最近のエッセイ(75)

2021年10月31日       スマホを落とした

 昨日は宮沢恭人君の7回忌でした。6年前の10月30日、彼は29日にワルシャワから帰国する私を待ちかねたように逝ったのでした。毎年、この日、芳子奥様と井の頭線東大前駅そばの墓前に花を添え、念仏を唱え、渋谷に出て、彼が好んだドジョウ屋で思い出を語り合うのが続いていました。今年はお奥様の体調が勝れず私一人の墓参となりました。ふと、気が付いて長野の内山貢君にスマホで電話を入れ「彼の墓前にいる、7回忌だ、彼に語り掛けてやってくれ」と、スマホを墓石の上に置きました。その、スマホが気づいたらなくなっていたのです。

 いま、東横線と副都心線と西武線は全部つながっていて埼玉奥の飯能から、海べりの横浜中華街迄、特急が走っています。お陰で練馬から渋谷まで20分もあれば着いてしまいます。スマホはその電車の座席に置き忘れたか、と思い練馬駅で申し出ました。親切な女性駅員さんが調べてくれましたが、ハッキリしません。帰宅してからスマホを買った駅前の店に行って、私のスマホを機能停止にしてもらいました。悪用を恐れたからです。念のため中村橋駅前交番にも申し出ました。奇特な人がいて警察に届けたくれたかもしれないからです。

 普段、電話と、時計代わりにしか使わないスマホですが、いざ、手元を離れてみると愛しさが募り、自分の不注意が責められました。交番のお巡りさんはあちこち連絡を入れてくれました。そして、そして私のスマホが渋谷警察署に届けられていることが分かったのです!良かった!と胸を撫でおろしました。

 井の頭線から降りた私は、副都心線に乗る前に、渋谷駅のハチ公広場の道路沿いの不安定な石垣に座って、スクランブル交差点の夥しい人の流れを動画撮影したのでした。その際、ズボンの後ろポケットに入れた積りのスマホが、何らかの拍子に落ちてしまい、奇特な方の手によって広場の向かい側にある交番に届けられたのでしょう。奇特な人は女性か、男性か、礼状を書き、何らかの金品を添えて送るつもりです。今日は日曜日なので明日渋谷警察へ行ってきます。

 それにしても、雑踏の中で無くしたものが、再び、戻るなんて奇跡でありましょう。やはり、宮沢君が見守ってくれていたに違いありません。「中沢!お前、シッカリシロ!」との声が聞こえるようです。

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 2021年10月30日       カミ共にいまして

 「♪神、共にいまして、ゆく道を守り、、、♪」という讃美歌があります。私の来し方は、その神ならぬ紙と共にありました。学生時代の後期2年間は、授業が終わると早稲田から都電に乗って茅場町の日本経済新聞社へ行って紙の仕事をしていました。朝日の販売局に配属されて以来、「紙、紙、紙、、、」の連続でした。新聞部数のことを我々は「紙」と呼び、どうしたら「紙」を増やすかに明け暮れたのです。

 入社早々の研修期間中、新人8人は「紙」担当重役に連れられて、静岡県吉原の「大日本製紙」の工場へ連れていかれたことがあります。輪転機に掛ける大きな巻き取り紙の製造工程をつぶさに見学したのです。海外から運ばれてきた生のチップに新聞などの古紙が混入され、次第に巻き取り紙に変っていく過程は、面白くて見飽きることがありませんでした。将来のお得意さんの見学とあってか、工場側の「もてなし」は尋常でなく、貴賓室での昼食は、山海の珍味に溢れ、お土産まで頂戴しました。そのせいもあってか、朝日新聞の部数は当時の400万部から830万部迄倍増し、大日本製紙の巻き取り紙も、取引が倍増したのは言うまでもありません。

 しかし、時代は移り、情報伝播の媒体は紙から電波に替わり、部数も激減し元の400万部近くまで落ち込んでいます。同時に、紙の需要は減りに減ったのですから「大日本製紙」さんの嘆きは如何ばかりでありましょう。時の流れは何とも非情なものです。

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 現代の最高速輪転機

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2021年10月29日        厭らしい 

 世界中の美術館が古美術品を修復するときの必需品に紙があるそうです。それに耐える紙は、洋紙ではダメで、日本の和紙が長い間、使われてきました。ところが最近、日本の和紙はダメだ、もっと、丈夫で長持し、しかも、値段は和紙より廉い紙がある、それは韓国の紙である、世界の美術館は韓紙を使うべきである、と声高らかに世界に発信する者が現れました。パリのルーブル美術館に採用された韓国の若者です。この男はユーチューブでこのことを盛んに宣伝するものですから、いま、古美術修復界の話題になっています。

 韓国の排日姿勢は小学校の教科書から始まっています。文化は中国から始まって朝鮮半島を経て、未開の任那(日本)にもたらされたのにも係わらず、高句麗は占領され、その後、日本の帝国主義によって朝鮮半島は支配された、植民地化された韓国民は「怨」を胸に抱いて、日本に挑まねばならない、と実しやかに書かれています。恐らく、ルーブルに採用された韓国の若者も、そういう教育を受けた者の一人でしょう。文在寅の政権下で始まった日本製品不買運動は、韓国の一部の識者からは顰蹙を買ってはいるものの、教育制度の根底が排日ですから、今もって収まる気配がありません。来年3月に現政権が替わるとしても、立候補の噂のある人物も反日姿勢ですから、不買運動はまだまだ続きそうです。

 ルーブルに就職出来て、韓国紙の優位を息巻いている韓国青年に言っておきたいことがあります。韓国の紙幣「ウオン」の用紙は韓国製ですか?日本の紙ですよ。韓国人のパスポートは韓国の紙を使っていますか?耐久力が優れているから、という理由で、全部、日本の紙を使っているではありませんか。  

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2021年10月28日       安倍のマスク

 コロナが流行り始めたころ、マスクが不足しました。50枚入りの一函を争って買った記憶が鮮明です。安倍首相の一声で始まった「アベノマスク」が日本の全家庭に無料で配られました。英断でありました。ところが、いま、そのマスクが8,300万枚が配られずに在庫として残っている、というではありませんか!金額にして115億円分です。しかも、その保管料が年間6億円!開いた口が塞がりません。厚労省は何をやってるか!「役所仕事の典型」がこれでなくてなんでしょうか!怒り心頭を発しているのは私だけではないでしょう。

 厚労省は弁解します。「税金で買ったから保管料はかかっても簡単に捨てられない」と。当たり前でしょうが、、、、全国の高齢者施設に無料で配るとか、全国の中学高校に置かせてもらって、必要に応じて使ってもらうとか、低開発国に寄贈するとか、有効活用は数えきれないぐらいあります。国会議員は何のためにいるのですが、我々の税金で買ったものを、有効活用する道を見つけ出せないでいる議員はその資格がありません。お粗末な行政が明るみに出てしまいました。だから、安倍政権はダメだったのだ、自民党はダメなのだ、という議論が噴出し、恐らく、31日の投票に影響するでしょう。。

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2021年10月27日            人の興味は推移する

 生まれたばかりの赤ちゃんは、動くものに興味を示します。初めは頭の上で回るメリーゴーーラウンドの玩具だったのに、次第に犬や猫やミッキーマウスになっていきます。動くものは次第に人間になっていきます。受験の競争相手だったり、子孫を持つ目的のための異性になっていきます。同僚や部下や、目上の人間の動きに目が離せなくなります。それらを卒業すると次の興味の対象は植物です。調布の神代植物園はいつも動くものに関心が失せた年配者で溢れています。毎年、秋に開かれる菊花展には懸崖を見ようとする人で溢れます。

 さて、人間を含む動く動物にも飽きた、植物もたくさん見たし、育てもした、この次に来る人間の関心事は何でしょう? それは鉱物です。金や、銀や、銅で出来たものです。勲章です。

 今日の新聞で文化勲章、文化功労賞の受賞者名が発表されました。そして、旬日ならずして、秋の叙勲者名が発表されます。どれだけ大勢の年配者が「次は俺のはずだ」と、その発表に関心を寄せていることでしょう。

 今日の文化勲章受章者9人の中に長嶋茂雄の名がありました。病身でヨタヨタ歩きの88歳のホームラン王です。彼は20年ほど前、不整脈による心臓手術を受けています。心房粗動だからよかったので、心房細動手術だったら、いま、命は保証されていないでしょう。どんなに彼はこの日を待ち焦がれていたことでしょうか。   

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2021年10月26日       事 件

 テレ朝のモーニングショウで、北海道十勝・帯広の選挙区で善戦する故中川昭一の妻・郁子の姿が映し出されていました。曲者田中宗男も応援演説に駆けつけていました。北方4島の帰属問題で彼と共に関わった人間がいずれも不幸な結果になっていることを、今更のように思い出してしまいました。中川昭一の父・中川一郎自死に追い込まれました。首を括って死んだのです。カバン持ちは宗男でした。中川昭一も泥酔して死にました。同志社のキリスト教学科から外務省の分析官になり、今は押しも押されぬ言論人になっている佐藤優は、田中と組まされ北方4島に関わったため、513日間牢屋にぶち込まれました。その田中宗男が中川郁子の応援演説を買って出ているのです。

 生前の中川昭一は精悍そのもので苦み走ったいい男でした。現役のころ彼から表彰状を貰い、その後の立食パーティで話をしたことがあります。ところはプレスセンター。農林水産庁が朝日学生新聞社が長年に亘って主催し続けてきた小、中、高校生を対象とする「海と魚全国コンクール」を褒めて表彰してくれたのです。社長だった私は壇上に上がって、時の大臣の彼から賞状を貰ったのでした。飲み物片手に暫し談笑しましたが、私はその時、彼が総理大臣になったらいいな、と真から思いました。彼は慶応に受かっていたのに、通学せず、翌年、東大法学部に合格を果たした秀才でもありました。いま、未亡人の郁子さんが選挙戦の最中にあります。亡き昭一さんのためにも、頑張りぬいて欲しい、田中宗男とは距離を置いて欲しい、と心から願いました。 

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2021年10月25日    新しいピアノの出現

 コンサート用ピアノの製造ではドイツと日本がとびぬけていて、スタインウエイ、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、そしてヤマハとカワイがあります。今回のショパンコンクールで優勝者のカナダ国籍のブルース・ルイが使ったピアノはそれらのいずれでもなく、「ファッイオリ」というイタリア製の新しいピアノでした。新しいといってもこの会社は40年前からすべて手作りピアノを作っていた小さな会社です。

 イタリアは昔から楽器の製造で有名です。殊に弦楽器のストラデバリ、アマテイなど、今はこの古楽器が1億~2億円で取引されています。ピアノ製造でドイツのスタインウエイ、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、日本のヤマハ、カワイに後れを取ったイタリアが「これではならじ」と作り上げたのが「ファッイオリ」だ、と言われています。なるほど、この新しいピアノはよく鳴ります。殊に低音と高音が歯切れがよく、音質が高雅で神秘性すら宿っています。日本にも代理店があるようですが値段は極秘とされています。浜松町にスタインウエイの代理店「松尾楽器」があり、昔、見に行ったことがあります。練習用が400万、フルコンサートが1500万、今では3000万クラスもあるようです。貧乏サラリーマンにはとても無理なので、120万のヤマハC3#で諦めました。

 今回のショパンコンクール入賞者8人のうち、この「ファッイオリ」を使ったのは驚くなかれ3人もいました。そして、スタインウエイが同じく3名、何とカワイが2名。ヤマハはゼロ。二位の反田恭平はカワイでした。この点は立派です。4位の小林愛実はスタインウエイでした。日本人である以上ヤマハで勝負すべきでした。

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2021年10月24日       早稲田祭

 昨日、六本木のサントリーホールからの帰り道、早稲田の大隈講堂前の道を選んで戻ってきました。もしかしたら、大学周辺は早稲田祭の準備で大わらわのはずで、開催されるなら同級生に声をかけて参加しようと思ったからです。なぜなら、今年は今日24日が早稲田祭の当日だからです。ところが、大学周辺は静まり返っていました。昨年に引き続き、今年も、ネットによる早稲田祭だそうで、ガッカリでした。

 名古屋に居を構える朝日同期入社で広告局配属だった高岡和雄君と早稲田祭に参加したのは、もう、何年前になるでしょうか。大隈庭園でコップ酒を手にしながら、似顔絵のテントで描いてもらっていたら、隣の席で同じく描いてもらっていたのが白井総長でした。大隈講堂の一番前の席に陣取って、出し物を見ていたら、女子学生の脂粉の匂いが強烈でした。大前研一の記念講演では、なりほどと、唸るところが多々ありました。郷愁と言ってしまえばそれまでですが、アルバイトが忙しくてロクに出席しなかった学生生活ではあっても、私にも人並みの感慨はありました。こちとら、そうでなくても先は短いのです。来年こそは早稲田祭を開催して欲しい、「コロナのこん畜生め」と呟きながら車を走らせ、帰宅しました。 

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      都の西北早稲田の杜に 聳える甍は我らが母校
   我等の日頃の抱負を知るや 進取の精神 学の独立   現世を忘れぬ久遠の理想 輝く我らの行く手を見ずや

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2021年10月23日          譜面台

 今日は、久しぶりにサントリーホールで生のオーケストラとピアノ演奏を聴いてきました。オーケストラは日本フィル、ピアノは福間洸太朗。客席はコロナが下火になっているせいか8割の入りでした。リムスキー・コルサコフのピアノ協奏曲。ショスタコーヴィッチの交響曲10番、指揮はアレクサンドル・ラザレフ。オケの編成は第一・第二ヴァイオリンで50名、ビオラが20名、チエロが10名、コントラバスが8名、それに管や打楽器に、オルガン迄加わる大編成でしたから、ピアノの音が霞むほどのハーモニーが広がり、大いに満足でした。

 ひょんなことで、早稲田で同級生だった筧美智子さんにカボスの一函を送ったら無料券を手配してくれたのでこの幸運が訪れたのです。彼女は元、日フィルの社員でした。ピアノの福間さんは、二人のお嬢さんがいる34歳ですが、高校は御三家の武蔵を出た後、ドイツの音楽学校へ行ったため、これといった音楽賞の受賞歴はないようです。でも、優れた演奏でした。ところで、一つ疑問が生じています。ピアニストはすべからく、暗譜で演奏するのが常であって、楽譜を見ながら演奏するのは余程の場合だけです。オケの場合はどうでしょうか?譜面台は二人に一台の割で演奏者の前に置かれています。でも、それを捲る動作がありません。何故でしよう? 弦の演奏者は、すべてを暗譜して演奏しているのでしょうか?それとも譜面台に仕掛けがあって、音の流れと共に画面が替わっていくのでしょうか?変な疑問に囚われてしまいました。調べてみることにいたします。

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2021年10月22日        喜びも相半ば

  ショパンコンクールのファイナル結果が出ました。日本の反田恭平が2位、小林愛実が4位に入りました。ショパンのピアノ協奏曲1番と2番を演奏したファイナリストは12名。国別ではポーランド2、カナダ2、イタリア2、中国1、日本2、スペイン1、ロシア1の12名でした。通常は6名が選ばれるのですが、何故か、今回は3位と4位が2名づついます。だから、合計8名が入賞です。

 一位はカナダのブルース・ルイ。二位は日本の反田恭平。三位がスペインのマルタン・ガルシアとイタリアのアレクサンダーガジェブ。四位が日本の小林愛実と、ポーランドのヤクブ・クーシュリック。五位がイタリアのレオノーラ・アルメリーニ。六位がカナダのジャン・ルイ・ヴイ。中国と韓国とアメリカとロシアは誰も入りませんでした。

私が秘かに期待していたのは、角野隼斗と古海行子です。だから、この結果はについては面白くも何ともありません。と、思って審査員の顔ぶれを見ると、ロクなピアニストがいないではありませか!今は亡き中村紘子やアルゲリッチが居ればこんな結果にはならなったでしょう。このコンクールで日本人として二位となった内田光子の顔が見えていましたが、彼女はイギリスに永住しているおばあさん。僅かに日本のピアニスト海老綾子(ショパンコンクール5位)が居ました。それにダン・タイソン がいるのにはビックリでした。彼はアジア人として初めて優勝したベトナム人ですが、既に過去の遺物でしょう。ほとんどの審査員がポーランド人のこの5年に一度の大会。世界には優れたピアニストが大勢います。ホントに一流のピアニストに審査して欲しかったなあ、と私は思います。それに加えて反田恭平はワルシャワに居を構えて幅広い音楽活動を展開している、いわば興行師の一面もあるやに仄聞します。彼の世話になっている、あるいはなろうとしている審査員がいることも判明しています。だから率直に喜べないのです。何事にも「裏」があるのは仕方がありませんが、純粋にショパン愛し、その表現を完遂した角野隼仁、古海が惜しまれてなりません。

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2021年10月21日         満 月

 昨日は、前日と打って変わって温かく、夕方から天空には満月が輝いていました。同じ満月を、5年前、ショパンコンクールが行なわれているワルシャワで観ました。宿泊している目抜き通りの角に位置する、ノボテル・ホテル前の広い通りを、大きく輝く月が昇って来るところでした。その日はワルシャワから飛行機に乗り、降りた街からバスで2時間余りのアウシュビッツへ行ったのでした。ユダヤ人が貨車に詰め込まれて線路に降りたところも見ました。「アルバイテン、ビー、フリー」と書かれた遮断機もくぐりました。「入浴」と言われて、衣服を脱いだ大勢のユダヤ人のところへ、天井からチクロンガスが降り注いだ現場も見ました。夥しい数のユダヤ人の靴、髪の毛、眼鏡、所持品を見ました。まがまがしいこの惨劇を目撃したであろう、周りの木立の悲しみも見て回りました。道路を隔てて休憩所がありましたが、飲み物も、食べ物の口に入りませんでした。アウシュビッツ以外にもユダヤ人を毒殺した場所は数々あって、約600万人が殺されたといわれています。2年前イスラエルへ行った時、エルサレムの公園の地下に記念館がありました。大きな円形の塔が地下深くから立っていて、その金色の面に600万人の殺害されたユダヤ人の全氏名が刻まれていました。涙が溢れ出て止まりませんでした。

 明日は毒殺されともしらず、ユダヤ人たちは詰め込まれた部屋の窓から満月を見たことでしょう。満月も又、毒殺されてゆく人々の断末魔の悲鳴を聞いたでことでしょう。ワルシャワの、目抜き通りに立ち上って来る満月を仰ぎながら、私の顔はまたしてもクシャクシャになりました。  

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2021年10月20日          ベルカント

 七回忌と言えば、あと十日で宮沢恭人君の七回忌です。彼は六年前、ショパンコンクールから戻ってくる10月29日の私を待ちかねたように、30日の朝、召されて行きました。毎年のその日は墓参を欠かさず続けてきましたが、奥様からの電話ではコロナ禍によって、今年の集まりはやらないとのこと。

 思い起こせば、彼はクラシック、それも特にオペラが好きでした。清里の彼の山小屋には贅沢な音響装置があり、大音響を鳴らして楽しんでいたようです。彼に触発されて、私もオペラに通うようになりました。当時は、サントリーホールはなく、専ら上野の文化会館でした。三大テノール歌手も全部聴いたと思います。その時の共演のソプラノ歌手グロベローヴァのあまりにも澄んだ歌声にも接しています。

 そのグロベローヴァさんが、まだ74歳なのにスイスのチューリッヒでお亡くなりなったと、朝刊に載っているではありませんか。途端に、澄んだ空を駆け巡るような彼女のコロラチュール・ソプラノの美声が、蘇ってきました。彼女はチエコ・スロバキアの生まれです。ウイーンの国立歌劇場で「魔笛」の夜の女王の悪役をやって以来、一躍、世界的なべルカンとなりました。日本には、都合15回も来ているので、彼女は日本人の誰からも愛されていました。コロナ禍も、このところ落ち着いてきているのでこれから追悼の音楽会が数多く開かれるでしょう。ご冥福を祈ります。

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2021年10月19日        7回忌

 昨日、白い封筒が届きました。7回忌のご通知とあります。裏を見ると際出し人は哲学堂の動物霊園。そうか、愛犬「チュラ」が亡くなって、もう、そんなになったのか、とシミジミしました。長男と次男が年子で生まれて小学生になるころ、知り合いのところで生まれたシーズー犬の子犬が家族の一員となりました。爾来、5匹のシーズー犬が続きました。タバサ、テミ、テツ、チュラ、、、それぞれ特徴がありましたが、みんな家族の一員でした。朝晩の散歩も欠かさず家族の誰かが連れ出していました。初代の「タバサ」の名付け親は今はデズニーランド子会社の社長で60歳にもなる長男。「テツ」は国立東京農工大を出てコンサルタント会社で部長を務める次男が付けました。それだけに彼に一番懐いていました。チュラは沖縄方言で 「奇麗」を言います。「チュラかーぎー」とは美人、美男のことです。当然のことながら名付け親は連れ合いでした。15年前、連れ合いがクモ膜下出血で旅立った時「チュラ」は本当に悲しそうに鳴きました。それから7年間、三男が家にいて彼の面倒を見ていました。チュラがガンを患い余命が幾ばくもないといわれても、私は彼を車に乗せて、何度、葛飾・青戸の動物病院へ通ったことでしょうか。

 

 そーかー、チュラが亡くなってもう7年になるのか、、、、近々、会いに行ってあげるからな、と通知を見ながら心から呟きました。

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2021年10月18日        白大蛇死す

 囲碁名人位争奪の話です。朝日新聞主催の名人位争奪戦・7番勝負は、天王山を迎えました。優勝賞金3500万、名人井山裕太、挑戦者一力遼の一戦は、名人2勝、挑戦者2勝で迎えた第5局目です。仙台・秋保温泉佐勘での第一戦は一力が勝利し、宮城県中が喜びました。彼は河北新報現社長の一人息子、朝日で私の二年先輩だった一力英夫さんの甥です。7番勝負ですから、先に4勝した方が勝ちです。従って、一力にはあと二勝が望まれます。

 勝負は彼の黒番で始まりました。白は大模様を張り始めました。それを阻止しようとする黒番の一力。稀に見る大熱戦となりました。白は目を二つ作って生きようとします。それをさせまいとする黒は、奇想天外にして余りに的確な包囲網を作り、盤上をのたうち回る白大蛇を仕留めにいきます。目が二つできれば大蛇は生きて、そこで終了となり、一力の負けが決まります。正に死闘となりました。解説のタイトル獲得数日本一の趙治勲が「手に汗する歴史上の戦いだ」と、唸り声をあげて絶賛していました。そして、そして、盤上をのたうち回った白大蛇は死にました。

 碁を打つ者にとって、これほどの大石が、しかも、日本一の打ち手である井山裕太の大石が、のたうち回った末に止めを刺されることなど、想像だにできなかったでしょう。全国の囲碁ファンはあっけにとられたのは、言うまでもありません。そして一力遼の偉業を讃えました。余りの奇想天外な出来事に、主催者の朝日新聞も驚き、ニュースとして一面全部をさいて棋譜を載せたほどです。さて、三勝二敗で迎えた第六局。それは数日後に行われます。一力遼に期待いたしましょう。泉下の一力英夫さんも、きっと、応援しているはずです。

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  生前の一力英夫さん曰く 「俺の甥っ子の遼がさあ、
囲碁が好きで、棋院の院生になりたいと言って、家じゅう
揉めているんだよ。碁打ちでは生活できないだろう。一度、宮沢、中沢で会ってさあ、教えてやってくれないか? 碁打ちの才能があるかないか、見極めてやってくれないか?

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2021年10月17日         発酵食品

 東京農大教授で発酵学の泰斗小泉武夫さんの生まれは福島県小野新町の造り酒屋です。昔から、造り酒屋さんでは納豆が禁止です。彼は家の離れへ行って秘かに納豆ご飯を食べたそうです。私が福島県を担当していた時、彼の書いた発酵食品に関する本に触発され、発酵食品を貪りくらいながら、小野新町の彼の生まれた家を見に行きました。彼が礼賛する駅前の食堂へ行って、彼が好んだカレーライスを食べました。美味でした。爾来幾星霜、今や、小泉教授は押しも押されぬ発酵学のオーソリテーです。

 どういうものか、私も発酵食品が大好きです。クサヤの干物など、わざわざ大島まで船で渡り、小泉さんご推奨の店から大量に買い込んできたことのありました。琵琶湖の「鮒ずし」も彼が推す一品ですが、いまや、全くの貴重品で手に入りません。琵琶湖の鮒は、外来種のブラックバスに食われてしまい、絶滅しているからです。代わりにブラックバスの熟れずしが出回っているそうですが、とても、食べる気にはなれません。

 世界で最も臭いけれど、美味の極致をいく食べ物は何か? 小泉さんによれば、スカンジナビヤ半島でしか手に入らない「シュール・ストレミング」という魚の缶詰だそうです。内部で発酵が進んで缶全体が丸くなっているそうですが、これを開けるときは、室内ではできません。強烈な腐敗臭が立ち込めて、気絶しそうになるからです。したがって、野原の真ん中へ行って開けるそうです。

 昨日、小泉教授の最近のお作を見ていましたら、彼、御推奨の発酵食品がありました。フランスのコンテ・チーズ、渋川の針塚農産の白菜漬け、札幌佐藤水産の「めふん」、、、早速、取り寄せてみます。

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2021年10月16日        一秀と一生

  衆議院議員選挙が始まりました。私が住む9区の練馬は元経産省副大臣菅原一秀の地盤です。秋田から出てきて、早稲田社会学部から政経大学院をへて、練馬区議になり、衆議院に鞍替えし、副大臣にまで上り詰めましたが、地元の冠婚葬祭やお祭りに寄付があったことが発覚し、ついには、議員辞職にまで追い詰められ、三年間の公民権停止処分となりました。現在57歳。

 昔の彼は、毎朝駅頭に立って演説を繰り返していました。「いつも駅にいる一秀」が合言葉でしたが、偉くなるにつれ一度も駅頭に立っていません。一方、練馬は旧地主で固まった旧弊が跋扈するところです。土地所有者はほとんどが親戚関係にあり、大きく、立派な屋敷の所有者は関口、本橋、林などと限られています。それだけに、この土地で生きるためには、この人らの冠婚葬祭を無視するわけにはいきません。議員ともなれば尚更であったはずです。同情を禁じ得ません。

 この議員の後釜を狙って練馬9区に立候補したのが、元朝日新聞記者・山岸一生です。彼は筑波駒場高から東大法学部へ、そして朝日に入ったいわば秀才です。記者としてどういう評価があったかは、これから調べてみましょう。立憲からの立候補で、蓮舫さんが彼の大ファンです。一秀のあとの一生。さて、どうなりますか? 

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