最近のエッセイ(79)

2022年2月2日          慎太郎の奥さん 

(今日は2五つ並ぶ珍しい日です。全部が2で並ぶ日は200年後の今日です)

 石原慎太郎が亡くなりました。がんの中でも一番厄介なすい臓がんだったそうでお気の毒でした。男子だけの4人の子供を持った慎太郎一家のことは、マスコミにイヤというほど登場しているのに、この子供を育てた母親、つまり、慎太郎夫人のことは余り知られていません。ほとんど、マスコミにも登場していません。調べてみました。旧姓石田典子、1938年生まれ、84歳、広島県出身、慶大法学部卒業、著書一冊あり「妻がシルクロードを夢見るとき」 逗子で小学生の時から慎太郎の遊び友達。そして慎太郎と結婚して伸晃、良純、宏高、延啓の4人の男の子を生みました。 ほとんど家庭を顧みず、芥川賞作家、国会議員、国交省大臣、東京都知事などを歴任した慎太郎を支え、4人の男をそれなりに成長させ、やっと我がままで家庭を顧みなかったであろう慎太郎を送り出したのです。旧姓石田典子、稀に見る良妻賢母であったのではないでしょうか。

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2022年2月1日          天声人語の堕落

 新聞は、毎朝天声人語から目を通し始めます。これは半世紀以上続いている習慣ですので改めようがありません。この欄を毎日執筆していた過去の論説委員の名を上げれば、古くは荒垣秀雄、入江徳郎、疋田圭一郎、深代淳郎、辰野和男、白井健策、、、、、それぞれ名記者であり名文家でした。毎朝、この欄を見るのが楽しみでもあり、一日の始まりにもなっていました。その習慣は今も変わっていませんが、どうも、この頃の天声人語は影が薄くなっているように感じられてなりません。ハッとする思いや、成程、なるほどという共感、そのことに対する憤りの気持ちなど、昔ほどでなくなっているように思われるのです。読者である私の感受性の枯渇が第一の原因であるとしても、「サスガ、テンセイジンゴ」と唸らせる記事が少なくなっているように思われてなりません。優秀な人材が新聞社に来なくなった最近の傾向がその底流をなしているのでしょうが、大きな変化は論説委員に女性が大勢入ってきている点にもあるように思われます。

 今朝の天声人語は、上野の国立博物館で開催されている「ポンペイ」を見た、で始まりました。紀元79年のベスヴィオス火山の噴火で、灰に埋まって保存された遺物の特別展です。文章はその時代に活躍した女性について主として述べ、それで終わっています。単なる感想文です。感動のかけらも見当たりません。恐らく女性の論説委員が書いたのでしょうが、誰にでも書けるような天声人語であっては先輩たちに対して「申し訳ない」と思わないのでしょうか!

 ふと、もしや、と思ってこの特別展のポスターを探してみました。「朝日新聞社共催」とありました。天声人語までが提灯記事を出す時代です。10両編成の電車の中で新聞を小脇に抱えているのは私一人の時代なのです。

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2022年1月31日         節分と春節

 2月4日は節分です。小さい頃、本気になって豆を撒いた記憶が鮮明です。家中の戸をすべて明け払い、暗がりに向って「鬼は外!」を一回唱え、今度は家の中に向って豆を撒きながら「福は内!」を二回唱えました。家中の者が「ごもっと!ごもっとも!」と言いながら、ゾロゾロついて歩きました。年の数だけ豆を拾って食べました。古来から続く日本の風習ですが、いま、どのくらいの数の家が豆まきをしているでしょうか?高層マンションのガラス戸を開け放って豆撒きをしているでしょうか? 僅かに残る節分の風習はコンビニエンスストアが盛んにまくし立てている「恵方巻」の予約注文ぐらいではないでしょうか。一度、齧り付いてみましたが大味で旨くも何ともありませんでした。

 一方、中国では今日が春節入りです。31日から2月6日までの7日間、中国の正月の始まりです。日本では考えられないほど、中国ではこの春節を大事にしています。一年を通した貯めたお金をこの時とばかり使うのです。二年前、武漢の市民はコロナ菌に感染しながらヨーロッパやアメリカに押し寄せました。世界的規模のコロナ菌蔓延は、この春節を契機に世界的に広がったのです。

 時、あたかも北京冬季オリンピックの開催が迫っています。日本の選手団も一昨日北京入りしました。防災体制は厳重を極めているようですが、果たして、日本選手団は立派な成績を収めて、感染せずに帰ってくることが出来るのか?祈ること切なるものがあります。 

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2022年1月30日        ミャンマー軍政の原因

 昔のビルマ、今のミャンマーを英国からの独立に導いたアウンサン将軍の娘・アウンサン・スーチさんを監禁し、軍が全権を握ってから、明日で丁度一年になります。この間、反対運動に国軍の銃が向けられ無残にも殺された国民は1600人を超えました。この事件の底流にあるのは中国の野望です。中東からタンカーで運ばれてくる石油をミャンマーのヤンゴンに陸揚げし、パイプラインを作って中国へ運びたい、そのためにはスーチーさんが邪魔なのでした。国軍の総司令官ミンアウンフラインは中国の甘言に、いとも、やすやすと乗ったのでした。莫大な金や武器が流れているようです。しかし、ミャンマーの軍政移管の原因はそれだけでしょうか?どうも違うようです。底流にあるのは日本企業のミャンマー浸出を阻止したい、という狙いもあるのです。ご承知のように、日本企業はその国の労働者の低賃金をいいことに最初は韓国に進出しました。韓国が飽和状態になると次は中国でした。その頃の中国人の月収は一万八千円程度でした。中国も飽和に達し、メリットがなくなったとみるや、日本企業はベトナム、カンボジア、タイ、そしてミャンマーに目を向けだしたのです。そして、韓国と中国に見切りをつけた日本の企業連合は、ヤンゴンの郊外に工業団地とすべき莫大な土地を確保しました。ミャンマーの低賃金を狙いだしたのです。その証拠に、羽田ーヤンゴン間に週一便、ビジネスクラスだけの全日空機が飛んでいます。それだけの需要があるからです。日本に対してそうはさせじ、とする中国のある種の勢力が芽生えるのも、むしろ、当然と言えるのではないでしょうか? 

 ミャンマーは貧しい国です。道端の朝市で腐ったような魚を売っている国です。走っている車のほとんどは、いすゞ、トヨタ、日産のなどの中古車、、、バスは日本語の行く先表示をそのままにして走っています。ヤンゴン市内に日本の山手線らしき電車が走っていますが、ジーゼル車に牽引された5,6両の客車はドアーもなく、窓ガラスも割れていてそのまま、おまけに、線路の両側の敷地はゴミ捨て場になっていて、50年前の日本の電化製品がヤマ積になっています。しかし、一方、市内にも郊外にも至る所に広大な仏教寺院があって、人々は敬虔な祈りを捧げています。

 そういう穏やかな国に、突如、沸き起こった軍政の嵐。その原因の一旦は日本国にもあることを、日本人は知るべきです。

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22年1月29日         佐渡金山跡

 一昔前、佐渡ヶ島の外れ相川に良質の金鉱が発見され、大賑わいを見せていました。その跡地を世界遺産に認定してもらおう、と国として申請することになりました。地下鉱脈にもぐって過酷な労働を強いられたのは、罪人やいわゆるならず者たちで、お隣さんの人間も多数いました。従って、日本の国としての申請にお隣さんは大反対を唱えています。

 佐渡へ渡るには、新潟の信濃川河口から発着する佐渡汽船乗れば、約一時間、新潟空港から出るセスナ機に乗れば15分で着きます。二年弱、新潟を担当した私は、月に一度、佐渡へ渡っていました。10人余りの所長さんが港の両津に集まり、昼間からお酒が振舞われました。金鉱のあった相川の所長さんは、朝日新聞との取引は明治時代に始まる古強者でした。

 5,6年前、新潟が懐かしく思えて、車を駆使て県内を隈なく廻ったことがあります。佐渡へも足を延ばし、今話題の金鉱跡へも行きました。膨大な広さの地下壕がアリの巣のように広がっていました。ユエあってこの地下鉱脈で過ごさねばならなくなった人たちは、薄い空気の中で、腹ばいになって鉱石を掘り続けたのです。ここで亡くなった人の数はどのくらいになるのか、入り口近くに慰霊碑がありました。自然に頭が垂れました。意外だったのは、佐渡では古来の日本の芸能が今に至るまで連綿と継承されていたことです。殊に能が盛んでした。小面を作る職人が点在していました。朱鷺(とき)を保護する施設はかなり大掛かりでした。佐渡には佐渡の文化が今もって継承されているのです。ある晴れた夜、新潟側から佐渡を眺めたことがあります。芭蕉のあの句はつくづく名句だなあ、と思いました。その句とは、

            荒海や 佐渡に横たふ 天の川 

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2022年1月28日          冬の山スキー

 今は厳冬期、晴れ渡った青空を見上げながら、もう一度、冬山へ登ってスキーで降りてきたいなあ、と痛切に思っています。長野での高校時代に属していた「ドンドン講」は、なぜか、ゲレンデのスキーを軽蔑し、新雪の斜面を滑り降りるのを旨としていました。志賀の奥の岩菅、横手、笠岳、飯綱、黒姫などなど、長野市に住んでいたからこその恵みでした。

 私の最後のスキーは、清里の宮沢君の別荘にお世話になりながらの、そこから20分で行けるサン・メドウ・スキー場でした。彼はシーズンを通して使える同スキー場のパスを持っていて毎日のように滑っていました。彼の華麗な滑りにあやかろうと、よせばいいのに、私はスキー学校に入りました。かなりの技術を教わり、先生の見ている前で生徒全員の滑降披露です。私の番になりました。勢いよく滑り出しました。教わったクリスチャニアのターンも上出来でした。その時です。制動も出来ない初心者らしい年配者が背後から猛烈な勢いで私にぶつかってきました。もんどり打って斜面に投げ出され50メートルほどして、やっと止まりました。雪上救急車がきました。首が痛くてたまりません。宮沢君に付き添われ、麓の甲州病院へ搬送されました。大きなギブスを首に嵌められ帰京しました。ゲレンデの衝突事故は双方に過失責任があり、保証の対象にはならないことを始めて知りました。

 それ以来、山スキーにもゲレンデスキーにも出かけていません。宮沢君が亡くなって6年が経過していますから、かれこれスキーから遠ざかって7、8年になります。既に、冬山や、ゲレンデスキーをご一緒した仲間も鬼籍に入っています。しかし、水上から清水トンネルを越えた、最もポピュラーな湯沢のゲレンデでいいから、一人でもいいから行って、冬の苗場を仰ぎ見ながら滑りたい、雪の中に身を置きたい、という希望は抑えがたく、ことによると、それを実行するかもしれません。

 一昔前、関越道路に続く、家の近くの目白通りはスキーを屋根に積んだり、後ろに立てかけた車がひっきりなしに走っていました。いまは、そんな車、全く見かけなくなっています。何故なのでしょう、大きな疑問です。

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2022年1月27日        ベトナムの地下鉄

 ベトナムは東シナ海に沿った細長い国です。首都は北の外れのハノイ、南の外れがホーチミン。昔のサイゴンです。激烈なベトナム戦争の結果、サイゴンは北に征服され、北の英雄ホーチミンを記念して都市の名前が変わりました。鉄道はただ一本だけ。ハノイとホーチミンを結ぶその一本だけ。全線を走ると11時間を要します。途中には古都として名高いフエがあります。激戦のあったところですが、現天皇が皇太子の頃、雅子さまとお二人でお泊りになった中国風のホテルがあります。ホールにはその時のお写真が飾られていて、その下にヤマハのグランドピアノがありました。自由にしていいので、幸い、楽譜を携行していたので何度も弾かせてもらいました。閑話休題。

 ハノイにもホーチミンにも鉄道は一切ありません。そのため両市とも車とバイクの洪水です。凄まじい轟音が鳴り響きます。まるで戦争のようでした。その状況が4、5年前から限界に達しつつあるのを知って、ベトナム政府は両市に地下鉄を作って交通を緩和する手段に出ました。受注したのが、ハノイは中国。ホーチミンは日本。両市の市民は固唾をのんでその出来栄えを見守っています。中国が受注したハノイの方がほぼ出来上がり、近く試運転が始まります。ところが、ご多分に漏れず中国製は事故が多く、ホーチミンの日本製を完成度では凌駕していても問題が続出しているようです。

 日本の優れた鉄道技術は、いま、世界に鳴り響いています。大英帝国を走っている車両のほとんどは日本製です。アラブ首長国連邦のドバイを走っている唯一の高架鉄道は日立製です。ジャカルタの地下鉄も日本製。日本を不当に押しのけて受注に成功した中国のジャカルターバンドン間の高速鉄道は、いま、暗礁に乗り上げて動きがとれていません。日本人には当たり前でも、来日した世界の人々は日本の鉄道網の凄さに、一様に驚き、驚嘆の声を揚げます。

 ハノイとホーチミン市の地下鉄建設における日本と中国の勝負。ベトナムの人たちと同様、日本の我々も目が離せません。

 
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 2022年1月26日          PCR検査

 オミクロンの感染拡大は、このところ、止まるところがありません。とうとう全国で一日に付き6万人を超える感染となりました。特に、若年層の感染拡大が顕著です。保育所や幼稚園での感染が凄まじく、すると、それらの施設は一時閉鎖に追い込まれます。困るのは父母たちです。子供たちを預かってもらって仕事に出ていたのに、出るにでられなくなります。収入が途絶えます。会社も仕事がはかどりません。連鎖的に経済の停滞が引き起こされます。社会という歯車が狂い始めたのです。

 唯一の救いは、感染しても重症化する率が低いことでしょうか。専用病床も既に60%が埋まり、自宅療養、自宅待機が強要され始めました。すると、必然的に家庭内感染が拡大します。感染が爆発的に増え、制御不能になるのは時間の問題になりつつあります。

 一昨日、私は東京女子医大でPCR検査を受けてきました。専用の検査場で順番が来て検査室へ入りました。綿棒のような針金の先に脱脂綿のついたものが鼻の穴に差し込まれ粘液がついたことを確認し、引き抜かれました。軽い違和感がありました。もし、感染が確認されたら明日午前中に電話がいく、とのご託宣。翌日、待てども待てども電話が鳴りません。助かった、と思いながらも念のため確認の電話を入れました。陰性が確認されました。やれ、嬉しやとは一瞬思いましたが、現在の幾何級数的拡大を思うと、「嬉しさも中ぐらいなり寒の入り」です。

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2022年1月25日          名護市辺野古

 沖縄本島は南北にまたがる細長い島です。南側には那覇市があり、更に激戦の行われた南部地区があり、平和公園や戦争記念館があります。北の外れには名護市があり、屋我地という風光明媚な離れ島があり、北の外れ迄広大な密林が広がっています。ヤンバルと言われる山岳地帯で、「ヤンバルクイナ」などの沖縄ならではの貴重な動植物の棲み処です。米軍の巨大な空軍基地普天間は、島の真ん中の海よりに位置し、朝から晩まで米軍機の離発着が行なわれています。人家が密集している中の空軍基地ですから、周辺住民は四六時中、騒音に悩まされています。レンタカーを駆使てその滑走路の海側へ行ってみました。恐怖でした。

 これを放置していては申し訳ない、というので代替地が物色され、名護市の外れ辺野古に白羽の矢が立ちました。サンゴ礁の白浜の埋め立てが始まりました。普天間の住民はいいとしても、今度は名護市の住民が騒音被害に悩まされることになります。激烈な反対運動が展開されましたが、日本政府の強硬姿勢は収まる気配がありません。何となれば米軍基地は日本にとって必要だからです。宮古島にも、そして南の果て石垣島にも日本の自衛隊の広大な基地が建設されてつつあります。中国の現在の覇権主義を思えば、これらの島は戦略上、重要な位置を占めているのは自明の理でありましょう。

 ごく最近、名護市の市長選挙がありました。今までの市長はすべて辺野古移設反対立場をとっていました。しかし、前回に続いて当選した市長は辺野古移設に賛成とも、反対とも意思表示をしていません。市民は既に諦めているのでしょう。その証拠に投票率は今までの最低を記録しています。しかし、辺野古の海を埋め立て、飛行場を作り、膨大なアメリカ軍基地を作るには、あと10年以上はかかるでしょう。中国の台湾併合は恐らく2,3年先に予想されます。中国の次なる狙いは日本領の尖閣列島に始まって石垣、西表、宮古であることも確かです。予断は許されません。

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2022年1月24日         憤 り

 三年前のこの日は、同窓・同業であった山崎憲三君のお通夜の日でした。日本経済新聞社の販売責任者として生涯を貫き通した逸材でした。神奈川県の戸塚斎場で行われたお通夜の席には参列できましたが「申し訳ない、明日朝早い便でタイ・チェンマイへ行く」言って別れてきました。お通夜とはいえ、親友との別れが出来たのは幸運でした。運はまだまだ続きます。今回のチェンマイ行きをもって、借りていた一軒家を解約し、これからはホテル住まいにしよう、と決め、畏友堀田さんのお陰で格好のホテルも見つかり、荷物の一切の整理まで堀田さんに頼んだのでした。使えそうな家財は家の前の道路際に置いておくと、いつの間にかなくなっていました。家財の整理と言うものは、なかなか厄介なものです。堀田さんの力添えが無ければ不可能であったでしょう。粗方、整理し終えたので、打ち上げと称してチェンマイ一の中華飯店へ行って「北京ダック」をいただきました。奇妙だったのは、100人は収容できるこの劇場型飯店のお客は、我々4人組以外はたった一組。中国で起きている何やらの流行り病のせいらしい、と薄々伝わってきてはいました。翌6日早朝、タイ航空は順調に羽田へ向けて出国できましたが、問題は堀田さんの方です。青森の大学へ留学するタイ・チェンマイの学生4人を連れて、この10日後、来日したはいいけれど、旬日ならずしてタイは国境閉鎖し、堀田さんはチェンマイに戻ることが出来なくなりました。堀田さんは次は女子高校生2名の留学も請け負っています。留学生として来日しても14日間の隔離観察が必要とのことで、わが練馬の家に来てもらって、二部屋を使ってもらうことになりました。ところが、ところがです。今もってタイ側からの留学許可が出ていないのです。その上、堀田さん自身がチェンマイへ戻ることもできないでいるのです。一時、明るい兆しが見えた時もありましたが、残念ながら、ぬか喜びに終わりました。この、信じられないような状態が4月になると2年間にも渡ろうとしているのです。自分の住んでいる家に戻れないばかりか、チェンマイの女子高生の留学への進路を阻害している「コロナ」とは一体、何なのか!深い、深い憤りを感じてなりません。 

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2022年1月23日         ネットフリックス

 「30日間、世界の映画が見放題、その後は一か月2300円」という宣伝文句につられて接続してみました。出るは出るは、あらゆるジャンルの映像が画面一杯に現れてきました。私にも深く心に沁みこんで忘れられない映画は、数々あります。検索を試みました。「石の花」小学生の頃始めて見た天然色のロシア映画です。「ヨーロッパの夜」苦学生の頃、世界への憧れと共に何十回となく見た映画です。「聖衣」イエスキリストの十字架の衣服をめぐるローマ時代のキリスト教徒受難のお話。「ノンちゃん雲に乗る」若い時に憧れた鰐淵晴子と原節子の童話。「7人の侍」「生きる」三船敏郎・志村僑の黒沢明作品。「シエルブールの雨傘」「ひまわり」など恋愛もの。「紳士は金髪がお好き」ジャックレモンとマリリンモンローの喜劇。そして白黒映画の「ハムレット」その他、、、、、。

 驚いたことにいくら検索をかけても出てこないのです。「なんだこれ!」と怒りがこみ上げてきました。最もこのネットフリックスというのはアメリカのサイトだそうですから、日本人の心根に響く映画の選択が出来ていないから、と言って文句を言っても始まらないでしょう。そこで、これを機会に、日本の日本人による日本人のための映画配信サイトに当ることにしました。夕べから始めたので結果はまだ出ていません。コロナで外出がままならない以上、自宅で古い映画を観ながら当時を振り返る、それもいいなあ、と思い始めています。

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2022年1月22日         カテイン

 たまたま、ユーチューヴを括っていたら角野隼斗のラフマニノフ2番の演奏がありました。日本フィルとの共演でサントリーホール。凄い演奏でした。カチアブニアステビリに勝るとも劣らない名演奏でした。演奏が終わって直ぐ、画面が替わり彼の自室が映され、彼の即興演奏が始まりました。思いつくままに何でも構わず、気楽に鍵盤を叩いていきます。狭い部屋ですがピアノはスタインウエイ。この演奏をスマホに捉えて観ながら感想を述べている人が何と1万5000人、その人たちの感想がすべて画面の右側に映し出され、次々に、出ては消え、出ては消えていきます。中にはお金を寄付するつもりなのでしょう、金額まで提示する投稿もありました。

 驚くのは彼の気ままな演奏ぶりです。「鬼滅の刃」もあればショパンの練習曲も飛び出します。更に驚くのは約3~40分の演奏の間、一音のミスタッチも、そして、音の弾き直しもなかったことです。そういえば、先刻のラフマニノフの膨大にして難曲中の難曲ラフマニノフ2番でも、一音のミスもカスリもありませんでした。

 この二つの演奏を思いがけなくユーチューブで発見し、念入りに聴いてみて、改めて、紛れもなく彼は天才だ、と思わされたことです。噂によれば、彼こと「カテイン」には80万人のファオロアーがいるそうですが、もはや彼は、ショパンコンクールなどを超えたところの存在であることを、改めて知りました。

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角野隼斗の家庭 右端が父親
IT企業の勤め人らしいが、会社の名前は明らかにされて   いない。彼のインターネット環境は、どうやら父親が創ってくれたらしい。母親は桐朋出のピアノ教師。千葉県八千代市でピアノ教室を開いている。妹は芸大出のピアニスト。

 今回のショパンコンクールで、2次迄いきながらそれまでで終わったことは、審査員が彼の音楽性を見抜けなかったからでしょう。既に80万人のフォロアーがいることに反感をもったのでしょう。

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2022年1月21日          解 禁

 福島・浜通りの双葉原発の炉心溶融が起きて人々が逃げ出し、いまだ帰還困難区域に指定されている町が双葉町の隣の大熊町です。隣の夜ノ森町も半分は解除になり、その隣の富岡町は既に全面解除になり、新しい、しかも、豪華な常磐線の駅舎が建ち、人の往来も始まっています。戦時中、私が国民学校1年生で学童集団疎開で移り住んだ駅前の大東旅館は既になく、500本はある夜ノ森町の桜見物も既に解禁されていて、今年の春は賑わいを見せるでしょう。

 加えて、ほとんどが帰宅困難地域だった大熊町も、ほぼ半分の地域が除染され、居住可能となりました。かつての大熊町の人口は10,158人。4785所帯でした。ほとんどがいわき市周辺に避難を余儀なくされましたが、いま、305所帯、355人が大熊町に戻ってきています。大熊町の隣が双葉町、炉心溶融を起こした原発のあるところです。その隣が浪江町。ここは風向きの関係で、モロに強烈な放射能を浴びました。

 私はこの福島浜通りに集団疎開の思い出がギッシリある上に、担当として5年、部長として2年担当しました。この最初の5年の担当時代に、双葉町への原発誘致が福島県の大問題となり、読売と民友が賛成派で朝日と毎日、民報が反対派でした。元ただせば日本国への原発誘致は読売新聞が元凶です。読売社主の正力松太郎が電源開発総裁を兼務し、電通と絡んで地方紙に電源開発の安全性を説いた広告を大量にばら撒き、その広告費に目がくらんで、反対派の福島民報迄もが賛成派に転じたことに由来するのです。私が福島を担当した5年間にそれは決着し、双葉町には膨大な金が落とされ、街は都会の様に整備されました。が、今この街は無人です。正力が指揮する電源開発と、電通が全国の地方紙・テレビに投じた原発の安全性を訴える広告費の総額は、何と1兆4000億円!正力松太郎と読売新聞と電通の犯した罪は永久に消えるものではありません。

 だが、しかしです。福島は放射能に侵されている居住困難地域であろうとも、私にとっては永久に心の故郷です。あと、幾ばくかの余生があるとすれば、富岡か大熊町へ行ってで過ごそうかな、と思っているのです。この歳になれば放射能など、もう、怖くはありません。何でもござれです。練馬の猫額のベランダに出て家並み越しの空を見上げているより、浜通りの大熊町か富岡町のどこかに居を移し、ひねもす、海風に吹かれていたいなあ、と思うのです。今は大寒の入り。あと一か月ちょっとで夜ノ森の桜が咲きます。三年越しになりますが、行って、当たって腹を決めよう、と思っています。

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2022年1月20日         幕下どん尻に王鵬

 大相撲初場所も12日目です。相変わらず照ノ富士の独断場ですが、話題を独占している幕尻の力士がいます。その名は「王鵬(オウホウ)」21歳、あの大横綱だった大鵬の孫です。星は7勝4敗で勝ち越し迄あと一つ。187センチ、148キロのガタイですから身体では見劣りしないものの、どこか、気の弱いところがあるらしいのが欠点でもあり魅力でもあります。「大鵬、巨人、卵焼き」とまで口の端に上った大鵬は遥か北の国樺太の生まれ。本名はイヴァン・ボリシコ。大鵬の三女と貴闘力が結婚し、生まれた納谷幸之介が王鵬です。

 コロナ禍もあってか、このところの大相撲は、あまり、パッとしません。横綱の呼び声の高かった高安は15枚目に落ち今場所は全休です。大関の正代は3勝7敗と無様です。遠藤も同じく3勝7敗。一敗の横綱照ノ富士を追うのは、同じく一敗の御嶽海ただ一人というテイタラク。両国国技館はコロナ禍のため、入場制限下にあり、観客も疎らですから、力士としてもやる気が出ないのでしょう。無理もありません。そんな中での大鵬の孫の幕下ドン尻の出現。せめてもの、明るい話題です。

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2022年1月19日        イギリス留学

 皇室の新年恒例行事である「歌会始めの儀」が昨日ありました。たまたま、見そびれてしまいましたが、今までに何回かテレビ中継を見て、そのおどろおどろしさに感銘を受けています。皇居・宮殿「松の間」がその会場で、歌を一つ一つ読み上げる召人の張りのある声が朗々と響き渡ります。日本書紀や万葉集の時代から連綿と続いている日本ならではの伝統の良さに思いを致し、改めて、日本人であることの幸せをみしめる時です。今年は20歳になられた愛子さまが青年皇族として初めて歌を寄せられました。

       英国の学び舎に立つ時迎へ開かれそむる世界への窓

 歴代の天皇は、何故か、イギリス留学を経験しています。昭和天皇も、現天皇もお一人で英国へ渡り、お一人で生活されています。これは皇室ならではの素晴らしい伝統です。「可愛い子には旅をさせろ」と日本古来の格言にあります。愛子さまも学習院が終わり次第、行かれるはずです。

 愛子さまは現天皇ご夫妻の一人娘です。小和田雅子さまは重圧に押された結果でしょうか、男の子に恵まれませんでした。五反田の高台にお住まいの小和田一家は朝日新聞と朝日小学生新聞、中学生ウイークリーの愛読者でした。雅子さまは小学生の時、懸賞に当たって、当社から贈られた自転車を乗り回しておいででした。見識ある雅子さまのご両親はオランダのハーグへ移住し、国際司法裁判所に籍を置いてはいるものの、一切、日本との関係を断っています。誠に人間のできたご両親であります。ついでながら、現天皇のお妃選びの際、小和田雅子さんを特定し、スクープしたのは朝日の松山幸雄記者です。論説主幹迄やられましたが、つい先ごろ、去年の10月30日に91歳でお亡くなりになりました。ところで、愛子さまがイギリスへお一人で留学された場合、全くのお一人の生活になります。ロンドンとハーグは指呼の間です。雅子さまのご両親は孫の愛子さまのイギリス入りを、どんなにか心待ちにしておられることでしょう。

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2022年1月18日           大地の慟哭

 遥か南の国の楽園トンガの海底火山爆発による被害の全貌は、その詳細が詳らかではありません。なぜなら、海底ケーブルが遮断され、通信手段が途絶えているからです。僅かに、通信衛星による写真のみが伝えていますが、それによると緑に覆われていた島全体が土気色に変わっています。島には約10万人が住んでいます。安否が気遣われます。オーストラリアとニュージーランドの軍用機が昨日遅く飛び立っています。この大地の慟哭は日本にとって他人ごとではありません。なぜなら、トンガも日本も、同じ環太平洋火山地帯に属しているからです。アメリカの西海岸から千島列島、日本列島、そしてインドネシアからトンガを結ぶ大きな円がそれです。描かれたその円の下には無数の活火山が今も煙を噴き上げています。連鎖反応は起きない、と誰が保証できるでしょうか? 

 恐らく今、大地は人間のこのところのアサマシイ生き方にシビレを切らし慟哭しているのではないでしょうか。トンガでの爆発はその狼煙ではないでしょうか。

 奇しくも17日は27年前起きた「阪神淡路大震災」の日です。この日博多のホテルにいた私は、何気なくテレビを付けると惨劇がまざまざと映し出されていました。音はありません。家屋が崩壊し、火が出てメラメラと燃えているだけの映像が長々と続きました。不気味でした。こういう災害が今度は南海トラフ崩壊により日本で起きないとは誰が保証できるでしょう。大地は慟哭しているのです。人間の思い上がりで発生したコロナ騒動を始め、大国同士の覇権争いの激化を、地球は嘆き悲しんでいるのです。今回の大爆発は地球の嘆きであり、人類に対する警告でなくて何でしょう。

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2022年1月17日         気象庁の想定外

 16日の深夜、太平洋の南の外れ、トンガの国で海底火山が爆発しました。それによって津波が発生し、1メートルから2メートルの高さで沿岸諸国へ押し寄せました。慌てたのは気象庁です。過去のデータが全くない現象だったようで、深夜、避難指示を大仰に出しました。「津波が発生しました。兎に角逃げてください!!」

 驚いたのは、かつて強烈な地震に伴う津波によって、多大の被害を受けた海岸地方の人たちです。この時とばかり逃げに逃げたそうです。警報は12時間以上続きました。朝になり、この日は三陸沖の地域でも共通一次試験が実施されます。延期となりました。津波は1~2メートルの潮位で終わり、結果的には取り越し苦労に終わりました。

 問題は、なぜ、気象庁は正確な情報を出せなかったのか、です。24時間近くテレビ画面に緊急速報を出し続けたのか、です。被害は全くの軽微であったにも係わらずです。誇大情報の結果どれだけの沿岸住民は、怖い思いをし、日常がかく乱されたことでしょうか。これに対し気象庁は「私どもにとって、初めての経験でありました。記録はありませんでした。そのため、大事に大事をとったのです」と述べています。確かにそうでしょう。でも、海底爆発はそう度々起きるものではないとしても、シュミレーション位はしておく必要はあったのではないでしょうか。海底の地殻変動によって起きる津波。海底火山の爆発による津波。日本は四方を海に囲まれ、近いうちに南海トラフ地震が予想されている以上、気象庁は今のままでいいのか、素人目にも疑問に映って仕方がありません。

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2022年1月16日         ピアノを諦めるな

 昨日行われた大学入試・共通一次の問題と解答の全部が、朝刊の大部分を占めて掲載されています。毎年、歴史と国語と英語について、受験生になったつもりで、少しだけ挑んでみるのを恒例としてきているので、今年もやってみました。

 いやはや、その難しいことといったら、、、、英単語はほとんど忘れてしまっています。歴史年号も遠い空の彼方です。かろうじて、どうにかなるのは国語ぐらい、、、、総じて言えるのは問題は年々複雑になり、考えさせる問題が多くなっていることでしょうか。我々の時代より数倍、いや、数十倍難しくなっている、しかも、考えさせるというか、その人間の真の実力を試す問題ばかりになっているのを、いや、というほど知らされ、兜を脱いでしまいました。そして思いました。今の高校生は、我々の頃より数倍、いや、数十倍大変だな、と。

 ショパンコンクールで惜しくも6位までには入らなかったものの、大活躍したピアニスト角野隼斗は開成高校から、この共通一次を潜り抜け、難関中の難関東大理科3類に進み情報工学を専攻しながらピアニストとして大活躍しているのです。難曲中の難曲ラフマニノフの2番をサントリーホールで演奏しているのです。ショパンの練習曲集10番と25番の全曲を暗譜で弾けているのです。「恐れ入谷の鬼子母神、ビックリ下谷の豪徳寺」であります。

 私のピアノも、12月にピアノ教室のビデオ発表会に名を連ねさせてもらい、ショパンのノクターン6番を弾いたのはいいけれど、聴いてみて、自分の下手さ加減に嫌気がさし、落ち込んでいたのでしたが、これではイカン、ピアノに向えるだけでも幸せに思え、と思い直し、昔やったことのあるシューマンの「子供の情景」全曲演奏に取り組むことにしました。これもそれも、共通一次の問題集を見て触発された結果です。 

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2022年1月15日          おかずのクッキング

 テレビ朝日の長寿料理番組「おかずのクッキング」が3月をもって打ち切られる、という記事が朝刊の片隅にありました。土井勝さんの息子・土井義晴さんになってからのこの番組は、余り、パッとせず早朝の時間帯に追いやられていました。土井勝さんの頃は午後2時台の15分番組で、人気を誇っていました。土井さんのにこやかな笑顔と、軽妙な語り口のお陰でした。

 この人気番組にあやかり、朝日新聞読者の新規開拓に結び付ける方法はないものか、考えに考えました。当時、私はほやほや宣伝部長。テレビ朝日の出版部長は長野高校2年先輩の丸山一昭さん。行き着いた先は、テレビ朝日が毎月発行している「月間おかずのクッキング」の良いとこ取りをしたパンプレットの大量製作でした。20ページを一冊にして30円で卸してもらいました。朝日新聞を購読すると土井勝のレシピ満載の小冊子が、タダで読者に渡るようにしたのです。この企画は当りに当たりました。最盛期には月額100万部ほどの注文となりました。毎月3000万円、年額3億6000万円が朝日からテレビ朝日に流れました。

 一方、土井勝さんを引っ張り出し、講演会を各地でやってもらいました。本社主催ではなく、各地の朝日会主催にしてもらいました。一泊して翌日は土井さんを中心とするゴルフ会です。販売店所長も加わり、勿論、丸山さんと私も入れてもらって、和気藹々とした一日を過ごしました。

 土井勝さんは温厚にして、謙虚な人柄であったので、ゆく先々で誰からも好かれました。その土井さんから贈られた色紙が、今も私の仕事場に飾ってあります。雄渾な筆致で、ただ、「味」とだけ書かれた色紙です。キッチンにはいただいた中華鍋が今もあります。「この鍋は火入れが大切です」と念を押された時の、土井さんの料理を愛するが故の入念な言葉の数々は、今も、脳裏に焼き付いています。

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2022年1月14日         共通一次試験

 今日から大学の共通一次試験が始まりました。関東平野は快晴ですが、日本海側の雪国の学生諸君は大変でしょう。いつもこの時期に思うのは、受験に当たっての時期の不公平についてです。諸外国の新学期は、おおむね9月であるのに、日本は4月開始を踏襲しています。もし、9月になったとすれば、春から夏にかけての最も良い季節に試験が出来るでしょう。不公平感は無くなるでしょう。それでこその共通一次ではないでしょうか。一時、変更しようという機運が高まったことがありました。でも、余りに大掛かりな変更のためか、立ち消えになってしまっています。

 いつの季節であろうとも、試験はその人の進路を規制する大問題です。私の場合は5回ありました。一回目が長野県一の進学校・長野北高。4番で入ったそうですが出るときの席次は273番。2回目が都立大、3回目が東京外語。見事ははじかれました。4回目が明治学院大。入学手続きをしようとするところへ、早稲田の合格通知。そして、6回目が朝日新聞。もし、明治学院へ行っていたら今の私はどういう私になっていたでしょうか。それほど、試験というものはその人間の進路を左右する一大出来事でありましょう。それだけに季節に左右されない、いわば、最も良い季節にそのチャンスを与えてもらいたい、と思うのは私だけでしょうか。

 雪に埋もれた校舎で受験している若者よ、頑張れ、と祈るや切です。

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2022年1月13日         異常事態とはホント蟹?

 蟹の値段が高騰して、益々、高嶺の花になりつつあります。北海道沖の漁獲量が減っても、蟹の産地はアラスカ、カナダ、ロシアです。2005年ころは合計で10万トンの輸入がありました。それが一昨年では1万トンに減りました。十分の一になっているのです。加えて日本近海での漁獲量の減少です。加えて、アメリカ人と、カナダ人と中国人が、蟹の旨さを知りました。健康にもいいことが喧伝されました。

 日本へ来て蟹の旨さを知ってしまった中国の富裕層が、蟹の囲い込みを始めました。加えて、日本海側での「ズワイガニ」の漁獲量は、乱獲が祟って減る一方です。

 今日の夕刊の一面見出しは「カニ高騰・異常事態」とありました。そして、上に述べたことが、更に詳しく載っていました。そして、思いました。事ここに至った以上、もう、蟹のことは諦めよう、今まで散々お世話になっったのだから、もう、いいではないか、と。だが、一方では「こん畜生目!」と思う気持ちを抑えられません。それは、中国に出現した富裕層の傍若無人な振る舞いです。彼らは日本の湾岸に林立する高層マンションを買い占め、中国での水資源の枯渇を予想し、北海道や、東北の土地を我が物にし、更に日本のウイスキーを高値で囲い込み、挙句の果ては蟹の値段にまで係わっている、、、、、。世界の世論はこれを許していていいのでしょうか。

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2022年1月12日                日本列島の言語

 日本列島はいま、寒さで震えあがっていますが、沖縄本島の先の宮古島、石垣島、西表島などは半袖でも大丈夫でしょう。不思議なことにこれらの島では日本の古来の言葉が今でも使われています。音便が多用されています。例えば「一大事」を「いちでえじ」と発音します。「また、わんねえ、わちゃくさりねーならんくと、うたやなーならすぬくとうないびらんたい」、、、わちゃくとは古來語にある冷やかしと同義語です。「わたし、冷やかされるから歌を唄いたくないわ」という意味です。

 また、下の話で恐縮ですがこれらの島に共通して、女性自身のことを「宝登(ほと)」または「ホー」と呼んでいます。埼玉・秩父に「宝登神社」が現存していますが、この神社は神代の昔からあって、ご神体はいわゆる「アレ」だそうです。一方、男子も持ち物は「タニ」と呼ばれています。オオタニ翔平が沖縄へ行ったら騒ぎになること必定でしょう。

 旅がらすの身であってみれば、あちこちでその土地の人だけにしか通じない言葉に接してきました。どうにか分かろうとしても、皆目、見当もつかなかったのは、青森の津軽弁、それに鹿児島の薩摩弁。そして、沖縄の古代弁であったでしょうか。沖縄には日本の古代語がふんだんに使われ、そして演じる「乙姫劇団」がありました。入ってみたことがあります。会場全体が爆笑の渦になっているのに、こちとら、ただただ、ぽかんとしてました。言いたいことはただ一つ。日本列島はただただ、細長い世界でも稀な国だという事実です。  

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2022年1月11日          IPADサマサマ

 昨年の今頃はパソコンに不具合が生じて、難渋していました。PCデポから購入した大型画面のウインドウ10がウイルスに侵され、福島の富士通の修理工場に二回も往復したのでしたが、係員の単純ミスであることが判明し、事なきを得て、今は快調そのものです。一方、同じPCデポから購入したPADも、既に身体の一部と言えるくらいに身近な存在になっていて、毎晩、ベットの友になっています。

 昨日、必要があってPCデポへ行きました。新しく私どもの担当者になったYさんという若い女性は、オソロシイほどの熟練者で、私のインターネット環境についてアドバイスをしてくれました。そして提案がありました。私のIPADはもう古すぎる、新機種が出ているので、それにすると、また、新しい世界が広がる、というアドバイスなのです。しかも、月額999円の4年延払い。私があと4年は生きるであろうことを見越しての提案でした。二台目になる今のIPADで何不自由ないのですが、新しいコンテンツが盛りだくさん、と聞いては捨て置けません。契約してしまいました。

 思えば、IPADほど優れた大人の玩具はありません。すべての音楽が聴けます。ユーチュブで世界の動向が探れます。ほとんどの雑誌が読み放題。メールのやり取りもできれば、古典文学の宝庫・青空文庫もあります。そして、聖書。更にあらゆるゲームもあれば囲碁も打てます。人生の終わりころに当たって、こういう優れモノが与えられたことは何という喜びでしょうか。しかも、旬日ならずして新しい機種のご入来です。待ち遠しくてなりません。 

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2022年1月10日         世界の指導者の背丈

 前々首相の安倍晋三は、頭の中身はともかく、背丈だけについては、世界の指導者に伍してヒケをとりませんでした。何しろ177,8センチもありました。彼より背の高い指導者はトルコのエルドアン・182,9センチ、カナダのトルドー首相188,0センチ、アメリカのトランプ189センチ、最も背の高い指導者はセルビアのブチッチ大統領198センチ、、、逆に最も背の低い指導者はアイルランドのヒギンス大統領160,0センチ、北朝鮮の金正恩と韓国の文在寅で162センチ。ドイツのメルケルさんは165,1センチ。ロシアのプーチンとニュージーランドのアーダンは170,2センチで並んでいます。そして世界を騒がせている中国の習近平はイギリスのジョンソン首相と同じ175,3センチです。奇しくも私も175,3センチ。二人と同じです。

 一方、中国の総人口14億5000万人のうち、共産党員の数はどの位でしょうか? 調べてみました9514万8000人、と分かりました。その他に末端組織として486万4000人が存在します。つまり、15人に1人が共産党員で、党員でなければ人にあらず、と言われるくらい組織の中で幅を利かせているらしいのです。5年に一度開かれる「全人代」を中心に集団指導体制をとり続けている中国共産党の組織の中に「選挙」という民主主義の根源をなす制度が不在です。つまり、中国では政治に参加できるのは共産党員だけであって、約人口の90%の人々は政治の蚊帳の外に置かれているに等しいのです。こういう国家が世界の覇権を握ろうとし、行動を起こしているから厄介なのです。

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022年1月9日        急ピッチで進む軍事基地造成

 日本列島は細長い島の連続で成り立っています。かつては日本領土だった千島列島から始まって、国後、択捉などの北方四島、九州の先は奄美大島から沖縄本島、宮古島、石垣島、そして与那国島まで続いて終わります。石垣島の周辺には小浜島、西表島などの優美にして学術的に貴重な小島が点在します。晴れた日にはこれらの先島から台湾が指呼の間に見えます。

 いま、これらの島が恐ろしい速さでその様相を替えつつあります。軍事基地の建設です。奄美大島の大熊地区には50、5ヘクタールの軍事基地が既に出来ました。膨大な広さです。宮古島にも22ヘクタールの基地が既に出来ています。そしていま、急ピッチで進んでいるのが石垣島の軍事基地です。46ヘクタールの巨大な基地です。然る上に沖縄本島にはアメリカ軍の基地が三つも四つもあります。

 何故でしょう? 言わずと知れた中国の台湾併合後に起きるに違いない領土侵略に備えるためです。「一帯一路」の美名の裏はその国をやがては中国のものにしようとする野望が見え見えです。世界の歴史は覇権争いの歴史です。かつて日本も同じことをやりました。八紘一宇、大東亜共栄圏の旗印の元、朝鮮半島、支那、満州、台湾に向けて軍隊を繰り出し、征圧してきました。

 同じ歴史の繰り返しを、今度は中国がやろうとしているのです。中国の狙いはまず、台湾への侵略と統一。それが出来たら、尖閣列島を含む先島諸島であることははっきりしています。沖縄本島もその中に入っているのです。本島のアメリカ軍基地が攻撃の対象となる時は、中国とアメリカが本気で戦争を始める時です。

 今後、10年以内にそれは起きる、と私は感じています。95歳まで生きて、その結末を見てから死にたいものです。

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