の一軒家を引き払い東京に舞い戻って来たのでした。マスクをすることもなく、出国も入国も簡単でした。もし、この決断がなかったら、その後旬日ならずしてタイは国境閉鎖しましたので、出国はできたかもしれませんが、入国はできなかったでしょう。いたずらに家賃を払い続けなければならなかったかも。神様のお陰、としか言いようがありません。

 玄関脇の猫額の庭の梅の木の蕾が膨らんできています。雪国の人々には申し訳ないぐらいの暖かな日が、東京では続いています。あと、十日もすれば開花を迎えるのではないでしょうか。梅の名所は熱海にも湯河原にも、そして私が3年近く担当した茨城の水戸にもありますが、奥多摩の青梅にも見事な梅林があります。全山が梅の木で埋まっている名所です。長野高校の古い友達5,6人と、ここ10年あまり奥多摩に宿をとってダベリングの楽しい時を持ってきました。その仲間も一人去り二人去りと続き、何とこの会の中心人物だった清水淑郎君の訃報が昨日届きました。彼は慈恵医大をでて多摩の高幡不動に病院を構える医師でした。その死因がまた驚きです。自宅の風呂で息を引き取ったとのこと。続いて郷里の長野からも訃報が届きました「北七俳句の会」でいつも秀逸な作をものしていた君が、同じく入浴中に亡くなったというのです。年を取ったら入浴には気をつけろ、と言われていますが気の合った仲間二人が、まさか、自宅の風呂で命を落とすとは!

 その昔、現役のころ、箱根の塔ノ沢福住楼で会合があって石神井公園の所長さんが風呂で浮いたことがありましたが、裸であの世へ行くのは世話がなくていいかもしれませんが、惨めなものでした。爾来、風呂に入るときは脱衣所を十分温め湯船の湯を42℃から36℃ぐらいに薄めて入るように心がけています。

 梅の季節に奥多摩に集っていた6人は、すでに4人が亡くなり、残り2人だけになりました。友の訃報に接するのは、本当に、本当に寂しいものです。 

 

        梅の花の白いのは

       涙もろい 土を吸っているからだ

      色はみんな落ちてしまっても

      透明になり切れないのだ

      春浅く 葉もない枝を懸命にひろげ

      このやるせない自己顕示欲

      そして 夜はひっそりと

      自分の傷を舐めているのだ  朝

      今度は満開の花を横目に

      血を啜り合って 生きている

      人間たちの ご出勤だ 

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2021年2月7日     原 充(はらみつる)さんのこと

 古い話で恐縮ですが、私の前任者で急死された原さんについて、思い出せる範囲で書いておきたいと思います。原さんは東大法学部出身で業務局販売部の都内課副課長として江東6区を受け持つ担当社員でした。いわゆる江東6区は読売新聞の牙城で朝日新聞の普及率が15%にも及ばない劣勢地区でした。原さんのとった行動は販売網の大規模な構造改革でした。次々に若手販売店主を起用していきました。そして、思い切った補助政策を断行しました。金に糸目をつけず販売店に投入したのです。朝早くから、夜遅くまで販売店に入り込み所長を励まし、従業員会を開いては彼らにやる気を起こさせていきました。その熱意にほだされた江東6区内の販売店は次々に結果を出してゆきます。普及率が20%を超えるところが続出し始めました。その矢先、過労が祟って急死されたのです。豊島園で行われた恒例の朝日新聞社内大運動会で販売部代表のリレー選手として出場し、必死の形相で走った原さんを見たのが最後となりました。葬儀が行われた青山葬儀場には、江東6区の全所長のみならず、従業員さんまでもが参列して、その壮烈な戦死を悼んでくれました。あの広い葬儀場が満員になったのです。

 その原さんの後釜に私が指名されたのです。当時、千葉県の助手であった私が正担当として江東6区を受け持つことになったのです。今の千葉県は4っの区域に分かれ、4人の担当員が配置されていますが、当時は助手は付くものの一人であの広い千葉県を回っていました。安孫子の奥から房総半島突端の白浜まで、物凄い距離です。独立が決まったある夜、親分の海野さんは葛飾区立石で古い歴史を持つ販売店の二代目・森田誠さんを呼んで、宴をもってくれました。海野さんの奥さんの遠い縁戚でもあったようで、「この男をよろしく頼む」といわゆる仁義を切ってくれたのでした。そのお陰もあってか「柴又・川甚」行われた引き継ぎ会は無事に終わり、私はいつしか名前を呼ばれず、親分ならぬ「オヤビン」と呼ばれるようになりました。

 江東6区の販売網の立て直しに、心血を注いで逝った原さんの無念の思いは皆さんに通じるものがあったのでしょう、朝日新聞の普及率は調査するたびに、少しずつ上昇の一途たどるようになりました。そして2年後、私は福島県に転出します。ここは私の親分の海野さんがかつて担当し、東京紙第一位を勝ち取ったところです。本当は神奈川・多摩地区を担当したかったのですが、時の東北・信越の部長が海野さんだったからたまりません。思えば、人生の行方は人と人との関係の中で決まってゆくもののようです。出会いとは、不思議なものです。

  

   音楽家團伊久磨と芥川也寸志は

   戦争中新宿戸山の軍楽隊にいた 毎日ヒマであった

   机の上を シラミがはい回っていた 

   シラミだね うん、シラミだ そこは音楽家たちである

   ドレミファの音階で歌いだした 「♪ソラソラ シラミー」

   「♪ドラドラ シラミー」

   「♪ミレドミレド シラミー」

   (合唱) 「♪シー・♪ラー・♪ミーーーー」

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2021年2月6日           「川甚」廃業

 寅さんで有名になった柴又帝釈天に、川千屋、川甚という大きな料理屋がありました。傍を流れる江戸川の川魚料理で有名でした。大きな構えの店で帝釈天へお参りの客でいつも賑わっていました。

 遥か昔の現役時代、私が東大出の海野さんの助手として千葉県を担当していた頃です。都内東部と江東6区を担当していた同じく東大出の原充(はらみつる)さんが急死されました。急遽、私が正担当として原さんの後任として抜擢されました。江東6区は山の手と違って読売新聞の牙城でした。約2年間、私は江戸川区、葛飾区、江東区、荒川区、墨田区の朝日新聞専売店を駆け歩きました。その折、何かというと柴又の川甚や川千屋に集まってはおだを上げていました。料理は飛び切り上等で、最後は「ウナギ」の膳をいただいて三々七拍子で締めるのが常でした。

 その川千屋は既になくなり、川甚までもが廃業するというニュースです。東京に残る江戸時代の風情を引き継いでいた料理屋さんの廃業です。コロナは何ということをしでかしてくれるのか、このニュースを聞いて暗澹たる気持ちになりました。

 柴又は寅さんの映画でも有名です。那須さんという販売店主は読売に決して屈せず、多くの後継者を育ててくれていました。「時代は変わる」とはいえ、営々と続いてきた老舗料理屋までもが廃業に追い込まれる、その時の流れに慄然といているところです。

 

       明日の日を

       一体だれが保証できる?

 

       哀れな胸を騒がせて 何になる?

 

       月を愛で 花を愛でながら

 

       美酒を 酌み合おうではないか

 

       私はやがて逝くが

 

       月は限りなく巡る

 

       花も同じところに 咲くではないか

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2021年2月5日              蜃気楼

 蜃気楼は日本海沿岸で度々みられる光学現象を言います。実体がないのにあたかもそこに存在しているかのような錯覚を与えます。金沢出身の政治家で日本国の首相にもなった「森喜朗」を地元の人々は「シンキロウ」と呼びます。「森喜朗ーシンキロウ」、、、オリンピックの日本側役員代表者であるこの「シンキロウ」がまたまた舌禍事件を起こしました。「会議に女性が多くなると発言が相次いで会議が長引いていけない、、、、」女性差別発言であるからして、女性の反応は凄まじいばかりで、今朝は、ほとんどの新聞が一面で取り上げています。そして即刻、辞任すべきだ、と主張しています。

 このシンキロウさんが首相の時、ハワイ沖で日本の帆船とアメリカの潜水艦が海上で衝突する事件が起きました。彼はその時、ゴルフ場にいてプレー中でした。プレーを中止して、即刻、官邸に戻って対応すべきなのに、彼はプレーを続けたので非難轟轟となりました。

 このシンキロウさんは私と同じ84歳、同じ早稲田の出身です。早稲田には政治家の子弟ばかりで構成されている「雄飛会」、「雄弁会」があって、彼らは学校に隣接する甘泉園の中に部室を持ち、池のほとりで学ランを纏い、汚れ手拭いを腰にぶら下げ「我々は、、、、」と演説の練習に余念がありませんでした。当時、私は試験を受けて入部出来た男性合唱団「グリークラブ」の一員でした。腰手拭いの連中を横目で見、半ば軽蔑しながら、合同練習に励んでいました。

 調べてみて驚きました。この腰手拭いから300人以上の政治家が生まれていました。古くは石橋湛山、河野一郎、浅沼稲次郎、三木武吉、竹下登、海部俊樹、小渕恵三、、、現役では岸田文雄、小渕優子、稲田朋美、青木幹雄、河野洋平、橋下徹、、、、

 物故・現役を問わずこれら300人に及ぶ早稲田出の政治家のみならず、早稲田に席を置いた全国に散らばる卒業生たちは、この度の「シンキロウさん」舌禍事件を心から苦々しく思っているのではないでしょうか.

 

    私のこさえた 箱庭を

    誰も 見てはくれないの

    お空は青いに 母さんは

    いつもお店で せわしそう

    祭りはすんだに 母さんは

    いつまで あんなに忙しい

    蝉のなく声 聞きながら

    私は お庭をこわします ー金子みすゞー

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2021年2月4日           中国のピアニスト

 今年は、ワルシャワでショパンコンクールが催される年です。果たして、どこの国のどんな新人が栄冠に輝くのか、大きな楽しみです。しかし、問題もあります。四年前に行ったときは、会場のほとんどが、中国人、韓国人の団体客で溢れていました。そうして、自国からの出場者に割れんばかりの拍手をするのですが、他国の出場者に対しては冷淡な拍手をするだけ。その結果、この時の優勝者は韓国人の青年になりました。日本人は小林愛実ほか6人が出ましたが二次進出は一人だけ。

 入賞した6人の凱旋コンサートの時、2位から6位までは会場に設えられていたヤマハをそのまま使いましたが、一位になった韓国人若者は、ピアノをわざわざスタインウエイに替えさせました。音楽に国境を持ち込んだのです。

 このコンクールの優勝者は中国にもいます。1982年、当時29歳のユンデイ・リーです。一方、西洋音楽の歴史が浅い中国にオーケストラを教えてきたのが團伊久磨でした。ピアノを教えたのが園田高広でした。ついでながら、今や世界一強い中国に囲碁を教えたのは日本の藤沢秀行でした。上海音楽院、北京音楽院ができ、中国の若者でにぎわい始め、多くのピアニストが世界の登竜門をくぐりました。らんらん、かんかん、ユンデイリー、シューシャオ・メイ、ウエンユー、そして小柄で、いつも貧相な身体に露出過度の薄絹を纏い、悪魔的速さで弾きまくるユジャ・ワン、12歳の天才少年「牛牛・ニュウニュウ」もいます。

 そして彼らに共通しているのは、ピアノ演奏を「軽業の一種」と捉えていることです。弾きながら演舞を披露します。これ見よがしのパフォーマンスをします。何で、音に依る表現の世界に、視覚に訴える派手な動作が必要なのでしょうか?

 5年ごとのショパンコンクールは、あと9か月後に迫りました。果たしてこのコロナの最中、開催できるのか、それとも延期になるのか、オリンピックと同じ悩みがここにも存在しています。

 

                      (メダカの学校の節で)      

     楽しい同窓会 あれから30年                 

     誰が名士か 金持ちか

     見渡す限り 赤い顔      

     みんなはしゃいで 夜が更ける            

     楽しい同窓会 あれから50年            

     誰が生徒か 先生か      

     見渡す限り 禿げ 白髪            

     みんな歯なしで ファファファ

     楽しい同窓会 あれから80年        

     誰もいないよ ただ二人      

     見渡す限り 墓の下      

     押されてホームへ また戻る 

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2021年2月3日           検温器

 コロナの今どきは、自分と相手の体温が気になります。感染の場合は体温が37度以上に上がるからです。去年は脇の下に挟む体温計の小さな電池がどこも売り切れで、探すのに苦労したことがありました。最近は、小型ピストルのような形の検温器があって、これを相手の額にかざし、体温を測ることが多くなりました。近所のしばらく通っていた歯科医でも、首の牽引をやってもらう整形外科医でも、入るやいなや、そうされてきました。

 そこで、私も、と思ってアマゾンから、4000円で検温器を購入しました。昨日、初めてのピアノのレッスン日でしたが、部屋の入り口で検温器を取り出し、私の額に当て、先生に私の体温が36・4度であることを確認してもらい、レッスンを受けました。

 昨夜のことです。ベッドに入っても中々寝付かれません。普段は8時間以上の睡眠を貪っているのですが、この日に限って夜中の12時を過ぎても眠りに落ちていません。そのうち、体中が熱くなってきました。「もしかすると、コロナに感染か?」と不安に襲われました。そうなると、ますます寝られません。その時は、病院は満杯なのだから、このまま自宅療養をするより手がないかも、、、、普段ならIPADをいじっていると寝てしまうのですが、昨夜ばかりはモーツアルトの弦楽5重奏ケッヘル516を全曲聴いても頭は不安で一杯でした。その時、「あっ、検温器だ!」と玄関に置いてあるのを思い出し、起き上がって取りに行き、額に当ててスイッチを押しました。なんと「36・4度」!平熱でした。それが夜中の1時ごろ。翌朝起きたのが8時半。一時間の寝坊です。いつものように仏壇に燈明を燈し、線香をあげ、新しいお茶を差し上げながら、守ってくださってありがとう、と皆さんにお礼を言いました。

 

               峰の雪が裂け 

       雪が雪崩れる

       その雪崩に 熊が乗っている

       あぐらををかき 安閑と

       莨をすうような 格好で

       そこに 一匹の熊がいる

             ー井伏鱒二ー

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2021年2月2日         スーチーさん

 ミャンマーで内乱が起き、アウンサン・スーチーさんが拘束されました。国軍が「選挙に不正があった」と難癖をつけての暴挙のようです。

 数年前、チェンマイからミャンマーの首都ヤンゴンへ行きました。50人乗りのプロペラ機は一時間で着きました。ヤンゴン空港は、いたるところ草ボウボウで空港内も薄暗く、人の出入りも疎らでした。タクシーで40分余り、ドルでの支払いしか認めないホテルに入りました。翌朝、ホテル前の道路は早朝マーケットになっていました。腐臭ではないかと思われる魚が売られていました。巨大なアボガドが一個30円で売られていました。日本語を話すガイドをお願いして、日本人墓地、涅槃仏寺院、スーチーさんの現在のご自宅、かつてのアウンサン将軍とスーチーさんが住まわれ、現在はレストランになっているところへ、ヤンゴンに逗留している日本人牧師・鈴木さんの案内で行きました。

 ヤンゴンにも山手線がありました。半ばドアーがない3両連結の客車を旧式のジーゼル車が時速30キロで牽引します。線路の整備が悪く、それ以上速く走ると脱線の恐れがありました。おまけに、線路の両脇の空き地はゴミ捨て場になっていて、50年前の不燃物が山積していました。日本人墓地はこの環状線の一番奥の駅から少し歩いたところにありました。日本式の墓石が林立していました。涙が後から後から溢れ出てきて止まりませんでした。

 ヤンゴン随一のアウンサン・マーケットでヤンゴンの人々が皆、着けているロンジンを買いました。500円でした。一枚布を下半身にどうまとって止めるのか、ホテルの食堂へ行って従業員さんに教えてもらいました。3,4人の従業員さんが大笑いしながら、寄ってたかって教えてくれました。そうなると外へ出たくなります。ゴム草履を借りてホテルの周りを歩き回りました。 

 どこの国でも政治が軍政になると、ロクなことにならないのは歴史が証明しています。顕著な例がドイツであり日本でありました。世界の民主主義国はスーチーさんの復権に協力して当たりたいものです。      

 

      「資産家の娘さんで 3000万円の

   持参金を付けてくれるというんだ

   どうだい、君、お嫁さんにしないか?」

  「いいとも 写真を見てから決めようか」

  「写真だなんて 君

   そんなに 欲張っちゃ いけないよ」

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2021年2月1日          中村桂子さん

 ユーチューヴを括っていましたら、中村桂子さんがボルネオの熱帯雨林を探査するページが出てきました。生命科学の泰斗である中村さんについては、一昔前,ファンの一人として追っかけていました。中村さんが言い出したゲノムの理論は今では通説になり、生命の起源を深海の微生物にあることまでわかってきました。私より一つ上の85歳にして、熱帯雨林まで出かけていく情熱には感動すら覚えました。

 ダーウインが唱えた進化論は教科書にまで浸透していますが、問題は進化の過程における化石の存在が見つかっていないことです。キリスト教でもイスラム教でも人間は神の手によって作られた、というのが通説で、進化論を真っ向から否定しています。確かに恐竜や類人猿の化石は見つかっていますが、北京原人や、ネアンデルタール人以前のものはいまだ見つかっていないのです。いかにゲノム理論が当を得えいるにしろ、微生物が人間にまで進化する過程を証明するものが、未だ、明るみに出ていないのが、世界の現状です。地球の歴史は約45億年。旧約聖書の創世記には「初めに言葉ありき。言葉は神なりき」とあり、神は人間を土からひねり出し、命を与え、6日間働いて7日目を休日にされた、とありますが、この神話をそうではない、と立証することが、人間はまだできないでいます。

 中村さんの著作の一部が我が家にもありますが、この歳になってしまうと読み返す元気がありません。しかし「神が私を作られた」「ちかじか、私も神の元へ帰る」と夜空を眺めながら「しかし、何と面白い一生を与えてもらったものだ」と思うこの頃です。

 

  誰がほんとをいうでしょう

  私のことを わたしに

  よその小母さんはほめたけど

  なんだかすこうし 笑ってた

      ー金子みすゞー

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2021年1月31日         不可解 

 2年前の今日、バンコック空港からイスラエルのテレアヴィヴ行の深夜便に乗り込みました。シンガポールの松本牧師が主催するイスラエルの旅の一行に参加するためです。機内は大柄なユダヤ人で満員でした。深夜なのに機内の後部の僅かな通路に立ち尽くし、タルムードの聖典を熱心に唱している人も2,3人いました。早朝、飛行機がテレアビブ空港に着陸した瞬間、機内は割れんばかりの拍手と歓声に包まれました。世界史の中でのユダヤ人の歴史は迫害の歴史です。なるほどなあーと共感を覚えました。松本牧師夫妻を中心とする約30人の一行は、ガリラヤ湖から始まって死海に至るまで約10日間の旅を続けたのでしたが、中の2日間はエルサレムのホテルでの会議でした。ユダヤ教の経典であるタルムードでは救世主をであるイエスキリストを単なる予言者扱いをしています。救世主はあくまでもアブラハムなのです。ところが近年、イエスを認める風潮が顕著になってきています。その教徒をメシアニック・ジュウと呼ぶようになりました。神奈川・相模大野教会の中川牧師を中心にその研究会が2日間に亘ってエルサレムで行われたのでした。中川さんはユーチューブで「中川牧師の書斎」というコーナーをお持ちですが、実に確かな見識をもっておいでです。英語のほか数か国の言葉がご堪能ですから、そのたびに的確な世界情勢の推移を分析し予測しています。したがって、ユダヤ人に対する思いは、中川牧師においては並々でない思いがおありのようでした。

 いま、イスラエルに居住するユダヤ人は760万人と言われています。世界ではコロナワクチンの奪い合いが熾烈を極めていますが、報道によればイスラエル国民の全員が一回目のワクチン接種が終了したとのこと。その速さに驚いてしまいました。なぜ、こんなに早くできたのか? 不思議でなりませんが、ここにもイギリスのロスチャイルドが関係している、という噂が流れています。600万人が虐殺されてユダヤ人の血を、これ以上失うわけにはいかない、という思いが民族としては世界で最も早いワクチン接種となったのではないでしょうか。一方、日本はどうでしょう? 契約は済んでいて 2月末から医療従事者、4月初めから高齢者、となってはいますが、激烈な争奪戦の中にあって、日本の思いは果たして実行されるでしょうか?

 日本の医療が、世界各国の中でも優れているのは世界が認めるところです。何故、ワクチンの自国開発に舵を切ろうとしないのでしょうか? 不可解でなりません。

 

         明日の悲しみを 忘れるのだ

   明日は 一瞬のうちに今日となり

   今日は 一瞬のうちに昨日となる

   この一瞬こそが人生と捉えよう

   古びたこの修道院を出て行ったら

   7千年前の旅人に 会えるという

   楽しみを胸に

   この一瞬を 生きてゆこう

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2021年1月30日          スタインウエイのピアノ

 予てより、ピアノは先生について学びなおそう、と思って、色々探していたところ、家から歩いてほんの5分のところに、その先生がいらっしゃいました。マンション一階の狭い部屋でしたが、ドイツ・ハンブルク製の木造のスタインウエイグランドピアノと、ニューヨーク・スタインウエイ製のアプライトの二台が鎮座していました。ご夫妻は何と芸大出身。願ってもない幸運が転がり込んできたのです。三か月で10回のレッスン、と決まりました。楽譜の束を持っていきましたので、早速、弾かせてもらいました。やはり、音が違いました。殊に低音の輝きは自宅のヤマハC3にはないものです。嬉しくなりました。

 まず、いままでやってきたものの復習から始め、ドビッシーのパスピエとアラベスクをミスなく弾くことを第一目標にします。次は、シューベルトの前奏曲集、ショパンのワルツ、マヅルカなどなど。10年以上前までは、やはり先生についていたのでほとんどできていたのですが、いまは昔となっています。出来れば、昔の技術を超えたい、というのを目標にするつもりです。そして、春にはスラブ舞曲の連弾、、、。カチア・ブニアステビリと彼女の妹のゲバントサ・ブニアステビリのそれには到底及ばなくても、やってみたくてたまりません。シューベルトの前奏曲集も昔は全曲やったのですが、ホロヴィッツの演奏に接してからは考えが変わりました。自分のは何と荒々し弾き方をしていたことか、と考えさせられました。出来れは、ホロビッツのような平手奏法でもう一度やってみたい、これらが最終目標になるでしょう。

 鬱陶しいコロナの一年でしたが、収束にするのは、あと2,3年先でしょう。ならば、これから二年間、ピアノを友とする日常にしようではありませんか!指はますます動かなくなり、目は霞みつつありますが、それなりの努力を惜しまなければ、昔の技量を取り戻すことが出来るかもしれません。中学生の時、作曲した「ロンドヘ短調」がコンクールで一位になり、NHK長野放送局から自作自演したこと、文化祭でトルコ行進曲付モーツアルト・ソナタを全曲やったことなど思い出し、ピアノに励む日常に「自ら挑む」ことにいたします。

 

    街で逢った母さんと子供

    ちらっと聞いたは 「明日」

      街の果ては 夕焼け小焼け

      春の近さが知れる 日よ

      なぜか私も 嬉しくなって

      思ってきたのは 「明日」

          ー金子みすゞー

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2021年1月29日                  雪見酒

 昨日の午後、かなり寒いなと思っていたら雪が舞い始めました。「わー、雪だ!」と子供のように歓声をあげ、しばし、見とれていました。遥か天空から舞い降りてきた雪が、屋根には少々積もるものの、道路に落ちる雪は直ぐ溶けてしまいます。10センチ位は積もるかな、と期待していましたが、雪は直ぐ止んでしまい、今日は快晴の空、雪の痕跡は微塵もありません。

 一方、日本海側では、豪雪と突風が吹き荒れていたようで、この不公平さは、例年のことであっても、天に向かって文句の一つも言いたくなります。

 福島県担当の頃、会津若松で周辺の販売店の全従業員を集めての新年会がありました。行って労をねぎらうのが恒例になっていました。その年、例年にも増して積雪が多く、磐越西線は不通となり、やむなく、郡山からタクシーを飛ばしました。磐梯熱海までは快調、その先の峠越えもどうやら。ところが、猪苗代湖畔で猛烈な雪嵐となりました。風と雪が荒れ狂うと、辺りは真っ白。国道の標識も確認できず、車はノロノロ運転の繰り返し。運転手さんも「こんなのは初めてだ」と不安ゲの様子。会合の時間は迫ってくるし、気が気ではありません。そこへ天の助けか、後ろから除雪車が来たではありませんか。事情を話し、若松近くまで先導してもらいました。やっと間に合ったものの、時すでに遅く会合は終わり近くになっていました。急いで挨拶をし、深々と頭を下げ、一人一人に用意されていたお酒の二合瓶と賞金、記念品などをお渡ししました。従業員さんが帰ったあと、喜多方の所長の井筒さん、若松東部の大野さん、西部の根本さんと私の四人で、私が定宿にしている梅屋敷旅館の料亭の方においでいただき、しばし雪見酒をいただきました。お酒は名だたる「栄川」。三味線が入って「磐梯山」をひとしきり歌って、明日があるからとお三方がお引き取りになったあと、近くの裏通りにかたまって屋台を出している馴染みの飲み屋さんに行き、しみじみ、今日一日を反省しました。雪は既に止み、月が煌々と照り輝いていました。

   

        一年生になったモエちゃんに

         お母さんが聞きました

     モエちゃん 学校のベルは

     どういう時に鳴るの?

         休み時間の始まりと 終わりに 

         鳴るの

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021年1月28日        責任三か条

 昨日は電通の「鬼十則」について書きましたが、この十則には裏があることを知りました。面白いのでご紹介させていただきましょう。

               裏十則

1)仕事は自ら創るな。みんなでつぶされる。
2)仕事は先手先手と働きかけていくな。疲れるだけだ。
3)大きな仕事と取り組むな。大きな仕事は己に責任ばかりふりかかる。4)難しい仕事を狙うな。これをなしとげようとしても誰も助けない。
5)取り組んだらすぐ放せ。馬鹿にされて放せ。火傷する前に。
6)周囲を引きずり回すな。いつの間にか、皆の鼻つまみ者になる。
7)計画を持つな。長期の計画を持つと、空しい失望と倦怠が生まれる。8)自信を持つな。君の仕事は煙たがられ、嫌がられ相手にされなくなる。9)頭は常に全回転。八方に気を配り一部の真実も語っては成らぬ。ゴマスリとはそのようなものだ。
10)摩擦を恐れよ。摩擦はトラブルの母、減点の肥料だ。でないと君は築地のドン・キホーテになる。

 この裏十則はある意味では現実的であるかもしれません。ただ、電通にはこれらを総合した「責任三か条」がありました。その三か条とは?

1)命令・復命・連絡・報告は、その結果を確認しその効果を把握するまでは、これをなした者の責任である。その限度内における責任は断じて回避できない。

2)一を聞いて十を知り、これを行う叡智と才能がないならば、一を聞いて一を完全に行う注意力と責任感を持たねばならぬ。一を聞いて十を誤る如き者は百害あって一利ない。正に組織活動の癌であるから、削除されるべきである。
3)我々にとっては、形式的な責任論は一片の価値もない。我々の仕事は突けば血を噴くのだ。我々はその日その日に生命をかけている。

 裏十則はともかく、この半世紀にまたがる日本の広告事業の発展の目覚ましさは確かに電通のお陰と言っていいでしょう。テレビも新聞も、そして雑誌も、広告のお陰もあって、経営が成り立ち、世界でも稀な発展を遂げてきました。経営の安定があったからこそ、日本における言論の自由が守られてきたのです。いま、地方の新聞社は地域広告がなくなり、おまけに新聞を取る人が激減し青息、吐息の状態です。毎日新聞社は資本金の40億を取り崩して赤字補填し、資本金1億の中小企業に転落しました。

 ある意味で、日本の言論機関の経営とその中立性に寄与してきた電通、その電通が自社ビルを売りに出している今日この頃、、、、、

 コロナ禍が犯している罪は極めて重い、と言わざるを得ません。

          

       ふるさとは遠きにありて思ふもの

   そして悲しくうたふもの

   よしや

   うらぶれて異土の乞食となるとても

   帰るところにあるまじや

   ひとり都のゆうぐれに

   ふるさとおもひ涙ぐむ

   そのこころもて

   遠きみやこにかえらばや

   遠きみやこにかえらばや

        ー室生犀星

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